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***落葉集め*** 坂巻 紗代小さな幸せは/秋の日の木の葉のように毎日毎日/ほろほろと降っている昔はそれを/一つ一つ 上手に/集められた私きんもくせいのにおい/まんまるの月秋雨ににじんだ景色/真青な空の鰯雲大人になっても/忘れませんようにかさかさと音をたてて彼らが/私の足もとに/いることを ---***---***---***---***---***---***---***---*金曜日の午後、取引先の人が吉本の時間指定のチケット、4枚をくれた。*友人に声をかけて3人で出かけた。*帰りに、食事をご馳走になりながら、アツイ、政治の話。*帰ったら、また、今年3月以来の友人から、いつ遊びに行く?というメール*もうひとつは、最近、内緒話をするようになった取引先の20代の女性2人から、食事のお誘い。いろいろあるけど、こんな小さなことでも喜べる私って、幸せ者だなと思う。◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★11月29日あそび唄:毬つき唄 UP
2003.11.30
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金欠病です、それも重度の・・・。症状、お金がない!!♪なんでだろ~(テツ&トモ、紅白歌合戦にでるんですってね)と考えて見れば思い当たります。先月、今月と出費が多かった。秋を求めて、あちこちに行ったもん。で、使ったものを書いておこう。★3段チェストアンティーク。電話を置いたりするのにいい感じの。ベッドサイドにおいてもいいけど、うち、ベッドがない。だから失敗。★指輪「王女の涙」って命名。1050円也。( ̄▽ ̄) 水色で、雫の形に模様が入っていて、その石を支える台みたいなのが、これまたかわいい。★3daysチケット関西の私鉄と地下鉄、市バス3日間乗り放題のチケット1枚が5000円を2枚。あちこち行って後1枚残ってる。これは、お買い得だったな。春にもあるから、また買おうっと♪★セーター久しぶりに2枚買った。1枚はクリーム色が少し入った色。タートルの上に着るように袖丈短め、首周り、ゆったり。お気に入りに登録(^-^*)もう1枚は濃いこげ茶色。ボタンの変わりにスナップでとめるようになっていて、そのスナップのところに、かわいいアクセントが(^-^*)★こたつ3年ほどコタツなし生活。ホットカーペットの上に壊れたコタツを置いて、「なんちゃってコタツ」にしてたんですが今年は買いました。家に帰ったら、コタツに直行!!これは、お買い得♪ 出かけるたびに、お茶だ、食事だって、贅沢はしないけど、けっこうものいり。お金は無くなったけど、思いでが残ったので、まっ、いいか。■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★11月23日「小さな村の小さな家」・・・山への道 UP
2003.11.27
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9月、友人と兵庫県龍野市に行った。何十年ぶりだろう・・・。龍野市は、その当時とほとんど変わらない。変わったといえば、その時が止まったような町に、観光客が来ていたことだった。農業で食べていけなくなった私たち家族が、岡山の田舎から、職を求めて引っ越して来たのは40年以上前。龍野市は当時は、どこにでもある、普通の田舎町だった。まわりの町が、大きくなっていく中で、龍野は取り残されたように、ひっそりと息をし続けた。その、時が止まったような町も、それがゆえに「フーテンの寅さん」にまで出るような魅力を持った町になった。 11月に、娘を伴って再度行った。娘とそんな古い町並を歩いた。「あっ、麹屋(こうじや)」と突然、私が叫んだ。昔と同じ場所に麹屋が今も商売をしていた。「レイちゃん、見て、見て、麹!」と私は言い、「麹?麹ってなに?」と娘は言う。「おじいちゃんとお婆ちゃんが、ここで麹を買(こ)おて、味噌を作ってたんやんか。」「そろそろ、味噌を作らにゃぁ・・・なぁ。」この時期になると、父は、よく母に言っていた。麹を買った来て、二人で味噌を作っていた。二人とも仕事で疲れていたのに、楽しそうに味噌を作っていた。売っている味噌を買った方が、手間がいらず、体も休まるのに、作るのがあたりまえのように作っていた。父や母があたりまえのようにやっていたことが、私は、しない、出来ない。けれど、龍野の麹屋さんには、いつまでもそこで店を開いていて欲しいと勝手なことを思う。もろぶた、麹、味噌、ゆったりとした時間、そして元気だった父や母・・・。なくしたものを思いながら、涙が出そうになった。麹屋の前の「もろぶた」に入った麹は、白い花のように見えた。白い花のような麹を見ながら思い出したのは父だった。■参考日記■ ◎民具:もろぶた◎●父の麦わら帽子● ■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★11月23日「小さな村の小さな家」・・・山への道 UP
