読書案内「水俣・沖縄・アフガニスタン 石牟礼道子・渡辺京二・中村哲 他」 20
読書案内「鶴見俊輔・黒川創・岡部伊都子・小田実 べ平連・思想の科学あたり」 15
読書案内「BookCoverChallenge」2020・05 16
読書案内「リービ英雄・多和田葉子・カズオイシグロ」国境を越えて 5
映画 マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、スロベニアの監督 6
全9件 (9件中 1-9件目)
1
ちばてつや「ひねもすのたり日記6」(小学館) 2024年8月のトラキチ君のマンガ便に入っていました。2024年5月の新刊です。第1巻から読み続けています。ちばてつや「ひねもすのたり日記(第6巻)」(小学館)です。 1939年生まれ、御年86歳のちばてつやさんの、まあ、いわば、徘徊日記ですね(笑)。全ページカラーで、いろいろなご病気を体験されてはいるようですが、元気な日々が「ひねもすのたり」と振り返られていて楽しいマンガです。 表紙を飾っているのは若き日の松本零士さんですね。昨年、2023年の2月に亡くなった松本零士さんを偲んで、連載数回にわたって、出会いの思い出が描かれているページにこんなシーンがあります。 日清のチキンラーメンですね。1950年代の半ば頃に新発売されたと思いますが、即席ラーメンとか、インスタントラーメンとかいう言葉も、このラーメンで生まれたんですね。 で、ご馳走だったんですよね。 このシーンは、お二人の年恰好から考えて、多分、1960年代のはじめの頃だと思いますが、懐かしいですね。 もっとも、その頃田舎の小学生だったぼくなんかには、結構、高価なインスタント食品だった印象で、普通に食べるようになったのは1960年代の終わりころだった気がします。 で、このシーンの後には、このラーメンに「さるまたけ」が添えられるというオチがついていて、まあ、それもなつかしいですね。 「男おいどん」というマンガ、覚えていらっしゃるでしょうか(笑)?「さるまたけ」、本当にお食べになったと松本零士さんは、後日の講演か何かでおっしゃっているそうですが、うーん? ですね。 まあ、あの頃の懐かしい漫画家さんたちも、実は、もうほとんどいらっしゃらないのですよね。ちばてつやさん、がんばって書き続けてくださいね!追記2024・08・19 第1巻・第2巻・第3巻・第4巻・第5巻・の感想はこちらをクリックしてくださいネ。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.08.18
コメント(0)
ちばてつや「ひねもすのたり日記5」(小学館) 2022年12月のマンガ便です。ちばてつやの「ひねもすのたり日記5」(小学館)です。ちばてつやさんは80歳を越えられて、マンガ学の大学の学長さんだった仕事もおやめになって、しかし、この日記はお続けになっているようで、この「ひねもすのたり日記5」の最終回の159回は2022年の8月15日の日記でした。 これが、その最終回の見開きページです。 向かって右のページのシーンにはこんなキャプションがついています。昭和20年8月15日、中国奉天(現瀋陽市)父が働いていた印刷工場の中庭で泥遊びしてました。 左のページにはこうです。列車から降ろされ線路伝いに歩く人々動けなくなりうずくまる人々も。 ちばてつやのファンであれば、このシーンは、いつか見たことがあるシーンだと思います。それも一度ならずです。しかし、マンガ家自身は、2022年の8月15日に想起したシーンをお書きになっているわけで、決して、同じ絵を使いまわされているのではないでしょう。それが、幾たびも書かれた絵だったとしても、これは、今年の8月15日の絵です。 そういう迫力が、このページにはあると思います。 骨折、心不全、あれこれ、あれこれで、入退院を繰り返していらっしゃる日々の日記です。一方で「あしたのジョー」をお書きになったころの思い出が挿入されています。病気も、作品制作の思い出も、淡々とのんきです。力石やジョーを戦いの末に殺してしまわれた作品で、青年だったぼくのような人間の心を鷲づかみされたマンガ家なのですが、彼の作品を支えてきたのは生きていることを素直に肯定する思想なのだということを、読み手のぼくも素直に感じる様子です。 どうか、この「ひねもす」な日々が、一日も長く続くことを祈らずにいられませんね。追記2024・08・19 第1巻・第3巻・第4巻・第5巻・第6巻の感想はこちらをクリックしてくださいネ。
