読書案内「水俣・沖縄・アフガニスタン 石牟礼道子・渡辺京二・中村哲 他」 20
読書案内「鶴見俊輔・黒川創・岡部伊都子・小田実 べ平連・思想の科学あたり」 15
読書案内「BookCoverChallenge」2020・05 16
読書案内「リービ英雄・多和田葉子・カズオイシグロ」国境を越えて 5
映画 マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、スロベニアの監督 6
全3件 (3件中 1-3件目)
1
クリスティアン・クレーネス他「ユダヤ人の私」元町映画館目を覚ますとわたしは考える。まだ強制収容所にいるのか? 106歳の老人が、夜中にふと目を覚ましてそう思う。収容所から解放されて70年以上もの月日が過ぎた今でもです。 語っているのはマルコ・ファインゴルトという、1913年にハンガリーで生まれ、オーストリアのウィーンで大人になった人です。1939年に逮捕されたときに26歳、アウシュヴィッツ、ノイエンガンメ、ダッハウ、ブーヘンヴァルトと名だたる収容所を転々としながら生き延びて、映画に映っている姿は106歳だそうです。 カメラの前でぼんやりと記憶をたどるような、なんだかうつろな目をしている老人が、子供のころからの思い出を語り始めました。 子供の頃に亡くなった母の死、そして、父の死、父と母と子供たちのいる家族の姿が浮かんでいるようです。老人の眼に少しずつ生気が漂い始めます。 笑いを浮かべたかに思える眼差しがこちらを見て、青年の日のイタリアでの暮らしが語られ、パスポートを更新するためにウィーンに戻った1938年に回想がさしかかったとき、ナチス・ドイツによるオーストリア併合の熱狂の記録が挿入されます。ヒットラーにしてやられた。 兄とともに逮捕され、収容所での死の宣告を語る老人は、あたかも一人芝居を演じている名優のような深いまなざしをカメラに向けています。ふと、話すことをやめた老人が見つめているのは、生きのびることが「飢え」であった自分の姿のようです。「ARBEIT MACHT FREI」、「働けば自由になる」というレリーフが画面に浮かびあがり、収容所の様子やアイヒマンの裁判のシーンが映し出され、やがて1945年の解放の様子と、戦後の暮らしへと語りはつづいてゆきます。 戦後、届けられた兄の死亡通知、ホロコーストの時代を生きのびながら消息を失った妹、語りながらうつむく老人。うつむいた老人の脳裏には、家族をすべて失った収容所帰りの男の姿が浮かんでいるのでしょうか。 元親衛隊の人間たちの復権を怒りを込めて語り続けていた老人の眼が、ふと、しかし、たしかに、遠くを見つめてつぶやきました。人はすぐには死なない。自分が死ぬのを見ながらゆっくり死ぬんだ。 「おまえたちは煙突の煙になってここを出ていく」と宣告されて、以来、80年の歳月の間「死」を見つめ続けてきた人生が、そこに座って、ぼくを見ていました。 「何百万人という死者」、「奇跡的に生き残った生存者の警鐘」、「人類史上最大の悪」、言葉が消えて、一人の「人間」が座っていました。暗くなった映画館の椅子に、ボンヤリ座り込んで、彼の生と死を思いました。彼は2019年、「死」を見つめ終えたそうです。「ホロコースト証言シリーズ」という企画で生まれた作品だそうです。見ようと思っていたシリーズ第1作「ゲッペルスと私」を見損ねてしまったのですが、今日見た第2作の「ユダヤ人の私」には圧倒されました。ヨーロッパ映画の過去に対する向かい合い方に感動です。企画者と監督たちに拍手!でした。 先日、「東京大空襲」(岩波新書)の早乙女勝元さんの訃報に接しましたが、1932年生まれの方が90歳です。もう十年もすれば戦争を体験した人たちがいなくなる時代になるわけですが、この作品から感じられる危機感を、日本の社会ではあまり感じたことはありません。軽佻浮薄を絵にかいたようなことを平気で口走る輩に、イイネ、イイネと付和雷同している風潮が世を覆っている息苦しさ、何とかならないのでしょうかねえ・・・・。監督クリスティアン・クレーネス フロリアン・バイゲンザマー クリスティアン・ケルマー ローランド・シュロットホーファー製作クリスティアン・クレーネス フロリアン・バイゲンザマー脚本フロリアン・バイゲンザマー クリスティアン・クレーネス ローランド・シュロットホーファー撮影クリスティアン・ケルマー編集クリスティアン・ケルマーキャストマルコ・ファインゴルト2020年・114分・オーストリア原題「Ein judisches Leben」「A JEWISH LIFE」2022・05・10-no67・元町映画館no120
