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◆小説のあらすじ・登場人物◆は、今回の記事の下のコメント欄をご覧ください ○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○ 玄関のドアを開けると、一人の男が立っていた。 見覚えのある顔。そうだ、最近何回か、アパートの通路や階段ですれ違ったことがある。「突然すいません。こちらに月野紗英、いますよね?」「失礼ですが、どちら様ですか?」「紗英の夫です」 紗英を呼び捨てにした男は、憮然とした態度でそう言うと、今度は家の中へ向かって大声で叫んだ。「紗英、いるんだろう?出てきてくれ、紗英」「ちょっと待ってください」 ただならぬ様子で家にあがり込もうとした男を、僕は咄嗟に押し戻した。抵抗されて軽く揉み合いになり、男が腕にかけていた傘が落ちて雫が散った。「ここにいるのは分かってるんだ、紗英、出てきてくれ」「いい加減にしろよ」 僕に突き飛ばされ、よろけながらも、男の目は奥から出てきた紗英を捉えた。「圭悟・・・、どうして?」「迎えに来たんだ、一緒に帰ろう」「何言ってるの?帰って」「俺が悪かった。紗英、戻って来てくれ。何度でも謝るから、許してくれ、紗英」 すがるような男の目を、紗英は睨みつけた。「許すとか許さないじゃなくて、あなたの傍にいたくないの」「こいつか?この男の方がいいって言うのか?俺と別れたばかりですぐ他の男と。お前だって 俺とかわらないじゃないかっ」 圭悟と呼ばれた男が、さらに声を荒げた。玄関先での騒動に、隣の部屋のドアがほんの少しカチャリと音をたてた。「話を聞いてくれ、やっとお前を見つけたんだ」「話なんか聞きたくない。帰って。今すぐ、帰って」 取りつく島もなく、紗英は奥に戻り、リビングのドアを乱暴にバタンと閉めた。「感情的になってたら、ぶつかり合うだけですよ。もう少し落ち着いて、話し合ったらどうですか」 そう言って、男を抑えていた手の力を抜いた途端、彼はドンと僕を押し退けて中に入ってしまった。 紗英はキッチンで、窓の外を見つめていた。 雨粒が窓ガラスを伝わり、身を寄せ合っては転げ落ちていく。「あなたが私に何をしたのか、分かってないでしょう?」 背を向けたままの紗英。さっきまでとは違う、妙に静かな声だった。「何度も謝ったじゃないか。俺だって、反省してるよ」 男もさっきよりは落ち着いた様子だったが、彼の声はまだ上擦ったままだった。「何を反省しているっていうの?」「あれは、単なる遊びだった。お前がお義母さんの看病でいない間に、つい・・・。だけど俺にはお前が必要なんだ。本気で愛しているのは、紗英、お前だけだ。あいつとはもう手を切って、子供だって堕ろさせたんだ」 次の瞬間、何かが破裂したような音がリビングに鳴り響いた。 紗英が男の頬を平手で思い切り叩き、叩かれた勢いで男の顔は横を向いていた。「私が許せないのは、それが遊びだったから。あなたがその人のことを本気で愛していたら、私だってまだ救われてたのに」 大粒の涙をこぼして、紗英はそのまま自分の部屋に入ってしまった。 何なんだ、一体。 雨脚が強くなってきた。電源が入ったままのパソコンからは、熱気を排出する唸るような音が、微かに漏れ聞こえている。「とりあえず、今日のところはお引き取りください。紗英も突然のことで驚いたみたいだし。日を改めて落ち着いて話し合った方がいいんじゃないですか?」 呆然と立ち尽くしたまま、男は黙って頷いた。「それと、あの、信じろって言っても信じられないでしょうが、僕と紗英は一緒に暮らしてはいますが、いわゆる世間一般で言う同棲とは全然違いますから。単なるルーム・シェアというか、僕には他に恋人もいますし」「他に恋人?じゃあ、本気で愛する女が他にいるあなたなら良くて、浮気だった俺が紗英に捨てられるっていうのか?俺にはあいつの考えていることが全く理解できない」「だから、僕と紗英は今は男と女の関係じゃないって、言ってるじゃないですか」 そう言いながら僕もまた、紗英が何を思っているのか理解出来てはいなかった。 男は僕の目を見ずに、騒がせて悪かったと言って、帰って行った。 