老師の言葉 0
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「孤独を感じることはないですか?」質問された。ないわけないよね。孤独と言っても、いろんな種類のものがあると思う。今、実家にいて、一人でお昼ご飯を食べていると、一人暮らしをしているときの母の晩年を思ったりする。母が倒れたとき、救急車で運ばれてだれもいなくなった部屋の台所に入ると、小さな土鍋がガスコンロの上にあった。豆腐の味噌汁が半分ほど入っていた。前の晩、自分一人のために作ったものだろう。母の最後の晩ごはんをシンクに流し、土鍋を洗いながら、切なくなってきた。80歳を過ぎてから、夫を亡くし、娘と息子を見送った。残った長男のぼくだけが頼りだった。そのぼくもコロナもあって、ほとんど会うことができなかった。6人がけの大きなテーブルでたった一人の食事。かつては、このテーブルが狭いほどの家族が集まったこともあった。「寂しかったやろな。ごめんな」そう思ったときの、ぼくの心には孤独が宿る。父が死に、妹と弟もいなくなり、母が亡くなって、原家族はぼく一人になってしまった。今のぼくは、妻がいて、3人の娘も成人して、寂しい境遇ではないけれども、どこかにすき間風が吹く。母の孤独とは違うかもしれないが、ぼくもやっぱり孤独だ。人は、魂の故郷からたった一人でやってきて、たった一人で帰っていく。そもそもが孤独な存在だということを、忘れてはいけないのだと思う。だから、心の中にはすき間がいっぱいあって、そこを、冷たい風が通り過ぎていくのだ。だから、孤独でいい。孤独を感じることが、人間の本質なのだ。母は土鍋に入った味噌汁を残していった。いつかあるとき、ぼくはいったい、何を残していくのだろうか。
2024年09月06日
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昨日、夕方から妻とスパランドへ行ってひと息入れた。食事のあと、帰る前にひと風呂浴びようと露天風呂にいたら、緊急地震速報が鳴った。慌てて身構えたが、揺れはあまり感じなかった。山梨は震度4だとテレビで言っていたが、ぼくの体感では震度1とか2。妻に聞くと、お湯がチャポンチャポンと跳ねるほど揺れたとのこと。ぼくが鈍感なのか。九州、関東と2日連続での大きな地震。地震ばかりではなく、大雨、雷、台風と不気味な気配がする。そんな中、オリンピックも終盤になっている。ぼくの中ではあまり盛り上がりがってないが、それでも日本人の活躍は気になるものだ。女子レスリングで藤波さんが金メダルを取った。彼女は、ぼくと同じ三重県出身。応援にも力が入る。高校野球では三重県代表の菰野高校が一回戦で勝った。三重県のチームは弱くて、だいたい一回戦で負けているので、勝ってくれてうれしかった。世界大会だと日本、国内の大会だと三重県。どうしても地元を応援する。ぼくは18歳のときに故郷を出て、名古屋、富山、東京、埼玉、山梨で暮らした。三重県以外での生活の方が長い。でも、三重県と言うのが特別な場所としてある。妻にしても、札幌の生まれ育ちだから、北海道への思い入れは強い。生まれ育った場所というのは意識の中に強く残っているのだろう。うちの娘たちは、埼玉で生まれて、小学校は埼玉、中学・高校は東京で育った。彼女たちに故郷意識というのはないみたいだ。「故郷は?」と聞かれても答えに困るようだ。埼玉出身の人に会っても、同郷ということで盛り上がることもない。それだけボーダレスになっているのだろうが、ぼくの中からは故郷意識は抜けないな。天災は地域を選ばない。ぼくが今住んでいる山梨も、故郷の三重も、長く住んだ東京も、妻の大好きな北海道も、どこで何が起こるかわからない。そんな危うい中でぼくたちは生きているわけだが、そこからいろいろなことを学ばないといけないのだろう。まずは、目の前のこと、やろうと決めたこと、しっかりとやっていく。尊敬する故・佐藤初女先生は、「今を生きる」とよくおっしゃっていたが、今をしっかりと生きていくしかないわけで、改めて、今に足をしっかりと置くようにしたいものだ。
2024年08月10日
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そろそろスモモの収穫期になった。今年は天候不順で、病気も多いような気がする。それでも、家族で食べる分と、毎年、お中元として送っている分はとれそうだ。桃は、今のところ大きくなっているが、近所の桃農家から言わせると、「あの木は切ってしまって新しいのを植えた方がいいよ」というくらい勢いがないので、大多数が落ちてしまうのかもしれない。山梨へ来て4年になる。ひょんなことから東京を離れ、山梨の山間の村でヤギを飼い、果樹を育てるという生活を始めた。東京では40年近くライター業をやっていて、ライターをやりながら農業もやるという、いわゆる「半農半X」の生活に突入したわけだ。けっこう健康的で快適な日々だ。それを、電子書籍にまとめた。題して「ライター ヤギ飼いになる!~やればできる!60代からのチャレンジ」。60代になれば、みなさん人生着陸体勢に入るけれども、ぼくは離陸します。そんな意気込み。と言っても、何となくそういう流れになって、ぼくはすごく充実している。今まで、いろいろな経験を積んできて60代になって、ここから次のステップに足を踏み入れる。そういう気持ちがあってこそ、人生の後半を楽しく生きることができる。もう十分にやった、あとはのんびり生きると決めているならいいけれども、ぼくはダメだ。60代で、それも無農薬で作ったスモモはおいしいよ。プレゼントすれば、みなさんとても喜んでくださる。「すごいね」と褒められるのもうれしいね。桃がうまくいかなければ悔しいし。来年こそと思う。そういう刺激が、元気のもとになっている。高齢化社会と言われて、年寄りが元気になれば、日本は活性化する。電子書籍も、ぼくの新しいチャレンジ。これまで熟成してきたものを、きちんと残しておく。大して売れなくても、一人でも二人でも、「元気をもらった」と言ってくれれば、それで十分。人生の幸せは後半にあり。そんなふうに言えるよう、ぼくは生きていきたい。
2024年06月24日
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2025年、人類が滅亡するほどの出来事が起こる。あちこちで言われている。世界各地で天災が発生し、戦争もあって、感染症も怖い。その規模が大きくなれば、本当に危ないぞと思うのはぼくだけではないだろう。さらに、この間の太陽フレア。各地でオーロラが観測されたそうだが、きれいな空にうっとりしている場合ではない。来年はもっと大規模な磁気変動に見舞われるそうだ。通信が大きな影響を受ける。原発の再稼働が進められているが、原発をコントロールする機器に問題が発生したらどうなる?地震に津波に通信障害。日本列島を囲むように、原発が並んでいる。福島第一原発のような事故が起これば、もう日本には住めなくなる。大地震で日本が破壊される終末イメージをもっていたが、原発が、日本の運命を握っているのではないかと、このごろ思うのである。大地震だけだと、まだ日本に住むことができて、生き残った人による復活も期待できる。しかし、そこに原発事故が連動すれば、放射線量の高いところだと、助けに入ることもできない。日本は死の地帯として、だれも近づけなくなる。世界のあちこちの原発で事故が起こったら。もう地球上で住めるところは限られてくる。人類を滅ぼすのは放射能。その原因となるのは原発と核戦争。世界に400基以上ある原発。1万2000発を超える核弾頭。普通に考えれば、来年までに何とかなる数ではないが、あきらめるわけにはいかない。人の意識が変われば、流れも違ってくるはずだ。一歩ずつ進んでいくしかない。まずは原発のない日本から。「原発を止めた裁判長 原発を止める農家たち」という映画がある。原発問題を考えるきっかけにしてほしい。山梨でも上映会が開催されます。2024/6/29 山梨県甲府市 樋口英明氏トーク付き[バリアフリー]主催:山梨県弁護士会日時:2024年6月29日(土)13:00開場 13:40上映(1回上映)会場:山梨県立図書館 多目的ホール(甲府市北口2-8-1)定員:150名問合せ:山梨県弁護士会問合せ電話:055-235-7202問合せメール:yamaben@minos.ocn.ne.jp
2024年05月22日
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人の心はネガティブな方向に引っ張られる傾向にあるようだ。どんどんネガティブになっていくことを、真氣光では、マイナスの氣の影響を受けるという言い方をしている。 マイナスの氣とは、いまだに暗い世界にいる魂のこと。死んでしまってなお、苦しみやかなしみ、悔しさ、恨み、未練を抱え、肉体を脱ぎ去ったあとに本来行くべきところへ行けていない。 そういった魂は、自分の苦しみ、つらさを知ってもらいたくて、同じような思いを、この世に残っている人たちに体験させると言う。特に、ご先祖様の影響は大きいようだ。 何かネガティブな出来事に遭遇して、悩んだり心配したり不安になったりしていると、エネルギーが低下する。 そこに、マイナスの氣はもぐりこんでくるのだ。テレビやラジオ、携帯と同じで、悩みの周波数を発していると、同じ周波数のエネルギーが集まってくる。 そのままにしておくと、小さな悩みや心配事が、雪だるまのように膨らんでしまう。 マイナスがマイナスを呼び込む悪循環に陥ってしまうのだ。悪循環から逃れるためにはどうするか?真氣光では「まずは氣をしっかり受けなさい」と言われる。ハイゲンキという氣を中継する機械がある。ヘッドと呼ばれる装置を体に当てるだけでいい。簡単に氣が受けられる。真氣光とは縁のない人は、自分のなりの方法を考えておくといいだろう。たとえば、ぼくは、帯津先生から教えられた「延命十句観音経」という短いお経を唱える。腹式呼吸を意識するといい。車で移動しているときには、大声で何度も唱える。ネガティブなことから気持ちが離れていく。エネルギーが充電される。呼吸法だったりいろいろな種類の気功だったり瞑想だったり、不安定になっている心が落ち着くようなものをもっているといい。茶道や華道などで気持ちを静める方もいるだろう。武術やスポーツもいいかもしれない。もうひとつは、信頼できる人に相談することだ。話すだけでもすっきりするし、アドバイスが心に染みることもある。とにかく、心はネガティブに傾きやすいものということを知っておくといい。いつも明るく前向きに生きるなど、心の性質から見ると、そう簡単にできるものではない。ちょっとしたことで必ず落ち込む。悩む。かなしくなる。それを知った上で、どうしたらポジティブな方向にもっていけるか、日ごろから考えておくといいだろう。そして、沈みっぱなしということはあり得ない。いつか浮かび上がる。そのことを知っておくのもいいだろう。ぼくも最近、心が不安定になることがあって、重いエネルギーに包まれていた。しかし、ここで言ったことを駆使して、かなり回復してきた。すべてのことには意味がある。すべてのことに感謝する。頭ではわかっていても、心はコントロールできない。落ち込むときには落ち込むがよかろう。ネガティブな出来事に遭遇したときこそ、自分の身の丈がはっきりと見えてくるものだ。意味があって、ネガティブな出来事も起こっている。しかしあくまでも、自分のエネルギーを向上させるためだということを忘れてはいけない。ネガをバネに成長すれば、マイナスの氣にもたくさんの光が届いて、彼らの苦痛も減少するのだ。振り回されてはいけない。マイナスの氣を上手に活用して、成長していくくらいのしたたかさが必要だ。
2024年05月15日
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昨日は、電子出版の打ち合わせをした。「ライター、やぎ飼いになる」というタイトルで原稿を仕上げた。これをアップするのに、その方法を、Mさんという有能な女性にアドバイスしてもらっている。彼女は50冊の電子書籍をプロデュースしている。長女にも同席してもらって、作業を覚えてもらうことにした。原稿を書くのがぼくの仕事。そのあと、編集とアップを長女にやってもらうつもりだ。電子書籍は、だれでも出版ができるわけで、ブログみたいなものだと思われ、紙の本よりも格下に見られている。もちろん、そういう部分があるのは間違いないが、逆に、だれでも出せるハードルの低さこそ、電子書籍の良さなのではないか。そして、名もない人が書いた電子小説が、マンガ化、アニメ化されることはよくあることで、必ずしも作品のレベルが低いというわけではない。思わぬ才能が見いだされることだってあるのだ。つたない文章で書いた個人的な体験であっても、それを読んで救われる人もいる。売れるとか売れない、お金になるとかならないを超えて、意味のあるツールだと思う。「ヤギーず出版」というブランドを立ち上げる。出版したい人がだれでも出版できるということではなく、あくまでも小原田泰久目線の作品を基本とする。たとえば、今度の出版予定(以下タイトルは仮)は、「教えて裁判長 どうして原発はすぐに止めないといけないのですか?」ぼくが裁判長に質問するというスタイルだ。「シン・イルカみたいに生きてみよう~不登校で悩む親と子どもたちに」これは不登校だった長女と親であるぼくの体験をもとにまとめる。もっと気楽に生きようよという内容だ。選択肢はいっぱいあるよ。学校って絶対に行かないといけないの。長女は不登校で悩んでいたとき、イルカと泳いで癒されたという体験がある。「イルカみたいに生きてみよう」はシリーズ化できそうだ。「帯津良一からぼくが学んだ生き方」「真氣光からぼくが学んだ生き方」帯津先生や真氣光の中川会長に書いてもらうのではなく、あくまでもぼく目線の、帯津良一論であり真氣光論だ。「キッチンカービジネスの始め方」次女がやっているキッチンカー。お店を出すよりも気楽に始められる。しかし、軌道に乗せるのはとても難しい。次女の体験にプラスして、ぼくの見たキッチンカービジネスについてまとめる。といった感じで進めていきたい。いろいろ考えていると、ヤギーず出版が事業になるかどうかはわからないけれども、ぼくにとっては、とてもやりやすく、やっているうちに、何かが生まれてくる予感がする。うまくいくいかないは二の次で、心がときめくことをやっていこうと思う。