2003.11.26
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紅葉を求めて、播州の小京都といわれる龍野に先週、行った時。龍野藩の殿様のお庭にお茶をいただくことができる建物がある。同行の娘、レイはお茶なんか飲んだことがないという現代っ子。しかし、ここで、日本文化のワビサビを教えねばと思う。「私が教えてあげる」と言ったものの、1年くらい、お茶のお稽古に行ってないぞ、大丈夫か、私。まず、龍野名産の醤油を使った「醤油まんじゅう」。その後、お茶が運ばれてくる。床の間には、紅葉した1枚の葉っぱが残った柿の枝と白菊。その周りに、3枚の柿の葉が散らしてある。庭園には、色づいた紅葉。ああ、ワビ、サビ・・・。お茶って、季節の総合芸術。***言葉の貯金箱***日本人は四季の中に「私」の存在を築き上げてきました。花だけでなく、茶や歌も、そうした大前提の“分母”である自然との調和を経てこそ、伝統文化になりえたのです。(花人・川瀬敏郎さんのことば)■参考日記■赤とんぼのふるさと ***----***---***---***---***---***---***11,111番をゲットされた石川山雀さん。寒くなりましたので、イラストのセーターをプレゼントします。( ̄▽ ̄) ダイエット、頑張ってください。■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★11月8日「小さな村の小さな家」・・・風呂の洗い場を直す UP
2003.11.23
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「ワシのおかぁは『柿八里』言(ゆ)よった」と父が昔言った。それを思い出したのは、柿の実がたわわになった木を今日も見たから。たいていのものは、「生まれ在所(ざいしょ)から三里以内にできたもの」で賄ってのに柿にかぎっては「八里」なのである。父の父は明治10年生まれ。だから父の祖父母は、江戸時代の人。父も、その影響からか、古い言葉や諺を使っていた。父が生きている間にもっと聞いておけばよかった・・・。これを機に、そんな古い言葉や諺をまとめておこう。 ---*---*---*---*---*---*---ピンポンパアンポン~いつもご来店いただきありがとうございます。お客さまで、111,11番をお踏みの方、お近くの、ゲストブックかメールまでお知らせください。♪ピンポンパアンポン~、ピンポンパンポン~■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★11月19日「小さな村の小さな家」・・・風呂の流し場を直す UP
2003.11.22
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私は、ノンキに暮しているようにみえるかも知れない。あまり、無駄なことに腹をたてないようにしているのだ。そんな、私も、今日は腹がたった。朝7時前、まだ、私は、すやすやと寝ていた。そこへ、夫の怒鳴る声、そして私の顔の上になにか濡れたものが・・・。はあ~???と一瞬、わけがわからなくなった。が夫の怒鳴り声で、わけが分った。夫は、私に昨夜洗濯を頼んだ。私は、風呂に入った後、残り湯で洗濯した。はい、ここまでで何がいけないんでしょう。夫は言う。「洗濯物をネットに入れてない。こんなんしてたら、服が傷む」上等やないの。と私は思う。安もんのあんたの服なんか、ボロボロになったらええんや。会社に行く時も、濡れた服を畳の上に置いたままで出かけた。帰ってからも、ほったらかしにしてたら、向こうが根負けして籠に入れてた。ざまあごらんアソバセ、オッーホホホ・・・。私は、しおらしく、焼きソバを作ってやった。糖尿病、高血圧の夫には、よくない焼きソバを。ざまあごらんアソバセ、オッーホホホ・・・。■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族★白い巨搭◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★11月19日「小さな村の小さな家」・・・風呂の流し場を直す UP
2003.11.21
