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玄関を入るとすぐ小さなテーブル。そこは、私の季節の集まる場所。夏には、お気に入りのビンや、ビー玉、貝殻・・・。秋も深まった今、そこには、 柿2種類、、リンゴ、ミカン、大きなカボチャ、小さなカボチャ、おもちゃカボチャ・・・。収穫の秋、ハロウィンのしつらえ・・・。と自分で悦にいってます。そこに、 真っ赤な丸い小さなローソク が数個。たまーに、ともしてみます。ローソクの炎がユラユラ揺れて、なんだか秋。今月いっぱい、このしつらえ。といっても、生ものだから、増えたり減ったり・・・。11月の終わりには、クリスマスのしつらえ。ああ、1年のたつのが速いこと・・・。■参考日記■*ブレイン・ストーミング*みどりご ■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族先日、本屋で原作を少し立ち読み。おもしろそう(^-^*)★屋久島の四季何千年も生きてる、屋久島の杉の荘厳なまでの大きさに圧倒された。◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★10月30日「いのこ 」UP
2003.10.31
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10月31日は「ハロウィン」。ハロウィンの夜、仮装した子ども達が、家々を回って、お菓子などをもらうという行事。20年くらい前から、少しずつ、浸透てきた西洋の行事。今では、街には、ハロウィン用のカボチャが溢れています。仮装こそしないけど、よく似た行事が、日本にもあります。それは、「いのこ」。この時期、の●「亥の日」の夜、●手に手に、いのこ鎚とよばれる、藁で出来たバットのような物を持って♪いのこの夜ーさぁ~、ボ~テボテ餅~、搗かん家にゃ/鬼産め、蛇産め/角のはえた子産めと歌いながら●家々を回る。●子供たちが来た家には、お菓子を手渡す。季節、夜、子ども・・・。よく似てると思いませんか?どちらも収穫の感謝の気持ちから生まれたのかもしれませんね。私は、おもちゃカボチャを2個買ってハロウィンとします。■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★10月30日「いのこ 」UP
2003.10.30
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どこを歩いても、ビル、ビル、ビル・・・。工事、工事、工事・・・。20年くらいで建替えられる建物・・・。建物って、その町のアルバムみたいなとこがあるのに・・・。みんなが、同じ物を見ることで、同じ物を共有することになるのに・・・。それが、地域というものなのに・・・。そんな思いで私は、新しい建物を見ています。そんな時、友だちが誘ってくれたのが、「からほりまちアート」。古い民家を生かしたお店や展示会。翌日も私は、PCを捨てて、まちに出た!今度は、私が友人を誘って・・・。------------------------------------------------------江戸時代、大阪城の瓦が作られたまち、空堀。大正末期に明石からこの地に移築され、昭和の戦災をくぐりぬけた大屋敷。今、この屋敷を次の時代に伝えたいという想いのもとに、懐かしさと新しさをあわせ持つ個性的な十の店舗があつりました。瓦のようにしっかりと練り合わされたいくつもの時と想いがあなたをそっと迎えます。 「練」れん 企画・プロデュース:からほり倶楽部(からほり商店街界隈長屋再生プロジェクト) ---*---*---*---*---*---*---*---*---*---この御屋敷の再生は単なる古いものを残すだけの再生ではありません。秩序なく、合理面ばかりが表に出てくる「開発」は、やがてこの町のよさも消え、生活感のない、無機質な町に変わってしまう恐れがあります。「練」は地下鉄・松屋町駅を上がってすぐです。(松屋町交差点南東入った所)------------------------------------------------------建物って人が暮してこそ、いきいきするんですね。私の生家、無人になって久しいけど、悲しいな・・・。それにしても、古い建物を生かすって、ステキなリサイクル!!「惣」は、からほり商店街界隈長屋再生プロジェクトの最初のこころみです。■参考日記■PCを捨てて、まちに出よう!:「からほりまちアート」 おしゃれ手紙:生家 おしゃれ手紙:飾る楽しみ ■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★10月28日「みのりの秋:つるし柿 」UP
2003.10.29
