全16件 (16件中 1-16件目)
1
さて2月半ばに旦那の車で家族と娘のアパートに出かけた時私だけが娘の所に数日、残ってたが、そろそろ歯医者の予約もあるし帰りは電車にしようっと金券ショップでお得な切符を購入し、乗車直前にスタバでラテを購入して・・・。そのパッケージはもう春だけど木曽路はまだまだ冬本番、雪降りとなった毎1時間に1本ある割高な特急しなのではなくって、2時間に1本しかない鈍行普通電車は、塩尻からはワンマン運転だ今年の木曽は雪降りが多く、しっかり昨年末から積もったままなんじゃこりゃ~~~。しなのなどは通過だしとても短い編成の普通電車しか止まらないので利用しないホームなどは雪かきもされないので 駅ホームだって、ご覧の通り使うホームも広ければ、歩く部分だけが雪かきされてご覧の通りどこの駅じゃ~~~、ご覧の通り木曽と言えば日野製薬の百草丸。ウィキペディアによると>長野県西部で主に製造されている黒色丸剤の胃腸薬・>苦味健胃薬でである。 古来から製造されていた、>キハダ樹皮から抽出されたオウバクエキスのみを>配合した黒色板状の苦味健胃薬(胃腸薬)「百草」を>より飲みやすくするために丸状にしたもの>百草(板)はオウバクエキスのみで出来ているが、>百草丸は製造元で異なってはいるものの、ほかの>生薬が処方・配合されているが、主成分をミカン科の>落葉高木「キハダ」の内皮から抽出されるオウバク>エキスとしている。>御岳百草丸(長野県製薬)、御嶽日野百草丸(日野製薬)などなるほどね。同様の薬は奈良県の 陀羅尼助丸、フジイ陀羅尼助丸愛媛県の石鎚山陀羅尼丸、鳥取県の大山煉熊丸などもあるそうだそれにしても線路まで、雪に埋もれる様な勢いだしやっぱ鳥居峠の付近が一番、雪が多いような国道19号クラスは除雪もしっかりしているが、地域の道はご覧の通り木曽の山や川も寒そうだ朝日将軍、木曽義仲公の旗揚げ地の日野も雪の中電車旅もそろそろ半分だ木曽福島駅のD51も雪の向こう 窓の外も真っ白、雪の中。上松駅のホームの椅子は木曽ヒノキこのあたりになると積雪もなくなった。眼下に浦島太郎が目覚めたという寝覚ノ床ギャオスの超音波から ガメラが傷つきながら人間を守った木曽の吊り橋ってここかなぁ?それともこっち? 他にも吊り橋あったっけ。国道19号からの車からだと見辛い吊り橋も、上部通過の電車なら見やすいロケ地と言えば映画「キツツキと雨」で役所広司、小栗旬が入った日帰り温泉の南木曽温泉「木曽路館」が営業をやめた。団体客の利用が主だってただけに、昨年の御嶽山噴火での観光客減の影響もあったのかもしれない役所広司は裏木曽(中津川市北部)で林業を生業にする方を演じていたが、木曽といえばやっぱ木曽ヒノキ。とか言っている間に終点の中津川駅に到着私は松本からだったから時間通り到着出来たけど、名古屋方面は人身事故の影響で3時間位電車が動いていなかったらしく、都会のように代替路線もないし、電車から降りてきたお客さんがブチ切れしてるよ~~~。駅員さん怒鳴っても仕方ないとは思うけど・・・駅前には巨人が着る学生服? ここからはバスで帰宅をするつもりだったけど旦那が息子が休みだから迎えに来させたら?というので聞いたら快くOK貰ったので、近くのスーパーで待ち合わせ息子が自分用のお菓子とかカゴに入れてたんで、車で迎えに来て貰ったし息子も誕生日を迎えたばかりなので、おごるわ~~☆とレジに行って、えっ? 菓子の袋の下からはリポビタンD1箱がしかも店員さんがバーコードをピッと読み取ると1280円ってそれって高くない~~?でもでもココでキャンセルとかもめると、気分を概して次に迎えに来てもらえないかも~~と思い泣く泣く購入したが、後日別の店で980円。こっちは2箱でおまけの袋も付いて1580円だよ~うっ1280円ってヤッパすんごく高かったし。とかぼやいてたら日曜日の某スーパーでリポビタンDが680円!! リポビタンDを含まず税抜千円以上のお買い上げのみと条件があり、私、旦那と別に千円以上を購入して2つゲット。これで1280円+680円×2で2640円÷3すると、一箱当たりの単価が880円位となったふ~っ、1280円の高値で買った痛手はこれによって癒えたのだ 平成27年2月18日に木曽で撮影
2015年02月22日
コメント(28)
先日紹介をした姥捨駅からの絶景ではなく、これは2月になって先週の朝、昨秋に開通したばかりの山の上にある馬籠から坂下方面に抜ける椿街道から見た坂下の景色だ本当に今年は雪の日が多くてだいたい、いつもこれ位は積もってます 北日本はもちろん同じ岐阜県の飛騨とか、奥美濃のように山ほど積る事はないので雪下ろしの必要もないし、まだ恵まれているのかもしれませんが冬のキンキンに晴れた日の放射冷却が無い分、こんな雪の日の方が逆に暖かなので過ごしやすいのですが問題は道路状況ですね。車を運転しなきゃ仕事も買い物も病院も行けないし、バスだってこんな日は運行が遅れるし第一がバス停まで歩いて行かなきゃいけないまだね~、雪の方がいいかも。雪が踏みしめられ圧縮されたり一度溶けたものが、凍結でもしたら天然スケートリンクひょえ~~~、スリップ~~!となります。看板にも雪道とは書いてありませんが、雪が結構、積もってくると急な坂道とか登れなくなってしまいますがこんな山の上に住んでいるんだもんなぁ~。都会の人が別荘とか作る地域ですよ、中津川。中古不動産でも別荘が幾つも格安で売っているし実際に住んでみたら制約の多い田舎暮らしは不便な事も多い中信州へ移住されたブログ友達のぢんこさんやまっちさん、よく順応されて田舎暮らしを楽しまれているもんだと感服さて今日は建国記念日の祝日で、娘が平日休みになってしまって土日休みの旦那と合わなくなっていたけど、今日ならどちらも休みだからと天気予報も晴れてくるし、ネットで木曽の国道19号の路面情報調べたら積もっていなかったし、日帰りで旦那の運転で舅や姑も連れて出かける事にしたそういった訳で以前の藤沢線の道より、椿街道によって少しは早く国道19号に合流して、木曽を北上。まずは南木曽手前の発電所。奥の山が昨夏に土石流を引き起こした山だその当時、土石流を引き起こした川の他にも国道19号沿いの斜面も崩れたが青シートがかかったままで補修はされてないまま道沿いの石屋さんの石像も雪景色木曽川に沿うように国道19号と、JR中央本線の線路が並走しているので、時には列車と競争だ。この貨物はやたら遅かったけど普通電車とか駅の停車時間もあり、車と同じ位の事も多いトイレタイムで立ち寄った道の駅の駐車場には除雪した雪山があちらこちらに。ホント、今年の木曽は雪だらけ屋根の雪ものったまま、日当たりの良い南側はとけて少な目だうちのあたりより多めの雪に、舅や姑もすごい、すごいを連発でも大昔に、冬場の親戚のご不幸で出かけた信州飯山の大雪は半端なかったそうだ溶けた雪が凍ったのか、氷の壁が出来ていたさて、ここ最近見た映画。といっても映画館で上映中のは思うものがないし、今回は私の車がないので(↑旦那の車で来て置き去り。帰りは電車)レンタルで借りてきた映画。2つは図書館の無料貸し出しによるものだ「マダム・イン・ニューヨーク」娘が見たいと言って借りてきた映画だけど、この女優さんインドの吉永小百合なんだって~。