2022.12.15
コメント(0)
100days100bookcovers no63 63日目原作 高森朝雄 ちばてつや『あしたのジョー』発行 日本テレビ 発売 読売新聞社 全11巻 SODEOKAさんが採り上げた萩尾望都の『ボーの一族』は、少女マンガに疎い私でも、漫画家も作品もその名前は知っていたし、主人公が吸血鬼だということも「聞いたことがある」という程度には知っていた。 ただ、実際に読んだことはなかったので、今回の記事で大まかな展開や主要な登場人物は初めて知ることになった。 その後、次につながる手がかりをあれこれ考えてみた。 「ポー」・「エドガー」から誰もが思う「エドガー・アラン・ポー」は、でもまともに読んだ記憶がない。吸血鬼、バンパイア関連でも、映像作品ではなく書物で思い浮かぶものがない。 で、ふと思いついたのが、『ポーの一族』の「永遠に大きくならない子ども」という設定。ある条件下の「消滅」以外では、「少年」のまま永遠の生を得るということ。 作品を実際に読んでいないので、ここから先は私の勝手な解釈になるが、つまり彼ら、というかエドガーは、「大人」への「成熟」を禁じられたまま「永遠」を生きることを条件づけられている。 「成長」すらしないのか、自死は可能なのかどうかはわからないけれど、これはある見方においては「地獄」を生きるというふうにも考えられる。 永遠の「少年性」というところまで考えて、ふと思いついたのが今回選んだ作品だった。『あしたのジョー2』日本テレビ コミックス アニメ版 原作 高森朝雄 ちばてつや 発行 日本テレビ 発売 読売新聞社 全11巻 『ポーの一族』が「少女マンガの古典」なら『あしたのジョー』は「少年マンガの古典」である。 ただ、上に挙げた書名その他には幾許かの説明が必要だろう。『あしたのジョー』が、「週刊少年マガジン」誌上で世に出たのが1967年暮、1973年5月13日号まで連載された。 原作者・高森朝雄は梶原一騎の別名で、梶原一騎の本名高森朝樹に由来する。梶原は、同時期に同じ週刊少年マガジンに連載されていた「巨人の星」(連載は1966-1971)の原作者でもあり、あえて別名義を使ったらしい。タイトルは原作者が井上靖の『あした来る人』から採ったとのこと。 最初のTVアニメは、フジテレビ系で1970年4月から1971年9月。79話。ただ原作の途中まで、カーロス・リベラと戦うところまでしか描かれない。 あおい輝彦が主人公・矢吹丈の声を、藤岡重慶が丈のトレーナーでありジムの会長丹下段平の声を演じる。以後、実写版は別のして、アニメでは劇場版や「2」でも、ほかのキャラクターの声は変わってもこの二人だけは変わらなかった。 主題歌は、作詞・寺山修司、歌は尾藤イサオ。 監督、演出は出崎統。 このあたりの情報は概ね、Wikiを参照しているが、そのWikiによるとTVアニメには原作にないオリジナルキャラクターやオリジナルストーリーが挿入されている。むろん反対に、原作を省略した部分も多いだろう。 二度目のTVアニメは、「あしたのジョー2」として1980年10月から1981年8月まで。日本テレビ系で放映された。全47話。 前のTVアニメの続編で、力石徹との対戦後から始まり、カーロス・リベラとの出会い以降、原作の最後までが描かれるが、ここでも原作からの省略や、オリジナルキャラクター、オリジナルストーリーが前作以上に含まれている。監督・演出は前作に続いて出崎統。 主題歌は、作詞/作曲が荒木一郎。歌は、25話まではおぼたけし、26話以降が荒木一郎自身。中でも26話以降のオープニングテーマだった「MIDNIGHT BLUES」はいい曲だ。 「あしたのジョー」の主題歌といえば、前作の尾藤イサオの歌がすぐ思い浮かぶわけだが、今聴くと随分重くて暑苦しく、あまり印象はよくない。この荒木一郎の主題歌のほうがずっといい。 長くなった。 つまり手許にある『あしたのジョー2』は、上述の通り、この日本テレビ系放映のTVアニメを書籍化したものなのである。 これを手に入れたときのことは今でも覚えていて、高田馬場のBIG BOXの前で開催されていた古書販売会場でだった。