全30件 (30件中 1-30件目)
1

イノチの光がたとえ消えても・・・ だいすきなママへ ママ 私は目には見えなくなったけれど そんなに悲しまないで ママ 私はママのそばで ママのこといつもみてるよ ママ ママはわたしの笑顔が見たいって思ってるでしょ でも 私はママのそばでいつも笑ってるよ ママ ママ ママはずっと私のママ 永遠に私のママだよ、、 お約束をしたから ママの元に生まれたんだよ ママ 会えたね 私はママにあえてよかった ママ 悲しまないで 私はママに会えて すごくしあわせだったから それは短い時間だったけれど 本当に本当にしあわせだったから、、 私のことを思って静かに祈ってみて ほら、、気持ちが通じるでしょう? 私はそばにいるよ 祈ることでつながるよ、、本当に、、、 ずっとずっと いっしょだよ・・・ そしていつかまたあおうね いちばん笑顔のわたしを探してね でも そのときは 今も素敵だけれど もっともっとぴかぴかに素敵なママになっていてね だってわたしのいちばんだいすきなママなんだから ママ ママ ほんとうにありがとう、、 だいすきなママへ そう私のこころに聞こえました。天使の気持ち、、きっとママへのメッセージです。 。★。・゜゜・。☆。・゜゜・。★。・゜゜・。☆。私は生まれてはこれなかったけれど小さなイノチをなくしたことがあります。生きているイノチと生まれてこれなかったイノチの重みはもちろん違うけれどイノチが突然に消えてしまう悲しみは娘の障害宣告の何倍も何倍もの大きさで当時私はたくさんの涙を流しました。でもその涙のお陰で私はわかったことや気づいたことがたくさんありました。人は涙を流した分きっと人に優しくなれますこころがきらきら輝くと信じます。こころを込めて
2005.01.31
コメント(24)

この指とまれから♪ 久しぶりの同窓会がかなったのはサイト「この指とまれ」のお陰でした。ある日登録名簿に幼稚園、小学校、そして中学も一緒だったK君を発見!お~懐かしすぎる♪幼稚園時代遊んだK君ではないですか♪ こう長い年月経つと電話はなかなかできないけれどメールは実に気楽に書けます^^♪メールってすごいです、、ね「覚えていますか?^^」の一通のメールから本当にみんなと再会することができました。みなさんもぜひ「この指とまれ」をご活用ください♪^^実にみんな22年ぶりに(あ 年がばれる 笑)中学時代の先生とクラスメートに再会できたのでした。先生は全く当時と変わらずあの時のまま生き生きとされていてそしてみんなはそれぞれに素敵に大変身~♪していました。とても楽しかったです。みんなありがとう!^^実はこの同窓会参加には縁の下の力持ちがいました。。。それはゆきちゃん今回 前回ちらっと登場した親友ゆきちゃんとももと3人で帰省したのです。(へんなじゅういさん再び現れるに登場)ゆきちゃんは私の親友だけれど8才のももかの親友でもあってそれは楽しい旅行ができました。ゆきちゃんに「同窓会で帰省するんだ♪」と伝えると 「金沢行きたい~!」とのことでいっしょにまた3人旅をしちゃいました。同窓会の間 家族みんなでお寿司を食べに行ったらしくゆきちゃん&ももちゃん大喜び♪その後ももが眠るまでゆきちゃんはももと遊んでくれてももはすやすや眠った様子。「ゆっくりしてきてね♪こっちは大丈夫^^遅くっても全然大丈夫♪」とラブラブメールを送ってくれました。両親には「親以上に親らしい」とゆきちゃん評価は☆☆☆☆☆そして我が妹には「お姉ちゃんゆきちゃんに足向けて寝られんよ~」と「いいお友達でいてもらいなさい~」と言われました。そのとおりです、、、いつも本当に感謝しているけれど ゆきちゃんにこころから感謝です。ももかさんも随分お姉ちゃんになりました。実家で私がいなくても大丈夫なんて、、昔は2時間なら2時間大声で泣いて電話で呼び出されたものです。ここ数日♪3人で美味しいモノを食べ歩き リフレッシュできました♪あ~お腹パンパン、、かなりやばいかも、、緊急ダイエットが必要~~涙ももかママ (cona)でした♪゜゜・。☆。・゜゜・。★。・゜゜・。☆。・゜゜・。★人気blogランキング思わず同窓会へ行きたくなった人はポイントアップ♪
2005.01.30
コメント(1)

駅と秘密のエレベーター 帰省するたびに思うこと、、金沢駅、、あ~んなにお金をかけて立派な近代的な駅なのにしかも城下町金沢を代表する駅なのにどうして利用者用のエレベーターがないのでしょう?(荷物用のみ 関係者以外使用禁止と書いてある)それが私はいつも悲しいなと思う。実は大阪駅も新大阪もありません。(裏地下道にまるで秘密の荷物用エレベーターはありますが)皆さんはご存知でしたか?もちろん駅員さんに連絡すればそのエレベーターは使えるけれどかなり時間がかかります。ホームの端の端の遠い荷物用エレベーターは悲しいな、、、クリック♪で応援よろしくお願いします^^ ↓人気blogランキング
2005.01.29
コメント(2)

☆トンネルを抜けると・・・☆ ☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆☆クリックで応援よろしくお願いします☆ブログランキングトンネルを抜けると本当に雪国だった。そしてまたトンネルを抜けるとまったく雪がなかった。久しぶりの実家 金沢雪がない。でも明日から大雪って本当?明日は久しぶりの同窓会、、、しかも中学3年生の、、、楽しみだけど会うの久しぶりでコワイカモ^^中学3年生受験の目の前にみんなで校庭にかまくらを作った。なつかしい想い出。勉強のこと忘れて子どもみたいにみんなで思いっきり笑顔で・・・いったいあれは何人でつくったのかな、、?ダンボールをひいてみんなでポテトチップスを食べた。「受験前におまえら~!!!!」とえらく先生に怒られた。でもその時かまくらを作っていた子はみんな合格した。今では懐かしい遠い想い出。みなさんの懐かしい想い出ぜひ教えてください^^♪☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆今日も応援クリックどうぞよろしくお願い致します☆blogランキング
2005.01.28
コメント(6)

☆美しき人☆ 障害児を抱えた両親は誰でも一度は「この子を連れて、、」などと思ったことがあると思う。私もかな~り昔 そうそう障害宣告を受けた頃 後ろ向きになった時期がある。どうやって生きていったらいいのかと、、、それは今思うと先が見えない不安から未来が描けなかったからだと思う。先日のこと、、ある障害者の先輩ママとこの話をしていた時彼女は一度もないと即言い切った。そして優しく微笑んで言われたのです。「私は障害を持つ○○を授かる前に生まれたばかりの赤ちゃんを亡くしているの」それは 生後2日しか生きることができなかった命。彼女は色んな気持ちを経験し命がいかに尊いかを身を持って体験したと言った。「だから○○が障害があるとわかったときに もちろん大変ではあったけれど、、 でも生きてる 生きてるから それだけでいいって」「亡くなった子にはしてあげたくても何もしてあげれない、、、 でも生きている子には何でも 本当に何でもしてあげられるから、、」と。 「亡くなった子にはお線香あげるしかできへん」 「お線香炊いてたらなあ 家のなか けむたいだけやんか・・」 と最後には笑わせてくれた。 そして最後の彼女が言ったことそれは「あの2日だけ生きてくれたあの子のお陰で私は越えてこられた」と。天使になった赤ちゃんはたった2日だったけれど彼女は想像できないほど受け入れがたいつらい時があったと思うけれど人として成長する大きな機会をたしかに与えられた。「たった2日しか生きなかった子」は彼女の人生に大きな影響を与えた。彼女の生きるパワーとなり偉大なる仕事をこの世で成し終えて天に帰っていった、、、偉大な存在だと思う。私は人の命はその長さではなくいかに周りの人の心にその存在を焼き付けるかだと私は思っている。小さな天使たちの役割はすごいと改めて思った。 生きているということも決して 当たり前のようだけれど本当に当たり前ではない、、、彼女の優しい笑顔と温かさ、、内面からあふれる愛情と強さが伝わってくる。なんて美しい人なんだろうと私は思った。娘の笑顔が浮かんだ。 ママはあなたのために何をしてあげれるかな、、、
2005.01.27
コメント(15)

ブログつながりのへんな獣医さんが再び ももかの誕生日に向けて えほん作りを開始したとブログで見て驚きました、、一冊目は突然に「えほんを作ります」と突然ブログに告知?えっ?ホントデスカエホンデスカ?しか~し 本当にクリスマスにへんなじゅういサンタさんは必死に書き上げて届けてくれたのでした。(そのときの様子はこちら)内容は「ももたんとおばけ」内容は本館HPの5年分の日記のキーワードと別館のブログの内容からなんとストーリーが生まれ ももの夢の空飛ぶ車椅子やおばけがひもで結ばれるシーンなど面白楽しく最後はこころに優しく響く内容に仕上がっていました。 ↑私とももきれいでしょ?ワタシではありません o(^-^o)↑私の親友のゆきちゃんともも(お~ゆきちゃん初登場!)いまやゆきちゃんはももの親友でもアリ二人は一日何回も仲良くメールや電話をして楽しんでいる。土日いっしょに旅行☆お買い物☆食事二人は波長があうらしく激仲良し状態横で羨ましそうにいつも見ている母のワタシ(感謝です)↑そっそっそしてこの読んでるのが「ももたんとおばけ」おばけがひもで結ばれているシーン喜びの笑顔♪をパチリこの本 いつも寝る前に読んでいるいまやお気に入りベスト1です。つぎの2冊目、、今回はいったい?まだ本当に作成されるかは?ですがへんなじゅういさんと小さなももかのこころのつながり、、とても嬉しく思っています。今大きなチョイスの前、、、再度ももかの足の手術をするべきか否か、、するとしたら リハビリも入れて入院期間がさらに半年以上、、1年半前 女子医大で脳外科の足の神経を弱める顕微鏡手術をしたばかり、、その手術は一応成功だった。でも足の緊張はある程度戻った。しかしバレリーナのようにつまさきだちだった足は本当に改善されてしっかりふみしめることができるようになった。さらに緊張が緩んだ際に ガクガクガクと足が震えることもあの日以来全くなくなった。マイナスもあったけれどプラスもかなりあった。だから私も ももかも手術をしてよかったと思っている。そして次のステップどうしてあげるのがベストかいちばんよい方法なのか考えてしまいます。医師には今すぐに必要と言われてもでも娘の足に6箇所もメスを入れること、、正直なんともいえない気持ち、、女の子だから、、傷跡が残るのも、、ミニスカートが大好きだけどキズ見えるかな、、やっぱり、、かわってあげれたらいいのに、、、全部、、、残らずゼンブ、、左の股関節は脱臼、臼蓋形成不全で手術は時期は今がベスト、、、、それはわかるけど十分わかるけど踏み切れない、、踏み切れないけれどしかし私の中ではもう答えは出ている最後はももかと話し合い気持ちを大切にしてあげたいと思っています。へんなじゅういさんのえほん作成告知第二弾ももかファミリーはとても元気を頂きました。へんなじゅういさん見てますか?心からありがとうの感謝をこめて o(^-^o)☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆
2005.01.26
コメント(9)