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「『からほりまちアート・3』(10/25.26)に来ない?案内するから。」と友人。そこで私は、PCを捨てて街に出た。------------------------------------------------------からほりは、大阪市内の中心にありながら戦災を免れた長屋や町屋などが数多く枯枝のようにのびる路地内には石畳や石段などがあり、昔ながらの風景が数多く見られる珍しいまちです。どこか懐かしいこのまちは、たてものだけでなく人々の暮らし・人と人とのつながりの大切さを今に伝えようとしているように感じられます。「からほりまちアート」は、歴史を背負ったこのまちの魅力をもっと多くの人に知って、感じてほしいと願い、このからほり界隈を舞台にして芸術家さんたちの作品を展示するアート展です。長屋の格子やたてものの壁面、石畳の上、その他アーティスト達の多才な感性により思いもよらない空間にさまざまな作品が展示されています。(略) 第三回 からほりまちアートのパンフレットより----------------------------------------------------友人の展示しているカフェが分らなかったので立ち話しているお年よりに聞いたら、即、答えが返ってきました。他のまちだと、お年寄りが、立ち話するにも路地がない。知り合いもいない。だからカフェなんか知らない。*からほり*地域はステキだと思った。着物を着た若い女の子が、下駄の音も軽やかに闊歩しているから・・・。お年よりが、立ち話する場所と知り合いがいるから・・・。**からほり・空堀**空堀の名は、この辺りに豊臣秀吉が大阪城を守るために築いた「南惣構え堀」が、水を入れない空の堀だったことに由来します。■追記■会場は、地下鉄谷町線または松屋町下車の空堀商店街界隈■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★10月24日「フシのくちあけ 」UP
2003.10.28
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♪チャンチャカ、チャカチャカ、チャンチャンチャン・・・ (なぜか、某NHKテレビの料理番組のテーマソングが流れてくる)みなさん、こんばんは。はるなの「ごちそうさん歌」の時間がやってきました。今日は、簡単にできるサラダを作ってみましょう。<材料>ミックスベシタブル、キュウリ、マヨネーズ、塩、コショウ<作り方>1.ミックスベジタブルは電子レンジで約2分、その後、冷ましておきます。。2.キュウリの薄切りを加えて、マヨネーズで合えます。3.お好みで、塩、コショウをしてもおいしいですよ。簡単ですので、忙しい時、是非、一度お試し下さい。では、次回をお楽しみに、ごきげんよう。♪チャンチャカ、チャカチャカ、チャンチャンチャン・・・~思いではミックスベジタブルのよう けれど解凍してはいけない~ 俵 万智 ---*---*---*---*---*---*---*---*俵 万智さん未婚の母になるというニュース。ちょっとショック。*昨日から書き込んだ後のメッセージは、俵 万智さん。 ただし、期間限定(^-^*) ■参考日記■ ごちそうさん歌:「サラダ記念日」のサラダ■□■テレビしびれて■□■★武蔵***メモ****また友人と街にくりだして、遊ぶ。買物:NY用の小さ目のリュック、紅茶*道頓堀ダイブで有名な橋を、夕方うろつく( ̄▽ ̄) ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★10月24日「フシのくちあけ 」UP
2003.10.27
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~のど通る 温度の幸せ 和み紅茶~ 月まろ上の俳句、「おしゃれ手紙」のBBS、*はるなcafe*に書き込んだ人だけ見られます。ためしに書き込んでみてください。この俳句のこと教えてと、日記メイトのりとちゃんこと、リトルダンサーさん。これはね、カフェ俳句。「ぼくの伯父さんの喫茶店学(カフェロジィ)入門」に出ています。お気に入りのカップで、ゆっくりと紅茶を飲む・・・。お休みの日の楽しみ・・・。そうそう、茶葉を入れるとき、人数分+1がいいそうです。例えば2人だったら茶さじ3杯。こう覚えておくと便利。1はい目は、あなたに、2はい目は、私に、3ばい目はポットに・・・。 *-------------------------------------------------*人数プラス1杯が茶葉の分量というのが、よく知られた、おいしいお茶の飲み方。しかし、こうすると、残った紅茶が濃くなります。で、熱湯を入れたポットを必ず一緒に出すのだそうです。そうすると、濃くなった紅茶をまた元の味に戻せるから・・・。ということをなにかで読みました。今日から、休み。ゆっくり、お茶にしましょう。~「モンブラン」ひとつ買い来て「おうちカフェ」~ はるなあっ、今日は、友だちとカフェに行くんだった♪カフェ俳句、募集してます!! ■参考日記■お茶にしましょう!カフェ俳句/■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族★日本シリーズ今日も勝った!!!3連勝!!!◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★10月24日「フシのくちあけ 」UP
