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近くの皆田海岸の隣の小浜(フバマ)とワリバマに自生のホウライカガミがある。潮が引いていたので、食草を確認したあと浪打ぎわを歩いた。 海洋ゴミが打ち上げられていて写真に撮りたくないワリバマの様子だが、台風の爪痕を岩根にみた。かつてここにアダンとキミガヨランを植栽してみた。成功してたかにみえたが、度重なる台風でそぎ取られていった。生き残っていたのも去年の台風で全て失われた。人工の植栽には限度がある。無駄骨だったがこの経験を生かしたいし、これからの護岸植栽、植生についての参考になる。 フバマのキミガヨランはいくらか残っているが、それらが次の世代の植生の妨げになるか役に立つかは見守っていく必要がある。自然植生による護岸工にはもっと工夫、研究が必要だ。蝶はシロオビアゲハを見かけただけ。まだ蝶には春は浅い。
2016年04月30日
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門柱のない屋敷の裏口に看板を建ててることにした。 事業看板を撤去して倉庫の壁に立て掛けていたのを 再利用してみることにした。 屋敷内でオオゴマダラ蝶の飼育をしていることを 通行人にもお知らせしてみよう。 県が作ってくれたグリーブウ(緑豚)の看板、 表示の文言を書き換えて何とかできないだろうか・・・? 蝶の回遊拠点地 凸凹(盛窪)屋敷 屋敷内に 旧道を復活して回遊路を造っている。 少しずつ すこしずつ 砂利道を伸ばしていくには、 仕切りとするための珊瑚石も捜してこなくてはならない。 亜熱帯の森らしく見せるためには、 植物も工夫して植栽する。 モンステラの株が大きくなりすぎたので、 切り取って、 看板の足元に植えてみる。 もう一箇所は オオタニワタリが大きくなりすぎて移植したところが 淋しくなっていたので 割れた瓶を置いているが、 その添景にモンステラを使ってみる。 県農業試験場大島支場に生えていた小さなトックリやしをわけてもらった。 もう30年前のことだ。 この椰子をもらった方にお世話になったことを想いだしている。 どうしているだろうか。 水田転作のビニールハウス事業ができたのは はこの方のお陰だったと思っている。 奄美で強化型のビニールハウスが採用されるきっかけになった。 いろんなこと考えたよな・・・。 なぜ本土では出来るのに 奄美では出来なしのかと・・・、 大島支庁に食らいついた。 やればできる!
2016年04月28日
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エイサーは沖縄の芸能で、 与論島で踊られるようになったのは20年ぐらい前からのことであろうか? 青年団の交流の課程で祭りに取り入れられるようになったようで、 和太鼓も公民館活動として教室が開かれ 現在に至っているが、 エーサーの方が郷土芸能としては 島の風土、文化に似合っていると思う。 昨日のグラウンドゴルフ大会の交流会の写真を紹介したい。 躍動のあるしぐさと 太鼓や蛇皮線の歌 民謡には私の体が素早く反応する。 じっとしていられないので 立ち上がり カメラを構えてシャッターを切ったあとは 自分も踊っている。 舞弦鼓のメンバーは顔なじみ。 生き生きした彼ら彼女の表情が好きだ。 沖縄の真似から始めただろうが、 与論らしさが次第に出来ていくのが感じられる。 若い力、想像力、創造する新しい文化に期待したい。 エネルギッシュな動きに 力をもらった。 今日も頑張れる。 ありがとう。
2016年04月27日
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入島祝いは手作りでテーマ:楽天写真館(291723)カテゴリ:カテゴリ未分類 台風が避けてくれて沢山の笑顔に出会えました。 娘の帰郷と友達と友達のご両親を 手料理で迎える暖かい家庭 交流の様子が ありました。 お招きいただきありがとうございます。 ご夫婦の仲人をされた おばあさん お久しぶりです。 ユースホステルのことを思い出しました。 あのころのお客さんはみな 団塊の世代ですね。 これからも 見守ってください。
2016年04月27日
