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昨日はジェットコースターに乗っているような一日でした。昨日出張から戻ってきた友人(社長)に報告等をしたおかげで、肩の荷がおりました。 今日起きた時には、やはり疲労感が抜けず、症状悪化のサインである背中から腰への張りがでていました。そこで会社に電話し、休む旨話す。 気分的にも良くはないが、思ったほどは悪くない。昨日落ち着きを取り戻してきたのが良かったのか? 体の調子は良くないので、朝食後また横になる。気づくと寝ていた。昼食の時間になったので、起き上がる。だいぶ張りが軽くなってきた。気分も戻ってきている。調子の下降は止まった様子。 私は症状悪化のサインが体に出るのは背中から腰の張りなので、出てくるとこまめにストレッチをするように心がけています。このストレッチはある所で教わったのですが、やり始めた頃は、かなり体が硬直していることを自覚し、一時期は毎日やって体をほぐしました。普段自覚しにくい下半身の疲れもストレッチで分かるので、結構私の体調のバロメーターとして利用しています。今回もずっと時間を見つけてはストレッチをしていました。 余談ですが、気分の調子の悪化のサインは「いらいら」です。ですが、今回不思議なことに「いらいら」は出てきませんでした。と言ってもこの事に気付いたのは今日ですが・・・。 やはりこれまで色々試してきた成果が出ているのでしょうか?落ち込みに気付いても、今回の場合はどうしようもない事態で動かざるをえず、さらに調子を落としましたが、今日の休養で早めに戻ってきているようです。 それから、今日は医者に行く日ですが、とにかく休養に当てたいと思い、これまでの飲み忘れで残っている薬を確認し、1週間分ありましたので、来週に行くことにしました。本来なら行くべきかもしれませんが、とにかくリカバー重視でいこうという作戦にしました。 今日はこの後も休養・・・いや、今日は阪神優勝の応援をテレビでしなきゃ。私はかつて甲子園球場の近くに住んでいた頃があり、ちょうどその頃キャッチボールをするようになった関係でもうファン歴27年です。私が応援してこれまで優勝は2回。(生まれてからも同じですが・・・) 3回目の優勝を・・・ でも、調子を崩さないように注意しなければ・・・
2005年09月29日
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なんとか家に帰れました。今日は負荷が臨界点まで達しましたが、こうやって書き込みができています。また、今ようやく落ち着きを取り戻しました。多くの方に読んで頂き大変ご心配をお掛けしました。 それでは、昼の続きを書きたいと思います。 午後からは問題の解決や処理にあたるため外に出て行きました。電車に乗っていると、かつて倒れる寸前の頃のことが次々とフラッシュバックしてきました。このままではまずい。。。 ここは今日これからの動きをイメージしようとするのですが、うまくいきません。なので、電車の一駅一駅を見ようと駅名から風景をしっかり見るようにして、思い出さないようにしました。 仕事はなんとか乗り切り、会社に戻ると疲れがドッとでてきます。電話での連絡も無事済ませていき、後はボーっとしました。 19時頃に社長が戻る予定だったので、一通りの報告をしようと帰りを待ちました。戻ってきたのは20時少し前。一通り報告し、私の対応でよかったかどうか確認しましたが、正直あまり思い出せません。(一通りのことはメモに残しておいたので問題ありませんでしたが・・・。 その後二人で別室で話し、私の状態がよくないことやフラッシュバックしたことを話しました。社長は「これだけ大変でも、見たところ前ほどわるくなっていないように見える。前はもっと表情が悪かった。内容もこちらの予想以上で大変助かった。明日からやりやすい。」と。 さすが社長という職業は人を乗せるねえ。 明日どういう状態になるか分からないので、会社に行けない可能性を話し、了解をとる。 帰ってきてだんだん落ち着いてきました。でも、背中の張りはひどくなっているので、明日どうなるか分かりませんが、懸念事項はなし、明日は医者に行く日なのでもうこれで寝ます。 コメントも頂きましてありがとうございました。おかげで、落ち着きを取り戻すことが出来ました。感謝感謝です。
2005年09月28日
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今日朝起きるのがつらく、私の症状悪化の体にくるサイン(背中が張る)が出ていました。今日は休もうかとも思ったのですが、お金の出し入れの仕事があるのと、社長が今日まで出張なので、なにかあるとマズイと考え、辛いながらも会社に行きました。 そうすると、会社に着いて早々トラブル発生。その対応をしてホッと一息入れる間もなく、立て続けにトラブルや、お客からの追加依頼事項が入り、テンヤワンヤ。 社長に電話して指示を仰ぐも、お客と言っていることが違う。さらにその他にも別件の追加指示がいくつか出る。 もう一度お客と再確認したり、社内で追加指示をお願いしたり、、、それでも、また食い違いがあったり、ものの有る無しでまた探したりと完全にパニック。 再度社長に連絡するも、戻らないと分からない、とのこと。それでもなんとか探し当て一件落着、、、と思いきや、社長の伝言を伝えたお客から話が違うと言われる始末。 正直、人の代わりに動く仕事ってただでさえよく分からないのに、みんな好き勝手なことを言う。分かるわけないじゃん。社長が夜戻ってくると言っても、急ぎの内容だと自分が動くしかない。 あっという間にお昼。食欲が全くわかない。午後からもあちこち動かなければならない。グロッキー寸前。これってもはやリハビリではなく、フル勤務+トラブル処理に奔走である。今の自分にはまだ難しい、というより、普通の人でも他人の代わりに動くのはきついだろう。。。 だんだん自分がなにをやっているのか分からなくなってきた。社長に話しても、向こうも出張中だから動きようがない。だから、自分にしわ寄せがきているのだ。 もうすぐ、今度は外で動かなければ・・・。今日という日を無事に乗り切れるだろうか? かつての仕事をして倒れる頃の自分がフラッシュバックしている。 どうなってしまうのだろうか? それは神のみぞ知る。。。
