全24件 (24件中 1-24件目)
1
オオタニワタリが通路を邪魔するぐらいに大きくなっていた。 柿の幹に根をおろしていたのを、 ツルハシで削り取って除去した。 そういえば ずいぶん昔、 小学生の頃はこのあたりが門になっていた。 坂道を利用して 草スキーみたいなのを考え 泥スキーをしたことを思い出した。 すべりやすくするために水をまいて泥だらけで遊んだ。 県道までは鬱蒼と茂った木々の下をぬけなければならず、 夜は幽霊が怖かった。 県道の脇に生えていたガジュマルには 幽霊が棲んでいると聞いた広島大の学生が 寝泊りして、 幽霊の研究をしたと聞いたこともあった。 幽霊が棲んでいるといわれている樹は ガジュマルとアコウだったが、 私の屋敷はガジュマルの大木で囲まれていた。 10本ぐらい生えていただろう。 そのときの大木は全滅して、 今は祖父が牛小屋の前に植えた一本だけが残っている。 子供の頃には屋敷にはアコウはなかったので、 私が植えた一本が大木になりつつある。 そのアコウの樹までの道、 旧道を復元したいと思って 昨日から片づけを始めている。 昔の森には及ばないが 昔の屋敷のように幽霊が棲みたくなるような 大木を育てよう。 ちょっと手を加えたら 少しは見られる庭になりそうだ。
2016年03月31日
コメント(2)
与論島の景観を考えてみよう。 できることは 保安林の整備の充実であろう。 現在指定されている保安林の保育や改良を年次的計画すること。 港湾区域に指定されている茶花から供利にかけての構造物を 景観としてとらえて、 緑化とあわせてゾーニングをして、 長期計画をたてること。 百合が浜の入り口をメインにして、 保安林の両サイド、船倉と赤碕地区を 観光ゾーンとして通歩道を結ぶこと。 耕地防風林の整備は モデル地区を設けて、 町が事業主体となって公共施設周辺の整備から始めること。 旧道や史跡の周りを、 庭つくりの手法を生かして、 昭和初期をイメージした景観に戻すこと。 それには、水田だった場所を復活させることも考慮したい。 畑に向かない珊瑚石の周辺は、 ソテツやアダン、 在来種の雑木の種を撒いたり植えたりすること。 しかし、 整備した後は誰が管理するのだろう。 観光収入があがれば、 民間団体にゾーンごとの管理委託費が計上できる。 農業予算の直接支払い制度の活用を考えてみたい。 まずは 凸凹より始めよ。 一隅から始めたい。
2016年03月29日
コメント(1)
私の庭、 空間を造っている。 井戸端を基点にしようと思った。 雑木の庭づくりを始めてからもう30年以上がたっている。 屋敷が林になった。 次は森を目指しているが 島全体を緑で覆うことを目標にして 防風林の苗木を育成している。 安い苗木を生産販売したら 私の思い通りの緑ができるいはずだ。 大きな夢だ。 そのためには みんなが来て見て、 いい庭だと思わなければならない。 誰のところでも簡単にできる庭、 生活のできる庭を考えている。 そして スポットとして 観賞用の庭も取り入れる。 その材料集めが ここ十年ぐらい続けている。 用意は着々と・・・。
2016年03月28日
コメント(0)
よかった 良かった! 和田さんのお蔭様。 「たびんちゅ、しまんちゅ、ゆんぬ人」のメンバーが 入り口で迎えてくれた。 私の好きなミュージカル・舞フェア霊ディの曲から おーぷにんぐ。 かんつおーね、 日本の四季の歌など ポピューラーな曲を歌ってくれた。 与論島出身のメゾソプラノ歌手、池田さんも加わり そして、吹奏楽部の生徒さんも加わって 丁度2時間を堪能した。 クラシック音楽を好きになっていて良かった。 テノールの声がとても良かった。 そして 伴奏のピアノとぴったりと合って・・・。 最高の夜をありが島ございました。 生徒のみなさんも 音楽を続けて欲しい。 夕べは夢をみた。 お蔭様で 夢の中でトロンボーンの音が出せた。 そういえば この前の奄美大島の出張の際 中古のトロンボーンを買いたかったのに 荷物が多くて買えなかったのだ。 二本でていたので、 まだあるかもしれない。 夢は叶う。
2016年03月27日
