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檀晴子「檀流スローライフ・クッキング」(集英社) 先日の「檀流クッキング」の案内で予告していた檀晴子さんの「檀流スローライフ・クッキング」(集英社)です。 檀晴子さんは、檀一雄の長男、太郎さんの配偶者です。すでにたくさんの「お料理本」を出しておられる、お料理の人ですが、この本が多分、最新刊だと思います。2022年の6月の新刊です。 当然のことながら、わが家ではチッチキ夫人の寝床の枕もとでゴロゴロしていらっしゃるお気に入りご本たちの中の1冊でした。 前書きの「島に行く」に著者の自己紹介が、こんなふうに書かれています。 島に行く 東京生まれ、東京育ち。女。あとちょっとで80歳。65歳の時東京を離れ、今、博多湾に浮かぶ周囲12キロほどの小さな島に、同い年の夫と、黒のラブラドール犬と暮らしています。 東京を離れて暮らそうとは、まったく思っていなかったのです。住んでいたところは東京の郊外、駅から3分、商店街もスーパーも目と鼻の先、すぐ近くには大きな池のある公園もあり、豊かな緑に囲まれた、住んでいてとても気持ちのよい環境でした。住まいは夫の実家の庭の端に建っている、舅(チチ)の書斎だった離れ家を改築した家です。息子たちはこの家で生まれて育ち、私たちは生涯をこの家で終えるのだろうと思って暮らしていました。でも、どけと言われました。どいてよそに行けと。 で、反対運動とか、ご近所との付き合いとか、田舎暮らしに対する不安とか、どうするかを決めるまでの紆余曲折、あれかこれかの逡巡、そりゃあそうでしょう、東京生まれの、東京育ちの方が、還暦過ぎてお引越しですからね。 で、そのあたりの書き方中に、檀晴子さんという人がいいなと思わせる何かがあるのですね。だって、お料理の本を、まあ、そっち方面とは、あんまり縁があるとは言えないシマクマ君がおすすめする理由は、実は、そっちのほうなのですが、そこは、まあ、手に取っていただくほかはないわけで、結局、お引越しが決まってしまって、やって来たのが能古島というわけです。 結局ここかと行き着いたのが博多湾に浮かぶ能古島です。舅・檀一雄が晩年暮らしたところで、舅が住んだ家が、崩れかけながら残っていました。 そうですね、檀流のご本家、あの檀一雄の、あの博多の家です。普通の家なら「そうそう、あそこにおとうさんの別荘があったじゃない。」くらいの話なのでしょうが、なんといっても「火宅の人」のご一家なわけですからね、どうしても「そういうもんか!?」が浮かんでしまうのですが、そこから、犬だけじゃなくて人間もお好きな檀晴子さんの「スロー・ライフ」が始まったというわけでした。 で、ここから始まるお料理の話も、なるほど「檀流クッキング」だなと実感させていただけるわけでした。ぼくなんかが、料理の本文章について、あれこれ言うのは気が引けますが、それぞれのレシピの前振りというか、枕がいいんです。りんごのジュレ秋の陽をぷるるんと小瓶に閉じ込めて 始めてりんごを見たのは、3歳か4歳の頃。それは突然、手品のように私の手の中にありました。「お嬢ちゃん、プレゼントをどうぞ。メリークリスマス」 頭の上の方から声がして、見上げると三角帽子をかぶった知らないおじさんがニコニコ笑ってしました。 銀座の大通りを歩いていた時だったとのちに母が話していました。戦後間もない頃です。街に昔の賑わいが戻ってきていると聞いて嬉しくて確かめたくて、クリスマスイヴの夜、幼い私を連れて大通りを端から端まで歩いたのだと言っていました。 歩道に夜店が並んでいたのをぼんやりと覚えています。(中略)あの日の真っ赤な小さなりんごは、多分紅玉だったと思います。明治のはじめアメリカから日本に入ってきて、秋になると国光と一緒に店に並ぶポピュラーなりんごとして親しまれていました。丸ごとカリっと齧ると、甘くて酸っぱくて爽やかな香りが口いっぱいに広がります。大好きなりんごですが、消費者が酸味より甘さを求めるようになり新しい品種に押されて店に並ぶことが次第に少なくなり、最近は頑張って探さないと手に入らなくなっています。でもお菓子を作るにはその甘酸っぱさこそが魅力。紅玉でなければアップルパイは作らないというパティシエもいます。 私は紅玉でジュレを作ります。ジュレはゼリーのフランス語読み。果汁や肉汁をゼラチンや寒天でプルプルに固めたものを言いますが、ゼラチンや寒天を使わず果汁と砂糖だけで作るジャムを私はジュレと呼んでいます。(P117~P118) いかがですか、レシピがこんなふうに始まるのです。お読みになって納得されると思いますが、料理をするとかしないとかとかかわりなく、しみじみと伝わってくるもの檀晴子さんの文章にはありますね。まあ、年齢がなせる業という面もあるのかもしれませんが、言うまでもなく文章には文句ありません。読ませますね。お料理の本というのは、なんとなく楽しいもので、時々手にすることはありますが、この本は格別です。チッチキ夫人が枕元に置いて楽しんでいる理由が、なんとなくわかりますね。我が家でも、紅玉を探してジャムにするのが、毎年の、この季節の定番ですが、このレシピを読んで、してやったりと思ったかもしれませんね。今度はジュレとかいいそうで、ちょっと楽しみですね(笑)。いやはや、やっぱり、檀流おそるべし!でした(笑)。
2022.12.10