取り残されたままのパソコンの画面には、ユニークな表情をした猫の画像が数枚あった。紗英がくるみと一緒に見ようとしていたのはこれのことか。 僕はブラウザを閉じて、パソコンの電源を切った。(つづく) ○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○ 読んでくださって、ありがとうございます! ぽちっと3つのバナーを、応援クリックしてくださるとかなり幸せです。 今日初めてアクセスしてくださった方も、続けて読んでくださっている方も、いつもありがとうございます!前回のラストで、ドアのチャイムを鳴らした人物。色々予想してくださった方も多かったのですが、ここで、紗英の元夫の登場です。紗英の元夫は、そんなに頻繁には登場しない予定ですが、たま~に出てきますので、「こんな人もいたな」と覚えておいてくださると助かります。ま、忘れちゃった時は、コメント欄の◆ 登場人物 ◆をご覧くださいね。ところで・・・やりました!私的に快挙です!!今週は 1週間の間に2回更新できました~だからどうした? という話ですが、私的には何か達成感。これなら来週は更新しなくてもいいや~♪ ではなくてこのくらいのペースで頑張りたいなっと。来週はまた週1くらいで、その翌週あたりに週2? みたいな、ゆるゆる~な感じで。(^皿^;)今日もありがとうございました ブログ管理人・ぽあんかれ
June 28, 2008
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◆小説のあらすじ・登場人物◆は、今回の記事の下のコメント欄をご覧ください ○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○ その日は土曜日だというのに、僕は紗英に朝早く起こされた。「あのね、昨日買ってきたパソコン、初期設定とかよくわかんないからやって。くーちゃんが来る前にインターネットできるようにして欲しいの。くーちゃんに見せたいものがあるから」 言い出したら聞かない紗英に辟易しながら、僕はまだ重たい瞼を無理矢理開いて、しぶしぶ起きた。 紗英との同居を打ち明けてからというもの、くるみは頻繁に僕のアパートに来るようになった。週末の三人でのランチも定番になりつつある。この日もくるみが来る予定だった。 顔を洗ってリビングに行くと、ノートパソコンの箱が我が物顔でテーブルを占領していた。 箱を開けて本体やケーブル、マニュアルなんかを取り出していると、くるみから今日は来れなくなったと電話があった。「えー、一緒に『ぽめ店長』見ようと思ってたのに」「何だよ、それ」「ニャッ、吾朗ちゃん、知らニャいニャリ?ニャヘホヘニャ~。ネットで人気の三毛猫の物語」「知らないよ」 急におどけた顔をする紗英に、僕は吹き出してしまった。「女子高生とかOLに人気あるニャリよ。吾朗ちゃんそういうとこ、全く疎いニャン。くーちゃんも『ぽめ店長』好きだって言ってたニャりよ。知らないとまずいニャン」 紗英とくるみはここのところ、だいぶ打ち解けたように見えた。僕の知らないところで、二人がそんな話をしていたなんて。 僕がいて、くるみがいて、紗英がいる。 こんな感じで、これから先も紗英がそばにいてくれたら・・・。いや、僕と紗英が昔恋人どうしだったという事実がある限り、そんなふうに願うのは虫が良過ぎるよな。「そういやお前、昨日デートだったんだって?」「うん」 二人で簡単に昼食を済ました後、コーヒーを淹れながら紗英はあっさりと認めた。「付き合ってる奴がいるなら、先に言えよ。そいつお前がここにいるってこと知ってるのか?」「知らないよ。それに付き合ってるって訳でもないし。たまにご飯一緒に食べる程度だもの」 また紗英に振り回されてる奴がいるのか。可哀想に。同情というより、その男が気の毒に思えた。 紗英はキッチンのテーブルで、初期設定の終わったパソコンの電源を入れた。僕はリビングのソファで読みかけになっている本を手にしたものの、読む気にはなれなかった。 午後になって降り出した雨は、一向に止みそうにない。 思えばくるみがいない、紗英と二人きりのこんな時間は久し振りだった。 静まり返った部屋で、リズミカルに弾かれるパソコンのキーボード。