コメント(2)
戸籍係をしていたことがあるので、 「世帯分離と住所変更」については知っているべきなのに 良くわかっていなかった。 屋敷内で住所変更をしたら世帯分離になるのか? と ふと思ってしまった。 一緒に同じ家に住んでいても 世帯分離ができることは知っていた。 離れ(倉庫)が建ってるところは地番が違うので 今のままの生活を続けるとしたら 住所変更をしなければならない。 食事や電気水道代金などは 一緒になっているので実質は、 世帯は分離されていない。 離婚していて、同じ家に住んで、 世帯分離している家庭にはそれぞれの事情があるが、 おもに介護や税金対策であるようだ。 では 離婚はしないで同じ屋敷内に棲んで 世帯が一緒の夫婦はどうなるのだろう。 面白い。 単身赴任の家庭みたいだ・・・・。 離れ(離島)暮らし。 試しに一年間 単身赴任してみよう。 交通費がゼロで毎日歩いて通える。 高熱水費は世帯分離する。 ウンパル学校の住所変更の準備期間としたい。 固定電話はどうしようか・・・? 考えると眠れなくなるので またにしよう。 曇りだけれど月齢からすると十六夜あたりだろうか? 末娘の手から受け取った封筒の涙の後を決して忘れてはいけない。 きっと成し遂げて見せたい。 ちゅんじゅうながれ。
2016年03月25日
コメント(0)
まいど・・・。 再設定して ログイン。 報告会に参加してきました。 365日ゴミ拾い。 1000日が クリスマスイブにあたるそうです。 サンタさんが ゴミ拾いにやってくる? ゴミを宝物に変える 魔法の袋が欲しい。 発想の転換だ。
2016年03月24日
コメント(1)
年度末が近くなっているのに まだ完成していない工事の進捗。 ネットが張られたら形が見えてきた。 入り口や後方の水タンクとの間隔などがわかってきたので 今後の計画が立てやすくなった。 次から次へとやりたいことが増えてきて さーたいへん。 嬉しくなる悲鳴。 なんか変な言葉使いだが これが僕の癖。
2016年03月21日
コメント(2)
やれるところまでやってみようと思う。 二年待った。 自治公民館の活動に不満を持っていたので 昨日、館長さんに直接会って相談してきた。 今年度の館費の徴収もない、役員会にも呼ばれない。 農地と水の総会も開催されないで年度末を迎えようとしている。 このままではいけないと思い、 館長が来期も続けるつもりかどうかを打診するために、 私が立候補したいので」 早いところ役員会を持ってもらうようお願いをした。 それができないようならば、 署名を集めて住民請求する旨を伝えた。 動かざるを得なくなった。 農業委員の任期もきれることから、 丁度いいときを迎えている。 自治公民館組織のあり方を私なりに考えてきた。 新町長に提案したいこと、協力して進めてもらいたいことが 沢山ある。 議員になるよりも 館長のほうが即実行できる事が多くある。 議員さんと行政を動かせると思う。 そんな歳になった。 今やらなければもう後はない。 もう少しだけ頑張らせてもらいたい。 村づくり方策、古里集落づくり方策を手がけてから40年経った。 あの頃みたいな集落自治にしたい。 自らを興すこころが村を興す
2016年03月21日
コメント(2)
アクセントをつけるために 赤レンガを使ってみた。 滑り止めにもいいようだ。 砂利だけでは一輪車のたいやがめり込むので オートバイの通行には支障があったので 中央部だけをレンガ敷きにした。 工夫をしている。
2016年03月20日
コメント(0)