2003.10.25
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この時期、実家には、柿がなっている。これを採りにいかないテはない。先週、実家の手入れに行ったのには、そういう魂胆があった。が、しかし、柿は全滅だった。泣くに泣けないので、近所のすずなりの熟柿を2個採って食べた。妹は「お姉ちゃんは、ほんと、柿、好きやね」と感心して言う。昔は家には柿が無かったが、山に柿を採りに行った。渋柿の渋を抜いたり、干したりして食べた。「あわせ柿」、「つるし柿」とよんだ。柿の種類も豊富で、ピンポン球より小さな「こまんど柿」というのも、よく採って食べた。正岡子規の柿好きは有名。 ----------------------------学生時代には一度に七つか八つの柿を食べるのが常習だった。晩年、カリエスが悪化して身動きもままならなくなってからも、秋には毎日のように柿を食べた。そして、~柿食いて 文学論を 草しけり~~柿喰いの 俳句好みと 伝うべし~(「我死にし後は」、の前書きあり)~柿食うも 今年ばかりと 思いけり~などの句を残している。子規と夏目漱石の友情は有名。夏目漱石は小説、「三四郎」の中で、大きな「樽柿」(渋抜きした柿)を16個食べても平気な奴だったと子規の柿好きを紹介している。明治28年、子規は、松山の中学教師をしていた漱石の下宿に2ヶ月近くを過ごした。東京に戻るとき漱石に十円を借りたという。子規は、その帰途、奈良に寄って名物の「御所(ごしょ)柿」を食べた。そして、漱石に「当地において正に使い果し候」と好物の柿を食べて満足げに手紙を送ったという。その時の句が、~柿くえば 鐘が鳴るなり 法隆寺~子規の名句は漱石の金で生まれた。参考資料:「柿への思い」朝日新聞 坪内 稔 1990.11.17 ---*---*---*---*---*---*---*---富士には月見草が似合い、里山の秋には、たわわに実った柿の木がよく似合う。■参考日記■柿の木のある家■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族★日本シリーズ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★10月22日「みのりの秋:山の幸・・・アケビ、フシ 」UP
2003.10.24
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柿は、私たちの暮らしに深くかかわっている。なんでも、昔は、嫁入りにあたって実家から柿の苗を持って行き、それを嫁ぎ先に植えたという。その嫁が生涯を終えると、大きく育った柿の枝が火葬の薪(まき)やお骨を拾う箸にされた。つまり柿は、女性の生涯を象徴する木だった。芭蕉の句に~里古(ふ)りて柿の木持たぬ家もなし~という故郷の伊賀上野での句があるが、古い村の家々の柿の木は、代々の嫁が残したものに違いない。 「柿への思い」朝日新聞 坪内 稔 1990.11.17 ---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---柿の実は、果物として食べるだけでなく、「柿なます」などにもする。渋柿は干して「干し柿」とする。葉は、青いものは、柿茶、御寿司を包む、紅葉したものは「柿紅葉」といって料理にあしらわれる。柿渋を利用して、渋染め、などなど。私は、これらのこと以上に柿のなる風景が好き。日本の春を代表する木が「桜」ならば、秋を代表する木は「柿」だ!!■参考日記■ごちそうさん歌・柿■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族★日本シリーズ★その時、歴史が動いた~正岡 子規~今年、6月に行った東京、根岸の「子規庵」。なつかしい。正岡 子規の柿好きは、尋常ではない(^-^*)◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★10月22日「みのりの秋:山の幸・・・アケビ、フシ 」UP
2003.10.23