2005年09月28日
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2003年10月中頃から完全にダウン。最後の気力も使い果たし、会社に行きながら治したいという思いも果たせず、自分の全てを失ったような気分が自分を支配していました。 これまでの自分というのは何だったのか? 自分の頑張り・努力というのは無駄だったのか? やり方が悪かったのではないか? これから先どうなってしまうのか?自分には先が無いのではないか? 全ての自信・プライドがズタズタ・・・情けない・・・ このように、次から次へとマイナスのスパイラルが止まることなく自分の心を蝕んでいきました。体が動かず、気持ちは沈み、イライラが募り、睡眠薬が効きすぎて昼まで起きられず、ボーっとする日々。 緊張の糸が切れると、こんなにまで何も出来なくなるのか?と益々情け無い気持ちでどうすることもできませんでした。 できることといえばネコの世話。(うつで倒れた直後、たまたまペットショップで一目惚れし、妻の許可をもらって飼う事になりました。) 週に1度医者に行き、話をし、薬を飲む。日常はネコの世話と車で買い物(歩いていくには不便なため、車が必要。妻はペーパードライバーなので、私が運転するしかありませんでした。これも苦痛でした。) 日々考えるのは、最初はどうして自分が?という気持ちから情けなさに。それから、自分がこうなったのは会社のせいだという怒りが頭をもたげ、情緒不安定になりました。顔の表情はなくなり、怒りの感情以外は無感情に。 このままでは出口の無い袋小路に迷い込み、いくらもがいても浮上のきっかけがありません。日中は人目が気になるので外へは出たくなく、出るのは夜になってからでした。 このまま、挫折したまま一生を過ごすのか? そんな時、妻から「うつ」について勉強してみたら?と言われました。でも、新聞を読むことができないのですから、本も読む気になれませんでした。どうしろというのか? 「とある勉強会に参加したら?」妻はこう言いました。最初は外に出たくなく、人に会いたくないし、話もしたくないと思っていましたので、とても参加できる状態ではありません。でも、妻が何度も言うのでついに行くこととなり、そこからうつについて勉強を始めることとなりました。・・・次回へ続く・・・PS.昨日は結構きつかったのですが、今日は平穏無事に一日を過ごすことができました。気持ちの方も乱れずなんとか悪化を免れたのではないかと思っています。ご心配をお掛けしました。
2005年09月27日
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まだ仕事中です。今日から3日間友人である社長が、海外出張のため、代わりに動くことがあったのですが、今日会社に来るまで具体的な指示はありませんでした。 会社に来ると、指示書あり。大きな内容は4つ。 一つはすぐに完了。 二つ目は途中まで完了、続きは明日あり。多分問題はないと思う。 三つ目は詳細分からず、社長に確認のTEL。ただ、いままで自分が知らないことなので、どこまで社長の要求に応えたのか分からないが、仕方ない。とりあえず、最小限のことはできたと勝手に思う。(できていなくても、そこまで急ぎではなさそうなため。) 問題発生は四つ目。今日か明日荷物が海外から届き、それをお客様に届けるという役目。 前からの流れはほとんどわからず。本来なら特になんてことはないはずだが、問題発生は届く予定の荷物が遅れるとの事。しかも、内容はこちらの指示通りにはできていないから、どうするか検討中と。??? これはどう対応すればいいか相談しなければと思い、社長に連絡。指示を受け、仕入先と交渉。とりあえず、そのまま送ってもらい、その後からの分(量産予定)が指示通りにできるのか、確認するが、心もとない返事。とにかく早急にその返事を出してもらうよう交渉。 そして、予定の物は当初今日か明日なのに、木曜に遅れると言われる。いったいどうなっているのか? 私には詳細が分からない。お客様にどう返事したものかを社長に聞くため、再度TEL。すると、「謝っておいて。」とあっけなく。 おいおい、それって俺の仕事? 向こうもとりこんでいる様子。仕方ない。俺から誤るか。 すぐにお客様に連絡するが、不在。また後で掛けることに。イヤー、この待ち時間って結構プレッシャー。かつて散々経験していることだが、久しぶりでなおかつ自分は状況をしっかり掴めていないし、つっ込まれてもなんと言っていいのやら。。。 時間を改め、再度お客様にTEL。まずはお詫びし、いつ頃持っていけそうか報告。なんとか持ちこたえるが、そこでお客様から別件で社長と連絡をつけて欲しいということと、そのための資料をFAXするので、それも送って早く連絡が欲しいとの事。 次から次へと状況は目まぐるしく展開される。まだいまの自分には負荷が大きい。正直、気持ち悪くなりかける。 みたび、社長に連絡しその旨を伝え、FAX。。。ところが、、、 FAXが送れない。なんで???