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オタール・イオセリアーニ「蝶採り」シネ・リーブル神戸 オタール・イオセリアーニの特集に通っています。今日は「蝶採り」、1992年の作品だそうです。 フランスの古い城館で余生を過ごす2人の老婦人が主人公でした。なんともいえない、いい雰囲気のお二人で、お二人が森でピストルを撃つとか、オーケストラに楽器を持って出かけるとか、ヨーロッパが階級社会の歴史を、生活感で残していることにポカーンとしながらも、彼女たちの人生の余裕というか、広さというかを、なんとなく羨ましく思って見ていると、バブル景気の日本から、城を買いたいとビジネスマンがやって来るんですよね。 今となっては、いかにも、90年代! なのですが、無思想、無節操な金の亡者に服を着せるとこうなるというかの、異様なリアリティを漲らせながら登場します。なんというか、ジョージアからパリに来て映画を作っているヨーロッパとかの人たちには「これが日本人!」 なのだと思うと、ちょっと笑えないですね。 アジアの、だから韓国とか中国とかの、チョット歴史がらみの映画に出てくる日本人というのが、ああ、いやだなあ! と、感じるように表現されているのは、まあ、仕方がないなと思うのですが、こういう、ヨーロッパでも、どっちかというと田舎風のノンビリしたの映画に、いかにも金の亡者の姿で登場するのが「日本人!」 なのだったということを、まあ、30年ほどたってはいますが、日本の人は思い出しておく方がいいのでしょうね。 映画は解説にある通り「滅びゆく古き良き時代へのノスタルジーをにじませながら」、現代社会が捨てていきつつある何かを、一抹の寂しさを漂わせながら「シニカルに描いた」作品 でした。 経費が掛かって、世話が焼けることばかりが「老人問題」とか、「高齢化社会」とかレッテルを張って話題になるご時世です。映画がつくられてから30年以上経って、立派な老人になってしまった2023年の今、こういう作品を見ながらだから、余計にそう感じるのでしょうが、年をとった人が、その人生において、受け取って来たものが、こうして消えてゆくことに対してイオセリアーニという人のナイーブな視線 にホッとさせられる映画でした。監督イオセリアーニと二人のオバーちゃんに拍手!でした(笑)。監督 オタール・イオセリアーニ製作 マルティーヌ・マリニャック脚本 オタール・イオセリアーニ撮影 ウィリアム・ルプチャンスキー美術 エマニュエル・ド・ショビニ音楽 ニコラ・ズラビシュビリキャストナルダ・ブランシェマリ(アニエスのいとこの老婦人)アレクサンドル・チェルカソフ(公証人アンリ・ド・ランパデール)アレクサンドラ・リーベルマンマリ(アニエスの妹エレーヌ)エマニュエル・ド・ショビニ(神父)ピエレット・ポンポン・ベラッシュ(家政婦ヴァレリー)タマーラ・タラサシビリマリ(アニエス・ド・バイオネット)1992年・118分・フランス・ドイツ・イタリア合作原題「La chasse aux papillons」日本初公開 2004年6月19日2023・03・14-no040・シネ・リーブル神戸no187追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)(
2024.09.18
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カン・ジェギュ「シュリ」シネリーブル神戸 今年、2024年、李鳳宇と四方田犬彦の対談集「パッチギ! 対談編」(朝日選書)を読み直しました。その本の中に 李鳳宇は「シュリ」や「JSA」といったフィルムを次々と配給し、日本で韓国映画が大ブレイクするきっかけを作った。 という記述があって、「シュリ?JSA?どんな映画やねん?」 その2本のリバイバル上映を、何のあてもなく心待ちにし始めた途端にこのチラシです。「愛と衝撃の大傑作、再び。」「韓流の原点にして頂点」 おお―!ですね(笑)。シネ・リーブル神戸、「シュリ」4K・リバイバル上映、封切り初日、ネットで席を取って座りました。気合十分です(笑)。 もっとも、「愛と衝撃にの傑作って、なんか言葉づかい変やないか」とか、チョット茶化し気分です。見終えて、納得でした。 武闘訓練から銃撃戦、狙撃、爆弾テロ、北の工作員と南の情報部員の息詰まる死闘 一方で、疑心暗鬼の友情、偽りの純愛。 で、話を進行させるために無理やり持ち出されたかにみえる、朝鮮半島の固有種、金魚のような淡水魚、これがポイント、シュリ! 最後に、北の工作員によって叫ばれる「祖国統一万歳」の「マンセー」の響き を反芻しながら客席に釘付けでした。 1999年の韓国でこの映画がつくられたことの、歴史的な必然についてボクは理解しきれていないかもしれませんが、分断された祖国の統一を象徴する「シュリ」に込められた「愛」の「衝撃」的な激しさをエンターテインメイト映画として結実させた監督の映画的大衆性を駆使する力量に目を瞠ると同時に、歴史認識の切実さに胸打たれました。愛と衝撃というキャッチコピーで正解なのでした。拍手! 若き日のソン・ガンホをはじめ、この人知ってる! という俳優さんがふえはじめました。それも、映画の楽しさですね。 70歳を過ぎたボクが見始めたり、読み始めたりしている韓国の映画や小説ですが、「この面白さの理由は?」 と考えると、少なくとも、映画に関しては、それぞれの作品が、この映画の子供たちであることにようやく気付く迂闊さで、この映画だって、同居人によれば、テレビでは何度か放映していたようなのですが気付かないボンヤリでした。でも、まあ、次は「JSA」ですね。どこかでやってくれないかなあ。 でした(笑)。監督・脚本 カン・ジェギュ 강제규 姜帝圭撮影 キム・ソンボク編集 パク・コクチ音楽 イ・ドンジュン主題歌 キャロル・キッドキャストハン・ソッキュ(ユ・ジュンウォン韓国情報部)キム・ユンジン(イ・ミョンヒョン恋人)チェ・ミンシク(パク・ムヨン北の工作員)ソン・ガンホ(イ・ジャンギル韓国情報部)ユン・ジュサンパク・ヨンウ1999年・125分・PG12・韓国原題「쉬리」「Swiri」2024・09・13・no120・シネリーブル神戸no269追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)(
2024.09.15
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是枝裕和「幻の光」シネリーブル神戸 是枝裕和の最初の長編作品が再上映されていると知って、なにはともあれやって来ました。シネリーブル神戸です。 見た映画は「幻の光」です。1995年ですから、神戸で地震があった年に作られた作品で、宮本輝の初期の作品の映画化だそうです。 前半は阪神電車が走る尼崎の下町の風景 です。 おばあちゃんは「宿毛に帰る」と言って、小学生のゆみ子の手を振り払って行ってしまうし、大人になったばかりのゆみ子が結婚した幼馴染の夫郁夫は、子供が生まれて三カ月ほどしかたっていないある日、妻のゆみ子にどんな言葉も合図も残すこともなく、「杭瀬と大物の間の線路のカーブのところを歩いていて、警笛に振り返りもせんかった。」 と、その電車の運転手さんがいう様子で線路を歩いていたらしくて、遺体と会おうとするゆみ子に「見てもわかりませんよ。」 という姿になってしまう。 おかーちゃんが、子一人、母一人になったゆみ子のアパートに一緒に住んでくれて、子供の勇一も、ようやく幼稚園くらいまで育ったころ、子連れ同士の再婚話があって、なんと、能登に嫁ぎ直すことになって、映画に能登の風景が広がり始めました。 見ているボクは、「どうか、もう、何も起きないでいいから。」 変な話ですが、そんな、祈るような気分で、能登の海ぞいの村でのゆみ子と勇一の新しい生活を見守っています。 ゆみ子が勇一を連れて嫁ついだ先は、新しい夫の民雄も、義理の娘になった友子も、義父の喜大も、ああ、それから近所の人たちも、なんだか、普通にいい人たちで、夏から秋、秋から冬へと季節はめぐります。 暮らし始めた暗い田舎の家の中で、二階へ上がる梯子段の雑巾がけをする姿が、もともとが田舎者のボクには、とても懐かしいシーンでした。そういえば、尼崎のアパートの二階へ上る階段も、50年ほど前に、初めて神戸で暮らし始めた頃の下町の生活を彷彿とさせてくれたのですが、それぞれがゆみ子が暮らす生活をそっと描いている気がして印象に残りました。 能登の海沿いの村の暮らしの冬支度で、風よけの竹垣を編んだり、風が雪に変わる風景が、いかにも寒いのですが、美しく映し出されていきます。冬の海をめぐってドキドキするエピソードもないではありませんが、やがて春が来て、子供たちが海べりで歓声を上げるのを、縁側から見ながらゆみ子が舅の喜大に「いい陽気になりましたね」 と声をかけると「いい陽気になった」 とポツンと返事が返ってきて映画が終わりました。 何にも起きなかったことを、これほどホッとした、映画は初めてでしたね。それで、何があったんや?そう問う人もいるかもしれませんが、いえ、これが生きるということです。 と答えたくなる作品でした。傑作だと思いました。拍手! 今まで見た是枝裕和の作品にも、石段の上から眺める海の風景とか、暗い洞窟を抜けて光の中に出て行く子供たちとか、印象に残るシーンがたくさんありますが、この作品の尼崎の下町の暗い商店街、棟割長屋の階段、阪神電車の小さなプラットホーム、奥能登の支線の小さな駅舎や線路、縁側からの海の風景、馴れ馴れしく家の周りをうろつく犬、海に向かって歩く葬儀の行列、台所の窓から見える家の裏の坂道、そして、風が運んでくる雪 多分、忘れられないシーンとして、ボクの中に残るでしょうね。 それぞれのシーンがセリフも音もなままで続きます。そう思っていると、ふと、ヒグラシの声や秋の虫の声、自転車をこぐ音が静かに聞こえてきて、音があることに、なんともいえない懐かしさとともに気づきます。 どこかで、音を待ちながら静かなスクリーンを見ていた のでしょうね、最後のシーンでも「いい陽気になりましたね」の声を聴いて、ようやくホッとしたのでしょうか、見ていた老人は「尼崎の杭瀬の駅って、どんなんだったけ?」 と浮かんでこない記憶をたどりながら涙をこぼしました。 ゆみ子のお父さんの大杉連も、お母さんの木内みどりも、もう、この世の人ではありません。主役の江角マキコはじめ、今もお元気な俳優さんたちも、スクリーンに浮かぶ姿は名前を聞いて浮かべるイメージと驚くほど違います。 それぞれの人に30年ほどの年月が立ったんですね。作った人にも、出てきた人にも拍手!でした。 余計なお世話ですが、30代で、こんな作品を撮ってしまった監督のその後というのは、それはそれで、大変だったでしょうね(笑)。まあ、その後の作品も、ボクは好きですが、これが一番いい! と思いました(笑)。監督 是枝裕和原作 宮本輝脚本 荻田芳久撮影 中堀正夫編集 大島ともよ音楽 陳明章音響効果 佐々木英世キャスト江角マキコ(ゆみ子)吉野紗香(小学生のゆみ子)柏山剛毅(ゆみ子の連れ子 勇一)浅野忠信(勇一の父 郁夫)内藤剛志(友子の父 民雄)渡辺奈臣(民雄の連れ子 友子)柄本明(義父 喜大)木内みどり(ゆみ子の母 道子)大杉漣(弘)桜むつ子(漁師 とめの)赤井英和(喫茶店のマスター)市田ひろみ(初子)寺田農(刑事)1995年・110分・G・日本2024・09・08・no118・シネリーブル神戸no268追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)(
2024.09.14
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カン・ジェギュ「ボストン1947」シネリーブル神戸 予告編を見て「えっ?これは見るぞ!」 でした。理由は孫 基禎です。1936年ナチス政権下のベルリンで開催されたオリンピックのマラソンの覇者です。「前畑ガンバレ!」とか、リーフェンシュタールの記録映画とか、まあ、やたらに話題の多いオリンピックですが、「日本」の選手としてマラソンで優勝した孫 基禎という選手について、初めてその名を知ってから、よくわからないまま関心を持ち続けて60年です。見たのはカン・ジェギュ監督の「ボストン1947」です 見終えて、もちろん、納得でした。1936年のベルリン・オリンピックで走ったソン・ギジョン(孫 基禎)とナム・スンニョン(南 昇竜)、1947年のボストンマラソンで驚異の走りを見せたソ・ユンボク(徐潤福)の三人の姿を、日の丸から太極旗への歴史を背景に、実にコミカルに、且つ、手に汗握る「スポコンドラマ」として描いたエンタメ調社会派ドラマでした。 韓国では、きっとウケたでしょうね。国を奪われて「日の丸」をつけて走らなければならなかったソン・ギジョン(孫 基禎)とナム・スンニョン(南 昇竜)の二人の「太極旗」への思いを、日帝支配からの解放後の朝鮮の若きランナー、ソ・ユンボク(徐潤福)が、見ているこちらが、思わず応援したくなる奮闘ぶりで実現するという盛り上げかたは、まあ、マンガ的ではあるのですが、ゴールした瞬間、思わず拍手したくなる展開で、ハイ、よくできていましたね(笑) この青年です。 かわいいですねえ(笑)。いや、ホント、拍手!でしたよ。 ただ、見終えて、ハッとしたのは、1947という数字でした。 1945年に、植民地として支配していた大日本帝国からは解放されていたのですが、大韓民国が独立宣言するのは1948年で、1947年の、この時には朝鮮半島はソビエト軍とアメリカ軍によって分割され、それぞれ軍事統治されていた、映画の中の言葉でいえば「難民国家」だったのですね。 4・3事件をはじめとする内戦・内乱状態が始まろうとしていた、ちょうどその頃のことで、朝鮮戦争が勃発したのが1950年ですから、再びの戦争の3年前の出来事ですね。 この映画で、ソ・ユンボク(徐潤福)の表彰式でうたわれる愛国歌が蛍の光のメロディだったのですが、あの歌のメロディは李承晩の大韓民国の国歌のメロディではありませんね。登場人物たちが明るく歌うシーンとは裏腹に、あそこにも、朝鮮半島のの現代史の哀しみが流れていたのですね。 登場人物たちを、どちらかというと、明るいマンガ的キャラクターとして描くことで観客の「ガンバレコリア」という素直な共感を呼び起こしながらも、歴史を見失わない構成 はさすがですね。つかの間の平和なのですね。このカン・ジェギュという監督、ただものじゃないな!? まあ、そんなことを考えながら帰ってきて驚きました。まあ、ボクは噂しか知らないのですが、あの、伝説の傑作、「シュリ」の監督なのですね。この秋リバイバル上映されるようです。見ないわけにはいきませんね(笑)。とりあえず、三人のランナーと監督に拍手!でした。監督・製作・脚本 カン・ジェギュ製作 チャン・ウォンソク 脚本 イ・ジョンファ撮影 チェ・チャンミン美術 パク・イルヒョン編集 パク・ゴクジ音楽 イ・ドンジュンキャストハ・ジョンウ(ソン・ギジョン孫 基禎)イム・シワン(ソ・ユンボク徐潤福)ペ・ソンウ(ナム・スンニョン南 昇竜)キム・サンホ(ペク・ナムヒョン)パク・ウンビン(オクリム)2023年・108分・G・韓国原題「1947 보스톤」「Road to Boston」2024・09・06・no116・シネリーブル神戸no267追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)(
2024.09.07
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マイテ・アルベルディ「エターナルメモリー」シネリーブル神戸 予告編を見て「これは泣けるやつやな(笑)」 とか思いながら見に行きました。会場は、いつも以上に老人カップル大会で、「ウーン、みなさん仲がええんやなあ?!」 でした。 見たのはマイテ・アルベルディというチリの監督の「エターナルメモリー」です。泣けました(笑)。 少し年かさのアウグストという夫がアルツハイマーで、舞台女優の妻パウリナの献身的な介護の生活をドキュメントした美しい映画でした。二人が「いつも心にあなたがいる」という姿を生活の中のシーンとして撮ったとチラシも謳っています。それはそれで、文句をいう気はありません。ボクだって、そろそろ他人ごとではありませんし。まあ、そんな気分で眺めていました。 しかし、見始めて、すぐに、ハッとしました。あっ!あの頃の、チリの映画なんや! 1970年代のあの時の、チリ! といえば、キューバの再来を恐れたアメリカから徹底的にパージされたアジェンデ大統領が、ピノチェトによるクーデターで殺されたチリです。確か、1973年の9・11だったと思いますが、アメリカの暗躍がうわされて、暴力がまかり通った戒厳令下のチリです。 で、映画の出だしで映し出されるアルツハイマーの主人公アウグストの、あやふやな記憶のシーンは、ピノチェト政権による暴力シーンです。民衆が警棒で殴り散らされるシーンが映され、つかまった友人の喉が子どもたちの前で切り裂かれた話をアウグストが思い出します。 軍人や警察権力の暴力に怯えながら、懸命にニュースを撮り続けるジャーナリストがアウグストなのです。「おー!」 でしたね。 彼は10年以上続いたの軍事独裁政権の暴力の時代のジャーナリストだったのです。で、妻のパウリナはといえば、1980年代ようやく民主化を取り戻した新政府の文化大臣なのです。 この命がけで民主化を闘った二人という設定にこそ、このドキュメンタリィーの狙いがあるのではないでしょうか。 映画は、アルツハイマーを自覚したアウグストが、自分の人生の「記憶」の消滅を恐れますが、執拗にこだわっているのが、自分が書いた「本」についてでした。「あの本が盗まれる!」 という、あきらかに朦朧とした意識での彼の叫びは、軍事政権の真相を取材し、記録した彼自身の心の底、意識の最も深い所にある、人生をかけた自由の希求! の思いを感じさせて、やっぱり泣けましたね。 あの時代のチリを生きたものすごい人生がそこにはあるのではないでしょうか。 で、彼のその思いを最もよく理解した同伴者がパウリナですね。彼女は、病気の夫が何を焦っているのか、何にこだわっているのか、おそらく、心の底から理解していて、その心と心の出会いが語っているのはあなたはよく闘った!そして、今も、よく生きているよ!最後まで一緒に生きよう! だったんじゃないでしょうか。 まあ、ボクの思い入れですけど。二人と、監督に拍手!でした。 20世紀の終わりころから、高度経済成長の平和ボケで、歴史に関心を失いつつある所からは見えていませんが、世界のいたるところで国家的な暴力が大手を振って民衆を弾圧していたし、今も、し続けているんですよね。 世界のあちこちで映画を撮っている人たちは、それぞれの社会の歴史を振り返りながら、記憶として刻むことの大切さを意図して撮っているのではないでしょうか。たとえば、この映画でも、ボンヤリ見ていると、いつの時代にも、どこの社会にもあらまほしい、美しい夫婦愛のドキュメントのように見えるのですが、虐殺が横行した恐怖社会の歴史を、忘れることを恐れる老人の記憶という、実に現代的なテーマで振り返りながら、未来の自由を希求する上で、一人一人の記憶の意味を問い直そうとしている作品だと思いました。もう一度、拍手!ですね(笑)。監督 マイテ・アルベルディ撮影 パブロ・バルデス編集 キャロライナ・シラキアンキャストパウリナ・ウルティアアウグスト・ゴンゴラ2023年・85分・G・チリ原題「La memoria infinita」2024・08・28・no113・シネリーブル神戸no266追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.08.30
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マルコ・ベロッキオ「夜の外側 前・後」シネリーブル神戸 久しぶりに5時間を越える長編映画を見ました。マルコ・ベロッキオという、イタリアの監督の「夜の外側」(前・後編)、340分でした。エライ!でしょ(笑)。 1978年3月に起きたアルド・モーロという、イタリアのキリスト教民主党の党首で5度の首相経験を持つ人が、「赤い旅団」という武装グループに誘拐され、55日間の拉致・監禁の末に殺害された事件を描いた映画でした。Ⅰ 発端 モーロ誘拐Ⅱ 混乱 苦悩するコッシーガⅢ 交渉 パウロ6世の手紙Ⅳ 対立 赤い旅団Ⅴ 家族 エレオノーラの憔悴Ⅵ 告解 55日目 チラシによれば、上のような小題が付いていますが、実際は数字が示されるだけの章立てで転換していく進行で、全部で6章、それぞれを独立した短編(?)として見ることも出来る仕立てでした。 まあ、二日にわたって見終えましたが、まずは見終えたことに拍手! でしたね(笑)。 で、この作品の面白さは、歴史的事実に対して「イフ」を持ち込んだところ じゃないかなと思いました。 もう、50年ほども昔のことだということもあって、なんとなく「ああ、そういうことがあったなあ・・・」 とか、何とか、まあ、そういう、あやふやな記憶で見ていたのですが、第1章の終わりまで見終えたあたりて、「エッ?そうだったっけ???」 の展開なのですね。第6章まで見終えてみると、「そうだよな!」 という事実に基づく結論で収まって、ようやく納得したのですが、「もしも、内務大臣、あるいは政治家たちがこう判断していたら、教皇がこうしていたら、犯罪者グループがこうだったら。」 まあ、そういうイフを重ね合わせて、事件の真相というよりも、実は、あの時代のイタリア、(あるいは、世界をかも) を描こうとしているんじゃないか、まあ、くたびれながらも、そういう納得でした。チラシの中の見開きの写真の雰囲気が、いかにもこの映画の狙いを感じさせますね。 歴史事実にイフを混ぜ込むことで、新たな歴史評価、あるいは、再評価を描こうとしている のかもしれない監督マルコ・ベロッキオに拍手!ですね。 こういう発想、ボクは、結構好きですね(笑) ドラマとしては、「赤い旅団」の内幕を描いたⅣ章、モーロの妻や家族の様子を描いたⅤ章、映像としては、「ああ、イタリアや!」 というⅢ章の教皇のシーンと、Ⅵ章の拉致されているモーロの告解のシーンが印象に残りました。政治的誘拐の相手に「告解」の機会を与える極左グループって?という驚きと告解の内容ですね。まあ、映画的創作なのでしょうが。 それにしても、前後編、それぞれ3時間づつ、座っているのが大変でした。年ですね(笑)。監督・脚本・原案 マルコ・ベロッキオ原案 ステファノ・ビセス ジョバンニ・ビアンコーニ ニコラ・ルズアルディ脚本 ステファノ・ビセス ルドビカ・ランポルディ ダビデ・セリーノ撮影 フランチェスコ・ディ・ジャコモ編集 フランチェスカ・カルベリ クラウディオ・ミザントーニ音楽 ファビオ・マッシモ・カポグロッソキャストファブリツィオ・ジフーニ(主人公アルド・モーロ)マルゲリータ・ブイ(妻エレオノーラ・モーロ・キャヴァレッリ)トニ・セルビッロ(教皇パウロ6世)ファウスト・ルッソ・アレシ(内務大臣フランチェスコ・コッシーガ)ダニエーラ・マッラ(赤い旅団アドリアーナ・ファランダ)ガブリエル・モンテージ(ヴァレリオ・モルッチ)ダビデ・マンチーニ(マリオ・モレッティ)アウローラ・ペレス(マリア・フィーダ・モーロ)エバ・チェーラ(アニエーゼ・モーロ)ミケーレ・エブルネア(ジョヴァンニ・モーロ)グロリア・カロバーナ(アンナ・モーロ)ファブリツィオ・コントリ(ジュリオ・アンドレオッティ)ジージョ・アルベルティ(ベニーニョ・ザッカニーニ)ロレンツォ・ジョイエッリ(エンリコ・ベルリングエル)アントニオ・ピオバネリ(パスクワーレ・マッキ神父)パオロ・ピエロボン(チェーザレ・クリオーニ)ピエール・ジョルジョ・ベロッキオ(ドメニコ・スピネッラ)セルジョ・アルペッリ(コッラード・グエルツォーニ)アレッシオ・モンタニャーニ(アントニオ・メンニーニ神父) ブルーノ・カリエッロ(サンタ・キアラ教会の神父)2022年・340分・G・イタリア原題「Esterno notte」2024・08・18・20-no106・108シネリーブル神戸no262・263追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.08.29