何年前だったかまではわからないが、今は高田馬場に出向くことがすっかりなくなったことから考えると、たぶん東西線の落合(あるいは西武新宿線の新井薬師)の近くに住んでいたときではないだろうか。35年くらい前か。でも11巻を全部自分で持って帰ったんだろうか。重かっただろうに。 漫画の単行本は「ちばてつや漫画文庫」として講談社から出た『あしたのジョー⑳』、つまり最終巻だけが手許にある。 前述のTVアニメの2つのシリーズは観ていた記憶はあるが、単行本を最初から最後まで読んだかと言われると心もとない。でも単行本をまったく読んでいないこともないだろう。「マガジン」連載中に読んでいた可能性は高くない。 丈が鑑別所や少年院で過ごす日々、力石と出会ったり、丹下段平からのはがきによって「あしたのためにその1」等を習得したりするのを読んでいた記憶は薄っすらある。 でも、もし単行本を買って手許に置いていたのならきっと処分しないんじゃないかと思う。そのあたりはよくわからない。もしかしたら別の場所ですべてではなく一定の部分だけを読んだのかもしれない。 今回記事にするに当たって手許にあるものは再度、全部目を通した。 『あしたのジョー』のストーリーは、前半の、力石徹との対決とその死を一つの頂点として、後半は、丈が力石の死から立ち直り、何人かのボクサーとの対戦を経て「成長」していく様を描く。 丈の「野生」を呼び覚ましたカーロス・リベラ、壮絶な体験を持つ氷のように冷徹な東洋チャンピオン金竜飛、丈以上の文字通りの野生児ハリマオ、そして最後に完璧なチャンピオンであるホセ・メンドーサ。 「ドラマ」の脇役にも、丹下段平はむろん(脇役とはもはや言えない)、鑑別所からの長い付き合いになる西寛一(マンモス西)、大富豪の令嬢白木葉子、ライバルたちとしても先に挙げた以外にもウルフ金串やタイガー尾崎、等々。さらにドヤ街の子どもたち、丈に淡い恋愛感情を抱く林紀子(「林屋」の紀ちゃん、後に西寛一と結婚)も。みな欠かせないキャラクターである。 一通り目を通して思ったのは、以前DEGUTIさんが採り上げたクラークのSF作品風にいうなら、『あしたのジョー』は『少年期の終り』までを描いた作品だということだ。 矢吹丈という15歳ほどのまだ子どもっぽい顔立ちの少年が、様々な経験と出会いと壮絶な戦いを経て青年から大人へと「成長」していく一種の「ビルドゥングスロマン」である。 ホセとの壮絶な打ち合いの末試合を終えた丈が「燃えたよ・・・・まっ白に・・・・燃えつきた・・・・まっ白な灰に・・・・・・・・」(「ちばてつや漫画文庫」『あしたのジョー⑳』) と胸の内でつぶやき、段平に外してもらったグラブを、試合直前に「愛の告白」を受けた白木葉子にもらってほしいと差し出し、ホセの判定勝ちを告げるアナウンスを聴いた後、目を閉じて口元に静かに微笑みを浮かべた、あのラストシーンで丈が死んでしまったのかどうかはさしたる問題ではない。 どちらにしろ、矢吹丈の、推定15歳ほどから21-22歳に至る「少年期」はここで幕を閉じた。その「少年期」の物語に付けられたタイトルが『あしたのジョー』であったということだ。 そして「少年」を生きた丈は、皮肉なことに「あした」などまるで存在しないかのようにその瞬間に自らを燃焼しつくすことを目指した。「大人」には決してできないことだ。いや、「大人」ならそうするべきではないのだ。だからこそ少年・矢吹丈は自身たり得た。そして願い通り「まっ白」になってみせた。丈は、力石やウルフ金串、金竜飛等々、間接的に死に至らしめたり、再起不能にさせたりとそのハードパンチャーぶりが印象に残るが、今回漫画を読んで、実はそれ以上に、死ぬほど「打たれ強い」ことのほうがさらに印象的だった。意外だった。それによって金竜飛やホセ・メンドーサを呆れさせ狂わせたほど。しかしそれも今この瞬間に自らを燃焼するための必然だと考えれば腑に落ちる。それによって「パンチドランカー」症状が自らを蝕んでいったとしても。丈にとってはそんなことは問題ではなかった。 しかし丈は何と戦っていたのだろう? 自分自身と、自らの孤独と、自身の境遇と、そして世界と。みな正しい。丈ほどではないにしろ、私たちも日々「戦って」いるのだから。 たぶん問題の立て方が悪いのだ。 丈は、自らを燃焼させるためにどうして「戦い」を選んだのか、というべきか。 