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湊ヨシキ「燃えよ剣 1 」(新潮社)2024年9月のマンガ便の1冊です。司馬遼太郎の傑作、「竜馬がゆく」の鈴の木ユウによるマンガ作品が気に入っているのですが、今度は。同じく傑作「燃えよ剣」(新潮文庫)のマンガ版です。正直、小説としての面白さはこっちの方が・・・という作品ですが、さて、マンガとしてはいかがでしょうね。「ちょっと、絵が気に入らんねん。」 トラキチ君のセリフですが、読み終えて、ナルホドでした(笑)。 なんとなく、絵に余裕がないので、なんだか殺伐たるニュアンスばかりが強調されている印象ですね。新選組で土方歳三ですから、まあ、それでいいのかもしれませんが、司馬遼太郎の原作のすごさは土方から殺伐を消し去ったところのような気もしますからね。原作は、ボクの知る限り、女性に人気の作品でしたからね。 第1巻ですから、さて、トラキチ君が読み続けるのかどうか、読み続けるとすると、どのあたりで「面白い!」になるか、そっちも興味津々ですね。 とりあえず、今回は、こんなのもありますよの案内でした。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.09.30
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グー・シャオガン「西湖畔に生きる」シネリーブル神戸 山水映画、「春江水暖」のグー・シャオガン監督ですが、今回は、その山水映画第2弾だそうです。見たのは、邦題「西湖畔に生きる」、原題「草木人間」、多分、「そうもくじんかん」と読むのでしょうね、「じんかん」というのは人間の社会のことですね、でした。 納得でしたね。いや、「春江水暖」は感想を書きあぐねた記憶がありますが、今回は書けそうです。ただ、あれこれ錯綜していて簡単ではありません(笑)。 舞台が杭州ですから上海の近く、川でなくて湖です。茶畑があって、中国の昔の絵のような山や森があって、湖があって、その向こうに超近代的な都市の影が映っています。現代中国の姿ですね。 バスの中で、出奔した夫の死の噂について「ハオ」という言葉で語る女性がいて、青年が森を歩いて茶畑までやってきて、そこで働く女性に「マー」と呼びかけ、行方不明の父をめぐる会話が始まりますが、バスの中の女性が青年の母だったことがわかって映画が始まりました。 いや、本当は、春の山に行列をなして登って行く人々が小さな灯りのとなって点々と薄暗い茶畑に拡がり、山に登る人々の足元の闇の中で、ヘビや虫たちがうごめき始め、人々が山を起こす、この「草木」シーンこそが、この映画の始まりだったことに、実は、見終えて気付きました。 で、映画は、茶摘み仕事から追われた母の、マルチ商法に浸りこんでいく地獄めぐりのような人間(ジンカン)シーンが徹底的に描かれます。 それは、われわれの社会では、90年代半ばだったでしょうか、戦後の経済成長が頂点に登りつめた、あの時代、県立高校の現場にすら出没した、あの、インチキ経済に憑りつかれた人々の姿を彷彿とさせるシーンで、社会主義の理想を捨てた現代中国がさしかかっている、真の姿を実感しながら見ていたのですが、金の亡者と化した母と、それを救わんとする息子の物語の結末が、森の中の蓮池にもどってくるのを見ながら、まあ、両方現実なのですが、金の亡者のシーンが夢だったのか?今、目の前にある山の水辺が夢なのか? という、ある種の困惑に浸りながら映画は終わりました。 原題にある「草木」と「人間(じんかん)」、自然と社会を重ね合わせた「時間」の描き方に、多分、グー・シャオガンという監督の、らしさ があると感じてはいたのですが。 で、帰りの電車でチラシを見ながら、息子と母の名前に、ボクの困惑に対する、とりあえずの解答があることに気付きました。 この映画では、息子の名前は釈迦の十大弟子の一人、目蓮と名づけられていて、その目蓮が餓鬼地獄に落ちた母を救うという「目連救母」という仏教譚がこの作品の枠組みだったのですね。 あのぉ、日本でも、お盆に、お坊さんが、施餓鬼とかいってお経をあげる行事がありますが、あれの原型譚で、日本の仏教の原型である中国の仏教ではかなりポピュラーなパターン噺ですが、日本人は案外、知らないと思います。 グー・シャオガン監督、前作は漢詩、今回は仏教説話でした。 山の草木の中で暮らす人たちが湖の向うの、いわば拝金主義の人間社会で餓鬼道に落ちるという、時間と空間の設定が、グー・シャオガン監督の味! なのかもしれません。とどのつまりの虎の登場といい、燃え上がる緑の木を思わせる樹木の思想といい、監督のセンスが、ボクは面白かったですね。 まあ、それにしても、母タイホウを演じたジアン・チンチンさんの鬼気迫る演技に拍手!でした。 監督・脚本 グー・シャオガン脚本 グオ・シュアン 撮影 グオ・ダーミン美術 ジョウ・シンユー衣装 リー・ホア マー・ジュオミン編集 ジャン・イーファン リウ・シンジュー音楽 梅林茂キャストウー・レイ(ムーリエン目蓮:息子)ジアン・チンチン(タイホア苔花:母)チェン・ジエンビン(チェンさん老銭)ワン・ジアジア(ワン・チン万晴)イェン・ナン(ドン・ワンリー董万里)チェン・クン(ジンラン金蘭)ウー・ビー(ウー・ビーグイ呉彼貴)ジュー・ボージャン(チャン・ヨン張勇)2023年・115分・G・中国原題「草木人間」英題「Dwelling by the West Lake」2024・09・28・no124・シネリーブル神戸no271追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)(
2024.09.29
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小梅けいと「戦争は女の顔をしていない(5)」(KADOKAWA) 2024年9月のマンガ便の1冊です。スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチの原作を、マンガ家の小梅けいとさんがコツコツと描き続けている「戦争は女の顔をしていない」(KADOKAWA)の第5巻です。 このマンガでもいいし、岩波現代文庫の原作でもいいです。まあ、お読みになっていただきたい! というのが今回の読書案内の主旨です。他には、何もいうことはありません(笑)。 戦争から、半世紀ほどたって、一人の女性が戦争を体験した女性たちに、一人、一人、インタビューして、それを記録した、ただそれだけの結果です。 もちろん、どういう問いを発し、どういう答えがあったか、取捨選択もあるでしょうし、作家なりの、作品として成立させるための取材の意図の反映もあるでしょう。しかし、そこに響いている「声」を聴いてほしいんです。それは、やはり作り事ではないとボクは思います。 何もいうことはないといいながら、メンドクサイことをしゃべっていますが、この5巻で印象に残ったのはこのエピソードです。 パルチザンの連絡係だったワレンチーナ・エヴドキモヴナ・Mという女性の告白のシーンです。彼女の夫も従軍し、行きて帰ってきましたが、捕虜になったことを糾弾され、戦後7年間も収容所暮らしをさせられた人です戦争が始まる前に軍隊の幹部を抹殺してしまったのは 誰なの?戦争が始まる前に赤軍の指導部をつぶしてしまったのはわが国の国境はしっかり守られていると国民に請け負ったのは 誰?訊きたい・・・もう訊けるわ私の人生はどこへ行っちゃたの私たちの人生は? レーニン亡き後の党派闘争を勝ち残ったスターリンの独裁への「歴史」の途上にあった戦争ですね。戦後40年、スターリンは失脚し、ソビエト・ロシアが崩壊してしまった今の時点で、ようやく、「もう訊けるわ」という声が響いています。しかし、次ページの彼女の結論はでも私は黙っている夫も沈黙している今だって怖いの私たちは怖がっている恐怖のうちにこのまま死んでいくんだわ悔しいし恥ずかしいことだけれど… アレクシエーヴィッチは勿論ですが、絵を描いている小梅けいとが、この「声の響き」を何とか伝えようとしていることに、ボクはホッとします。 この記録が日本語に訳されて10年ほどたちました。主人公たちが語った戦争から80年です。で、今、主人公たちの世界では再び戦争が始まっています。90年前に、主人公たちが振り返った、その同じ戦争を始めた極東の島国では、戦後「誰?」と問うことを忘れ、80年の歳月の果てに、歴史を振り返ることを疎んじる風が吹きすさんでいます。どうなることやらですね(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.09.28
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鈴ノ木ユウ「竜馬がゆく 9 」(文藝春秋社) トラキチ君の2024年9月のマンガ便で届きました。鈴ノ木ユウ版「竜馬がゆく」(文藝春秋社)第9巻です。8月30日の新刊です。「早いなあ、出たばっかりやん(笑)。」「まあな。新しく登場する名前が覚えられへん。」「ふーん、自分らの世代でもそうか。」「でも、まあ、話は面白白いからな。」 トラキチ君は40代になったばっかりですが、幕末は、遠い昔というか、初めて出会う歴史なのでしょうね。シマクマ君は、なぜ、そうだったのかわかりませんが、10代で、幕末の志士とかの、まあ、竜馬、西郷、高杉というようなビッグネームの、ちょっと外まわりの人物まで知っていました。マンガとかで読んでいたのでしょうかね。まあ、学生時代の最後の卒論とかで、吉田松陰についていじったりしましたから、普通の人よりはその時代をうろついたわけで、子供のころからとか、思い込んでいるだけかもしれませんが。 さて、第9巻では、少しマイナーですが、しかし、幕末史に名をのこした歴史上の人物たちが、次々と、新しく登場してきます。 土佐でいえば吉村寅太郎、安岡嘉助、那須慎吾という勤王党の面々、長州では久坂玄瑞という吉田松陰門下の俊才たちですね。原作が、かなり丁寧な歴史小説ですから、まあ、当然といえば当然ですが、司馬遼太郎は町娘から船頭にいたるまで、おそらく、なんらかの裏を取って登場させているはずです。 まあ、寝待の藤兵衛がホントにいたかどうかあたりから虚実が問題になりますが、そっちを考え始めると、司馬遼太郎の小説論の問題になりそうですね。 とか何とか、考えていて思い出したのが、安岡章太郎という作家の「流離譚」(講談社文芸文庫)という作品です。 この第9巻に登場する土佐勤王党の安岡嘉助という人物は、兄が覚之助で、ともに幕末の志士として名を残しますが、嘉助は天誅組の乱で獄死、覚之助は会津戦争で戦死します。で、その経緯をたどったのが「流離譚」なわけですね。お二人は作家安岡章太郎の先祖で、作品は傑作!歴史小説 ですね。 傑作といったのは、まあ、ボクの評価ですが、幕末という時代を生きた人間の姿を、こちら側から描いた作品としては、司馬遼太郎的大衆性はありませんが、読みごたえのある傑作です。 で、第9巻の話にもどりますが、名場面はこちらですね。 姉、乙女との別れです。原作は大昔に読んだのですが、この場面はなんとなく覚えていました。竜馬、いよいよ脱藩! 10巻以降が楽しみですね。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.09.27
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マルグレート・オリン「SONG OF EARTH ソング・オブ・アース」シネリーブル神戸 予告編を見て、ノルウェーとか、フィヨルドとか、極地とか氷河とかの風景が見たくてやって来たシネリーブルです。 見たのはマルグレート・オリンという監督の「SONG OF EARTH ソング・オブ・アース」でした。堪能しました(笑)。 いや、なんとも、すごい風景というのがあるものですね。氷と岩の巨大な谷間、鏡のように空を映している、深々として微動だにしない湖面、歩き心地のよさそうな草原、氷河の底から湧き出してくる水の大瀑布。 84歳と75歳の老夫婦の姿を娘の映画監督が撮っているということのようですが、湖畔の焚火のそばで踊る二人のダンスは、大自然の中で点か、細い影のようにしか映らない人の姿の、数少ないクローズアップですが、まあ、ため息が出そうな「愛」の姿 で、盆踊りではこうはいきませんね(笑)。周りには、夫婦(?)でご覧になっているらしい方も、実は、沢山いらっしゃったのですが、まあ、これは無理ですね(笑)。 それにしても、撮影方法の進化というのでしょうか、おそらく、ドローンとかによる映像だと思いますが動物の行動にしろ、人間の動きにしろ、気象の変化にしろ、不思議で、興味深い角度を作り出していたとおもいましたね。 なにはともあれ、こんな自然の中で生きている老夫婦に拍手!でした。監督 マルグレート・オリン製作総指揮 リブ・ウルマン ヴィム・ヴェンダースキャストヨルゲン・ミクローエンマグンヒルド・ミクローエン2023年・94分・G・ノルウェー原題「Fedrelandet」2024・09・25・no123・シネリーブル神戸no270追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)(
2024.09.26
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「今日も咲きましたよ!夕顔!」 ベランダだより 2024年9月19日(木)ベランダあたり アホみたいなこといいますが、朝顔は朝ですが、夕顔は夜ですよね。どうして夜なのでしょうね? 写真を撮ろうとして、光の加減とか、まあ、元々当てずっぽうなのですが、自動フラッシュとか何とかで、器械が撮っています。 で、今日も咲きました。 ベランダの柵の外に吊ってある簾の向うです。 根っ子はベランダにある植木鉢なのですが、蔓はベランダから外に出ています。 「根っこあたりは、もう枯れっちゃってるんだけど、どうやって栄養がいってるのかしら?」「ホントは、枯れてへんのとちゃう?」「そうかなあ?でも蕾がまだつているから、まだまだ咲きそう。」「でも、よかったやん。今年は朝顔枯れてもたんやし。」 というわけで、なにはともあれ写真です。 玄関から外にでて、部屋の裏に回って撮っています。光の加減とか、もちろん機械まかせです。今年、あんまり気にならなかった蚊がたくさんいます。 大きな蕾もついています。今晩中に咲くのでしょうね。この間も、夜中に咲いたらしいのですが、朝起きたら、もう萎んでいる花がありました。 まあ、ボクの朝が遅いということもありますが(笑)にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.09.25
