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「三島暦師の館」 徘徊日記 2024年10月20(日)三島あたり 三島大社を東の裏口から出て金木犀が匂う住宅地を、ほんの数分歩くとなんだか立派なお屋敷があって、玄関にはカンカンと叩く板木(ばんぎ)が置いてあります。 ちょうど、庭あたりで掃除をしていらっしゃったオジサンがお声をかけてくださいました。「その、板、叩いてごらんなさい。」 で、4人組の二人が交互にカンカンと叩くと、中からセンセー!という雰囲気のおじいさん が出ていらっしゃって、お屋敷の案内が始まりました。三嶋暦師の館の主(ぬし) のようです。 お屋敷は、昔の代官所の建物を移築保存していらっしゃるようで、玄関の正面には三島の宿の古地図です。というわけで、ご講義が始まりました。 そもそも「三嶋暦」とは何かに始まって、三島の地理、歴史、三島暦の歴史、ああ、それから中国の暦と日本の暦の歴史、イヤアー、ベンキョーになります(笑)。 で、これがパンフレットです。「三嶋暦師の館」というのは三島市が管理運営している公共の場のようです。 こちらが、今も作り続けていらっしゃる三嶋暦です。大判とポケットサイズとあります。購入を希望すると、「いやあ、来年の暦の時期になってましてね。新しいのが来週届くのですが、これでいいですか?」「もちろん!です。」「じゃあ、ポケットサイズはサービスです。持ってってください。」 お年は、平均年齢70歳越えの4人組の一回り上という雰囲気で、頑固なオジーさんの雰囲気でしたが、とても御親切で丁寧な方でした。 これが、三嶋暦です。大きい方は見開きで吊り下げられるカレンダーです。一年間の月の形の変化が印刷されているのが、まあ、あたり前ですが特徴です。 壁掛けタイプが500円でしたよ。 開いてみるとレイアウトというか、デザインというかはこんな感じ。 お伺いした日の2024年10月20日を調べて見ると、縦向きに「九月十八日・月は十八夜・ひのとみ・日・友引・秋の土用の入り・19:07~09:16」 でした。最後が月の出、月の入りの時刻でしょうね。 庭には小さなお社があります。お祀りしてあるのは加茂神社の神さんらしいです。 で、その前の庭に何気ないのですが日時計です。暦は月齢の旧暦ですが、一日の暮らしは日時計という感じでしょうね。なんか、いい雰囲気でしたね。 これが、建物の看板です。三島市の歴史的風致形成建造物だそうです。 もしもですが、三島の町とか徘徊なさることがおありでしたらおススメですね。もっとも、シマクマ君は、たとえば二十四節季とかが、結局、「太陽暦」なのか「陰暦」なのか、まあ、よくわからないままなので、必ずしも、かしこくなれるとは限りませんけど(笑)。 さて、いったん三島大社に帰って、次はどこでしょうね。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.11.12
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今福龍太「霧のコミューン」(みすず書房) 今日の案内は、まあ、学者さんの評論集ということもあって、なかなか、こんな本というふうには案内しづらいのですが、ボク的には、かなり引き込まれたことは事実なわけで、とりあえず案内しておこうと思います。 今福龍太「霧のコミューン」(みすず書房)。2024年7月の新刊です。 著者の今福龍太という人は、まあ、文化人類学というあたりがご専門の学者さんで、「群島」とか、「クレオール」とかいう言葉に惹かれて、あれこれ齧り読みさせていただいてきていて、お名前とお仕事の輪郭だけは存じ上げていたのですが、この夏、何となくパレスチナが気になっていた時に、市民図書館の新刊の棚にこの本があって、ちょうど読んでいたゴンティソーロというスペインの作家の「パレスチナ日記」(みすず書房)が、この本の中のいくつかの文章でジャスト・ミートしていることに気付いて借り出しました。 ボク自身と、ほぼ、同世代の方であることを、再認識しながら、その思考の方向性に、強く誘惑されました。 で、まあ、思考の方向性とかいってもなんのことだかわかりませんが、「現代」という時代を生きていくうえでの考え方の構えのような事ですね。 それを、彼は「霧」という自然現象を象徴的なイメージとすることで語っています。 まあ、説明しようがないので緒言のなかの一節を引用しておきます。 「霧のコミューン」とは何か。この謎めいた符牒のような言葉に私があるときからこめようとした意味。それは第一に「予兆」をめぐるものである。霧は、霧の向うに見え隠れする何かをつねに暗示する。来るべき何かを。しかしその「何か」を明らかにすることが重要なのではない。むしろ何かわからないものがそこにあり、それが私たちの真実を撃つためにいつか顕れてくるかもしれないと感じるときの、その兆しを繊細に感じとる間隔こそが、霧の本性であるように私には思えた。その意味で、霧のコミューンとは予兆を予兆として感受し、そこに希望を認め、その予兆を大切に育もうとする共同体(コミューン)のことである。 第二にそれは「秘密」を暗示する。権力による隠蔽の対極にあって、人類の知が「隠される」ことによってむしろ守られてきた歴史を深いところで諾う意思である。なぜ秘密が必要か。それは、可視化され利用されることなく、霧に隠れることで力をためる何かが存在するからである。霧とは、真実なるものの至高の隠れ蓑にほかならない。この点でそれは、ナチス・ドイツが政権に反対する者たちを夜と霧に紛れて隔離・投獄・殺害した「夜と霧」の指令によって真の意味を剥奪された「霧」を、むしろ抵抗者たちの拠点として復権させる共同体でもある。夜闇も霧もそれ自体の横溢と主張を持っていることを歴史は証明してきた。 第三に、それは「偶有性(コンタンジャンス)」へと開かれてゆく共同体である。「私は自分自身を世界のなかに混合し、世界の方もまた私に混合している」(ミッシェル・セール「五感」)。皮膚を界面として、私たちは世界とやすみなく接触し、お互いを混合させている。すべての事物にそなわった皮膜は、内と外を隔てる分断面ではなく、むしろ世界そのものが触れ合い愛撫しあう混合面なのだ。