長いブランクを経た50歳直前の(撮影時)女優さんは、どうみても10歳は若く見える。旅行で訪れたのに毎日、毎日違うサリーを纏う主人公に水戸黄門を見習え~と突っ込み(笑)「最強のふたり」一気に時間を忘れて見た映画。最初に後半のシーンを持ってきたのも良かったかも。男版アニー? 実話だそうだけど金持ちだから幸せでもないし、過去を引きずり怖気づいていちゃ、チャンスも訪れない。誰もがポジティブに人生に挑戦をしていけば、きっと今とは違った人生が訪れるのかも「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」メリル・ストリープが老いというものを上手に演じていたけど、現在、過去が交互に出てきたりで少し混乱もしたし、政治とギャングものの映画はやっぱ苦手だ「ラブ・アクチュアリー」大昔、見ようとしたけど途中で断念した映画だけど今回は最後まで見れた。今思うと、ホントすんごい大物俳優さんがいっぱい出てて驚きですわ!↑の鉄の女の首相と大違いのキュートなハンサム首相イギリス男はアメリカでモテモテらしいです(笑) 平成27年2月に木曽で撮影
2015年02月16日
コメント(30)
梅雨になったのに前線は南の海にあり、日本列島に向かって南からの暖かな湿った空気がやってきて北からの寒気がぶつかっての不安定な天気によりゲリラ豪雨や、落雷や。うちのあたりも一昨日の夕刻の雷雨は、近くに雷も落ちて怖かった~そんな梅雨らしからぬ積乱雲沸き立つ6月ですけど皆さんのところは大丈夫でしょうか? ブログ友のからもご指摘があったが、ホント5月って我が家は出歩いてるなぁ~~と、つくづく実感田んぼが終わって一息ついて、まだまだこちらでは山の新緑も綺麗だし、お天気も安定していて青空も遠くの山も綺麗だし。暑くもなく寒くもなく格好の行楽シーズン こちらでは旧暦に準じて6月5日が端午の節句であるので、こいのぼりの青空にはためいている、その日は5月11日ゴールデンウィーク明けの朝が、またまたお天気が良かったこのブログでも前に紹介をした長野県内の温泉施設を格安で利用が出来る「信州物味湯産手形」は毎年4月新しいバージョンになり、温泉施設の入れ替えなどもたまにあり昨年(3月末日まで販売分、購入日から1年間有効)の手形では、別の温泉施設が国道19号近くに出来る前に利用をしていた、開田高原の御岳明神温泉やまゆり荘が新規で登場したのに、4月からの新しいのでは既に無いしかも手形2冊(昨年版)の有効期限は5月中旬と7月中旬。今日、5月11日を逃したら二人で手形でお安く「やまゆり荘」を利用出来なくなってしまうので、幸いお天気も良いので、旦那の運転で国道19号を北上して開田高原へGO!良く見る大型物流トラックに交じって、行楽シーズンには普段は見慣れないような高級車、スポーツカーなどもおり同じグループなんだろうか。トンネル入るとエンジン音がまるでサーキット場木曽福島から国道19号を外れて、開田高原へと向かう道に入ると木曽の新緑よりも、更に春が浅いという感じになって芽吹いたばかりの山々山桜なども咲いていて、5月半ばにお花見が楽しめてしまうとは思わなかった毎年のように南木曽から峠道を越え飯田へ向かう「清内路」の「花桃」を見に出かけているけど、今年は行けなかった・・・なんてガッカリしてたけど、ここでも花桃が楽しめるんだ!トンネルを抜けると、そこは白樺林だった。すませんね~走行中の助手席から撮影でぶれてしまって開田高原にとうちゃこ! 木曽の御嶽山も雲一つなく綺麗に見えた苗木城山の桜でも紹介をした、宿り木がここにも着いて早々に温泉もなんなので観光なんかもしてみようと出かけた先は開田高原ではずせない木曽馬を見れる牧場の「木曽馬の里」へこういった木の柵があるだけでも絵になるなぁ御嶽山と馬を入れたかったけど、この馬くらいしか見れず 下記、木曽馬についてウィキペディアより>木曽馬(きそうま)とは長野県木曽地域(木曽郡)を>中心に飼育されている日本在来種の馬である。岐阜県>飛騨地方でも飼育されている>起源ははっきりしていないが、元々は蒙古の大陸系の>馬である。一説では紀元前1世紀の漢で改良された「蒙古>草原馬」が2~3世紀、朝鮮半島経由で渡来したという。>この馬が木曽地域という山岳地帯で飼育された影響で、>木曽馬となったとされる>飛鳥時代(6世紀頃)美濃国恵那郡(岐阜県中津川市)にて、>馬の放牧が始まる(注:木曽地域は中世以前は美濃国>恵那郡の一部である)。>平安時代~江戸時代:武士の馬、農耕馬、荷馬として重宝>される時代劇とかではサラブレッドなどかっこいい馬が使われるけれど、木曽馬のような短足胴長で体幅が広い馬に乗っていたようださて「やまゆり荘」へ向かうが、その道の途中の柳又集落の手前のあたりからの御嶽山の絶景。走行中の車の助手席から撮影したものだけど手軽に楽しめる絶景だ(最初の写真は柳又付近で撮影)枝垂れ桜も咲いてるし~~山桜の向こうには御嶽山!やまゆり荘の駐車場には、染井吉野かな? 満開だったそして「やまゆり荘」に到着。このように国道19号から少し距離があるので、温泉目的だとせせらぎの四季に行くようになってしまったが、湯舟からも御嶽山を眺められるロケーションも泉質同様に良い温泉だ お風呂も楽しんでお腹も空いたし、開田蕎麦を食べに行くと駐車場に高級車が並んでいたが、国道19号で見たの? そう言えば昨日のニュースで五箇山付近の道で、木が倒れて運転手は軽い怪我だったが、乗っていた名車のトヨタ2000GT!がぺしゃんこになってしまったそうで気の毒すぎるではでは、お蕎麦をいただきましょうかひじり茸の天ぷらも食べてみた木曽森林鉄道で使われた、C4型ディーゼル機関車とC型客車開田高原を後にして木曽福島へ向かうと、桜の向こうに中央アルプスこちらが国道近くの「せせらぎの四季」だが、湯舟からの景色はイマイチ。朝、お天気も良いし御嶽も綺麗じゃないかと期待をしてはいたけど、想像以上に綺麗な御嶽が見る事もお花見も出来て大満足な開田高原ドライブだった 写真は2014年5月11日に信州木曽で撮影
2014年06月10日
コメント(29)