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久しぶりに立ち寄った別荘の庭が 見違えるように変わっていた。 道路から水が庭に流れてくるので どうすればいいのかと相談をうけたのが ヨロンマラソンの頃のことであるから、 もう一月以上がすぎている。 3万円分の庭つくりのお手伝いをしたいと申し出て、 土と肥料と砂、ハイビスカスの苗木を三本置いてきた。 その後、通りかかったら 庭の真ん中付近に 三トンダンプ一台分の畑土が置かれてあった。 次に来てくれるときまで待って手伝いをしようと思っていた。 気になっていた町道からの流水箇所を見に行ったら、 こちらの手直し工事の真っ最中だった。 良かった。 庭をみると、 いつの間にか土が平らにされて、 珊瑚の平らな石を並べて踏み石の通路がデザインされている。 お見事! 夕方、 ウーファーを連れてお話に出かけたら、 今度は道路補修用のコーラルが入り口に置かれていた。 これを片付けるのは さー大変 どうなるのこの工事・・・・? 役場の建設課さん ミッシークとーとぅがなし。 景観に考慮した 手直しの道路工事が住民総参加型の景観づくりに波及していくことを 啓発していきたい。 道路景観条例が活かされた。 担当さんに サンキュウ。
2016年04月25日
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NHK深夜便・昭和の歌謡曲(日本の唄)は 田畑義男さんを特集したようで聞きながら書いている。 昭和37年ごろの奄美大島といえば、私が10歳、この唄を聴いて唄って、高校生のころはギターを奏でて歌っていた。 ガットギターを中学二年生でゲットした。 湯の町エレジーや影を慕いて」等の前奏を 伯父さんに教えてもらったことが 今でも演歌から離れられないでいる。 今 十九の春」が流れているが 与論島がアナウンサーの声で紹介された。 与論小唄、与論ラッパ節がその原型にあるようだ。蛇皮線は学生時代に買ってもらったので、少しは弾けるのだが人前で披露するのは恥ずかしいのでもう少し練習してからということで、床の間の飾り物になってしまっている。 浪人時代にフォークギターを買ってもらって、スチール弦(コード)に挑戦したがそれも、とうとうものにできないでいる。 島育ちで歌われている「赤い蘇鉄の実」を特産品として活用する方法は蘇鉄の味噌づくり」だと思った。味噌の単品では売れないので、島ラッキョウ、野ビル、薬草などの健康野菜を加工品に利用する。病害虫に強い作物を利用し、台風と潮風に耐えられる作物を栽培することを考えている。 人手が要るから引き合わないと思ってきた作物をどうにかしたい。雇用開発の発起にできるだろう。葉っぱがお札に変わったように・・・、野ビルの球根や雑草が粉末として加工されることによって利用価値が高まるかもしれない。15年前の発想を自分の手で手がけてみたい。一度失った夢を叶えるときがきて居るような気がして来た。
2016年04月24日
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月夜を散歩したあとコーヒーをすすっている。 深夜便は奇しくも おぼろ月夜、 春風ふけば においあわし 海をみれば 小川のほとりも かわずの鳴くねも おぼろ月夜 これから月夜の浜を散歩してこよう。 ここを・・・。
2016年04月23日
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屋敷の地形を利用して 水辺の動植物を配置して ビオトープにしようとしている。 あちらこちらに 廃品を利用した水溜めをつくってきているが、 最終的には この場所に決めた。 地形の高低差を考えるならば もう一段下にも池を掘る事ができるが、 今のところはここで遊ぶことにしたい。 鯉は 小さい容器で育てると大きくなるのが遅いときいていたが、 育ててみるとそうらしい。 去年作ったコンクリート水槽の鯉のほうが 2年前から飼っている鯉よりも大きくなっている。 餌を食べる量が違うのは 泳ぎ回る場所が広いからだろう、 それで成長が促進されているのかもしれない。 数年前もらってきた花ショウブが今年も増えている。 これに気を良くして去年の春、 別の品種を三株、ネット販売で注文して花を咲かせた株が 今年芽を出し始めた。 これまでに家の周りの水槽で 金魚やコメット、プラティを育てているが、 亀などもこちららに移動してまとめて面倒をみよう。
2016年04月22日
