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<高台寺 マニ車> マニ車!これって、先頭で回していく人、結構しんどいよ。もちろん、先頭でやんした♪勇んでウチへ帰ってきて、郵便ポストを開けた。でも、ないないばぁ~♪「京都検定」事務局からの試験結果の封書!届いてない。「みたか、かあちゃん!やったぜ、とうちゃん♪」日記タイトルまで頭に描いて、帰ってきたのにぃー!!もう、ガッカリよん。結果知りたくて、昼間!事務局に電話。電話じゃ、お応えできないんだって。もう、けっちー!リンリンリーン♪電話に出ると、かみさんから。「どやった?何点やったん?………………………、な~~んや!」娘が風邪が治らないからって、夕方!娘を連れて行った病院からだった。かみさん遅くなるからって、一人食事の味気なさ。孫達、昨夜お泊り保育!孫達の顔見て、やっと元気♪取り戻した。
2007.01.31
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<大徳寺 芳春院前庭のお地蔵さん> 孫達、我が家へやってきて!発表会のビデオ鑑賞会。とうま、火消し!纏いもって、勇ましく踊ってる。カッコイイ~♪でも、真面目で表情硬し。リズムに乗り切れず、いつもワンテンポ遅れてる。幼きころの自分を観ているようだ。りょう、剣豪宮本武蔵!幕が開いて、下を向いて胡坐かいて座ってる。表情硬いなぁ~!思ってたら、突然、顔を上げ!ニコッと笑って、Vサイン♪すぐに、何事もなかったように元の硬い表情に戻る。どうもママ達の声に気づいたらしく、Vサインはお愛想!サービス精神旺盛。照れくさそうにしてるけど、リズムに乗って剣舞!ちゃんと舞っている。なんとなく、今の自分を観ているようだ。なんで、兄弟!同じもの食って、同じ環境に育ってるのにこうも違うものなのか?不思議な感じ。
2007.01.30
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昨日も、暖かっくていい天気♪ソフトの練習、目一杯楽しんで!あと、飲み会。2日続けて、充実の休日でござんした。では、「美女と野獣の会 京都冬の旅」!昨日の続きです。ちょいと予定より遅くなったけど、先斗町で昼食。紫芋、南瓜スープ、おぼろ豆腐、くみあげ湯葉、なま麩!味わっていただけたかしらん?楓葉さん、牛肉・鶏肉・魚以外の肉類!全くダメらしい。昼食後、先斗町から狭い路地抜けて木屋町通りへ。角倉了以の碑、土佐藩などの藩邸跡碑!観ながら、徒歩で北へ。坂本竜馬の住居跡、材木問屋だった酢屋へ!ちょろっと寄って、豊臣秀次のお墓のある瑞泉寺をお参り。『向こうが池田屋騒動の池田屋跡、あそこが大村益次郎、佐久間象山遭難地です!』維新の志士の跡地を見学後、三条大橋へ。三条大橋の西に弥次さん喜多さんの銅像、東に高山彦九郎の銅像観て、祇園新橋へ。 伝統的建造物群保存地区の祇園新橋!白川沿いの祇園新町南通りを歩く。梅の蕾が膨らみかけてきてました。かにかくに祇園はこいし寝るときも枕のしたを水のながるる祇園をこよなく愛した吉井勇のこの歌碑の前で、11月8日!祇園の舞妓・芸子さんらにより「かにかくに祭」が行なわれます。巽橋では舞妓さんの格好をした女の子達に出逢いました。辰己明神をお参りして、歩いて知恩院の方へ。知恩院の本堂に上がって、お参り!忘れ傘など観る。除夜の鐘の大鐘楼などを見学後、円山公園の山側の道を南へ。 建礼門院が出家されたお寺!説明したら、美女達見てみたと。予定変更!長楽寺拝観。建礼門院・安徳天皇ゆかりの品々見学、相阿弥作のお庭拝見。本堂で、ご本尊さんなどの仏像!じっくりご見学。 長楽寺下って、途中東大谷に立ち寄る。ちょうど、仏前結婚式の最中!「あの着物、100万円以上するのよ~!」な~んて、楓葉さんったら!大声でいうもんだから、こまっちゃうー。東大谷を下って、ねねの道へ。ここで、午後4時半!枳殻邸へ行く予定だったけど、高台寺の中、拝観したことないと美女達!枳殻邸は、JR京都駅近く!いつでもいけるからと、予定変更!高台寺を拝観することに。 開山堂、霊屋、傘亭、時雨亭など見学。小堀遠州作のお庭を歩く。説明のお姉ちゃんは、京大の中国からの留学生。『ニイハオ♪』と愛想よく声掛けて、霊屋では!五三の桐、五七の桐について、オベンキョ。 高台寺を出る頃には、夕日が西山に沈みかけ。午後5時を告げるお寺の鐘が、ゴォ~~~~~ン!なんとなく、いい感じぃ~~♪石部小路の道を抜けて、八坂の塔(法観寺)の方へ。 八坂の塔の前の道を下って、安井金毘羅宮へ。楓葉さん、今宮神社で「玉の輿お守り」!買うの忘れたからって、ここで、縁結びの神様に熱心に?お参り。この時、すでに午後五時半!建仁寺境内、祇園南花見小路歩く予定だったけど、午後6時の新幹線に乗りたいといわれたので、これで見学!お終い。タクシーで、京都駅八条口へ!新幹線、間に合って!名残惜しくも、ここでサイナラ♪でした。予定外のこともたくさんあったし、予定通りにはいかなかったけど美女お三方、なんとかご満足いただけたご様子!ホッとでした。「京都検定」試験結果発表は今日です。明日、結果が封書で送られてきます。いつも来てくださってる方で1月20日のクイズ参加、まだの方!今日が最終期限日です。どーぞ、ヨロシクね♪
2007.01.29
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JR京都駅、約束のAM9:45!美女達、なかなか中央改札口から出てけーへん。いつまでも、こんなウエルカムボード!もってんの、恥ずかしかぁ~♪♪熱烈歓迎♪『美女達と野獣の会』皆様!ようこそ、京都へ!!楓葉さん、どこ~ん?A3に用紙に描いてきたカラフルなウエルカムボード!掲げて待ってたんよん♪しばらくして、楓葉さんから電話掛ってきて、どうも2階にいるらしく、すでに改札の外に出てるらしい。『電話切らずに、そこで待っててくれる?すぐに、そっちへ行くから』2階へ上がって行き、『これ見える~!?』再び、ウエルカムボード!高く掲げたら、「分かりましたぁ~♪』楓葉さんたち美女3人やってきて、やっと、初対面!相成りました。大徳寺へ行ったら、やたらお寺に詳しい地元のおっちゃんに掴まって、話し出しだしたら、止まらへん。地元の人にしか分からない話も聞けて面白かったよん♪(ガイド、このおっちゃんにしばらくオアズケよん♪) 真珠庵、聚光院!冬季特別公開をやってました。こんな機会滅多にないからと!大仙院拝観するの止めて、急遽ここへ。真珠庵は、堺の豪商尾和宗臨(おわそうりん)が一休宗純(あの、一休さん)の塔所として建立したところ。各部屋ごとに専任のガイドさんがいて、説明。(ガイド、これらのおばちゃんたちにお任せ!こっちは、楽ちんよん♪)聚光院は、茶道三千家の菩提寺であり、境内の墓地には千利休の供養塔を始め歴代の墓がある。また、閉隠(かんいん)席および桝床(ますどこ)席と称する茶室は有名です。 いろんなトコで、いろんな人に、詳しい説明を受けたので予定時間オーバー。予定変更!先に、高桐院を訪ねることに。ここは、細川三斎(忠興)が父幽斎の墓所として慶長六年(1601)に創建。観光客少なく、ほぼ独占状態。 書院意北軒は千利休邸からの移築と伝えられてます。意北軒の奥にある茶室松向軒は三斎好みと伝える二畳台目(にじょうだいめ)の席秀吉の北野大茶会のおりに使用されたものとか。庭園は、カエデ一色で自然のままの林となる本堂南庭園と飛び石本位で深山幽谷の趣を持つ西庭とからなってます。 西庭には三斎とガラシャ夫人の墓があります。三斎の墓塔は、元は利休の燈籠であったけど、秀吉に望まれたために、利休はわざと笠の一部を削って断り、三斎に贈ったものといわれてます。三斎は古田織部や高山右近などと共に、「利休七哲」といわれてました。 大徳寺の北側!近くにある今宮神社へ。平安時代初期から、疫病退散の神とされ、4月に行なわれる「やすらい祭」は、疫神を鎮める鎮花祭として始まったものです。美女達、「それは、別腹よ!」いうから、ランチ前!今宮神社門前名物、「あぶり餅」を一和で食べた。日記、長くなるから!今日はここまで。初対面にしては、お話!よく弾みました。日頃、プログでお付き合いしてるんで初対面って、感じ!ぜぇーんぜぇん、せぇーへんのよん♪注) 【美女】 容姿の美しい女性。きれいな女。美人。麗人。 (辞書には特に年齢については書かれてまっせぇん)
