『福島の歴史物語」

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2007.11.15
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「斉藤道三と織田信秀が講和し、道三の娘が、信秀の子・信長と結婚した」
「フランシスコ ザビエルという南蛮人が、鹿児島に入った」
「斉藤義龍が、父の道三を殺した」
「織田信長が、今川義元を田楽狭間に破った」
「南蛮交易により、平戸 堺 長崎の港が栄えている」
「武田信玄と上杉謙信が川中島に戦い、信玄が負傷した」

 翌年、月斉は大槻の西の山口館を奪った。これで大槻城は、西南東を田村勢に囲まれたことになった。大槻城主・伊東高行は、北方を迂回して会津に逃れた。
「月斉叔父も、暴れておるのう。これで会津に対して、山口より今泉まで、強力な防衛線が出来たことになるのう。それにしても、安積をしっかり押さえんとな」
「はい父上。山口館と大槻城を押さえたことで、我が家の地盤はより強固となり申した。それに岩瀬庄に進出していた輝宗殿もまた、長沼城をも陥としたそうにございまする。この戦いで会津勢は、猪苗代湖南の地まで駆逐されたそうにございまする」
「ほほう、伊達の輝宗がのう。それでは会津勢は、勢至堂峠に追い上げられたことになるのう。すでに我が方は、会津勢を中山峠に追い上げておる。これで会津は、身動きがならぬのう。目出たいことじゃ。しかし西はそれでよかろうが、南も注意せねばならぬのう」
「南と申しますと、常陸の佐竹でございまするか?」
「さよう、石川はすでに常陸佐竹の傘下。ここで須賀川の二階堂が常陸を恐れ、苦しまぎれに組まれると、何かと患わしいのでのう」
「それではそうなる前に、我が軍を、須賀川へ進駐させるようになりましょうや?」
「うむ。ただここで、先にこちらから手を出すべきか、どうかじゃが・・・。先に手を出せば、佐竹に攻撃の言質を与えることにもなろうしの?」
「しかし父上、じっとしていても、佐竹は手を出してくるかも知れませぬ」
「・・・じゃが考えてもみよ。佐竹は、石川と二階堂には声をかけながら、何故我が家には、声をかけぬ?」
「・・・恐らく、我が家がなびかぬのを、知っているのでございましょう。田村家がここに存在すること自体が、彼らにとって脅威なのでありますまいか?」
「なるほど、そう思うか?」
「さすれば、田村家がここに在ること自体が、我らの生きる意義になるのではありますまいか?」
「さよう清顕。勝っても自分、負けても自分じゃ。かくなる上は、勝たねばならぬ。その相手が常陸の佐竹であろうが、会津の芦名であろうが、それは問題ではない」
 そう言うと、ニヤリとした。

 その翌年、隆顕の予想通り、常陸佐竹氏は、石川氏と須賀川の二階堂氏と結んだ。
「やはり須賀川の二階堂め、田村を離れたわ。それにしても岩瀬の二階堂は、伊達輝宗と田村についているのじゃから、
ややこしい話しになるのう。それはそれとしても、月斉叔父の守る今泉方面が騒々しくなるのう」
「はい。会津芦名は伊達の晴宗と結託して、伊達の輝宗殿に取られていた長沼に、逆に攻め込んで来ました。大いに怒った輝宗殿は、岩瀬の二階堂と月斉叔父と組み、伊達の晴宗と会津の連軍に戦いを挑んでおりまする。そうしておいて輝宗殿は、磐梯山南麓の桧原口にまで兵を進め、会津勢の背後を攻めたそうでございまする」
「またも伊達の騒動よのう。全く周囲に迷惑なことじゃ。何故晴宗は、一族の中でも協調出来ぬのかのう」
「それにしても、常陸佐竹・石川・須賀川二階堂勢の連軍と、田村・伊達輝宗・岩瀬二階堂の連軍、さらに会津芦名・伊達晴宗勢の連軍が対立するという、訳の分からぬ三ツ巴の妙な構図になりましたな。伊達も伊達なら二階堂も二階堂というところでございましょうが?」
「じゃが、常陸の佐竹も苦しいからのう。奴らは、先年より関東南部を小田原の北条氏康に侵食されており、それに押し出されるように北の仙道に向い、白河領の寺山城を陥としておる」
 寺山城は、白河の南東に四里ほどのところにあった。現在の茨城県境からも、十五キロほどのところであるから、常陸佐竹氏の白河小峰氏に対する圧力は、相当に強力であったと思われる。
「いやはや父上、それにしても、佐竹の勝手な論法だけで攻めて来られては、こちらは、たまりませぬな」
「うむ、それでじゃ。圧迫された白河の小峰は、会津の芦名と談合すると小田原の北条氏康に願い、常陸佐竹を攻めてその
軍勢の進撃を止どめようとした。しかし越後の上杉謙信が上州より関東を窺っているため、小田原の北条氏康は動けなかった」
「なるほど。そんな大きなことがあったのでございますか。でも、これまた良く考えぬと、訳の分からぬ動きでございまするな?」
「うむ。そこで白河の小峰は、会津芦名の協力を得て寺山城の奪還を謀ったが、これを取り戻すことは出来なかった。その上、常陸佐竹勢は、更に白河と会津の勢力圏に侵入してきた。会津芦名は、岩瀬庄に有力な根拠地を持っていない。岩瀬の地を我が田村と伊達輝宗に阻まれて、会津の芦名も辛いところよ」