そんな揺らぐインターフェースこそ、固定化を離れて「世界」をつねに別様なものへと更新しつづける「偶有性」の現場であり、時間と空間を超えて「共-接触(コン・タンジャス)」が果たされる界面である。皮膚というヴェールにまつわりつく霧のような偶然性、偶発性のヴェール。ヴェールの向うに隠された真実があるのではなく、真実自体がヴェールの複合体なのである。その霧、その波形模様やギャザーや糸屑やほつれのなかで、私たちは無限の「出会い」の可能性を持つ。非接触テクノロジーの日常への浸透によって断たれつつある真の「接触タンジャンス」を奪還し、それを分有する共同体。それが「霧のコミューン」にほかならない。 えらく長い引用になりましたが、ボク自身は、当分、この今福龍太の道案内で、霧のなかを彷徨う ことになりそうです。いずれ、彷徨い先については、折りにふれて報告することになると思いますが、今日はとりあえずここまでです。 ついでなので目次と出版社がまとめている来歴を載せておきます。目次緒言Prologue小鳥もカタルーニャ語でさえずる街で バルセロナ 叛コロナ日記I負のメフィストフェレス 広島のバラク・オバマ〈対岸〉からの思想的挑発 フアン・ゴイティソーロ追悼II遠漂浪(とおざれ)きの魂、震える群島 石牟礼道子の億土からアジアのなかの沖繩 川満信一への手紙III微気象のくにで すべてのグレタ・トゥーンベリにマスクの時代の仮面 問いつづける身体のためにIV霧のなかのルイーズ・グリュック 寡黙な声のコミューン〈白い日〉と歴史 戦火から遠く離れてEpilogue霧のコミューン 生成と予兆Coda希望の王国 今福龍太(いまふくりゅうた) 1955年東京生まれ。文化人類学者・批評家。東京外国語大学名誉教授。メキシコ、カリブ海、アメリカ南西部、ブラジル、奄美・沖縄群島などで広範なフィールドワークを行う。国内外の大学で教鞭をとり、2000年にはサンパウロ大学客員教授、2003年にはサンパウロ・カトリック大学客員教授などを歴任。2002年より、奄美・沖縄・台湾を結ぶ遊動型の野外学舎〈奄美自由大学〉を主宰。奄美では唄者、沖縄では吟遊詩人としても知られる。詩誌『KANA』同人。主な著書に『ここではない場所』『ミニマ・グラシア』『薄墨色の文法』『ジェロニモたちの方舟』(以上、岩波書店)、『レヴィ=ストロース 夜と音楽』(みすず書房)『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』(みすず書房・讀売文学賞受賞)『ブラジル映画史講義』(現代企画室)『宮沢賢治 デクノボーの叡智』(新潮選書・宮沢賢治賞/角川財団学芸賞受賞)『ボルヘス「伝奇集」 迷宮の夢見る虎』(慶應義塾大学出版会)『原写真論』(赤々舎)『言葉以前の哲学 戸井田道三論』(新泉社)など多数。主著『クレオール主義』『群島-世界論』を含む著作集『今福龍太コレクション《パルティータ》』(全五巻、水声社)が2018年に完結。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.11.11
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岸田奈美「傘のさし方がわからない」(小学館) 小学館からシリーズ(?)で出ている岸田奈美さんの3冊目です。ついでに「もうあかんわ日記」(ライツ社)も読みましたから、ボクとしては4冊目ですね。ちょっと、飽きてきた!ゴメン。 というのが正直な感想ですが、理由ははっきりしている気がします。困ったことに、売れっ子の「作家さん」の文章 になりつつあるんですよね。 要するに、商品としての文章といえばいいのでしょうか。 彼女の文章の持ち味は、ボクのようなボンヤリ人生では気づかない、まあ、ナイーブな感受性の持ち主である岸田さんだからこそ直面する「突然の危機」があって、そこで彼女が、「いかに開き直るか」の体験のスリルとサスペンスなのでしたが、身の回りから、ひょっとしたら面白いかもというエピソードを探し始めていらっしゃる、まあ、そういうニュアンスを、何となくなのですが感じてしまうのですね。着地点は、彼女らしい柔らかな感受性、おおらかさ、というのは変わらないのですが。 ネット上に記事を書きつづけるという難しさもあるのでしょうね。題名になっている「傘のさし方を忘れてしまったお母さんの話」なんて、相変わらず、だいじょうぶ! と声をかけたくなる話なのですが、「作家」としての岸田さん、最初の正念場に差し掛かっていらっしゃるようですね。 まあ、しかし、新しい本が出れば、ボクは読みますね。ボクにとってはそういう方です、彼女は(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.11.10
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「立冬の日の須磨の海」 徘徊日記 2024年11月7日(木) 須磨・一の谷あたり 2024年、11月7日、木曜日、ちょうど正午です。今日は立冬だそうです。ここは須磨、一の谷の丘の上です。海には西へ行く船、空には東にながれるクジラくんたちが群れています。 ここに座ると、柄にもないことを思いつきます。熊掌は、形勢不利になると碁盤をかきまぜる困った奴に碁ガタキがつけてくれた名前です。もう、30年以上も昔のことです。霜月やクジラ群れ飛ぶ須磨の空 風強し今日は立冬須磨の海 熊掌 そういえば、最近、目の前の海にクジラくんが迷い込んで保護されたというニュースがありました。 一の谷の丘の上では、まだ、朝顔が咲き続けていました。朝顔の季は秋だと思いますが、まあ、そうはいっても、今日は立冬ですからねえ(笑)。 さて、一服して、今から高倉台です。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.11.09