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アンヌ・フォンテーヌ「ボレロ 永遠の旋律」シネリーブル神戸 少し時間に余裕があったので、神戸駅で降りて歩き始めました。炎天下でした。「シマクマさん!」 元町商店街の手前の交差点で信号を待っていると、右手のほうから声がかかって振り向くと「現代小説研究会」とかで、30年来のお友達のYさんです。「どこ行くの?」「映画。ボレロ見に。あなたは?」「パルシネマ。」「羅生門?」「ううん、羅生門は昨日でオシマイ。今日から新しいの。」「ああ、三宅唱だっけ?」「そうそう」「で、歩いて帰り道?」「そうそう。」「元町まで?」「そうそう、行きは新開地まで阪急に乗るんだけど。」「あのね、私、ガンなのね。」「えっ?」「29日、病院で医者と相談なのよ。」「病院って、どこの?」「中央市民。大きくなりかたが予想より早いんだって。」「あー、そうなんだ。」「だから、歩かないと、歩かないでしょ。」「ああ、一人だと、歩かないね、きっと。」「わたしね、コープさんで水買うんだけど、二本買って、一本づつ家まで運ぶの。コープさんまで往復して、お店の人に笑われてるわ。」「え、そんなに重いの?」 とか、なんとかで、元町商店街の、結構な人混みもあっという間で、大丸の前までやってきました。「9月の会、会えるよね。」「うん、わからんけど、29日しだい。」「じゃあね、映画行くわ。」「うん、じゃあ、またね。」 というわけで別れました。 シネリーブルの席について、始まったのはアンヌ・フォンテーヌという監督の「ボレロ 永遠の旋律」です。 なんとなく、期待というか、予想というかとは違っていて、ボレロの作曲家ラヴェルの芸術的伝記映画 という趣でした。「この映画、きっと女性の監督やな。」 なんの根拠もありませんが、見終えてすぐ、そんなふうに思いました。 そういえば、この映画でラヴェルを演じたラファエル・ペルソナという男前の俳優さんはアラン・ドロンの再来 とか言われていらっしゃる方ようですが、アラン・ドロンが亡くなったそうですね。ボクには「太陽がいっぱい」の人でしたが、時代が変わっていくのを実感しますね。 映画の話にもどると、「ボレロ」の作曲を依頼したロシア人だかの舞踏家イダ・ルビンシュタインという人のダンスが、まあ、そういう演出なのでしょうが、あまりに露骨! というかに辟易しましたが、一方で、「音楽は具象だ!」 と叫ぶラヴェルは印象的でした。 最後に脳腫瘍だかの手術の後だったのか、包帯を巻いた姿のラヴェルを見ながら「私、ガンなのよ。」というお友達の声が聞こえてきた気がして、ちょっと、ドキッとしました。 監督・脚本 アンヌ・フォンテーヌ原作 マルセル・マルナ脚本 クレア・バー ピエール・トリビディク ジャック・フィエスキ ジャン=ピエール・ロンジャ撮影 クリストフ・ボーカルヌ編集 チボー・ダマド音楽 ブリュノ・クーレキャストラファエル・ペルソナ(ラヴェル)ドリア・ティリエ(ミシア)ジャンヌ・バリバール(イダ・ルビンシュタイン)エマニュエル・ドゥボス(マルグリット・ロン)バンサン・ペレーズ(シバ)ソフィー・ギルマン(マダム・ルヴロ)アンヌ・アルバロ(ラヴェルの母)アレクサンドル・タロー(ラロ)フランソワ・アリュ(ダンサー)2024年・121分・G・フランス原題「Bolero」2024・08・22・no110・シネリーブル神戸no264追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.08.28
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フレデリック・ワイズマン「至福のレストラン」シネリーブル神戸 「ニューヨーク公共図書館」のフレデリック・ワイズマンが新しいドキュメンタリーを複数撮っているという噂をどこかで聞いて、待っていました。 で、多分ですが、最新作「至福のレストラン」を見ました。240分、ハイ、4時間のドキュメンタリー映画でした。 三ツ星レストランがどうのとか、フランス料理がとか、ワインは何がとか、全く知らないし、関心もない70歳の日本人の老人が、あつらえられたドラマがあるわけでもない、次の料理のための準備をする料理人や、客との言葉のやりとを注意しあうフロアー係の会話や、レストランの周辺の風景や、放牧されている牛やヤギの様子が延々と映し出されるドキュメンタリーフィルムに、4時間、飽きることなく、釘付けになる! というのはいったいどういうことなのでしょうか? 途中10分の休憩はありましたが、4時間のフィルムが、突然暗転して、「あっ、終わった!」 と思った次の瞬間思い浮かんだことは「一度もBGMなかったな!?」 でした。ボクが、この映画で気づいたのはそれだけでした。フレデリック・ワイズマン、御年94歳。遂に完成形になったな! まあ、一人でそんなふうに納得したワイズマンの最新作でしたが堪能しました。拍手!です。 もう、それ以上、何もいうことはありませんが、一流レストランの話なので料理について一つだけいえば、多分、世界中から美味しいという評判でお客がやってくるのであろう料理が、ごく普通の生真面目な料理人によって、何の衒いもカッコつけもなく調理されて、皿に並べられていくことが一番驚きでした。世界は、あたり前の普通で出来上がっているのですね。 やっぱりもう一度拍手!ですね。監督・製作・編集 フレデリック・ワイズマン製作 カレン・コニーチェク撮影 ジェームズ・ビショップキャストミッシェル・トロワグロセザール・トロワグロレオ・トロワグロマリー=ピエール・トロワグロ2023年・240分・G・アメリカ原題「Menus Plaisirs - Les Troisgros」2024・08・23・no111・シネリーブル神戸no265追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.08.25
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キティ・グリーン「夏の終わりに願うこと」シネリーブル神戸 不思議なことが続いています。2024年の7月の後半から8月にかけて、うーんと唸るタイプの映画 が、みんな女性の監督なのです。 で、何の知識もないままやってきた「夏の終わりに願うこと」というこの作品もキティ・グリーンという、メキシコの若い女性監督でした。 やっぱり、ウーンと唸りました。傑作です! いきなり、公衆便所の一室で、ニコニコしながら便器に座っている、小学生くらいの少女と、「ネエ、まだ出ないの?」 と促している母親のシーンで始まりました。「ちょっと、早くしてくれませんか!」 とドアをたたく外からの声があり、「ああ、もうダメ!」 という母親の叫びがあって、相変わらず「まだ、でない。」 とニコニコしている少女の横で、おかあさんはスカートの下のパンツをおろしてしゃがみ込み、ことに及んでしまうという展開です。すごい! おかあさんが少女の座っている便器の横の床で音を立てながら小用に及び、「えー?!、そこでおしっこしちゃうん?」 という見ているこっちのタジタジをものともせず、「ちょっと、紙とって」というセリフとともに、おかあさんが運転している自動車のシーンへかわります。「えー、その床、ちゃんと流したん?」 と、たじろぎが治まらないまま、思わずつぶやきながら思うのです。「で、今のシーンなんやったん?」 と思っていると、「おとうさん、死なないでほしい!」 あどけなく笑っていた少女が真剣な顔で答えて映画が始まったようです。 今日はオジーちゃんの家です。いつもは病気で会えないお父さんのお誕生日パーティです。 廊下の絵の上を這うカタツムリ。カマキリみたいな甲虫。カラス。年下の従妹のエステルとネコ、花にたかる小さな蜂。喉にあてて使うオジーちゃんの発声器。焼け焦げて燃え上がってしまったオバサン手製のお誕生日ケーキ。みんな集まって踊りはじめるオバサン。「地球は滅ぶの?」「10億年後太陽が赤色矮星になった時に滅ぶよ。」 燃え上がる小さな熱気球。 パーティーのトリは、おかあさんに肩車された少女の、母子二人羽織、口パク絶唱は歌劇「ルチア」のアリア。 トイレで、あどけなく笑っていた少女のはじける笑顔。ようやく出来上がったケーキの蝋燭の炎に浮かびあがる少女の顔。 で、きれいに整えられたお父さんのベッド。 すべてのシーンが「で、今のシーンなんやったん?」 を繰り返し浮かび上がらせます。「ん?、ん?、ん?」 で、ワクワク、ドキドキへ引き込んでいく、それぞれのシーンのコラージュはただものではありません。 まずは、百面相の少女ソルちゃんを演じたナイマ・センティエスちゃんに拍手! で、メキシコの新しい監督リラ・アビルスに拍手!拍手!です。 人が、いや、地球や、太陽や、宇宙も、小さな虫や、ネコや、声を失ったオジーちゃんや、ガンで苦しんでるお父さん、心配のあまり、姉妹げんかをしてしまう伯母さんたちや、お父さんとソルちゃんを励ますお母さん。そして、あれこれ考えこんでしまう「太陽」と名付けられた少女ソルちゃん。 みんなが、今、生きていることの姿を、ありのままに励まし、肯定しようとしている映像の美しさが見ている老人の「ん?、ん?ん?」 に応えていく心地よさ、これが映画ですね(笑)。 で、この映画、原題が「トーテム」なんですよね、やっぱり「?、?、?」なんですけど、何となく納得しましたね。宇宙樹とかいうあたりでしょうかね(笑)。監督・脚本 リラ・アビルス撮影 ディエゴ・テノリオ編集 オマル・グスマン音楽 トマス・ベッカキャストナイマ・センティエス(ソル・少女)イアスア・ラリオス(ルシア・母)マテオ・ガルシア・エリソンド(トナティウ・父)モントセラート・マラニョン(ヌリア)マリソル・ガセ(アレハンドラ)サオリ・グルサ(エステル・少女の従妹)クルステレシタ・サンチェス(クルス)フアン・フランシスコ・マルドナド(ナポ)アルベルト・アマドール(ロベルト)2023年・95分・G・メキシコ・デンマーク・フランス合作原題「Totem」2024・08・12・no104・シネリーブル神戸no261追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.08.17
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キティ・グリーン「ロイヤルホテル」シネリーブル神戸 予告編を見ていて、それでどうするのかな? と思っただけの理由で見に来ました。キティ・グリーンという、オーストラリアの女性監督の「ロイヤルホテル」です。ハラスメント地獄! 女性にとっての恐怖を描く新感覚フェミニスト・スリラー。 まあ、チラシにはこういう文句が踊っていて、だいたい、スリラーは苦手なので、あんまり鬱陶しいことが続くようだと逃げ出そうという心づもりでしたが、最後まで見終えました。 誇大広告でしたね。現実はこんなもんでしょ。まあ、そう感じるボクがセクハラ人間だという可能性について考えるのは置いておいて、オーストラリアであろうが、日本であろうが、女性であろうが、男性であろうが、文化的、経済的、地理的辺境にやってきた単独旅行者、あるいは映画のような友だち二人旅で楽しい旅を続けられる! という前提は成り立つのでしょうかね。なんだか、旅する二人の幼さが気にかかってしまうのは年のせいでしょうかね?まあ、そういう気分で、どっちかというと、楽しい旅を夢みて旅をしているお二人がアブナイ!なあ・・・ と思って見ていましたが、やっぱりアブナカッタ! ですね(笑)。 まあ、そうはいいながら、映画のなかでの主人公ハンナの反応に、ちょっと、共感を感じて見ていましたから、とどのつまりの結末まで、何となく予想できました。 で、チラシを見直すと女性の決意を示す、新時代のエンディング とあって、まあ、それでいいんじゃないのという感じで振り返りましたが、如何せん、登場人物たちの行動も、それによって物語というか、反セクハラの主張を作り出す意図も底が浅いんじゃないでしょうかね(笑)。 ただ、辺境に行かなくても、ただの町中の暮らしの中でも失われつつある「社会的モラル」というか、何というか、「知らない人に親切にする」とか、「困っている人に気付く」とかいう、本当はあたり前の感覚が総崩れしていきつつあるかの現代社会について、結構、面白い視点から作られている印象で、好感はもったのですが、やっぱり、なんか、物足りませんね(笑)。 旅する二人は「こんなもの、燃やしてしまえ!」 で、まあ、ボクも、「そうだ!そうだ!」 という気分なのですが、旅から帰ってきて、ちょっと新しくなった目で見たときに、実は、街の暮らしもおんなじだったらどうするのですかね? 途中、旅の出会いと困惑の展開と、カンガルーなんかが出てくる風景は悪くないんですけどねえ(笑)。でも、まあ、監督キティ・グリーンさんが、なかなか頑張っていることは事実なわけで、拍手!ですね。監督 キティ・グリーン脚本 キティ・グリーン オスカー・レディング撮影 マイケル・レイサム編集 カスラ・ラスールザデガン音楽 ジェド・パーマーキャストジュリア・ガーナー(ハンナ:旅する女性1)ジェシカ・ヘンウィック(リブ:旅する女性2)ヒューゴ・ウィービング(ビリー:店主・アル中)アースラ・ヨビッチ(キャロル:店主)トビー・ウォレス(マティ:ダメ男1)ハーバート・ノードラム(トルステン:ダメ男2)ダニエル・ヘンシュオール(ドリー:ダメ男3)ジェームズ・フレッシュビル(ティース:ダメ男4)アースラ・ヨビッチ(キャロル:店主)2023年・91分・G・オーストラリア原題「The Royal Hotel」2024・08・07・no102・シネリーブル神戸no260追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.08.13
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近浦啓「大いなる不在」シネリーブル神戸 予告編を見ながら「どうしようかな???」 と、まあ、かなり躊躇しながらでしたが、最後は「あなたは誰だ」 というチラシのコピーにつられて見ました。見たのは近浦啓という監督の「大いなる不在」です。「なんだかなあ???」 でした(笑)。 幼かった自分と母親を捨てた父親が警察沙汰をおこして保護され、おそらく血縁ということで呼ばれた息子とその妻が、すでに老いた父親と再会し、「父と息子」として出会い直す という父子物語でした。 老優、藤竜也も、息子役森山未來も、父の同居人、だから義母役の原日出子も、息子の妻真木よう子も、カット、カットの演技や脚色の様子は悪くないのですが、全体として何を表現したいのか、何を描きたいかよくわかりませんでした。 脚本家なのか監督なのか知りませんが、映画のような体験をなさった方がいて、これはドラマになると思われたんじゃないか、で、いろいろ、脚色をくわえて映画にしたということを、うがち半分で想像しましたが、ある個人が、いかに劇的な体験をしたとしても、たぶん、そこを越えなければ、納得のいく映画や小説にはならないという峠を越えそこなっている感じでした。 チラシに書かれていますが、「あなたは誰だ?」 という問いは、人間の存在の基底を揺さぶる問いだと思います。正体不明の父親を演じる藤竜也も、やがて、その問いが自問へと変容してゆく息子を演じた森山未來も、なかなかのものだったのですが、劇的リアルとして納得がいかなかったのが何故なのか、ホントは、よくわかりませんでしたね(笑)。 で、つかぬ事を伺いますがという気分で、この作品をご覧になった方に伺いたいのですが、 遠山陽二(藤竜也)の同居人だった直美(原日出子)さんですが、結局、どこで、どうなさっているのでしょうね。 彼女の、残された日記帳をクローズアップして、父親の物語を語るのはいいのですが、まさか、彼女は亡くなっているとかじゃないですよね。なぜ、彼女の「不在」について映画は語らないのでしょうね。 まあ、そのあたりも、今一、納得がいかなかった理由かもしれませんね。 監督・脚本・編集 近浦啓共同脚本 熊野桂太撮影監督 山崎裕音楽 糸山晃司エンディングテーマ 佐野元春&THE COYOTE BANDキャスト森山未來(遠山卓・息子)真木よう子(遠山夕希・卓の妻)藤竜也(遠山陽二・父)原日出子(直美・陽二の同居人)三浦誠己神野三鈴利重剛塚原大助市原佐都子2023年・133分・G・日本2024・07・26・no093・シネリーブル神戸no257追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.08.06
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ジミー・T・ムラカミ「風が吹くとき」シネリーブル神戸 1986年ですから、古い、イギリスのアニメです。日本では1987年に公開されて、評判になったそうですが、ボクは見ていませんでした。「これって、愉快な仲間たち、子供のころ見たのかな?」「さあ、どうかな?私は見た気がするわ。絵本もあるでしょ。」「うん、それは知ってんねん。あんな、ボクのアホブログで「ジージの絵本」って、案内してんねんけど。これだけダントツにアクセス数いうの、あれが多いねん。でな、寒がりやのサンタさんのこの人のアニメやけどな、ボクは見てへんから見てくるわ。」 で、やってきたのはレイモンド・ブリッグズの原作で、ジミー・T・ムラカミという、日系の人らしい監督のアニメ、「風が吹くとき」です。 映画が始まって、主人公の老夫婦がおしゃべりを始められてのけぞりました。森繁久彌さんと加藤治子さんのご夫婦でした(笑)。 英語版だとばかり思いこんで座っていたのですが、今回のリバイバル上映は日本語吹き替え版でした。ちなみに、日本語版を監督したのは、あの、大島渚監督だそうです。 森繁さんも加藤さんも、ご長命でしたが、もういらっしゃいません。大島渚もジミー・ムラカミもこの世の人ではありません。ムラカミさんは、1933年生まれの、日系アメリカ人2世だそうですが、アイルランドで2014年に亡くなったそうです。まあ、見終えて、そういうことを調べていて、何だかしみじみしてしまいました。 ああ、忘れてはいけませんね。原作者のレイモンド・ブリッグスも2022年に亡くなってます。 で、映画にもどります。ラジオや新聞が伝える世界の様子や、公共のパンフレットが教える世間のルールに、あくまでも従順に、健康保険や年金を気にしながら、老後を暮らすジムとヒルダという、イギリスの田舎の村に暮らす老夫婦が、突如起こった核戦争の風にさらされて、自分たちが、なぜ、こんなふうになるのか、全くわからないまま、風にさらわれていくかのような作品でした。 絵本版と同じ展開の悲劇です。ただ、映画には、絵本には、多分、なかった風に舞うタンポポの夢のようなシーン が二度あったと思いますが、印象的でしたね。監督による、登場人物二人に対するいたわりのシーンのように思えました。 森繁さんと加藤さんの演じる老夫婦のセリフは、名人二人の読み聞かせになるのかなと、まあ、それはそれで楽しみにしていていましたが、抑揚を殺した、やはり、名人芸のセリフ回し! で、世界の片隅で、今ふうの方から見れば、世界についても、科学的知識についても、無知蒙昧の暮らしを、最後まで淡々と暮らしていく人間の姿を演じ切っていらっしゃいました。スゴイものです。拍手! で、ちょっと本音をいえば、ホントは英語版を見たかったんです。たとえば、音楽はピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズで、主題歌はデビッド・ボウイなのですが、森繁さんと加藤さんの声とは、ちょっとチグハグですよね(笑) それから、このジムとヒルダの暮らしぶりを無知による愚かしさとして感じる方もいらっしゃるようですが、果たしてそうなのでしょうか? たとえば、福島の原発事故やコロナの蔓延とワクチン騒ぎの中で無知でなかった人間はいたのでしょうか?中東では爆撃やミサイル攻撃、戦争状態が続いていますが、そこに暮らす、普通の人たちの中に、ミサイルにいかように対処すべきかの、有効な知識を持って暮らしている人がいるのでしょうか? ジムとヒルダの、一見、哀れな生活のリアルは、ボクたち自身の生活のリアルとどこが違うというのでしょう。二人に吹き付けてきた風はいまも吹いているのではないでしょうか?「37年の時を経て、あの時の風はまだ吹いている」 まあ、チラシのコピーの意図は知りませんが、風は吹き続けていて、他人ごとのように、それに気づかない無知蒙昧の世界が広がっている。 のかもしれませんね(笑)。監督 ジミー・T・ムラカミ日本語吹き替え版監督 大島渚製作ジョン・コーツ製作総指揮イアイン・ハーベイ原作・脚本 レイモンド・ブリッグズ音楽 ロジャー・ウォーターズ主題歌 デビッド・ボウイキャスト(英語版)ジョン・ミルズ(ジム)ペギー・アシュクロフト(ヒルダ)日本語吹き替え版森繁久彌(ジム)加藤治子(ヒルダ)田中秀幸(ロン)高井正憲(アナウンサー)1986年・85分・イギリス原題「When the Wind Blows」1987年7月25日(日本初公開)2024・08・02・no098・シネリーブル神戸no259追記2024・08・04ついでなので、ジージの絵本、「風が吹くとき」も、覗いてみてくださいね(笑)。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.08.04
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レイチェル・ランバート「時々、私は考える」シネリーブル神戸 小さな事務所に、経理や会社運営のコンピューター関連のサポート業なのでしょうね、数人の職員が働いて、主人公のフラン(デイジー・リドリー)という女性も、出勤するとPC画面の前に座って、キーボードを相手にしています。 同僚だったキャロル(マルシア・デボニス)の定年(?)退職の集いがあって、新しく加わったロバート(デイブ・メルヘジ)を迎える打ち合わせがあって、そこはかとない会話が、ともに働いている人たちの近くて遠い穏やかな人間関係を自然に描いていきます。 窓からは港に泊まるクルーズ船が見えて、屋上(?)からは、町から海を越えて対岸にかかっている大きな橋が見えています。 映画を見終えて浮かんできたのは、この大きな橋の風景でした。 見たのはレイチェル・ランバートという女性の監督の「時々、私は考える」でした。 PC相手の事務仕事を得意としているらしいフランという女性の仕事場で衝立越しに周囲が気になってしようがないありさま、職場の同僚や、アプローチしてくるロバートとの距離感がどうしても埋められない様子、そして仕事や自宅での休息の合間に湧きおこってくる想念が描かれていました。 「時々、私は考える」彼女の脳裏に浮かんでくるのは、このチラシに写っている海岸の風景の中にいる自分の姿でしたが、帰ってきて「Sometimes I Think About Dying」という元の題名を見てふーん、死ですか?! と思いながら、でも、まあ、時々考えるでいいんじゃないの? とも思いました。 ボクは、時々、まあ、近所にあるからですが、明石大橋の全景が見渡せる丘に座って、橋を渡っていく豆粒のような自動車の流れを見ながら考えることがあります。フランのように、直接的な死の想念が浮かぶわけではありませんが、日常生活で出会う自分以外の人たちに対して、一抹の面倒くささを感じることはわかります。 映画は、失意のフランが、退職して老後を楽しむはずだったキャロルと、偶然、再会し、予想しなかったさみしい生活を語り終えたキャロルから「みんなには砂糖たっぷりのドーナツがいいわよ!」 と教えられてドーナツを職場に差し入れして喜ばれながらも、相変わらずのチグハグぶりで、おしまいまでハラハラさせられますが、いいお話でしたね(笑)。 主人公のフランを演じたデイジー・リドリーさんですが、何かどこかで見たことがあるような女優さんでしたが、なかなか味のある表情で気に入りました。拍手!ですね。監督 レイチェル・ランバート脚本 ケビン・アルメント ステファニー・アベル・ホロウィッツ ケイティ・ライト・ミード撮影 ダスティン・レイン美術 ダニエル・マハマン衣装 ジョーダン・ハミルトン編集 ライアン・ケンドリック音楽 ダブニー・モリスキャストデイジー・リドリー(フラン)デイブ・メルヘジ(ロバート)パーベシュ・チーナ(ギャレット)マルシア・デボニス(キャロル)ミーガン・ステルター(イゾベル)ブリタニー・オグレイデ(ソフィー)2023年・93分・G・アメリカ原題「Sometimes I Think About Dying」2024・07・28・no095・シネリーブル神戸no258追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.08.01