 翌年、会津と伊達晴宗勢は、再び長沼を攻めて来た。伊達輝宗は岩瀬二階堂と月斉と共に、ここを守っていた。しかし伊達
輝宗は、相馬とも戦闘中であったので、両面作戦の不利を感じて岩城氏の仲裁を得ると、長沼城を会津芦名氏に与えて和を結び、相馬との戦いに兵を集約してしまった。
「全く伊達にも、困ったものよ。我が方に相談もなく、勝手に長沼より兵を引いてしもうたわ」
「月斉叔父の今泉城が、会津との最前線になってしまいました」
「うむ・・・。まあ、今のところ、それはそれとしても、常陸佐竹・石川・須賀川二階堂の連軍が、岩瀬庄を全面的に確保しようとしてきておる。厳しい状況となってきたのう」
「やはり父上。常陸佐竹は、伊達勢の引き揚げに伴う、軍事的空白を突こうとしているのでございましょうか」
「うむ。それに間違いあるまい。現に会津の芦名は、この連軍に対処するため、わしに助勢を要請してきおった」
「会津が・・・? 今まで安積、岩瀬を巡り、あげくに伊達の晴宗派となって我が家と反目していた、会津の芦名がでございまするか?」
「さよう。確かにこれはおかしいことじゃが、今は我が家も、常陸佐竹勢を抑え込むのが、焦眉の急であろう。強力な大軍が、目前におるのじゃからのう」
「すると父上。会津の芦名と手を結ぶのでございまするか?」
「うむ。とにかく常陸佐竹勢の攻勢を避けるには、それしか手だてはあるまい。これが次善の策、というものよ。それも、芦名からの依頼となれば、やりやすかろう」
「しかし父上。もし、それがうまく行って、常陸の佐竹を駆逐したとして、その後の会津芦名との関係は、如何が相なりましょうや?」
「うむ。もし、この機会に会津芦名との和が成れば、たしかに西は安定するが、芦名とて、そうばかりは考えてはいまい」
「さようでございますな。安積、岩瀬は仙道のかかる土地。会津の芦名としても、垂涎の地。我が家としても妥協し兼ねる土地。いづれ気は、許せませぬな」
「そうじゃ。いづれにしても、この地の確保が我が家安泰の生命線なれば、是が非でも、常陸の佐竹を駆逐せねばならぬ。そのための和合じゃ。ここは目をつぶってでも、会津と手を組む他はあるまい」
 やがて、田村氏と会津芦名氏との同盟が成立した。この連軍は、常陸佐竹勢の前衛であった石川に攻め入った。この時の威力凄しく、常陸佐竹・石川の連軍は、策の施す手だてがないという状況であった。
 月斉はこの時、月斉陣場に本営を置いて戦った。月斉陣場は、寺山城よりさらに北、四里のところにあった。
 清顕がこれらの戦いを終えて戻ったのは、春も終わりの頃であった。
 少しは平穏になったかと思える時期であったが、今また、
「織田信長が美濃を攻略し、上洛を果たした」
とか
「武田信玄が、子の義信を殺した」
などという血生臭い様子も報告されていた。







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最終更新日  2007.11.15 10:08:19
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