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「肥満体」と言う言葉が、いつしか「デブ」と言う名で呼ばれているようだ。一種の蔑称なのであろうが、なりたくてなった訳ではないと思う。どう言う訳か、一般人の肥満の人には「デブ」と言いながら相撲取りの「力士」には「デブ」とは呼ばない。多分「力士」には、職業としての認識の為に認容されているのであろう。ところでであるが、フランスのサルコジ元大統領が閣僚たちに減量するように指示したり、中には肥満を原因として閣僚から外したと言うようなニュースがあったような気がした。元々この大統領は、前には結構な肥満体であったらしいのだがダイエットに挑戦し、7キロ落として今のスマートな体型になったなそうである。そんなためか、「肥満は罪悪である」と言って閣僚たちにダイエットを勧めているなそうだ。その影響で、飛行機などの座敷料金も肥満の人は「一人分+もう一人分の75%を請求する」という事態になったなそうである。今後に於いては、大規模な「反肥満キャンペーン」の計画さえもあるらしいから、場合によっては各国に波及する可能性もあるかも知れない。そう言う観点からすれば確かに、電車やバスの乗客としてはこの程度の料金を請求されても致し方ないのではとも思われる。表面面積が倍近くもある人が、痩せの人と同じ料金とは何となく不平等のような気がしないでもない。郵便料金とて、サイズや重さによって請求されているわけだから人体だけは違うと言うのも、何となく納得出来ない疑問の一つに思えた。と言う訳だからと言って、あるいはソープランドなどで「あなたは肥満だから、料金は倍ね」となるかどうかは、ソープ嬢と相談してもらいたい。見回すと、結構「デブタレ(太っちょタレント)」も多いようでもある。「デブタレ四天王」と言われているのは、石塚英彦、松村邦洋、内山信二、伊集院光の4人がそうである。まぁ女性に対しては、「デブ」と言う言葉は禁句だ。そのほかに、間違っても「ブタ」などとも言わない方がいい。せめて、「ぽっちゃり」とでも言っておいた方が良いかも知れない。ある「百貫デブの女性」に、「デブデブめ、ドラム缶みてぇだな」と蔑視言葉を繰り返したと言う理由をもとに侮辱罪で訴えられた。最高裁は、拘留29日の実刑を言い渡し確定されたこともあった。と言う訳で、「ついウッカリ、連発しちゃったよ」とならないよう注意した方が良いのだ。その割には、どう言う訳かこの「デブ」と言う呼称は「名誉毀損用語」として扱われてはいるようだが、「放送禁止用語」にはなっていない。これも、七不思議の一つかも知れない。一般に肥満の場合は、セックスも男女とも大味だと言われているようだ。そう言えば、何となく脂ぎっているような感じもし汗かきでもあるようだ。デブ同士の婚姻生活となると、想像するだけで象かカバのセックスを連想させられるが、実体はどうなんだろうかと恐いもの見たさの心境に駆られてしまう。と言ったところで、「迫力のある行為だろうなぁ」と思うだけで見て反吐が出るようでは見ない方が良さそうだ。ところで、フランス大手航空会社エアフランスは4月から肥満の人からは、上記の75%の航空料金を追加徴収すると言うことであるから、機上する人は心得ていた方が良さそうである。但し、機内が満席の場合に限りと言うことのようなので、満席にならなかった場合追加分の料金は返金されると言うことらしい。この処置として同社の広報では、肥満を差別するためのものではなくあくまでも”「安全のための措置」”だと説明しているようだ。パリ行きの人は、少なくとも座敷が一つでは足りない肥満である場合には、「追加料金があり」と言う可能性を、頭の隅に入れておく必要があるようだ。そう言えば、どっかの地域のタクシー会社では国交省に「肥満に限り50%料金追加」の申請を出すとかと、地域同業者を募っていると言う話しもあるようだ。こうなると、とかく「おデブさん」にとっては塩辛い切ない時代が到来と言うことにもなりかねないようである。やはり、勇んで今のうちから「ダイエット」に挑戦した方が良いようである。「醜(みにく)さと 余病を避けて ダイエット」、辛かろうが頑張ってもらいたい。
2014.06.18
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ここは交差点で、赤と黄色の信号機が点滅していたようだ。その赤の点滅を無視して、一人の青年が走るような形で横断した。髪を伸ばし、裾にバラバラに鋏を入れたジーパン風の短パンを履いていた。黄色の信号を徐行しょうとした一台のミニバイクが、急停車して大声を出した。「危ねぇじゃねぇか、気をつけろっ!」と、怒鳴るバイク。「うるせぇなっ、そっちも気をつけろいっ!」と、その青年もやり返して来た。「お前の方は、赤信号だろーっ!」。「歩行者が、優先だろうがっ!」。「そうか、それじゃ話し会おうか」と言って、ミニバイクから降りた。スッタモンだと言い争いをしていたが、どうやら「坊主・坊主」と言う言い方に気分を害したようで、そのバイクの男がつい足で蹴ってそのまま逃走したようである。このミニバイクの搭乗者は、どうやらどっかのお寺の坊さんのようだった。頭に来た短パン男が、たまたま警戒中の二人のお巡りさん出会った。ことの事情を説明したようで、そのお巡りさん達は一応暴行と言うことで本署へ無線連絡をしたようである。その後の事情を知らない坊さんは、何事もない風にしてスイスイ風を切って街を散策するようにして乗り歩いた。たどり着いたところは、最近出来たばかりの郊外型健康ラウンドだった。ここは、「銭湯法」に従った温泉らしくそれでも様々な風呂桶を用意しているところで、特に炭酸風呂や露天風呂が広くしかも風呂桶の数も多く設備されている。外の露天式広場には、大きな壷方風呂や牛乳風呂、寝風呂、石積み露天風呂、平坦風呂、寝ベンチ、東風休憩小屋などがあり、飽きないように工夫された施設だった。多分、日頃座ってお経を唱えることが多いためもあってか、一風呂浴びて手足を伸ばして英気を養うつもりだったかも知れない。ところが、バイクをこの施設の駐車場に止めたはいいがどう言うわけか、この坊さんバイクを置いたまま再び街を歩き出した。確かにこの施設では、食堂など全てのシステムは100円か500円玉でのセルフサービス式であった。従って、煩わしさもあってか街中の食堂を選んで食事しょうとしたらしい。連絡を受けたパトカーが、街中パトロールでこの温泉界隈を流していた。念のために、不特定多数の人が集まる場所を選んでパトロールする。そこで、その温泉施設の駐車場を何となくパトロールした。そこには、あるいはと思われるミニバイクを発見した。単車に、手を当ててみた。エンジンが、暖かい。「ははーん、野朗め、ここに入ったな」と言うことで早速フロントへ。ところが、ここ2,30分内での入客がないと言う。さては、逃げたかと思い近辺を探索し始めた。その坊さん、少し斜め加減になって彷徨(さまよ)うようにして路上を行脚していた。早速の、職務質問とやらに出くわした。何を思ったかこの坊さん、パトカーの3人のお巡りさんを相手にお経を詠んだ。「まぁまぁ、分かった、ご利益は後にしょう。で、先ず免許証を出してもらいましょう」と、お巡りさん。「天罰を恐れないでは、後々厄害が起きまするぞ。仏法では、すべて帰依により許認可ものは神から授かり保障されております」と言って、中々その指示に従わなかった。結局、酔っ払い運転と無免許にて現行犯逮捕。ついでに、「暴行罪」と言うおまけ付きだった。拘留中の取調べでは、なんと高校時代から34、5歳までの無免許運転だった。今では、和尚さんの運転は常識になっている。バイクは勿論のこと、乗用車での檀家への通行は欠かせないのが一般である。「日頃から乗っている関係から、自分でも免許がないと言う意識が薄かった」と言う供述であったようだ。「そうか、あの坊主野朗、よくチョイチョイ女たらしに街に出て来おったな。そうだったのか、免許証なぁ、ちっとも気がつかなかったなぁ。いつだったか、墓石の紹介を頼みに行ったことがあったが、あの坊主め、お布施の一つも出したことのねぇ石屋とは取引しねぇと吠えやがった。ざまぁ見ろーてんだ」と、例の墓石屋の村中大将。「こともあろうに、仏に仕える身のものがよ、社会の常識も身につけていねぇとは、仏の風上にも置けねぇ話しだろうて。坊主の世界も、箍(たが)がゆるんだなぁ。そうだ、この俺がその寺にお勤めしょうか?」。「坊主の認定があるのかい?」と、聞いてみた。「そんなもの、A善寺のお墨つけがありゃなれるさ。どうせ、生くさ坊主が多い世界だ。俺も、お経は詠めるからな」。「再就職か?」。「いや、あの寺の林にゃ、筍(たけのこ)が出るんだよな、いい商売になるんださ」。この男、何でも商売と繋ぎ合わせて考える隙のない人である。「坊主とて 法治の緩みは 許さない」。
2014.05.09
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ところで、どの程度の年になれば「あ~ぁ、俺も年を取ったなぁ」と感じるのだろうか?もっとも、人によって感じ方が違うとは思うがその感じ方が様々なだけに、面白い言葉となって表れるのだろう。近くの八百屋兼酒販売店でのことであったが、ここの親父は滅多に笑わないで冗談を言うお人である。近くの飲ん平たちが、仕事の帰り際にチョイっと一杯引っかくて雑談談義にふけていた。年中置きっぱなしにしているストーブを囲み、数人がどうでもいい今日の出来事や女話しに花を咲かせている。そんな時に、店の親父が商品棚の野菜の位置替えをしている時にオナラをした。「おい親父、ネギに染るじゃねぇかよ」と、水道工事屋の考ちゃん。「そんなこたぁねぇさ、ネギの臭いにゃかなわねぇさ」と、親父がうそぶく。「それにしてもよ、元気がねぇな。まるでよ、ため息でもしているような屁じゃねぇかよ」と、今度は電気工事屋の章ちゃん。「ハハハハ、ため息している屁か、こりゃいいや。年は取りたかぁねぇな、オナラで年も解かるか」と、大工の要ちゃん。この三人は、いずれも40過ぎの独身者である。「てやんでぇ、屁に元気がねぇよりも金玉に元気のねぇのがよ、オメェさんたちだろうて」。「おっ、飛ばっちりが来たぜ。休ましてあるんだよ、早めに老けねぇようにな」と、考ちゃん。「そう言えやぁよ、どんな時に年を取ったなぁと感じるだろうか、な?」。「そうよな、女のオッパイもそうだがよ、尻を眺めた時かなぁ」。「なんでぇよ、お尻なら色っぽさを感じるだろうて?」。「いやな、もう拝めねぇかとふと思う時もあるぜ。倅がさ、元気を無くしてよ」。「俺も一言、いいかぁ。あのさ、免許証の書き換えの時に俺はそう思ったよ。検眼の時よ、両方では何とか丸の欠片をさ、上だ横だ下だと読めたがさ、片目となったらちっとも当たらねぇんだよな。しかもよ、なんだあの昭和うん年生まれと言う表示さ、あれを見てグッと来ちゃったよ、年なんだなぁとさ、西暦でいいのによ」と、八百屋の親父。「だろうさ、親父73だろ? もう、そろそろ免許証お上(警察)に返上の年じゃねぇのか?」。「バカ言ってよ」と言いながら、女房が居ないかを確めるようにして辺りを見渡して一言。「所変れば品変わるでさ、相手によっちゃ~ぁさ、レジの金を掴んでよ、追っかけたくなることもあるぜ」。「なんだとーっ、そんないいババァがこの界隈にいるってかっ?」。「おいおい、そんな大きな声を出すんじゃねぇよ、奥からババァが出てくるぜ」。「それにしてもよ、今まで知っていたさ、歌手や俳優の名前を思い出さねぇ時があるがよ、あれも年こいた証拠かもな」。「もある、俺は若い女の娘(こ)の艶(つや)のある肌をマジマジと眺めたときかもな」。「なんたって、性欲が衰えたときだろうて、の?」。「あのよ、オシッコしてさ、一振りで済んだものがさ、3、4回も振らねぇと仕舞い込めなくなっちゃったよな、これも年かな」。「二日酔いのさ、臭いが消えねぇしシャキっと起きられなくなったな。それによ、炬燵に入りさ、畳にゴロ寝して顔に付いたさ、その皺の跡が中々消えねぇんだよな」。「そう言えやぁーよ、毎朝ウォーミングアップしねぇとさ、何となく体が動かねぇようなったな」。「先だってよ、床屋に行ったんだよな。その時にさ、鏡に映った顔を見てさ、あれっ、親父が居たと思ったよ。てめぇの面(つら)なのにさ、ガックリ来たよなぁ」。「ハハハハ、ちげぇねぇ、よくあるぜ、俺もそう思った時もあった。それよりもよ、生え際がさ、ドンドン後ろに行くのが辛いな」。「でもいいさ、考のようによ、赤ん坊のような毛のねぇ頭になりゃさ、もうこれ以上の悩みはねぇもんな」。「これは年じゃねぇんだよ、若禿(わかはげ)と言うんださ。動物学的に言うとよ、遺伝と言うことなんださ」。「鼻毛が長くなって来てか、おまけに眉毛(まゆげ)が伸びて来てさ、小便すりゃ出が悪くてよ、出し終わってもまだ出るような感じがしてよ、数秒間仕舞いかねて居る時もあるよな、やはり年かもな」。「それにしてもよ、昭和がドンドン遠のいて行くなぁ。一方通行違反でさ、切符を切られた時によ、生年月日はだってさ、お巡りがよ」。「大正じゃなくて、良かったな、おい?」。「そこまで年は取っちゃいねぇがさ、いずれ若い方がいいがさ、それはよ」。「高見盛も引退したな。相撲界なんか引退すりゃよ、若くとも年寄り襲名とならぁ~な。俺たち職人はさ、生涯現役よ。匠(たくみ)なんだぜ、な、師匠だぜ」。「落語や漫才屋みてぇにか?」。「弟子のいねぇ師匠か。師匠じゃなくよ、あれだろ、職人じゃねぇく作業員じゃろうが、の?」。「どうでもいいがさ、襲名すりゃもうあれだな、年取ったと言うことなんだな」。「それにしてもよ、一番年を取ったと思うのはここの親父だな。大体にしてよ、今どきによ、ダイヤルを指で回す電話を持っているのはこの店だけだぜ。だからこの親父がよ、電話を掛けるときゃ~よ、指をクルクル回すもんな」。「あたりめぇよ、人は年を取っても電話機は年を取らねぇさ。何がケータイだ、コードレスだ。要は、通じれゃいいんだよ」。「あ~ぁ、この寒さと雪でよ、財布も心も寂しゅうなるってぇのによ、女までが遠く感じるぜよ、まったく」。古くて新しい老い方の問題ではあるが、どことなく漫才風でしかもチョッピリ嘆きと憐れみのある会話だった。さて皆さん、あなたならどんな時に年を取ったと感じるでしょうか?「その仕種 いつしか年を 証明し」。
2014.04.22
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今年最後の、ガソリン入れにスタンドへ赴いた。時間的には、午後の一時過ぎだったが結構混雑していた。仕方がないから、順番を待って休憩室に入った。ホンワカする温かみのある室内が、冷えた体をそっと包んでくれた。いつも愛想の良い女の子が、「オイルも交換しますか?」と、オーム返しに返事が来た。「時間がかかるんじゃないの?待ってるみんなにさ、悪いじゃないかな?」。すると、ちらっと私を眺めてからゆっくりと私の傍に遣ってきて低い声で一言。「みんながみんな、お得意さんとは限らないわ。いつも行っているスタンドがね、混んでいた見たいね、年末だから」。「あ~ん、新客なわけ、マジッ?」。「タイヤ交換の所に入れて待ってて」と言う。「交換、終わっているよ、一週間も前にやったろうさ?」。「いいからいいから、そこで待ってて」。彼女がそう言うので、それに従ってタイヤ交換のゲートに入って待つことにした。「オーライオーライ」と言う、店員さんたちの声が飛び交う。ガソリン入れの車が、少々数珠つなぎの様相を呈して来た。「う~ん、こりゃ~長いこと待たされるな」と、覚悟し始めた。とその時、もう一人の男性スタンドマンが何やら灯油缶らしきものを携えゲートに入って来た。やがて、私の車のガソリンキャップの蓋を外し始めた。「おいおい、灯油を入れるってか~?ジーゼル車でねぇぜ、ガソリンだよ?」。「いいからいいから、間違いなくやりまっせに」と、一向に平気顔である。ストーブの燈油入れに使うノズルを缶に差し込み、しゃ~しゃ~とタンクに流し始めた。「こうもねぇ込みますがね、いつものお得意さんとは限らんのですワイナ。でね、一度この缶にガソリンを入れてね、目だたないこの場所でサービスするわけですよ。待たしちゃ申し訳ないんでね」と言う。なるほど、日常のお得意さんのためのサービスのようだ。結構気を使って戴き、改めてこのサービスに感謝した。今まで一度も経験したことのないことだが、そう言えば年末年始にはこうした混雑も予想されていたので、いつもの年は早めに満タンにしていたはずだった。もっとも、この年にもなると余程の要件でもなければ故郷へ帰郷すると言うことも無い。最近は、遠乗りなどもしていない。反対に、子供たちやお嫁さんたちの里帰りと言うことで我が家も賑やかになる。急に、保育所にとって変わってしまうのだ。スキーなどを楽しむために、やはりどうしても我が家への里帰りも多い。ではあるが、今年のこの12月29日現在では屋根にも道路にも雪は無い。天気予報は、寒気が横たわっているとは言えどもどうやら市内にあるスキー場には雪が溜まりそうもないようだ。スタンドの若いスタッフの女の子が、2、3日お休みを頂けるから市内のスキー場で練習をして見たいと言っていた。「八幡平か雫石でやったほうが、楽しいんじゃないかい?」。「でもね、あ~言う所はね、他町村や外部からの人で一杯だわ。まだ下手だからね、市内で手ごろだわ。コースだって、結構2キロもあるんだよ、おじさん」。「そうか、彼氏とスキーでランデブーかい、若いっていいなぁ」。「ま~ぁ、こんなスタンドに素敵な彼氏が居るわけないじゃん」と言って、肩をすくめていた。「スキー場でさ、見付けなよ」。「子どもと家族ずれのスキー場で?ハハハハ、スキーに来ているおじさんたちがビックリするじゃんか」と、彼女は笑いこけていた。てな訳で、どうやら今年も明るく見送って貰った気がした。来年こそは、良い彼氏に恵まれることを祈ってスタンドを後にした。「思いでも 抱負も包み 年も暮れ」。皆さん、良き年をお迎え下さい。