2024年04月29日
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遅まきながら、U-NEXTでドラマ「不適切にもほどがある」を見た。面白かった。タイムトラベル、タイムスリップ、タイムトリップ、タイムリープ・・・。いろいろな言い方があって、違いはわからないが、とにかく、未来へ行ったり過去へ行ったりというドラマ。こういう類のドラマはあまり見ないようにしてきた。簡単に未来や過去に行ってしまうのは設定が安易すぎるし、いっぱいあるので手あかがついている気がするから。だから、「不適切~」にも興味がなかったのだが、ネットニュースで毎日のように、このドラマに関する話題が流れてくるし、娘も「面白いよ」というので、「ちょっと見てみようかな」という気になったわけだ。流れが軽快で、人間関係がわかりやすくて、笑えて泣けて、現代社会をチクリと皮肉っているのが良かった。昭和61年と令和6年行するする主人公は昭和10年生まれだから、ぼくよりも21歳年上。父親世代だ。戦争を体験し、食糧難を乗り越え、高度成長でうかれまくった。底辺から頂上までを知っている。近代日本人としてはもっともたくましい人たちかもしれない。彼が今をどう感じたのか。ちょっと適応力があり過ぎる気もするが、コンプライアンスという言葉がいつの間にか定着して、行動や発言がどんどん制約されてしまって、窮屈極まりないと感じるのは、ぼくも同じ。多様性を声高に叫ぶことで、多様性が阻害されてしまっている部分があるのではないか。昭和61年というと、ぼくは30歳だった。東京へ出て2年目。東京はあこがれだったし、文章を書く仕事にも慣れてきたし、楽しい毎日を過ごしていたんじゃないかな。ヨーロッパにふらりと出かけて行ったのもこのころだった。暇つぶしに習っていたドイツ語がどれくらい通用するかと、1ヶ月ほど、ドイツを中心に気ままに歩き回った。この先、どうやって生きて行こうかなどまったく考えてなかった。今日が良ければそれでいい。なんでフリーライターという不安定な仕事をしていながら、将来のことも考えず、平気でいられたのだろうか。多様性って言葉もなかったのではないか。大学を出たら、就職するのが当たり前。終身雇用なんてあって、会社を辞めることは完全に人生のドロップアウト。ぼくは、2つも会社を辞めが落ちこぼれ人間だったのに、不思議と堂々としていた。サラリーマンはとても窮屈で、ぼくには夢ももてなかったし、希望も感じられなかった。そこから逃れられただけで喜びだったのだと思う。籠から逃げ出した小鳥が、ウキウキしながら飛び回っているって感じだ。カラスにつつかれたり、トンビに食べられたりするなんて、考えもしないわけで、まったく能天気なものだった。そんなことを考えながらドラマを見ていた。昭和61年と今とどちらを選ぶかと言われたら・・・。あのころのぼくは、将来のことは考えてないと言っても、お金がほしい、有名になりたい、女にもてたい・・・目先のことにギラギラしていた。今のぼくは、成功したいとか、有名になりたいとか、そんなことは考えてない。だけど、これまで培ったものが、今にすごく生きているように感じているし、今やっていることが、社会的にもすごく意味があるのではと思えて仕方ない。だから、今の自分がすごくいいし、これから、「こんなことやろう」と思ったことを、どんどんやっていきたいと思っている。そういう意味で、30歳の自分よりもはるかにダイナミックに生きている。ぼくは「今」がいいな。ドラマを見ての感想として、多様性のこともっと書きたいと思ったけれども、うまく書けない。ゆっくり考えることにする。今は窮屈な世の中だけれども、ぼくは、上手に「いち抜けた」ができたのかもしれない。多様に生きている一人になれたのかもしれない。
2024年04月24日
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ホリスティック医学の重鎮、帯津良一先生。知り合ったのが1988年だから、35年以上のお付き合いになる。「ガンを治す大事典」では、先生の指揮のもと、ぼくは、全国の代替療法(西洋医学以外の治療法)を取材して回った。今から30年も前の話。免疫のこともまだ手探りだったし、自然治癒力という言葉は、代替療法に携わる人たちが、なぜこの療法でがんが良くなるかうまく説明できないので、「自然治癒力が高まります」といった言い方をしていた時代だ。今では普通に使われるようになった。そんなころから帯津先生の話をお聞きし、生き方についても、先生から多大な影響を受けてきた。何年か前、「そう言えば」と気づいたことがある。先生の著書やラジオ番組のお手伝いをしていて、だれよりも先生のお話を聞いているのだが、先生は「愛」という言葉をほとんど使わない。「医療では患者さんへの愛がもっとも大切です」と言っても不思議ではないが、なぜか、まるで封印しているかのように、「愛」は先生の口から出ないのだ。ご著書にもあまり出てこない。実は、ぼくも20冊ほどの本を出しているが、愛という言葉はほとんど使っていない。はっきりした理由は自分でもわからないのだが、なぜか使えない。先生の行きつけの日本食レストラン。生ビールをぐっと一杯飲んで、次は、米焼酎・鳥飼のロック。ちょっと顔がほてってきたころ、先生に聞いてみた。「先生はどうして『愛』という言葉を使わないのですか?」「そう言えば使わないな」特に意識していることではなさそうだ。しかし、しばらく考えて先生はおっしゃった。「畏れ多くて使えないんだよ」そうだ、恐れ多いのだ。イエス・キリストやお釈迦様がやっとたどり着いた悟り。人間の最高の境地。それが「愛」だとすると、ぼくたち俗人が簡単に口にできるものではない。そもそも愛とは何か、きちんと語れる人がいるのだろうか。そんなことなのかもしれない。ビールで乾杯する前、クリニックの一室で、先生に宗教のことをお聞きした。先生はおっしゃった。宇宙の意志を翻訳する人がいて、その人の訳した言葉に共鳴した人が集まってきて、宗教団体ができる。「私は、一切翻訳しない。原語で受け取る」だから、教祖にはならないのだ。宇宙を感じ取っていて、愛という宇宙の最高の意志に、とても手が届いてない自分も知っていて、だからこそ、畏れ多い。先生が、いつもニコニコしながら、さらっと語る言葉に、とんでもない深い意味があると、ぼくは感じてきたが、どうしても表面的な理解で終わってしまってきた。先生が原語で受け取っている宇宙の意志、そして、先生が感じている愛について、翻訳することができたら、どんなにすばらしいかと、昨夜は心から思った。世間で言われている愛とはまったく違う愛が、姿を見せてくれるかもしれないのだ。虚空もそうだし、生と死の統合だって、場の医学だって、さらっと流してはいけない。ああいう偉大な人(本人はそう思っていないから、そこがまたいい)と、月に一度、一緒に飲めるなんて、本当に幸せな男だ。
2024年03月14日
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月曜日は東京。風の強い一日だった。 池袋で真氣光の中川会長の対談取材。今回のお相手は、みんな大好き、かっこちゃんこと、山元加津子さん。 実は、25年ほど前に、かっこちゃんのご自宅へおうかがいして、対談をしている。かっこちゃんは養護学校の先生だった。先日、甲府でかっこちゃんの講演会と映画「しあわせの森」の上映会があった。懇親会のときに、少しかっこちゃんとお話しする機会があった。 そのとき、「中川会長さんとお会いしたのはずいぶんと前ですよね。一度、ごあいさつしないとね」という話があった。そのことを中川会長に伝えたら、久々にお話をお聞きしたいなということになって、今回の対談が実現した。 中川会長は、村上和雄先生のサムシングレートの話にとても興味があって、先生とも2度対談している。かっこちゃんが、村上先生から、「かっこちゃんなりにサムシンググレートの話を伝えてほしい」と託されたことを知り、改めてお話をしたくなったようだ。 ぼくは、仕事柄、たくさんの方とお会いしてお話をお聞きしたが、お話をしていてとても気持ちのいい人と、何となく居心地が悪くて、早く終わらないかなと思う人がいる。 かっこちゃんは飛びっきりの前者だ。 自分なりの価値観をしっかりともっていて、それも、言ったもの勝ちの考えではなく、きちんと地に足のついた理由をもっている。 たとえば、ナスカの地上絵はだれが描いたのか?いろいろな説があるが、かっこちゃんは、古代の人間がかかとで描いた絵だという話をしてくれるわけ。 詳細は違っているかもしれないが、かっこちゃんならではの、「なぜなら」がある。これが「へえ~」とうならされるものだ。 どうして? と聞くと、かっこちゃんはこんな話をしてくれた。教室で何かを一生懸命に描いているお子さんがいて、何だろうと見てみた。一見するとよくわからないが、よく見ると、学校の周辺を上から眺めた状況を絵にしていたのだったそうだ。 地上にいながら、上からの視点で物を見れるという子がいるのだ。 そんな話を別の人からも聞いたことがある。と言うことは、鳥の視点で地上を見られる人は、何人もいるのだろう。 ほとんどの人が失ってしまった、人間の原始的な能力なのかもしれない。 そして、そういう子が、校庭にかかとで腺を引いていることがあって、何をしているのだろうと思って、あるとき、学校の屋上から見ると、きちんとした絵になっていたこともあると言う。 だから、ナスカの地上絵も、鳥の視点をもった人が、かかとで描いたのではないか。 かっこちゃんの推論だ。 答えはわからない。本当に宇宙人が描いた絵かもしれない。しかし、いきなり宇宙人の仕業だと飛躍するのではなくて、身のまわりをしっかりと観察して、そこから「ひょっとしたら、あれと同じなのではないか」とつなげていく。 地に足がついていて気持ちいい。 サムシンググレートは、宇宙の真理を、ぼくたちの身のまわりに用意してくれている。霊能者じゃなくても、チャネリングをしなくても、いろいろなことに好奇心をもって、まわりをていねいに観察していれば、サムシンググレートの存在に気づけるし、そこを深めていけば、サムシンググレートの意志も読み解けるはずだ。ぼくは、そういう見えない世界との付き合い方が好きで、かっこちゃんの話には、ぼくの理想がある。だから、いつまでも話がしていたい。中川会長も同じような考え方で目に見えない世界にアプローチしているから、すごく気持ちのいい対談になった。対談のあと、かっこちゃんを東京駅まで送って行く途中、地下鉄の中で、宮沢賢治さんの話もした。その話は次回に。
2024年02月29日
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1994年にネイティブアメリカンのホピ族の村を訪ねたことがある。真氣光の中川雅仁先生による、ホピ族、ナバホ族の被ばく者治療が目的の旅で、『ホピの予言』という映画を撮った宮田監督が案内してくれた。危険を知らされずにウラン採掘に従事させられた人たちが、放射線の影響で体調を崩し、長い間、苦しんでいたのだ。ホリスティック医学の帯津良一先生も一緒だった。長老の家で話を聞いた。最近、あちことで起こってる出来事で、あのときの長老の言葉を思い出した。ホピ族には、人類の過去、現在、未来について、何千年もの間、長老から長老へと語り継がれてきた「預言」があった。彼らは浄化の日と呼ぶ。人類が間違った道を歩むことで歪んだ世の中を本来の形に戻そうとする力が働く。そのときには、人類にとってネガティブな出来事が起こる。災害、事故、異常気象、戦争、病気などだ。今、まさに浄化の日の真っただ中と言えるだろう。そして、長老がこう言った。「浄化の日になると、動物が人間を襲うようになります」どうだろう?日本中、あちこちで起こっている。いよいよ浄化の日も佳境かもしれない。「日本は沈んでしまうから、あなたちもこちらへ引っ越すといいよ。アメリカも、このあたり(アリゾナの砂漠地帯)でも潮のにおいがするから、西海岸は沈んでしまう」「まさか」と思いつつ帰国したが、その翌年、あの阪神大震災があって、「沈んでしまう」がぼくの中で現実に近づいた。あのときから、ぼくはぼくたちの未来について真剣に考えるようになった。