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檀一雄「檀流クッキング」(中公文庫)・檀太郎「新・檀流クッキング」(集英社文庫) 「100days100bookvoters」と題して、学生時代のからの友人と、コロナ最盛期(今でもかな?)流行った「ブックカバーチャレンジ」という、本の紹介ごっこをして楽しんでいます。1冊目が2020年の5月に始まって、2022年の10月の末で紹介された本が90冊に到達しましたが、90冊目の紹介が檀ふみという女優さんが、お父さんのことを書いた「父の縁側、私の書斎」(新潮社)というエッセイ集でした。 で、マア、名を成した作家の娘が父のことを書くというパターンについて、フェイスブックのコメント欄で、あれこれ、ワイワイ言いながら、この二冊の本を思い出して、探したところ出てきました。 で、1冊目が檀一雄自身のお料理エッセイで、サンケイ新聞に連載していたのが本になって、その後、文庫になった「檀流クッキング」(中公文庫)です。 2冊目が檀太郎という人の「新・檀流クッキング」(集英社文庫)です。檀太郎は、檀一雄の長男です。女優の檀ふみの兄さんですね。 今となっては、2冊とも古本屋さんの棚をさがすほかない本かもしれませんが、わが家の棚には生き残っていました。 早速ページを繰ってみました。本家の檀流クッキングはこんな感じです。ショッツル鍋 そろそろ、なべ物の好季節がやってきた。 秋のモミジの色づく頃に、土地土地の様々の流儀の鍋をつつく時、まったく日本人に生まれた仕合わせをしみじみと感じるものだ。 フグチリよし、タイチリよし、沖スキよし、北海道の石狩鍋よろしく、九州のキビナゴ鍋よろしく、水戸のアンコウ鍋も結構だ。 新潟のスケソウダラの鍋もだんだんおいしくなってくる頃だが、今回はひとつ、ショッツル鍋といこう。 ショッツル鍋というのは、秋田のショッツルで鍋の汁をつくった、味わいの深い鍋物である。 ショッツルはおそらく塩ッ汁の転訛であるに相違なく、主としてハタハタを塩して、アンチョビー化した、いわば、魚の醬油である。 秋田では、ハタハタの大量の頃、そのハタハタに塩をまぶして、自家製のショッツルを作っていたものらしい。そのショッツルを自分の口に合うような塩からさに薄めて、ホタテガイの貝の鍋に入れ、さまざまの魚や、野菜を煮込みながら鍋物にしてつつくわけである。 しみじみとおいしいものだ。 律儀に書き写しながら残念なのが「ショッツル鍋」そのものについて、ぼく自身が何にも知らないことなのですが、文章はいかにも立派な作家による昭和の新聞コラムですね。 昭和44年からサンケイ新聞紙上での連載で、本になったのが昭和45年、1970年のことで、高度経済成長の始まりの頃ですからね。檀一雄は最晩年、といっても、昭和51年、1976年、没後、読売文学賞で讃えられた「火宅の人」(新潮文庫上・下)を書き上げて、63歳という、今考えれば、とても若くしてなくなっているわけですが、その、まあ、多分、今読んでもきっと問題作であろう、だって「火宅」ですからね、と同時に文壇随一の料理人として、お家でつくる「お料理エッセイ」で人気を博していたというのが面白いですね。 で、その後、「檀流」は受け継がれていて、まずは長男の檀太郎さんですが、彼の「新・檀流クッキング」(集英社文庫)に、同じくショッツル鍋のページがありますから、ちょっと引用しますね。ショッツル鍋 寒さ吹っ飛ぶ 秋田名物ハタハタ料理 先日友人から、金沢の市場から直送されて来たばかりのハタハタをいただいた。それは見事なハタハタで、姿はプリプリしていて、いかにもショッツルにしてくださいというような風情であった。 ハタハタ、ショッツル鍋といえば、父も僕も大好物で、肌寒い季節になると、「今日はショッツル鍋にします。タロー、ショッツルを買って来なさい。」「ハーイッ」(新・檀流クッキングP27) あのー。すごいですね。何がって、お父さん、当時、「火宅の人」を書いていらっしゃる最中で、息子さん、「ハーイ」なんですから。思いません?「すごいなあ!」って。 そういえば、津島佑子という、太宰治のお嬢さんが「山猿記」という、母方の祖父の家をモデルにした作品を書いていらっしゃって、そこに登場する太宰は、とてもいい人なのですよね。マア、ほかの人の奥さんと心中しちゃうんですけど(笑)。 マア、そんなことを考えながらこの本を読む人はあんまりいないかもしれませんね。こちらの本は、文庫ですがビジュアル・ブックの趣で、ページがみんな写真版です。昭和58年ですから、1983年の文庫化ですね。 檀流クッキングの系譜は、檀太郎さんが、「読んで見る」料理本としてたくさん出しておられて、続くのですが、系譜の継承者として、最近も頑張っておられて、なおかつ、文章が素晴らしいのが、実は、檀晴子さんなのですね。太郎さんのお嫁さんです。つい最近も、「檀流 スローライフ・クッキング」(集英社)という本をお出しになっていて、これが素晴らしいですね。今日はとりあえず表紙だけ案内して、内容はまた後日ということで、今日のブック・カバーの番外編は終わりますね。いやはや、檀流クッキング、おそるべしでした(笑)。
2022.12.06
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100days100bookcovers no57( 57日目) 辰巳芳子『あなたのために いのちを支えるスープ』(文化出版局) みなさんのお薦めの3冊の写真集は、それぞれの写真も秀逸でしたが、「写真家の文章」にも開眼の機会となりました。そしてshimakumaさんお薦めの「ゲージツ家の小説」にも驚かされました。タレントとして認識していた篠原勝之さん(クマさん)の「骨風」は、ゴジラ老人を涙させてしまうほどです。時間ができたら読みたいです。 さて、いろいろと思いをめぐらせ、写真家とかゲージツ家の文章に類するものは何かあったかな、と思って見の周りを探してみました。そうしたらこの本がありました。 辰巳芳子『あなたのために いのちを支えるスープ』(文化出版局) まずは表紙に心をつかまれます。買った時も著者が辰巳芳子さんだったこと、「いのちのスープ」の作り方を丁寧に紹介していることなども魅力的だったのは間違いないです。しかし改めて本を手に取ると、表表紙と裏表紙に使われているこの作品(ベルリンのバウハウスで出会った作品)は、スープと同じく図式化できているということで、共感したと述べています。 色は食材、並列は技法。それらのおのずからなる融合の美は、味というものの行き着くところと結びついた。 と。 