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桜切るバカ、梅、切らぬバカ。妹と実家に帰って、伸び放題の梅の木の手入れ。ノコギリと鋏で、ギコギコ、チョキチョキ。ああ、すっきりした。今年の三月、見た、梅の花のきれいだったこと。こんなに切って、来年も今年のように見事に花が咲いてくれるかな・・・。そう思うほど、沢山切った。切った枝を見ながら私が妹に言った。「昔だったら、いいタキモン(タキギ)が出来たって喜ぶのにね。」「そうそう、枝豆も豆を採ったらマメガラ(枝豆の木?)を干して、追い炊きに焚いたね」と妹。昔は、風呂以外にも煮炊き、暖をとるにも、タキモン(タキギ)が必要。今は、ごみとして扱われる、枝も豆ガラも、割れた下駄も、習字の紙も、弁当を包んだ新聞紙も、みんな、みんな大切な燃料。10月20日はリサイクルの日だそうだ。10→ひとまわり、20日→ふたまわりという意味からだそうだ。昔は、毎日が、リサイクルの日だった。■参考日記■米のとぎ汁花ぞ昔の香ににほひける ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★10月20日「ごみ箱のない生活 」UP■□■テレビしびれて■□■★武蔵お通が縫い物をしていたので、私も、頼まれた、ズボンの直しを思い出した。***メモ****子の刻参りの階段のぼり、3回目。
2003.10.20
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★星野監督勇退!ああ、ビックリ!スター選手のいない阪神の唯一のスターは、仙ちゃんだったのに。阪神の救世主だったのに・・・。ガックリ・・・。どうなる、阪神タイガース。死ぬまでタイガース~もっと勝ちたいんやっ!~(10/17)大英国のMONOLOGUE★勇退が一般紙のトップ記事!!ああ、ビックリ!!その星野監督の勇退の記事、スポーツ新聞じゃなくて、一般の新聞のトップ記事だった。おりしも、アメリカのブッシュ大統領が、集金に来るというのに・・・。ガックリ・・・。*** それにしてもこの金額の大きさは何事だ。欧州連合の拠出額が2年間で2億ユーロ(260億円)なんだが、その20倍近いカネを日本からふんだくろうとしているのである。***江草乗の言いたい放題:「日本はアメリカのATM(現金自動受払機)である」★勇退ショックで株が下がる!!!ああ、ビックリ!!!星野監督の動向は株をも左右するのか・・・。選挙も近いというのに、日本人って、ノンキ(一番ノンキなのは、私)・・・。それにしても、星野監督の勇退は、ショック!!!ガックリ・・・。しかたない、栗でも茹でて食べよう。江草乗の言いたい放題「クリに触れるのは危険です!」 ガックリ・・・。~栗三つ茹でて一人の秋とせり 遠くに君の海感じつつ~ 俵 万智 ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★10月17日「民具:焙烙(ほうろく) 」UP
2003.10.19
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あなたがもっと美しくなるために美しくなる」ということは、他の人たちをアッと言わせるような美しさを見せびらかすことではありません。また、決してゼイタクなことをするというのでもありません。着飾ったり、お化粧することは忘れても、身だしなみだけは、いつも心がけてほしいものです。身だしなみの本当の意味は、自分の醜い所を補って、自分の姿が、いつも他の人々に快く感じられるように、他の人があなたを見る時に、明るく、なごやかな気持ちになるためのものだということを忘れないで下さい。美しいものには出来るだけふれるようにしましょう。美しいものにふれることで、あなたも美しさを増しているのですから。 *中原 淳一*の言葉 ---*---*---*---*---*---*---*---*---*---★2年前に、娘が誘ってくれたので行った、美術館「えき」KYOTOの「中原 淳一の世界」。そこでもらった、小さなパンフレットの文章が上の文。娘たちは、えらく、ナットクしてました。★「おしゃれ手紙」で、「本当の、おしゃれって、『感性』じゃないでしょうか」と浜辺 遥嬢。感性を磨くことが大切って、中原 淳一氏も言ってます。没後20年・中原 淳一展~装う、暮す、生きる。全てに「美」を求めた芸術家の生涯。~*日時:10月4日から11月9日*場所:西宮市大谷記念美術館**中原 淳一**つぶらな瞳とすらりとした可憐な少女の画で、戦前、戦後に少女たちの間で一世を風靡した(1913-1983)。彼の仕事ぶりは雑誌編集をはじめ、人形作家、ファッションデザイナー、詩人など多岐にわたる。「◎日本ちょっと昔話◎」◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★10月17日「民具:焙烙(ほうろく) 」UP
2003.10.18