またもやアクシデント、、、また連絡。その旨伝えるとあっけなく、「番号の前に0033をつければいいんだ」と。(知るかよーそんなこと。私はこれまで海外にFAXしたことなどなーい。) 気を取り直し、再度FAX。そして確認の電話、、、今度は電話が繋がらない。まじかよー。俺もう返る時間過ぎてるんだけど。リハビリ中だから遅くなるのは勘弁だよー。(その間このブログを作成) 40分後ようやく繋がる。どうやら、FAXが届き、その件でお客様と打ち合わせだったとのこと。(これじゃー文句言えねー。。。) こちらの仕事は完了。社長からは「お疲れさん」たった一言。 心の中でふざけるなーーーーーー。口には出せない。一番悪いには社長じゃないからなー。でも、、、、、、納得いかない。 とりあえず今日の仕事は終了。すでに1時間以上残業だよ。。。 こんな一日でした。帰ってからでは書けないと思い、会社から書き込みました。なんだかものすごく疲れました。明日どうなるか?また、訳がわからんことに翻弄されるんだろうなー。いやになってきた。明日無事に会社に行けるか?それは明日わかるでしょう。 そんな散々な一日でした。疲れた。PS.黒ヒョウさん、kojiro1120さん、こめんとありがとうございます。ここでお礼申し上げます。。。
2005年09月26日
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まず、昨日までのブログにつきましてコメントありがとうございました。これからもよろしくお願い申し上げます。 さて、たまには私も今日のことを書きたいと思います。 今日は学生時代の友人の結婚式に参加でした。ただ、首都圏は台風が再接近とのことで、気圧が変わり、私の体は重かったです。気圧の変化でも調子に響くのが辛いところです。 朝から出かけ、電車の中はエアコンがなく、暑がりの私が礼服を着ていたので、一人でサウナ状態、汗がとめどなく流れました。場所は東京ディズニーランド近くのホテルでした。今日はディズニーランドも閑散としているのかなーと思いきや、それでも人が大勢でちょっとびっくり。 現地に早めに到着。同じく参加する友人と待ち合わせ。今日はその友人に私がうつになり、ようやく寛解してきていることを話しておこうと思っていました。(さすがに結婚する友人にはまだ言えませんが・・・) その友人に話をすると、あっけなく「僕の周りで結構いるよ。薬飲んでるんだろ。あとは時間の問題だよ。でも、こうして言えるのは良くなってきているんじゃない?」と。 あまりにあっさりと言われ、あっけにとられました。気を使ってくれたのかもしれません。 でも、やはり台風が近づいているので、今日はあまり調子が良くない。でも、それでもこうして参加できているからまだいいのだろう。 結婚式、披露宴と友人である新郎はとても嬉しそう。ああ自分もそういう時期があったなあ、と遠い昔にあったような感覚。そんな昔ではないですけどね。人の幸せはこちらも気分がいい。 久しぶりにワインも飲みました。もともと大好きでしたが、うつのため、しばらく控えていました。でも、飲んでみたら味覚が変わったのか?そんなに美味しいと思いませんでした。ああ、また楽しかったことがひとつ減ってしまったかあ、と天を仰ぐ。(大げさですね。) 帰りの電車、酔いと疲れがどっと出る。なんとか帰り、さらにちょっと気持ち悪い。このままでは症状自己管理でいう悪い流れを招いてしまう。 ここで、迷わず横になろう、、、ということで二時間ほど寝る。 起きたら大分疲労は回復。その他にも特に症状悪化のサインはなし。(この辺も散々失敗しながら身につけてきたと思う。) いまのところ、調子は問題なし。問題は明日。明日は社長である友人は海外出張のため、私が代わりに動かなければならないこともあるので、リハビリとしてはこれまでで一番プレッシャー。さあ、どうなるか? 明日この報告をできたらしたいと思います。
2005年09月25日
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経済的な不安についての昨日の続きからです。まずは収入面から。 <収入面> 退職した場合、退職金がでますが、次の仕事を見つけないと定期収入が難しくなります。 休職の場合、金額は下がりますが、給料の代わりに健康保険組合から傷病手当金というかたちで定期収入は確保されます。(給料と比べて何割確保かとか、どのくらいの期間受け取れるかは、それぞれの健康保険組合によって異なります。) そのまま勤務の場合、倒れて出勤できない場合のリスクを考えてみます。有給があるうちはまだ問題ありませんが、使い切った後は欠勤扱いとなります。(会社によっては有給とは別に傷病休暇がある場合もあります。) 欠勤扱いとなると、欠勤の日数で毎月の給与から減りますし、日数によってはボーナスが支給されません。 収入面について、このように考えてみると、ご自身の調子によりますが、休職による収入減はありますが、決して悪くはありません。 次に<支出面> 当然支出をどう減らすかですが、その中で「うつ」による通院や薬代の負担が大きくなりますので、ここをどうするかだと思います。ここは休職に限らず有効です。 32条申請をご存知ですか? 他の方のサイトでも出てきますのでご存知かもしれませんが、知らない方のために。 32条申請というのは、精神疾病により医者に行っている場合、通常本人負担は3割ですが、この申請をすると、本人の負担が5%で済むというものです。(現在この申請の制度をなくそうとする動きがありますので、いつまで利用できるかは不透明ですが、単純計算で、「うつ」の治療にかかる費用は六分の一です。) 32条申請をするためには、1.