2023年12月30日
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鈴鹿へ帰っていた。次女の氣恵夫婦が実家に住むようになって、いろいろな動きが出ている。若い夫婦がいろいろ準備を進めている。8月末にはキッチンカーを出す。得意の無添加和菓子とかき氷。田舎での出店なので、人を呼ぶのに手間はかかりそうだ。彼らが仕掛けたのは、ドッグラン。使ってない畑がたくさんあるので、そこに柵をして、ドッグランを作った。田舎でも犬たちを自由に走り回らせるところはあまりない。たまにはリードをはずして、自由に走り回らせてあげたいと思う人も多いと見込んでのことだ。さらにヤギーずスペースも作り始めている。ドッグランがあって、ヤギもいてとなると、犬連れ、子ども連れがやってくる。キッチンカーを中心とした、憩いの場ができる。楽しくお話をして、困りごとがあったら助け合う。おじいちゃん、おばあちゃんが作った野菜を並べてもいいだろう。農業をやりたい人が耕作放棄地を借りてくれることもある。そこから何かが生まれてくる。キッチンカーを出しました。いくら売れました。それで終わっては面白くない。さざ波を立てないと。8月25日~31日。13時開店、17時閉店。三重県鈴鹿市郡山町1232-1GoogleMap ヤギーずキッチン 三重 で検索してください。
2023年08月11日
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久々にヤギーずの朝ごはんを笹の葉にすることにした。気まぐれでふと思ったことだ。冬はエサが少ないので竹を切って朝ごはんにすることは多かった。夏は、十分にあるので竹を切ってくることはない。しばらくぶりで裏の竹藪に行った。その途中に坂道で「あれっ」と思った。蛇の抜け殻が落ちていたのだ。竹を切って持ち帰るときに、蛇の皮も拾い上げた。地面にへばりついていたが、上手にはがすことができた。尻尾の先だけは取れてしまったが、頭からずっと蛇の形が残っている。これはすごい。もっとていねいに取れば、尻尾の先まであったはずだ。蛇の皮というと「金運」だな。うれしくなる。金運というのは、お金がバカバカと入ってくることを言うのではない。お金がなくて困るという状況がなくなるということだ。ある人から、そんなことを聞いたことがある。ひとつには気持ちの問題。あれもほしい、これもほしいと欲張っていると、いつも「お金がない」と愚痴を言わないといけない。しかし、今の生活に満足していれば、お金がなくて困ることはない。とは言っても、最低限のお金は必要だ。光熱費、食費、通信費、年金や保険料、家賃、税金、学費、交通費など。それだけでもけっこうな金額だ。気持ちだけでは解決しないこともある。さらに、夢をかなえるにもお金が必要なことが多い。たとえば、どうしてもある人と会いたいとおもっているとしよう。SNSを見ていたら、近くでその人の講演会があることがわかった。懇親会もあるので、あいさつくらいできるかもしれない。こうした縁が、人生を大きく変えることがある。参加費が必要だ。さてどうする?金運のある人は、人生の節目において、お金がネックにならない。思わぬ収入があったり、お金を借りることができたり、何かのルートで講演会のスタッフになれたりすることもある。蛇の皮は、何らかの大きな力が、「お前には金運があるよ」と教えてくれている現象だと、ぼくは思っている。蛇の皮自体に金運エネルギーがあるのではなく、それに出あうことによって、ぼくは自分に金運があることに気づかないといけないのだ。感謝して、喜んで、自分のやりたいことにフォーカスして、お金はネックにならないと信じて、行動する。その後押しをしてくれたのだ。ぼくは、食とエネルギー、さらには医療、教育、福祉を自給できるシステムを作るきっかけを、実家を舞台にして描いてみたい。「実現させる」とまでは欲張らない。ちょっとしたきっかけでいい。あとは娘たち若者に任せる。きっかけ作りは、ぼくの得意とするところだ。あの蛇の皮は、間違いなくゴーサインだと受け取った。少なくとも、お金で断念することはないと、蛇の皮は教えてくれている。蛇の皮で夢が広がるというのは楽しいことだ。
2023年07月19日
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樋口英明さんの「南海トラフ巨大地震でも原発は大丈夫と言う人々」という本を読んでいる。樋口さんは、福井地裁の裁判長を務めているとき、関西電力大飯原発3・4号機の運転差し止めを命じる判決を下した。なぜ原発を止める判決を出したのかは、「私が原発を止めた理由」に詳しく書かれている。歴史的な判決を下したのは2014年のことだ。彼は、これまでの原発裁判は技術論争になって、どんどん難しくなり、収拾がつかなくなっていることに気づく。問題の本質は技術的なことではないと見抜き、原発の危険性を単純明快に語った。その耐震強度を見ると一目瞭然なのだ。震度6弱の地震で危うくなり、震度6強で極めて危険となり、震度7で絶望的となる。地震大国日本で原発を動かせるなど危なくて仕方ないのだ。ぼくは、もし事故があれば世界が破滅するような施設なのだから、これまでになかったような大地震があっても、建物はもちろん配管にも問題が起こらないように作られていると思っていた。ところが、原発が作られたころは、地震のデータも少なく(阪神大震災のころから地震計があちこちに設置されてデータが集まり始めたそうだ)、大甘の耐震性しかないようなのだ。実際の裁判でも、そこを突かれた電力会社は、「原発には大きな地震はこない」という、どこにそんな保障があるのかと思えるような答弁をしたようだ。イデオロギーとか政治的立場ではなく、事実を見れば危険性はわかる。まして、一たび事故が起こればどうなるかは、12年前に体験していることだ。日本壊滅の寸前までいった。さまざまな奇跡があって、あれですんだのだ。そこを謙虚に見ないといけないのではないか。大きな地震が頻発している。南海トラフ地震も確実視されている。そんな状況下で、ぼくたちはどんな選択をすればいいのか。ぜひ、この本を読んで考えていただきたい。8月6日に映画「原発をとめた裁判長そして原発をとめる農民たち」が、津で上映される。樋口さんもあいさつされるそうだ。お申込み 三重県保険医協会電話 059-225-1071ファックス 059-225-1088
2023年07月14日
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ちょっと疑問に思ったこと。なぜ織田信長はヒーローなのか?信長だけではない。秀吉も家康も、山梨だと武田信玄は神様扱いだから。でも、よく考えれば、彼らはたくさんの人を殺している殺人鬼じゃないのか。特に信長の残忍さは有名な話だ。戦争時はたくさんの敵を殺した人がヒーローになる。人を殺すのと、野球でホームランをたくさん打つのを同じ感覚で見て、ぼくたちはヒーローを作っていく。これは男性的感覚なのだろうか。女性も信長をヒーローと見ているのだろうか。ダーウィンの進化論の影響だという話を聞いたことがある。弱肉強食。すべての生き物が生き残るための競争をしていて、勝ったものだけが生き残るという見方。勝者こそ正義。ヒーロー。人間が繁栄しているのは生存競争に勝ち残ったから。人間は地球のヒーロー。地球を好き勝手にしていいし、ほかの生き物を奴隷のように扱っていいんだという考え方にもつながる。それが今の地球の疲弊につながっている面もある。戦国大名や明治維新の志士をヒーローとして祭り上げているうちは、日本も良くならないのではないか。だいたい、偉人と言われる人たちも、すごいと言えるのは、ある一面から見たときの評価だ。だれにでも、いい面もあれば悪い面もある。信長は地獄で苦しんでいるかもしれないし、人気者の坂本龍馬だって、今ごろあの世で、「穴があったら入りたい」と言っているかも。信長を見習って生きるというのは、延暦寺を平気で焼き払い、子どもから年寄りまで皆殺しにできるということだから。あの時代は仕方なかったという見方もできるが、今の時代は、それはやめようよ。
2023年06月25日
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ヤギーず。6頭のうち5頭は回復した。あかりという女の子だけがまだ下痢気味。食欲もなくて、寝ていることが多い。あんなにちょこまか動いていた子が大人しく横になっていると心配だ。動物を飼っていると、命のことを意識せざるを得ない。たかがペットだと思っていたけれども、実際に飼ってみると、家族に近いものがある。娘たちが犬を4頭飼っているが、まるで孫のことを気にするかのごとく、あいつら元気にしているだろうかと、いつも気になってしまうものだ。ペットロスも、ぼくには理解できなかったけれども、今ならわかる。あいつらが死んでしまったらどんなにかかなしいか、さみしいか。本で読んだり、頭で考えているだけではわからないことがたくさんある。やっぱり実際に体験しないと。ぼくは取材をして本を書いてきたが、表面をなぞっただけだったなと思う。20冊くらいの本の中で、売れたのは、自分の体験をベースにしたイルカの本だ。読む人にはわかるんだろうな。山梨へ来て、今までにはなかったさまざまな体験をした。果樹栽培。取材してきた自然栽培を試してみた。1回目はうまくいったが、2年目、3年目と壁が高くなる。大抵の人はそこでめげてしまう。ぼくもめげそうだ。一緒にやってくれる仲間が必要だ。動物飼育。動物と話ができるという本を書いた。実際に飼ってみると、彼らは間違いなく話をしたがっている。声をかけるだけで喜ぶ。そんな実感をもつことができた。自然医療。氣とのかかわりは長い。山梨へ来て、ここを癒しの場にしたいと張り切っていたが、人を癒すというのは簡単なことではない。特に、精神的なトラブルを抱えている人とどうかかわればいいか。答えを出せないでいる。自然エネルギー。これから鈴鹿で始める。頭で考えているようにはいかないかもしれない。でも、やってみる。田舎生活。これはうまくいっている方だ。もともとぼくは田舎で生まれ育っているから。これからはもう少し、積極的な田舎とのかかわりをしようと思う。
2023年06月18日
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世の中は階層構造になっている。マンションみたいなもので、1階の上に2階があって、2階の上に3階がある。マンションと違うのは、2階には1階がもっている性質がすべて含まれていて、そこにプラスアルファの性質が乗っかる。3階は、1階2階の性質を含んで、そこに独自の性質がプラスされるのだ。帯津先生がよくおっしゃっていることだ。人間の肉体という階層がある。その上には、人間まるごと、つまり心や魂を含む階層だ。さらには、地球という階層もあれば、太陽系、銀河系と階層は広がっていく。下の階層を見れば、臓器、細胞、量子といった具合に小さくなっていく。現世という階層を超えて、死後の世界や来世もあるだろう。四方八方に階層が広がっている。さらには、階層はもっとも大きな、すべての宇宙を含むと言われる虚空まで行くと、次は、またもっとも小さな量子の世界に戻る。戻ると言っても、階層構造はらせん状に連なっているので、ひと回りした後は、ほんのわずか次元が上昇した、新しい階層世界のスタートとなるわけだ。そうやって無限に階層世界が連なって、次元上昇が続く。がん治療の専門家である帯津先生がおっしゃるのは、「がんという病気は人間という階層にできる病気だから、臓器という階層を対象とする西洋医学だけでは対処できない」人間よりも下の臓器という階層で何とかしようとしているから、限界があると言うのだ。人間は肉体だけの存在ではない。心があることはだれも否定しないと思う。魂があるという考え方もある。だから臓器だけでなく、ボディ、マインド、スピリットをまるごと扱う人間を対象とした医療でないと、がんという病気には対処できないのだ。そういうことで、帯津先生は人間まるごとのホリスティック医学を提唱している。さらに話を進めれば、ひとつ上の階層から見れば、下の階層のことはよく見えるはずだ。解決法もより明確になる。地球という階層の視点から、人間を見れば、病気の正体もはっきりしてくるのではないか。病気だけでない。人間がかかわるすべての出来事が、なぜ起こって、どうすれば解決するのか、わかってくるはずだ。
2023年06月01日
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我が家にはヤギが6頭(うちでは6人と呼んでいるが)いる。男の子が2人。かっくんと元氣だ。女の子が4人。ぴょんぴょんとあかりとさわりとあんり。ぴょんぴょんの息子が元氣。元氣とあかりの間にできたのがさわり。かっくんとさわりの子どもがあんり。明日21日はさわりの誕生日。もう1年もたったかという感じもするし、もっと前の出来事だったような気もする。長野の田中果樹園さんを訪ねて、そこで弘美がぴょんぴょんを見初めたことがスタートラインだ。ぴょんぴょんが妊娠していることがわかったため、出産してから引き取ることにして、最初に来たのは、埼玉県東松山にいたかっくんだった。あれから2年になる。ぴょんぴょんと元氣、それに元氣の友だち、いずれはお嫁さんにと、あかりが来た。あかりが妊娠してさわりを産んだ。さらに、生後2ヶ月でさわりが妊娠。9月にはあんりを産んだ。激動の2年だった。ヤギの出産に立ち合うとは思ってもみなかった。ヤギの繁殖力にもびっくりだ。このままだとどんどん増えていく恐れがあったので、男の子たちは去勢した。今の我が家のキャパでは、6人がちょうどいい。しっかり者の美人さん、ぴょんぴょん、とってもやさしいかっくん、でっかくなってリーダーとして君臨している食いしん坊の元氣、ちょっとさみしげなかわいさのあるあかり、気が強くて負けず嫌いのさわり、大らかで人懐っこいあんり。いい味を出している。あいつらのおかげで、楽しい毎日を過ごしている。