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ファイト・ヘルマー「ゴンドラ」シネリーブル神戸 ここのところ、高校生の男の子同士とか、若い男女三人とかの作品を立て続けに見ていたので、おっ、女の子二人の映画か、面白うそうやん! というノリで見ました。ドイツの映画らしいということには気付いていましたが、監督がどんな人で、どこで撮ったのかというようなことは全く知らないで見て、驚きの連続でした。 舞台はドイツだとか思っていたら、まあ、ドイツの田舎との違いがわかるわけじゃないんですが、グルジアだか、コーカサスだかのド田舎だし、その上、この映画、いつまでたっても登場人物たちがしゃべらないんですね。セリフがないんですよ!!(笑) 見たのはファイト・ヘルマーというドイツの監督の「ゴンドラ」でした。 見終えて、一番率直な感想は「なんや、作りかけみたいやったなあ。」 でした。 理由はハッキリしていて、登場人物にセリフがないからですよね。 最初、なんだか偉そうにしている、ゴンドラ、要するにロープウェイの運転係というか、駅長というかのオッサンが乗りにやってくる車椅子のオッサンに邪険にしたり、どうも亭主が死んだらしいオバはんが新入りの乗車員の女の子に、やたらニラムだけで、愛想も何もない様子に「なんでやねん?!」 だったのですが、結局、最後まで誰もしゃべらない映画 なのでした。 言ってしまえば、みんな見る人任せなわけですからね、「なんで?」「何してんの?」 の連発で、いつもと勝手が違ったのですが、一方で、やたら面白かったりしたわけです。 まず、ゴンドラからというか、ゴンドラをというかの風景がいいですね。 ゴンドラは山の下から上へではなくて、上から上へとしか思えない様子で、俗世を下に見ながら天空を渡るんです。下に谷あいの村があって、牛とかヒツジとかがいて、あと、ズーと山です。そこを渡っていくんです。 誰かが亡くなったんでしょうね。ゴンドラから棺桶の前と後ろがはみだしたまま運ぶのですが圧巻でした。「えー、落としたらどうするん?!」 棺桶が空を渡っていく様子が映って、で、それを見上げる村の人や子供やが下に見えて、帽子をとったり、中には手を振る子供もいたりして、なんともいえないというか、心に刻まれるというか、そういうシーンで始まるんです。 それから、天空を日に何度もわたり続けるのがお仕事のはずの二人の娘さんがゴンドラをおもちゃにしてというか遊び場にしてというか、まあ、いろいろやってくれるんですが、そのやることなすことの痛快さとか、毎朝乗ってくる二人の子供のイノセンスな仲良しぶりとか、牛や鶏を運ぶ村の人の生活ぶりとか、欲張りでエラそうな駅長のがんばって意地悪な表情とか、何故か映っている画面の中で搭乗するのはほんの数人なのに一日が終わると小銭がジャラジャラ出てくる料金鞄とか、みんないいですね。 先日、中国のド田舎の山の上の湖をワクワクして待ってすかされたんですが、こちらはヨーロッパのド田舎の天空を、実際に車椅子がゴンドラにぶら下がってが渡っていくのです。ボク的には、まあ、こっちに拍手!でしたね(笑)。 まあ、ストーリーがあるにはあるんですが、で、若いお二人の関係とか、とどのつまりの悪役駅長の天罰とか、それぞれ、「そんなんせんでええやん!」 という気もしたのです。だって、明日もノンビリというか、平和にというか、天国暮らし、いや、天空渡りか、続けてほしいじゃないですか。セリフもないんやから、ドラマもいらんで(笑)。 まあ、そういう勝手な気分でしたね。でも、拍手!ですよ、やっぱり(笑)。 監督・製作・脚本 ファイト・ヘルマー製作 ツィアコ・アベサゼ ノシュレ・チュハイゼ撮影 ゴガ・デブダリアニ美術 バチョ・マハラゼ編集 イオルダニス・カライサリディス モリッツ・ガイザー ニコロズ・グルア音楽 マルコム・アリソン ソーレイ・ステファンスドッティルキャストマチルデ・イルマン(イヴァ:新入り)ニニ・ソセリア(ニノ:多分、転職思案中)ズカ・パプアシビリ(駅長)ニアラ・チチナゼ(未亡人)バチャガン・パポビアン(車椅子の男)ルカ・ツェツクラゼ(少年)エレネ・シャバゼ(少女)合唱ダレジャン・ゲペリザ合唱ニノ・パチコリア合唱ペリデ・カランディア2023年・85分・ドイツ・ジョージア合作原題「Gondola」2024・11・03・no142・シネリーブル神戸no277追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.11.08
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ローレン・ハダウェイ「ノーヴィス」シネリーブル神戸 予告編を見ててめんどくさそうなので、かなり躊躇したんですが、まあ、見てみようか・・・ という程度の気分で見ました。 実は、ちゃんと気付いたのは見終えてからなのですが、チラシで「あの「セッション」のクリエーターが挑んだ狂気の物語」 とか仰々しく謳っていて、クリエーターって監督だったチャゼルのことかな? とか、相変わらずボケたことを考えていたのですが、あの映画の音響係の女性が自分で脚本を書いて、自分で作った作品だったとわかって納得しました。 別に、狂気の姿を描いたりした作品じゃなくて、至極まっとうにアメリカ社会、まあ、日本もそうだという気がしますが、を、正面から批判して、かなりよくできた作品だったと思いました。 見たのはローレン・ハダウェイという、多分、女性の監督の「The Noviceノーヴィス」、訳せば「初心者」だそうです。 エリートの集まっているらしい大学に入って、クソしんどそうなボート部とかに入部して、なんとしてもレギュラーポジションを手に入れたいと、徹底的に自分を追い込んでいく主人公のたどり着いた様子を「狂気」というような言葉で宣伝する感覚がまかり通っている社会こそが、彼女を追いつめているというのがボクの率直な感想ですね。 「成果主義」というのでしょうか、結果を、経済性や社会性における、成功とか失敗とかのためだけに子どもを躾たり、努力を讃えたりすれば、徹底的に素直な子供はこうなりますということで、だからといって、そうなった子どもは、別に病気でも何でもありません。素直なだけです。ただ、たどり着いた地点で表彰状を手に入れられなかった素直な子供は行き場を失うだけですね。 別に、ライバルだったジェイミーちゃんが悪いわけでも、コーチの配慮が足りなかったわけでもないのです。要領が悪いとか噂して、まあ、映画でも口走る子がいましたがサイコとか陰口を聴いて、いなくなったらホッとするわけです。 