2013.12.30
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「記、ご注文の件について、ご連絡を申し上げます。当注文につきましては、弊社にて商品情報の扱いに手違いがあったため以下の通り、誤った販売価格でのご注文承りとなりました。この度は大変なご迷惑をおかけすることになり、深くお詫び申し上げます」。と言う通知やメールが来たならば、皆さんはどう致しますか?これは、実際のお話しである。どことは言わないが、メールで買い物が出来るメデァであることには違いない。しかも、その契約した代金の差額は500円前後だった。その代金は前払いであり、既に注文の荷物が到着してからのこの文書である。みなさんなら、素直にこれに従いますか?注文を受け、伝票を整理し支払を要求しその代金の確認をし、その上で発送し買主に到着後に実は値段が違いその差額を払ってくれと言うことのようであるが、これは考えようによっては「振り込め詐欺」のように思われても仕方が無いのではないだろうか?いや、あるいは新たな手の込んだ余分な額の取り込み詐欺なのではと、疑いたくなるようなミスに格好つけた商法のような気がした。しかも、現金で振り込むかあるいはポイントから差し引くと言う物である。これが、今始まったことなのかあるいは前々から行われていた物で、その成功率からの詐欺まがいの商売だったのかどうかは分からない。善意に解釈するならば、あるいは価格の改定をするのを忘れて旧価格にて販売してしまった。そこで、このような手段を選ばずにおられなかったと言うことなのだろうか?確かに「限定品」などであれば、止むを得ず不愉快であっても送金若しくは何らかの同意をせざるを得ないこともあろう。時には、カード会社と提携しているユーザーだっていることだろう。そこから、勝手に引き落とされていたなどと言うこともあり得る訳だ。また、気の弱い人ならばなおさらのことであろうし、「シメシメ、上手く行った」と言う裏で微笑む図太さがチラホラ見えるような気がして仕方が無い。一件二件ならず、相当な数の請求ともなればただ事ではない金額が転げ込んで来ることにもなろう。やり方によっては、最初から安い値段を設定して置いて注文が確定してから実は価格が間違っておりましたと言う、どうも「差額詐欺商法」のような気がしてシックリしない。こんなことが罷り通るとなると、安心して「ネット買い」が出来ない気がした。そんなことよりも、たかが「500円前後」のお金でこうしたことをバラ撒いて、それこそ会社の信用に関らないとでも言うのだろうか?間違ったや手違いは、売主側の責任であるのに追加料金とはどうも解せない。ここまでにしても、ネット通販の信頼度を妨げてよい物なのだろうか?聞く由によると、そのお知らせタイトルに本名が書かれたあったと聞くが、こうしたことでヒョッとして個人情報が漏らされているのではと、ビックリすることだってあるだろう。いずれにせよ請求が来れば、大半はやはり振り込むかあるいは引落しにあうのも仕方ないと思う人が多かろうと思う。だが、その価格そのものが本当に誤った値段だったのかはユーザー側としては調べようも無かろう。仮に事実であったとしても、上場している会社のやることではあるまい。勘ぐれば、「いいか、手数料含めて500円前後で押さえておくんだぞ。それ以上となるとさ、世間が騒ぐからな」などと、そんな裏があるような気がしてならない。少額だけに訴えどころの無い範囲の詐欺行為、せいぜい消費者センター程度への相談ぐらいなもので、注意を受けて「はい、それまーでーよー」と言うことになってしまいそうである。こんなことが、罷り通っていたんでは「ネット通販は恐い」となり、他の業者などにも影響が必至であろう。自社のミスとして、未だ学生気分が抜け切れない若い社員が多いのでと覚悟して、お知らせ程度にして不問に帰すかべきが商法の基本のような気がした。買う方は、安いから買うのでありミスを支払うために買う訳ではあるまい。「釣銭の 詐欺より恐い 差額盗り」。 ・・
2013.12.14
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コンビニを経営しているわが友人が、奇妙なことを言い出した。 と思ったが、これは決して奇妙なことでないお話しなのだった。 「おにぎりはさ、関東と関西では大体にして呼び名からして違うんもんな」。 「あん、呼び名から違う?」と、つい引っ掛った。 「関東はさ、おにぎりで関西はおむすびだもんな」と言う。 「なるほど、そう言えやぁそのようだな」。 「それによ、形も違うし巻物も違うんだよな。 要するに、三角で海苔巻きは関東風で丸くてと言うか俵形で海苔の下にゴマをまぶすのが、関西風と言うことになるんだな」。 「で、わが地方はどっちなんだよ?」。 「まぁ、あれだな、どちらかと言えやぁ関東風と言うところかな。 もっともよ、俵風もあるしボール型や太鼓型だってあるわさ。 その地方によっちゃぁさ、こうした形の物もあるさな」。 「じゃー寿司はどうなんだ?」。 「そう来たか、関東は四角型で関西はどっちかと言えば三角かな。 もっともよ、最近じゃあれだな、長いカマボコを三つくらいに切ったような奴もあるがな。 なんたって、おにぎりは主力商品だな、弁当と」。 「そうなんだ、あれだろうよ、インスタントラーメンだって結構売れるんじゃねぇのかい?」。 「おー、いいところに気がついたな。 このラーメンだがな、やはり関東と関西じゃタレが違うんだぞ」。 「なにーっ、そんなことがあるんだ?」。 「例えばさ、日清のどん兵衛なんかさ、コクの表示をしているんだぜ。 東日本はさ、かつおと昆布のまろやかさと濃い口醤油でコクのあるツユだ。 西日本はさ、どちらかと言えば薄口醤油味で風味を柔らかい旨みツユというようにな。 この違いはさ、関東はかつお節から関西は昆布からダシをとると言う違いだな。 もっともよ、勝男武士と言うことから関東では鰹を使ったと言う説もあるがな」。 「なーるほど、勝つ男の武士か。これが、江戸風な訳だ?」。 「それもあるがさ、本来はさ、昆布の産地は北海道なんだがさ、元々は東海岸を通らずに日本海を胃袋都市の大阪に運ばれたんだな。 よく言うじゃねぇか、大阪は天下の台所ってさ。 そんな訳で大阪はさ、昆布の加工都市として発達した訳さ。 塩こんぶのお茶漬けとかさ、とろろ昆布のみそ汁なんてぃのが食卓をポピュラーにしたと言うわけさ」。 「ほほー、中々に勉強したな。 ただ売るんじゃなくあれか、能書きまで売る気かい?」。 「バカ言うな、地域的感知もメーカーは努力しているんだと言うことを言いたかっただけよ」。 「じゃーさ、北陸なんかどうなんだ?」。 「そうか、そう来たか。 このどん兵衛の場合はさ、鈴鹿山脈や関ヶ原辺りから富山辺りまでに味の変化があるらしいな。 ちょっとした地域でもよ、コク味が違うらしくてっな、あとはその家のお好みしだいと言うことのようだな。 ついでだがさ、エースコックの力うどんとかさ、マルちゃんの赤いきつねなども関東関西で違うんだぜ。 あのよ、念のためにな、パッケージのよ、横の方にさエースコックはO,TとかやマルちゃんはE,Wとかとさ、表示されているんだよな。 今度、ゆっくり眺めてみな、な? 味を変えて見てぇときはよ、生卵とネギを大目に入れて見な。 ガラリと味が変わるぜ、な?」。 「そばとうどんの違いもあるのかな?」。 「そうよ、関東はソバで関西と四国はうどんよ。 元々はよ、気候風土の関係でな、北陸や東日本はさ、寒冷地帯で主に育ち易いソバを栽培したわけだ。 従って、自然と地域的な好みになってしまったんだよな。 きつねうどんとかはさ、要するに油揚げの入ったものだがソバを含めて関東風でよ、天かすの入ったものが狸ソバあるいは狸うどんとか言うが、これは関西風とかと呼んでいるな。 もっともよ、関西じゃーさ、天かす何てぇもんはタダのようだな。 そんな訳でさ、はっきりとした天かすの入ったメニューは無いと聞いたな。 関東から信州、あるいは寒冷地の東北で言う呼び名のようだな」。 「なんと、東日本の方だけでの化かし合いかよ」。 「ハハハハ、うめぇこと言うな、確かに味の化かし合いだな」と、彼は声高に笑っていた。 日頃、何も気をつけないで文句無く買っている物だが、こうした能書きの隠し味のあることを教えられたようなものだった。 さすがに、店長としても合格である。 が、その製造元が今問題になった一時期があった。 赤福やお福餅とか、先には白い恋人やミートから比内鳥の果てまで、最後にはJRまでこれに参加したみたいであった。 今でさえも、まだまだ数え切れないほどの期限表示違反や偽装表示それに産地偽装などで騒がられている。 がしかし、これで誰もが腹痛や下痢症状を訴えた人はいないからこれもまた不思議なことだ。 マスコミの、過剰な報道合戦のような気もしないでもないが、一応飲食業界に警鐘を鳴らす意味での報道かも知れない。 企業破壊とは言わないが、業界の相当数の社員の運命も存在することに留意したいものである。 「そこを行く人は、偽物を作っている会社の人だよ」と後ろ指を指されないようにしてあげて欲しいものだ。 また、節度ある報道をも期待してやまない。 もっとも、企業側の倫理の確立に急務を要することではあるが。 一億総国民が、「味の総痴呆症」にさせられる思いもする。 「右ならい させる報道に 踊らされ」でもあるまいが、食の安全は勿論なことだが偽装の無い業界であって欲しいものである。
2013.12.05
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誰が考案したものか分からないが、世にも不思議な楽器があった。それは、何年か前に三味線ならぬ「スコップ三味線」なる物が大賑わいを演じたことがある。その名の通り、あの土を掘るスコップのことである。特に有名なのは、青森県の五所川原であったはずだ。もっとも、津軽は民謡の宝庫でもある。「津軽アイヤ節」、「津軽ジョンガラ節」、「津軽山唄」など、どれをとっても激しい情愛と侘びの利いた津軽独特の曲である。この五所川原ではもう20年も前から、グループを組んで勇ましく演奏しているなそうである。確かに、形は三味線によく似てはいるがどんな音がするのだろうかと、その当時の忘年会にわが友人が二本ほど持ってきてそのバチさばきを行った。叩いているには申し分ないが、擦ったり引いたりすると余り耳触りはよくなかった。キーと言う音が、まことに耳障りである。バチは、スプーンだったり栓抜きだったり時にはビールのアルミ缶を足で踏んずけて薄くして叩いた人も居た。一種の余興的なものだが、カラオケで民謡などに合わせて叩くと結構オツな 演奏大会のようになったものだった。民謡ならず、さぶちゃんの演歌となると程々に合ってくれて益々場が盛り上がった。実はこの大将は、我が界隈では民謡の上手い人でよく方々から呼ばれて歩くお人である。その彼が、今月の中頃に数人を従いこの「スコップ民謡大会」に参加してきたと言うことだった。大変な盛り上がりで、今ではその地域の名物なそうで今後も多いに活動して、この年末に全国に発信しょうと意気込んでいた。この演奏に合わせて、歌は勿論のこと踊りも合うとのことのようである。息抜きどころか、もう本格的な演奏大会になっていて一種のお家芸的な面を取り越して、立派な芸術として根を下ろして行くだろうと言っていた。あるスナックでのことだった。スコップが無いと言うことで、この大将は今度は家庭内で使う箒を貸せと言い出した。さすがにこれは、音が出ない。だが口で伴奏を取り、器用にその箒を三味線になぞらえていた。「おい、ママさんよ、なんか音の出るもんがないか?」。「あんたの頭で音を出しなよ」と、笑いながらママさんが言う。「頭かぁ、そりゃねぇだろうて。頭は叩くもんじゃねぇさ、使う物なんださ」。「おう、そう言えやぁあれだな、今年もあと少しだな。今年最後になる使い方もあったな」と、お隣さん。「なにーっ、今年最後になる使い物だ~ぁ?おい、まさか、腰から下の話じゃねぇだろうな?」。「だったら、どないした?かかぁだけが女じゃねぇさ、なー、ママよ?」。「なに言ってんのよ、それこそ奥さんにフライパンでお尻叩かれるわよ」。「おー、そうだ、それだそれっ。そのフライパンが面白い、それ、貸してや?」。「なんと、フライパン三味線か?」。「音の出る物なら、なんだって構わないさ」。「なんと、フライパンでチャンチキおけさか。こいつぁー、おもしれぇかもな。ママ、あるんなら貸してや」と、座が盛り上がった。出されたフライパンの柄の穴に、ビニールの紐を付けて首に掛ける。腹まで下がったフライパンを、栓抜きで叩き始めた。しかも、鉢巻をしてその上で今度は上半身の上着を脱いだ。これを期に、そこにあったあらゆる物が鳴り響いた。箸で茶碗を叩く者、机を割り箸で軽く叩いて音頭を取る者、お盆を叩く者と思い気や今度は具が半分以下になったことをいいことに土鍋のふちまで叩き始めた。まさに、大合唱と言ったところである。そんな訳で、不景気や格差などはどこ吹く風である。結局は、お相伴(しょうばん)してタクシーに乗って午前様になった。翌朝10時過ぎても、鈍痛がしてフトンから出られなかった。「お父さん、起きて、章ちゃんからお電話よ」と、女房。「勘弁してくれと、言ってくれや」。「一晩で、そんなに飲まなくともいいじゃないのよ。これから、毎晩のように続くんでしょ。 年末の稽古にしちゃ~まだ早いでしょうよ」と、やや不機嫌のようである。「フライパン お盆が祟って 二日酔い」、やはり程々が宜しいようで。
2013.11.30
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1、タラバガニはカニではなく、ヤドカリの仲間だった。2、静岡県には「地名」という地名がある。「地名」の読み方は「じな」。3、「蚊」という漢字は、蚊がブ~ンと飛ぶことから、虫偏に「文」がつけられたという。4、岐阜県の「阜」の字の部首名は「ぎふのふ」。5、ドイツ語ではぎっくり腰のことを「魔女の一撃」という。6、イチローは長男ではなく、次男だった。7、「安全第一」の続きは、「品質第二、生産第三」だった。8、「エロマンガ島」という島が南太平洋にある。ちなみに意味は現地語で「これは人間です」なそうだ。9、カマキリのメスは交尾中に、相手のオスを食べてしまう。 財産を狙う、アバズレ女みたいな気がする。10、考える時に、視線が左を向いていたら「直感的右脳人間」で、右を向いていたら「理論 的左脳人間」であると言う。 まぁ、どっちでもいいことだが。11、昭和基地へは50円ではがきを送れる(国内扱いのためであるから)。12、馬は道路交通法では、軽車両に分類される。 と言うことは、四足動物はみんなそうなのだろうか、猫も犬も?13、夜逃げは、夜ではなく昼間に行われる。しかも、8割も・・・・。14、「新幹線」という地名がある。 丹那トンネルの三島側の出口で、正確な住所は静岡県田方郡函南町新幹線となってい る。15、最初のコンビには、1974年5月に東京都江東区の豊洲に開店した『セブンイレブ ン』であると言う。16、カンガルーはバック出来ない。17、「敵に後ろを見せる事など有り得ない」という心意気を表すために、オーストラリア海軍はカンガルーをシンボルマークに採用している。18、フニーターとは、最低限の労働しかしないフリーターのことで、ニートとフリーターの中間的存在である。19、カレセン(枯れ専)とは、50代以上の男性を専門に好む30代以下の若い女性のことなそうだ。 背中に哀愁を漂わせ、さりげない知識や経験を持つ枯れた男(おじさん)。 「癒し」てくれるから愛されると言う。 「彼専用」を略してカレセン(私は彼だけのもの)と言っている場合があるので注意が必 要とのこと。20、肉食女子とは、恋やセックスを求め積極的に行動する女性のこと 草食男子の対語で、恋やセックスを手中に収めるため、自ら積極的に行動する女性を意 味する。21、昭和33年3月3日、東京タワーが開業している。 東京タワーの高さは333mだから、開業の日まで「3」にこだわったものと考えられる。22、家電を売る電気店や、放送局は受信料を払っていない。 その理由は、放送の受信を目的とした受信設備でないためである(放送法32条)。23、遭難事故の捜索隊や、ボランティアは無料ではない。 仮に遭難し、携帯で連絡が付いたとしても救助のために現場へ赴く隊員費用は一人当 たり、夏場で3万円で冬場は5万円もかかる。 その外に、救助隊員の保険料あるいは装備品の費用などがかかる。 増してや、ヘリコプターなど呼べば半端な費用では済まない。 万が一に備え、山岳保険やハイキング保険に加入しておくことが肝要。24、コカ・コーラが最初に発売された時のネーミングは、「脳を刺激する知的飲料水」だっ たと言う。25、月と地球は、年に3センチずつ離れている。 26、日本とハワイは、年に5センチずつ近づいている。27、右半分の顔は「なりたい自分」、左半分は「当の人柄」である。 右半分は願望の顔であるから、デートには出来るだけ右半分を見せよ。 左半分は、「不吉」あるいは「邪悪」な顔とも言われているため、難航する交渉ごとや談 判に向く顔であるため使い分けが必要である。 本日は、これまでであるがタメになったであろうか?