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アリーチェ・ロルバケル「墓泥棒と失われた女神」シネリーブル神戸 あの、唐突ですが、映画を見終えてふと村上春樹の小説世界のことが浮かんだんです。村上春樹が「地下二階」をテーマにしていることはよく話題になるところなのですが、今回見たアリーチェ・ロルバケルという監督さんの作品も、愛がどうのとか、意識がどうのという前に、人間にとっての地下二階、まあ、意識でいえば無意識の部分、存在としていえば時間を無化させるあたりに焦点が当たっているようで、生活的なリアルを前提に見ていると、山場にさしかかったあたりで「なんで?なんで?」 連発になってしまって、自分が面白がっていたのが何だったのかわからなくなってしまうのですね。前に見た「幸福なラザロ」もそうでしたが、今回の「墓泥棒と失われた女神」もそうでしたね。 見終えてなんやこれ?という不可解! 不愉快ではなくて不可解! にとらわれてしまったのでした。 もっとも、帰ってきて調べてみると、原題が「La chimera」、だから「キマイラ」ですからね。墓の奥とこっちの世界が重ね合わされていて当然なわけで、霊感墓泥棒のアーサー君は、あっちに行ったり、こっちに帰ったりして当然! なわけでした(笑)。 不可解ながらも、世界の多層的というか、重層性というかの、深さを暗示されて納得!でした。拍手! アリーチェ・ロルバケルは1981年生まれの女性監督ですが、イタリア映画に対する思い入れも半端ではないらしく、いきなりフェリーニを思わせる大女の登場!(笑) といい、オルミの「木靴の樹」を彷彿とさせるような木下闇・・・ のシーンといい、泥棒たちのキャラクターがいかにもイタリア映画と感じさせるあたりといい、着想も映像も面白い人ですね。 ノンキでわかりやすくて安心な世界にへたり込みたがっている、ここのところの自分自身の安直さを笑うかの不可解が心地よい映画! でした。監督に拍手!ですね。監督・脚本 アリーチェ・ロルバケル撮影 エレーヌ・ルバール美術 エミータ・フリガート衣装 ロレダーナ・ブシェーミ編集 ネリー・ケティエキャストジョシュ・オコナー(アーサー)イザベラ・ロッセリーニ(フローラ)コアルバ・ロルバケル(スパルタ)ビンチェンツォ・ネモラート(ピッロ)カロル・ドゥアルテ(イタリア)2023年・131分・G・イタリア・フランス・スイス合作原題「La chimera」2024・07・21・no090・シネリーブル神戸no256追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.07.27
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マリー・アマシュケリ「クレオの夏休み」シネリーブル神戸 予告編で、主人公らしい女の子のあどけなさにつられてやって来ました。マリー・アマシュケリというフランスの若い監督の、邦題が「クレオの夏休み」、多分、フランス語の原題が「Ama Gloria」という作品でした。 邦題では「クレオ」という、小学校1年生くらいの女の子が主人公として、まあ、抜擢されているのですが、フランス語の題では、アフリカの島国から出稼ぎに来て、母親のいないクレオの子守の仕事をしてきたグロリアという女性が主人公のようで、見終えた感想は、やっぱり、主人公はグロリアだった! と思いました。 「Ama」という言葉は、多分、フランス語で「母」、「子守」、「乳母」という、まあ、どれでも同じだという感覚の人には、大した差はないでしょうが、やはり、それぞれ、チガウでしょ! という多義性を感じさせる言葉で、その多義性を支えている「母」性について、なんとか、子供の社会性、年齢、性別、母である女性の経済的条件、と、様々な角度をつけて描こうと苦労していた作品だったと思います。 母国で、自分の「子ども」たちの世話を任せていた母の、子供たちには祖母の死によって、出稼ぎから帰国を余儀なくされた女性グロリアを訪ねて、フランスから、アフリカの島国まで、まだ、6歳の女の子が、たった一人でやって来るという、いわば「母恋物語」で、そこを焦点化した邦題のつけ方は、いかにも、この国の蓮っ葉さを感じさせるのですが、まあ、それにもまして、「この子のあどけなさで客を呼びたい!」と、きっと考えただろうなと思わせるクレオ役のルイーズ・モーロワ=パンザニちゃんの、振舞いも、表情も、同じ年ごろのオチビさんたちがいる老人にはまあ、これで十分!(笑)でした(笑)。いや、はや、拍手!でしたね(笑)。 まあ、映画の作り手は、自分の子供の世話をすることができず、実の子供からは「母」であることを否定され、仕事で出逢った子供には「母」だと頼られるという矛盾を体験しながらも、出稼ぎで稼ぐことで家計を支えるほかに方法がない経済的・社会的条件の中で生きている女性の、まあ、分厚さを、たぶん描きたかったのだろうと思います。で、グロリアを演じたイルサ・モレノ・ゼーゴの、哀しくも、大らかな「母」性の表現は、抑制のきいたいい演技だったと思いました。拍手!ですね。 結果的には、クレオの成長譚! ということだったと思うのですが、この子に、そうはいっても、フランスに帰って、明日から、おカーちゃんのいない生活が待っているのは、やっぱり可哀そうだなあ・・・。 と、ラストシーンを見ながらジジイは感じたのでした。監督 マリー・アマシュケリ脚本 マリー・アマシュケリ ポーリーヌ・ゲナ撮影 イネス・タバラン編集 スザナ・ペドロ音楽 ファニー・マルタンアニメーション アリー・アマシュケリ ピエール=エマニュエル・リエキャストルイーズ・モーロワ=パンザニ(クレオ)イルサ・モレノ・ゼーゴ(グロリア)アルノー・ルボチーニ(アルノ―)アブナラ・ゴメス・バレーラ(ナンダ)フレディ・ゴメス・タバレス(セザール)ドミンゴス・ボルゼス・アルメイダ(ヨアキン)2023年・83分・G・フランス原題「Ama Gloria」2024・07・16・no087・シネリーブル神戸no255追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.07.19
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シャーロット・リーガン「SCRAPPERスクラッパー」シネリーブル神戸 見ようと思っていたら、夜の部に変更で、午後7時過ぎからのプログラムになってしまって、ちょっと、躊躇したのですが、家にいてダメトラの悲惨な逆転負けを見ているのもシャクなので出かけてきました。 シャーロット・リーガンという若い監督の長編デビュー作だそうですが、見たのは「SCRAPPER」でした。 題名は日本語にすると解体屋とか、戦う人とか、まあ、そんな意味のようですが、シングルマザーの母親に死なれてしまった12歳の少女ですから、小学校6年生の女の子と、ダメおやじの再会ばなし でした。 ウーン、好きなタイプお話なのですが、どうなんでしょうね、何かが足りない感じでしたね。悪い奴じゃないんですが、「おまえ、なあ!」 といいたくなる父親も、映画とかでこのタイプを見ると、「やれ!やれ!もっと、やっていいぞ!」 と励ましたくなる戦う少女も、キライじゃないのです。 で、見終えて悪い気がするわけでもないのですが、監督さん、なんか足らんね! でした(笑)。 何が足らないのかと考えちゃうところですが、多分、ドラマを支える現実感のようなものが足りないのでしょうね。でも、この映画を、同じテーマで日本の監督とかが撮ることを考えると、シャーロット・リーガンという監督の、まあ、社会性とか、誰もが口にしそうな責任感とか、あんたなんでそうしているの? というだめオヤジに対する疑問というかを、多分わざと素通りして「そこに、そうしている人間を描こう!」 とでもいうかの、説明抜きのシンプルさは捨てたもんじゃない気がしますね。だめオヤジもガキにすぎないところが、この映画を支えているリアルなんじゃないでしょうかね。 監督・脚本 シャーロット・リーガン撮影 モリー・マニング・ウォーカー美術 エレナ・モントーニ衣装 オリバー・クロンク編集 ビリー・スネドン マッテオ・ビーニ音楽 パトリック・ジョンソンキャストローラ・キャンベル(ジョー・ジー)アリ・ウズン(アリ)ハリス・ディキンソン(ジェイソン)2023年・84分・PG12・イギリス原題「Scrapper」2024・07・13・no086・シネリーブル神戸no254追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.07.17
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アレクサンダー・ペイン「ホールドオーバーズ」シネリーブル神戸 本当は、チッチキ夫人と二人連れで、別の用事に出かけるはずだったのですが、「さあ、行こうか。」 という間際に相手方からキャンセルの連絡が入って、「じゃあ、映画にでも行きますか?これなんかどう?」 で、やって来たのがアレクサンダー・ペイン監督の「ホールドオーバーズ」でした。副題に「置いてけぼりのホリディ」とありますが、原題の Holdoversというのが「取り残された人たち、出来事」という意味らしくて、チラシの三人が、まあ、それぞれ取り残された人生を生きている人たちでした。「結構、おもしろかったね。」「うん、サリンジャーみたいやったね。」「そうそう、クリスマスで、高校2年生?」「でしょ。で、退学になりそうで。」「うん、退学したら陸軍士官学校に行くとか。サリンジャーって、こういう学校を成績不良とかで退学させられて、ホンマに陸軍士官学校に行ったんやで。」「でも、時代がちがうよね。」「うん、サリンジャーは1940年代のアメリカ。この映画は1970年代のアメリカ。サリンジャーは第二次大戦で、ヨーロッパの激戦地に出征して、えらい目にあったけど、この映画はベトナム戦争の時代。食堂のおばちゃんの息子が戦死したというのが、ああ、1972年やなっていう感じ。」「タリー君って、自分、同い年ちゃうの?私よりちょっと上やと思ったけど。」「あっ、そうやな。1972年に17歳やわ。ボクも。」「映画で、聞こえて来た音楽がよかったよね。ああ、あのころやなって、なつかしくて。」「あんな、ホールドオバーってな意味わかる?置いてけぼりらしいで。」「ああ、そうか、ハーバードから置いてきぼりの先生も、親から置いてきぼりのタリー君も、二十歳で戦死した息子から置いてきぼりのおばちゃんも、みんな置いてきぼりやったもんね。」「どのへんから、ドラマが盛り上がるんかなって思っとたら、フィービーやなくて、タリーの病気のお父ちゃん出てきて、まあ、あのあたりの話の作り方はちょとなあ?やったけど。」「先生も、生徒も、実は、元気出す薬飲んでるとかね。」「うん、ちょっと安易やったな。そういう意味では食堂のおばちゃんが一番まともに描かれてたんちゃうかな。」「あのね、最後、タリーくんは何で、センセーに何にも聞かへんかったん?で、あの時のセンセーのセリフあれどういう意味?、インケイがどうのとか。」「スラングやろ。知らんけど。クサレなんとか、みたいな言い方する人があるけど、そんな意味ちゃうかな。何にも聞かへんのは気持ちが伝わってるいうことちゃうかな。聞いたら話がなうごなるなるし。」「まあ、でも、タリーくんって男前やったやんな。」「えー?アンナンがええの?神経質で、めんどくさそうやん(笑)。」 というわけで、久しぶりの二人外食でしたが、結構盛り上がりました(笑)。 はい、傑作というわけではありませんがハナム先生のポール・ジアマッティ、おばちゃん役のダバイン・ジョイ・ランドルフ、男前のタリー君のドミニク・セッサに拍手!でした。 70年代くらいを舞台にしたアメリカ映画、結構好きです(笑)。なんか、懐かしいんですよね。でも、チラシに「良質ドラマの金字塔」とか書いてあると、ちょっとカチンと来てしまいますね。良質ドラマって何でしょうね。作家のことを作家さんとかいうのがネット上では横行していますが、ちょっと似ている気がしますね。そういう言い方って、なんか、使っていて恥ずかしくないんでしょうかね。まあ、どうでもいいことなのですが(笑)。監督 アレクサンダー・ペイン脚本 デビッド・ヘミングソン撮影 アイジル・ブリルド美術 ライアン・ウォーレン・スミス衣装 ウェンディ・チャック編集 ケビン・テント音楽 マーク・オートンキャストポール・ジアマッティ(ポール・ハナム:歴史の先生)ダバイン・ジョイ・ランドルフ(メアリー・ラム:食堂のおばちゃん)ドミニク・セッサ(アンガス・タリー:問題児)キャリー・プレストン(ミス・リディア・クレイン:校長秘書)2023年・133分・PG12・アメリカ原題「The Holdovers」2024・06・28・no081・シネリーブル神戸no252追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.06.29
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瀬田なつき「違国日記」シネリーブル神戸 予告編を見て、さてどうしたものか?? とためらっていると、看護士をなさっている、お友達の女性からメールが来て、「見ましたか?見ませんか?」 ということなので、結構、イソイソ出かけました。 見たのは瀬田なつきという、多分、お若い、女性監督の「違国日記」でした。「違国日記」ってなに? どういう意味? まあ、原作のマンガの題がそのまま使われているのでしょうね。見終えても、判然とはしませんでしたが、ひょっとしたら、主人公の一人、高校生のアサちゃんが、作家であるおばさんにすすめられてつけ始めたノートのことかなと思いましたが、まあ、確かではありません(笑)。 映画と関係があるか、ないかわかりませんが、この映画の、少女がオバサンにすすめられて「日記」を付けるという設定 は、乗代雄介という作家がデビュー作「十七八より」(講談社文庫)以来、「最高の任務」(講談社)あたりまで、何作か書き続けている、阿佐美景子という女性を主人公にして、彼女の日記を小説化している作品群とよく似ていると思いました。 映画では、両親に死に別れた少女である田汲朝ちゃんが、母親の妹で、母親とは、お互いに、互いの生き方を否定しあっていた、叔母で、小説家の高代槙生と暮らし始めるという設定でしたが、小説では「日記」を勧めた叔母は、すでに死んでしまっていて、主人公は両親や弟という家族と、平凡な日常を生きているというところが違うのですが、阿佐美景子という主人公の、小学生以来つけている、毎日の「日記」の書き出しが「あんた誰?」 というところが、おもしろい作品なのです。 で、映画を見ながらそれを思い出した理由はというと、この映画の主人公の二人をはじめとする、人と人の関係性の描き方を見ていて、登場人物たちが、朝ちゃんと槇生さんはもちろんですが、同級生の少女たちも、お友達の奈々さんや、信吾君、ああ、それから、おばあちゃんまでもが、自らに対して「あんた誰?」 という問いかけをすることで成立する「私」 として、他者と出会っている印象で、そこがこの作品の新しさだというように感じたからですね。 たとえば、主人公の朝ちゃんは、いかにも天真爛漫な様子で描かれていますが、自らに「あんた誰?」 と問いかけることで、両親に死なれてしまった不幸な少女を、ではなく、天真爛漫な少女を生きようとしてる、実は、かなりしたたかな少女だと感じましたね。 作中、確か、二度ほど映し出される、朝ちゃんが佇む、いや、渡るかな。跨線橋のシーンを見ながら、瀬田なつきという若い監督が、あらゆる人間が絡めたられてしまいがちな関係性の網のようなものを跨ごうとしている意欲のようなものを感じて、好感を持ちましたね。 ああ、映画には日記をつけるシーンはありますが、「あんた誰?」 なんていうセリフは、一度も出てきませんからね。もちろん、ボクの妄想ですよ(笑)。 見終えて、原作マンガで「こころを救われた」かどうだか知りませんが、チラシにあったから書きましたが、一緒に見た彼女がおっしゃってました。「マンガに比べて、なんか軽くて、拍子抜けしました(笑)」「ああ、そうなんですか?ボクは原作を知らないからいい加減なことをいいますが、「軽さ」が、この映画のいいところかもですね(笑)」さて、それで? という感じの映画でしたが、瀬田なつきという監督には期待を込めて拍手!でした(笑)。 結局、「違国日記」の意味は解りませんでしたが、一緒に見た彼女に教えられて、新垣結衣さんのお顔は覚えました。もっとお若い人だと思い込んでいましたが、お若い早瀬憩さんとともに、とりあえず拍手!ですね。監督・脚本・編集 瀬田なつき原作 ヤマシタトモコ撮影 四宮秀俊照明 永田ひでのり録音 髙田伸也美術 安宅紀史 田中直純衣装 纐纈春樹ヘアメイク 新井はるか音楽 高木正勝音楽プロデューサー 北原京子劇中歌作詞作曲 橋本絵莉子キャスト新垣結衣(高代槙生・叔母・小説家)早瀬憩(田汲朝・姪・高校生)夏帆(醍醐奈々・槙生の幼馴染)小宮山莉渚(楢えみり・朝の同級生)中村優子(高代実里・槙生の母・朝の祖母)伊礼姫奈(森本千世・優等生)滝澤エリカ(三森・軽音部)染谷将太(塔野和成・弁護士)銀粉蝶(高代京子・槙生の姉・朝の母)瀬戸康史(笠町信吾・槙生の男友達)2024年・139分・G・日本2024・06・22・no078・シネリーブル神戸no251
2024.06.23
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ダニエル・ゴールドハーバー「HOW TO BLOW UP」シネリーブル神戸 ここのところ、精神的に引き籠り化してしまいそうなシマクマ君ですが、何とか元気の出そうな映画という気分でやってきたのがダニエル・ゴールドハーバーという監督の「HOW TO BLOW UP」という、全部横文字の作品でした。「どうやって炎上させるか」 かな、とか、「爆破の方法」 かな、とか、ない頭で、あれこれ訳を考えながらやって来ましたが、原題を見ると「How to Blow Up a Pipeline」で、何だ、パイプライン爆破の方法じゃないか!と納得して見始めました。 で、結構、ハラハラ・ドキドキの苦心惨憺の末、テキサスの石油パイプラインを本当に爆破するのがうまくいって、ちょっとホッとしながら、「おー、やった!やった!」 と、思わず拍手!しそうでした(笑)。 まあ、あとからわかったことですが、FBIが「環境テロを助長する!」 と上映に警告したことが話題の作品らしいということを知ったのですが、ボク自身は、こういう方法を選ぶタイプの環境保護思想には、今一、共感できませんし、リアリティも感じませんから助長されるわけではありませんが、この映画のように、たとえば、パイプラインを爆破してやろうと考える人がいることには、何の違和感も感じません。そりゃあ、いるでしょう! たとえばの話、東北の震災で、どこかの電力会社が国と結託してやったことと、その後始末のやり方を、被害の当事者の目で見れば、想定外とかいう無責任用語で開き直った経緯は暴力以外のなにものでもないとしか思えませんからね。そういえば、水俣病の患者さんの公聴会で、患者さんの代表の発言中に平気でマイクのスイッチを切る国の役人がいたことも、最近ありましたね。震災や公害に対する、そういう対応というのは、時代が時代なら、暴力で対抗しようと考える人がいても不思議ではないと、ボクは感じていますからね。 で、映画で、それをやったのは環境保護の活動家とか、パイプライン建設に恨みを持っている人たち、総勢8人で、足がつかないで逃げ切るには多すぎる人数! だと思いましたが、足がつかない工夫もあって、まあ、ちょっとご都合主義でしたが、無事成功という結末でした。 正直、結末には無理がありますね。FBIに限らず、どこの国でも、国家レベルでの情報管理は、もっと、有無を言わせなもので、そんなに甘くないでしょう。 ただ、拍手しながらいうのもなんですが、この映画が「環境テロを助長する」などというのは、むしろ、国家権力による環境保護運動に対する規制強化の正当化発言ではないかという印象で、残念ながら、プロパガンダ作品としては、それほどの説得力は感じませんでしたね(笑)。 余談ですが、環境保護運動とかが、こういう展開への方向性へ向かう一面があるとか、最近、読んだ「文学は地球を想像する」(岩波新書)に出てきましたが、文学研究の分野でもエコクリティシズムなんていう分野がすでにあるとか、なんだかポカン?としてしまいますね。いや、ホント、これからどうなっていくんでしょうね(笑)。監督 ダニエル・ゴールドハーバー原作 アンドレアス・マルム脚本 アリエラ・ベアラー ダニエル・ゴールドハーバー撮影 テイラ・デ・カストロ美術 アドリ・シリワット衣装 ユーニス・ジェラ・リー編集ダニエル・ガーバー音楽 ギャビン・ブリビクキャストアリエラ・ベアラー(ソチトル)サッシャ・レイン(テオ)ルーカス・ゲイジ(ローガン)フォレスト・グッドラック(マイケル)クリスティン・フロセス(ショーン)ジェイミー・ローソン(アリーシャ)ジェイク・ウェアリー(ドウェイン)アイリーン・ベダード2022年・104分・PG12・アメリカ原題「How to Blow Up a Pipeline」2024・06・17・no077・シネリーブル神戸no250追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.06.18
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イーサン・コーエン「ドライブアウェイ・ドールズ」シネリーブル神戸 なんとなく、なにをどうしたいということが思い浮かばない一日でしたが、家にずっといるのもなあ・・・ というのでやって来たシネリーブル神戸です。暗そうな邦画はやめて選んだのがこの作品です。イーサン・コーエン監督の「ドライブアウェイ・ドールズ」でした。 イーサン・コーエンという人は知りませんでしたし、「ドライブアウェイってなんだ?」 でしたが、女性二人のロード・ムービー ということなのでテルマとルーズの現代版かな? とか思って見ましたが、まあ、のけぞりそうでした(笑)。 しょっぱなから、女性同士の、まあ、ラブシーンで、その後も繰り返し、似たようなシーンが出てきますが、なんというか、寝てしまいそう・・・ で困りました(笑)。 ドライブアウェイというのは、自動車の配送という仕事の名前で、スーキーという、マッチョで、お仕事がK官という恋人と別れて、やけくそ気味のジェイミーというオネーサンが、ちょうどそっちの方のおばあさんの家に行きたがっていた、ウブな文学少女崩れのマリアンと二人連れで自動車を運ぶ旅をするというわけですが、その自動車のトランクに積まれていた荷物が問題でした(笑)。 まあ、お笑い映画なのですが、アメリカの人とか、こういうのを笑うのか?! というのがボクの率直な感想で、ちょと雑な作品でしたね。 まあ、文学少女が読んでいるヘンリー・ジェイムスの意味もわからないわけですから、眠くなっても仕方ありませんね(笑)。 何故か最後のオチでマット・デイモンが出てきたりして、ちょっと驚かせるのですが、久しぶりに、中途半端な、ドタバタ、お笑いポルノ映画を見た印象ですが、主役のお二人はなかなか美人で、とりあえず拍手!ですね。 ヤレヤレ、トホホでした。監督 イーサン・コーエン脚本 イーサン・コーエン トリシア・クック撮影 アリ・ウェグナー美術 ヨン・オク・リー衣装 ペギー・シュニツァー編集 トリシア・クック音楽 カーター・バーウェルキャストマーガレット・クアリー(ジェイミー)ジェラルディン・ビスワナサン(マリアン)ビーニー・フェルドスタイン(スーキー:ジェイミーの彼女)ジョーイ・スロトニック(追っかけてくるギャング)C・J・ウィルソン(追っかけてくるギャング)ボスコールマン・ドミンゴ(ギャングのチーフ)ペドロ・パスカル(何のコレクター)ビル・キャンプ(配送の依頼人)マット・デイモン(ゲイリー・チャネル上院議員)マイリー・サイラス2024年・85分・PG12・アメリカ原題「Drive-Away Dolls」2024・06・11・no076・シネリーブル神戸no249
