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巷では昨日あたりからゴールデンウィーク。私の勤め先でも、今日から8日間の休みに突入した。ま、そりゃいいんだけど。年3回の長期連休。その休日前に、会社の上司からよくこんなことを聞かれる。みなさんも経験あるのでは?ちなみに、私はこれ聞かれると、いつもため息ついてしまう。答えるのがイヤじゃなく、それを聞くという行為自体が不思議でならんのだな。「休み中、どこか行くのか?」「ゴールデンウィークの予定は?」(夏休み、正月の予定は?)このふた言にいつもひっかかりを感じるのは私くらいのものか。まぁそうだろうな。細かいことだしな。しかし、あえて言いたいが、あなたそれ聞いてどうすんの?これが身内や友人同士等ならな~んも不思議に思わない。つっかかることもない。けど、なぁ。挨拶代わりの問いかけ(ですらないのは承知のすけだが)のわりに、妙にプライベートな話題なんだねぇ。何かの参考にするのか?それとも単なる覗き見趣味か?いやいや、そんな目的も意識もないくらい、ごく自然の話題。「今日は暑いねぇ」「雨降りそうだねぇ」と同じレベルのオハナシにしかすぎない。あと定番なのは、「○○へ行くんだよ」と答えると間髪いれずに次のひと言。「みやげはなんでもいいよ」ハイハイ、何回なん十回いやそれ以上に交わされてるやりとり。まるで台本どおりのセリフ、ってか、売れない漫才師の(しかもワビサビすらもない)ネタのようで、む、むなしいぞ。こういう会話って、世界中で定番なのか?日本だけなのか?な~んか日本独特の会話(いや、静岡独特かもしれん)っぽいぞ?だから、というのも変だが意地でも私からはこれ口にしない。気になる人ならともかく、安易にそれを言うのは私のメンタリティに合わん。え~い、聞いてやんないったら。ちなみに、これを読んだあなただけに教えよう。私のGW中の予定だが(って、誰も聞きたかないって)、録り貯めしていたドラマを観まくろうかなと。ヨロタル連れて出かけたいし、いつか実家にも行き、置いてきた本やレコードを判別・処分せねば。あと、約20年ぶりに富士スピードウェイへレースを見に行くことになった。これが楽しみ。天気が良いとよいなぁ。ま、いつもの常で終わっちゃえばあっという間のGWだろうが、有意義に…。
2007.04.29
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14万8千光年という途方もない距離の間には、それこそ無数の惑星もあったろうに。その中には、この地球以上に彼と彼らの星の民が住むのに適した星もあったに違いない。前線基地や、大層な連合艦隊まで設立して、わざわざはるか遠くに位置するこの地球を征服なんて、しかも戦艦一隻を宇宙の海に沈めるためにその戦力の多くを投入したりして、だったらその分近くてもっと戦力的に弱い星を攻め立てりゃ、今頃新しいガミラス帝国が誕生していたことは容易に想像できる(植民地たるビーメラ星などの存在はこの際置いとく)。ひとつの目標なり、夢中になることを見つけると、きっとそれだけしか見えなくなってしまう性分なんだろう彼は。喜怒哀楽が激しく、頭に血が上っちゃうと側近の決死の忠告にも耳を貸さず、反対に撃ち殺してしまう。妙にプライドが高く剛毅に見える半面、ヒステリックで神経質なところもあって、あんたの性格どっちやねん!?とツッコミを入れてしまいたくなるが、これでも本人の中では(たぶん)きっちり整合性が取れてる。まったく周囲の人から見ればハタ迷惑な存在だ。一度宿敵の船に破れ宇宙を漂流、恐らく彼の心の中は、夢を破られた恨み、自分の故郷を壊滅させられた恨みなど、恨み骨髄だっただろう。で、そこに救いの手。彼を拾ってくれた健気な移動彗星(型の要塞)が。そこに身を宿し、にっくき戦艦への復讐を誓う彼。しかし、いくら世話になっても考え方が違えばあっさり寝返るのもまた、彼の性分。あんなに憎んでいたはずの戦艦がまた目前に現れ、その乗組員と接触したと思ったら、「私の心ははるかにキミ達に近かった」と言ってのけ、あまつさえ要塞の弱点まで教えてしまう…。この節操のなさ。しかし、この節操のなさも他人が見てのこと。彼の中ではそれまでと変わりなく、整合性が…。これらのことを総合して考えると、導き出される結論はひとつ!「デスラーくん、キミの血液型はB型だ!」いや、私もB型なんだけどさ…。
