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「40年ぶり!自動車学校!」 徘徊日記 2024年4月27日(土)青山台あたり 躑躅がいっぱい咲いていて、うれしい風景ですが、ツツジの名所というわけではありません。ここには、何故か、線路はないのに踏切りがあって遮断機とかあったりするんです。 そうそう、自動車学校の初心者教習コースです。 今日、2024年の4月27日(土)にやって来たのはジェームス山自動車学校です。40年ぶりの自動車学校です。「高齢者講習!」 だそうです。 他人ごとみたいに言っていますが、実は、結構、緊張してやって来ました。乗らない普通免許を返納して、原付免許に書き換えてもらうための講習です。 動体視力とか、夜間視力や視界の確認とか、しっかり高齢者を自覚させられましたが、なんだか楽しい教習体験でした。 あいにく、お天気が悪かったのですが、久しぶりの教習所の風景です。オートバイの免許をとろうかなあと考えた時期もありましたが、結局、原付バイクのほかは乗ったことのない普通免許も今年で終わりです。コースに置かれている大型バイクを見ながら、しみじみしました(笑)。 無事、高齢者講習終了でした。ホッとしました(笑)。じゃあ、またね。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.30
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チャン・リュル「群山」元町映画館 映画を見終えて、感想を書きあぐねていた作品ですが、とりあえず備忘のために感じたことのメモをそのまま書きつけておこうと思います。映画はチャン・リュル監督の「群山」です。 チャン・リュルという監督は、韓国の監督だと思い込んでいましたが、中国の吉林省の方で、所謂、朝鮮族の三世だそうです。 彼が作品として描いている「柳川」、「福岡」、そしてこの「群山」、「慶州」と、日本列島の西の町から朝鮮半島をたどっていることの意味について、とても興味深く思いますが、そのあたりの見当がつかないのが、感想が書けない理由でもあります。 作品は、ボクが見る限りですが、旅する複数の男女、あるいは男男と、その町に住んでいる人々との出会いによって描かれていますが、単なる名所めぐりではなくて、登場する人たちのそれぞれの体験や記憶という、別の時間が背景化されることで、町を映している映像の意味が重層化される印象が共通していました。 たとえば、この「群山」でも、一瞬、何時のことなのかわからない困惑に連れ込まれるシーンがあったりしたと思うのですが、そのあたりも、言葉にするにはボンヤリしてしまってうまくいえません。 もう一つは、たとえば「柳川」という、列島の西の端、九州の水郷の町を舞台にした作品では登場人物の名前が町の名前に重ねられることで、町の歴史と、そこにやってきた旅人の記憶が重ねられている印象が残りましたが、この「群山」では、主人公、旅する詩人ユンヨンの「母の生まれ故郷」という設定で、本人にはあり得ない「既視感」が映画を動かしているようなのですが、うまくいえませんね。 ついでに、もう一つ、九州で生まれて、今はこの町で、母の死を見たことで心を閉ざしているらしい娘と暮らしているという、宿の主人のキャラクター、尹東柱という日本で殺された詩人の名前の登場、なによりも、旅をしている主人公が詩人であるということが、かなり大切なつながりで描かれていたと思いました。 今、映画の中で生きている一人一人の記憶と朝鮮族という民族の歴史が出会う場所に、チャン・リュルという監督の、それぞれの作品があるという印象なのですが、うまくいえませんね。 静かで、穏やかな会話が記憶に残る作品でした。拍手!監督 チャン・リュル脚本 チャン・リュルキャストパク・ヘイル(ユンヨン)ムン・ソリ(ソンヒョン)チョン・ジニョンパク・ソダム2018年・121分・G・韓国原題「頌」2023・08・03・no103・元町映画館no194追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.30
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安東次男「其句其人」(ふらんす堂) 元町の古本屋さんの棚に300円で立っていました。安東次男「其句其人」(ふらんす堂)、1999年の初版です。目次 其句其人 P4(飯田蛇笏集成第四巻月報) わたしの選ぶ「四季百句」-芭蕉から現代まで P9(「太陽」昭和62年三月号) 三句の覚書 P106(加藤楸邨全集第5巻解説) 文庫サイズの小さな本ですからポケットに入れて出かけています。「其句其人」と「三句の覚書」は、それぞれ、飯田蛇笏、加藤楸邨という、まあ、名だたる俳人について、句をひいての解説風エッセイですが、「四季百句」は古今の俳句から著者が選んだ、一句ごとの解説で、読んでいて楽しいことこの上ありません。なんとなく、繰り返し取り出して読んでいます。 ちなみに「春」の最初に登場するのが芥川龍之介です。 元日や手を洗ひをる夕ごころ 芥川龍之介 「夕ごころ」がうまい。元日の手を洗ひをる夕かな、では唯の記録になってしまう。造語という程でもないが「夕ごころ」は前に記憶がない。夕情(慕情)の和訳でもあるか。とはいえ、中七文字を「弓をひきをる」「葱きざみをる」あるいは「田村を謡ふ」などと作り替えてみると、中七の意味のうるささが邪魔して、物事の始終や心の旦暮(平常心)に働くそっちょくな興は現れてこない。どれでも句のさまにはなるが、それは別の「夕ごころ」だ。夕ごころは元日に勝るものはない、と読みとらせる仕草の無意味(「手を洗ひをる」)がよく利いた句である。「澄江堂句集」 とまあ、こういう調子で、おっしゃっていることに対する理解の程度はともかく、文章のテンポと心地よい言い切りに引き込まれます。 で、ノンビリ読んでいて、ふーん、そうか! という体験もあるわけで、その一つがこんな所でした。 頬白やそら解けしたる桑の枝 村上鬼城 「小鳥(小鳥くる)」という仲秋の季語がある。秋になると、渡鳥のはかに漂・留鳥も入混って里に姿を見せる。晩秋ことに、人家近くで見掛ける印象がつよい。昔の人が頬白・四十雀・眼白・山雀などをいずれも秋の季に部類しているのは、漂・留の生態区別がよくつかめていなかった時代のせいばかりではないのだろう。今の歳時記は、右のうち頬白を春(囀による)、その他は概ね夏(繁殖期による)に分類する。虚子の「新歳時記」ではどれもまだ秋である。鬼城のこの句や「頬白や雫し晴るる夕庇 川端茅舎」など、秋として詠んだものだ。これらを囀る頬白(春)の例句に挙げている歳時記があるが、よろしくない。「そら(空)解け」は紐の結び目が自然に解けること。言葉の面白さも与って出来た句のようだが、「桑くくる」という晩秋の季語があるから、「そら解け」も応用と読んでよい。乾いた土一色に枯葉の条々許、という殺風景のなかでまぎらわしい色をした小鳥が動いている、スズメかと思ったらホオジロだった、というちょっとした発見は一株の空解の面白さによく似合う。(P76 ~77) こういう本を持ち込んで、座り込んでいるわが家の某所の壁には、新聞の俳句や短歌の欄に載っている句や歌がポストイットにメモって貼ってあります。チッチキ夫人の仕業ですが、その中にケアマネのあゆみさん来る小鳥くる 加藤節江(1929生) という句があって、それを見ながら、この本を読むということになりますが、へえー、この句は夏か!? なのでした。貼った当人は春ちゃうの?小鳥がよく鳴くのって、今ごろでしょ。うん、でも、今ごろは、たぶん、夏やで(笑)。 ケアマネさんのピンポンの響きで、きた! と、こころと一緒に、お住まいになっているおうちの空気が軽やかにうごくのを感じていらっしゃる加藤さんといっしゃる方の様子が浮かんで、覚えてしまった句なのですが、季節と時間は初夏の午前中なのでしょうかね。 まあ、いつのことでもいいようなものですが、気になり始めてしまいますね(笑) それはともかく、この本、「すべての実作者へ」 とか腰巻で謳っていますが、ボクのようなただの素人読者にも、読みでがあって、おもしろかったですね。さすが安東次男! まあ、そういう感じでしたね。 なかなか、手に入りにくそうな本ですが、おススメですね(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.29
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ハロルド作石「ゴリラーマン40 第4巻」(講談社) 2024年4月のマンガ便の1冊です。ハロルド作石の「ゴリラーマン40」(講談社)の第4巻です。 40歳、不惑を迎えたゴリラーマン、1990年代に高校生ゴリラーマンとして活躍した池戸定治君が中年男になって帰って来たという設定で2022年から始まっている作品の第4巻です。 表紙の、顔はゴリラーマンで服装は女子高校生の女性は池戸芽衣ちゃんといいます。たぶん、ゴリラーマンシリーズでは初めて登場するキャラクターですが、ゴリラーマン、池戸定治さんの姪っ子で、定治さんのお姉さん、まあ、これまたゴリラーマン・ウーマンの池戸美穂さんのお嬢さんです。 実はこのシリーズの正式な題が「ゴリラーマン40 ファミリー編」というのです。池戸定治さんのご一家総出演編というわけですね。 で、本巻の前半は、まず、姪っ子のスーパー女子高生池戸芽衣ちゃんの日々が描かれていました。 身体能力は、ダンスから格闘技まで、超絶スパー・ガールですが、顔はゴリラーマン、友達からはゴリッチとあだ名されている女の子の高校生活を描いたお話でした。 顔がゴリラーマンで、あとはみんな今時の女子高校生なわけですから、笑っていいのか、同情していいのか??? ちょっと困りましたが、でも、まあ、可愛らいい同級生の男の子が、彼女のファンだったりもして、まあ、笑って読んでいていいんでしょうね(笑)。 後半は、今現在のゴリラーマン一族全員集合! で草野球というお話です。ハロルド作石さんは「ストッパー毒島」の作者ですからね、野球系の世界は、きっと余裕なのでしょうね。 正面のお二人が、41歳の美穂さんと女子高生の芽衣ちゃんです。 あとは弟さんとか、お父さん、甥御さんとか姪っ子さんのようです。ゴリラーマン、ご本人の定治さんはここには描かれていませんが、当然、登場します。 まあ、そういうマンガです。面白いと思ったのは、理屈で考えれば同じ顔ではありえないゴリラーマンのお母さんとか、芽衣ちゃんのお父さんが登場しないことですね。 ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、どうでもいいっちゃあ、まあ、どうでもいいんですが。じゃあまたね(笑) 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.28
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石塚真一「BlueGiant Explorer 9」(小学館) 「ブルージャイアント」のアメリカ武者修行編「Explorer」の第9巻です。トラキチクンの2024年、4月のマンガ便に入っていました。 アメリカ西海岸のシアトルだったかで、たった一人で始めた武者修行も、ピアノのアントニオ・ソト、ドラムスのゾッド、ベースのジョーの4人組のバンド「DAI MIYAMOTO MOMENTUM」へと成長してきた宮本大君ですが、この、第9巻ではフロリダを経由してボストンへたどり着きます。 いよいよ、夢のニュー・ヨークへ、あと一歩というところですが、本巻のエピソードは、フロリダでのシェリルという女性との出会いと別れと、ボストンでの沢辺 雪祈くんとの再会ですね。 大が日本でバンドを組んでいたピアニストで、今ではバークレー音楽院で作曲を学んでいるということなのですが、まあ、あれこれいうのはやめます。読んでください(笑)。 彼については、スピンオフというのでしょうか、南波永人という方が、彼を主人公にして「ピアノマン」という小説を書いていて、小学館から、すでに発売されているそうです。ちなみに、マンガの作者の石塚真一はその小説の挿絵とか表紙を描いているそうです。 これですね。 ウーン、映画もかなりよかったのですが、今度は小説ですか。気に入ったマンガに付き合うのも大変ですね。まあ、そのうち読んでみようかなという感じです。 というわけで、BlueGiantExplorerは第9巻で完結です。次号からはいよいよニュー・ヨークの宮本大です。 作者の石塚真一は、ここのところのコロナ蔓延の影響で、現地、アメリカでの取材もままならないままの展開で苦労していらっしゃるようですが、マンガは快調ですよ(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.27
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「ちょっと、この写真、いかが?」 ベランダだより 2024年4月24日(火) ベランダあたり 朝から、ベランダで、アゲハ蝶が舞っていたんです。「ちょっと、アゲハが来てるわよー!」 とまあ、叫ぶ人もいたりして、慌ててスマホ持ち出して、フワフワ飛び回るアゲハを追いかけるのですが、画面は光っているし、その上、老眼ですから、写っているのかいないのか、しばらくあたふたしましたが、結局、アゲハは飛び去って、「無理、無理、画面も見えんし、動くし。行っちゃったし。」ところが、どうですか、この一枚、写っていたんです(笑)。うれしいですねえ(笑)。 ベランダでは卯の花が満開なのですが、アゲハはここには近づきません。蜜柑の若葉がお目当てですね。 でね、同じアゲハかどうかわからないんですが、実は、数日前に、ここから巣立ったアゲハがいるんです。 これが、そのアゲハがサナギを抜け出たところを、偶然、写すことができた写真ですが、帰って来たのですかねえ? というわけで、ベランダでのアゲハ騒ぎ、当分続きそうですね(笑)。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.26