2007.01.28
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< 知恩院の山道 > とうまジィージ観光!?カラダが空いてれば、無料でご案内いたします。ご一報を。な~んて、1月12日の日記!こんなこと書いたら無謀にも!?「お願いしますー♪」言ってこられた方がいらっしゃいました。高い旅費払って来られますからね、責任重大よん♪いい加減なガイドしちゃ、失礼と!この二晩、旅行の計画練ったり、ガイドの内容勉強したり。茶を嗜まれてるとのことで、ここはやっぱり「茶面の大徳寺」!中心に計画。気に入っていただけるか???なれど、下記にて、ごあんなぁ~い♪AM 9:45 JR京都駅へお迎え参上。AM 9:55 タクシーで大徳寺へ。AM10:20 大徳寺南門到着AM10:00 龍源院か、大仙院か、いづれかの塔頭を拝観。AM10:30 近所の今宮神社へ行って、お参り! 1000年の歴史ある「あぶり餅」をいただきながら一服。AM11:00 大徳寺にもどって、塔頭 高桐院を拝観。AM11:30 大徳寺の非公開の塔頭(玄関先のみ)見学PM 0:00過ぎ 大徳寺を出てタクシーで河原町へPM 0:30 先斗町「□■○●」にて昼食。PM 1:30 先斗町周辺、木屋町、高瀬川を北へ、 維新の志士ゆかりの地散策。PM 2:00 徒歩で、三条大橋を渡り鴨川べりを南下、 祇園新町、辰己神社辺り散策。PM 2:30 徒歩で、知恩院の方へ移動。 知恩院をさっと見学後、丸山公園の方へ。PM 3:00 ねねの道を通って、高台寺へ。 石部小路の道を抜けて、 縁切り・縁結びの神様!安井金毘羅宮へPM 3:30 建仁寺を通って、祇園南!花見小路を歩く。 四条通を西へ、南座方面へ。 途中、目疾地蔵へお参り。PM 4:00 枳殻邸へタクシーで移動、拝観。 希望あれば、東本願寺、西本願寺へも。 西本願寺、タダ見の国宝「唐門」、日が暮れるまで眺めてもよいし。PM 5:00 JR京都駅へ! タクシーまたは徒歩(余力あらば)で。 お土産買って、寂しいけど!サイナラよん♪来京される皆様!顔見たこともなければ、生声!聞いたこともあらへん。分かっていることは、ユーモア解され性格が明るいって事だけ。赤いバラの花でも、胸に挿していこかしらん♪さぁ、そろそろ出立の時間!京都観光ガイド、初トライ!メッキ、はげてもかまわへん。世間話!アドリブかませたら、なんとかなるやろ。元気にいってきまっさぁ~♪
2007.01.27
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「フォーリーブズ、にしきのあきら以来や!」(おそらく、かみさん結婚前) 「あっ、友和も行った!前から4番目やった!」(間違いなく、かみさん結婚直後)『陽水もいったやんか!?』、「いや?誰といったん?」『神戸に一緒に行ったやん!覚えてへん?』「?????」、『………………』まっ、そんなことはどうだって!超久し振りということで、ライブコンサート!かみさんと、行ってまいりました。昨年、梅田阪急三番街で食事した後、応募してたら「ドリームライブプレゼントフェア」!抽選に当たったものです。 座席は当日抽選!行ったのは時間ぎりぎりだったけど、前から5列目、真ん中の端の座席!ラッキーでした。グラミー賞アーティスト、Peabo Bryson(ピーボ・ブライソン)を中心にLISA、小柳ユキ、K、それに司会進行役の別所哲也の5名の華麗なステージでした。彼らの持ち歌はよく知らないんですが、Kが歌ったビリー・ジョエルの「オネスティ」もよかったし、P.BとKのデュエットで歌ったサイモン&ガーファンクルの「明日にかける橋」P.Bと小柳ユキのこれまたデュエットの「美女と野獣」アンコールで歌ったP.Bの「ボディガード」のてテーマ曲も素晴らしかった。懐かしい歌の数々!プロ歌手の歌声は耳に心地良かった。ミーハーのジッちゃん!そばに来たP.Bと握手のオマケまでいただいた。「父さん、そんな大きな声出したらアカン!もう、皆寝てはんのやから」余韻冷めやらず、住宅の廊下!大声出して歌ってウチに向かってたら、かあちゃんに叱られた。ああ、今朝はねむたかぁ~!でもたまにゃ、ライブコンサート!いいもんやね♪終わって、梅田で遅い夕食!ウチへ帰って風呂入って寝たの、午前さま。寝坊して、さっき起きたトコ。皆さんとこへ、お伺いすることも出来んやったばってんたまにや、よかやろ?ごめんね。
2007.01.25
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<大徳寺塔頭 芳春院> 慶長十三年(1603)に前田利家の夫人松子(芳春院)が創建し、寛政十年(1798)、前田家の援助により再興。開祖は玉室宗珀(ぎょくしつそうはく)。横井等怡(よこいとうい)と小堀遠州作といわれるお庭があります。寛政十年に再建された呑湖閣(どんこかく)は、金閣・銀閣・飛雲閣(西本願寺)とならび京の四閣と称されてます。春と秋の特別公開時にしか拝観できないのが残念。昼前に、大阪市内へ!電車で出張。時間がなかったので、昼食!マクドナルドへ。ビッグマック注文したら、時間!少々掛るとか。どないしょ?思ってたら、「期間限定のメガマックならすぐ出来ますが!」と、お姉ちゃん。大口開けてかぶりついたけど、反対からハンバーグが飛び出してくるし、ビッグマックの倍だとか!食いにくかった。 りょう、熱出して保育園お休み!元気になったけど、2日連続で、孫達!我が家で夕食。ひとくち餃子発祥店「天平」の餃子が美味しかった。親戚のおばさんが、息子・娘へ!もらったお年玉のお礼にって!わざわざ自分で、一昨夜届けに来てくれたものです。「ああ、もう腹立つ~~!!」ブツブツ言いながら、焼いてたかみさん。もうちょっと、餃子!うまく焼けんかなぁ~。
2007.01.24
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寺社の国宝級の絵画などは、ほとんど複製画。本物は、ほとんど博物館!なかなか本物を見ることができませんが、建物は博物館で保管することも出来ず、近くで観る機会がある。 西本願寺唐門!七条通!龍谷大学文学部の前の道を進むと西本願寺の南境界、この国宝にぶち当たります。観光客はほとんど来ないから、タダでゆっくり観れます。桃山時代の伏見城の遺構といられ、豪華な装飾彫刻を全体に施した四脚門。建築細部にみらえる彫刻は、これを丹念に眺めていると、日の暮れるのを忘れるといわれ、たとえて「日暮門(ひぐらしもん)」といわれてます。早いもんで、とうま!いよいよ4月から、ピカピカの小学一年生。昨日は、小学校の学校説明会。娘が仕事の都合で行けないからって、かみさん!とうまを連れて小学校へ。とうまに恥じかかせないようにと、若づくりして出かけたらしい。どんな格好して出かけたんやろ?チャリもコマなしで乗れるようになったとか。夕食の食材、かみさんと!チャリで買いに行ってきたらしい。ということで昨夜は、久し振り!我が家で、孫達と一緒に夕食。どんな子に育つのか楽しみなんですが、いまんとこ、ファイヤーマン!消防士になりたいらしい。何故かって?今度発表会で、消防士の役やるらしい。単純明快よん♪りょうが熱があるからって、かみさん!座薬を入れようとするも、ワンワン泣きながら暴れてまくって、入れられない。娘と二人が掛りで、押さえつけてるも、かみさん・ママの腕や胸!蹴り倒して、なかなかうまくいかない。かみさん、馬乗りになって!やっとだった。りょうも力強く逞しくなったもんだと、変に感心。発表会じゃ、二刀流!宮本武蔵をやるらしい。
2007.01.23