2022.05.13
コメント(0)
フレディ・M・ムーラー「山の焚火」元町映画館 フレディ・M・ムーラーという映画監督の3本の映画を「マウンテン・トリロジー」という企画でみせてくれるシリーズを見始めて、「山の焚火」、「我ら山人たち」と、2本見たところで、体調をこわしてしまいました。 とうとう「緑の山」は見損なったまま上映が終わってしまいました。3本見たうえで、感想を描こうと思っていたのですが、仕方がありません。見ることができた2本について感想を書き残しておこうと思います。 なんといっても、1本目に観たこの映画「山の焚火」は圧倒的でした。「山」を撮っている映像の美しさ、「山」の生活のドキュメンタリーを思わせるリアリティーと、その、アルプスと思われる山の高みで繰り広げられる、神話的とでも言えばいいのでしょうか、あらゆる「閾」超えた、しかし、限りなく美しく哀しい「人間」の世界 が映し出されていました。 「叫びと沈黙」、「槌音と木霊」、「火炎と漆黒」、再び、「銃声と沈黙」。印象的な音以外、とても静かな映画でした。 チラシにあるのは、耳の聞こえない弟が、ただ一人心を許し、縋りつくようにその喉元に指先を当て、鼓動でしょうか、息の音でしょうか、歌声でしょうか、「ねえさんの音」 をさぐる美しいシーンが、焚火の炎に映し出されている光景です。映画の物語は、ここから二人の、禁断の愛のシーンへと昇華してゆきます。 母親は「いのち」 を宿して苦悩する娘をこっそり祝福します。弟は何が起こったのか理解できません。父親は銃を持ち出し、過ちを犯した「娘と息子」を撃ち殺そうと憤ります。 抗う息子との争いの中で銃は暴発し、父親の命を奪います。夫の突然の死を目の当たりにした母親は、ショックのあまりその場で息絶え、雪の降りしきる「山」に「姉と弟」の二人が残されます。そして、その夜、山がうなるのです。 映画を見ているぼくは、美しい山の風景、山で暮らす家族の「父と子」、「姉と弟」、「母と娘」、そして「家族」の生活の様に、もうそれだけで胸打たれて見ていました。 ある日、思うように動かない草刈り機を谷底に投げ込んだことが理由で、息子は父に叱られ、納得がいかない彼はもっと上の山の小屋に家出します。家出した弟を気づかい、山小屋迄荷物を運んできた姉は弟と焚火を囲み、二人の間に必然であるかのように起こって行く「事件」 に息を飲み、その結末に言葉を失ってしまいました。 この映画で起こった、どの出来事も、事実、そのようであったのではないか。どの俳優も演技などしていないのではないか。ぼくが「神話的」とはじめに言ったのはそういう印象を強く持ったからです。 映画の、ほとんど最後のシーンでした。自分の部屋のガラスの窓を外し、雪原に埋め込むように、並んで寝かせた父と母の遺体に窓をつけた弟の仕草は心のどこかに残るシーンだと思いました。 いや、それにしても、ここには、一番初めの人間の姿 が残っているのではないか、帰り道でそんなことを考えた映画でした。監督 フレディ・M・ムーラー製作 ベルナール・ラング脚本 フレディ・M・ムーラー撮影 ピオ・コラーディ美術 ベルンハウト・ザウター衣装 グレタ・ロドラー編集 ヘレーナ・ゲレバー音楽 マリオ・ベレッタキャストトーマス・ノックヨハンナ・リーアロルフ・イリックドロテア・モリッツイェルク・オーダーマットティック・ブライデンバッハ1985年・120分・スイス原題「Hohenfeuer」配給:gnome日本初公開:1986年8月2日2020・12・13元町映画館no65
2020.12.22
コメント(0)