メンバー表から自分の名前を消したダルちゃんは、チームからも大学からも去るでしょう。で、どこに行けばいいのか、彼女は答を持っていませんよね。 そこが、見ていて、辛くてしようがないところなのですが、どなたか答えられる人はいるのでしょうか? この監督は、そのあたりについて、かなり頭にきているようで、ボクは好感を持ちましたね。こういう、まあ、癇癪持ちの映画監督って好きですね。拍手! ただ、70歳の老人には、見終えた印象が暗いのですね。そのあたりが、何とかならないかとも思うのですが、大統領とかの選び方とか見てても、しようがない感じですね。まあ、次の作品に期待ですね(笑)。監督・脚本・編集 ローレン・ハダウェイ撮影 トッド・マーティン美術 エバ・コズローバ編集 ネイサン・ヌーゲント音楽 アレックス・ウェストンキャストイザベル・ファーマン(アレックス・ダル:新入生)ディロン(ダニ)エイミー・フォーサイス(ジェイミー・ブリル:ライバル)ジョナサン・チェリー(ピート:コーチ)ケイト・ドラモンド(エドワーズ:コーチ)シャーロッテ・ウベン(エリン)ジェニー・ロス(ウィノナ)2021年・97分・G・アメリカ原題「The Novice」2024・11・05・no143・シネリーブル神戸no278追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.11.07
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「大蔵海岸から明石大橋!」 徘徊日記 2024年10月30日(水)明石あたり秋の空! ですね。 誰もいない秋の大蔵海岸です。明石と朝霧の間くらいの国道2号線沿いにある公園です。夏の間は水遊びをする人たちでにぎわいます。近くに、何とか温泉とかもあります。目の前に明石大橋が一望できます。 淡路島側から舞子まで、スマホで一遍に撮ることが出来ません。やっぱり、大きな橋なのですねえ(笑)。 こちらが、舞子側です。ちょうど飛行機が橋の上を飛んでいましたが、もちろん、それを写す技術はありません。船だって、さっきからたくさん通過しているのですが・・・💦。 これが、大蔵海岸です。さっきから繰り返し公園の放送が禁煙を促しています。受動喫煙防止にご協力ください! とか何とか、「あのぉー、誰もいないんですけど・・・」 愚か者で小心者のシマクマ君はタバコがやめられません。こういう風景を見ながら・・・、なのですが、放送が気になってお茶だけです。 松林の中に、こんな彫刻(?)がありました。片方がこけたまま放置されているのかとかおもいましたが、まあ、あたりまえですが、違いました(笑)。 写真の表示は読めないかも、ですが、「明日」という彫刻だそうです。1995年の震災のモニュメントのようです。30年、あっという間というか、ボクは、相変わらず「明日」とか、「希望」とかいう言葉が好きですが、時間はどんどん経つのですね。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.11.06
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「三島大社」 徘徊日記 2024年10月20日(日)三島あたり 昨日、2024年10月19日は三島に泊まりました。ドーミン・インとかいう人気のホテルでした。夜泣きソバのサービスと展望風呂が売りですが、久しぶりの旧友交歓の一夜でバタンキューの宿泊でした。(笑) 朝起きると窓から見える目の前は工事中でした。JRの三島駅の駅前広場が新しくなるようです。 で、東京組のMさんと大阪組のMくん、Nくん、そしてシマクマ君の4人で三島徘徊に出発です。先導は、一緒にどこに行っても、たいていの観光地を知っている、まあ、三島の町も初めてではないらしい、Mくんです。「まずは三島大社に行こう!」 の掛け声、一声、ホテルから歩いて行けるらしい三島大社とやらに向かって出発です。 10分ほど南に向かって歩くと鎮守の森が見えてきました。 由緒正しい神社のようです。東海道を歩いてくると、次は箱根越えという最後の宿場にある神社です。 北東の方角から歩いてきたので、正面ではなくて東側の通用門というか、裏口というかから入りました。植樹は鬱蒼としていて、いい雰囲気ですが、絵馬の祀ってある手前に何かあります。 向うに写っているのは神楽殿ですが、面白そうなのは手前の石です。 千年ほど昔、源頼朝と北条政子が座った石だそうです。ナルホド!というか、ホントかよ?というかですが、源頼朝が源氏再興を祈った由緒正しいお宮で、大山祇命を祀っている伊豆一宮だそうで、そういえばここから南に向かえば伊豆半島ですね。 神楽殿ですね。とりあえず撮った写真はのせようかなということで(笑)。 きんもくせいが天然記念物だそうで、大変な古木なのですが、季節なのに花が咲いていません。そういえば、昨日の富士霊園も、この季節の名物は金木犀だとか、何処かに書いてありましたね。オヤ、神社の一画に鹿がいます。周りは柵で囲まれているようで、入って行くことはできません。 神鹿園だそうです。どこかに縁が書かれているのでしょうが、思い浮かぶのはお酒の名前ですが、あれは白鹿でしたかね。そんなことを考えながらのぞき込んでいると、大阪組のNくんが何かいい始めました。「あんな、この鹿の向こうに、三島暦の館かなんかいうて、暦つくってるとこがあるはずやねん。」「三島暦?」「暦ってカレンダー?」「ああ、昔のな。」 早速スマホかなんかでM君が調べています。「ああ、あっちや。」 というわけで、鹿園の向うの神社の裏口からウロウロ出て行く4人組です。 で、三島暦の館(仔細は「三島暦師の館」の記事でどうぞ)でお勉強した4人組が再び三島大社に戻ってきました。 南の、正面の鳥居です。神社の境内は休日ということもあって、かなりな人出だったのですが、4人組は、だれ一人、本殿に参拝した形跡がないのが、まあ、そういうお友達ですね。かくいうボクも、「何が祀ってあるのだろう?」 の興味はありましたが、行列してお参りしていらっしゃる人たちの列に入る根性はありませんでした(笑)。 神社の前の道が、昔の東海道だそうです。 さて、これからどうしようなのですが、やっぱり、Mくんです。「じゃあ、次は柿田川公園に向かうよ!」 というわけで、三島徘徊は続きます(笑)。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.11.06