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「これ、ヤマブキですよね!」 徘徊日記 2024年4月25日(木)団地あたり サクラの花でソワソワした、3月の末からの一か月でしたが、終わってしまいました。次はツツジか? とかなんとか思いながら、団地の中をフラフラしていると咲いていましたよ。これって、ヤマブキですよね! 数年前まで、団地の真中の藪の中ですが、このあたりに、もう少し群生していたと思うのですが、すっかり見かけなくなったヤマブキの黄色い花です。 子どもの頃は、但馬の田舎の村の育ちですから、春先には、そこいらじゅうで見掛けたような気がするヤマブキ色なのですが、すっかり見なくなりました。 40年程まえに団地に住み始めたころにはレンギョウとヤマブキが黄色い花を咲かせるのが、サクラの季節の、もう一つの楽しみだったのですが、今は、オウバイモドキというのでしょうか、雲南黄梅一色です。 まあ、街中で見かけることは、もちろん、ない花なのですが、六甲や須磨の山すそあたりでも、本当に見かけなくなりましたね。なつかしいですね。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.25
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クリスティアン・ロー「リトル・エッラ」元町映画館 予告編を見ていて、子供が主役のようなので出かけました。見たのはクリスティアン・ローという監督のスウェーデン映画「リトル・エッラ」です。 主人公のエッラは男の子だと思っていたら女の子でした。これで、まずびっくりでした(笑)。小学校の3年生くらいで一人っ子のようなのですが、両親は休暇に出かけると会って、彼女をおばーちゃんのところに預けていってしまいます。ここで二度目のびっくり(笑)。彼女は彼女で、おばーちゃんより、おじさんのトミーが大好きだということで、トミー叔父さんのところにもぐりこむというあたりからお話が展開し始めました。 で、大好きなトミーおじさんはエッラと大の仲良しで、プールとか、遊園地とか、一緒に遊んでくれるのですが、実は恋人がいて、その恋人はスティーブというオランダ人の男性だということに、三度目のびっくりでした(笑)。その上、恋人同士の二人はエッラの前で、何の遠慮もなく抱き合いますし、彼女にはわからない英語の会話で仲良くするのを見て、彼女はブチギレて、ボクは呆れました(笑)。 と、まあ、ここまでが前段で、ここから、エッラが転校生のオットー君の知恵を借りて、二人の仲を裂くというか、あれ、これ意地悪を実行してというふうに、まあ、お話はすすむのですが、見ているこちらは、展開のあまりのあどけなさについていけません。「なんなんだ、この映画は?」 見終えて、悪い印象はありませんし、お話もよくわかります。しかし「なんだったんだ?」 が残ります。 で、帰ってきて謎が解けました。スウェーデンの絵本作家ピア・リンデンバウムという人の「リトルズラタンと大好きなおじさん」という絵本童話の映画化! だったのです。ナルホド!(笑) でした。 ボクは、たいていの映画をジジーというか、大人の目で見ていて、たとえば、この映画のように、あくまでも子供にわかる子供の視線で描こうとしている世界に出合った時には、そうだと気付かない時には、ついていけないんですよね。 童話や絵本を、読んだり、見たりすることは、多分、同世代のじいさん、ばあさんよりは、多分、頻繁にしているし、好きでもあるんです。作品について理解もしていると思い込んでいましたが、怪しいものですね。 いやー、だからどうするというわけではありませんが、発見! でしたね。 子供や若い人の目で見るとか、まあ、そういう、きいたふうなことを言いたがることがあるのですが、まず、自分を振り返った方がいいですね(笑)。 まあ、それにしても、スウェーデンとか、やっぱり違いますね。イロイロびっくりしました。というわけで、エッラちゃんとオットー君に拍手!でした。監督 クリスティアン・ロー原作 ピア・リンデンバウム脚本 エラ・レムハーゲン ヤンネ・ビエルト サーラ・シェー撮影 シーモン・オルソン美術 オーサ・ニルソン衣装 エッベ・ハーデル編集 アーリル・トリッゲスタッド音楽 スタイン・ベルグ・スベンドセンキャストアグネス・コリアンデル(エッラ:少女)シーモン・J・ベリエル(トミー:叔父さん)ティボール・ルーカス(スティーブ:おじさんの恋人)ダニヤ・ゼイダニオグル(オットー:転校生)ウィリアム・スペッツ(マイサン)インゲル・ニルセン(おばあちゃん)ミカエル・バーデンホルト(三つ子)パトリック・バーデンホルト(三つ子)ロビン・バーデンホルト(三つ子)マリア・グルデモ=エル=ハイエク(オットーの母)テレース・リンドベリ(エッラの母)ビョーン・エーケングレン・アウグスツソン(エッラの父)2022年・81分・G・スウェーデン・ノルウェー合作原題「Lill-Zlatan och morbror Raring」2024・04・23・no061・元町映画館no242追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.24
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ジュリアーノ・モンタルド「死刑台のメロディ」シネリーブル神戸 「エンニオ・モリコーネ特選上映 Morricone Special Screening×2」という企画で、神戸ではシネリーブル神戸で上映されている作品です。予告編を見ていて、ジョーン・バエズの声が聞こえてくると、まだ20代だった学生の頃に見た頃のことがわらわらと浮かんできました。 「Sacco e Vanzetti」という、まっすぐな原題の作品が「死刑台のメロディ」という邦題で公開されていて、どこかの名画座で見ました。50年程も昔のことです。 歴史的な冤罪事件の映画化が事件の50年後に実現し、その50年後に映画音楽の特集上映で再上映され、今年70歳になるの老人は、50年ぶりに「これがアメリカだ!」 と再確認したのでした。国家権力としての、暴力国家としての「アメリカ」 ですね。 見たのはジュリアーノ・モンタルド監督のイタリア映画「死刑台のメロディ」です。 映画はフレーム・アップ、でっち上げの冤罪事件の真相を告発するドキュメンタリーの雰囲気で始まりますが、メインに据えられているの、フレームアップがいかに進行していくのかを、神に誓った真実のことばがやりとりされている「法廷劇」として描かれていました。 この年になってでしょうね、とりわけ面白かったのは権力者の言葉と、反権力者、抵抗者の言葉の違いを、実にクリアに描いていたことでした。 権力者は、あくまでも言葉の表層に拘泥し、揚げ足取りやアジテーションによって、権力の象徴であり、抽象的で、超越的な「法」の網に取り込むことができるかのように相手の言葉を誘導します。何の力もない、その社会の言葉である英語だってうまくしゃべれるわけでもない、一人でそこに、さらし者のように立っている人間が発することばに対する解釈の権力性を臆面もなく主張している姿を活写していました。 たとえば、現場に残された銃弾が32口径であれば、今、目の前にある32口径から「発射されたと言えないことはない」という論旨が、「発射されたにちがいな」へと変わっていく権力的な「ことば」の扱い方の描写は、バンゼッティの最後の言葉である「正義とは何かを証明するために生まれてきた。」 というような、内的真実の叫びというべき「ことば」の吐露と好対照でしたね。 裁判から判決の過程で精神的安定を完全に失いながらも、そこから回復した、もう一人の主人公サッコが「利他を尊べ」と子供に遺しながら、大人に対してはことばを捨てて殺されていった姿にも打たれました。貧しい、流転の人生を生きてきたこころを支える、正直で素直な言葉の存在を共有できないことへの怒りと絶望の沈黙という印象で、この人の姿に人間的な真実 を感じました。 エンニオ・モリコーネの映画音楽の企画なのですが、音楽としてはHere's to Youを歌うジョーン・バエズの歌声以外は、まあ、気付かなかっただけかもしれませんが、実に静かな(?)会話劇の印象でした。サッコとバンゼッティを演じる二人を始め、法廷に登場する人たちの、見ているこちらを、今でもシラケさせない堅実な演技に時代を感じました。50年前、単純な告発映画として見ていたということを実感しましたが、サッコの沈黙 については気づいていたようです。ボクにとってはしみじみと拍手!の懐かしい作品でしたが、できれば、若い人たちにも見てほしい作品ですね。 民主主義を標榜しているアメリカの底に流れるもの、アメリカにかぎらず権力のやり方、まあ、そのあたりは50年変わりませんね(笑)。監督 ジュリアーノ・モンタルド脚本 ファブリツィオ・オノフリ ジュリアーノ・モンタルド撮影 シルバーノ・イッポリティ音楽 エンニオ・モリコーネ主題歌 ジョーン・バエズキャストジャン・マリア・ボロンテ(バンゼッティ)リカルド・クッチョーラ(サッコ)シリル・キューザック(検事)ロザンナ・フラテッロジェフリー・キーン(判事)ミロ・オーシャ(弁護士)ウィリアム・プリンス(弁護士)クロード・マン1971年・125分・イタリア原題「Sacco e Vanzetti」日本初公開1972年5月2024・04・22・no060・シネリーブル神戸no239追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.23
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「鯉川筋のイペ、咲いてました!」 徘徊日記 2024年4月22日(月)元町あたり 神戸、元町の鯉川筋、JR元町駅から大丸デパートに行く道です。この季節になるとヒラヒラした黄色い花を付けます。木の名前はイペといいます。南米原産の広葉樹らしいですが、この通りでは街路樹として植えられています。 ボクは、このヒラヒラした黄色い花の雰囲気が好きで、毎年、咲くのを待っています。 これは、大丸前のスクランブル交差点の東側の角にある1本です。北からの角度で撮ったこの写真は、背景が大丸デパートです。 下の写真はJR元町駅前の広場のベンチの横にある1本。よく知りませんが、駅前のモニュメントも一緒に写っています。 で、この下の写真は、元町駅前の交番の前、南に下る交差点の角にある木です。 ちょっと、近寄って撮ったのが下の写真。天気が悪くて、青空じゃないのが残念です。 駅前の横断歩道を渡って南側から撮ると下の写真になります。 塔がのっかっているような建物が交番です。写真の向う、左が元町駅で、右側がJRの東海道線の高架です。 実は、この徘徊日記を書いているは4月22日ではありません。 というわけで、きっとイペのシーズンはもう終わっているのかもしれません。まあ、ボクにとっては、2024年の春の終わりの備忘録です。あしからず(笑)。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.22
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唐組 第73回公演『泥人魚』 湊川公園赤テント 劇団唐組のテント公演、「泥人魚」を神戸の新開地、湊川公園で見ました。この前はいつ見たのか思い出せないくらい久しぶりの赤テントでした。テント芝居どころか、生のお芝居を観るのも10年ぶりという感じで、湊川公園に張られている赤テントを見て、もう、(^<^)ドキドキでした。 今回の赤テントは50年来のお芝居友だちの入口君がチケットまで手配してくれて、こちらのお久しぶりの再会も(^<^)です。 演目は「泥人魚」でした。 テント小屋の、呉座を敷いた板の間に座り込んで、立膝する余裕があるだけ、昔に比べると楽ちんでしたが、日ごろ、柔軟体操だけは欠かさずやっていたおかげでしょう、ほぼ、2時間の座りっぱなしに、何とか耐えました。 お話は? と言われて、これがさっぱりわからないのが唐組にかぎらず、テント芝居のいい所(笑)ですが、今回もさっぱりわかりませんでした(笑)。 顔に見覚えのある役者は久保井研たった一人で、主役の泥人魚を演じている女優さん、大鶴美仁音の活舌の悪いせりふ回しを聞きながら「この娘、唐十郎のお嬢さんなんだなあ(笑)」 とか、時の流れというのでしょうか、妙にしみじみとしながら、わけのわからない展開を、それなりに楽しんで座っていましたが、とどのつまりになって、荒谷清水と内藤裕敬という、昔よく通った南河内万歳一座で、なんども笑わせてもらったお二人が登場して、拍手!でした。 いい加減で、猥雑で、ハチャメチャで、笑えるというのがボクの赤テントなのですが、ハチャメチャを演じるのも、やっぱり芸というか、役者の力量なわけで、今回の赤テントは、まだまだ学芸会でした(笑)。 まあ、そうはいっても、久しぶりの赤テント、拍手!でしたね。頑張って2時間、呉座に座って、思い出にふけりながら見た老人二人組にも拍手!でした(笑)。唐組 第73回公演『泥人魚』作 唐十郎 演出 久保井研+唐十郎出演 久保井研、稲荷卓央、藤井由紀、福原由加里、加藤野奈、大鶴美仁音、重村大介、升田愛、藤森宗、西間木美希、岩田陽彦、金子望乃、壷阪麻里子、髙橋直樹、舟山海斗、中村健、山本十三 福本雄樹、友寄有司、荒谷清水、内藤裕敬(2024・04・20神戸・湊川公園)追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.21