どうなるか。 新 し い 道 を 開 くために心がけること(016年度努力目標) 隠居に向けて準備を進めてきた。 今のところ65歳の誕生日を目標にしている。 農業後継移譲と先祖を祭っている神棚と家屋敷も同時進行でやりたいと思う。 財産わけを伴うものである。 父がしたように私もやりたい。 長男に家屋敷と先祖を守ってもらうことは家族に異存はないものと思う。 従って、現在の住居の土地と建物を長男に譲ることとする。 耕作地については、青年就農給付金事業の契約事項のとおりとする。 残りの土地については、私がこれからも保有することとして、その財産分与についてはのちのち(73歳の歳祝い) に考えたい。 さて、今年度の目標を思いつくままに列挙してみることにする。 ・祖父母の三十三年忌を最重点行事の一つとしている。 このことについては、近日中にスケジュール表をつくりたい。 ・当面の課題は借金(33万)の返済のことである。 倉庫の改造資金を調達して一時返済に充てるつもりでいるが、設計が遅れているので期 限に間にあいそうにないので、資金の工面を早急にしておきたい。 営業活動をするなどして何とかくりぬけなければならない。 ・セブン-イレブン活動助成が受けられたらNPO活動に弾みがつく。 オオゴマダラ再生のチャンスが到来した。 助成が得られなくても今年の活動の中心に置く。 ・コースタルリゾートの海岸石積み作業を減らして、ワリバマのプライベートビー チつくりに作業量をシフトさせたい。 ・仕事面では、マンゴーの施設整備後の管理作業を重点に農作業を組み立てる。 ・苗木置き場の拡張と既存のマンゴーハウスの修理を順次していく。 ・屋敷の整理、倉庫の片付けは趣味と実益を兼ねて楽しみながら暇を見つけて行う。 もう一つの重点事項 町誌の追録の執筆は言うまでもなく 最重点の責務である。 ・家族の意志を尊重しながら自分の生き方を追求することが出来たら少しでもましな人 間に成長していけるだろう。 ・それも出来ないようだったら、別の選択をしたい。 ・自分の言動には責任を持つので常に覚悟をしておきたい。 平成28年2月15日 選択と覚悟を決めて行動に移す。 契約結婚 という新しい夫婦関係の 取り決めに入った。 結婚そのものが契約なのだから 新しくはないのだが、 期限を決めて目標を定めた生活をするのはどうだろうかと考えた。 今までよりも改善されるのであれば 期限を延ばせばよいことだ。 自分に甘えるな! お互いに。 ぼける前にやっておかなければならないことがいっぱいある。 日々之口実
2016年03月18日
コメント(2)
働けなくなったら、 年金だけで暮らしていけるものだろうか? お金のことは、 生活費のことは、ほとんど関ってこなかったので 月々のやりくりの苦労をしたことがなかった。 ここ3年ばかりは、 農業委員の収入があるので、 それを全部を小使いにつかっているので 不自由なく暮らしていた。 ところが あれこれと事業を導入して その支払いに苦しくなっている。 ちょっとヤバイ。 もう預金が全然ないと言われて、 借入金の返済期日が迫ってきた。 前回は弟に土地を売って窮地をしのいだが、 もう余った土地もないので それもできないので 小銭を集められるだけは集めてみよう。 現在の倉庫生活を続けることとし、 食費分も一切自分で稼いで サバイバル生活に挑んでみる。 弟が死んでから、 あれこれと考えた。 是でもない 非でもない・・・。 それだったら 夢のために生きてみよう。 通帳から引き落とされている生活費の明細を見ている。 ギリギリの暮らし。 二人の食費は妻の稼ぎだったのか・・・。 交際費の支出がみられない。 電話代が高いのが気になる。 固定電話と携帯をあわせて18,300円 水道料金が5,500円 便利がこんな代償だった。 国民健康保険税や固定資産税、交際費はどこからでているのだろう。 ボランティア活動を少し減らして 農業収入を得なければやっていけないことが解った。 頑張れば 道は開けるだろう。 窮すれば通ず」という言葉をあてに 現在仕立ててあるハイビスカスとクロトンを何とかして 小遣いを稼ぐしかない。
2016年03月17日
コメント(4)
海に流れた泥水の様子を見て 大雨だったことを知った。 いつもは倉庫に寝泊りしているので 屋根をたたく音で 大雨に気がついたはずだったが 村・留学の学生を泊めて 私は床の間で寝た。 自宅の床の間では 風の音や雨音があまり響かない。 いつもの朝、 暗がりのなかを出かけていった。 荒れた海に泥水が流れ出して、 北風のせいだろうか 海流が外に流れ出さずに 一日中 茶花の沿岸は泥水だった。 渚が潮時で変わっていく様子を 写真に収めている。 今日もこれから出かけて 石垣を積もう。 ブラジル系日本人からウーフの申し込みが来ている。 すでに与論島に来ていて 野宿しているとのこと、 仕事帰りに会って来よう。