『あしたのジョー 2』NO.10(10巻)の中に丈が「相手に対してせいいっぱいになれるってことそれだけが、『どれほど貴重なことなのか』ってことを教えてくれたのが・・・・・・力石 おめえだったんだよ・・・・・・」としみじみ思う場面がある。 丈にとってはおそらく「戦う」ことが、対象や相手に真摯に向かい合う、対峙することを意味した。それが「コミュニケーション」の方法だった。 言い換えれば、丈にとって「戦う」ことは生きることと同義だった。 そのせいか、ボクサーになってからの丈は「ボクサー」でないときは、驚くほど静かで穏やかだった。 「戦う」ことが生きる術になったその所以は、おそらく丈の出生や生い立ちと深く関わるはずだ。 TVアニメの『あしたのジョー 2』のラストシーンでは、丈がコーナーで椅子に腰掛けて目を閉じている場面に、夕陽を背に、丈らしい人影が歩くシーンが短く挟み込まれる(そう指摘されている記事を読んでYouTubeで確認)。 丈は「少年期」を終え、次のステップを踏み出すべく旅に出たのかもしれない。 実際、NO.11(11巻最終巻)で、ホセとの試合前に紀子と丈が、ホセとの試合が終わったら「旅」に出る可能性について言及している場面がある。 紀子が、試合が終わったら、丈が旅に出るんじゃないかと言ったことに丈は「そいつぁいいな」と言いながら「今度旅に出たらもう戻ってこないんじゃないか」と心配する紀子に「帰ってくるよ俺は」と即答する。それは丈の中に「この泪橋」が「どっしりともう腰をおろしちまってる」からだと答える。 「帰ってくるさ ほんとだ紀ちゃん」(このシークエンスが丈がホセと壮絶な戦いの最中に紀子の回想として登場するところは極めて映画的。このシークエンスに限らず、この『あしたのジョー2』の作画や構成はかなり映像的映画的なタッチになっている)いずれにしろ、終焉の後、丈は旅立った。それでいいのだろう。では、DEGUTIさん、次をお願いします。2021・03・10・T・KOBAYASI追記2024・04・01 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目)) (61日目~70日目) (71日目~80日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2021.12.17
コメント(0)
ちばてつや「ちばてつや追想短編集」(小学館) 今回の「案内」はヤサイクンが2021年の5月のマンガ便で届けてくれました。「ちばてつや 追想短編集」(小学館)です。 現在4巻まで進行中の「ひねもすのたり日記」もそうですが、80歳をこえて、なお健筆をふるっていらっしゃるご様子は、さすが「あしたのジョー」の人! ですね(笑)。 この作品集は、「追想短編集」という題でもわかりますが、一作一作、ちばてつやにとって、来し方を振り返り、どうしても忘れられないエピソードが「自伝マンガ」として描かれています。 で、この作品集が出来上がった経緯をちばてつや自身がこんなふうに書かれています。 齢を重ね少し時間のゆとりもできたこともあって‥‥ふと立ち止まった時、せっかく戦中戦後を生きてきた体験と記憶をこのまま埋もれさせてはいけないのではないか。大陸からの引き揚げ、飢えと病気、焼け野原の日本国に帰国したあとの超貧乏生活、「漫画」との出会い、そしてプロのマンガ家になっていく過程の喜びや苦しみ、戸惑い等、同じ時代を生きてきた人たち、あるいは同じマンガの道を歩む後輩たちのためにも、少しでも参考になってくれれば‥‥と描きはじめたのがキッカケいつの間にか四本もの作品がそろうことになりました。 それぞれ描いた時は全く意識していなかったのですが、自然に若いころから最近に至るその時その時のエピソードや、記憶を順番に語るようにリアルに描いています。 読み返してみると、たくさんのマンガ家の友人や編集者、弟子、家族に恵まれて、思った以上の幸せな充実した人生を歩んできたことに気付き、しみじみ有難いことだと感謝でいっぱいになります。(「あとがき」) 本書には「家路1945-2003」、「赤い虫」、「トモガキ上下」、「グレてつ」の四つの短編が収められています。 「家路」、「赤い虫」は「ひねもすのたり日記」にも描かれていたエピソードで、それぞれ、満州からの帰国の様子、戦後の生活や、マンガ家になった当初の神経症の体験が描かれている作品です。 