あ、文章から横道に反れてしまいました。それほど表紙にも力があるということですね。私は当時「いのちのスープ」に共感し、辰巳芳子さんの本を何冊か買って読んでいました。料理研究家、随筆家で、NPO「大豆100粒運動を支える会」、NPO「良い食材を伝える会」、「確かな味を造る会」会長など、家庭料理の大切さ、安全で良質な食材を次世代に残したいという活動を続けています。染織家、随筆家の志村ふくみさんとも重なりますね。それぞれ母親から道を継ぎ、それを究めようと研鑽を積んだものだけが到達できる揺るぎない思想、実践の域におられます。 今まで生き方(哲学)と料理に気を取られ、文章そのものに注目できていなかったかもしれない…。みなさんのおかげで今日はじっくりと読み返す機会をもつことができました。 作るべきようにして作られたつゆものは、一口飲んで、肩がほぐれるようにほっとするものです。滋養欠乏の限界状態で摂れば、一瞬にして総身にしみわたるかに感じられるそうです。この呼応作用は、いつの日にか解明されますでしょう。 こう書いているのは、言語障害を伴う半身不随の病苦に苦しむ父への介護の実体験があったからです。ここで表紙と関連する「図式」をもう一度考えてみたいと思います。 父に作ったまずまずの処方と、加藤先生の手法を敷衍増幅したものは、いつしか分類せずにはおれぬほどの点数になりました。分量は分類を招く道理で、いつしか、スープの図式が頭の中で形になりました。 そのような図式ができたからこそ、読者に命のスープを作る法則が伝授されるのです。この図式は『あなたのために』というタイトルがつけられた理由も示しています。特にいのちの終わりを安らかにゆかしめるために、日本の病院食でこの本が貢献されること、母親が離乳食としてスープを作り、子どもの発達を守れること、学童や中高生の給食に安全で美味しいみそ汁を提供すること、家庭の愛と平和を守り育てることなどの願いが込められています。 辰巳芳子さんがスープの湯気の向こうに見る実存的使命は、近代資本主義に抗する風前の灯のようでもあります。しかし、辰巳さんの無限の愛はこの本の至るところにあり、読者自身とその大切な人のために「いのちを支えるスープ」を差し出してくれるのです。『あなたのために』というタイトルの意味が、ようやく今分かったような気がします。 せっかくですからスープと文章ももう少し紹介しましょう。早春 よもぎの白玉だんごの白みそ仕立て(詳細は割愛、ポイントだけ抜き出します。) 白玉粉は常備し、生麩、餅類のかわりになにかと使えば、経済的で愛らしく、心からおすすめの一椀である。 ここではみそ(白みそ8、赤みそ2の割合)、一番出汁(天然昆布とかつお削り節」(ちなみに出汁は「ひく」という。) みそを選ぶ場合の心得(これは本文のまま。ただし一部です。) 何より、日本大豆使用を選んでほしい。遺伝子組替え、ポストハーベストは、時の経過の中でしか本当の結論は出せない。皆さまの見識により、日本大豆使用のみそを買い支え、日本大豆の復権をつくり出しましょう。ガンジーは綿の種子を播き、綿糸の復権を足場にインドの独立を果たしたではないか。 水のこと(これも本文のまま。やはり一部です。) 水は、天地、火、風と同一の次元にあって、始めもなく、終わりもない御者の掌中に属する。(中略) 達人の作る汁もの、スープも水を超えることはできない。しかし水に準ずる“お養い”であるところに、汁ものを作り、すすめる意味があると思う。また、水に準じたものを作らねばならぬ意味もある。 ヴィトゲンシュタインは、哲学を、浮力に逆らって水中深く進みゆく潜水にたとえた。永井均は浮力に素直に従うためにもまた、長期にわたる哲学的努力が必要であることを、ヴィトゲンシュタインから逆説的に学んだと謙虚に書いている。 汁ものを水に準じて、生涯作りつづける力は、この両方をわが身に念ずることから、身につくと思う。 この100days100bookcoversに声をかけていただいたのも辰巳さんの本がご縁になりました。辰巳芳子さんの母である辰巳浜子さんの文章も素晴らしいと、shimakumaさんに勧めてもらいながらまだ読めていません。残念ながらスープを実際に料理するという試みも、無精のためちゃんと実現していません(あ、料理は好きですからよく作っていますが、いのちのスープの域には素材選びから簡単にはできなかったのです)。しかし、この本に出会ったことは幸せなことです。いつかは納得するスープが作れるかな~? では、SODEOKAさん、よろしくお願いいたします。YAMAMOTO・2020・12・25追記2024・03・26 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目)) (61日目~70日目) (71日~80日目)のかたちまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2021.08.11
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100days100bookcovers no42 42日目大川 渉・平岡海人・宮前 栄『下町酒場巡礼』(四谷ラウンド) 40日目、DEGUTIさんが『謎の女 幽蘭 -古本屋「芳雅堂」の探索帳よりー』(出久根達郎)を紹介。東京杉並区内の古本屋を舞台に本荘幽蘭という謎の女を探る話が興味深く、私も本を借りて一気に読了。 41日目、SIMAKUMAさんが「月島」をキーワードに『成城だより』(大岡昇平)をピックアップ、大岡昇平の自伝的な作品を選ばれました。――私はそのような卑しい母から生まれたことを情けなく思った。暮れかかる月島の町工場の並ぶ埃っぽい通りを、涙をぽたぽたたれ流しながら歩いている、小学生の帽子をかぶった自分の姿は、いま思い出しても悲しくなる。――(「成城だより」) ひとしきり月島や佃の昔ながらの風景をみんなで語った後、「人それぞれに『そういうこと』が好き、っていうことがある」というKOBAYASI君のコメントから、文学や文学の周縁の話になりました。