2016年03月16日
コメント(2)
久しぶりのかりゆしバンドの店、 ナマ演奏で踊ってきた。 10年ぶりに逢う方から誘いがあったので、 ウーファーと研修生を連れて 小雨の中を出かけていった。 8時過ぎから10時過ぎまで 二幕を楽しんだ。 てっちゃんと ミヤちゃんの 演奏の様子と 映像を。
2016年03月14日
コメント(0)
村・留学生 学生の訪問を受けることは珍しくなかったが 今回は何かが始まりそうな きっかけになるそうな、 手ごたえを感じている。 発表後の懇親会で さらに 思った。 仲間が居る。 地域での受け皿を考えなければと思う。 仕組みはどこかにある。 できるはずだ。 応援隊にはなれそうだ。 ちょっと 仕掛けもしてみたい。 くろこうじ実篤
2016年03月11日
コメント(2)
先月に続いての開催に夫婦で参加した。 来客があったので、 30分ぐらい遅れて保健センターの会場に入ったら、 AA(女性)の方が講話していた。 そのあと、班毎に意見交換があって、 私のところでは、 依存症が原因で離婚した例などが話された。 参加者は30名以上はあっただろうが、 ほとんどが保健所やら役場の関係者で 依存症の患者は私一人、 6人ぐらいが予備患者の家族らしかった。 会が終わった後、 そろそろAAの会を与論でも検討しようというので 居残りしていたが、 別の用件で呼び出しがあって、 妻に後を頼んでおいとました。 後で妻にきいたところ、 患者を支える家族の会をまずは立ち上げることになったようだ。 やっと一歩前進した。 私の出番が待っている。
2016年03月10日
コメント(4)
与論カボチャ衰退あとの園芸作物の導入経緯について調べている。 業務日誌と日記を読んでいると、 当時のことが蘇る。 昭和55年10月8日(水)の バルカン計画・日記より転載 話し合い協議会が昨日、中央公民館で開催された。 課長が風邪で欠勤したために、 推進計画について自分で説明にあたらなければならなくなった。 どうも上手く説明できなかった。 資料等の作成もできてなかったので簡単にすませるつもりが、 町長が中座したことから、 会長のいない審議は無意味だとの意見が出て、 農村振興運動に対する熱がない」と南島開発の池田部長から、 「町長を呼べ」と注文が来た。 そんことから、 助役や総務課長らも出席して、 今後の推進方策について盛んに意見が出た。 職員の増員を考えたら」との強い要望にも関らず、 町長はのらりくらりと話をそらし、 芯の通った声はきかれなかった。 それに反して、 益田教育長の農村振興運動に熱があること、 また適切な指導はありがたかった。 その他、 谷山課長、池田部長、金村おじさんなどの意見は 今後の推進活動で力をもらった。 推進体制、資料作成をちゃんとして 今後のむらづくり運動に取り組みたい。 農村振興運動は必ずやり遂げてみたい。 一番いい勉強になるだろう。 その他、予算、起案、事業の計画・進め方など いっぱい勉強しなくては・・・。 写真は昨夜の 農地中間管理事業説明会の様子です。 昔の自分のことを思い出しました。 説明会の後は宴会でした。 あのころまでは無理して焼酎を飲んでた。
2016年03月08日
コメント(2)
びっこを引きながら植樹祭の準備をすることとなった。 例年は 植樹祭が本番なので ちょっと力を抜いて走ったつもりでいた。 今回は雨が降っていたにもかかわらず、 調子よく走れたので頭に載って、 もしやの自己新記録のを狙ったのだが、 結果は去年と同じぐらいだった。 何秒か早かったと思う。 2時間30分を切るのは私にはもう無理だろう。 55歳での早期退職(R依存症ではない証)の記念にと ハーフに申し込んだ。 それ以前は数回フルマラソンを走っていたので、 ハーフは楽だった。 飛行場勤務からスタートして ゴミ処理場のストックヤードの完成をみて仕事を終えた。 マラソンを人生に例えて走る人は結構いるのではないだろうか。 ゴールは一区切りである。 次の植樹祭が本番で 花も実もある人生の行方を期待して 雨の中を走った。 結果は いい天気。 本番は大成功でした。 いつも参加し続けている方々 そして また仲間が増えた。 とーとぅがなし。 今朝もこの渚が待っている。