「トモガキ(上・下)」は、昭和のマンガ好きには必読です。あの「トキワ荘」のマンガ家たち、石森章太郎や赤塚不二夫とちばてつやとの出会いと、その時生まれた絆が、現場の証言として描かれていて、トキワ荘とかに興味をお持ちの方には見逃せない作品だと思いました。 「グレてつ」は、最初は読み切りマンガとして描かれ、やがてビッグコミック連載で人気を博した「のたり松太郎」という作品の、誕生の裏話ともいうべき作品です。ぼくは興味津々で読みました。 マア、少年時代の思い出に浸りながら「ちばてつや」を楽しんでいるぼくからすると、絵柄も、ストーリーも安心なのですね。これからも、こういう新作を、長く書き続けてほしいと切に願う気分です。
2021.05.28
コメント(0)
ちばあきお「ちばあきおのすべて」(集英社) 5月のマンガ便に入っていました。懐かしいマンガ家の特集本です。「ちばあきおのすべて」(JUMP COMIC SEREKUTION)です。1994年、ちばあきおさんが亡くなって10年後に出版された本のようです。 懐かしいといったのにはわけがあります。ちばあきおをいうマンガ家は、ちばてつやの弟で、兄のアシスタント、まあ、仕事の手伝いからプロのマンガ家になった人で、そのあたりのことはちばてつやの「ひねもすのたり日記」(小学館)とか「追想短編集」(小学館)に詳しく書かれていますが、ぼくにとっては「キャプテン」、「プレイボール」という野球漫画の作者で、「谷口くん」という、「ただの中学生をヒーローとして描いた」、ぼくが知る限りたった一人のマンガ家です。 ぼくは、この二つのマンガを、学生時代の終わり、二十代の後半に読みました。月刊ジャンプとかの掲載誌ではなくて、20巻を超えていたと思いますが、ジャンプ・コミックスの単行本です。読みながら、「この主人公は、きっと、普通の大人になるのだろうな」と思ったことを覚えています。 「スポコン」という言葉が生まれたころだったでしょうか。そのころ、長い学生生活を終えて、教員になって、最初の仕事の一つが硬式野球部の顧問でした。生まれて初めての野球の試合で、ベンチに入ってヤジっているとキャプテンから「先生、相手をけなすような、品のないヤジはだめです!」とダメ出しされたのを今でも覚えていますが、35年以上も昔のことです。 そのチームでの話ですが、顧問の仕事の一環だったのでしょうか、部室の片づけの「指導」とかだったのでしょうか、彼らの部室をのぞく機会がありました。すると、着替えとかが散らかっている、汚い部屋の棚に「キャプテン」、「プレイボール」が揃っていました。なんだか、場違いなものを見つけたような、「へー、こういうのを読むんだ!」と、考えてみれば的外れなことを感心しました。しかし、今思い返してみれば、部室の棚に並んでいた「墨谷二中」と「墨谷高校」の物語が、公立高校の弱小(失礼!)野球部の生徒諸君のバイブルだったわけです。 なるほど、行儀の悪い顧問を、キャプテンが叱るのも当然だったと、今になって、納得した次第です。そういえば、本書の中に、この方も、もう、今は亡き天才マンガ家なのですが、赤塚不二夫がこんなことを書いていました。 私は、あくまで自分独自の作品を描いていたいという気持ちから、他の漫画家の作品はほとんど読まないのだが、それでもあきおちゃんの作品には、何か親しみのようなものを感じていた。彼の作品はあだち充の作品に似た面があったが、もっとあたたかさを感じさせるところがあり、大先輩の寺田ヒロオ氏に通じるものがあった。(赤塚不二夫「作品の底に流れるあたたかさ」) 「あたたかく」、超まじめな野球少年「谷口くん」が、丸井君、五十嵐君、近藤君と続く「墨谷二中」のキャプテンを育てながら、無名の公立高校のキャプテンも育てていたことは今でも忘れられない懐かしい思い出なのです。 実は、最近、その頃のエース・ピッチャーやマネージャーさんとFBを通じて再会するといううれしい経験をしました。なんと、50歳を過ぎたおやじに変身してしまっていましたが、不思議なことに電話の声は昔のままでした。 生まれて初めて務めた、あの高校の狭いグランドが思い浮かんでくる、懐かしい響きの声が、スマホの中から聞こえてきて、おもわず・・・・・。 それにしても、ヤサイクンの世代が、いつごろこのマンガに出会ったのか、ちょっと気にかかりますね。今でも読まれているのでしょうか?