2013.11.19
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またまた例の、「もしもしの爺さん」のお話しである。何かを話し出すときに、必ず「あの~ね、もしもし」と話すことへの許可を貰うようにこの言葉が出て来る。これは、昭和の30年代の初めの頃のことだと言う。中学時代に、あるちょっと変な女の児が同級生の中にいたそうである。何でも、背も男勝(まさ)りに高くしかもどこと無く肩幅もガッシリとした雰囲気で、何となく男っぽい感じのする女学生だったと記憶しているそうだ。中学の運動会などでは、女性ではこの女の子には勝つ選手はいなく、遂には東北大会にも出場するという、村始まって以来の大戦果を遂げた女の子だったそうだ。どういう訳か、彼女の場合は保健室が変わっていたと言う。確かに、男子用と女子用との二つになってはいたが、そのどちらにも組しない保健室があったような気がするそうだ。「それがの、何を意味するのかの、その当時はまだ幼かったこともありの、あまり深く考えなかったんじゃ。卒業してズーッと後になっての、そうらしいと言うことを風の便りで知ったんじゃ」。「何をかね?」と、元デカ(刑事)のチョビ髭さんが怪訝な目をして尋ねる。「何をってな、つまり誰の子かと言う事との、性別がどっちかと言うことさ」。「なにーっ、誰の子に金玉か割れ目かだと~?」と、チョビさんが目ん玉を丸くした。「そうなんじゃよ、その前にの、問題があったんじゃよ。夜這い相手が誰かと言うな、それが後で知ってビックリこえたワイナ。誰だと思う?」と、もしもしの爺さんが興味をそそるような風に言う。「誰ってそりゃ、家族以外の男だろうさ、なぁ浅やん?」と、チョビさん。「まぁ大抵はね」と、浅倉さんが何の疑問も無いように応じた。「と思うだろ、あんた方は?」と、どうももう一捻りあるような話し振りである。「なんだと、おいおい、まさかがあるんじゃねぇだろうな、爺さん?」と、チョビさんがいぶかるように言う。「夜這いと言うのは、普通は他人様の家に忍び込んでこそ夜這いだ。ところがの、この子の家庭ではの、早くに旦那の奥さんがの、死んでいないんじゃワ。そんなもんでな、未だ44,5のこの親父がの、年端もない16,7の娘を手なずけたんじゃよ」。「いいじゃねぇの、若いほどさ」と、チョビさん。「まぁな、その若いのもいいがさ、もし仮によ自分の娘だったならどう思う?」。「な、なんじゃと、そ、そんなバカなことがあってたまるかってんだー!」と、チョビさんが後ろにひっくり返りそうになった。「マジかよ!」と、浅やんも呆れた顔で言う。「マジもクソもあるかいな、事実は世の中に一つしかねぇさ。時たまの、親娘二人だけの家族じゃった。しょうがねぇから、近くにあったから使ったまでのことよ。まぁ、親子丼(どんぶり)と言うのかな」。「う~ん」とこの二人が、顔を見合わせながら言いようのない様子で天を仰ぐ仕種をした。「まぁな、自分で蒔いて自分で刈り取ると言う自然の生活よの、な?」。「なんじゃとー、米や野菜じゃあるめぇし、いくらなんでも体だぜ、なぁ、おい?」と、チョビさんが誰に質問するようでもなく吐露気味に言う。「それで、頭の方はイカレて生まれなかったのかな、その子?」。「それがな、とんでもなく優秀な子だったんじゃよ。よく言うじゃねぇか、こう言う場合は相当バカな子か優秀な子かに別れるってな、それが近親セックスの結果だとな」。「それでさ、無事に卒業はしたんだ?」と、私。「それなんだがな、そりゃーなんたって成績はいいやら運動神経も優秀なもんだからな、特等生として高校へ受験無しで中学では推薦したわな。ところがよ、これを断って都会に出て行ってしまった訳よ。それがの、今度の第5回目の同級会のときによ、47、8年ぶりに現れたのよ」。「じゃーなんであれ、懐かしかっただろうねぇ、さすがに?」と、浅やん。「それなんじゃよ、見たことも会ったこともねぇ人間が我々の席にいたんだぜ何となくあるいはなぁとよ、思い浮かべてみたんじゃがどうも思いだせないんじゃよ。それでいてよ、頭の隅のどっかに引っ掛かるんじゃよ。それでの、幹事に聞いて見たんじゃ、ビックリこいたぜ、なんと誰だと思う?」。「そりゃー当然、その優秀児だろうがさ、な?」と、チョビさん。 「男だぜ、おとこ、な?」と、爺さん。「なにっ、おとこ?・・・・・・、女だろうが?」と、私。「なんとよ、女が男に化けて来たんだよ、それが?今で言うところのさ、オカマいや、性同一性障害とか言う奴かな、それだったんじゃよ、まったくビックリしたなぁー、これには」。一同も、一瞬言葉を失った。恰幅のいい体に眼鏡を掛け、光沢のある顔に年齢以上に若い姿であったという。今度この席に参上したのは、本来祖父に当たる筈だった父親と母の墓を作るために故郷に錦を飾ったのである。寺に安置して放って置いた遺骨を、新しい墓所を買い取りもう墓石まで建てたと言うことだった。今までに小さい会社であつたが、それを経営しながら三人の子供をも世に送り出したと言う。ヒマ人になり、そこで何としても世にハミ出した両親をもう一度いたわり、その苦労に感謝したく敢えて恥を晒しながらこの懐かしい席に、恥を忍んで出席させて頂いたと言うご立派な理念であった。「これにはよ、さすがに過去を言う奴はいなかったな。反対に、見直さんにゃならんことになった訳よ。長いこと人間をしているとよ、どんな結果をもたらしているかは解らんもんじゃよ、のう」と、爺さんが回顧しながら盃を舐めた。どうなることやらと、話しの行く末に興味とその風聞の面白さを期待していたが、この結果を聞いて我々も感動させられたお話しであった。「逃げた里 月日が迎えた 錦旗」。 ()
2013.11.14
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先だっては、晴天が二、三日続いた。結構な、秋晴れである。紅葉ももう終わりなのかと思うほどに、肝心なモミジや楓(かえで)でそして漆などの比較的に紅色の樹木の葉っぱが落ちてしまった。まだ、黄色や褐色である樹木の葉っぱは残っているようだが、紅葉狩りの王様である紅い葉っぱの無い風景は、何となく寂れたようでいかにも辺鄙(へんぴ)さを漂わせている山々に見えた。天気も良いし、家らく中のお片づけがあるから散歩して来いと女房に命令され、「じゃー、そうするか」とハンドルを握った。わが地方では、ある程度名のある行楽地へと40分も走ってその名所地に着く。「名所、○○手打ちそば」と言う幟旗(のぼりはた)が、風にはためえて何本も揺れていた。せんだっての、あるコンビニを経営している友人の話しを思い出した。「痩せ地だから、ソバしか育たないのさ」と言う、あの稗や粟だけの貧しい地帯の産物の話しが現実化されてそこにはあった。「そんなソバよりは、要はタレが物を言うのさ。ソバなんてさ、たかが雑穀だもんな」と言う、彼の蔑視したような言葉がこの山間(やまあい)の里を駆け巡った気がした。その帰りに、妙な人の姿を発見した。何となく、どこかでお見受けしたような気がしたので速度を弱めて眺めて見た。「なんと?」と、一瞬ビックリして停車した。「なんだ、村さんじゃねぇか?」。「おーぉ、園長か、うちの寺に何か用か?」と、言う。「そうじゃねぇよ、まさかあんたとはな。ついに、坊主になったか?」。「へへへへ、至って似合うだろ、な、この格好?」と、墓石屋の村中大将。「なるほど、坊主に衣装か。で、ホントにお勤めかい?」。「それを言うならよ、馬子にも衣装だろうがさ。まぁさ、こうも葉っぱだらけじゃーな、参拝客に悪いから掃除してくれと頼まれたんださ」。「なーるほど、欅(けやき)に銀杏(いちょう)じゃなぁ、それにご丁寧に桜の葉っぱと来たか。掃いても掃いても、落ちてくるもんな。それにしても、よく似合うぜその鉢巻き。このままさ、お勤めもいいかもな、売れない墓石を相手にするよりは、の?」。「てやんでぇ、ほかに目的があってやっているんだよ」。「なにーっ、なんだ、その目的って?」。「あのよ、この境内にはさ、余っているような建物が本堂を真ん中によ、あと二つあるんだよな」。「それが、どうした。まさか、住み着くわけじゃねぇだろうな?」。「うーん、まぁな、その時の場合にもよるがな」。「で、なんだその目的って言うのは?」。「お、お、それよ。あのよ、810と言うのをやるんだがさ。もっともよ、その上の820もやるがさ」。「なんだ、110番とか104じゃねぇのか?」。「バカ言え、警察や番号案内じゃねぇよ」。「なんだい、その810と言うのは?」。「へへへへ、分からんか、お寺や神社仏閣に適している奴なんだぜ?」。「あーん、神社仏閣だとー?」。「そろそろ年末も来るしさ、それに正月も足早にやって来るわさ。そこでよ、御祓(おはら)えとかよ御神籤(おみくじ)の準備をせんにゃなるまいて。だからってさ、普通にやったんじゃ詰まらんて。いろいろ考えたらさ、いいことを思いついたんだよな」。「それが、810か?」。「そうよ、810即ち<入いれ>とも読むだろ?合格祈願とかさ、入社合格とかな、あるいは公務員試験合格とかよ、いろいろあらぁーな」。「じゃーあれか、820はハズレか?」。「ピンポン、へへへへ、分かっているじゃねぇかよ」。「なにーっ、ハズレじゃ、誰も拝みに来やしねぇじゃねぇかよ」。「と、思うだろ、ところが違うんだよな。例えばさ、危害や厄害とかさ、危険とか病気とかな、そんなものからハズレると言う寸法さ」。「ハハーン、まるで鋸(のこぎり)の両刃見てぇだな。押してダメなら引いて見ろで、坊主丸儲けを考えたな。それであれか、その二棟の余っている神社を分けて使おうと言うわけか?」。「へへへへ、そう言うわけよ。和尚も、こりゃー面白ぇと喜んでいるぜ」。「なーるほどな、不景気なほど神頼みが流行ると言うからな。しかしそれにしても、あんたは偉い!こんなアイデァ家なのにさ、なんで出世しねぇんだ?」。「バカ言え、ただ単に懐(ふところ)肥やしたってよ、あの世にゃ何にも持って行けねぇさ。だからよ、他人(ひと)のため世のため社会のために生きるのさ」。「ほほー、こりゃー気高いお心持ちでお偉いさんだな。それにしてもよ、どっちにしてもお布施が入るとは考えたな?」。「お頭(つむ)とお金とよ、何だかは一生使うもんだと言うじゃねぇかよ」。「そりゃそうだ。で、その一方の何だかと言うおチンチンは使っているかい、どうなんだ?」。「てやんでぇ、御仏に仕えるもんが、そんな不浄なことをやれるかえってんだ。おっ、こうしておられねぇ。その二棟のお休み寺のよ、掃除をやらなきゃならねぇ。またさ、墓石センターのある山で会おうぜ」と言って、彼は境内の奥へと急ぎ足だった。「おい、再挑戦、成功祈るぜー!」。それにしても、よくもまぁこのようなアイデァが出るものである。可笑しくもあったが、妙に感心させられた散歩の日だった。余り長続きはしない方だが、年末年始の行列が目に浮かんだ。「仏像も 笑顔になるや アイデァマン」。 白い着物の上に、黒の纏(まとい)を着た坊さんらしい人が街道筋の庭を掃いていた。
2013.11.10
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今では、どの新聞にも大抵は「投書欄」というのがある。では、この投書はすべて誰が書いても採用されるのかと言う問題がある。ところが、これは違うとの事である。その新聞社の特徴いや、主張の趣旨があって「超重要項目」が存在する。「文章力」は勿論、「主題」や「論旨」などがそれである。いくら文章が卓越していても、その新聞社が主張する「論旨」でなければ採用されないと言う、「裏事情」があるなそうである。あるわが友人が、ある新聞社の特定の「読者欄」に掲載する「お得意さん」であった。彼は、色々なこうした新聞社にペンネームを替えながら投稿をし続けていた。ところが、最近になってからはどうもその「ネタ」も少なくなってきた。一度どこかのマスコミや、週刊誌などに投稿した記事を載せるわけにも行かなかった。最近にではニュースなどは、パソコンなどでいち早く公開されて24時間タイムという時代に突入した。夕刊にやっと間に合い、今度は朝刊にと追い込まれる激しい報道合戦に明け暮れなければならない。だが、投書やコラムなどは比較的予定の組める範囲にあった。そうした中、「コラム」や「投書欄」などに常連客のように投稿してきた彼は、一度二度ならずその「起稿」を怠ってしまったらしい。とは言え、時にはその「投稿採用」する新聞社から、反対に「原稿ネタ」を提示され、それに従って起稿することもしばしばであったらしい。もっとも、その「社の精神」に基づき「反対」とか「賛成」とかがあるそうで、それに従った線で書き下ろした形をとることが一般的だと言う。例えば、「自衛隊海外派遣」や「教育基本法」とかあるいは「消費税の増税」とかのテーマがあったとする。こうしたテーマには、やはり「賛成、反対」の両派があることも事実である。こうした基本理念に従い、「寄稿」または「起稿」された作品が選ばれるのは当然のようである。こうした色分けされた投書やコラムが、いかにも読者もそう思っているのだからと言う理由で、一般社会の読者もそうであるが如きに編集されるのが一般であるということであった。さて彼は、私ともかなり古い友人ではある。今彼は、俗に言うところの「半身不随者」である。もっとも、古い言葉で言うならば「かたわ(片輪)」ということであるが、これは「放送語やニュース」などでは「禁止語」になっている。今から13年ぐらい前に、彼は地方紙の新聞記者だった。深夜の2時ごろ、ある距離のある地方都市に取材に行った帰り道に、工事中だった道路の4メーターもある深い穴に車ごと突っ込みこうした体になってしまった。誰かが、工事中という看板を路肩下に投げ飛ばしそれが原因でその標識を見失いっての事故だったと言う。長い3年以上の療養治療期間が過ぎ、やがて更にこれもいつまでと言う期間の無いリハビリ生活に入った。当然ながら、その新聞社を依願退職という形で離れなければならなかった。まったく収入の道を絶たれた彼は、やがて不自由な足を従い過っての社にお願いに赴いた。それは、社員ではなく飽くまでも「投稿料」を目的とした原稿起こしのことだった。何度もお願いし、やがて同意を受けたのは「社が主張する範囲の投書」であった。彼は、勇んで喜び書き続けた。やがては、「コラム欄」に出筆依頼も舞い込んできた。それは、天にも昇る心地だった。だがある時に、どうしても譲れない投稿文を発見しこれに反対する記事を書いて応稿した。一度だけなら良かったが、これが泥沼的な文壇口論になり始末が付かなくなってしまった。その結果、暗に彼は応稿をしないよう釘を刺されかくして、外のコラムへも影響する結果となった。どちらかと言えば、彼の反論の方が的を得ていたのである。だが、社の精神とは反対の論者に回ってしまったことだった。そこで彼は、「では、社が勝手に原稿を荒書きして、自分に流して清書させ掲載した記事を、公表しても良いか」と開き直った。いわゆる、「ヤラセ」の告発である。驚いた編集部は、社に持ち帰り編集部全体で論議された。そこで出てきた結論は、月4回のところのコラムや投書及びエッセイ部分を半分にするという返事だった。あとの半分については、彼が推薦する「起稿者を選び、その原稿を持参して来い!」と言う回答だった。そこで彼は、久しぶりに我家を訪れたと言うわけである。もっとも、私のブログのことは十分知ってのことだった。「どうにか、協力しろ」との事であるが、私は気の利いた文筆家ではない。ところで、過っては「あるある何とか大辞典」ではないが、「ヤラセ番組」で大いに騒がれていた時代もあった。新聞社が裏原稿を提示して、それが全くの第三者なる投稿者を装って掲載すること事態が「ヤラセ」であり、言語道断とも言うべき行為ではないだろうか?こんなところにも、「ヤラセ」なるものが存在するとはと呆れてしまった。過って、内閣府との共催だったシンポジームで、出席者が足りないことを理由に謝礼金を出して何とか辻褄合わせをした新聞社があった。しかも、後でこっそり出席(参加)料を払っていたと言うことらしい。政府関係のフォーラムなどのヤラセを批判しながら、一方では自ら公平と真実の報道を掲げながらそれを脱線し、それで報道機関と言えるのだろうか?政府や官庁を批判しながら、新聞社が派遣員やバイトを募ってこうした類の集まりに裏から金を払っていたと言うニュースもあった。それが、どの新聞にもその事実が報じてられていなかったが、黙り通せなくなり遂には謝罪文を掲載するハメになったと言うお粗末な顛末(てんまつ)もあった。言わば、身内の不祥事みたいな関係からか、それとも世論が燃えたぎらない前のあわただしい処置とも思える失態だったのだ。なんら、「ヤラセ」と変わりはないことではないか?これとは関係は無いが、ヒョンなことから彼から知った新聞社の裏側であるが、こうした事実がしばしばあるとすればむしろ彼に協力してそれを暴いてやりたい気持ちにもさせられた。いったい、報道の真実性はどうなっているのだろうか色眼鏡で紙面を見ねばならない。報道が、真実を曲げる場合もある気がした。視聴者にとっては、「週刊誌まがいの報道合戦」では困るのだが。「バレたなら 謝罪文載せて 舌を出し」。そんな、軽い購読者にさせられたくないものである。
2013.11.06
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これは、一年ほど前のことである。仲間と温泉で落ちあって、座興がてらにお色気話しで酒を酌み交わした時の話しである。その時に、一風呂浴びて例の如く座敷テーブルに陣取った。お色気名人の「ホンダホンダの爺さん」に、さっそく土建屋の「ドラ太さん」が話し始めのだ。「いやぁ、初めてだったなぁ、あ~言う女はさ~」と、ドラ太さん。「あ~言う女だぁ、そうかい、あんまり狭くて一物(いちもつ)が入らなかったとでも言うのかい?」と、ホンダの爺さん。「いや、そうじゃねぇんだ、スッポンポンなんだよ」。「なにっ、スッポンポン?それを言うなら、パイパンだろうがさ?」。「なんと、パイパンか、まさか肝心な所の毛が全部禿げ上がった女じゃねぇだろうな?」と、元デカのチョビ髭さん。「いや、あそこの部分の毛は禿げることはねぇがあれだな、ストレスとかで抜けることはあるがな」と、ホンダの爺さん。「で幾つくらいの女(ひと)よ、まさかばぁさんじゃねぇだろうな?」と、私。「いやーな、幾らなんでもババァにありつくほどに落ちてはいねぇさ。聞いてみたところ、33とか言うておったなぁ。なんでもな、これまでによ、5、6回しか経験していなかったとか、言うておったなぁ」。「なーるほど、数が少ねぇと言うことはあれだな、へその下の毛が少のうて恥ずかしかったと言うことかいな。頷ずけられるな、少女見たいじゃの~」と、ホンダの爺さん。「それでよ、そのアンダーヘァだがな、どんなスタイルがあるんだ?」と、今度はチョビ髭さんがヒョンなことを言い出した。「あーん、スタイルだー? 要するに、生え方と言うことかいな。そりゃー、三つくらいあるなそうじゃな」。「さすが、お色気話し専門の、ホンダホンダの爺さんやな」と、私。「まぁ、クッキリ別れていると言う程でもないがの、例えばハマグリの上の方に紡錘形または楕円形に生える女(ひと)、ちょっと角ばって見える長方形の生え方とかさ、逆三角形の状態の時などがあるそうじゃ」。「じゃーあれかな、その形状で塩梅(あんばい)も違うのかな?」と、チョビ髭さん。「多少あるともさ。逆三角形は芸が淡白だと言うからな。長方形は、品物に大した変わりがねぇが、その代わり焼餅らしぃな。で楕円は、やはりコッテリ形で温厚なタイプが多いと言われているな」。「じゃ、楕円は名器で奥ゆかしいんだ?」と、ドラ太さん。「と聞くとさ、こりゃーあれだな、さっそくかかぁのを調べて見んにゃならんな、これは。どうも淡白でいかんワイな」と、再びドラ太さん。「それでかぁ、チョコチョコ相手を代えているのは」と、チョビさん。「そのなんだっけ、パイパンだかサイパンだかがさ、あまり寂しいからってよ、カツラを付けたらしいんだワサ」。「なにっ、カツラッ、どこによ、へその下にか!?」と、チョビさんが驚いたように多きな声を出した。見知らぬ周囲の人たちが、何事かと言わんばかりに一斉にこちらの座敷に視線を当てた。「ややっ、これは済まん」と言うように、それらの人たちに軽く頭を掻き掻き一礼をしていた。「カツラとはなぁ、そんなのあるのかい本当に?」と、元銀行員の浅倉さんもビックリしていた。「それがあるにはあるんだがさ、そのカツラヘァがよ、取れてしまったんだってさ、お風呂で」。「なんと、自分の家でか、それならいいさ。誰も見ていねぇだろうからな」と、ホンダの爺さん。「ところがさ、家じゃねぇんだよな、それが。やはりな、こんなような温泉だったらしいんださ。誰かがの、それを拾ってカウンターに届けたらしいんだな。とてもじゃねぇが、それは私の物ですとは言い出せなかったと大笑いしておったよ」と、ドラ太さん。さすがにこれには、みんなも吹き出してしまった。「まぁさ、たまには禿げ隠しのカツラではないが、ここでやはり頭髪用のカツラを拾った女(ひと)もいたようじゃが、それとは全く別物だもんな。で、そのカツラを取らずじまいで捨てて来たか?」と、ホンダの爺さん。「それだがさ、受け取った連中もよ、いったい何に使われる物だか判別出来かねてな、一週間ほど預ってはいたが誰も申し出る人がおらんでの、結局捨てたようじゃな」。「幾らしたもんだろ、そのカツラ?」と、浅倉さん。「それがよ、オーダーメイドと言うことらしくての、4万円もしたんだってさ。これはさ、アデランスやアートネィーチャーのような人工物じゃねぇんだとさ。人の毛なそうだ。人工物は、熱に弱いんだってさ。普通はよ、取り外すんだがその時はさシャワーだけにしてよ、すぐ出るつもりだったんだそうだ。ハッと気が付いてよ、後ろを振り向いたならさ、すぐ後ろの人が拾い上げてしまってよ、私のですと言えかねたなそうじゃよ。偉い失敗したと、寝床の中で大笑いしておったよ、あの女」と、ドラ太さん。「そりゃいいがさ、随分とお高いようだがさ、笑っている場合じゃねぇだろうさ?」と、チョビ髭さん。「なーに、そつちの男こっちの男とさ、金次第でお付き合いするクラブのビタ(女)だもんな。この手の毛なし女は、男好きなそうだ。そんな金は、へいちゃらさ、いつでも湧いてくると言うもんさ。それもそうだがよ、なんと言うのかな、そのカツラの跡と言うのかな、何となくその部分が白気(しらけ)て見えるんだよな。へその下からよ、ハマグリいやアワビの上までストレートと言うのもよ、何となく寂しいような感じがしたなぁ」。「よく眺め尽くしたか、珍しかったかろうからな」と、満更でもないような顔をして浅倉さんが、顎を撫でながら上目使いで遠くを眺めていた。「おい、朝やん、さてはお主、あったな、過去に?」と、ホンダの爺さん。「いやぁー、それはねぇが、あるいは娘が・・・・」と言って、口篭もった。と同時に、みんなが一斉に浅倉さんに視線をぶつけた。彼は、「しまった!」と言わんばかりに懸命に手を振った。「うちの娘じゃねぇぜ、元同僚の娘の話しなんだがさ」と、この場に合わない言い訳をしていた。「そうかいそうかい、まぁいいさ。どっちにしろ、こりゃ~希少価値かもな」と、ドラ太さん。「希少価値 そんな娘に 案ずる顔」のような、気もしないでもない。そのためなのか、その後に何となく口数が少なく感じたような気もした。 ()