2024.06.12
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ラジ・リ「バティモン5」シネリーブル神戸 今日は69歳最後の日です。午前中、退院後初めての通院で「快癒」と診断されて、すっかり元気になって出かけたシネリーブルでしたが、それで?それで? と畳みかけられるように見終えて、すっかり元気を失った作品でした(笑)。これが現実なのですね。 見たのは、数年前に見た「レ・ミゼラブル」で、フランスにおける貧困の、移民や難民の、実相を描いていて度肝を抜かれた、自身もアフリカ生まれのフランスの監督ラジ・リの最新作「バティモン5」でした。 副題に「望まれざる者」とついていますが、原題は「Batiment 5」、フランスにやって来た「移民」たちが、長年住んできた高層の「老朽アパート」が立ち並び、塀には「落書き」が書き散らされ、子供たちが「深夜徘徊」し、店をもてない「違法営業」が横行するパリのスラム地区の通称のようです。 この「バティモン5」の再開発をめぐり、クリスマスの夜におこった出来事が映画の事件でした。 見終えて、ナチスのホロコーストで、ユダヤ人輸送の責任者だったアイヒマンという人物が裁判で語ったと言われている「命令に従っただけです。」 という言葉を思い出しました。 この映画でも、市政の懸案事項である、「バティモン5」再開発計画を実行に移す市長がいて、市長の立ち退き強制執行の命令書を住民に届ける市役所員がいて、市役所員の安全を確保する武装警察官が出てきます。公的な、だから、普通、正しいと思い込んでしまう命令があり、命令に従って行動する公務員や警官がいて、スラム街撤去計画は実行され、裕福でのんきな市民は楽しいクリスマスの夜を過ごしています。 映画は、市長のスタンドプレイだか人気取りだかによる強制退去命令によって、そこで暮らす人々が生活そのものを奪われた「バティモン5」で暮らす二人の若い男女の行動がクライマックスでしたが、その一人であるブラズは、心情的にはボクも強い共感を感じましたが、怒りのあまり「テロ」への誘惑に取りつかれ、クリスマスを祝う市長宅の焼き討ちを実行しはじめますが、「テロ」を否定するもう一人、アビーはブラズの凶行をすんでのところで押しとどめながらも、「個」としてなすすべのない現実の闇の中を立ち去っていくのでした。 この、なんともいえないなすすべのないラストに、この若い監督の足掻きのようなものを実感しました。 人間の社会というのは、その社会を構成する「普通」の構成員、所謂、市民ですが、その市民による共同的な思い込みによってなりたっているわけで、「国家」とか、「地方公共団体」とかの制度であれ、「法」や、「規則」であれ、あるいは「自由」とか「平等」とかのスローガンであれ、「市長」とか、「警察官」とか、「市民」とかいう、職掌や身分(?)も、作中での「クリスマス」をめぐるアビーの発言が如実に語っていますが、みんな思い込みで成り立っているのだ! と思います。市長として、自分の亭主が何をしたかなんて、市長の奥さんにさえわからない。わからせるためには、まあ、市長の家に火でもつけるしかないという考えも浮かぶわけですが、それでは解決にならないわけです。 まあ、そういう、のんきな人たちによる思い込みから消し去られた「現実」が、いかに苛酷であるかを、ここまでまっすぐに突き付けようと足掻いているかの作品には、そうそう、出逢えるものではないのではないでしょうか。 「貧困」、「移民」という現代フランス社会、あるいは世界中の社会の実態を直視しようとする意志に満ちた監督の足掻きとためらいに拍手!でした。 まあ、理由を考えだすと、あれこれ長くなりそうなのですが、この作品に対して極東の島国の映画配給業者が「望まれざる者」と副題を付け、「不都合な真実」とチラシで謳っているのですが、見終えたボクは、なんか、引っかかったんですね。うまくいえませんが、この作品を、そういう第三者的視点で見ることって、極東の島国の住人には可能なんでしょうかね?監督 ラジ・リ製作 トゥフィク・アヤディ クリストフ・バラル脚本 ラジ・リ ジョルダーノ・ジェデルリーニ撮影 ジュリアン・プパール編集 フローラ・ボルピエール音楽 ピンク・ノイズキャストアンタ・ディアウ(アビー:アフリカ系移民)アリストート・ルインドゥラ(ブラズ:アフリカ系移民)アレクシス・マネンティ(ピエール・フォルジュ:新任市長・小児科医)オレリア・プティ(ナタリー・フォルジュ:市長の妻)スティーブ・ティアンチュー(ロジェ・ロシュ:副市長)ジャンヌ・バリバール(アニエス・ミアス:政党幹部)2023年・105分・G・フランス・ベルギー合作原題「Batiment 5」2024・06・04・no075・シネリーブル神戸no248追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.06.09
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佐藤真「まひるのほし」シネリーブル神戸 前日、同じ佐藤真監督のサイードを見たのですが、病み上がりの徘徊老人、いてもたってもいられなくて、今日もシネリーブル神戸にやって来ました。今日は付き添いなしで一人です。 見たのは、もちろん、「暮らしの思想 佐藤真 RETOROSPECTIVE」の2本め、佐藤真監督、1999年の作品、「まひるのほし」です。 この写真が西宮のすずかけ作業所に通いながらゴシゴシ絵を描くシュウちゃん。 彼の、夢中になってクレパスとかを使っている顔に、フッと浮かぶあどけなさが見ているボクの心を揺さぶるように、激しくうちます。 最初のチラシの正面写真が、神奈川の絵(かい)という工房にやって来る「ボクは女の人が好きだ 。女性が好きだ。 女子高生。 女子学生。 女子短大生。 女子大生が好きだ。シゲちゃんと呼んでほしい。」 と叫び、延々とカードを書き続けるのがシゲちゃんです。 写真はありませんが、結構、お年のおじさんで、「なさけない、ああ、なさけない、いや、ありがとう。なさけない。」 と呟き続けながら信楽で穴だらけの焼き物を焼いていたのがヨシヒコさん。 他にも、個性あふれる筆遣いの人たちは出てくるのですが、名前で記憶できた、この三人の方のインパクトは格別でした。 上のチラシの写真ですが、江の島の海岸の水際で、ここでもやっぱり「シゲちゃんとよんで!」 と、沖のウインド・サーファーの女性たちに向かって叫んでいるシゲちゃんの後ろ姿を捉えるカメラの、まあ、視線に深いとか浅いとかあるのかどうかはともかく、深い、心のこもった視線に、監督佐藤真の「愛」が込められていると強く感じたたラストですが、そこに流れて来た井上陽水の歌がこんなにも哀切だったことに気付かされたのもオドロキの大発見でした。 スクリーンの映し出されるすべての人に拍手! そんな、思いで見終えました。映画から25年、映画を撮った佐藤真はすでにこの世の人でありませんが、きにかかるのは、映画に出てこられた、みなさん、お元気にしていらしゃるのでしょうか? ということで、この作品は、そういう映画だったと思いました。 芸術表現人の根底に迫るとチラシは謳っていますが、普通の人間が普通に生きている姿を、人間をそのまま撮りたい監督やカメラマンが、深く、あたたかい眼差しで、静かに見つめ続けている。 そういう映画だと思いました。まさに、ドキュメンタリーの傑作ですね。拍手!監督 佐藤真製作 山上徹二郎 庄幸司郎撮影監督 田島征三撮影 大津幸四郎録音 久保田幸雄録音応援 菊池信之助監督 飯塚聡挿入歌 井上陽水キャスト舛次崇(しゅうじたかし:しゅうちゃん)西尾繁(にししげる:しげちゃん)伊藤喜彦(いとうよしひこ:よしひこさん)竹村幸恵富塚純光川村紀子松本孝夫1999年・93分・日本2024・06・02・no074・シネリーブル神戸no247追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.06.05
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佐藤真「エドワード・サイード OUT OF PLACE」シネリーブル神戸 2024年の5月の下旬から、ちょっとした病院通いと入院があって、月末に何とかして病院からのトンズラを考えたときには、さすがに、「これを見るのは、やっぱり無理やろうな・・・」 とか思っていたのですが、出てきて映画館のスケジュールを見て、「行くしかない!」 と、まあ、大げさですが決心して出かけた映画です。「多分、これは、見て、ソンはないと思うよ!」 そんなふうに声をかけると、まあ、安静を指示された同居人が、退院早々、三宮くんだりまで映画を見に行こうとしてることに対する心配もあったのでしょう、本当なら、ここのところ哀れな結末が続いているだめトラ(笑)の応援でテレビにかじりつくつもりだったのを変更してのお付き合いで、同伴鑑賞と相成りました。 見たのは「暮らしの思想 佐藤真 RETOROSPECTIVE」の1本、「エドワード・サイード OUT OF PLACE」でした。 久しぶりに見てよかった! あれこれ、いうのが気が引けるほど堪能しました(笑)。「どう、よかった?」「うん、よかった。サイードいう人、当たり前のこというてた人やて、ようわかった。」「本人、写真と子供の時のビデオでしか出てけえへんのにな。」「エンド・ロールに重信メイいう名前があった。」「うん、レバノンに居ってんやろ。」「サイードって、平凡社ライブラリーの『オリエンタリズム』の人やんな。」「うん。元々は比較文学。2003年に亡くなったんやけど、白血病、そのころにはパレスチナについての発言がいっぱいや。みすずから出てたやろ。最後は『晩年のスタイル』、大江がマネして、自分の小説に題もろたやつ。それ以外にも何冊か、帰ったらあるはずやで。映画でわかるけど、生き方がエエねんな。」「本はむずい?」「うん、どれもこれも読みかけみたいな感じやな。やっぱり読み直さなあかんなっておもた。」「また、読まなあかん本ばっかり増えるねえ。」「バレンボイム、よかったな。最後に出てきて、静かなシューベルトやったなあ。なんか、聴いてて涙がとまらへんかった。」「ピアノの横の誰も座ってない赤いイスとか、コロンビア大学の空っぽの部屋の机とかよかったなあ。」「パレスチナって、きれいなとこやったなあ。」「結局、サイードいう人もそうやけど、帰って行かれへん人ばっかり出てて、その人らの様子が、怒る人も、哀しむ人も、ヨーロッパのどこかからパレスチナに来て笑って暮らしてる人も、何で、こうなったのかわらへんいうてはったパレスチナから追い出された人も、他の宗教の人らとも仲よう暮らしてたのにいうてはった人も、みんな、どっか哀しい。」「うん、佐藤真いう人の考え方いうか、人柄いうか。賢い監督やなあって思ったなあ。」 エドワード・サイード、彼の家族、ダニエル・バレンボイム、出てきた人みんな、そして佐藤真と、撮影スタッフ、みなさんに拍手!でした。 帰ってきて、この作品を撮った監督の佐藤真が、この映画の2年後に自ら命を絶っていることを知って、言葉を失いました。彼も、もう、帰ってこれない場所に行ってしまっていたのですね。 ここ、二日、チッチキ夫人はバレンボイムのモーツァルトのCDをラジカセで聴いているようです。ボクは、部屋のどこにあるかわからないサイードの著作を探して、大わらわです。監督 佐藤真企画・制作 山上徹二郎撮影 大津幸四郎 栗原朗 佐藤真編集 秦岳志助監督 ナジーブ・エルカシュ 屋山久美子 石田優子ナレーション 宝亀克寿テキスト朗読 山川建夫キャストマリアム・サイードナジュラ・サイードワディー・サイードノーム・チョムスキーダニエル・バレンボイム2005年・137分・日本2024・06・01・no073・シネリーブル神戸no246追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.06.03
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ロディ・ボガワ ストーム・トーガソン「シド・バレット 独りぼっちの狂気」シネリーブル神戸 多分というか、おそらくというか、まあ、思い込みだけですがというか、1970年に高校1年生だった、ボクくらいの年齢の人で、1974年に大学生になって、初めて自分の小遣いで買ったロックのLPレコードがピンクフロイドの「おせっかい」で、その次に買ったのが「原子心母」だったというような始まりがあって、6畳一間の学生アパートでヘッドホンで繰り返し聞きながら田舎ものから脱皮しようとあがいたような20歳だったような人というのはそんなにいないんじゃないでしょうかね。 だって、ポスト・ビートルズのあの時代 に、同じロックというなら、すでに伝説だったジミ・ヘンや、ジャニス・ジョップリン、やたらにかっこよかったクリームや、ツェッペリン、ジム・モリソンが亡くなって伝説化しつつあったドアーズならまだしも、「エコーズって知ってる?」 とか、あんまり一般的じゃなかった気がしますね(笑)。大学とかの同級生とかにも、まあ、そんな話をした覚えもありませんし。 その後、音楽に対する好みがどう変わっていったかなんていう話は、まあ、今日はどうでもよくて、あの、半年ほどの音の記憶にはピンクフロイドがどっかと座り込んでいて、こう書きながら、久しぶりにヘッドフォンから「原子心母」の出だしの砲声、オートバイの爆音、そして、あのメロディーが流れてくるのを聞いていると、チョット、いても立ってもいられないような気分になりますね。 シネリーブルでは、同時に坂本龍一とかジョン・レノンの映画もやっていたのですが、ボクは、やっぱり、ピンクフロイドの伝説の人、シド・バレット からですね。 で、見たのは「シド・バレット 独りぼっちの狂気」、シド・バレットの映っている古いフィルムを集めて、その頃のみんなが語っているというドキュメンタリーでした。さて、感想は、というわけですが、実は、上に書いた「おせっかい」や「原子心母」の頃には彼はもう、バンドにはいませんからね。だから、よく知らなかったんですよね。でも、映画の中で、彼のことを語っているのが、その頃のメンバーなのです。なんか、ちっともエラそうじゃないおじいさんになっているロジャー・ウォーターズやデビッド・ギルモアを見ていて、シミジミしちゃいましたね。もう、それで十分でした。 まあ、それにしても、神戸が都会なのか田舎なのか、ここで50年暮らしてきましたが、田舎者脱皮作戦はうまくいったわけではなさそうですね(笑)。監督ロディ・ボガワ ストーム・トーガソン音楽 シド・バレット ピンク・フロイドナレーション ジェイソン・アイザックスキャストロジャー・ウォーターズデビッド・ギルモアニック・メイスンピート・タウンゼントグレアム・コクソンミック・ロックダギー・フィールズノエル・フィールディングトム・ストッパードアンドリュー・バンウィンガーデン2023年・94分・PG12・イギリス原題「Have You Got It Yet? The Story of Syd Barrett and Pink Floyd」2024・05・24・no071・シネリーブル神戸no244追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.05.27
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フリーヌル・パルマソン「ゴッドランド GODLAND」シネリーブル神戸 見終えて、1カ月ほどたちました。覚えているのは「氷原」、「溶岩の流れ出す火口」、「馬」、「十字架」、「人々の無表情な顔」、そして「カメラ機材を担ぐ牧師」です。 舞台がアイスランドということで関心が湧きました。文字通り、地の果て、海の果ての世界です。サーガという言葉がありますが、北欧神話に出てくる女神の島です。なんとなく、そういう所を期待して見ましたが、ハズレのような、アタリのような印象を持ちました。 映画が始まって、まず、勘違いしていたことをなんとなく感じました。18世紀、カメラが実用化され始めた時代に、おそらく北欧カトリックだったこの島に、新しいプロテスタントの信仰を広めようとカメラを担いで渡って来た牧師 の話に神話なんてありえないということです。 カメラを担いだ若者が撮りたかったのはエキゾチックな風景と支配に従う人々のポートレイトでした。要するに能天気なのです。 彼には新たなる信仰の伝道とでもいうのでしょうか、敬虔な信仰があるとはとても見えません。宗主国の使いという、そこで暮らす人間には、エラそうなだけの存在であることには気づくことのできない、ただのカメラ小僧の好奇心があるだけのように見えました。 映画を見ていて、彼が、辺境の海岸から十字架を馬に担がせ、自らはカメラを担いで旅をして目的地の集落に到着したあたりで、実は島の中心地の目的地近くに港があることがわかります。 で、彼は、にもかかわらず、この「試練の旅」の旅程を選んでいたとわかったあたりから、おそらく、世界の辺境の地で、たとえば、極東の島国にオランダのプロテスタントがやって来たのは15世紀ころだったわけですが、そのころから幾度も繰り返されたにちがいない宗教的伝道者たちの試練の旅をなぞろうとしている人物なのではないかと予感のような思いが浮かびました。だから、カメラなのです。 18世紀末、カメラにうながされるように始まった、どうもインチキ臭い試練の旅の記録が数葉の古びた写真で残されていて。それを見た21世紀の映画監督は、おそらく、世界最初のカメラ小僧の一人だった、この若い牧師が「行って、見て、帰ってくる」はずの旅の中で、被写体に対する、ただの好奇心で撮って、偶然、残されたにすぎない数葉の写真の足跡を追えばが、本人が気付いていたかどうかはともかくも、サーガの地の「神話的世界」とそこでを生きる人間が浮かび上がってくる、そんなモチーフだったのではないでしょうか。 この映画の面白さは、多分そこからでした。カメラのレンズに神の威信を託した愚かな若い牧師は、哀しいことに現像液の消費とともに神の威力を失い、野ざらしの白骨となって朽ちて消えてゆきます。残された数葉写真が語る出来事はアイスランドの自然、あるいは「神話的世界」の歴史の小さなエピソードとして21世紀のカメラ小僧であるフリーヌル・パルマソン監督によって復元されますが、彼が映し出したのは開拓者として渡って来た人間たちや、彼らが持ち込んだ新来の宗教を越えたアイスランドそのもの! だったのではないでしょうか。 主人公の若い牧師が、おろかな現代人にしか見えなかったというのが、この作品の印象でした。新奇な科学技術や思想や宗教を寄せ付けない厳然たる世界がある! ということを感じた作品でした。監督・脚本 フリーヌル・パルマソン撮影 マリア・フォン・ハウスボルフ美術 フロスティ・フリズリクソン衣装 ニーナ・グロンランド編集 ユリウス・クレブス・ダムスボ音楽 アレックス・チャン・ハンタイキャストエリオット・クロセット・ホーブ(ルーカス)イングバール・E・シーグルズソン(ラグナル)ビクトリア・カルメン・ゾンネ(アンナ)ヤコブ・ローマン(カール)イーダ・メッキン・フリンスドッティル(イーダ)ワーゲ・サンド(ヴィンセント)ヒルマル・グズヨウンソン(通訳)2022年・143分・G・デンマーク・アイスランド・フランス・スウェーデン合作原題「Vanskabte Land」2024・04・15・no059・シネリーブル神戸no238・SCCno21追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.05.23
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アグニエシュカ・ホランド「人間の境界」シネリーブル神戸 なんとなくな、予感のようなものにうながされて見ました。アグニエシュカ・ホランドというポーランドの監督の「人間の境界」です。 映画の、そもそものタイトルであるGreen Borderという文字が白色のフォントで現れて、やがて、緑色に変わります。 で、映像では、緑の森林 がモノクロになって、場面は飛行機の機内に変わり映画が始まりました。 正確な小題は忘れてしまいましたが、「難民」、「国境警備兵」、「支援」という小タイトルが付けられて、いわば、三つの視点かららのオムニバス形式でGreen Borderの現実が描かれていました。 で、Green Borderとは何か? というと、映画の解説によれば、ポーランド語(?)ではZielona Granicaと書くらしいですが、「緑の国境を越える」=「政府の許可なく非合法に越境する」 という意味だそうで、EU圏内の国境自由通過を定めたシェンゲン協定(1995)以降、EU圏内における国境は自由通過らしいですが、この作品が映し出していたのはEU圏外から「誰」が、「何故」、EU圏内への、いや、ポーランドへの「非合法越境」のために、隣国ベラルーシに集まり、そこからZielona Granicaを越境しポーランドへの入国を求めているのか。そこで何が起きているのか? ということでした。 で、映画の最初に映し出された「緑の森」のシーンこそ、その現場であり、恐るべき「現実の場所」であるという作品でしたが、映し出される映像には言葉を失い、目を瞠る他になすすべがない印象の映画でした。「国家」と「国家」のボーダー、境界線であらわになる「国家」という共同幻想の悪夢のような現実の中に誰もが、無自覚に存在していて、その悪夢の中で、人間たちが「人権」も、「生存権」も、「モラル」も、「勇気」も、「善悪の判断」も、「誇り」も、みんな失って「ゴミ」くずとして存在している。 そんな印象でした。 映画に出てくる「難民」と呼ばれている人たちも、支援者たちも、あるいは、双方の国境警備の兵士たちや警官たちも、もう少し広げていえば、ただの市民を生活の場所から追い出した国家指導者たち、政治家たちや宗教原理主義者たちも、ついでにいえば、世界の「難民」の現実など、かけらも気にかけない生活を送る極東の島国の徘徊老人も、人間を失った、その悪夢の中に生きているという現実認識、それを突き付けてくる迫力がこの作品にはありました。 支援に参加し、国家のルールを越えて活動しようとするエリアという女性医師が登場し、彼女に対して、アナキストの一人が「あなたを見直したよ。てっきり自己評価を高めるために支援グループに入ったんだと思ったけど、違ったね。」 と語りかけるシーンに「映画は無力ではない!」 とチラシで語っているアグニエシュカ・ホランド監督の言葉の真意が木霊すのを感じました。 いや、それにしても、もう一度「人間」を取り戻すために、何をすればいいのか、を問いかけてくるというか、まあ、途方もない作品! でした。拍手!監督 アグニエシュカ・ホランド脚本マチェイ・ピスク ガブリエラ・ワザルキェビチ=シェチコ アグニエシュカ・ホランド撮影 トマシュ・ナウミュク美術 カタジナ・イェンジェイチク衣装 カタジナ・レビンスカ編集 パベル・ハリチカ音楽 フレデリック・ベルシュバルキャストジャラル・アルタウィル(バシール:シリア難民)マヤ・オスタシェフスカ(ユリア:精神科医)トマシュ・ブウォソク(ヤン:ポーランド国境警備兵)ベヒ・ジャナティ・アタイ(レイラ:アフガニスタン難民女性)モハマド・アル・ラシ(祖父:シリア難民)ダリア・ナウス(アミーナ)2023年・152分・G・ポーランド・フランス・チェコ・ベルギー合作原題「Zielona Granica」「Green Border」2024・05・15・no069・シネリーブル神戸no243追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.05.22