2013年の「成人の日」。こんな(写真)もんじゃなく雪が降ってます。お正月に来たばかりだけど松本あめ市に行きたくて、今週末も娘のところに来ています。娘の新年会の送迎のついででもあるけれどもね・・・・昨日の松本あめ市は晴天で寒くもなくって、楽しかったんだけど、今朝は雪。かなりの積もりようで家に帰ることも出来そうにないです。娘は朝から仕事に行きましたが、ちゃんと帰ってこれるかなそして明日の朝、雪、どうなってんだろう? なんて不安いっぱいな雪の一日ですが。。。 さて今回の日記のお題は。お正月に娘のところに旦那の運転で遊びに来た時に1月4日の自宅への帰路は木曽の国道19号を利用。よく晴れた日で放射冷却でとても寒い日で、奈良井宿の観光は道に残雪もあるだろうし寒い中、歩きたくないので却下 そんな感じで国道19号をするすると南下し、あのトンネル事故と同じ構造の鳥居トンネルで、天井を見上げたりしてしまう。どきどき お昼にはすこし早い時間だけど、よく利用をする道の駅「日義木曽駒高原ささりんどう館」のお食事処「巴」に「すんき汁無料サービス」(期間限定)と貼り紙があったので、これは寄らねばちなみに「すんき漬け」とは木曽地方ですんき菜と呼ばれるカブナを材料とし、無塩乳酸発酵を行った漬物である お食事をした人は、お目当てのすんき汁の他にも漬物バイキングで、漬物も好きなだけ食べれてこのピンクのカブ、おいしいのでおかわり。更に「ご自由に」と、みかんも置いてあったので1つデザートに貰った 肝心のお食事の方は旦那の方はお蕎麦だ。前にも一度、ここで紹介をした事があったけど、むかし塩尻市神谷で生まれた古畑権兵衛は、牛を使って物資の輸送をしていたのだが、木曽は交通の便が悪く、物資の輸送も困難であったそうだ そこで山はあれど、距離の短い伊那谷への峠道を改良しようと考えた権兵衛は、地元の人達に働きかけて街道の整備を行い、木曽谷と伊那谷の間で米などの物流が活発化し、権兵衛峠と名付けられた そんな権兵衛峠にも平成の世に立派なトンネルが出来たので更に木曽と伊那は身近になった。この権兵衛さん、蕎麦の大食いが自慢であったとか私の方は「そばがき」を。添え物がすんき漬♪ さて腹ごしらえもした事だし、次の目的地に行ってみよう~! 木曽福島で国道19号から右折して開田方面へと向かう。この道をそのまま行けば高山に抜けるようだが試した事はない 数分程すすむと、普段からよく利用をする日帰り温泉「せせらぎの四季(とき)」へ。温泉施設の向こうには中央アルプス!!お馴染みの1050円の「南信州物味湯産手形」は10湯利用が出来るのだが、同じ施設を2度、3度と利用は出来ない。1回こっきりだ この「せせらぎの四季」は利用済みで、利用期限が来夏までの2冊も、あと3施設を残すところなので思い切って、また新たに2冊を購入する事にしたまっ、3つも利用したら元が取れてしまうし、4冊あれば娘と3人で利用もできる。あっ息子もかっ! 息子と言えば、お正月は3年連続で東京へ遊びに行っていたのに、さすがに行き飽きたのか今年は飛騨へスキーに出かけたようだ。メディアなども取り上げているがスキーとか、少し復興の兆し? うちは幼稚園の時に、木曽のスキー場へ雪すべり地域でもスキーに行くイベントもあるので、今回初滑りの友達に、少しは基本を教える事が出来たみたいだこんな高いシャンパンはいらんとか、こうゆう酒がいいとか言われ「もう酒は買ってこん」とか言っていた息子だが なにやら、また日本酒を買ってきたみたいだ。どうも新潟の酒らしい。何かなぁ~~自分では飲めないのに親孝行のつもりかな??てな訳で、途中にスキー場も見ながらやってきたのは「開田高原」で、白樺林が出迎えてくれるお~、風が吹いて雪が舞いあがっているよすんごく晴れていたので真っ白な御岳山が見れるかもしれないなぁ~と思いまして。二車線の道も綺麗に除雪されてるし、快適なドライブで寄り道って感じだ。せせらぎの四季が出来る前にはよく開田高原の日帰り温泉に出かけていた事も・・・ 車から降りて歩いてみる。すんごいさらさらした雪いわゆるパウダースノー。これってスキーをするのに最適の雪だが、気温が低く空気が乾燥している事が降雪条件なのだとか開田高原へやってくると必ず立ち寄る「木曽馬の里」からの御岳山や景色が綺麗なのでやってきた訳だが来て正解だった話は大雪の今日へと戻る。こうやって娘のところに気軽に来れるのも、家から距離が短くなったのもあるけど、娘のアパートに無料の駐車場が2台分付いているので♪伊那の時は管理人さんに言えば、来客用のところに止めさせて貰えたが、他は数キロ先の有料駐車場に車を持っていったりとかで大変だったもっと早い時間に日記をアップしたかったが、積雪がひどく私の車が埋まってるし・・。目測25センチ位?その雪を落として、仕事に行ってる娘の方の駐車場の雪かきで体も冷えきって、コタツにもぐりこんでいるうちに、昼寝で暗くなってきてしまった 平成25年1月4日に木曽で撮影
2013年01月14日
コメント(67)
梅雨の末期の特有の強い雨であるのか、今朝も かなりな雨音が、TVの音声をかきけしている 昨日は、朝から大リーグのオールスター中継を 見てたがダルビッシュ出ず。おかげでお出かけ 予定も億劫になり、今日のこんな雨の中を行く 事になってしまった そんな梅雨の貴重な晴れ間であった日曜日には 頭の上には青空が広がって、これはドライブに でも行くしかないと、旦那の運転で出かけた先は 最初の写真でも判るように、蕎麦の花咲く信州の 高原! 我が家から車で1時間半弱!! まぁ、のどかな 農村風景って事で、高校時代の部活の合宿でも やってきたココは、開田(かいだ)高原だ。あっ 部活は美術部でした まぁ、御嶽山(おんたけさん)がキレイって・・・ ・・・・雲で、すっぽり隠れていたし。まっ今回の 目的は御岳山じゃないからいいけど。ちと残念! 木曽節でも歌われる御嶽山は、乗鞍火山帯の最南部に 位置をする独立峰で、標高は3067メートルであり 富士山、白山と並ぶ日本三霊山のひとつだ そんな訳でお昼にも近いので、開田高原に来た目的1 開田蕎麦でも食べようか。行くたびに違うお店を利用 しているので、これで5軒目になるかな。今回の店は 中心地から少し離れた温泉のやまゆり荘の近くにある 何やら蕎麦の他にも岩魚丼も有名なようで、それとの セットがおススメのようだが、ざる蕎麦700円の他 500円の野菜の盛合わせ(二人で1つ)を注文した 信州でも有名な蕎麦処である開田高原は、1年を通じ 冷涼で、朝霧や夕霧が発生をする気候により、蕎麦の 生育に適しており、古くから蕎麦やヒエ・アワなどの 栽培もされてきた お蕎麦がくるまで・・・なにやら背後からの視線が!! どど~~~んと、真後ろにいたのはツキノワグマだぁ といっても剥製だぁ~ 胸部に三日月形や、アルファベットのV字っぽい白い 斑紋が入っている事から、月輪熊(つきのわぐま)と 呼ばれており、哺乳綱ネコ目(食肉目)クマ科クマ属に 分類される食肉類で、別名をアジアクロクマ、ヒマラヤ グマというようにアジア各地でも生息しているそうだ 最近は様々な要因から、人家の近くまで出没をしており うちのあたりでも時折は目撃例もあって、遭遇をしたくは ない野生動物だ。そんな訳でクマの視線を感じながらも 蕎麦も食べたし、開田高原へ来た目的2に行ってみようか やってきたのは平成17年に源泉を掘り下げ、更に効能の 良い温泉が楽しめるようになったという、ホテル木曽温泉 前に来た時は内湯だけだったのに、確かに露天風呂も出来 かけ流しの温泉で、風呂のふちが結晶化されていい感じだ 泉質はナトリウム・マグネシウム・カルシウム-炭酸水素塩 塩化物泉だそうで茶色いにごり湯 開田高原の中心地区から離れており、近くのやまゆり荘に 行く人が多いので、いわゆる穴場的存在でのんびりできる 今回は1050円で南信州(伊那谷、木曽、諏訪、蓼科他) 30ケ所以上の温泉から10ケ所が無料で利用が出来ると いう「物味湯産手形」(購入日より1年間有効)を利用を したので、10回使うと思えば利用料105円♪で温泉が 楽しめる 詳しい事は、HPで そんな訳で蕎麦に温泉ときたら、その次は観光って訳で やってきたのは、お蕎麦の花も満開の「木曽馬の里」で 何やら観光バスで、スケッチ等をしにやってきた中高年の 団体さんもおり、あちらこちらで写生を楽しんでいた 私が高校の時に来た時は、別にうちのあたりと変わらない 風景じゃん~~と思ってもみたが・・・星空は天の川が ぎらついて、とても綺麗だった覚えがある 目的3の観光は、開田高原の見所はやっぱり木曽馬で 間近で見学(無料)が出来るし。