2007.04.26
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その1 ラーメンのわびしさまったく何がわびしいって、ラーメンの最後のひと口を食べるために箸でどんぶりの下をすくっているときほどわびしいものはない。麺はもとより、わかめだのチャーシューだのコーンだの半熟タマゴだのもやしだの…をズバズバと口の中に運び豪快に食していたのが、瞬転!スープの表面に具が見えなくなると急に心細くなる。くそう、あきらめないぜ。チャーシューの一切れは最後のお楽しみに残しといて、箸やレンゲを手に、探す、探す。おぉ、メンマ発見!よくぞ残っていてくれた。しかし、麺は?う~む仕方ない。更なる面の残存部隊探索のためだ。チャーシューを口の中に移動させろ!ラジャー!そしてまたカチャカチャと箸を動かし…やっとわずかばかりの麺をすくい、口に。その時!さっきまでのかっ食らう勢いとは似ても似つかぬわびしさが漂うのだ。さよならラーメン、また逢う日まで。心の中には「遠き山に日は落ちて」のメロディ…そんな雰囲気。もしかして、ラーメンが国民食とまで言われるほど普遍不動の人気を保っているのは、この豪快に食べられるところ(下品な食べ方が下品に見えないって点で、丼物に通じるな)に加え、食べ終わった後の寂寥感、食べ始めと終わりの気分的落差がドラマのように激しく、まさにワビサビを持っているところにあるのかもしれないなぁ…。“ラーメン、それはいつも儚い。ラーメンの食べ終わりには寂しさを伴うという運命を自ら持っている。それでも人はラーメンを食べる。限りない味わいとロマンを追い続ける。それが人間なのである。次の麺を口にするのは、あなたかもしれない…”(いや、なぜか書いていてあのエンディングテーマが頭に浮かんだんで…)その2 150円!先週のサザエさんで遠足ネタ(厳密には遠足前夜がテーマ。それにしても、こんな細かいネタで1本作っちゃうんだから、しみじみサザエさんってスゴイな…)をやっていたが、遠足といえばお菓子。今はどうか知らないが、私が子供の頃、遠足に持っていけるお菓子の総額は150円以内と決められていた。な~んで150円?200円以内じゃいかんの?(学年が上がるにつれその200円以内ってのにバージョンアップしたが、な~んで300円じゃいかんの?と当然ながら不満に思ったが)まぁなぁ、リュックサックいっぱいにお菓子持ってったってしょ~もないし、と今は思うが、それにしてもなぁ、ハンパだよなぁ上限が。遠足前日、近所のお菓子屋へGo!店に入ると同時に、気分は“十万円、七万円、五万円、運命の分かれ道!グリコ!ガッチリ買いましょう”の世界。限られた少ない予算の中でいかに好きなお菓子を買い揃えるか、真っっっ剣に考えた。まず80円くらいのヤツをメインにして、30円のものを二種類買うか、それとも50円のヤツをドンと(50円くらいでドン!ってのも大ゲサだが、でもそんな気分)買っちゃうか、あっ、値段合わせの調整用に、グッピーラムネ、コインチョコ、コリス10円ガムなどは必須!(ちょうど、ワンタッチカレー10箱を手にする感覚だ、って、この説明でわかる人どのくらいいるんだろう…?)我ながら小ざかしいことに、食べる順番まで考えながら選んでやんの。メインの80円お菓子?そりゃもちろん最後に食べるのさ。そのくせ、「予算オーバーした分は先生が没収」などという慇懃無礼なクギ刺しをまともに受けて(この辺子供だねぇ)きっちり150円以内で収めてた、気がする。健気だよなぁ小学生の私。別にいいじゃん、10円20円オーバーしたって。で、その時のクセが未だに抜けていないせいか、今でもスーパーに行くとお菓子売り場のところで、ごくたまにだけど「今遠足に行くならあれとこれと…で150円」なんて妄想計算してしまう私がいる。もしかしてこれ、先の残り少ないラーメン以上にわびしい…?