2016年03月07日
コメント(2)
完走おめでとうございます。 フル出場 年代別(76歳)で堂々第3位で飾りました。 完走パーティ会場からは早めに退散して 自宅で用意した牡蠣を食べる会。 ごく近しい面々で それぞれを語る。 手酌でビール 毎年参加してくれる方も 交えて 牡蠣鍋
2016年03月07日
コメント(1)
私にとっては マラソンを走るよりも 完走記念の植樹をするのが本番である。 今年は記念植樹を始めてから丁度10年目にあたる節目だ。 「どんな小さなことでも10年続ければ 何かを成した事になる」 といわれる言葉に勇気をもらって 続けてこれた。 役に立つ樹を一本でも多く育てようと思っていたが、 海岸端に、 そして一番風当たりの強いマラソンコースの沿道に 緑化を成功させることが出来た。 地元の在来の樹種を使えば成功させられることは承知していたが、 新しい景観を作るための手法を試してみたかった。 ビヨウタコノキ、キミガヨラン、ユッカ、新しい品種のリュウゼツラン アロエベラなど砂地と乾燥に強いのを試している。 失敗したのは ドラセナだった。 クサトベラやモンパノキやハマゴウは当たり前に成功した。 是ばかりではつまらないので、 椰子なども植えてみたが 椰子は育てることが出来なかった。 ダンチクやススキは成功している。 去年からハイビスカスの苗木を育てているので マラソン沿道をハイビスカスの花を主体にしようと思って始めている。 沿道のモデルにしたい。
2016年03月06日
コメント(0)
二階に上る階段で目にしていた「ふるさとの美しい道づくり」のポスターが 剥がれて置いてあった。 何気なく見ていたポスターだったが おや、与論島でも見かけた新しい看板に 似たような文言が書いてあったような・・・。 建設業の社長夫婦がボランティアでよく頑張っている姿を応援していた。 その場所(県道)に見かけた。 ひょっとしたら、 私たちの団体でも出来そうな気がして、 建設課に立ち寄って相談したら、 直接県庁に聞いたほうがいいだろうとぴうこととなって、 電話で問い合わせしたら、 今年度も間にあうかもしれないとのこと。 ヤッター・・・。 ヨロンマラソンの完走記念植樹をしている場所が県道沿線にあることから 条件はそろっている。 来年度に申請しよう。 あともう一箇所を思いついて、 兼ねてから掃除やらをしている方とお会いして 相談したら快く引き受けてくれた。 私の屋敷の入り口を含めて100メートル以上を区間としたい。 古里ロードのモデルとなれるように修景したい。 鹿児島ロマン街道の看板に恥じないように・・・。
2016年03月05日
コメント(1)
観光ガイドの話題は定番の歴史や民俗文化のほか 産業に関する知識も必要になってくる。 最新の情報を得るためには 町の発行する冊子に頼ることになる。 町政要覧」と農水産業の概要」を手に入れた。 「与論町農水産業の概要」はカラー写真とグラフを使っているので とても見やすく、解り易い。 農業の統計については私が関わったことがあるので 懐かしくて、「経済の概要」を新しい様式で作り変えた時のことを思い出している。 与論村の概要」の様式に沿って、経済の概要」を作った。 昭和55年か56年に大内先輩から事務引継ぎを受けた。 鹿児島県では県民運動として「農村振興運動」というのを展開していた。 私は何も知らないまま、 園芸作物の担当になったが、 その農村振興運動というのも担当させられて、 前任者からの引継ぎで「手作り農産加工施設」 の整備事業にも関わるこちになった。 何も知らない私は幸いにしてみんなの助けをかりて 最初の年度を無我夢中で無事に終えることが出来た。 産業課に異動したころの業務日誌を手にしながら、 会合の多いこととあわせて、 記録の大事さをつくづくと思うのである。 