2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全12件 (12件中 1-12件目)
1
サクラのページに書き込んでくださった方々、寄ってくださった皆さん只今サーバーダウン中でお返事できません〓落ち着いたらお返事書きますよろしくお願いいたしますサクラは只今お世話になった幼稚園にプレゼントすべくピアノカバーの仕上げにかかっています。着物の先生にも「針を動かしていると気分転換になって、嫌な事も忘れられるでしう!」と励まされています。着物を着ると、心もまろやかになるのでしょうか…
2005.01.30
コメント(0)
やっと、やっと着物が1人で着られるようになりました。散々文句を言われながら着付け教室に通い続けました。たった15回のコースなのに、毎回15分づつ説教され、出かけるたびになんで今頃着物なん?と言われ、前の日から胃が痛くなるような日々。卒業式には着物を着たい!一人で!その一年で通い続けました。今日は13回目。このうちとうとう二回は行けませんでした。理由は姑に行くなと言われたこと(本人は行くなといってるんじゃないよと言いつつ、 介護を抱えて出かけるとは何事?と説教されたの)もうひとつは息子の発熱。もちろん姑にまかせて外出なんて考えられないことだから。そして迎えた今日。昨日、一昨日としんどい身体を押して練習した甲斐があって。今日の試験では19分で着付け終えました。目標20分以内!と自分で決めて、途中帯が絡まって大変だったのですが、何とか19分で終えました。先生に事情を話し、そして終わってから話をし、本当に今にも泣きそうなほどでした。ひとつことをするたびに涙が出ます。ケアマネージャーの資格をとるために研修を受けるときも、着付けを学ぶときも、パソコンを学ぶときも(とうとう資格は取れなかったけど)何かをするたびに主婦がそんなことをしていていいのか!主婦なのに家を空けるのか!そんなことしてお金を無駄遣いするな!と言われ続けてきました。やっと着物を着られるようになりました。1人そーっと涙を流しました。これからまた、家で気がまぎれるようなことを探そうと思います。先生ありがとう。そして最後の修了式出席できません。楽しみにしていたけれど。協力してもらえない状況で、子供を放っておくことは出来ない。主人はあてにならない。だから。うん。またね。
2005.01.27
コメント(3)
いよいよ高槻市のHPにリンクしていただきました。ホームページ大会だったんです。リンクが始まってからびっくり!沢山のサイトが参加していたのですね。その中から選ばれるなんて思ってもいませんでした。皆さんのページはとてもすてきです。企業の方はもとより、個人のページはとても個性があって。私のページが何故選ばれたのかしら?なんて思います。いろんなことに悩み、苦しみ、今も迷いの中にあります。それをすべて抱えて、前向きに生きていたい。そんな想いを皆さんにお伝えして、そして一緒に乗り越えて生きたい。そんな思いで作り上げていました。介護保険はケアマネージャーの資格をとった私にとっても難しくて、利用される皆さんは本当に大変な想いをしているだろうと思います。ケアマネージャーをドンドン使ってほしいと思います。本当にすてきなケアマネさんを見つけ、そして信頼し合うことで、つらい介護も楽になるはずです。終点が分からない介護なのだから、介護をする人もされる人も、心健やかに過せる方法をこれからも探っていきたいと思います。私は今、介護と子育てを抱えています。姑の意見もあって、仕事は出来ません。それでも希望は捨てたくないのです。皆さんのお役に立ちたい。そのことで私自身が生きている証になれば…皆さんとともに歩んで行けるそんなホームページになりますように。努力していきたいと思います。ありがとう!どうぞ皆さんも心健やかに!お過ごしくださいね!