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先輩から誘われて ハイビスカスの植栽場所の検討をしてきた。 パナウル王国の建国から33年になるという。 パナ(花)ウル(珊瑚)、 花と珊瑚の美しい国を目指して建国したが 珊瑚は死滅し、 連続した大型台風で緑を失ってしまった。 ここのままではいけない、 行動を起こす事にしよう」と、 協会長と顧問から緑化に関する誘いをうけていた。 待ってました。 いよいよウンパル学校の出番である。 マラソンコースを一回りして 植栽場所を検討した足で、 環境課長に会って計画を相談して了解をもらった。 観光協会の総会で植栽について提案させてもらい、 再来年の役員改選においては、 その部門の強化もするような仕組みにしてもらうこと。 行政や集落の活動に緑化計画を具体化させることなどを 話し合いって来た。 いよいよ出番がやってきた。 古里集落から始めよう。 夢は叶う。
2016年04月22日
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あれから何年経っただろうか・・・。 記念にと大切にしていたマサキの樹を切った。 代わりに 息子に島クルキの樹を贈った。 2013.02.27井戸端の砂利道テーマ:楽天写真館(290840)カテゴリ:カテゴリ未分類P2230164.JPGP2230166.JPGP2230167.JPGP2230170.JPGP2230180.JPG 与論の方言でトントンミーと言えば 弓のことである。 沖縄では ハゼの仲間を呼ぶらしい。 ウマヌパナと呼ぶハゼの仲間を昔の人は 弓で突いて捕ったという。 リュウキュウスズメダイのクルビラと呼ばれた魚も トントンミーで突いたと聞かされた。 弓に使う木の枝は マサキだったようだ。 与論語では ヤチクと呼ぶ。 マサキの木の名前から 父、正起を思い出す。 井戸端に自然に生えてきたマサキの木を 父の木と決めて大切にしている。 周りに砂利を敷き詰めた。 母の位牌を焼き捨てた跡地には 何を植えようかと迷ったが、 とりあえず、リュウゼツランを植え、 不用意に踏みつけないようにした。 そのそばには旅人の木を植えておいたので 成長したら大木になってくれるだろう。 いつか植えた木の生年月日を整理してみたい。 平 幹次郎「モミの木は残った」 大木に育て 僕の植えた木々よ! 子ども頃、 祖父母につれられて泳ぎを教えてもらった 皆田海岸 離れ島 今年は アオサの海草が不作だと聞いている。 風物誌・風景
2016年04月20日
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船倉の墓地周辺の整備計画を集落で取り上げてもらいたいと思ってきたがなかなか言い出せないで居る。 まずは自分らの墓の整備をしながらと思って、保安林から海岸までのエリアのなかで、あれこれと植栽樹種等の検討をしながら浜辺の形が変化して行く様子を記録している。私が保安林を担当していた頃からだから、もう30年ぐらいは経っているだろう。クリスタルビーチの看板が立ってたころから考えていたことの一端をそろそろ実行して見ようと思い立った。 船倉にはアジンチェー(按司根津栄)の浜宿りの遺跡があって、鳩の湖(ぱとぅぬこー)などが観光地として紹介されているが、本来の神どころの船の綱をくくるもやい岩のことが紹介していない。船揚場の工事の時、岩の一部が壊されたのか昔からすると形が悪くなったが祭り石として今も使っている。沖の方には波けしの岩が置かれて入り江の景観も変わったが今はそれが当たりに認識されているだろう。そういう風にして私たちは景観を捕らえてきていると思う。台風によって護岸工事がされて陸地が守られてきた。予算があれば景観までも考えて工事ができるが応急措置で対応するしかないのであるが、それにも文句ををつけたり、厄介なことだらけで行政も大変ですなー・・・。 百点満天はなかなか・・・、減点パパ」とかの笑い番組がNHKであったこと思い出しながら書いている。 反対も賛成もなんでもありでやってみよう。 岩とマチゲール鳥が居た。 シロサギという。 黒なのにシロサギだ。 私は黒をしろといいきれるほどの 嘘つきだ。 出て来い。 泡盛 窪。
2016年04月19日