2023年02月20日
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地面に引き込まれそうになる夢を見た。ここ最近、睡眠の質が落ちているかもしれない。9時10時には布団に入る。以前は、すぐに眠りについたが、このごろはうつらうつら状態が1時間2時間は続く。いつの間にか眠りについて、朝方はうつらうつらで夢を見ている。熟睡したという感じはない。でも、昼間眠くなるということもない。地面に引き込まれそうになって、もがいている。そばをだれかが通るのだが、気づいてくれない。一生懸命に声を出す。のどから絞り出すように声が出た。足もとを人が歩いていく。気づかれない。必死で声を出そうとする。足を通り過ぎようとする人の足に絡ませる。「助けてくれ」という感じだな。そこで、妻に「どうしたの」と起こされた。「うなされていたよ」自分でも自覚している。いい夢ではなかったが、強烈な悪夢とも言えない。こんなこと、以前にも一回あった。前はもっと怖かった。心臓がどきどきしていることもない。とても冷静に状況を把握していた。「大丈夫だ」と妻に答えて、トイレへ行った。何だったのだろうと夢を思い返しながら、横になっていた。しばらくしたら眠りについたが、その前に思ったこと。いわゆる地縛霊のようになってしまうと、あんなふうに、ただただ地面にくっついてもがいているだけ。助けてほしくてもだれも助けてくれない。ときどき、通りかかった人に足をひっかけたりする。それで、転んでけがをしたりする人も出てくる。段差もない平坦なところで、理由もわからず転んだとしたら、そういう地縛霊の仕業だと思えばいいかも。夢だと、いろんな体験ができる。
2023年01月24日
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東京のときは小笠原ツアーを含めて、年に何度かイベントを主催してきた。山梨へ来てからは、年に1~2回。集客がけっこうなストレス。いつも、なんでこんなことやろうと決めたのだろうと思う。それでもやってしまうのは、結果的には、なぜかうまくいくし、喜んでくれる人がたくさんいて、終わったあとには、すごく満足できるから。この土曜日には石井光(あきら)先生の内観の講演会を行う。11月20日には帯津良一先生の講演会。石井先生にしても帯津先生にしても、山梨ではなかなかお会いすることができない先生なのに、正直、東京と比べて反応は良くなくて、ため息が出てくることもある。だけど、何とか予定の人数は集まってくれるから面白い。石井先生の講演会、20人くらいの会にしたいということでスタートしたが、5人くらいでぴたっと止まってしまった。まあいいか。先生には勘弁してもらおう。そう思いつつも、石井先生の話を聞いて救われる人がいるはずだと、次女の氣恵がキッチンカーで声をかけてくれたり、ぼくが近くのカフェにチラシを置かせてもらったり、SNSで発信したりしてきた。そしたら、兵庫県、愛知県、埼玉県という遠方の方から申し込みが入った。山梨県内の人も少しずつ増えて、昨日、20人に達した。何十回も講演会をやってきて、いつもこういう結末になるのだが、なかなか「大丈夫」とどっしり構えられるようにはならない。いつもはらはらドキドキだ。11月の帯津先生の講演会も、どれくらい集められるか不安でいっぱいだ。塩山市民病院の多和田院長もお話しをしてくださるという、豪華な講演会だ。2ヶ月前になって、ありがたいことに、応援したいと申し出てくれる人も現れて、少しずつ盛り上がってきた。去年は75名の方が集まってくださった。今年は会場も大きいし、100人では寂しい。200人くらいは集めたい。山梨へ来てから、家にこもって、ヤギの世話をしたり、畑仕事をすることが多くなった。あまり人と会わない。講演会をすると、あちこち出かけて行って、PRしないといけないので、人と話す機会が多くなる。これはこれで、精神衛生上も、人間関係を広める上でも、大事なことだと思って、これからも、せっせとイベントをやっていきたいと思っている。
2022年09月14日
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何年か前にかかわった某精神科医の本が、タイトルも装丁も変わって再出版される。ありがたいことに、6~7万円の印税を振り込んでくれるそうだ。思わぬ収入というのはうれしいものだ。ぼくにとっては、臨時収入は数万円くらいがちょうどいい。宝くじで何億円も当たっても、使いみちなんかないものな。家を建てたり、高級車を買ったり、食べ歩くとか飲み歩くとか、海外旅行をするとか、そんなことは興味がない。会社を大きくするなんてやっかいなことは、ぼくにはごめんだ。寄附すると言っても、本当にきちんと社会に貢献している団体かどうか、ぼくには判断できない。ぼくは、今のこじんまりとした生活に、けっこう満足している。昨日書いた、図書館カフェが実現したらそれでいいや。それも、採算をとるとか、そんなことは度外視して、気の合う仲間と楽しくやりたい。それくらいのお金でいいな。じゃあ、いくら必要なんだと言われても困るけれども、自分にできる規模でやればいい。掘っ立て小屋だって、楽しいじゃん。幸い、ご先祖様が残してくれた土地とか家があるから、これを上手に利用すれば、そんなにお金もかからない。お金はないと困るけれども、そんなにたくさんいるものではない。あったら、まわりの人の夢をかなえるために使えばいい。円高だインフレだって騒いでいるけれども、今こそ、足るを知って、今日一日生きられたことに感謝しながら暮らす、いいチャンスだと思う。
2022年09月10日
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先日、笛吹市にある教善寺という日蓮宗のお寺で先祖供養をしていただいた。若い住職さんと奥様が、「自分たちのできることでお役に立てれば」ということで、宗教、宗派を超えて、「御祈祷」をしてくれる。ご住職は、七面山で長く修行をし、スタッフとしても働いていた。霊的にとても鋭敏な人で、目に見えない世界をよく理解している方だと、ぼくには思えた。仏教だ神道だキリスト教だという宗教の枠、日蓮宗だ浄土真宗だといった宗派の枠にとらわれてはいけないと、檀家制度にもこだわらず、求めに応じて、自らが会得した供養の方法で、さまざまな因縁を解き放っている。「ある神道の偉い方が御祈祷を受けてくださって、これはすごいと発信してくれたことで、たくさんの方が来てくださいます。ほとんどが県外の方です」と奥方が説明してくれた。御祈祷を受けて何かの変化があるからこそ、人は集まってくるのだろう。ご先祖様供養というと、成仏していないご先祖様に光の世界へ行ってもらうことを目的としているが、それだけでは解決しないというのが、ご住職の考え方だ。現世を生きる人たちのさまざまな不幸の霊的な原因は、ご先祖様からの訴えがひとつ。成仏していないご先祖様は、自分の苦痛ややってほしいことを、同じようなつらい目に子孫を体験させることで訴えてくることがある。もうひとつがその家系への怨念。だれにもたくさんのご先祖様がいて、さまざまな時代をご先祖様は生きてきた。戦国時代だったら、人を殺めたりだましたりした人もいるはずだ。第二次世界大戦のとき戦地で血みどろの戦いを経験した人もいるだろう。やむを得ずということはあったにしろ、恨みを買う要因はいくらでもある。品行方正な人でも、逆恨みをされたこともあったに違いない。そうした恨みが、現在まで残り、現存の人たちにも悪影響を与えている。ご先祖様に成仏してもらうだけでなく、そうした根深い恨みを供養するというのも、このお寺の大事な役割だ。ある方は、「父との関係が最悪でした。とにかく頑固で口が悪く、私のことをののしるような人です。先祖代々、大きく事業をしてきた家系です。たくさんの怨念が渦巻いているようでした。御祈祷をしてもらって帰ったら、父ががらっと変わりました。相変わらず口は悪いのですが、私を怒鳴ったあと、しばらくすると『さっきは言い過ぎた。申し訳なかった』と謝るのです。私が生まれて50年以上になりますが、そんなことは一度もありませんでした。びっくりです」と話してくれた。怨念が消えたことで、父親に変化があったと考えられる。ぼくは、こういうことができる人を待っていた。何ヵ月か前、龍神しか描かないという絵師のワークショップが教善寺であった。ぼくは、基本的に龍神には近づかないようにしている。なぜなら、ぼくのつたない霊体験からの判断だが、龍神を語る低級霊が山ほどいるからだ。だいたい、低級霊は龍神を名乗りたがる。きっと、自分は龍神だと思い込んでいるかわいそうな霊だと思う。ほとんどの龍神らしきものは低級霊だと思った方がいいというのが、ぼくの考え方だ。自分は龍神に守られていると言っていた人が、とんでもないことに巻き込まれたのを、たくさん見てきた。一時的には守ってくれても、あるときとんでもないしっぺ返しを受ける。本当の龍神なら、そうたやすく人の前には現れないし、わざとらしい形で、自己主張をしない。さりげなく、メッセージを送ってくれるものだ。だから、ワークショップに誘われたときも、「ああ、またか」というくらいで気乗りしなかった。幸い、別件で東京へ出かける用があったので、断った。ところが、直前になって、別件がキャンセルになった。そしたら、急に教善寺のことが気になり始めた。そういうときには動くのが一番。定員に達していたが、知り合いに頼んで入れてもらった。お寺に入って、ご住職ご夫妻と会って、ぼくにはぴぴっとくるものがあった。このお寺も龍神様を大切にしている。その龍神が、本物か低級霊か、ぼくは判断できないが、ご住職様ご夫妻を見る限り、低級霊ではないものを感じ取ることができた。ひとつは人相と謙虚な言動。あとは、この人が低級霊に支配されていて、ぼくを間違った方向に導こうとしているならそれも仕方ないという、信頼感と安心感。ぼく独自の審神者的な感覚がぴぴっと動いたのだ。そして、ワークショップのときの昼休み。隣のグループに思わず声をかけた。と言うのも、帯津良一先生の講演会の人集めをしている時期で、隣から「看護師をやっていて・・・」という声が聞こえてきたため、これはチャンスとばかりチラシを渡したのだ。ぼくは知らない人の声をかけるのはあまり得意ではないが、「声をかけないといけない」と動かせる何かがあった。そしたら、一人の方は、帯津先生をよくご存じで、ぜひ行きたいと言ってくれた。何と、当日は8人で来てくださった。ぼくは「龍神様のお導きだ」と素直に感じた。これは大丈夫!ぼくは、このお寺で御祈祷を受けることを決めた。
2021年12月23日
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いろいろな方がヤギーずビレッジを訪ねてくださる。とても厳しい状況にあるご家族が来村された。経営している会社が倒産寸前。お子さんは不登校。奥さんがぼくの「そうだ、イルカみたいに生きてみよう!」を書店で手に取って読んでくれた。資金繰りに頭を痛めているご主人に、「これ読んでみて」と渡した。すべてのことは意味があって起こっている。大きな力に守られている。真っ暗闇の中に光が差し込んできたような気がしたそうだ。ぼくは思う。強く生きろ!くじけるな!あきらめるな!前を向け!勇気をもて!自分に負けるな!ぼくたちは、そんな言葉にがんじがらめになっているのではないか。もちろん、そんなふうに生きられる人は、実践すればいい。でも、ほとんどの人はしたくてもできない。できないのにやろうとすると、いつかパンクしてしまう。弱かったりくじけたりあきらめるのは、決して悪いことではない。困難に出くわしたとき、逃げ出すこともひとつの選択だ。まわりに迷惑をかけるかもしれない。でも、体勢を整えて、前へ進めるときがくればお返しすればいい。向かい風にじっと耐えていれば、必ず追い風がやってくる。それが自然の法則。夜が明ければ朝になり、冬がすぐれば春がくる。当たり前のこと。
2021年10月27日
