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何かに「こだわり」を持つ、ということはカッコイイ、と思っていました。だから、以前のワタシは、「こだわりを持ったオトコ」なんてのに弱くて、朝は挽きたての珈琲でなくちゃ、などとこだわるオトコには、もうメロメロでした(笑)でも、最近思うのは、人生、こだわりのない方がラクに生きられるのではないか、ということ。だって、たとえば、朝の珈琲にこだわっていたら、珈琲豆を切らしてしまった日は、一日気分が悪いじゃありませんか。珈琲がなければ紅茶でイイや。それがなければ水でいいや、くらいに思っていた方が気がラクです。人生すべて、これがなくちゃ、こうでなければいけない、と思わない方がラクに生きられます。別にラクに生きるのが絶対イイ!とすすめるわけではありません。苦難の道を生きたい、それこそワタシの生きる道だ、と言うならそれもそれでいいと思います。でも、ワタシはラクに生きたほうがいいと思うんです。こだわって、しがみついて、自己実現にはこの道しかない、と追求するより、臨機応変に「できるときにできることをする」でよいのではないかと・・・。たかが人生じゃありませんか。何かの道で名を成すこと。高収入を得て、好きなものを手に入れること。それは、それですばらしいですけど、何が何でもそうしなくちゃ、としがみつくなら、「しあわせ」な気持ちはどこかに行ってしまいます。夢がかなわなかったときに不幸になるなら、夢なんか見なくてもいいじゃありませんか。それより、いつも笑っていたいと思いませんか。しあわせな気持ち、が一番大切だと思いませんか。笑いながら歩いていく、その過程で、何か楽しそうなことがあれば挑戦してみる、そんな気持ちではダメでしょうか。スゴイ研究で世の中に貢献したヒト、スゴイ大金持ちになってたくさんの寄付をしたヒト、そしてワタシ(アナタ)。誰が一番偉いですか。他のヒトと比べたら、自分はそれほどダメ人間ですか?好きなこと、やりたいことがなくちゃだめですか?ただ生きているだけではダメなんでしょうか。そんなことないと思うけどなあ。野の花は、ひっそり咲いているだけで、誰かの役に立とうとか思わなくても、ただそこに咲いているだけで美しいのです。どこかの誰かがそれを見て、涙が出るほど感激するかもしれません。たとえ誰にも見られないまま散っていっても、咲くこと、タネを残して命をつなげること、それだけで天を(神を?創造者を?宇宙を?なんでもいいけど)賛美していることにならないでしょうか。野の花は、そこに咲いているだけで価値があるのです。だから、自分だってきっとそれなりの価値があるんだから、もっとこだわりを捨てて、ラクに生きたいと思うのです。好きなことがあるなら、やればいいし、ある時期、必死になってそれを追いかけてもそれはそれで素晴らしいこと。でも、何がなんでも思い通りに生きたいとか、願いを叶えようとそのことにこだわってしがみつくのは、不自由な生きかただなあ、なんて何も出来ていない私ですが、生意気にもそんなことを今日は思いました。
2004/07/27
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成功とは何か?お金持ちになること?仕事がうまく行くこと?有名になって注目されること?安定した結婚生活を送ること?子どもを一流私学に入れること?整形して美人になること?人それぞれ、いろんな答えがあると思います。どれが正しくて、どれが間違っているということもないし、どれが上で、どれが下ということもありません。大きいと思える成功も、人目にはショボイと思われる成功だっていいんです。どれも成功。問題は、アナタが成功したいか、したくないか、それだけです。最近、思うのは、上に書いた大きな目立つ成功ばかりじゃなく、実は身の回りには、成功のタネがゴロゴロころがっているのではないか、ということ。今日は部屋を片付けよう!と決意する。→それを行う。→きれいに片付いた!これも成功。今日は夕飯にカレーを作ろう!と決意する。→それを行う。→おいしくできた!これも成功、なんだっていいんです。要するに「自分で決めて行う→達成する」これが成功なんです。誰かから強制されてやるんじゃなくて、仕方なく、なんとなくやるんじゃなくて、やろう!と思ったことを行えたら成功!ね、なんだか気がラクになってきませんか?散歩に行くことだって、気になっていたビデオを見るコトだってみ~んな成功!人生、どれだけ自主的に何かを行えたか、で満足感が違います。無理に大きなことに挑戦して、自分意は無理だと落ち込むくらいなら、ちっちゃなことをどれだけ行えるか、というところから挑戦してみたらいかがでしょうか。
2004/07/24
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去年の七夕の日、息子が入院した。まだ、2歳になったばかり、食事も自分ひとりでは取れないのに、入院しないと検査できないから、と言われ、夜ご飯も食べていないのに、そのまま入院となった。病院のご飯は早いので、とっくに終わっていて、何か買って届けてもいいか、と聞くと、よい、との返事。慌ててコンビニのおにぎりを買いに走った。ナースステーションに戻り、息子に食べさせたい、と言うと先ほどの看護士さんはいなくて、夜勤の人に代わっていた。「もう夕食は終わっていますから、食べさせることはできません」との返事。さっきのヒトは一緒に面会室で食べるように手配してくれました、と言っても、「規則ですからできません」の一点張り。見た目、元気なのに入院を強要されて、夕食も取れないとは!奥の部屋から、息子の鳴き声が聞こえる。「かあちゃん。かあちゃ~ん・・・」言葉の遅い息子が、叫んでいる。他には知っている言葉もない。大声をあげたことのない息子だ。とにかく、これを食べさせてやってください、とおにぎりを渡す。やる気のなさそうに受け取る看護士。労働条件がきついのはわかるが、アンタら一応サービス業だろう、と思った。患者と家族の不安を取り除くのが勤めじゃないのか!本当に頭にきた。帰る道、遅くなったので外で食事を取る。食事中、店長らしき人がテーブルに来て、今日は七夕ですから、願い事を短冊に書いたら、店の笹に飾ります、と言う。「○○ちゃんが早く治りますように」と書いた。レジで支払いをしている時、「この○○ちゃん、というのは犬ですか?」と店長がきいた。・・・・マヌケな店長だ。そりゃ、ウチの息子は、動物の名前を連想させるが、もし、人間の名前だったらどうするんだ。気を悪くするじゃないか!でも、大切に飾っておきますから、と言う姿に何となく好感を持てて許せた。今でも、あの店にいるのかな~。あの店長。バイトが、やる気のなさそうだったのが印象的だったなあ。翌日、病院に行くと、担当の女医が「やっぱり、○○病じゃなかったです。でも、念のため1週間入院してください」と言った。熱もない、食欲もある、元気な息子がなぜさらに1週間も?右隣の人に聞いたら、もう1ヶ月も入院しているとのこと。「なかなか退院できないのよね~」とのんきな返事。左の人は、「ウチの子は4人だけど、この2年間で、4人で6回入院した」と言う。一体どういう病院?!それに、ウチ以外は皆何度目かの入院のようで、どこかの閉鎖的公園社会のように、ウワサ話に花を咲かせていた。世の中には病室デビュー、というのもあるらしい。というわけで、1週間後、逃げるように退院したあと、その病院には2度と行っていない。七夕が来ると思い出す、嫌な思い出だ。みなさんは、楽しい七夕を!
2004/07/07
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