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遊歩道が整備されるとの話を聞いていたが 何時の間にかできていた。 別の用件で写真を撮っているときに見つけてしまった。 昔の遊歩道を作り変える工事だと聞いていたので、 景観への影響を気にしていた。 昔の遊歩道が砂に埋まったり 保安林として植えたモクマオウの倒木で道が塞がれたりしていたので、 何とかして欲しいと思っていた。 その一部に植栽をさせてもらったことがあった。 保安林のモクマオウといっしょに クロトンの並木も被害にあって 大きく育ってはいないけれど、 そのときに植えたオオゴマダラの食草 ホウライカガミが大きく育っていて、 今役に立っている。 百合が浜のキャンプ場を起点に、 船倉海岸までの保安林内の遊歩道が整備されたら 健康保安林としての機能が発揮されるだろう。 あしびみちなー(遊び道)として オオゴマダラ、ツマベニチョウ、シロオビあげは、ベニモンあげは、 ウラナミシロチョウ等が飛び交う 蝶道を作る計画が叶いそうである。 そのために 食餌となる蝶の食草を準備している。 私の屋敷内で実験していることをやれば 出来る。 私の好きな新しい道、 未知なることへの挑戦。
2016年04月18日
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家を守るために何が必要かを 考えてきた。 先祖崇拝の思想を大切にして 先祖供養の行事を執り行うことが 家制度を支えていると思う。 核家族になって それぞれのしたいことが自由にできるようになった。 核家族にも家はあるが 昔からの本家と分家の絆は薄れていく。 どうしたらいいものだろうか? 本家を受け継いで 息子にも後を継いで貰う事を約束させた。 行事を通して 引退の準備を進めている。 私なりの行事の作法を作ろうと試してきた。 これからも 時代に即した作法にしたいと考えている。 伝統を壊すことになるだろうが、 生き残るための仕組みにしたい。 伝統のなかに残されている ユンヌの心を伝えたい。 先祖崇拝 そのこころを まごころ まくとぅのくくる。
2016年04月18日
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学生のとき趣味は?ときかれて、趣味の欄に「嘘をつくこと」と書いたことがある。二浪して入ったと言いたくなかったので、2歳下をさばっていた。書いた手前、嘘をつくことも趣味のひとつに入れている。すぐにばれる嘘だし、他人に迷惑にならなければいいだろうと思って気楽に生きてきた。いいかげんな人間である。今日は父の命日明日は弟の命日去年弟の訃報が届いたのは沖縄海洋博会場に近接する備瀬の民宿に泊まってるときだった。小宇利島マラソンを楽しんだ後、浜比嘉島でオオゴマダラの幼虫をもらって浮き浮きして備瀬のフクギ並木も見学できたと喜んでいた。父の危篤の知らせのときも沖縄中城で研修中だった。知らせを聞いてもどうすることもできないので、船上から琉大病院の位地を確かめ、父の手術にたちまわったことなど思い巡らしながらビールを飲んでいた。 父は私を待っていたようにして、息を引き取った。 父の同じ歳 昭和4年生の方が次々となくなっていく。元助役だった朝岡さん。議長、初代の花き振興会長、林さん。平均寿命を越して生き抜いてきた方がただから、二十年先は私たちの番がやってくる。 後代に何が残せるかを考えたとき樹を植えるのがいいと思ってきた。昨日は、私の趣味と、生きた証として、息子に無理やり島クルキのプレゼントをした。先祖から頂いた土地を息子に移譲する。与論島の農業部門を担ってくれるように育って欲しいと願う。まずは自立できる農業経営者を目指してくれ。 父より 息子・正起まにゅ へ
2016年04月17日
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2007.04.16 楽天プロフィール XML 夜の訪問者 (2)カテゴリ:カテゴリ未分類8 041.jpg どうも「雨の訪問者」だったような・・・、そんな雨のシーンが 惚れたかな 映画で「夜の訪問者」と言うのがあった。主役はチャールズブロンソンだったと思う、ガラスでくるみわりをするシーンが印象に残っている。 現代は夜昼関係なく他人のホームページに侵入して勝手にに書き込みをして憂さ晴らしをする時代になった。私も時間のマナーもなく勝手気ままに夜の訪問者よろしくの犯罪者であろうか。「めがね」が報知新聞で紹介されたことを座間市の同窓生から知らせをうけてたが、昨日の与論情報サイトのブログで記事をみて公開の時を楽しみにしている。こんなことになるのならセットの場面などもっと写真で紹介しておけば良かった。撮影の予備調査の時点から飛行場でスタッフを見かけていたので(長崎夫妻から「かもめ食堂」のこと聞いていた)興味をもってたが役場のだれも話題にしてないので密かに撮影しているものと思い立ち入ることを控えていた。それでも気になって、観光課のF君に台本は読ませてもらっていた。 撮影場所の与論島ビレッジにも何度か行きセットの大道具屋さんと話したし寺崎の海岸では撮影の様子も見ることが出来た。 