まず自分がどこの医者(心療内科でも病院でも)に行くかを決めます。 (1箇所に限られます。)2.そして、市区町村の役所(部課はまちまちですが、おおむね健康福祉課 あたりです。)に行き、32条申請用紙をもらいます。3.かかりつけの病院に行き、必要事項こ書いてもらいます。そして自分が 記入するところも記入します。4.役所で書類をもらったところに提出します。5.約2ヶ月前後で役所からかかりつけの病院に、申請が認められた旨の書類 が届きますので、以後診察代や薬代の自己負担は5%です。 病院で申請書を完備していることもあるので、まずは病院で聞いてみてください。 このように治療費と薬代の自己負担を減らすことが出来ます。 その他に、 確定申告による医療費控除(この場合は内科や歯科も含めることはできます。)はご存知だと思います。(余談ですが、このときの国税庁のホームページを見ると、払うことに関しては至れり尽くせりですが、控除関係は探すことすら難しい。これは嫌がらせ以外の何者でもないとおもうのですが・・・) それから休職の場合、傷病手当金は所得ではないので、傷病手当金がでている期間については所得なしとみなされます。そのため、翌年の住民税がその分負担が少なくなります。これって見落としがちです。もちろん脱税ではありませんから、堂々と。 このように経済的な面については、多少なりとも節約は可能です。 その他どのような不安が考えられるでしょうか?私は特に思いつきませんので、何かあればおっしゃってください。私が見落としている可能性もあります。 こう考えていくと、休職は決してマイナスだけではありません。「うつ」を寛解させていくことを考えると、プラスも充分あると思います。 「うつ」を寛解させていくのに近道はないと思います。薬を飲んで休養を取ることがまずなによりも必要です。なんでもそうですが、特効薬というのはありません。急がば回れ、ではないでしょうか? 昨日今日と二日に分けて私なりの意見を述べさせていただきました。賛成反対あるかと思います。あくまでもこういう考え方もあるのでいかがでしょうか?、ということですので、すべて正しいとは限りませんが、検討の一つとしてお考え頂ければ幸いです。 以上です。 PS.明日は学生時代の友人の結婚式に参加します。台風が近づいている ので、電車の遅れなども心配です。なので、今日は早く寝ます。
2005年09月24日
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経済的な不安についての昨日の続きからです。まずは収入面から。 <収入面> 退職した場合、退職金がでますが、次の仕事を見つけないと定期収入が難しくなります。 休職の場合、金額は下がりますが、給料の代わりに健康保険組合から傷病手当金というかたちで定期収入は確保されます。(給料と比べて何割確保かとか、どのくらいの期間受け取れるかは、それぞれの健康保険組合によって異なります。) そのまま勤務の場合、倒れて出勤できない場合のリスクを考えてみます。有給があるうちはまだ問題ありませんが、使い切った後は欠勤扱いとなります。(会社によっては有給とは別に傷病休暇がある場合もあります。) 欠勤扱いとなると、欠勤の日数で毎月の給与から減りますし、日数によってはボーナスが支給されません。 収入面について、このように考えてみると、ご自身の調子によりますが、休職による収入減はありますが、決して悪くはありません。 次に<支出面> 当然支出をどう減らすかですが、その中で「うつ」による通院や薬代の負担が大きくなりますので、ここをどうするかだと思います。ここは休職に限らず有効です。 32条申請をご存知ですか? 他の方のサイトでも出てきますのでご存知かもしれませんが、知らない方のために。 32条申請というのは、精神疾病により医者に行っている場合、通常本人負担は3割ですが、この申請をすると、本人の負担が5%で済むというものです。(現在この申請の制度をなくそうとする動きがありますので、いつまで利用できるかは不透明ですが、単純計算で、「うつ」の治療にかかる費用は六分の一です。) 32条申請をするためには、1.まず自分がどこの医者(心療内科でも病院でも)に行くかを決めます。 (1箇所に限られます。)2.そして、市区町村の役所(部課はまちまちですが、おおむね健康福祉課 あたりです。)に行き、32条申請用紙をもらいます。3.かかりつけの病院に行き、必要事項こ書いてもらいます。そして自分が 記入するところも記入します。4.役所で書類をもらったところに提出します。5.約2ヶ月前後で役所からかかりつけの病院に、申請が認められた旨の書類 が届きますので、以後診察代や薬代の自己負担は5%です。 病院で申請書を完備していることもあるので、まずは病院で聞いてみてください。 このように治療費と薬代の自己負担を減らすことが出来ます。 その他に、 確定申告による医療費控除(この場合は内科や歯科も含めることはできます。)はご存知だと思います。(余談ですが、このときの国税庁のホームページを見ると、払うことに関しては至れり尽くせりですが、控除関係は探すことすら難しい。これは嫌がらせ以外の何者でもないとおもうのですが・・・) それから休職の場合、傷病手当金は所得ではないので、傷病手当金がでている期間については所得なしとみなされます。そのため、翌年の住民税がその分負担が少なくなります。これって見落としがちです。もちろん脱税ではありませんから、堂々と。 このように経済的な面については、多少なりとも節約は可能です。 その他どのような不安が考えられるでしょうか?私は特に思いつきませんので、何かあればおっしゃってください。私が見落としている可能性もあります。 こう考えていくと、休職は決してマイナスだけではありません。「うつ」を寛解させていくことを考えると、プラスも充分あると思います。 「うつ」を寛解させていくのに近道はないと思います。薬を飲んで休養を取ることがまずなによりも必要です。なんでもそうですが、特効薬というのはありません。急がば回れ、ではないでしょうか? 昨日今日と二日に分けて私なりの意見を述べさせていただきました。賛成反対あるかと思います。あくまでもこういう考え方もあるのでいかがでしょうか?、ということですので、すべて正しいとは限りませんが、検討の一つとしてお考え頂ければ幸いです。 以上です。 PS.明日は学生時代の友人の結婚式に参加します。台風が近づいている ので、電車の遅れなども心配です。なので、今日は早く寝ます。