2007.04.25
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今日、会社帰りの運転中にふと思ったんだけど、そういや昔は車の中でカーオーディオから流れる曲に合わせてよく歌ってたなぁ。好きなカセットテープをセットし、気持ちボリュームを上げ気味にして、ドアガラスを全閉にして。家に帰るまでの約20分、水木や子門やささき、堀江さん、串田に影山くん、バラさん(林原めぐみ嬢)、秀樹にジュリーに尾崎(豊)に長渕に、アリス、甲斐バンド、八神さんに中村雅俊に…とにかくその時の気分で好きな歌を思いっきり歌ってた。曲によっては絶叫してたかもしれない。酸欠・貧血と戦いながら(長渕剛の傑作にして15分間の超怪作「Captain of the ship」なんぞ歌った日には、目の前がブラックアウト寸前になりかけた…アブネ~っての!)、ひたすら叫んでいたな。これがまた気持ちいいんだ。ストレス解消、うんにゃそれ以上。別にカラオケの練習とかそんなんじゃなく、ただただ歌いたかったってのがホントのところ。でも逆に、それで歌を覚えたってのもあるしなぁ。絶叫はともかく、同じようにマイカーを「走るカラオケボックス」にしたことある人、多いんじゃないだろうか?あと、さすがにこれはみんなやらないと思うが、ハーモニカの練習もよくこの20分間でやったもんだった(良い子はマネしちゃダメだよ)ホントはギターも練習を…と言いたいところだが、さすがにこりゃ無理ってもんで(運転できん!)、10ホールのハーモニカなら片手で持てるし、ケータイを操作するより危なくないし(いや、十分アブネ~って)、なにより家の中では思うように吹けないんだもん。これも、尾崎や長渕の曲をかけながらブカブカと吹き鳴らす。チトやっかいなのは、曲のコードに合わせてハーモニカも変えなきゃならんってことで、CとGとDとEとAのヤツをとっかえひっかえしながら…もちろん、運転中に…やっぱりアブネ~!!(くどいようだけど、良い子は…以下略)でも、おかげで少しは上達したと思う。毎日20分間の練習。継続は力だね(そういうことじゃないっての!)車の中はまた、よくディスカッションの場にもなった。特に盟友チャフィーさんとのことだけど、土曜の夜など、あてどもなく車を流しながら、実に多くの話題を話し合ったもんだ。王道ソング&ミュージックをBGMに。銀鉄ポイントやデビルマンロード(静岡県内に、ごくごく一部でこう呼ばれるスポットがあるのだ)の発見-といってもこれ、チャフィーさんから教えてもらったんだけどね-も、こうしたディスカッションの最中。もっと言えば、今私が続けている「特ソン・アニソン列伝」も、このディスカッションがなかったら生まれていたかどうか、だ。楽しかったなぁあの時は。時の経つのも忘れ、よくしゃべったもんだった…。と、ここで我に返る。今はカーオーディオに合わせて貧血起こすまで歌うことも、ハーモニカ片手に運転することもなくなったけど、思えばこれら車中でのことが、けっこう有意義だった。往年の名選手掛布(ったく、今の若い人は誤解してるふしがあるが、かつては阪神のスタープレイヤーだったんだぞ掛布って。あの星飛雄馬とも死闘を演じたくらいなのだ!って、こりゃ別な話か)が、試合で思うように打てなくなったりしたときに、気分転換で自らハンドル握ってドライブに出かけてたそうな。すると不思議に復調できたんだって。車の運転って、言葉通りに車を操るばかりでなく、いろいろ効果があるんだねぇ。ちなみに、今私が運転中に何をしているか?もちろん、ブログのネタや文章を考えてるんだってば。
2007.04.24
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四月から「笑っていいとも」の新レギュラーに、土津井さん御用達のほしのあきちゃんと、それから南野陽子(ナンノ)が加わった。たまたまナンノが出演した時の放送を妻が見ていて、「すごく他のメンバーから浮いていたよ」とその日の夜教えてくれた。妻の影響で数年前に彼女の歌を聴いてから遅咲きのファンになってしまった私としては、納得のかたわら淋しい思い。そーだよなー、バラエティ向きじゃないもんなぁナンノって。いやその前に、なんで今、彼女をレギュラーに迎え入れたんだろ?人選ミスでないかい?