あいつ、意外と入力に慣れてるんだな。三人掛けのソファに横になって、ぼんやりと天井を眺めながら、そんなことを思っていた。 しばらく目を閉じて、静かな雨音とカタカタというキーボードの音に耳を傾けていたが、紗英が手を止めて、部屋には雨音だけが残った。「ねぇ、吾朗ちゃん、ポアンカレって知ってる?」「ポアンカレって、ポアンカレ予想の?フランスかどっかの数学者の」 さっきはぽめ店長のぽめ言葉だとか言って、ニャーとかニャンとか言ってたやつが突然何を言い出したのか。思いがけない言葉に、僕は体を起してソファに腰かけた。「そう、それ。なんか可愛いよね、ポアンカレって」「どこが?」「ポアーン、としてて、カレーンとしてて」「何だよ、それ」 紗英らしい受け止め方に、可笑しくて笑った。「お前の口からポアンカレなんて聞くとは思わなかったよ。僕もあんまり詳しくはないけど、百年前にそいつの残した数学上の予想を、最近どっかの数学者が証明したんだよな」「そうそう。数学者って言ったら、とっても頭がいい人達でしょ。そんな人達がポアンカレの予想を証明するために、百年もかけたなんて凄くない?人と人とが引き継ぎながら百年間取り組めば、難問でも解決の糸口が見つかるってことよね。でもそんなに頭がいいなら、もっと他のこと考えて欲しい気もする」「例えばどんな?」「うーん、そうね、毎日の献立を悩まないで済む方法とか」「そんなの自分で考えろよ」「そだね。でもこれはね、主婦にとっては永遠の課題なのよ」 パソコンのキーボードの上で両手を止めたまま、紗英は話に夢中になっていた。「あとは、そうねぇ。ほら環境問題とか。温暖化のこととか予想しててくれたら良かったのに」「ポアンカレの時代じゃ、そんなこと思いつきもしなかったよ。空気が今とは全然違ってただろうし、空も今よりずっと青かっただろうし」 それまでこっちを見ながら話していた紗英が、少し伏し目がちにパソコンの画面に視線を移した。「今から百年後の空ってどんなふうになっているんだろう。百年後には今よりずっとスッキリしていてるといいのにね。空も、人の心も」 紗英がどんな気持ちでそう言ったのか、僕は考えもせずにただ頷いていた。そうだな、そうなってるといいな。その頃には僕たちのこんな関係も、もっとスッキリ答えが出せるようになっているのだろうか。「それで、何で急にポアンカレの話だったんだ?」 紗英が答えようとしたときに、玄関のチャイムが鳴った。 穏やかに過ぎていた僕達の時間は、このチャイムによって引き裂かれた。(つづく) ○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○ 読んでくださって、ありがとうございます! ぽちっと3つのバナーを、応援クリックしてくださるとかなり幸せです。 今日初めてアクセスしてくださった方も、続けて読んでくださっている方も、いつもありがとうございます!遂に真打ち登場!ではありませんが、この小説のタイトル「poincare(ポアンカレ)」は、今回出てきたフランスの数学者、アンリ・ポアンカレからいただきました。詳しくはフリーページ“アンリ・ポアンカレと小説「poincare」”をご覧ください。それともう一つ。前半に登場した『ぽめ店長』ぽちぽちのhiroさんの「ぽちぽち別宅」で活躍中の実在する三毛猫さんです!ぽめ店長の日記が、でっかく面白くて、可愛くて、今回、hiroさんにお願いして、小説に登場していただきました。hiroさん、ぽめ店長殿、ご協力ありがとうございました~さて、この小説、楽天で連載を始めたのが 2007年11月5日。既に7ヶ月が過ぎているというのに、物語の中ではまだ1ヶ月くらいしか経っていない・・・。( ̄▽ ̄;)!!薄々は気がついていましたけどね。(>_
June 23, 2008