もし、雲が無ければ ここからも御嶽山が眺められるのになぁ~~ てな訳で木曽馬の説明は、外出時間も迫ったので 得意の「ウィキペディア」様にお願いをする事にしよう >木曽馬(きそうま)とは長野県木曽地域(木曽郡)を >中心に飼育されている日本在来種の馬である。岐阜県 >飛騨地方でも飼育されている。 >日本在来種は他に北海道和種(北海道、俗称:道産子) >野間馬(愛媛県今治市野間)、対州馬(長崎県対馬市) >御崎馬(宮崎県都井岬)、トカラ馬(鹿児島県トカラ >列島)、宮古馬(沖縄県宮古諸島)、与那国馬(沖縄県 >八重山諸島)がいるが、本州の在来種は木曽馬のみである。 >一時絶滅寸前であったが木曽馬保存会が中心に活動が行な >われた結果、飼育数は増加した。しかし以前のような乗用 >農耕を目的とした需要はなく、現在は200頭以下という。 >平安時代~江戸時代、武士の馬として使用された。 >起源ははっきりしていないが、元々は蒙古の大陸系の >馬である。一説では紀元前1世紀の漢で改良された >「蒙古草原馬」が2~3世紀、朝鮮半島経由で渡来した >という。この馬が木曽地域という山岳地帯で飼育された >影響で、木曽馬となったとされる。 との事で「ウィキペディア」様、何かと感謝です! いやぁ~。木曽馬の事が5分で判った(つもり)けども ほんと足が短いし。義仲とか武将らがこのような和馬に 乗っていた訳か 飼い主のリードで、それ以上は馬に近付かないようには されたワンコが木曽馬に接近。時折、後ずさりまでして かなりビビっているみたいだし しまった~目的4の開田高原の名物のアイスクリーム店で 「とうもろこしソフトクリーム」を食べたのに、その写真と 開田高原の入り口の道沿いの白樺林の写真を、カメラから PCに取り込む作業のミスで、ご紹介出来ないしっ! 平成24年7月8日に開田高原で撮影
2012年07月12日
コメント(65)
先日は娘の内定式だった。半年ぶりにリクルート スーツをクリーニングに出して、黒い靴を磨いて 黒いカバンにと持ち出して。あと半年もしたら 社会人としてのスタートだ 大学の学費や、(私の別荘兼)娘の住まいや生活費 4年間で月々10万円を超える出費があり、その間に 娘と息子の自動車学校で数十万弱、娘の就活なんかも スーツとかに交通費、ホテル代などなど・・・貯金も 目減りするばかり(しみじみ・・・・) 来年の春からは家計が楽になる~。あとは娘が新生活で なんとか、スムーズに社会に溶け込んでくれたらなぁ~ 総合職だから、結婚しても仕事は続けて欲しいって念を 押されたそうだが、姪とか甥にしてもホント30代って 未婚率が高いし、既婚者は6名中1名のみだ。うちの娘も 一人でも食べていけるようにと、高学歴つけたのだけど 国も子供手当とかいって、結婚が出来て子供を作れる 家庭を補助しても仕方ないです。というか子供の小さな 時って本来はお金の貯め時で、それを浪費癖つけさせて ど~するんですかぁ。姪のとこの子供なんてウニ~!好き なんですもん。カッパ食わせておけよ!とか思いましたし それどころか来年は増額? 今春の卒業に続いて、来春卒業の学生も秋になっても 内定が8割にも満たず、就職留年や院進学をする事も なく、就職しないまま卒業される学生も多くなるよう だけど、不況時の大手安定志向からか、会社の規模や 職種によっては求人に応募者がなく、人手不足なままで いるようだ 出生率も減って大学全入時代で、誰もかれもが大学卒で しかも残業もなくデスクワークで楽して、お金儲けが したい。といっても限りがあるだろうし、第一、世の中 そんな楽な仕事って、ごろごろと転がっているようにも 思えないし このままではノイローゼになるからと、国家公務員を やめての田舎での農業。子供に気に入られたいからと ウケるような、一般常識から逸脱をした授業をして 新聞にも取り上げられる勘違い教員だっているんだし 危険な仕事や、辛い仕事、儲からない仕事。それでも それらをしないと社会は動かず、われわれの生活だって たちゆかない。センセイなどと立派な肩書や、高月収だと おごる事なかれ。あなたたちの今があるのも、名もなく 黙々と働く人たちがあってこそ 日本はそんな人たちにこそ、支えられている。ちなみに 今年の勤労感謝の日は、11月23日である 秋になって空が美しい。夕焼けも空もドラマチックだ そんな空の写真を集めてみた。木曽路も紅葉が始まり 山々は錦のようで、娘の運転で私は助手席に乗り込んで 寒いと言われながらも、助手席の窓を開けてカメラを 山々に向けた 平成22年10月に信州、岐阜で撮影
2010年11月04日
コメント(62)
勢いで平成19年の初夏の日記を掲載。あ~ そんな事もあったんだなぁ・・・などとしみじみ 当時の事を思い出したりもする。そんな訳で 再びのタイムスリップ!! ここは、平成18年に国の重要伝統的建造物群 保存地区に選定もされた、漆器店が軒を連ねる 信州は木曽平沢(きそひらさわ)の街並みだ 海抜900メートル程の高地に位置し、夏は涼しく 冬は厳寒という独特な気候が、漆(うるし)を塗る 作業環境に適しており、豊かな木曽の森林を持ち 中山道と交通の面でも恵まれ、4百年程の歴史を持つ 伝統工芸木曽漆器の生産地である 現在も漆器生産量は日本有数で、駅前には約50軒の 漆器店が並んでおり、長野冬季オリンピックでの漆を 使ってのシックなメダルを作った 宿場のはずれには、貞享5(1688)年に松尾芭蕉が 木曽を訪れたときに詠んだと言われる句碑があった 送られつをくりつはては木曽の秋 更には崩れかけた、中山道に面した石垣も 天正10(1582)年に武田勝頼と木曽義昌の合戦で 焼失した後に、享保17(1732)年に再建をされた 平沢の諏訪神社の本殿。ここの御柱祭が木曽谷における 南限地であるそうだ そしてこちらは、中山道33番目の宿場にあたる贄川宿 (にえかわじゅく) 以前には温泉があった為に「熱川」と なったのが、温泉が枯れてからは現在の漢字になったとか 木曽の福島関所の補助的役割として、宿場には贄川関所が あって、女改めや木材・木製品などの監視をしていた 深澤家(屋号・加納屋)住宅は、行商を中心とする贄川きっての 商人で、主屋は嘉永7(1854)年の建築で切妻造りで国の 重要文化財に指定をされている 宿場の中ほどには、大きな水場 そしてトラックの行きかう、国道19号桜沢橋南詰 本山宿と贄川宿の間にあるのが「是より南木曽路」の 石碑で、馬籠宿と落合宿間の「是より北木曽路」の 碑と対を成している 木曽路を離れて信濃路の最初にあたるのが、中山道の 32番目の本山宿であるが、慶長19(1614)年の 中山道のルート変更によって、塩尻宿や洗馬宿と共に 新設された宿場だ 宝永3(1706)年に、芭蕉の門人である森川許六の 「風俗文選」の中で、「蕎麦切といっぱ(いうのは)、 もと信濃ノ国、本山宿より出て、あまねく国々にもてはや されける」と紹介をしたそうだ 蕎麦粉を練った蕎麦掻き(そばがき、蕎麦練り)と区別を する為に、蕎麦切り(そばきり)と呼ばれたものが、今では 省略して「蕎麦」となった そんな訳で、先日も紹介をしたけど地元の奥さんたちが やっている「本山そばの里」で舌鼓~ 平成19年初夏に中山道で撮影