見てみぃ、レギュラー入り記者会見のときだって、懸命に言ってたじゃん「私にあまり期待しないで下さい」って。本来、自分を売り込むハズの場で究極の否定宣言。こんなのありえねー!って話だが(こんなこと言っちゃった時点で出演前に降板させられてもおかしくないし、そもそも芸能人失格なんだけどね)、ナンノらしい言葉だなぁと、妻と話していたもんだ…。その昔、「24時間テレビ 愛は地球を救う」のテーマソングにもなった(らしい)ナンノの「思いのままに」。番組のテーマに沿ってるのかどうか、『挫折に負けず“思いのままに”生きよう、あなたのそばに味方はいるから…』ってな内容の歌だが、歌詞の中にこんなフレーズがある。♪螺旋を描いて夢をつかむの♪なんかねぇ、ここに胸を打たれたんだな。ビートルズの「THE LONG AND WINDING ROAD」に通じるではないか(ついでに八神純子の「うまくいかなくても」の一節にも)。元々メッセージ色の強い歌だけど、それにしても上手い表現だね。曲調も大きなスケールのバラードで、終奏にかすかに聴こえるアコースティックギターがすごくいい隠し味。ってか、ナンノの歌、特にアルバム曲にはアレンジの凝ってるものがいっぱいあり、印象深いのだ(80年代アイドルの曲ってみんなそうなのかな?)個人的に特に好きなのが、「白夜のひまわり」って歌。これと同じムードを持つ曲を、幸か不幸か他に思い当たらない。幻想的にして妖美なムード。切なさと力強さ(アレンジの一部がちょっとスケバン刑事してる)を併せ持ち、加えて健気さと清涼感まで漂う、思わずエンドレスで聴いていたくなる不思議な歌なのだ。実際、滅多なことではその場で繰り返し聴かない性分の私が、この歌は一度聴いたら必ず数回はリピート機能を使ってしまう。車の中で聴けば、ヘタすりゃ会社から家に着くまでずっとこれ1曲(約20分かかるとしてやく4、5回は聴いてる計算)って時もあるくらい。詞は、自分の悩みや痛みを隠し無理して強がり明るく振舞う“あなた”を“わたし”はひまわりが太陽に向かうようにただ見上げるしかなく、「もっとわたしにあなたの痛みを打ち明けて」と切ない思いを歌ってる。比喩の仕方が上手いなぁと思うけど、それ以上に曲から伝わってくる空気がすばらしいのだ。この「白夜のひまわり」と「思いのままに」の2曲に、井上大輔サウンド炸裂!な「風のマドリガル」と、クリスマスソングなのに冬の寒々しい雰囲気が強く感じられる(これもアレンジの勝利だ)「聖夜(クリスマス)物語」、儚いメロディと懸命な歌い方がしっとりとした余韻を残す「星振る夜のシンフォニー」を含めた5曲(もちろん、他にもいい曲は多いことを付け加えておこう)は、私のナンノソングBest5になっている。彼女の歌い方には少々特長があって、母音の伸ばし方とか、鼻から息の抜けるときのこぶし回しとか、クセ、というほど強くはないにしろ、けっこう印象に残る。この特長がもし私のようにハマったら、あなたもナンノソング・ファンになれるかも…。アイドル時代からその言動が割りと注目されていて、曰くわがまま娘だの気が強いだの自己主張が激しいだのと言われてた(その頃まったく彼女に関心がなかった私ですら耳にしたくらいだから、かなり話題になってたってことだろう)ナンノだが、思えばそれは仕事に対するマジメさゆえの誤解(プラス揚げ足取り)だったのかもしれない。なんて、芸能人の性格分析など無意味なことを承知で、それでもそんなことを考えてしまう。マジメというか、正直なのかも。アイドルの自己主張など、今のテレビを見てみればごくあたりまえ、逆に昔ながらの生活感もプライベートな面もまったく表に出さないようなアイドルは、アイドルじゃない、くらいの風潮。しかし、ナンノが活躍していた1980年代後半は、まだそこまであけすけな言動が受け入れられてなかったしなぁ(過渡期、とは言えるかもしれないが)。そんな“わがまま娘”の称号が彼女の活動に良かったのか悪かったのかは知らねども、で、年月が経ち今の彼女のキャラがどんな風になっているかも知らねども、「笑っていいとも」に、ナンノ、なぁ。どうなんでしょ?ファンとしてはその露出がうれしくもあり、ハラハラドキドキ気が気でなかったり、だ。願わくば少しでも今のテレビに溶け込み、みんなとうまくやっていって欲しいぞ、ナンノ。あぁ、こんなこと書いてたら、スケバン刑事2が観たくなってきた。おまんら、許さんぜよ!