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健康のためなら死んでもいいと日夜運動する健康オタクの夫。かたや、のんびり、まったり過ごすのが好きな私。でも、私も、ちょっと、健康のために気をつけようかなと思ってます。年末、年始を、娘のレイとニューヨークで過ごすから・・・。そんな時、夫が「これから、歩いてくる」という。夜も12時を回ってるのに・・・。いつもなら、知らん顔なんだけど、昨日は、「私も、一緒に、行く」と言った。「今日は、階段登りのトレーニングやから、無理や」というのも聞かず行きました。夜中に階段を登る・・・。きっと、お宮さんかどこかの階段に違いない。「子の刻参り」、わら人形、五寸釘、ろうそく、呪いの呪文・・・。と頭の中は、ふくらんで車でGO!車の着いたところは、高層アパート。「ここから、歩いて、お宮さんに行くの?」と聞けば「この建物の階段を登るんや」と夫。夫は、リュックを背負って、さっさと登り始めた。本当に山に登るなら、荷物も持たないといけないからだって。128段の階段を登って、降りること3回。その間、30分あまり。無理が嫌いな私は、これでいいのだ!車の中で待つことに。20回上り下りをして夫は帰って来た。家に帰ったら夜中の1時半を回っていた。今朝、起きたら体が、足が、めちゃ軽い。会社が終わってからも、運動を兼ねて、遠くの図書館に行って本を2冊ゲット!!私に今足らないのは運動だったんだなと思う。今日、借りた本●「タンポポの綿毛」 by藤森 照信テルボ先生大好き。新聞やテレビに出るたび、見てます。読みたかったんだ、この本。●「日本の暮らしと小物たち」 by平野 恵理子この人の、イラストも文章も大好き。PCのイラストを描く意欲がわいたゾ。「◎日本ちょっと昔話◎」◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★10月15日「民具:唐臼(からうす) 」UP
2003.10.15
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秋の田で 森 文子刈り取りおえた田で/おばあさんが機械がこぼした落ち穂を拝むようにして/ひろい集めている あばあさんの足元にすずめの一群が舞いおり/ついばみはじめたようすを見ていた/一羽のカラスも/そおっと後に加わるおばあさんと/すずめの一群と/一羽のカラス昔からの仲間のように秋の恵みを/わけあっている --*--*--*--*--*--*--*--*-- ●このおばあさん、拾った落穂で「ヤッコメ」をつくるのかもしれません。みのりの秋:ヤッコメ ●先日、テレビで見た「ザ!鉄腕!DASH!!」。悪天候で、実ったまま、芽を出した麦。 捨てるのかと思えば、水飴づくり。恐るべし、先人の知恵。「ザ!鉄腕!DASH!!」ダッシュ村 「◎日本ちょっと昔話◎」◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★10月14日「みのりの秋:ヤッコメ 」UP
2003.10.14
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♪チャンチャカ、チャンチャン、チャンチャンチャン・・・昨日、お昼の用意をしていたら、賑やかな、鉦や太鼓の、だんじり囃(ばやし)。「あっ、だんじり(地車)や!」と私は、あわてて、外に出る。表では、ちょうど青年団のだんじりが止まったとこだった。見ていると、「*おはな*、もらいました!!」の大声。おはなとは、ご祝儀。すると、「会計」と書いたタスキの男性が、鞄を持って、おはなをくれた家に行く。その家の前にだんじりが止まってみんなで、お礼に手拍子。♪叩きましょ(ちょーん、ちょん←手拍子)も一度(ちょーん、ちょん)祝ぉて、三度(ちょーん、ちょん)子ども達も一緒に言ってる。大人も子供も、祭のハッピを着てる。メガホンを持って言ってる人も沢山いた。メガホン、ハッピ、手拍子、あっ、阪神タイガースの応援みたい。(^▽^)近所に、たった一枚残った田んぼの稲刈りが、いつの間にか終わっていた**おはな**はな。子どもの遊びの「はないちもんめ」の「はな」と同じような意味かな。他にも「優勝にはなをそえて・・・」とも使うし・・・。「はなを持たせる」とか。けっこう、使われてるんだなと感心。■□■テレビしびれて■□■★ザ!鉄腕!DASH!!麦の取り入れと水飴つくり。★武蔵★末っ子長男姉三人深津絵里、小雪、岸恵子大好き。岡田准一クンも好きなので、見ることに。最初の頃の、深津絵里ちゃんの、上着、コート?の襟がかわいかった(^-^*)ウエディングドレス姿もかわいい。★刑事コロンボ◎日本ちょっと昔話◎ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★10月12日「「鎮守の森」考 」UP掲示板、スケジュールもついてます(^-^*)
2003.10.13