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チェン・アル「無名」シネリーブル神戸 ボクでも知っている香港映画のスター、トニー・レオンがあの顔でこっちを見ているポスターとか、上のチラシとかを見て、「やっぱり見ておきましょう!」 と思っていました。 で、神戸では封切りから10日くらいたっていますが、最初は、まあ、連休中ということもあって、ずっと満員でしたが、ようやく落ち着いてきたのを見計らってやって来たというわけです。チェン・アル監督の「無名」です。 1940年代の上海が舞台で、日本軍の特務、共産党の工作員、国民党、南京政府の政治保衛部、とりあえず、そのあたりが入り乱れてのスパイ映画でしたが、そこそこ面白かったですね。 この時代の上海は、まあ、わけが分かんない世界なのですが、国民党も重慶にいる蒋介石と南京の汪兆銘が争っていて、中日戦争の最中なのに、蒋介石は米・英と組んでいて、延安の共産党はソビエト・ロシアと、で、南京政府は日本と、というわけで、シッチャカメッチャカなわけで、なんでもありの舞台ですね。要するに、奇々怪々の時代なのです。 実際、トニー・レオン演じる、汪兆銘政権の保衛部のフーさんも、その部下イエくんを演じるワン・イーボーくんも、どうせ二重、三重スパイに決まっていると思っていたら、ホントにそういうことだったので笑ってしまいました。 間抜けだったのは、一番、偉そうにしていた日本の特務の渡部さんだったという結末は、ちょっと、中国でのウケ狙いを感じるご都合主義を感じましたが、彼が繰り広げる大東亜戦争遂行をめぐっての近衛、東条、石原のドタバタ無責任三つ巴論も、結構、外側からの視線という趣で面白かったのですが、満州での権益もみんな失って、スパイする必要がなくなった渡部くんが、「アレだけ迷惑をかけておいて、家に帰ってノンビリ百姓とかできると思うなよな!」 とばかりに、あっさりイエくんにとどめを刺されるのを見ていて、「やっぱり、中国共産党プロパガンダ映画かな?」 とか思ったりもしたわけです。 映画のシーンが、最後は香港に戻って来て、そのまた最後の最後に、イエくんが共産主義者なんだよ! と告白するシーンで終わるのも、意味深な気がしましたが、まあよくわかりませんね。 ボク自身は、見ていて、この時期の上海にヨーロッパ系というか、たとえば白系ロシア人とかの白人が全然いないことが、何となく不思議だなあとか考えながら、そういえば、この時期に堀田善衛と武田泰淳が上海にいたんだよなと思い出したのですが、これは、まあ、映画とは何の関係もない話ですね(笑)。監督・脚本・編集 チェン・アル:程耳撮影 ツァイ・タオキャストトニー・レオン:梁 朝偉(フー)ワン・イーボー:王一博(イエ)ジョウ・シュン(チェン)ホアン・レイ(ジャン)森博之(渡部)ダー・ポン(タン)エリック・ワン(ワン)チャン・ジンイー(ファン)2023年・131分・G・中国原題「無名」「Hidden Blade」2024・05・13・no067・シネリーブル神戸no242追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.05.14
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アンドレアス・ドレーゼン「ミセス・クルナス vs. ジョージ・W・ブッシュ」シネリーブル神戸 2024年のゴールデンウィークも終わってしまいましたが、まあ、3月くらいからその気配は感じてはいたのですが、映画館は結構盛況です。メデタイことなのですが、人がいない映画館にすっかり慣れてしまった徘徊老人にはチョット・・・、というわけで、この映画はいないだろうを探して見つけたのがこの作品でした。 アンドレアス・ドレーゼンというドイツの監督の「ミセス・クルナス vs. ジョージ・W・ブッシュ」です。 会場は数人という所で、ノンビリ見ましたが、アタリ! でした。 ドイツのブレーメンという町のクルナスさんというトルコ系の移民の家族の長男、ムラートくんという二十歳前の青年が、町のイスラム教の祈祷所でオルグされパキスタンに行ってしまうのですが、そこで、タリバンとして米軍に逮捕されて、悪名高い、あのグアンタナモ収容所に収監されてしまうというのが事件の背景でした。だから、アフガニスタンを本拠地化したタリバンを標的化してやっつけるのに、アメリカが躍起になった2001年の9月11日のテロ事件以降の世界が舞台でした。 で、映画が描いた事件というか、物語は、この無実の青年の奪還なのですが、主役はママのラビエ・クルナスさん、演じているのはメルテン・カプタンという、実はコメディアンらしいのですが、デカい、中年のおばちゃんで、相手役が「まあ、ドイツのインテリはこういう顔してるんでしょうな」という感じの弁護士ベルンハルトさんという二人組の、世界を股にかけて飛び回る物語でした。「電話帳で予約したわよ!」 と叫んで、弁護士事務所に登場し、インテリ弁護士を圧倒してしまう始まりのシーンは見ものですよ。笑えます! ベンツのスポーツカーのアクセルを目いっぱい踏み込んで、ワキミ運転はするわ、一方通行を平気で逆進して、対向車に明るく挨拶するわの、このトルコから来たおばちゃんが、とどのつまりは、アメリカの最高裁にジョージ・W・ブッシュを訴えるという展開で、かなり楽しい映画でした。 でもね、ベトナムの頃でもそうだったんだと思いますが、国外の米軍基地を治外法権の収容所にすることで、国内向けには「正義」を演出してきたアメリカの世界の軍事統治の実相 をかなり鋭くえぐって見せているところとか、ヨーロッパの、この映画の場合はドイツですが、流入する移民政策の裏側 というか、あまり知られていない部分を暴いているわけで、これだけの社会批判を「お笑い」的にヒューマン・コメディで描いてみせる この監督の手腕には感心しました。拍手!ですね。で、なんといっても、最初から最後まで、まあ、疲れ果てながら、大活躍のおカーちゃんラビエ・クルナスさんを演じていたメルテン・カプタンに拍手!でした。 そこがトルコ的なのか、そのあたりはよくわかりませんが、おかーちゃんは大忙しでブッシュとか相手にしているのですが、おとーちゃんは知らん顔とか、それでいて、おカーちゃんがあこがれているベンツのスポーツカーを買ってあげるとか、いいご夫婦でしたね。もちろん、二人いる弟君たちもいいカンジ、いい家族でしたよ。 そのあたりの描き方が、この監督はうまいですね。 この映画で弁護士を演じていたのが、アレクサンダー・シェアーという俳優さんでしたが「ああ、あの人だ!」 と、三年ほど前に見た東ドイツの秘密警察のスパイだった「グンダーマン」という人を描ていた作品でグンダーマンを演じていた人だった人だと気づいて、この映画が、同じアンドレアス・ドレーゼンという監督の作品だということにようやくたどり着くという迂闊さだったのですが、この人たちの名前は、俳優も監督も今回で覚えました(笑)。監督 アンドレアス・ドレーゼン脚本 ライラ・シュティーラー撮影 アンドレアス・フーファー美術 ズザンネ・ホップフ編集 イョルク・ハウシルトキャストメルテン・カプタン(母ラビエ・クルナス)アレクサンダー・シェアー(ベルンハルト・ドッケ)マーク・ストッカーチャーリー・ヒュブナーナズミ・キリク2022年・119分・G・ドイツ・フランス合作原題「Rabiye Kurnaz gegen George W. Bush」2024・05・10・no066・シネリーブル神戸no241追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.05.12
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オタール・イオセリアーニ「蝶採り」シネ・リーブル神戸 舞台はフランスの田舎で、なんだかすごいお城で暮らしている2人の老婦人が登場します。お二人は森でピストルを撃つとか、オーケストラに楽器を持って出かけるとか、ヨーロッパって階級社会だったんだなあ!?!? と、その歴史を、生活感で残していることにポカーンとしながらも、彼女たちの人生の余裕というか、広さというかを、なんとなく羨ましく思って見ていると、バブル景気の日本から、彼女たちが暮らしているお城を買いたいとビジネスマンがやって来るんですよね。 金を持った日本人が、無思想、無節操に服を着せるとこうなるというかの、異様なリアリティを漲らせながら登場します。 なんというか、いろいろあったらしいジョージアとかいう国から、フランスのパリに来て、自前で映画を作っている人の脳裏に浮かぶ「これが日本人!」 というのが、このシーンの人たちなのだと思うと、ちょっと笑えないですね。 アジアの、だから韓国とか中国とかの、チョット歴史がらみの映画に出てくる日本人というのが、見ていてああ、いやだ! という存在として演出されていることが多いのは、まあ、仕方がないなと思うのですが、こういう、ヨーロッパでも、どっちかというと田舎風のノンビリしたの映画に、いかにも金の亡者の姿で登場するのが「日本人!」 なのだということを、ご当人であるボクたちは、もう少し自覚した方がいいのでしょうね。 映画は解説にある通り「滅びゆく古き良き時代へのノスタルジーをにじませながら」、現代社会が捨てていきつつある何かを、一抹の寂しさを漂わせながら「シニカルに描いた」作品でした。 経費が掛かって、世話が焼けることばかりが「老人問題」とか「高齢化社会」とかレッテルを張って話題になるご時世です。この映画がつくられたのが2004年だそうです。当時、50代だったわけですが、それから20年経った2023年の今、立派な老人になってしまって見ながらだからこそ、余計にそう感じるのでしょうが、年をとった人が、その人生において、受け取って来たものが、こうして消えてゆくことに対してイオセリアーニという人のナイーブな視線 にホッとさせられる映画でした。 監督イオセリアーニと二人のオバーちゃんに拍手!でした(笑)。監督 オタール・イオセリアーニ製作 マルティーヌ・マリニャック脚本 オタール・イオセリアーニ撮影 ウィリアム・ルプチャンスキー美術 エマニュエル・ド・ショビニ音楽 ニコラ・ズラビシュビリキャストナルダ・ブランシェマリ(アニエスのいとこの老婦人)アレクサンドル・チェルカソフ(公証人アンリ・ド・ランパデール)アレクサンドラ・リーベルマンマリ(アニエスの妹エレーヌ)エマニュエル・ド・ショビニ(神父)ピエレット・ポンポン・ベラッシュ(家政婦ヴァレリー)タマーラ・タラサシビリマリ(アニエス・ド・バイオネット)1992年・118分・フランス・ドイツ・イタリア合作原題「La chasse aux papillons」日本初公開 2004年6月19日2023・03・14-no040・シネ・リーブル神戸no187追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.05.05
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マルコ・ベロッキオ「エドガルダ・モルターラある少年の数奇な運命」シネリーブル神戸 2024年の連休は、元町映画館でやっているイスラム映画祭とか、シネリーブルの「無名」とか、やたら満員で、さて、どこに行こうかと困っています。 で、なるべく、ノンビリ見られそうな作品ということで、やって来たのがマルコ・ベロッキオというイタリアの監督の「エドガルダ・モルターラある少年の数奇な運命」です。はい、いつものようにノンビリ鑑賞出来ました(笑)。 で、映画ですが、19世紀の後半、教皇ピウス9世という人がやった、原題で「Rapito」=「誘拐」とズバリ指摘されてる「誘拐」事件を題材にした歴史ドラマで、こともあろうに、カトリックの総本山である教皇庁によって、白昼堂々とやってのけられた犯罪映画でした(笑)。 ボローニャの町のユダヤ人の家庭から、両親も兄弟たちも、心配してかけつけた親族も見ている前で、7歳の誕生日を迎える直前の少年、エドガルド・モルターラくんが拉致、誘拐される所から映画は始まりました。 見ているボクには何が起こっているのか実はよくわからなかったのですが、教皇の使いで、誘拐の当事者として登場するのが異端審問官だったとか、いつの間にか、その少年が、ユダヤ教徒である家族が知らないうちにキリスト教徒のメイドによって受洗させられていて、すでにキリスト教徒であるらしいとか、教皇庁に子どもを取り返しに来た母親と一緒に家に帰りたがったエドガルドに対して「母親が改宗したら、家に返してやる。」とかいう、シーンや発言を見たり聞いたりしているうちに、描かれている事件の輪郭が、まあ、ボンヤリとですが、つかめてきて、俄然、面白くなってきました。 映画は両親が訴え出た世俗的(教会の外での)な裁判の経過や、教皇庁で育てられて、成長していく少年の姿を描いていきます。誘拐されたのが7歳ですから、小学校1年生くらいだった少年が20歳を過ぎるあたりまでが描かれていますが、ボクの興味は「で、この少年はキリスト教徒になるのだろうか?」 でした。 マア、そんなふうなことを考えながら見ているボクにとって山場は三度ありました。一つ目は弟を救い出しに来た兄とに対して「ぼくはキリスト教徒だ!」と叫び、ともに家に帰ることを拒否した別れのシーン。二つ目は教皇ピウス9世の死の騒乱の中で「こんな死体は川に捨ててしまえ!」と叫ぶシーン。そして、最後は、母の臨終に駆け付けたエドガルドが、母から「ユダヤ教徒として死ぬ。」と、死への旅立ちの別れを拒否されるシーンです。 で、エンドロールには、彼がキリスト教の、カトリックですから神父ですかね、まあ、その仕事(?)で、90歳だかの年齢まで生きたことが流れてきました。さて、彼は真正な宗教者、キリスト教徒になったのでしょうか? まあ、そういうことを呟きながら、高架沿いを歩いていて思い出したのですが、この映画は1850年代から80年代くらいのイタリアが舞台なのですが、この時代のヨーロッパってわけわかんないんですよね。 日本の場合でも、黒船来航が1850年代で、そこから20年くらい、実はよくわからないわけですが、イタリアも、この時代は統一運動の最中で、教皇の権力と市民、まあ、国民国家の権力成立のせめぎあいの時代で、たとえば、エドガルドの兄が教皇庁に攻め込んでくる兵士として登場する背景とか、見ている時には、ちょっとあやふやで困りましが、兄はユダヤ教徒としてやって来たのではなくて、イタリア統一運動の市民兵として登場したのですね。 ひょっとしたら、日本人が明治維新のことをくりかえしテレビドラマとかで見ているように、イタリアの人には常識かもしれませんが、そのあたり、極東の徘徊老人にはちょっと難しかったですね。 しかし、統一イタリア王国がローマを首都にしたことで、国王を始め、政府関係者を片っ端から破門したり、ドイツのカトリックを弾圧したという理由で鉄血宰相ビスマルクを敵に回したりしたピウス9世のぶっ飛んだ描き方は、案外、実像に近いんじゃないかという印象で、市井のユダヤ人に対して、ほとんど、いいがかりとしか思えないやり方で子供を攫ってくるなんて、平気だったんでしょうね。 パオロ・ピエロボンという俳優さんが演じるピウス9世のという、その人物の不気味さは、なかなかだったと思いました。拍手! で、もう一つよかったのは子供のエドガルドを演じたエネア・サラ君と、お母さん役のバルバラ・ロンキマリさん、少年は可愛らしいし、お母さんはしっかり者で、拍手!でした。 チラシに「実話であるということが、何より恐ろしい」 というコピーがありますが、恐ろしいと宣伝したいのは幼児誘拐と洗脳教育ですかね?それとも洗礼とかで約束させられる信仰の絶対性とかですかね?ピウス9世をはじめとする権力的・官僚的宗教者ですかね?キリスト教によるユダヤ教蔑視ですかね? 映画の中に、教会の壁の十字架に釘付けにされたキリスト像の釘を、少年が抜くシーンがありましたが、釘を抜いてもらったキリストがフラフラ、どこかに行ってしまうのが笑えたのですが、あのシーンはよかったですね(笑)。現代社会において必要なのはあれかもしれませんね。 まあ、ボクは信心とか信仰とかには100%縁のない人間ですから勝手な言い草なのかもしれませんが、別に、この映画、歴史的事実は描いているかもしれませんが、だからと言って、恐ろしいことは描いていないと思うんですが。ボクとしては、映画を通して、妙な主張をしなかったマルコ・ベロッキオ監督さんにも拍手!でした。監督 マルコ・ベロッキオ脚本 マルコ・ベロッキオ スザンナ・ニッキャレッリ エドゥアルド・アルビナティ撮影 フランチェスコ・ディ・ジャコモ美術 アンドレア・カストリーナ衣装 セルジョ・バッロ編集 フランチェスカ・カルベリ ステファノ・マリオッティ音楽 ファビオ・マッシモ・カポグロッソキャストエネア・サラ(少年エドガルド・モルターラ)レオナルド・マルテーゼ(青年エドガルド・モルターラ)パオロ・ピエロボン(教皇ピウス9世)ファウスト・ルッソ・アレシ(父サロモーネ(モモロ)・モルターラ)バルバラ・ロンキマリ(母アンナ・パドヴァーニ)アンドレア・ゲルペッリコッラード・インベルニッツィフィリッポ・ティーミファブリツィオ・ジフーニ2023年・125分・G・イタリア・フランス・ドイツ合作原題「Rapito」2024・05・03・no063・シネリーブル神戸no240追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.05.04
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ジュリアーノ・モンタルド「死刑台のメロディ」シネリーブル神戸 「エンニオ・モリコーネ特選上映 Morricone Special Screening×2」という企画で、神戸ではシネリーブル神戸で上映されている作品です。予告編を見ていて、ジョーン・バエズの声が聞こえてくると、まだ20代だった学生の頃に見た頃のことがわらわらと浮かんできました。 「Sacco e Vanzetti」という、まっすぐな原題の作品が「死刑台のメロディ」という邦題で公開されていて、どこかの名画座で見ました。50年程も昔のことです。 歴史的な冤罪事件の映画化が事件の50年後に実現し、その50年後に映画音楽の特集上映で再上映され、今年70歳になるの老人は、50年ぶりに「これがアメリカだ!」 と再確認したのでした。国家権力としての、暴力国家としての「アメリカ」 ですね。 見たのはジュリアーノ・モンタルド監督のイタリア映画「死刑台のメロディ」です。 映画はフレーム・アップ、でっち上げの冤罪事件の真相を告発するドキュメンタリーの雰囲気で始まりますが、メインに据えられているの、フレームアップがいかに進行していくのかを、神に誓った真実のことばがやりとりされている「法廷劇」として描かれていました。 この年になってでしょうね、とりわけ面白かったのは権力者の言葉と、反権力者、抵抗者の言葉の違いを、実にクリアに描いていたことでした。 権力者は、あくまでも言葉の表層に拘泥し、揚げ足取りやアジテーションによって、権力の象徴であり、抽象的で、超越的な「法」の網に取り込むことができるかのように相手の言葉を誘導します。何の力もない、その社会の言葉である英語だってうまくしゃべれるわけでもない、一人でそこに、さらし者のように立っている人間が発することばに対する解釈の権力性を臆面もなく主張している姿を活写していました。 たとえば、現場に残された銃弾が32口径であれば、今、目の前にある32口径から「発射されたと言えないことはない」という論旨が、「発射されたにちがいな」へと変わっていく権力的な「ことば」の扱い方の描写は、バンゼッティの最後の言葉である「正義とは何かを証明するために生まれてきた。」 というような、内的真実の叫びというべき「ことば」の吐露と好対照でしたね。 裁判から判決の過程で精神的安定を完全に失いながらも、そこから回復した、もう一人の主人公サッコが「利他を尊べ」と子供に遺しながら、大人に対してはことばを捨てて殺されていった姿にも打たれました。貧しい、流転の人生を生きてきたこころを支える、正直で素直な言葉の存在を共有できないことへの怒りと絶望の沈黙という印象で、この人の姿に人間的な真実 を感じました。 エンニオ・モリコーネの映画音楽の企画なのですが、音楽としてはHere's to Youを歌うジョーン・バエズの歌声以外は、まあ、気付かなかっただけかもしれませんが、実に静かな(?)会話劇の印象でした。サッコとバンゼッティを演じる二人を始め、法廷に登場する人たちの、見ているこちらを、今でもシラケさせない堅実な演技に時代を感じました。50年前、単純な告発映画として見ていたということを実感しましたが、サッコの沈黙 については気づいていたようです。ボクにとってはしみじみと拍手!の懐かしい作品でしたが、できれば、若い人たちにも見てほしい作品ですね。 民主主義を標榜しているアメリカの底に流れるもの、アメリカにかぎらず権力のやり方、まあ、そのあたりは50年変わりませんね(笑)。監督 ジュリアーノ・モンタルド脚本 ファブリツィオ・オノフリ ジュリアーノ・モンタルド撮影 シルバーノ・イッポリティ音楽 エンニオ・モリコーネ主題歌 ジョーン・バエズキャストジャン・マリア・ボロンテ(バンゼッティ)リカルド・クッチョーラ(サッコ)シリル・キューザック(検事)ロザンナ・フラテッロジェフリー・キーン(判事)ミロ・オーシャ(弁護士)ウィリアム・プリンス(弁護士)クロード・マン1971年・125分・イタリア原題「Sacco e Vanzetti」日本初公開1972年5月2024・04・22・no060・シネリーブル神戸no239追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.23