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立花隆「サル学の現在(上・下)」(文春文庫) 2004年ですから、ちょうど20年前に、授業の相手をしてくれていた高校生にあてて書いていた「読書案内」の記事が出てきました。口調もエラそうで、恥ずかしいのですが、捨ててしまうのも残念なのでここに載せることにします。 上の写真は単行本の、下の2枚の写真は文庫本の表紙です。 サル学の話が先週、国語の教科書に出てきました。聞く所によると、日本の学者の中で世界的にユニークな研究が多いのは「サル学」だそうです。 で、そのサル学について、立花隆というジャーナリストが書いた「サル学の現在(上・下)」(文春文庫)という本が、数年前に評判になりました。立花隆が日本のサル学の精鋭たちと出会ったインタビュー集です。「アニマ」(平凡社)という動物写真雑誌に連載していた仕事をまとめた本で、「サル学」ファンには見逃せない本ですね。今では文庫、上・下2冊ですが、えらい分厚い、まあ、所謂、大著でした。 ボクは今西錦司という、やたら文章の面白い京大の先生の「生物の世界」(中公クラッシクッス)・「進化とは何か」(講談社学術文庫)にかぶれて以来の「生物学」ファンです。高校時代には大嫌いな教科だった生物を好きにしてくれたのは、この今西錦司という不思議なおっさんです。 魚釣りからサル山の管理人までみんな学問なんですね。うちの学校にだって鹿が何を食っているかなんて、とりあえずどうでもいいことを大学で勉強した人もいます。みんなも生物の授業で出逢っている彼女、O先生は「鹿は鹿センベイで生活しているのではありません。」 「そりゃそうでしょう。」「草や落ち葉を食べます、時には烏を食べたりします。」 とマジメな顔で話す人ですが、そういう事に素人として興味を持つと、ほかの人から見ると「はぁ? それがどうしたの?」 みたいな知識は確実に増えますよね。「鮎釣りなんてただの一度もしたことがないのに鮎やイワナのテリトリー行動に詳しくなってどうするねん?」 と尋ねられるとこまるのですが、京大・今西学派(?)の川那部浩哉「川と湖の魚たち」(中公新書)とか宮地伝三郎「アユの話」(岩波新書)なんかに、はまってしまうとやめられなくなってしまいます。 「バス釣り・磯釣り」、「昆虫採集」、「動物園・水族館めぐり」エトセトラを実際に趣味にしている人にとってコタエラレナイ本はたくさんあるんですよ。 で、そういう本の内容の特徴の一つは経験と観察が、まず先行している事です。理屈じゃないんです。「本が先か経験が先か。」 という問題の答えは人によって違うかもしれません。しかし、シンプルな疑問を生み出す経験や行動が先にあることは大切なのではないでしょうか。皆さんの中にも、この間の文化祭でビニールのゴミ袋でクジラ型大風船を作ろうとして、初めてゴミ袋の重さに気付くし、ヘリウムの重さじゃなくて高価さを知ったひともいるんじゃないですか。ほかの人の目にはビニール袋の風船なんて「何の意味があるのか!?」 とアホらしくなるような文化祭での小さな「探検」の中にもガクモンの種はあったんじゃないでしょうか。 今話題にしている今西錦司という学者さんも当時の日本では有数の探検家、登山家です。そういえば「南極越冬記」(岩波新書)を書いた西堀栄三郎という人も京大山岳部の出身でこの学派です。その本はひょっとしたらもう手に入らないかもしれませんが図書館の新書の棚には転がっているかもしれません。1957年、日本人が初めて南極で越冬した時の記録です。南極での日々の感想が自由にかかれていて、西堀栄三郎の人柄や、日本の南極研究の出発点を作り出した人たちの理想と苦労の顛末がワクワク伝わってくる名著です。理系の人が書いた文章は率直で正直な所が心地よいのです。 ところで、サル学の精鋭たちは、たとえば、「ケータイを持ったサル」(中公新書)で評判になった正高信男さんのように人間社会を論じたがるかというと、実際はそれほどでもありません。どっちかというと論じたがらない人の方が多いかもしれません。むしろサルの行動や形態の観察に熱中していらしゃる。しかし学問としての出発点にある疑問の一つには、やっぱり、「サルと人間は何が違うのか」という辺りにあるということは共通しているようですから、まあ、広い意味では「人間学」の趣があって、素人でも読みやすいんですね。 人間の社会での「子殺し」が話題になった時期に「動物は同じ種同士では殺し合わないのに、親が子を殺すなんて人間の本能が狂い始めたんだ。」 というような論調の社会批評がはやったのですが、その頃、「サルもしまっせ!」 とばかり、世界的大発見をレポートしたのが杉山幸丸「子殺しの行動学」(講談社学術文庫)でした。日本のサル学のお家芸の、フィールドの猿たちに名前をつけて(名づけ)個体の行動の識別を行うという方法で、インドのサル「ハヌマンラングール」の群れを観察をした記録でした。この本で報告されているのは、あくまでも、サルという動物の社会行動の記録であって、人間がどうのこうのというところに結論をもっていったりしていません。そこが科学的な思考の禁欲的でかっこいいところですね。 一方、「♪アーイアイ、アーイアイ、おさーるさーんだよ♪」 の童謡で有名なマダガスカルのサル、アイアイの研究者島泰三さんの新著「親指はなぜ太いのか」(中公新書)は、いろいろなサルの手のひらの図版がたくさん出てきて、指の機能の比較研究だと思って読んでいると、これがとんでもない結論に到達するのです。 動物が生きていくための基本要素を「食べること」と捉えて、口・手・行動の分析を進めていくと結論は・・・・・。 人間がサルから離れて人間になっていったときに何を食べていたのか。 にたどりつくのですね。 で、思い出すのは「ボーンコレクター」(ジェフリー・ディーバァー・文春文庫)です。突然ですけど、題名だけの連想で思い出しました。典型的アームチェアー・ディテクティブ=書斎で座って推理だけで謎を解くタイプの探偵、リンカー・ライムが印象的なミステリーです。 この小説も面白いのですけど「親指」はもっと面白かったですね。島探偵によれば、人間がアフリカの草原で生きのびるために、どんな生活を始めたのか、その秘密は、あなたの、その親指の形に隠されているのです。サル学と人類学の間の謎を解いてみせた、痛快極まりない好著。謎は読んでのお楽しみ。 なんか、立花隆は、ただの前振りでしたが、読みごたえは十分ありますから、そちらからどうぞ。じゃあね(笑)。(S)2004・6・10 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.09.25
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「石屋川 川底たどって一王山!」 徘徊日記 2024年9月20日(金)その3 石屋川あたり 電話に出ないS 君の安否確認もすんで、石屋川公園にもどってきました。とりあえずカンカン照りの公園の日陰で、残っていた🍙を一つ食べて、さて、どうしましょう? 町の地図を眺めながら、東西に歩けば、平坦な街路で酒蔵徘徊の名所、南に歩けばやや下り坂で海、北に歩けば上りで昔神戸外大があった一王山町です。神戸大学の教養部とかのすぐ下ですね。「川沿いを上ってみようかな?」で、よせばいいのに川底の狭い河川敷に降りていきました。針路は北です。 おりて南を見るとこんな感じ。六甲山から下ってくる、傾斜のきつい短い川ですから、山で雨が降れば、一気に洪水で、川のいたるところに、水かさが増えたときの避難を指示する看板や幕があります。まあ、今日は大丈夫でしょう。 上の写真は阪神の石屋川駅の高架からで、少し歩くと駅のホームが見えます。川底は、水はほとんどありませんが、石垣が思いの外深くて、ちょっと探検の気分です。 すこし上ると、まあ、だいたい御影公会堂の横あたりですが、水量も少しだけ増えました。 川端というか、河原というかには、さっきまであった人が歩くための遊歩道はなくなって、飛び石づたいで進むしかありませんが、こんな花も咲いていて、なかなか楽しい探検です。 上って来て、JRの高架を過ぎて、阪急の高架をくぐったあたりで不安がこみ上げてきました。石垣は身長の2倍くらいで、若い人なら這い上がることはできるでしょうが、この年の老人には険しすぎます。川底を脱出して上に上る方法がない! いや、そうはいっても、もっと上流に行けばきっとあるだろうと、半ばやけくそ気味で歩き続けます。 阪急の線路を越えて、一王山町の交差点の上あたりで、学校帰りの小学生が3人ばかり、橋の上からのぞき込んでこちらを見ています。「あのねぇー、石屋川から歩いてきたんや。どこか上に上る石段か梯子あるとこ知らんかな?」「へー、どこにもないけど。」「そうか、こまったなあ。」「もう少し上に行ったら、石垣の凸凹をつたえるんちゃう?」「ああ、そうか、もう少しいってみるわ。ありがとうね。」 もう、やけくそですね(笑)。 小学生たちに手を振って別れて、もうすぐそこが神大の教養部あたりで、川は山に向かって細くなって、民家の裏庭によじ登れる石段がありました。 不審人物というか、不逞老人というか、住民の人たちに見つかれば何をいわれるか???💦💦 とか思いながら、なりふり構わずよじ登って無事生還です。ほっ! でした(笑)。 最後の山場あたりの写真がないのは、まあ、いかに焦っていたかということですが、登ったところにこの石碑です。 一王山十善寺だそうです。 まあ、思いつきで歩くのも面白いのですが、こんなところで倒れていても誰も気づかないような所がすぐそこにあることだけは実感できました。もう、川底は歩きません(笑)。 にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.09.24
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「で、やってきたのが石屋川公園!」 徘徊日記 2024年9月20日(金)その2石屋川あたり 元町映画館の映写機が動かないというトラブルで行き場を失ったシマクマ君です。「そうだ、市バスに乗ろう!」 実は、神戸市民は70歳以上になると市バス、市営地下鉄の乗車料金が半額なのです。まあ、数年前までは65歳で無料だったような気もしますが、なにはともあれ、半額です(笑)。 で、映画館を諦めた結果、三宮神社前から石屋川車庫行きの市バスに乗りました。 50年前には、板宿から石屋川車庫という、ほとんど、半日バス旅行路線もあったのですが、今では中央区から灘区を横断するこの路線が、同一料金では、多分、市内最長路線! です。久しぶりにそれに乗って、そのあたりに住んでいる石屋川のS君を訪ねよう! という思い付きです。 というわけで、久しぶりにやってきた石屋川公園です。公園は川沿いにだらだらと続いている南北に長い敷地ですが、灘区と東灘区の区境で、実は40年前に、数年間お勤めしていた御影高校とかのすぐ裏手です。 HRの時間にクラスの皆さんと、お弁当をもって散歩に行っていると、「みだりに校外に出てはいかん!」 と生徒指導部長から担任がおしかりを受けたりしたところです。 まあ、赤いスポーツシューズが派手かどうか、生徒指導部会で話題になっていた時代です。「アホか!?」 と口走ると、校長室で新任のくせに態度が… と説諭でした。いやホント、アホ!ですね(笑)。で、ここは石屋川公園の日陰です。鳩が群れていました。 なんか、壊れかけみたいな、こんな石碑もありました。 鶏頭の花でしょうか、夏枯れというか、暑さに参るというか、でも、沢山咲いていましたよ。 ここで、時刻は正午を回ったところです。2時間経過ですね。 ここからすぐのS君の自宅を訪ねました。先日、30年前の自宅電話に電話したのですが、応答がなかったので心配したのですが無事でした。ネットもスマホも縁がないそうで、電話も以前のままでした。 しばらく、玄関先に座り込んで旧交を温めました。玄関の向うから手を振ってくれて、まずは一つ目の目的達成です。 が、さて、これからどうしましょう?というわけで、日記はその3に続きます。 にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.09.23
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司修「さようなら大江健三郎こんにちは」(鳥影社) 2023年の3月3日に、作家の大江健三郎が亡くなって、ほぼ、1年がかりで彼の、まあ、それぞれの時期の代表作を読み直したりしました。「死者の奢り・飼育」(新潮文庫)から、「芽むしり仔撃ち」(新潮文庫)、「万延元年のフットボール」(講談社文芸文庫)、「同時代ゲーム」(新潮文庫)、「懐かしい年への手紙」(講談社文芸文庫)、「燃え上がる緑の木」(新潮文庫・全3巻)、「雨の木を聴く女たち」(新潮文庫)、そして、「晩年様式集」(講談社)ですね。 読みながら「どなたか、大江健三郎について、2023年の視点に立って論じる人はいないのかな?」 まあ、そういう気分でした。 今から50年ほど前、1970年ころ大江の作品に出逢ったボクにとって、松原新一さんの「大江健三郎の世界」(講談社)と野口武彦さんの「吠え声・叫び声・沈黙 」(新潮社)が、まあ、お二人とも通っていた学校の先生ということもあって、最初の入門書でした。 松原新一さんは、開講中の講義を放り出して、ご出奔という快挙・怪挙(?)で学校から消えてしまわれたことが、いまだに、その授業を受講していた同級生の間では話題になりますが、2013年に亡くったそうです。 野口武彦さんは、さん付けで呼ぶのも、烏滸がましいというか、申し訳ない気分ですが、所謂、ゼミでの担当教授としてお出会いして以来50年、「先生」として私淑させていただいた方でしたが、2024年の6月、お亡くなりになりました。 お二人は、大江健三郎よりも少しお若のですが、1960年代の「大江」について、同時代の若き文芸批評家による、いわば、生々しい嫉妬に満ちた作家論 とでもいうニュアンスが面白かった記憶がありますが、それからの50年、記憶に残っているのは蓮實重彦「大江健三郎論」(青土社)と尾崎真理子「大江健三郎全小説全解説」(講談社)の2冊くらいです。 蓮見重彦の大江論は、作家自身が批評家の物言いを嫌ったということで、当時評判になった記憶がありますが、対象に対する視点の独特さが、いかにも蓮實重彦というニュアンスで、大江論の中では出色の面白さでした。 一方、尾崎真理子の「大江健三郎全小説全解説」(講談社)は小説全集の解説ということもあって、寄り添うとでもいうのがピッタリの、全作品に対する言及が特徴で、今の時点では入門であれ回顧であれ、とても便利な本ですが、500ページを越える大著で、まあ、とにかく分厚い(笑)。 のが特徴でもあります。 で、見つけました。 司修「さようなら大江健三郎こんにちは」(鳥影社)です。 市民図書館の新刊の棚にありました。2024年3月3日の新刊です。司修は、長年、大江の著書の装丁、挿絵の仕事を続けてきた人ですが、ご自身も小説をお書きになる作家でもあります。 で、こんな書き出しです。 序 私の母は、明治三十年三月三日生まれでした。母が三十九歳の時、シングルマザーとして私を生んだのです。一月、母が亡くなる寸前、口を開けてゴーゴーと荒い呼吸をしながら、ス・・・・・イ・・・・・セ・・・・・ンと四音を残しました。ゴーゴーの合間の音なので意味を理解できなかった私は五月に入って、仕事場の雑草だらけの庭に、ラッパ水仙がいくつも咲いてびっくりしたのです。ああ、このことだったのだ、と思うと涙が出てしまいました。 私は、「母の魂が水仙の花になって来ている」と童話のような思いを持ちました。それからというもの、私は、母の誕生日である三月三日と水仙の花が咲いた日を、「母のお盆」として、母が好きだった新潟の酒を買い、独り酒をして母を思うようになったのでした。親不孝者の謝罪酒です。 大江健三郎さんが亡くなった知らせを、「群像」の編集者から受けたのは二〇二三年三月半ばでした。私はガラケーをにぎりしめ言葉を失いました。三月三日、陽が落ちてから朝方まで飲んで一升瓶を空にした私は、(Oèさん)の死を悼んでいたのかもしれないと思いました。この思い込みこそ私の欠点なのですが。 「晩年様式集」の見本が出来た晩、成城のイタリアンレストランに家族で招かれ、私は、武満徹さんの自筆楽譜「雨の樹」を、光さんへ、バトンタッチいたしました。 みなさんとお別れする時、大江さんから「もう、会うことはないでしょうから」と握手を求められ、私は汗ばんだ手で、大江健三郎さんの手を握ったのでした。(P6~P7) この、文章をお読みになられて、ようするに、大江の著書に対して、その装丁者という関係の、個人的な思い出が綴られているという印象をお持ちだと思います。