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◆小説のあらすじ・登場人物◆は、今回の記事の下のコメント欄をご覧ください ○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○ 黄昏時の空は切ない。けれど街は、一番華やかなひと時なのかもしれない。 溢れ始める光の洪水の中、仕事から解放されて帰りを待つ家族のために家路を急ぐ人、これからの時間を一緒に過ごす人のもとへまっすぐに向かう人、一日のストレスを自分の店で解消してもらおうと待ち構えている人。どこか華やいだ彼らの気分が、粒子になって空気に漂う。 早目に出てきたのは正解だった。 何だか今日は、くーちゃんのそばにいるのがいたたまれない気がした。くーちゃんと一緒にいられるのは嬉しくもあるけど、彼女の思いが手に取るように伝わってきて、こっちまで切なくなることも多い。 黄昏時の街が、そんな気持ちを払拭してくれた気がする。 くーちゃんはいつになったら安心してくれるんだろう。無理もないけれど。ずっと、このまま? バッグから携帯を取り出して時刻を確認する。琢人との待ち合わせまで、まだ少し余裕があった。 そうだ、ここの写真をブログに載せておこう。携帯をカメラモードに切り換えて、外に向かってシャッターを切り、そのままサイトにアクセスして私はブログを書き始めた。------------------------------------------------------------------------ こんにちは~ あれ? もう、“こんばんは~”の時間? ちょっと微妙。 今、タックンとの待ち合わせの最中。 この写真。私が今、どこにいるか、わかる人いる? 今日はこれから、お食事とお買い物。 なんと、パソコンを買いに行くのだ! え?今さら? ・・・。 そうだよね。 もうほとんど使わないとは思うんだけど ブログ書くのに携帯だと不便なんだもの。 片手入力は時間がかかる。 いまどきの若い人のようにはできない。(笑) すぐ必要なくなるんじゃないの? って、言いたいけど、言えないあなた。 いいのよ、遠慮なく言って。 そうね、その通り。 だからと言って、今不便なのを我慢する理由にはならない。 でしょ? それにね、ちょっとしたサプライズも考えてるの。 いらなくなったら、タックンに使ってもらおうと思ってる。 その時のためにね パソコンのどこかに タックンへのメッセージを書いて 隠しておこうかと。 健気でしょ?(笑) でも、そんなことしない方がいいのかな? どう思う? メッセージはともかく いらなくなったらタックンにあげるから 今日はこれから一緒に行って タックン本人に選んでもらおうと思うんだ。 そうそう、今日もまたCooちゃんが来た。 Cooちゃんも相当健気。 ちょっと可哀そう。大丈夫かな? そう思うなら、お前が早く出て行けっ! なんて 言わないでいてくれるよね? 我ままだってこと、わかってる。 間違ってるってことも、わかってる。 理由はどうあれ、やっぱりCooちゃんに酷いことしてるってことも。 でも自分の気持ち、抑えられない。 迷っている時間がない。 どうせ、最初から、全部間違っていたんだもの。 Cooちゃんには、ちゃんと話した方がいいのかな、って思う。 けど、話せない。 ちゃんと話したら、Cooちゃんは、きっと たくさん、たくさん、泣くもの。 いくら私でも、これ以上、もういじめられない。(笑) それはそうと、タックン、まだかな。 携帯で入力するの苦手なのに もうこんなに書いちゃったよ。 おかげで、いい暇つぶしになったし 今日のブログも書けたけど。 もう少しで今日も終わる。 無事に一日が暮れていく。 あ、来た。やっと来たよ、タックン。 それじゃあみなさん、行ってきます。------------------------------------------------------------------------ まっすぐにこっちに向かって歩いてくる琢人。 ねぇ、この瞬間、あなたはここを歩いている他の人たちと同じ、華やいだ気分なのかな。私も同じように、華やいだ気分でいてもいいのかな。何もかも全部に目をつぶって。 それでもこうして笑える時は、笑っていてもいいんだよね。今、この瞬間だけでも。(つづく) ○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○ 紗英のブログの写真は、写真素材 [フォトライブラリー]さんから拝借したフリー画像です。 