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懐かしい人が遊びに来てくださった。「地球交響曲」の上映会を一緒にやった、建築家の畠山さんと、千葉の齋藤さんご夫妻。何年ぶりだろうか。あのころ、「地球交響曲」の上映会をあちこちでやった。川越を皮切りに、厚木、和光市、千葉・・・。ぼくは声掛け人。仲間が集まって来た。みんなで企画して、チケットを売って、上映をする。時間と労力はかかる。でも、お金にはならない。逆に赤字になることもある。何のためにやったのか。この映画を多くの人に見せたいと思った。地球という規模で日常を見つめていく。たった一個のおむすびで生きる勇気をもらった人がいる。人と象との深い絆。死で人生が終わるわけではないことを教えてくれたカメラマン。地球が奏でるシンフォニーに共鳴して、気の合うメンバーが次々と集まってくる。楽しかった。上映までこぎつけるのに、思わぬことが起こって興奮した。刺激的だった。500人とか1000人とか、大きな会場がいっぱいになった。和光での上映会の日は大雪だった。電車も止まった。そんなときに人が集まるはずがない。楽観的なぼくもあきらめた。ところが、上映の直前、電車が動き出し、まだ雪がちらつく中、たくさんの人が駆けつけてくれた。スタッフはみんな感動して、手を握り合い、ハグをし、涙を流す人もいた。感動的な一日だった。しかし、厳しい現実が待っていた。20万円ほどの赤字。どう埋めようか。スタッフが一人一万円ずつ出せば大丈夫。でも、それでは面白くないではないか。「よし、フリーマーケットで稼ごう」毎週、代々木公園にみんなで繰り出した。どれくらい続けたか。とにかく20万円を稼ぎ出した。「赤字になったおかげで、上映会が終わっても、こうやって会えるんだから」雪のおかげだ、赤字で良かったと、だれかが言ったが、この考え方が地球のリズム。畠山さんや齋藤さんは、そんな仲間だった。あの当時がよみがえってくる。これまでいったい、どれくらいの人と出会ってきたのだろうか。いい人生を生きてきたなと、改めて思う。
2021年09月06日
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東京オリンピックも今日まで。ぼくはスポーツが好きだから、いいゲームがたくさん見られたのはうれしかった。しかし、時代の流れからすれば、中止にする勇気があって良かったのではと思っている。やるならば、なぜ開催するのか、日本にとって、世界にとっての意義をはっきりさせるべきだったと思う。スポーツは、見る人に、感動、勇気、希望、夢を与える。よく言われることだ。確かに感動はある。でも、勇気や希望や夢となるとどうなのだろう。一部の人を除いて、あれだけのパフォーマンスはあまりにも宇宙のかなた。どんなに努力しようが、がんばろうが、ああはなれない。自分のやっていることは、オリンピック級とはとても言えないし、このコロナ禍では、がんばって何とかなるというものではない。自分には関係のない世界。ノンフィクションであるけれども、自分にとってはフィクションなのだ。なかなか勇気や希望や夢を見出すことなどできないのではないか。世の中の混乱をごまかすためにスポーツが利用されている。ぼくには、そんな気がしてならない。オリンピックで一時的には気分が高揚した人もいるだろうが、宴の後には虚しさがつきもの。もっと庶民レベルでの、勇気や希望や夢を与えるようなことがないと、感染どころではない人たちの数がどんどん上昇する。『そうだ、イルカみたいに生きてみよう!』
2021年08月08日
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だれにでもいつか肉体は滅びるときがくる。このことに疑問を投げかける人はいないと思う。不死に挑戦しようという人もいないし、いたとしても残念ながら無駄な努力。必ず死ぬにもかかわらず、死を恐れる人がいかに多いか。ぼくもその一人だが、死を恐れる限り、恐怖からは逃れられない。死が怖いものと感じるのは、洗脳なのかもしれない。権力者が大衆をコントロールしやすくするため、死は怖いものと思い込ませた。「殺すぞ」と言われたら、たいていの人は言うことを聞くわけだから。死が恐ろしいものではなく、快適なものだとしたら、恐怖の半分はなくなる。だれもが死ぬのだから、死とはどういうものか、例外なく体験できる。真実はやがては一人ひとりが知ることになるのだが、そんなにも怖いものではないと思ったりもする。死そのものよりも、その過程だったり、死に伴う別れだったり、死後の世界に対する不安だったり、周辺部が騒々しい。縁起が悪いとか、嫌だということで、死を考えずにきている人も多いと思う。でも、いつかは訪れる死だから、真剣に考える時間ももちたいものだ。しっかり生きて、潔く死んでいく。65歳になると、さまざまな死を体験する。寂しさはあるけれども、みんながんばって生きて、この世を去っていった。ご苦労様、ありがとう。そんな気持ちで見送りたいと思う。『そうだ、イルカみたいに生きてみよう』
2021年08月07日
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小さな農園でいいというのが、ぼくの望み。ところが、まわりで話がどんどん大きくなり、ビッグファームへと突き進んでいく。はてさてどうしたものか?ピピッと啓示があった。人はだれもが自分を過小評価しがち。65歳にもなれば、「これでいいや」と思ってしまうことも多い。でも、天はその人の能力を100パーセント発揮させようとする。残された時間がせいぜい10年とか20年なのにまだ50パーセントしか発揮していない人がいれば、バンバンと尻を叩く。刺激を与えるのだ。そうせざるを得ない環境を作り出す。まさにそういう状況だ。残念ながら、ぼく自身が思っているミッションは、こんな程度のものではないらしい。もっと社会に衝撃を与えないといけない。そのために、いろいろな人を遣わせて、ぼくに刺激を与え、尻を叩く。やってみようと思う。残された人生、目いっぱいエンジンを吹かせてもいいじゃないか。隠居生活をするために山梨へ来たわけではないから。筋肉痛はあるけど、ずいぶんと慣れてきた。まだまだ行けそうな気がする!
2021年05月09日
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富士山以外に、山梨へ来てうれしいのは、星がたくさん見えること。月もきれいに輝いている。ずっとこちらに住んでいる人にとっては当たり前の景色で、何の感動もないんだろうな。都会で長く暮らしてきたおかげだ。星を見ていて思うのは、これほど広大な宇宙を日々目にしていながら、人はなんとせせこましい生き方、考え方をしているのだろうということ。どうあがいたって何一つ変えることのできない巨大な力にコントロールされているのに、悪あがきを続けている。だから苦まないといけない。知り合いがぼやいていた。「平穏無事に生きることはできないのだろうか」コロナのため、多くの人が右往左往させられている。平和に穏やかに生きていきたいとだれもが思っているだろう。でも、果たして平穏無事なんてことはあるのだろうか。何が平穏無事なのだろうか。そう考えていくと、ぼくたちは、平穏無事というないものをねだっていることに気づく。ないものを求めていると、そこに生まれてくるのは苦悩だけ。心配、不安が募ってくる。そうじゃなくて、この世は山あり谷あり。自分にとって都合のいいことも悪いことも起こる。それを前提に生きていくことが、心が安定する一番の処方箋だ。ただし、どんなにつらいことであっても、必ず意味があって起こっている。上手に受け止めて、心の中で消化することができれば、貴重な栄養分になって、自分を成長させてくれる。心静かに星をながめていると、きっと星たちからのメッセージだなと思えるような、ひらめきや気づきがある。何か大きな力に生かされている。2021年、まだまだ激動は続くと思うが、努力で切り拓いていくということよりも、生かされているという謙虚さをもって生きていきたいと思っている。2021年は、一人ひとりが生き方を少しずつ変えていかないといけない年になる。自分が変われば、いい年になるということ。忘れないようにしたい。一年間、ありがとうございました。
2020年12月29日
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どうも知識が感覚の邪魔をしていることは多々あるようだ。 本を読む。 セミナーに出る。 そうやって知識を貯め込むことで、感覚が麻痺してしまうことはよくある。たとえば食事。 玄米菜食の勉強をすると、頭で玄米や野菜は良くて、肉はダメと言われる。 真面目な人は、言われたとおりに、肉抜きの食事を始める。でも、ときには体が動物性のたんぱく質を要求することがあるはずだ。知識がこれを遮断してしまう。 ぼくもさんざん、食事療法は取材してきた。 あれはダメ、これもダメ。 これがいい、あれがいい。 もっともらしい理由をつけて、いい食事、悪い食事が語られる。 ついついその気になってしまう。いろいろな食事療法家の話を聞くと、あちこちに食い違いが出てくる。野菜は生で食べた方がいいという人もいれば、野菜は煮ないといけないという人もいる。どちらも難病が治っている人がいる。もちろん、治らない人もいる。感性をもっと大切にしてみたらどうだろうか。食べたいものを食べてみる。食事だけではない。日々の生活でもそう。自分がやりたいことをやってみる。自分で決めて動く。反対されようが、悪い結果が出ようが、そんなことを気にせずに、感性に従う。そうすると、感性が磨かれてくる。感性が鋭くなれば、本を読んだり、セミナーを受けても、自分が受け入れた方がいい部分と、これはスルーしようという部分がわかってくる。自分なりの方法を会得することができる。主食は玄米にしよう。でも、ときどき肉も食べる。たまに食べる肉だから、高級なものにしよう。それも少量にする。そんなふうにデザインできるわけだ。闇雲に信じてしまうのは愚かなことだと思う。正しいことは人の言葉の中ではなく、自分の中にある。貝原益軒も養生訓の中で言っている。「食べたいものを少しだけ食べるのがいい」と。ぼくのまわりには、勉強したが故に苦しんでいる真面目な人がたくさんいる。
2020年12月24日
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アグリヒーリングというのは「農」と「癒し」のコラボレーション。「農」は人の食を支える現実的な世界。「癒し」はスピリチュアルな領域への足掛かり。この2つを並べてながめていると、重なり合う部分から見えてくるものがある。人には何が必要なのか?ぼんやりと浮かび上がる深くて大きな世界。山梨での第一回目の「アグリヒーリング」のイベント。BBQを楽しみ、畑の見学をし、ブドウを収穫し、ワインを作る。盛りだくさんのプログラムだった。昨日1日で3日分は楽しんでいただけたと思う。人が集まり、そこにちょっとしたきっかけがあれば、場は勝手に動き出す。人と人とがつながり、心に温かなエネルギーが流れ込む。あせらずあわてず、少しずつ場のエネルギーを高めて行こう。そうすれば、いい仲間がどんどん増えていくはず。最高のスタートが切れた。次は11月7日。枯露柿で干し柿を作る。12月19日は忘年会&クリスマス会。お問合せはこちら。
2020年10月04日
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インパクトがあった。考えさせられた。感動した。終末期にどう生きて、どう死んでいけばいいか、実体験をもとに、萬田緑平医師(萬田診療所)がお話をしてくれた。萬田医師は、在宅緩和ケア医として、これまでたくさんの人の旅立ちを見送ってきた。今は、ほとんどの人が病院で最期を迎える。しかし、そういう死に方を、本人は望んでいるのだろうか。中には家へ帰りたいという人もいる。そういう人を、萬田医師はサポートしている。「今の医療は長く生きることが正義になっている」と萬田医師は言う。心臓を動かせるために、最大限の努力をする。薬を使い、体に管を通し、心臓マッサージをして、生かそうとする。果たして、それは本人のため、家族のためになっているのだろうか。「本人の意志を尊重し、人生の最終章のシナリオは自分で書く」萬田医師は、人生の最終章を自分で決めた人が、どんなラストシーンを迎えるのか、動画で見せてくれた。亡くなる前の日に、笑顔でお別れのメッセージを伝える人もいる。死の前日というと、息絶え絶えの状態だと思ってしまうが、決してそんなことはないと、動画は教えてくれる。「あんなふうに死んでいければいいな」そう思う。残された家族も笑顔で見送る。その秘訣は??「家族がありがとう、大好きだよといっぱい言うことです。そうすれば、旅立つ人も、いい人生だったと思えます」お母さんを亡くした小学生。自宅で見送った。その直後、彼女は言った。「いい人生だったと思います」泣くこともなく、自信をもってそう言い切ったのだ。お母さんは、娘さんにものすごい宝物を残していったと思う。「終末期には、旅立つ人の顔を見て、喜ぶことをやってあげてください」その一番が、感謝をすることなのだと思う。終末期のおじいちゃん。残された時間はわずかだ。東京へ行っている息子が帰ってきた。息子は、号泣しながら「ありがとう」と「ごめんな」を繰り返した。おじいちゃんも泣いた。動画では、そのときの様子を笑顔で語っていた。いい旅立ちだったと思う。死にゆくときではなく、日頃から大切な人には、感謝の気持ちを伝えておかないと。人はいつ死ぬかわからない。竹内結子さんの悲しいニュースがあった。あってほしくないことだけど、たくさんの人が家族とゆっくりとお別れできずに、突然旅立っていく。ぼくの兄弟も、去年、相次いで、急に旅立って行った。心が痛いし、悔いも残る。あの世でも会って話すチャンスはあると、ぼくは思うけれど、先延ばしせずに、今のうちに、きちんと「ありがとう」を言っておくといいんだろうな。懇親会でもいろいろ話をさせてもらったが、「すごい奴に出あった」という興奮があった。ずうずうしくも肩を組んでの記念撮影。山梨にお呼びして、講演してもらおうと思っている。妻にも聞かせたい。娘たちにも聞かせたい。仲間にも聞かせたい。