2010年05月19日
コメント(43)
お盆休暇も真っ最中、皆さん山へ、海へ、故郷へと 楽しい日々をおくられているものと思います。我が 家は100円レンタルの恩恵を享受すべく、息子が 「相棒の最初のが見たい」と、前々から話していた 事もあり・・・ 夏休みの前半は家族みんなで、刑事ドラマ「相棒」 初期シリーズのを90分で一挙に5本! 「暇か?」「特命係の亀やまぁ~~」「はい~ん?」と いった決まり文句の始まりや、「携帯が二つ折りに なった」などと、出演者の微妙な変化を見逃さずに のんびり楽しんでいた あと個人的に、前から気になっていた映画なども鑑賞を した中で、2004年10月に起きた新潟県中越地震で 大きな被害を受けた、山古志村(現・長岡市)を舞台に 被災した人々やわんこ親子を描く「マリと小犬の物語」を 見ながら、やはり箪笥は転倒防止をしなきゃ、怖いなぁ~ などと危険な断層の近辺に住み、東海地震の「地震防災 対策強化地域」及び、東南海・南海地震の「地震防災対策 推進地域」にも指定をされる中津川市民が、明日はわが身と 思ったほんの2日後の早朝に、阪神・淡路大震災をも思い 出させるような、比較的に大きな長い時間の地震・・・・ この周辺は震度4程度に揺れただけだけど、震源に近い 静岡県は、西日本にも多大な被害を与えた台風の雨の 影響もあって、東名高速の道路が崩れるような被害まで もがおきてしまった 本来ならば楽しい夏休みであるというのに、台風と 地震で尊い命が失われ、家屋損壊など多大な被害を 受けてしまった被災地の皆さん 深く、深くお見舞い申し上げます そんな訳で、新しい旅写真も来週までお預けで、今回も 真夏には似つかわしくないような、まだブログで紹介を していなかった「蔵出し写真」を使った旅日記で、春浅き 3年前の3月に娘とぶらりと出かけた、近くの木曽路の 妻籠(つまご)宿を紹介したい 江戸から中山道42番目の宿場で、蘭(あららぎ)川の 東岸に位置をする山の谷間の妻籠宿から、お隣の山の上の 馬籠(まごめ)宿にかけては木曽路を代表する観光名所だ 戦後の経済成長に伴って、古くからの町並みが次々と 姿を消してゆく中、地域住民が中心となって景観保全を 取り組んだ先駆けとして、 国の「重要伝統的建造物群 保存地区」の最初の選定地の一つにも選ばれた 参勤交代の大名も宿泊をした妻籠宿本陣は、庄屋も兼ね 島崎氏が任命され、馬籠宿出身の島崎藤村の母の生家だ 最後の当主は、伯父の所へ養子にきた広助(藤村の兄)で 福沢桃介が木曽川に発電所を作ろうとした際に、反対 運動を先導した地元の有力者だ 本陣は島崎家が東京に引っ越した、明治期に取り壊され 御料局妻籠出張所が建設されたが、その建物も南木曽町に 移築保存がされ、島崎家所蔵の江戸後期の絵図をもとに 平成7年4月に本陣が復元をされている まだあげ初(そ)めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛(はなぐし)の 花ある君と思ひけり やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたえしは 薄紅(うすくれなゐ)の秋の実に 人こひ初めしはじめなり わがこゝろなきためいきの その髪の毛にかゝるとき たのしき恋の盃を 君が情けに酌みしかな 林檎畠の樹(こ)の下に おのづからなる細道は 誰(た)が踏みそめしかたみとぞ 問ひたまふこそこいしけれ 島崎藤村の歌集「若菜集」に収録をされている「初恋」に 描かれたと思われる馬籠の大黒屋の「おゆふ」さんの嫁ぎ 先であるのが、妻籠宿の脇本陣と庄屋を勤めた林家である 脇本陣は、大きな藩などで本陣だけでは泊まりきれない 場合や、藩同士が鉢合わせになった際に、格式の低い藩の 宿として利用されるなど本陣に準じたもので、上段の間 などもあり、本陣と同様に宿場の有力者が勤めた 脇本陣奥谷と呼ばれるが、奥谷とは林家の屋号だそうで 江戸中期からの農家で、10代目を数える私の実家でも ○○屋という屋号の和傘なども残されていたが、大部分の 人は苗字を伝承していながら、氏(苗字)を名乗る事を 許されてはいなかった士農工商の身分の人たちが、それ ぞれを、わかりやすいように呼んだのが「屋号」であった 幕末期に公武合体の象徴として、孝明天皇の妹である 皇女和宮が将軍徳川家茂に御降嫁した際に、小休止を されたそうで、その御拝領品も残されている 明治10年に、木曽五木の御禁制が解かれたばかりの 桧をふんだんに使い、当時の粋を集めて建て替えられ 檜の壁や柱は、囲炉裏の煤に燻され、磨きあげられて 黒光りしており、国の重要文化財に指定をされている 明治天皇は全国各地を御巡幸されたが、明治13年に 木曽にお出ましになった際に、ここで休憩をされたそうで 明治天皇がお使いになった机があったが、意外にシンプルだ 明治天皇の為に用意された雪隠は、使われる事がなかったようだ このレトロな木造校舎は、廃校となった旧妻籠小学校で 南木曽町の委託を受けて、(財)妻籠を愛する会で管理を 行っているそうだ 昼にはやはり、五平餅で一服 平成18年3月1日に信州木曽路「妻籠宿」で撮影
2009年08月12日
コメント(57)
木曽路の妻籠宿にも近い、長野県木曽郡南木曽町読書 (よみかき)にある木曽川河畔にある「天白公園」には 春になると6種類約400株の三葉躑躅(ミツバツツジ)が 鮮やかな花を咲かせている ツツジ科ツツジ属の落葉低木であるミツバツツジは 関東から近畿の太平洋側に分布をしており、やせた 尾根や岩場や、里山の雑木林などに生育するそうで うちの近所の山などでも、よく見かける身近な花だ 週末、姑のお使い&買い物に旦那と出かけたついでに 少し足を伸ばして、花見に出かけたのだが少しばかり 盛りを過ぎていたようだ 木曽川の水力発電開発に力を注いだ実業家で、福沢諭吉家の 婿でありながら、川上貞奴の恋人ともいわれた福沢桃介が 読書発電所の建設の為に架けた木橋吊橋 の通称「桃介橋」 南木曽の町の彼方に中央アルプスも望む事が出来た 公園整備の為にと、駐車料金として三百円を徴収して いたのでケチな旦那はおかんむり。同じく南木曽町の 妻籠宿にしても駐車場料金がいるので、家から近いが 私は3、4回くらいしか出かけた事がないのが実情だ 娘などは妻籠宿に出かけて、気軽に食事をしたいと いつも言っているけど、この駐車場料金が足かせに なっていたりもする。それが古い町並みの保存に 使われているのだからと思っていても、地元民が 観光ではなく、食事が目当てに出かけるのに有料? って感じで、結局は近隣の駐車場完備の道の駅とか 駐車場が無料の馬籠宿で食べ歩き~ 昨日の新聞でも、このブログでも紹介をした事も ある、名古屋近郊の国営木曽三川公園の入場者が 過去最高になっているそうだ。