☆朝から不思議発見♪ 朝から銀行へいつも思うんだけどこんなに金利が安い時代にどうして銀行の時間外手数料は100円?100円、、、、他銀行だったら200円も、、自分のお金なのに銀行はそれを運用して人に貸すのはわかる、、しかし 時間外で引き出すのに手数料がこんなにするなんてなぜこれが当たり前???預けても1%もないのにいったい何パーセントなんだろか?共感する人は一票♪☆ランキング☆手数料無料の口座を作るならば新生銀行がオススメ。りそな銀行のTIMOやUFJ銀行のALLONEなどもナイス賢く利用したい~お、、「おりゃ??」これは地下鉄の電車の中の写真 車椅子が止められるスペース・・・ 私は昨日になってやっと発見したことがある。「ん??」こんなに電車を利用し 車椅子も介助しているのにまったく目に入らなかったなんて、、、しかも、、大阪に来て5年間も、、、↓ ↓ ↓ ↓ ↓ な なんじゃこれ?車椅子固定用具って?そんなものがあったのか、、ちょっと興味あるけど開けられない、、、ちょっぴり恥ずかしがり屋、、でも興味があるから勇気を出して開けてみた↓ ↓ なんじゃこれ、、、?ただのロープ?出してみて確認してみたけれどこれ いまいち実用性がないなあ、、、車椅子を軽く固定するぐらいにしかならないしロープも細いし短い車椅子に届くのか?いちおう届くけど 多分みんな利用しないだろう、、これ利用してる人みたことない、、「安全のため車椅子固定のためお使いください」などと書いて黄色い枠でもしないと目には入らないかも、、、子どもの車椅子介護しながらもドア付近が混み合ってると目的の駅で降りれるか 慣れてもちょっとドキドキしちゃうことも、、これつけてなかなかはずれなかったら、、、なんてないか、、失礼しました、、駅を降りるとかっこいいお兄さんに話しかけられた。「あの~お姉さん」お姉さんという言葉に瞬間に反応する私(笑)振り返ると お兄さんが笑顔で「乗りませんか?」とあ でも恥ずかしいからちょっと乗れないかも、、。でもその乗り物に興味津々♪タイ国内を走るツクツクという乗り物のようだと私は思った。ツクツクはバイクだけどこれは自転車だった。車道を走るらしい。バレンタインまでのスターバックスのイベントで近くのスタバまで無料で走ってくれるらしい、、、それにしても近くってどこ?どこまでつれてってくれるんだろうか、、乗ってる私を想像した。やっぱりやめとこう、、爆お兄さん笑顔で無料チケットをくれた。チケットには「いっしょに行けば、もう一杯。~お友達と一緒にスターバックスにご来店の際には ぜひこのクーポンをお持ちください。お友達にも同じものをプレゼントします~というもの。おお スタバの営業作戦、、なかなかのものである。このチケットけっこうお店の前で配っていたりするのでもらってね。それにしても チケットに書いてあるバレンタインにぴったりのコーヒーカフェ ベロナってどんなだろ?薫り高く深みのある芳醇な味わいは、チョコレートと相性がぴったり。「ロミオとジュリエット」の舞台、イタリアの町ベロナから名付けたロマンスの香り漂うコーヒーです~とあるけどいったい、、ロマンスの香りってどんな香りなわけ?大好きなダーリンと そして友達とぜひ試してみてね♪そして私はある支払いに、、、そこで見つけたのがこれあなたはいったい、、、 ロボットですか、、これ本当に話すらしくて進化するらしいでもあまりに話すから電池入れてないと、、、ここは とあるオフィスなんと ロボット課たるものがあるらしい、、、「ロボット課」ですか、、、
2005.01.25
コメント(15)

私の原点 一通のメールが届いた****************************今日の朝日新聞のひと欄で国連防災世界会議で演奏する楽団「あぶあぶあ」代表東野 洋子さん(51)が紹介されていたよ紹介記事を読みすすんでいると、『これってconaさんがいつもいってることだ。へ~え、ここにもちいさいconaさんがいる。』と思いました。記事から一部抜粋膨大な時間がかかるけど、仲間を信じてお互いの上達を待つ。人ができると、自分のこと以上にうれしい。普通ならつらい「待つ」ことが、楽しい。「音と心を重ねる日々が、人の幸せを心底、自分の幸せと感じるメンバーの人柄を育ててくれた」 「私の原点は8歳で出会ったカズ子ちゃん」。小1の時は机を並べたが、知的障害があり2年で別の学級へ。休み時間、校舎の端の学級をめざすと廊下の奥に小さな彼女が必ず待っていた。「うれしくてビュンビュン走った。大切に思われ、待たれる幸せ」。そんな出会いが人と支え合う喜びや生きる勇気を生み出す。********************ここまでコピペ一通のメール、、これを読んで思った、、私の原点はなんだろうか。私の原点は・・・生まれてから私が就職するまで20年間いっしょに暮らした軽い知的障害を持つ叔母であり彼女を支える両親の姿が浮かんだ。叔母とは父の妹。4才のときに百日咳にかかり痙攣をおこしその後後遺症として知的障害を持った。父と母はお見合い大恋愛叔母のことも理解した上で母は23才で結婚した。父25才。若夫婦に叔母の3人生活がスタートだった。きっと母も色んな思いをしてきたと思う。わが母だけれど子ども3人に叔母の世話をしてすごいなあと思う。そしてわが父は他人には優しく自分と家族には実に厳しい人で 子どもの頃こんな怖いパパはいやだと思った。(しかし今では友達のような父)わが両親 子どもの前で一度も喧嘩をしたことがない。きっともちろん陰ではあったとは思うけれど、、生まれ変わっても一緒になりたい、、という母。そしてパパも♪という父。今でもかな~りラブラブである。子どもの頃 よ~く私はこの叔母とやりあった。「納得できなくて」私が泣いて泣いたほうが「泣くな」と叱られ叩かれた。(子ども時代私はどうして理由を聞いてくれないのかと思い絶対大人になったらそんなことしないぞ~!と思ったものだ笑だから私は子どもに必ず理由を聞く)そして 父におまえが解かれと叱られた。今思うと幼い子に ひどい話だ、、、けど父も若かったから感情も入っていたとは思うけど父は妹を守り子の私をしつけ母を愛し家族を守ってきたのだと思うわたしがいちばんつらいとき慰めてくれたのは叔母だったかも知れない私が娘の障害宣告をまだ受け入れられない頃成長がゆっくりなもものことを気にかけてくれたのも叔母であり優しくそっとそばにいてくれた私の心はきっとたくさんの安らぎを与えてもらったと思う。ももかも8才に成長してちょっぴりおねえさんになった。実家へ電話すると ももだけは決して叔母のことを忘れない。無邪気な笑顔でかわいい子ども声で話す「おばあちゃん ふじちゃんは元気ですか よろしくっていってねo(^-^o)♪」 応援よろしくお願い致します☆ブログランキング
2005.01.24
コメント(8)

おばけの森への電話 うちの娘はまだおばけが怖い。言うことを聞かないときにはおばけが我が家にやってくる。母「そんなに悪い子してたらママ本当におばけの森へ電話するよ」もも 「いいよ 電話したらいいもん 電話してみて」母 (携帯電話で友達へ電話する)母 「もしもしおばけの森ですか?言うこと聞かない子がひとりいまして、、友達 (くすくす笑いながらいつものこととして参加する友人)母 「はい、、はい、、 そうなんです、、ええ、、」友達 (「今日は1人ちょうどつれていかなければいけないんです」)母 「あ 今夜1人? 1人おばけになって働く子を探してるんですね、、」 「○才くらいの子がいい、、はい はい・・」 (かなり焦り始めるももさん)友達 「かなり怖いところだからおしっこちびりますよ」母 「えっおしっこちびるくらい怖いところ、、、」もも(目を丸くして慌てる) 「いやや~~行きたくない ママ断って」 「ごめんなさい~~」 「ママ 言うこと聞くよ 悪い子しない」 ☆いつものももさん☆ ↓ ↓ ↓ ☆おばけの森に連れて行かれると真剣に考えるもも☆おばけの森へ連れて行かれるとおばけの衣装を着て一生働かなければいけない。そしてママのところへはもう二度と帰れなくなってしまうという話になっている。ちょうどおばけの衣装も○才用がちょうと一枚 今あると、、おお、、なんて怖い話なんだろう。(なんという母なのだろうか)朝から私の携帯電話のアドレス帳からおばけの森を一生懸命探すももさん(削除しようと思っている 爆笑)もも曰く おばけの森への電話は922から始まるそうです
2005.01.22
コメント(12)

人生で与えられた問題集 生きているといろんなことがあるいいときもあり その逆もある時には スランプもあるでもスランプは大切な助走期間だと私は思う。あなたがそしてわたしがこれから大きくジャンプするためのこころの準備期間そしてそれは必ず越えられる越えられないものは決して神様は与えない人生で与えられた問題集は人それぞれだけどその場を逃げても 必ずカタチを変えてまた同じ問題が出題されるどうせ越えるまで試されるならば今 思い切って自分のチカラで越えたい必ず越えられると私は信じる進む方向、扉はたくさん用意されているどの扉を開くのも本当は自由だ。失敗してもいい開けてみよう開けずに開ければよかったとあとで後悔だけはしたくないからたとえ失敗しても必ずそこで新しい出会いがあり学びがある。自分が開けたい本当の扉を開けよう誰の人生でもない自分に与えられた自分のための人生なのだからたった一回の人生なのだからどんなことがあっても私は自分に負けない私は笑顔でそれを越えていく(そうイメージして)未来は描いて自分で創るものすべては自分、、、相手ではなく自分だということもう一度前を向こう必ず道がついていると信じよう誰のものでもない私のそしてあなたの大切な人生なのだから~heart to heart~ by cona
2005.01.21
コメント(14)