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昨日は、ソフトの練習日。畑に寄って、小学校のグランドへ行ったら集合時間8:30に5分遅れた。『55番もちょうど畑から帰って来られたようだし、。。。。。』皆集まって、新人紹介が始まるトコだった。相撲部屋の新弟子みたいなゴッツイ新人(32、3歳?)が入部してきた。ピカ一のピッチャーらしい。ソフトはピッチャー次第だからね!チームは、これから強くなるよ。今年これで3回目の練習だけど、毎回集まりがいい。常に20人以上!中味が濃いく、練習も目新しく、楽しいってこともあるけど、今年は、皆燃えている!やる気が違う。昨日は、練習試合もやったけど打撃好調。前さばき!相撲みたいだけど、先週感じ掴めたのが持続してた。カッキーン!いい感じよん♪練習もちょっとハードになって、翌日!脚、腕、肩、腰、痛いって言う人がいたらしく、練習後はクールダウンのキャッチボールやストレッチ運動!新たに。クールダウンのあとは、元に戻しとかなアカン!?好きもん同士で、一杯やりに。 酒屋の横に専用テーブル・椅子運び出して設営!宴会のはじまり、はじまりぃ~♪バカ話!リラックスして飲める仲間との酒はうまい。「だいぶ飲んだん?」ウチに帰って、かみさんのベッドでうたた寝してたら、仕事から帰ってきたかみさんに起された。午後7時前!3時間ほどの、昼寝!?言うには長すぎた。疲れもすっかり取れて、昨日も!気持ちのいい休日だった。
2007.01.22
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冬とは思われない、よか陽気♪穏やかな午後の昼下がり。『はぁ~い♪げんきぃ~~♪?』と、声高らかに朗らかに♪思い出したように、会社から!かみさんに電話したら「もう、父さんったら!認知症とちゃう?きのうから何べんも言うてたやん!」と、怒った様子ながらも小声のかみさん。電話の向こうから、坊主のお経が流れてた。そういや、かみさん、親戚の法事に行く!言うとったなぁ~。『夕食は、今日は外食!チビちゃん達と一緒やったよな?』「食べることだけは、ちゃんと覚えてるやん!」そりゃ、人間!食べること忘れたら、死んじゃうやん。陽気よすぎて、季節感なくなると人間、頭までおかしゅうなってくる。 丸山公園の脇道を登っていくと、東大谷が見えてきて坂道は急勾配になってくるけど、さらに脇道を進むとどん突きに、長楽寺が見えてきます。知恩院から山沿いに歩いてもいけます。実は、当日(1月2日)はこのコース。 時宗寺院。山号は黄台山。本尊は准胝観音。延暦二十四年(805)最澄が天台宗の延暦寺別院として創建。至徳二年(1385)に国阿上人が時宗に改宗。東山の傾斜地沿いに、境内の高低差を利用して作られた庭は相阿弥(そうあみ)作と伝えられてます。 高倉天皇の中宮、安徳天皇の生母である建礼門院ゆかりのお寺といえば、大原の寂光院!ここで、その生涯をおくられたわけですが、実は壇ノ浦で安徳天皇らとともに入水するも、源氏方に捕らえられ京へ連れてこられて、落飾!出家されたのがこの長楽寺です。寺には建礼門院の遺宝が残されており、建礼門院十三重御塔が建てられてます。孫たちと一緒の夕食かと思ったら、娘が車で!親戚の家まで迎えに行ってかみさんを家まで届けただけとか。な~んだ、残念!かみさん、新チャリ!こっちは、ぼろチャリ。こいで、近くのファミレスへ。かみさん、キノコ雑炊!こっちは、辛口チゲ鍋ミニビビンパ付き。結局、かみさんと二人!静かな夕食だった。食べ終わって、かみさん「今日は会計、家計から?」『そりゃ、そういう状況やろ!?』、「どういう状況やねん?」孫たちが一緒だと、喜んで会計!出す気になるけんど、そういう状況よ!ジャンケンする気も起こらない。1万円札と小銭で278円!かみさんから、そっと手渡された銭もって会計へ。「お釣り、千円札しかないんですけど、いいですか?」レジの姉ちゃん。『ああ、そっちの方がいいよ♪お財布、ふっくらすっから!』お釣りの8000円!もらって、かみさんに手渡した。あっ!夕食代、バレたかな?
2007.01.21
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昨日は市内出張、大阪府庁へ!昼間の地下鉄は空いていた。小指がかい?かい??かい!?かい!!痒いのでした。うっつらコックリしてたお目々開ければ、目の前に蚊!右手の甲に止まろうとしてた。何故に、この冬場に蚊が?パッチン!ああ~、殺生してもうた!かぁちゃんゴメン。この時期蚊に刺されたのは、生まれて初めての経験。天変地異、起こらなければいいけど。。。。 釘抜地蔵(くぎぬきじぞう)!正しくは光明遍照院石像寺。本尊は阿弥陀如来。弘仁十年(819)に空海が建立し、のちに俊乗坊重源が浄土宗に改めたとか。通称の釘抜地蔵は地蔵堂の石造地蔵菩薩立像に由来します。もとは苦抜地蔵と呼ばれていたが、前世の罪で手の病気に苦しむ商人の夢に地蔵菩薩が現れ、手に刺さっていた二本の怨みの釘を抜いて救ったことから釘抜地蔵と呼ばれて、苦しみを抜くという信仰が生まれたようです。1月も、もうそろそろ末を迎えようとしてるとこに、昨夜かみさん!「クイズに出したら?」って、パッチワークカレンダー持ってきました。みなさん、もう必要ないかな?まぁ、そう言わんと。。。。、かみさん!折角、作ってくれたんだから。 前回の「とうまジィ~ジんチ検定」!新しいお友達には、ちょいと不公平感がありましたので、今回は公平なクイズにしたいと思います。さて、「京都検定」の試験発表が1月29日!近づいてきました。「落ちてたら恥ずかしいんじゃないの?」かみさん言ってましたが、あえてそれをクイズに。今回「京都検定」2級と3級の試験を受けました。いずれも100点満点の出題でした。合格・不合格の問題じゃおもろない。さて、今年初クイズ!とうまジィ~ジが獲得した点数は2級と3級!合わせて何点でしょうか?0~200点の間に答があります。回答をHPの「メッセージを送る」へメール願います。一番近い点数を回答された方にこのカレンダーを差し上げます。ただし、いつも来ていただいてる方に限ります。<ヒント>1.ウチへ帰って調べたら、間違い!結構ありました。(そら、そうやろ!)2.2級・3級、いずれも50点以上!これは自信ある。 (ほんまかいな?落ちたらどーすんねん!)3.合格ラインは2級・3級いずれも、70点以上。(60点以上と違うんかいな?)4.極めつけの、ヒント! これまで受けた試験!一度も落ちたことがないというジンクスの持ち主です。 (なにが極めつけや!そんな自信満々に書いていいんかいな!?)注記: ( )内はジィ~ジのヒントに対するかみさんのコメント!迷わされたらアカンよ。あはは。。。、神のみぞ知る。たくさんのご応募!お待ちしております。新しくお友達になられた方も、今回はご遠慮なくどーぞ♪
2007.01.20
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かみさん、昨日仕事お休み!バレーの練習日。「晩ご飯、適当に食べといてくれる?」練習終わって、新年会だとか。スーパーへ寄って、出来合いの夕食買って!ウチへ帰るとよそ行きスタイルのかみさんがいた。『新年会、これから?』「いや、それはもう終わった!」ジジィ放って、娘・孫たちとお出かけだとか。『ええなぁ~♪自分だけ!こっちだって、孫の顔みーたいわ!』「一緒に階段下りてくる?」かみさんと一緒に階段降りていったら、孫たち!娘の車の中でキャッキャ♪騒いでた。『いってらっしゃ~い♪』こっちは、みなさま!お見送りしただけだった。おっ、さむっ!ウチに戻って、一人夕食!おもろなかった。 大報恩寺(だいほうおんじ)!真言宗智山派、山号は瑞応山、本尊は釈迦如来。千本釈迦堂と通称されます。承久三年(1221)に求法上人義空が小堂を建て、仏像を祀ったのが起こりとか。応仁の乱をはじめ、幾多の戦火を奇跡的に免れた本堂(国宝)は、安貞元年(1227)の建立で京都市街地では現在最古の木造建築物です。ここに「おかめ塚」ってのがあります。この本堂の造営時!大工の棟梁、高次がなにやら失敗。そのとき、妻おかめのアドバイスにより事なきを得たとか。おかめは、女の提案で大任を果たしたことが知れてはと!上棟式を待たずに自害してしまった。高次は妻の冥福を祈り宝篋印塔(おかめ塚)を建て、おかめの名にちなんだ福面を付けた扇御幣を飾ったとされる。その後、大工の信仰を得るようになり今日でも上棟式にはお多福の面を着けた御幣が飾られている。度重なる戦乱にも残った本堂とも結びつき厄除、招福のおかめ信仰につながって福おかめ節分会ともいわれ、2月の節分におかめ塚で豆まきやおかめ音頭などが行われる。おかめさんへ!死んで花実が咲いたおかめさんでしたが、人間!自ら死んだら、やっぱあきまへん。逞しく、生きなくっちゃ!デシタネ。
2007.01.19