2020年09月28日
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昨日、因果律のことを少し書いたけれど、量子の世界では通用しないのだそうだ。つまり、時間と空間のある世界でしか、因果律は通用しないのだ。量子の世界では時間も空間もない。それがどういう世界なのか、ぼくには想像ができない。ぼくは1988年からスピリチュアルな世界(当時は精神世界と言った)を取材している。テレビにも出ていた有名な霊能者と、心霊スポットへ出かけて心霊写真を撮るという企画も任されたことがある。カメラマンが、霊能者に言われるままにシャッターを切って、現像できたら霊能者の家を訪ねて、お化けの写っている写真を選んでもらう。テーブルに写真を積み上げると15センチくらいになる。一枚一枚、ルーペで見ていく。「あらかわいい。こんんところにいたわ」そう言って、ぼくに説明してくれる。最初はよくわからなかったが、次第にコツをつかんで、何度か通ううち、けっこう上手に見つけられるようになった。このころのぼくは、肉体がなくなった(死んでしまった)ときの状況が想像できなかった。ふわふわ浮いているのだろうか?意識は? 記憶は?まわりがどんなふうに見えるのだろうか?肉体がないのに自分という認識はあるのだろうか?霊能者たちは当たり前のように肉体のない世界を語る。ぼくは何度も質問したが、どうしてもイメージがわいてこなかった。今は、こんな感じだろうと想像できるようになった。しかし、ぼくが想像している死後の世界は「時間」も「空間」もある。だれしも、死んですぐは、時間や空間に縛られているのだと思う。次第に、「あれっ」と思うことが起こってきて、面白いなと思える人はあの世へ旅立つことができて、いつまでも現世に執着している人は時間や空間から逃れることができずに、なかなか死んだら行くべき世界に向かえない。この世とあの世のはざまでさまようことになる。時間がないというのは、過去も未来も同時に存在するってこと。昔の自分も未来の自分も同時にいる。タイムトラベルなんて簡単なんだ。空間がないっていうのは瞬間移動ができるってことかな。宇宙の果てだって、意識した瞬間に、そこにいることができる。パラレルワールドにも行けて、別の人生を歩んでいる自分にも会える。自分の意識が一瞬のうちに状況を変えてしまうのかも。因果律に縛られていると、いつまでもあの世へ行けないかもしれない。あの世のことはいろんな人が語っているけれども、自分の意識が作り上げる世界だとしたら、人によって違うのかも。この世に未練もあるし、あの世へ行くことの不安もあるけれども、想像もできない世界が広がっていると思うと、わくわくもする。しかし、あの世へ行く前に、この世で「意識が現実を作る」みたいなあの世の法則を少しは感じないといけないな。本当にそうなのか。実験してみる価値があると思う。
2020年09月13日
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お世話になっている歯医者さんには2人の若い女性の歯科衛生士さんがいる。この子たちがとても褒め上手。歯の掃除に行くたびに、「よく磨けてますね」と褒めてくれる。もっとしっかりやろうと思えてくる。だいたい、ぼくは褒められるような歯ではない。歯並びは悪いし、コーヒーが原因なのか、茶色く染まっていて、治療のあとだらけ。コンプレックスだらけ。口の中を見られるのが嫌で、よほどのことがない限り、歯医者さんへは行かなかった。しかし、褒めてもらえると、少しずつ自信を回復して、行くのが楽しみになってくる。人は褒めて育てるものだとつくづく思う。犬もおだてりゃ木に登るということわざもある。調子に乗って猿も木から落ちるになってはいけないが、褒められることで、できないこともできるようになることがある。ただし、口先だけで褒めていてはいけない。おだてるのと褒めるのとは違う。がんばって歯を磨いているという事実があるから、その結果を褒められてうれしいし、自信がつくわけで、何もしていないのに褒めたり、何かをさせようという意図があって褒めても、効果は出ない。褒めるということは、それだけ相手を観察していないといけない。昨日は、「歯石が少ないですね」と褒められた。それに、「歯周病も大丈夫」と太鼓判を押された。これからも歯は大切にしよう!
2020年07月16日
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昨日の続きです。バスで伊豆急下田駅に向かう途中、豪雨でがけ崩れ。前方も後方も道路が埋まってしまった。さらに、突然崖が崩れて、バスを直撃。あわや川に転落! という危機に立たされた。崖に目をやると、泥水が滝のように流れている。川を見ると猛烈な勢いの濁流。バスの運転手と乗客12人はにっちもさっちもいかない状況に追いやられた。このまま川に流されるか、土砂に埋まって死んでしまうのか。恐怖に体が揺さぶられる。逃げようにもどこへ逃げていいかわからない。じっとしていられなくなった乗客はバスの外へ出て、右往左往している。行き場所なんかどこにもないのに。そんなとき、運転手がすくっと立ち上がった。「私はこのへんは地元です。地理はよくわかっています。この山の向こうには稲梓という駅があります。そこまで歩けば何とかなります」山の向こう?この雨だよ?いつ崩れるかわからないのに?バスの中に残っていた何人かは、どうしたものかと顔を見合わせた。外は少しずつ暗くなっている。このまま暗闇に置き去りにされたら気が狂ってしまう。運転手はだまってバスを降りた。そして、崖に沿って前の方へ進むと、比較的なだらかな斜面を上り始めた。ちょっと待ってよ。一人で行くのかよ。彼の背中を見ながら、ぼくは決断を迫られた気持ちになった。「みなさん、運転手さんについていきませんか」それしか選択肢はない。ぼくは運転手に続いて斜面を上る。乗客たちもあとに続いた。運転手は黙々と歩いていく。ぼくたちも必死で歩く。草をかきわけ、濡れた斜面に足を滑らせないようにしながら、ゆっくりゆっくり進む。体は、激しい雨に打たれ、水浸し、泥だらけだ。ぼくの後ろは年配のおばさん。膝が悪いそうだ。ぼくは彼女の手を引き、「もう少しだから」「がんばるよ」と声をかけながら上った。1時間くらいも歩いただろうか。駅が見えてきた。さすが運転手さんは地元の人。迷わずに案内してくれた。ほっとした。だけど、ここからどうすればいいのか。電車が走っているはずがない。無口で愛想のない運転手だったけれども、たぶん、無線で会社に連絡をしてあったのだと思う。これから稲梓の駅へ向かうと伝えてあったのだろう。しばらくすると、何人かのレスキュー隊がやって来た。足の悪いおばあちゃんは屈強な若者におんぶしてもらって、線路に沿って、蓮台寺という隣の駅に向かった。途中、トンネルがあったが、入り口の部分が土砂で半分ほど埋まっている。ひざくらいまで足が沈む。レスキュー隊が張ってくれたロープを伝って、何とかトンネルを抜けると、もうそこは小雨しか降っていない、平穏な世界だった。バス会社が用意してくれたバスの乗って、近くの衣料品店へ行く。下着や洋服を買い、それから宿へ。そこもバス会社が用意してくれた。お風呂へ入って、おにぎりをいただき、ビールを飲んだ。最高だった。生きている実感があった。命が喜んだ。ぼくたちが乗ったバスを中心に、2平方キロほどの狭い範囲に猛烈に降った雨だった。6人が亡くなったそうだ。後日、おばさんたちから手紙をもらった。稲梓駅で撮った「記念写真」も入っていた。手紙には、「あなたがいなかったら、私たちはどうなっていたかわかりません」とうれしい言葉が書かれていた。ぼくは、ただみんなの決断を促しただけ。一刻も早く、四方を恐怖に囲まれた場所から逃げ出したかった。ヒーローはあの運転手だ。ぼくは、こうやって思い出話として語れるが、今、豪雨の被害にあわれている方々は、ぼくの比ではない恐怖や不安を抱えているはずだ。まずは雨よ、早くおさまっておくれ。
2020年07月10日
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コロナのおかげで、ずいぶんとゆったりと過ごしている。心配事や不安がないわけではないが、あせってもあわててもどうしようもない。やれることだけやって、あとは流れに任せるしかない。もともと、ぼくにはこれくらいのゆっくりペースが合っている。でも、働かないと、急がないとという乱ペースに振り回されてきた。昨日は、午前中は仕事をして、昼ご飯を食べて少し昼寝をして、妻と一緒に畑へ出かけて、ホタルを見て帰ってこようと思ったけれども、急に雲行きが怪しくなってきたので、ホタルをあきらめて、丸亀製麺でうどんを食べて帰ってきた。片道1時間半ほどかかる。妻とのいいコミュニケーションの時間だ。家に着いたらお風呂を用意して、ゆっくりお湯につかり、ビールを飲んで、焼酎を飲んで(しそジュースや梅ジュースで割る。今のお気に入り)、映画を少し見て、12時くらいにベッドに入った。畑に行った日は、いい加減の疲れがあって、ゆっくりと眠れる。このペースを続けていけるのか、またせわしなさに巻き込まれるのか。大丈夫だと思う。ゆっくり、のんびり生きて行こう。
2020年06月17日
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新型コロナウイルス。圧倒的に子どもへの感染が少ないようだ。感染しても重症化しにくい。日本では、5月27日現在で、10歳未満は278人(1・7パーセント)、10~19歳は390人(2・4パーセント)にとどまっていると言う。どうしてなのだろうか?ウイルスというのはRNAという遺伝情報がカプセルに入っていだけの、生き物だか物質なのかわからないものだ。栄養摂取もエネルギー産生も増殖もできない。これが動植物の細胞に入り込むと、細胞の遺伝子を組み替えてしまう。自分の都合のいいようにコントロールして、エネルギーを作ったり、増殖する機能を乗っ取ってしまうのだ。この行為に大いなる意図があるとしたら。人間改造計画だ。人類の遺伝子を書き換えようとしているという意図。宇宙なのか、地球なのか、ぼくたちをコントロールする力が、ウイルスを使って、人類を進化させようとしている。とすれば、子どもたちにはどうして感染が少ないのか。すでに進化しているから、ウイルス感染させる必要がないとも考えられる。感染しても重症化しないのは、大規模な遺伝子操作が必要ないから。2025年には、地球が不良星から優良星にレベルアップする。優良星に住むにふさわしい人間に移行するための神の計らい。それが新型コロナウイルスだったりして。このままだと、人類は滅びに向かっていくとしか思えない。その流れにストップをかけてくれると考えれば、ウイルスを見る目も違ってくるはずだ。
2020年06月03日
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病原菌なら抗生物質、ウイルスならワクチン。それが治療の定番で、長い間、人類を病気から守ってきた。しかし、抗生物質もワクチンも、特効薬ではなくなった。抗生物質の効かない耐性菌が出現し、新型コロナウイルスも、短期間で変異をしてしまうので、ワクチンも効果が期待できない。常に新しいタイプのウイルスの恐怖にさらされることになる。何に頼ればいいのか。もう、自分の生きる力しかない。免疫力や自然治癒力で対抗するしかないのだ。自分や家族の身を守るには、生活を見直さないと。食は、あれは食べない、これはダメという制限をもうけ過ぎないこと。過剰な食へのこだわりは、自分自身の負担になることもあるし、家族関係、人間関係を悪くする。ストレスになる。家でお菓子を食べさせてもらえない子どもは、友だちのところでお菓子を出されると、夢中になって食べる。ずっとがまんしてきた堤防が決壊するのだ。心という面から言うと、良くないよね。大事なのは少食にすること。体がきちんと処理できる量であればいいわけで、化学物質だってゼロにする必要はない。少しだけ悪いものを入れたほうが、体の処理能力が高まるという説もある。食よりも大切なのは呼吸。しばらく食べないでいても人は生きていける。何も食べないで生きている人もいるくらいだ。しかし、何日も呼吸をせずに生きている人はいない。数分止めたら、たいていの人は死んでしまう。命にとって、食べることよりも呼吸のほうが重要なのだと思う。なのに、食にこだわっている人はいても、呼吸にこだわる人はあまりいない。おかしな話だ。深くて長い呼吸を意識すること。自分がどんな呼吸をしているか観察するといい。現代人は、浅くて短い。ストレスを抱えやすい人は特に、その傾向がある。寝る前の1分間でも、起きたときの1分間でも、ゆっくりと呼吸をしてみる。それだけでも体調も心の状態も変わってくる。お経がいいのは、その文言もあるけれども、一種の呼吸法だから。体も心も整える、健康法でもある。さらに、心のもち方。愚痴、不平不満を少なくし、感謝の気持ちをもつこと。無理矢理、不平を言わないと自分に言い聞かせても、出るものにはふたはできないし、ふたをすると、必ずその弊害が出る。でも、呼吸法を続けてえいると、自然に心も変わってくる。運動もしないと。激しい運動ではなく、リズム運動がいいと言われている。リズミカルに体を動かしていると幸福感を増やしてくれる、セロトニンという神経伝達物質が活性化するそうだ。ぼくは、太極拳とか気功がいいと思う。ぼくがやっているのは、スワイショウという簡単な気功。自然な姿勢で立ち、脱力して腰を左右に回す。両手をだらんとしていれば、体の動きに引っ張られて自然に左右に振れる。それを50回とか100回やる。それと前後に腕を振る腕振り運動も100回。下半身の運動はかかと落し。自然な姿勢で立って、息を吸ってかかとを上げ、息を吐きながらすとんと下へ落とす。これだけで立派な気功だ。リズム運動であると同時に、呼吸法でもあるから、一石二鳥だ。と言うことで、ワクチンや薬に頼るのではなく、自分の身は自分で守るくらいの気持ちをもつことが、一番のコロナ対策。そうすれば、コロナが変異したり、新たなウイルスが登場しても、体はきちんと対処してくれる。ぼくはそう思っている。