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***娘のミナは息子ちゅんを誰よりも、私の母に見せたいと言う。そのことを、母の近くに住む私の妹に相談すると、「私が、お母ちゃんを連れて、車でそっちに行くわ。」話がとんとん拍子に決まって、10月のはじめの日曜日に、妹と母が来ることになった。当日、、遅くまで寝ていた私は、ちゅんの泣き声で目がさめた。長女、ミナとちゅん、まもなく、近くに住む次女のレイが来て、ちゅんをオモチャに遊ぶ。ミナとレイはちゅんを連れて出ていた、11時頃、母と妹が来る。母は、なんだか元気がない。こちらまでの2時間の車がこたえたのか・・・。まもなく、ちゅんたちが帰って来た。ミナは、「おばあちゃん、ちゅんクンやで。おばあちゃんのひ孫やで。抱いてやって」と母にちゅんを抱かせる。母は、視力の弱まった目で一生懸命見ようとする。ミナに抱っこされてミルクを飲む、ちゅんの足を頬にあてる。台所と居間を行ったり来たりしながら、私は母がだんだん元気な顔になるのを確認した。芽吹いた小さな植物に感動するように、母は小さな、ちゅんから元気をもらった。ちゅんの眠ってる間に、昼食。母はミナに子育ての諺を話して聞かせるくらい元気になった。その母が、ちゅんを見ながら言った。「私は、もう一回、このこに会えるやろか・・・。」「会えるよ、また来て、毎月でも、来て。」私たちはそう言った。*孫を飼うより犬を飼え*という諺がある。犬なら番をしたり、猫でも、ネズミをとる。孫はいくら可愛がっても世話しても役にたたぬ。恩知らずだ、という意味だそうだ。ちょうど一週間前の今日、母の孫のミナとレイは、お婆ちゃん孝行をした。でも、一番の、功労者は、ちゅんであるが・・・。**孫を飼うより犬を飼え**「山村の四季」創文社 宇都宮貞子 長野・更埴の諺 ■□■テレビしびれて■□■★あした天気になあれ。観月ありさのいつものボケキャラがかわいくて、つい見てしまう。◎日本ちょっと昔話◎ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★10月11日「運動会デビュー:おもちゃとり 」UP
2003.10.12
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*孫を飼うより犬を飼え*という言葉がある。犬なら番をしたり、猫でも、ネズミをとる。孫はいくら可愛がっても世話しても役にたたぬ。恩知らずだ、という意味だそうだ。。長女のミナは今年の4月にちゅんを出産。その時、言った言葉は、「ちゅんを、おばあちゃんに見せてあげたいわ。」「おばあちゃん」というのは、82歳の私の母。視力、聴力も落ちて歩くのも容易ではない母。それでも、父が生きている間は、老人ホームで楽しそうに暮していた。1年半ほど前、父が亡くなって、老人ホームで淋しく暮している。9月の中頃にミナから電話があった。「あんまり、寒くならんうちに、おばあちゃんに、ちゅん(ミナの子ども・私の孫)を見せたいねん。一人での遠出は無理やから、お母さん、一緒に行って。」私は二つ返事で引き受けた。母の近くに住む私の妹に相談すると、「私が、お母ちゃんを連れて、車でそっちに行くわ。」話がとんとん拍子に決まって、10月のはじめの日曜日に、妹と母が来ることになった。**孫を飼うより犬を飼え**「山村の四季」創文社 宇都宮貞子 長野・更埴の諺 --*--*--*--*--*--*--*--*--*--●先週の今ごろは、会社の旅行の帰路。しんどい、一週間だったので、今日は、歯医者に行ったり溜まった用事をして過ごす。■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族★人間ドキュメント~俺たちのシンクロ~大好きだったテレビドラマ「ウオーターボーイズ」。そのモデルになった、川越高校、水泳部のシンクロにかける夏。◎日本ちょっと昔話◎ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★10月11日「運動会デビュー:おもちゃとり 」UP
2003.10.11
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祭の頃、必ず思い出す詩がある。いや、詩はもう忘れてしまった。もう20年以上前に読んだ、その詩のストーリーを思い出す。--------------------------------あれは、もう何十年も前のこと。隣村の親戚の家の祭に行った。そこで、食べた御寿司があまりおいしかったので、病気で来れない母さんに持って帰ることにした。帰りながら母さんの喜ぶ顔が見たいと思った。病気で寝てる母さん。この御寿司を食べて元気になって・・・。母さんは、「ありがとう、ありがとう」と何度も言いながら、その御寿司を食べた。そして、死んだ。持って帰るとき、御寿司は、いたんで、母さんは食中毒になってしまったのだ。ごめんね、母さん、ごめんね・・・。あの御寿司さえ食べなかったら・・・。ごめんね、母さん、ごめんね・・・。------------------------------------そんな、内容の詩だった。自分が食べたいのに、食べずに持って帰って、病気の母親に食べさせようとした女の子。その御寿司が、あたって、母親が死んだ、悲しさ・・・。少女は大人になっても、そのときのことを思い出す。日本中が貧しかった頃の悲しい記憶・・・。◎日本ちょっと昔話◎ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★10月10日「祭」UP■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族★エ・アロール渡辺淳一原作、豊川悦司★白い巨搭山崎豊子原作、唐沢寿明