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ジュスティーヌ・トリエ「落下の解剖学」シネリーブル神戸 神戸のシネリーブルでは2024年の2月の下旬に封切られた作品ですが、チケット予約で覗くと連日盛況で、チョット近づくことを躊躇していると、今度はアメリカのアカデミー賞で脚本賞とかいうニュースが流れてきて、客足がとまるどころか・・・、仕方がないので覚悟して出かけました。「ああ、やっぱり、多いですね(笑)。」「はい、アカデミー賞ですから。」 まあ、チケット売り場でそういう会話があって、ここのところのボクとしては珍しく、かなり前の席で、昔はずっとそのあたりだったことを懐かしがりながら、ちょうど真正面のデカい画面をやや見上げるような席で見ました。ジュスティーヌ・トリエというフランスの女性監督の「落下の解剖学」でした。 大きなログハウス風のお屋敷の3階だったかの屋根裏部屋のベランダから、男が落ちて死んでいたシーンがチラシの写真です。直接の死因は頭部の打撲傷なのですが、大怪我をして「落下」したのか、「落下」しながら大怪我をしたのかを、裁判で明らかにしましょう。 という映画でした。 で、怪我を解剖しても、怪我をしたのがいつだったのかわからないので、「落下」という出来事を、みんなで解剖してみましょう。 まあ、そんな感じの裁判だったと思いますが、裁判という制度が、事実の「解剖」では出来事の真相にたどり着けない場合、ようするに物証がないこの映画のような事件の裁判の場合、「結論」を物語化する ものだということを、案外、多くの人が信じているということがよくわかりました(笑)。 でも、多分、殺人事件の裁判の立証でそういうことはあり得ませんね。そこのところを隠しているのが、この映画の大きな欠点だったという印象が、まあ、ボクには、強く残りました。 大怪我の結果、死んだのは夫で、怪我をさせた、あるいは、殺したと疑われているのは妻、第一発見者は、息子と犬でした。この映画の裁判で検事が、芝居気たっぷりに「解剖」しようとしているかに見えるのは「家族」、「夫婦」、そして「夫」、「妻」、「子ども」の内側ですね。ああ、これでは真相はわかりっこないな! そう思って見ていましたが、やっぱりわかりませんでしたね。凶器というか、物証が、それが物置の屋根の角であれ、ひょっとしたら妻が振り上げたトンカチであれ、無いのですから、状況証拠を争う裁判をいくらドラマチックに展開しても、自白を誘導していいるだけで、「結論」は主観的に選ばれる よりしようがないわけです。 まあ、そういうことを考えながら見ていて、この映画というか、映画の製作者は「裁判という制度」について最初から観客をだましているな とういう感じで見続けていました。 どういうことかというと、裁判という制度は、たとえば、殺意が認定できても殺人を認定できない場合、「疑わしきは罰せず」の原則にのっとって無罪放免以外に方法はないということを伝えずに、裁判をある男の死の真相の謎をサスペンス化して、それが見つけられるはずの場として、あたかも法廷劇であるかのように、「裁判」を描いていたことですね。何が表現したいのかよくわからない展開でした。 というわけで、事件の真相がサスペンスとして語られていると思いながら見ているわけですが、謎が吊るされているロープがぴんと張っていないという気分は募るばかりでしたが、検察側の状況証拠に、夫が録音した夫婦喧嘩の実況中継が出てきて、関心を持ち直しました(笑)。 妻の職業が小説家で、夫は書けない小説家志望、二人の小説作法に共通するのが、現実の小説化ということです。これは面白いやん! 島尾敏雄ですね。数年前、梯久美子の「狂うひと―『死の棘』の妻・島尾ミホ―」(新潮文庫)という評論が話題になりましたが、その中で、「作家島尾敏雄は自らの浮気の事実を記した日記を、台所のテーブルに置き忘れることで、妻、島尾ミホに読ませることで、彼女の精神的錯乱を誘発し、それを作品に書いた」 とあったことが、映画を見ている頭の中にワラワラと浮かんできて、新たなるサスペンス! の始まりでした。 まあ、映画では、夫によって文章化された夫婦喧嘩の描写が小説のプロットとしてつまらないという編集者の判断があり、夫の作家的無能の、だから自殺を思い立つ状況証拠化されてしまって、一気にロープが緩むのですが、どうせなら、妻がこの場面を書いた原稿まで、見つけてほしかったですね。そこに、妻の殺意が描かれていたとしても、現実の殺意とは、実は、ほとんど関係ないというあたりまで、どう描くか、まあ、そんな期待だったのですが、トンボ切れでした(笑)。 要するに、書くために生きていた二人にとっての現実や生活は何だったのかという問いに欠けるところが、この作品の残念なところだったと思うのですが、アカデミー賞では、なんと脚本が褒められたよう で、一瞬、興奮しかけたのは空振りだったようですね(笑)。 付け加えていえば、この作品で、境遇に耐えながら、なんとか、生きているのは少年と犬だけでしたね。 少年は、裁判であげつらわれている母と父の虚構の生活の中で、自らの存在も、また、虚構されているのですが、残された母の命を救うことで、自らが「生きる」ことを選び取ったといえるのかもしれません。 上にあげた「狂うひと―『死の棘』の妻・島尾ミホ―」(新潮文庫)を書いた梯久美子が、評伝執筆にあたって協力を依頼した島尾夫婦の、長男、島尾伸三から「きれいごとにはしないでくださいね」といわれたという話は有名ですが、この映画で、帰宅した母に少年がいう「ママが帰ってくるのが怖かった」 というセリフは、かなりいい線いっていると思うのですがね。問題は、誰が死んだ、誰が殺したではないのです、これから、再び始まる「狂うひと」との生活なのです、でも、この映画、そっち向きに作られているのかな?というのが、文学オタクの老人のうがった感想でした(笑)。監督 ジュスティーヌ・トリエ脚本 ジュスティーヌ・トリエ アルチュール・アラリ撮影 シモン・ボーフィス美術 エマニュエル・デュプレ衣装 イザベル・パネッティエ編集 ロラン・セネシャルキャストサンドラ・ヒュラー(サンドラ被疑者・作家)スワン・アルロー(ヴィンセント弁護士)ミロ・マシャド・グラネール(ダニエル息子)アントワーヌ・レナルツ(検事)サミュエル・セイスジェニー・ベスサーディア・ベンタイブカミーユ・ラザフォードアン・ロトジェソフィ・フィリエール2023年・152分・G・フランス原題「Anatomie d'une chute」2024・03・13・no042・シネリーブル神戸no236追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.22
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レニー・アブラハムソン「ルーム」シネリーブル神戸 「ギャガ・アカデミー賞受賞作品特集上映」鑑賞週間と決めて見てきたアカデミー賞作品の8本目で、一応これで終わりです。 上に貼ったチラシにあるように、2008年くらいからのライン・アップで、必ずしも作品賞ではありませんが8本です。あと6本残っていますが、今回見なかったのは、すでに見たことがある作品だったからですね。 で、今回見た作品は、制昨年(必ずしも受賞年度ではありません)が古い順に2009年制作の「スラムドッグ$ミリオネア」、2010年の「英国王のスピーチ」、2011年が「アーティスト」、「裏切りのサーカス」、2013年が「世界にひとつのプレイブック」、2014年が「イミテーション・ゲーム」と「セッション」で、この「ルーム」が2015年に作られた一番新しい作品です。 今回の特集は「ギャガ」という配給会社の作品の特集ですが、ギャガだからという特徴とか傾向はボクにはわかりませんが、アカデミー賞がどういう作品をノミネートしてきたのかということについてはなんとなく体感! しました(笑)。 感じたままをいえば、筋運びと構成の明快さと作り手の意図の「人間性」の中庸さ、で、当然、その結果の後味のよさ! が共通していると思いました。 まあ、いってしまえば「大衆性」の最大公約数が選ばれているという感じです(笑)。ただ、ボクには映像的な特徴をあれこれいう眼力がありませんから、要するにストーリーとして見た感想にすぎません。 で、今回の「ルーム」ですが、レニー・アブラハムソンというアイルランドの監督の作品でした。 7年前、通学の途中に誘拐され、小さな納屋に監禁され、その間に誘拐犯との子供まで生み、一人で育ててきた女性ジョイ。この世に生まれてきてから5年間、閉じ込められた狭い空間、「ルーム」で、母と誘拐犯の父の顔と、天窓から見える空しか知らずに育った少年ジャック。 つい、先ごろ見た「ボーはおそれている」という映画になぞらえていえば「ジャックは愛している」ということになるのかもしれませんが、彼が母であれ、他の他者であれ、人を愛することができるための本当の「ボク」になるためには「外」=本当の世界 が必要になりますねという始まりでした。。「ママの名前はジョイ、この「部屋」の外には本当の世界があるの」 母のこの言葉から、5歳になったジャックくんの「外へ」の冒険! が始まりました。 見終えて印象に残ったのは、「ルーム」から脱出して目の前に広がる「本当の世界」 がかすんでいたことと、漸くジャックくんともども「本当の世界」に帰ってきたジョイの苦しみをジャックくんが救うシーンでしたが、なんといっても、ジャックに助けられて、何とか生きる気力を取り戻したジョイに、縋り付きながら、しかし、おずおずとジャックくんが口にする言葉がすばらしかったですね。「ママ、おっぱい!」 ジャックとジョイは、やっとのことで母と子になれたのですね。 まあ、ジェイを演じたブリー・ラーソンさんが主演女優賞だったことにケチをつける気は、毛頭ありませんが、ジャックのジェイコブ・トレンブレイ君に主演男優賞はどうですか?(笑) という気分でした(笑) まあ、そういうわけで、ボクなりのアカデミー賞論(?)にぴったりおさまる作品で、拍手!でした(笑)。監督 レニー・アブラハムソン原作・脚本 エマ・ドナヒュー撮影 ダニー・コーエン編集 ネイサン・ヌーゲント音楽 スティーブン・レニックスキャストブリー・ラーソン(ジョイ母)ジェイコブ・トレンブレイ(ジャック息子)ジョアン・アレン(ナンシー祖母)ショーン・ブリジャース(オールド・ニック犯人)ウィリアム・H・メイシー(ロバート祖父)トム・マッカムス(レオ義祖父)2015年・118分・G・アイルランド・カナダ合作原題「Room」公開日 2016年4月8日2024・03・01・no035・シネリーブル神戸no234 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.17
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トーマス・アルフレッドソン「裏切りのサーカス」シネリーブル神戸 2024年の2月の最後の週は「ギャガ・アカデミー賞受賞作品特集上映」鑑賞週間と腹をくくって通っているのですが、7本目は2011年だかにノミネートで終わったらしいのですが、この企画の人気投票で残ったトーマス・アルフレッドソン監督の「裏切りのサーカス」でした。 企画のこのチラシを見るまで監督も作品も知らなかったのですが、「サーカス?ひょっとしてあれ?」 と思いついてシネ・リーブルに出かけたのですが、大当たり! でした(笑)。 1980年代だったと思いますが、イギリスの作家ジョン・ル・カレが、ボクの中では大ブームでした。「寒い国から帰ってきたスパイ」(ハヤカワ文庫)が始まりでしたが、ジョージ・スマイリー三部作(五部作?)「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」「スクールボーイ閣下」「スマイリーと仲間たち」(それぞれ早川書房、今はハヤカワ文庫)は大好きでしたね。これら、ル・カレの一連の作品ではイギリス諜報部、007映画では「M」と通称されているあれですが、あれが「サーカス」と呼ばれていて、思い浮かんだのはそれでした。 で、映画です。サーカスの主任コントロールが残したチェスの駒が映し出されるのを見て「よし、これや!」 でした。 ゲイリー・オールドマン扮するジョージ・スマイリーにホレボレでした。こういう気分で映画を見るのは久しぶりですね。 考えてみれば、不思議です。原作の小説「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」(早川書房)に浸ったのは30年以上も昔で、2020年にル・カレが亡くなったニュースをネットで見た時に、偶然、読んでいたのが「地下道の鳩」(ハヤカワ文庫)という回想録でしたが、何となく読み終えることが出来ないまま、いつの間にか同居人が読み終えて棚にもどったままの今なのですが、目の前のスクリーンにいるジョージ・スマイリーが懐かしくってしようがないのです。 顔立ちも(俳優さんなのですが)、物腰も、喋り方も、そして、発される言葉も(英語なんかわからないのに)、ボクが知っている、あのジョージ・スマイリーなのですね。 見終えて、しみじみしました(笑)。文句なし、拍手!ですね。 チャーチルだった俳優さんゲイリー・オールドマンとか、吃音に苦しんだ国王だったコリン・ファースとか、天才数学者だったベネディクト・カンバーバッチとか、ここのところお出会いして顔なじみの方々が、みなさんスパイとして勢ぞろい!(笑) で登場していらっしゃって、結構、笑えるところもあるのですが、イギリス映画らしい、どっちかというと地味ですが、落ち着いた作品で、その点も、まあ、ボクの好み! でした。というわけで、もう一度拍手!です。監督 トーマス・アルフレッドソン原作 ジョン・ル・カレ脚本 ピーター・ストローハン ブリジット・オコナー撮影 ホイテ・バン・ホイテマ美術 マリア・ジャーコビク編集 ディノ・ヨンサーテル音楽 アルベルト・イグレシアスキャストゲイリー・オールドマン(ジョージ・スマイリー)キャシー・バーク(コニー・サックス)ベネディクト・カンバーバッチ(ピーター・ギラム)コリン・ファース(ビル・ヘイドン:テイラー)スティーブン・グレアムトム・ハーディ(リッキー・ター)キアラン・ハインズ(ロイ・ブランド:ソルジャー)ジョン・ハート(コントロール)トビー・ジョーンズ(パーシー・アレリン:ティンカー)デビッド・デンシック(トビー・エスタヘイス:プアマン)サイモン・マクバーニー(レイコン次官)マーク・ストロング(ジム・プリドー)スベトラーナ・コドチェンコワ(イリーナ)2011年・127分・R15+・フランス・イギリス・ドイツ合作原題「Tinker Tailor Soldier Spy」公開日 2012年4月21日2024・02・28・no033・シネリーブル神戸no233 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.12
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タル・ベーラ「ヴェルクマイスター・ハーモニー」シネリーブル神戸 439分の「サタン・タンゴ」を見た喜びと、映画には圧倒された記憶だけ残っているタル・ベーラ監督の「ヴェルクマイスター・ハーモニー」、146分を見ました。 スクリーンに映っている人が、なにをしてるのか、よくわからないにもかかわらず、確かに、そこにいるという実感のようなものがわらわらと湧いてきて、ドキドキするという感じのシーンに出逢いたくて、こりもせず、待っていました(笑)。 開始早々、こいつは何者なのだという思わせる、ヤーノシュ(ラルス・ルドルフ)という名の、上のチラシの暗い顔の青年が、店主が閉店を宣言して、酒瓶を片付け始めた酒場で不思議な「宇宙論」を展開したあげく、そこにいた飲んだくれたちを捲込んで踊り始めます。いきなり、ポカーンでした。 で、その青年が音楽家エステル(ペーター・フィッツ)の家にやって来て、ロッキング・チェアで本を抱えたまま居眠りをしていたエステルを着替えさせ、ベッドに寝かしつけて、また出かけます。チラシによれば、彼は郵便屋さんらしいのですが、最後までわかりませんでした(笑) で、彼が出かけたのは、広場にやって来たクジラを見るためのようです。青年がクジラをしげしげと見ている長いシーンで、危うく寝込んでしまいそうになりましたが、何とか頑張って、目を凝らしてみていると、暗い道を歩き始めます。 ちょっと、ついでですが、ヴェルクマイスターは実在の音楽家です。バッハが対位法で有名ですが、その理論の先駆者だったと思います。この映画では、題名にも使われていて、登場人物の音楽家エステルが、その曲を批判しています。対位法を宇宙の調和の比喩だと受け取るならと、考えると、青年の宇宙論といい、理論批判といい、映画がなにかを暗示してる 気がしました。まあ、当てずっぽうですが(笑) で、その次に聞こえてくるのが、ボクでも知っているラデッキー行進曲でした。今ではニューイヤー・コンサートとかの定番で、ヨハン・シュトラウスの華やかな名曲ですが、元を糺せば、曲名が将軍の名であることでわかりますが、オーストリア・ハンガリー帝国の軍隊音楽です。この映画では、この曲が、かなり執拗にスクリーンに鳴り響いた後に、暴動だったと思います。 で、見終えて、浮かんでくるのは青年が歩く姿、青年と老音楽家が連れ立って歩く姿、暴徒と化した群衆が一斉に歩く姿、群衆の乱暴狼藉が、何故か、病院のような施設を襲い、とどのつまり、暴徒が乱入していった部屋のバスタブに、呆然と、静止画像のように、立っている裸の老人の姿です。 いったい何が起こっているのかわからないのですが、街が騒然となる直前、響き渡ったラデッキー行進曲が耳から離れませんね。 最後のシーンでは、戦車によって鎮圧されたらしい街の病院の一室に入院しているらしい主人公の青年と見舞いに来たらしい音楽家が並んでベッドに座っているシーンに、曲名はわかりませんが、静かな演奏の、多分ピアノだったと思いますが、音楽が流れてきた哀しさ には、いわくいいがたいものがありましたね。 結局、またしても、わけがわかりませんでしたが、拍手!でした(笑)。まあ、それにしても、登場人物たちの、場面、場面での表情というか、存在感というのは、やはりすごいかったですね。納得!でした(笑) 帰り道、駅前の信号で、偶然、元町映画館で働いているお友達を見つけて声をかけました。「ずーっと歩いているシーンばっかりやった。」「何いってるんですか、タル・ベーラは、それが見たくて見に行くんでしょ。」「ナッ、ナルホド!」「ああ、それは、そうと、極北のナヌーク、水曜ラストです。サイレントですが、すごくいいですよ。是非!」「あっ、わかった、うん、行くつもりやねん。じゃあね。」監督 タル・ベーラ共同監督 フラニツキー・アーグネシュ原作 クラスナホルカイ・ラースロー脚本 タル・ベーラ クラスナホルカイ・ラースロー撮影 メドビジ・ガーボル編集 フラニツキー・アーグネシュ音楽 ビーグ・ミハーイキャストラルス・ルドルフペーター・フィッツハンナ・シグラデルジ・ヤーノシュ2000年・146分・ハンガリー・ドイツ・フランス合作原題「Werckmeister Harmonies」2024・03・04・no036・シネリーブル神戸no235 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.05
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ソ・ウニョン「同感 時が交差する初恋」シネリーブル神戸 ここの所ギャガのアカデミー賞シリーズにはまっていますが、今日は、ちょっと一息! という気分で韓国映画でした。予告編を見ていて、滝口悠生という作家の「水平線」(新潮社)という小説を思い出して気に掛かっていたので見ました。 「水平線」ではスマート・フォンに過去から電話がかかってくるという出来事を起点にして、戦前、硫黄島で生まれ、戦禍の中で命を落とした人や、戦中から戦後の故郷喪失の人生を生きた人の歴史を、電話を受けた現代の兄妹が、それぞれ、たどり直すという、まあ、ボクなりのまとめですが、作品で、かなり胸打たれた作品でした。その小説が、2023年に読んだ日本の小説ではベストだった印象で心に残っていたこともあって、この映画が予告していた「時間旅行」の設定に興味を惹かれたのでした。 見たのはソ・ウニョンという監督の「同感 時が交差する初恋」でした。心温まる、なかなか後味のいいラブストーリーでした(笑)。 韓国には2000年に製作された「リメンバー・ミー」という恋愛映画、ラブストーリーの金字塔があるそうですが、その映画のリメイク作品らしいですね。ボクは、もちろん、その映画は知りませんが、「その映画、きっと、ウケたやろうな!」 と思わせる「同感」の後味でした。 まあ、上のチラシに写っている主人公の男性キム・ヨン(ヨ・ジング)君の、甘いマスクというか、ノー天気なボンボン顔のイケメンというかに、まず、アゼン! でしたが、イヤ味がないのがいいんでしょうね。 キム・ヨン君とキム・ムニさんという二人の、同じ大学に通う男女の学生が、1990年代と2020年代の30年程のギャップを越えて、アマチュア無線の無線機で交信、タイムスリップするという設定でした。 それぞれの時代を生きる20代の若い人が、時間と男女という性別を越えてわたしもそう思う! と共感するというお話でしたが、それを見ながら、よかった! よかった! と老人は笑うのでした。拍手! 二人をつなぐ無線機が、実は同じ無線機だとわかるあたりから、オシマイはこうなんじゃないの(笑) と結末が浮かぶのですが、ほぼ、想像通りの結末 に喜ぶ老人というのはなんなんでしょうね(笑)。監督・脚本 ソ・ウニョンキャストヨ・ジング(キム・ヨン)チョ・イヒョン(ムニ)キム・ヘユン(ハンソル)ナ・イヌ(ヨンジ)ペ・イニョク(ウンソン)2022・114分・PG12・韓国原題「Ditto」2024・02・27・no030・シネリーブル神戸no232 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.03
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デイミアン・チャゼル「セッション」シネリーブル神戸 今日は2024年、2月24日の土曜日です。3連休の真中で、人が多そうなのですが、「ギャガ・アカデミー賞受賞作品特集上映」鑑賞週間ときめた週なので、ガンバリマス!(なんのこっちゃ!)「なあ、セッションって、見たことある?」「あるある、テレビでやってた。なんか、苦しいねん。」「なんや、苦しいって?」「そやから、見てて、もう、息つまるねんか。でも、最後はよかったと思うで、見といで、見といで。」 というわけで6本目はデイミアン・チャゼル監督の「セッション」でした。 ナルホド! 息がつまるというか、そこまでやるかというか、まあ、納得ですね。 ジャズ・ドラマーになりたい青年の、なんというか、まあ、典型的なビルドゥングス・ロマン、あしたのジョーならぬ、明日のアンドリュー! という感じでした。ジョーの才能を見つける丹下段平役が、フレッチャー先生ですが、これが鬼でした(笑)。 楽器がドラムなので、テンポのことを異様に厳しく指摘するのですが、悲しいかな、ボクにはスクリーンから鳴ってくるリズムの違いが全く分からないわけで、なんだかわからないまま「息がつまる」シーン の、これでもか!これでもか! の連続でした。「見てきたで。」「よかったやろ。」「うん、苦しい、息がつまるの意味、ようわかった(笑)。」「ヤロ!」「あんな、元の題のWhiplashって、ムチやん。才能のある若い子にはムチやねん(笑)。」「そうなん?そんなんいややわ。でも、タイガースの佐藤には要るな。」「うん、ほっとくとクーラーに行くらしいから。ほんで、帰って来ながら気がついたんやけど、この映画のデイミアン・チャゼルって「ラ・ラ・ランド」の人やんな。ウケ方知ってはるいう感じやな。ラストも、思わず拍手!やし」 というわけで、無事、独り立ちしたアンドリュー君とちゃんと怒ったニコルさんに拍手!でした。 若いっていいですね(笑)。監督・脚本 デイミアン・チャゼル撮影 シャロン・メール編集 トム・クロス音楽 ジャスティン・ハーウィッツマイルズ・テラー(アンドリュー・ニーマン)J・K・シモンズ(フレッチャー)メリッサ・ブノワ(ニコル)ポール・ライザー(ジム・ニーマン)オースティン・ストウェル(ライアン)ネイト・ラング(カール)2014年・107分・G・アメリカ原題「Whiplash」公開日 2015年4月17日2024・02・24・no028・シネリーブル神戸no231 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.02