町誌の追録にために資料を集めているが、 自分の業務日誌からも確かめたいと思っている。 というのは 町政要覧やら大島支庁、県の統計やらの愚魚に関するデータは 私の手元からでたものだから。 農産物の出荷販売の記録は農協からの資料ではあるが、 その資料の原案は、 私が必要としていたのを入れてもらった。 販売単価や数量をきちんと抑えておくことが 経営指導につながると思っていたので あとでとても役になった。 園芸や、特種病害虫だけでなく、 農政の基本方針である、 地域農政総合推進事業」というのを担当していたのだと あらためて びっくりポンである。 いきなり係長級の仕事をさせられている。 その頃、 弟は農協の幹部候補生であった。 弟よ・・・。
2016年03月03日
コメント(1)
既存の施設を撤去したあとに建ててもらっているが、 障害物が多くて請負業者泣かせの工事現場になって申し訳なく思っている。 基礎石の穴を掘るとき 珊瑚の岩盤がでてきたり 25年もののマンゴーの根っこを掘らなければならなくなったり、 これでは業者は赤字になるだろう。 見てみぬふりをしているが 昔は園芸施設導入事業の担当をしていたから 請け負い業者の心情は察することが出来る。 パイプハウスから鉄骨ハウスの導入については ほとんどが私が担当していた頃に始まった。 施設園芸の取り組み事態が私の仕事だったのであるが、 奄美の園芸農業の振興については私の意見も 相当取り入れてもらったつもりでいる。 台風対策のため強度を高める構造に切り替えていって 工事単価がべらぼうに高くなって 農家の経済負担を大きくしたのも 私にも責任の一旦があるのだろうと反省もしつつ 土地の狭い与論島で農業で生き残るには施設園芸しかないと思っていた。 サトウキビと畜産経営が地域営農として定着し 土地利用形態が確立されている。 私が農政係長をしていたときに指標を定めた農業経営の形態が現在も続いている。 それからすると、 もうこれ以上の農業生産をあげることができないであろう。 あとは農家の経営技術の向上を待つだけであろう。 農家数は減ってきてはいる分、所得は上がっている。 農業で食える農家は残って、 後継者も帰ってきている。 遊休農地がみられないのはその証拠、 農業委員をさせてもらっているので世間様にも言い訳が出来る。 農地を守るのが農業委員のしごとの最たるものであるが、 経済全般にわたる産業の振興のことを マズ一番に頭に入れておかねばならない。 農政については 私は自身と誇りを持って新町長に進言もしていきたいと思っている。 兼業農家を大切にする施策が本町では大切である。 農業は総合産業であるから。 先ほど月夜を散歩してきた。 惑星と一等星の競演がみられた。 月、木星、火星、土星、 一等星は レグルス、スピカ、アルクトゥールス、アンタレス、 ベガとアルタイルとデネブの夏の大三角。 こんな幸せがいつまで続くだろう。 ヨロンマラソンの引換券が届いた。
2016年03月02日
コメント(1)
やっと倉庫の改築の相談に来てくれた。 トイレとシャワー室をつくってもらうことと 出は入り口が戸をたてかけてあるだけだったので、 隙間風の寒さと音に、 山小屋に住んでいる風情をやせ我慢して楽しんでいた。 もともとはウーファーの受け入れのためにと思いついたのだったが 実際に暮らしてみると 是までの自分の部屋よりも居心地がいい。 もったいない」と集めたガラクタやらが 適当に置けるスペースと グランドピアノを囲んで そふぁーとプレジデントデスクでネット三昧、 独りでものおもいにふけることができる。 べっどは すぐ横にあるので 昼寝も自由だし早く起きても気兼ねをしなくてもすむ。 そんな暮らしを半年近くになる。 ウーフ登録の更新の認証とあわせて、 今期大学を卒業し社会人になる前に与論島での生活を体験したい 女性の申し込みを受けた。 女房に、なるべく世話にならないでウーフを続けるには 自炊をしてもらうのが一番いいと思った。 で、 共同で食事をつくってもらうことを条件で 8日間を受け入れることにした。 宿泊は床の間か私の個室でいいかを 来てもらってから決める。 