で、確かに、そうではあるのですが、1冊の本になった作品に対して装幀するとはどういう行為であるのかということが、司修という人においては、想像を絶していて、読むことなくして装幀・挿絵はあり得ない、装幀こそ作品批評そのものであり、作家の思想に対する、まさに現場からの問いかけの作業だったということが、全編に通底しています。 たとえば、この序章は、大江健三郎の最後の作品集「晩年様式集イン・レイト・スタイル」(講談社文庫)の一番おしまいに載せられている「詩」の最終連、それはこんな詩句ですが私の中で母親の言葉が、はじめて 謎でなくなる。私は生き直すことができない。しかし私たちは生き直すことができる。 ここから始まる追悼の文章のには、まず、この詩の文句を響かせていることの宣言のようなものですし、本書の最後には、「晩年様式集」(講談社)の装幀を引き受けた旨を伝た ウエスキー!それはマルコです。 OeKenzaburo sama 装幀お引き受けいたします。 というハガキの返書として届いた、大江健三郎から司に宛てられた最後の手紙の引用がありますが抜粋するとこうです。 あなたのお葉書を光が読んでニコニコしている・・・・(中略) 私の文学は、一生続くかたちで光の記憶を代行するという意図のものとなりましたが、司家では、それが生き生きと残っているいるわけで、喜びです。 大江光君が、司の葉書を見て喜んだ理由は、そこに書かれている暗号のようなウエスキー!それはマルコです。 にありますが、そのあたりの謎解きは、本書をお読みください。なにはともあれ光を喜ばせる暗号であったということです。 これに対して、司修の感想が 私はふと、「晩年様式集」の、「五十年ぶりの「森のフシギ」の音楽」にあった、「きみの立てた大きな音を聞いてわかった。きみはシューベルトの即興曲を聴くたびに、バレンボイム、サイード、そしてなにもかもをを結んで思い出していた・・・・」 あのシーンに描かれる原因となった光さんの沈黙がニコニコに変わったのではないかと思いました。 光さんのニコニコがなによりも嬉しい知らせでした。 というわけです。 まず、単行本、「晩年様式集」の見開きには光の肖像のスケッチがあります。そして、カヴァーのデザインは、楽譜です。また、「晩年様式集」の作品中には、長江さんがエドワード・サイードにもらって、宝物にしている楽譜にアカリが書き込みをしたことを叱った長江をアカリが批判する、哀切極まりないシーンがあります。 司修の、ここでの発言と装幀とは、その部分に対応しているのですが、その部分は、実は、ボク自身にとっては、今年、2024年の6月に見た佐藤真の「エドワード・サイードOUT OF PLACE」という映画のラストシーンとも直結します。 そのあたりの、本書によって喚起されるイメージの連鎖のリアリティは、作品を読んでいた時には、もちろん気づかないわけですし、あの映画を見ていない人には何のことだかわからない話なのですが、ボクにとっては、あの作品集の中の、まさに、その部分に司修の視線が注がれていたことは、異様な面白さでした。 本書には、それぞれの章にそういう意表をついたイメージ喚起力があって目が離せない印象で読みましたが、全編の目次はこうなっています。序力弱い声でコラージュ『文藝』河出書房新橋・第一ホテル喫茶室創作者通信追悼文×4セロ弾きのゴーシュブリコラージュ《絵本》銀河鉄道の夜ミクロコスム幻想の森・「骨月」駅懐かしい年・懐かしい時間・懐かしい場所ダックノート 目次をご覧になると、たとえば、宮沢賢治と大江健三郎という視点がありますよね。司修自身の賢治童話集の仕事との関連で言及されているのですが、ボクは、この本を読む迄、全く気付かなかった視点でした。 たとえば、ジョバンニの「カンパネルラ、僕たちは一緒に行こうねえ。」 という、カンパネルラと交わした最後のセリフが、大江の「取り替え子」という晩年の作品の底に聞こえるという指摘なんて、もう、「ああ、そうか!!!」 を越えていました。 で、1行だけのあとがきでこう書いていらっしゃいます。あとがき天才の中の、「普通の人」を描きたかったのです。 ウーン、まず、描いている人が普通でないと思うのですが(笑)、でした。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.09.23
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「新調!徘徊シューズ!」 徘徊日記 2024年9月20日(金)その1 元町あたり 台湾の鉄道のドキュメンタリーとかやるというので、朝一番、元町映画館にやってきたのです。ところが、上映機器のトラブルとかで、今日は上映できるかどうか・・・・💦💦 と、受付嬢が不安げにおっしゃって、電気もついていないロビーを覗いて見ると、顔見知りのスタッフたちは、いつもではない顔つきで機械をいじっていらっしゃって、とても、声をかける雰囲気ではありません。さて、どうしよう? 朝の10時に、元町で行き場所をを失って見ると、とりあえずここしかありません。モトコー5?、モトコー4、まあ、どっちなのか忘れましたが、JRの高架下の休憩所です。 ここは、雨風がしのげて、自動販売機もあって、このタイプのベンチが数脚あって、お昼過ぎには近所のお仕事場のオジサンでにぎわうのですが、朝の10時には誰もいません。とりあえず、座り込んで、お茶です。 で、持参のおにぎりを一つ頬ばって、カンカン照りの青空を見上げて、「さて、どうしょう???」 で、最初に足元の写真を撮りました。 最近、新調した「徘徊シューズ」です。まあ、ムサイすね毛はともかく、靴はさらっぴんです。同居人から「大丈夫?」 と真剣に尋ねられた、蛍光色のレモングリーンとかいう色です。これを履いている足は、最近70歳を越えて、ヨロヨロ歩きし出来ない老人の足です。で、なにが「だいじょうぶ?」 なのでしょう? つい最近まで履いていたのがこちらです。 実は、この靴も買った当初も、あざやかな小豆色を見た同居人から常識を疑われたのですが、数年間掃き続けて見ると、ただの汚い穴だらけの、ソールと踵がちびた、まあ、その割には、本人には履き心地のよい靴になりました。あまりに見すぼらしく、汚れて匂うらしく、玄関を穢すという理由で新調を迫られて、レモングリーンになりました(笑)。 今日は、この靴の初徘徊でしたが、空振りで、さて、これからどうしましょう。 というわけですが、これからちょっと、・・・。 続きはまた日記に書きますね。その2 その3にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.09.22
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アディル&ビラル「バッドボーイズRIDE OR DIE」シネマ神戸 今日は、カサベテスというか、ジーナ・ローランズのグロリアを見ようとやってきたシネマ神戸だったのですが、2本立ての1本目がこの映画でした。アディル・エル・アルビのビラル・ファラーの共同監督の「バッドボーイズRIDE OR DIE」でした。 ウィル・スミス&マーティン・ローレンスの人気コンビのアクション・コメディ、シリーズ第4弾です。主役のお二人の演技も、筋運びも、さすがは人気シリーズ! でした。 まあ、それ以上、何もいうことはありませんが、実は、映画館でこのシリーズを見るのは初めてで、「グロリア」目当て出来ながら、こっちで出来上がってしまいそうだと心配したのですが、確かに、二人組の映画なのですが、まあ、二人組のタイプと、事件の時代がちがいますよね。 時代といえば、こっちの映画で、AMMO(マイアミ警察ハイテク捜査班。Advanced Miami Metro Operations)という役の若い捜査官二人が出てくるのですが、現場の状況確認から、ドローン、まあ、ボクなんかの世代だとラジコンと呼びたいところなのですが(笑)、その、ハイテク・ドローンによる標的の攻撃の映像とかは、ちょっと目を瞠りました。スゴイ! ですね。 どのくらい、実用化されているのかとか、まあ、全く知りませんが、えらい時代になっていますね。 もっとも、物語の運びは、「臨死体験」に始まって、「食べ物」、「性的妄想」と、笑わせネタを演じるマーティン・ローレンスの愛嬌 と、「親子の絆」、「友情」、「純愛」を支えにしながら、「悪」に立ち向かうかのウィル・スミスのスピーディーな素っ頓狂 のコンビの面白さはさすがですね。 先日、「犯罪都市」という韓国映画を見ましたが、よく似たテイスト でした。 まあ、あっちは一人で、こっちはコンビというのが違いますが、こういうタイプのエンタメ、何といっても明るいところがボクは好きですね。拍手!監督 アディル・エル・アルビ ビラル・ファラー脚本 クリス・ブレムナー ウィル・ビール撮影 ロブレヒト・ハイファールト音楽 ローン・バルフェキャストウィル・スミス(マイク・ローリー)マーティン・ローレンス(マーカス・バーネット)バネッサ・ハジェンズ(ケリー)ジョー・パントリアーノ(ハワード警部)アレクサンダー・ルドウィグ(ドーン)ジェイコブ・スキピオ(アルマンド・アレタス:マイクの息子)エリック・デイン(ジェームズ・マクグラス)パオラ・ヌニェス(リタ・セカダ)2024年・115分・PG12・アメリカ原題「Bad Boys Ride or Die」2024・09・017・no121・シネマ神戸no14追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)(
2024.09.21
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ジョン・カサベテス「グロリア」シネマ神戸 2024年、だから、今年の8月14日にジーナ・ローランズというアメリカの女優さんが亡くなりました。94歳だったそうです。 夫がジョン・カサベテスという人で、映画監督です。奥さんは長生きでしたが、この人は1989年に肝硬変だかで、60歳にもならないで亡くなってしまっています。 もっとも、映画監督としてはなかなかの方で、残された作品はとても評判がいいんです。奥さんのローランズも、繰り返し映画で撮っていらっしゃるのです。1960年代から80年代のことですが、その頃、映画にはまっていた筈なのに、当時、ぼくが見たのは1本だけでした。でもね、その1本で忘れられない人になったんですね。 まあ、この顔も思い出、というつもりだったんですが、コロナ騒ぎの影響もあったのでしょうね、一昨年くらいからこの監督の特集とかいうことで、初期の「フェイシズ」をはじめ、「こわれゆく女」とか、「ラブ・ストリームス」とか、次々と再上映されて、「あの顔が出ているんだから、1本のこらず!」 の気合で見続けて、まあ、納得したのですが、あの顔の1本の再上映はなかったのですね。トホホホ! で、今回、シネマ神戸でやった、まあ、二度目のカサベテス特集で、遂に上映されたんです。ふふふふ。 はい、ジョン・カサベテス監督、ジーナ・ローランズ主演、「グロリア」です。 もちろん、駆け付けました。もちろん、納得です! 40年ぶりに見直したのですが、「よしっ!」と掛け声をかけたいほどの爽快な記憶として残っていたジーナ・ローランズ、再確認です。 成り行きに腹を立ててはいるのですが、筋だけは通そうという七転八倒しながらの粋なセリフ、小生意気な少年の憎まれ口、オバはんとガキの絶妙なカップル! いいですねえ(笑)。 いきなり、ぶっ放すグロリアの強気一点張りの姿、最後まで生き延びる結末、ちょっとやりすぎかもの展開には、彼女が「親分の女だ」という理由があったんですね。ある意味、なーんだ、なのですが、ボクの結論はこれでいいのだ! でしたね。 監督のカサベテス自身は「あれはファンタジーだ」と、あんまり評価しなかったらしいのですが、オバはんとガキの夢物語、二人に、もう一度、40年ぶりの拍手!でした。監督・脚本 ジョン・カサベテス撮影 フレッド・シュラー編集 ジョージ・C・ヴィラセニョール音楽 ビル・コンティキャストジーナ・ローランズ(グロリア)ジョン・アダムス(フィル少年)ジュリー・カーメン(ジェリ・ドーン母)バック・ヘンリー(ジャック・ドーン父)1980年・121分・アメリカ原題「Gloria」2024・09・017・no122・シネマ神戸no15追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)(
2024.09.20
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「二年ぶりのジジとキキでございます。」 バカ猫百態 2024年8月 どうも、二年ぶりの登場です。ジジ君とキキちゃんです。トラキチ君の家のバカ猫コンビです。「おい、あついなあ・・・、クーラーかかってるんか?まあ、ボクら、この暑いのに毛皮自前やしなあ・・・」「あんたなあ、後ろで扇風機まわってるやん。黙ってジッとしとり。」「暑いし。」「だから、声かけたら余計暑いやん。」「なんもする気せえへんなあ。」「ここの子らも、ゴロゴロしてるだけやん。おねーちゃん受験生らしいで。」「いらんことイイナ。嫌われるで。」「いや、大丈夫や。のんびりしてるし。」「この暑いのに取り合われたら面倒やんか。死んだふり、死んだふり。」 この暑さ、服脱がれへんジジ・キキコンビも大変でしょうね。まあ、それにしても暑い夏でしたね。まだ過去形ちゃいますけど。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.09.19
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「秋の明石大橋!」 徘徊日記 2024年9月18日(水) 朝霧あたり 明石の市民図書館を利用している神戸市民です(笑)。 自宅から、明石の駅前にある市民図書館に向かう道筋は、まあ、無数にありますが、山田川沿いを南に下って、舞子坂あたりから、西舞子、狩口台あたりを抜けてJRの朝霧駅の北西の丘を通過するルートがここのところ気に入っています。 ようするに、愛車スーパーカブでトロトロと進むのに最適の路地道ですが、朝霧駅の西の丘の上 まで来ると、この見晴らしです。すぐ下にJRと山陽電車が走っています。 残暑とはいえない暑さですが、秋の明石海峡大橋 が一望です。 すぐそこに小さな砂浜が見えますが、夏の間は、水遊びでにぎやかだったんです。でも、今日は誰もいないくなってるんです。もう、学校が始まって3週間もたっているんですよね。サンデー毎日の老人は、誰もいなくなっている砂浜をみながら、ようやく、今は、もう、秋! の感慨にひたるわけです(笑)すこし、北の空を見ると、やっぱり、これは秋の空ですよね。 もっとも、スーパーカブ号に乗って風を切って走っていて(ウソ!)も、汗だくなわけで、水筒を忘れるとヤバイ!熱気! が、あいかわらず充満していますからね。イヤハヤ、早く涼しくなってほしいものです。(笑)にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.09.19