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デビッド・O・ラッセル「世界にひとつのプレイブック」シネリーブル神戸 今週から、当分は「ギャガ・アカデミー賞受賞作品特集上映」鑑賞週間と腹をくくって通っています。金曜日の今日で5本目でした。今日から上映開始時刻が1時間ほど早くなっていて、チョット助かります(笑)。 見たのはデビッド・O・ラッセルという監督の「世界にひとつのプレイブック」でした。2013年のアカデミー賞に、あれこれノミネートされて、パット(ブラッドリー・クーパー)とティファニー(ジェニファー・ローレンス)という、まあ、ぶっ飛んだカップル! のティファニー役だったジェニファー・ローレンスさんが主演女優賞を獲得した作品だそうです。題名ですが、邦題はもちろんボクには意味不明ですが、原題の「Silver Linings Playbook」を直訳しても、「立派な脚本」とかなのかと、困惑するだけでしたが、要するに、ちょっと過激なラブコメ でした(笑)。ハイ、二人のお話は世界に一つだけ、まあ、そういうことのようです(笑)。 で、感想ですが、はい、面白かったですね。パットのおやじとおふくろさんを演じていたロバート・デ・ニーロとジャッキー・ウィーバーのカップルも、かなり、ぶっ飛んでいて、笑えました。 ただ、主人公のお二人が、原因はともかく、「ご病気」であるという設定で、新たな人間関係の受容によって、社会生活を回復していく過程を「笑い」で描こうとしているように見える所に、チョット、違和感を持ちましたね。 人間の相互理解がもたらす「解放」の「可能性」を描いているわけですから、文句をつける筋合いはないのかもしれませんが、ボクにはひっかかりましたね(笑)。 で、なかなかユニークな女性を演じていたジェニファー・ローレンスさんの女優賞には、もちろん、文句はありませんが、もう一人のユニークな人物、主役のパットをくりかえし眺めていて、えーっ??? でした。ブラッドリー・クーパーって、この人、昨年見た「マエストロ」(クリックしてみてね)のバーン・スタインやんけ!(笑) まあ、10年以上も前の作品ですから、ブラッドリー・クーパーさんも、当然、お若いのですが、映画って、化けるんですねえ。いや、ほんと、笑っちゃいましたね。 というわけで、まあ、それほどこだわることなく、楽しい後味で、拍手!でした。 さて、私設アカデミー賞週間、次は何を見るのでしょうね。楽しみですね(笑)。監督・脚本 デビッド・O・ラッセル原作 マシュー・クイック撮影 マサノブ・タカヤナギ編集 ジェイ・キャシディ クリスピン・ストラザーズ音楽 ダニー・エルフマンキャストブラッドリー・クーパー(パット)ジェニファー・ローレンス(ティファニー)ロバート・デ・ニーロ(パット・シニア 父)クリス・タッカー(ダニー 病院の友達)ジャッキー・ウィーバー(ドロレス 母)アヌパム・カー(ドクター・パテル)シェー・ウィガム(ジェイク)ジュリア・スタイルズ(ヴェロニカ)ジョン・オーティス(ロニー)ポール・ハーマン(ランディ)2012年・122分・G・アメリカ原題「Silver Linings Playbook」公開日 2013年2月22日 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.02.29
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ミシェル・アザナビシウス「アーティスト」シネリーブル神戸 「ギャガ・アカデミー賞受賞作品特集上映」の3本目はミシェル・アザナビシウス監督という知らない方の作品で「アーティスト」でした。2012年の受賞らしいですね。 素人目にはアメリカ映画史という感じの展開で、てっきりアメリカの若い監督だと思って見終えましたが、なんと、フランスの監督でした(笑)。 で、画面は白黒ですが、灰色感の強い色調で、音はBGMの音楽だけで、セリフはスーパー・インポーズです。要するにサイレント映画ですね。作品情報を全く知らないで見たシマクマ君は、いつになったらセリフの「声」が聞こえて、灰色のスクリーンに「色」がつくのか、そればかり気にして見ていましたが、最後の数分になって聞こえてきた「音」、セリフじゃなくて靴音でしたがね(笑)。その「音」には感心しました。さすがアカデミー賞と、まあ、その音を見せる段取りのセンス!には、思わず拍手!でしたが、「この5分のために、90分辛抱したんだなあ・・・」 と、サイレント映画なんて数本しか見たことのないシマクマ君程度の映画経験ではとても追いつくことができない作品でした。 要するに、サイレント仕立ての、実に才気に満ちた作品! だったことは認めます。で、この作品を面白がる人がいることも認めますが、イヤー、ネムイのなんのって! 完敗でした(笑)。 いや、ホント、いろいろありますねえ(笑)。監督・脚本 ミシェル・アザナビシウス撮影 ギョーム・シフマン美術 ローレンス・ベネット衣装 マーク・ブリッジス編集 アン=ソフィー・ビヨン ミシェル・アザナビシウス音楽 ルドビック・ブールスキャストジャン・デュジャルダン(ジョージ・バレンタイン)ジャン・デュジャルダンベレニス・ベジョペピー・ミラーベレニス・ベジョジョン・グッドマンアル・ジマージョン・グッドマンジェームズ・クロムウェルクリフトンジェームズ・クロムウェルペネロープ・アン・ミラーペネロープ・アン・ミラーマルコム・マクダウェルマルコム・マクダウェルミッシー・パイルミッシー・パイルベス・グラントベス・グラントエド・ローターエド・ロータージョエル・マーレイジョエル・マーレイケン・ダビティアンケン・ダビティアン2011年・101分・G・フランス原題「The Artist」2024・02・21・no025・シネリーブル神戸no228 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.02.27
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ダニー・ボイル「スラムドッグ$ミリオネア」シネリーブル神戸 今日は「ギャガ・アカデミー賞受賞作品特集上映」という企画の2本目、2009年ですから、一番古い作品、「スラムドッグ$ミリオネア」を見ました。インドの監督の映画だとばかり思って見終えましたが、ダニー・ボイルというイギリスの監督の作品だということを、最近、ちょっと親しくなってうれしい、シネリーブルの受付嬢に教えられ、二度びっくり! でした。 一度目は、もちろん、見終えて、なんというか、あまりのうまさ、面白さにびっくり! でした。アカデミー賞の監督賞、作品賞ほか、あれこれ取ったという作品だそうですが、さもありなん! の納得ですね。 映画製作の当時、だから、まあ、今となっては10年以上も昔のことなので、あやふやですが、そういえばクイズ・ミリオネアって、日本でもあったなあ、とか思いながら見始めました。インドのミリオネアで、お金の単位はルピーです。ちなみに、1ルピーは1円80銭くらいだそうです。だから、賞金の価値は二本より高いんでしょうね(笑)。 文字を読めるかどうかも怪しいスラムで育った少年がクイズに挑戦して、最後の1問に到達したところで、詐欺を疑われて警察の取り調べを受ける。そこから映画は始まっていて、最初からの1問ごとに、少年が、何故、答えを知っていたかがフラッシュバック・シーンのように描かれていくという段取りです。 昨日見た「イミテーションゲーム」で、同性愛の罪で捕まった天才数学者が、戦争中の体験を供述するという段取りと、ほぼ同じでした。昨日は天才数学者の悲劇でしたが、この映画はスラムで暮らす少年と少女の冒険活劇でした。 シャマールとサリームという主人公とその兄、恋人ラティカという3頭のスラムドッグが、ムンバイ、まあ、ボクたちの世代はボンベイという名で知っているインドの大都市のスラム、裏社会を舞台に生き延びていく様子を描いているのですが、その社会描写が凄まじい! ですね。シャマールという、多分、ハイティーンの孤児の少年が、今日まで生き延びることができたことがまず奇跡的だと驚かせながら、一か八かで答え続けながら、一問、一問、答える度に、出演者の失敗に期待しながらも、自らにはかなえられない一獲千金の夢に興奮しながら、、テレビにくぎ付けになる小市民たちに、最後には大逆転するという展開は、ものの見事に70歳の小市民もスクリーンにくぎ付けにしましたね。 これが、公開の頃のチラシのようです。敗北も納得です。上手いものです。拍手!やるなあ!インド映画って、こういう展開か!? とか何とか、びっくり半分、納得半分で出てきたロビーで最初に書いた二度目のびっくり体験でした。「これって、インドの監督なの?」「いえ、ダニー・ボイルはイギリスの監督です」「ええー?イエスタデイの人か。」 まあ、見たこともないのにいうのは変ですが、実にインド映画っぽいと思ったのですがちがうようですね。インド映画初体験はまたの機会ですね(笑)。監督 ダニー・ボイル原作 ビカス・スワラップ脚本 サイモン・ビューフォイ撮影 アンソニー・ドッド・マントル美術 マーク・ディグビー音楽 A・R・ラフマーン編集 クリス・ディケンズキャストデブ・パテル(ジャマール・マリク 弟)フリーダ・ピント(ラティカ 恋人)マドゥル・ミッタル(サリーム・マリク 兄)アニル・カプール(プレーム・クマール 司会者)イルファン・カーン(警部)2008年・120分・イギリス原題「Slumdog Millionaire」公開日 2009年4月18日2024・02・20・no024・シネリーブル神戸no227 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.02.26
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ビクトル・エリセ「瞳をとじて」シネリーブル神戸今回の感想はビクトル・エリセの新作「瞳をとじて」です。神戸での初日は2024年、2月9日、金曜日でした。1月の半ばから「ミツバチのささやき」、「エル・スール」の2本を見て予習して、さあ、いよいよ! というか、待ちに待ったというか、まあ、そういう気分で駆け付けました。 見終えて、2週間以上たちました。いろいろなことが浮かんでは消え、消えては浮かびする、ふしぎな2週間でした。感想が形になりません。まあ、そうはいっても忘れてしまいそうなので、とりあえず書いておきたいことを書いておこうということです。書いておきたいことは二つです。 一つは、ちょうど50年前に作られた「ミツバチのささやき」で少女アナを演じていた、アナ・トレントという女優さんが、この映画では記憶を失ったフリオ・アレナスという男の娘アナとして出演していたのですが、彼女がその父親と再会し、顔を合わせたときに「私はアナよ」 という、ミツバチのささやきのあの一言を、50年を隔ててささやくのですが、その娘の眼差しに、困惑の表情を浮かべる老人に、じっと見入った後、まさに瞳をとじるシーンがあります。 で、そのシーンに見入りながら、ボクの中に浮かんできたのは、ボク自身が、自分では気づかないまま暮らしているに違いない、膨大な失われた記憶についての、なんともいえないカラッポな感慨でした。瞳をとじても、なんにも浮かんでこない「現在」 に座っている自分に対する、そこはかとない自覚といってもいいかもしれません。ボクは、なにをして、今日まで生きてきたんだろう? そんなふうにいってもいいかもしれない、自問のような感慨です。 映画を見ているボクに、スクリーンで瞳をとじたアナ・トレントの脳裏に浮かんでいるかもしれない、記憶を失っている父、5歳だったあの時の自分自身、そして55年の自らの人生、それぞれに対する記憶の重なり合った映像を空想させる、エリセの映画術に対する感嘆もさることながら、見ているこちら側の「記憶」の空虚に対して「あなたは何をして生きてきたのか?」 と、静かに問いかけてくる迫力に目を瞠りました。おそらく、長く映画が撮れなかったエリセ自身の中で、練りに練られてきたに違いないシーンなのだと思いましたが、さすが、ビクトル・エリセ! と思わざるを得ないシーンでした。 二つ目は、ラスト・シーンです。かつて、ともに映画を作った二人の老人が、あの時の映画のラストシーンを、目を瞠るとはこのことだた言わんばかりに見つめていました。 瞬きもせず、スクリーンを注視し続けるふたりの姿を見ながら、ボクの中に浮かんできたのは「生きるとは、こういうことだ!」 という、なんだかとてつもなく哀しい感慨でした。 このシーンの二人は「あの時に帰ることはできないだろう」 という、だからこそ、激しく胸をうち、忘れられないシーンになるに違いないという、なんだか、確信めいたこの思いは、20代、30代の頃のボクは持つことができなかったに違いないし、こうして、今、この作品に出逢えたよろこびも、この年齢になった今だからこそなのだという、うれしいような、悲しいような気持ちで映画を見終えたシーンでした。 傑作ですね。80歳をこえて、生涯3本目ですかね、こんな長編映画を撮ることを忘れなかったビクトル・エリセに拍手!拍手!です。 作品の始まりからラストまで、あれこれ、アイデアの宝庫 のような作品で、言ってみたいことは山のようにありますが、どうせ、半端にしか語れない聞いた風なことをいうのはやめます。どこかで映画の専門家たちが語ることでしょう。 みずから「瞳をとじて」みて、浮かんでくる思いと、世界の空虚に堪能しました(笑)。監督・原案・脚本 ビクトル・エリセ脚本 ビクトル・エリセ ミシェル・ガスタンビデ撮影 バレンティン・アルバレス美術 クルル・ガラバル衣装 ヘレナ・サンチス編集 アセン・マルチェナ音楽 フェデリコ・フシドキャストマノロ・ソロ(ミゲル・ガライ元映画監督)ホセ・コロナド(フリオ・アレナス/ガルデル失踪した俳優)アナ・トレント(アナ・アレナス アレナスの娘)ペトラ・マルティネス(シスター・コンスエロ)マリア・レオン(ベレン・グラナドス)マリオ・パルド(マックス・ロカ 映画編集者)エレナ・ミケル(マルタ・ソリアーノ)アントニオ・デチェント(ティコ・マジョラル)ホセ・マリア・ポウ(フェラン・ソレル ミスター・レヴィ)ソレダ・ビジャミル(ロラ・サン・ロマン)フアン・マルガージョ(ドクター・ベナビデス)ベネシア・フランスコ(チャオ・シュー)2023年・169分・G・スペイン原題「Cerrar los ojos」2024・02・09・no018・シネリーブル神戸no222 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.02.24
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トム・フーパー「英国王のスピーチ」シネリーブル神戸 あのー、ですね、イギリスの国王とかいうような人が、吃音で悩んでいたのが、治ったとかいうような話、フツー、知らんし! という話題だと思いませんか? 特に、ボクは、どこの国にかぎらず、皇族がどうとか、ああ、そうだ、先日バスに乗っていると、「もうすぐ、○○様のお誕生日でしょ。」 とかいう声が聞こえてきて、その会話をしているのが、なんというか、結構、お若い方だったりしたこともあって、「ええー、○○って、さま付けなわけ???」 という気分で、チョットのけぞりそうになるタイプなところもあって、なんでそういう、彼の国では、きっと、さま付けされているような人の悩みからの脱却とかをネタにした映画がアカデミー賞なわけ? と、素直(笑)に疑問を持ちながら、でも、まあ、「ギャガ・アカデミー賞受賞作品特集上映」の1本ということで見に行きました。 見たのはトム・フーパーという、イギリスの、案外、若い監督の「英国王のスピーチ」でした。参りました(笑) 脱帽です。うまいものですね。 最初から最後まで、ボクのような心の狭い人間でさえ、一度としてシラケさせない作品でした。 ついでにいうと、まあ、恥ずかしながらなのですが、苦しむジョージ6世を演じたコリン・ファースと、まあ、カウンセリングということなのでしょうね、彼の心を開かせたライオネル・ローグ役のジェフリー・ラッシュという二人の俳優の演技の応酬やりとりに、かなりドキドキしながら、とどのつまりには、王の演説がうまくいくことを祈ったりさせられてしまったり、ああ、この子がエリザベス女王になるんだ! と妙にしみじみ見ってしまったり、大きな筋立てとは直接関係ないようなものなのですが、ローグの、確か三人の息子たちと、ジョージ6世の二人の娘、もちろん、エリザベスととマーガレットという子供たちがとてもいいのですね。そのあたりも、いや、ホント、手抜かりありませんでした。拍手!ですね。 いやはや、この特集、これで「イミテーションゲーム」、『スラムドッグ・ミリオネア」、「アーティスト」と本作で4本目ですが、ここまで、ハズレなしです。見ていて「わけわからん!」 と悩まないで済むところが、アカデミー賞なのでしょうね(笑)。気楽でいいですね。 監督 トム・フーパー脚本 デビッド・サイドラー撮影 ダニー・コーエン美術 イブ・スチュワート衣装 ジェニー・ビーバン編集 タリク・アンウォー音楽 アレクサンドル・デスプラキャストコリン・ファース(ジョージ6世)ジェフリー・ラッシュ(ライオネル・ローグ)ヘレナ・ボナム・カーター(妃エリザベス)ガイ・ピアース(兄エドワード8世)デレク・ジャコビ(大司教コスモ・ラング)マイケル・ガンボン(父ジョージ5世)ティモシー・スポール(ウィンストン・チャーチル)ジェニファー・イーリー(ローグ夫人)2010年・118分・G・イギリス・オーストラリア合作原題「The King's Speech」公開日2011年2月26日 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.02.23
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モルテン・ティルドゥム「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」シネリーブル神戸 GAGA、ギャガと読むそうですが、所謂、その映画配給会社が「ギャガ・アカデミー賞受賞作品特集上映」という企画が2024年2月のなかばからシネリーブル神戸で始まっています。 これが、そのチラシですが、一番古い作品で、2009年の「スラムドッグ$ミリオネア」ですから、ここ15年間くらいのアカデミー賞というわけですが、映画館を徘徊し始めて、漸く5年という新参者には絶好の企画ですね。お値段も、老人1000円です。いいですね(笑)。 ただ、上映時間が午後6時過ぎからで、ほぼ、3週間の間に一日1本で17本すから、全部見るのはまあ無理なのですが、見たいけど見落とす可能性もあって、そこが大変です。まあ、なにはともあれ、2月19日の月曜日から通いはじめました。 1本目はモルテン・ティルドゥムという監督の「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」でした。2014年の作品で脚色賞だそうですが、大満足でした(笑)。 第二次世界大戦下から戦後数年のイギリスが舞台で、ナチスの暗号システム「エニグマ」の解読に成功したアラン・チューリング(ベネディクト・カンバーバッチ)という科学者を主人公にした、いわば歴史、評伝映画で、そこがまずボクの好きなパターンだったわけですが、映画全体が、まあ、ただの印象ですが、俳優の演技が堅実で、画面が色合いも構図も落ち着いている、思うにイギリス的だったこともよかったですね。 おそらく、評判になった作品でしょうから筋をなぞることはしませんが、主人公のアラン・チューリングが世界で最初につくりあげたコンピューターに、少年時代の親友クリストファーの名前を付けて愛した いきさつの描きかたには胸をうたれました。 また、彼が協力者として選んだジョーン・クラーク(キーラ・ナイトレイ)という、これまた数学的天才の女性も素敵でした。 で、彼が「女性」であることの社会的桎梏から、一歩前に進むことを促し、励ました「誰も予想しなかった人物が誰も想像しなかった偉業を成し遂げる事だってある」 という、美しい言葉を、戦後、戦時下での業績全てを国家機密として抹殺され、同性愛者であること犯罪として追及され、絶望の淵に立たされたチューリングに対してジョーンが励ましとして語りかけたシーンでは、やっぱり涙がとまりませんでしたね(笑)。 ベネディクト・カンバーバッチ、キーラ・ナイトレイの二人の演技と、監督の構成力に拍手!でした。 これが特集のラインアップですが、やっぱり、頑張って見ないわけにいきませんね(笑)監督 モルテン・ティルドゥム原作 アンドリュー・ホッジス脚本 グレアム・ムーア撮影 オスカル・ファウラ編集 ウィリアム・ゴールデンバーグ音楽 アレクサンドル・デプラキャストベネディクト・カンバーバッチ(アラン・チューリング) キーラ・ナイトレイ(ジョーン・クラーク)マシュー・グード(ヒュー・アレグザンダー)マーク・ストロング(スチュアート・ミンギス)チャールズ・ダンス(デニストン中佐)アレン・リーチ(ジョン・ケアンクロス)マシュー・ビアード(ピーター・ヒルトン)ロリー・キニア(ロバート・ノック刑事)ジェームズ・ノースコートトム・グッドマン=ヒルスティーブン・ウォディントンアレックス・ロウザー(アラン・チューリング少年期)ジャック・バノン(クリストファー・モルコム)タペンス・ミドルトン(ヘレン)2014年・115分・G・イギリス・アメリカ合作原題「The Imitation Game」2024・02・19・no023・シネリーブル神戸no226 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.02.22
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アン・テジン「梟 フクロウ」シネリーブル神戸 チラシの写真をじっと見ていて、ええー怖いんちゃうの?! と、ちょっとビビりながらやって来ました。韓国製エンターテインメントに対する期待もありました。見たのはアン・テジン監督の「梟 フクロウ」です。 こういうことをいうのはネタバレなのかもしれませんが想像していたほスリリングでもミステリアスでもなくて、中学生ぐらいなら、子供連れで見ても大丈夫な韓国製時代劇でした。 朝鮮半島では慶長・文禄の役という傍迷惑な侵略が16世紀にありますが、その時、朝鮮を助けた明が17世紀に滅んで、清になりますね、その王朝交代のときに、清に対する臣従を拒み続けながら、結局、敗れた仁祖(ユ・ヘジン)という王さんは長男の王子、昭顕世子を清に人質として取られます。で、数年後に帰国した、その世子の変死の記録が「仁祖実録」という書物に記されていて、韓国では、今でも、歴史ミステリーネタらしいのですが、その事件を映画化した作品でした。 ようやく帰国した世子の変死を王、仁祖(ユ・ヘジン)は嘆くのですが、実は、その死の現場を目撃した「盲目」の鍼医 がいて、それがこの作品の主人公、若き天才鍼医ギョンス(リュ・ジュンヨル)です。 盲目の人物が、なにゆえ、事件の真相を「見る」ことができたのか??? というわけです。 答えは「梟 フクロウ」とい題名に最初から明らかにされていて、画面を注意深く(まあ、それほど体操ではなくても)見ていると、映画が始まってすぐに「あれ?」 と気付かせてくれますね。で、そこからは「真実」の争奪戦で、まあ、どこの国にもあるんじゃないかと思いますが、「歴史ミステリー」として繰り返し映画や時代小説のネタになる宮廷陰謀ドラマの展開なわけです。 こう書いてくると、なんだかつまらない映画のようですが、見ていて飽きません。見終わって、そうか、そうか、拍手!でした(笑)。 ちょっとだけ、いらんことをいうと、ここ十年、ほとんど、見たこともないのにそういうのは、ちょっと失礼かもとか思うのですが、テレビ・ドラマみたいでしたね。作品全体の柄が、思ったほど大きくなかったというか、まあ、ボクにはですが、わかりやすいというか、そこが少し不満でしたね(笑) もっとも、贔屓のユ・ヘジンという俳優さんが、仁祖という王様を演じていたのですが、なんというか、百面相的熱演で満足したことが後味のよさになったと思いました(笑)。ユ・へジンさんに拍手ですね。まあ、出ている人で、その人しか知らないからでもありますからね、悪しからずですね。監督・脚本 アン・テジン撮影 キム・テギョン編集 キム・サンミン音楽 ファン・サンジュンキャストリュ・ジュンヨルユ・ヘジン2022年・118分・G・韓国原題「The Night Owl」2024・02・15・no021・シネリーブル神戸no224 ところで、ご覧いただいた皆様、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.02.19