2013.10.27
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「フーッ、ウェッ、プー、・・・・・・!」。これは、お酒を飲んだ時の誰しもが経験するトイレでの「オシッコ」の風景である。少々ご機嫌になり、目を瞑って体を揺すりながら満足そうに用便を為す。そんな時、ちょっと甲高い声のこんな声が聞こえたならどうしますか?「飲み過ぎではありませんか?」とか、「タクシーをご用意しましょうか?」や「代行車にご連絡をしましょうか?」などと、もしスピーカーが鳴ったならどうするだろうか?これは、「おしゃべり防臭剤」と言う新しい「飲酒運転撲滅運動」の警告音声である。勿論、これは日本国内でのことではない。アメリカは、ニューミキシコ州での話しである。一瞬、お酒が冷めるような音声にビックリして辺りに散らしかねない光景でもある。いずこのお国も、この飲酒運転には手を焼いているようでその撲滅を狙った装置とか。これは、バーや飲酒も出来るレストランなどを対象に協力してもらい、耳を傾けてもらうための奇抜な手法の「アイデァ」と言うことのようである。日本でも、こうした「酔っ払い運転」は後が絶たない。過っては橋から、親子4人も跳ね飛ばし子供2人も水死させた事件は今でも生々しく記憶に留めさせている。この話しを、わが飲み友達である友人の元デカの「チョビ髭」さんにその導入について聞いてみた。「うーん、確かにアイデァとしてはいいな。だが、これが容認されればかえって飲酒運転が増えるな」と言う。「どうして、酒が冷めてさ、あっ、そうだ、そうしょうとなるんじゃない?」。「ところがだ、店側ではな、こうした危険行為の指し止め装置があるからとか、注意を促(うなが)しているからと言う安易な認識が、反対に酔っ払いを増殖する結果になることだってあるやも知れん」。「それは、あるかもなぁ」と土建屋の「ドラ太」さん。「それよりもさ、あのダムがさ、水を放流する時に流す公域放送があるでしょ。確か、堤防の電柱に拡声器があってさ、増水の注意を呼びかけているな。あれ式をさ、道路の信号機の所々にセットして見たらどうなんだろう?」と、浅倉さん。「と来たか、そんなことをしたならさ、安眠妨害だと市民から苦情が来るだろうて」と、チョビさん。「安眠妨害か、なるほど、ままならねぇ話しやな」と、ドラ太さん。「あのな、こんな苦情もあったんだぜ。信号機のな、あの通りゃんせの歌がさ、耳障りで寝れねぇからなんとかならんかとさ、数箇所から苦情が来たことがあった。そこで、時間帯を決めて夜の9時以降は鳴らさないようにしたんださ」と、元デカのチョビ髭さん。「それで、一件落着か」と、浅やん。「ところがだ、今度は全然異質な注文が飛び込んで来たんだよな」。「異質な注文?」と、ドラ太さん。「なんだと思う、ちょっと考えられない注文だったな」。「異質か、あれかな、パトカー?」と、浅やん。「うーん、遠からずというところかな。それがよ、なんとよ、救急車のサイレンをなんとかしろと言うご注文さ」。「なにっ、救急車・・・・・・・の音だと?」と、ドラ太さん。「夜中にな、大した車も通らん道路をな、おびただしいサイレンを鳴らしてさ、自己主張をされたんじゃよ、眠れねぇと言うご注文よ。そりゃー確かに、過疎の町なんかもあるさな。特に夜間はよ、静まり返っているだけにうるさく遠くまで響くんだな。何とかしろと言われてもなぁ、これだって法令で決められていることなんだからな。しかも、救急だぜ、人命がかかっていることなんだぜ、な?」。トイレの「飲酒運転防消剤問題」が、いつしかトンでもない市民の苦情報告に話しが逸れてしまった。「そう言えやぁあれだな、どうせなら人の集まるホテルやデパートとかスーパーにさ、万引きにご注意くださいとでも言うマイク装置をつけてもらった方がいいかもね」と私が言うと、すかさず浅やんが面白いことを言い出した。「あっ、そうだ、飲んだら乗るな、女房の腹の上だ」と。「なにっ? そんなバカな。 なんでぇや?」とドラ太さん。「知能指数の低い子が、産まれるそうだぜ」と言う。「そんなこたぁねぇさ、あれとは頭の出来は違うと言うぜ。気違い水は、腰までだってさ、頭の知能指数を左右しねぇと言うぜ」と、再びドラ太さん。「ちげぇねぇ、頭の出来不出来は血統よ。多分に、影響があるな」と、チョビさんが同意する。「だってさ、頭はともかくにしてさ、足がふら付いて小便してらぁーな?」と、浅やんが反論めいたことを言う。「あれか、あらはな、上体が萎えでいるからなそのバランスをとろうと揺れているだけさ。それよりもさ、家の玄関のチャイムを鳴らした瞬間によ、午前様はお断り何てぇ言う装置で警告されたんじゃーな、入るに入れねぇな。オマケに、小便までが止まるかお漏らししてしまうぜ」と、チョビさんが本音らしいことを吐いた。酔っぱらいの、勝手な解釈談義で賑やかだったがトドのつまりは、女房の不機嫌な顔が最大の警報装置のような気がした。「警報機 要る要らぬかは 人により」で、最後は自分自身の注意力が大切なようである。
2013.10.16
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さぁ~てと、そろそろ夏も終わりに近づいて来た。なんとなく、お酒がおいしくなるような季節に思える。もっとも独りチョビチョビ飲むお酒よりも、数人でバカ話しをしながら飲む方が楽しいものだ。ある友人が、「お酒を飲んで見る女がさ、なんとなく綺麗に見える時があるがさ、あれはなんでだろうか?」。「なに~っ、で、思わずブス娘(こ)ちゃんを相手にしてしまったか?」。「いやいや、そんなんじゃねぇがよ、そう思わんか?」と言う、議論に発展してしまった。そこでだが、お酒を飲むとそんな風に感じる場合も少なくないこともある。実はこれには、ある一定の法則が計算上あるなそうである。特別色気を感じてそう思うのではなさそうで、誰しもが経験するその所以(ゆえん)は「ビール・ゴーグル効果」と言う法則なそうである。 不美人が「美人」に見えると言うことは、女性にとってはかなりな朗報と言うことにはなるが、時には男性の方がトンでもない責任を負わねばならない場合もあるから、余程注意してお酒を飲まないとトンでもないことになる場合がある。ヘベレケに飲んで、その勢いで一晩添い寝をしたまではいいのだがそれがトンでもないブスコ娘ちゃんだったとなると、「じゃーまたな」と言うことには行かない場合もあるからだ。これは我が友人が経験した実際の話しだが、酔っ払った勢いでどこかに一泊したなそうだが、朝目が覚めると体一つではなかった。まだ底痛みをする頭を抱えながら、そっと起きて周囲を見るともなく見てみるともう一つの物体が同じ床の中にあった。よく見ると、その地域一帯では一番の不美人のブス娘ちゃんだった。「なにっ! ま、まさか~っ!」と危うく大声を上げそうになった。どうしてこう言うことになっていたのか、どう考えても浮んで来なかった。なんにせよ、現実に同じフトンの中で過ごしたことにはどうやら間違いはなかったのだ。その後が大変だった、彼女は処女だったらしくそれだけに彼が勤める東京周辺に引越しして来たのだから彼は驚いた。「一緒になってーっ!」と、追い駆けて来たのだから堪(たま)ったものではない。その後に有為曲折はあったが、結局は逃げ回ってみたが何度も会社を替えるわけにもゆかない上に、最後には「死んでやるっ!」と言う途方もないダダを捏(こ)ねられすっかり考え込んでしまった。困って実家に電話を入れてみると、「あ~、お美代が一緒になると言い残して出て行ったそうじゃが、やはりそうだったかぁ。困ったことじゃが、どうやらこれがお前の運命かものう」と言う、当然の結果のように響く実家の結論の返事だった。その理由は、お美代さんのご両親が彼の実家に来て「嫁にやることになった」と既に報告済みだったと言う、思い違いも甚だしい話しであるが女の家庭内ではまとまっていたのだった。家族や本人にとっても、その器量の程度を熟知していた訳だからこうしたチャンスを、そう簡単には逃さないと言う決意のようだった。一夜の情けを貰ったのか与えたのかは知らないが、トンでもない今後の人生の修正を図らねばならない運命に嘆いたと言う実話であった。そんな訳で、こうした惨めな結果を出さないためにもお酒はやはり、程々に召し上がった方が宜しいようである。さてであるが、この「ビール・ゴーグル効果」と言うものであるが、イギリスはマンチェスター大学の研究チームが編み出した物のようである。そのメカニズムを、数式に置き換えたもののようだ。その時のアルコール消費量、その場の空気の汚れの度合いに、相手の女性への照明の強さ、それに自分のその際の視力状態、そして女性との距離間などから算出が可能だと言うのである。確かに一理あるお話しのようであるが、だからと言ってこうした数式や計算までして飲む人は居るまい。お酒の美味しさは、やはり皆で和気藹々(あいあい)にして飲むからこそ楽しくもあり、英気を養えるというものであろう。この和気藹々が、時には無条件での一時的相思相愛になってしまい、良からぬ結果をもたらす場合もあるのだ。「後悔、先に立たず」と言う言葉もあるが、このような失敗以外に時には酒に飲まれて揉め事を起こす人もいる。もっと酷いのでは、常日頃は笑みを浮かべてとても気安いいい人であったはずが、飲むといきなり豹変して話しを悶着させて不愉快さをかもし出すと言う人も居るから恐い。要するに、「酒癖が悪い」と言うタイプである。「飲んでも飲まれるな」と言う方式で、宴席や飲み会らを無事こなしたいものである。これが元で、縁談が破棄されたケースもあった。「一酌(しゃく)が 一生烙印の バカになり」だけには、なりたく無い者である。良く相手を見て、結婚をしたいものである。★ ★ ★ 「結婚をしばしば宝くじにたとえるが、それは誤りだ。宝くじなら当たることもあるのだから」、(バーナード・ショウ)。 ()
2013.10.13
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最近になって、「歩く広告塔」なる物を見掛けた。要するに、宣伝文句を書いた布を体の両面に晒し闊歩すると言う初歩的宣伝だ。昔は、飲み屋街での客引き看板だったりあるいはパチンコ屋の開店宣伝だったりしたものだ。これとは別に、「魚拓」と言う絵と言うか芸術と言うかそんなものがあった。いつの時代から始まったかは知らないが、これに似たようなものが何年か前に発表されたことがあった。その名は、なんと「女拓」とか言ったはずである。現代美術家でもある嶋本昭三氏が、女の全身裸体に墨を塗りこれを紙に写し取ると言うものだった。一度はNHKで放映されたのだったが、余りにもエゲツない光景であると批判され、その後は一部カットされて再放送したことがあった。20代の女性を相手にした「女拓」の後に、今度は30代の親娘(おやこ)が抱き合っている「女拓」を発表して更なる批判を煽った。そんな訳で、この衝撃的な部分がカットされてしまったわけだが、それなら受信料を払わないぞとかなりな文句が続出したと聞いている。これは芸術だったのか、あるいは単なる猥褻(わいせつ)だったのか定かではなかったが、仮に芸術であるとするならば、何も手を加えて映像をカットしたり修正する必要もなかったろうし、また仮に猥褻であると受け止められるものであったなら、最初から放送などをする必要もなかったことであろう。どちらにせよ、製作過程で猥褻だと認定して肝心な部分を修正しての再放映とは、彼や彼の弟子たちあるいはその価値観を認める人達からすれば、芸術に対する甚大なる冒涜と感じはしなかったのだろうか?「色と見るか芸術」と見るかは、その人によってもまた違う物である。さて、この「女拓」に挑戦するかのように今度は「パイ拓」なるものが出てきたことがあった。要するに、女性のオッパイに墨を塗り魚拓まがいのことをするものである。これを、幅の広いお皿などに押し付けて転写すると言う趣向のようである。乳首とオッパイとの間に、かすかな窪みが出来て何となくパンダの目のように写るようである。一瞬見ては、オッパイからの「パイ拓」とは判断し難い「写拓」である。これもまた、オッパイだけとは限らないようである。あらゆる物を利用し、要するに「魚拓化」する訳である。趣味と言うか、芸術と見るかはやっている本人しか分かるまい。現代は、何でも有りの時代である。何かチョッと変わったことをすれば、すぐ様マスコミが駆けつけて来る。マスコミも、ネタを探すのに躍起となっている。「やらせ」も酷評され、さてどうするかとなればチョッと変わった事を見つけては修正し、何とか面白番組に取り入れようと必死であるようだ。どうでも良いタレントをスタジオに集め、ワイワイガヤガヤとくだらない時間潰しをさせている今日である。そのうち、「チンポコを転写拓」する人も出てくるかも知れない。あるいは、もっと過激になって額に女性の大切な部分を転写して歩く奴が出て来たりするかも知れない。もうこうなったなら、知性も道徳も常識も何もないバカな世の中になってしまうだろう。問題は、こうした過激的な転写をしたとしてもそれが何を意味するか判断し難いとなると、取締りする方としても陳列罪になるかどうかと言う問題が出て来る可能性も否定できない。自分の身体を生かし、トンでもない物を転写して歩いたとしても明らかにそれが、違法なものなのかどうかと言うことが判別出きないものもあり得る。要するに、「抽象画的な絵柄」のことだ。大体にして、今のコマーシャルにしても咄嗟の判断も出来ないCMが多い。何度か見せられているうちに、「なるほど、それの宣伝か」などと後で合点が行く始末である。「これは何ですか?」などと言う、謎めいたCMが出て来る可能性もある。そう言った意味では、この「写拓」なるものは隠れ蓑的な使い勝っ手のある表現かも知れない。個性と強烈感と言う表現部分では、まさに打ってつけだと感じた。歩く宣伝マンとして、紙か布に両面に写拓を描きこれを首から下に垂らして、繁華街をぶらりと歩きながらの宣伝も手軽で安くて済む。「この絵柄はなんでしょうか?当てた人には、当店の商品が半額になります」などと言う、宣伝を頼む会社が出て来てもおかしくない気がした。 「歩く、広告塔」として、闊歩して見るのも面白かろう。「卑猥(ひわい)さが 円熟された 広告塔」。「あれっ、何だったけ、何かに似ているような気もしないでもないが?それにしても、肌着の宣伝とは考えたもんだ」などと言う、奇才を発揮できる人材が出て来る可能性もある。「まじまじと 眺めて知るや その謎が」。
2013.10.06
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「あのよ、うちのすぐ下のよ、50過ぎのダンケ(旦那)がよ、一昨日の朝方ジョギング中に倒れてよ、救急車で病院に運ばれたらしいんだが、知っている?」と、わが町内会の高台に住む水道工事屋の章ちゃんなる人が、庭を掃いていたならお早うも言わずにいきなり言い出した。「救急車、で、誰だい?一昨日か、ピーポーピーポーなんか聞かなかったぜ」。「あたりめぇさ、ジョギングの途中だもんな。バイパス越した向こうの公園近くらしいからな」。「交通事故かい?」。「いやな、あれだってさ、心筋梗塞だってよ」。「なにっ、死んだのか?」。「そう、早めに殺すなよ。熟睡中と言ったら語弊もあるがよ、まぁ、昏睡状態と言うことらしいな。常日頃、元気な筈だったんだがさ、こうした病気はいつ襲い掛かって来るか解かったもんじゃねぇな。もっともよ、空気のいい朝のジョギングも気持ちがいいだろうがさ、実はよ、あまり褒められた運動じゃねぇそうだぜ」。「なんでぇや、結構やっている人が多いだろうよ」。「それなんだがさ、医者が言うにゃよ、起きて間もねぇ運動はよ、自殺行為に等しいんだってさ」。「なんだと~、いつ医者から聞いたのさ」。「お隣同士だもんな、一応病院に駆けつけて見たさ。そこの医者の先生がそう言うておったよ」。「なんで自殺行為だと言うんだよ、健康保持の運動が?」。「それそれ、それよ、普段は素人はそう思っているらしいがよ、実はさ、これが命取りになることもあるんだってさ。聞く由によるとよ、人にゃよ、交感神経と副交感神経なるものがあってな、この神経が完全に目を覚ましていねぇ時によ、運動するてぇとな、頭が覚めていても体がまだ寝ぼけているんだってさ。要するによ、非常に不安定な時間帯らしくてな、下手に運動するてぇっと、脳梗塞とか心筋梗塞が起きやすいんだってさ。なんか知らんがよ、眠っている時にゃ休息モードで起きたときにゃ緊張モードとか言う自律神経の働きがあるんだってさ。そんなもんでな、まだ休息モード帯の体に負担のかかる運動をするてぇっとよ、この手の病気でコロリと行く時もあるんだってさ」。「おいおい、おんかねぇ(恐い)話やな。それじゃ~さ、朝の運動も出来ないだろうさ。一、 二の三のラジオ体操も出来やしねぇじゃねぇかよ」。「いやな、あの体操はそう体に負担のかかる運動じゃねぇそうだ。心臓の鼓動がよ、忙(せわ)しく活動する訳じゃねぇから負担がかからねぇそうだ」。「なるほど、それを聞いて一安心だな。そうか、起きてすぐのジョギングは危険と言うことかいな。いいこと聞いたな、これは」と、私も納得した。起きて歯を磨き、顔を洗い服を着替えるなどの一連の動作のうちに交換神経が活発になり、いわゆる緊張モードになる訳である。この緊張モード内は、頭が覚めていても体はまだ不安定で自律神経が不活発な状態なのであると言う。そんな状態でのジョギングは、ひどい時には突然死などもあり得ると言うことらしい。章ちゃんの朝抜けのお話しであったが、またしてもまた一つ勉強させられたいいお話しであった。メタボだ、やれ生活習慣病の是正だと言って、やたらと朝の起きがけにジョギングとしゃれる昨今だが、どうしてどうして裏を返せばこうした危険も潜んでいるらしいから気をつけねばなるまい。健康維持どころか、心臓にダメージを与え最後に「ご苦労さん、あの世でごゆっくりお休み下さい」では、本人ならず家族や周囲に大変な迷惑であろう。と言うことは、もしやろうとするならば一日の活動の継続中ともなる夕方の方が無難だと言うことにもなろう。もっとも、日頃から夫婦間で揉め事の絶えないご家庭であったならば、むしろ吉報と言うことにもなるかも知れない。「あんた、朝っぱらからゴロゴロしていないでたまにはジョギングして来てよ。お掃除もままならないわ」。と言って追い出したなら、途中で旦那が引っくり返って居て二度と帰って来なかったなどと言う朗報もあるやも知れない。「父ちゃんが メタボで残した 家族愛」などと言う、奥さん思いの方も出て来るかも知れないから・・・・・・・?「あ~ぁ、良かったです。私は痩せ型なもんでね」と安心するお父さんもおありであろう。「吹けば飛ぶ 亭主小食で かかぁデブ」ってなことで、かかぁだけが美味しい物を頬張って居るご家庭も、あるいは?これを評して、「蚤(のみ)の夫婦」とも言うが。