2003.10.10
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♪とんで、とんで、とんで、回ってまわる~。先日の女遊び、話題がイラク情勢からオトコの話までいろんな話題にとんで、とんで、とんで・・・。その中で中国のことを「シナ」と言う人がいて、みんなに、注意されてました。以下、そこで出た、意見の数々。---------------------------------------*シナは差別語ではない。*シナという言葉の中に日本人は憧れを持っている。*中国の人は、中華思想があるから支店に通じる「支」という言葉にこだわるのでは。*日本が植民地として、中国の人を苦しめてたから、その時の感情が言葉にあるのでは。*「シノワズリー」というように外国語としてもよく使われているけど。と喧喧諤諤。*いっそのこと、英語の「CHINA」にしたら。という意見に、はるな、登場。「CHINAって、日本人がシナって言うから英語になったんやで」すると「へぇ~、なるほど・・・。CHINA・・・シナ・・・。なるほど」「知らんかった。80へぇやわ」と言いながら、机を叩いて「トリビアの泉」ごっこ。みんな、納得して帰ったのです。 ------------------------------昨夜、テレビでみた「その時、歴史は動いた・秦の始皇帝」。そこで、私は知ったのです。CHINAの語源は日本が使ったからではなく、大昔からあるということを・・・。みんなに、訂正のメールしなきゃ・・・。恥。( ̄- ̄;)恥をかいても女遊びは、やめられない。*「しな」を変換しても漢字が出てこないから、使ってはいけない言葉なんでしょうか。■参考日記■女遊び:98歳の妊娠??/a>◎日本ちょっと昔話◎ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★10月7日「道普請(みちぶしん)」UP■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族会社からの旅行、ちゅん親子、母と妹が来たりして、フラフラだった一週間。昨日からやっと普通の生活に戻って、テレビが見られるようになりました。
2003.10.09
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「片月見」、「片見月」はするものではないといって、八月十五夜に月見をしたら必ず、十三夜にも月見をするものとされている。十三夜は旧暦九月十三夜のことで「豆名月」、「栗名月」と呼ばれ、枝豆や栗を月に供える夜であった。かつて、江戸の町において八月十五夜の日に他家に行って饗応をうけて泊まると、九月十三夜にもまた他家を訪れて饗応をうけて泊まることになる。そうしないと片見月になるとして忌み、逆に月見の日には絶対に他家に泊まってはならないともされた。十三夜も十五夜と同じように、誰の畑の成り物を盗ってもよいという風習が各地にある。また、「小麦名月」という呼び名があり、この夜の天気の良し悪しによって、次の年の畑作物の豊凶を占う風がある。十三夜も豆や小豆あるいは栗などの収穫祭、すなわち畑礼儀作法としての性格を持ち、十五夜と同じ祭儀であった。北九州北部では、この日を「女名月」といって、女が幅を利かす日だと伝えていて女性がこの夜の祭儀の司祭者であったことをうかがわせる。 「民具の歳時記」<河出書房新社> **************************************~月浄く射せば智恵子の切絵より 蟹も這ひ出よ夜の砂浜に~ 清水 正子*今日のお月さん、きれいでした。*先日、ちゅんにお月さんを見せようと抱っこして外に。 昼間と違う風景に、ちゅん、キョロキョロ(^-^*)■参考日記■芋名月/a> ◎日本ちょっと昔話◎ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★10月7日「道普請(みちぶしん)」UP
2003.10.08