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ピーター・グリーナウェイ「ZOO」元町映画館 「ピーター・グリーナウェイ レトロスペクティヴ 美を患った魔術師」のゴール、4本目は、企画チラシのメインを飾っている「ZOO」でした。 映画館に到着すると、お久しぶりのカウンター嬢でした。「グリーナウェイ、今日で最後、4本目やで。」「( ̄∇ ̄😉ハッハッハ、それはありがとうございます。最後がZOOですか!それは、それは。(笑)) と、まあ、なんだか意味ありげな笑いです。「えっ?どういうこと?」 とか、なんとか、フト、???だったのですが、無事、見終えました(笑)。 ピーター・グリーナウェイ監督、「魔術師」とか「唯一無二のセンス」とか、まあ、大変なのですが、ボクが鈍いんでしょうね、さほど、ギョッとするわけでも、目を瞠るわけでもなく、それでも、なんかひっかるよな? という感じは持続し続けて、4本見終えました。なんなんですかね、この人? 結局、そこのところにとどまったままでしたね。カウンター嬢に脅されましたが、事件は起きませんでした(笑)。 1本目以来の懸案事項だった、裸体ですが今回も、あちらこちらに出てきましたね。でもね、慣れちゃうとインパクトがありませんね。だから、忘れちゃうんですよね。 で、お話ですが、主人公の動物学者の双子、チラシの中央で裸で座っている二人ですが、彼らが働いているのが「ZOO」ですから動物園ですね、まあ、そこが舞台といえばいえるのお話でした。 で、今回のテーマは、まあ、勝手にそう思っただけですが、「死体」と「腐乱」でした。生き物の死から消滅までの変化の様子が、高速度フィルムというのでしょうか、具体的に映し出されていて、それが目に見えるように映像化しているのですが、グロテスクというより、フーンという感じで、映し出される死骸が、だんだん大きな動物になっていくのを眺めながら、「これって、結局、人間に行きつくのかな?」 そう、思っていると、やっぱり、人間にたどりついて、「で、何がいいたいの?」 が、残りましたね。 シーンがあるだけでコンテクストがないということなのですが、映画全体としては、シーンに何かあるのですよね。だって、意味不明な裸体に朽ちていく死骸なのですよ。そこにはこの映画作家の創作意図なのか、芸術的感受性の発露なのか、たしかなにかにある! のかもしれませんが、ボクにはピーンと響いてこないのですね。これを、極度に好む人も、嫌がる人も、きっといるんだろうな、とか何とかは思うのですが、ボク自身の実感はポカーンでしたね。好きとか嫌いとか判断しようがないというか。なんか見えるんじゃないか、なんか気づくんじゃないか まあ、そんなふうな自分に対する期待もあって、4本見て、結局、ポカーン???(笑) では芸のないことおびただしいのですが、美術でもそうですよね、話題になっているからというので見るのですが、なにも浮かんでこないってあると思うのです。 まあ、そうはいっても、この人の作品、見たことのないのが出てきたら見るでしょうね(笑)そういう興味深さは、やっぱり、感じるのですが、その正体がつかめない、4日続けての元町映画館通いでした(笑)。 監督・脚本 ピーター・グリーナウェイ撮影 サッシャ・ビエルニ音楽 マイケル・ナイマンキャストアンドレア・フェレオル(アルバ)ブライアン・ディーコン(オズワルド)エリック・ディーコン(オリヴァー)フランシス・バーバー(ミロのヴィーナス)ジョス・アックランド(ヴァン・ホイテン)ジェラール・トーレン(医師)1985年・116分・イギリス原題「A Zed & Two Noughts」2024・04・05・no056・元町映画館no240追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.20
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ピーター・グリーナウェイ「数に溺れて」元町映画館 2024年4月の第1週は、毎日、元町映画館通いです。「ピーター・グリーナウェイ レトロスペクティヴ 美を患った魔術師」という、わけのわからない監督の企画に溺れています(笑)。3本目は「数に溺れて」でした。 「数」に溺れるという題の意味が、映画の冒頭から暗示されるシーンから始まります。 可愛らしい少女が縄跳びをしながら、まあ、日本語で言えば「一つ~、二つ~、三つ~」という感じで星の名前を順番に、たとえば、アンタレスだったか蠍座だったか、シリウスだったか大犬座だったか、そのあたりははっきり覚えていませんが、ともかく、空の星の名前を数えていって、100まで跳ぶんです。で、「100からは?」「あとは同じ」 とか何とかいうそばにいた少年との会話があるのです。まあ、それはそれで面白いシーンから始まります。 で、ドラマは、途中まではわからないのですが、3人の女性が、母、娘、姪ですが、何故かシシーという同じ名前で、それぞれ自分の夫や恋人を殺すのですが、みんな溺死なんです。溺れ死にですね。 死因は「数」じゃなくて「水」です(笑)。 で、検死官のおじさんが、それぞれの死因を「他殺」じゃなくて「事故死」だと認定するかどうかがサスペンスのはずなのですが、お話は検死官と一番最初の、お母さんのシシ―との、まあ、色恋の話になってしまって、別にドタバタするわけじゃありませんが、意味不明の「ドタバタ・コメディ?」 の様相で、とどのつまりには数を数えていた少女も、それを見ていた少年も、みんな死んでしまって、ついでに、検死官が、今乗っているボートも、今や沈み始めているというラストを迎えます。 「なんなの、これ???」 原題をみると「Drowing by Numbers」ですから、邦題でいじっているわけではありません。監督の何らかの表現意図が込められているのでしょうが、ボクにはすっきりしませんでした。 三人の同じ名前の女性、100までの星の数、数について暗示的ではあるのですが・・・??? いやはや、ピーター・グリーナウェイ、けったいな監督ですが、あと1本です。 はい、もちろん、見ますよ(笑) ボクも、ヒマなんですねえ(笑)監督・脚本 ピーター・グリーナウェイ撮影 サッシャ・ビエルニ 美術 ベン・バン・オズ ヤン・ロールフス編集 ジョン・ウィルソン音楽 マイケル・ナイマンキャストジョーン・プロウライト(母シシー・コルピッツ)ブライアン・プリングル(夫ジェイク)ジュリエット・スティーブンソン(娘シシー・コルピッツ)トレヴァー・クーパー(娘の夫ハーディ)ジョエリー・リチャードソン(姪シシー・コルピッツ)デイヴィッド・モリッセー(姪の恋人ベラミー)バーナード・ヒル(検死官マジェット)1988年・118分・イギリス原題「Drowing by Numbers」日本初公開 1989年2024・04・04・no055・元町映画館no239追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.19
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バス・ドゥボス「Here」元町映画館 「ゴースト・トロピック」という、題名だけ見ていると意味不明な作品を見て、「もう1本も見よう!」 と思ったベルギーのバス・ドゥボスという監督の、もう1本が、この作品「Here」です。見たのは2024年の3月の31日(水)です。もう20日も前なのですが、感想を今ごろ書いています(笑)。 「ゴースト・トロピック」を見て「いいよ!いいよ!」 と、先に見て騒ぐのを聞いて、自分も見てきたチッチキ夫人との同伴鑑賞でした。 で、帰り道です。「あれってルーマニアやった?」「違うわよ、ルーマニアから、あっこに出稼ぎに来てはるんやんか。」「女の人は中国人?」「顔はね、アジアの人。」「中華料理屋さんやから、中国の人かな、いう感じやったな。」「でも、あっこで生まれ育ってはったみたい。」「苔の研究とか不思議やんな。顕微鏡写真。」「でも、それと一緒にお日さんの光が漏れてくる、木立のシーンがあったやん。あれが、ものすごく自然でよかったわ。」「パーフェクトデイにも同じようなんがあったやん。」「あのな、あの映画な、ウソくさかってん、私には。」「えっ?どういうこと?」「役所広司さんには、別に文句はないねんけどね、まず、トイレの掃除の仕方がウソ臭いねん。」「どいうこと?」「職場のトイレ掃除とかしたことあったらわかると思うねんけど、床のゴミ、素手で拾ってはったやろ。帰りにお風呂に入らはるシーンで説明してはるつもりかもしれ知れへんけど、私やったら、手袋して拾うし、繰り返し手を洗う気がするし、だから、ピカピカのお便所やけど、あそこを使う気がせんかってん。それに、役所広司が持ってるカセットが、妙に価値があるのも変やなって。あの人、金持ちやんって。」「なんかを捨ててきた男をしゅじんこうにしてんねやろ。」「でも、今日の男の人はちがうねんよ。普通の人やん。」「冷蔵庫の残りもんでスープとか?普通?」「そうそう、あれすごくジーンときたわ。」「一人者の料理?」「いや、そうやなくて、暮らしてた国というか、故郷の普通の味のもんを知ってはって、出稼ぎ先で、自炊してはる時に、それがご馳走で、それを、仲間の人や、世話になった人に配って回ることが自然なんよ。」「歩いている林の木立を見上げて見える光のシーンも自然?」「そう、そう、なんか、パーフェクトデイやったら、主人公の、なんかを象徴するようになシーンのために撮ってて、わざとらしいと思うんやけど、この映画の木立は、あるがままなんよね。」「ふんふん。」「男の人と女の人の出会いも、なんか、事件が起きそうなのにそのままで、そやから、女の人が最後に男の人の名前もわからへんというシーンが、ものすごくいいなと思ってん。」「そうかあ、ヴェンダースのは、あれは、あれで、ボクはよかったけど、そうやなあ。」「ちょっと、田舎に帰るけど、冷蔵庫に野菜とか遺ってたからスープ作ってん、食べて、いうて、スープ作って知り合いに配るってすごくない?」「そうやなあ、ありへんな。」「みんな、違うとこから来て、ブリュッセルって、ベルギー?、あっこらへんに暮らしてる、いろんな人を描いてはる目線が自然なんよ。」「苔の研究なんて、変ちゃあ、変やけど、不自然とちゃうもんな。」「あのね、でもね、わたしはこの前のおばさんの話の方が好きよ。」「そうなん?」「そんでね、パーフェクトデイやけど、畳の部屋を歩く時の摺り足の音してたヤロ、あれはよかった思うわ。」「足音がか?」「いや。ほやから畳歩く時の足が摺れる音よ。」「うーん。それは小津かもな?」 と、まあ、帰り道の会話の実況ですが、二人とも、納得だったようですね。バス・ドゥボス監督に拍手!でした。 若い監督さんらしいですが、映し出される人の姿にウソがないというか、チッチキ夫人が「普通」といってましが、文字通り普通の人の姿が映っていて、事件なんて何も起きないのですが、そこがいいなあと思いました。 ああ、それから、話に出てくるパーフェクトデイは、昨年、2023年の暮れに話題になったヴェンダーズの「パーフェクト・デイズ」です。彼女は一人で見に行きましたが、帰ってきて首をかしげていました。ちょっと、そのあたりのことが、この日はことばになったようです。 ボクの感想は題名をクリックしてみてください。監督・脚本 バス・ドゥボス撮影 グリム・バンデケルクホフ音楽 ブレヒト・アミールキャストシュテファン・ゴタリヨ・ゴンサーディア・ベンタイブテオドール・コルバンセドリック・ルブエゾ2023年・83分・G・ベルギー原題「Here」2024・03・29・no051・元町映画館no236追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.18
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金聖雄「アリランラプソディ」元町映画館 待っていた映画です。金聖雄監督の「アリランラプソディ」です。 1990年の終わりから、ほぼ、20年がかりで撮り続けられた川崎市の桜本という地域のおばあちゃんたちが主人公のドキュメンタリーでした。 一番年の若い人で1950年代、登場する多くの人は1920年代に生まれたおばーちゃんたちです。ボクは1954年生まれで、今年(2024年)に70歳で、ボクの母は1928年、昭和でいえば3年生まれの辰年でしたが、亡くなって10年ほどたちます。まあ、その辺りの、だから。ぼくにとっては母に当たるくらいのお年の方が勢ぞろいです。 アリランを歌い、チマチョゴリの晴れ着を着て踊っていらっしゃる姿に涙がこぼれ始めたのが、映画の冒頭でしたが、70歳を過ぎて、初めて識字学級に通い、書けるようになった「日本語」の文字で「にんげんはつよい」 とお書きになっている色紙や、緑の木に雪が降り注いでいる美しい絵が映し出されるのを見ながら、揺さぶられ続けです。 ボクの母ががんの末期を宣告され、病院のベッドで付き添っているボクに語ったことで、覚えていることが二つあります。 一つは、南方へ出征した長兄が、遺品など何一つないまま、とうとう帰ってことを、母の父、ボクの祖父が、最後まで納得しなかったことを「わたしも哀しかったけどな、オジーちゃんはずーっとおこっとんなったなあ。」 そう語りながら、ボンヤリ病室の天井を見上げていたことです。 もう一つは、すぐ上の兄がシベリアに抑留されていた時のことです。「つーちゃんがな、今度こそ帰って来るいうてな、おばーちゃんなあ、船がつくという知らせが来るたびに舞鶴まで行きなったんやで。私が結婚する前やなあ。あんた、岩壁の母っていう歌知っとるやろ、あの歌はホンマことやで。」そう、語りかけながら、あるかなきかの声でひっそりと「はーはは きましーた・・・♪♪」 と口ずさんでいたことです。 スクリーンでは「夢は?」 と問われたオモニたちが、困った顔で80年の人生を振り返っていらっしゃるのが、胸を打ちました。十代で体験した戦争下での暮らしも、戦後の暮らしも、ボクの母の体験などとは比べものにならない悲惨で苛酷な、夢など何一つかなえられなかった人生がスクリーンにはありましたが、ぼくは、戦死した伯父や、それを悲しみ続けた祖父母のことを、亡くなる前の晩に思い出しながら逝った母を思い浮かべながら見終えました。 スクリーンのオモニたちが歌ってきた「アリラン」という歌の一節に、日本語にすればこんな歌詞があります。アリラン アリラン アラリよアリラン峠を越えて行く青い空には小さな星も多く、我々の胸には夢も多い。 インタビューは、おそらく、この詩を念頭にして行われたと思いますが、オモニたちの「夢」 を、言葉通り、生涯にわたって、踏みにじってきたのが、1920年代にお生まれになったときから、戦中、戦後、実は、今に至るまで、「日本」という国であったということは、やはり、忘れてはいけないことだと思いました。 思い出ついでに、もう一つ、ハッとしたことがあったことを書き添えておきます。 映画の後半、オモニたちが沖縄の読谷村を訪れるシーンがあります。そこで「恨の碑」、正式には「アジア太平洋戦争・沖縄戦被徴発朝鮮半島出身者恨之碑」という石碑を訪ねられるのですが、石碑に縋り付いて泣き始めて、親戚や知人のことを思い出されたのでしょうね、泣き止むことができなくなったオモニの一人が写されるのですが、そのシーンに胸打たれながら、その石碑を作ったのが、金城実という彫刻家であることに気付いて、「ああー!金城センセーや!」 と噴き上げてくるものがありました。 金城実先生が西宮の定時制高校で英語の先生だったころ、教員初体験のボクは半年間、同僚だったのです。その後、先生が沖縄に戻られ、実にユニークな彫刻を発表され続けていたことは遠くから知っていましたが、こんなふうに、沖縄や朝鮮の人たちの心を打ち続けて来られたのだ! ということは、初めて実感したのでした。 なんだか、思い出ばかりの感想ですが、忘れてはいけないことがあることをつくづくと感じた映画でした。拍手!監督 金聖雄撮影 池田俊已 渡辺勝重 菊池純一 世良隆浩 石倉隆二 田辺司録音 吉田茂一現場録音 池田泰明 渡辺丈彦編集 金聖雄 康宇政音楽 横内丙午語り 金聖雄2023年・125分・日本2024・04・13・no058・元町映画館no241 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.17