2013.09.29
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10日ほど前のことだった。台風のドン真ん中での露天風呂は、どんなもんだろうかと奇異なことを思い浮かべさっそく支度に取り掛かった。女房が、嵐にさらわれて運転を誤るから止しなさいと顔を膨らしていた。どう言う訳か、そんな悪天候になると何となく出て歩きたくなる。昔から、「へそ曲がり親父」と家族や周囲から言われっぱなしであったから今さら気にもならない。「遣りたいときにはやる」と言う、ただそれだけのことだ。何時も行くサウナ付き温泉は、街外れのちょっと小高い山の傾斜面にある。と言ったところで、がけ崩れが起きる様なそんな危険な場所ではない。なだらかな、ゆるい山間(やまあい)になっていて周囲には畑もあり今がそのリンゴの収穫期でもある。この小高い丘の温泉から眺める前方には、果てしなく田んぼが広々と永遠に続いて見える。あまり変わり映えしない風景だが、これがまたのんびりして気持ちが良い。実の詰まった金色の稲穂が、重そうに頭(こうべ)を垂れてこれもまた果てしなく続く。ちょっとした、絶景でもあり解放感この上ない。雨が降ろうが風が吹こうが、温泉には休みは無いはずだと思い余り雨の降り出さない間にと思い、先ず外へ出た。と思い気や、もう降り出してきた。テレビからの報道からしても、どうやら台風到来の影響とのことでそう簡単に止む様な天候ではないようだ。そこで、こうも鬱陶しい天候であるならばどこに居ても変わり映えはしない気がした。そうであるならば、雨の中の露天風呂にお盆でも浮かべての一杯も悪くもあるまいと友人に電話を入れた。案の定お相手の大将も、暇を持て余していたとのことだった。「じゃ~、温泉にでも行くか~」となり、めいめいその目的地に向かうことにした。連休の中日でもあるから、きっと混雑するのではと思い気や案外と客足が薄いようだった。やはり、雨が祟ってのことのようだ。温泉に着くなり、先ずもって一風呂浴びるのが通例である。湯船に浸かりながら、相棒のことや四方山話をしているうちにいつしか最近のテレビ関係の話しになっていた。「そう言えやぁあれだな、相撲も始まったな。となるとあれか、当分は温泉もガラ空きかな」と、相棒。「いや、反対に混むかもな。孫どもに、テレビが爺ちゃんに独り占めされると文句も出るだろうからな。そうなると、ここが一番さ。なんたってよ、二階のお座敷にゃご老体用のお座敷にテレビがセットされているもんな。だ~れにもよ、気兼ねすることなく満喫できれゃ~な」。「それもそうだな、臨時の敬老会になるかもな」と、相棒。「そうなるとあれかな、連続物のテレビドラマもお休みと言うことになるな」と、小生。「あ~ん、連続ドラマ~?そんな、俺たちが見るようなドラマがあったけか?」。「なんだ、おめぇ(あんた)さんは、見ておらんのか?」。「見ておらんと言うよりも、真昼間にそんなもの見ている暇がねぇさ」。「まぁ~な、茄子だそれキュウリだと畑仕事じゃ~な。毎朝よ、市場へ持って行くんかいな?」と、相棒。「毎朝と言うわけじゃねぇがよ、二、三日に一度は行かんとな。頼むから、生(な)らないでくれと言う訳にも行かんしな。捥ぎ採らんことにゃよ、変色してさ、土地が痩せたような気がしてどうもシックリしねぇんださ。もっともさ、もう終わりに近づいては来ているがな」。「そう言えやぁ~さ、茄(なすび)の花と年寄の話しにゃ無駄がねェと言うからさ、霜降っても咲くそうじゃねぇか、茄子は、の?」と、相棒。「まぁ~な、寿命がある限り実が生るな、もっともさ、小さくなった実だがな。食べて美味しいもんじゃねぇがさ。だからよ、早めに耕耘機で掻き回して土地を休まさせる訳よ」。「休ませる、土をか?」。「あ~ぁ、そうよ、連作もいかんしな、毎年畑を替えて植えんことにゃの」。「そうなんだ、じゃ~、水戸黄門様のようなわけにゃ行かんと言うわけか」。「なに~っ、水戸黄門?なんだ、そりゃ、・・・・・・・・?」。「連続テレビ番組よ。あれだってな、あの放送番組がさ、徳川幕府260年の間によ、任命された全国の代官のさ、5倍以上の代官様の放送になっているらしいぜ。もうそろそろあれだろうて、平成の代官様を派遣せんといかんのと違うか?」。「なに~っ、平成の代官・・・・・・・だ~?代官と言ったって、そんなのこの平成にゃ存在せんだろうて、な?」。「いや、おる。知事がそれだろうて、の?」。「バカ言え、ご老公様にお叱り受けんでもよ、選挙と言う市民の拳(こぶし)で首に出来ら~ぁな、そこへ直れーっとさ、印籠を出されなくともよ。あの印籠でよ、実際に居た代官の5倍以上も首にしているんだぜ、物語はさ。テレビにさ、生かされている黄門様さ」と、小生。その彼が、お猪口と小瓶をタオルに押し隠し風呂場へと消えた。「風呂へか?」。「まぁな、今日は代官様さ」、と言う。暫くして、わたしも後を追うようにして露天風呂へ。その彼が露天に浸かりながら、「願わくば 黄門様の 如くに慕われて 生きて見たし 夢の夢」と、都都逸(どどいつ)風に鼻唄を唄っていた。しかも、お盆の上にお猪口と徳利を載せて露天風呂に浮かしていた。大雨の中だけに、頭だけはタオルで覆(おお)っていた。「雨水で割って飲んで居るんかいな、日本酒をさ。のう、代官殿?」。「風情(ふぜい)じゃよ、風情・・・・・・・な?」と、相棒。 まさに、言うこと無しの感じだった。
2013.09.26
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最近になって、宅配人のAさんがどう処理して良いのか迷った荷物があった。普通なら、翌日あるいは二、三日中に何らかの問い合わせがあるものだ。ところが何日経っても、その預かり品の荷物の話しが当の本人であるAさんや会社にも何の連絡も無かった。もっとも、飲食料や宿泊料、あるいは木戸銭や席料などと同じく、運送物の損害保障期間は一年以内と言う短期時効の中に入る。年に何個となく、破損する荷物も多い。だが、その破損した物はすべて会社側が受取人と交渉して処理してくれることになっていた。ところが、この受取人であるM氏はその後何の音沙汰も無いのであった。未だ過って無い、ケースの部類である。そろそろ、日永になったこの夏の夕方近くにになって背広姿の二人の男達が荷物ターミナルに遣って来た。その名刺には、「S警察署、捜査第一課」とあった。面会に応じた、カウンター近くの女の子が近くに居た係長にその名刺を渡した。「なんだこりゃ、お巡りじゃねぇようだな、デカ(捜査課)か」と言って、応対に出た。「Aさんと言う方は、居りますかね?」と、一人の私服の刑事が聞いて来た。「はぁ、居るには居ますが、今配達に出ていると思いますが?」と、係長。「そうですか、じゃ、会社から聞きますか?」とこの刑事が、もう一人の同伴の刑事に確認する様に言った。「なんでしょうか、うちのAが、何かしたのでしょうか?」と、係長。「いや、Aさんじゃないんですよ、Aさんが配達為された物について、お伺いしたくてお邪魔した訳です、はい」と、言う。「荷物?・・・・ですか?」。「はい、ちょっと時間が経っていますがね。「いつの、事でしょうか?」。「お歳暮時期の、ことですよ。ですから、去年の暮れと言うことになります」。「もしかして、T街に住んでいらっしゃるMさんの荷物で?」。「あぁ、そうそう、それなんですよ、よく覚えて下さったですな?」。「いやね、破損させたのはうちの配達員でしょ。そこで、Mさんと交渉して処理しょうとしたら何でもAと会ったらしく、どう言う訳かその破損物はどうなったかと、ただそれだけ聞いてそのまんまになっておりますがね?」。「でしたか、やはり・・・・」と、刑事。「矢張り、・・・・ですか?」と、係長。「実はですね、あの荷物の中身に問題がありましてね、その破損した中身の痕跡があるかどうかを、伺いに来たんですよ」。「破損の、痕跡ですって?さーて、大分前の事でしたからねぇ、どうなんでしょうな~ぁ。まっ、お調べしたいと言うのであれば、このターミナルの東外れにゴミステーションがありますんで、そこをお調べください」と、係長は今忙しいとばかりに言ってその二人を促した。そう言われた刑事は、外へ出てから何やら手を挙げた。一台の、黒っぽい車両が入って来た。どうやら、鑑識課の車のようであった。彼等は、すぐそのゴミステーションに向って行った。そこへ、Aさんが戻って来た。すぐに、ゴミステーションに走った。「あのう、Aですが、何の御用でしょうか?」。「あーぁ、いい所に帰って来てくれましたね」と、刑事がニコニコして出迎えてくれた。縷縷説明する刑事の話しを総合すると、このコーヒー瓶の中には覚醒剤が隠されているとの事だった。「覚醒剤?・・・・・・、あのシャブとか言われている、あれですか?」と、Aさんは少々驚き気味ではあったが、「な~るほど」と今合点した。「で、どの辺に捨てました?」。「確か、この辺りかと思いますが」と、Aさん。ゴミステーションが、半分以上もゴミで埋められていた。鑑識の人たちが、そのゴミ山を取り除きコンクリート地面が見える程度までに片付けていた。何やら、見たことも無い器械を駆使してそこの部分を丹念に探し求めていた。と一人の捜査官が、一際高い声を発した。「おい、これじゃないか?」と、一人の鑑識係りが声を弾ませた。白い、粉末を包んだような薬の包み紙が発見された。もう一人の鑑識の人が、静かにその包みを解(ほど)きやがて舐めて見た。「ちげぇねぇ」と言って、ニヤリと笑った。「これで、決まったな」と、刑事もニコニコ笑いながら応じた。後で解かったことだが、二五十グラム入りコーヒー瓶のコーヒーの中に、この薬状態の紙包み数個を入れて発送したものだった。粉末状の中に入れれば、透き通って見えない訳である。しかも、ご丁寧に720ミリリットルの日本酒三本も入れて、お歳暮用の祝い紙を貼って贈って来た物だった。さらに、贈り主も受取人も、同一人物でもあった。贈る時は偽名で、受け取る方も偽名だった。手の混んだ、密売用の代物だった。道理で、壊れても文句を言わなかったと初めて合点した。「こんな事に、宅配を使われちゃ、困るんだよなぁ、全く」と、Aさんは嘆息した。神戸市内で、ある運び屋にガサ(捜索)が入って一人の暴力団風の男が逮捕された。その男から頼まれたM氏は、発送済みした後に市内のサウナに立ち寄った。直ちに、地元の警察がこのM氏を確認し取り合えず任意同行を求めた。その時に、この発送伝票が押収されたのであった。だが、中身は「酒」とこの伝票には記載されていた。そこで、早速ここの警察署はAさんが住んでいる警察署に「ガサ入れ」を申し入れた。だが、何も発見されなかった。当然の、ことだった。肝心な荷物が、破損されて配達不能になっていたのである。だから、どこをどう探しても「ブツ」(覚醒剤)が出て来なかったのである。手詰まり状態の神戸の警察署は、その動向を探る為にある女を尾行することになった。「犯罪の影に、女あり」と言う、格言のもとに張り込んだ。遂に、その女も覚醒剤を使用していることが外の夜の女から情報があった。任意同行の末、腕の針跡を確認して逮捕した。その女の供述から、M氏の発送した荷物の中身が知れたのであった。「女は、情けには強いが取調べには弱い」と言う、ジンクスがあると言う。その通りに、白状されてしまった。この事件は、大した価値のある事件ではないがAさんは深く反省させられた事件でもあった。一生懸命、善意をもって贈る人、贈られる人の気持を大事にして、その業務に誇りを感じて努力しているのである。それが、こうして犯罪に利用されるとは情けなかった。ただ受け取り、ただ配達するだけの業務ではないのである。そこには、その荷物を取り巻く人達の掛け替えの無い心と人生ドラマが隠されているのである。そして、知り得てはならない個人の秘密や情報がその中身となって運ばれているのである。「たかが荷物、されど荷物」である。だが、その荷物は黙して語らずだがその相手に届いた時に初めて大きく物を言うのである。そう思って、今日も雨が降ろうが雪が舞うであろうが風が吹こうが天から与えられた天職として、これらの荷物を待つ人々の為に邁進するのみであると、Aさんは改めて決意するのだった。また、今年も実りの秋がやって来た。新米であろうこの荷物を、早く届けてやらねばとアクセルを踏む。 「この荷物 物は言わぬが 待つ人に 幸を届ける 飛脚の心」。 故意にそうする訳は無いが、偶然にあるいは誤(あやま)って破損することもある。
2013.09.21
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「ところで先生よ、ちょっと余分なお話をお伺いしますがね、ある道路際の病院の看板ですがね、あの数多い科目の医療ね、あれ本当に全部資格持って掲げているんですかい?いやいや、先生の病院の看板のことじゃありませんよ。念のため、誤解なさらないように」と、元銀行上がりの浅倉さん。「看板? 看板ね、・・・・・・、これは参ったな」と、「裏半髪先生」が口篭もった。「いかんこと、聞きましたかな、先生?」。「うーん、厳しいご質問ですな。しかし、なんでまたそう言うご意見で?」と、先生は困惑したお顔をした。「いやね、先だってうちのカミさんがね、腰痛やら肩こりでね満足に夜も眠れないとね言い出して、それである病院に行ったんですよ。もうかれこれ、10日近く通っているんですがね、ちっとも良くならないとこぼしているんですがね」。「腰痛ねぇ、立てないくらいかね?」。「いや、むしろ夜寝ていてね、朝方近くなりますとね、腰の何と言いましょうかな、そうそう、腰の下の辺りから大腿骨にかけて痛み出すなそうですワイナ」。「片方ですか、それとも両方?」。「そう、両方なそうでね、やたらと寝返りを打ってますワー」。「うーん、両方ね、これもしかすると年かもね、多分、年齢から来るもんでしょう?」。「とし? つまり年寄りって訳ですか?」。「まぁ、その人によりきりですがね、大抵は60過ぎますとそう言う異常が現れますがね。そうだね、むしろマッサージの方が良いかもね。それに、こうした温泉の湯上りにほぐすと楽になりますよ。放っておきますとね、頭痛が酷くなります上に自律神経失調症を引き起こすこともありますからね、マッサージが一番ですね」。「そうですか、やはりマッサージね。ところで先生、さっきのお話しですがね、あんなに診療科目が多くてね、個人医のお医者先生があれだけのご専門の医療が出来るもんでしょうか?」。「おうおう、それそれそれよ、あんたいいとこに気が付いたな。俺もそう思うことがあったな、やたらと外科から内科、形成外科から酷いのじゃ泌尿器科の果てまでさ、ありとあらゆる科目と言いたいくらいさ、羅列された看板があるよな。あれってさ、本当にそれだけ出来る専門の先生がいるんだろうかね、先生?」と、今度は「チョビ髭」さんが食らいついた。「そうだよなぁ、一人のお医者さんであれだけの診療が出来るとは考えなれねぇなぁ。でぇいち、一つの科目を終了するにゃ先生、何年掛かるんです?」と、今度は土建屋の「ドラ太さん」。「これは参ったぞーっ、総攻撃ですかい、参るねぇ」と、「裏半髪先生」が頭を掻き始めた。「言いにくいじゃないの、商売柄」と、私が水を注した。「あ、そうか、それはそうかもな」と、浅倉さん。「先生、かーるくでいいんですよ、かーるくね」と、チョビ髭さん。「ハハハハ、かーるくか、かーるくねぇ」と、先生は復唱するように言って、「そうだねぇ、これも医者の務めかもね」と言って、渋々言い出した。「もっともね、最初から藪医者だと言う観念は困りますよ。そこはよく、御聞き届けてくださいよ、誤解があっちゃー困りますもんでね」。要するに、看板通り全部出来るわけではないなそうである。どんな看板を掲げるかは、医者それぞれの裁量に任されているなそうだ。医療法と言う法律では、「33の診療科目」が定められているらしいのだが、その中からどれをどれだけ選ぶかは個人医師の自由なそうである。「これだけの科目を診療します」と、厚生労働大臣に申請すれば良いとのこと、詰まりはこれはダメですという根拠はないと言うことのようである。と言うことは、やったことのない科目を堂々と掲げている場合もあり得ると言うことである。と言うのも、大学でそうした科目のちょっとした講義を受けた程度でもって開業もあり得ると言うことのようで、これは要注意と言う診療も考えられることもあると言う。である場合もあるから、出来れば「バカの一つ覚え」のような診療科目の少ないお医者さんを選ぶ方が、むしろ自然でありまた不安が無いではないだろうかと、遠まわしのご意見を戴いた次第だった。とは言え、最近に於いてはむしろ全身を診るお医者さんが増えたなそうである。と言うのも、専門講義で習得するというよりも薄く広く学び、ホームドクター的に対処することが求められているなそうである。「これはどうもあるいは?」と、疑問を呈する病気などがあった場合は直ちに専門医を紹介すると言う、システム化の促進の為でもあるらしい。と言うことは、あるいは「専門バカ」では他の病気の発見が遅れることも予想されるからであろう。そう考えれば、なるほどなんであれ「早期発見」の為には、多少の専門以外の医術を心得ていてもらった方がいいのかもしれない。「こりゃこりゃ、おらぁブッターマゲタ」と、浅やんが反対に頭を撫でていた。あり難い、貴重なお話しを賜った次第である。である以上は、我々患者側もそうした眼を養う必要があるような気がした。やはり「医は任術」と言うように、むしろそれ一本だけの医術しか出来ない本物の病院を選ぶことも肝要であるが、専門医でなくとも病状によっては他の医師や病院などへの紹介も多いと言う。そう言うためにも、出来るだけ病気の早期発見と言うことからしても診療科目を多くしている方が良いとのことだった。今まではやたらと多過ぎる看板は、あるいは医師としてのモラルを疑いたくならざるを得ないのではと思っていたが、どうやら眼のウロコを取ってもらった感じがした。「看板に 偽りあるか 医療ミス」では無しに、どうやら「診てもらえ 出来ぬ医療は 紹介す」と言うことのようで安心した。
2013.09.17
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「記、ご注文の件について、ご連絡を申し上げます。当注文につきましては、弊社にて商品情報の扱いに手違いがあったため以下の通り、誤った販売価格でのご注文の承りとなりました。この度は大変なご迷惑をおかけすることになり、深くお詫び申し上げます」。と言う通知やメールが来たならば、皆さんはどう致しますか?これは、実際のお話しである。どことは言わないが、メールで買い物が出来るメデァであることには違いない。しかも、その契約した代金の差額は5000円前後だった。その代金は前払いであり、既に注文の荷物が到着してからのこの文書である。みなさんなら、素直にこれに従いますか?注文を受け、伝票を整理し支払を要求しその代金の確認をし、その上で発送し買主に到着後に実は値段が違いその差額を払ってくれと言うことのようであるが、これは考えようによっては「振り込め詐欺」のように思われても仕方が無いのではないだろうか?いや、あるいは新たな手の込んだ余分な額の取り込み詐欺なのではと、疑いたくなるようなミスに格好つけた商法のような気がした。しかも、現金で振り込むかあるいはポイントから差し引くと言う物である。これが、今始まったことなのかあるいは前々から行われていた物で、その成功率からの詐欺まがいの商売だったのかどうかは分からない。善意に解釈するならば、あるいは価格の改定をするのを忘れて旧価格にて販売してしまった。そこで、このような手段を選ばずにおられなかったと言うことなのだろうか?確かに「限定品」などであれば、止むを得ず不愉快であっても送金若しくは何らかの同意をせざるを得ないこともあろう。時には、カード会社と提携しているユーザーだっていることだろう。そこから、勝手に引き落とされていたなどと言うこともあり得る訳だ。また、気の弱い人からならばなおさらのことであろうし、「シメシメ、上手く行った」と言う裏で微笑む図太さがチラホラ見えるような気がして仕方が無い。一件二件ならず、相当な数の請求ともなればただ事ではない金額が転げ込んで来ることにもなろう。やり方によっては、最初から安い値段を設定して置いて注文が確定してから実は価格が間違っておりましたと言う、どうも「差額詐欺商法」のような気がしてシックリしない。こんなことが罷り通るとなると、安心して「ネット買い」が出来ない気がした。そんなことよりも、たかが「5000円前後」のお金でこうしたことをバラ撒いて、それこそ会社の信用に関らないとでも言うのだろうか?間違ったや手違いは、売主側の責任であるのに追加料金とはどうも解せない。ここまでにしても、ネット通販の信頼度を妨げてよい物なのだろうか?聞く由によると、そのお知らせタイトルに買取人の本名が書かれたあったと聞くが、こうしたことでヒョッとして個人情報が漏らされているのではと、ビックリすることだってあるだろう。いずれにせよ請求が来れば、大半はやはり振り込むかあるいは引落しにあうのも仕方ないと思う人が多かろうと思う。だが、その価格そのものが本当に誤った値段だったのかはユーザー側としては調べようも無かろう。仮に事実であったとしても、上場している会社のやることではあるまい。勘ぐれば、「いいか、手数料含めて5000円前後で押さえておくんだぞ。それ以上となるとさ、世間が騒ぐからな」などと、そんな裏があるような気がしてならない。少額だけに訴えどころの無い範囲の詐欺行為、せいぜい消費者センター程度への相談ぐらいなもので、注意を受けて「はい、それま~で~よ~」と言うことになってしまいそうである。こんなことが、罷り通っていたんでは「ネット通販は恐い」となり、他の業者などにも影響が必至であろう。自社のミスとして、未だ学生気分が抜け切れない若い社員が多いのでと覚悟して、お知らせ程度にして不問に帰すかべきが商法の基本のような気がした。買う方は、安いから買うのでありミスを支払うために買う訳ではあるまい。「釣銭の 詐欺より恐い 差額盗り」。 ・・