人は皆しあわせになるために生まれてきたのだから あるところでリストカットをくりかえず女の子の文章を読みました。そんなにも彼女のこころは傷ついて、、、こんなにも傷ついてそれはなにげない文章だったけれどこころの痛みが伝わってきました。ただ素直に私は何もできない自分が悲しいと思いました。自分を傷つける程に このこころは麻痺してしまってそんなことをするほどにこころが傷ついている、、、きっと そのこころを抱きしめてこころからの愛情のお水とやすらぎ、温もりを感じたならばその傷ついた心もきっと少しずつ楽になっていくことと思います。私には何もできないけれど 今どんな状況であっても今越えられないと思っても必ず道がつくことをメッセージとしてあなたに届けたいと思います。たった一人でもいい気持ちが少しでも楽になったり前を向いていこうとなにか心に感じて頂けたらと願って 素直な気持ちで書きます☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆ 私には出産時のトラブルで酸素欠乏になり脳性マヒという障害を持って生まれた8才の車椅子の女の子がいます。障害をもった娘を授かり まもなく石の上にも3年×3回 あっという間に時は流れて 私もまもなくお母さん9年生です。娘を授かり 振り返るといろんな気持ちを体験しました。私の価値観はこの小さな娘を授かったことで実に大きく180℃ いやもっと変わりました。ものの見方も見え方も、、こころの感じ方もその感度も。。。そして私は娘を与えてもらって もちろん大変なこともあるけれどしあわせだなあ、、と 今 毎日こころに感じるから本当にしあわせなのだと思います。・・・と書く私も障害宣告を受けた時は 知らない間に数ヶ月で20kg近く痩せたことがあります。当初私は思いました。「神様 私には越えられません 無理です」って過敏で一日中 泣く子で一人知りも生後3ヶ月から、、、 私しかダメ、、私しか見ることができない数年間はかなりなストレスでした。その子を育てること、さらに訓練と私の限界を超えていました。先も見えず不安な日々が続きました。初めての子でハンディがあるから 子育ても手探りでした。親となった自分の感を信じて(人間も動物だから本能で守れるはず)でも 愛情のお水をかけて 育ててきました。全く動かない手足、、目や耳は聞こえているのか言葉はしゃべれるのだろうか、、でもまったく動かない手から少し開いて少しづつ手が動き持つことができるようになって左手から右手へ持ちかえができるようになって、、私は泣いてしまいました。モノを右手から左手に持ちかえるってそれをできるようになるのって本当にすごい、、、すごい、、ことなんです少しづつそれは少しづつだけどひとつひとつゆっくり成長してきました。人間のカラダってすごいと思います。道は必ずつきます。ゆっくりでゆっくりでいいんです。娘を授かったことで私にはたくさんの出会いがありました。心が洗われる様な出会い、、そして素敵な温かい友達を得ることができたのも予想外の娘からのプレゼントでした。私は突然に天使になった子どもたち、難病の子たち、素敵に輝く障害者の人たち、色んな思いで生きてこられた高齢者の方、そして娘のように0歳から泣きながらも訓練やひとつひとつのことを自らの力で獲得することをがんばっている幼い子どもたち、、、にたくさん出会いました。生きていることがすごいことだと歩けること 動けること 食べれることがすごいことなんて私は知りませんでした。イノチの尊さをこころでいっぱいに感じる瞬間がありました。3才から親元離れて単独でリハビリをがんばっているそんな小さな子どもたちもたくさんいること、、知って頂けたら嬉しく思います。生きているといろんなことがあります。時には無気力、無感情になるときもあります。努力しても何をしてもだめなときもあります。どうか悩んだときはピュアな魂の輝きに触れてみてください。無感情になった自分の心にきっと生きるエネルギーを注いでくれると思います。もし自分の心が がんじがらめになって動けなくなってどうしょうもなくなったら自分のためになることではなくて誰かのためになること、、家族のためでもいいしなんでもいいんです地域の奉仕活動でもいい何かに参加してみて下さい。必ず出会いがありこころになにか得るもの、気づきがあると思います。それは何かわかりませんおばあちゃんの笑ったらしわしわのかわいい笑顔かもしれません子どもの純粋さかもしれません当たり前になってる家族のありがたみを感じるのかもしれませんしただすがすがしい気持ちになるだけかもしれない、、でもなにか一歩前にでるきっかけになると思います。どんな出会いがあるかわからないから面白いのです。相手は簡単に変えることはできないけど自分は努力しだいで変われる自分が変わるから周りも変わる、、何かが変わると信じます。人と人とのこころのふれあいの中でしかこころを本当に動かすことはできないと私は思っています。「感動」という感じは感じて動くと書きます。私はいつもこの「心を動かす」ことを求めています。今もしあなたが今こころに何かを抱えているのならばともに頑張らずに 顔晴りましょうゆっくり ゆっくりでいいんです前を向いていきましょう人生は長いのだから何一つあせることはありません時間はたっぷりありますゆっくりゆっくりでいいのです。そして人生はどこからでもやり直しができるんです。自分で決めることでどこからだってやりなおせるんです。私はどんなことがあっても前を向いていきたいと思っていますどんなことも楽しんで越えていきたいな必ず道はついていると私は信じます。自分の人生 自分が信じないと♪誰も信じてはくれない、、プラス波動で前を向いていきたいと思っています。みんなでいっしょにo(^-^o)人は皆 しあわせになるために生まれてきているのだから。こころをこめて、、、o(^-^o)☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆クリックで応援よろしくお願い致します☆人気ブログランキング
2005.01.20
コメント(3)

生まれてくる意味と役目 ある日 お世話になっている学童の先生に言われたことがある。 「お母さん そんなに頭を下げないで下さい」「お母さん そんなにいつもありがとうございますって言わないで下さい」 と笑顔で。 「おかあさん、ももちゃんがいて癒されている子たちもいるんです。 ももちゃんがいるから学童に行くっていう子もいるんです。 いろんな気持ちを抱えているお子さんが本当に多いんです。 ももちゃんがいるとその場が明るくなるんです。 だから、、そんなにいつも頭を下げないで下さい」 それまで私はお世話して頂いて申し訳ないと頭を下げてばかりいた。 ももかにはももかの役目がある、、、 聞きながら 私は感謝の気持ちでいっぱいになって また気持ちがあふれて涙がこぼれた、、 学童の帰り道 車椅子を押しながら ももかに話しかける。 「今日は何したのかな?」 「今日はみんなとおみせやさんごっこしたよ」 「そう、、楽しかった?」 「うん!とっても」 そんな当たり前の会話 みんなには当たり前のことが わたしには当たり前じゃなくて 感謝の気持ちでいっぱいになって 涙があふれて あふれてくる。 何もできない、マイナスからの出発だったから つらい時期があったからこそ 小さなことが輝くのです。 それは小さな 小さなことが 私にとっては どれも奇跡のようで 気持ちがあふれて 輝くのです。 人には それぞれの役目がある。 ひとそれぞれに与えられた 役割やそのかたちはちがっているけれど どれが優れていてどれが劣っていると私は言えない。 その役割や尊さは決して こんな小さな人間の感覚やものさしですべてを計ることはできない。 ただあなたが存在するだけで ただそばにいてくれるだけで わたしは生きたいと思えるのだからわたしは また前を向くパワーを与えてもらってるのだから あなたがいるわたしにはそれでじゅうぶんなのです
2005.01.19
コメント(24)

☆こころがクリアになった日☆ 「こころをクリアにしたかったら○○先生いいよ」○○先生、、その名前を不思議にも別々のところでいつも素敵に活躍する4人の知り合いから聞いた。その内容にただ素直に私は興味を持った。カウンセリングではなく リーディング4回も別々のところでその話を聞くということは行ってみるべきなのだろうか?素直にそう思った。でもみんなに言われた。「本当にクリアにしたくなったときにだけ行ったほうがいい」そしてしばらく気になりながらも時間がたった。ちょっぴり勇気を出して昨日行って来た。それはこころがとても穏やかで優しい感覚だった。「なんでも聞いてください」と温かい女の先生。90分 私が普段感じていることや疑問を伝えた。先生はそれをテープに取って下さったももかが障害をもってうまれた意味そして私が持っている前世の記憶 それがやはり一致した。幼い頃から思っていた疑問がとけた数々の出会いの意味がわかったなぜ?がとけたやるべきことが見えたやはりそうだったと確信したこころが軽くなってクリアになったこころが透き通るような感覚があった愛おしい授かった大切なイノチもっともっとあなたのことをママは大切にしないとね、、改めてイノチの尊さを知った日でした。☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆夕方知り合いのおばあちゃんのお見舞いに。1人暮らしのおばあちゃんが救急車で運ばれたのを偶然知った。身寄りのないおばあちゃんきっと誰もお見舞いにいってない手をにぎってしばらく話をしたどんなに強い人でも本当はみんな淋しがり屋で弱い人はみんな支えあって生きている帰り際の「ありがとう、、ありがとう、、」その言葉がこころにしみたこちらこそ ありがとう、、☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆夜20代の脳性マヒのお兄ちゃんをもつ大先輩ママさんと居酒屋へ「たまには飲もう!」と誘っていただく。お兄ちゃんが代表のヘルパーステーションを陰から実は支えきりもりする素敵な先輩。利用者さんや親御さんの気持ちを本当に考えてケアーをする 私にとって大切な本音で話せるよき先輩、よき相談相手だ。この事業所の温かいケアーとこころのこもったサービスは多分大阪一♪とわたしは思っている。電動車椅子の息子さんとヘルパーさんも合流息子さんは脳性マヒの障害を持ちながらも4つの仕事を掛け持ちするなかなかのイケメン♪かなりのパワフル親子!私の目標です。今日もたくさんのことを教えて頂くo(^-^o)☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆ももかがいなかったら今日であった人には誰にも出会っていなかっただろう、、みんなみんなありがとう、、人はみんなみんなつながって生きているみんな支えあって生きている私もたくさん支えてもらっていると思うあなたを必要な人がいてこんなわたしを必要としてくれる人がいて喜んでくれる人がいるそれだけでしあわせそれだけで感謝です今日はありがとうという気持ちがこころいっぱいにあふれてあふれてあふれてとまらないどうかみんながしあわせをこころで感じられますように今日もいちにち良い日でありますように、、こころをこめて
2005.01.18
コメント(23)
今日は映画の情報です♪私が大好きな冬遍路さんにコメントでご紹介して頂いた映画情報です。>大阪・生野区が舞台となっているドキュメンタリー映画です。>大阪に暮らす人たちの、優しさ、逞しさに触れ、多くを考えさせられました。>良いところも悪いところもひっくるめた”真剣さ”・・・がある・・・>実は、この映画、ひいちゃんにっき(12月18日)へのコメントでも紹介させていただきました。>既に、劇場公開は終了していますが、自主上映という形で、今年も観ることができます。>大阪では、3月25日(金)に都島区にある、大阪市立総合医療センターさくらホールで上映されるようです。HPを見て 素直に「うわあ見てみたい」と思いましたo(^-^o)自転車でいこう全国でも試写会があるようです。みなさまもぜひHPへアクセスしてみてください私も3月楽しみです♪o(^-^o)映画を通してメッセージうけとりたいと思います。
2005.01.17
コメント(12)