本格的に文学を追究されるSIMAKUMAさん、エンタメが好きなSODEOKAさん(エンタメだけではありませんが)、KOBAYASI君もDEGUTIさんもそれぞれ自分の好きな作家や作品の世界を大事にし、楽しんでいる。 文学って懐が深く、芸能や映画、自然科学から社会科学も、時には迷走している政治まで絡んでいる。だって対象が人間なんですから。本当に、個々人それぞれの好みや方向性があるのだけれど、わたしの「なんちゃってブンガク」 もありなのかも?なんて思ってしまいました。 ちょうどそんなやり取りがFBでなされていた期間、私は「文藝春秋」で今回の芥川賞をお風呂で読みながら(なんと失礼な!?)、別役実の『けものづくし』と出久根達郎の『謎の女 幽蘭』、ブレイディみかこの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(これは図書館で予約したけど全然回ってこないので、ついに購入)を読んでいました。そして、同時進行で夜寝る前に読んでいた のが、『下町酒場巡礼』だったんです。前のお二人が紹介された作品世界に繋がっているのでは、ということで、これに決まり! 古本屋(姫路の「書肆風羅堂」)で少し前に購入したもの。発行は1998年でそんなに古くないけれど、紹介されている下町酒場はぐっと歴史を感じさせる。まず冒頭の「はじめに」から、下町酒場の虜になった著者のことばを紹介します。――暖簾をくぐるのは、盛り場のはずれ、商店街の一角や路地でぽつんと赤ちょうちんを灯す小さな店がほとんどだ。人々がほろ苦い愛情を込めて場末と呼ぶ、裏通りの古い酒場である。…あえて今、時代遅れの酒場に出かけているのは、懐かしい場に身をおいて一献傾けたいからである。ところが、最近、こうした古い酒場が後継者難などの理由で次々と店仕舞いしている。―― 表紙の写真は「下町酒場」を代表する台東区日本堤にある「大林」。吉原のすぐ近くで、山谷の中心の泪橋交差点も目と鼻の先。この写真にわたしは一目ぼれしてしまいました。――店に一歩踏み込んで受けた印象は「使い込まれた和竿」の美しさと優しさだ。店の真ん中にすっと立っている大黒柱と、この柱で二分されたコの字のカウンター。丸いすに四つほどあるテーブル。どれもこれも年月を経て角が丸みを帯び、くすんだ色彩を放つが、磨き抜かれて鈍く光っている。コンクリートの床にもちり一つ落ちておらず、店の隅々にまで手入れが行き届いている。―― DEGUTIさんと一緒におおさかの釜ヶ崎に行ったこともありますね。高層ビルが建ち並ぶ冷たい印象を受ける大都会は人肌の温かさが感じられないので、どちらかというと、なんとなくディープな町、気取らない酒場に足が向くようになりました。関西ではパルシネマしんこうえんあたり。ミナエンのライブハウスなんかいいですね。西灘の水道筋も。 今は耐震工事のためなくなった阪神元町駅周辺の地下飲み屋街の有楽名店街。これは長くその存在を知らなかったことが悔やまれます。初めて訪れたのが5年ほど前。「昭和の風情が残るレトロな街を存続させて」と望む常連客らが署名を添えて要望したが、貸主の阪神電鉄が閉鎖を決定している。名残を惜しんで数回通ったが、出会うのが遅すぎた。 東京オリンピック、大阪万博と、世界から集客するために、都合の悪い町や暮らしの一掃は加速している。昔からある河川が暗渠となり、そこに川があるのを知る人がいなくなるように、名店も人情も文化も歴史も「終焉」を迫られているようだ。私ひとりがどのようにあらがっても、何にもならないかもしれないが、このような本を手に取り、あるいは実際に足を運び、グラスを傾けながら世間話をし、余情に浸りたい。 最近のお気に入りは沖縄の栄町商店街の「モラ・カフェ」オーナーの映像作家と話をして、島尾敏雄の『死の棘』を昨年ようやく読んだところ。 文学からずいぶん距離があるかもしれないけれど、古本、懐かしいレトロな風景や昔の情緒、そして「マイワールド(今回はお酒)」ということで、このたびの選択をお許しいただけるかな? とはいえ、一応文学者も出てくるのですよ!八章ある章の初めすべての箇所に、文学者の酒にまつわる名文(銘文?迷文?)が置かれています。(言い訳っぽい?)【第一章】 煮込みには焼酎が似合う 寂しみて生けるいのちのただひとつの道づれとこそ酒をおもふに 若山牧水 華やかなネオンの灯が眩しく輝いている表通りよりも、道端の地蔵の前にろうそくや線香の火は揺れていたり、格子の嵌ったしもた家の二階の蚊帳の上に鈍い裸電球が点っているのが見えたり、時計修繕屋の仕事場のスタンドの灯が見えたりする薄暗い裏通りを、好んで歩くのだった。 織田作之助『世相』 続く文学者を挙げると以下のとおり。ますます言い訳っぽい? 山之口獏『酒友列伝』、神吉拓郎『二ノ橋 柳亭』、太宰治『親友交歓』、吉田健一『呑気話』、開高健『覚悟一つ』、瀧田ゆう『ウメ割りに虹を見た』、梅崎春生『蜆』、埴谷雄高『酒と戦後派』、山口瞳『体にわるい』 私自身が年齢を重ね、失われゆく昭和の風情に郷愁を覚えていることも『下町酒場巡礼』に魅かれる理由ですが、単なる郷愁でなく、ささやかな抵抗と主張なんです。 経済は利益を追求するだけではないはずなのに(「経世済民」ていうんですから…)、強者が勝ち残り、どんどん利益を重ねていくのに対し、弱者は社会的支援も情報も届かず命も心も削られていく、そんな社会構造はおかしいと考えます。日本に住む人は、何にために生きているんだろう。幸せに生きるのが難しい国になってしまっている。「まず自助だ」というセリフが通用してしまう世の中では、未来を目指すこどもたちにも社会で生き延びるための手段を得るのが一番大事だというメッセージになってしまう。学校の中の価値観もそれが主流になっている一面があり、悲しい。生徒に寄り添う資質を持ち合わせていない教師も少なくない。(教師がエンパシーを体験する機会を失われている)ちょっと愚痴っぽくなってしまいました。スミマセン。 お酒も食べ物も関西周辺で十分楽しめるのですが、このごろ日本各地、東京も、まだまだ知らないところがいっぱいあります。全国の下町酒場巡礼を楽しみに、元気に毎日を過ごしたいと思っています。 SODEOKAさん、いつも私の次の号で申し訳ないです。よろしくお願いします。(N・YAMAMOTO・2020・09・27) 追記2024・02・16 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目))いう形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。