2005年09月24日
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うつになった時に仕事を休むことへの不安について今回はお話したいと思います。なお、これはあくまでも私見ですので、ご意見などありましたら、お知らせください。できれば皆さんと一緒に考えられればと思います。 仕事をしていて「うつ」と診断された時、まずは薬を飲み、休養を取ることと言われます。そしてできれば休職するのが理想と言われます。 でも、、、休職という選択肢を取るのは大変苦渋の決断です。正直、仕事をしながら寛解を目指すのが現実的な選択といえましょう。私もそう選択しました。 休職という選択は、これまで自分が築き上げてきたものを根底から覆しかねないこと、自分が全て否定される、プライドが許さない、今後の生活はどうなる?会社からクビを宣告されるのでは?・・・などなどが頭の中を駆け巡ります。すぐに休職を選択できる人は、既に会社のシステムがしっかりしているか、全く動けないかだと思います。 では、休職をためらう理由はなんでしょうか? まず一つ目は、会社から退職勧告の不安です。実際にいろいろなかたちで勧告されるようです。 この場合、あくまでも正社員の場合(スミマセン、勉強不足で契約社員やアルバイトの場合は分かりません。どなたか教えてください。)ですが、労働基準法で、病気を理由とした解雇はできません。したがって、会社は解雇ができないので、自主退社を促してきます。そして、「うつ」になりやすい人は責任感が強いため、迷惑をかけて申し訳ないということから、自主退職することが多いようです。 裏を返すと、会社は本人から辞めると言わない限り、それ以上なにもできません。つまり、自分から辞めなければ、身分は保証されるのです。もし、退職勧告を受けた場合は絶対にその場で受けないで下さい。 周りに迷惑をかけていると感じるならば、「うつ」になった原因はなんですか?周りの同僚の方に自分が辞めれば迷惑はなくなるのでしょうか? 仕事が原因なら、多少なりとも会社側に原因があるのですから、身分を保証されて然るべきと考えましょう。(ただし、私は会社と闘えと言っている訳ではありませんので。)また、周りの同僚に迷惑をかけていることについても、辞めることで同僚の負担が減るわけではありません。休職であっても結果は変わりません。 二つ目は周りに迷惑をかけるという罪の意識でしょう。しかし、会社というのは一人抜けてもちゃんと機能します。私もそれが分かったとき大きなショックを受けましたが、今では無理して会社に行けたり休んだりして、更に迷惑をかける前に休職を決断すえばよかったと思っています。それでも罪の意識があるならば、休職の前に仕事の引き継ぎだけやっておけば、かなり周りの負担は減ります。実際、私の場合、完全ではありませんでしたが、引き継ぎをしたことで混乱は最小限にできたと思っています。(ひょっとすると私ひとりの思い込みかもしれませんが、、、) 三つ目は経済的な不安だと思います。それではこれについては収入面と支出面に分けて考えたいと思います。・・・が長くなってしまったので、明日続きを書きます。明日は夕方までパソコンが使えないので、夜になります。スミマセン。。。
2005年09月23日
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会社に行き、Aさん(直属の上司)と更に一つ二つ上の上司と会議室に行き、うつと診断されたこと、仕事についてこれからどうしていくかなど、二時間程話しました。正直どのように話したか覚えていません。 その日から、Aさんと同行で私しか知らないお客様を回り、私がダウンしたときに備えて顔つなぎを始めました。私自身どこまでもつかわからなかったので、お客様に迷惑をかけないようにしたかったのです。 勿論、お客様には、私がうつだとは言えません。体の調子が悪いということにしました。 その後、何日か行けたかと思うと、また数日休み、また何日か行って、何日も休む・・・こんなことの繰り返しでした。これはおそらく、休んで気力を補充しては行ってすぐにガス欠、また補充してすぐガス欠、というように、気力が思うように上がらず、すぐに少ない気力を使い切ってしまうという悪循環に入っていったのでしょう。。。 「うつ」と診断されたときに、すぐに何ヶ月か休めばその後の状況は変わっていたかもしれません。私自身の経験から休息が回復への王道だと思います。でも、やはり周りに迷惑をかけてはいけないと思い、なんとか会社に行きながら直せるのでは?という希望というか責任感というか、そういうものがどうしてもありました。いまこれを読んでいただいている方の多くは同じようにお考えになると思います。 しかし、正直言って、会社に行きながら「うつ」を直すというのは、相当難しいと思います。「うつ」というのは、心の気力が枯渇することからおきるものです。そして、なかなか心の気力は戻ってきません。薬を飲み、休息をそれなりの期間とることで、少しずつ心の気力を貯めていけると思います。例えていうと、お風呂に水を貯めるのに、水道の蛇口からはチョロチョロ、でも水抜き穴は普通より大きく、栓が完全に開いて水がなくなっていく、そんな感じだと思います。 だからこそ、もしこのブログを読んでいる方のなかに、うつと思いながらも仕事しながら直そうとお考えの方がおいででしたら、できれば数ヶ月休職をお勧めします。 実際、私はこの後もなんとか仕事しながら直そうとしましたが、4ヵ月後、完全にダウンとなり、休職となってしまいました。それこそわずかに残っていたものまで完全に枯渇してしまい、以後動けない日々を過ごすこととなりました。 ・・・次回に続く・・・