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ピーター・グリーナウェイ「英国式庭園殺人事件」元町映画館 「ピーター・グリーナウェイ レトロスペクティヴ 美を患った魔術師」の2本目は「英国式庭園殺人事件」でした。 1本目がシェイクスピアのテンペストのネタでしたから、まあ、イギリスの時代劇なわけでしたが、この作品も、多分、日本でいえば江戸時代のなかばというか、17世紀から18世紀くらいのイギリスの田舎貴族のお屋敷での話のようで、登場する画家が1枚8ポンドで12枚だかの絵を請け負うという筋立てなのですが、これがどの位の価値なのか、そこのところが妙に気になった映画でした。 固定相場で、ドルが360円だった1950年代にポンドは1000円くらい(?)だったと思うのですが、17世紀とかいうことになると、まったく見当がつきません。 まあ、ほとんど、どうでもいいことなのですが、映画の終わりまで気になっていて、帰って来て調べても、やっぱりわかりませんでした。 次に気になったのが絵画です。主人公らしき人物であるネヴィルという男が画家で、この映画ではハーバートという田舎貴族の奥方に雇われて、屋敷の風景を書くという設定で、前回は本だったわけですが、今回は絵でした。 まあ、その絵の描きかたあたりから、実に映像的に工夫されていて、この監督の、多分、味わいの一つなのでしょうね。 で、油絵を描くのかと思うと線描画だったことに驚きましたが、構図を縦横に糸を貼ったファインダーというか、構図用の枠を備えて、そこから覗いた風景が、リアルな描線に変化していって、1枚の写生画になっていくあたりの撮り方はとても面白いと思いました。 そうそう、絵といえば、シーンの中に、いかにも、これはフェルメールかな? という構図があったりしましたが、そう言えば、上に書いたファインダーというかも、フェルメールだったかの対象把握の道具と似ているかもしれませんね。でもね、結局、何で、フェルメールなの? という、まあ、ハテナになってしまうところが、この映画なわけです(笑)。 で、映画は、彼が描いた絵のなかに、結果的には殺されていたハーバート卿の遺留品が書き残されていたということから、その絵を描いた画家が、この殺人の真相を見ていたに違いないという推理としては全く成り立たない! 理由から、ハーバート卿殺しを疑われて、とどのつまりは屋敷に出入りしている男たちによって惨殺されて終わるのですが、この間のストーリー展開について理解している人がいるなら解説してほしいという「何があったの?ポカーン?」 という作品でした。 で、1本目で気になった全裸の登場人物(笑)ですが、この作品では屋敷の庭にあるブロンズの彫刻が、体を緑に塗った人間なのですね。 映画の途中で、庭の隅の彫刻が動き出すシーンが、わざわざ映し出されるので、「さて、これが殺人の真相を、なにか暗示するのかな?」 と思って見ていたのですが、どうも、何の関係もなかったようで、「なんやねん???」 というか、そういうのを登場させたいから映像にしたという感じでした(笑)。 画家と、屋敷の女主人、その娘の関係も、いってしまえば不倫ですが、肉体的交渉まで含む「絵」に対する報酬条件とか、興味津々で見ましたが、殺人事件の謎解きといい、それでなんやったん? という結末で、アゼン! でした。笑うしかありませんね(笑)。 とか、なんとか、いいながら、結構、面白がって見終えたことは事実で、確かにこの監督には「妙に引っ張られる、わけのわからなさ」がありますね。ということで、あと2本、やっぱり見てしまいそうです。ボクもヒマですね(笑)。監督・脚本 ピーター・グリーナウェイ撮影 カーティス・クラーク美術 ボブ・リングウッド衣装 スー・ブレーン編集 ジョン・ウィルソン音楽 マイケル・ナイマンキャストアンソニー・ヒギンズ(ネヴィル 画家)ジャネット・サズマン(ハーバート夫人)アン=ルイーズ・ランバート(タルマン夫人)ニール・カニンガム(トマス・ノイズ)ヒュー・フレイザー(ルイ・タルマン)デイブ・ヒル(ハーバート氏)1982年・107分・イギリス原題「The Draughtsman's Contract」(画家の契約)日本初公開1991年2024・04・03・no054・元町映画館no238追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.16
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井戸川射子「この世の喜びよ」(講談社) 井戸川射子という人の「この世の喜びよ」(講談社)という作品集を読みました。書名になっている「この世の喜びよ」は、ちょうど1年前、2023年1月に発表された芥川賞の受賞作ですが、ほかに「マイホーム」・「キャンプ」という短編が入っています。 西宮あたりで、公立高校の教員をなさっている方だと聞いて、2021年に野間文芸新人賞を受賞されたという「ここはとても速い川」(講談社文庫)という作品を読んで「あっ、この人は、ちょっとちがう!」 まあ、そんな、感想を持って注目していた人でしたが、最近気に入っている乗代雄介とは、まあ、好対象(笑)というか、2作目で芥川賞でした。 あなたは積まれた山の中から、片手に握っているものとちょうど同じようなのを探した。豊作でしたのでどうぞ、という文字と、柚子に顔を描いたようなイラストが添えられた紙が貼ってある。そのまえの机に積まれた大量の柚子が、マスク越しでも目が開かれるようなにおいを放ち続ける。あなたは努めて、左右均等の力を両足にかけて立つ。片方に重心をかけると体が歪んでしまうと知ってからは、脚を組んで座ることもしない。腕時計も毎日左右交互につける。あなたは人が見ていないことを確認しつつ片手に一つずつ握っていき、大きさ重さを感じながら微調整し、ちょうどいい二つをようやく揃えた。喪服の生地は伸びにくいので、スカートの両側についたポケットにそれぞれ滑り込ませると、柚子の大きさで布は張り膨らむ。この柚子は娘たちに、風呂の時に一つずつ持たせてやろう、とあなたは手の中のを握りしめた。従業員休憩室に、おすそ分けがこうして取りやすく置いてあるのは珍しい。大きなショッピングセンターなので休憩室は広く、売り場のコーナーごとに仲良くまとまっている。仲間内でお土産が配られたりして、普段は分け合っているのを横目で眺めるだけだ、お菓子などは、あなたにはいつも回ってこない。(P7~P8) 書き出しの、最初のパラグラフです。「あなた」という2人称の代名詞で語られる「誰か」の行為(外面)から意識(内面)までが、この作品で、その「誰か」のことを「あなた」と呼んでいる書き手によって描かれていました。 誰かは、引用部で分かるように、どこかのショッピングセンターの喪服売り場で「仲間内でお土産が配られたりして、普段は分け合っているのを横目で眺めるだけ」 だと感じながら働いていて、もう少し読めば、ポケットに入れた柚子を「風呂の時に一つずつ持たせてやろう」 と思う二人の娘が、すでに就職したり、大学生になっていたりしている、おそらく40歳をこえる女性だということもわかってきますが、問題は、その女性を「あなた」と呼んで、この文章を書いているのは誰なのかということですね。 例えば、よく知られたこんな書き出しの小説があります。「或日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待つてゐた。」 教科書でご存知でしょう、芥川龍之介の「羅生門」の冒頭ですが、この一文の「一人の下人」を「あなた」に置き替えてみると、読者はこの小説の「書き手」と「あなた」の関係は何か? から目を離せなくなると思いませんか。小説が説話物語的な構造を捨てて、書き手と、登場人物である「あなた」との「関係」を描かずに終えることはできないだろうという、まあ、ある種の緊張感 を内包する現代小説化していくと思うのですね。この作品は、そこに着目して現代を生きる人間を描こうとしているのではないか? まあ、そういうことを期待して、2ページ、3ページと、ほとんど何も起こらないこの作品のページを繰って読み続けながら、ボクの頭から離れないもう一つの疑問は「この世の喜びよ」と、作品名によって明示されている、「この世の喜び」とは何か? ですね。 で、この本の7ページから96ページまで、全部で89ページある、この作品の87ページまでたどり着いたのですが、語り方に変化はありませんし、題名理解への暗示もありません。 ところが、最後の2ページです。突如、もう一人の「あなた」が登場し、初めて、他者に2人称で呼び掛ける、1人称の「私」も登場します。「私は炎みたいな形の木とか、太い幹の根もとから色の薄い若木が取り囲むように生えてて、これから競い合うように、枝はどう伸びていくんだろうとか、そういうのを眺めてた。」 初めて、この小説に、一人称の「私」が出てきた一文の後半です。 で、作品は指示対象が異なるらしい二つの、同じ二人称代名詞「あなた」の出てくるこの一文でとじられます。「あなたに何かを伝えられる喜びよ、あなたの胸に体いっぱいの水が圧する。」 ここまで読んできて浮かんできた、あれこれの疑問が、この一文ですべて氷解したりはしませんでしたが、読み終えたとき、なんだか深くため息をつきながら、「胸に体いっぱいの水が圧」している「あなた」の姿を思い浮かべました。 わからないところは残っていますが、確かに、今という時代の、社会の片隅で、ひっそりと生きている人間の「希望」 を描こうとしている作品であることは間違いないと思います。 納得です。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.15
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NTLive ルパート・グールド「ディア・イングランド」シネリーブル神戸 久しぶりのナショナル・シアター・ライブです。上映館のシネリーブル神戸が、座席の改修工事とかで10日ほど休館していたので、この映画館に来るのも久しぶりでした。なかなか快適、贅沢な座席に変わっていましたよ(笑)。 で、演目はルパート・グールドという人の演出で「ディア・イングランド」という、どうも、サッカーを舞台でやる! お芝居らしいですが、「サッカーを舞台でねえ?」 まあ、「何でも見てやろう!」 という気分ではありましたが、実は、まったく期待していませんでした。だって、チェーホフやシェイクスピアをやるならともかく、サッカーですからね、何を期待していいのかもわからないじゃないですか。 で、これが、大当たり! 画面を見ていて、地元のイギリスというか、イングランドでは大うけだったのが画面の観客の様子からもよくわかりました。たぶん、実在の選手とかに似ているのでしょうね。もっとも、このお芝居の、ちょうど前の時代のベッカムとか、ウェイン・ルーニーあたりの名前は聞いたことがあるというのがやっとで、今では、イングランドの選手の名前どころか、日本代表選手の名前さえ知らない、サッカーなんて忘れて10年以上経った、70歳目前の老人が、舞台上の試合結果にワクワクし、選手や監督のセリフに、なんと、涙を流してしまった出来栄えで、拍手!、拍手!でした。 さすが、お芝居の国イギリスですね。ほんの小さな舞台の上で、ワールドカップの試合を再現して見せていて、もうそれだけですごいのですが、且つ、現在の世界で、多分、最も重要な思想的課題の一つである「ナショナリズム」について、かなり本質的な問題提起と、未来に対する希望を呼び掛けているドラマとして出来上がっている印象で、単に、「イングランド万歳!」 ではないお芝居になっているところに感心しました。やっぱり拍手!ですね。 ところで、これが今年のナショナル・シアター・ライブのチラシです。1本はチェーホフの新解釈のようですが、あと2本は新作ですね。楽しみです(笑)。演出 ルパート・グールド原作 ジェームズ・グレアムキャストジョセフ・ファインズ(ガレス・サウスゲート)ウィル・クローズ(ハリー・ケイン)アダム・ヒューギル(ハリー・マグワイア)ダラー・ハンド(マーカス・ラッシュフォード)エベニーザー・ギャウ(ブカヨ・サカ)ジーナ・マッキー(ピッパ・グレンジ)2024年・160分・イギリス原題National Theatre Live「Dear England」2024・04・12・no057・シネリーブル神戸no237追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.14
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「高倉台の桜の園」 徘徊日記 2024年4月11日(木)須磨・高倉台あたり いいお天気の昼下がり、須磨一の谷の丘の上で一服した後は、東に向かって下って、須磨寺あたりを抜けて、離宮公園の西隣のバス道を北に登って行くと、道路に沿って東側、満開の桜並木です。向うの山影は須磨アルプスですね。 ちょっと、写真を撮って、桜並木の向うにある中庭に入っていきます。一応、中に入る許可証は持っていますよ(笑)。 瀟洒というか、白い建物があって、その手前に、実に立派な枝垂桜あります。最初の写真も、そのサクラです。ただ今満開中! ここは学校ですが、学長さんとか、きっとご自慢でしょうね。 写真がへたくそなので、上手に撮れていませんが、この木を毎日眺めて暮らしている学生さんは幸せでしょうね、と、まあ、思うくらい立派です(笑)。 振り返ると、ここは広場で、噴水池があって、池の周りにはチューリップ、チューリップ、チューリップです。その向こうに、先ほどのバス道沿いのサクラ並木、向こうの山は須磨の鉢伏山ですね。 誰も写っていませんが、お昼休みなので、学生さんははたくさん歩いていらっしゃいます。 帰り道に、まあ、構内禁煙なので、このあたりで一服して、もう一度振り返りました。校門あたりの桜並木です。少し時間がたって、曇って来たのが残念ですが、来週には散ってしまっているでしょうからね。 今年度初仕事の帰り道です。じゃあね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.13