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ちっとも自然じゃ、ないやん!お寺の境内にあった自然の花園?? 12年前のお正月!転勤先の熊本で、以前の会社!全く自分の勝手で、辞めてしまいました。大阪へ引き返すために、かみさんと二人!引越しの荷造りしてたら、テレビに阪神大震災の画像が飛び込んできた。会社辞めたからといって、次の就職先が決まってない状態。裸一貫、子供らはまだ小学生!これから、どないして家族を養っていこう?テレビに映し出される地震で燃え盛る炎を見て、自分の先行きに非常に不安を感じたものでした。重厚長大の会社に就職し、20年ほど!石油精製、石油化学、肥料プラントなどの機器設計に携わってました。工場のある熊本へ転勤になったのは、44歳の時。ほとんどが海外へ輸出されるプラント機器!アメリカ、イタリア、韓国メーカーと国際競争!しのぎを削ってました。技術課長として、アメリカ・ヨーロッパ・アジアの海外のエンジニアリング会社・顧客との技術打ち合わせ!海外出張が多く、家族は放ったらかしたままでした。会社を辞めた前年のお盆過ぎ、アメリカ出張から帰ってきた翌日!吐き気をもようして、めまいがして!突然、歩けなくなったんです。数日間入院して、退院しましたが体調!思わしくなかったです。そんな時に分社化の話。新会社設立ための組織作り、体制作り!あけてもくれても、会議の連続。収めた機器のトラブルも発生して、疲れもピーク!精神状態が極限にあったんだと思います。病院へ行ったら、うつ病と診断されました。子会社といっても、100数十名の従業員がいる会社新会社では、取締役製造部長が約束されてましたから、待遇に不満があったわけじゃないんです。中学時代の恩師からは、『負け犬になるから辞めるな!立ち直れなくなるぞ!』言われました。心配して正月に駆けつけてくれた学生時代の友人からも、『辞めるな!』言われました。新会社へこのまま行ったんじゃ、精神・神経!狂ってしまうんじゃないか?子会社へ残るも地獄!辞めるも地獄!かみさんは、早く大阪へ帰りたい♪のんきなものでしたが、新会社が設立された1月初出の日!正月休みを終えて、大阪のかみさんの実家から帰ってきて新会社の社長に退職願を出しました。ハレンチ男!?会社の皆、ビックリしたんじゃないかと思います。負け犬になってしまいました。男、46歳!人生、初めての挫折をそのとき味わいました。大阪の家は人に貸したまま!自分の家へ帰ることも出来ず、引越しの家具を倉庫に預け、3ヶ月間、家族全員!かみさんの実家に居候してました。おそらく、あの会社に残ってたら!頭、完全に狂ってたと思います。辞めたあとは、非常に辛い思いをしましたが、救いだったのは、いつでもどんなときでも明るいかみさんと子供達でした。その年の5月に現在の会社に就職して、3年目で!やっと以前の自分を取り戻すことができました。何歳まで働けるか分かりませんが、拾ってくれた今の会社の社長には感謝してます。居候して、当時大変お世話になったかみさんのご両親は、もうこの世にはいない。阪神大震災の日が来ると、いつもこの辛かった日々のことを思い出し、今日の、この小さな幸せに感謝。
2007.01.18
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昨日紹介した高山寺の「鳥獣人物戯画」の中に、「相撲の巻」ってのがあります。相撲の歴史は古そうなんですが、先日通勤の車のラジオで聴いた話!むかし、相撲は吉凶を占うためにやられてたとのこと。吉組と凶組!相撲させて、いつも吉組が勝つようになってたらしいです。八百長はこの頃からか?いつも吉組が勝つとおもろないという天子さまがいて、真剣勝負させたら凶が勝ったとか。こりゃ、おもろいで♪てなことで、相撲が盛んになったとか。ウソのような、本当かどうか?分からないお話でした。 この雪!昨日じゃなかとですよ。昨日は暖かい雨の日でした。去年のことを言うと、鬼が怒る!?去年撮った寺社の画像がまだたくさん残ってるんです。怒らんと、観てくれる?実はココ、昨年末!雪の日に訪れた法輪寺。阪急嵐山駅から歩いて5分のところにあります。 通称は、「嵯峨の虚空蔵(こくぞう)さん」。和銅六年(713)に元明天皇の勅願によって行基が開創した木上山葛井寺(もくじょうざんかどのいでら)に由来。天長六年(829)には道昌が求聞持法(ぐもんじほう)を修めて虚空観音菩薩を感得して安置したと言われてます。この時に寺名を現称の法輪寺に改められたとか。十三まいり(3月13日から2ヶ月間)というのがありまして、数え歳十三歳になった子女が知恵や福徳を授かるためにここを参拝するそうです。お参りしたあと、渡月橋を渡りきるまで後を振り向いちゃいけないらしい。振り向けば、授かった知恵が落ちるとか。後振り向かないで、真剣に前を向いて歩く子らの姿が可愛いみたいです。 また、ここでは2月8日と12月8日!「針供養」が行なわれます。裁縫、手芸の上達を祈願するため!コンニャクを祭壇に供え、飾り糸のついた長い針を刺して供養するとか。皆さんには、関係おありでしょうが、針仕事!かみさんに全て任せてるウチの娘には、全く関係ありません。。。今日は阪神大震災が起こった日ですね、亡くなられて多くの犠牲者のご冥福をお祈りします。あれから、12年!別の思い出もあって、私にとって!今日は、とても感慨深い日です。
2007.01.17
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一昨年、夏!映画公開された「釣りバカ日誌16・浜崎は今日もダメだった」昨夜、テレビ放映されました。映画の初公開は、かみさんと観に行ったんですが、笑う場面じゃなかったのに、かみさんと二人!大笑い。皆に、ギョロッと!にらまれました。以前日記にも書きましたが、10秒足らず!私の義兄がエキストラで出てまんねん。劇場映画じゃ、アドリブのセリフ付きやったんやけど!テレビじゃ、消されてた。迫真の演技!?何度観ても、おっかしいです。今頃どなしてんのかなぁ~?町の大スター、てっちゃん♪会社を定年退職して、趣味で漁船買って!長崎で、釣り三昧の日々を過ごしてます。ええなぁ~♪うらやましかばい。栂尾(とがのお)山・高山寺(こうざんじ)!当初は神願寺 都賀尾坊(とがのおぼう)といってのを、建永元年(1206)に明恵上人高弁が後鳥羽上皇から当寺を賜って再興し、高山寺に改称。 国宝の石水院(せきすいいん)は明恵上人の庵室に由来しますが、もとは東経蔵であり、同時に春日・住吉の両神が合祀されてます。蔀戸(しとみど)を多用した住宅の趣を持ってます。 寺宝は多く、なかでも有名な国宝の「鳥獣人物戯画」は、長く鳥羽僧正の作と伝えられてきた絵巻物ですが、その内容や画風が各巻ごとに異なるため近年では複数の手によって順次描かれたものとされてます。また、同じく国宝の絵画として、「明恵上人樹上座禅図」「華厳宗祖師絵伝(華厳縁起)」「仏眼仏母図」などが有名で、同寺には国宝8点、重要文化財約一万点が所蔵されてます。 ここには、日本最古の茶園があります。茶が初めて中国から輸入されたのは平安初期のことですが、喫茶が本格的に普及するのは、鎌倉初期。栄西禅師が宗から臨済禅とともに茶種と喫茶法を伝えて以来のこととされてます。栄西禅師と親交のあった当寺の明恵上人が茶種をもらってこの地に茶園を造られたということです。鎌倉末期から南北朝時代にかけて、本茶とされた栂尾の茶と他の産茶を飲み分けて賭け物を争う茶寄合(闘茶会)が、武家や庶民の間に流行したそうです。日本全国のお茶は、ここ高山寺が出発点というわけです。
2007.01.16
