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学生時代のクラス仲間の一人が、来年九州へ引越しするからと先週末仲間数人集まって、神戸でお別れ会!? 学生時代!集まっては、酒飲んだり、歌ったり、麻雀やったりオベンキョした記憶はないけど、車でいろんなところへも旅行したなと語り合うのは、一緒に遊んだことばかり楽しい思い出は、すぐに記憶がよみがえってきて酒が進み、話も弾む忘年会の季節ですが、酒を一緒に飲むなら昔仲間や近所の趣味の仲間と飲むのが、やっぱり一番 神戸ルミナリエ、大勢の人でした現在では、クリスマス時期のイベントとして定着してますが阪神・淡路大震災後の阪神地区にて「復興神戸に明かりを灯そう」という意図で1995年に始まったもの震災のあった15年前は、自分にとっても激動の年!神戸ルミナリエを見ると、感慨深いものがあります年末の大掃除、いっぺんにやると大変だからってかみさん!毎日少しずつ掃除やったり、片づけやったりしてるとか「父さん、ゴミ出し手伝って!」言われて見ると、大きなビニール袋5袋パジャマ姿で外出たら、おっ寒!風邪ひきそうでしたこれから週末に向かって、どんどん寒くなるとか我が家でも、ついに暖房器具!点火となりました
2009.12.15
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松花堂庭園を出て、通称達磨堂と呼ばれる円福寺へ向かって歩いてたら右手に紅葉のきれいなお庭がある建物があったので近づいて見るとこれがなんと、吉井勇寓居之地!引き込まれるように、中を覗かせていただきました 吉井勇は、東京生まれながら京都!とくに祇園を愛した歌人として知られてますかにかくに祇園はこひし寝るときも枕のしたを水の流るる祇園白川のほとりに吉井勇が詠んだ歌が刻まれてますがこの歌碑の前で祇園の芸舞妓さんたちによって毎年11月8日、吉井勇を偲んで「かにかくに祭」が行われます松花堂昭乗に愛着を持っていた吉井勇は、戦後三年間ほど松花堂に近い八幡月夜田の宝青庵で、夫人と一緒に暮らしていたとのこと宝青庵は、紅葉寺と通称されてたようですどおりで紅葉がきれいだと思いました 今年の紅葉狩り!いろんなところをめぐり歩きましたが、雨の日が多かったかにかくに紅葉はこひし雨の日も思ひでの山思ひでの川!なんちゃって♪吉井勇と啄木!?ごっちゃになったような感じですがひょんなところで、今年最後の紅葉!めぐり合えたのはラッキー♪でした「朝、雨降ってたら会社まで送るから、明日車貸して。。。」って、一昨夜かみさん息子の大きな車もあるけど、小さな車がいいらしい『ええよ♪』って、気軽に返事したももの朝起きたらはたして、雨!かみさんの部屋覗くと、グーグー高いびき!まだ夢ん中起こしたら叱られそうだし、そっとしておいて!バスと電車乗り継いで会社へ行こうとも思ったけど、物は試し!?『今から、会社いってくるけど。。。』って、小さな声でささやいたらスクッと、かみさん!めずらしく素直に起きた気分も悪くなさそうだった行きは、こっちが運転!会社まで「新婚時代思い出すね、父さん♪あっはは♪。。。」って何を言い出すかと思ったら、かみさん!雨の日の新婚時代、最寄り駅までかみさんに送り迎えしたもらったこともあったそーいや、新婚時代!弁当もよく作ってくれていたそんな時代もあったねと~♪ああ、かにかくに新婚時代!懐かしく
2009.12.12
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石清水八幡宮から南へ2kmほど下った八幡女郎花の松花堂美術館で松花堂昭乗特別展が開催されているので、先週土曜日に行ってきました松花堂昭乗は、慶長5年(1600)石清水八幡宮の社僧となり次いで瀧本坊の住職となり、書道、絵画、茶道の奥義を極め近衛信尹、本阿弥光悦とともに「寛永の三筆」と称せられた人物です字を書くのがヘタクソなので、流れるようなきれいな書体には羨望と感動でした松花堂昭乗といわれて、ピンと来られない方でも松花堂弁当といえば、何度か口にされたかも農家が作物のタネ入れに使った田の字の形に仕切った箱を昭乗は絵具入れなどに愛用していたそうです昭和初期、昭乗の遺愛の箱を見て、これに料理を盛り付けてみてはと考えたのが大阪「吉兆」初代主人!松花堂弁当の由来です今度松花堂弁当を食べる機会があったら、話のネタにしてみてください 開園直後、しかもあいにくの雨松花堂庭園を訪れてる人は誰もいませんでしたが広い庭園は、歩いていて気持ちよかったです紅葉の落葉と椿の落花もなかなかの風情庭園内には、昭乗が晩年に過ごした「松花堂」も再現されています長崎の妹から電話があって、母の手術は無事に終了したとのこと「カンカン音がするのが聞こえてた」って手術中も意識ははっきりしてたようですまもなくしてリハビリが始まるそうです気丈夫な母のこと、自立歩行目指してリハビリに励んでくれることと思いますご心配いただき、ありがとうございました