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「あの~、自慢の枝垂れ桜、もう1本あるんです!」 徘徊日記2024年4月7日(日) 団地あたり 同じ4月7日の日記で自慢の枝垂れ桜を紹介したんですけどね、こういう姿で枝垂れている、まあ、これも自慢のサクラが、もう1本あるんです。 全景はこんな感じです。 場所は、団地の東北の隅で、タケノコ山と、我が家では呼んでいる竹林のある、ハイ、わが団地には孟宗竹の林があって、もうすぐタケノコも出てくるのですが、その竹林の裏の、ちょっと小高くなっているところにあります。 団地の外側からも、内側からも、微妙に死角になっていて、目立たないのですが、花はご覧のようにすばらしいのです。 タケノコ山の、向こうは隣のマンションで、手前が団地の敷地です。あいだに近所の中学生や小学生のの通学路にもなっている歩道ですが市道があります。 歩道からはタケノコ山があっで見えませんし、団地からは、ちょっと小山の上で、周りのソメイヨシノが隠していて見えません(笑)。 で、咲き始めるのが少し遅れるのと、色がピンクなので目立たないんですね(笑)。 というわけで、ボクはこっそり待っていたんです。 今日のように、青空と竹林の緑を背景にした満開の枝垂れ咲きを(笑)。なかなかいいでしょ。 木の根もとあたりは芝生ですから、まあ、寝転がりはしていませんが、座り込んで見上げています。 見事な眺めですよ。 ということで、もう少しうろつきます。じゃあね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.12
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「須磨一の谷の小さな公園のサクラ。」 徘徊日記 2024年4月11日(木)須磨あたり 今日は2024年の4月11日です。週に1日だけですが、まだ、雇ってくれる人がいて、今年も出かけることになっている木曜日です。 午前中のお天気は快晴で、目的地は須磨の高倉台ですが、JRの塩屋駅にある「アキラッチ」というピザ屋さんで焼き立てのピザを買って、桜を見るなら須磨浦公園によればいいものを、横目で見ながら通り過ぎて昇って来たのが、須磨、一の谷の丘の上です。 愛車のスーパーカブ号を丘の上の公園の歩道に止めて、この見晴らしの石段の上に腰をかけます。 で、お昼がわりのピザを頬ばろうという目論見です。塩屋駅のアキラッチから、ここまでは10分もかからない距離ですから、ピザはホカホカです。「ごくらく、ごくらく」 と独りごちながら、フトの公園を見下ろすとサクラです。 この上からのシーンを撮り忘れてきたのが不覚です。来週には桜は、もう、ありませんから、1年後ですが、1年後にはここを通る用事があるかどうか名わけで、残念至極ですが、石段を20段ほど降りると砂場もある子供の公園でした。 こういう風情です。近所は公団住宅風のアパート群ですから、その頃は子供たちもたくさん遊んでいたのでしょうね。今は、誰もいません。 で、気になったのが、桜の木の向うに見えている大木です。いわゆる、照葉樹なのでしょうが、もちろん、クスノキではないことくらいはボクでもわかりますが、この木の名前がわかりません。しかし、見事な大木でしたね。 まあ、今年は、まだ、このあたりを通りそうですからね、そのうち調べることもできるでしょう。楽しみですね、まあ、それくらい大木だったということです。じゃあね。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.12
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「咲いちゃった!」 徘徊日記 2024年4月10日(火)団地あたり まだ、若い木なんです。でも、不思議なのですが、この団地にはモクレンとかコブシとか、ないんです。 神戸の街には、元町のモクレンとか、北長狭のコブシとか、住んでいる垂水区だって、県商筋のコブシとか、街路樹になっていて、あちこちで見かけるのですが、おもしろい木がたくさん植えてあるこの団地には、この1本だけなんです。 それが、住んでいる棟のすぐそばにあるんです。うれしいですねえ(笑)。 ちょっと気取っている様子で、なかなか色っぽい木蓮って、イイと思いませんか? 全景です。 隣では箒桃が満開です。 モクレンの木から振り向くと、まあ、こういう、花ざかりの風景です。 青空、サクラ、箒桃、みんな満開で、陽気な気分が満ちています。あと三日もすれば、若葉の世界に変わります。 ところで、話は代わりますが、ダメとら・タイガース、やっぱり、苦しんでいますねえ。だめトラびいきにはいつものことの始まりですが、シーズンは長いですからね、そのうちなんとかなるでしょう(笑)。 まあ、そんなことを考えながら、ウロウロという、2024年4月10日の昼下がりでした。じゃあ、またね。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.11
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「おや、モクレン、咲きましたね。」 徘徊日記 2024年4月7日(日)団地あたり 4月のはじめにようやく蕾らしいものを付けて、のんびり構えていたモクレンが咲き始めていましたよ。イッセイ開花とはいきませんが、そこいらじゅうで桜満開のなか、立派に自己主張しています(笑)。 おっと、先陣切って咲き始めた、こちらは躑躅です。 で、同じところに咲いていた、こちらはももの花ですね。「ここの団地はねえ、桜もいいんですけどね、この桃が好きなのよ。かわいらしいでしょ(笑)。」 写真を撮っているところに、下のサクラ並木から妙齢のご夫人が息を切らせて登ってこられておっしゃいました。「桃の花なら、向うの、棟の裏にも咲いているのご存知ですか?」「あら、そうなの。じゃあ、ちょっと覗いてみようかしら。」 花の季節はいいですね。普段、こんな会話できませんよね。 こちらはボケの花ですね。枝垂れ桜の近所に咲いています。 これは、もっと早くから咲き始めて、今や散る寸前のボケの花です。住んでいる棟のすぐ隣の芝生に咲いています。 で、その木の近くに植わっている椿です。今年は、ほかのツバキも、なかなかしぶとく咲き続けていますが、これは花の柄が八重ですからね。 で、その下の草むらには、ムスカリです。このあたりに小人の住まいとかあるのかな、という風情ですね(笑)。 サクラを撮ろうとウロウロしているのですが、いろいろあります。まあ、そうはいっても、4月7日のサクラ徘徊の団地めぐり、まだ、つづきますからね。じゃあね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.11
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和田誠「わたくし大画報」(ポプラ社) 市民図書館の新刊の棚で見つけました。はて、なんで? 著者の和田誠は数年前に亡くなった方のはずです。で、手に取って奥付を見て了解しました。1982年だそうですから、40年前に講談社から出版された本のポプラ社による復刊でした。 コミカルで、ほのぼのしたイラストの「のみのピコ」とか「あな」とかの絵本や、本の装丁、挿絵のイラストレイターとして、確か、1970年代半ばに人気者になった彼が、「お楽しみはこれからだ」(文芸春秋・国書刊行会)をはじめとする映画とかのイラスト付きエッセイで大活躍しはじめたころのエッセイですね。「麻雀放浪記」、「怪盗ルビィ」の映画監督になるちょっと前ですね。 で、借り出してきて、読み始めてとまりません。時間的には、40年以上も古い話で、いきなり、いずみたくとか永六輔とか中尾ミエとか出てきても、今の若い人には「???」 なのかもしれませんが、こちとらは、まあ、その時代の人間なわけで、懐かしさもあり、和田誠の物言いの楽しさもありで、速読(笑)でしたが、巻頭エッセイがこんな感じです。「猫について」 一九七四年十二月 わが家に猫が来た。 妻はこの猫の種類をアビタシオンだと言う。高級マンションのような名前の猫だなあと思ったが、よく聞いてみたらアビシニアンというのであった。そう言えば結婚した時に、いずみたく氏から蘭を贈られたのでありますが、この蘭の名をシンポジウムだと言うのですね。蘭の品種について討論でもするみたい。これも人に聞いたらシンビジウムというのだそうである。 さて、この猫だが、実は片親がアビシニアンで、どちらかが雑種なのだそうだ。ぼくはその方を好みます。名門は肌に合わない。ところでクレオパトラが飼っていた猫がアビシニアンだったそうで、アビシニアというのはエジプトの地名なのだという知識を妻はどこから仕入れて来た。妻はもうクレオパトラになった気でいるようだ。七月十四日生まれだから誕生日を憶えやすい。しかし猫の誕生日を憶えていても役に立つかどうか。それはそうと名前であるが、妻は「桃代」と名付けたのであります。何故か妻は幼い頃から猫に対して「桃代」というイメージがあったのだそうで、もっと正確には「桃代のシン子さん」というのが適当なのだと言う。「だって一重瞼の人はシン子さんていう感じだし、ネコは一重でしょ。どうしても洋子さんて感じじゃないもん」と言うのだが、このへんを理解できる人は少ないのではないかと思うのですけれども。(P17~P19) 巻頭のエッセイの出だし半分の引用です。後半は桃代さんとの暮らしですが、妻と呼ばれているのは平野レミさんですね。 上の左のページが桃代さんです。桃代はこんなふうに上むいて眠る とキャプションがついています。まあ、イラストがサイコーですね(笑)。 一九七四年の一二月から一九七六年九月までは「家庭画報」と題して、一九七九年一〇月から一九八一年九月までは「渋谷画報」と題して、隔月発売だったらしい「別冊小説現代」(講談社)、後に「小説現代」(講談社)に隔月連載されていたエッセイの単行本化です。 最後の記事は一九八一年九月号に掲載された分で、そこに「向田さん」という記事が載っていますが、まだ五一歳だった向田邦子さんが飛行機事故で亡くなったのは、この年の八月でしたね。和田誠さんも、今では、もう、この世にはいらっしゃいません。 楽しく読みながら、色んな人が亡くなっていくのを、まだ、若かった自分自身がどう受け止めていたのか、やはり考えてしまう読書でした。「同時代を生きる」とかいういい方がありますが、和田誠さんが、あれこれおもしろく書かれている、この時代を生きていたんですね。 新刊ですから、図書館で借りられます。なつかしい方はぜひどうぞ。イロイロ、思い出せますよ(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.11
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「あのチュ-リップが・・・!」 ベランダだより2024年4月5日(金)ベランダあたり あのーですね、我が家のベランダで数日前からチューリップが咲き始めていたんですが、最初、下の写真の様子で、いったいどうなることかと思っていたんです。花だけ植木鉢に乗っかってる状態でした。 それが、数日後の今日、最初の写真のようになりました。花が咲いてから、首というか、茎というかが伸びるんですね(笑)。 で、もう一つの植木鉢はこうだったんです。 それが、こうなりました。 こちらは、蕾がありましたから、まあ、こうなるわけですが、首が伸びたには驚きました。ろくろ首もどきの離れ業ですね(笑)。 こちらは、玄関前に一株だけあるクリスマス・ローズ。地味ですね(笑)。 で、こちらがスズラン水仙。茎は水仙、花はスズラン、棟の水場のあたりにお隣さんが植えられて、少しずつ増えていますね。静かな春で、イイですね。 その周りには、ムスカリです。 サクラ便りを書くつもりが、ベランダだよりになってしまいました(笑)。じゃあ、またね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.10
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小谷野敦「文学賞の光と影」(青土社) その昔「もてない男」(ちくま新書)という、まあ、衝撃的な(笑)書名の所為でベストセラーになった本を書いた小谷野敦という、多分、比較文学の研究が本業だったはずの方の「文学賞の光と影」(青土社)を市民図書館の返却の棚に見つけたので読みました。 一応、「読書案内」と看板を上げているわけですから、どうぞお読みください! というのが基本ですが、今回のように「まあ、こういう本もありますよ、別にすすめませんが」という時も、まあ、ないわけではないので、悪しからずです。 はじめにの終わりに、まあ、執筆意図についてでしょうね、こう書かれています。 芥川賞のように有名になると、ふだん文学を知らない人も関心を持つから、公募の賞だと思い込んでいるいつ人や、純文学って何?え?こういうのが「ジュンブン」なの?といった疑問を持つ人も多い。そこで本書では、内外の文学賞について、よもやま話を書いて、いろいろ疑問に答えておきたいと思う。まあ、この本自体がベストセラーにならないと、誤解を解くというわけにはいかないのではるが。 文学の素人の方には、まあ、様々な疑問や誤解があるようですが、疑問にお答えして、誤解を解きますということですが、要するにこの本が売れれば、いろいろ解決しますよという、まあ、読み終えて見ると、ちょっと誇大広告(笑)で、いや、儲かるのはあんたやろということらしいですが、目次はこんな感じです。目次第1章 芥川賞と直木賞の栄光と死屍累々第2章 ノーベル文学賞第3章 貰えなかった恨み第4章 新潮社の栄光と文学賞第5章 作家と学歴第6章 文学賞の女と男怨念の書―あとがき 目次を、まあ、索引がわりにして、あっちこっちのページを覗いているうちに、読み終えました。何が、どう書いてあるのかというと、今度はあとがきですが、 私は学者の道を歩み、博士号までとった。そうである以上、別に東大とは言わないが、しかるべき大学の教授になりたかった。というか、当然なるものと思っていた。ところが、時代が悪いのか自分が悪いのか、いや、時代が悪いに決まっているのだが、それはどうもないようである。そこで、大学教授より格が上である××賞をとってやろうと、邪念を抱いたのである。いや、本気で邪念だと思っているわけではない。 ぞんな時、たまさか、本書を執筆することになった。かなりの分量、文学賞をめぐる人々のやっさもっさについて書いていくうちに、私の中から、つきもののが落ちたように「賞などどうでもいいではないか」という悟りのようなものが生まれたのである。 ご本人がおっしゃっている通り、様々な賞をもらったり、あげたりする、あれこれの作家や評論家について、まあ、スキャンダルと云う程の毒があるわけでもない、「やっさ、もっさ」が書かれていて、こういう話が好きな人には面白いでしょうね。 多分、文芸雑誌や、ゴシップ雑誌のバックナンバーを、かなり丹念に調べた(根が学者なのでしょうね)その結果を、しかし、だから、憶測かうわさに過ぎないかもしれないゴシップ記事として書き連ねていらっしゃって、まあ、結果的に、ご本人の賞が欲しいという妄執 からは、解脱というか、悟るというかのメデタイ結果なのかと思うと、最後のページにのせられていた戯れ句がこうでした。 賞とれず 根岸の里の詫び住居 笑えませんね。 焼いても治らんといういい方がありますが、まあ、「もてない男」でもそうだったような気がしますが、ちょっと引きながらの上から目線というスタイルが彼のウケ狙いなのでしょうが、芸のないことですね。 ただ、何とか賞をめぐるゴシップは、ほんと、山盛りで、知ったからどうだという気もしますが、「読みごたえ」ありますよ。ボクの場合、こうして案内していて、すでに忘れてますから、まあ、こんな本もありますヨ! でした。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.10