闇語り 「闇語り」なんてあやしい響きの単語なのでしょうか。「闇語り」は朝まで話して盛り上がる ぶっちゃけ本音トーク炸裂のNPO読書普及協会♪のイベントです。「読書の普及活動を通じて、人間の真の豊かさを実現し、人と人の触れ合う大切さを認識する」ことをモットーにしていますと真面目に紹介文にはありますが一言で書くとただの飲み会です。 ↑これはうそです♪前向きで楽しくてo(^-^o)面白い?熱いひとたちの集まりです。不思議なシンクロニシティ(共時性)が5つほど重なり昨年本当にありがたいことにご縁を頂きました。こちらの講演会の講演をさせて頂くのがきっかけとなりそれからちょくちょく 娘(8才)とイベントに参加しています。納税日本一の斉藤1人さんがお気に入りの本屋さん☆店長清水さん(NPOの会長さん)も今回こられるということでとても懐かしく、、ももちゃんと親友ゆきちゃんと3人で会いに行きました♪店長にお会いするのは実に5年ぶりo(^-^o)清水店長のところにも波動のよい♪1人さんの商品を置かれているのですが私も1人さんが大好きで清水さんとはその頃のお仕事のつながりでお会いしたのが最初です。さらにこの清水店長の個性豊かな日本一粋のよい本屋が当時通っていた娘の幼稚園へ行く途中にありまして よくお邪魔していたのです。今では日本全国でひっぱりだこ☆大活躍の清水店長ですが素朴で温かい粋なそのお人柄は当時のそのままにさらにパワーアップされていて嬉しかったです。一次会はお好み焼きで♪もりあがり ☆ももかと親友ゆきちゃんは大の仲良し☆今回は旅館にお泊りで約40名がなっなんと8畳位のお部屋で朝まで盛り上がりました♪実に楽しかった!!!娘もパジャマ持参で楽しみました♪「あれ ももちゃん部屋のももちゃんチームだけなんだかパジャマチームになってますねえ~」とみんながo(^-^o) σ(^_^; ハハハ 、、、 ☆みんな笑顔で元気波動♪押入れに隠れてる子どももo(^-^o)☆ ☆来年は武道館でイベントをするらしい、、既に予約済みって???☆順番に自己紹介の15秒スピーチもあったのですがももかもがんばってやってました。(というかはりきってか?)実に生まれたときから私は車椅子の娘ももを色んなところに連れまわしています。(子どももオッケーならば)何事も経験だと思うからです。ものおじせず 前向きな人に成長していってほしい、、幼い頃から色んなことを見て感じて考えるチャンスをできるだけ与えてあげたいと考えています。障害があり 肢体不自由だとどうしても経験不足になりがちです。近くの公園に連れて行ってあげたい、、でも一緒に遊ぶのがなかなか難しくそんなことすらできなくなった時もありました。でも今は障害がある だからこそ健常なお子さんの2倍3倍、、色んな経験をさせてあげるチャンスを与えてあげたいと思っています。何事も経験、、いきなりはできない、、やってみることの積み重ねだと思っています。さてと今日も頑張らずに顔晴ろう♪~\(o^▽^o)/~☆ぱんだハウスも参加中♪ぜひ応援よろしくお願いします♪o(^-^o) ↓人気blogランキング今日も一日日本全国みんなで元気に楽しく♪ツイテル・ツイテル・ツイテル♪ツイテル波動でポイントアップo(^-^o)♪
2005.01.16
コメント(8)

☆子どものあまのじゃくな性格をどうするか☆ これは私がここ数年悩んでいるというかどうしてあげたらいいのかな、、っていつも考えていることです。うちのちびさんは基本的には素直だけどちょっとあまのじゃくなところがあります。気を引きたくて行きたいのに「行きたくないの」「絶対にいかない」と言ったりすることしばしば、、、うちの場合はただ今 平日は足のリハビリのため入院していて土日だけ自宅へ帰れるという状態。ちょっと一般的な子育ての状態とは違っていると思います。日頃の集団生活に(ちびちゃんたちの10人部屋)もちろん子どもだって疲れちゃいます。療育園ではいい子に本当にがんばっているようです。私が迎えに来る日をそれはきりんのように首を長くしてまっているのに、、それなのに、、それなのに、、迎えに行くと「ママ嫌い~」「帰らない」、、、と駄々をこねます。でもこれは色んな気持ちの裏返しで「ママ私を見て」「ママ」「ママ」と痛いくらいそれは伝わってくるのです。そういう気持ちを出してくれることに逆に安心感もあったりします。どこでもいいこ 気持ちもいえないだとあまりにつらすぎるから、、しかし~私にだけ爆発させます。でもきっと安心して自分を出せる存在なのだと思いたいです。「なんで帰りたくないのかな?」とゆっくり気持ちを聞いてあげる作業をしていくと 少し落ち着きます。あ~また今日もうちが最後か、、とほほそして家へ帰ると「たった一日しかいられないなんて、、」「ずっとママといっしょにいたいのに、、、」と涙。だんだん素直になっていきます。今はちょっと特殊な状態だからそのままに受け止めてあげたいと思うわたし、、もいるけれどどうしてあげるべきなのか正直?そんなことの繰り返し、、でも母としてこのあまのじゃくさんに関してはしつけの面で本当に実はとても悩むところ、、みなさんはどうしていらっしゃいますか?あ~もうすっかり忘れて横でケロケロ遊んでいます。親の気持ち子知らずです、、そして子どももいろんなこと私の見えないところでがんばってるのだと思います。
2005.01.15
コメント(15)

◆大阪と東京のおばちゃんの違い?◆ これはあくまで私が感じる大阪と東京の違いのおばちゃんの違いです。関東から関西にやってきて数年がたち まず簡単にその違いを書くとするとまずこれこれ♪たとえば道で「すみません 近くのスーパーはどこですか」と聞くとする 関東では「まっすぐいって右にありますよ」と簡単に終わるところが大阪のおばちゃんは自転車を降りて「あ~スーパー あっちには○○があるけどだめよ~ こっちのスーパーの方が人気があって新鮮♪ そうそう木曜日は一割引なんよ。お姉ちゃんこっちに行き~」なんて初めてあったその時から親切に教えてくれて さらに「本当に道わかる?」って感じで解るところまで着いてきてくれたりする。振り返ると心配そうに見ていてくれたりするo(^-^o)おばちゃんじゃなくて若いお姉さんたちも子どももそうだったりする。地域性か?大阪は実に温かい。そして若い子も年齢差があるおばちゃんと友達になりたいという。それはおばちゃんたちが面白くて知識が豊富だからかもしれない。おばちゃんの魅力が花咲いている街なのかも♪上沼恵美子のようなおばちゃんが巷にあふれている。例えるならば雑草のようにパワフルで強いおばちゃんたちが山のようにいる。子どもがおばちゃんと普通に世間話したりしてたりして最初はかなり驚いた。子どもなのにミニおばちゃんみたいな子もいる。おじちゃんも負けてはいない。夏に娘が防止をかぶっていなかったら「暑いやんか 可哀相に お母ちゃん ちゃんと帽子かぶせたり~!」といきなり怒られた。「すみません ありがとう~」といいながらでも最近にはない そんな温かさが嬉しかったりした。最近は人のことに無関心だったり 人の子を真剣に叱ったりもない時代だからこそ温かく感じたのかもしれない。そうそう ヘルパー研修のときに実際に役を設定して利用者さんの気持ちを知るというような講習があった。関東だったら講習って感じでたんたんとやっておわりだっただろう。しかし大阪人のおばちゃんたちは役になりきり笑いをとろうと誰もが必死でここまでするかと驚いた。笑いすぎてお腹が痛くなった。何人もそのまま吉本へ、、と推薦したい人が現れる。スポーツジムに通ってプールなんて入ろうものならおばちゃんたち全員が先生になったりする。それも「自分はできへんのに 人のはよくわかる~」とかいいながら面白おかしく。 それからたとえば お店に入って 「近くにおいしい○○のお店ないの?」と聞こえたりする関東だったらたとえ聞こえても全く知らない人の会話には入っていかない、、しかしこっちは聞こえたものは聞こえたもので常に耳ダンボ状態。「あら○○がいちばんおいしいわよ」とさらりとおばちゃんたち会話に入ってくる入ってくる 笑これはおばちゃんだけでなく関西人はみんなそう♪すぐ仲良くなってその場で知り合った人と情報を共有しあったりする。よく書くと「お世話好き」そして逆に書くと「おせっかい」となるのか?近所のことを知りたくてしょうがない「知りたがり屋」おばちゃんも多い。日本中のおばちゃんたちはうわさ好きだとは思うが関西のおばちゃんたちのうわさ好きはレベルが高いと思う。「なんであんたそんなん知ってんの?」みたいなことを知っていたりする。おそるべし、、。大阪に来てすぐにお笑い系テレビで「大阪のおばちゃん100人に聞きました」「あなたは 絶対にここだけの秘密誰にもいわないでね」といわれたこと言いますか?言いませんか?という質問があった。そんなん言うわけない。絶対にありえないと私は思った。しかし恐るべし100人中95人以上が「言ってしまう」には仰天した。大阪での鉄則 絶対に人に知られたくないことは人には絶対話さないことである。「聞いたことは話してもいいこと」と定義する人が実に多いのは事実だからだ。大阪のおばちゃんは自分を落としてまで 自分をネタにしてまで笑わせてくれる。それが大阪。関東人は別に大阪を全然意識していないけれど関西人は関東をすごく意識している気がする。これ面白いなあ、、と思う。私は関東のちょっぴりクールに見えるけどそうでもない付き合いやすいところも好き。そしてコテコテ関西人のノリも好き。関西もどっちも好き。両方のよさが住んでみてよくわかったから。娘はすでにしっかりぷち・おばちゃん標準語と関西弁のバイリンガルである。(英語だったらよかったかも、、σ(^_^; )8才の車椅子のももかに望むことはどんなことがあっても人生おもしろおかしく笑い飛ばす 思わず周りを笑顔にしちゃうチカラ。大阪の地でたくさんの大阪人からそのぼけとつっこみを学んで欲しい♪人間にとって大切なことのひとつはたくさんの愛を与えて 愛されることだと思う。人間力、、とっても大切に思う。それが私が大阪から離れないひとつの理由。大阪人に学べ ももさん。そしてわたし。どこでも住めば都、、でも関西のよさを知るとなかなか離れられないなo(^-^o)そうそう最後に 付け加えて、、むかし、、関東でであった関西人の職場の先輩は実にリーダーシップがあってこわ~いくらい迫力がある人が多かったから 実は関西に住むのは最初ちょっと怖かった。関西に来てまず驚いたのはおとなしい人もいたこと、、、素直に、、。当たり前かあ、、今日はこの辺で♪o(^-^o)☆おそるべし大阪のおばちゃん☆日本を支えるおばちゃんパワーを感じた方は笑顔でポイントアップo(^-^o)♪
2005.01.14
コメント(15)