ヨロンマラソンの当日到着する。 どんな展開になるか楽しみである。 さてのさて、 コロニヘーブってなんだ? 私もわかっていない。 週末に過ごす集合住宅のことを頭においている。 それから派生して 移住体験の宿泊施設を考えている。 ウーファーを実験台(失礼)にして 農業体験宿泊をしてもらう。 お金をとったら営業許可がいるので 民泊にする。 宿泊体験、研修施設、観光農園、農水産加工施設などの総合施設が 国の補助事業も受けられる。 そんな構想を町役場ではまだ受け入れてもらえない。 4年前のことだった。 「田舎で働き隊」を九州農政局のおかげで実施し成功した。 次なるステップは施設整備事業の導入。 「新・田舎で働き隊」には 地域おこし協力隊員を町がうけいれることだったので、 やっと去年募集があった。 どうなっているのだろう。 やってみせないと わかってもらえないことが 多すぎる。 自分でやってみるしかない。
2016年03月02日
コメント(2)
弟を亡くしてから「あの世とこの世」の境目がますますわからなくなっている。 境目があるかないか」 そんなことを考える事態がおかしいのかもしれない。 「珊瑚礁の思考」喜山荘一著・藤原書房 を読んでから ますますこんがらがってきているのだが、 彼が思っていること、意図していたこととは 私の中の思考、そして想いは違うかもしれないと・・・。 概念を他人に解ってもらえることは なかなか難しいことである。 定義として書かれ、概念として認められることは 大衆に受け入れられなければならないので 私のなかにある「あの世とこの世」は こうであると例をあげて思考してみたいと、 農作業中や散歩の途中で ふと、浮かぶのである 私のなかには、二人あるいは複数の人間、 あるいは個(性)があって、 それを事象によって あるいは対人にたいして使い分けている気がする。 事象として たとえば善悪、損得、 対人として、男女の別、貧富、・・・・、 死人、か生まれたばかりから言葉を話せない幼児、 あの世が近い老人、に対してもつ心情は 瞬時に対応して思考回路が働いている。 しかし、 弟に対しては ほぼ自分のなかに居るような気がしてならない。 弟に限らず尊敬している父には弟と同じ思いがする。 毎朝井戸端で、断酒の誓い、 お祈りをするのだが そこにいけばいつでも先祖に会える気がする。 見たこともない曽祖父やまたその曽祖父に会えるのだが、 現実に見ているのは 曽祖父の頭蓋骨であり、 その頭蓋骨から先祖の系譜が浮かぶと 何代も前の生活を想像し、 与論島の先住民にさかのぼって ヤドカリにまで達してしまう。 ただ知識で知っている」ことと違うのは 隣に、見えない、見えていない弟や父の姿が 生前の姿として蘇ってくるのである。 幻聴として聞こえてくる人もあるらしいが、 わたしはまだそこまではいかないが 私に語りかけてきたリする。 お墓にいけば 誰でも先祖に会えるのであろうが、 私にはお墓が思考として見えていると 何処に居ようとも落ち着いていさえすれば 見えてきそうな気がする。 心がどこにあるかと 聞かれてまようが 生きている人間の体全体に心が宿っている。 (痛みはどこからくるかを感じるときとか) 思考というのは 生命があるから思考できるとしたら 生命だとすると、 虫にも思考があるだろう。 一寸の虫にも五分の魂のたとえは違う例だが 魂とは何かを問われると またこれも 人それぞれの概念を持つであろう。 珊瑚礁の思考」はそれだから 読み取れないのであろう。 お互いが概念について語り会うことから導き出されていく 「あの世とこの世」の思考については 老後をどう生きていくかを私に問いかけてくる 冊子になっている。 池袋の夜にお世話になったこと、 雨の日だった。 次は晴れて・・・・。 与論島に行けば「魂が呼び覚まされる」と思う そんな、景観を保全できればいいなー・・・。 珊瑚の海を取り戻したい。 海にいけば 海を愛した漁師たちの魂が呼びかけるだろう。 弟や父が「私の分まで畑を耕せ」と呼びかけている。 深く耕したい。
2016年03月01日
コメント(1)
全24件 (24件中 1-24件目)
1