去年の暮れ、寺崎の拝所を清めた時から何かしら寺崎の海から与論の再生の気運がやって来そうなそんな気がしていた。私の祖先の上陸地が寺崎に通じるルート探しをしたせいでもあろうか。与論の先祖の上陸地は赤崎のアマンジョーが定説であるが私は川村先生の寺崎説にこじつけを捜していたところであるが、正月あと独りで寺崎の拝所を掃除してたところ不思議に人声がする怪に会いもっと気をいれて寺崎上陸説の調査をしたいと思っている。 題目の今回の訪問者は「しーちゃん先生」である。パナウル診療所前でバスを待っていた先生を妻が自宅に誘ったとのことで、妻が勤めていた高校時代のことで花がさいた。「私が結婚に反対したおかげで逆効果になってしまって、私にも責任がある」といつも気にかけて下さっている。イスを勧めたが、座るほうがいいと、砂利道に座ってお茶することになった。 私達夫婦の先生をいつまでも続けてほしいものである。夕方はマンゴー畑に松村先輩の訪問があり、花が咲かない栽培の苦労を語った。 今年は松村さんへの注文を私が一部引き受けること、価格の協定をすることなどを申しあわせた。花は咲けども・・・・にならないように少しは手入れをと思うがブランコ下げたり、入り口の通路や倉庫の整理で遊んでしまった。アロエベラを植えたので少しは救われるかな。それと玲奈ちゃんの入園記念にニームの樹を植えた。ランドマークになるような樹に育って欲しい。 ブログを書き始めてから 十年以上が過ぎた。 若き日は過ぎ去りにけり 今ぞ知る 有為転変も 老いの早きも 熊本から大分にかけての断層で 大きな地震がおきている 杞憂が・・・・、 天が落ち 地が割れる そんなことが実際に起こっている。 身近に父母のホースを感じる朝 頑張っています。 先人の知恵に学ぼう。
2016年04月16日
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バンブー竹様 拾い読みでもお勧めします。 留守宅にメモを貼り付けた書籍が置いてあった。 恩師(中学3年生の理科担任) 竹下徹先生。 前、前の教育長、現在、郷土研究会の会長で、 「ドゥダンミン」1~4の著書を残している。 この著書からヒントを得て、 広報よろんにバンブー竹の与論今昔」の 小文を書かせてもらったことがある。 「シークヮーサーの知恵」は著者 宮城邦昌さんから 先生に贈られたものであるが、 シークヮーサーの与論での調査には 先生といっしょに私も調査案内をさせてもらっている。 いつか私も 似たような本が書けたらいいなーと思ってしまう。 しかし」まだまだ まだまだだ。 町誌の追録も未だなのに・・・。 締め切りが過ぎているのに。
2016年04月14日
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昨日の続きで 満ち潮に追いかけられながら 夜明け前から浜砂利を集めて運ぶことができた。 午前中は遊び半分の仕事、 カシワバゴムノキの取り木した枝に根が見えていたので 切り取って鉢植えにした。 オオゴマダラを2頭(つがい)を外に放してやったら、 メスが産卵を始めたので観察したあと、 ホウライカガミの枝に赤いテープで目印をしておいた。 午後の引き潮を見計らって今朝砂利の採取をした浜辺に行くと もう集まってくれてなかった。 今度は何時の潮になるだろうか・・・? 手ぶらでは帰れないので、 船倉海岸に寄って、 粒子の細かい砂を運んでマンゴーハウスの周りの 地均しに使った。 映画「めがね」のロケ地(宇勝・とぅまい)の砂の粒子が細かいことでしられているが ところどころで見かけることがあるが 運ぶのに遠いので、 船倉の海岸が一番便利がいい。 サンガチ石に豊年を祈願しながら戴いてきた。 こちらの浜の砂は私が運ぶぐらいでは無くはならないので、 暇つぶしに運んでくるとしよう。 昨日は砂運びに始まり 砂運びで終わった気がする一日だったが、 充実していた。
2016年04月13日