報道されない真実☆同じ地球で今この時に 私のいちばん大好きな国 タイ、、、思い出のピピ島、、こんなことになっていたなんて、、思っていた以上だ。今南タイでは、鳥インフルエンザが流行している?そんな報道は日本にはされていない。母親が幼児を抱いたまま亡くなった遺体もあったことも、、、同じ子どもを持つ親として胸が張り裂けそう、、みなさん生の声を聞いてください。ひとりひとりのブログをとおしてきっとできることもあるのではないでしょうか?~ヒロリッチさんのブログへ~報道されないことへプーケット周辺の津波被害状況と日本の対応(現地リポート)(その1)ボランテイア活動は中止せよ?!⇒プーケット周辺の津波被害状況と日本の対応(現地リポート)(その2)私たちは今この時をこうして豊かに暮らしている。でも地震、津波によって、家も家族も失い、不安でいっぱいで明日からどう生きていけばよいのかわからない人たち、、同じこの地球で 今この時に こんな想いをしている人たちがたくさんいる、、、わたしにもできること、、ネットでの募金もあるけど 心をこめて祈ることもひとりひとりができる大切なみんなができる方法ですよね。純粋な祈りはきっと届くと信じます。今日津波と共に孤児となった「tunami」ちゃんが王室に引き取られたというニュースを見ました。心から「よかった」と思ったけれど私は素直に話題になったtunamiちゃん以外の孤児になった赤ちゃんや子どもたちはどうなるのかな?とそう思いました。一瞬にして失われた多くの尊い命に心からの黙祷、、そしてすべての子どもたち被災された方々、そのご家族のこころと身体が少しでも癒されますように、、、みんなが安心して過ごせる日が一日も早く来ますように、、、祈ります。☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆参考までに、、、募金情報ですユニセフ緊急支援情報へ ワールド・ビジョン・ジャパン スマトラ沖地震緊急援助募金へ
2005.01.13
コメント(9)

災害と車椅子そして逃げられない人たち 突然の地震、津波、台風、水害、、、ここ一ヶ月だけでも世界各地で今までにない災害が起こっています。マスコミ等が緊急時のことを伝えていますがあくまでそれは自力で逃げられる人の方法です。逃げられない人たちはどうしたらいいのだろう、、と思う最近です。逃げられない高齢者、障害者、障害児、病気の人たちにはあてはまらないものです。私が今 仕事のひとつとしてヘルパーの仕事をしていて思うことは思っていた以上に1人暮らしの方が多いということ。悲しいことに ひとりで住んでいることを安全上の理由で隠す高齢者の方もいらっしゃいます。高齢化社会になり もっともっと車椅子の方は増えていくことでしょう。数ヶ月前 私が住んでいる関西でもエレベーターが止まる程の揺れの地震がありました。ちょうど乗る直前に地震があり エレベーターが止まりました。乗っていたら中に閉じ込められたかもしれません。(よかった(^_^; )でも そのときちょうど娘が病院へ帰るところでどうしても下へ降りなければなりませんでした。近所の方に助けていただき 私は身体が不自由な娘を抱え そしてご近所さんに車椅子を下ろして頂きなんとか1階へ降りることができました。その時 初めて思ったのです。緊急時私たちはどうなるのかな、、って。関東にいるときもたくさんの小さな地震にあってきたけれど関西にきて数年がたち 初めて今回の地震で恐怖を感じたのです。地震時 家の中は色んなものが倒れてきます。身体の不自由な人が家族にいた場合そう簡単には外には非難できないでしょう。車椅子にのせることができるのでしょうか?乗せれたとしても外に出れるのでしょうか?きっと時間がかかり近所の人たちは非難されていなくなっているでしょうそしてエレベーターは使えない、、、私は娘を抱えるのに精一杯でしょう、、、やっぱり一階がいいと改めて感じました。非難できたとしても その先はどうすればいいのか?です。しかし 逃げる方法もあるけれど逃げない方法もあります。逃げないでその場で人を待つ方法です。いろんなシュミレーションをしてその時のことを それぞれに考えてできる限りの対処の方法を考える必要があると感じました。エレベーターが使用できるようになったのは地震から4日目。しばらく待っていましたが全く使用できるようになる気配もなく「車椅子の家族がいます」とセキュリティ会社に連絡をして 使用可能になったのは2日後のことでした。連絡しないとセキュリティ会社も順番に作業しますから当然後になります。8才の娘はただ今 手術目的と足の訓練のために療育園というところに長期入院中です。夜間の看護婦さんは3人ほど。「もし大きな地震が起きたら子どもたちはどうなるのですか?」とある日伺いました。重度障害の子どもたちです。「そうですね 中庭にベッドごと出して非難する形になると思います」とのこと。30人の子どもたちを夜間3人の看護婦さんそして古い建物天井を見上げると娘のベッドの上に蛍光灯その前に天井が落ちてくるかな、、と私は思いました。「ももちゃん もし寝てるときに地震が起こったら ともかくおふとんをかぶるんだよ」「大丈夫 ママいちばんに走っていくから」そんなことしかできない自分、、、が情けない。どうか そんな日が来ませんように、、、、、☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆ ここでみなさんへのお願いがあります もしご近所に車椅子の方や病気でなかなか外出が困難な方がいらしたらどうか心の片隅に このことを覚えていて下さい、、、(*^ ^*)障害をもたれた方、特に車椅子生活の方々は私たちの何倍も非難に時間がかかるということ、中には日常の生活以外の行動をすることが困難な方もいらっしゃいます。そして高齢者の方は 日常の生活の中で ちょっと違うことがあると私たちの何倍も何倍も不安を感じられるということを。ありがとうございました。
2005.01.12
コメント(12)

小人(こびと)みなさんには見えますか? 今日はちょっとこれは童心に返って読んで欲しい内容なのですがみなさんは幼い頃 「小人」(こびと)を見たことがありますか?そうそうあのこびとです。もちろん大人になってからでもいいのですが、、私の尊敬する先輩は「小人」が見えるとおっしゃるのです。「えっ!!!!」「小人が、、、???」「冗談ですよね?」冗談でそんなことを話す先輩でもなく、 「確信」そして「絶対」という目「もちろん見えてるよね?」「えっ見えないです」って答えたらひどく驚かれました。「みんなに見えてると思ってた、、、、」と先輩その小人さんはどこにでもいるらしく好奇心旺盛な私は身長はこのくらいですか?と手でなんとなく表現してみると「いやもっと小さい」とリアルに表現されます。10cmくらい そしてそれぞれ洋服もきていて言葉(不思議な言語)もしゃべっているそうです。「でも 彼らは話しかけても勝手にしゃべってて無視するからかわいくないんだよね」ひえ~~そんなことが、、、「見えてると思ってた!」とショックを受けていた先輩。(これはやっぱり冗談ではないのか、、)「ももちゃんならきっと必ず見えるから聞いてみて」とその素直な目で訴えるように言われました。ちょっとドキドキ、、さっそくももさんに確認しました。(子どもは色々見えるというからすごく聞いてみたかった!)「ね ももさん ちょっと聞いてみたいんだけど (おそるおそる、、) ももちゃんにはさあ ちいさいこびとさんって見えるかな?」「こびと?」「こびとさん?」「これくらいの大きさのやつで、、、」と真剣に大きさとかその様を表すわたし。「こびとさんは見えない」ともも。「そ、、そうだよね、、(^_^; 」ちょっと安心したようながっかりしたような母の私でありました。でも 「こびとさんは」だったら他のなにかは見えるのかな?ちょっと子どもの世界が羨ましく思えた私なのでした。私もかわいいこびとたち 見てみたい、、、とただピュアに思ったのでした。きっととなりのトトロにでてくる世界のように真っ黒くろすけやトトロたちが見える子どもたちやピュアな大人たちには見えるのかな?見える人きっといるはず、、こびとを見たことある人、、いらっしゃいますか?もしかして小人って妖精なのかな?o(^-^o)でも小人がみえる先輩は 寝ているときに見る「夢」はほとんど見たことがないそうです。「あっそれならあるある それなら自信ある♪ いつも見ますよ!夢はフルカラーです♪~\(o^▽^o)/~」というと「えっ夢見るの?」とこれまたかなり驚かれていました。私は夢をみながら やっぱりカラーだなあ♪なんて毎回確認しちゃう余裕派(というのか?笑)そしたら 横にいた同期が「僕はたまに白黒で見ますよ」と、、、「おおすごい、、この時代にモノを白黒でみれるとは、、、」どのように見えるのか私も見てみたい、、、ももかママ(cona)でした♪
2005.01.11
コメント(19)