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オタール・イオセリアーニ「蝶採り」シネ・リーブル神戸 オタール・イオセリアーニの特集に通っています。今日は「蝶採り」、1992年の作品だそうです。 フランスの古い城館で余生を過ごす2人の老婦人が主人公でした。なんともいえない、いい雰囲気のお二人で、お二人が森でピストルを撃つとか、オーケストラに楽器を持って出かけるとか、ヨーロッパが階級社会の歴史を、生活感で残していることにポカーンとしながらも、彼女たちの人生の余裕というか、広さというかを、なんとなく羨ましく思って見ていると、バブル景気の日本から、城を買いたいとビジネスマンがやって来るんですよね。 今となっては、いかにも、90年代! なのですが、無思想、無節操な金の亡者に服を着せるとこうなるというかの、異様なリアリティを漲らせながら登場します。なんというか、ジョージアからパリに来て映画を作っているヨーロッパとかの人たちには「これが日本人!」 なのだと思うと、ちょっと笑えないですね。 アジアの、だから韓国とか中国とかの、チョット歴史がらみの映画に出てくる日本人というのが、ああ、いやだなあ! と、感じるように表現されているのは、まあ、仕方がないなと思うのですが、こういう、ヨーロッパでも、どっちかというと田舎風のノンビリしたの映画に、いかにも金の亡者の姿で登場するのが「日本人!」 なのだったということを、まあ、30年ほどたってはいますが、日本の人は思い出しておく方がいいのでしょうね。 映画は解説にある通り「滅びゆく古き良き時代へのノスタルジーをにじませながら」、現代社会が捨てていきつつある何かを、一抹の寂しさを漂わせながら「シニカルに描いた」作品 でした。 経費が掛かって、世話が焼けることばかりが「老人問題」とか、「高齢化社会」とかレッテルを張って話題になるご時世です。映画がつくられてから30年以上経って、立派な老人になってしまった2023年の今、こういう作品を見ながらだから、余計にそう感じるのでしょうが、年をとった人が、その人生において、受け取って来たものが、こうして消えてゆくことに対してイオセリアーニという人のナイーブな視線 にホッとさせられる映画でした。監督イオセリアーニと二人のオバーちゃんに拍手!でした(笑)。監督 オタール・イオセリアーニ製作 マルティーヌ・マリニャック脚本 オタール・イオセリアーニ撮影 ウィリアム・ルプチャンスキー美術 エマニュエル・ド・ショビニ音楽 ニコラ・ズラビシュビリキャストナルダ・ブランシェマリ(アニエスのいとこの老婦人)アレクサンドル・チェルカソフ(公証人アンリ・ド・ランパデール)アレクサンドラ・リーベルマンマリ(アニエスの妹エレーヌ)エマニュエル・ド・ショビニ(神父)ピエレット・ポンポン・ベラッシュ(家政婦ヴァレリー)タマーラ・タラサシビリマリ(アニエス・ド・バイオネット)1992年・118分・フランス・ドイツ・イタリア合作原題「La chasse aux papillons」日本初公開 2004年6月19日2023・03・14-no040・シネ・リーブル神戸no187追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)(
2024.09.18
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「日が暮れて、夕顔です!」 ベランダだより 2024年9月16日(月)ベランダあたり 9月16日の月曜日です。やっぱり、暑い一日も、ようやく、日が暮れて、まあ、だめトラも勝ったし、ちょっと涼しい風が… とか思っていると、ベランダでチッチキ夫人が騒いでいます。「ちょっと、夕顔、いっぱい咲いているわよ。」「どこ?」「ベランダの外側よ!」 で、玄関から外を回ってみると咲いていました。 もう、すっかり日が暮れているので、フラッシュ自動とかで撮りましたがピンボケです(笑)。 まあ、そういうわけで、こちらは翌朝のカマキリです。 ベランダの天井にへばりついていました。 ちょっとアップしてみますが、やっぱりピンボケです。 2024年、9月も半ばを過ぎたのですが、残暑というには暑すぎる日が続いています。どうなっているんでしょうね。なんか、異変の予兆? ですかね(笑)。 異変といえば、4月以来、イライラの連続だったダメトラ君たちに火がついたようになっているのですが、さて、奇跡は起こるのでしょうか?にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.09.17
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町田康 歌集「くるぶし」(COTOGOTOBOOKS) えーっと、今日の案内は、あの町田康の歌集です。歌詞集ではなくて。ミソヒトモジ(三十一文字)の短歌集です。町田康歌集「くるぶし」.COTOGOTOBOOKSという出版社です。 市民図書館の新刊の棚にありました。まいりました!(笑) 町田康でした。意味不明でした。「ボンジョビ」、「モカシン」、「中目黒」、「生肉」、「尻子玉」、全部で五章、歌の数は三百五十首あまり、率直にいいますとなめとんかチュッパチャプスなめとんかしばきあげんど人らしくしろ という気持ちです。 まあ、本書の中にあった彼自身の歌ですが、とか何とかいいながら、ポストイットとか貼りながら最後のページまで読んだボクも暇ですね。 開巻第一首から、最後の「天の原」まで、別に分かったわけじゃありませんが、章の題になっているとか、そういういい加減な理由ですが、選んでみました。上の歌と合計二十首です。ボンジョビあの時の愛と勇気と感動が今は呪いとなりにけるかも春山も破損しまくるボンジョビの予想もしない尻の入口くるぶしは俺の心の一里塚夜の心はみなの禿山共感の乞食となりて広野原彷徨いありく豚のさもしさモカシン軍服で歩んでいけよ遠い道ユニセックスの裾もからげて花柄は今も巷に流行れども俺は鉄無地行きて帰らずモカシンで歩んでいけばチンチラも笑ひ転げる山の細道葛餅に栗揉み込んでしたり顔千林から変わる人柄中目黒百圓がシートの下に落ちてもて二度と取れない夏の暑い日もはやもうなにもしないでただ単に猫を眺めて死んでいきたい五分ほど迷うて買う柏餅みんな悲しく自分なんだよ阿保ン陀羅しばきあげんど歌詠むなおどれは家でうどん食うとけ生肉ブラジルの生肉だけを食べ続けあの日のサンバ鳴りて止まらず筋力を全部なくして鬱勃と漲るパトス行くえ知らずもその道は通行止めだ諦めろ海の底から呼ばう霊魂ボコボコにどつき回したヘゲタレが上司になってもうて半泣き尻子玉作るなよ自在自由に作られろ豚に生まれろそれが歌やぞおのこらが何も言わずに尻子玉ズバズバ出して歩む細道天の原ふりさけみれば春日なるアンガス牛に出し月かも いかがでしょうか。ちょっと、この歌集探してみようかな? とか、まあ、思いませんよね(笑) でもまあ、町田康ですよね、やっぱり(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.09.17
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朝倉裕子「雷がなっている」(編集工房ノア) 70歳の女性が90歳の母との別れを「母の眉」という1冊の詩集にまとめられた朝倉裕子さんの新しいというか、同じ時期にお書きになったらしい詩を集めた「雷がなっている」(編集工房ノア)という詩集を読んでいて、あっ!? と驚いた詩にであいました。ぼくのこと君にどうみえるのか川端の道を歩いていると後ろからゆっくりと自転車が追い越していった薄ピンクのTシャツに黒いキャップ帽背中の襟首あたりHow Do I Look?小さな文字を背負っている昔 若いフォーク歌手が歌っていた ぼくのこと君にどうみえるのか 今夜泊まるところもないんだと思うのか 腹が減って死にそうなんだと思うのか 淋しくって気が狂いそうなんだと思うのか猫背のおじさん子どもからみればおじいさん急ぎの用にはみえないいつもの喫茶店の遅いモーニングサービスを食べに行くのか図書館の雑誌コーナーへ行くのかその先のショッピングセンターのソファで本でも読むのか賢い奥さんに夕方まで帰らないように言われているのか夕方には洗濯物を取り込むように言われているのかそれとも小犬の散歩自転車はゆったりと先をゆくなれた様子は明日も自転車に乗っているのだろう柳がゆれる梅雨の晴れ間に風が吹き抜けてなんだかしあわせそうHow Do I Look?Tシャツは誰が買ったのだろう 詩のなかに出てくる若いフォーク歌手は、友部正人ですね。彼には、同じ題の歌があります。たしか、発売禁止になった「どうして旅に出なかったんだ」というLPに入っていた歌でこんな歌です。ぼくのこと君にはどう見えるのか 友部正人たとえばぼくが道路の上を歩いている時今夜泊まるところもないんだと思うのかたった今彼女と別れてきたところだと思うのか寂しくって気が狂いそうなんだと思うのか今日も何も書けなかった漫画家みたいだと思うのか声のでなくなった歌手みたいだと思うのかぼくのこと君にはどう見えるのかたとえばぼくがこの町を出ていく時氷が折れたんだと思うのか手紙が来たんだと思うのか糸が切れたんだと思うのか季節がきたんだと思うのかぼくのつばさが見えたのかまた帰ってくると思うのか夜更けの新宿中央公園を歩いていたら「にいさん 寂しそうだね」って2人づれのこじきに声かけられた行くあてもなさそうに見えたのかそれとも今にもなにかしそうに見えたのか2人づれのこじきはほろ酔い心地石油かんをたたきながら歩いて行った小高い丘の上から新宿の灯を見ていたんだするとなんとなく「にいさん しあわせそうだね」って言われたような気がしたんだ 「ぼく」は「にいさん 寂しそうだね」と声をかけられたのであって、「にいさん しあわせそうだね」っていわれたわけではありません。詩人は「なんだかしあわせそう」と思いながら、自転車の老人の後ろ姿を見ていらっしゃるようです。 阪急の駅の名前が、まだ「西灘」だったころ、水道筋の近くにあった6畳のボクの下宿の部屋に勝手に上がり込んで、電気もつけずに友部正人のLPを繰り返し聞いていた友人がいました。1976年のことです。あれから50年ほどもたったんですね。 詩の題名を見て、すぐに気付きました。で、詩を繰り返し読み直しながら、あの頃、朝倉さんも、どこかで、「今度、きみにいつ会える?」とか口ずさんでいらっしゃったんじゃないだろうかと、新しい友達を見つけたような嬉しい気持ちになった詩でした。 退職されて、10数年、詩を書き続けていらっしゃる詩人の、おそらく、散歩の途中とかなのでしょうね、ふと浮かんできているのであろう記憶が、読んでいるボクをあのころへと連れ戻していきながら、「ああ、ほかにも聴いていた人がいたんだ!」 という、まあ、あたり前といえばあたり前のことなのですが、なんだか嬉しい発見というか、記憶への共感をしみじみと感じた詩でした。こういうこともあるのですね(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.09.16
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カン・ジェギュ「シュリ」シネリーブル神戸 今年、2024年、李鳳宇と四方田犬彦の対談集「パッチギ! 対談編」(朝日選書)を読み直しました。その本の中に 李鳳宇は「シュリ」や「JSA」といったフィルムを次々と配給し、日本で韓国映画が大ブレイクするきっかけを作った。 という記述があって、「シュリ?JSA?どんな映画やねん?」 その2本のリバイバル上映を、何のあてもなく心待ちにし始めた途端にこのチラシです。「愛と衝撃の大傑作、再び。」「韓流の原点にして頂点」 おお―!ですね(笑)。シネ・リーブル神戸、「シュリ」4K・リバイバル上映、封切り初日、ネットで席を取って座りました。気合十分です(笑)。 もっとも、「愛と衝撃にの傑作って、なんか言葉づかい変やないか」とか、チョット茶化し気分です。見終えて、納得でした。 武闘訓練から銃撃戦、狙撃、爆弾テロ、北の工作員と南の情報部員の息詰まる死闘 一方で、疑心暗鬼の友情、偽りの純愛。 で、話を進行させるために無理やり持ち出されたかにみえる、朝鮮半島の固有種、金魚のような淡水魚、これがポイント、シュリ! 最後に、北の工作員によって叫ばれる「祖国統一万歳」の「マンセー」の響き を反芻しながら客席に釘付けでした。 1999年の韓国でこの映画がつくられたことの、歴史的な必然についてボクは理解しきれていないかもしれませんが、分断された祖国の統一を象徴する「シュリ」に込められた「愛」の「衝撃」的な激しさをエンターテインメイト映画として結実させた監督の映画的大衆性を駆使する力量に目を瞠ると同時に、歴史認識の切実さに胸打たれました。愛と衝撃というキャッチコピーで正解なのでした。拍手! 若き日のソン・ガンホをはじめ、この人知ってる! という俳優さんがふえはじめました。それも、映画の楽しさですね。 70歳を過ぎたボクが見始めたり、読み始めたりしている韓国の映画や小説ですが、「この面白さの理由は?」 と考えると、少なくとも、映画に関しては、それぞれの作品が、この映画の子供たちであることにようやく気付く迂闊さで、この映画だって、同居人によれば、テレビでは何度か放映していたようなのですが気付かないボンヤリでした。でも、まあ、次は「JSA」ですね。どこかでやってくれないかなあ。 でした(笑)。監督・脚本 カン・ジェギュ 강제규 姜帝圭撮影 キム・ソンボク編集 パク・コクチ音楽 イ・ドンジュン主題歌 キャロル・キッドキャストハン・ソッキュ(ユ・ジュンウォン韓国情報部)キム・ユンジン(イ・ミョンヒョン恋人)チェ・ミンシク(パク・ムヨン北の工作員)ソン・ガンホ(イ・ジャンギル韓国情報部)ユン・ジュサンパク・ヨンウ1999年・125分・PG12・韓国原題「쉬리」「Swiri」2024・09・13・no120・シネリーブル神戸no269追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)(
2024.09.15
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「夕顔です!」 ベランダだより 2024年9月11日(火)ベランダあたり 2024年、9月になって10日過ぎたんですけど。台風も来たんですけど。朝から部屋の温度が36度とかなんですけど。「チョット、チョット、カメラ貸して!」「これ?」「ああ、そう、そう。」「これは電話ですけど。」「どうせ、出たことないでしょ。」「まあ、うるさいし。」「いいから、それ、貸して!」 で、撮ってきたのがこれです。夕顔ですね。去年は、毎日、朝顔が咲いてたんですが、1年たっちゃいましたね(笑)。 今年は花をつける前に枯れちゃったみたいで、だから夕顔です。 で、もう一枚が唐辛子です。 実が付くと、なぜか、すぐに赤くなるんです。「あんな、今年は、やっぱり暑いんやで。庭で作っているピーマンがすぐ赤くなるんや。」 家庭菜園のプロを自称するお友達の言葉です。やっぱり、異常気象なのでしょうか?にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.09.14