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先日(9月24日)の楽しかった「女遊び」。あの時の口実は、友人が高級マンションを手に入れたのを記念してでした。友人は、「ここが、バスルーム、ここが、トイレ、・・・」と家の案内をしてくれました。私は、広い、バスルームと洗面所が羨ましいぞと思う。バスタブなんか、うちよりだいぶ大きいぞ・・・。そして、洗面所の化粧品コーナーをさりげなくチェック。並んでました、「無印良品」の化粧水と乳液。白い容器にあずき色の文字がそっけないほどシンプル。私も使ってます、「無印」。化粧品なんかは、ほんとは、内容を重視しないといけないんでしょうが、ごちゃごちゃと物があるといやな私は、つい無印にはしってしまうのです。2日前に、孫のちゅんを連れて行った無印の赤ちゃんコーナーに書いてあった言葉。 **愛は飾らない**朝の光の中で、うぶ毛がキラキラする赤ちゃん。毎日が変化と成長の連続の子どもたち。無印良品は元気な生命をそのまま包んであげたいと願っています。お洗濯や運動にみあうたしかな素材。お肌にやさしく配慮した縫製。こまやかな心配りこそ愛のしるしです。飾りたてたり、たくさんの色をつかったりしないのが無印。毎日のことだから、大切にしたい子供の領域です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~*物がたくさんあっても、大きさや色が統一されていれば、ゴチャゴチャ感がないですね。*私は、化粧水、乳液、洗顔フォームなどなど持ってます。 大きさは、違いますが、色で統一されて、すっきり(と自分では思ってます)(^-^*)。シンプル イズ ベストごてごて イズ ワースト by 浜辺 遥■参考日記■女遊び:98歳の妊娠??◎日本ちょっと昔話◎ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★10月7日「道普請(みちぶしん)」UP
2003.10.07
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江戸の頃、旅で身に付ける合羽(かっぱ)のことを「十里合羽(じゅうりがっぱ)」とも称した。十里は40キロだから、それを超えると旅になるとみたのであろう。それは、だいたい一日かけて歩き、宿に泊まる範囲であり、一泊すると「別火(べっか)・・・自分の家の火ではないこと」のかまどの食事になる。同じかまの飯を喰うのは旅仲間であり、そのつき合いは生涯忘れ得ぬものとなることは、今も変わらない。 「民俗学への招待」ちくま新書・宮田 登**旅の語源**自分の家で煮炊きするのではなく、他の火を使って煮炊きするから「他火→旅」。 ーー**--**--**--**--**--**--**--**--会社のお得意さんの招待旅行に付いて金曜日の早朝、家を出て土曜日の夜7時半ごろ、家に着。金沢の兼六公園や東尋坊など・・・。400キロくらいはあるんだろうか?当然、旅。◎日本ちょっと昔話◎ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★10月1日「台風の後・・・椋の実拾い 」UP
2003.10.04
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「落穂拾い」といえばミレー、ミレーといえば「落穂拾い」。というくらい有名な「落穂拾い」を昨年、パリのオルセー美術館で見た。けれど、私はもうひとつの「落穂拾い」を2年前に見た。それは、アニエス・ベルダ監督の映画「落穂拾い」。そこで買ったパンフレットを時々眺める。 ------------------------------落穂拾いとは、中性から近世にかけてのヨーロッパの農村共同体で、収穫後の耕地に散乱する落穂を老人、寡婦、孤児、障害者などに拾うことを許した慣行である。これは社会の弱者を保護し扶養する手段のひとつであった。しかし、現代の落穂拾いは老若男女さまざま。収穫の終わった畑で、規格外ということで捨てられるジャガイモを拾う人々。失業者もいれば、ボランティア、「心のレストラン」のために拾う人。監督自身も、誰も見向きもしないハートの形をしたジャガイモを拾う。同じく収穫後のリンゴをもぐ人々。嵐の翌日、養殖場から流れてくる牡蠣を拾う人々・・・。 「落穂拾い」パンフレット、参考 ------------------------------------拾う人を暖かく描いたドキュメンタリー。2000年ヨーロッパ映画賞、最優秀ドキュメンタリー賞ほか、沢山の賞を受賞。 --*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--私の子ども時代も、台風の後に落ちた梨や、椋の実を拾って食べた。川から畑に流れ込んできた魚をとって食べた。つい、この間のことみたいなのに・・・。ものを拾う人は、慎み深く腰を落とす。■参考日記■台風のあと・・・あたり梨 台風のあと・・・魚とり ◎日本ちょっと昔話◎ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★10月1日「台風の後・・・椋の実拾い 」UP■□■テレビしびれて■□■★てるてる家族
2003.10.01
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