2005.01.23
コメント(4)
いつも思うこと。心健やかに。昨日。大姑のお見舞いに行ってほしいと姑が言いはじめた。アッシー君をしてほしいと言う申し出。そろそろ来るかなーと思っていたけど。なんだか風邪を引いたのか、体がだるかった。それでも行くしかない。断る理由はない。熱もないし、体がだるいくらいじゃ許してはくれないだろうし。断りきれない自分。さて。行ったはいい。途中からとんずらする姑。買い物は全部私がやる。尿取りパッド。ティッシュペーパーいるのか、いらないのか確認しながら動き回っているのに、帰ってきたら気が変わって、結局取りに行く始末。何度も何度も出入りする。買い物がすんだら次は叔父のお見舞いに行ってしまった。大姑は食事中。いらないことをするもんだから目が不自由な大姑は肝心なものがどこにあるのか分からない。おかゆの中に、うなぎもおひたしもぼこぼこ浮いている。…大姑がどうやって食べたいのかを聞かずにあれもこれも入れてしまったらしい。結局口に触って出してしまう。見ていると可愛そうなほどにどろどろになっている。大姑の家のかたずけから、アッシー君からいろいろやってきたので、家を出てから二時間。すでに一時を過ぎ、やっとお昼ご飯にありつける。おなかがすき過ぎたのか、しんどいのか、まったく食欲がなくなってしまった。堂々と職員食堂へ行く姑。私は恥ずかしくて食べる気がしないのに。姑。元気だわ。大姑はだんだんと衰えて行く。それでも少しづつ入院生活にも慣れてきたようだ。私の元気を吸い取っていく二人。親子なんだなー
2005.01.22
コメント(1)
のどが変と言っていた息子。今日はいよいよ頭痛と発熱を発症(明日は着物教室なのにい!)こどもが病気をする時って親の私も調子が悪いことが多い。しばらく無理をしたあとだったり、ストレスが異常に溜まっていたときだったり。今日はこのどちらも当てはまっています。んでもってトイレの大掃除しました。ばあちゃんの部屋の横の洗面台もよごれていたのでついでに。(年とるとよごれが見えなくなるのかな?髪の毛一本はよく分かるのに。)こどもと密着しているつもりはなくても、こども達の元気不足は私の体調によるのか?と思うほど、自分が変なときが多い。おかしなことです。きっと神様か誰かが「そろそろ休まなくてはいけないよー」と言ってるのでしょうね…休憩休憩。
2005.01.19
コメント(1)
あの日。ここは震度4のゆれ。家自体の被害はなかったものの、たんすの上の物が落ち、電話が繋がらず、そして…手伝うことが出来ないことになってしまった。当時私の娘、1歳になったばかり。直接の手助けは出来ないにせよ、尼崎の元同僚達の命を心配していた。家がなくなった人もいた。家族が傷ついた人もいた。何より同僚たちは被災した人がその病院へ駆け込んできていただろう。忘れもしない。そのときの姑の言葉を。「沢山の人が被災したのだから、自力でがんばってもらうしかない。家に来てもらったらあかんよ。」信じられない言葉だった。姑たちの友人も被災した人もいただろうに、一切の手助けをしてはいけないと言われた。私にできることは祈ること、募金すること、…一夜の宿を提供することも出来ないなんて。悲しい、あまりにも悲しい人間性を見た。そんな一日だったのだ。人の良いところも悪いところもみてしまった。二度と繰り返すことがないように祈ってやまない。
2005.01.17
コメント(0)
昨晩、夜中にめがさめて眠れなかった。どうしても先日の外出禁止令が納得できなくて。なぜ?なぜ?どうしてこんなに姑の言う通りにしてしまうのだろう。逆らうと自分がとっても疲れてしまうの。言う通りになんかしなくてもよい。でも言う通りにしなかったら自分がしんどい。いつまでも同じことをいわれ続けないといけない。何度も説教されないといけない。そんなしんどさを知っているので、意地でも自分の思う通りにすると、あとあととってもつかれるのです。これはきっと支配されていて、抜け出せない状態。完全に抜け出すためには、離れて過すようにするしかないのだ。一緒にいる限り、完全に離れることは出来ない。どこかで何かの締め付けが残ってしまう。たてつくと自分がもっとしんどくなるから。神様でも仏様でも誰でもいいから、とにかく私を助けてちょうだい!そんな思いに駆られて、しばし涙をながしてしまった。今日。留守宅の大姑の家に絶対誰かが入ったと言って大騒動する姑。真っ先にヘルパーを疑った。信じられない!確かに事件はある。でも、あの人たちが黙って家に入るはずがない。私が締め忘れたと思う箪笥をみて、気づかなかったのをいいことに人を疑っている姑。何故この人が私のそばにいるのか。沢山のことをこの人から教わった。人を疑う癖、愛されていない過去、自信のなさがなせる業。親子ともに愛情不足で、何でも人のせいにして。疑う。こんな人も世の中には居るのだと言うことを。これが戦争の始まりなのだと言うことを考える。いつまで、私は穴だらけのバケツに水を入れ続けなくてはいけないのだろう…穴をふさげるのは自分自身しかいないと言うのに。