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いしいしんじ「いしいしんじの本」(白水社) いしいしんじの文章が好きなのですね。 で、市民図書館とかの新入荷とかの棚で見つけるとかならず借りるんです。横着なので日本の作家の「イ」の棚に行ったりはしないんです。 で、今回も新入荷の棚で見つけたのですが、ほぼ10年前、2013年の一刷の本で、???だったのですが、やっぱり楽しく読みました。 書評とか、まあ、流行の言葉でいえばブックレビューとか、文庫本の解説とか、新聞の文芸欄の記事とかを集めたエッセイ集でした。 いしいしんじのなにがどう好きなのかと問われると返答に困るんですね。好きだから好きだというしかないところが、多分、彼の文章の特徴だと、まあ、ボクは思っているわけで、たとえばこんな本の紹介があって、よしよしなのです。『ペルソナ』鬼海弘雄鬼海弘雄が今日も写真を撮りつづけているというのは、おおげさでなく、人類の希望だと思う。このように人間を見、人間の姿をこの世に残すことが、ひとりの人間にできるというのは、この現代においてほとんど奇跡。『ペルソナ』は、写真集はもうこれ一冊でいいという本。ときどき、本はこれ一冊あれば、という気持ちにもなる。(P201ふたば書店選書リスト2011「おすすめの30冊」) で、そのとなりに斎藤道雄の「悩む力」、もうちょっと先に「海街dairy」だったりします。「海街dairy」吉田秋生よくいわれていることかも知れませんが、小津安二郎の作品を想起させます。けれども、ある意味小津を超えている。日本漫画にしかできないことが、ここでは易々と、あらゆるページ、あらゆるコマのなかで魔法みたいに達成されている。鞄に入れて持ち運べル、ポータブル鎌倉。波音や蝉時雨、谷をわたってくる風音つき。(P204) まあ、書きかたもですが、ラインアップがいいですね。手元に置きたい本ですが、やたら買いの結果の積読の山の再来に陥るのが怖いので、市民図書館です。 とりあえず、目次を載せておきます。一つ一つの文章が短いので、ちょっと、大変な量ですが、後ろに、そこで話題になっている作品名、書名、をつけました。作家の名前も付ければいいのですが・・・、一応クイズということで(笑)。 まあ、ボンヤリ眺めていただければいいかなと。ボクは新しい本と出合うのが嬉しくて、こういう本を読むことが多いですね。目次はじめに ティーンエイジャーのいしいしんじ 「婦人画報」韓国のひとたちへ 「トリツカレ男」本を読んで大きくなる 「漱石・太宰・賢治」みさきのすきま 「エクソフォニー他」浮遊する世界 「パンク侍」アメリカの幸福 「世界のすべての八月」林芙美子の庭 背中のなかの巨大な手 「もうおうちへかえりましょう」問いかける言葉 「自分と自分以外」ケストナーさんへ 軽々と歩くひと 「恋するように旅をして」サイン本の絵柄 旧制高校の必読書 「愛と認識との出発 他」詩の起源 「おわりの雪」舞い降りる物語の断片 「おわりの雪」「わからないもの」のかたち 「ハミザベス」主人公の気持ち 「梶井 他」うみうしのあわい 「ポーの話」ふたりの旅人 「200X年文学の旅」本が置かれる棚 「アメリカの鱒釣り」仕事をしていない人間はひとりもいない 「流刑地にて」他円、矢印、方形 「残光」わからなさの楽しみ 「こどもの一生」本は向うからやって来る 「ジャコメッティ」収縮する距離 「海」ことばをドリブルする 「聖女チェレステ団の悪童」イリノイの夏 「レイ・ブラッドベリ大全集」「もの」にまつわる「ものがたり」 「古いものに恋して」寄席に入ってきいてみる 「圓太郎馬車」巡礼路の光景 「たいようオルガン」「めくり終える式」読書 「天才バカボン」他洞窟ツアー 「たいようオルガン」中原中也の詩を読む、という出来事流れていくに委せる 「ノルゲ」自分でハワイをやる 「金毘羅」他多数文章が「揺れ動く」 「土星の環 イギリス行脚」闇の中の物語 「灯台守の話」書くということ 「大竹伸朗」霧のなかの本 「きりのなかのサーカス」透明な穴に飛び込む 「中島らも」動物ばかり 「白痴」(ドストエフスキー)中国という感覚にのみこまれる 「転生夢現」時間に遅れる子ども 「走れメロス」他ページのむこうの特別な時間 「原っぱと遊園地2」笑える本 「吾輩は猫である」他開かれた小説 「ボディ・アンド・ソウル」とっておきの秘密の沼で 「四人の兵士」ボロボロになった背表紙 「デカルトからベイトソンへ」多次元のスポロガム 「大洪水」広大な宇宙の暗み 「見えない音、聴こえない絵」ふたつの北極 「極北で」大正時代の聖書 ハマチとの子 「夏の水の半魚人」金木町のブルース 「津軽」他厚い本に手が伸びる 「魔の山」他西脇順三郎という水を飲む 「葦」見えないけどそこにある 「冥途」他鬼海村と戌井村 「まずいスープ」「夢」と「ロマン」 「真鶴」他小説を「生きる」時間 「坊っちゃん」他様変わりする風景 「がらくた」本はSP盤のように 「メイスン&ディクソン」他乱反射するいのち 「馬鹿たちの学校」トーマス・マンの菩提樹 「魔の山」おすすめの三十冊 「灯台へ」他目がさめるまでの時間 「火山の下」他寝ているあいだに小説は育つ 「ジュージュー」名指ししたことのない光 「星へ落ちる」たちのぼり、流し去る 「ウォーターランド」大坂で笑い、のたくることば 「あめりかむら」人間を拡げる心地よい違和感 「野生の探偵たち」他まどろみの読書 「失われた時を求めて」ともに歩いていく仲間 「野蛮な読書」妄想の花 「円朝芝居噺 夫婦幽霊」猫の卵 「ふしぎなたまご」たくらみと、自然なふくらみ 「持ち重りする薔薇の花」まわりつづけるノイズ 「一一一一一」戦うボニー 「ぶらんこ乗り」みんなと「ともだち」 「サブ・ローザ」目で読む音楽 「注文の多い料理店」他ブラジルから響く、遠い新しい声 「遠い声」(松井太郎)「はじめて」の作家 「ブラッドベリ」ふくらみの物語 「許されざる者」恋愛の幾何学模様に風が吹いて 「ひらいて」小説を書いているあいだ 長新太の海 塗師のうつわ 「名前のない道」 いや、ホンマに膨大になりました。ここまでお付き合いご苦労様でしたね(笑) 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.11.05