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パーマカルチャーに興味がある」とのことで ウーファーが来てくれることになった。 4月末ごろか、5月の最初ごろの予定になっている。 ウーフ制度を知ったのは オーストラリアでパーマカルチャーの研修をしたとき、 日本人女性が研修地でウーファーとして手伝っていたので ホスト申請をして許可をもらってもう5年になる。 与論町では今のところ私一人だろう。 隣の沖縄県はホストの数は多いようで、 奄美群島内でも4~5件はあるようだが、 有機農業をしているというのがホストの条件である。 有機農業に関する認証制度について以前は話題になっていたが、 今はもう当たり前になったようで、 マスコミで取り上げられることも少なくなった。 パーマカルチャーについては私の感知しているところでは あまり広まっているようには見えない。 近年は、海外での成功事例も紹介されてこないし、 日本での成功事例があったら研修に行きたいとおもっているのだが、 マスコミの話題になっていない。 それよりも先ず自分で成功させなければと思う。 盛窪語録より、 もうやめろ先進地研修、 先進地の先進地になれ! 先進地はだれも真似できないことをやってのけたのだ。 一からやり始めようと思った。 先ず最初は 土作り ミミズを飼うことから始めている。 マンゴーハウスを建て替えたので、 この場所で循環型農業を成功させたい。 農薬を使わない。 有機肥料と堆肥を主体に、 化学肥料や微量要素やEM菌などの特種肥料を最小限度は使用する。 ミミズが育つ土壌であれば 健全な土であるとみなして多種多様の虫や菌を育てたい。 マンゴーハウスの周りの環境をビオトープにする。 池を掘ってあるので、 ドジョウや鯉、できれば鮒も飼いたい。 ここまでくるのに 10年以上かかった。 還暦なって ようやく希望が見えてきた。 古希には望みを叶えたい。 夢は叶う、 叶えられるほどの夢をみる。 オオゴマダラ蝶で交配したマンゴーができそうだ。 日本初になるかもしれない。
2016年04月12日
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親の後姿を見て育つという例えのとおりだとすれば、 私も息子のそれを覚悟しなければならないと思っている。 今のままだとしたら、 現実に起こっていると思う。 自立し自立させるためには 私の夫婦がしっかりと 自分たちの老後の設計を立てていなければならない。 今が肝心だと思って、 再掲、再考している。 父から子への手紙。 有能な若者が欲しいです。知識、学問はコンピューターで補うことができます。技術と経験、そして経営感覚、手腕の能力が求められています。営業経験のない頭でっかちの人間が役場に入ると最悪です。帰ったらすぐに経営者になる勉強を私と一緒にしてもらいたいと思っています。農業はKさん宅で実習してもらいたい。経営簿記については自営者クラブに入ってもらいます。島外研修なども各種の事業を組み立てて、海外にも行ってもらおうと思っています。現在「与論うんぱる地域協議会」の副会長は日本エコツーリズムセンターになっていますが、帰ってきたら貴方に代わって役員を頼みたいと思っております。それを母体に後々、貴方の会社に仕上げてください。伊藤園で働いた(頑張った)実績を期待しております。 貴方の相棒のことを少しも知らないので、そのことが気がかりなのですが、そのことは貴方に任せますので真弓と相談してください。2月に結婚式で東京に行くと言っていますので、それまでにはしっかりと決めておいてください。 必要でしたら私もついていくつもりです。今まさに私に波が押し寄せてきています。これまで積んできた経験を活かせる潮時が満ちてきているように思えるのです。この潮時を貴方に引き継ぐチャンスを先祖が呼びかけているのだと、今日も完全断酒を実行し、23日には一年達成新記録の樹立を祝いたいと思います。人の一生は生まれながらに決まっているのかも知れません。貴方は先祖からその使命を持って生まれてきたと諦めと希望を持ってください。私は今のところ88才のお祝いまでは「元気で働き隊」と思っております。70才までは現役です。現在、クロトンやハイビスカスの苗木を作っていますが、この仕事も大きな収入に繋がるものと期待しています。これだけ台風で痛めつけられると、防風林が必要なことは身に染みてわかることでしょう。30年以上にかけて、こつこつと植えてきた樹木が森久保の屋敷林です。先祖様から頂いた畑に木を植えて怠け者みたいに笑われていたかもしれないが、いつしか花が咲き実がなるころはもう老人と呼ばれる年になってしまいました。この実が屋敷に落ちて、子や孫の芽が育つのが自然の営みです。親が子や孫にそして子子孫孫に、先祖様の教えを語り、唄い、汗して働き続けることは美しいことです。 願わくば、早く孫の顔を拝みたいと思うのは心理や道理でしょう。どうぞ、この気持ちをくみ取ってください。 正太郎へ 父 むいくぶ。
2016年04月09日