2020年05月20日
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お風呂に入りながら、「琥珀」という映画を見た。富山県の魚津が舞台。大学を卒業してから2年ほど、魚津の隣の黒部市というところで働いていた。忘れられない2年間だ。魚津もよく行った。映像を見ていると、アルプスの山々や港がとてもきれいで、「こんないいところだったんだ」と改めて思った。魚津と言えば蜃気楼だが、見ず仕舞いだった。20代前半のころ、山を見てきれいだと思えるような余裕がなかった。「こんなはずじゃなかった」「もっとエキサイティングに生きたい」「このまま終わりたくない」そう思い続けていたサラリーマン生活だった。でも、何かができるわけでもない。ジレンマの中で、もがいていた時期だった。東京へのあこがればかりで、景色にまったく目が向かなかったのはもったいなかったかもしれない。もっとも、それは今だから言えることで、あのままあそこにいたとしたらどうだっただろうか。思い出の土地だからこそ、すばらしさを感じるというのはあるだろうと思う。「琥珀」の主人公の西田敏行は数日後に定年を迎える刑事さん。ひょんなことから25年前の殺人事件の手がかりを見つけ、有休をとって東京から魚津にやってきた。何十年ぶりかでふらりと行ってみたい気になった。思い出に残っている場所を回ってみたら、どんな気持ちになるのだろうか。きっと、大きく変わっているだろうと思う。20代のころのことなど夢の中の出来事のようだが、ぼくは間違いなく、あの場所で暮らしていた。三重県鈴鹿市で生まれ、18歳から名古屋で暮らした。富山へ行き、また鈴鹿へ戻って、1年後には名古屋へ。27歳のときに東京へ出た。東京では調布市、中野区、浦和市(いまはさいたま市浦和区)、川越市、東久留米市と動いている。一度、自分の足跡をたどってみるか。
2020年03月05日
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いつもニコニコ穏やかにしている人と、すぐに怒って怒鳴りつける人と、さてさてどっちが上等な人間か。ぼくは迷いなくニコニコに1票投じる。でも、この世の中、ガミガミ派が幅を利かせている。会議でも、ニコニコしている人の意見はガミガミに吹き消されてしまう。ガミガミ言われるのが嫌で意見を言わないかもしれない。それに、ニコニコとガミガミが一緒にいると、ガミガミウイルスがどんどん繁殖していく。特に学校なんかそうだよね。ガミガミ先生だと、ニコニコ子どもたちもウイルスにやられてクラス中がぎすぎすしてくる。すぐ怒ってだれかを怒鳴りつける生徒がいると、いつもニコニコしている先生まで怒鳴り出したりする。家でも、お父さんがいつもガミガミだと、家族中がピリピリする。その点、ニコニコは繁殖しにくいのかもしれない。ガミガミ集団の中にニコニコが1人いても無視されるか消されてしまう。だから、数をそろえないといけないのだ。ガミガミウイルスにやられ続けている。だから、なかなか人類は成長しない。それでもいいからできるだけニコニコしていたいと、ぼくは思っている。少しでも上等な人間になりたいから。目指せ! 「雨ニモマケズ」精神だな。
2020年02月23日
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ぴぴっときたことはまずやってみる。あれをやらなきゃ、これもやらないと。そう思っていることが積み重なっていると思うけど、本当に大切なことはぴぴっとくる。やらなければならないと思っていることがあっても、ぴぴっとくることがあれば、それを優先する。原稿の締め切りが迫っていれば、なるべくほかに目を向けないようにするのだけれども、ときたま「ぴぴっ」がやってくる。それをやるには、今日一日を使わないといけないよ。締め切りに間に合わないよ。また小言を言われる。さてどうするのだ!正直、ぴぴっに耳をふさいでしまうことはよくある。もしあのときに動いていれば・・・。どうなっていたかわからないけど、もっと面白いことが起こっていたかもしれない。バリバリ動けるのはあと何年だろうか。80歳まで現役でいるつもりだから16年くらい。あり余るほどの時間をもっているわけではない。大事に命を使わないと。命の望む方向に進んでいきたい。ぴぴっとくることを大事にしながら道を選んでいこう。「いつか」はいつまでもこない。
2020年02月19日
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「沈黙」という遠藤周作の小説。映画にもなった。江戸時代、キリスト教が禁止されていたころ。2人の宣教師が日本に潜入。命がけでキリスト教を信仰する農民たちの力になろうとする。しかし、どれほど苦しもうが、弾圧の嵐は去らない。「こんなにも神を信じているのに、どうして神は沈黙しているのか」宣教師や信者たちは悲痛な叫びをあげる。神の沈黙。あるいは仏の沈黙を感じている人もいるかもしれない。神とは大自然ことではないだろうか。自然はやさしいだけではない。激しく厳しい側面を見せることはよくある。この間の台風。たくさんの家が流され、何十人もの人が亡くなった。自分に都合のいいことばかりが起こってほしいと思いがちだが、残念ながらそうはならない。自然はバランスを整えるため、台風や地震を起こす。その人の体や心のバランスをとるために病気になる。苦しいこと、つらいことはいくらでもある。「どうして自分だけが」嘆きたくもなる。しかし、嘆いたり愚痴っても解決はしない。自然は全体のバランスを考えるのみ。それが神の営み。ぼくたちは粛々と受け止め、できることをやるしかない。神の沈黙の中から、ぼくたちはさまざまなことを学んでいかないといけない。かなしみの中にこそ、本当の学びを見つけることができる。神の姿を垣間見ることができるのではないだろうか。
2019年10月18日
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もし、小学生に「いのちって何ですか?」と問われたら、どう答えますか?お酒を飲んでいてそんなことを聞かれた。学校では「いのちを大切にしましょう」と言われるけど、大切にする「いのち」って何か?そんなことを教えてくれる先生っているだろうか?たぶん、学校で言う「いのち」は、生きていることになるのだろうと思う。「死んじゃだめだよ」ということなのだと思う。でも、人は必ず死ぬ。なぜ、死んではダメなのに、人間は死ぬようにできているのだろうか。死なないことだけを「いのちを大切にする」ことだと考えるから、人はいのちを大切にできないのではないか。生きていることだけを「いのち」と考えれば、「いのち」は必ずなくなる。どっちみちなくなるものだから大事にするのか、粗末に扱うのか。いのちって何?自分なりに「こう思う」という答えをもっているといいんじゃないかな。うまく言えないけど、「使命」ってよく言うけど、「自分がやるべきこと」を「いのち」って言うんじゃないかな。だれもが何かの意味や意図があって、この世に生まれてきた。自分で「こう生きよう」と決めて生まれてきたはずだ。その意味や意図をいのちって言うんじゃないかな。ただ生きていればいいということではないと思うな。いのちは、この世だけで完結できる部分もあれば、過去世とかご先祖様から連綿と引き継がれ、来世、子孫に引き継ぐものもある。これから出あった人に、「小学生から『いのちって何ですか?』と聞かれたら、どう答えますか?」と聞いてみようと思う。
2019年04月05日
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今回の豪雨、とんでもない被害になっている。まだ、孤立している地域がたくさんあるようだ。ぼくの住む東京では、そんな大変なことが起こっているとは思えないほど平穏に時間が経過しているが、決して他人事だと、安閑とはしていられない。次は東京かもしれないのだから。被害がこれ以上大きくならないことを願うばかりだ。よく言われるけれども、災害があるたびに、電気やガス、水道、通信に、ぼくたちがどれだけ頼っているかということを痛感させられる。交通手段もそう。たぶん、頼り過ぎ。そして、それらはとても脆弱なもの。電気もガスも水道も通信も電車やバスも、あって当たり前で、それがなくなったときにどうするかはまるで考えてない。便利さに頼り切っていると、いざというときに動けなくなってしまう。災害が多発する中、何が必要なのか考えなければならない。自然災害というと、地震、豪雨、津波、洪水、豪雪、竜巻。噴火もある。戦争だって原発事故だって一種の災害だ。疫病もそう。大事なのは、いざというときのための心構え。防災グッズをそろえることも必要だが、今回のように想像もつかない事態が起こってくると、防災グッズもどれほど役に立つのか。地球全体が、とても不安定な状況にあるということは間違いない。いつ、自分も、大きな災害に見舞われるかもしれないということは、頭の片隅に置いておく必要がある。ただ、災害があるかもしれないという不安や恐怖に振り回されないこと。自分の力で防げものではないのだから。とにかく、今、無事に生きていることに感謝し、今できることを一所懸命にやること。結局はそれしかない。いい一日だったと思えるように、きちんと生きていきたいものだ。
2018年07月10日
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「まあいいか」というのが口癖だ。口に出さなくても頭ではそうやって折り合いをつけているので、考え癖と言った方がいいかもしれない。ストイックにどこまでもがんばって突き詰めてという生き方は、ぼくは尊敬する。それくらいしないと、どんなことでも一流にはなれるものではない。それは重々承知の上だ。だけど、一流になるために必死でがんばってつぶれていく人がどれだけいることか。上手くいった人だけの話が広がっていくので、必死になること、がんばることがいいと、無条件に考えてしまいがちだ。挑戦してみることはいいと思う。できるかもしれないから。でも、ダメだと思ったらあきらめること。それが大事。「まあいいか」くらいがちょうどいい。日ごろ、まあいいかで生きていても、人は不思議なもので、やるべきことが見つかると、エネルギーがぐっと集中する。日ごろから、何でもかんでもがんばっていると、いざというときに力が出ない。そんな気がする。ぼくは、まあいいかのまま死んでもいいと思っている。できれば、「まあいいかでいいんだよ」と伝えることができればいいな。特に、自分ができないくせに、子どもにとことんがんばることを要求する親がいたりする。それは、子どもを壊すようなものだからやめてほしいな。
2018年06月25日
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人の悩みというと「人間関係」にまつわることが一番大きいそうだ。ほかには、「経済的な悩み」「健康の悩み」「仕事の悩み」「将来についての悩み」といったものがある。悩みなんてのは、考えだしたらいくらでも出てくる。けっこう自分で作りだしているものも多いのではないか。ぼくはけっこう能天気に生きているけれども悩みがないわけではない。いくらでもある。だけど、考えても仕方のないことは考えないようにしている。「なるようになる」これを忘れないことだ。62年間そうやって生きてきた。いろんなことがあった。親やまわりの人に尻ぬぐいしてもらったこともあるし、人に迷惑をかけたこともあるけれども、何とかのりこえてきた。これまでうまくいったのだからこれからもうまくいく。反省のない男だけど、学習はしているはずだ。守ってくれている目に見えない力があるから何とかなる。そう思いながら、困ったことがあれば、それを打開するために何が起こるかを観察してみる。お金がないからと言って、天からお金が降ってくることを期待してはいけない。何とかピンチはしのがせてくれる。そのあとは、仕事をくれる。やらないといけない。やれば一息つける。そんな形で助けてくれる。それが宇宙の善意。ぼくはそう思う。悩みは即決しなくても、宇宙は山ほどのチャンスをくれる。チャンスを感じて行動する。そうすれば、悩みは解決する。