2007.04.22
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昨日テレビのニュースでやっていたが、「北斗の拳」のキャラクター、ラオウの昇魂式が行われたそうな。漫画のキャラクターでこうした催しは極めて異例のこと、だとか。はい、キャスターのこのコメントに1ミリ秒で反論を思い浮かべた人、いっぱいいるハズ。力石徹を忘れるなー!ってね(知らない人がいるかもしれないので一応解説しとくと、力石徹は、ボクシングマンガの雄「あしたのジョー」に登場した、ジョーのライバルにして名キャラクター。無理な減量と、試合中ジョーのパンチでダウンした際ロープへの頭部強打によるダメージで、試合後に死亡。「フッフッフ、1ラウンドじゃねぇ、1分だ!」以上、解説終わり)。話を戻すと、パチンコだかパチスロだかによる作品の再人気と、彼(ラオウ)を主役にした映画公開に合わせたイベント企画、ってことなんだけど、なにが驚いたって、谷村新司が葬儀委員長ってこと!どーゆー繋がりがあるんだチンペイちゃんとラオウ!?そりゃ置いといて、しかしなぁ、言うに事欠いてラオウの葬儀とはなぁ。やるならマンガ連載時、もしくはテレビ放送時(♪ユーアー、ショォォォォック!)にやれっての。加えて最もアホらしかったのは、テレビのレポーターが会場に置かれたケンシロウの像に「こんな方も弔問に訪れております。(像にマイクを向けて)ケンシロウさん、今のお気持ちは?…悲しみのあまり、言葉も出ないようです」なんてヌカしたこと。そりゃやりすぎだって!私の見解としては、ラオウってそこまでするだけのキャラか?と疑問符が付くし、百歩譲ったとしてもラオウにこういうイベントって似合わんキャラだと思うんだがなぁ?ま、「北斗の拳」を語るにはハズせないキャラであることは間違いないし、そもそも思い入れの温度差って人によってそれぞれだから、弔問して涙を流した人がいるってことには、何も申しますまい。その人たちにとってはこれも重要なセレモニーだったかもしれないし。思えば週刊少年ジャンプの悪しき風習。人気が出ればどこまでも連載延長。これのおかげで全巻を通して読んだ場合どれほどハチャメチャなストーリーに変わってしまった作品が多かったことか。ご都合主義で性格や過去のプロフィールが変わってしまうキャラ。果てしないパワー合戦により“今の強さが感じられなくなって”しまう、皮肉な逆転現象(ドラゴンボールの終盤が顕著)…。そう思うと、「ダイの大冒険」は奇跡の傑作だった。多くの魅力的なキャラ(というより全37巻ムダなキャラがいない!)や、作品に織り込まれているテーマなどのすばらしさは言わずもがな、あのジャンプの連載漫画にして物語の破綻が無いんだもんなぁ。そこで「北斗の拳」。これも、それこそラオウとケンシロウの戦いそして決着!で終了していればよかったのに。見ろ見ろ、連載延長による後付の理屈、設定をやたら増やすもんだから、ケンとラオウ(&トキ)は実の兄弟でなくなるわ、終盤にはそのラオウの息子なんぞ登場するわ(いつ創ったんだラオウ?)、これってまるで、「さらば宇宙戦艦ヤマト」以降のヤマト・エピソードみたいじゃん。商業的には至極当然な手法かもしれないが、作品的には連載延長っての、功罪合い半ばだね…。ところで、式が開催されたのは東京だけども、もしこれが静岡市内でやったら、なんだかんだ言って私もその会場に行ったかもしれんなぁ、とふと思った。ラオウでなく、チンペイちゃんを見に…。
2007.04.20