2005年09月22日
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医者にうつと診断される、、、大変ショッキングなことでした。目の前が真っ暗。これからどうなるのだろうか?会社は辞めるようなのか?今後の生活、特に経済事情はどうなるのか? 次から次に不安がどんどん大きくなっていきます。帰りに妻とどんな話をしたかは、全く覚えていません。というより、病院で今後もそこに通うかどうかで、少し遠かったので、家の近くの心療内科を紹介され、紹介状を頂いたところから先が思い出せません。 会社にどう報告したらいいのか?クビかな?(今ではクビは労働基準法違反だとわかっているので、怖いことはありませんが。)いずれにせよ、話さなければいけないのですが、頭が働きません。 翌日、会社に連絡しようと思うのですが、頭は混乱したままで電話できる状態ではありませんでした。このまま消えてしまいたい、もう絶望感しか浮かんでこないのです。受話器を持ったまま、ボーっとしていたようです。みかねた妻が「私が電話する。」といって電話し始めました。私は自分の情けなさでいっぱいでした。電話すら自分で出来ないのかと。 妻は赴任してきたばかりの直属の上司Aさんと話したようで、後で家の近くまでAさんが来てくれるということでした。妻が「一緒に来る?」と聞きましたが、私には絶望感と自己嫌悪で誰にも会いたくありませんでした。そこで妻一人でAさんと会いに行きました。 二時間後くらいに妻が戻ってきて、私にやりとりを話してくれたのですが、やはりほとんど記憶にありません。ひとつだけ覚えているのは、会社に出てこられそうになったら出てきて欲しいということでした。 いつ会社に行けるのだろう?行ける日が来るのだろうか? 二日後、紹介された心療内科(メンタルクリニック)で診察を受けました。一時間以上話をし、やはり「うつ」と診断されました。一度受けた宣告でしたが、心のどこかで間違いであって欲しいとも思っていました。しかしやはり、・・・同じ宣告でした。 自分の中で全ての緊張の糸が途切れました。 会社に行けたのは、最初の休みから一週間経過した2003年6月の第2火曜日でした。何から話せばいいのか?どう謝ろうか?全くわからないままとにかく会社に行きました。・・・次回につづく・・・
2005年09月21日
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まず最初に、何人もの方からコメントを頂きまして、ありがとうございます。私なりにこれまで経験してきたことや勉強してきたことを、これからもブログで書き記していきたいと思います。今後もどうぞコメントを頂ければ幸いです。一人でも多くの方と「うつ」について一緒に対処していければと考えております。それでは前々回(9月17日)の続きです。 布団から出られなくなりました。とりあえず、会社には風邪をひいたことにして休みました。自然と涙がこみ上げてきます。以前は外に出られましたが、今回は布団から出られないのです。とにかく、自分に何が起こったのか?前回に似てはいるが、もっと気持ちが落ち込み、どうすればいいのかが全く浮かんできません。社会からそっぽをむかれたような気分、自分の全てが音を立てて崩れていくような気分、このまま廃人のようになるのかという絶望感が次から次へと頭に浮かんできました。 妻とはこの日は特に悲観的な話はせず、夕方には気持ちも落ち着いてきました。明日は会社に行こう。そう考えていましたが、夜になると言いようもない不安に駆られます。睡眠はやはり一時間ごとに目が覚め、熟睡感がありません。 次の日の朝、やはり布団から出られません。また会社に休む旨を伝えますが、仕事内容のことを聞かれました。しかし、何も浮かんできません。風邪で頭がボーっとしていることにして電話を切りました。 この日も突然涙が出て止まらなくなりました。おそらく、そのときの自分の情けなさや、これからどう対応したらいいのかが全くわからないことへの不安からかもしれません。妻から聞かれても答えなんかでてきません。そんな状況に妻が言いました。「病院へ行こう」と。 私は内科に行くのかと思い、「行っても意味がない。」と答えました。 妻は「内科ではなく、精神科か心療内科だよ。」 私「なんで俺がそんなところに行かなきゃいけないんだ。」 妻「行って診断してもらいましょう。それでなにもなければいいんだか ら。」 私「家から出たくない。」 妻「とにかく行くだけ行きましょう。」 私「・・・」 結局妻の説得で外に出て、まずは大きな本屋に行きました。どんな病院があるか確認するためです。そして、家から近いところから大きな病院に妻がいくつか連絡を入れましたが、「初診は受け付けていない。」「紹介状がないと受け付けない。」「今日は診察日ではない。」となかなか見つかりません。正直、この分野の病院というのは門戸が狭く、これでは病院にたどり着けずに悪化するケースもたくさんあるのだろうと思いました。私はもう家に帰りたかったのですが、ようやく見つかり、その病院へ向かい、診察を受けました。 家族構成から親族で精神的な面での通院歴の有無などを話し、睡眠が途切れ途切れなこと、集中力がすぐに切れること、頭の中が霧がかかったように回転しないこと、長時間労働、休日出勤、自分がどうしたらいいか分からないこと、などを一時間以上にわたっていろいろ話しました。 医者から言われました。 「うつです!」 私はその言葉を聞いて、言葉が出てきませんでした。・・・次回に続く・・・