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バリー・アブリッチ「オスカー・ピーターソン」シネリーブル神戸 今日は金曜日、待っていた「オスカー・ピーターソン」の初日でした。「ドキュメンタリーらしいけど、オスカー・ピーターソン、多分、音楽がなつかしいて、ええと思うんやけど、行く?」「うん、行く、行く。」 というわけで、二つ返事で同伴鑑賞でした(笑)。バリー・アブリッチ監督の「オスカー・ピーターソン」、英語だと「Oscar Peterson Black + White」で、「Black + White」が、ピアノのことだというのはいうまでもないのですが、見終えてみると「黒人」と「白人」、アメリカ社会の人種差別をあらわしているということが、この映画の、とても大切なポイントだということを、静かに納得する作品でした。 2025年が70年代によく聴いていた、ジャズ・ピアニスト、オスカー・ピーターソンの生誕100年だそうで、映画は、そのお祝いのコンサートの始まりから終わりまでという構成だったと思いますが、何はともあれ、スクリーンに映し出される、黒鍵と白鍵の上をなぞるように動きながら、その手の動きが見えているからこそ、よけいに信じられない音の響きにおどろきながら、音楽に聞き惚れながら、二本の腕と「指」に見とれる! あっという間の80分でした。「すごかったな。」「うん、すごかったわ。自由への賛歌もすごくよかって、涙も出たけど、脳梗塞になってから、もう一回、弾けるようになったのがすごいよねえ。」「うん、ずっと、すごかった。お父さんそっくりで、デカい娘さんも、ケリーっていう奥さんもすごかったなあ。」 ホント、何もいうことはありません。拍手!でした。 二人で納得してシネリーブルのエスカレーターで1階に上がり、外にを出ると海の方から花火の音がして、暗くなった空に火輪が広がりました。「あっ!花火やん、行こ!行こ!」 あとを追いかけながらスマホ写真を撮りましたが、一枚もピントが合っていませんでした(笑)。まあ、とりあえず、1枚だけ貼っておきますね(笑)監督 バリー・アブリッチ撮影 ケン・ヌ編集 ニコラス・クレイマン音楽監修 マイケル・パールマッターキャストビリー・ジョエルジョン・バティステクインシー・ジョーンズラムゼイ・ルイスハービー・ハンコックブランフォード・マルサリスケリー・ピーターソンデイブ・ヤング2020年・81分・G・カナダ原題「Oscar Peterson Black + White」2024・02・16・no022・シネリーブル神戸no225
2024.02.18
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三島有紀子「一月の声に歓びを刻め」シネリーブル神戸 久しぶりの日本映画です。まったくの偶然ですが、自宅にいた午前中、「安克昌の臨床作法」という雑誌、「心の傷をいやすということ」という映画で評判(?)になった、今は亡き、あの、安克昌を追悼した雑誌ですが、その中にある、彼とか、彼の友人の医療関係者のPTSD=心的外傷に取り組む話を読んでいて、医者というか治療者という人たちの、患者に対する立ち方に目を瞠るような気分を引きずるようにやってきて、見たのがこの映画でした。 三島有希子監督の「一月の声に歓びを刻め」です。別に狙ってきたわけではありませんが、見終えて、あまりのことに絶句! でした。 映画は暗い雪の道をカンテラをぶら下げて、なんとかかんとか歩いていく老人の姿で始まり、寒々とした湖畔で胴間声を張り上げる老人の姿で終わりますが、実は三つのストーリーから構成されているオムニバス形式でした。一つ目は性的暴力の被害者であった娘れいこの死の責任を引きずる老父マキ、二つ目は母の事故死の現場を恐れる娘、海、、そして、三つ目は自らの性的な暴力の被害体験に苦しむれいこ、それぞれ、いってしまえばPTSDを抱える登場人物たちの、いわば「生きることの苦しみ」を真摯に描いた作品でした。一つ目と三つ目に同じれいこという名前が登場しますが、直接の関係はありません。ただ、「苦しみ」の共鳴、心の声のつながりを意図、あるいは希求してのことかなというおもんばかりは成り立ちます。映し出される風景は、それぞれ美しく、登場するのは哀しい人たちです。それぞれのエピソードも悪くありません。にもかかわらず、見終えた感想はなんだかなあ・・・ でした。 80歳をこえているはずのカルーセル麻紀さんが、なんだか可哀そうでしたね。彼が雪道をよろめきながら歩き、湖畔で転げまわるようにして、濁声で叫ぶという熱演だったのですが、その声が映画に響いてこないんですよね。 帰ってきて、映画が監督自身の体験に根差して作られているらしいことを知って驚きました。昨秋の芥川賞でも、作家自身の苛酷な体験に根差した作品が評価されていましたが、その作品も、ボクには登場人物が可哀そうなだけで、小説としてはなんだかなあ・・・ だったわけで、なんだかよくわかりませんね。 なにはともあれ、この映画、ボクにはハズレでしたが、世評がどうなるのか、チョット興味がないわけではありませんね(笑)。監督・脚本 三島有紀子撮影 山村卓也 米倉伸編集 加藤ひとみ音楽 田中拓人キャストカルーセル麻紀(マキ)松本妃代(海)哀川翔(誠 海の父)前田敦子(れいこ)坂東龍汰(トト・モレッティ)片岡礼子(美砂子)宇野祥平(正夫)原田龍二(龍)長田詩音(さら)とよた真帆(真歩)2024年・118分・G・日本2024・02・13・no020・シネリーブル神戸no223
2024.02.14
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ビクトル・エリセ「エル・スール」シネリーブル神戸 ビクトル・エリセ特別上映会の2本目は「エル・スール」、「南へ」でした。数年前に元町映画館がやってくれた時に見損なっていたこともあって、どうしても見たい作品になっていました。 入場に際して配られた絵葉書でじっとこちらを見つめているのが主人公の少女エストレーリャです。彼女の「南へ」の旅立ちのシーンの、期待に満ちた美しい表情に見とれていると映画は終わりました。納得ですね(笑)。なにもいうことことはありません(笑)、そんな感じでした。 帰ってきて、スペインの地図を見ました。「カモメの家」と、物語の舞台にその名を冠したカモメの風向計が、どんなに風が吹いても「南」をさし続けている。 という、謎というか、暗示的なラストシーンのナレーションが耳から離れないのですね。ところが、イベリア半島の「北」と「南」というイメージがボクのような極東の島国の人間には全く浮かばないのです。 地図の地名を確かめながら、思い浮かぶのはドン・キホーテとか、スペイン市民戦争、ピカソのゲルニカ、・・・でも、まあ、この方向でこの映画の背景にあるものを考えるには、今のところ勉強が足りませんね。 なにはともあれ、苦悩する父と娘のお話として見ていて、充分、納得しました。 秘密に閉ざされた父が、不思議な霊感をもたらすペンダントのような振り子を15歳の少女エストレーリャの枕許に残して、カモメの家から出て行ってしまった朝から映画は始まりました。 アグスティーン! 父を探す母の声を階下に聞きながら、暗い部屋で目覚めた娘は、枕許の振り子を見つめ、父が、もう帰ってこないことを確信したようです。 で、娘の脳裏に浮かぶ美しい思い出がスクリーンに広がります。とりわけ印象深いシーンは、「振り子」の霊感の思い出でした。海に面した、荒涼とした丘の上に水脈を見つけ出す父と娘の儀式のシーンを見ながら、この作品を見るのが初めてではないことに気付きましたが、それが、いつ、どんなふうにしてだったのか、ひょっとしたら予告編か何かで見たシーンがかぶっているのか、わからないままスクリーンに見とれていました。 エストレーリャが、まだ小学生だったころです。自分の部屋のベッドに寝ていると、いつも、天井から足音が聞こえてくる屋根裏部屋に忍び込んで、大好きな父に秘密があることに気付きます。「お父さんには、何か秘密がある。」 子どもから大人になる儀式を終える年ごろになったエストレーリャの眼差しに、父の秘密、父と母との秘密、父ともう一人の女性との秘密、父とおじいちゃんとの秘密、秘密の山は少しづつ姿、形、その輪郭をあらわし始めめるのですが、そんな、ある朝、秘密を残したまま、父は消えてしまいます。残されたのは自らを撃ち抜いた遺体とあの振り子だけです。 ひとりの人間と世界の、夫と妻の、そして父と娘の、なんとも、かなしい別れですが、娘はもちろんのこと、ひょっとすると妻も予感していたのではないかと感じさせる何かが、それが何であるかということはわかりませんが、この映画の奥にはあるようです。見ているボクには、それが、あの振り子の秘密とかかわるのではないかという予感だけです。 謎だけ残して映画は終わります。なんともいえない、哀しい作品なのですが、ひょっとしたら「希望」に通じるかもしれないという、ほとんど根拠のない後味に、思わず、拍手!でした。 南へ旅立つ娘を、あの魔法の振り子はどんな水脈に連れてゆくのでしょうね。あの時の父の言葉に従って、呼吸を整て、瞳をとじれば、そこに秘密の水脈が・・・。 余談ですが、映画としては最後まで作り切れなかった原作の中でエストレーリャは弟と会うのだそうです。それでどうなるのかまで知りませんが、この作品では一度も描かれなかった「南」の風景は見てみたかった気がしますね(笑)。 監督・脚本 ビクトル・エリセ原作 アデライダ・ガルシア・モラレス撮影 ホセ・ルイス・アルカイネ美術 アントニオ・ベリソン音楽 グラナドス モーリス・ラベル シューベルトキャストオメロ・アントヌッティ(アグスティン・アレーナス 父)ソンソレス・アラングーレン(8歳のエストレーリャ)イシアル・ボジャイン(15歳のエストレーリャ)ローラ・カルドナ(フリア 母)ラファエラ・アパリシオ(ミラグロス 父の乳母)ヘルマイネ・モンテーロ(ロサリオ夫人 祖母)オーロール・クレマン(イレーネ・リオス/ラウラ 女優)マリア・カーロ(カシルダ家政婦)フランシスコ・メリーノ(イレーネ・リオスの共演者)ホセ・ビボ(グランドホテルのバーテンダー)1983年・95分・G・スペイン・フランス合作原題「El Sur」1985年10月12日(日本初公開)2024・02・02・no015 ・シネリーブル神戸no219
2024.02.12
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ビクトル・エリセ「ミツバチのささやき」シネリーブル神戸 ビクトル・エリセ、1940年生まれのスペインの監督です。84歳ですね。1973年に「ミツバチのささやき」で登場した方ですが、その彼が31年ぶりに新作映画を撮ったということが評判になっています。新作の題名は「瞳をとじて」だそうですが、その公開を記念してビクトルエリセ特別上映と題して「ミツバチのささやき」が上映されていて、続けて1983年の「エル・スール」も上映されるようです。これがそのチラシです。上の写真は、入場の際に頂いた絵葉書です。 以前も書きましたが、同じ映画をくりかえし見るという性分ではありません。しかし、この監督は違いますね。実は5年ほど前に元町映画館で見ました。70年代の半ば、まだ20代だったころ見たという記憶だけはあったのですが、まあ、あてにはなりません。それが二度目か、ひょっとしたら三度目の鑑賞でした。 で、63歳を過ぎるころから映画館をウロウロし始めて7年ほどたちますが、その間に見た500本ほどの作品の中で、ボクとしては珍しいことですがもう一度見たい映画!記憶に残る1本! の地位を獲得しているのが、この「ミツバチのささやき」です。 で、特別上映会の初日に駆け付けました。以前見たときに、ボクの意識の中にあったのは「スペイン内戦とビクトル・エリセ」 という構図でした。この映画が撮られた1973年というのは独裁者フランコがまだ存命のころです。だから、まあ、そんなに追いかけて読んだわけではありませんが、この映画に対する批評をなぞりながら見た気がします。 で、今回は、とにかくボンヤリ見よう・・・ と思ってやって来ました。 始まりました。村にやって来た映画を見る子供たちの中に、あのアナちゃんがいます。スクリーンにあらわれる怪物、丘の上から眺める草原の向うにある小屋、ズット向こうまで続いている線路、レールの響き、遠くに見えたと思ったら、あっという間に近づいてくる機関車、小学校の教室、床に倒れているいるおねーちゃんのイサベル。「そうだ、あっこに一人で行ってみよう!」 お腹を空かせて隠れているおじさん、おじさんの手の中に消えた懐中時計から聞こえてくるオルゴールの音色。「そのオルゴール、どうしてお父さんが持っているの????」「あの、おじさんのところに行ってみなっくちゃ。」 アナちゃんの瞳の奥に広がっていく「おどろき」や「ふあん」や「よろこび」の中に、69歳という年齢を忘れて入っておいでと映画は語っていました。ドキドキしました。「これは、すごいで、見といたほうがええ思うで。」「あの子供たちのおる大きな家と大人たちって、ホラー映画みたいやったわ。おねーちゃん、ホントに死んだんや思ってドキドキしたわ。そんなことが起こりそうな雰囲気やんか。」「えっ?」「だから、子ども相手してるのに上からというか、誰もしゃがまへんやん。毒キノコやいうて踏みつぶすし。」 あとから見に行ったチッチキ夫人の感想でした。ナルホド! ですね。あの子どもたちは二人ボッチなんですね。 あの日、スクリーンに何度も映し出される、あの、美しくも、広い広い世界で一人ぼっちになったアナちゃんは、あの小屋で不思議なおじさんと会ったんですね。 本当は生きていたおねーちゃんとは違って、血の塊だけ残していなくなった、あの、おじさん・・・。生まれて初めて、いなくなってしまうこと、よくわからなかった死んでしまうことの不安のなかをさまよっているアナちゃんを、あの、映画に出ていた怪物が救ってくれるんですね。 ずっと見開いていた瞳をようやく閉じて深い眠りつくアナちゃんに、老人は、やはり、ほっと胸をなでおろして映画は終わりました。拍手! 文句なしの傑作でした。どこかで上映してくれることがあれば、もう一度見たい作品です(笑)。 監督・原案 ビクトル・エリセ脚本 アンヘル・フェルナンデス=サントス ビクトル・エリセ撮影 ルイス・クアドラド美術 アドルフォ・コフィーニョ編集 パブロ・G・デル・アモ音楽 ルイス・デ・パブロキャストアナ・トレント(アナ)イサベル・テリェリア(イサベル)フェルナンド・フェルナン・ゴメス(父)テレサ・ギンペラ(母テレサ)ケティ・デ・ラ・カマラ(ミラグロス女中)ラリ・ソルデビリャ(教員)ミゲル・ピカソ(医者)ジュアン・マルガロ(逃亡者)エスタニス・ゴンザレス(警官)ホセ・ビリャサンテ(フランケンシュタイン)1973年・99分・G・スペイン原題「El espiritu de la colmena」2024・01・26・no012・シネリーブル神戸no218
2024.02.11
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コルム・バレード「コット、はじまりの夏」シネリーブル神戸 明日から、プログラムが替わるというので、大慌てで見に行きました。コルム・バレードというアイルランドの若い監督の「コット、はじまりの夏」です。期待はアイルランドの風景と、少女の眼差しでした。大当たり! 何だかくじにでも当たったようなことをいっていますが、期待を大きくうわまわる圧倒的ともいうべき作品でした。主役の少女コット役のキャサリン・クリンチが評判のようですが、大型新人監督の登場ですね(笑) ただ、感想は難しいですね。実は、上に貼ったチラシの写真はラスト・シーン直前のシーン、自宅に帰った少女コットが駆けだしたシーンなのですが、見ている老人は「それで、コット、あんた、これからどうするの?」 と涙しながら心の中で問いかけていた時のシーンです。 彼女は、小学校3年生くらいの少女ですが、彼女が、この後、だから、ラストシーンは、ほぼ、予想がついていたのですが、その後ですね、「彼女はどうするのか?どうなるのか?」 と、もう、気が気じゃない気持ちになってしまった69歳の老人だったのでした。映画のなかの幼い登場人物に、何もしてやれないことを、まあ、こんなにハラハラさせていただいたのは、ひょっとしたら初めてかもしれませんね(笑)。 日本の映画業界の人たちは、この作品に「はじまりの夏」なんていう題名をお付けになっているのですが、元々の題名は「An Cailin Ciuin」、アイルランド語!ですが英語に直せば「The Quiet Girl」、「沈黙の少女」ですね。 お腹が空いても何も言えない家庭、姉たちも弟も両親もいるんですよ。それなのに、どこにも居場所がない暮らし。9歳の少女が何も云わず、涙も流さず、じっと、世界を見つめながら暮らす生活。想像できますか? 夏休みだからでしょうね、口減らしとしか思えない理由で、自宅からは遠く離れた親戚夫婦の家に預けられて、初めてであった、見ず知らずのおばさんに、生まれて初めて親切にされた夜、オネショをしてしまう9歳の少女ですよ。 その少女が、預けられた家で変わっていくんですよ。彼女を預かった夫婦も彼女と出会うことで悲しい隠し事から立ち直っていくんです。 無愛想なおじさんは黙っていることは悪いことじゃない。 とブッキラボウにいいながら、テーブルに一つビスケットを置いて行ってくれるんです。 床掃除を手伝う牛小屋、玉ねぎをむく台所、おじさんと座る夜の浜辺、おばさんが選んでくれた新しいオシャレな洋服、向こうに郵便受けのある美しい並木道のかけっこ。 で、彼女は牛の赤ちゃんにはお母さんの牛乳をあげて、人間が粉ミルクを飲めばいい! っていえるようになるんです。 でも、夏は終わるんです。別れが来るんです。最初に書いたラストシーンです。 見ているだけの老人は、少女が、あの、どんな干ばつのときも枯れない美しい井戸でがあることを祈りながら、涙を流すんです。 セリフはみんなアイルランド語のようでした。家や、木立、草原、そして言葉も、みんなアイルランド映画です。見たことを誰かに語りたくなる、出も語りながら涙がこぼれてしまうそんな作品でした。 偶然ですが、1月の末から「少女の眼差し」三連発! でした。後の二本はビクトル・エリセの「ミツバチのささやき」のアナとイサベル、「エル・スール」のエストレーリャですね。子どもの眼差しを、大人の勝手な解釈によって、あれこれいじらないで、静かに見入らせてくれる作品でした。 これからも、静かな映画をつくり続けてほしいと期待させる若い監督の出現です。出演者にも、監督にも、カメラマンにも、音楽の方にも、拍手!ですね(笑)。監督・脚本 コルム・バレード原作 クレア・キーガン「The Quiet Girl」(英題)撮影 ケイト・マッカラ美術 エマ・ロウニー衣装 ルイーズ・スタントン編集 ジョン・マーフィ音楽 スティーブン・レニックスキャストキャサリン・クリンチ(コット)キャリー・クロウリー(アイリン・キンセラ)アンドリュー・ベネット(ショーン・キンセラ)マイケル・パトリック(ダン)2022年・95分・G・アイルランド原題「An Cailin Ciuin」(アイルランド語)2024・02・08・no017 ・シネリーブル神戸no221追記 2024・02・09 感想では、まあ、涙もろい年寄りでしたが、実は、この作品にはかなりラジカルな「社会批判」が根底に据えられていると思いますね。ネグレクトとか、蔓延する貧困に対する理解ですね。この監督は、ただの叙情映像の人ではありません。そこが、実は、最近の若い監督にあきたらないボクが期待できるところだと感じた大きな理由の一つですね。
2024.02.09
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ジェシー・アイゼンバーグ「僕らの世界が交わるまで」シネリーブル神戸 2024年、2回目のSSC、シマクマシネマクラブでしたが、見たのはジェシー・アイゼンバーグという、どんなお仕事なさっていた方なのかボクは知りませんがアメリカの期待の新人監督のデビュー作「僕らの世界が交わるまで」でした。 英語の題が「When You Finish Saving the World」ですから、まあ、「世界を救い終えたとき」くらいなのかなと思いますが、実に安上がりな「世界」というか、幼稚な「救済」というか、見ていてガッカリしました。 時々お出会いして、一緒にお勉強している二十歳前後の大学生の方たちが「世界観」、英語にすれば「view of the world」とか「world view」とかになりそうですが、その「世界観」という言葉を、例えば、「私の世界観では・・・」という感じで、かなり安直にお使いになって、チョットのけぞることが多いのですが、この作品を見終えたときに思い出したのは、彼女たちが口にする「世界観」という言葉で、若い、優秀な監督の「私の世界観では…」 という演説というか、レクチャーというかを聞き終えた印象で、やっぱり、チョット、のけぞりました(笑)。 主人公の一人、高校生のジギー君は、まあ、多分ですが、ユーチューブのようなメディアで自作のフォークソング(?)をうたって小遣いを稼いでいる少年で、もう一人の主人公、母親のエヴリンさんはDVの被害者を匿うシェルターを運営している活動家の女性という設定でした。 そのノーテンキな息子と、しっかり者の母親、蚊帳の外の父親との、まあ、ありがちな「母子」、あるいは「親子」のすれ違いの物語だったと思うのですが、背景に現代的な社会的現実が描かれているというのがミソなわけです。 息子の活躍するネット・メディにしろ、DVシェルターにしろ、同級生たちが話題にするマーシャル諸島の歴史にしろ、ああ、それから、フォークソングを歌っている息子に父親が口にするブルースを白人が歌うことへの批判にしろ、現代社会が直面している、あるいは、2020年という、今だからこその問題として、新しい認識が求められているリアルな話題なのですが見ていて、今一、引き込まれないのですね。 理由を考えると思い当たるのは、まあ、多分ですが、この監督とか、映画製作者にとっての、映画の中で語られている「社会問題」のとらえ方が、女子大生たちが口にする「世界観」という言葉のとらえ方に似ていると感じたからでしょうね。 いってしまえば、人間や世界のとらえ方が「図式」的だと感じさせてしまう展開だったわけなのですね。「おもしろかったですか?」「なんか、うすかったですね。」 何だか、老人二人の気はあったようですが、作品に乗り切れなかったの残念でしたね。なんでこうなるのでしょうね(笑)。監督・脚本 ジェシー・アイゼンバーグ撮影 ベンジャミン・ローブ美術 メレディス・リッピンコット衣装 ジョシュア・J・マーシュ編集 サラ・ショウ音楽 エミール・モッセリキャストジュリアン・ムーア(エヴリン・カッツ 母)フィン・ウルフハード(ジギー・カッツ 息子)アリーシャ・ボー(ライラ)ジェイ・O・サンダース(ロジャー)ビリー・ブリック(カイル)エレオノール・ヘンドリックス(アンジー)2022年・88分・G・アメリカ原題「When You Finish Saving the World」2024・02・05・no016・シネリーブル神戸no220・SCCno17
2024.02.07
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