夢の中で飛ぶ方法をみなさん知っていますか? ☆人気ブログランキング参加中☆実は簡単に飛べる方法が・・・あるんです!みなさんは夢の中で空を飛んだことがありますか?私はまだありません。でも私の親友は子どもの頃から自由に何度も空を飛んでいるそう、、、「どうやって飛ぶの?」←激羨ましい眼差しで見つめる私「えっ簡単だよ 夢の中で飛ぼうと思ったら飛べるから」ととても嬉しそう♪「うそ?ほんと~?(*^ ^*)」どうもばたばたやって見て飛ぼうと思ったら本当に飛べるらしい。こんなあほな話を私は実家の父に電話で話した。「ねえパパ パパ!(いまだにこう呼んでる情けない、、)私の親友が夢の中で空飛べるっていうんよ♪すごくない?」「えっ ああ 空かあ パパちゃんだって飛んだことあるよ」(昔は超怖かった父も孫が生まれて激変、、ちゃんづけとは、、苦笑)「20回ぐらいは、、」「えっ?」かなり驚いたわたし。なんでも父は20才ぐらいのときから夢の中で飛び始めたとか、、怖かった父が空を飛んでいたなんて、、、そっちのほうが驚いた、、でも最近は「そんな夢みないから年でとべなくなったのかな?」と 笑さらに弟もその会話に参加(オープン回線)「俺もガケから飛ぼうと思ったけれど落ちてった」爆笑満開だった。私も一度は飛んで見たい、、みなさんもお試しあれ♪夢を見てるときに意識の中で手をばたばた飛んで見るだけだそうです♪~\(o^▽^o)/~いつも夢見るけど 飛ぼうと思ってもいつも忘れてるのよねああ 私も一度でいいから飛んで見たい♪飛べた人はぜひ後日ぜひレポートお願いします 笑
2005.01.10
コメント(8)

こどもからのおねがい 私は大人の人たちへすご~くつたえたいことがあります。どうか信号むしをしないで下さい。ちゃんと青になるのを待って渡って下さい。それは みんなの道路のきまりだからです。それから車いす用のちゅう車場にそうじゃない人がとめるのはあかんでしょ~お!ちゃんととめてください。困ってる人がたくさんいます。さいごにもうひとつありました。きんしされている電車の中でメールやけいたい電話をするのはやめてください。それは みんなのめいわくになるからです。こどもからのおねがいです。 ○○ももかより(8さい) ☆人気ブログランキングただ今参加中☆うちには車椅子の子どもがいます(ももか)車椅子用に止めようとするとどうみても健常者の方の車が、、、もし止めれたとしても悲しいことにほとんどの車椅子用スペースは毎回 「車椅子利用者用」と書かれた看板がついているポールを一度車を降りてはずさなければなりません。介助者の私がいる場合はまだいいですでも ひとりで運転をされている車椅子利用者には本当にほんとうにつらいものになります。ドアを開けて車椅子をセットするには十分なスペースが必要です。一般の駐車場では本当に厳しいのです。「どこかの誰かのために」・・・健常者の私たちひとりひとりのマナーを見ているたくさんの子どもたち障害を持った人たちそして高齢者の方々がいます。限られたスペース。そこしか利用できない人が実はたくさんいることを知ってください。トイレ、駐車場、、、車椅子の生活はみなさんが思っている以上に不便だったりします。街の中が使えないから家族に申し訳なくて 出かけられなくなる高齢者の方々もいらっしゃいます。ポールがなくても大丈夫な日本になって欲しい、、と心から私はいつも思っています。ももかが作文で書いている横断歩道の件彼女は車椅子だけど手をあげて渡っています 笑(母が押してるとき)ちょっとみんなより低い車椅子からの目線でいつも私たちをどのように見て感じているのかなと母の私はいつも思うのです。けいたい電話の件まだ禁止されていなかった頃 私もメールをしていました。そのとき乗ってこられた高齢者の方に不安な顔で「すみません 心臓にペースメーカーがはいっています」と言われたことがあります。驚いて慌てて「すみません」とすぐに電源を切りました。反省、、でも 本当に言う方が かなり勇気がいることと思います。もし私が逆の立場だったらどうだろう、、とその時初めて思ったのでした。私たちにはなんでもないことでも そのことが怖くて外出できない人たちもたくさんいらっしゃいます、、最近はなんともいえないデキゴトや悲しい事件がクローズアップされます。すさんでいる心、、でもみんなが本当は本当に求めているのは温かさではないのかな、、?人と人とのぬくもりだったり愛情だったり目に見えないものではないのかな、、本当は私たちの日本はあったかい国のはず、、草の根運動みたいだけれどこれから高齢化社会に向けてわたしたち大人ひとりひとりが今まで以上に気をつけて取り組んでいかないといけない小さな思いやりの取り組みだと思います。☆優しい思いやりの輪☆みんなひとりひとりのチカラで広げていきたいですね♪生意気なことばかり書いてすみません。本当にごめんなさい、、でもこれが生活の中で心から感じることなのです、、、ももかのママ(cona)でした(*^ ^*)
2005.01.09
コメント(19)

アメリカDWE電動車いす二人旅その2 下調べ&空港編 8才脳性マヒの電動車いすの子どもとアメリカ☆フロリダ☆ディズニーワールドへの旅レポートその2 今日は下調べ&空港編です。☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆☆.。.:*・°☆.。.:*・普段元気でもこんなときに限って、、と熱を出す子ども。旅行中は熱を出したりと特に子どもの体調は変わりやすいのでどきどきものです。 緊急時のことを考えて日本の航空会社をチョイス(私だけだったらさらに格安でもちろん行く)空港での貸し出し用の車椅子は本人の体幹がしっかりしないため不安定になるため、安全面の理由をあげて 本人の車椅子をドアサイドまで利用希望した。(空港には子ども用車椅子がありません。 大人用に乗り換えてほしいとほとんどの場合言われます)そして今回利用の車椅子は電動車椅子にした。実はぎりぎりまで手動の車椅子で行くべきか、手動にもなる電動車椅子で行くべきか私は悩んだ。 かえって時間がかかったり手間がかかったりする場合があるからだ。 場所によっても違うと思う。本人にとって快適に楽しめるのはどちらか?手動のほうが簡単にたためる。電動車いすで移動はスムーズか?大手旅行会社にも相談したが 「ディズニーワールドは電動でも多分大丈夫だと思いますが、、」という曖昧な回答だった。ネットを利用してディズニーワールド大好き♪な方々の掲示板で相談。みなさんに「電動でもバスにのっていらっしゃいましたよ」「大丈夫!」「楽しんできてください!」とたくさんのお声を頂き 本人の楽しめる電動をチョイスしました。(でも行ってみるまで母だけドキドキ、、笑)さて電動車いすには車椅子を動かすバッテリーが搭載されています。そのバッテリーには大きく分けてドライタイプとウエットタイプがあります。ドライタイプは問題ないそうですがウエットは危険物扱いとなるそうで飛行機への持ち込みは不可となります。ほとんどの電動はドライタイプの様ですが確かな確認が必要となります。確認は車椅子のメーカーへ問い合わせるか 車椅子購入時のパンフレットで確認できます。旅行会社にも聞かれますし チェックインカウンターでもしつこく聞かれます。 日本はわかっていない地上係員が多く実に時間がかかりました。アメリカのカウンターでは即オッケーをもらって実に対応が早かったです。それくらいアメリカは電動利用者が多いということですね。車椅子のバッテリーはセキュリティーを通過してドアサイドまで利用可能です。色々面倒な方や 空港内を電動から手動に切り替えられるタイプの車椅子の方は 不便でなければ チェックイン時にバッテリーも荷物と一緒に預けてしまってもいいと思います。☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆ドタバタ 8才の車椅子の娘とアメリカへ二人旅☆^o^^-^電動で大丈夫???長距離をいけるか不安いっぱい、、次回はきっとお役立ち☆障害児のための旅行準備編パスポート取得編に続きます♪(そういえば大変だったパスポートのこと 書くの忘れてました~σ(^_^; )
2005.01.08
コメント(8)