2021.01.14
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阿部直美「おべんとうの時間がきらいだった」(岩波書店) このところハマっている「おべんとうの時間」のライター、阿部直美さんのエッセイですが、あちらこちらに書かれた短い文章を集めた本ではありませんでした。一冊、同じテーマで書き下ろされた(?)、いわば、私小説風、あるいは「生い立ちの記」風エッセイです。 少女時代の暮らしから始まり、高校時代のアメリカ留学体験、大学を出て働き、阿部了という写真家との出会いと結婚、子育て、そして、今や「お弁当ハンター」の異名を持つ人気ライターとしての暮らしまでがつづられています。 見ず知らず人の「お弁当」を覗いて、日本国中を旅する写真家とライターの夫婦がいます。全日空の機内誌で好評を得て、「おべんとうの時間(1~4)」(木楽舎)という単行本のシリーズも人気の仕事です。そんな仕事で、ライターを務める阿部直美さんは、実は、「おべんとうの時間」がきらいだった。 はてな、それはどいうことでしょう?というのが、人気シリーズ「おべんとうの時間」の読者が、この本を手に取る最初の動機であるという意味で、絶妙のキャッチコピーと言えるわけです。が、本当にきらいだったことが、お読みになればわかります。「ここに座れ」「まっすぐ俺の目を見ろ」 晩酌を始めた父の前に正座させられて、「貴様は最低だ」といつものパターンが始まった。その怒りを引きずった食卓で、味のしない夕飯を食べるはめになった。 この半自伝的エッセイで、最もキャラの立った人物は父マサユキさんです。彼をめぐる「恐るべき」エピソードの多さももちろんですが、上にあげた父親の描写は、実は、繰り返し登場します。 こういうタイプの父親に育てられた経験のある方なら、きっとわかると思うのですが、阿部直美さんにとって「ここに座れ」は、もう、トラウマといっていい言葉であり、それと一緒に思い出される「家族の食事」の風景は、ひいては「家族」そのものが思い出したくない「思い出」の最たるものだったに違いないのです。だから「家族」を思い起こさせる「お弁当」もまた、おなじトラウマの圏域にあったものだったに違いありません。 そんな、直美さんが「おべんとう」と、それを食べる人に興味を持って写真を撮り始めた写真家、阿部了さんの仕事を手伝うようになって変わっていきます。 それが、本書の第Ⅲ部「夫と娘」の章段の鍵ではないでしょうか。二人の間に生まれた「ヨウちゃん」の子育ての体験も苦労の連続なのですが、「家族」をつくり始めた直美さんの「おべんとう」を見る眼は変わっていきます。 最後の章段「父の弁当」で、父マサユキさんの死にさいして、父親が好きだった「おべんとう」の姿が、語られます。 その筆致にはトラウマを超えた娘の、アトピーで苦しむ娘を育てた母親の、人様の「おべんとう」の話を聞き続け、「家族」とは何かと考え続けている一人のライターの「愛」を感じるのは僕だけでしょうか。 なんだか、大げさに持ち上げましたが、「おべんとうの時間」の写真家、阿部了さんが人様のお弁当を相手に1時間も2時間もかけて写真を撮っているという、制作裏話には笑ってしまいました。 面白いう本というのは、そう簡単にできるものではないのですね。イヤ、納得しました。
2020.12.17
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阿部了・阿部直美「おべんとうの時間 4」(木楽社) いよいよ第4巻までたどり着きました。「おべんとうの時間」です。本当は第3巻のあと、すぐに第4巻を読んだのですが、図書館で借りだしていると、第1巻とか第2巻には予約が重なって、早く返せとうるさいので、先に案内を書いたというわけです 相変わらず、いろんなところに出かける阿部一族ですが、今回の表紙は秋田県潟上市の小玉醸造という会社で、味噌・醤油製造担当のお兄さん、門間裕隆さんの「おべんとう」です。 朝5時に起きて、まず米を研いで炊飯器のスイッチを入れます。それくらいは、まあ自分で。弁当は、母につくってもらいます。 もう「いい人」間違いなしという方ですね。もしも、この案内を読んでくれる人の中に、朝5時に起きて米を研いで炊飯器にのスイッチを入れたことのある方がいらっしゃるなら、是非コメントをいただきたいものです。 ご飯が好きなんですよ。朝はご飯と味噌汁、納豆、牛乳を1本。牛乳は、背が伸びるようにって子供の時からの習慣です。 昼は弁当。夜は、大平山を飲みながら、ご飯と味噌汁をつまみにする感じです。味噌汁は、アザミなんかの山菜の汁や、竹の子汁がいいですね。好きなのは肉かな。嫌いなのは、ミョウガです。 子どものままです。純真無垢、間違いありません。そんな門間さんが仕事についてこういっています。 今日の午前中は味噌の仕込みでした。結構好きなんです。筋トレと思ってやるといいんです。この辺りの筋肉を使っているなと意識すると、楽しめる。逆に、筋トレと思わないとシンドイです。ひたすらスコップで米麹を掬って、コンベヤーに載せる作業なんで、今日は2~3トンですかね。 普段は醤油の火入れを担当することが多いです。熟成したもろみを搾ったものを、85度くらいまで温度を上げます。発酵を止めて、香ばしい香りをつけるためです。