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僕は死して汚名を残す」ことにならないようにと これからも 心がけたいが 孫に残したい」としていることが 無駄なこと 邪魔なことにならないかしんぱいだけれど 好きなこと 木を植えることしかできないでいる。 手紙の続き(三年前?)さて、私の老後の計画ですが、農業経営は貴方にお願いをするとして、観光農業と苗木生産に趣味と実益を兼ねて屋敷の整備を進めています。NPO法人与論島ウンパル学校も実績をあげることができ、社会的な信用も得ることができました。また、もうひとつは「与論うんぱる地域協議会」を立ち上げ「田舎で働き隊」を実施してきたところです。東京で発表会があったことは貴方にも知らせた事ですが、忙しく立ち回っていたのであなたには会えませんでした。それからウーフという世界的な制度のホストにもなっており、観光ガイド、郷土研究会、ジオパークなどの人的なつながりで人脈もできつつあります。将来あなたに引き継ぎたいのは屋敷と財産は当然のことですが、熱帯果樹園と観光農業を組み合わせた経営(会社)を立ち上げてもらいたいと思っています。私が65才までには農業部門を完全に独立させ、70才までには観光農業を経営の中心にしてもらいたいと考えています。観光客の増加はそれほどは見込めないので、熱帯果樹のブランド品や加工食品(自然農法)を売りにしたいと思って、「私のパーマカルチャー」の生き方をしてきました。真弓といっしょにオーストラリアで研修してきたことの実践です。 現在、唐辛子などを作っていますが後々はパッションフルーツなどのジュース等も考えています。 それで、「新田舎で働き隊」の国の交付金事業を申請しようとしていますが、貴方の希望も取り入れたいと思って、打ち合わせておきたいこともあります。 現在、倉庫を住宅に改造していますが、間取りが決まっていません。後々は、ウーフや「新・田舎で働き隊」、農業研修生の宿泊施設にするつもりでいます。 貴方が帰ってきてしばらくはそこで生活できるようにと真弓が建築士の田畑美軒さんと相談しています。最初は二階を改造しようと考えていましたが、実際に生活してみてからの方がいいだろうとのことや、施設整備事業(二千万円)に6割の交付金がもらえるのでそちらの対応などを考えています。昔の風呂小屋を改造して私の部屋とくっつけます。倉庫を農産加工施設とフルーツパーラーみたいな、コーヒー店でも、に改造します。観光農園は入場料は取らないで、ジュースやかき氷等の軽い飲み物だけを置きます。マンゴーやアテモヤ、あるいは薬草などの加工品はネット販売、「与論島まるごと博物館」で紹介したいと考えています。そのためにも、ホームページのブログやツッターを工夫しなければなりません。事業が成功したり観光客が増えるようであったりしたら簡易な宿泊施設も経営の手段でもあると考えています。 時代が変わるごとにお客のニーズも様々ですので、それは子や孫が考えることでしょう。与論島も変わってきております。 あと1ページに 続く。
2016年04月08日
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おはようございます。いつものとおりお茶 飲んでます。台風26号はお陰様で被害もなく通過して本土に向かっているようです。今日あたり関東地方にも最接近との情報ですが、東京暮らしで台風の被害にあったことがないのでTVの放送で江の島あたりの様子が映るのを楽しみにしています。電話が復旧していないのでインターネットが繋がらないので夜明けまでの暇つぶしができなくて困っています。それで、手紙を書くことにしました。 そろそろ与論に帰って来てくれるとの暗黙の約束が叶いそうなので準備を始めています。去年今頃はアルコール依存症の真最中で、家族には大変な迷惑をかけていましたが、17日に病院行を決めて断酒を始めました。22日与論発、23日に入院生活に入ってからは完全断酒で現在に至っています。現在、日々是好日の満ち足りた生活を過ごしていますが、趣味と仕事とボランティア活動に明け暮れています。年金と農業委員の報酬があるので、真弓の稼ぎのおかげで日々の暮らしには困ってはおりません。二年続きの台風でマンゴーの収入がないのが残念で、農業の再建が最大の課題です。幸いに国策も農業後継者の育成に力を入れてくれて、年間保障150万円政策が打ち出され、与論町でも現在二人が取り組んでいます。私が待っていた政策を取り入れるチャンス到来とのことで、すでに役場には相談をして、来年4月就農予定を立て、準備のためにもと思って手紙を書いているところです。 