車椅子の娘とふたりアメリカへ その1 ママの想い 今年もみなさんがこころにいっぱいしあわせを感じることができる一年になりますように♪ ☆こころを込めてo(^-^o)☆「電動車椅子☆プーさん号 8才のももか生まれて初めてのアメリカ旅行」ももか8才3ヶ月 昨年の6月、2度目の手術前(※現在手術は諸事情で現在見送り)心の切り替え、そして希望と夢を与えてあげたくて車椅子のももかとふたりで思い切ってアメリカ旅行をしました。貧乏な母はこの日のために一生懸命貯金をして顔晴りました!(笑)ももかと私はディズニー好き♪行き先はアメリカ・フロリダ・ディズニーワールド。なぜフロリダのディズニーワールドなのか、、?その前にちょっぴり私の愛する家族のことを話そうと思う。私は高校3年のとき 英語もできないくせに アメリカ・ノースキャロライナ州の公立高校へ一年留学をした。高校一年のときから親に言い続けそのたびに母から猛反対された。 「うちにはそんなお金はありません」 公務員で3人の子を抱え 当時生活は本当に大変だったと思う。 それでもお願いにお願いをした。 高校3年になる前に父が突然私に言った。「行って来なさい・・・」 両親が借金をして 私の夢をかなえてくれたのを知ったのは実に最近のことです。私のアメリカ留学生活は遊びとは無縁で 実に宿題をこなすのが大変で定期的にあるテストのための勉強と、、あっという間に時間が過ぎていった。 先生もフレンドリーだけれど厳しい。私の場合 毎日半泣きになりながら宿題をやった記憶ばかりが浮かぶ。でもあの時期 私は親元を離れて誰も助けてくれない状況に追い込まれてよかったと今思う。親のありがたみを知り どれだけ自分が恵まれていたかを知り感謝することができた。高校へ行くことも生活することも親と一緒にいることも何もかもが当たり前だった私。それがどんなものだったか 遠い異国に離れることで、簡単に帰れない状況に追い込まれて さびしさとありがたみというものをこころいっぱいに感じて留学当初私はホームシックで泣いたのだった。高校ではクラスメートに 「私は将来必ずドクターになろうと思っているの」「あなたは将来何になりたいの?」「何を学びたいの?」と聞かれ驚いた。若くてもみんなしっかりと自分の意見を持ち 将来の道を自分で決めていたことが実に☆衝撃的だった。。そしてどの子も親には頼らず奨学金で学ぶことを考えている姿勢にも驚いた。同じ18才でも自立心がまったく違った。18才の多感な時期 文化の違いを感じそして学び、ひとりぼっちになり自分の力で色んな体験をしたアメリカでの一年間の生活はその後の人生にいろんな意味で大きな影響を与えたと思う。私は3つのホストファミリーにお世話になり途中転校したので2つの高校に通った。最初の高校は80%が黒人の生徒が通う高校で最初は何もかもが初めてで驚いたけれどみんなとても素敵で温かかった。笑顔が最高だった。次の学校は白人80%と逆私はアメリカへ同じく来たばかりの韓国とフィリピンの女の子とすぐ友達になった。日本人はたったひとりそして7人くらいの韓国人の生徒がいて韓国人の生徒をケアする先生がいらして私も仲間にいれてもらってずいぶんフォローして頂いた。 学校の中には 空軍の予備軍?そんなクラスもあった。ホストはそれぞれ陸軍、空軍のベースに住んでいた。いつも空を見上げるとパラシュートの練習たまには練習のための爆撃音、、が遠くで聞こえていたそんな土地だった。実際のアメリカの陸軍、そして空軍の人たちの生活 そして突然に指令があり家族にも行き先も秘密で任務のため突然に消えてしまうホストのお父さん、、ちょっとなかなか経験できないものを見て感じて触れた そんな留学生活だった。たくさんの方に支えて頂き 全く英語ができず泣いていた私もなんとかぎりぎり高校を卒業した。当時 実に超~がつくくらい貧乏留学生活を送った私は卒業の記念に(たしか一年で持参したのはなっなんと10万くらいだったと思う) たしかホストファミリーの通う教会のおばあちゃんたちグループの旅行に ノルウエーからの留学生と便乗させてもらった。 実に面白くて明るいおばあちゃんたちとの旅行だった。長く感じた長距離バスで行った「魔法の王国・ディズニーワールド」ディズニーワールドのあるフロリダはリタイヤした方々が多く移り住む土地。本当に マクドナルドの店員さんも高齢の元気なおばあちゃんだった。いっしょに行ったおばあちゃんたちは実にパワフルで温かくてかわいかった。思い返しても心から感動するくらい楽しかった場所、フロリダ オーランドディズニーワールド。いったいここは何?「3日間あっても足りない!!!!」 「楽しすぎる!」 当時18歳だった私はこころから叫んだ。☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆筋を6ヶ所切る。足を広げてギブスで固定1~2ヶ月 その後管理のリハビリ。ももかの通う療育園はアフターの管理もしっかりするので約1年の入院となる。また離れ離れの生活が始まる、、、「先生わたしはじぶんでしゅじゅつしたいと思いました」そうももかが園長先生に話したのは8才になったばかりのことでした。親子ではなしあってきめたけれどふたりとも離れるのは淋しくて涙がでます。手術前で不安なももかに私の「あの時のあの感動」を味合わせてあげたい、、生きていると超えなければいけないつらいこともあるけれど 楽しいこともあることを、、そして旅行計画は恐るべし あっという間に母の独断で決まったのでした。☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆8才の車椅子の娘とアメリカへ二人旅☆^o^^-^電動で大丈夫???たどりつけるか?明日はきっとお役立ち☆旅行準備編続きます♪ o(^-^o)
2005.01.07
コメント(4)

子どもを叱るときの魔法の言葉って? 今年もみなさんがこころにいっぱいしあわせを感じることができる一年になりますように♪ ☆こころを込めてo(^-^o)☆私は3人きょうだいの長女でした。私はよく「お姉ちゃんだから、、、」といわれて我慢することが多かったです。いちばん上って嫌でした。我慢することが多くて。お兄ちゃんおねえちゃんが欲しいって子どもの頃よく思ったものです。「○○はだめ!」といわれたけれど親のいうとおりにしたけれど何でだめなのか?その頃 親は絶対だから聞くことができなかったです。でも私は子ども心に知りたかったのですなぜだめなのか?感情的にしかられることがよくあったので私は大人になったらもし子どもができたら絶対そんなふうにはしからないぞ!っていつも思ってました 笑でも今思うと3人の子育てに母は大変だったのでしょうね♪笑今は母の気持ちよくわかります。私は厳しくしつけられただけで誉めてはもらえませんでした。こころが傷ついておわりでした。自分ってダメな子なんだなあ、、って思って自信をなくしていきました。だから私は逆のことをやっています←反発か?笑子どもも一人間こころに語りかけるとわかると思うのです。「なんで○○したの!」と怖いママになってしかるよりもちょっと冷静にこころを切り替えて(ぐ~っと我慢して、、私はママって 時には外の景色を見て気持ちを落ち着かす 笑)必ず 子どもの目を見ます。アイコンタクトをとります。(子どもの心を聞く作業をするときにこれとても重要 )そのあと 優しく「なんで○○したのかな?」と聞く作業をする。(○○なのかな?が大切)「どうしてしようと思ったのかな?」(どうしてしようと思ったの!ではなく)「それ自分でやってみてどうだった?」と気持ちを聞く。「○○ちゃんはいいことだと思った?悪いことだと思った?」と聞いて見ると以外に素直に子どもは自分の気持ちをいってくれたりします。気持ちを聞いてあげる作業です。そうすると 自分からもう二度としないといったりする。大人がこうしたらいいというよりも「自分でこうするよ」っていうことが大切と思います。そうしたらもう一度同じことしたときに「あれ?前に自分からお約束したよね」って親も言えます 笑「○○ちゃんうそつきさんになっちゃうけどいいのかな?」子どもの気持ちを聞く作業はちょっと大変だけれど感情的に叱ると何度も子どもは同じことを繰り返します。こころに本当に話しかける作業をした方が子どもも理解してくれて親としても子育てが楽になります。「もう2度としないってお約束できるかな?」「うん」そして必ず私が大切と思っていることはしかりっぱなしにしないこと。叱った後は必ず抱きしめてあげます。これ最も重要ポイントです。↑これ私が幼い頃 してほしかったことだから。子どもは親の愛情をいくつになっても欲しいと思っています。(私も♪)愛されていると確認したいと思っています。抱きしめると 子どもは安心してぽろぽろ涙を流します。素直な子どもの涙です。で~も えらそ~にこう書いてる私ですがたまに仕事につかれてる時とか子どもがとんでもないことをしてると昔の母みたいになってることが、、、(^_^; そんな時もあります、、汗でもその後 必ずすることがあります。 私は子どもに「ごめんなさい さっきは、、」ってあやまります。親ができてないと子どもも絶対にあやまらないので、、、子どもはわたしのこころの鏡です、、そして「このお母さんは!!!本当にもう!」と娘にいわれます。にこって笑って、、、ママとパパの子どもの心をみてあげるこの小さな作業が真の親子関係を作っていくと私は信じますみんなで子育てを楽にそして楽しみましょう♪o(^-^o)ももかのママ conaでした♪
2005.01.06
コメント(15)

ありさんのせかい☆すべての子どもが持つ感性 ありさんのせかい ありさんはみんなできょうりょくして大きなにもつをはこんだりはしになったりしてたすけあうんだっておかあさんがいいました。ありさんってすごいなあ。小さいのにすごいです。にんげんもみんなでたすけあうことがたいせつだなあとわたしはおもいました。 ももか8才3ヶ月☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆お正月休みが終わり ももかは足のリハビリのため療育園へ帰った。また土日だけ家に帰る生活が始まった。お正月中は風邪気味で「寝正月」だったももさん。「パジャマ生活3日目です」と毎朝陽気に笑わせてくれた。休み中はべったりいっしょだった。いっしょにご飯をたべていっしょに遊んでいっしょに眠る、、当たり前のことがこんなにしあわせ、、いっしょに作文の練習をした。鏡文字になるでもこんなに字がかけるようになったんだね「ここはとっても上手 もうちょっと こうするともっともっといいね(*^ ^*)」「すごい!」 はなまるをいっぱいつけてあげたらきゃっきゃいいながら 大喜び。 私の顔をじっと見て笑顔 「もう一回書く!」ともも。 線も引けず○もかけなかったでも今は暗号のような文字ばかりだったけれど私しかよめない字から読める字へ名前も一応漢字でトライしている「がんばってかけるようになったんだね こんなにかけるようになったんだね」 私はももの前で泣いてしまった。 「ももちゃん ママとっても嬉しくて、、、」 ももは笑顔でものすごく笑顔で私を見た。 この毎日が続けばいいのに、、、 療育園へ送る親友のゆきちゃんもいっしょに訓練見学してくれた。ずっといっしょだったから いつもより別れがつらいいつもは淋しがるけれど泣かないももか。でも長期の休み明けずっといっしょだったものね、、ももの目から大粒の涙がぽろぽろこぼれた「おかあさん おかあさん、、!!」「お母さんいつもいつも思ってるからね」といって 抱きしめる。まだ8才、、離れるときの思いはなんともいえない、、抱きしめてこのまま家につれて帰りたくなる自宅を出るとき 親友の携帯を貸してもらっていたももか自宅へもどるとももかからメールが届いていた。 おかあさんへ わたしはおかあさんの タイセツナコです涙がぽろぽろ、、あふれた。ママも ももに負けないようにがんばるから ももかもねいっしょにがんばろう、、いつも想っているからひとりじゃないよ
2005.01.05
コメント(6)

