6月2日(土)、午前11時52分・・・小豆は全ての痛みや苦しみ、ストレスから解放され月へと旅立ちました。
11年と5ヶ月26日の生涯・・・本来であれば今日で丁度11歳6ヶ月を迎えるところでしたが、本当に最後の最後の力尽きるまで私の元で頑張ってくれました。
小豆は気力と体力と心臓は本当に強くて・・・「こんなにも強い子だったのか?」と驚く位でしたがその反面、歯・眼・手足・腰と悪くなる一方で老いて傷んでいく身体で必死に頑張っていました。
彼の老いた身体を想うと正直胸が痛むばかりでしたが、「(私が)諦めるのはいつでもできるのだから、彼が毛づくろいが出来る間は信じて一緒に頑張りましょう」というドクターのアドバイスで介護を乗り切る事ができました。(グルーミングは余裕がないと出来ない行為だそうです)
実は、私の気持ちの中では昨年末から別れが近いのでは・・・という覚悟をした為、本格的な介護になる事を想定しつつも精神的に余裕がなくなるのが分かっていたので、ブログの更新を休むしかありませんでした。(スミマセン・・・)
今年の春は特に気候・気温が不安定だったため、年齢に関わらず多くのうさぎたちにとっては春先の体調管理にかなりの負担がかかったと聞いています。
2012年の小豆は薬漬け(抗生剤、消炎剤、胃腸薬、ステロイド、漢方)の日々で、最後まで気の毒でした。
1~2月、咀嚼に必要な歯の殆どがなくなり、残りの奥歯をできだけ温存治療。
3月、小豆には致命的なエンセの再発。4週間の投薬治療を開始。
4月、エンセの治療後に発作は治まったものの、四肢への後遺症が残り飲食が不自由に。
5月、四肢の麻痺により動作が不安定なる為呼吸への影響が出始め酸素吸入を取り入れる。
食欲に波があり強制給餌と自力飲食を繰り返す。
腰の筋肉が落ち、後ろ脚が完全に麻痺。 食事は流動食(ミルク)になる。
毎月、毎月で体調が悪くなっていったのが4月になると毎週、毎週の容体変化になり、私は
その度に小豆への感謝と労いの言葉を言うようになりました。
5月が終わり6月を迎えられるとは思っていなかったのもつかの間、病院から借りていたボンベの酸素が無くなるまで使っても呼吸が安定しなかった為、最期はそのまま小豆を抱きながら静かに看取る事となりました。
豆ちゃんずの豆蔵、福豆、空豆はもちろんですが、小豆は私が人生で一番辛い体験をしている時に生きる支えになってくれた、とても大切な存在でした。
身体がボロボロになっても必死に生きて傍にいてくれたのは、自分(小豆)が最後のうさぎだと分かっていたからかもしれません。(勝手にそう思っていますが...)
治る事のない別れを迎えるための介護は想像以上に辛く、何度も挫けそうになりましたが、諦めずにとことん生き抜いた小豆を最後の最期まで傍に居て看取る事ができてよかったと思います。
今回ふたつの病院のドクターにお世話になり支えて頂いたお陰で、悔いのない介護ができたのではと感じています。
そして、今回初めて小豆には立ち会いの葬儀を行い納骨する事ができました。(今までは個別葬儀するのが精一杯でした)
今、うさぎの豆ちゃんずは皆、月で再会して安らかに過ごしていることと思います。
後悔のないように出来る限りの事をしてきましたが、寂しくないと言えば嘘になりますし、正直喪失感もあります。
この度の小豆の旅立ちをもって、このブログも終了する事にいたしました。
私とうさぎたちとの生活はこれでもう終わりとなりますが、これからは花豆&大豆という猫たちとの生活、そして49日が過ぎた頃にでもまた保護猫たちのボランティアサポートに復活する事も考えていくつもりです。
これからは猫の豆ちゃんずのブログで新たにご案内できるよう頑張って参ります。
今まで「おまめな生活」を見守って下さり、本当にありがとうございました。
感激!!小豆の誕生日・・・(でも、いろ… December 7, 2011
我がまま小豆の闘病日記 (3度目の膿瘍… August 27, 2011 コメント(2)
我がまま小豆の闘病日記(2度目の膿瘍治… August 24, 2011
PR
カレンダー
カテゴリ
コメント新着