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昨日は、ソフト練習日。風なく、寒くなく、よか天気!先週日曜日とは、雲泥の差。効率よく、飛び出してくる新練習メニュー!なにかしら、新鮮で、リズミカルで!体もよく動くし、気持ちいい。なんてったって、ダラッと!遊んでる時間が少ないのがいい。練習やってても、楽しい~♪って感じなんです。 『先週の練習、しんどなかったですか?』と、駆け寄ってきて新キャプテン。愛があれば、年の差なんて!?納得すれば、ジッちゃん達だって!若者に付いていくんです。昨日は打撃で前さばき、いい感じ!ヒント掴んだんです。今年は活躍しそうな予感!いや、活躍してみせまする~。「三尾(さんぴ)めぐり」といえば、高雄(尾)山・神護寺、槇尾山・西明寺、栂尾山・高山寺!これら名刹めぐりのことです。 槙尾橋を渡ってちょいと階段上ると、槇尾山・西明寺(さいみょうじ)!神護寺の階段より、ずっと楽ちんです。 西明寺!真言宗大覚寺派、院号は平等心王院。本尊は、釈迦如来。天長年間(824~834)に智泉(空海の俗甥)が神護寺の別院として開創したと伝えられます。西山の吉峯寺もそうですが、応仁の乱などの戦火により焼失した堂舎は桂昌院(徳川綱吉の生母)が元禄年間(1688~1704)に寄進したとされてます。高雄山、栂尾山と同様!秋は紅葉の名所です。明日は三尾、最後の名刹!栂尾山・高山寺、ご紹介します。遅い昼食、早目の夕食!ってなもんで、兼ねてかみさんと、安もんのイタリアンへ。食事終わって、「会計、とうさん?」、『じゃんけんしょっか?』「最初は、グー!いんじゃんホイッ♪」あはは。。。、ゴチになりましたぁ~♪かみさん、パァ~でんねん。今年、かみさんとのジャンケン!1勝1敗。勝負はこれからよん♪
2007.01.15
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いい天気に誘われて、一人!車で、京都高雄まで行ってきました。我が家から、1時間弱。車を茶屋に預けて、テクテクと!坂道下る。 清滝川に掛る高雄橋を渡ると、神護寺への参道が見えてきます。紅葉の時期には人でいっぱいなんでしょうが、この時期!訪れてくる人影なし。これも、なかなかいいもんで♪ 250段の階段と聞いてたけど、一段が幅広いんです。ふーふーいうて、登って来て!やっと山門が見えた時にはうれしくって♪ 登ってみると、当たり前ですが!平らでした。しかし、昔の人はこんな山の上まで!どうやって、寺の資材を運んだんやろ?先人のご苦労が偲ばれます。神護寺!真言宗の別格本山で、山号は高尾山。正しくは、神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)。延暦年間(782~)に和気清麻呂が河内国(摂津国ともいわれてる)に建立した神願寺を、天長元年(824)高雄山に移し、当地にあった高尾山寺と合併、勅願寺とされた。延暦二十一年(802)に最澄が清麻呂の招きで法華会を行い、大同四年(809)には弘法大師(空海)が入寺!名門中の名門のお寺です。弘法大師が高野山、東寺に真言密教の道場を開かれるのはここを出られてからのことです。 金堂!ご本尊の薬師如来立像が安置されてます。平安初期の一木造りで、国宝!なぜか、怒ったような顔をされてます。お寺の坊さんに聞いても、何故だか分からないとのこと。 大師堂!「弘法大師の納涼房(どうりょうぼう)」とも呼ばれ、小さな厨子の中に板彫弘法大師尊像を安置する住宅風の建物です。このお寺には寺宝がたくさんあります。国宝の「源頼朝像」、「平重盛像」、「藤原光能像」!これらは、現在京都国立博物館に保存・保管されてますが、5月、神護寺書院にて一般公開されます。現在最古の両界曼荼羅図である「高雄曼荼羅」(国宝)もありますが、痛みが激しく公開されないとか。他に、国宝として!と、書こうと思ったけど皆さん!興味なさそうなんで、これでヤンピ。 ここから、かわら投げ!ってのがありましてね、眺めは、最高!気持ちよかったです。デジカメのバッテリーが入荷したと、店から電話!受け取りに行ってきました。もうすぐ5年にもなる、時代もんで!お店にバッテリー置いてないんです。昨年末、頼んでたのがやっとこさ。これで、あと一年ぐらいは活躍してくれそうです。うれしいです♪昨夜は、孫たち!お泊り保育。かみさん、早速!水槽のエビ、見せていた。かみさん、腕によりかけて?焼きそば。『わーっ!大当たりやぁ~♪』と、とうま。一昨夜も、自分チで焼きそばだったとか。「あらっ、そう!?別の作ればよかったね」『いいよ♪すきやから』と、りょう。孫たち、なんも文句いわんと!なんでも美味しそうに食べてくれるからうれしいです♪
2007.01.14
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ウチへ帰ると、かみさん!古い水槽取り出して、洗ってた。『なにやってんねん!?金魚飼うん?』、「いや、エビや!」『飼ってどうすんねん?大きくして、てんぷらにして食べると?』どういう風の吹き回しか知らんけど、沼エビ!5匹買ってきたとか。夜、かみさんとショッピング!車に息子から、かみさんに電話!ウチへ帰ってきたら、誰もいなかったと。かみさん、なにやら息子に文句言っている。『どないしたん?』「区別すんのに、エビに名前!付けたかっていうんよ」ばっかじゃねぇか!名前付けたかて、小さなエビ、どないして区別すんねん!?買い物終わって、夕食!てんぷら屋へ。『沼エビって、どのくらい大きくなんのやろ?』言いながら、エビ天にかぶりつく。「ご飯とお味噌汁のお代わりありますから?」と、店のお姉さん!なにっ!?もっと早く言わんかい!!ちょっとご飯少ないと思ったけど、食事も終わりかけ。『ご飯と味噌汁、お代わりくださぁ~い♪かあさんは?』「そんなん、恥ずかしいわ!」味噌汁だけで、ご飯一膳!食べたったぁ~♪団塊世代、なめたらアカンでぇ~~♪東本願寺から東へ数分歩いたところに、渉成園(しょうせいえん)があります。東本願寺の別邸で、周囲に植えられた枳殻(からたち)の生垣にちなんで枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれています。 寛永十八年(1641)、この地を徳川家光から寄進を受けた本願寺宣如上人が承応二年(1653)石川丈山らとともに庭園を築き、別邸としたところです。この地は平安時代の初め、左大臣源融が奥州塩釜の風景を模して作った河原院に近く、作庭に際し、印月池と呼ばれる広い池を中心に、池には島を浮かべて石橋や土橋で結び、周囲には樹木を茂らせ、源融を偲ぶ名所も作られ、平安朝の面影を再現しています。 建物は蛤御門の変の火災後の再建でありますが、庭園によく調和した建物が配されてます。ここはJR京都駅から、15分くらいのところにあります。京都駅で一時間半、いや1時間!あれば、拝観して十分に戻れます。待ち時間!JR京都駅の地下で茶すするより、ずっとよろしいかと。京都タワーや高い建物が借景となってるのが、ちょい気になりますが、観光客も少なく、静かな雰囲気!一見の価値はあると思います。
2007.01.13
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泉涌寺道を下り、東大路通りを北へ少し歩いて行くと新熊野(いまくまの)神社が道路沿いに見えてきます。 永暦元年(1160)に後白河上皇が紀州の熊野権現本宮の祭神を勧請して、法住寺殿の鎮守とされ、社殿は平清盛の造営。室町幕府の足利義満がここで初めて観阿弥・世阿弥の能を見たとされてます。これをきっかけに、京都の武家・公家の支援を受けて能が大成されたといわれてます。その記念碑が建てられてます。東大路通り!JR東海道線を越えて、テクテク10分ほど歩いて、西へ坂道を下ると、三十三間堂の南大門が見えてきます。 三十三間堂は、長寛二年(1164)後白河上皇の勅願によって建立されたものです。その後、豊臣秀吉がこの近くに方広寺を創建した天正十四年(1586)には、その千手堂となった。そのときに秀吉から寄進されたのが本瓦葺き太閤壁で、家紋の桐紋が瓦に刻まれてます。ちなみに、南大門は豊臣秀頼により建立。 この地には、後白河上皇の宮殿「法住寺殿」があり高大な法住寺殿の一角に建てられたのが蓮華王院本堂、今にいう三十三間堂です。1月15日に近い日曜日!つまり、今度の日曜日(1月14日)には柳のお加持、三十三間堂通し矢が行われます。本堂西側(画像裏手)の射程60mの射場で行われる弓の遠的競技です。 三十三間堂の東向かいにある、法住寺です。院政期にはこの寺を中心に後白河上皇の宮殿「法住寺殿」がいとなまれた。法住寺は後白河上皇の御陵を守るお寺として江戸時代末期まで存続、明治期に御陵と寺が分離されて今にいたる。後白河上皇の御陵は寺左手!養源院との間の道を進み、右に曲がったところにあります。御陵への道は土・日、閉門!中は覗けませんでした。後白河上皇ゆかりの寺社めぐり!いかがでしたでしょうか?おそらく、どこの観光ガイドブックにも載ってないと思います。このコース!三十三間堂を拝観しなければ、全てタダ。必要なのは、健康な足だけ。とうまジィージ観光!?カラダが空いてれば、無料でご案内いたします。ご一報を。