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先日見た、銀杏の金色の美しさ。感動した私は、次は紅葉を見るぞよと日曜日に行ってきました。場所は、兵庫県・龍野市。第三日曜日は骨董市も開かれるし・・・。紅葉よ、どうぞその日まで、散らないで・・・。そう思ったのですが、11月も半ばと言うのに、その日は、半袖でもいいような暑さ。紅葉が散るどころか、紅葉はまだ半分。アイスクリームを買いに入った、お店の人が言うには、来週が見頃とか。9月になったら秋風が吹いて、10月になったら田んぼに稲穂が波打って11月になったら紅葉が真赤に山を染める・・・。それが、日本の秋だったのに・・・。と、ぼやいていたら、昨日あたりから急に寒くなってきました。ところで、「いのこ」は、「紅葉した山に赤毛の牛を放っても目立たない頃」の行事。ちゃんと、紅葉してくれないと困るんですよね。次の3連休も、秋をさがして、ウロウロしてきます。■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★11月19日「小さな村の小さな家」・・・風呂の流し場を直す UP
2003.11.20
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♪とおりゃんせ、とおりゃんせ。ここは、どこの細道じゃ/天神様の細道じゃちょっと通してくだしゃんせ/御用のない者、とおしゃせぬ。この子の七つのお祝いに、お札を納めに参ります。行きはよいよい、帰りはこわい。怖いながらも、とおりゃんせ、とおりゃんせ。 ---*---*---*---*---*---*---*---*---鬼ごっこの鬼を決めるときなどに歌った唄。そのグループの大きな子どもが二人、手をつないで、上にあげる。その下を子どもたちが歌い終わるまでグルグルと回る。♪とうりゃんせ、で大きな2人の上で繋いだ手が下に下りる。その時、ひっかかった子が鬼。 鬼を決めるのならジャンケンが、と思うかも知れない。けれども、ジャンケンは、小さな子どもには不利。体力を考えると、無理そうな子には、あてないように、♪と~おりゃん~、と考えながら歌った。鬼になった子もそれは、納得していた。両手を上げていた2人の大きな子は、小さな子を連れて逃げるというハンディを背負っていた。このように、小さな子も人数が何人になっても遊べる知恵を昔の子どもは持っていた。私、昔のこどもです(^▽^)♪とおりゃんせ♪の歌詞は、「この子の七つのお祝いにお札を納めにまいります」、七五三だ!!■参考日記■あそび唄:梅と桜あそび唄:子とろ七つまでは神のうち ■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族★人間ドキュメント~阪神をリードした男・矢野~試合が終わっても、ピッチャーに気持ちを奮い立たせようとする努力の人、優しい人、矢野。不遇な時代があるから、人にも優しくできる・・・。来年も頑張ってや、矢野ちゃん。◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★11月12日「もらい湯・・・風呂を待つ間」UP
2003.11.15
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★★★★★★★七歳小児の祝いは七歳が最後。それからは、子どもの仲間に入ることになる。七歳を境として、大人の仲間に入る下準備が開始される。宮参りをすませて、氏子になっているのに、七歳に改めて氏子入りを正式にする習慣がある。子どもが生まれても、すぐに人別帳に記載しない例がある。「七つまでは神のうち」という諺があるが、幼児には社会的人格が認められておらず、氏子入りにいたってはじめて、神からも社会からも人格が承認されたのであった。その年が七歳とされている。これらの儀礼がみな、旧暦の十一月十五日に行われていた。十五日というのは、満月をもって神を祀った古くからの習わし。それゆえに、村人がこぞって祭をするこの日に、氏子入りをし、広く社会と神の承認を得ようとしたのである。七五三が11月15日なのは、偶然ではない。 「民具の歳時記」<河出書房新書>より ★なるほど。だから、学校に入学するのは、7歳(満6歳)なのか。★成人の日、小正月、七五三、などなど、15日を祝う行事は多い。★明日は11月15日。晴れたらいいね。■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族★白い巨搭◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★11月12日「もらい湯・・・風呂を待つ間」UP
2003.11.14