2013.09.13
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いつも屯する、健康式温泉ラウンドでのことだった。「やぁー、全く参ったよな、俺んとこの近くのよ、蕎麦屋の親父がよ、認知症に罹(かか)っちゃたんだよな」と、温泉仲間の土建屋のドラ太さん。「まぁ、よく聞く話しだな、頭の中が空っぽで幸せだろうな、きっと」と、元銀行員の浅倉さん。「あれだってな、男がこの手の病気に罹るとよ、最後まで覚えているのは女房の顔なそうだな。後の周囲のことはさ、覚えていねぇと言うらしいな」と、元デカのチョビ髭さんが言う。「そうなんだ、かかぁだけは忘れねぇんだ?その割りにゃーさ、食ったばかりの飯を忘れてまた食えたがるなそうじゃな。だからよ、そうした食い物などはよ、残さない程度に作ってさ、家族みんなで食い残さねぇように注意せんとならんなそうじゃ。下手に残しているてぇっと、犬か猫でも悪戯(いたずら)したようにな、食い散らしているそうだからな」と、73、4なるお色気話し名人のもしもしの爺さんが言う。「もうこうなりゃーな、人生お終えだな。でさ、かかぁがこの手の病気に罹ったなら、やはり旦那だけは忘れねぇだろうな?」と、浅倉さん。「冗談じゃねぇや、それがな、一番先に忘れるのは旦那の顔なそうだぜ」と、チョビ髭さん。「なんだと~? インプットされていたと言うことかいな?」と、再び浅倉さん。「もあるんだろうがさ、多分亭主の嫌な部分が多かったからじゃねぇか。そればかりじゃーねぇぜ、かかぁが亡くなるとよ、亭主は3、4年で後を追うようにして死んで行く事が多いってさ」と、ドラ太さん。「じゃー亭主が亡くなったなら、どうなんだろう、かかぁは?」。「仮によ、70を越していたとしてもよ、かかぁはさ、それから15年も長生きするってさ。これはさ、医者の診療のデーターから出ているんだってよ。だからよ、元気なうちにかかぁに務めておかんとよ、その蕎麦屋の親父のようにさ、脳病院(精神病院)に入れられてさ、はい、さようならされるぜ」と、ドラ太さん。「そうかぁ~、女にゃ敵(かな)わねぇわけだ。いい思い出をつくってやるったってな、こう年金暮らしじゃ~な。あっ、そうか、こうした温泉がいいかもな・・・・・?」と、浅倉さん。「そうよな、この仲間じゃホッポーが一番若くてあんたが二番目に若いもんな。遅くねぇぜ、かかぁ孝行もよ」。と言っていたもしもしの爺さんが、最近見えないと思っていたら認知症に罹っていたとのことだった。見舞いに行ったチョビ髭さんに、「お前も俺を縛るのかーっ!」と言って、いきなり一物をつまみ出し小便を仕掛けてきたなそうである。「で、覚えていたかい、あんたを?」と、浅倉さん。「そんなところじゃ無かったな。徘徊するらしいんでな、ベットなどに括(くく)りつけられていたよ。あの痩せ体で以ってよ、結構な暴れ方をするそうだ。もうとっくに、俺の顔なんざぁ~忘れられていたよ。ビックリする前によ、情けなくなってさ、俺もそんなことにならんとも限らねぇと思ったらさ、身の毛が与奪ってきちゃったよ、まったく・・・・・さ。それにな、家族が疲れ切っておったようじゃな。無理もねぇや、気違い(狂気)を飼っているようなもんだもな」。「そうだったんだ、あのしっかり者の爺さんがなぁ~。確か、ばぁさんが先に逝ったんだったな?」と、ドラ太さん。「次は誰の番だろ・・・・・・?」と、浅倉さん。「なんで俺の顔見て言うんだよ、年の順番だって言うんかいナ、え?」と、いち早くチョビ髭さんが幕を張った。「まぁな、これだけは年齢の差はねぇそうじゃ。若いもんだってさ、罹ると言うからな」と言って、安堵の言葉を求めるようにドラ太さんが言い放っていた。「まぁ、罹ったら罹ったでしょうがねぇがよ、自分の糞まで食い散らすとなると、もう人じゃねぇようなもんださ。情けねぇで済まねぇ話しだぜ、泣けて来るよ」と、チョビ髭さん。「なにーっ、・・・・・・・糞まで摘むーっ・・・・・、誰が、まさか爺さんじゃねぇだろうな?」と、浅倉さん。一瞬、みんな黙ってしまった。暫く座が白け、飲み込んだビールが生暖かく感じられた。ややしてドラ太さんが、「逝くときゃ、コロリと逝きてぇもんだな」と言って立ち上がり、風呂場へ向うようだった。「血圧が高いんだろ、湯船に浮んでいたりしてな」と、チョビ髭さんがドラ太さんの背中に揶揄したように話しかけた。「そうか、コロリと浮ぶ手もありか」と、浅倉さん。「おいおい、冗談じゃねぇや。逝くなら盆前とはよく言うがさ、古希も迎えずに逝っていられるかいってんだ」と吹き飛ばす風だったが、ややして「血圧か~」と言って座り直した。いつも身近にいたあのお色気名人話しのもしもしの爺さんが、急にボケ出したことに妙に他人事ではない雰囲気に包まれていたような気がした。それにしても、「ボケた」からとて本当に汚物まで判別出来ないものなのだろうか?「招かざる まさかの病魔の わが身かな」も思いもよらないが、しかし誰にも起り得ることも確かなのである。「なぁ~に、今まで生きてきただけでも得したと思いやぁ、後の人生は見っけものよ。面白く飲んで食ってさ、いい爺ちゃんだったと言われれば本望よ」と、チョビ髭さん。「まぁな、逝くなら盆前とか言ったな。早めに拝んでもらえるからな」と、小生。「あ~ん、おいおい、盆はもう終わってしまったよ」。「そうだな、なんとか今年はクリャできたか」。「誰が・・・・・・・?」「誰がってさ、みんな今居る連中がさ」。「まぁな、盆が来るたんびによ、死神様を呼ぶこたぁねぇだろうて。そうだ、その気で行こうじゃないかとか言う歌もあったじゃねえかよ。確か、畠山みどりの出世街道とか言う唄だったかな。♪~他人(ひと)に好かれていい子になって、落ちて行くときゃ独りじゃないか、どうせこの世は、一本どっこ~♪、かぁ~」と、ドラ太さん。「随分と、古い歌が出てきたな。そう言えやぁあれだな、そんな風に生きて来たんだかもなぁ、お互い・・・・・」と、浅倉さんもご納得のご様子。「仲間消え わが身を振り向く 苦い酒」。
2013.09.03
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これは、春先のことだった。野山にも、雪らしい雪も無くなった頃のことである。そんなある日、山持ちの町内のご老体の「源蔵さん」が同じ町内に住む50歳がらみの男性に、樹木の下刈りや枝払いを依頼した。まだ植林して、4、5年しか経っていなかった。大抵は、年に春先と秋の中頃と二回に渡って行うことが多い。いつもだったなら、毎年同じ人に頼んで手入れをしてもらうのだが、そのベテランの請負人が75、6歳を越して2、3年前から痛風を罹ってしまった。そこで、その人の下で働いていた通称「留さん」と言われている人に頼んだ。雑草が茂ると、植林した杉などは他の食物の日陰になったり、あるいは雑木で根本などに太陽の光が届かなくなる。当然ながら、生い立ちは悪くなったりして平均した丸太に育たない。そこで、こうした枝払いや雑木刈りなどを施すのである。数日して、刈払い作業が終わったと言う知らせが届いたので源蔵さんが早速その点検に山に行った。確かに、依頼した山は綺麗に刈り取られ草履でも歩けるような見通しのよい林に変わっていた。そこで、その地続きの隣にある樹齢30年近い杉の山をも眺めて見ることにした。もう、伐採期に入っている。前の山師の大将に、この刈払いが済んだ跡にはいつもながら御礼代わりにと、丸太10本程度は切って自分の物にして良いと許可をしていた。ところが、どう言う訳か林道側の林の杉が綺麗に伐採されていた。切られた木は、30本以上もあった。源蔵さんは、思わず「盗木」されたと直感した。だが、切り口を見てみると古いものではなくごく最近のものであることに気がついた。まさかとは思ったが、どう考えても「留ドン」の仕業としか思い浮かばない。そこで、夜になってそのことについて伺えを立ててみた。なんと、いつも通りに前の伐採人と同じ事だと思い自分がいただいたと言うことだった。「そ、そんなバカなーっ?」と、空いた口が塞がらない話しだった。確かに、前の請負人とはそんな約束をしたことはある。だが、「留さん」とはまだそうした約束をしたことはなかった。と言うのも、「棟梁」としてはまだ認めてはいないのである。しかも、一度に数十本と言う伐採は常識を越えた行為である。その理由は、ここ3年ばかり手伝った分なので年10本前後と言う事だったので、一度に三年分戴いたと言うことだった。「呆れ返って、話しにならん」と、源蔵爺さんが憤慨した。こうした状況を聞いていた、長男の5年生になる孫が「指切りしたの?」と質してきた。「指切り? 誰と?」と、源蔵さんが反対に聞きただした。「その小父さんと?」と、孫は答える。「前の小父さんとはな。だが、今度の小父さんとは未だだ。前の棟梁さんからな、跡継ぎとしての許可がまだないんじゃよ。これからも長い間の付き合いじゃからの、こう言うことはの、前の人の許可が要るんじゃよ」。「じゃー、前の小父さん、指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ますだね?」。「ほほう、指切りげんまんか、なるほどの。その指切りじゃが、お前いつどこから出たか分かるかい?」。「知らん、でも、友達とはいつもしているよ。どこから、出てきたの?」。一瞬、源蔵爺さんがためらい、「わしもの、知らん」と嘯(うそぶ)いた。これは、昔し遊女がお客に愛情の不変を誓った証拠として小指を切って、そのお客さんに渡したと言うことかららしい。約束を守ることとは言え、大変に痛かったろうと思う。こうした背景上、孫に遊女の存在を教える訳には行かなかった。それが、「約束を守る」ことに置き換えられ現在に至っている。「げんまん」は、「拳万」と書く。握りこぶしで、一万回も叩くと言う意味で「指切り」だけでは満足しないと言う「制裁の証(あかし)」なのである。この「針千本」も、更に制裁を加える意味から後に付け加えられたものだと言う。こうして二重三重に「約束を迫る兵器」を開発したものであるが、常に約束事は破られると言う運命の証拠なのでもあろうか?孫の質問ではないが、考えようによっては前の棟梁との約束であったから、あるいはこの「留さん」にも当て嵌まることなのかも知れない。とは言え、その棟梁から跡継ぎの話しや専門契約としての相談も無かった。棟梁の息子は、大工さんである。木材に関わってはいるが、庭師や山林従事者ではない。だが、山の管理はこの大工さんが請け負っている。それだけに、「窃盗」として告発するにも気分が優れなかった。針千本を飲まされたのは、自分のような気がした。「まっ、高い手間賃と思い諦めては?向こうだって、慣習と受け止め伐採したんじゃないのかね。そのうち、勘違いだったとして変換するかも知れないじゃないですか?」。「変換? ・・・・・・・、もう、売る約束をしたらしいがの。手金の、倍返しになろうて」。「えっ、そんなに早く? 手回しが、いいね?」。愚痴を聞いた私も、一瞬頭に手をやった。「窃盗か 勘違いもある 紙一重」。
2013.08.24
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朝夕だけほんのチョッピリ涼しく感じるような気がするが、多分季節遅れの梅雨のせいかも知れない。と言っても、まだまだ日中はうだるような暑さである。そんな時に、もう秋の味覚の話しは少々早いから、先ず涼しく感じることを言って見ろと叱られそうである。カキ氷のようなお話しでは確かにないが、別に暑さに負けずに食べなさいと言っている訳ではない。いろんな調理による味わい方もあって、それで思い出した訳である。わが町内でのことであるが、焼こうが煮ようがそれを与えない親がいることに心が冷える夏であることをも、感じさせられた幼児虐待事件もあった。ところで、焼くと言うことになれば「トウモロコシ」も含まれると思う。どっちにしろ、「焼いてよいもの」は「煮ても蒸かしても」よいようである。「栗」や「ジャガイモ」や「薩摩芋」、時には「ニンジン」や「茄子」だって味噌を付けて焼いても結構イケルものである。煮たり蒸かしたりしてブヨブヨした物よりは、焼いてホカホカさせて冷ました物は「シャキッ」とした歯ごたえがあるような気がする。子供の頃は、ジャガイモとかサツマイモなどは灰の中に入れてよく焼いて頬張ったものである。もっとも焼くと言っても、最近では色々な器具があってこれがいいとは言えないようだ。網もあればフライパン、バーベキュー用鉄板やトースターあるいは季節によってはやかん置きストーブなどといろいろある。一番手っ取り早いのは、家庭ではフライパンであろう。電子レンジもあるが、もし凍らせてあるときはむしろ水分が多くて上手く焦げ目が出ない。場合によっては、破裂することもある。だからどうしたと言いたいようであるが、実は私が焼いて食べるものとは冬に食べる「みかん」である。もっとも、冬とは限らず今ではスーパーに年中あるが。「えっ、焼いたミカン、マジッ?」と、疑いの眼(まなこ)で睨まれそうだが実はこれはとても美味しい味なのである。焼き方に、一つのコツがある。もっとも、フライパンで結構である。皮ごと焼き、実にもほんのり焼き焦げが現れる程度と言う微妙な火加減が要求される。焼くことによって、甘味も増しビタミンCも普通の3倍ほどに摂取できるなそうである。まぁ、出来れば皮の薄いのが一番であるので買うときには、良く品定めをして買った方がいいようだ。これを今度は、冷蔵庫に入れて冷やしてから食するのである。この調理法は、実はあまり食べたがらない「渋柿(しぶがき)」からの発想である。われら子供の頃には、品種改良された果物などというものはあまり存在しなかった。ろくに、カラスや小鳥でさえも食わないこうした果物を、焼くか蒸すと言う手段でもって味を変化させて食べたものである。時には、軒下に皮を剥(は)いで吊るしておくと言う方法もあった。どちらにせよ、その渋味は取れ味もまろやかに化けたものである。要するに、「干し柿」の方法である。これが高じた訳でもあるまいが、いつしか何でも焼いて食べる癖が居座ってしまった。特にみかんの場合は、甘味が一段と増す上に喉などの炎症を抑える「薬用効果」もあり、且つ「消化吸収を良くする」と医者は言っている。冬などは、特にこの方法がいいのである。体も、温かくなり喉の乾燥をも抑えてくれるのだ。冬の体を温めるこの効果は、灯油代の節約にもなるであろう。と言う訳で、こうした自衛策をも心得ていた方が良いではなかろうか。そんな老婆心が、このクソ暑い今であってもと書き急(せ)かした次第である。ちょっと古い話しではあるが、「焼きみかんの喉飴」とか言うものがあったはずである。確か、「カンロ」とか言ったはずであつたが、最近は目にしたことがない。倒産したのか、それとも製造中止になったのか知らないが、私はよくお世話になったものである。懐かしいの一言(ひとこと)であるが、「南天飴」より効くと思って「焼きミカン」にしている。しかし今は、「冷凍ミカン」で歯を凍みらしてシカメツラをしている。「この暑さ 冬の味覚で しのぐ夏」。スイカの冷やしたのも良いが、今出回っている季節外れのミカンの冷やしたのもオツなものである。やはり、季節なりの「旬のもの」もよいはずだが、最近では年中存在してあり季節感がなくなった。世界の果物や食べ物が、豊富に出回っている。まるで、食うために生きているのか食わさせられるために生かされているのか、分からない世の中になってしまった。とは言え、それでも食わせないで子供を餓死寸前にさせて殺してしまうような親もいるものだ。その年齢に見合わないような、体重の軽い児童を見かけたときには周囲が気をつけて見る必要があるようだ。旬も、季節の味覚も味わうことの無い子供達もいることに背筋が冷たく感じる夏でもある。いろんな方法で味わえる物を、それも与えないで部屋に隔離しているような鬼のような親の夫婦もいたものだ。その子等にとっては、煮るとか焼く蒸(ふ)かすなどと言う調理を見たことが無かったのではなかろうか?近所のおばさんが、偶然にアパートから這(は)って出て来た子供を見た。その子は、腹だけ膨らませた三歳くらいの子供だった。「おや、今時に?」と、疑念を抱いたのだった。話しかけたなら、泣き出してしまった。すると母親らしい女が、その子を抱かかえていきなりドァを激しく閉めて家の中に消えた。しかも、パンツではなくパンパースを履かせていたようだった。「オシメ」を履かせる年齢ではないのだが、何故か手脚が極端に細く感じたようである。このおばさんは不自然さを察知し、児童福祉課に連絡してどうやら一命を落とさずに済んだようだ。明らかに、虐待されているものと読み取っての通報だったようである。市役所では、やはり虐待だったと認定したようである。セックス処理だけの、稚拙な夫婦もいるものである。「余所(よそ)様の 家庭が冷えてる 夏事件」。
2013.08.20
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今若田光一さんたちが、再び宇宙に飛び出すとかというニュースがあった。またしても、長期間にわたっての宇宙生活と思われる。そこで、思いついたことがあった。要するに、トイレの問題以外の重要なことだ。言わば、「セックス問題」ではなかろうかとふと思わった。あと何年間で、一般市民もお金の出しようでは宇宙旅行も可能な筈だと言われている。もっとも、旅行だけの長期滞在だけではなく宇宙ステーションの更なる建設や、あるいは惑星探査などのための長期滞在と言うことも大いに考えられる。そこでだがそうなると、当然ながら一方の配偶者までも同伴させなければならないことだってあり得る訳だ。そんな時に、宇宙では無重力状態で果たして地球上で営むようなセックスは可能なのだろうかと思った。聞く話しによれば、こうした問題は決してタブーなことではないらしく、ロシャやNASAなどでも無視出来ない問題として研究しているなそうだ。お互いに合体しようとすれば、ニュートンの第三法則(作用・反作用の法則)などからして、抱き合って踏ん張れば体が互いに離れてしまうか、あるいはクルクル回って中々合体が出来ないのではないかと思われる。なんの支えも無い訳であるから、浮いて回転だけして離れたりくっついたりしてどうも密着が出来そうも無く集中できない気がした。仮に成功したとしても偶然に、新しい体位などが発見されアクロバット的セックス技法の登場となるのではと思った。無重力の宇宙だけでしか出来ない、新体操に似た体位が発明されたとなると地上のわれわれは、ただ指を銜えて想像して楽しむ以外はなさそうだ。それに加え仮に合体できたとしても、果たして精子が卵子に行き届くのだろうかと疑問を持った。その前に、肝心なことは男性根つまりおチンチンが立派に大きくなるのだろうか?と思い気や、「海綿体の血液充満は、重力に反することにならないから問題がない」と言うことらしい。常日頃、シャキッとしないで何となく萎(な)えでいる状態が多いわけだが、これを聞いて安心して宇宙旅行が出来るかも知れないと思った。とは言うものの、宇宙では放射線が降り注ぐと言うことなので、若い夫婦の場合にその胎児などが、正常な状態で生まれて来るものなのだろうかと言う疑念も払拭出来ない。前に一度メダカやネズミなどで実験したようだったが、その時は骨のあらゆる部分が未発達だったと言う話しもあった。と言うことは、まだまだその弊害を克服しかねている状態なのかも知れない。先ず繁殖は別として、「宇宙セックスの成功」のためにと言う訳でこれをテーマにパネルディスカッションが行われ色々と研究されているようでもある。お互いの体を密着させるために、胸の辺りから足元まで前の部分をパックリ開き、お互いに向き合ってマジックテープのような物で互いの体を固定すると言う方法もあるらしい。最近では、「宇宙セックス用プロダクトのプロトタイプ」とか言うジャバラ式の円筒型の物があるらしい。これを窓際に固定して、そのジャバラを伸ばし二人一緒に入り込むと言う物らしいのだ。しかも、宇宙を眺めながらのお楽しみとかでその密着度と言い感触度は、宇宙ならではの醍醐味いやムーディな雰囲気を満喫させる工夫をしているとのことである。確かに、長期滞在を視野に入れた場合は当然ながらこの「性の解決」を押し図らねばなるまい。人間の体は地上であろうが宇宙であろうが、性欲が湧かないと言うことは無いからだ。増してや、宇宙への家族旅行が可能な時代が来るともなれば当然の設備が必要なのも確かである。「おいおい、何をするんだい、窓を開けて!」。「もう、これっ切り、これっきり、これっきりですわ~。もっと広い宇宙を見てきてね!この機会を、ジッと待っていたのよ、バイバイ」と、女房から宇宙のゴミにされないように心掛けて旅行しないといけない。宇宙は永遠に限界がないが、人間界にはお互いの限界度と言うものがあるようであるから、日頃の愛の確認とその密度の程度をも再確認することもその時の旅行の心得の一つかも知れない。「あ~あ、こんな殺伐とした世界から逃げられるいいチャンスだわ」と言うことも、あるいはあるかも知れない。もっとも、余談としてのお話しではある。遠い未来の、自由に宇宙旅行の出来る時代のお話しではあるが?「もどかしい 熟練要する 愛もある」で、皆さんもこれから練習しておく必要がありそうだ。<離婚の理由>、「離婚の動機ですって? ありますとも、弁護士さん、私が結婚しているということです」(エミール・ポラック弁護士)。 う~ん、確かに。未婚では、有り得ない話しですからな。重きも、軽きも共に背負う仲なれどもどこかでちょっと舵が狂う時もある。「自由とは、どこかで何かに縛られているから欲しがる。だからこそ、その不自由さが無ければ味わいられない」(プラトン)。と言うことは、宇宙でも勝手な自由は無いのかも知れない。宇宙に似た無重力の天国へ行っても、盆と言う名のもとに引き戻されて再び蘇(よみがえ)されて良きも悪しきも問答の対象にされてしまう。その時期が、もう盆と言う形でやって来た。「あの頃の、わたしに戻して」と、拝まれない人生を送りたいものである。「天国で 出来た倅に 追い出され」で、宇宙を彷徨(さまよ)うような地上以上の不幸は造りたくないものである。
