星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)

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2026.08.26
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カテゴリ: 本帰国で再発見!
 原田マハ著「風神雷神 上・下」を昨日やっと読み終えて「遣欧使節団」が派遣された16世紀の戦国時代から現代まで時空を超えて日本とヨーロッパの絵画を堪能した気分に浸っています。

 「風神~」にはヴァチカンでローマ教皇に謁見した少年は5人となっていてクリスチャンではない江戸時代初期の絵師「俵屋宗達」が加えられています。俵屋宗達が織田信長から直々に与えられた任務は狩野永徳と共に描いた「洛中洛外図」を持参しローマ教皇に献上する事、イタリアの絵画技術(活版印刷術など)の情報を得、日本に持ち帰ることでした。

 3年という月日をかけて長崎からマカオやゴアを経由してポルトガルに到着後陸路でイタリアに渡った使節団は無事フィレンツェ、ローマの公式行事をこなし最終地のミラノへ赴きます。

    

460㎝x880㎝ 1495~1498年に制作

 フィレンツェでダヴィンチの「聖母子図」を見て感銘を受けた俵屋宗達はミラノの工房で絵師に会う事を願い出、訪問を許されたのが「Convent Santa Maria delle Grazie (サンタマリア・デル・グラッツィエ教会)」でした。使節団の少年の1人「原マルティノ」と共に訪れた教会で通されたのは隣接する「修道院食堂」でそこの壁の一面にダヴィンチによる「最後の晩餐」を目にする事になります。

 思い出したのが在星時の2021年に「シンガポール・サイエンス・センター」で開催された「ダ・ヴィンチ(1452-1519)展覧会」で修道院食堂の壁に描かれたのと同じ実物大の「最後の晩餐」の複製画が展示されていた事です。 説明にはフレスコ画ではなく石の壁にテンペラ絵の具を使うという前代未聞の方法で描いたため、ダ・ヴィンチの生存中から絵の具が剥がれるという事態が発生し、19世紀の中頃にはかなり状態が悪くなったため1978年から1999年の間に修復が行われ現在に至っているとあります。

 観光客が見る事が出来るのか気になって調べてみると完全予約制、一回につき約30名、15分間のみという厳しい制約付きですが可能なようです。サイエンス・センターでの展示ではモナリザや飛行機などの発明品に目を奪われてじっくりと「最後の晩餐」を見なかった事が今更ながらに悔やまれます。

 小説「風神~」に話を戻すとその食堂で偶然にイタリアバロック絵画の始祖と言われる画家「カラヴァッジオ(1571-1640)」に出会う事がこの物語のハイライトシーンになっています。当時は3人とも10代の少年で将来カラヴァッジオも俵屋宗達もどんな傑作が描けるのか全く分からない状況の中で「絵画」というものに情熱を注ぎ切る様子や絵画を通しての絆が描かれていて流石に原田マハ氏の創作力の素晴らしを感じました。

 因みに実際に「カラヴァッジオ」の絵を見たのは2011年に訪れた「エルミタージュ美術館」で「リュート奏者」でした。個人的には特に心を引かれた絵では無かったのですが、この絵が16世紀に描かれたという事に非常に驚いて今でも忘れられない一枚です。何か近代・現代に描かれた絵のように私には映りました。天才というのはそういうものなのかなぁと・・。






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最終更新日  2026.08.26 11:58:08
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