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是枝裕和「幻の光」シネリーブル神戸 是枝裕和の最初の長編作品が再上映されていると知って、なにはともあれやって来ました。シネリーブル神戸です。 見た映画は「幻の光」です。1995年ですから、神戸で地震があった年に作られた作品で、宮本輝の初期の作品の映画化だそうです。 前半は阪神電車が走る尼崎の下町の風景 です。 おばあちゃんは「宿毛に帰る」と言って、小学生のゆみ子の手を振り払って行ってしまうし、大人になったばかりのゆみ子が結婚した幼馴染の夫郁夫は、子供が生まれて三カ月ほどしかたっていないある日、妻のゆみ子にどんな言葉も合図も残すこともなく、「杭瀬と大物の間の線路のカーブのところを歩いていて、警笛に振り返りもせんかった。」 と、その電車の運転手さんがいう様子で線路を歩いていたらしくて、遺体と会おうとするゆみ子に「見てもわかりませんよ。」 という姿になってしまう。 おかーちゃんが、子一人、母一人になったゆみ子のアパートに一緒に住んでくれて、子供の勇一も、ようやく幼稚園くらいまで育ったころ、子連れ同士の再婚話があって、なんと、能登に嫁ぎ直すことになって、映画に能登の風景が広がり始めました。 見ているボクは、「どうか、もう、何も起きないでいいから。」 変な話ですが、そんな、祈るような気分で、能登の海ぞいの村でのゆみ子と勇一の新しい生活を見守っています。 ゆみ子が勇一を連れて嫁ついだ先は、新しい夫の民雄も、義理の娘になった友子も、義父の喜大も、ああ、それから近所の人たちも、なんだか、普通にいい人たちで、夏から秋、秋から冬へと季節はめぐります。 暮らし始めた暗い田舎の家の中で、二階へ上がる梯子段の雑巾がけをする姿が、もともとが田舎者のボクには、とても懐かしいシーンでした。そういえば、尼崎のアパートの二階へ上る階段も、50年ほど前に、初めて神戸で暮らし始めた頃の下町の生活を彷彿とさせてくれたのですが、それぞれがゆみ子が暮らす生活をそっと描いている気がして印象に残りました。 能登の海沿いの村の暮らしの冬支度で、風よけの竹垣を編んだり、風が雪に変わる風景が、いかにも寒いのですが、美しく映し出されていきます。冬の海をめぐってドキドキするエピソードもないではありませんが、やがて春が来て、子供たちが海べりで歓声を上げるのを、縁側から見ながらゆみ子が舅の喜大に「いい陽気になりましたね」 と声をかけると「いい陽気になった」 とポツンと返事が返ってきて映画が終わりました。 何にも起きなかったことを、これほどホッとした、映画は初めてでしたね。それで、何があったんや?そう問う人もいるかもしれませんが、いえ、これが生きるということです。 と答えたくなる作品でした。傑作だと思いました。拍手! 今まで見た是枝裕和の作品にも、石段の上から眺める海の風景とか、暗い洞窟を抜けて光の中に出て行く子供たちとか、印象に残るシーンがたくさんありますが、この作品の尼崎の下町の暗い商店街、棟割長屋の階段、阪神電車の小さなプラットホーム、奥能登の支線の小さな駅舎や線路、縁側からの海の風景、馴れ馴れしく家の周りをうろつく犬、海に向かって歩く葬儀の行列、台所の窓から見える家の裏の坂道、そして、風が運んでくる雪 多分、忘れられないシーンとして、ボクの中に残るでしょうね。 それぞれのシーンがセリフも音もなままで続きます。そう思っていると、ふと、ヒグラシの声や秋の虫の声、自転車をこぐ音が静かに聞こえてきて、音があることに、なんともいえない懐かしさとともに気づきます。 どこかで、音を待ちながら静かなスクリーンを見ていた のでしょうね、最後のシーンでも「いい陽気になりましたね」の声を聴いて、ようやくホッとしたのでしょうか、見ていた老人は「尼崎の杭瀬の駅って、どんなんだったけ?」 と浮かんでこない記憶をたどりながら涙をこぼしました。 ゆみ子のお父さんの大杉連も、お母さんの木内みどりも、もう、この世の人ではありません。主役の江角マキコはじめ、今もお元気な俳優さんたちも、スクリーンに浮かぶ姿は名前を聞いて浮かべるイメージと驚くほど違います。 それぞれの人に30年ほどの年月が立ったんですね。作った人にも、出てきた人にも拍手!でした。 余計なお世話ですが、30代で、こんな作品を撮ってしまった監督のその後というのは、それはそれで、大変だったでしょうね(笑)。まあ、その後の作品も、ボクは好きですが、これが一番いい! と思いました(笑)。監督 是枝裕和原作 宮本輝脚本 荻田芳久撮影 中堀正夫編集 大島ともよ音楽 陳明章音響効果 佐々木英世キャスト江角マキコ(ゆみ子)吉野紗香(小学生のゆみ子)柏山剛毅(ゆみ子の連れ子 勇一)浅野忠信(勇一の父 郁夫)内藤剛志(友子の父 民雄)渡辺奈臣(民雄の連れ子 友子)柄本明(義父 喜大)木内みどり(ゆみ子の母 道子)大杉漣(弘)桜むつ子(漁師 とめの)赤井英和(喫茶店のマスター)市田ひろみ(初子)寺田農(刑事)1995年・110分・G・日本2024・09・08・no118・シネリーブル神戸no268追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)(
2024.09.14
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結城正美「文学は地球を想像する」(岩波新書) 市民図書館の新刊の棚に「文学は地球を想像する」という表紙があって、副題に「エコクリティシズムへの挑戦」という言葉を見たときに、あなたならどう反応しますかね?新しいものにはついて行けない! ボクの場合、まあ、ここのところ、その自覚と諦めで暮らしているわけですから、こんな題名は素通りが相場なのですが、手に取ってしまったんですよね。 で、これが、結構、どころか、チョー面白かったというわけです(笑)。 著者は英文学がご専門で、エコクリティシズムとやらに挑戦なさっている50代の女性研究者のようですが、「地球を想像」という大きな話はともかく、なにはともあれエコクリティシズムってなに? なのですね。 「エコクリティシズム(ecocriticism)」は、「エコロジカルな文学研究(ecological literary criticism)」の略で、「文学と物理的環境の関係についての研究」と定義される。漠然とした定義にみえるが、この間口の広さがエコクリティシズムの最大の特徴だ。 というのが、本書の冒頭での定義です。生真面目な方なのでしょうね。普通の「文学好き」の人は、ここでページを閉じそうです。 ハハハ、たとえば、間口云々以前に、物理的環境って何? なわけですが、まえがきにその説明は、まあ、あるような、ないような、ですが、たとえば、「自然環境」、「地球環境」、「生活環境」、という具合につかう、環境という言葉を総称しているようですが、まえがきの結論は、自然環境、都市環境、地球環境をめぐる文学的想像力を見ていくことにしよう。 でしたが、まあ、ここから何をなさりたいのか、予想がつきませんね(笑)。 で、第1章で話題にされている文学的想像力というのはソール・ベロー「森の生活」から始まって、シートン動物記です。「見ていく」ための視点として導入されるのがジョン・バージャーという美術史家(?)の「進歩の文化」、「生存の文化」という概念です。 第2章では灰谷健次郎の「兎の眼」が出てきて、赤坂真理の「空地論」(「愛と暴力の戦後とその後」(現代新書)の中のドラえもん論にあります。)が参照されます。 第3章では石牟礼道子「苦海浄土」、梨木香歩「雪と珊瑚」。なんか、この取り合わせが、ちょっとぶっ飛んでるんですが、読むと納得ですね。 第4章はアレクシエーヴィッチ「チェルノブイリの祈り」、小林エリカ「マダム・キュリーと朝食を」、カズオ・イシグロ「クララと太陽」と来て、続けて、多和田葉子からリチャード・パワーズへと、めくるめく展開でたたみかけていきますが、読み終えて納得しました。最近では、とんとお目にかからない、正真正銘の「文芸評論」、あるいは「文芸批評」そのものなのでした。 ただ、ボクのような古い世代には「エコクリティシズム」というのが、まな板なのか、包丁なのか、はたまた皿に盛られた料理の種類なのかにまず戸惑いますね。で、とりあえずまな板の上で捌かれる作品の切り口、だから読解の過程 が、ボクなんかの普段の読み方とは違うわけで、そこでも、やはり戸惑いながらなのですが、「そうか、そういう読み方で見えてくるものがあるか!?」「そう読めば、そう見えてくるのか?」 まあ、そういう感想ですね。 チョット、自分に照らしていえば、50年近く文学好きとやらで暮らしてきて、まあ、目の前の対象に「こんなもんだろう。」 と硬直し切った判断を下す「視点・視覚」というのは、自分自身の「まな板」や「包丁」を対象化することが難しいのですね。どうしても、懐手をして、聞いた風な感想をいうということの繰り返しになってしまっています。 映画を見ても、音楽を聴いても、まあ、似たようなことが起こります。新しい作品に出逢っているはずなのに自前の古い包丁で捌いてしまう。包丁やまな板の扱い方というのは、ボクに限らず、それぞれの人の経験の結果ですから、更新することが難しいことはわかっています。しかし、新しい包丁やまな板の使い方で、同じ作品の切り口が変わって、味が変わってくることを、ちょっと気づき始めることは、やはり刺激的でした。 とりあえず、まあ、やたら長いですが、目次を貼っておきます。ボク自身には、小林エリカという作家の発見が事件でした。 まあ、いずれ案内できればと考えていますが、もう少し咀嚼の時間が必要なようですね。まえがき 想像力の危機は環境の危機 物語の力 本書の構成序章 エコクリティシズムの波動 環境危機と文学研究 エコクリティシズム宣言 「環境批評」や「文学と環境」という別称 実態と言説のあいだ1章 近代化、わきたつ野性――綴り直される感覚 1 ネイチャーライティングと散歩者の夢想――ヘンリー・D・ソロー『森の生活』 自然を知るということ 私という社会 歩くという実践哲学 野性を映す過剰の文学 野性にこそ世界は保たれる ネイチャーライティングとは 2 山の身になって考える――アルド・レオポルド『野生のうたが聞こえる』 科学と美の融合 美が心の目をひらく 自然保護から土地倫理へ 凶暴な緑色の炎 〈生存の文化〉と〈進歩の文化〉2章 森を出て環境を知る――〈自然らしさ〉という神話 1 自然は逃避先なのか――生の網の目、搾取の網 自然志向に関する誤謬 環境正義エコクリティシズム ポストコロニアル的転回 アフリカの国立公園が意味するもの アメリカの国立公園が意味するもの 2 都市のなかの自然――『兎の眼』と『オレンジ回帰線』 ハエと少年 きれいは汚い、汚いはきれい 空き地と基地 北回帰線が動くとき 境界をかき回す ホームとしてのフリーウェイ 危惧される〈経験の絶滅〉 技術圏の自然3章 危機が叫ばれる時代に――つくられた共生、生きられた共生 1 「自然との調和」を再考する 「自然との調和 」はエコロジカルなのか 生物多様性国家戦略にみる〈共生〉のレトリック プラスチック・ワードのなめらかさ 連なるいのち、あるいは、生きものを殺して食べる罪の自覚 2 切れないいのち――石牟礼道子『苦海浄土』 「水俣病わかめといえど春の味覚 」の過剰さ 海とともにある人 ビオスに還元されないいのち 絡まりあいの多声性 水俣という場所、マルチスピーシーズの里山・里海 3 暮らしのなかの脱成長――梨木香歩『雪と珊瑚と』 真似したくなる節度ある豊かさ 経済成長社会に幻視される別の道 「チーム ・自分」の共同体 手から生まれる快楽と連帯4章 人新世を考えるために――〈人間以上〉を描く作家たち 1 核の時代の祈り――スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチと小林エリカ メタ言語としての科学技術 放射能発見からたかだか一二〇年 廃棄と封じ込めの思考 誰にとっても未知の場所 見えない光への感応 官能の境界侵犯性 2 人工親友がいる日常――カズオ・イシグロ『クララとお日さま』 画面の向こうには何があるのか AIの記憶にみる他=多のふるまい 機械から仲間へ 技術圏のトリックスター ロボットに人間らしさが感じられるとき 3 惑星規模の思考へ――多和田葉子とリチャード・パワーズ 人間による、人知を超えた、ありふれた危機 地球に同調する子どもたち まるい地球の曲線に沿って考える いつまでも地球のお客さん気分でいちゃいけない 活動的な静寂、あるいは人間の擬樹化 技術圏で森の身になって考える終章 想像力の再調整 危機とともに生きるためにあとがき 引用参照文献 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.09.13
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小森はるか「ラジオ下神白 」元町映画館 映画館の前はよく通っていたのですが、ボンヤリなんでしょうね、ポスターを見ていて気付けなかったんです。 小森はるかさんの、まあ、ボクがそう呼んでいるだけですが「福島便り」 の新作が元町映画館でかかっていました。危うく、見落とすところでした。 あわてて見たのは小森はるか監督の新作、「ラジオ下神白 ― あのとき あのまちの音楽から いまここへ」でした。 下神白、しもかじろと読むそうです。東北の震災、東京電力福島第1発電所の大事故から13年たちましたが、住む所をなくした浪江町、大熊町、双葉町、富岡町の人たちが、今、暮らしている復興住宅があるそうで、下神白団地というのだそうです。 そこで、放送内容をCDに焼いて聞き直すことができるラジオ下神白という支援活動をしている若い人たちがいて、映画は、その人たちの活動の様子と、彼らが出会う被災の人たちのドキュメントでした。 出てくるのは、じいさんばあさんばっかりです。でも、笑顔なんですね。 で、その爺さんや婆さんが、まあ、ボクには、年齢的には、全く他人ごとではないのですが、「青い山脈」とか「宗右衛門町ブルース」とか、若い人が伴奏して、爺さん婆さんが歌います。ボクの好みはひばりの「愛燦燦」ですが、「青い山脈」を1番から3番まで、久しぶりに全部聞かされて、若く明るい歌声なんかどこからも聞こえてこないのに、胸いっぱいになって涙がこぼれました。 日が暮れると、やっぱり、真っ暗な団地の駐車場で、団地の集会所なのですが、歌声喫茶仕立てのクリスマス会を企画開催してくれたを若い人たちに、別れを惜しみながら手を振っている爺さん婆さんがいました。 ジジ、ババたちの笑顔! 見られて、よかったです。 小森さんがしぶとく映画を撮り続けていらっしゃることに拍手!です。 できれば、一人でも多くの人み見てほしいですね。福島で、爺さん婆さんたちがしぶとく生きていらっしゃいますよ。まあ、なにはともあれ拍手!でした。 監督・撮影・編集 小森はるか企画 アサダワタル編集・整音 福原悠介ミュージックビデオ撮影・録音協力 齊藤勇樹 長崎由幹 福原悠介デザイン 高木市之助2023年・70分・日本配給「ラジオ下神白」2024・09・11・no119・元町映画館no257追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)(
2024.09.12