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だいたい子門真人って特定のレコード会社の専属ではないだけに、活躍の場ってむやみに広いのだけど、その分名曲がいっぱい、困っちゃう歌もいっぱい。で、彼が歌うゴジラソングって…やっぱり困っちゃうのが多いんだな。「ゴジラのお嫁さん」♪逃げないでおくれ逃げないで ボクのお嫁さんになっておくれ サッちゃん マチコちゃん みどりちゃん ガイガン へドラ キングギドラも ボクの力でやっつけてあげるよ だからボクのゴジラのボクの お嫁さんになっておくれ♪まぁね、昭和30年には「ゴジラさん」ってコミックソング(男って辛いよなぁ…的なクレイジーキャッツが歌っても似合いそうな曲)が発売されたくらいだから、ゴジラソングってなんでもありって言えばそのとおりなんだけどさ、この「ゴジラのお嫁さん」って歌、昭和47年と、すでにヒーローブームが起こりし頃、せっかく子門を起用してこの詞はないだろうって。曲全体がグループサウンド(ドラムがいい入り方)してるだけに、なんとももったいない。“だからボクの…お嫁さんになっておくれ”って言われてもなぁ。深読みすれば、ゴジラくんキミにはミニラって息子がいるじゃん。で、その上で嫁探しってことは…?おぅ、そう思うと一転、急に詞の内容が切なく思えてくるぞ。サッちゃん マチコちゃん みどりちゃん、 ケイコちゃん セッちゃん はるみちゃん(2番)、クニちゃん ミツコちゃん としえちゃん(3番)、誰か彼のお嫁さんになってやってくれー!(あっ、サッちゃんはダメだよ…って、何の話だ?)「ロックロックゴジラ」♪飛び立つ鳩 そよぐ風 広場で遊ぶ子供たち この地球の幸せを乱すのは誰だ 壊すのは誰だ さぁこい さぁこい ウォーウォーウォーウォーウォー ゴジラが相手だ ウォーウォーウォーウォーウォー (×3)♪「ゴジラのお嫁さん」のB面、ってことは、ゴジラがガイガンと戦っていた頃の歌か。タイトルに恥じぬ、明るいロック調のメロディ。それだけに、ヒーローと化してしまったゴジラの描写がなにか空しいぞ。もはやここには、水爆が生んだ悲しい鬼っ子の影は微塵もない。歌自体はとても軽快でよいのだが、ゴジラゆえにやたらひっかかるんだな。もっともこれ、今だからそう思うんであって、ガキンチョの頃聴いていたら素直に興奮していたかもしれない。だって、子門がやけに気持ちよさそうに歌ってるしなぁ…。しかし、子供の頃聴いてもまったく燃えないのが次の歌。「ゴジラとジェットジャガーでパンチパンチパンチ」♪空に輝く真っ赤な太陽 ジェットジャガー ジェットジャガー ぼくらのジャガー 地球の危ないその時は 悪者どもに猛烈パンチ ゴジラとジャガーでパンチパンチパンチ (パンチパンチパンチ) みんな正義の友だちだ♪垢抜けないメロディ、とってつけたような詞と、まったくヒーローソングを理解していないコーラス隊。そう、このコーラス隊が曲中最大のネックで、昭和30年代の唱歌のように、譜面をビタ一文はみ出さず冷静に(というか無感情のまま)“パンチパンチパンチ”と合いの手を入れるところなんざ、泣けてくるぜ。いかにもこの頃のゴジラが子供騙しだったか(加えて言えば東宝の子供たちに対する認識のズレ?)がはっきりわかるね。この歌のカップリングに「メガロをやっつけろ!」って曲があって、これもまた聴いてて疲れることこの上ない。曲からは、かつての東宝怪獣映画のもっていた真剣なチャンバラごっこ的雰囲気がどこにも感じられないもんなぁ。あとこれはゴジラ映画ではないが、「怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス」という同じ東宝のコミカル怪獣映画の歌も、子門が歌っている。テーマソングの「ダイゴロウ対ゴリアス」は、ミラーマンの挿入歌「朝日に向かってジャンボフェニックス」のような軽快さと“ズバズババーン”のコーラスのみが印象に残る、どうってことない曲だけど、劇中歌のひとつ「ぼくのおじさん」は、映画と切り離して聴いてみるとなかなかの小品。