2021.05.24
コメント(0)
ちばてつや「ひねもすのたり日記4」(小学館) ヤサイクンの5月の「マンガ便」に入っていました。ここの所読み続けているちばてつやの「ひねもすのたり日記」の第4巻です。 執筆時期が、現在と重なっているので、マンガ家ちばてつやも「コロナの時代」を生きていらっしゃいます。 1939年の1月生まれですから、82歳ということですね。埼玉県にある芸術系の大学の先生もなさっているようで、現役ですね。マンガでは、あまり触れていらっしゃいませんが、感染に不安を感じざるを得ない後期高齢者ということで、感染の蔓延が笑いごとでは済まないストレスフルなお年といっていいと思います。 というわけなのかどうか、そこはわかりません。しかし、今回は病気の思い出話集となっていまして、「首の骨の捻挫」に始まって、「極度な眼精疲労」、「網膜剥離」、「耳鳴り」、「心筋梗塞」、「脊椎狭窄症」、「狭心症」、「大腸がん」、それから、「喫煙と禁煙の苦しみ」と、まあ、笑って書くのには抵抗のありそうな病名も、複数あるわけで、生まれてこの方、病院とは縁遠い暮らしをしてきた当方としましては、どっちかというと「元気が出ないなあ・・・」 という第4巻でした。 「マンガ便」を届けてくれたヤサイクンが、荷物を手渡すときにいっていました。「なんか、世の中や自分の体に対する不安がにじんでいて、ちょっとダルイ!」 その通りでしたね。でも、若いヤサイクンとは違って、ちばてつやの次の世代に連なる人間の目には、ある意味、実に正直な作品だともいえるわけで、そういうファンの一人であるシマクマ君には、それはそれで楽しめる内容なのでした。追記2024・08・22 第1巻・第2巻・第3巻・第5巻・第6巻の感想はこちらをクリックしてくださいね。
2021.05.23
コメント(0)
ちばてつや「ひねもすのたり日記(3)」(小学館) さて、「ひねもすのたり日記」第3巻ですね。後期高齢者の日常を生きるちばてつや先生、マンガ大学の学長さんまで務めるご活躍で、とても「ひねもすのたり」どころではなさそうですが、ここで語られる交友や日常の失敗談は、彼の人柄を感じさせて笑えますね。 もう一つのメイン、思い出の記の読みどころは、マンガ家「ちばてつや」誕生秘話でした。 時は昭和三十年代の初めころですね。「貸本屋」ってご存知でしょうか?薄暗い棚にずらりとマンガの単行本が並んでいて、ビニール・カバーがついていました。一冊十円だったと思いますが、子どもの小遣いの額で数日間(?)借りて返すわけです。 ぼくが育ったのは、村によろず屋が一軒しかない田舎でしたが、最寄りの国鉄の駅の近所に一軒だけ貸本屋さんがありました。全国で3万件の貸本屋があったそうです。グリコの十粒入りのキャラメルが十円の時代です。 ぼくは週刊の少年マンガ誌、「少年マガジン」と「少年サンデー」が創刊された後の中学生でしたから、この「貸本」文化の恩恵には直接には与かってはいません。しかし、貸本マンガブームがマンガ家を育てました。 赤塚不二夫、さいとう・たかを、白土三平、永島慎二、ぼくが二十代にかぶれたマンガ家たちですが、皆さん貸本マンガを描くことでマンガ家になったようです。ちばてつやはその最後列の一人だったようですね。 マンガが好きな高校生、「千葉徹彌」くんが貸本マンガの出版社「日昭館」の国松社長に出会い、マンガのイロハを教えられ「マンガ」を描きはじめます。 初めて原稿料をもらった作品が、貸本マンガ「復讐のせむし男」というマンガだそうです。高校生マンガ家の誕生ですね。やがて、倒産の憂き目にあう、恩人国松社長とその奥さんの最後のアドヴァイスが筆名でした。 国松社長は本名の千葉徹彌を眺めながらこういいます。「固たっくるしくて、むずかしい・・・いっそひらがなにしたらどうだ?」 少年マガジンでマンガを読み始めた世代にとっては「ちかいの魔球」、「紫電改のタカ」、そして「あしたのジョー」のマンガ家、全部ひらがなの「ちばてつや」誕生! です。 二つ目の読みどころはこのページあたりですね。「ちかいの魔球」の誕生秘話です。 まだ高校生だった「千葉徹彌」くんはマンガ家ちばてつやにはなったものの、最初のスランプに直面します。「ちばてつや」を生み出してくれた出版社「日昭館」の倒産、苦手な「少女マンガ」家としての苦悩の日々が詳しく語られています。救ったのは「少年マンガ」を描く場を与えた「少年マガジン」でした。 若い人はご存じないでしょうが、「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉があった時代です。プロ野球の巨人軍をネタにすれば、必ず売れるという営業方針でやってきたのが「野球マンガ」の執筆依頼でした。苦しみ続けた少女マンガから逃げ出せるという喜びで、一も二もなく引き受けたちばてつやですが、なんと彼は野球を知らない、キャッチボールすらしたことのない青年だったのです。 現在65歳のマンガ老人シマクマ君が、人生の最初に熱中した野球マンガ「ちかいの魔球」の作者はピッチャーズ・マウンドのプレート板の存在すら知らなかったという事実の告白には、もう、笑うしかありませんね。 このマンガの思い出は「消える魔球」ですが、ここから「巨人の星」に至る、野球マンガの魔球伝説が始まったわけですから、歴史に残る名作といっていいかもしれませんが、描いている人は「ドシロウト」だったということこそ歴史に残りそうですね。 おそらく、次号は講談社専属マンガ家「ちばてつや」の話が読めるに違いありませんね。追記2024・08・20「ひねもすのたり日記」1巻・2巻・4巻・第5巻・第6巻の感想はここからどうぞ。 ボタン押してね!ボタン押してね!ひねもすのたり日記(3)【電子書籍】[ ちばてつや ]
2020.04.25
コメント(0)
ちばてつや「ひねもすのたり日記(2)」(小学館) ちばてつや「ひねもすのたり日記」第2巻です。 もちろんヤサイクンのマンガ便にはいっていました。 下のページの写真をご覧になれば、お気付きだと思いますが、全ページ、オールカラー印刷で、ショートコミックと題されています。色は少し黄ばんだイメージの紙が使用されていますが、紙の質は上等です。要するに「黄ばんだ」イメージの装幀なんでしょうね。 まあ、大家の「思い出」の記ですから買って保存しておきたいというファンもでてくるでしょう。そういうことも考えられているようです。「あんな、全部カラーやろ、そやからやねんな、ちょっと高いねん。」「ホンマや、一冊1150円か。新刊でこうたんか。でも、読みやすいやん。」「うん、まあええねんけどな。」 マンガ便を届けてくれるヤサイクンは、少々不満そうです。 さて、第2巻です。この巻のよみどころは、まずは「ちばあきお」の思い出でしょう。男ばかりの四人兄弟の、長男がちばてつや、三男がちばあきおだそうです。 野球少年マンガの傑作、「キャプテン」・「プレイボール」の人気マンガ家ちばあきおの自殺が報じられたのは今から35年前でした。 当時、勤めていた高校で野球部の顧問をしていましたが、生徒たちの部室にはこの二つのマンガ揃っていました。ぼくが顧問をしていたのは、とりわけ足が速かったり肩が強かったりするわけではない普通の高校生の集まるチームでしたが、誰もが「谷口くん」や「五十嵐くん」にあこがれていたように思います。 ヤクルト・スワローズでサードを守った、ブンブン丸、池山選手がいた市立尼崎高校や、のちにメジャーに行った長谷川滋投手の東洋大姫路高校とも、練習試合をしたことがありますが、今ではいい思い出ですね。彼らも読んでいたに違いありません。その時代だったでしょうか、イチロー選手が寮に全巻揃えていたというのは、かなり有名な話です。 話を戻します。その作者ちばきおがマンガ家になるきっかけが兄の手伝いだったというエピソードを描いているのがこれです。 この章の中でちばてつやは弟の死因については触れていません。ただ、最後のページで一言こんな言葉を記しています。「あの時、ひき止めなかったことに少々、悔いが残ります。」 胸に迫る言葉でした。マンガの世界に連れて行ったのは兄ですが、ちばあきおのマンガ家としての、あるいは人間としての苦しみは、ちばあきお自身のものだったのですよね。それは、多分、自らも同じように苦しんだちばてつや自身にはよくわかっていたに違いなのでしょうね。 もう一つの読みどころは、ちばてつや自身のマンガとの出会いです。 4人の男の子が、結果的に全員マンガ業界で働くようになってしまったきっかけのシーンがこれです。てつやが道端で拾ったマンガ本の虜になるのですね。これが始まりなんです。 ところが千葉兄弟の母親は「子どもがマンガを読むとね・・・バカになるのよ‼」と叫んで、ここで拾ってきたマンガ本を燃やしてしまう人だったのです。何だか、そういう懐かしいシーンがこの後のページにあります。 なにが懐かしいといって、思い出の中のことですが、このマンガ悪玉論が他人ごとではなかったことです。 ぼく自身はマンガ家になったりする能力はありませんでしたが、マンガは好きでした。少年マガジン、少年サンデーが創刊された時代です。もちろん買ってもらうことはできませんでした。こっそり買ってきたり、友達から借りてきたマンガを縁の下か、納屋に隠れて読んだものでした。そういう考え方が主流だった時代だったのですね。昭和の三十年代、高度成長の前夜でした。 色々懐かしく思い出しますが、この第2巻の終わりでは、いよいよプロのマンガ家ちばてつやが生まれようとしています。 第3巻が楽しみですね。追記2024・08・19 第1巻・第3巻・第4巻・第5巻・第6巻の感想はこちらをクリックしてくださいネ。ボタン押してね!ボタン押してね!プレイボール 1【電子書籍】[ ちばあきお ]