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昨日の日記で「七五三」は、江戸時代の呉服屋と神社の陰謀と書いた。けれども、実は、それを受け入れる生活が根底にあったのである。---*---*---*---*---*---*---*---*---*---★★★三歳三歳という年は、子どもの成長のひとつの境目とされた。この時、今まで付け紐で着物を着ていたのをやめて、帯をつけるので三歳の祝いを一般に「ヒモオトシ(紐落し)」という。また、一つ身であった着物を三つ身に仕立てて着せるので、「三身祝い」ともいう。この習慣は、近畿から西は岡山、四国、九州北部、東は静岡、長野あたりまである。★★★★★五歳五歳の祝いは全国的に男児のみが「ハカマギ(袴着)」をするのが普通であった。 「民具の歳時記」<河出書房新書>より ---*---*---*---*---*---*---*---*---*---●かぞえ年でいう三歳は、二歳くらい。乳児の死亡率が高かった時代に、よくぞここまで生きさせてくれたという、気持ちがあったのでしょう。 子どもの頃、ときどき箪笥から出して眺める着物があった。「あんたの『ヒモオトシ』の着物や。」と母が言っていた。濃い、小豆色に花の古典的な柄の着物が美しいと子ども心に思った。結婚して、娘が産まれる時、母は、その着物をほどいて、赤子の布団に仕立ててくれた。二人の娘たちがそれを使い、日光に当てているうちに、だんだん色が褪せてきた。ボロボロになった、その布団は処分したが、昔の晴れ着は、こうして、リサイクルされ最後まで生きた。■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★11月12日「もらい湯・・・風呂を待つ間」UP
2003.11.13
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先日、友人と木の下のベンチで休んでいると、着物姿の小さな女の子が、これまた着物姿のお父さんらしき人とこちらにやって来た。「七五三やね、もうすぐ」と友人。---*---*---*---*---*---*---*---*---大阪では昔11月1日を子どもの祝いの日とした。また春の「十三参り」が盛んであった。昭和になって、関東風の「七五三詣で」が普及し、その日も「11月15日」と固定された。今日見る七五三参りは、江戸の町で商人、ことに呉服屋の商業政策と神社の振興策が結びついて全国的に普及したものである。 「民具の歳時記」<河出書房新社> そうか、節分に巻き寿司を、バレンタインデイはチョコレートを、土用の丑の日は、うなぎを・・・。七五三には、着物を・・・。みんな商人のたくらみか・・・。へぇ~~!!越後屋、そちもワルよのう。■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★11月12日「もらい湯・・・風呂を待つ間」UP
2003.11.12
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大阪のからほり地区は素敵な路地が残ってます。どの家も、塀を持たず、植木鉢が所狭しとならんで、おしゃべりしてる人たちがいて・・・。そんな、所を友人と歩いていたら、巨大な朝顔が、家の屋根まで届いて青い花がいっぱい。「えっ~??今ごろ、朝顔?」「それにしても、大きいねー。」「ほんとに、朝顔??」などなど話してました。家の人が出てきたので、怪しまれないように(?)「大きな朝顔ですね。」と話しかけました。「これは、普通の朝顔じゃないんですよ」とその家の人。「イリオモテ朝顔」なのだそうです。あの、「イリオモテ・山猫」の西表(いりおもて)でしょうか。その家の人が、3本づつ軸を切ってくれました。長持ちするように、ティッシュに水を含ませて、ナイロン袋に入れて・・・。毎日、水をやったけど、枯れてしまいました。友人もだめだったそうです。季節感がなくなってるこの頃、11月に咲く朝顔が、枯れてほっとしたような、残念なような・・・。それにしても、南国の西表の花が咲くなんて、地球温暖化もここまできたか・・・。 ---*---*---*---*---*---*---*---♪ピンポンパンポン~、ピンポンパンポン~本日もご来店ありがとうございます。ご来店のお客様で9,999、10,000、10,001番をお踏みのお客様、お近くの、掲示板、または、メモでお知らせくださいませ。♪ピンポンパンポン~、ピンポンパンポン~■参考日記■PCを捨て、まちに出よう!:「からほりまちアート」PCを捨て、まちに出よう:長屋再生プロジェクト ■追記■http://sanyasou.infoseek.livedoor.net/sub08/4590.htmlこれ、↑これ、この花!!写真、私は見つけられなかったのに、よぉさんが見つけてくれました。感謝。■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★11月11日「もらい湯・・・風呂をよばれる」UP
2003.11.11