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「自慢の枝垂れ桜です!」 徘徊日記 2024年4月7日(日)団地あたり 今日は4月7日(日)です。 団地のさくらが咲き始めて1週間たちました。朝から落ち着きません(笑)。団地をウロウロしています。 とりあえず、東の駐車場あたりにある枝垂れ桜です。 お天気は、少し青空も見える、絶好の「花曇り」です。気温も20度を超えていて、当然のことながら、気持ちも陽気です(笑)。 ソメイヨシノに比べて、特にこの木は色が濃くて、なんというか、独特の色気があります。 おなじ木の向うから、こっちからと角度を変えているつもりなのですが、まあ、似たような写真になりますね。 樹齢は、さあ、団地のできた頃に植えられたのでしょうから、50年前後だと思いますが、枯れ枝も年々増えてきていますが、まあ、見事なものです。 奥に見えているのは東の駐車場ですが、左手には普通の棟があって、お住まいの方はベランダに出れば、この時期、毎朝この木のこの花を眺めることができるお部屋もいあるるわけで、羨ましい限りですね。 この木の後ろの棟の4階、5階の方は、上からの姿も見ることができるわけですからねえ(笑)。 この団地には4本か5本の枝垂れ桜がありますが、特にこの木は、まあ、他の方がどう思っていらっしゃるのかまではわかりませんが、ボクの自慢の木ですね(笑)。 もう少し、ウロウロします。サクラ日記は続きますよ(笑)。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.09
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ピーター・グリーナウェイ「プロスペローの本」元町映画館 今日は2024年の4月2日、火曜日です。元町映画館でやっている「ピーター・グリーナウェイ レトロスペクティヴ 美を患った魔術師」という企画に、なんとなく興味が湧いてやって来ました。 これが企画のチラシです。冒頭の「美しい狂気」という言葉が目に飛び込んできます。「狂気ねえ?!」 1980年代から90年代にかけて話題になった人らしいですが、まったく知りません。高山宏という、英文学の研究者、まあ、かなり変わった人ですが、が、どこかで話題にしていたような気がしますが、定かではありません。 で、見たのは「プロスペローの本」という、1991年の作品で、代表作の一つだそうです。「プロスペローだから。シェイクスピアか?」 まあ。その程度の予備知識です。で、見始めて、見終えて笑ってしまいました。たしかに、シェイクスピアのテンペストの、翻訳では「嵐」かな?の映画化でした。プロスペローもそうですが、娘のミランダとか、妖精のエアリエルとかの名前が出てくるたびに、ああそうだな、やっぱりそうだな、 と、気付き直し、気付き直し、しながら、えーッ?でも、これ、ちょっとちがうんちゃうか? とか思いながら見ていたのですが、終わってみてらテンペストでした。ハハハハハ。 何故、違うと思ったのかの、大きな理由は、この映画、筋を運ぶ数人の登場人物以外は全裸なのですね。 で、なんで、みなさん裸で、オチンチンとかオッパイとかブラブラさせながらウロウロするのかというのが、ボクには、まったくわからないんです。ただ、不思議なのは、慣れてくると、そういうシーンがイヤらしいとかエロイとかいうことにつながらないというか、まあ、そういうふうにしたいんでしょうかね??? という感じで、最後まで見ると、たとえば、ナショナルシアターライブとかで見る、まあ、演出に差はありますが、「テンペスト」という演目のひとつ、という印象なのですね。たしかに独特ですが、別に、狂気だとも魔術だとも思いませんでしたが、なんか、微妙に引きつけられることは事実ですね。 そういえば、「テンペスト」ネタのお芝居はナショナルシアターだったか、他の映画だったか忘れましたが、ここ、数年の間に見たような記憶があります。その時、「リア王」とかなら読み直したりしないのですが、この戯曲だけは読み直したはずで、まあ、だから、ああ。テンペスト! だったわけです。 で、この映画ですが、プロスペローが手にれる魔法の本の扱い方とか、いかにも映画的で、面白いし、プロスペロー(ジョン・ギールグッド)を演じている俳優のお芝居力も大したもので、奇妙奇天烈なシーン、いいようによれば荒唐無稽な展開を支え切って歴史劇を演じている印象で、シラケさせません。拍手!ですね。 なのですが、やっぱり、なんで裸なの?でした(笑)。 もちろん、その演出は、ボクごときには意味不明でしかありませんが、なんか、引っかかるのですね。そこで思い出したのが、高山宏ですが、でも、まあ、すぐには見つかりそうもありませんね。 ということで、グリーナウェイ、続けて見ることになりそうです(笑)。監督・脚本 ピーター・グリーナウェイ原作 ウィリアム・シェイクスピア美術 ベン・バン・オズ ヤン・ロールフス撮影 サッシャ・ヴィエルニー音楽 マイケル・ナイマン編集 Marina Bodbyl衣装デザイン ワダエミ ディーン・バン・ストラーレンキャストジョン・ギールグッド(プロスペロー)マイケル・クラーク(キャリバン)ミシェル・ブラン(アロンゾ―)エルランド・ヨセフソン(ゴンザーロ)イザベル・パスコー(ミランダ)1991年・126分・イギリス・フランス・イタリア合作原題「Prospero's Book」2024・04・02・no053・元町映画館no237 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.09
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「うちのサクラ、満開です。」 徘徊日記 2024年4月6日(土)団地あたり 住んでいる団地の中央に散歩道があります。歩道の生垣は雪柳です。並木は桜、ソメイヨシノ(?)、所々にベンチもあります。 今日は4月の6日で、雪柳は満開を過ぎたところですが、サクラが満開に差し掛かっていました。 少々、曇り空なのが残念ですが、見上げるとサクラの空です。 このサクラ天井が、団地を南北に横切っています。さっさと歩けば5もかからないかもですが、このあたりでは、チョットしたサクラの名所です。 まあ、こういう感じです。人が写っていませんが、実はお花見散策の方が、結構たくさんいらっしゃいます。バスに乗って、毎年来るのよ! と笑いながらスマホで撮りっこしてっておられた、女性のお二人連れもいらっしゃいました。うれしいですねえ(笑)。 昔は、団地の子供会とかのお花見会とかもあったのですが、今は、多分、子供会そのものがなくなってしまいました。 雪柳の生垣とサクラ並木がよく合いますね(笑)。 スマホとかをいじりながら、こんなことをいうのもなんですが、写真が上手に撮れたらなあ・・・ まあ、つくづくそう思いますね(笑)。 少し青空が見えてきて、いい感じです。 もう少し、向こうまで、続いていますが、とりあえず、ここまでです。まだ写真はたくさん残っています。団地のサクラ、徘徊日記はまだまだ続きます(笑) じゃあね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.08
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乗代雄介「皆のあらばしり」(新潮社) 2021年の「新潮」10月号に掲載された作品の単行本化ですが、文庫はまだありません。その年の芥川賞の候補作らしいですが、これで3回目の落選です。 「十七八より」(講談社文庫)で群像新人文学賞でデビューして以来、「本物の読書家」(講談社文庫)で野間文芸新人賞、「旅する練習」で三島由紀夫賞と坪田譲治文学賞のダブル受賞、で、「最高の任務」(講談社文庫)が2019年、「旅する練習」(講談社)が2020年の芥川賞の候補作になって、今回案内している「皆のあらばしり」で3回目、ちなみに、2023年には「それは誠」(文藝春秋社)で4回目の候補になりましたが、やっぱり落選でした(笑)。 というわけで、「皆のあらばしり」ですが、今回は書き出しではなくて50ページあたりからの引用です。「青年は小津安二郎は知っとるか?」「映画監督だろ。」男が黙って指さしたところには小津久足という名前があった。「小津久足は、伊勢の松坂の豪商、干鰯問屋湯浅屋の六代目当主や。家業の傍ら、歌に国学、紀行文と文事を重ね、歌は約七万首、蔵書は西荘文庫として残っとる。あの滝沢馬琴にも、その博識と文才を認められた友人として知られる江戸の文人や。『南総里見八犬伝』ぐらい読んだことあるやろ。」「ない」「そうかいな」男はそんなことは織り込み済みだとばかりに言った。「しかし、自分を偽らんのが青年の見込みあるところやがな。下に偽るならまだしも、上に偽って背伸びされたら話が一向通じんから困ったもんやで」「あんたはいつ読んだんだよ」「いつやったかな。青年が今、高二やろ。高一ぐらいで読んだんとちゃうか」学年を教えた覚えはなかったけれど、後輩にも会ったし、どこかで察したのだろう。「ほんとかよ」とぼくは言った。「下に偽ってるんだろ」「そう思わせたらこっちのもんやけど、まあええわ。話を戻そうやないか。その小津久足の、母違いの弟の孫が小津安二郎なんや」「その人がどうしたんだ」「その小津久足の著作として」と指をすべらせ「ここに「陸奥日記」と「皆のあらばしり」が一点ずつあると書いとるわな。このほんまにしょーもない蔵書目録、何を大層に目録やっちゅう漢字やけど、唯一おもろい、掃き溜めに鶴はこいつや」 とまあ、こういう感じなのですが、小説の登場人物は、ここにいる「男」と「ぼく」、舞台は栃木県にある皆川城という、室町時代の山城の城跡の公園です。二人は、ある日、偶然、その公園で出会います。「男」の名前は不明ですが、やたら、歴史に詳しい、単身赴任のサラリーマンで、「ぼく」は地元の高校2年生で、歴史研究会のメンバーです。 で、「ぼく」の一人称で書かれているわけですから、「ぼく」がこの文章の書き手ということになりますね。ただ、他の作品のように日記であるとか、手紙であるとかいう形式が選ばれていないところが、この作品の特徴ですが、実はここでは、もう少し違う形式が導入されているのですが、気になる方は、まあ、読んでみてください(笑)。 そのほかの登場人物は、同じ歴史研究会の後輩の竹沢さんだけです。古くからの造り酒屋だった竹沢酒店の娘です。彼女が登場して「ぼく」に呼びかけるシーンで。初めて、ぼくの姓が浮田君であることがわかりますが、名前はわからなかったと思います。 で、小説の不思議な題名である「皆のあらばしり」は、引用でおわかりのように、小津久足という江戸時代末期の文人が残した草紙ということなのですが、今、男が見ている蔵書目録は竹沢酒店にあったものです。ちなみに、お調べになればわかりますが「あらばしり」は、新酒を絞る時に、絞らなくても出てくる最初の酒のことだそうです。 で、最初の謎が、「皆のあらばしり」などという草紙が果たして実在するのかどうかでした。「偽書」といういい方がありますが、この「皆のあらばしり」は真書なのか、偽書なのか、男と浮田君の二人が、まあ、そのあたりをめぐっての会話劇で読み手を引っ張るわけですが、この作家得意の「オチ」まで来ると、小説の「語り手」も含めた手の込み方というか、実に技巧に徹した工夫が凝らされていたことが分かって、チョット啞然とします。 まあ、おすきなかたは膝を叩いて、という所でしょうが、ボクは「書く」という行為の信憑にこだわり続けているらしいこの作家の実験作の一つというふうに感じました。 サリンジャーの最後の小説ですが、「ハプワース16、1924年」(新潮社)という作品があります。シーモアという、すでに、死んでいる兄が、まだ7歳だった時に両親に向けて書いた手紙を、大人になって作家になった弟のバディが、そのまま写して小説作品にしたという不思議な作品ですが、あの、方法に少し似ていますね。「書く」行為から「書き手」を消す にはどうしたらいいかということが、乗代雄介の実験のようですが、さて、うまくいっているのでしょうか。まあ、それにしても、あれこれ頑張っていますね(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.08
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「箒桃、桜、青空」 徘徊日記 2924年4月7日(日)団地あたり 今日は、春休み最後の日曜日です。 朝から青空です。 ポカポカ、ようやく春です。 団地は、今、サクラの園です。 青空とサクラを背にして箒桃がすっくと立って、私も満開だわよ! 背筋の伸びた態度が好きです。三つの花、いや青空は違うか? この取り合わせがサイコーです。 白、ピンク、紅、まだ若い木です。 住んでいる棟の東の斜面は「箒桃畑」です(笑)。 赤い箒桃の背景には住んでいる棟が写ってます。 空は青空です。 いい日曜日ですね。 向うに、いつもの小学校も写っています。 さて、今日は満開を迎えてにぎやかなサクラを撮らなくっちゃ。 サクラって、焦っちゃうんですよね。じゃあね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.07