2013.08.13
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面白いことと言うか、国家利益主義的発想と言うかそんな感じのする「著作権」を、発動すると言うお国が現れたがその後どうなったのだろうか?その名も文化遺産価値として名高い、あのピラミッドやスフィンクスを有するエジプトである。もっとも、我が国においても「富士山」が世界遺産に格上げになった。その趣旨からして、この国際的文化遺産を自国のお宝として著作権を主張すると言うものであるから満更でもない。「エジプト政府は、これまでピラミッドやスフィンクスを模した工芸品などの販売を黙認してきたが、著作権を主張することにより今後は、エジプト政府に対して許可を求めなければピラミッドやスフィンクスを模したものの制作や販売は認めない方針だと言っていた。エジプト政府では、例えば、米アリゾナ州ラスベガスにあるルクソールホテルのような場合は、その外見はピラミッドやスフィンクスの造形を誇張しており、完璧なコピーとはならないために、著作権の侵害にはならないとしている。しかし、その外見がピラミッドやスフィンクスの造形を忠実に模したものでれば、その造形の著作権はエジプト政府にあり、制作や販売にあたってはエジプト政府の許可を得る必要があると述べている」。(一部報道引用)。これはしたり、しかし何千年も前に造形されたこうした物が果たして、著作権を主張できる物なのであろうか?日本も、国際的文化価値の高い物については既に「ベルヌ条約の加盟国」として参加している関係上、その保護とその著作権を保護する義務が自動的に生ずることになっている。言え換えれば、何もエジプトだけはが著作権を発動出来る訳でもなく、日本とてベルヌ条約に基ついてそのピラミッドの著作権が成立すると言うことになる。いやそればかりではない、この「ベルヌ条約」には世界の殆どの国が加盟しているのである。こんなことが勝手に許されるとなれば、世界遺産に登録なった物はそれぞれその国と、それが存在する地方都市の私的財産として成り立つことになる。「姫路城は、兵庫県の物だ、いや姫路市のものだ」とか、「厳島神社(いつくしまじんじゃ)は、広島県のものだ」、「白川郷・五箇山の合掌造り集落は、おらが県の岐阜県の物だ」となったなら、一々そうした物が存在する県や市町村の承諾無しには観賞も記念写真も撮れなくなってくる。それはそれとして、「富士山」のような場合は周辺の各県からも眺められる。この場合、どの県の権利なのだろうか?それは、観光資源としての存在価値があるわけであるから多少なりの入場料やお土産販売は当然だが、これに著作権が発生するとなれば確かに莫大な利益が望まれようが、地球上の世界遺産を独り占めにすると言うことはいかがな物であろうか?第一誰の物かとなれば、それは長い歴史の下で延々に築き上げられた人類そのものの遺産であり、時には自然が為し得た壮大なる光景でもある。もはや一国の遺産ではなく、「人類全ての者の遺産」である筈だ。だからこそ、何度も改正されながらこの「ベルヌ条約」が存在するのであるどうもエジプトは、この世界遺産は自国だけのお宝だと思っているようだ。何となく親父が築いた財産を、バカ息子が権利を主張すると言うな事のように私物化して捉えている節がある。あるいは、昔しかの有名だったエジプトの元ナセル大統領が過って、スエズ運河をイギリスやフランスから取り返えし船の通過料で運河を建設したように、そのような大儲けを企(たくら)んだトンでもない夢を見ているのかも知れない。今は時代が違う、何でも自国だけの有利な政治手法はいつかは自滅を誘うことにもあろう。大体にして、30年や50年昔の著作権利ではない。ウン千万年ものの過去の物をである、それを今思い出したような主張は通る物ではあるまい。益してや、過去に於いては死ぬ思いで築き上げて奴隷達の造形物でもある。それだけに、遠い人類の歩みを私物化しないで欲しいと思った。この原油高で、アフリカ南端の喜望峰を通らずアジャと欧州を結ぶ最短距離を利用させ、 その貨物船通航料が増え一ヶ月に475億円を稼ぎ出しているらしい。これに観光料が加わったなら、どんな数字になるのだろうか?無い無いの砂漠のお国にしては、結構左り団扇で儲かっているお国なのである。幾らあっても、欲には終わりがなかろうが?そのお国も、今では「アラブの春」とは言えどこを向いて進もうとしているのか当分不透明のようだ。まぁ、余所様のお国のことは良い。問題は、われらが私生活に於ける将来像がもっとも大切だ。「余所はいい 我家の家計だ 頑張って」と、こちらは女房殿から油を絞られるのがオチのようである。
2013.08.09
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特に夏になれば、やはり「生ビール」をグィッと一杯と言うのが喉越しがいい。夕方ともなれば、どこかの居酒屋で「生一つ」と注文する。すると、生樽からジョッキに並々と生ビーッルがテンコ盛りにして運ばれて来る。中身は白い泡が3分の1を占めているが、取っ手を握ってグィーッと一気に飲みまくる上唇に少々の泡を残し、フーッと一呼吸入れてその瞬間の幸せと満足感を楽しむ。これぞジョッキー醍醐味なのかも知れない。さてこの「生」であるが、最近ではどのビールにも「生」と表示されているようだ「生ってな~に?」と、つい気になって調べて見ると要するに微生物などによって、ビールの品質を劣化させないために熱処理をする場合が多いなそうだが、この熱処理をしていないビールのことのようである。最近では、このビールの製造工程全体に渡って微生物の管理とろ過技術が大分向上し、業界全体でこの熱処理をしないのが主流となっているなそうだ。そのためか、この「生」と言う表示がいたる部分で表示されている訳だ。「本生」、「「グイ生」、「新生3」とかと、缶ビールやビン入れにさいも表示されていると言うことは、何も「樽」から注いだビールだけが「生」なのではなく、ビール全体が「生仕込み」と言うことなのである。「生」と言うと、何となくすぐ「樽出し」と思ってしまうが実のところ、それ以外の「容器全般にも生ビールが存在」すると言う事のようである。と言うわけで本来ならば、熱処理経費や温暖化に寄与している訳だからもう少し、安くなっていいはずなのだが消費者側はそれを感じない。いったい、この裏側のテクニックはどうなっているんだろうか、ついつい疑問に思ってしまう。特に、居酒屋とかビァホールなどで飲む「生ビール」はどこも同じ価格で、しかも一杯500円とはどうも高く感じてしょうがない。確かに「生は」、一味違うような味ではある。しかし本来は、缶であろうがビンであろうが口当りがまろやかで、クリーミーな味には変わりが無い筈なのであろう。チョッとどこかが違うと思うのは、「樽生」の場合は樽の鮮度や炭酸ガスの染み込み具合などでそう感じるのかも知れない。であれば何も、高い「樽生」でなくとも缶や瓶の「生」でジャンジャン飲みまくった方が良さそうだ。だが、「ビール腹」と言うメタボの要素も考えなければならないとなる。だがしかし、ビールを飲んだからとて「ビール腹」になると言うことではないのだ。アルコール度が低いため、ツイツイ余計なおツマミなどやビールと一緒に摂るその他の部分がいけないのである。「ビール」では、決して「太る」ということがないのである。余分な物を食べ、基礎代謝が減り余分なカロリーが体内に残るから、太りやすくなるのは避けられないということなのである。男性は比較的に、「ビール腹」ならぬ「リンゴ型腹」が多いがこれはビールに関係なく、日頃の食生活による弊害なのである。と言うわけで、この夏は大いに「生ビール」をゴックンゴックンと楽しんでもらいたい。「生」って、耳障りが良くその響きにそそわられるような気がする。「生はめ」なんて、想像しないで貰いたい。「生チョコ」・「生ハム」・「生娘」などあるがある。中でも「生娘」を、「なまむすめ」などと読んではいけない。「きむすめ」と、読んでいただきたい。もっとも毎晩飲んだくれて、奥さんから「生ゴミ」だと言われないようにしたいものである。そのうち、「生首」にされたんでは「生」のイメージが悪くなってしまう。どっかのビァホールで、生ビールを飲みながら「生の演奏」でも聞いて心の中をも涼しくしたい物である。「待つホーム 耳に優しく 訛(なま)り声」で、「生」ならぬ「訛りのある言葉」が飛び交う盆列車の風景も、今年ももうすぐやって来る。例年の如く、盆正月は「民族の大移動」の季節でもある。同じ「なま」でも、こう言う「なま」もまた心に響く季節であり風景でもある。故郷に帰り、久し振りに会う家族や友人との「グィッと一杯の生ビール」も、心にさわやかさをもたらし新しいエレルギーを醸し出すことであろう。「ジョッキーの 乾杯音頭で 晴れた顔」。
2013.07.30
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ところで、日本の場合であるがどれだけの人が「神や地獄」を信じているのだろうか? 確かに、「○○の神」や「お仏様」は信じていると言う人も多かろう。それは、「信仰の自由」であるからいいとしょう。だが、絶対的に信じなさいと言われたならばこれは人によっては苦痛である場合もあるであろう。絶対に、「天国と地獄」を信じなければどんな公務員にもなれないと言われたならば、国民はどうするであろうか?アメリカのテネシー州法 9章第2項(神の存在を否定するもの)。「死後の世界に天国と地獄が存在することを否定するものは、テネシー州においては公職につくことができない」。なんと、神様と鬼や閻魔(えんま)様(さま)を信じなさいとある。良かったですねぇ皆さん、日本に生まれて。日本国憲法第19条(思想及び良心の自由)、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」。これと比べると、雲泥の差がある。そう言えば、アメリカ大統領が就任する時には必ずと言っていいほどに「神を信じ」とか「神の名において」などと言うセリフを吐く。まぁ、キリスト様を信じるお国であるから止むを得ないのであろう。もっと面白いことに、日曜日に働くことは違法である言う法律もあった。やはりアメリカで、サウスカロライナ州法である。<日曜日及び、祝日と他の特別な日第一章>。「日曜日に働くことは不法である。普通日曜日と呼ばれる週の初日に、必要な仕事とチャリティを除いて一般的な仕事をしてはならない」。う~ん、確かにいいことである。日本人は、とかくセコセコと働き攻めである。私生活や家庭よりも、会社が優先するようである。とは言え、「子供が日曜日に遊ぶためには、免許証が必要である(テネシー州法)や、「車の販売、及びレンタルは日曜日に行ってはいけない(ウィスコンシン州)」となると、幾らなんでも過酷法と言いたくなる。まぁ、安息日と言うことであろうからそれもいいだろうが、随分とクドイ規律であると思った。もっとも、どこかのお国のように断食するところもあるから、これは腹が減らなくてまだいい方であるかも知れない。ところで、これとは全く以って違う話しであるが最近珍しいことに出会った。と言うのは、「少年新聞配達」のことである。見慣れない、まだ中学くらいの少年が我家の玄関で「お早う御座います」と元気な声を出した。多分、マラソンか何かの練習かと思い気やなんと新聞の配達だと言う。これは、「労働法違反」に該当するのではないかと思った。聞いて見たなら、お兄ちゃんが風邪を引き寝込んでしまったのでその代わりだと言う。まぁ、配達を休むわけには行かなかったのであろう。確かに、新聞は未だかと待っている人もいることであろうから。しかし、15歳未満の者は夜の10時以降から朝5時までは労働禁止である。この季節、朝5時と言っても真っ暗である。たまたま、雪が降ったために少し早めに外灯を点けて玄関前の路上に出た。この我家の前の通りは、小中学生の通学路にもなっている。一掃いしょうかと思って、箒を片手にして出会ったと言うわけである。感心もしたが、反対に新聞販売店に疑問を感じた。労働基準法第56条(最低年齢)、「使用者は、児童が満15歳に達した日以後の最初の三月三十一日が終了するまで、これを使用してはならない」とある。意外と、遵守されていないことに驚いた。ついでだが、「18歳未満の児童を解雇した場合は、故郷までの帰りの旅費を出すべし」ともある。また、「業務上に於いて亡くなった場合は、給料六十日分を葬儀代として給付すべし」ともある。意外と親切丁寧に、保護されているわけである。覚えていて、損はあるまい。お国が違えば、やはりその法律も自(おの)ずと違ってくるものであるが、それにしても中には「金魚を金魚鉢で飼ってはならない(イタリャのモンツァと言う町)」などと言う条例もあって、つい笑い出したくなる法律もあるものである。その理由は、金魚が彎曲に見えて実際とは違った見え方をするからだと言う。と言うことは、誰かが金魚になって水槽に入って見てのことなのであろうか?これは多分にして、「動物愛護精神」から生まれた発想かも知れないが、果たして金魚はどう思っていることであろうか、聞けるものであれば一度聞いてみたいものである。そのうち、「モルモットを飼育し、医療用として実験に使ってはならない」などと言う法律がどこかの国で制定しかねないかも知れない。最後には、「全ての動物を狩猟し、またはその他の方法で以って堵殺してはならない」となると、もう人間は何も食することが出来なくなる。もっと極端になると、「根のある植物を採集してはならない」となると、「死ね!」と言われた様な物である。あ~あ、ここまで動物愛護が進展しては生存すること事態が違法と言う事になってしまう。「どうして、そうなるの?」と、欽ちゃんのように質問したくなってきた。バカバカしいが、現実に変な条例や法律があることも事実である。「神様に 従う法律 不自由なり」で、やはり西洋の神様よりは日本の神様の方がいいと思った。
2013.07.17
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カツラを付けなければならない人口は、いったいどのくらいの数なのだろうか? ある程度の年配になってしまえば、少々禿げたところでそう恥ずかしいとは思わないと思う。 これが年若いのにそうなってしまったとなると、やはり気にもなるだろうし本人にとっても深刻なことかも知れない。 このカツラだが、昔は確かに取って付けたようなそんな感じのする幼稚な技術だったが、最近では本物ソックリなものが作られているそうだ。 従って、今では意外とカツラだったなどと見破られることの無いような自然に近いほどに技術が発達したと言う。 それ故に、生涯に渡ってカツラを使って隠し通すことも可能になったと言う。 ところが、どうしてもその姿を白日のもとに晒さねばならない時があるそうだ。 即ち、そのベールを剥がされることになると言う可愛いそうな一瞬があるのだと言う。 これは、ある私の知り合いのお話しであった。 彼は、数年前ある市の公務員を定年退職をしたわけだが、その仕事の内容は死んだ人を燃やす係りの人だった。 要するに、火葬場の番人をしていたわけである。 この方も、実は私がいつもお邪魔する例の健康ラウンド式の温泉場で知り合った人である。 面白いことに、お酒を一滴も飲まない人でそれでいて冗談の好きな人である。 一年中素面(しらふ)で、頭が狂わないかといつも辺りの人達からからかわれている。 お酒で狂ったことは無いが、一度女に狂ったことがあると言って澄ましていた。 さて彼の話しであるが、カツラをして生涯を終わった人は必ず禿であったことがバレル日は、この焼却されるときなそうである。 と言うのは、火葬場では火葬をする場合にはカツラを燃やすことを自粛しているなそうである。 即ち人工毛の場合はその毛に、人毛の場合は人工皮膚の部分にそれぞれ塩化ビニールが使用されている。 そのために、環境問題に配慮して焼却する前にこれらを剥がしてから焼却をするなそうである。 要するに、環境破壊の原因となるダイオキシンの発生を防ぐ観点からなそうである。 「済みません、この方カツラはしておりませんでしたか?」と聞くと言うことは、中々遺族に聞き出せないところがあるらしく本音とは裏腹に、確認しづらいケースが多いなそうである。 本当は、火葬場としてはカツラを燃やすことは遠慮願いたいなそうである。 時には、「お局カツラ」と言うものもあるとのことである。 これは何も今始まったことではないらしく、既に1925年(大正14年)から「お局専用のカツラ」があったのだと言う。 では、どう言う人がつけていたんだろうかと気になってしまった。 基本的には、女性専用の物だったらしい。 意外と若い女性で下の大事な所に毛が生えない(パイパン)と言う、「お局(言葉を変えて書いています)無毛症」と言う病気があるなそうである。 団体旅行などに行って、毛が無いことを知られたくないと言う理由で買い求めるなそうである。 今では男性ホルモンが含有された軟膏を塗るとか、あるいは植毛するとかと言う方法もあるらしい。 ポピュラーな方法として、「貼るカツラ」が結構愛用されているらしいのだ。 貼るカツラには、人毛が植えられて人工肌を肝心なところに貼るタイプと、人毛がネットに植えられているタイプのものとがあるそうだ。 前者は3万円ぐらいで、後者は1万7、8000円前後だと言う。 肝心な所に毛が無いことは、意外と不清潔であるらしい。 どっちにしろ、焼却前に剥がさねばならないと言うとこれもまた楽しみな職業でもあるなと思ってみた。 と言っても、7、80のばぁさんではガッカリするであろうが。 もっとも、大抵は若い女性がカツラをつけているのであろう。 年を取ってからは、何もこんな物を付けて生きねばならないこともあるまい。 ところで、この「毛無しお局」と褥(しとね)を一緒にした場合には男性の方はどう感じるのだろうか? 何となく多分、幼女ポルノめいて罪悪感を感じてしまいそうな気がした。 相手の女性に取っては、意外とモズ痒いような気がするのではないだろうか? やはりこれは、あるべきにしてあった方がお互いにスッキリするのではなかろうかと勝手に思った。 がしかし、最近ではむしろわざとパイパンにする女性が増えたと言う。 もっとも、アメリカでは60パーセントの女性がパイパンにしているなそうだ。 特に、若い女性に多いと言うことである。 自然界の逆を行く、芸能人に似た民族の違いに行き先の危うさを感じさせられる。 「何時にても 少女に帰れる 名器なり」で、どこか羨ましいところもないでもないがやはり自然体がいいのではないだろうか?