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「いのこ」は関西に多い行事。それとよく似た「十日夜(とおかんや)」は、関東から中部にかけて。----------------------------------------------十日夜(とおかんや)を「大根の年取り」というところが、東北から中部地方にかけてある。大根はこの日、うなりながら大きくなるといい、抜き取るのを禁じたり、大根の割れる音を聞くと命がないなどといい、大根畑に入るなという禁忌があった。その一方、この日の田の神祭の供え物には必ず、葉つき大根を添える慣わしがある。 「民具の歳時記」<河出書房新社> ---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---先日、買った大根は大きく、りっぱ。そうか、今が大根の大きくなる時期なのか。ブリ大根、関東煮、ふろふき大根、鍋のための大根おろし・・・。大根は、冬の食べ物♪■参考日記■十日夜(とおかんや)◎大根と人参の葉っぱ◎ ■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★11月8日「文学の中の『亥の子』」UP
2003.11.10
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秋ーーー!!!行楽シーズン。近くに、秋を感じるところがありますか?うちは、ないんです。文化度が低いから・・・。で、仕方がないから、秋を探して行って来ました。兵庫県相生のもみじまつり。田んぼの色がアースカラーで秋。柿がたわわに実って秋。案山子がならんで秋。イチョウの葉が真黄色に地面を染めて秋・・・。お抹茶なんかいただいて、ああ、ワビサビ・・・。すっかり秋を満喫して、きました。あなたも、どこかに秋を探しに行って見ませんか。 ---*---*---*---*---*---*---*---関西の私鉄各社と地下鉄など3日間、乗り放題のお得な「3DAYS チケット」が5000円!!「3DAYS チケット」は関西の私鉄の駅で買えます。10月31日~12月10日の期間限定!!*選挙は前日、行ってきました◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★11月8日「文学の中の『亥の子』」UP
2003.11.09
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柿渋を塗った団扇やかごを見たことがありますか?その柿渋の講習会があるというので出かけました。教えてくれるのは、地元のお年より。まず、柿を取るところからはじめます。柿は「アオソ」という種類が一番いいそうです。柿の木を見上げて、参加者が「高いとこに成ってるから、とられへん」と言いました。「筈(はず)でとったら、ええやん」と私。「筈??」と参加者全員から疑問符つきの反応。そうか、知らないのか、筈・・・。 筈は、高いところになっている、柿やイチジクなどを採るのによく使った竹の道具。長い竹の先端を割り、棒を挟んで作ります。棒を挟むことによって、竹は少し開いてます。その開いたとこに、お目当ての柿の枝を入れて、ねじってとる。簡単ですが、秋には、なくてはならない道具でした。分り易い、イラストか写真はないかなと探したのですが、あまりに簡単で、民具といえないのか、見当たりませんでした。団扇の骨も竹、筈も竹。この他にも、遊び道具に、儀式に、道具に・・・。竹ってほんとうに、日本人の生活と密着してたのにな・・・。■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★11月5日「落ち葉掃きの心得」UP
2003.11.06
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人はな、生まれ在所(ざいしょ)から三里以内にでけたもんを食べてたら、体によろしねん。(田辺聖子さんのお母さんのことば・2002年4月23日付「朝日新聞」より)近くの農家で出来た大根をゲット!!ついでに、人参の葉っぱがあったのでもらった。大根も見事な太さだけど、葉っぱも見事!!この葉っぱを食べよう。と、日記に書いたら、あらら、りとちゃん、ぶえなさん、ぶんぶんさん・・・。たくさんの人が葉っぱも食べてるんですね。◎大根の葉っぱ◎★大根葉のジャコ炒め①茹でて、小さく切る。②フライパンに、ごま油を熱して①を入れる。③②に塩コショウをして出来上がり。★味噌汁の具として使う。適当な大きさに切って、味噌汁に入れると、緑色がきれい。たくさんある時は、茹でて冷凍。★漬物沢山あったら、漬物なんかいいかも知れない。私はやったことは、ないけど。