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ゲイソン・サバット「ドライビング・バニー」神戸シネマ 久しぶりのシネマ神戸でした。2本立ての1本は、実に元気のいい刑事さんが大活躍の韓国映画「犯罪都市 NO WAY OUT」でしたが、2本目はムショ帰りのおばちゃんと姪っ子のニュージ-ランド製ロードムービー「ドライビング・バニー」でした。見ていて、これは、きっと、女性の監督だな・・・ と思いましたが、監督はゲイソン・サバットという、タイ出身の女性で、ニュージーランドで仕事をしている方だそうです。 で、映画ですが、納得でした(笑)。 原題は「The Justice of Bunny King」ですから、「バーニー・キングの正義」ですよね。邦題のドライビング・バーニーのバーニーが、本名バーニー・キングさんです。 年齢は40歳くらいで、故殺か過失かは定かでありませんが、夫殺し、服役して出所してきたものの、交差点に停車する自動車の窓拭きをして小銭をせびるのが、一応、「仕事」です。住所は、最近、再婚したらしい妹の家に居候です。子供が、ルーベンという小学生くらいのしっかりした男の子と、シャインという足が不自由らしい、幼稚園くらいのかわいらしい女の子と、二人いますが、ムショ帰り、住所不定、無職というわけで親権を停止され、子供たちと会うこともままならない女性です。 彼女の夢は子供たちと暮らすことですが、子供を保護(?)している行政の要求は「まっとうな暮らし」 です。 で、彼女はまっとうな暮らしのために、結構、懸命なのですが、ここぞっていうところで邪魔が入っちゃうんですよね。邪魔するのが「The Justice」です。 見ちゃうんですよ。妹の夫のビーバンが、義理の娘トーニャに言い寄るところを。そういえば、娘のシャインに対する夫の虐待の話も、ちらっと出てきますね。そこは、許せないんですよね。彼女の中で「The Justice」がムクムク頭をもたげてきて、もうどうにもならないんです。 で、結局、トーニャと二人で、子供探しの旅です。 とどのつまりは、人質騒ぎになって、撃たれちゃうのですけど、何とか、命だけは失わずにすんでホッとしたのですが、この映画の中で、バーニーは、なんか悪いことをしたんですかね? 彼女は、人として最低限、これだけはっていうThe Justiceを生きているだけ なのじゃないですかね。 もう1本の韓国の映画では、そこまでやるか!? と笑いながら、みんなが拍手するところまで暴れまわるマ・ソクト刑事を支えていたものと、最後はよってたかって銃で撃たれちゃうバーニー・キングの中にあるものはどこが違うんですかね。 後先考えず頑張っているバーニーにも、それって変でしょに気づいてThe Justiceのイバラの道を選びつつあるトーニャにも拍手!でしたね。監督・原案 ゲイソン・サバット原案・脚本 グレゴリー・デビッド・キング ソフィー・ヘンダーソン撮影 ジニー・ローン編集 クシュラ・ディロン音楽 カール・スティーブンキャストエシー・デイビス(バニー・キング)トーマシン・マッケンジー(トーニャ)エロール・シャンド(ビーバン)トニ・ポッター(グレース)シャナ・タン(アイリン)2021年・100分・G・ニュージーランド原題「The Justice of Bunny King」2024・09・04・no115・神戸シネマno13追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)(
2024.09.11
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ノーム・チョムスキー「9.11 アメリカに報復する資格はない」(文春文庫) なんか、いい加減な連想なのですが、「エターナルメモリー」という、チリのドキュメンタリー映画を見たので調べ直していると「9.11」という日付が出てきて、チリのほうが本家、というような話に出合って思い出したのがこっちの本でした。 ノーム・チョムスキー「9.11アメリカに報復する資格はない」(文春文庫)ですね。 9月11日に起きた恐るべき残虐テロは、世界の出来事においてきわめて新しいものである。規模とか性質の話ではない。標的が違うのだ。米国は1912年の英米戦争以来、本土を攻撃されたことはなく、脅威すら受けたことがない。 多くのコメンテイターが真珠湾と対比したが、これは誤解を招く。1941年12月7日に攻撃されたのは、二つの米国植民地にある軍の基地だった。米国はハワイを「領土」呼ばわりするのを好んだが、実際は、領土ではなく植民地だった。過去数百年の間に米国は土着民(何百万もの人々)を絶滅に追い込み、メキシコの半分を征服し、(事実、土着諸族の領土であるが、そのことをは今日の話題とは別問題である)、周辺地域に暴力をもって介入し、ハワイと、(数10万のフィリピン人を殺害し)フィリピンを征服した。 以来、特にこの半世紀間に、世界の大部分に武力による政策を押し広げてきた。その犠牲者は膨大な数に上る。そのアメリカ本土に初めて、銃口が向けられた。これこそ、劇的な変化である。 同じことは、欧州についても、アメリカ以上に劇的に当てはまる。欧州は、殺人的な破壊を蒙ってきたが、これは内戦による破壊だった。 一方で、欧州列強は世界の大半を極度の野蛮さで征服した。ごく稀な例外はあるけれども、被害を与えた外国に攻撃されたことはない。英国がインドに攻撃されたことはないし、ベルギーがコンゴに攻められたこともなく、エチオピアがイタリアに攻め込んだ話も、アルジェリアがフランス(フランスはアルジェリアを「植民地」と見なしていないが)を攻めた話も聞かない。だから、9月11日のテロに欧州が、すっかりショックを受けたことは、驚くに当たらない。ただし、再度言うが、残念ながら、テロの大きさに衝撃を受けたのではない。 これからいったい何が起きるのか、誰にも見当がつかない。しかし、これが目覚ましく新しい事件であることだけは、一目瞭然である。 第1章の冒頭です。2011年、9月13日イタリアの「イル・マニフェスト」という雑誌のインタビューですね。 出来事の新しさについて、歴史的に振り返っているわけで、論旨は明快だとボクは思います。ボクたちは歴史的な現在に生きているということですね。 で、その結果、次に何が起こるのか予測もできると考えてきたわけですが、未来が予測不能なことを明らかにしたのが9.11だったというわけです。 チョムスキーという人は世界的な言語哲学者で、MITの教授だった人です。 で、この事件をめぐるこの本にまとめられている、インタビューやラジオ放送での発言で、過激な反アメリカ主義者とか言われたりして10年たちました。日本で本になったのは2001年の11月、文庫化されたのが翌年ですが、その頃、傍線だらけにして読んだ記憶があります。彼の「言語哲学」には歯が立ちませんでしたが、こちらはインタビューですからね。 その後、エドワード・サイードが、パレスチナを論じるとき参照されたり、講演が映画になったりしましたが、まあ、ボクなりの読み方ですが、彼の「歴史的現在からの視点の大切さ」 とでもいうべき考え方をきちんと理解して、世界を見たいと思ってきました。 「エターナルメモリー」というチリの映画の主人公たちを見ていて思い出したことですが、アジェンデ以後のチリの軍事独裁を援助したのはどこの国だったのか、チリのキューバ化を恐れて暗躍したのは、どこの国の情報機関だったか、直接の戦争状態に介入したのではないので、評判になりませんが、映画の主人公たちが戦った相手は、自国の独裁者だけではなく、それを支えた、どこかの国だったんじゃないか。そして、今、主人公は、自分が命がけで記録した「歴史の事実」が、平気でないがしろにされることがありうることこそ恐れているのではないかということでした。 本書にもどりますが、チョムスキーが、どのくらい「反アメリカ」的な人なのか、あるいは、そうではないのか、この1冊で概ね判ると思います。ボクは「反アメリカ主義」などではないと思いますが、まあ、全部で、150ページくらいの薄い文庫本です。自分で読んでお確かめください。 一応、目次を貼っておきます。目次第1章 真珠湾と対比するのは誤り第2章 ブッシュ政権が取るべき方法9.20 9.21第3章 なぜ、世界貿易センタービルか第4章 アメリカは「テロ国家の親玉」だ第5章 ビンラディンの「罠」第6章 これは「文明の衝突」ではない第7章 世界に「明日」はあるか 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.09.10
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キム・ソンフン「ランサム 非公式作戦」キノシネマ神戸国際 ここのところ、連続で韓国映画を見ています。今日は、先日見た「ボストン1947」でソン・ギジョン孫基禎を演じていたハ・ジョンウという俳優さん狙い撃ちです。 見たのはキム・ソンフン監督の「ランサム 非公式作戦」でした。ランサムってなんやねん? まあ、その程度の関心で座ったのですが、これが思いの外面白かったですね。 1980年代の終わりころの話で、ソウル・オリンピックの直前、全斗煥から盧泰愚へ大統領が変わる、ちょうど、あの頃の韓国の国内情勢を背景に、舞台は内戦の最中のレバノン、ベイルートでした。 韓国の外交官がレバノンの武闘派(何者だったのか、結局わからない)に「身代金」目当てで誘拐され、なんと、本人から暗号電話が入るまで「放ったらかしにされていた!」 という出だしで、まあ、「おい、おい、マジ?!」 なのですが、韓国についてもレバノンについても、まあ、どちらの世界のことも、今となっては50年ほども昔の出来事で、そんなこともあったなあ・・・ 程度のあやふやさで見ていましたから「史実云々」に関して拘る気は毛頭ありません。映画は「で、どうするの?」 で、身代金の運び屋として登場したのが、今回はソン・ギジョンではなくてイ・ミンジュンというペーペーの外交官に扮したハ・ジョンウくん でした。 ボストンバッグ一杯の大金を抱えて、レバノンの街や村で悪戦苦闘、漸く救出したものの、機関銃はやたらバリバリ撃ちまくるわ、自動車は爆発するわ、如何にも、中東という狭い路地でカー・チェイスは始まるわ、屋上から屋上へサーカスモドキで息詰まるわ、で、偶然、相方になったのが、ベトナム戦争に従軍して、そのままレバノンまで流れてきて、タクシー運転手! で食っている、自称詐欺師のキム・パンスくん、演じているのがチュ・ジフンさん、要するに、お二人の人質救出、ドタバタ逃亡、戦場アクション映画でした。外交官とタクシー運転手、なんか、この取り合わせに、ちょっと笑いましたが、コンビでハチャメチャ! なかなか見応えありましたね。 相手も誰が敵か味方かわからないし、味方のはずの自国の上役とか、大統領府とかもいい加減だし、絵に描いたような孤立無援の二人なのですが、結局、「友よ!」 で決着がつくというのは、まあ、アリキタリっちゃあアリキタリなのですが、エンタメの極意なわけで、「そうこなくっちゃあ!」 でしたよ。全編、ドキドキさせて、笑わせて、最後は泣かせます。拍手、拍手でした。 この映画のお二人、イ・ミンジュン役のハ・ジョンウさんとタクシー運転手役のチュ・ジフンさん、顔を覚えてしまいそうです。 ああ、見終えてわかりました、「ランサム」って身代金のことでした。監督 キム・ソンフン脚本 キム・ジョンヨン ヨ・ジョンミ撮影 キム・テソン編集 キム・チャンジュ音楽 モグキャストハ・ジョンウ(イ・ミンジュン:外交官)チュ・ジフン(キム・パンス:タクシー運転手)2023年・133分・G・韓国原題「비공식 작전」「Ransomed」2024・09・07・no117・キノシネマ神戸国際no13追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)(
2024.09.09
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イ・サンヨン「犯罪都市 NO WAY OUT」CinemaKOBEシネマ神戸 今日は、久しぶりに新開地のCinemaKOBEです。神戸で、所謂「名画座」、だから2本立てとかで少し古い映画をやってくれる映画館は、まあ、ボクが知る限りですが、このCinemaKOBEとパルシネマ、それからポルノ専門らしい福原国際の3館だけです。CinemaKOBEとパルシネマは新開地商店街の南の端と北の端にあります。福原国際は、同じく新開地ですが、ピンクゾーンの端です。福原国際は4本立てとかで、日活のロマンポルノが全盛で、若き日の桃井かおりとか秋吉久美子とかかかっていたり、仁義なき戦いとかやっていた50年前にはよく通いましたが、それ以来、時々前を通ることはありますが、入ったことはありません。ポルノ映画を見るのも、まあ、メンドクサイですしねえ・・・(笑)。 CinemaKOBEは、その頃は新劇シネマと呼んでいたと思いますが、今は「CinemaKOBEシネマ神戸」です。2本立てのCinema1と数本のプログラムで1本立てのCinema2の2館セットで、今日はCinema1の2本立てです。この映画館、何といっても嬉しいのは喫煙室があるんですよね。 ボクは、ここに来ると、ここで一服して、お茶を飲んで、おにぎりかパンをかじります。 今回はこっち側の壁にアラン・ドロンがおおぜいいました。なつかしいですね。 で、休憩して、1本目が韓国映画「犯罪都市 NO WAY OUT」、2本目がニュージ-ランドの映画らしい「ドライビング・バニー」でした。 というわけで、ようやく、イ・サンヨン監督の「犯罪都市 NO WAY OUT」です。監督は1作ごとに代わるようですが、主役のマ・ソクト刑事を演じるマ・ドンソクさんのあたり狂言らしく、「犯罪都市」というシリーズの第3作めのようです。 面白かったですね。いわゆる刑事もの、警察もので、いかついマ・ドンソクさんが演じる広域捜査隊とかのマ・ソクト刑事の独り舞台!です。チラシで見ると「なんじゃこれ?」 というイカツさですが、映画の中ではなかなか愛嬌があって、ボカスカ殴りまわるのですが、笑いながら「もっと、ヤレ!ヤレ!」「ガンバレ!負けるな!」 という気分にしてくれます。韓国で大人気のシリーズだそうですが納得の痛快さでしたね。 敵役がイケメンの麻薬捜査官と日本刀を振り回す日本のヤーさんというのも笑えます。 いやー、マ・ドンソク馬 東錫さん、顔覚えちゃいましたね。拍手!(笑) シリーズの第4作が2024年の秋公開されるらしいですが、見ないとしょうがないですね(笑)。監督・脚本 イ・サンヨン脚本 キム・ミンソン マ・ドンソク イェ・ドンウ撮影 イ・ヒョン美術 パン・ギルソン編集 キム・ソンミン音楽 モク・ヨンジン武術 ホ・ミョンヘン ユン・ソンミンキャストマ・ドンソク馬 東錫(マ・ソクト:広域捜査隊)イ・ボムス(チャン・テス:広域捜査隊)キム・ミンジェ(キム・マンジェ:広域捜査隊)イ・ジフン(ヤン・ジョンス:広域捜査隊)キム・ドゴン(チョン・デビッド:広域捜査隊)イ・ジュニョク(チュ・ソンチョル:九龍署麻薬捜査官)チェ・ウジュン(イ・ガンホ:九龍署麻薬捜査官)ハン・ギュウォン(キム・ヨングク:九龍署麻薬捜査官)青木崇高(リキ:一条組)國村隼(一条親分)チョロンコ・ギュピル(チョロン:白ザメ組)チョン・ソクホ(キム・ヤンホ:一条組韓国支部)アン・セホ(トモ:一条組韓国支部)2023年・105分・PG12・韓国原題「범죄도시3」英題「The Roundup: No Way Out」2024・09・04・no114・シネマ神戸no12 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)(
2024.09.08