2007.01.12
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孫たちがやってきたので、カニスキ。『たまねぎ入れてぇ?』『むっ!?玉葱ちゃう、葱やろ?』りょう、生意気に!?碗に箸指し、ポン酢に薬味の葱が欲しいと。『カニが一番美味しい~♪つぎは?』次から次!カニの身、孫たちにホジホジしてやってたら自分の食べるカニ、ああ~残こらへん。カニはあまり好きじゃなかとです。ってか、上等なカニ食ったことあらへんから、味!よーわからへん。ということで、口に入ったのは一杯の雑炊だけだった。泉涌寺の塔頭、今熊野観音寺から泉涌寺へ抜ける細い道があるんですが、その途中に、小さなお寺があります。 来迎院!泉涌寺の塔頭。藤原信房の建立で、荒神坐像は「ゆな荒神」といわれ、安産祈願の信仰を集めています。境内には弘法大師独鈷水(どっこすい)と呼ばれる冷泉があります。 おばちゃんが、托鉢スタイルの弘法さんの手に持つ皿に施し入れようと、投げ上げるけどなかなか皿に乗っからない。『お金、なくなっちゃいますよー!』「去年、乗ったんですー♪」言いながら、次々トライ!諦めない。なんぼ、小銭使われたんやろ?観たいお庭があったので、そちらへ行っていったら、「今日はお庭の拝観はお休みなんですが。。。」うしろから、お寺のおばちゃん!追っかけてきた。『遠くからきたとばってん。。。。。。、写真ちょっと撮りたいんやけどダメですか?』リュック背負って、首からデジカメぶら下げて!変な格好してるけど、悪人じゃなさそうだと思ったのか?必死で頼んだら、おばちゃん!タダ(通常拝観料:300円)で庭に入れてくれた。 実は、ココ!大石内蔵助ゆかりのお寺。山科に隠棲中の大石内蔵助が同士と密談したといわれるのがこの含翠軒(がんすいけん)で、庭とともに内蔵助の作とされてます。人里離れ、熊笹に覆われて!いかにも密談できそうなところでした。ちなみにウチでは、かみさん地獄耳!ナイショ話はでけまへん。
2007.01.11
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昨日、会社のSさんと大阪市内の役所へ車で出かけた。昼メシは、外食で!言ってたんですが、仕事すぐに片付いたから『会社へ帰って、弁当食べよか?』と、言い出すんです。なに!?外食すると言っときながら、なんじゃい。折角大阪市内まで出てきたのに、このまま帰っって、会社の弁当!食わされたんじゃかなわない。『近くに難波宮跡がありますよ!』『おっ!そこ、いってみよか♪』ご先祖が、太古の昔!大陸から渡ってきたということを小耳に挟んでたので、Sさん、乗ってきた。早速行ったら、大阪歴史博物館!月曜日、休館日の張り紙。あっちゃー!気を取り直して、頭めぐらす。大阪城には興味なさそうやしー。『あっ、大阪天満宮ありますよ♪』行ったら、これが大当たりだったんです。商売繁盛で笹もってこい♪60年ぶりに「えびす祭」が復活されたとか。昨日が「宵えびす」の日だったんです。Sさん、大喜び~♪こっちは、昼メシ!ゴチになるし福が飛び込んできたような日になった。 泉涌寺(せんにゅうじ)!斉衡三年(856)に藤原緒嗣が帰依した神修上人が法輪寺(のちに仙遊寺と改称)として創建したのに由来すると言われてます。そののち、画像の泉が境内に湧き出たことから、泉涌寺と改めたとされてます。 皇室との関わりが深く、御寺とも呼ばれてます。四条天皇を始めとして、後水尾・後光明天皇など二十五方の御陵が営まれ、皇室の香華院(菩提所)となってます。昔は仏堂に近づくとこも許されず、この坂の上からしか拝むことが出来なかったらしいです。 仏堂の横の坂を登りつめ、左に入ったところに楊貴妃観音堂があり、聖観音像が安置されてます。玄宗皇帝が楊貴妃を偲んで香木をもって造らせたものと伝える宗伝来の像で、通称、楊貴妃観音といわれてます。美人祈願の女性の参拝者が多いらしいです。皆様も、どーぞ!手を合わせてくださいませ。いまさら、よけいなお世話だって?失礼しやしたぁ~♪
2007.01.10
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よーし!今日は、お寺に一番乗りだぁ~い♪勇んで出かけて、京都東山にある泉涌寺入口門!8時半到着。お寺の開門は、9時!ちょいと早すぎた!?と、思ったらなんか、へん!様子が変なのよ。警官が立ってて、交通整理してるー。『今日、なんか行事があるとですか?』『七福神めぐりですよ』 泉涌寺の山内の塔頭に七福神が祀られており、毎年成人の日に「泉山七福神めぐり」が行われてます。なにベンキョしとったんやろか?すっかり忘れてた。 即成院(そくじょういん)!寺名にちなみ、ポックリ信仰の寺として有名です。那須与一ゆかりのお寺であり、境内には与一の墓とされる塔があります。「願いが的へ」の旗ざお・ちょうちんがおもしろい。そのまま小道を抜けていくと、戒光寺! 「お接待 あずきがゆ」先着参千名まで!笑う角には、福来る!?早起きは三文の徳!ご相伴にあずかった。 季節の京料理!毎月決まった日に食べるものとして、1月はこんなものがあります。元旦 白味噌の雑煮(丸子餅、かしらいも、雑煮大根、小芋) 今年一年、まるく人と争わないようにすべてが丸く、 家長は出世して人の頭になるように願いを込めてかしらいもを食べる。三が日 にらみ鯛(塩焼き)四日 鏡開きで水菜の雑煮七日 七草粥十日 十日えびすには糸かけの鯛十五日 あずのおかいさん(小豆粥)二十日 骨正月 ぶりやさけのアラでおだい(大根)をたべる。昨日のあずのおかいさんは、成人式が15日に行われていたときの名残だと思います。 今熊野観音寺!泉涌寺の塔頭で、西国三十三所観音霊場の第十五番札所。後白河法皇の病気平癒の伝承から中風・頭痛平癒観音として知られてます。ここでは、こぶ茶の接待を受けました。昨日は、泉涌寺域内全てのお寺の拝観料もタダ!たまにゃ、こんな日もあってよか♪
2007.01.09
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雨は降らなかったけど、風強く!風が止んだかと思えば、今度は横殴りのベタ雪。厳しい気象条件下で、ソフトの初練習が行われました。今年から、監督とキャプテンが変わりました。昨年はAリーグに所属してるけど、成績はイマイチ。負けない野球!勝てる野球をしようと、今年は皆張り切ってます。今度のキャプテンは若手バリバリ、Aリーグでもピカ一の名遊撃手。ジッちゃん、20年以上チームに所属してソフトやってますが少年野球を経験してないから、全て自己流。昨日彼から、捕球姿勢・捕球方法を教わりました。ああ、そうなんだ!と、感心することしかり。練習方法も変わりました。皆を遊ばせない練習!年寄りには、ちょいとハードでしたが、雪の中、気持のいい初練習でした。この年で、上手くなるのはなかなか難しいことですが、少しでも上達したい!そんな気持をもってます。スポーツは、やっぱりちゃんとした指導者のもとでやらなきゃダメ!痛感いたしました。会費も一年間分払ってきたしー♪今年も楽しくソフトが出来そうです。禅宗(臨済宗)の寺格を表わす言葉で、五山十刹があります。京都では、南禅寺を五山の上位に置き、天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺を京都五山といいます。大徳寺は、京都五山に入らず、十刹の九位にとどまっていますが勅使門から山門、仏殿、法堂、方丈と南北に堂々とした伽藍が建ち並び、歴史ある建築物、名庭園、優れた美術工芸品をもつ20以上の塔頭があります。観光京都五山!?の上位に置きたいくらいのお寺です。 勅使門!内裏の門が下賜されたもの。大燈国師(宗峰妙超)が赤松則村の帰依をうけて紫野の地に小庵を建立し「大徳」と名づけたのに由来します。建武元年(1334)後醍醐天皇により「本朝無双の禅苑」として京都五山の上に置かれ、寺域が拡大しましたが、夢窓疎石に帰依した足利尊氏が政権を執ると急速に衰退。その後、堺の豪商尾和宗臨や連歌師宗長などの援助を受けて再建した。 千利休の帰依を受けて以来、茶道との関わりが深く俗に「大徳寺の茶面」と称されてます。塔頭には多くの有名な茶室があります。ちなみに、この山門(金毛閣)の二階部分は千利休によって増築されたものです。千利休が秀吉から切腹を命じられた理由は諸説いろいろあるようですが、自身の雪駄履きの木像をこの山門の二階に設置し、その下を秀吉に通らせたのがその理由の一つとされてます。 中に入れませんでしたが、玄関、方丈は国宝指定を受けてます。方丈前庭にある唐門も国宝!聚楽第の遺構とされてます。什宝には、国宝にしていされてる牧谿(もっけい)の代表作「観音猿鶴図」があります。 ここには有名な塔頭がたくさんありますが、公開されてるのは龍源院、高桐院、大仙院、瑞峯院の4カ所。今回訪ねたのは、大仙院!でも、寺内撮影禁止だったのは残念。本堂(方丈)は室町時代に建てられたもので、国宝。室町時代の庭園を代表する枯山水庭園でも有名です。 ここには七世沢庵和尚が宮本武蔵に剣道の極意を授けた処といわれてる北の書院「拾雲軒」もあります。その外の塔頭の玄関先の画像!撮ってきたんですが、長くなるのでこの辺で。昨日は七草粥の日!我が家でも恒例の味噌味七草粥をいただきました。菜の花の漬もんも美味しかったよん♪