2005.01.16
コメント(0)
着物の卸屋さんへ着物のお勉強に行くはずだった。でも、よりによって叔母(姑の妹)が病院でなにか検査があるらしい。叔父は手術後で入院中。姑は付添うから出掛けたいので私が留守番しないと聞くや、説教を始めた。主婦は家が第一。なんで今頃着物なの?行くなと言ってるんじゃないのよ‥ただこんなときに出掛けるなんて!私は気分転換も許されないのだろうか?自分で外出中止したのに、なんだか心に引っかかってしかたがない。
2005.01.13
コメント(0)
昨日から三学期が始まりましたね…そこで、うちの娘。早速体調を崩さなければ!と思ったのか、おなかが痛い。食べすぎ?疲れすぎ?食中毒?なんだか分からないまま、夕食も食べられない。吐き気はないけど、とにかく腸が動くたびに腹痛。可愛そうだけど、つける薬もないし…病院へ行っても注射くらいしか出来ないだろうし。脱水症状さえなければ持ちこたえるだろうところで、魁王と言うお相撲さんがいますね(字が違うかな?)かれもプレッシャーに弱いらしい。うちの娘もプレッシャーに弱いのか?はたまたただ無謀なだけなのか?とにかく何か行事があるときには体調を崩さないといけないらしい。なんだかなぁ。大人になればちょっとはコントロールできるようになるでしょうが、自分で気づいて自分で意識を持ち変えないと治らない難しさがあります。心って本当に思うようにいかないものですね…
2005.01.12
コメント(0)
大姑、満98歳とうとう1人暮らしをあきらめてもらい、入院していただきました。施設への入所が希望ですが、とにかく今のままでは日常生活もママならないので、病院へ入院となりました。当然、大姑は理由が理解できず、拒否しています。1人で好きなようにやらせてくれればいい…あんたも私のことをするのが嫌になったんやな…そんなことも言われました。それでもいいと思いました。ちょっと心が痛かったけど。私を恨むのならそれでも良い。とにかくあきらめて下さればいい。姑と、大姑、ダブル介護は私には無理。周囲に病魔が巣食っているのか、協力者はいない。この状況で私ができることには限界がある。ダブル介護、子育て、義姉の父も入院、姑の妹の夫も入院。これをすべてこなすのには手がいる。とにかくどんな手を借りても乗り切らなくては。そんな正月だったのです…これから気を引き締めて行かなくては!
2005.01.09
コメント(2)
正月に話すにはちょっとふさわしくないかもしれません。義理の弟の嫁、私には義姉(義妹?年上は義姉ですよね?)と話していてすごく考えたこと。老いると言うことは自分より若い人の死を受け入れられないものなんだ。そして前向きに生きなさいといっても受け入れられないことなんだ。私達がなんでこんなことができないの!と思っても、うけいれられないんだ。…そんな風に私を説得しようとされました。私はそんなもんなんかなー、私には分からないことなんかなーと返事。でも本当にそうでしょうか?死を受け入れ、死を目の前にしながら、懸命に生きてきた人は沢山います。年老いることでそれは出来なくなるのでしょうか?私は自身では死の恐怖を味わったことはありません。でも、祖父、祖母の死や、患者がなくなることを看取って来ました。親戚の中に逆縁だったことはありません。だから分からないのでしょうか?義姉の話を聞きながら溝を感じていました。彼女はもしかしたら、今まで出会った死が自分にとって満足いく関係を持てていなかったのではないでしょうか?彼女の母は高校生のころになくなり、父は今徐々に衰え、寝たきりの状態です。おそらく、母にも父にも、満足いくほどの愛情を感じることが出来なかったのではないかと思いました。実際は違うかもしれません。ただ、死を受け入れられない人がいるのだということを教えてくれたのかもしれません。大姑の老いる姿を、姑は「自分の行く先かと思うと情けない」と言います。衰えていく自分の母親をみて、情けないと言うのです。悲しいと言うなら分かるのですが、情けないと思うその気持ちが私には分かりません。老いて子供に戻ることは当たり前なのに。よく生きたからもう責任から許されて子供に戻っていく。だから老いることは尊いと思うのです。私ってやっぱり分かっていないのでしょうか…
2005.01.04
コメント(3)
皆様、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。新年早々、大姑の状態が芳しく無いことが親戚に伝わり、大変な一年になりそうです。なんとか乗り切りたいものです。皆様にも幸運が訪れますように
2005.01.01
コメント(0)
全12件 (12件中 1-12件目)
1