与論島での農業の将来については大変厳しい条件が待ち構えています。TPP交渉にはそもそも期待はしていません。サトウキビと畜産は私たちの小規模経営には向かないことは承知済みでした。役場で給料生活をしながら、父正起の園芸農業を引き継いで勉強した結果が現在の農園の姿です。基盤整備をした畑に防風林とかん水施設を整備することから始めました。貴方の植えたソテツとテリハボクがりっぱに育ったおかげで今回の台風被害が軽減されていることが農業後継の条件でもあります。ビニールハウスが耐用年数を超えて老朽化しています。建て替えが必要なので事業導入などをあれこれと画策しているところです。現代の農業は機械や施設はもちろんのこと、人を使うことです。会社経営と同じことですので、そのつもりで居てください。もちろん、農業に関する基本知識は必要ですので、150万円の所得補償の期間、5年間で技術と知識、経験を積んで独り立ちできればいいと思っています。夫婦で農業を引き継が場合は所得250万円が保障されます。所得補償なので売り上げは500万円以上なければ全額所得補償が受けられることになりますが、5年以内には2千万の売り上げにはしていきたいものだと考えています。( 次ページにつづく) 「ああー無常」のミュージカルをDVD鑑賞した翌朝、 今日は息子の誕生日。 小学校の図書館で読書したときのことが思い浮かぶ。 3年から5年生の頃だっただろうか・・・? ジャン・バルジャン 聖人を目指して生きる 無理だけど 目指すだけでも・・・。
2016年04月08日
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天水田の復活である。 基盤整備された農地には サトウキビより生産効率の高いのは米作ではないかと思う。 政府がお金を投入するのは 糖価に対する補助も お米を守るのも 貿易自由化の対策なのだ。 農政を担当させてもらったときから常に此処に行き当たった。 水田転作の担当もしていたので、 政府の思惑もわからないではなくはないが、 自給米程度ならいいのではないかと思ってきた。 昨日の豪雨で農地パトロールをしながら、 海に流れ出る泥水のことを考えた。 農地整備で道路と排水路が整備されたおかげで、 耕地に水が溜まることなく海や鍾乳洞に流れる仕組みになっている。 農家にとってはとても助かっているが、 環境団体からは 陸の緑が無くなった、 海が汚染される原因になると非難をあびている。 確かに昨日の豪雨を見てそう思わずにはいられない。 雨が止んで晴れた夕方、 ふたたび海を見に行った。 泥水だったところが だいぶ薄まって、 水が溜まっている圃場もあまりなかった。 そして 水がなれている側溝もみあたらず、 ところどころ排水不良のかしょがあっても、 被害報告するには至らない程度だった。 さてと、 本題の天水田のことだが、 昔から田んぼだったところがすでに代掻きを終えて 水が満々と張られてあった。 昔の水田地帯を復活したら 自給程度のお米はできるだろう。 大型機械を投入することなく水田耕作が出来そうな気がしてきた。 現在稼動しているサトウキビの収穫機械にくらべれば もっと効率的に土地利用ができる。 集落営農であれば サトイモとの輪作体系が組み立てられる。 やってみたい。 まずは古里集落で始めてみたい。 水利組合を作ってみて・・・。
2016年04月05日
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蛹から羽化しているが 卵を産んでいる様子が見られない。 ちょっと心配している。 交尾をさせて産卵させたら成功したものと見ていいのだが、 まだ産卵行動を確認していない。 温度も高くなっているので 自然に放したほうが蝶にとってはいいのだろうが、 オスと雌の出会うチャンスが少なくなるだろうとの懸念から ハウス内に閉じ込めている。 これからしばらく様子をみたあと、 自然に返してあげようと思っている。 食草ホウライカガミの新芽も芽吹いてきた。 種まきした種もそろそろ芽をだしてもいいころなのに まだ芽が出ない。 同じように、 セブンイレブンの宝くじもはずれたのだろうか、 通知が来ないので 落ち込んでいるが まだあきらめきれないで待っている。 夏よ来い !
2016年04月04日
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網をつくろっていた。 メランコリーな浜辺
2016年04月02日
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