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カン・ジェギュ「ボストン1947」シネリーブル神戸 予告編を見て「えっ?これは見るぞ!」 でした。理由は孫 基禎です。1936年ナチス政権下のベルリンで開催されたオリンピックのマラソンの覇者です。「前畑ガンバレ!」とか、リーフェンシュタールの記録映画とか、まあ、やたらに話題の多いオリンピックですが、「日本」の選手としてマラソンで優勝した孫 基禎という選手について、初めてその名を知ってから、よくわからないまま関心を持ち続けて60年です。見たのはカン・ジェギュ監督の「ボストン1947」です 見終えて、もちろん、納得でした。1936年のベルリン・オリンピックで走ったソン・ギジョン(孫 基禎)とナム・スンニョン(南 昇竜)、1947年のボストンマラソンで驚異の走りを見せたソ・ユンボク(徐潤福)の三人の姿を、日の丸から太極旗への歴史を背景に、実にコミカルに、且つ、手に汗握る「スポコンドラマ」として描いたエンタメ調社会派ドラマでした。 韓国では、きっとウケたでしょうね。国を奪われて「日の丸」をつけて走らなければならなかったソン・ギジョン(孫 基禎)とナム・スンニョン(南 昇竜)の二人の「太極旗」への思いを、日帝支配からの解放後の朝鮮の若きランナー、ソ・ユンボク(徐潤福)が、見ているこちらが、思わず応援したくなる奮闘ぶりで実現するという盛り上げかたは、まあ、マンガ的ではあるのですが、ゴールした瞬間、思わず拍手したくなる展開で、ハイ、よくできていましたね(笑) この青年です。 かわいいですねえ(笑)。いや、ホント、拍手!でしたよ。 ただ、見終えて、ハッとしたのは、1947という数字でした。 1945年に、植民地として支配していた大日本帝国からは解放されていたのですが、大韓民国が独立宣言するのは1948年で、1947年の、この時には朝鮮半島はソビエト軍とアメリカ軍によって分割され、それぞれ軍事統治されていた、映画の中の言葉でいえば「難民国家」だったのですね。 4・3事件をはじめとする内戦・内乱状態が始まろうとしていた、ちょうどその頃のことで、朝鮮戦争が勃発したのが1950年ですから、再びの戦争の3年前の出来事ですね。 この映画で、ソ・ユンボク(徐潤福)の表彰式でうたわれる愛国歌が蛍の光のメロディだったのですが、あの歌のメロディは李承晩の大韓民国の国歌のメロディではありませんね。登場人物たちが明るく歌うシーンとは裏腹に、あそこにも、朝鮮半島のの現代史の哀しみが流れていたのですね。 登場人物たちを、どちらかというと、明るいマンガ的キャラクターとして描くことで観客の「ガンバレコリア」という素直な共感を呼び起こしながらも、歴史を見失わない構成 はさすがですね。つかの間の平和なのですね。このカン・ジェギュという監督、ただものじゃないな!? まあ、そんなことを考えながら帰ってきて驚きました。まあ、ボクは噂しか知らないのですが、あの、伝説の傑作、「シュリ」の監督なのですね。この秋リバイバル上映されるようです。見ないわけにはいきませんね(笑)。とりあえず、三人のランナーと監督に拍手!でした。監督・製作・脚本 カン・ジェギュ製作 チャン・ウォンソク 脚本 イ・ジョンファ撮影 チェ・チャンミン美術 パク・イルヒョン編集 パク・ゴクジ音楽 イ・ドンジュンキャストハ・ジョンウ(ソン・ギジョン孫 基禎)イム・シワン(ソ・ユンボク徐潤福)ペ・ソンウ(ナム・スンニョン南 昇竜)キム・サンホ(ペク・ナムヒョン)パク・ウンビン(オクリム)2023年・108分・G・韓国原題「1947 보스톤」「Road to Boston」2024・09・06・no116・シネリーブル神戸no267追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)(
2024.09.07
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「ここどこ?もちろん甲子園!」 徘徊日記 2024年9月5日(木)甲子園あたりだめトラキャッツの面々、2024年の8月は、文字通り「死のロード?」 だったんでしょうか。いやいやトラキチ一家はあきらめません。甲子園に帰ってきて、9月の浜風にあたって、漸くヒョッとして!?の雰囲気を漂わせた2024年のダメトラくんたち ですが、トラキチ一家は、今年初めての甲子園観戦です。 対ドラゴンズ3連戦、第1戦を、ドラの若きエース、ヒロトくんに対して、トラの復活サウスポー、ハルトくんの快投で勝って、、第2戦を井上くんの甲子園デビューホームランで、久しぶりの大勝ちで、さて今日は甲子園でのシーズン負けなしがかかった3戦目、まあ、相手が大野くんですからねえ・・・💦💦「今日はええやん、大竹君と大野やん。」「いや、復活大野、ヤバいやろ。」「ええねん、大野好きやし。」「いや、まけたら、あんた、・・・」 いつもはマンガ便のトラキチ君の招待で、トラキチ君一家と甲子園家族観戦、3塁側アルプス席の最上段です。 浜風が涼しくていい気持ちです。 目の前で、佐藤くんがノンビリしています。ピンチなんですけど。「おーい、さとー、大丈夫かあ?」「あの子、キャッチボールも遊んでるし」「まあ、それがええんやん(笑)」「ピッチャー大竹君やねんからね、ゴロ来るねんからしっかりしてね。」 3回に森下くんのタイムリーで先制、佐藤くんも大飛球を打って追加点、しかし、5回に一点差に詰め寄られての2-1、大竹くんご苦労様! で、5回投げて交代。 さあ、後半です。 おっと、桐敷くん、石井くん、よく踏ん張りますねえ。「あっ、海ちゃん出てきた。」 贔屓の植田くんが代走で登場です。ウーン、追加点は入りません・ 岩崎くん、ゲラちゃんの完璧リレーで勝ちました(笑)。2-1ね!(笑) 一年中チケットは売り切れだそうで、今年はこれが最初で、最後の観戦です。 それにしても、甲子園のスタンド観戦は楽しいですねえ。今年は背番号80のユニホームで頭をそり上げた、ちょっと、いかつい(笑)おニーさんが元気に廻りを引っ張って応援してくれて、パインアメも配ってくれて、「ありがとう!オカダクン!」 でした。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.09.06
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石塚真一「Blue Giant Momentum 2」(小学館) 2024年、8月の31日に届いたトラキチクンのマンガ便に入っていました。2024年7月3日の新刊です。 石塚真一「BLUE GIANT MOMENTUM 2」(小学館)です。 「ブルージャイアント」ニューヨーク篇の第2巻です。「ダイ・ミヤモト・モメンタム」の4人のメンバーが、ニューヨークで、まあ、表紙の腰巻にもある通り「静かに熱く闘い始めた」 とはいいながら、それぞれの、なにはともあれの新しい暮らし描かれていました。 何とも、感想が書きにくい第2巻です。なにせ、4人の、日々の生活は描かれていますが、カルテットとしての演奏は一度だけです。ブルーギャラリーというジャズクラブで、インフルエンザで倒れた演奏グループのピンチヒッター演奏です。 半信半疑の客の評価は真っ二つでしたが、しかし、始まりの予感はありましたよ。新しい仲間、登場人物です。モメンタムのはじめての演奏を聴いてボクはッ‼感動した‼ダイのテナーに!キッパリと言い切り、4人のエージェントになることを申し出る青年です。ニューヨークの楽器屋さん、サリーズ・ミュージック・ショップのマイク・フォーチューンくんです。実は彼は第2巻の隠れ主人公(笑)ですね。ニューヨークのミュージックシーンを憂いている青年です。 彼は、常識にとらわれないダイのテナーの音に新しい可能性を感じたようです。 いよいよ新しいなにかが始まりそうですね。第2巻はアイドリングの巻 だった気がしますが、第3巻楽しみですね(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.09.06
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武田一義「ペリリュー外伝3」(白泉社) 2024年、8月最後のトラキチクン・マンガ便に入っていました。「ペリリュー外伝2」(白泉社)を先日案内したばかりですが、武田一義「ペリリュー外伝3」(白泉社)です。 所収されているのは『西浜にて』、『ALL ABOUT SUZY』、『長い夜』、『過去と未来と(前・後)』という4つの短編です。 久しぶりにマンガ読んでいて、涙が出ました(笑)。すでに戦争は終わっていたにもかかわらず、敗戦を知らないまま持久作戦と称して抵抗を続ける中で、米軍への降伏を画策して、確か、片倉兵長に撃たれて、文字通り無念の戦死だった小杉伍長という人が、本編「ペリリュー 楽園のゲルニカ」の中にいたと思いますが、『長い夜』には、その小杉さんの「望郷」の思いが、『ALL ABOUT SUZY』には、戦争未亡人としてのこされた、小杉さんの妻志津さんのアメリカでの「戦後」の生活が描かれていました。 敗戦を疑いながら、アメリカ軍のゴミ捨て場を漁ることで生き延び、戦争がすでに終わったことを知ららないまま、抵抗していた小杉さんの暮らしを描いた『長い夜』の、昭和21年、1946年の一コマです。 80年後の今から見れば、下手をすると滑稽ですらある、哀れな敗残兵の姿ということになりますが、果たして、そんなふうに笑うことができるでしょうか。 一方、こちらは1971年、SUZYと名乗ってアメリカで暮らしている志津の夢に出てきたシーンです。夫だった小杉さんが出征する以前の記憶が夢にあらわれます。 マンガは、彼女がアメリカに渡った経緯から、アメリカ人の実業家との平和な暮らしの今を、なんと、自らは復員し、戦後社会を巧みに生き延びてきた片倉兵長との出会いという、まあ、数奇な展開で描いています。もちろん、日本の商社のカタクラが、戦地で夫を殺した張本人であることなど、登場人物のスージーは知りませんが、読者のボクは、ハッとしちゃうわけです。 で、そのあたりの展開を読みながら・・・、というわけでした。 ペリリューを描き続ける武田一義の「戦争」と「戦後」という、「歴史」に対する生半可ではない深い思いを感じました。 偶然読んでいた半藤一利の「昭和史の明暗」(PHP新書)の中に駆逐艦雪風の話として、ペリリュー島を含むフィリピン海域での兵員や物資の輸送ををめぐって困難を極めた話が出てきたりして、余計にリアルな気分でこのマンガを読みました。武田一義さんが、かなり入念に資料に当たってドラマを構成していらっしゃることにも気づき始めて感心しています。 読み応えのある作品ですよ。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.09.05
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半藤一利「昭和史の明暗」(PHP新書) またしても、半藤一利の歴史探偵本です。1981年から1986年にかけて、「プレジデント」という、いわゆるビジネス誌に掲載されていた原稿を、半藤一利の死後、PHP新書として単行本化した本で、実は2023年12月の新刊です。半藤一利「昭和史の明暗」(PHP新書)です。 市民図書館の新書の棚で目に付いたので借りてきて読み終えました。「この年になって、ついに「プレジデント」かよ?」 と、我ながら驚きますが、まあ、読みやすいし、何といっても、あの「日本の一番長い日」の著者半藤一利が、2・26から、8・15に至る、激動の昭和史について、どんなふうな書きかたをしていたのか、ちょっと、確かめたい気分で読みましたが、面白かったですね。 下に貼った目次をご覧いただければおわかりだと思いますが、先に「案内」した「清張さんと司馬さん」で、何度か話題に出ていた話なのですが、あれほど近代日本に執着した司馬遼太郎が、結局、書かなかったのが、「昭和史」だったのですが、そのあたりの時代、だいたい1945年あたりまでの、太平洋戦争に従軍した帝国海軍の軍人や艦船について調べたおした結果生まれた歴史エッセイでした。 まあ、ほぼ戦争下の話ですから、まあ、好き好きですが、興味深い話ばかりで感心しました。 中でも、面白かったのは第一話、「揺るがなかった意思:昭和天皇と二・二六事件」でした。 昭和一一年二月二十六日午前五時、決起部隊一四八三人はそれぞれの襲撃目標に殺到した。重機関銃、軽機関銃、小銃、拳銃、それに10万発を超す弾薬をもち、外套着用、背嚢と防毒面を携帯した完全武装である。(P15) 宮中に事件の第一報が入ったのは、午前五時半過ぎ、鈴木侍従長夫人たかからのものであった。「今、多数の軍人が襲撃し侍従長は拳銃で狙撃され重態」という。 続いて斎藤内大臣邸からも悲報が。当直の甘露寺受長(かんろじおさなが)侍従はしばらくわが耳を疑った。多数の軍人、拳銃、狙撃と、きれぎれの言葉を口の中で繰り返しつつ事の重大性に気づいた。 軍隊が天皇側近を襲撃しているということではないか。殊によれば、宮城内にも乱入してこないでもない。 天皇はまだ床についている時刻だが、侍従は、一刻も早く奏上せねばならないと、寝室に伺った。差支えない、緊急の用務ならここで聞く、との天皇の返事を得て、侍従は二本の電話の一部始終を報告した。 天皇は静かに聞いていたが、「とうとうやったか。自分の不徳の致すところだ」とつぶやいて、しばし無言で立っていた。その目に光るものがあったことを、甘露寺侍従は認めている。やがて気を取り直したように天皇は尋ねた。「そして暴徒は、その後どの方面に向かったかわからないか、まだほかにも襲撃された者はないか」 侍従はハッとした。“暴徒”と確かに天皇は言った。正規の日本軍隊ではない。甘露寺の頭には、この暴徒という言葉が強く刻み込まれたという。(P18~P19) これが始まりですね。 で、本書に記載されている印象深い会話だけ紹介します。 侍従武官長であった本庄繁大将が日記で書き残したといわれている宮中での顛末のやりとりです。会話は二七日の午後になされたようで、二六日から二七日の夜明けまで、ほとんど一睡もしなかったらしい天皇は、この時、大元帥の軍装だったようです。本庄「彼ら行動部隊の将校の行為は、陛下の軍隊を勝手に動かしたものであり、統帥権を甚だしく犯したもので、もとより許すことのできぬものでありますが、その精神におきましては、君国を思う至情に出たもので、必ずしも咎むべきではないと思うのであります。」天皇「私の股肱の老臣を殺戮したのである。このような凶暴な将校など、その精神においても、どうして許すべきものがあろうか。」天皇「私が最も信頼していた老臣を倒すのは、真綿にて、私の首を絞めるにもひとしい行為である。」本庄「老臣殺傷はもとより最悪の行為でありましょう。仮に誤解してこのようなことをしたのだとしましても、彼ら将校としては、こうすることが国家のためになるとの、考えに基づくものでありますから・・・」天皇「それはただ私利私欲がないというだけのことではないか」 何が、どうおもしろいのかということですが、ボクには、天皇が「大日本帝国」の「王様」であったことが、如実に露出していて、腹を立てている人間であることがよくわかる、まあ、いちいち説明しませんが、と感じるところですね。 事件は二八日午後、決起の将校たちを「暴徒」と呼んだ天皇の統帥のもと、「兵に告ぐ」という、あまりにも有名なラジオ放送による命令によって鎮静します。 1945年の敗戦があって、人間宣言があって、そこから10年ほどもたって生まれた世代であるボクなどには、「歴史の時間に、数行で済まされた、あれは何だったんだ?」 という不可解でしかなかった事件の現場で聞こえてくる孤独な王様の肉声は、なんだか、新たな関心を引き起こしますね。 本書の各章から聞こえてくるのは、それぞれの現場の当事者たちの肉声ですね。肉声の迫力 というのでしょうか。そのあたりが半藤一利の持ち味なのでしょうね。なんか、勘違いして煽られる雰囲気が無きにしもあらずですが、なかなか面白いですよ。目次 Ⅰ 揺るがなかった意思:昭和天皇と二・二六事件 Ⅱ 名誉と覚悟と責任と:昭和陸軍と阿南惟幾 Ⅲ 人事の悲劇:日本海軍と堀悌吉 Ⅳ 在りし日の栄光の結末:連合艦隊と参謀・神重徳 Ⅴ 国破れて「駆逐艦」あり:太平洋戦争と「雪風」 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.09.04