かみさまがきめているから☆すべての子どもが持つ感性 かみさまがきめているから ももか作 2004/5/12 8さい (どうして人はうまれてくるの?)わからないかみさまがきめているからみんなみんないろんなことするためにうまれてきている(なんで人はうまれてくるの?)わからない人はうまれてくるときことばをうしなってうまれてくるうまれてくる前はおはなししていたよかみさまとそしてバイバイしたよかみさまはにじいろみたいにひかっていたよたいせつなことはみんなをゆるすことごめんなさいは大切なことば大切なことはありがとうとごめんなさいおかあさんを大切にすることありがとうはきいろたんぽぽ、ひまわり、おつきさまみたいにすてきなことばありがとうはうれしいきもちかみさまみたいにすてきなことば みなさんへ☆ももかの詩に関して☆この詩は脳性マヒ☆車椅子☆8才の娘の気持ちをひとつひとつ引き出してあげてつなげたものです。この詩に関しては (どうして人は生まれてくるの? )のみ私の問いかけです。例えば 「おかあさん ありがとう」と言ってくれた時に「うわあ すごく嬉しいな、、(*^ ^*)♪」と思いっきり喜んで素直に気持ちを表現します。そしてその後「そのありがとうはどんなきもち?」とか「それは色に例えると○○ちゃんには何色の気持ちかな」「ももちゃんの心のなかではどんなふうに見えるの?」と心の中に感じること、見えることを引き出してあげます。本人の言うことをまずは全部残らず紙に書き出してあげます。そして新しく言うことに関して「それってどういう意味?どんな気持ち?と聞いてあげて引き出す作業をします。 きれいな虹がでてきたり カニのあしおとがでてきたりとても子どもはピュアで大人が忘れているなにかを思い出させてくれたり気づかせてくれます。すべての子どもたちが持っている感性です。発言をすべて書きます。その過程が子どもにはとても嬉しくて楽しいようです。次に順番に本人と 文章をつなげてどっちを先にしたらいいか考え遊ぶという詩づくり遊びです。ここで大切なのは大人はあくまで補助で引き出すことに徹するということです。(大人は感情を一切入れないように注意・・あくまで引き出す役目です)文章がおかしかったり 順番が変でもそれでいいのです。それで100%です。おもいっきりほめてあげてください(*^ ^*)♪子どもにとってママが誉めてくれた!嬉しかった!それはとても自信になり とてもいい想い出になります。優しく語りかけ 素直な心を引き出してあげると思いがけない子どもの感性にふれることができます。意外な言葉を知っていたりして思わぬ発見があったりします。最後にももかが時間をかけて 左の人差し指一本で(手先が不自由なのでPC操作のときはこの指でなんとか操作)ローマ字打ちで一文字一文字たどたどしくですがwordに入力して完成しました。ローマ字を習うのはたしか4年生以上だと思います。でも覚えるのに年齢は関係なく私は興味を持ったときが大切だと思っています。何年生で何を学ぶかを考えたのも大人なので、、笑これは遊びです(*^ ^*)興味を持ったことは楽しんでいっしょに遊ぶと楽しく覚えることができます。みなさんも子どものこころを優しくひきだして 幼いこころをいっしょに感じてみませんか? (*^ ^*) conaでした
2005.01.04
コメント(6)

「しゅじゅつ おめでとう!だよ」楽しいイメージの大切さ 今から一年半前のこと 平成15年6月20日金曜日 7歳4ヶ月。ももかは東京女子医大で足の神経の手術を行った。過剰に反応する神経を弱めるという脳外科の先生による顕微鏡手術だ。生まれたとき しなやかだった足も大きくなるにつれて無意識に反応する緊張とともに尖足(足がつまさきだちになりバレリーナの足のようになる)が強くなり両足がクロスするようになっていった。(本人はペケポンと呼んでいた)無意識に緊張する足。親としては緊張が進むにつれてどんな感覚なのかがわからず何ともいえない気持ちになった。東京女子医大の最新情報はHPの日記を読んでくださった同じお子様をお持ちのママから頂いた。すべての始まりは一通のメールを通してだった。直感方の私はメールを読むと同時に閃いた。外来の日を確認して二日後 東京へと飛んだ。F先生、T先生のお話を伺ってその日に迷うことなく手術を決めた。執刀するのはT先生と伺った。T先生にお会いして即 先生のお人柄とお話から この人だったら娘を託せると感じたのです。ももかは自分の分身 大好きなちいちゃいももちゃんというリカちゃん人形のようなお人形を連れて入院した。入院するということでそのちびももにもパジャマを着せた。ちびももちゃんを手ににぎりしめて 入院も痛い検査も一緒にこなした。ももかの担当はエネルギッシュなS先生は若手の女医さん。術前宿題を一緒にして 下さったり、質問したことに的確に優しく答えられる姿に 手術まではとても短い期間ではあったが信頼関係は確実なものとなっていった。笑顔がとても眩しい素敵な先生だ。そして手術の執刀はS先生。デキルオトコ キレモノ 凄い先生 そんな形容詞が似合う先生だ。本当にこころから安心して手術を託すことができた。「ママ やったあ 手術の朝だよ。おめでとうだね」ちょっぴり緊張した笑顔だった。手術は ももかにとっては怖いものではなく嬉しいことだった。母のほうがどきどきした。一度もこわいとももかは言わなかった。そして泣き虫のももかが泣かなかった。ももかの成長を感じた。自分でチョイスした手術。この日が来るのをももかはずっと楽しみにたのしみに待っていたのです。手術当日、 かわいい浴衣を着て 大好きなちびももちゃんを連れて手術室に入っていった。(多分その途中で上手くちびももちゃんはどこかで待機になったのだと思う、、先生方の温かいご配慮に感謝、、)麻酔時、呼吸を止めると聞いて心配をしてドキドキしたが 手術は無事成功。ももかそして スタッフの粋な計らいでちびももちゃんも額に白いカットバンをつけて仲良く帰ってきた。医療スタッフの温かさが感じられた。「ももちゃん本当にがんばりましたよ。とてもきれいな手術でした」と先生方からお言葉を頂き 術後ホッとした私だった。点滴や機械、手の点滴を刺す場所には「ももちゃんだいすき!がんばれ♪」と手書きされていた。大好きなくまさんやカンガルーさんたちのシール、キティちゃんの絵(Sさん)なども貼られ 看護婦さんの優しい心遣いが感じられた。朝8時半手術室へ オペは3時間程 手術室から出てきたのは1時を過ぎていた。術後は軽い発熱 麻酔の影響で数度の嘔吐が見られた。術後はおしっこが出ないトラブルあり。数日間かなりの痛みはあったようだ。真夜中突然激しい噴水のような嘔吐。激しい痛みも訴えた。薬も飲むが痛みは変わらないようで 夜中はずっと背中に手を当てて過ごした。術後12時間を過ぎて おしっこもちゃんと出始めた。よかった。ももかはがんばってしなやかな足を手に入れた。朝が来た。新しい未来を手に入れた。がんばったね、ももか。「ママ 足のぺけぽんがなくなったよ。足が柔らなくなったよ」と喜ぶももか。これからリハビリ ママとがんばろうね。チャレンジしよう。ママといっしょに、、、。「おめでとうっていってママ」7才の娘 そしてその言葉で私は色んなことを考えさせられました。 笑顔で喜ぶももかにとって手術は本当に嬉しいことだったようです。怖いこととするか 嬉しいこととするかは自分次第、、、それぞれの人生 必ず超えなければいけない問題や壁にぶつかります。どう通るか、、、どうありたいか、、、すべてはイメージなのかもしれません。どんなことがあっても 自分の未来を信じましょう、、いっしょに、、
2005.01.03
コメント(9)

☆しあわせの価値観って? 娘がうまれて、本当にこころから付き合える、友達がふえました。ただの表面的なおつきあいのお友達ではなくて、、高校時代の友達のように、心から、なんでも話せる、いっしょに喜んだり、泣いたり、楽しんだりできる、ともだち。 これは最高のももかからのプレゼントです。障害はまったく、不幸ではない。ちょっと不便なだけ、、でも、これは本当です。はじめはどうしようと、、正直私も思いました、そして、泣いた日々も、、、たしかにあったけれど、、私自身が全く解ってないだけでした。人として小さな私が 小さな狭い価値観、こころで表面だけを見てすべてを計ろうとしていました。そうです、、私は相手の「こころ」をみていなかったのだと思います。表面だけを見て勝手に決めつけていたのです。ママ一年生の頃、ある3人の女の子を持つママに言われたことがあります。「しあわせってわかんないね」「3人の子どもでいちばん、障害をもってる、Mちゃんがいちばん幸せかも、、」って「それは自分の思うままに生きれているから、、、」って。3人のそれぞれの子どものママたちのおつきあいの中でも いちばん、Mちゃん関係のママたちと心からふれあうことができるって、、。たしかに、、そうかもしれない、、と私は感じました。きらきら輝く笑顔でMちゃんは思いっきり楽しんで遊んでいました。人間的にみると、こういうのが幸せで、こういうのが不幸と いろいろ、決めつけるところた、たしかにあります。でも地位や、名誉、学歴、お金、そろっていても、 こころがみたされていないと、、、それは 本当にさびしくて不幸なのかもしれません、、。でもそれが幸せと思う人もきっといるからそれはそれでいいと思うのです。いろんな価値観があっていいと思うのです。みんなちがったひとりひとりみんなちがっていいのですから、、(*^ ^*)わたしは、、なにがなくても、これ、きれいだなあ、、とか、うれしいなあ、、とか、小さなことに感動したり、心から、ありがとうっていえる、 そんなことが幸せなんじゃないかなと最近の私は感じています。目に見えるものよりも目に見えないものの方がもっと大切なのかもしれない、、そう娘は私に気づきを与えてくれました。ももかが生まれて、いろんなことがありました、、でも私はたくさんの幸せをかみしめることができるようになりました。幸せってこころでかんじて本当のしあわせなんですね。いまま気がつかなかったこと、いっぱい、気がつかせてくれたのは、娘です。今までの人生のなかで、いちばん幸せなのは今 この瞬間と思うときが最近よくあります。ももちゃん、ありがとう。そして、まわりのみなさんありがとう。目に見えるところで、そして見えないところでも私たちはたくさんの方々に支えて頂いていると思います。ありがとうございます、、、心から感謝しています。 ☆何か心に感じることがあった方は ぜひクリックをお願いいたします☆ ↓blogランキングよくわからないけど参加中☆ぱんだハウスは今、何位になっているか覘いてみてください♪
2005.01.02
コメント(1)

新年あけましておめでとうございます。実は12時justまで 8才のももかも起きていました。しかし、、、「おばけがくるから寝ないと、、おばけの国で働くことになったら大変!!!!」と数分後にはコテンと眠ってしまいました。(我が家では12時を過ぎるとおばけがくることになっていて連れて行かれると一生かえって来れなくて さらにおばけの衣装を着ておばけとして働かなければならないことになっています、、こわこわ、、)おそるべし「謎のおばけ」のチカラ 笑朝 彼女は何回も不思議そうな顔をして「いったい2004年はどこにいったの?2005年が来てしまって2004年はいったいどこへ考えても考えてもわからない、、、」と独り言を言っていました。そのあと「2004ねんさんとはともかくばいばいです」「2005ねんさん こんにちは♪」と外を見て 挨拶をしていました 笑こんなまだまだおぼこいももかさんと私(*^ ^*)みなさん 今年もどうぞよろしくお願いいたします♪☆ももちゃんおばけに連れて行かれなくてセーフと 思った方はぜひクリックをお願いいたします 笑☆ ↓よくわからないけどblogランキング参加中☆ぱんだハウスは今、何位になっているか覘いてみてください♪
2005.01.01
コメント(10)
全30件 (30件中 1-30件目)
1
![]()