火入れの時はいい香りがして、それだけでご飯が食べられますよ。 こういう方が、作っている醸造所の醤油や味噌はおいしいでしょうね。ホント、心からそう思います。 下の、食事の写真を見てもわかると思いませんか。正座ですよ、正座! 「おべんとうの時間」というこのシリーズを1巻から4巻まで読んできました。で、ぼくが、この本のどいうところを気に入っているのか、人様のお弁当を覗いて何がうれしいのか、つらつら考えてみると、一つ気付いたことがあります。 登場人物の方のしゃべりが面白いとか、お仕事が面白いとか、いろいろな地方のローカルな空気を感じるとか、そういうこともあります。 でも、そいうことについて、確かに、このシリーズは俊逸だと思っているのですが、他のいろんな本の中でも、似たような面白さに出会ってきたように思うのです。 で、このシリーズを読みながら、ぼくが生まれて初めてしていることがあることに気付いたのです。 それは、見ず知らずの人の「立ち姿」をしげしげと眺めるということです。ここに写っている人たちはただの生活者ですから、被写体としては素人です。その素人さんたちが、なんとか自然に写ろうと努力している姿が、実に面白いのです。 で、そこに、映し出されているのは何なのでしょうね。 第4巻で、一番印象に残った立ち姿がこの方です。沖縄県の「母子未来センター」という助産施設で助産師をなさっている桑江喜代子さんです。 印象に残った理由ははっきりしています。このポーズは、ぼくにとって母親たちの世代の「はい!ポーズ」だったからです。 もちろん、桑江さんは、母どころかぼくよりもお若い方だと思います。でも、この姿には、「昭和の女たち」が持っていた、ある「かまえ」のようなものがると思いました。多分、それで、「アッ、いいな」って思ったんです。 ここには、分娩台はないんです。あれは医療者にとっては楽な高さですけど、台の上でスポットライトを浴びて息むのは、ちょっと抵抗あるわよね。 うちでは、照明を薄暗くした畳の部屋に布団を敷いて「横向きでも四つん這いでも、好きな格好でいいのよ」って言ううの。「どんな大きな声出したって、全然かまわないのよ」って。 私が子どもの頃はまだ自宅出産でね、弟が生まれる時、階段に座ってじっと待ってたの。産声が聞こえてすごくうれしかった。 ぼくにも、自宅で妹が生まれた時の似た体験があります。こういうお話を聞くと桑江さんの「お仕事」や「世界」に対する「かまえ」がどこから来たのか、ちょっとわかるような気がします。 さて、次は5巻です。未刊ですが、なんだか待ちどおしいですね。ああ、第1巻、第2巻、第3巻の感想はこちらからどうぞ。 それではサヨウナラ。第5巻出版までごきげんよう。追記2022・05・14 第5巻はまだ出版されていませんが、レイアウトの修繕でお出会いしています。久しぶりにFBに再投稿して、感想をいただいた中に「『生活感たっぷりなリアリィティ―』があるお弁当」という言葉が書かれていて、ハッとしました。「お弁当」は、子どもだったら学校で、大人たちは仕事先で食べるものだったんですよね。駅弁や行楽用の重箱のお弁当が楽しいのは、それが特別誂えだからです。でも、このシリーズは学校や仕事場で蓋をとったときの楽しさを撮っていて、そこに「生活」という当たり前が写っている安心が、ぼくは好きなのでしょうね。にほんブログ村にほんブログ村
2020.09.23
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阿部了・阿部直美「おべんとうの時間(2)」(木楽社) 「おべんとうの時間(2)」(木楽舎)の表紙の女性は熊本県の山の中の村で働いている村田佐代子さんです。愛林館「村づくりスタッフ」という肩書がついていますが、看護師になってほしかった看護師の母親の希望を振り切って、山の仕事を職業に選んだ方です。「愛林館」との出会いは、高校2年生の夏です。ここが主催する自然林の下草を刈るボランティアに参加しました。実は内心ビビってて1泊で帰るつもりが、参加者が面白い人ばっかりで3泊したんです。夜大人たちはお酒を飲んで、民族楽器を叩くんですよ。いろんな生き方があるんだなあって、思いました。 わたしは山の仕事の時から弁当作ってますけど、ご飯とおかず1品とかですかね。今日は、頑張っちゃいました。クレソンの胡麻和えは、よくやるんです。この辺は店がないから、一品持ち寄りで宴会するんですけど、「棚田で摘んできたよ」って言うと喜ばれて、私の料理無精もバレないのがいいんです。 若い人が自分で作った「おべんとう」を食べながら、なんというか、なんか、座り込んでこの本を読んでいる、まあ、老人のシマクマ君も元気が出そうな生き方をしておられるのがうれしいですね。 でも、もっと元気が出そうなのがこの方々の生き方です。 秋田県山本郡三種町で「じゅんさい採り」をしていらっしゃる袴田フチエさんと、そのお仲間です。池の上に、小さな箱舟を出して、水の中のじゅんさいをえり分けて摘むのだそうです。上の写真は、本書の巻頭を飾る写真ですが、お弁当とポートレートはこんな感じです。 田舎育ちのシマクマ君には懐かしい「いでたち」ですね。おべんとうの筍の煮物がうまそうです。 ところで「じゅんさい」ってご存知ですか?お吸い物でいただいたことのある、これですね。 安藤食品 ちゅるちゅるッとした葉っぱですね。秋田県の三種町の名産品のようです。安藤食品という会社のホームページに収穫の様子とか載っていましたから、貼ってみました。ああ、こんなふうに収穫する作物もあるのだなあと驚きました。 安藤食品 ところで、この「おべんとうの時間(2)」読んでいて、「アッ、やっぱり、ここにも行ったんだ」と思ったのがこの写真でした。 岩手県宮古市田老というところです。この本は2012年4月の発行ですから、阿部さんたちが取材したのは東北の震災のあった2011年の秋でしょうか。 理容タカハシ常雲寺前店のプレハブ店舗の前に立っていらっしゃるのは理容師高橋勝さんです。「おべんとう」は大きめの海苔巻きおにぎりです。 