何せ、ここは無料で あるし、花は綺麗で子供の遊ぶ遊具も多いのだから 車産業で成り立っている東海地方では、泣いているのは 派遣社員だけではない。正社員も休日出勤も残業も無く 生産調整の為に金曜日なども休みとされて、給与も減り お金がないのに、休みだけは多い状況下で、このような 無料で楽しめる近郊の施設は大人気だ 我が家の場合は、ETC本体が無いようでは高速料千円の 夢は破れ果て、遠方の観光もままならず。ネット検索を したら「新車を買えばETCが、直ぐ手に入ります」との 妙案なども(笑) そっかぁ~ その手があったか!って 買えるかぁ~~! 高速料金千円だけでも良かったのに、直前の期間限定の ETC購入の助成があったから余計に、このような混乱を 招いたのだし、購入予約をして入荷待ちをしている人達に ETCが手に入る時期までの期間分は、千円の終了時期を 延ばすくらいの配慮があればいいのに 脱線しました。ついつい気がつくとETCの恨み節になって しまいまして。それだけ我が家では、普段は我慢して国道を ちんたらと走っているだけに、期待が大きかったのですよ 一般道の道の駅ではなく、サービスエリアの高速グルメも 食べ歩きをしてみたいし。それでなくても、↑のような ケチな旦那を遠方まで連れ出すには、期間限定の高速料金 千円は、格好のエサだったのになぁ~ しかし旅番組などを見ていると、ETCが無いといっても 春の行楽を旦那は諦めていないようで、「最近は奈良に 出かけていないなぁ」と言ってるよ、お~、無料ながらも 高速並の快適な名阪国道を使う手があったか。でもね~ 私はせっかくだし出来たばかりの第二名神も走ってみたい その日は何時になるのだろうか? 夏?(泣) さてメインのミツバツツジの群生の他に、八重桜などの 時期の遅い桜の花も、同時に楽しむ事が出来た 花弁に葉緑体を持ち、黄色の花を咲かせているのは 鬱金(うこん)の桜で、その名の由来はショウガ科の ウコンの根を染料に用いた鬱金色からだとか 伊豆諸島に多く、伊豆半島、房総半島にも咲く大島桜も とても可憐な花だった。産毛がないこの葉を塩漬けに して、桜餅の材料とされる場合が多いそうである 平成21年4月18日に長野県木曽郡南木曽町で撮影
2009年04月22日
コメント(50)
娘が大学の夏休みで、家に引き上げてくると いうので、仕事が終わって帰宅をした旦那の 車で前日の夜には駆けつけて、次の日は朝から 上高地か美ヶ原にでも出かける予定でいたが 娘のレポート提出がはかどらず結局は、お昼 仕方がないから木曽福島の町並みでも、のんびり 歩いてみるか~という事になった 江戸時代の 五街道の一つであり、本州中部の内陸側を経由を する「中山道(なかせんどう)」は、東海道についで 江戸幕府にとって重要な道であった 江戸の日本橋を出発をし、琵琶湖の草津宿で 東海道に合流をし、京都の三条大橋が終着地で 江戸から草津まで129里、69箇所の宿場が 置かれていた 木曽の地酒、七笑 山越えの多い道ではあったが、東海道に比べて 川止めが無いのが利点とされ、女性は中山道を 利用することが多いといわれ、「姫街道」と 呼ばれたりもした 足湯も楽しむことができる 大河ドラマでもいよいよ登場をする、幕末に 和宮親子内親王が、徳川将軍へ御降嫁をされる 際にも中山道を使われて、そのゆかりの品々が 各宿場などに残されている こうゆう細い路をあてどなく 木曽路はすべて山の中である。あるところは 岨づたいに行く崖の道であり、あるところは 数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、 ある ところは山の尾をめぐる谷の入り口である 一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。 と、島崎藤村の夜明け前の書き出しにある 木曽路は長らく、木曽義仲の子孫ともいわれる 木曽氏の支配下にあり、江戸時代ともなると 徳川御三家の尾張藩の支配下におかれ、その 代官所は、現在の木曽福島宿に設けられていた また東海道の箱根と新居、中山道の碓氷と共に 天下の四大関所にあたる、福島関所が置かれる 木曽の行政中心地で、霊山である木曽の御嶽山の 玄関口であり、民謡「木曽節」の町でもある 平成20年8月1日に木曽町で撮影 ここのポストは、せいめいくん
2008年08月05日
コメント(130)
「やっぱ。御嶽山(おんたけさん)はすごい なぁ」と、馬籠にきた観光客が、恵那山を眺め ながら、つぶやくのを何度も聞いた事がある 「木曽路はすべて山の中」で始まる、島崎藤村の 夜明け前の舞台の馬籠だから、木曽の山イコール 御嶽山という連想になるのかもしれない 実際、木曽路を貫く国道19号を走行して いても、木曽節にも歌われた名峰・御嶽を 垣間見れるのは、ほんの一瞬だ。独立峰として その全容を見る為には、木曽町開田高原や 王滝村田の原高原に、潜入をせねばなるまい しかし、遠く離れた岐阜県恵那市の各所からも 遠くに、春なお真白い御嶽山の雄姿が眺められ そこに生まれ育った私には、身近な山である 富士山のように、信仰の山であった御嶽山は 江戸後期には木曾御嶽信仰が発展し、江戸からも 参拝者を集め、中山道周辺の農村では御嶽講が 発足され、私の子供の頃には、実家にもまた 年に一度、御嶽講の方が拝みにまわられていた 標高3067メートル。普段は車やロープウェイで 山に登るのが当たり前の私が、学生時代ではあるが 唯一、歩いて登った山である。そこからの景色も また絶景だった 今回は諏訪湖の花火見物の帰り道に、旦那の車で 娘と三人で、お天気も良いので御嶽山でも見に 行こうと寄り道をしてみた。岐阜県多治見市などが 日本一暑い町になった日。木曾は25度しかなく 御嶽の山麓、王滝村田の原高原は更に涼しかった 遊歩道を進むと、可愛らしい高山植物も幾つも 見ることが出来た。しかし、田の原高原に辿り つくまでは、王滝村が木曽福島など近隣町村と 合併ができなかった膨大な借金を作った理由と いわれる、広大なスキー場のリフトなどの立派な 施設、ゲレンデが延々と続いている 王滝村は、財政再建団体への転落が危惧をされ ラスパイレス指数では全国最下位というありさまだ 関係をした当時の村長も、テレビのインタビューで 言っていたのだが、どんどんとエスカレートして スキー場の規模拡大をし続けた結果、ゲレンデの 延長は一万メートルと、全国屈指の距離にも達し その見るからに、尋常じゃない広大なゲレンデぶりに 旦那が、自然を帰せ!と怒り出してしまったのだ なんて生臭い話は忘れるくらい、自然の雄大さに 圧倒をされる。空気も澄み切っている。空には でっかい入道雲! 1979年のよく晴れた日、御嶽山からちょびっと 白い煙がたなびいていたのを、私も恵那から見た 覚えがある。