「ぼくのおじさん」♪夜空に花を咲かせよう 花火のようなでかい花 星のしずくを振りかけて 本当の花を咲かせよう ぼくのおじさんはステキだよ 頭の中は夢いっぱい♪ここで歌われている“おじさん”とは、劇中登場する発明家のおじさんのこと。犬塚弘が演じてたっけ。ビビディバビディブゥにも通じるホノボノメロディに顔がチト緩む。詞もファンタジックで、さらにホノボノ。3番での♪ぼくのおじさん~はスッテキッだよ!♪の子門の歌い方が光る!(って、大ゲサだな)しかし、この歌も彼が歌って然るべき歌かといえば、う~んどうなんでしょうねぇ。好きな歌なんだけどね…。さて、3回に渡って東宝怪獣映画ソングを取り上げてきたけど、キングコングやモスラはともかく、昭和40年代後半のゴジラ映画の歌って、いわゆる特ソンとして聴いた場合なんかどこかズレてるよなぁ。この頃テレビ特撮ソングにあれだけ名曲が誕生していたのに比べ、とても、とてももったいない気がする。これって一体なんだろう?同時期に東映マンガ祭りではマジンガーやゲッターが銀幕の中を飛び回り、また名曲も生まれていたってのになぁ。東宝という会社の社風か?いや、同社のテレビヒーロー「流星人間ゾーン」の主題歌、挿入歌(まぁ、ガロガの歌はなんだけど)があれだけの傑作だし、違うんだろうなぁ。してみると、宙明・岳夫のダブル渡辺や菊池俊輔、三沢郷、亜星さん…名だたるヒーローソングの作曲者が使えなかったことによるものか?しかし、彼らの曲想がゴジラ映画にマッチするかといえばそれも疑問だしなぁ。結局、ゴジラ=ヒーロー物として歌を作ることに無理があるってことか…。
2007.04.19
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前回ご紹介した「かえせ!太陽を」以外にもゴジラムービー(というか東宝怪獣ムービー)ソングはいっぱいあって、今回と次回、ちょっと取り上げてみよう。まずは有名なこの曲。「モスラの歌」♪モスラヤ モスラ ドゥンガンカサクヤン インドゥムゥ ルストウィラードァ ハンバハンバムヤン ランダバンウンラダン トゥンジュカンラー カサクヤーンム モスラヤ モスラ…♪ザ・ピーナッツ扮するインファント島の小美人が歌う、モスラのテーマソング。歌詞はこんなんです。これでカラオケはバッチリだ(いや、字幕が出るだろって。その前に歌う人いるのかな?)怪獣映画の歌、といえばまず多くの人が思い出すだろうこの曲は、なんとマレー語で綴られているのであった。意味もちゃんとあって(あたりまえか)「モスラよ早く来て助けてください。平和を取り戻しておくれ」ってな詞なんだそうだ。うぉう!短いながらヒーローソングじゃん、これ!ザ・ピーナッツの巫女のような振り付けと張りのある歌声が、なにか荘厳な雰囲気を醸し出す、怪獣映画史に残る名曲だ。続いてモスラがらみでもう1曲。「聖なる泉」♪Na intindian moba Na intindian moba Mayroun doan maganada balon Punta, ka lang dito Ka lang ditto Halika, at marupo Halika, at marupo Lululu…♪「モスラ対ゴジラ」で、同じザ・ピーナッツがうたったこの歌、個人的には先の「モスラの歌」よりも好きだったりする。詞の意味は「あなたはもう思い出さないのでしょうか?あの美しい泉を…」ってことらしい(なんだ、「神田川」と同じじゃん)が、古いタガログ語で綴られているし、字幕で訳詩が出るわけでもなし…そんなのわかるかー!