おにぎりを2個持ってきて、お客さんがいない時に隅っこの定位置に座って食べるんです。職人っていうのは、皆そうだと思うけど早いよ。あっという間。喉つまりしないように、湯を飲みながらね。白湯でいいんです。 3月11日の地震の時、お客さんはいたんです。ちょうどやり終わって、椅子を起こそうって時だったんです。すぐ逃げてくださいって帰ってもらって、女房を高台のお寺さんまで連れて行きました。私は消防団員ですから、まず水門を閉めて、その後ポンプ車で小学校へ行きました。 この一帯1000軒くらい建ってたと思います。何もかもが流された場所に戻って店やるなんて、馬鹿だなあってひとは思ったかもしれません。うちのは、反対だったんです。相談した6月は、まだ余震が凄かったしね。でも、この場所だったらすぐ裏が高台だし、20数年消防団員やってるし、何かあったらとにかくお客さんと自分の命は守るからって説得して、8月にプレハブを建てたんです。いま女房がやってる場所だって同じ田老なんだけど、なんかね、生まれ育ったここの空気を吸いたかったのかな。流されなかった高台の人たちが、宮古市街まで行って髪を切ってるって聞いてね、だったら俺が戻ろうって。 被災して、初めて、職人しててよかったなあって感じました。親に感謝ですよ。だって、親がやってなかったら、絶対にやらなかったもの。 散髪屋さんだった家に生まれて、親の仕事を仕方なく継いで、結婚して夫婦で働いて、大きな津波に何もかも流されて、津波の最中にも町の消防団でみんなの生活と命の世話をして、仮設住宅で暮らしながら、なにもなくなった町にプレハブのお店を出して、流されなかった近所の人たちが遠くまで行かなくても「頭はおれが刈ってやるよ。」って、また元の場所で仕事を始めた人が、「職人しててよかった。」とつぶやきながら、お店の隅で、大きな握り飯を頬張り白湯で流し込んでいます。 そういう「生き方」もあるということを伝えてくれるこの本は、やはり、すごいと思うのですが、いかがでしょう。 「おべんとうのじかん(2)」でした。「おべんとうの時間」(1)・(3)・(4)はここをクリックしてみてください。追記2022・05・12 ふと思いついて「おべんとうの時間(1)~(4)」の投稿記事を修繕していますが、やっぱりお弁当って、なんかありますね。若いお母さんがたが、それぞれの子供さんたちに作っていらっしゃるのを見ても、立ったまま食べられるからといって、大きな海苔巻きの写真があったりするのを見ても、なんか、心が微妙な動き方をするのです。これは、なんなんでしょうね。「お弁当」を食べるって、なんか、人は一人だけで生きているんじゃないってことを、教えてくれるところがあるのかもしれませんね。 まあ、一人で握り飯を握ってお弁当にしている人も、きっといるわけで、一概にはいえませんが、なんか、そういう意味を感じます。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.09.10
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阿部了・阿部直美「おべんとうの時間」(木楽社) 「おべんとうの時間」(木楽舎)の創刊号です。某所座り込みノンビリ読書のネタは尽きません。 表紙の写真の女性は千葉県安房郡の海女、里見幸子さんです。千葉県安房郡で里見さんです。なんかちょっとドキドキしませんか?はい、「里見八犬伝」の里ですね。 で、これが海女の里見さんのおひるごはんです。今日、私が持ってきたのは、カボチャの煮物です。それ以外は、他の人が持ってきてくれたの。魚はさっきここの火で焼いたばっかだし、トウモロコシも海水で茹でたばっか。美味しいよ、火があるっていいよね。 海女をやってどれくらいになるんだろ。あの頃、娘たちはまだ幼稚園に行ってたから27年くらいか。子どもがいて、外に働きに出られないわけでしょ。暇だし、海が好きだから潜ってたの。そしたら、はまったんだよね。 昔はさ、海の口が開いたって言ったんだけど、年に数回ある大潮の時は、小学校も休みだった。天草(てんぐさ)を採る日ってこと。子どもたちは、みんなして近所の海に入って天草採り。組合に持ってくとお金くれたから、頑張ったよね。次の日、校長先生が、「みんないっぱい採れましたか?」って、聞いてたっけ。子どもの頃ね、母が帰ってくると「かあちゃん、かあちゃん、弁当箱ちょうだい」って言ったの。「ほらよ」ってくれた弁当箱の中に、焼いたサザエが入ってた。海女小屋で焼いたんだよね。なんか嬉しかったの覚えてる。でもね、あの頃、私が海女小屋に行くと怒られたの。ここは子どもの来る場所じゃないって。今はそれがわかる。小屋はひとつの社会で、私も先輩たちから、いろいろ教わってここまできたから。 磯の鮑は天で採る。昔、おばあちゃんが言ってたの。空が照ってれば、海の中が見えるから鮑がとれるってことなんだけど、もう昔みたいには採れない。海に鮑がいないんだから。 申し訳ないのですが適当に抜粋して引用しました。阿部直美さんの、こういう記事をノンビリ座りこんで読みながら、宮本常一という、この国の山中や海辺、ありとあらゆる場所を歩きまわって、そこで普通に暮らしている人の話を記録した民俗学者がいたこと思い出しました。 子連れの阿部さんご夫婦が、東京の真ん中から北海道や沖縄まで出かけていって、「おべんとう」の姿と食べている人の「ことば」を記録して、こうして本にしているこの仕事は、ちょっと宮本常一の仕事と似ていると思いました。 そんなことをぼんやり考えていると、こんな写真に出くわしました。 「鼓童」太鼓プレーヤーの砂畑好江さんです。 東京から佐渡に来て、10年がたちました。高校3年生の冬、みんなが受験勉強で必死になっていた時に、大荒れの海を渡って、廃校になったさむーい校舎で1泊2日の試験を受けた日のこと、忘れられないです。合格してから2年間、その木造校舎で鼓童の研修生として過ごしました。 