◎人参の葉っぱ◎若い人参の葉っぱは、炒めるか、おひたし。でも、軸が堅かったので、ホーローの水差しに入れて台所のグリーンにしました。小さなグラスに少し入れて、テーブルの上の緑にも。今日のお弁当の中に飾りに入れていますが、ポテトサラダやハンバーグの上にあしらってもよさそう。■追記■◎大根の葉・はなびらさん◎の場合 わたしもいつもアゲと雑魚で炒めて食べていますが味噌汁の時はゴマ油で炒めてからにすると美味しいですよ。そしてぬか漬ですね。その古漬けを少し塩抜きして炒めてお醤油で味付け・・と、そんなこともしています◎はなびらさん◎ ■参考日記■これから、ときどき◎えこもどき◎ ■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族この番組の歌は、たいてい知ってるけど「イースト菌の歌」は、はじめて聞いた。★クローズアップ現代~貝を再生せよ・有明海に異変~諫早湾に海水を入れないようにしたことで、赤潮の被害。海苔を養殖するときに使う薬で、ヘドロ化。★踊る!さんま御殿!!作家の岩井志麻子登場。本と同じ、「ぼっけえきょうてえ」キャラ。◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★11月5日「落ち葉掃きの心得」UP
2003.11.05
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♪こぬか雨降る 御堂筋・・・昨日の阪神タイガースの御堂筋パレードは、こぬか雨どころか、大雨。雨にも負けず、御堂筋の沿道は、人、人、人・・・。その数、65万人。この御堂筋は大阪のシンボルのような道。ひろびろとした道幅とビルの高さを同じにして整然、そして両側に続くイチョウ並木・・・。道幅とビルの高さは、縦と横の比率が最も均斉のとれた「黄金比」。とかく雑然としがちな街の中にあって、御堂筋だけは、整然とした風格のあるたたずまい。この御堂筋を今のようにしたのが*関 一(はじめ)*。彼は、大阪をロンドンのような公園都市にしようと計画していたそうです。志半ばで倒れ、1935年、御堂筋の完成を見ることなく亡くなった関 一。もし、彼が元気で長く、市長を続けていたら、大阪は、ロンドンのような緑豊かな美しい街になっていたかも知れないのです。彼が残した美しい景観美も少しづつ壊されているのが残念でなりません。何十年も先を見越して、まちづくりをする関 一のような政治家こそ、今の時代に要求される人です。**関 一(せき・はじめ)**1873年9月26日生まれ。東京高等商業学校(現・一橋大学)卒業後、同学校を代表する政策論の一人として関東で手腕を発揮した。都市社会政策という独自の思想を大阪の街で実践し、産業基盤の基礎をつくるなど近代都市大阪の発展へ多大なる功績を残した。主な事業として、大阪の南北を結ぶ大動脈「御堂筋」と、その地下を走る「地下鉄御堂筋線」があげられる。1935年に病に倒れ、御堂筋の完成を見ることなく他界した。関 一(せき はじめ)に学ぶ21世紀の街づくり ■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★11月2日「十日夜(とおかんや)」UP
2003.11.04
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毎日の生活の中で、これってちょっと、エコロジー?と思うようなこと、◎えこもどき◎ 。娘、ミナが孫のちゅんを連れて1日、2日と来ていました。1日は、街の中に出てお買物♪飲茶のお店でおいしい、時間も過ごせたし、満足満足。2日は、歩いて、知り合いの家に野菜を買いに行きました。自転車で20分くらいの道を歩く。車に乗らずに歩く。排気ガスが出ないし、余分なエネルギーを使わないからこれ、ちょっと、エコロジー♪野菜を売っていたのは、同じ市内の農家の人。豊作で処分に困ってたのだそうです。近場の野菜を食べる。輸送にかかる、エネルギーの無駄が省けて、排気ガスもないからこれちょっと、エコロジー♪行ってみると、ほとんどが売れてしまって、残ったのは、人参、大根、白菜くらい。大きな白菜1つ100円、これまた大きな、大根2本150円・・・。なんだか気の毒なような値段。おまけに、捨てられようとしていた、人参の葉っぱまでもらって来ました。大根の葉っぱ、人参の葉っぱ・・・。捨てる部分で、なにができるかちょっと、考えてみます。これから、ときどき、◎えこもどき◎♪■□■テレビしびれて■□■★武蔵◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★11月2日「十日夜(とおかんや)」UP
2003.11.03
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