☆comforting...☆
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お返事を書いてくださったみなさんのコメントを読み返し読み返し、いつまでも泣いているわけにはいかないと、子どもたちの前では、笑って、怒って以前と同じような母に戻ったつもりです。温かいコメントに、感謝しています。ありがとうございました。yaaが亡くなってからもうすぐ四十九日。悲しみも癒えないまま、準備に追われています。ダンナの親が次男だし、健在なので、うちには仏壇もお墓もありません。その手配がひとつ。法事をやるのも初めてで分らないことだらけです。大金が関わってくるだけに、揉め事も少なくありません。こんなに悲しいのに、大変。悲しみを忘れるためなんだろうか。残された者に出来る事は、これしかないから、できる限りの事はしてやりたい。でも、現実は厳しいです。以前は、さほど気にしていなかった単語が、今はすごく耳が痛くて聞き流せません。「死」という言葉。「たまごっちが死んじゃった」「忙しくて死ぬかと思った」「死にそうに寒い」とか。前は普通に、自分自身も使っていた言葉です。今は聞く度に、胸が苦しくなって、涙が出そうになります。今までは、気づいていてもそんなに気にとめず、何気なく言ったことが、こんなに傷つくこともあるんだと、痛感しています。だからといって、それを言った人を責めているのではありません。ただ、子どもたちには、「傷つく人もいる」ということを教えてやらないといけないな、と思ったのです。ほんとうに何気ないひとこと。たとえば、子どもが欲しくてたまらないけど、出来ない人には、「赤ちゃんまだ?」はとってもつらいのです。でも、聞いてしまうものですよね。それを配慮できる人になりたい。子どもたちにも、なって欲しいです。しかしながら、今の私は、自分のことしか考えられない、人間かもしれません。yaaはちゃんと天国にいけてるかな。それだけが心配です。
Jan 14, 2006