佐渡の「鬼太鼓座」は宮本常一とかかわりの深い芸能集団だったと思いますが、「鼓童」は、その血脈の一つではなかったでしょうか。 夫婦で一緒にお弁当を食べる時間は、ありそうであまりないんですよ。今年は、お互いのスケジュールが合わなくて、こうやって一緒に過ごせるのも、彼が2ケ月間のヨーロッパ・ツアーから帰ってきて以来です。 11月には、私がイギリス人ダンサー・振付家アクラム・カーンの公演に太鼓や唄で参加する予定なので、また離れ離れになります。今回、初めて鼓童という集団を離れて、ひとりでイギリスに行きます。新たなチャレンジですね。 「某所」に座り込みながら、阿部さん夫婦の仕事が、宮本常一の仕事を再発見していて、日本海の孤島「佐渡が島」で生まれた文化が、東京の少女を呼び寄せ、世界と直接つながっていることを伝えていることに唸りながら、砂畑さんご夫婦が一緒に食べている「おべんとう」の「このフライはなんのフライだろう?」とか覗き込んでしまうのでした。 ホント、場所柄も何もあったものじゃないですね。それでは「おべんとうの時間2」・「おべんとうの時間4」・「おべんとうの時間3」はここをクリックしてくださいね。追記2022・05・12 FBの投稿とかに、毎日のお弁当を載せていらっしゃるお友達がいます。我が家では、今となっては昔の思い出なのですが、そういう投稿を見ると、毎日お弁当を持って出かける暮らしの様子が浮かんできて、ホッとするというか、懐かしいというか。お弁当の写真は、普通の食事の写真と、どこか違いますね。のぞき込んで見えてくるものの中に凝縮されているものがあるからでしょうかね(笑)。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.09.09
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阿部了・阿部直美「おべんとうの時間3」(木楽社) 近頃気に入って、ボンヤリお座りするときに持ち込んで読んでいます。第3巻なのですが、第1巻から読み始めたわけではありません。 この国の、あっちこっちの、働く男の人や女の人、子供の「おべんとう」もあります。文章を書いている阿部直美さんがおっしゃるには「普通の人の普通の弁当」のルポルタージュです。 本の最初には日本地図が乗っていて、「おべんとう」を見せてもらった人の名前が地図に書き込んであります。文章は阿部直美さん、写真は阿部了さんという分担らしいのですが、お二人の関係はわかりません。多分、御夫婦なんでしょうね。 全日空の機内誌に連載されたのが、始まりだそうですが、第4巻まで出ています 表紙の写真は小笠原の母島の小学校、中学校兼任の家庭科の先生です。小笠原諸島は船で二十何時間かかるそうですが、東京都です。彼女は東京都に採用された教員で、初任地が母島で、やってきて4年目だそうです。 これがお弁当です。デザートがパッションフルーツなところが南の島です。当たり前ですが、あとは普通ですね。 こっちの写真は、球磨川の渡し船の船頭さんです。お年は85歳だそうです。船の名前は楮木丸、かじき丸と読むようです。お名前は求广川八郎さん。苗字は「くまがわ」とお読みするそうです。 今年の夏ほど、長ーく渡しばせんことなかったですもんなあ。 雨が降って降って、そりゃまあ、ひどかじゃった。1か月ちゅうもん、大水が引かんでな、小屋のすぐ下、石段の2段さがったとこまで水が来ておりましたわ。 わしのいる楮木(かじき)地区から奥に6キロほど山道を行きますとな、川島ちゅう地区がありますたい。川島の子らを、これまで何十人も渡したな。球磨川を挟んだ向こう岸に、JRの瀬戸石駅があっとです。高等学校に通う子どもらは、自宅から渡し場まで自転車で来寄ったり、父さん母さんに車で送ってもろうてな、わしが渡して、電車で人吉や八代に通っとです。 今年は1年生の男の子ば1人ですたい。なんや2年生になると、単車の免許がとれるちゅうことで、自分で瀬戸石ダムの脇を通って駅に行くとです。あの子も、来年は単車ば乗るでしょうな。わしも85歳になりますけん、いつまでできますかなあ。 毎朝起きるんは、4時半ですたい。ばあさんの弁当持って歩いて小屋に来ます。男の子は6時14分の人吉行きに乗りますけん、その前に準備ばしとっとです。来たらすぐ渡してやるように、舟で待っとります。その後、小屋で朝ご飯の弁当を食べますたい。 8時45分の電車を送った後、昼の弁当を取りに家に戻ります。うちのは足が悪かもんですけんな、わしがとりに行くとです。 お好きなおかずはラッキョウだそうです。入ってますね。これが朝の「おべんとう」か、お昼の「おべんとう」か、そのあたりはわかりませんが、夜は球磨焼酎で晩酌だそうです。 阿部直美さんの文章化の腕がさえているんでしょうね。たとえば、このおじいさんの語りには「ほろり」とさせられっぱなしです。若い頃の話とか、他にもいろいろ語っていらっしゃるのが面白いのですが、取材されたのは5年以上も前です。 そういえば、球磨川では、今年、2020年の6月にも大水で大きな被害が出ているとニュースになっています。このおじいさん夫婦、大丈夫でしょうか。お年も、90歳を超えられているでしょうし・・・。 ボンヤリ座り込んで読みながら、そういうことが気にかかりはじめる本です。危うく、何をしにここに来たのか忘れそうになります。 次は「おべんとうの時間4」を予約しました。追記2020・09・08「おべんとうの時間 1 」はここをクリックしてください。 追記2022・05・13読んでから2年経ちました。新しい巻が出ているのでしょうか?とりあえず読んで案内を描いたのが1巻から4巻までです。まあ、そっちの方ものぞいてやってくださいね。「おべんとうの時間2」・「おべんとうの時間4」はここをクリックしてください。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.08.01
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