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「かりんですね、これは。」 徘徊日記 2024年4月3日(火) 団地あたり バスを待っていて、気付きました。そのあたり一帯、桜が嵐のようにやってきているのですが、バス停横のかりんの木に花がついていました。 小さい花で、ボクの腕前では上手に撮れませんが、まあ、忘れるのもしゃくなので撮りました。大寺のしかも禅寺花かりん 森澄雄 ここは、お寺じゃありません。公団住宅のバス道に沿った道端の生垣です。 なかなか、イイですね。秋には大きなかりんの実に変身するんですよね、この花が。今日はバスで垂水まで行く予定です。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.07
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「玄関を出るとこの桜です!」 徘徊日記 2024年4月5日(金)団地あたり 団地中、いや、街中ですかね、サクラの花でいっぱいですね。ベランダでチューリップ相手に遊んでいて、チョットと思って玄関をを出てみるとこの景色です。 下から見上げて写真を撮りますが、今一上手く撮れませんね。薄曇りなので、青空が背景というコントラストありません。向うに見えているのは小学校の校舎です。今、撮っているのはサクラの種類が少し違って、緑とまではいいませんが白い花です。 こちらは普通のピンクです。 玄関から、数本の桜を見上げながらウロウロしています。 で、向こうに見えるのが、廃校になった小学校ですが、まあ、今日はまだ春休みですが、新学期になっても誰も帰ってこない(本当は隣の中学校の生徒さんが部活で使っていますが)校庭のサクラが咲き始めています。 ジャングルジムや「いじめダメ!」の看板や、目立つものがみんななくなった校庭で、春になったから、やっぱり満開の桜並木というのも、チョットした風情です。 ここで、カメラを左、だから西向きですが、に振れば、散り始めている枝垂れ桜です。 で、今来た方を振り返ると、こんな感じで、住んでいる棟が写ります。 まあ、こういうわけで、その上、団地を少しうろつけばサクラ天井の回廊まであるわけで、どこかよそ様の花の名所に出かけて行こうかという元気があまり起こらないのですが、とりあえず、団地内の花の名所は、数日中にご報告したいと思っていますよ(笑)。じゃあね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.06
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「ここはどこかといいますと・・・」 徘徊日記 2024年3月30日(土)県立美術館あたり JRの灘駅を南に出て、そのまま南に、阪神電車の岩屋駅の前をとおりすぎて、国道2号線の歩道橋にさしかかるあたりから、街路樹のコブシが満開でした。 通りに沿って、ガラス張りの壁のビルなのですが、ガラスの壁に映っている姿は(あっ、もちろんコブシのですよ)下から見上げている老人には見えません。 よその街のことは知りませんが、コブシは神戸の街ではよく見かける、まあ、北長狭の街路樹ばかりブログにのせていますが、そういう木ですね。 今日、ここにはコブシの花を見るためにやってきたわけではありませんが、なかなかいい風情なので、立ち止まってパチリ、パチリというわけです。 今日は薄曇りで、写真の明るさがうまく調節できません。青空だったらいいのになあ・・・ と、まあ、かってなことをほざきながらたどりついたのが、この交差点です。 ここは、どこかといいますと、このカエルの建物です。ご存知でしょうか?昔の呼び名は脇浜だったと思います。今はハット神戸という地名ですが、このカエルは県立美術館ですね。 で、ココを右折です。はい、美術館には行きません(笑)。 おっと、今度は桜ですね。今日は3月30日、3月最後の土曜日ですが、このあたりでもさくらが咲き始めていました。 県立美術館とか、防災センターとか、なぎさ中学とか、少し北側には神戸製鋼所の本社ビルとかある通りです。三宮から摩耶埠頭行きのバスが出ていますが、そのバスのバス道ですね。この道を東に少し歩けば摩耶埠頭ですね。 この歩道を、もう少し西に歩きます。 おお、目的地のビルの正面では、コブシが満開でした。やって来たのは109ハット神戸という映画館です。 見たのは、このポスタ―の映画です。アカデミー賞で騒がれている「オッペンハイマー」ですね。 ここの映画館が好きなのは、休みの日でものんびり見ることができることですね。映画館の行き帰りも、ふらふら歩くのに、ちょうどですし(笑)。 映画の感想は別に書きました。上の題名かポスターをクリックしていただくと開くと思います。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.06
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「咲き始めたんです!」 徘徊日記 2024年3月30日(土) 団地あたり 3月も、あと2日、いよいよ4月か・・・ とかなんとかぶつくさいいながらベランダあたり咲き始めたチューリップの相手をしていたのですが、まあ、天気もよいので、と、玄関を出てみると、( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、咲き始めてました(笑) 玄関のすぐ前には数本の桜があるのですが、その中の1本です。初桜 折しもけふは よきひなり 顔に似ぬ発句も出でよ初桜 芭蕉 まあ、なにはともあれ、今年も咲きましたね(笑)。よろこんで、写真を撮っていると、お隣のおばさんがお嬢さんと出ていらして、「あら、咲いたわね(笑)。」「そうそう、今年も咲きましたよ。」「さいた、さいた、さくらがさいたよね。一年生の教科書よ、あなた覚えてる?」「えー、ちがったわよ。」「ぼくは、何にも覚えてません」「あら、せんーせーなのに?」 ハハハ、その頃はセンセーじゃなかったような気もしますが、忘れてますね。 はい、「さいたさいた」は国民学校の時代の教科書ですね。お隣のおばさんはシマクマ君より10歳ほど年上で、お嬢さんは10歳ほど年下ですからね。昭和20年代、30年代、40年代、一年生の国語の教科書はどんなページで始まったんでしょうね。シマクマ君は、何にも覚えていません(笑)。 ああ、そうそう、信州のユナちゃん姫が、今年から1年生ですね。今の一年生はどんなページで始まるのか、また聞いてみますね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.05
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「団地のモクレンはいまからです。」 徘徊日記 2024年4月4日(水)団地あたり 住んでいる棟のまわりが花ざかりです。サクラのたよりを書こうとフラフラ、ウロウロしているのですが、元町あたりでは、もう1週間も前に咲き誇っていたモクレンですが、ここでは、漸く蕾がふくらんできて、明日、明後日には咲き始めるでしょうが、日当たりとか、地域の気温とかで微妙に違うのでしょうかね。 この木のまわりではこんな黄色い花が咲き乱れています。 雲南黄梅というのでしょうか、オウバイモドキとも呼ばれているらしいですが中国原産の花ですね。 で、こちらはレンギョウですね。雪柳もまだ残っていて、その後ろには箒桃、その向こうでサクラが満開です。 で、その横には桃の木がこんな様子(笑)。 カメラのアングルというかを上手に撮れば、桃のピンク、雪柳の白、レンギョウ、雲南黄梅の黄色、そしてサクラに箒桃ですが、ああ、水仙の白と黄色、チューリップやパンジーの色とりどり、ツルニチニチソウの紫とか、フルカラーで撮れそうですが、まあ、ボクには無理ですね(笑)。 サクラ日記の前のご近所徘徊でした。じゃあ。またね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.04
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リュック・ベッソン「DOGMANドッグマン」キノシネマ神戸国際 「レオン」のリュック・ベッソン監督の新作「ドッグマン」をキノシネマ神戸国際という映画館で見ました。 犬と暮らす女装した男、DOGとGODのアナグラム、展開のいたるところで露出する神の言葉、主人公の死と教会のラストシーンの重ね方、暗示とヒントに満ちているのですが、キリスト教とか全くわからないボクには、単なるこけおどしというか、意味の分からない看板のようなもので、ただ、ひたすら、問答無用の父親の虐待で犬小屋に放りこまれて、その結果、なんと、犬として生きることを見つけた男が、さて、どうするのか? という興味で見ましたが、納得でしたね(笑)。 主人公が女装している意味も、わかったような、わからなかったような、ですし、何がよかったのかと聞かれても困りますが、多分、気に入ったのは、出てくる犬たちと、犬小屋に閉じこめられることで始まった、イヌになった主人公の関係のゆるがない絶対性ですね。 彼ら、だから犬たちと主人公を同類として、ほぼ、理屈なしで描いたのが、まあ、マンガ的といえばマンガ的なのですが、卓抜だったんじゃないでしょうか。 上下関係とか、支配と被支配とか、見ているこっちは、人間社会のアナロジーで捉えたくなるのですが、映画が犬の論旨で貫かれている のでしょうね。その結果、犬として生きた男が、犬として死を迎える、 それで、一匹の犬の一生であり、且つ、一人の人間の一生が、見事に終えられるわけで、文句ありません(笑)。まあ、文学にせよ、映画にせよ、結局は、人間の姿を描くほかないわけですが、この作品の、そういう突き放し方は面白かったですね。 もっとも、最後のシーンで鐘楼のそびえる教会の庭に犬たちが集まってくるところを映し出した結果、まあ、そう描くよなぁ! と納得はしながらも、映画を寓話化してしまうというか、チラシにもありますが「愛は獰猛で純粋!」 という感じの方へというか、下手をすると人間社会での、飼い犬というか、ペットの犬の論旨の方へ引き戻してしまうというよなという気もしましたが、それにしても、犬たちの活躍ぶりは面白かったですね。拍手!監督・脚本 リュック・ベッソン撮影 コリン・ワンダースマン美術 ユーグ・ティサンディエ衣装 コリーヌ・ブリュアン編集 ジュリアン・レイ音楽 エリック・セラキャストケイレブ・ランドリー・ジョーンズ(ダグラス)ジョージョー・T・ギッブス(エヴリン・デッカー)クリストファー・デナム(アッカーマン)クレーメンス・シック(マイク)ジョン・チャールズ・アギュラー(エル・ヴェルドゥゴ)グレース・パルマ(サル)イリス・ブリー(ダグラスの母)マリサ・ベレンソン(貴婦人)リンカーン・パウエル(青年期のダグラス)アレクサンダー・セッティネリ(リッチー)2023年・114分・PG12・フランス原題「Dogman」2024・03・15・no044・キノシネマ神戸国際no07追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.04
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「ここは王子公園。」 徘徊日記 2024年3月31日(日)王子公園あたり 今日は2024年3月31日、3月最後の日曜日です。JRの摩耶駅を下車して、北に向かって歩いています。50年前に暮らしていた街です。稗田小学校なんていう名前の小学校があって、その南に小さな公園があります。梅でしょうかね、桃でしょうかね、紅白の花が満開でした。 公園の前に、小さな医院があって、その庭で桜が咲き始めていました。 そのあたりから、水道筋の西灘商店街を西に抜けて、阪急の王子公園駅を通りすぎて、今日の目的地の王子公園に向かって歩きます。 王子公園では、桜が咲き始めていました。木によっては三分から五分の咲きかたですが、日曜日ということもあるのでしょうね、呉座というか、ブルーシートというか、友達連れ、家族連れのお花見の人でにぎわっているところもありましたが、たどりついたこのあたりには人はいません。 まあ、桜も、こんな風情で、一番いいときともいえるのですが、お花見で盛り上がるには少々寂しいという感じです。 やって来たのは登山研修所ですね。目的は奇数の月の最後の日曜日、30年近く続けている本を読む会です。 今日の課題は、昨年の今ごろ亡くなった大江健三郎の「燃え上がる緑の木 三部作」(新潮文庫・全三巻)と筒井康隆の最新作、「カーテンコール」(新潮社)です。 大江のこの作品は、発表されたのが、神戸で地震があった、ちょっと前で、地震の後、文庫本になった時に、この会で一度読んだ記憶がありますが、何も覚えていませんでした。 その頃は、阪急六甲の北側、琵琶町でしたかね、あそこにあった学生青年センタ―に集まっていたのですが、青年センターも、どこかに移転しましたね。 で、今回、かなり面倒くさいこの作品を読んだのですが、昨年、大江が亡くなったので、一年がかりで「大江文学総復習」をしましょう!? と、本読み会で思い付いて、あれこれ読んできたのですが、今日で、一応、ゴールでした。 JRの摩耶駅からよたよた歩きながら、筒井康隆の「アフリカの爆弾」(角川文庫)とか、大江健三郎の「個人的な体験」(新潮文庫)とかに出あったのが高校生だったころだと気付いて、しみじみしてしまって、道端のベンチに座り込んで一休みしてお茶を飲んでお弁当のサンドイッチを食べていました。 すると、杖を突きながら、まあ、歩くのもちょっと不自由そうなご老人(他人ごとではありませんが)が、そこまで体を支えておられた、多分、奥さんだと思われる女性に、何か強い口調で命令されながら近づいて来られて、「???」 と思っていると、ボクが座っている、そのベンチの隣にドスンとお座りになりました。 ちょっと焦りましたが、息を切らせながら前方を凝視されている様子を見ていて、ふと、浮かんだのが「そういえば、アフリカの爆弾はやまがみたつひこがマンガにしてたんが面白かったな。」 でした(笑)。 お天気のよい、3月最後の日曜日の昼下がり、街には老人があふれていましたよ。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.04