2009.12.10
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石清水八幡宮のある男山の山裾に善法律寺という律宗の寺があります 鎌倉時代、石清水八幡宮社務善法寺宮清が奈良東大寺実相上人に帰依し私宅を寺に改めたことに始まる室町時代に宮清の曾孫、良子が室町幕府三代将軍義満を生んだことから将軍家から援助を受け、特に義満は二十数度も同寺を訪れたといわれてます 境内には、良子が寄進したと伝えられる楓が数多くあり紅葉寺とも呼ばれ、紅葉の名所としても知られてます先週土曜日に訪ねた時には、紅葉見ごろ過ぎ寺の建物も改修中だったのが残念です「心配するからとかけまいと思ったけど。。。」って一昨日、長崎の妹から電話がかかってきた母が夜中にトイレに立った時、何かにつまづいて転倒大腿部の関節部分を骨折し、手術することになったとか年も年だし、なんとか手術しなくて済む方法はないものかと思ったけど歩けるようになるためには、90歳100歳になっても手術は必要といわれて手術を決心したとか昨夕、手術結果を聞こうと会社から長崎へ電話したら手術は明日とのこと母は、来年90歳を迎えますこれまで大病を患ったこともなく、入院したこともない元気な母でした今日の手術が無事成功し、再び歩けるようになることを祈ってます
2009.12.09
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休日は早朝出歩くのが習慣になって、どうにも止まらない土曜日、朝から小雨降るあいにくのお天気でしたが、石清水八幡宮のある八幡へ!ウチからも結構近いところですケーブルもありますが、そんなに高くない男山!表参道、山登り 傘差して写真撮るのはちと面倒でしたが、朝の参道は気持ちいい竹見て思い出しましたが、竹を使ったフィラメントで白熱灯を発明したかのエジソン!使ったのは八幡の竹でしたちょいと、豆知識♪ 石清水八幡宮は、平安初期!宇佐八幡宮を勧請して創建された神社伊勢神宮に次ぐ宗廟として歴代朝廷に崇敬され秋に行われる石清水祭は、葵祭、春日祭とともに三勅祭の一つで葵祭を北祭と呼んだのに対し、南祭ともいわれてた鎌倉幕府を開いた源頼朝の祖先源義家は、ここで元服し八幡太郎と称し源氏の氏神として八幡信仰が全国に広まった弓矢の神、戦勝の神でもあります 境内広く、名残の紅葉!あちこちに雨のち晴れ!ウチに帰るころには、雨も上がってました日曜日はお天気良くて、ソフトボール壮年リーグ!最終戦戦勝の神さまに必勝祈願したおかげ!?10:2完勝リーグ戦15勝1敗1分!惜しくも2連覇は逃しましたが、3位以内確保!今年も良い成績で終了しました試合後の仲間との飲み会もやめられまへん来年も、なんとか元気に続けたい
2009.12.06
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昨日は、ぽかぽか陽気の小春日和車で走っていたら、畑にコスモスが一斉に花開いてるのを見かけました先日訪ねた三室戸寺では、石楠花の花が咲いてました近くにいたおばちゃんは、「狂い咲きや!」って笑ってました花も季節を忘れたんでしょうか?花は、やっぱり季節感を味わえるのがいいです今年は、京都のいろんな紅葉を観ることができました早朝に出かけると、静かにフリーで紅葉を楽しむことができるところもありますそんな京都の紅葉!ご紹介します 11月21日、洛北の赤山禅院参道!一部見ごろの紅葉でしたお寺か神社か分からないようなところですが、天台宗のお寺です御所の東北鬼門にあたり、方除けの神として信仰されてます 11月21日、上賀茂神社ですならの小川沿いの紅葉がきれいでした清らかな水の流れに紅葉がよく似合う神社です やはり11月21日、常照寺です吉野太夫ゆかりのお寺!太夫寄贈の山門です鷹峯には、他に源光庵、光悦寺などの紅葉の名所があります 11月22日、愛宕神社一之鳥居付近!嵯峨鳥居本です清滝から高雄へ登った時、帰りに立ち寄りました草葺きの民家の町並みは、伝統的建造物群保存地区に指定されてます 同じく11月22日、嵐山公園と大堰川です落葉の高雄へ登っての帰り道、さすが嵐山♪ってここの紅葉には癒されました 11月23日の円山公園です桜の名所ですが、意外に紅葉がきれいなのには驚かされました来年、NHKでご活躍される方にもめぐり合えました存分に楽しめた今年の京都の紅葉でした