2007.01.08
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『よー雨、降らしてくれたな!』かみさん昨日、大雨の中!初出勤。現役バリバリの雨女です。今朝のお天気どうじゃろか?今日は、ソフトの初練習。すでにユニフォーム姿で、日記書いてますんやけど。といっても、集合時間まで!あと2時間あまり。今朝はうれしさのあまり、起きてすぐ!パジャマからユニフォームに着替えたのでありました。思えば、昨年の今頃は右鎖骨骨折!ボールも握れない状態。こうして、今年初練習!元気にソフトが出来る幸せを喜んでいる次第です。きゃっきゃぁ~♪ということで、今日は球技の神様!ご紹介します。 白峯神社!場所は、上京区今出川通堀川東入飛鳥井町にあります。慶応四年(1868)明治天皇が讃岐の白峰から崇徳天皇の神霊を、のちには淡路の天王森から淳仁天皇の神霊を皇室鎮護の神としてこの地に移して創建された。 この地には蹴鞠・和歌の宗家である飛鳥井家の邸宅があり、末社の地主神社に蹴鞠道の神である精大明神を祀る。神社にはサッカーボールのほか、バレー、バスケ、野球などなど。競技用のボールがたくさん奉納されてました。 オガタマノキ!樹齢数百年といわれてます。春に芳香のある花を咲かせ、その名は招霊(神霊を招く)が訛ったものともいわれています。京都市指定の天然記念物です。ところで、この神社!昨年末に訪れたトコです。怪我せんと、いつまでもソフト続けられますように!って、拝んだんやけど年明けて、ご利益!効き目あんのやろか?お正月、歩け歩け!でしたからね、体調!すこぶるよ。まぁ、とにかく!いってきまっさぁ~♪
2007.01.07
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東山、円山公園から二年坂、産寧坂へ続く道に「ねねの道」というのがあります。その道の山手にあるのが、この高台寺!豊臣秀吉の供養のために、慶長十一年(1606)に正室の北政所(高台院)が徳川家康の援助を受けて建てたものです。 前身は北政所が生母を供養するために立てた康徳寺。正しくは、高台寿聖禅寺!臨済宗建仁寺派のお寺です。江戸時代、度重なる火災にあったけど、創建当時の建物が多く残ってます。寺内を拝観するのは、今回初めてです。 開山堂の西の偃月池(えんげつち)の中央には屋根付きの楼船廊(ろうせんろう)が掛けられ、東の臥龍池(がりゅうち)には、霊屋(おたまや)に向かって臥龍廊(がりゅうろう)が登っています。秀吉と北政所を祀る霊屋は檜皮葺の宝形造りで、内部須弥檀・厨子の蒔絵装飾は高台寺蒔絵として知られてます。「ネネさん、立膝立ててるね♪」かみさん!北政所の木像、観て。霊屋の北政所像は立膝立てて座られておられます。韓国では現在でも女性は立膝立てて座りますが、日本でも室町時代、安土桃山時代!男性は胡坐(あぐら)、女性は胡坐に片膝立てて座るのが常識だったとか。現在の正座は江戸時代、武家の礼儀作法として生まれたもの。こっちの方が歴史が浅かとです。ちなみに、仏像が立膝立てて座っておられる姿は、輪王座といって左足の裏に右足の裏が重なった座り方をされてます。こうしてみると、立膝立てて座る女性!決してお行儀悪いんじゃありません。と思うのは、ジジイだけ!?他の男性の前じゃ、通じませんことよ。でも、ネネさん!この時代には珍しく、77歳の長寿でした。長生きしたけりゃ、亭主先に逝ってもらって!立膝立てて座って生活するのが良いみたいです。勇気をもって、どーじょ♪ 霊屋・観月台とともに伏見城の遺構として、傘亭・時雨亭があります。傘亭の名は、丸竹の垂木を放射状に配した化粧屋根裏に由来します。時雨亭は珍しい二階建て茶屋で、納涼と展望を目的として造られてます。吉野太夫遺愛の吉野窓を持つ遺芳庵も、ここにあります。昨日、かみさん!お姉さんと大阪の繊維問屋へ。電話したら、ちょうど買い物の真っ最中!『シャツもあるしー、パンツもあるしー、靴下もあるしー!何買ってもらおっかな?』「そんなん、考えんでいいでぇー!」プッツン!電話切られてもうた。 ジジくさいカーディガンと地味なポロシャツそれに、傘2本!いつも傘、どこかに忘れてくるからって。かみさんから、お年玉!?現物支給。さて、どこ着てこ♪
2007.01.06
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知恩院!これまでなんども訪れたことはあるけど、ちょいとオベンキョ♪知ったかぶりの虫が騒ぐ。 三門は国宝で、徳川秀忠によって元和七年(1621)に建てられ、現存する二階建ての二重門としては最大のもの。そんなこんなをかみさんに、チャラチャラ♪得意げに説明してたら、「門の屋根の下の木組は何造りっていうの?」、『うっっっ………』「木の先の白いのは何のため?」、『うっっっ…………』「なにベンキョしたん?」かみさんの素朴な質問に答えられんかった。きしくも、同じ質問を人力車に乗ってたお姉さんが尋ねてた。『白いのは木の断面が腐れるのを防ぐためですよ!』人力車の兄ちゃんが答えてた。浅学非才!薄学自認、ちゃんチャン♪ 法然上人の御尊像(御影)を安置する御影堂(大殿)は、徳川家光により寛永十六年(1639)により再建されたもので、これも国宝に指定されてます。ちんたま~の七不思議♪ゴムでもないのにのびちぢみ~♪竹でもないのにフシがある~♪ああ~ ちんたま~の七不思議♪。。。。。。。。。。。。あるんです!知恩院にも、七不思議。1.鴬張りの廊下 2.白木の棺 3.忘れ傘 4.抜け雀 5.三方正面向きの猫6.瓜生石(うりゅういし) 7.大杓子(おおしゃくし)長くなるから説明やめますが、どうしても知りたいのがあれば。。。なぬっ!?アレの七不思議の続きが知りたいってか?そりゃ、ダメ!謎のまんまが、よかっ♪ 方丈前の庭園は小堀遠州の弟子の僧、玉淵坊(ぎょくえんぼう)の作とされてます。方丈東の庭園は、比較的新しいもので「二十五菩薩の庭」といわれてます。二十五菩薩といえば、速度感あふれる描き方から「早来迎」の別名をもつ国宝「阿弥陀二十五菩薩来迎図」が寺宝としてあります。正月早々、お寺の話もなんだかパッとしないし!この辺で♪正月休み中、酒あんまり飲まんと!ずっと動き回ってたんで体調快調、初出勤!スムーズなスタートが切れました。
2007.01.05