2005年09月19日
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前回まではうつに至る過程を記しましたが、内容的に重かったかと思い、今日は私自身の近況とブログを書く訳を記したいと思います。 現在私はまだ休職中です。復職するには会社からは「完全に治してからに。」と言われているので、リハビリ出勤制度はありません。そのため、どうしようか?と考えていたときに、学生時代からのつきあいで会社を興した友人がいて、その友人が「人手が少ないから、もしよかったら手伝ってくれないか?」と言ってくれました。 この友人は、私がうつで倒れたこともリアルタイムで知っていた数少ない1人でもあり、調子の良し悪しもよく知っていました。そのため、私にとって社会復帰する絶好の機会と思い、よく打ち合わせをしました。 内容として、長いこと休職しているため、短時間から始め、内容も大したことはできないこと。所属する会社の服務規程に触れるので、報酬はナシ。調子が悪ければ無理ができない。この旨を正直に話し、友人も了承してくれました。 以来、調子を見ながら少しずつ時間を増やし、内容も簡単なものから徐々に負荷をかけていきました。途中調子の波もあり、思うようにいかないこともありました。細かいことはそのうち具体例を交えて話していきたいと思いますが、今度の火曜日から完全フルタイムでいく予定です。 友人も私もうまくいかないかと思うときもありましたが、なんとかここまで取り組むことができました。 うつで布団から出られない日々を過ごし、いろいろな問題にぶつかり、自殺未遂もしました。しかし、そのたびに多くの方に助けをいただきました。まだ完全に回復したわけではありませんが、それでもあの辛い日々を考えると多くの助けてくださった方々になんとお礼を言えばいいか言葉もみつかりません。 私はこのブログを通して、うつに悩んでいる方々に少しでも役に立てれば、すこしでも助けになれば、という気持ちで始めました。医者ではありませんが、同じ悩みを抱えている者として、まだまだ不慣れで思うようにうまくできていませんが、まずは私のうつになってからこれまでの出来事を引き続き記したいと思います。 何かあればコメントをいただければと思います。このブログを読んでいただく方々と悩みや情報を共有できればと思います。なにとぞよろしくお願い申し上げます。 次回は前回の続きを記したいと思います。
2005年09月18日
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その後、また仕事に取り組みましたが、数ヵ月後には、また忙しさが増してきました。そして、2003年春前に結婚したこともあり、これからも一生懸命仕事に取り組もうと努力しました。 しかし、自分の意気込みとは裏腹に仕事量がまた激増していきました。毎日毎日終電まで仕事し、休日も返上して会社に行き、とにかく仕事を片付けるのですが、その一方でどんどん新しい仕事が増えていきます。明らかに処理能力をオーバーしていきました。もちろん上司に相談しましたが、前と同様に相手にしてくれず、それどころか更に仕事が増えるということとなりました。 4月に異動で直属の上司(仮にAさんとします)が変わり、同行などで自分の仕事のやり方に問題があるかどうか聞きました。Aさんは今までの他の上司とタイプが異なり、仕事の進め方などについて理論的に話してくださり、大変勉強になりました。(もっと早く上司でいてくれたら、おそらく私が倒れなくて済んだかもしれません。といってもわかりませんが・・・)しかしまだ赴任して日が浅く、私自身がどんどん他の上司などから追い込まれていき、精神的に追い込まれていきました。 睡眠に影響が出てきました。寝付けない、寝ても1時間ごとに目が覚める、早朝覚醒などが次々に襲ってきました。そして、一日中頭の中に霧がかかったように思考が働かず、今まででは信じられないような初歩的なミスが連発。集中力は欠如。言われていることが理解できない。これ以上私に何をしろというのか? 妻からは顔色が悪く、感情がなくなってきていると言われるのですが、私自身はもうじき壊れるのかな、くらいしか考えがでてきません。 そうして、6月の初めについに倒れることとなりました。前回と同じように会社に行くことができなくなりました。それだけでなく、布団から出られなくなりました。・・・後日に続く・・・
2005年09月17日