長らく死火山と思われていた御嶽が 水蒸気爆発を起こし、活火山である事が判明をした そして、ちょうど私は京都にいたので知らない のだが、1984年9月14日午前8時48分 木曽郡王滝村を震源に、マグニチュード6.8の 直下型地震が発生をし、王滝村では震度6を記録し 数十キロ離れていても、とんでもない揺れだったと 生前の母なども話していた 降り続いていた雨の為に、地震発生直後に各所で 大規模な土砂崩れが発生をし、死者、行方不明者 合わせて29名が犠牲となり、家屋被害は、全壊 14棟、半壊73棟、一部損壊517棟に及んだ その爪あとは王滝村の随所で見られ、特に山腹を 深くえぐられた「御嶽崩れ」から、その地震の すさまじさを、感じることが出来る 東海地方の渇水ニュースで登場をする、牧尾ダムは 御嶽山の麓、木曽川水系王滝川にある巨大ダムで 古来より渇水に悩まされていた、愛知の尾張丘陵や 知多半島に、上水道・工業用水・かんがい用水を 供給をし、これにより名古屋南部臨海工業地帯は 急速に発展をし、今も中京圏の経済を支えている 人々の悲しみも、欲望も包み込むほどの壮大な 御嶽山を心に刻んで、暑い下界に戻るのであった 平成19年8月16日。王滝村田の原高原で撮影
2007年08月29日
コメント(43)
大雪に降られた日よりも、前回の日記に あるような、良く晴れた冬の日の方が ずっと、冷え込んで寒いのだ 牛伏寺で冷え込んだ体を、野口冬人さんも お勧めのにごり湯100選にも入っていた 木曽は、桟(かけはし)温泉に立ち寄り 温まろうという、ありがたい旦那の提案 ではあったのだが・・・・ このブログで、前々から紹介をしたかった 木曽路のお気に入りの奈良井(ならい)宿の 写真を撮らなければとばかりに、ぶ~ぶ~ ほほを膨らませた旦那と、名物の木曽川に かかる太鼓橋を渡った 橋脚を用いない木の橋としては、なんと 日本一の規模の橋であり、無論、木曽檜を ふんだんに使った、総檜造りの橋なのだ 木曽谷に、へばりつくようにある奈良井宿は すでに太陽は山々に沈み、日が翳っていた とにかく寒い!というのを、完全に通り越し 肌を刺すような鋭い痛みさえ感じる 雪が降っているわけでもないが、フードを かぶって、ポケットに両手を突っ込んだ 道は凍りつき、うっすらと雪化粧をしていた そんな町の目抜き通りを、お年寄りが買い物に 出歩いたり、学校帰りの子供たちは、元気に 自転車で駆け抜けていた 中山道十一宿のうち、北から2番目の宿場町で かつては奈良井千軒ともいわれ、木曽路一の 賑わいを見せたという。江戸時代の宿場町の 町並みが残り、文部省選定による重要伝統的 建造物群保存地区にもなっている 妻籠ほどには完璧でもなく、さほど観光地化 されている訳でもなく、今も山間の生活の 生臭さを感じるこの町が好きだ。特に宿場の そこかしこにある、水場がお気に入りでもある 空がピンク色に染まり、薄暗くなった目抜き 通りに人影はなく、「温泉が良かった~」と ぼやく、旦那のため息だけが聞こえた 平成18年12月29日。夕刻に撮影
2007年01月19日
コメント(88)
「木曾路はすべて山の中である。」で、始まる 島崎藤村の「夜明け前」の舞台でもある木曽を 語るのに、山の話は外すわけにはいかないであろう 馬籠宿を含む木曽路が、尾張藩であると知る人は 少ないのかもしれない。四国の香川県ほどの面積の ある木曽谷の大半が山林で、木曽ヒノキで有名だ 「木一本、首ひとつ」 尾張藩はそれを「藩有林」とし、山林の保護制度を うちだし、巣山(すやま)、留山(とめやま)と 呼ぶ禁伐林を設け、住民の立ち入りを厳禁した また、停止木(ちょうじぼく)と称して、ヒノキ サワラ・ネズコ・アスヒ・コウヤマキ・ケヤキの 六木の伐採を禁止する制度をとり、禁伐林の木を 盗む者を「盗伐り」、停止木を伐る者を「背伐り」とし ヒノキ一本を盗んでも、首が飛ぶと言われたものだ 復元された座敷牢 しかし、こういった巣山や留山(59箇所)は 木曽全林からみたら1割にも満たず、これ以外の 山林は、明山といわれ地元民に開放されていた 地元民は、日常生活に必要な建築用材や、薪炭材 柴草、干草、クリ・トチ・ナラの実などを採取が出来 停止木である六木以外の木材なら、誰でも自由に 利用する事が出来たので、木櫛・桧笠・下駄などの 木材加工業による収入が大きく、繁栄をしたのだ 特に奈良井・平沢・八沢(福島)といった宿場では 尾張藩から無償で給付をされる「御免白木」と呼ぶ ヒノキの割材を使って、木曽谷特産の漆器の生産を していたそうだ 藩による伐木に従事をする杣(そま)、日雇などの 林業労働もあり、山奥でありながら、木曽谷の人は 経済的に恵まれてもいた ところが、尾張藩が木曽山林の全てを、藩有として 明山の利用は認めても、私有は一切許さなかった為 明治維新後の「官民有林区分」で、尾張藩所有の 木曽山林の大半が「官林」に移行されてしまったのだ 明山までもが官林に指定されれば、住民の立ち入りは 禁止され、生活の糧を失う事になってしまう・・・ 今も見かける日本カモシカ 島崎藤村の兄であり、妻籠宿本陣の最後の当主 島崎広助が先頭に立ち奔走をしたのだが、官林が 天皇陛下の所有の「御料林」に指定をされた事から 解決は難しく、御下賜金という形で収まったそうだ 御下賜金の記念碑もたつ 時代に残されたように、木曽の山間にひっそりと 残された、手付かずの妻籠宿、奈良井宿など・・・ 私は中央線などの設置による、中山道の衰退が主原因 かと思っていたが、豊富な恵みをもたらしてくれた 木曽の美林を取り上げられたのもまた、木曽地域の 衰退に、拍車をかけたのかもしれない・・・・ 東海道の保存の良い宿場町「関宿」の案内人の方から 「どうして、こんな町並みが残ったと思う?」と聞かれ 東海道が使われなくなったから?なんて、答えたら 「お金が無かったから。お金があったらとっくに 建て替えてます」って。自らも古い家に住んでるから 説得力もあります(笑) 木曽もたぶん同じかも その島崎広助氏が東京に移り住んだ為、建物を壊した 旧妻籠宿本陣跡地に 明治33年2月7日に、建てられ 大桑・読書・吾妻・田立・湯舟沢という木曽南部全域の 「御料林」を管轄していたレトロな明治の建物が、この 御料局名古屋支庁妻籠出張所庁舎である 昭和8年まで使用をしていたのだが、建物の老朽化が進み 建て替えが決まり、希望者に払い下げられて、移築をされ 昭和61年まで、一般の住宅として使用されていたそう 国道交差点の改良工事のため、立ち退きを余儀なくされ 愛知県の明治村へという話もあったが、地元の文化遺産を 地元に残したいと、南木曽町が寄贈を受けて、解体保管 していたものを、平成2年度の天白公園整備事業の一環で 「山の歴史館」として、現在地に復元したものだそうだ 昭和8年の移築時にも改造が少なく、外部内部ともに 良く保たれており、建具なども多くは当時のままだそう 森林鉄道を走った、当時の機関車も展示されている 平成18年6月6日 撮影
2006年07月11日
コメント(60)