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かみさんと一緒に歩くと、ちんたら!歩いた気がしない。物足りんかったので、昨日!15kmほど、一人歩きしてきました。地下鉄烏丸線、北大路駅からテクテク!賀茂川べりを北へ。お正月三が日は、神社の方がイイ!って、かみさんが言うんです。 上賀茂(かみがも)神社!下鴨神社とともに賀茂社と総称し、当社を上社!下鴨神社は下社と呼ばれてます。5世紀にこの流域に移住してきた列島内移住者、賀茂氏の氏神が祀られてます。上・下でカモの字が違うのは、どうしてそうなったのか分かりませんが、カモ川も、賀茂大橋の上流で高野川と合流するまでを賀茂川(または、加茂川)、合流してから、鴨川!と、通例表記されてます。正式には、源流から全て鴨川だそうです。上賀茂神社は上流、下鴨神社はその合流地点近くにあります。 朝早かったんで、タイミングよく朝の神事に出逢えました。祭神は賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)。正しくは賀茂別雷(かもわけいかづち)神社といいます。「葵祭」でも有名です。下鴨神社とともに、世界遺産に登録されてます。ちなみに、下鴨神社の祭神は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、玉依媛命(たまよりひめのみこと)。上賀茂神社祭神、賀茂別雷大神の祖父と母にあたります。正式には、賀茂御祖(かもみおや)神社といいます。 境内には清らかな川が流れていて、玉橋の下の流れは御物忌(おものい)川といい、御手洗(みたらし)川と合流して「ならの小川」となります。 この庭で、4月第2日曜日に「賀茂曲水宴」が行われます。平安時代の宮中の遊宴再現で、平安王朝の衣装の歌人が水の流れを前に優雅に和歌を詠みます。「曲水の宴」は城南宮でも4月29日に行われます。 上賀茂神社門前の明神川沿いの一帯は社家(しゃけ)町と呼ばれてます。社家とは、神社に仕える神官の住居です。京都市内に4つある伝統的建造物保存地区の一つで、「上賀茂伝統的建造物保存地区」として指定されてます。さぁ、今日から会社!仕事が上手くいってこそ、楽しく遊べる!ちゅーもんです。がんばらなくっちゃ♪かあちゃん、みなさん!いってきまぁ~す♪むっ!?ゴメンよ、かあちゃん。ま~だ夢ン中♪
2007.01.04
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かみさん、強烈な雨女!こっちも、それに負けないくらいの晴れ男!でも、今年はかみさんの運気が強そうだ。雨の中、昼メシ兼ねて!かみさんと、初詣。電車で四条河原町に着いたのが、ちょうど昼の12時!昼メシ!1時半の予約入れて、八坂さんへ。 やっぱり雨で人出はいつもより少ない。今年の初おみくじ引くことに♪『おっ!全く同じみくじやないか!』第十四番末吉!かみさんと全く同じだった。「わぁー♪すごいですねぇ~♪」巫女さん、喜んで♪『ねぇ、なにがすごいの?なんかいいことあんの?おしえて?』「………………」巫女さん、キョトンとしてた。みくじ、よー混ぜとかんとアカンでぇ~♪八坂神社を出て、知恩院へ。方丈庭園を拝観して、大鐘楼へ!坂道登る。 大晦日の「ゆく年くる年」、知恩院の除夜の鐘!テレビで観ませんでしたか?17人の僧侶によって、撞かれる除夜の鐘!迫力ありましたねぇ。これが、その鐘!延宝六年(1678)建立、重さ70トンの銅鐘です。そこから、長楽寺、東大谷!訪ねたら、1時チョイすぎ。先斗町にあるメシ屋へ向かった。かみさんと京都へ来ると、最近ランチはいつもココ。こじんまりした店で、京都の食材をふんだんに使った料理!なに出てくんだろうと、いつも楽しみなんです。 アンティパストミスト!紅芋のマスカルポーネ、芋チップ添えかぼちゃの冷たいスープ ~グリッシーニと供に~くみあげ湯葉の柚子風味ソース 福島県産メヒカリの炭火焼おぼろ豆腐と揚げ湯葉のせハリハリサラダメヒカリは以前お友達にいただいて食べことあるんですが、ジューシーな白身魚!とても美味しかったです。 京生麩のココット煮グラタン!アツアツの生麩にチーズがマッタリ絡んで不思議な食感でした。サイコロステーキ ~大根おろしポン酢ソース~海鮮sushiロール ~スイートチリソース~最後のデザートは、黒ゴマのジェラートメニュー!覚えきらんかったから、お店の馴染みのお兄さんにいただいたもの。そのまま書いてますー♪少なからず、多からず!ちょうどイイ分量でした。食後、拝観券残ってた知恩院!宮崎友禅ゆかりの庭園へ。続いて、高台寺!小堀遠州作庭園拝観して、遺芳庵、方丈、楼船廊、開山堂、臥龍廊、霊屋の高台寺蒔絵、傘亭、時雨亭などなど。ここにはお宝、いっぱい眠ってました。かみさんに、石部小路!案内したくって♪狭い路地通って、帰途につきましたとさ。お店を出た時には雨上がって、晴れ男!面目躍如ってとこよん♪
2007.01.03
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元日は、孫たちやってきて楽しい一日でした。よろこんで~♪夜は、ジッちゃん!腕ふるって、長崎皿うどん作りました。美味しい~♪みんな、言ってくれました。平安中期、阿部清明(あべのせいめい)って天文学者がいて星座の急変するのを見て花山天皇の退位を予知したとされてます。寛弘四年(1007)に一条天皇の勅により、その阿部清明邸宅跡に建てられたのが、この「清明(せいめい)神社」です。(画像は年末に撮ったものです) 境内の「清明井」は、清明の念力で湧き出たといい、飲むと悪病難病が治ると伝えられてます。現在は方除け、火災除け、病気平癒の神として信仰されてます。朝、年賀はがき!ポストに取りにいったら、社会保険庁からの封書が入ってた。封を切ったら、「年金見込み額のお知らせに」について!やって。なんで目出度い元旦に、こんなもん送ってこなアカンのや!?こらっ、社会保険庁!ナメとんのかぃ!?35年間も働いとんやぞ、もっと出さんかぁ~い!!珍しく言葉を荒げたくなるような「年金見込み額」でございました。こりゃ、70歳まで働かなアカン!でも、70歳になってもまともな年金もらえるかどうか?わからへん。団塊世代は死ぬまで働き続けなアカン!宿命的な状況下に置かれています。いつまでも、元気な体!もっと鍛えとかなアカン。決意を新たにしたのでありました。そんなこんな話!かみさんとしてたら、息子!『はい、これっ♪』って、かみさんとジッちゃんにお年玉。息子にお年玉もらうようになっちゃ、おしめぇ~よ!突っ返してやろうと思ったけど、けど、けど、けんど!ここは、息子からの「はじめてのお年玉」!グッと堪えて?素直にいただいた♪『カツにお年玉もろうたぞー!!』娘に聞こえるようにいったら、娘、向こうでニコニコしてるだけだった。『ジィージ、お年玉いるの?』とうま!ジッちゃんのトコやってきて、100円玉1個、お年玉!?置いてった♪あはは。。。娘にゃ期待でけへん。孫たちよ~!早く大きくなっとくれ~♪
2007.01.02
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新年、明けましておめでとうございます。2007年が皆様にとって、良い年でありますよに。新年の門出祝って、今朝は「首途(かどで)八幡宮」です。(画像は、年末に撮影されたものです) 平安京の内裏は現在の京都御所より、ずっと西に位置してました。ここは大内裏(だいだいり)の北東に位置するために王城鎮護の神とされ、「内野(うちの)八幡宮」とも呼ばれていました。この地にはかって、金売吉次(平安時代の伝説の商人)の屋敷があったといわれてます。思ってたより、小さな神社でした。 承安四年(1174)に牛若丸(源義経)が奥州に出発する時に道中の安全を祈願したことに由来するとも、寿永年間(1182~1185)に義経が平家追討の首途(かどで)にあたり、宇佐八幡宮の神霊を勧請したことにちあむともいわれています。この故事により、「旅行の安全」を祈願する信仰があります。「長崎は雨だった」!昨夜の紅白歌合戦で久し振りに、一緒に歌った。若い頃、この歌!十八番だったんです。でも、クールファイブ!年とったにゃ。年寄りの、ロンゲ!寂しいもんがあった。ゴスペラーズの「ふるさと」!これも、一緒に♪これって、カラオケで高得点が出るんです。3年前、この曲でかみさんのおふくろさん!身内のカラオケ大会で優勝したのを懐かしく思い出した。「それじゃ、よいお年を~♪」って、かみさん。大晦日の夕方まで働いてましたからね、紅白歌合戦の途中で寝てもうた。こっちも、トリのサブちゃんの「まつり」!もう聴きアキタと、かみさんに続いた。淀川の河川敷へいって、初日の出!拝んできましたぁ~♪午前7時16分!向こうのお山は、生駒山。 家族が元気で、明るく!と、手を合わせました。今年も良い年になりますように!って、HPへ来られる皆さんのも、合わせてお願いしておきましたから。今日は新年にふさわしく、良いお天気のようですね。娘家族が我が家にやってくることになってます。楽しい一日になりそうです。皆様も、楽しい新年をお過ごしくださいませ。今年も、ヨロシクね♪
2007.01.01
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