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「10月も末の夕顔 その2 」 ベランダだより 2024年10月31日(木) ベランダあたり 2024年、10月30日、水曜日の宵の夕顔です。神無月もあと2日です。2日経てば、11月、霜月ですが、我が家の夕顔は毎晩、一つか二つづ咲き続けています。 咲く限りは、写真に残してやろうというのがシマクマ君の気持ちです。 おんなじような写真ばかりで芸がないので、俳句を探しました。夕顔に女世帯の小家かな 正岡子規 夕顔やかつて手捲きの蓄音機 森澄雄明日のこと口には出さず夕顔に 稲畑汀子 夕顔といえば、正岡子規の句の感じですが、森澄雄のユーモアセンスと、稲畑さんの心の姿の描写がいいですよね。 で、こちらが、10月31日の朝、咲き残っていた花です。普通、朝日が当たると萎れるのですが、気温が20度を切って、少々寒いということもあるのでしょうね、朝になっても咲き続けています。 さて、いつまで咲き続けるのでしょうね。 チッチキ夫人は春の鉢植えの準備がしたいようですが、夕顔と風船カズラ、まだ、お元気で、植木鉢を譲ってくれそうもありませんね(笑)。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです。
2024.11.04
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アンソニー・チェン「国境ナイトクルージング」シネリーブル神戸 見終えたのは、まだ三日前なのですが、なんだかずっと昔に見て、思い出したような気がする映画を見ました。 最初、スクリーンに写った風景は湖か川なのでしょうね、凍り付いているようで、そこから氷の塊を切り出して、どこかに運んでいるシーンでした。 どこなんだろう? そう思いながら見ていましたが、中国の吉林省、延吉という町の、だから、北朝鮮との国境に流れている川の風景なのでした。 アンソニー・チェン監督の「国境ナイトクルージング」です。 それぞれ、20代かな、という印象の男2人、女1人の3人の若者の出会いと、まあ、よくいえば、新しい出発のお話でした。 広い、中国の最北部の町で、そこに、事情はそれぞれでしたが、3人の若い男女が流れ着いていて、「ナイトクルージング」するのですが、まあ、見ながら、こういう設定のお話ってたしか・・・、 と、ボンヤリ浮かんだのはフーボーという監督の「象は静かに座っている」という映画でしたが、夜中の動物園に忍び込むわ、とどのつまりは熊まで出てきたのには、ちょっと笑いました。 フーボーの映画は満州里でしたから、ロシアとの国境ですが、こちらは延吉で朝鮮との国境です。こちらの国境には、中国名は長白山というらしいですが、朝鮮では白頭山と呼ばれている、まあ、信仰の山があって、高校の世界史では高句麗という名で覚えた地域ですね。朝鮮族の町で、映画の中で白頭山を歌うアリランの歌が歌われて、話の筋と何の関係もなような気もしたのですが、ボクには違和感どころか、妙な感動が湧き上がってしまって、うーん、これって何の映画なん? という気もしました(笑)。 北京や上海に暮らす中国の人たちにとっては最果ての地の一つなのでしょうね。もっとも、見ているボクは、さっきも言いましたが、そこが面白くて、たとえば、白頭山の天池について、「天池に行こう!」 と主人公の一人が口にした時に、「エッ?天池?!」 と、またしてもボクの頭に浮かんできてしまったのですね。 日野啓三という贔屓の作家の晩年の作品に「天池」ってあるんですよね。そも小説の「天池」が、この映画の「天池」だったのかどうか、まあ、小説の内容はまるで忘れていたのですが、それが浮かんできて、「天池って?」 という興奮なのですが、映画の3人は途中で挫折してしまって、引き返しちゃってガッカリなのでしすが、まあ、2700メートルはあろうかという冬の白頭山に、あの格好で登るのはさすがに無理でしょうね。 興味津々だった天池ですが、最後の方で、ちょっとだけ出てきただけで、あんまりピンときませんでしたね。残念! まあ、そうはいいながらですが、出ている3人の役者さんが、それぞれ印象的でよかったですね。 観光ガイドをしていて、やたらタバコを吸うナナを演じていたチョウ・ドンユイ周冬雨さんという女優さんは、中国ではかなりな人気俳優さんらしいですが、確かに気に入っちゃいましたね。拍手! でも、残りの二人の、上海から来たらしいハオフォン役のリウ・ハオラン劉昊然くん、四川から流れてきたシャオ役のチュー・チューシャオ屈楚蕭くん、二人ともよかったですね。こっちも拍手!。 日本の若い俳優さんの演技って、何となくシラケてしまうのですが、同じ東洋系の顔なのに、中国とか韓国の俳優さんの振舞いはシラケないのはなんででしょうね。まあ、一つは日本語をしゃべらないからだと思うのですが、どうも、それだけじゃないですね。 そういえば、監督のアンソニー・チェンさんですが、つい昨日見た「HAPPYEND」のプロデューサーに名を連ねていましたね。若い人たちの、大人との距離感が似ているテイストの青春群像映画だと思いましたが、こっちの方が自然な印象をうけたのは外国の話だからでしょうかね。 ただ、この映画について、よくわからないことが一つあったんですね。話の端々に「指名手配」の犯罪者の存在が暗示されていて、とどのつまりには逮捕されるシーンまであるんです。上海から来たハオフォン君、当人か、彼がらみの何かがあるのかと思いましたが、どうも違うようです。だとしたら、あのエピソードは何なんやったんや? なのですが、やっぱり、最果ての国境の町、という設定と関係があるのでしょうかね。監督・脚本・製作 アンソニー・チェン製作 メン・シェ撮影 ユー・ジンピン編集 ホーピング・チェン スー・ムン・タイ音楽 キン・レオンキャストチョウ・ドンユイ周冬雨(ナナ)リウ・ハオラン劉昊然(ハオフォン)チュー・チューシャオ屈楚蕭(シャオ)2023年・100分・PG12・中国・シンガポール合作原題「燃冬」英題「The Breaking Ice」2024・10・26・no138・・シネリーブル神戸no276追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.11.04