2013.07.06
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おかしな物で、「県名と県庁所在地が違う県がある」ことに皆さんは疑問を持たないだろうか?これは言うまでも無く、当時明治を作った新政権の意地悪な差別と区別のためであったようだ。当時は、官軍と佐幕派(朝敵)とに分かれて戦争をして最後の勝利者は、ご存知のように薩摩を中心とする官軍が勝利を収めた。その結果明治維新政府は、官軍に属した藩と佐幕の藩と日和見をした藩とに分け、一瞥して分かるように差別化を図ったのである。即ち、官軍派は県名と県庁所在地を同じ名称にし、敵藩にはそれぞれ違う名称を付けさせたのである(廃藩置県)。中には、例外もある。例えば、山形、福島、和歌山、福井などがそれである。徳川御三家の水戸は茨城県に、尾張は愛知県となった。紀州和歌山は、新政府に対し「反意無きこと」を伝えてあったので後に「忠勤藩」に入れてもらえたと言う経緯がある。地図を取ってよく見ると、おおむね日本海側が新政府への忠勤藩が多く、太平洋側はどちらかと言えば朝敵側(佐幕派)と言う風に思える。中でも、会津若松や米沢などは故意に県庁所在地から外され、その勢力を分散されたようである。そのほかに、県名と同じであっても県庁所在地でない「市」が三つある。それは、南から言うと沖縄県の<沖縄市>があっても県庁は「那覇市」である。山梨県に<山梨市>があっても、県庁は「甲府市」である。そして最後は、栃木県の<栃木市>があっても県庁所在地は「宇都宮市」である。面白いことに、四国の四県のうち二県だけが県名と県庁所在地が違うのだ。愛媛県の松山藩と香川県の高松藩は、どちらも「朝敵」であった。そのために、この両県は県名と県庁所在地が違うのだ。まぁ、これは歴史の致し方ない事情によるものであるがそれとは別に、何となく寂しい思いをすることがある。それは、「平成の大合併」による市町村の地名が残ったが、「大字(おおあざ)・小字(こあざ)」が省略されて何となくひっくるめられて「なんぼ」となった故里にされたような気がする。おまけに、合併によって故里の名が消えて新しい地名に変ってしまった所もある。「故里が消えた!! そんなバカな??」と、つい叫びたくなるような衝動にかられたことがあった。もう二度も三度も合併により変り、今では番地のみが微かに残っているような我が故里である。「郡や字(あざ)」が消え、「○○丁目などに変ってしまい」その面影さえも消え伏せてしまった。あまりにも「ハイカラさん」になり、チャンバラ遊びをして飛び跳ねた掘や野原が消えてしまった。更に農地整理によって実家の田んぼや畑が、一箇所に整理されたことは良いがそのお陰で思い出の場所が消えてしまったのだ。農道などが拡幅され、小中学校に通った畦道が無くなり大型耕運機が行き来できる道となった。遠くから見て、あの高いポプラの三本の木が我家の目印だった。それも、農地整理で無くなった。いや名目はそうであったが、実は周囲の民家に枯葉が吹き飛びその清掃に留意して切り倒したとの事のようだ。今では住民が増え、お隣が近くなって毎日の挨拶さえも面倒になったと、八十を越えた長男兄貴が苦笑していた。明治も昭和も遠くなり、永六助さんがいつだったか「町名が危ない!」とおっしゃったことがあった。それが、ズボシになってしまった。産まれた所も、今住んでいる他県も「朝敵の佐幕派」であるが今となってはむしろ、県名と違って何となく進歩したような県庁所在地名に思えて優越感が沸く。それだけに、愛着が一入(ひとしお)である。皆さんも、もう一度故郷や今住んでおられる地域について研究して見てはいかがかな?きっと、新しい自分と地域感を発見できるかも知れませんからね。「差別名 いつしか馴染む 明治の遺恨」。
2013.07.03
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ある温泉場での、お話しである。 「うちのな、五、六軒先に独身の女がいるんじゃよな」と、例の「お色気話し名人のホンダホンダ(本当だ、本当だ)の爺さん」が話し始めた。 「幾つになる女(ひと)や」と、元銀行員の浅倉さん。 「そうじゃのう、もうかれこれ32、3かな? 出戻りでの、まーぁ、今で言うところのバチイチとか言う立場じゃな」。 「その女(ひと)、どうかしたのかい?」と、仲間の元警官のチョビ髭さん。 「どうしたと言うことでもないがの、時たまある男が酔いに任せて夜にお邪魔したなそうじゃ。 この家はの、みんなの家からチョッと離れているお家での、勿論辺りはエヌキ林と言うて の、まぁ垣根代わりに杉の木や竹藪で囲ってあるわけさ。 俗に言うところの、屋敷囲いじゃがこの辺りじゃ~エグネなどと言うておるようじゃがの。 今年も暑かったじゃろ、そんなもんでこの女が夜になって縁側で浴衣を着て夕涼みしておったようじゃ。 そこへな、近在では後家殺しと言われている東平と言う男がの、何の前振りもなくいきなり訪問したんじゃな」。 「なら、ビックリしただろうさ、その女は?」と、チョビ髭さん。 「と普通は思うだろ? ところが、ニ~ッと笑って家の中へ引き込んだらしいんワサ。 こりゃ~下手すりゃ~よ、お頂戴できるかも知れんと思っての、そのままズーズーしく今晩はと言って敷居を跨いたなそうじゃ。 もっとも、口実は秋の稲刈りのことじゃったようじゃがの」。 「稲刈り、なんでまた、百姓なら自分でやるだろうさ?」と、浅倉さん。 「まぁな、ところがよ、この家では親父殿が既に亡くなっていての、70近いお袋さんと二人だけの生活じゃったんだよ。 家督の兄さんもおったのじゃがの、東京に出稼ぎに出ておって事故に遭いコロリと逝ってしまった訳よ。 何十階もある板場から、足を踏み外したとなりゃ~さ、良くて半身不随と言うところじゃろうが、それが地面に叩き落ちもんだからひとたまりもねぇさ。 即死したらしいな。 それからさ、酒癖の悪い亭主に三行半(みくだりはん)を突きつけ帰ってきたと言う訳よ。 田んぼはさ、毎年この東平ドンに頼んで耕作してもらっていたと言うことよ。 だから、うんちくを知っていると言う仲な訳よ」。 「なるほど、で、どうしたいその東平ドンは?」と、今度は私。 「おー、そうだった、前置きが長かったな。 でな、夜這いは成功したらしいんだワサ。 それはいいが、その女のな、フトンの辺りに妙な物が転がっておっての、何だろうと思ったが聞くもせずに終わった後に黙って持ち帰ったなそうじゃ。 何だと思う?」と、ホンダの爺さん。 「サイフか、女だけに肌身離さずと言うこともあろうからな、多分?」と、チョビ髭さん。 「チョッと、長いもんだぞ」と、ホンダの爺さん。 「なにーっ、長いもの、擂り粉木(スリコギ)か、まさか?」と、私。 「いやっ、あれだろ、ほら、膨らましたチョッと長い風船かも? でもあれかな、すべりが悪いか?」と、浅倉さん。 「ハハハハ、まぁさ、色んな道具はあるさ~な。 それがな、なんと、ソーセージだったんだよな」と、ホンダの爺さん。 「ほう~、なるほどな~、あれならよく似ているかもなぁ~」と、チョビ髭さんがニヤケて言う。 「そのソーセージじゃがの、ウインナーもあるがその違いが分かるかい? まぁ、ウインナーは羊の腸を利用したものじゃが太さが20ミリ以下ということだじゃから、 4、5歳児のチンポコと言うことになるの。 これじゃ~、使い物にゃならンワナ」と、ホンダの爺さん。 「カマボコもあるな、あれじゃ~あれかな、フニャフニャしてチンコの代用にならんか」と、浅倉さん。 「そうか、となると、フランクフルとか?」と、チョビ髭さん。 「それもある、じゃがこれは36センチ以下で豚の腸に入ったものじゃからの。 三十女とお寺の鐘はさ、突けば突くほど唸り出すと言う唄があるようにさ、何となく物足りない感じがするだろうな。 となると、牛の腸に入った36ミリ以上のポロニャソーセージと言うことになるな」と、ホンダの爺さん。 「それだったんだ、その拾い物は?」と、チョビさん。 「そうよ、よくしたもんだぜ、大分研究したような女(ひと)だな。 それでよ、野朗め東平がよ、その持ち帰ったソーセージに齧りついて食ってしまったと言うからビックリしたよ」と、ホンダの爺さん。 「なんだとーっ、食ったーっ! どんな味がしたんだよ、臭かろうて?」と、チョビさんがビックリしていた。 「それがな、こんな物がいらんようにさ、これから本物のソーセージを食わしてやるから必要ねぇと言うたらしい。 半分は、ソーセージに焼餅を焼いたんだろうて近所じゃ言うておるよ。 ソーセージの中身なんかはさ、作っている奴と神様しか知らんと言うな。 そのほかによ、法律とソーセージはよ、作る過程を見ない方がいいとも言うな」と、チョビさんがご披露していた。 「どうしてなのさ?」と、私も食い込んで見た。 「そりゃ~あんた、その家庭や店の秘伝があるからさ。 何を混ぜているかは、だーれも知らんさ。 法律だってさ、どんなに綺麗にまとまった法律と言ってもよ、出来るまでの過程でよ、醜悪な根回しなんかあるらしいんだワサ。 だからよ、見ない方はいいと言うわけよ」。 「なーるほど、挽肉や牛とか羊のグロデスクな腸を思い浮かべたなら、食えないもんな。 こりゃー、見ないに限るな」と、浅倉さん。 「だろう? 口に入る物を一々見たり聞いたりしたんじゃー、料理なんてものは食いづらくなってくるものよ。 あれだってさ、暗いからとてよ、いわんや見なくとも入るもんだろうさ」。 「ちげぇねぇ」と、一同で笑ってしまった。 この東平さんの話題で、ソーセージ類の勉強にもなった。 単なるお色気話しのみならず、この爺さんの博学には脱帽である。 「普段着の 話しに栄える 年の功」と、言うところなのであろう。
2013.06.30
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わが飲み友の浅倉氏が、真面目に相棒の爺さんにこんな話しの質問をしてきた。 「ねぇホンダホンダ(そうだそうだ)の爺さんね、つかぬことお伺いしますがね、お宅のお孫さんのA君さ、何で計理士だか税理士の勉強しているんです?随分と、地味な仕事だと思うんだがな、外にあったろうにね?」と、奇妙なことを言い出した。「本人が選んだのだから、それでいいと思うよ。もっとも、ある会社の経理課で働いている大学の先輩に言われてのことらしぃんじゃがな。そう言うあんたも、経理マンだったろうさ」。「まぁね、信用金庫だったからね。あの頃は、残業が多かったが今はどうなのかな」と、回想する風だった。「実はな、これにも裏があってとのことだったな、確か」。「ウラッ、どんな?」。「あのさ、もしだぞ、もしもの話しじゃがの、どこの会社にも色んな職種があるだろ?例えば営業とか、あるいはお得意さん係りとか配送だやれ在庫係りだとかとな、その中で一番安定してしかも会社の実情を把握出きる部署はどこだと思う?」。「そりゃ~なんたって経理だろうな、あっ、そうか?」。「なっ? その上にさ、上司とも一番付き合っている立場だろうがさ」。「と言うことは、クビにもなり難(がた)い部署でもあるかもね、確かに?」。「分かっているんじゃないか。それだけじゃないぜ、会社の内容も分かるしな、オマケに情報も早く把握出きる立場だろうが?」。「ついでにあれだな、会社の内部抗争もキャッチ出きるという訳か、なるほど」。「まぁな、派閥争いは別としてな、要は会社の内部事情がいち早く認識できるという立場だろうがさ」。「まっ、俺の時は営業と言えやぁ預金の獲得と、その預金をすぐ使わせないことだったがな」。「使わせない、どうして?」。「たった2,3日で払い戻しされたんじゃさ、預金金利を持って行かれてさ、こっちが貸付しないうちに金利掛かったんじゃ、合わないからですわいな」。「な~るほど、貸付金利が産まないうちじゃ両刃の鋸(のこぎり)にゃならねぇか。でもよ、普通預金じゃ大した金利でもあるまいて」。「だからね、せめて短期定期預金などにしてもらう訳ですよ。その実績がね、要するに優秀な行員と言うことになる訳でさ。もっともよ、更に貸付損の無い貸し出しすることも重要な要素でもあるがね」。「それはそうだろうな、しかし、銀行が潰れないと言う神話は滅びたな。大分前になるがさ、確か北海道の拓殖銀行が一番の走りだったかな、その後はバタバタと倒産した銀行が多かったな。その潰れた時にの、大学の先輩がさ、サラリーマンになるなら経理部門に、出来れば経理士になりなと諭(さと)したなそうじゃ。お蔭げさまでの、今はまだ計理士見習いじゃがな、なんと驚くなかれある会社の部長さんがの、自分ところの会計資料をな、そっと孫の経理事務所に持ち込んで精査してくれと駆け込んできたらしぃんだわさ」。「なにーっ? 自分とこの経理がやったのをかね?」。「そうよ、売上がある割にはどうして経費をきつくして来たか、疑問に思ったらしぃんだな。ゴルフ接待も出来んようじゃ、お得意様係りが出来やしないとな。それはいいんじゃがの、その帳簿がさ、水増し会計だったことが分かったわけよ」。「で、どうしたのその後?」と、浅やん。「そこでさ、この部長さんがな、部下である課長をそっと呼んで聞きただしたなそうだ。ところがこの経理課長がさ、このことをもっと上の専務に報告したらしぃんだわさ。それから一月もしないうちにな、この部長がトンでもない辺鄙な支店の課長に格下げされての、飛ばされてしもうたなそうじゃ」。「なんと、じゃー誰がその帳簿を改ざんしたの?」。「その専務さ。なっ、経理に疎(うと)かったり経理部門にいないとさ、正直者がバカを見ることさえある訳よ。誰が振るいに掛けられ落ちこぼれされるか、地獄耳じゃなくともよ、早めに情報が入る部署とでも言えるかもな。」。「なーるほどなぁ、確かにそれは言えるかも知れんな。もしもの会社の倒産だって、こりゃー早く情報が入るもんな。なにもさ、銀行に限ったことじゃないがね」。「それはそうとお前さん、倒産を予想して会社勤めしている訳じゃねぇだろうな。気が休まる暇がねぇじゃねぇかよ、それじゃ、え、の?」。「いや~ぁ、奥の手がありますからねぇ。会社の痛い所ですがね、へへへへ・・・・・・・。余所の人はね、上司の後ろにピッタリ食い付いて歩みますがね、私は上司の爪先を見て歩いて居ますんでね。一歩先じてね、何を望んでいるかを読みませんとねぇ。もっとも、もしもの場合にゃ首になる前にね、余所の会社に飛び越えますがね、その時ぁ~ね。そんな訳でね、同業者とも良きライバルとして懇(ねんご)ろに付き合わせてもらっていますよ、はい」。なんとも、今流のサラリーマンも居るものだ。「上司の 爪先見つめて 明日を知る」。
2013.06.24
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「意外と、燃えそうな女(ひと)なそうだぜ」と言って、座布団を引き寄せる浅倉さん。 ここは、いつも屯する健康ラウンド式温泉場である。いつものように、仲間4,5人が集って何やらお色気話しが始まった。今日は、「敬老の日」とあって、65歳以上の人は入場券1.260円は無料とのことである。そのためか、座敷式食堂兼ホールは「敬老会」のように混雑していた。そんなことを予測した仲間のおトヨおばさんが、早めにお風呂から上がり我々のための席を確保して待っていた。「どの女(ひと)のことよ、うん、浅やん?」と、デカ上がりのチョビ髭さん。「斜めお向かいのさ、あの小太りの人さ。まだ40ちょっとかな、後でここへ来てもいいかと言っていたっけ」。「俺は、知らん人だな」と土建屋の「ドラ太」さん。「あたしの知り合いよ、もっとも、ここで知り合った仲だけどね」と、おトヨさん。「あの人、あんまり歯並びが良くないね、唇も前に出ているような感じがしたな」と、浅倉氏。「そうか、じゃーあれだな、その燃えるは当たっているな、きっと」と、「夜這い色気話し名人」の「ホンダホンダ爺さん」。「どうしてさ、確かに体つきはそんな感じもしないでもないが、あのお顔じゃーな」と、朝倉氏が首を振る。「いいかぁ、昔からな、歯並びの良くない女(ひと)はよ、あっちの方が好きだと言う言い伝えもあるくらいだぜ。嫁に貰ったならさ、家が傾くとさえ言われたもんさ」と、ホンダの爺さん。「なんでぇさ、どんな関係や?」と、土建屋の「ドラ太」さん。「知らんかったか、あんまり人(男)にモテないからさ。それでな、ストレス持ちになってさ、あっちの男こっちの男と言う風に渡り歩く癖を持っていると言われているのさ。それによ、気が強くてな短気な場合が多いと言うぜ」。「おいおい爺さんよ、ホントかい?じゃ、俺が目付けられたと言うんかい?」と、浅やん。「かもな、ちゃんと退職金しまっておけよ、な、おい?」と、ドラ太さん。「そう言えばな、そう言うタイプはさ、爺さんじゃないが確からしいぞ。大体にしてな、歯並びが悪いとさ物が詰まったり虫歯になったりもする。それが高じるとな、舌の安定感もなくなりイライラするらしぃんだよ。そうなるとさ、精神面でも安定感がなくなり自棄(やけ)になるときもあるらしぃんだな」と、チョビ髭さん。「そう言うこっちゃな、そのイライラがさ、人間関係をギクジャクにしてさ長続きしなくなると言う訳よ。だから、ついあっちの男こっちの男と渡り歩いてしまうらしいな。だからさ、遊ぶにはいいかも知れんがな、嫁にはもらえねぇとなる訳よ」と、ホンダの爺さん。「なんだよ、歯を隠して尻隠さずって訳かい。たまんねぇな、そんな女をよ女房にしたらさ、満足に家も空けられねぇだろうて」と、ドラ太さん。「で、どうするの、呼ぶの?」と、おトヨさん。「浅ヤンが、いいってさ。たまには、ゲテ物もどうや、うん、浅やん?」と、チョビ髭さん。「そりゃおもしれぇ、どうせそんな女だったら長続きはせんだろうからな。試してみな、俺はそれからでいいさ」と、ドラ太さん。「冗談じゃねぇさ、折角入れた高い金歯を抜いて持って行かれるがな」。とは言え、もっとも最近ではこうした歯並びの悪い人は見受けなくなった。年頃になれば、歯科整形する関係で綺麗な歯並びになる。従って、それなりに欠点を補っている関係上自信も付くのであろう。とは言うものの、本来持って生まれた性格や潜在的な心の屈折はどうなのだろうかと思った。一人の男に満足しないこの欠点は、中国の「観相学」でも言われていると言う。「歯」が、こんな重要な意味を持っているとはまた一つ勉強になった。「ネズミより 身上(しんしょう)噛み砕く 反っ歯女(びと)」、血統を確認しないといかんかな。
2013.06.15
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