N・ライトナー「17歳のウィーン フロイト教授人生のレッスン」シネ・リーブル チラシの「フロイト教授」の名前に引き寄せらてシネリーブルにやって来ました。ウィーンのフロイトです。見たのは「17歳のウィーン フロイト教授人生のレッスン」でした。1856年生まれのジークムント・フロイトは生涯ウィーンで終えるはずの人だったのですが、1938年3月に強行されたナチス・ドイツによるオーストリア併合とユダヤ人に対する迫害を逃れて、6月にウィーンを去り、翌1939年、亡命先のロンドンで世を去ります。フロイトに関心のある人には有名な話です。 ところで、この映画ではウィーンを脱出するフロイトを見送った青年がジーモン・モルツェが演じた主人公フランツ・フーヘル君でした。 一方、フロイトを演じたのは、あまり映画を見なかったぼくでも見た「ベルリン・天使の詩」で天使を演じたブルーノ・ガンツです。 最近この人をどこかで見かけたとふと思いましたが、調べてみてようやく気付きました。「名もなき生涯」で主人フランツを裁いた判事を演じていたのがこの人だったのです。「ベルリンを見下ろす天使」、「死を目前にしたヒトラー」、「アルプスの少女ハイジのおじいさん」、名優が演じた最後の人物が「故郷ウィーンを脱出する老フロイト」でした。 このとき、実在のフロイトは副鼻腔癌の末期だったのですが、この映画を最後に世を去ったブルーノ・ガンツは結腸癌の末期の体で、この役を演じていたようです。 フロイトが生涯愛した嗜好品がタバコです。主人公の青年フランツが故郷の村から母親の伝手を頼ってたどり着いたのが、ウィーンの「キオスク」、「タバコ屋」でした。 原題では「Der Trafikant」というドイツ語ですが、字幕ではキオスクとなっていたと思います。 そのタバコ屋で、フランツが様々な人と出会い、一人の「人間」へと「成長(?)」してゆく姿を描いたのがこの映画でしたと、とりあえずは言えると思います。 第一次世界大戦の傷痍軍人で、片足を失っている主人トルニエク(ヨハネス・クリシュ)、葉巻を買いにやってくる老教授フロイト、ボヘミアからやって来た娼婦アネシュカ(エマ・ドログノバ)、ナチスを礼賛する肉屋の夫婦、抵抗を叫ぶ共産主義者、未来を無駄にするなと脅す同郷の警官。 トルニエクは肉屋の密告で獄死し、フロイトはウィーン去ります。アネシュカは親衛隊に身体を売り、共産主義者はビルの屋上から落下します。 時代に翻弄されて去っていく「人々」の中で、青年フランツはどこにたどり着くのでしょう。 様々な別れの結果、ウィーンのナチス本部前の掲揚柱に掲げられた「青年の旗」が実に感動的に「青年の反抗」と「絶望的な未来」を暗示して映画は終わります。 しかし、ぼくにはこの映画がよくわからなかったのです。彼が故郷の湖の底で手に入れ、ポケットに忍ばせ続け、最後には捨てた(?)ガラスの破片があるのですが、あれは何を意味していたのでしょう。 それが、この映画の「わからなさ」 を解くカギであることは確かなのですが、さて、どうしたのもでしょうね。とりあえずの感想はこれで終ります。中途半端なネタバラシで申し訳ありません。備忘録だとお許しください。 監督 ニコラウス・ライトナー 製作 ディエター・ポホラトコ ヤーコプ・ポホラトコ ラルフ・ツィマーマン 原作 ローベルト・ゼーターラー 脚本 クラウス・リヒター ニコラウス・ライトナー 撮影 ハーマン・ドゥンツェンドルファー 編集 ベッティーナ・マツァカリーニ 音楽 マシアス・ウェバー キャスト ジーモン・モルツェ(フランツ・フーヘル) ブルーノ・ガンツ(ジークムント・フロイト) ヨハネス・クリシュ(オットー・トルニエク)ヨハネス・クリシュ エマ・ドログノバ(アネシュカ)エマ・ドログノバ 2018年・113分・R15+・オーストリア・ドイツ合作原題「Der Trafikant(タバコ屋)」 2020・07・30シネリーブル神戸no61追記2020・08・03「名もなき生涯」の感想はここをクリックしてください。ボタン押してね!にほんブログ村
2020.08.03
コメント(0)
全3件 (3件中 1-3件目)
1