2020.04.19
コメント(0)
ちばてつや「ひねもすのたり日記(1)」(小学館) ヤサイクンの四月のマンガ便に入っていたマンガを見て驚きました。あのちばてつやの新刊マンガです。 現在75歳から65歳くらいの年齢の人で、この名前に反応しない人はよほど漫画とか読まなかった人なんじゃあないかと思います。名作「あしたのジョー」が週刊少年マガジンに連載されたのが1967年の暮れから1973年でした。現在65歳のぼくの場合は13歳から19歳でした。 何年前のことでしょう。確か、講談社だったでしょうか、文庫版で「ちばてつや全集」が出た時に集めたことがありますが、狙いは「ちかいの魔球」とか「紫電改のタカ」でした。それらのマンガが、ぼくと少年漫画との最初の出会いの作品だからです。 大学生の時は「あしたのジョー」がブームでした。ジョーがコーナーで白くなって連載が終わった後、映画になったり葬式をやったり、北朝鮮に行ったり大変でしたが、ぼくの中では終わっていました。 ところが、その後、国鉄のドリーム号という東京行の深夜バスのポスターになったことがあって、それを「盗み」に行ったことがあります。行ってみると、バスの発着所の、そこに在るべきポスターはもうなかったのですが、そごうデパートの前の東西の大通りで「暴走族」と呼ばれていたオートバイのオニーさん軍団がお巡りさんと戦っているのを歩道橋の上で見物して帰ったことを覚えています。そういう時代でした。 話が横にそれていますが、その頃からぼくはちばてつやの読者ではなくなりました。でも、今でもマンガを読むと、目のクリンとした「子供顔」の絵が好きなのは、子どものころからの刷り込みでしょうか。影響はそうやって残るのでしょうね、きっと。 そのちばてつやが、まだマンガを書いていました。「ひねもすのたり日記」(小学館)です。週刊ビッグ・コミックに連載している、マンガエッセイなんだそうです。一話4ページ、80歳の日常生活の近況報告と生まれてからこの方までの、自叙伝、まあ、そういうとたいそうですが、エピソードをたどった回顧録風エッセイというところでしょうか。 80歳を過ぎて連載マンガに、もう一度挑戦する決心を描いたシーンがこれです。この連載を始めた当時、90歳を過ぎて書き続けていた水木しげるの話題も出てきますが、2015年亡くなりました。ちばてつやが、再び書き始めるのは、そのあとからです。若い女性の編集者というところで目を輝かす、ちょっとおバカな本人が描かれていますが、書き残したいことを見つけたに違いありません。 1才から満州の奉天で暮らしから自叙伝は書きだされています。異国で暮らした少年時代、6才で敗戦、一年間にわたる家族ぐるみの逃亡生活、7歳でようやく帰国、父親の故郷にたどり着いた「千葉徹彌」少年の脳裏に刻み込まれた、最初の、平和の思い出は、おバーちゃんが切ってくれた真っ赤な「スイカ」でした。 「老大家」が八十年にわたる生涯を振り返り、ほのぼのとした思いでエッセイ・マンガを描いている。そう考えるのが普通なのでしょうね。 でも、今でいえば保育園の年長さんだった年の少年が、ホッとして「スイカ」にかぶりつくシーンは、誰にでも書けるわけではないでしょう。この「スイカ」をこそ、ちばてつやは書き残したかったのではないでしょうか。 今回もハマってしまいました。子供の頃、この人でマンガを知った人にはお薦めです。是非どうぞ。「ひねもすのたり日記」(第2巻)・(第3巻)・(第4巻)・(第5巻)・(第6巻)の感想はここをクリックしてください。追記2022・01・31 ネット上のニュースでちばてつやさんの心臓の手術が成功したことがながれていました。マンガでしか知らない人ですが、「ああ、良かった!」と素直に感じました。できれば、描き続けていただきたいですが、そんなことより何より、お元気で長生きしていただきたいですね。戦争を知っていて、戦後を知っている大切な方だと思います。 ボタン押してね!ボタン押してね!☆☆ 漫画全巻セット あしたのジョー[文庫版] <1〜12巻完結> ちばてつや楽天で購入
2020.04.16
コメント(0)
全9件 (9件中 1-9件目)
1