撮影はsolaさんという方です。 読んでくださって、ありがとうございます! ぽちっと3つのバナーを、応援クリックしてくださるとかなり幸せです。 今日初めてアクセスしてくださった方も、続けて読んでくださっている方も、いつもありがとうございます!今回は紗英のブログ形式で書いてみました。(紗英のブログについては、第16話 ~ sae (5) 繋 ~を参照してください)念のため、タックン=琢人、Cooちゃん=くーちゃん・くるみ です。それぞれ紗英がブログ上に表記する際に使っている呼び名です。(登場人物の簡単な紹介は◆小説のあらすじ・登場人物◆をご覧ください)謎が謎のまま、いい加減引き伸ばし過ぎ?と思いつつ、展開上まだ明かすわけにもいかず、とりあえず今の紗英の心情のみ表現するには、こんな形式もありかな?と。そうそう、前回、みなさんのブログへお邪魔するのが大好きと書かせていただきましたが、一方で私はパタリと足跡を残さない時期があります。何かで忙しいということもたまにはありますが、たいていは小説の更新の直前。書くことに集中しちゃった時。最近、名前を見かけないな~とお気付きになられたら「もうすぐ更新なんだな」と思ってやってください。(o^^o)ゞ気まぐれな訪問&応援でごめんなさい。あ、ここのところ頻繁に名前を見るな~って時は、「こいつ、ブログの更新、サボってる!」なんて思わないように今日もありがとうございました ブログ管理人・ぽあんかれ
June 12, 2008
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◆小説のあらすじ・登場人物◆は、今回の記事の下のコメント欄をご覧ください ○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○「アンタってば、馬鹿じゃないの?」 開口一番、亜矢は思いっきり呆れ顔でそう言った。「いいじゃん、面白いじゃない。くるみも意外とやるねー」 笑いながらそう言ったのは玲菜だった。 残業帰りのダイニングバーで、私はこれまでのいきさつを、友人の亜矢と玲菜に打ち明けた。「何言ってるのよ、カレシの家に他の女が寝泊まりしてんのよ。そんなの許せる?」 面白そうに笑う玲菜を、亜矢が睨みつけた。「そっか、それでくるみは最近、ちょくちょく吾朗君の家に寄ってたんだ」 亜矢の態度に玲菜はお構いなしだったが、亜矢は負けじと割り込んできた。「甘い、甘いって、そんなんじゃ。くるみもいっそ吾朗君の家に転がり込んじゃえば?」「それいいかもね。相手の女、追い出せないなら、いっそ三人で暮らす?みたいな」 そう言ってクスクス笑う玲菜は、面白がっているようにしか見えなかった。 あの三人のランチ以来、何回か吾朗君の家に食事を作りに行った。行けるときは平日も。 けれど、何も変わらないし、何も分からないままだった。 変わったことと言えば、紗英さんが私のことを「くーちゃん」と呼び始めたことくらいだった。「何だかこんな状況にも、だんだん慣れてきちゃった気がするの」 それは私の本音だった。当初の目的を忘れたわけではないけれど。「紗英ってコのペースにまんまと嵌(は)められちゃったってわけ?ちょっとぉ、しっかりしなよ、くるみ」「そうだよね」 亜矢の言葉に力なく答えた。ホント、何やってるんだろう、私。「でもね、正直分からないの、紗英さんが。敵意も悪意もあるようには見えないし。私、これから何をどうすればいいんだろう」 情けないやら、悲しいやら、ほろっとこぼれた自分の言葉に、つい泣きそうになってしまった。「分からないとか言ってる場合じゃないでしょ?ちょっとぉ、玲菜も何か言ってやってよ」「とりあえず、何にもしないでいいんじゃないの」 私の様子に気付いたのか、玲菜はもう笑ってはいなかった。「くるみさ、正々堂々正面から受けて立って、相手の陣地に乗り込んだはいいもの、相手を探ることに疲れちゃったんじゃない?」 私の瞳の奥をじっと覗き込む、玲菜の視線。玲菜はさらに言葉を続けた。「そんなの無駄な努力だと思うよ。考えたってわかりっこないもの。直接聞いてもはぐらかされちゃうのなら、いっそ相手の言ってること、全部信じてみたら?」 