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2002年の夏前くらいから、集中力が途切れることが多くなり、寝ている時も仕事がうまくいかない夢ばかり見るようになりました。自分が自分でないような感覚にもなりました。 夏休み直前には、もはやどうすればいいのかという思考も停止。ただただ目の前の仕事をなんとか仕上げたところで一週間の夏休みとなりました。 このとき、自分の中の緊張の糸がプッツリと切れたのはわかりましたが、一週間で回復できるのかは全く自信ありませんでした。そして夏休みの最後の日を迎えたのですが、全く気力が回復しません。もうどうしたらいいかわからないという状態でした。 そして夏休み明け、そこから3日間会社に行くことができませんでした。自分でもなぜかわかりません。ただ、会社に行くと自分の命が危ないのではという気持ちでした。4日目になんとか会社に行き、上司に「もう自分がどうなるかわかりません。辞めさせてください。」と言いましたが、私が混乱しているから落ち着かそうといろいろ話しかけてきましたが、自分の頭の中も気力も空っぽで、何も響いてくるものはありませんでした。どんな仕事を抱えていて、どう解決するかということも思い出せないため、上司と机にあるものをひとつひとつ確認し、対応策は上司と同行で埋めていきました。 その後、何度か上司やさらに上の上司と話し合い、担当するお客様を再検討し、仕事量を少しでも減らす方向になり、なんとかもう一度やってみようということになりました。 いま振り返り、このときは自分がうつ状態とは思わず、医者に行くという発想はありませんでした。ただ、疲労の蓄積が相当溜まっているのだろう位でした。ここで手当てをすることができなかったことが、この後更なる悪いスパイラルへと流れることになったのです。ここで手を打っておけばという後悔はいまでも持っています。・・・次回へ続く・・・
2005年09月16日
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私は1996年に就職し、営業職として働いていました。2001年4月から上司が上のポストに上がったため、私に重要なお客様を担当する機会に恵まれました。私自身非常に光栄に思い、期待に応えられるよう努力しました。さらに今までの仕事についても今まで以上の結果を残さなければというプレッシャーもあり、残業が多くなってきました。周りの人よりも更に努力しようと寝ても覚めても仕事のことばかりでした。この時は自分にとって踏ん張り所と思えばこそでした。 ところが、自分の思いとは裏腹に結果が思うようにいかず、出てくる結果よりも出てこない結果のことでいろいろ言われ、さらに自分に必要なことは何か?を自問自答しながらの日々でした。 さらに12月で後輩が退職するに伴い、自分がその後を継ぎ、自分が担当していた地域は別のメンバーに引き継ぎましたが、その中の一部のお客様は引き続き自分が担当となりました。 こうして2002年初めからどんどん仕事が増え、朝早くから夜は終電近くまで連日仕事の日々でした。他のメンバーは今までと変わらないのに、自分は更に仕事が増え、できていないことばかり上から厭味を言われ、上司に助けを求めても、「それがお前の仕事だろ!」と叱責され、いろいろなことの板ばさみにどうすればいいのか?途方にくれることが多くなりました。 自分に何ができるのか?何が足りないのか?努力がたりないのか?質に問題があるのか?交渉術に問題があるのか?・・・常に自問自答する日々で、休みの日も常に抱えている仕事の問題点をどう解決していくかを考えるようになり、疲れがとれなくなってきました。なんだか周りと比べて自分だけが大変に思えてきましたが、協力を求めてもうまく断られ、こちらはできるかぎり協力しているのに・・・と割り切れない気持ちも正直ありました。 それでもまだ自分に足りないものは何か?どうすれば問題解決するか?これは自分にとって次のステップへの試練と言い聞かせて努力していきました。が、それ以上にさらなる仕事の増加、上司からの命令や厭味や叱責、他部門からは言われ放題、と状況はますます悪くなっていきました。・・・後日に続く・・・
2005年09月13日
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初めてブログに挑戦です。 なにぶん右も左も分からないので、今後も更新は不定期になると思いますが、偶然でも読んで頂けると幸いです。 私は現在会社を休職中です。理由は鬱(うつ)病です。不安障害と診断されました。2003年に発病し、その後いろいろとありましたが、今年の春頃から社会復帰に向けてリハビリをしています。うつについては、最近テレビや新聞などで紹介されているので多くの人が知っていることと思います。しかし、そこから先はなかなか認知されることが難しいのが現実です。そして、当事者は勿論ですが、そのご家族も苦しんでいる方々がたくさんいらっしゃると思います。私自身もこれまで苦しんできましたし、家族にも多大な迷惑をかけてきました。その中で感じたのは、うつとはどんな病気かについてはいろいろと情報がありますが、うつからどのように回復を目指すか?特に、社会復帰をどのようにするか?については情報が非常に少なく、どうしたらいいのかが分からないのが現状だと思います。 そこで、今後このブログを通して、まずは以下のような内容を書いていきたいと思います。 1.私がうつに至った過程。 2.うつと診断されて・・・。 3.何もできない日々・・・。 4.うつに対する知識の入手。 5.紆余曲折・・・。 6.休息から活動初期。 7.リハビリに向けてのハードル。 8.リハビリ開始。 9.認知療法。 10.現在の状況と今後の課題。 その他にも、私がこれまで感じたことなども書いていきたいと思いますが、うつ当事者の方やご家族の方からの感想やご意見などを是非教えていただければと思います。 どのようなブログになるか分かりませんが、自分もリハビリ中なので少しずつ書いていきたいと思います。よろしくお願い致します。
2005年09月11日
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