それは、まだ貞奴が10代も半ばのことだった 乗馬での成田詣での帰りに、野犬の群れに襲われ 馬から振落とされそうになったのを、慶應義塾の 若き学生に助けられた 桃介との出会いであった。彼女は心を寄せるも 福沢諭吉の娘婿として、桃介は海外留学を果たし それで、桃介との縁も切れたかとも思われたのだが 貞(さだ)は7歳の時に口減しとして、日本橋住吉町の 芸者置屋の養女になり、幼い頃からあらゆる稽古事を 厳しく仕込まれ、12歳で雛妓(半玉)、子奴・・・ 16歳で、伊藤博文を後ろ盾にして奴(やっこ)と なったそうだ 天真爛漫な貞奴は、馬を乗り回し、役者狂いに 玉突き、花札賭博、柔道、白昼堂々と裸にさらしを 巻いた姿で、隅田川を泳ぐようなありさまであった 伊藤博文は、舶来物の水着を買い与え、富岡海岸で 井上毅と共に、貞奴に水練を教えたという。大磯の 旅館の浴室では、当時まだ珍しかった石鹸をあたり かまわず泡だらけにして、他の客からひんしゅくを 買うなど、様々な武勇伝(?)が残されているという オッペケ節で有名な川上音二郎の妻となり、芝居一座と 外遊に出かけたのだが、海外には女優がいるというのに 女形しか居ない事を指摘され、貞奴が舞台に駆りだされ 寛永6(1629)年、将軍家光時代に、風紀を乱すと 女舞・女歌舞伎が禁止されて以来、270年を経て 近代日本演劇史の女優第1号が、奇しくも誕生をした 国内での女優貞奴の初舞台は、明治36年の明治座公演 シェイクスピア「オセロ」だったそうだ。夫、音二郎が 亡くなってもしばらくは、舞台に立っていたようだ 大正8年、初恋の人の福沢桃介が、木曽川の大事業の 基地として、南木曽の地に別荘を建てたのだが、常に 彼の横に寄り添うようにしていたのが、貞奴だった 大井川発電所が完成するまでの数年間、頻繁にこの別荘に 滞在をし、政財界の実力者や外国人の技師などを招いては 華やかな宴を催しては、もてなすのが貞奴の役割であり 桃介の事業パートナーとしての側面が、大きかったと思う 木曽川を臨む邸宅の建つ地は、蛇抜け(土石流災害)の 心配がされたのだが、それを見越して、コンクリートの しっかりした土台がされ、実際に昭和28年の蛇ぬけ 災害では、大きな石がごろごろと転がり、邸宅を襲ったの だが、大きな被害には至らなかった しかし社員寮として使われていた、昭和35年4月6日の 増築部の風呂場からの火災で、2階部分を焼失してしまい 無事だった一階を平屋のままで残し、福沢桃介記念館として 一般公開もされるようになった 平成9年度には、建設当初の2階建ての姿に復元をされ 1階部分は大正時代の貴重な西洋風別荘建築がそのまま 残され、桃介と貞奴が過ごした日々を、2人の写真や 遺品、資料を交えて追体験が出来る さらに他施設との渡り廊下として、とってもクラシカルな 廊下もあって、ノスタルジックな雰囲気をかもし出している かつてNHK大河ドラマ「春の波濤」で、貞奴を演じたのは 松坂慶子さんであった。彼女が推古女帝を演じたNHK ドラマのイベントでの彼女は、透き通るような白い肌で コロコロと玉の転がすような声で、まさに貞奴もこのような キュートな女性だったのだろうと思ったものだ 平成18年6月6日 撮影
2006年06月13日
コメント(41)
日本を代表する河川のひとつ、木曽谷を流れ下り 伊勢湾にそそぎこみ、急峻で水量が豊富な事から 水力発電に適した「木曽川」に、目をつけたのは 福沢諭吉の娘婿で、海外留学で豊富な知識を得た 若き実業家、福沢桃介だった 恵那峡の春(2005.4撮影) 木曽川の水利権を獲得し、1911年に岐阜県加茂郡に 八百津発電所を築き、1924年には日本初の本格的な ダム式発電所である大井発電所(岐阜県恵那市)を完成 木曽川はせき止められ、日本のダム湖100選でもある 景勝地「恵那峡」は、今も観光地として有名でもある 落合ダムの春(2006.4撮影) 1926年には、岐阜県中津川市に、落合発電所などを 建築し、五大同電力(現在の関西電力)を設立、社長に 就任したことにより、「日本の電力王」と呼ばれている 後には、代議士にもなり政友倶楽部に属したそうだ 彼が有名なのには、マダム貞奴の存在も大きいのだが 彼女との話は、優美な邸宅と共に次回に紹介をしたい 後方には、桃介と貞奴(福沢桃介記念館にてパネル展示) 長野県木曽郡南木曽町には、彼の名前を持つ優美な つり橋がある。「桃介橋」は、「桃の橋」とも呼ばれ 大同電力の読書発電所(重要文化財、近代化遺産)の 建設用の資材運搬路として、架けられたものなので トロッコの線路も残っている 大正11年9月に完成。全長247m、幅2.7mで 大正時代の吊り橋としては、国内最大規模であった 長らく木曽川をはさんだ両岸の集落の生活路として 活躍をしてきたのだが、老朽化も進み、本格的な修理も できなかったため通行禁止となり、廃橋寸前となった 以前の桃介橋 地元の保存の声も多く、付近一帯の天白公園整備に併せ 復元をし、復元をした近代化遺産としては、初めて 国の重要文化財となり、新たな木曽の観光スポットとなった そして、もひとつ。私が南木曽でおすすめするのが 以前にもここで紹介をした事がある「赤飯饅頭」である ちなみに、南木曽町には妻籠宿や、南木曽温泉もある 平成18年6月6日撮影
2006年06月09日
コメント(41)
「ゴールデンウィークにどこも行けないなんて!」と 言う娘の口車に乗って、急きょドライブに出かける 事になりました。既に、娘、息子が学校に行ってる 隙を狙って、伊那谷に出かけてましたから、今回は 木曽谷のメッカ!といえば、霊峰の御嶽山です そんな訳で、前日まで部活で絞られていた息子は家で ゴロゴロするというので、娘と3名で再び木曽路を 北上をすることになったのです 御嶽山の麓に広がる開田高原は、谷あいの木曽路には 珍しく広々としていて、白樺林があり、星はきらめき まさに別天地のような所で、毎年のように行きます あまたの行事で雨に降られ、傘の写真と中止の憂き目に あう「雨女」の娘が同乗なので、先日のような青空は 望めず、どんより空でしたが、寒くはありませんでした まずは木曽馬の里。白樺の樹を借景にした高原の牧場に 温厚な性格の、優しげな木曽馬が放牧をされています 体高125~-135センチのポニーで鹿毛、河原毛を 主体とした、やや胴長のタイプで、起伏の多い傾斜地での 生活に順応したため、堅く丈夫な蹄を持ったたくましい 体型をした馬です。ここでは引き馬での乗馬も楽しめます 標高が高いので、ここでも桜の花見が楽しむことが できました。シデコブシも、水芭蕉も楽しめます ふきのとうも残っており、とても5月とは思えません 美味しい高原の牛乳で作ったソフトクリームを 賞味!! そして来るたび、違うお蕎麦屋さんを まわっているのですが、今回のお店ではサービスに 蕎麦のぞうすいをいただきました そしてラストには、黄土色のにごり湯に浸かりながら 御嶽山を望む、源泉かけ流しで飲泉もできる温泉! 極楽だなぁ~~。私のお気に入りの温泉です お土産は開田高原にはゆかりも無い、木曽の楢川の 特産品「さるなしの実」のドロップと、伊那は飯田の 会社が製造した薔薇のジュースを、開田高原で お買い上げ~ 開田の特産はブルーベリーと蕎麦です あと、御岳百草丸? 平成18年5月6日。撮影
2006年05月07日
コメント(47)
全16件 (16件中 1-16件目)
1