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「日本民族とは、何を考えているか分からない民族である」
アメリカ人とは、まったく価値観が別であった。この時代にも、日本の国内では人が世を捨てるということ、つまり国家と個人は別という考えはあった。しかし移民たちにとっては、人間と日本人が同意語であった。そのため海外に出た日本人が、日本を捨てるということはあり得なかった。だから移民たちには、アメリカ人の主張に対して何かどうしようもなく固いものが、その心の中に詰め込まれてしまったのである。そしてこの思いこそが、日本人を嫌悪する日本人を生むことになってしまったのである。
大西洋と太平洋のつなぐ運河の建設を考慮していたアメリカは、当時コロンビア領であったパナマに独立運動を起こさせ、これを救援する名目で軍隊をパナマに派遣してパナマを分離し、独立させることに成功した。そこでアメリカはパナマの傀儡政権との間に条約を結び、運河地帯を永久に租借することにした。永久に租借とは、実質的にアメリカ領土になったということでもある。
「たしかに昔やった末日聖徒イエス・キリスト教のサミエル・ブランナンのように、大西洋から南米のホーン岬を回って太平洋に来るのでは、いざ鎌倉という事態には、間に合わないが・・・」
アメリカは自己の都合に合わせ、そのテリトリーを拡大していた。
アメリカ本土においても、日本からの移民およびハワイからの転航者の増加は、排日運動を次第に組織化しはじめた。アメリカ労働総同盟がサンフランシスコで大会を開き、日本人労務者の排斥を決議した。清国人に次いで、日本人もその目標となってきたのである。
排日論の根拠にあげられる日本人非難の論点は、いくつかに分類できる。日本人移民がアメリカに渡った初期に見られた非難点は、「アメリカに同化せず喧嘩早い」「頑固で短気である」「公徳心が低く風紀が悪い」「生活状態が悪い」ということや、「余裕金は日本へ送金して、アメリカの経済に寄与せず、資金を枯渇させる」「長時間低賃金で働き、労働基準を乱す」という点であった。
前半は、文化的・宗教的基準で日本人の生活を批判したもので、明らかに非文明的なことや野蛮なことを軽蔑し嫌悪するキリスト教的価値観、とくに、禁欲的に勤労と貯蓄を奨励するビューリタン的道徳観が表わされている。それであるから同化という言葉は、こうしたアメリカ的価値観や道徳感への一元化を意味していた。
また後半の指摘は、経済的に限られたパイの分け前が減ることへの恐怖感が表明されている。このことはさらに、自由と機会の国アメリカにとって、経済的機会がいかに重要な意味をもっているかを表しているともいえよう。
さらに時を経るにつれて、日本人移民への非難は、「出産率が高い」「禁酒法に従わない」「日本への愛国心が強い」「協調的でない」「アメリカに対する忠誠が疑われる」「二重国籍である」という点に向けられた。焦点は明らかに、アメリカ合衆国という国家への忠誠間題に関わっていた。これらの指摘は、アメリカの文化、宗教、経済、政治に及んでいた。これらはいずれも、アメリカの琴線に触れる間題であったのである。ハワイでも、排日の流れが強まってきた。しかしそれでも日系移民の比率が、アメリカ本土に比べてハワイの方が高いことで、その危険な均衡を辛うじて保っていた。アメリカの移民官として、しかしまた日本人として、富造は移民たちの生活とその向上に、両者の間で腐心していた。
富造夫妻は移民の妻たちの集会、婦人会を立ち上げた。慣れない所でする苦労や悩みの解消の場にしようとしたのである。
今日もミネはメンバーに誘いの電話をしていた。
「ハーイ奥さん。なにもありませんが、二月五日、どうぞお出で下さいまし。ハイ、お昼飯を上がらずに・・・。ハイ、さようなら」
それを聞きながら嫌な顔をしていた富造は、ミネと電話を代わった。
「イヤ。この二月五日の日曜には、ご婦人方の大集会を拙宅で開くことになっています。お昼飯を差し上げようと思いますが、ご馳走も沢山あります。ハイ、十二時半までには是非お出でを願います、ハヽヽハイ、お子様もお連れ下さい。ハイお待ち申します。さようなら」
ミネが変な顔をした。
「『なにもありません」と言うことも日本の結構な習慣かも知れないが、粗茶、粗飯を差し上げますから是非、の方がいい。『なにもありません』は、There is nothingという意味ではあるまい? それからついでに言っておく。雑煮などを作るとき、先に一度切り餅をアイスボックスで冷やしてから作るとうまい。三春は寒かったろう?」 今度はすかさずミネが逆襲した。
「あなた。マウナケアから氷でも取ってきてくださいます?」
「・・・」
移民局の経費の都合で、三月から各員交代で一カ月の無給休暇があった。そのエイプリルフールの日、富造は甘藷を持って総領事館やホテルを回り、法外な高価で売りつけた。冗談の金額と分かっていても、富造の人柄を知る人たちは誰も断れなかった。
「あなたは商人になれば、大成功間違いなしね」
ミネの言う冗談に、
「あぁ、なんでもやらせてみろ。うまくやってみせるから」
富造は得意げな顔をした。
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