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岩井圭也「われは熊楠」(文藝春秋社) 岩井圭也という人の「われは熊楠」(文藝春秋社)という、南方熊楠という人物の生涯を描いた伝記小説を読みました。 岩井圭也という人の作品を読むのは初めてですが、直木賞の候補に選ばれた作品のようです。南方熊楠という、明治から昭和にかけて生きた人物の生涯を追った作品でした。南方熊楠って誰?なんて読むの? 若い人たちには、まあ、そういう感じで受け取られる人物であり、名前なんじゃないかと思いますが、実は、かなり有名な方で、伝記を小説化した作品では、ボクが読んだことのある作品だけでも、かなり古いのですが、1980年代の終わりころの作品で、神坂次郎の「縛られた巨人 南方熊楠の生涯」(新潮文庫)、津本陽の「巨人伝」(文春文庫上・下)という、それぞれかなりな大作(内容は覚えていませんが)がすでにあります。 それから、たとえば、1990年ころですが、当時、ニューアカの旗手の一人だった中沢新一というような人も「森のバロック」(せりか書房・講談社学術文庫)とか、「熊楠の星の時間」(講談社メチエ)とかで繰り返し話題にしていて、多分、ある種の熊楠ブームだったんでしょうね。 ボク自身は興味を持っていて、結構、読んだ人ですが、ああ、そうそう、坪内祐三という方に「慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り 漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代」(講談社文芸文庫)という面白い評論?エッセイ?にも名前が出てきますね。 ちょっと話がそれますが坪内祐三のこの本は「明治」という時代に興味をお持ちの方にはおススメですね。司馬遼太郎の「坂の上の雲」(文春文庫・全8巻)が、到達点からの振り返りだとすれば、こっちは、慶応三年というのは、翌年が明治元年ですからね、明治と同い年の人物たちの生きざまを始まりからの視点で追ったという意味で面白いですね。 というわけで、南方熊楠、みなみかたくまぐす、くまくすと読む場合もあるようですが、慶応3年生まれの一人である彼が何者だったのか? というわけですが、慶応3年、1867年5月18日に生を受け、昭和16年、1841年12月29日に亡くなるまでの74年間、坪内風にいうならつむじを曲げ続けて、学問だけを生きた人です。天才とか、奇人とか、孤高の巨人とか、大博物学者とか、まあ、いろいろの呼び名がありますが、ボクには、その正体を一言でいう根性も知識もありません。だって、粘菌とか、曼荼羅とか、大英博物館とか。だいたい、粘菌って、わかります?(笑) でも、やっぱり気になるんですよね。で、まあ、目の前にこういう本があると読んでしまうわけです。 もし、ウキペディアとかで調べてみて興味がわくようなら、この「われは熊楠」を読むと、熊楠の生涯のあれこれが、まあ、年齢に沿ってとても分かりよく描かれていて、ああ、そうか、面白い人だな! と腑に落ちます(笑)。 本書は、それぞれ、第1章「緑樹」から第2章「星花」、第3章「幽谷」、第4章「閑夜」、第5章「風雪」、そして第6章「紫花」と題し、6章立てで、南方熊楠の生涯を追っています。 和歌浦には爽やかな風が吹いていた。 梅雨の名残りを一掃するような快晴であった。片男波の砂浜には漁網が拡げられ、その網で壮年の漁師が煙管を使っている。和歌川河口に浮かぶ妹背山には夕刻の日差しが降りそそぎ、多宝塔を眩く照らしていた。 妹背山から二町ほどの距離に、不老橋という橋が架かっている。紀州徳川家の御成道として、三十数年前に建造されたものであった。弓なりに反った石橋で、勾欄には湯浅の名工の手によって見事な雲が彫られている。 その雲に、南方熊楠はまたがっていた。(P5) これが書きだしです。で、ネタバレみたいですが下が結句です。 人魂となった熊楠は、夏野原を駆けていく。熊楠は世界であり、世界は熊楠だった。沖の方角から、爽やかな海風がふわりと吹いた。 それは、熊楠がこの世に生を受けた日の風であった。(P128) 生まれたときから、魂となって飛び去って行くまで「爽やかな風」に吹かれて生きた男というのが、この作家の南方熊楠です。だからでしょうね、希代の奇人の生涯を気持ちよく読み通すことが出来ます。 まあ、そこがこの作品のよさでもあり、物足りなさでもあるのでしょうが、ボクは、この若い作家が、今時、南方熊楠なんぞに挑んで「こんな人がいた!」 と世にさしだしている姿勢というか、態度に好感を持ちました。なんとなく、一つの時代が終わりつつあることをボクは、実感というか、肌合いというかでは、かなり、リアルに感じています。新しい時代が、新しいはじまりの時代なのか、破滅の時代なのかはともかくとして、とりあえず、南方熊楠なんていう、変人に関心を持つ人がいることに、何となくな期待と希望を感じます。若い人に読んでほしい作品ですね。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.11.03