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夏目漱石「直筆で読む『坊っちゃん』」(集英社新書) 今日は、「こんな本もありますよ!」 のご案内です。 御覧のとおり、夏目漱石です。こうしてみると男前ですね。で、「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。」 の「坊っちゃん」です。何の変哲もありませんが、集英社新書、ビジュアル版で2007年の新刊です。紙の質が写真用なのでボクの棚にある本の中では比較的汚れていないきれいな本です。 で、新潮文庫や、岩波文庫、まあ、今では「青空文庫」とかいうネット上でも読める「坊っちゃん」と何が違うのかというと、全ページ自筆原稿の写真版だというところです。 こんな感じです。ついでに、買った時についていた腰巻というか、帯というかについていた宣伝用の謳い文句を写してみます。オールカラー原稿用紙そのまま一五〇枚一挙掲載‼漱石先生「漢字検定」不合格ぞなもし!誤字・脱字・癖字・・・・・文豪だから許される原稿用紙で見る名作の裏舞台! とまあこんな感じです。 漱石のお孫さんで漫画家の夏目房之介さんが「読めなかった祖父の直筆原稿」という解説を巻末に書いていらっしゃいます。 「坊っちゃん」が発表された明治三十九年(一九〇六年)頃には、おそらく間違いなく読みやすい直筆原稿だったろう。今でも、書や古文書を読むリテラシーを持つ人には読みやすいのだと思う。漱石の書字は、きちんとした「法則」に則っており、しかも「印刷を前提とした画然とした書きかた」で原稿用紙に律儀に描きこまれているからだ。 が、残念ながら孫の僕には、それをストレスなく読みこなすリテラシーはない。我慢して数ページ読んだが、すぐに挫折してしまった。印刷された小説は何度か読んでいるから、何とか読めるかと思ったのだが、いかんせん「面白くない」のだ。(中略) 直筆で全部読む「必要」なんて、あるんだろうか?「必要」は限られた人を除けばないだろう。身もフタもなくて申し訳ないが、この直筆「坊っちゃん」を誰もが「読まなければならぬ必然性」なんかあるわけがない。(P369) ハハハ、ボクの場合は調子に乗って買った本ですが、パラパラやっただけで書棚にずっと座っていただいていた本です。 で、今回久しぶりに手に取ってページを繰りましたが、本文は5行くらいでダウンでした。大昔、古文書学とかの授業に登録した記憶はありますが・・・・。 面白くないんです。房之介さんがおっしゃるようにリテラシーの問題以前に、ボクなんて「眼」も「頭」も「直筆用読者」じゃないんですね。 そういうボクが、SNS的なリテラシーで生きている若い人たちにごちゃごちゃいう資格はありません。でもね、まあ、図書館あたりで見つけてきてちょっと覗いてみてください。なかなか迫力ありますよ(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.09.03
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キム・ソンス「ソウルの春」109シネマズハット 夏の映画三昧が続いています。今日は109シネマズハット、キム・サンス監督の「ソウルの春」でした。原題が「12.12」、あるいは「The Day」、だそうで、おそらく韓国の人たちにはピン!とくる日付? なのでしょうね。 1979年、12月12日、お隣の韓国で何があったのか、みなさんご存知でしたか?ボクは知りませんでした。ただ、「ソウルの春?パク・チョンヒ暗殺映画か?」 という程度の思い付きで見に行きました。ところが、どっこい、独裁者が死んで「春」だと思っていたら新たな独裁者が登場していたというトンデモ実録映画でした。 ボクには文句なしに面白い実録エンターテインメント映画でした。まあ、それにしても、スゴイというか、面白いというか、目が離せない映画を韓国の監督は撮りますねえ。 ちょっと振り返ると、朴 正煕(パク・チョンヒ)暗殺事件が1979年10月26日です。で、映画の題名は「12、12」です。この日は何の日なのか?ですよね。 パク・チョンヒの後に大統領になったのは全 斗煥(チョン・ドゥファン)で、その後なったのは盧 泰愚(ノ・テウ)ですよね。そのあたりの経緯については、ボクはあまり知らなかったのですが「12、12」というのは、全 斗煥(チョン・ドゥファン)が大統領の座を、まあ、いってしまえば強奪した日なのですね。で、その仲間が彼と士官学校同期の盧 泰愚(ノ・テウ)とかだったんですね。 この日から、ほぼ、10年間、やるだけやって、後に死刑判決まで受けた全 斗煥(チョン・ドゥファン)と10年後の、彼の失脚に乗じて、ちょっと民主派の顔で大統領の座をものにした盧 泰愚(ノ・テウ)、なんと彼らがパク・チョンヒ暗殺事件というドタバタに乗じて軍事クーデターをやった日なのだそうです。 韓国のリベラルな人たちから見れば「あの一味」の「あの所業」というところなのでしょうが、海のこちらからボンヤリ眺めていたボクにとっては「えー、そんなことがあったの!?」 で、もう、それだけでコーフン!でした。 主要な登場人物は全員軍人と政治家、もう、それだけでお堅いイメージですが、これが、面白いのなんのって。上のチラシでにらみ合っている、一人はどう見ても全 斗煥ことチョン・ドゥグァンを演じるファン・ジョンミン。で、もう一人が首都ソウル警備隊司令長官イ・テシンを演じているチョン・ウソンです。 半ハゲで、やたら喋りたおすチョン・ドゥグァン(ファン・ジョンミン)に対して、「おー、男前や!」で、筋を通し続ける首都ソウル警備隊司令長官イ・テシン(チョン・ウソン)ですが、勝つのはファン・ジョンミン扮するチョン・ドゥグァンという歴史の皮肉! 実録映画ですから見ているこっちも結論はわかっているにもかかわらず、なおかつ、日ごろは「男前ギライ!」を標榜しているシマクマ君までもが、「なんで、こんな男前が負けるんや!?ああ、負けてもカッコええなあ!」 という結末で、どう考えてもひどい話の映画であるにもかかわらず、心躍る面白さでした。 理由は、はっきりしていて、今、映画を作っている人には、このクーデターで勝った軍人、勝たせた政治家が「悪」で、負けた方こそが「正義」であるという評価に揺らぎがないからですね。負ける正義のカッコよさに拍手できる社会が今あるのでしょうね。 見ていて、盧 泰愚(ノ・テウ)っていう人については、やっぱりこういうやつだったのか程度でしたが、チョン・ドゥグァンについては、大統領失脚後の裁判での振舞いも、かなり、たちの悪い人の印象しかありませんが、映画では、これでもかとばかりに「大ワルぶり」が炸裂! していましたね。 考えてみれば、話題にした二人をはじめ、登場人物の多くが、もう、この世の人ではないからこその作品かもしれませんが、やっぱり、本当の歴史を語ろうという意志を感じる作品でした。拍手!監督・脚本 キム・ソンス脚本 ホン・ウォンチャン イ・ヨンジュン キャストファン・ジョンミン(チョン・ドゥグァン)チョン・ウソン(イ・テシン)イ・ソンミン(チョン・サンホ)パク・ヘジュン(ノ・テゴン)キム・ソンギュン(キム・ジュニョプ)2023年・142分・G・韓国原題「12.12」「The Day」2024・08・25・no112・109シネマズハットno50追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)(
2024.09.02
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「カエルくん?ここはどこ?」 徘徊日記 2024年8月29日(木)JR大阪駅あたり カエルくんじゃなくてクマくんのようです。口から、一筋水を吹いていらっしゃいました。ここはどこなんだ?これは何なんだ? ため息しきりのJR大阪駅前です。 台風10号とかが九州までやってきてぐずぐずしていて、何となくこころさわがしい8月の末の木曜日です。 朝からお友達のHさんがイチジクのジャムを届けに来てくださって、でかける予定だったシマクマ君はHさんの自動車に乗せていただいて、もう一軒のお届け先の、これまた古いお友達のお家を経由して、「まだ、時間はあるんやろ。コーヒーでも飲んでいき。」 のお言葉に甘えて高取山のふもとにあるHさんのご自宅に立ち寄りました。 で、コーヒーなんぞをいただきながら、Y夫人が最近気に入っていらっしゃるという、池内紀や辻まことのお話 に楽しく相槌を打って座り込みそうにしていると、「ほな、そろそろ時間やろ、駅まで送るわ。」 と兵庫駅まで送っていただいて、大阪駅に着いたのが正午過ぎでした。 で、駅の北側のビルの下にあったのがクマくん(?)の噴水です。 ここに来た目的は、この嵐の予兆のなか、この写真の右側のビルの地階のレストランでの昼食会です。学生時代からのお友達Kくんが、帰省先の山陰からバスで大阪にやってきて新幹線で東京に帰るというので、旧友再会 の昼食会を企画してくれた、これまた、学生時代からのお友達D君夫妻のお誘いでした。 というわけで、しばしの歓談、Kくんを大阪駅の改札で見送って、ちょっとコーヒーでもとD君夫妻と、タリーズとかいうコーヒー屋さんで、再び、しばし、おしゃべり。 お店を出てきて、お二人とお別れして、見上げる阪神デパートの威容! に、再びため息の、大阪駅前でした。 目の前にあったのがこの石で、なんなんでしょうねこれ? この石に座って、タバコを吸ったりしたら、やっぱり叱られちゃうのでしょうか。 というわけで、空模様も不安だし、久しぶりに阪神電車に乗って神戸に帰りました。 なんだかすごい活動量というか、行動半径というか、の一日だった気がしますが、自動車と電車に乗っていただけというか、様変わりしていた大阪駅前にボーゼン というかの徘徊の一日でした(笑)。 帰宅して、ホッとしているところに、新幹線に乗ったKくんから、なっ、なんと、「名古屋で足止め!」 という連絡で、再びボーゼンでした。 いやはや、山陰から大阪、大阪から名古屋、名古屋から再び大阪のD夫妻宅にたどりついたのが午前零時を越えていたそうで、シマクマ君の一日なんてかわいいものですね。Kくんホントにご苦労様でした(笑)。これに懲りずに、また、会ってくださいね(笑)。 にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.09.01
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半藤一利「わが昭和史」(平凡社新書) コロナ騒ぎが始まったころ亡くなった半藤一利という、元、文芸春秋社の編集者だった方にはまっています。読みやすいんです。みんな語りですから。 で、今回は「わが昭和史」(平凡社新書)ですが、亡くなる半年ほど前に「こころ」という雑誌に掲載された、多分、インタビュー形式の記事の新書化です。 亡くなったのが2021年の1月、出版が2022年の4月の平凡社新書です。 半藤一利さんが、おそらく、最後に語った自伝です。 昭和五年(1930年)五月二十一日、運送業を営む父・半藤末松と、産婆のチヱの長男として、隅田川の向う側に生まれました。親父は自分の名前から一字とって「松男」にしようとしたって言うんだけど、「一利」と名づけられた、理由は知らねえ。東京市はまだ十五区しかないころで、私が生まれた今の墨田区あたりは、東京府下南葛飾郡吾嬬町大字大畑といって、見渡しても田んぼと畑と野っ原ばかり、やっと人が住み始めたような田舎でした。 昭和七年、三十五区に増えたときに向島区ができて、晴れて東京市民になれた。「大畑生まれ」といってももう誰もわからない、だから「向島生まれ」と言うんです。 これが、語り出しです。所謂、べらんめェですね。この辺りはまだおとなしいのですが、だんだん調子に乗って、関西人には、ちょっと耳障りです。まあ、慣れますけど(笑)。 で、ついでですから最後のページはこうです。 終わりに これでお終いです。 それで、ここは、また司馬遼太郎さんに倣って、「余談ながら」をもう一言、ということになります。 小林一茶の句に、こんな妙なのがあります。 この所あちゃとそんまの国境 俳句なのか川柳なのか、何のことやらと思われるでしょうが、「あちゃ」は信濃方言、「そんま」は越後方言で、ともに“さよなら”(いや、「あばよ」かな)の意味なのです。一茶らしい方言が活かされたしゃれた句ではないでしょうか。 わたくしは本年五月で九十歳になりました。だれかが歌った流行歌の文句に「思えば遠くへ来たもんだ」という一節があったのを記憶しています。それをもじって「思えば長く生きたもんだ」であります。そのお陰で、まことに長いこと『こころ』誌に拙いものをかきつづけてまいりました。読者の皆様には飽きずにお読みいただけたことと勝手に考え、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。 そして最後に、越後長岡にゆかりのあるわたくしは、 「では、そんまそんま」 とご挨拶して、お別れしたいと思います。 というわけで、おそらく、『こころ』という初出誌の連載終了の挨拶でしょうね。最後は越後弁で、生涯最後の語りを終えられていました。 まあ、ここまでには、出生から子供時代の空襲体験、越後長岡への疎開、戦後の学生生活、文藝春秋の編集者、社員としての思い出、歴史探偵への道、自らをネタにしながら、面白く語ることがやめられない、まあ、性分なのでしょうね、語りが満載です。かなり貴重だと思える歴史的証言もあります。その中で、そうそう、そうですよね! と、ひざを打つ思いがしたエピソードをご紹介しますね。 話は三十年ほど前になりますが、ある女子大の雇われ講師を三カ月ばかりやったとき、三年生を五十人ぐらい教えたのですが、一方的に話すんじゃなくて、若いあなた方が何を考えているのか、授業の最後の十分ぐらいでアンケートを出すから答えてくれないか、とお願いして、「戦争についての10の質問」というのを出したんです。 その冒頭で、「太平洋戦争で日本と戦争をしたことがない国は? aドイツ bオーストラリア cアメリカ d旧ソ連」という質問をあげたところ、回収して見るとアメリカを選んだ人が十三人いた。さすがにおったまげてよ、オーストラリアはわかるし、旧ソ連はもわからなくはない、でも、アメリカを選ぶのはねえ。次の授業でこの十三人に、私をおちょくるためにアメリカに〇をつけたのか聞くと、まじめに答えたのだという。 なかで手を上げて質問をした子がいて「どっちが勝ったんですか」。そのときはほんとうに教壇でひっくり返りましたよ。本気でそう思っているのかと。(P162) この後、半藤さんは「歴史に学べ」じゃなくて「歴史を学べ」 だと喝破なさっているのですが、引用は三十年前の話です。ボク自身、週に一度だけ、中学とか高校の国語の教員を目指している女子大生と出会っているのですが、半藤さんの、このエピソードはほんとうにリアルですね。 国語が取り扱う文章に対する歴史的な知識そのものがないのですね。漱石も清少納言も鴨長明もみんな昔の人。 で一括りです。 イヤハヤ、おそるべき時代ですが、三十年前に、すでに、そうだったんですねという納得でした。学ぶ人も教える人も、まあ、「歴史を学べ」ですね(笑)。 もっとも、本書は半藤さん自身の個人史であって、歴史探偵半藤一利の本領である幕末から昭和にかけての歴史について学ぶ本とは、ちょっといいがたいのですが、彼の代表作である、たとえば「昭和史」(平凡ライブラリィ―)や「幕末史」(新潮文庫)などの著作と、歴史学のプロを凌駕せんとするアマチュア精神にあふれた「語り」のスタイルが共通しているようで、そこが気に入れば半藤歴史学の入門書としては、なかなかいいんじゃないかという気はしますね。市井の人という言葉がありますが、やたらな「べらんめェ」は照れ隠しなのでしょうね(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.09.01
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