2018年06月02日
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人はだれでも頭の中に「幸せな猿」と「不幸な猿」を飼っているのだそうだ。幸せな猿はいつも幸せを感じてニコニコしている。不幸な猿は、いつも不平不満、愚痴を言って生きている。頭の中をどちらの猿が支配するかで幸不幸が決まる。その決め手は何か。どちらの猿に餌をたくさんあげるかだ。餌というのは、その人の考え方や生き方だ。だれにでも、幸せだと感じることもあれば不幸だと思ってしまうことがあって当たり前。どちらに焦点を当てて生きるか。「「がん」をのりこえた人が気づく7つのこと」(サンマーク出版)でも紹介させていただいた小島もと子さん。去年、一緒に小笠原へ行って、以来「もっちゃん」と呼ばせてもらっている。彼女ががんになったとき、はっと思ったことがあったと言う。「がん以外はすべて幸せじゃないか。がんのことばかり考えているから不幸に向かっていく。がん以外の幸せなことに目を向けよう」簡単に書いてしまって申し訳ないが、すごい考え方の転換だと感心する。がんになって不幸だと毎日思っていることは、不幸な猿に餌をあげること。不幸な猿は友だちを呼び寄せてくる。勢力がどんどんと大きくなる。もっちゃんは、がんのことは不安ではあっても、家族が仲良しで、みんな元気で、経済的にも恵まれていて、友だちもたくさんいて、おいしいものも食べられて・・・と、いくらでも幸せなことがあることに気づいたのだ。幸せな猿の存在を知り、餌をあげ始めた。そしたら、不幸だと思い込んでいたがんも、家族の絆が強くなるきっかけになっているし、いろいろなことに気づかせてくれるし、生き方や考え方が変わってきたし、ただの不幸ではないと思えるようになってきた。別にがんがあっても普通に暮らすことができる。生活への支障はまったくないわけだ。幸せな猿と不幸な猿の力関係が逆転した。幸せな猿は幸せをたくさん集めてくれる。幸せな人との縁ができてくる。幸せな出来事が次々と起ってくる。何よりも、今まで不幸だと思い込んできたことがそうじゃないと思えるようになった。たぶん、彼女は、幸せな猿にも不幸な猿にも、いいバランスが保てるように餌をあげているのだと思う。不幸な猿が運んできてくれるものも、実は、何かの気づきのチャンスだし、それを生かせば、幸せな猿の餌にすることができる。幸せも不幸もないんだと、そこに到着点があるのだろうと思う。不幸だと思うことが起ったら、これは不幸をなくすための大きなチャンスだと考えるのがいい。不幸だと思ったときこそ、幸せを探してみる。不幸な猿がいるからこそ、幸せな猿の存在に気づくこともある。
2018年06月01日
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「粗製乱造だよね」ある人がぼそっと、出版業界への批判を口にした。そうかもしれない。毎日、たくさんの本が出版される。自転車操業のように本を出さないとやっていけなくなっているのが実情だ。こんな見方をしている人もいる。「どんな本でも、一冊読めば、そこにははっと思うことが一つや二つは書いてあります。ほんの数行かもしれませんが、それに出あえるだけでも1500円を出す価値がありますよ」その方の書斎は、本で埋まっていた。粗製濫造と言われるような大量の出版点数であるけれども、そんなたくさんの本の中から購入した一冊というのは、深い縁のある本に違いない。この本とはどういう縁があるのだろうと、楽しみにしながらページをめくっていくというのは、ぼくはとても豊かな生き方ではないかと思う。ぼくの場合、資料として読むことが多くて、ななめ読みで必要なところだけ使うという乱暴な読書だったが、このごろ、有名でもない人が初めて出した本を読ませてもらうことがあって、すごくいいんだよね。一所懸命に生きてきた証が、その中にはしっかりと込められている。真摯な生き方が伝わってくる。本を書くといのは職人仕事のようなもので、だれでもできるというものではない。すてきな人生を歩んできた方の半生を文章にするには、ぼくたちのようなライターがお手伝いすることになるが、ひょっとしたら、これはとても大切な仕事ではないかと思うことがある。最近、ぼくが読んだ本は、ライターがお手伝いして作った本だと思うが、丹念な取材と、ていねいな文章が、いい本にしている。ライターは黒子に徹して、著者の思いをどうやって伝えるか、試行錯誤しながら書いたことが伝わってくる。たぶん、売れる本にはならないと思うが、本の存在意義は、売れることばかりではない。ぼくたちがロボットだとしたら、常にソフトをインストールし、常にアップデートする必要がある。その役割を果たしているのが本ではないかと、ぼくは思う。そういう意味で、ぼくたちライターは、人間というロボットを動かせるためのプログラミングの仕事をしていると言ってもいい。粗製濫造という面はあるけれども、それでも、それをどう読むかで、どんな本からも自分をアップデートさせるために役立つところはあるはずだ。3月には「がんを乗り越えた人が気づく7つのこと」という著書が出る。ぼく自身、取材と執筆を通して、いろいろなことを考えさせられた。多くの人のお役に立てることを期待して、今、最後の仕上げに入っている。
2018年02月21日
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現代の日本人のメンタリティには、西洋の真似をすることが進んでいるというのがありそうだな。明治以降、それが続いている。戦後はそういう教育(洗脳)をぼくも受けてきたから、アメリカは夢の国だと思っていたもの。真似しない方がいいことはいっぱいあるのに。スポーツを見ていてもそう思うことがある。ぼくはラグビーが好きだけど、海外では、ゴールキックのとき、キッカーを集中させまいと観客が大騒ぎするのを見たことがある。外せ! という気持ちはわかるけど、品がないよな。日本は静かだよ。昔はもっと静かだった。静まり返っていたような気がする。バスケットを見に行ったけど、フリースローのとき、ゴールの裏で旗を振ったり、音を出したり。あれがアメリカ文化なんだな。日本では真似をしない方がいいと思うけど、やっちゃっているよね。静かに見守る文化を世界に伝えないと。ブーイングもそう。海外の真似をしたがる軽薄な観客がいる。ラグビーの試合を見ていて気持ちいいのは、選手がグランドに一礼して入り、一礼をして出ること。ジャパンの選手なら日本人だけでなく、外国出身の選手も一礼をしている。いいなあと思う。外国チームはしないよね。相撲も、勝負がついたあと負けた方は一礼をして土俵を降りるんだけど、きちんと頭を下げる力士はあまりいない。みんないい加減にちょこっと頭を振るだけ。ああいう所作から指導しないと、相撲界は変わっていかないかもね。豊真将という力士がいて、彼のおじぎは天下一品だった。おじぎの横綱だ。古い日本では、すべてのことが「道」だったんだよね。礼に始まり礼に終わる。勝ち負けは大事だけど勝ち負けにこだわらない。そんな大らかな気持ちで生きていきたいよね。
2017年12月01日
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どんな仕事も苦しみがともなうもの。楽な仕事なんかない。「あの人は好きなことを仕事にしていていいね」なんてうらやましがる人もいるけれども、好きなことを仕事にしている人も、決して楽しいことばかりではないはずだ。それは前提。しかし、「つらい」「苦しい」「大変」だと言ってばかりいると、何をやってもなかなかうまくいかない。幸せの種をまくには、喜びや楽しみ、うれしさ、幸せな気持ちを発信しないといけないから。苦しいことつらいことが多い仕事だとしても、その中に、何か楽しいことを見つけることはあるはず。そこに意識を向けて仕事をしてみる。そうすれば、発するエネルギーが違ってくる。昔、ある有名な作曲家の人に教えてもらったことがある。曲を作るというのは格闘のようなものだ。苦しみが伴う。自分は、苦しんで曲を作るのが当たり前だと思っていた。苦しまないといい曲はできないと思っていた。でも、それは間違っていたことに気づいた。苦しみながら作った曲からは苦しみしか伝わっていかない。苦しみのエネルギーが曲の中に入ってしまうから。その影響を受けた人は、同じような苦しみを背負うことになる。そんなつもりで自分は曲を作っているわけではない。だから、自分は苦しみを喜べるようにした。ここを乗り越えたらみんなが喜んでくれる曲が出来上がると、わくわくしながら作るようにした。そして、できたときにはバカみたいに大喜びすることにした。人は苦しんだ分だけ成長するのではない。苦しみを喜びや楽しみに変える術を覚えたとき、大きく成長する。闇の中に光を見つけるセンス。それを養うことが生命力。
2017年11月28日
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わが家はおかげさまで、父と娘との関係がとてもいい。それを自慢げに話すと、「娘さんを信頼しているからですよね」と、お褒めの言葉をいただく。でも、娘を信頼しているから関係がいいというわけでもないと思う。と言うか、「俺はお前を信じているから」とは、一切言ったことがない。その言葉の裏にあるのは、「俺を裏切るなよ」「やっかいなことはするなよ」という圧力のような気がするからだ。実際、面と向かってそう言われたら、だれもがプレッシャーを感じると思う。ぼくは嫌だな。そうでなくても、子どもは、親を困らせたくないと思って生きてきたわけだ。親に褒められるのが一番うれしい。なのに、親は子どものそんな気持ちを裏切って、褒めるよりも小言の方が多くなる。プレッシャーをかけて自分の思うようにコントロールしようとする。子どもだって嫌になる。その反動で、親に反抗したり、心配させるようなことをするわけだ。ぼくが思うのは、子どもの運命を信じること。自分できちんとプログラムして、ベストの人生を生きようとしていることに目を向ける。そこを評価する。余計な干渉はしない。子どもというのはピカピカの魂で生きている。あのキラキラした目を見ればわかる。それが、大人になるに連れて、どんどんと汚れていく。多くの大人は、汚れていくことが成長だと大きな勘違いをして、子どものプログラムを狂わせていく。すばらしい魂で生まれてきた子どもだ。不幸になるはずがない。困難にぶつかっても必ず乗り越える。そして、本当の意味で成長していく。親は、常に子どもの味方であるべき。そして、必要以上に口出ししない。脅しなんかぜったいにダメ。そうすると、子どもは困ったときには素直に助けを求めてくる。そのときに、適切に手を差し伸べればいい。現実生活はドロドロしている。ピュアな魂では解決できないこともあるのだから、そこは大人の出番だ。泥をかぶる。それが親の覚悟。ごちゃごちゃと小言を言うのは覚悟ができてない証拠だ。
2017年08月31日
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親というのは、自分の目の届く範囲に子どもを置いておきたがる。自分の考えの及ぶところで行動してもらいたいと思う。だけど、そんな中に子どもを閉じ込めてしまうと、せっかくの才能をもった子どもであっても、親のレベルを超えることはできない。だいたい、子どもが知っている大人というのは、親か学校の先生、近所のおじさん、おばさんくらい。もちろん、立派な親、魅力的な先生、すてきな近所のおじさん、おばさんもいるけれども、身近な人だと、刺激が少ない。特に親だと、せっかくいいアドバイスをしても反発されたりする。ぼくは、若いときに、いかに魅力的な大人に会うかが人生の別れ道だと思っている。いろいろな生き方があるということを、若いうちに知ること。社会というのは、人をひとつの枠にはめたがる。その方が管理しやすいから。でも、それは社会の都合であって、そんな社会に合わせて、管理しやすい人間になる必要などない。大きく羽根を広げて生きている人がいる。まわりから「変わり者」だというレッテルを貼られても、そんなことお構いなしに、自分のやりたいことに向けて突き進んでいる人がいる。今の管理社会からははみ出しているかもしれないけれども、そうやって生きる道だってあるのだ。そういう人は、ぼくから見れば、ものすごく魅力的だ。これもぼくの価値観で、子どもたちに押し付けるものではないが、そういう生き方もあるよ、あんなふうに生きてもいいよというのは、将来を考える上で、選択肢を大いに広げるものではないだろうか。次女は来年成人式。3人の娘たちは、それぞれ自分の道を歩き始める。ぼくができるのは、一人でも多くの魅力的な大人に、彼女たちを会わせてあげること。そこから何を学び、自分の人生にどう生かすかは、彼女たち次第。もう少しだけ、親としておせっかいを焼く時間をもらうことにする。
2017年08月26日
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