その言葉に驚いて、私だけでなく亜矢も言葉を失った。「相手のこと知るためには、目の前にあるフィルターを外してみることも時には必要だよ。くるみは紗英って人を、恋のライバルだって思い込んで、そのフィルターを通してしか見ていないでしょ?だからその人がそれは違うって言えば言う程、くるみは混乱しちゃうんだよ。これまでのことは全部リセットして、紗英っていう人の言うこと信じて、普通に付き合ってみたらどうよ」 黙って聞いていた亜矢が、立ち上がらんばかりに声を荒げた。「ちょっと、玲菜、いくら人ごとだからって、あんまりじゃない?騒動の渦中にいるくるみがどれだけ苦しんでると思ってるのよ。何でカレシの家に住み着いてる女の言うこと信じて、普通に付き合わなきゃなんないのよっ」 甲高い亜矢の声に、周りの客が一斉に振り返った。私は慌てて亜矢を制した。「亜矢、ちょっと、落ち着いて」 玲菜はグラスに視線を落として、こう付け加えた。「何の手立てもないんだし、どうせしばらくは様子を見るしかないのなら、見方を変える方がいいと思うけど」 カシスソーダのグラスの底から、クルクルと踊るように小さな気泡が上昇した。やがて表面に達した気胞はぷつりと消えて、店内に流れる音楽とともに空中に溶け込んだ。 数日後、私はまた仕事の後、吾朗君のアパートを訪れた。階段を上がりきった通路の端で、吾朗君の部屋のドアが開き、紗英さんが出てくるのが見えた。「あ、くーちゃん」 私を見つけると彼女はにっこりと微笑んだ。薄手のコートを羽織り、これから外出するところだった。「今からお出かけ?」「うん、デート」 彼女の答えにぎょっとして、私はすぐに聞き返した。「付き合ってる人いるの?」「ううん、いないよ。デートの相手は男の人だけど、付き合ってるわけじゃないの。デートって言ったって一緒に食事するだけだし」 紗英さんはあっけらかんとそう答えた。「そういう人がいるってこと、吾朗君は知ってるの?」「んー、特に話したことはないけど。わざわざ話して聞かせるようなことでもないし、私が誰とどうしようと、吾朗ちゃんも興味ないと思うけど」「吾朗君に知られたくないから、隠しているんじゃないの?」 思ったことが咄嗟に口をついて出てしまい、自分自身に驚いた。嫌だ私、これじゃまるで喧嘩でも売ってるみたい。焦って頬が熱くなる。 紗英さんはそんな私を気にも留めないで、明るく笑い飛ばした。「嫌だなぁ、まだ私と吾朗ちゃんの関係を疑ってるの?何度も言うけど、私達、そんなんじゃないってば。何なら今晩私がデートだってこと、くるみさんから話してもらっても全然構わないよ。そうそう、さっき、吾朗ちゃんから電話があって、いつもより三十分くらい遅くなるって。じゃ、行ってくるねー」 コンクリートの通路にハイヒールの音が響く。 私は着飾った彼女の後ろ姿を見送ってから、誰もいなくなった部屋のドアをゆっくりと開けた。(つづく) ○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○ 読んでくださって、ありがとうございます! ぽちっと3つのバナーを、応援クリックしてくださるとかなり幸せです。 今日初めてアクセスしてくださった方も、続けて読んでくださっている方も、いつもありがとうございます!これまでコメント欄に書いていた「作者より ご挨拶」を、今日からこのような形に変更させていただきます。理由は、このテンプレートが可愛くて、使ってみたかったから。ち~!さんという方の“Life×Life+KIDS うちのこと、じぶんのこと、こどものこと。”という、素敵なブログからのいただきものです。私は色々なブログをうろつくのが相当好きで、訪れた先々で自分の知らなかったことを知ったり、お買い物したり、こうしてテンプレ発見したり、他の方の小説や詩を読んだり、そんな時間が今とても楽しいんです♪みなさまのところにも、時間のある限りお邪魔させていただきたいので、また来たか~と思いつつ、テキトーに相手にしてやってくだい。(^皿^;)今日もありがとうございました ブログ管理人・ぽあんかれ
June 3, 2008
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