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「10月も末の夕顔。その1」 ベランダだより 2024年10月29日(火)ベランダあたり もう10月も末だというのに夕顔です(笑)。 ここのところ、毎晩、一つか二つづつ咲いています。夕顔のホントの季節は知りません、でも、やっぱり、夏の終わりのけだるい夕暮れ をイメージしますが・・・(笑)。 で、最初の上の写真が10月26日(土)です。 こちらが10月27日(日)。どれも同じに見えるかもしれませんがちがいます(笑)。 で、これが10月28日(月)。2枚あります。下の写真も10月28日の花です。 で、この下の写真が10月29日(火)です。 玄関の花瓶には山茶花です。歌にもありますが、初冬から、冬にかけての花ですよね。そういえば、町を歩いていてたき火がなつかしい季節 を実感し始めています。 40年ほど前の団地では、1年に何度か、たき火をする風景もあったのですが、町でもそうですが、見なくなりましたね。 まあ、火事が起こってはという安全の配慮と洗濯物がすすけるという煙の苦情によるのでしょうかね、焚火はいろんなところで禁止されています。但馬の田舎だってたき火したら叱られるんですからね。 安全と安心が大事なの時代ですが、夕顔が11月になっても咲いてる時代でもあります。 たき火でお芋を焼く楽しさを知らない子供たちが「落ち葉焚き」の歌なんて、歌うはずがないですよね(笑)。寂しい時代になりましたね。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.11.02
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キム・ドクミン「DOG DAYS 君といつまでも」キノシネマ神戸国際 予告編で見かけて、封切りを待っていました。雨の金曜日でしたが出かけて見ました。はい、文句ありません!(笑) 登場人物は皆さんいい人ばかりで、出てくるワンちゃんはみんな芸達者、子役のユン・チェナちゃんも、お話の展開にはいなくてはならないとてもいい役柄で、演技もあどけなくてしっかりしていて、大健闘でしたね。いや、ホント、ほのぼのとさせていただきました(笑)。 ああ、そうそう、見たのはキム・ドクミン監督の「DOG DAYS 君といつまでも」でした。 わが家では「三食ごはん」とか、「ユン食堂」とかいう、韓国のテレビ番組が人気なのですが、映画「ミナリ」で拝見して以来、「ユン食堂」の店主さんとして応援させていただいているユン・ヨジョンさんが、ワンちゃんのワンダくんとの二人(?)暮らしの女性建築家で、筋の通ったインテリとして登場し、三食ごはんとかで、魚の扱いが苦手なおじさんとして笑わせていただいているユ・ヘジンさんが、犬嫌いで、その場しのぎで、見るからにモテない不細工オヤジで、でも、ホントは、人のいい不動産屋を演じていて、まあ、安心して見ていられる作品なのですが、ボクが気に入ったのはアルバイターのジヌ君を演じるタン・ジュンサンくんと動物病院の先生をやっていたキム・ソヒョンさんですね。 まあ、また、すぐに忘れてしまうのでしょうが、それぞれ、たたずまいというか、いい雰囲気の俳優さんだと思いました。拍手!です。 それにしても、これだけホンワカ罪のない話 で2時間楽しませてくれるのですから、やっぱり韓国映画おそるべし!(笑) 何がやねん(笑) ですね。拍手!監督 キム・ドクミンキャストユン・ヨジョン(ミンソ:建築家)タン・ジュンサン(ジヌ:ミンソと犬を探すアルバイト)ユ・ヘジン(ミンサン:不動産屋)キム・ソヒョン(ジニョン:ミンサンに家を借りている動物病院DOG DAYS院長)キム・ユンジン(ジョンア:ソニョンの妻)チョン・ソンファ(ソニョン作曲家)ユン・チェナ(ジユ:ジョンアとソニョンの養女)ダニエル・ヘニー(ダニエル)イ・ヒョヌ(ヒョン:男前のバンドマン)2024年・120分・G・韓国原題「도그데이즈」英題「Dog Days」2024・11・01・no141・キノシネマ神戸国際no16追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.11.02
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岸田奈美「もうあかんわ日記」(ライツ社) 今日の読書案内は「だいじょうぶ!」 の掛け声が気に入って立て続けに読んでいる岸田奈美さんのエッセイですが、なんと、こんどは「もうあかんわ日記」(ライツ社)です。 彼女が中学生だったころお父さんが亡くなって、心臓病で大手術の結果、下半身不随、車椅子生活を余儀なくされているおかあさんと、身の回りのことはなんとかできるけれど、やっぱりダウン症ということで、あれこれ心配な弟との三人の生活を、「だいじょうぶ!」の掛け声のもと、なかなかユニークなエッセイを、多分、ネット上で発表されて、それが書籍化された本なのでしょうね、それぞれ、同じような装丁で小学館から出ている「国道沿いでだいじょうぶ100回」、「家族だから愛したんじゃなくて愛したのが家族だった」と、発表順は逆ですが、読み続けている岸田奈美さんの三冊目は、「もうあかんわ」 でした(笑)。 ネット世代の新しい作家として大忙しの岸田さん自身の生活と、作業所やグループホームでの暮らしで、日々変貌を遂げる弟良太くん、車椅子生活者として、積極的に社会的活動を始めたお母さんのことを語る岸田節が面白くて、すっかりはまっていたのですが、「もうあかんわ」でした。 危機の始まりは、お母さんを襲い始めた日々の発熱で、まあ、お読みになればすぐにわかりますが、かつて手術なさった心臓の部品の老朽化のために、再度の命がけの手術が必要だという大事件の勃発でした。 多忙な東京生活から、神戸への帰省を余儀なくされた岸田さんですが、新たな関門は、コロナの騒ぎのなかでのお母さんの病状確認、通院、入院の経緯もさることながら、おバーちゃんでした。お母さんのおかあさんということで同居が始まっていたおバーちゃんは老化によるタイムスリップが常態化していたのでした。 母の大病の心配、入院までのあれこれ、手術の経過、言葉によるコミュニケーションが、今一つ成り立たない弟と祖母との生活、その上、ベランダの鳩(笑)まで、そりゃあ、「だいじょうぶ」とも言っていられませんよね。 本書はお母さんの発病から、退院まで、ほぼ二月間の日記的エッセイです。前半の数日は、ちょっと可哀そうで見てられませんという気分でしたが、手術が成功して、帰宅という頃になると、やっぱり「だいじょうぶ!」という感じで、ハラハラドキドキしますが読ませます。いやー、聖火リレー、大丈夫でよかったね(笑) 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.11.01
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