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「なぜか西宮です!」 徘徊日記 2024年3月27日(水)西宮市役所あたり 今日は2024年の3月27日(水)です。朝から快晴でした。 西宮の県立病院あたりで、チョットした用事が出来て、日頃お出会い出来ない古くからのお友達とお出会い出来るというので、JR西宮駅から、国道2号線を西に歩いています。名前はわかりませんが、南に下る川沿いの、多分、ポプラ並木が、まだ、冬枯れの様子で、向こうに見える阪神電車の高架まで続いていました。 このあたりを歩くのは50年ぶりですね。 簡易裁判所とか市役所のあたりですが、大きなクスノキが聳えていて壮観です。街中の大木が次々と姿を消していくご時世ですが、なにはともあれ大事にされているのがうれしいですね。 写真では伝わりませんが、大木です。 で、見えてきたのが、塀越しの白い花、一番上の写真ですが、塀のむこうは茂松寺というお寺のようです。塀のむこうの境内へ入っていいのかな? ちょっとためらいましたが、まあ、いいや(笑) で、入ってみました。 塀のむこうから、だから今はこっちから、パチリです(笑)。梅か、桃か、よくわかりませんがよろしい様子ですね(笑)。 境内にもクスノキの大木があって、その木陰にこんな石塔がありました。安産祈願の石塔らしいです。「血盆塔」と彫ってありますが、血盆(けつぼん)というのは、血盆経というお経があって、女人の血の穢れとかを救うんだそうです。まあ、そのあたりから安産を祈願するための石塔になったんでしょうね。 で、こちらが本堂(?)、出来立てのようです。 お寺から、2号線にもどりましたが、約束の時刻までちょっとひと休み。歩道沿いの花壇の脇の座りました。 水仙ですね。黄色いのとか白いのとか、可愛らしく咲いています。いいお天気です! ボクは持参したサンドイッチをぱくついて、お茶を飲んで、時間が来るのを待っています。 ああ、ここは、目的地の県立病院前ですね。お友達のお二人が間もなくいらっしゃって、三人で待合室に上がって、長い、長い、春の午後をおしゃべりで過ごしました。 というわけで、久しぶりの西宮でした。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.03
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クリストファー・ノーラン「オッペンハイマー」109ハット 今日は2024年3月30日、土曜日です。その上、春休みです。普段は出かけません(笑)。 しかし、しかし、ですよひょっとしたら、今、一番騒がれている映画じゃないか? が封切られているのです。180分の大作ですが、2024年のアカデミー賞、作品賞、監督賞(クリストファー・ノーラン)、主演男優賞(キリアン・マーフィ)、助演男優賞(ロバート・ダウニー・Jr.)、編集賞、撮影賞、作曲賞と、7部門、まあ、総舐めという作品で、おっちょこちょいの徘徊老人としてあっこならすいているんじゃないか? とやって来た109ハットでしたが、やっぱり空いていました(笑) 見たのは、もちろん、クリストファー・ノーラン監督の「オッペンハイマー」です。 実は、評判になり始めてひっかかっていたことがあります。なんで、今、オッペンハイマーやねん? で、見終えました。若い人はご存知ないかもしれませんが、1940年代、第二次大戦中ですが、マンハッタン計画という、アメリカの原爆開発プロジェクトの科学技術的な責任者であったJ・ロバート・オッペンハイマーJulius Robert Oppenheimerの、いわば伝記映画でした。 いかにも、ノーラン監督らしい映像的工夫に満ちた作品でしたが、果たして、効果的だったのかどうか、ボクには、少々めんどくさかったですね(笑)。 面白かったのは、まず、登場するアインシュタインが、ボクが思い浮かべるイメージの姿と、実に、ピッタリ同じというか、そっくりで笑えました。ついでにいえば、見ながら気付いたわけではありませんが、オッペンハイマーもそっくりです。似た人というのはいるのですねえ(笑)。 で、その、オッペンハイマーとアインシュタインが出会うシーンが一回だけあるのですが、そこで何が語り合われたのかが、おそらく、この映画の底に流れている大事なポイントだと思いました。古典力学が描いた世界を根底から刷新したアインシュタインですが、彼がたどり着いたのは量子力学という新しい未知の発見、ひょっとしたら、「絶望」の発見だったわけで、そこから未知の世界へ足を踏み入れて、世界を滅ぼす可能性のある殺戮兵器の道を歩もうとしているオッペンハイマーの「不安」が出会ったシーンとして、まあ、この映画の鍵となるシーンだったと思うのですが、ボクには印象深かったのですね。 ただ、この二人とか、ハイゼンベルグとか、ボーアとか、無茶苦茶なつかしい名前でしたが、彼らには見えているらしい「量子的世界」について、実は、ボクレベルの科学的世界認識では歯が立たないのですね(笑)。 映画の制作者は、おそらく、そこのところを何とかしようとお考えになったんでしょうね、数式の抽象化なのか自然現象の描写なのか、まあ、ちょっとハッタリ的な映像が繰り返されて、「なんや、あんたもわかってへんのやろ」 という感じで、笑えました。 で、映画は「原爆を作ってしまった科学者」オッペンハイマーの伝記的事実をなぞろうとしているようですから、原爆開発と、その軍事的使用に対して、罪というべきなのかどうかはわかりませんが、彼自身の、一人の人間としての「存在論的な苦悩」 が、本線として、まず、あるわけですね。 で、映画は、そこを主軸としながら、戦後、水爆開発に反対したことが理由でしょう、1950年代の、所謂、「赤狩り」のターゲットにされて公聴会で尋問されるという、反共を煽るアメリカという国における、国民としての資格の剥奪の脅しに対する「怒りと戸惑い」 加えて、彼の性的、精神的な志向によるのでしょうね、いわば、内面に渦巻く欲動の自己矛盾に対する怯え を抱えている人間という、重層的な存在のありさまを、多分、三通りの、時制ではなくて、映像の主体、だから、誰が見ているシーンかという映像的な差異によって、錯綜させて描くという、ノーラン監督の得意技が駆使されていて、面白い人には面白いのでしょうが、ボクにはかなりややこしい という印象でしたが、とどのつまりに、妻の口から発せられた「公聴会で許されたからといって、あなたがやったことが許されたとは限らない」 という(はっきり覚えていませんが)セリフの、「あなたがやったこと」 が実に多義的で、かつ、静かではあるのですが、激しい否定のセリフには、やはり、ギョッとするというか、印象に残ったのですが、なんだか、消化不良な感じも残りましたね(笑)。 まあ、なんとなく、不満を書き連ねていますが、ボク自身にとっては、かなり衝撃的な体験 をさせられた映画でもありました。 上に貼ったのは映画ではなくて、公式記録の写真らしいですが、映画の前半、最後の山場は、この写真が写している最初の原爆の実験の現場を描いた映像でした。ボクは普通の映画館で見ましたから、椅子が揺れたりしたわけではありませんが、最初に光と火炎の塊がスクリーンに広がり、しばらくの沈黙の後、強烈な爆音が響き、まさに「ピカドン」 が映しだされたのですが、その映像を見ながら、椅子にすくみこむような気分に落ち込みながら、涙がとまらなくなってしまったのでした。不思議な経験でしたね。なんだったのしょうね、あの、身体反応は? ここ数年、何本か見たことのある監督ですが、ややこしさはいつものことですが、あのシーンは衝撃でしたね。拍手! 余談ですが、始まりは、アインシュタインの「物理学はいかに創られたか上・下」 (岩波新書)、そこから、ハイゼンベルグの『部分と全体』(みすず書房)とかシュレーディンガーの『生命とは何か』(岩波文庫)とかに、それぞれ、まったくワカラナイにもかかわらず、熱中したことがあったのですが、懐かしく思い出しました。映画を見ながら懐かしい名前といったのは、この映画にも登場する物理学者たちの多くが、10代の終わりころのボクには、あこがれのスターだったんですよね。あの頃から50年、本だけでも、と思って、何度も、あれこれチャレンジしましたが、結局、諦めましたね。面白がれたのはファインマンさんの冗談だけでしたね(笑)。 ああ、それから、なぜ、今、オッペンハイマーなのか? は、結局、わかりませんでしたね。ついでにいえば、この映画が大騒ぎになっている理由もよくわからなかったですね。嫌いじゃないし、面白かったのですが・・・(笑)。監督・脚本 クリストファー・ノーラン原作 カイ・バード マーティン・J・シャーウィン撮影 ホイテ・バン・ホイテマ美術 ルース・デ・ヨンク衣装 エレン・マイロニック編集 ジェニファー・レイム音楽 ルドウィグ・ゴランソン視覚効果監修 アンドリュー・ジャクソンキャストキリアン・マーフィ(J・ロバート・オッペンハイマー)エミリー・ブラント(キャサリン(キティ)・オッペンハイマー)マット・デイモン(レスリー・グローヴス)ロバート・ダウニー・Jr.(ルイス・ストローズ)フローレンス・ピュー(ジーン・タトロック)ジョシュ・ハートネット(アーネスト・ローレンス)ケイシー・アフレック(ボリス・パッシュ)ラミ・マレック(デヴィッド・L・ヒル)ケネス・ブラナー(ニールス・ボーア)ケネス・ブラナーディラン・アーノルド(フランク・オッペンハイマー)デビッド・クラムホルツ(イジドール・ラビ)マシュー・モディーン(ヴァネヴァー・ブッシュ)ジェファーソン・ホール(ハーコン・シュヴァリエ)ベニー・サフディ(エドワード・テラーデ)デビッド・ダストマルチャン(ウィリアム・ボーデン)トム・コンティ(アルベルト・アインシュタイン)グスタフ・スカルスガルド(ハンス・ベーテグス)マイケル・アンガラノデイン・デハーンオールデン・エアエンライク2023年・180分・R15+・アメリカ原題「Oppenheimer」2024・03・30・no052・109ハットno43追記2024・04・02 「オッペンハイマー」というこの映画の感想を書くのに、ちょっと苦労して、なんとか書き終えて、寝ていて、「うん???」 と思い浮かんだことがありました。2023年に見た「アステロイド・シティ」という、アニメのようでアニメでない、という雰囲気のけったいな映画のことです。「あれって、ロスアラモスか?」 という、なんというか、ひらめきというか、思いつきでした。 そういえば、あの映画は少年科学者大会とかいっていたと思いますが、マンハッタン計画は全米の秀才高校生まで動員した、国民的行事だったですよね。ボクは、あの映画の舞台がネバダということもあって、広瀬隆の「ジョン・ウェインはなぜ死んだか」(文春文庫)とかを思い出して、なんとなく「原爆実験かあ・・・」 とか思っていたのですが、ひょっとしたら、この映画と同じ関心で、あの映画は作られていたのではないかという思い付きですね。 そうだとすれば、才能とセンスの塊のようなウェス・アンダーソンとクリストファー・ノーランという二人のアメリカの監督が同じように、今、「ロスアラモス」を振り返ろうとしているんじゃないか。それは、何故かなのか?ですね。 日本の戦後でいえば、「夏の花」、「黒い雨」から「父と暮らせば」や「祭りの場」、近いところでは「爆心」まで、他にもいっぱいありますが、繰り返し描かれ、映画化もされた原爆ですが、作って、使ったアメリカではどうだったのか。なぜ、今、オッペンハイマーなのか? なんだか、いよいよ、引っかかってきましたね(笑)。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.02
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「咲きはじめたら、一気です!」 徘徊日記 2024年4月1日(月) 団地あたり 今日は4月1日、エイプリルフールですが、3月の終わりに咲き始めたと思ったら、ウソみたいに一気に咲き始めました(笑)。 まずは、自宅の前の通りです。こうして花が咲くと、みんな遠くに行ってしまったゆかいな仲間たちのことが懐かしくなります。 信州にいるカガクくんに写真を送ると「神戸も、まだその程度か?」 とか何とかいっていましたが、それぞれ、みんな、この風景は懐かしいんじゃないでしょうか。 自宅の前の通路です。右に見えている棟がゆかいな仲間が育った建物ですが、この道を歩くと突き当りに枝垂桜が咲いています。 これが、この枝垂れ桜の先端の様子で、今日は青空に映えてきれいですね。 反対側から撮るとこんな感じです。背景に見えているのは、愉快な仲間が通った小学校です。 ちょっと、目先を変えて、雪柳です。隣の棟の裏、子どもたちの遊び場に一株(?)だけあります。 自宅の側から、西を見ると、こんなふうになっています。向うの端にあるのが枝垂れ桜です。体育館の屋根が映っていますが、彼らが通った中学校です。 玄関からのこの通りだけでも満足なのですが、さて、団地のサクラ、あちらこちらで咲き誇り始めています。今日から1週間、天気のよい日は、スマホ片手にパチリ、パチリの日々になりそうです。 やっぱり、桜ですね。咲き始めると落ち着きません(笑)。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.01
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「雪柳、満開です!」 徘徊日記 2024年3月30日(土) 団地あたり 2024年の3月もあと2日、今日は久しぶりに快晴です。ベランダではチューリップが咲き始めましたが、団地は雪柳が満開です。 スマホ片手に西の駐車場と歩道の生垣にやって来ました。 毎朝、中学生が通る道ですが、今は春休みです。ここが団地自慢の雪柳ロードです。 写真の向こうまで歩いて、振り返ると、こんな様子です。 団地中央の、もう10日もすれば桜の名所になる中央歩道にやって来ました。いまは、ここも、雪柳の道です。 蕾がふくらみ始めた桜並木の下で、雪柳が満開です。 壮観というか、見事なものでしょ(笑)。歩道の生垣が重なっていて、花の列が重なって見えています。大したものですね。 この徘徊の写真はみんな雪柳です。芸がありませんが、まあ、こんな日もあっていいでしょう(笑)。 ちょっとづつ移動して写しています。歩いている通路の形が似ているので、実は、違う場所なのですが、おんなじ写真に見えますね(笑)。 こうして写真にとると、えらく広い団地に見えますが、まあ、そんなに広いわけではありません。 家の前というか、裏庭まで帰ってきました。向うの階段の上の、その向こうに、さっきまでいました。階段をそのまま、向こうに抜ければバス道です。 今日の徘徊は、実はこれだけではありません。 あのね、桜が咲き始めたんです。それは、また、別の日記に書きますね。そっちもよろしくね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.01
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