2009.12.03
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近鉄てくてくマップ、宇治回遊オプショナルコース!?源氏物語ミュージアムからクネクネ登り坂!マップにしたがって、三室戸寺へ秘仏の千手観音像、84年ぶりに御開帳!11月30日までだというんで日曜日(29日)、滑り込みセーフ!?参拝してきました 三室戸寺!光仁天皇の勅願により創建されたお寺というから歴史は古い創建当時は、御室戸寺と呼ばれていたそうです読み方は違いますが、皇室ゆかりの仁和寺!御室が思い浮かびます光仁、花山、白川の三帝がここに離宮を設けられていつの日か三室戸寺と呼ばれるようになったとか 天正元年、織田信長が足利義昭と宇治槇島で兵火を交えた際当寺の衆徒が将軍義昭に味方したのを恨み信長により寺地を没収され衰退するも、江戸時代に復興夜もすがら月を三室戸わけゆけば宇治の川瀬に立つは白波西国三十三所観音霊場の十番札所でもあります 西国巡礼中興の祖花山法皇の一千年御遠忌を迎え西国霊場各寺院のご本尊(観世音菩薩像)が順次御開帳されていますが三室戸寺でも、ご本尊の秘仏の千手観音像が84年ぶりに御開帳次の御開帳の時にはこの世にいないでしょうから、拝観させていただきました仏像の腕のことを臂といいますが千手観音像は、一般的に四十二臂で作られています胸前で合掌する2本の手を除いた40本の手がそれぞれ25の世界を救うものであり「25×40=1,000」であると説明されています三室戸寺の千手観音像は、一尺二寸の小さな観音さまで二臂のみで、非常に珍しいとされてます一般に、御開帳の時には本堂前に回向柱が建てられ本尊とは五色の綱でつながれ、参拝者は回向柱に触れることで本尊との縁を結ぶことになるわけですが今回は、本堂の内々陣!最も近いところで、ご縁を結ばせていただきましたなにやら特別な御利益がありやも。。。といいましても、火難消除の観音さまです 境内には、まだ見ごろの紅葉が残ってました今年、この寺を訪ねるのは2度目!4月末のツツジの頃でしたが、梅雨時の紫陽花もいいです境内には、源氏物語宇治十帖内の浮舟の古蹟などもあります宇治を訪ねられた折りには、ぜひどうぞ
2009.12.02
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比較的暖かい日が続いていて、師走って感じがなかなかしませんが今日から12月、早いもん♪あとひと月、今年もなんとか無事に終わってほしいものです興聖寺琴坂の紅葉狩り!思いついたけど、それだけじゃ物足りない他に、宇治!歩き回るとこないかいな?って、先日!ネットで調べてたら、近鉄てくてくまっぷ宇治回遊コース発見♪これだっ!っていうんで、ついでに歩いてきました 琴坂を下って、宇治川右岸をさかのぼります以前にも歩いて天ケ瀬ダムまで行きましたが、途中で天ケ瀬吊橋を渡ってここからは初めての道!今度は、宇治川左岸を下ります この頃、朝の7時半!この日は、朝寒かったので朝日が昇ってきて、川面からゆらゆら♪水蒸気吊橋から約500m下ると、白川が宇治川に注いでいます 白川沿いに山手に入ると、もみじ谷と呼ばれているところです東海自然歩道にもなっています道はよく整備されていて、そんなにきつい山登りではありません1kmほど登ると、白山神社です 白山神社の近くには、白川金色院跡というのがあって平等院を建てた藤原頼通の娘で、後冷泉天皇皇后となった四条宮寛子が建てたと伝える寺院で、金色に輝く文殊堂があったとか 別ルートを下って、再び宇治川左岸を下ります興聖寺紅葉が見れたり、左岸から見る景色もなかなかいいもんです今度は浮島へ渡ります 川ではアユ釣りでしょうか、早朝から大勢の釣り客です宇治川にかかる朝霧橋を渡って、宇治神社境内を通り抜けると世界文化遺産の宇治上神社です 宇治上神社から源氏物語ミュージアムへ続く道は「さわらびの道」と呼ばれていますこの道の紅葉がとてもきれいでした
2009.12.01
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