しかし好きなのはふたりのハーモニーとアレンジで、緊張感がありながらなぜか聴いていると子守唄のように心が落ち着いてくるんだな。これ、むしろ日本語詞でないからこそ、かも知れないなぁ、なんてふと思った。それにしても、こんな言語の歌をきっちり綺麗に歌い上げるザ・ピーナッツって、プロだねぇ。さて次の歌は「ゴジラ対メカゴジラ」から。「ミヤラビの祈り」♪暗い夜の帳が消える 朝が来たら眠りから覚めて欲しいの 私のシーサー 星の浜辺で待っているの シーサー 力強く青いコラールを越えて 頬の涙を拭いておくれ 私の胸で 燃えている 燃えている シーサー シーサー シーサー キングシーサー♪すっかりいいモンになってしまったゴジラに冷水をぶっかけるべく登場したもうひとりのゴジラ、その名もメカゴジラとの沖縄決戦の際、劣勢のゴジラを(そして沖縄の平和を)救うべく伝説の怪獣キングシーサーを蘇らせるために歌われた、いわば目覚めの歌。そりゃいいんだが、なんともムード歌謡の雰囲気を持つ曲調と詞に思いっきりズッコケル。こんな歌で目覚めてしまうのだからシーサーくんもロマンチスト?荒ぶる獣を起こすのは、やっぱり男でなく女の役目なんだねぇ。で、永い眠りから目覚めたシーサーくん、最初はメカゴジラの光線をはね返したりと健闘をみせるも防戦一方じゃ試合にゃ勝てぬ。バトルの後半はすっかりかませ犬。まるでどこぞの中堅プロレスラーみたいだ。メカゴジラといえば、ゴジラの擬体から本来の姿に変わる時(&沖縄戦でその脅威をゴジラに見せつける時)に流れたカッコイイ音楽があるんだが、それをモチーフにこんな歌まで作られた。「メカゴジラをやっつけろ」♪すごいヤツがやってきた 遠い宇宙の彼方から すごいヤツがやってきた 銀の地肌に虹色の 鎧を着けたすごいヤツ その名はメカメカ メカゴジラ メカゴジラがやってきた♪なんというか、ある意味すごい歌だな。だいたい曲のタイトルと詞が合ってないじゃん。これじゃメカゴジラを称える歌だっての。しかも、ワンコーラスの中にすごいって言葉が三回も出てくるし。“その名はメカメカメカゴジラ”…あのー、もっと他になにかイカしたフレーズは無かったんでしょうか?ボーカルは、「ミヤラビの祈り」と同じくベルベラ・リーンって人。まったく持って不可解なのだが、言葉も言葉なら歌手も歌手で他にいなかったんだろうか?いや、ヘタとかそういうんじゃなく、曲想とまったく合ってない。イントロや間奏が王道ソングしているだけに、浮きまくりもいいところ。せめて当時の特撮ソング四天王が歌っていればそれなりにマシになってたろうに。このあたり、昭和49年当時のテレビのヒーローソングがあれだけ充実していたのと対照的だな。さて最後に、私が初めて観たゴジラ映画にして、初見でいきなり心をつかまれた「キングコング対ゴジラ」のテーマ曲を。♪アーシーアナモイアテケーサモアイ アーシーアナモイアテケーサモアイ ヘーヘーヘラヘーヘーヘラ イナダムマナソノマルミヤ イナダムマナソノマルミヤ ヘーヘー ジグナーマナソノオガサノミナサム ジグナーマナソノオガサノミナサム…♪これ、完全に耳コピなので正確じゃない。まぁネットで調べりゃちゃんとした詞もわかるんだろうが、いや、言いたいのはこんな訳わからん土人の歌(モスラの例と、オープニング以外でこの曲が使われたシーンから考えるに、意味はキングコングという魔猿を崇め奉るものだと推測できる)が平然と使われたんだなぁという感慨なのだ。実際私がこれを観たのは小学校低学年の頃だけど、歌詞も意味も判らないながら、メロディ、アレンジ、ボーカル(コーラス)のすべてに圧倒されたもんだった。容赦ないというか、この頃(初上映は昭和37年、これがゴジラ映画三作目にあたる)のゴジラ映画って、大衆向けではあっても子供向けではなかったんだよなぁ。ともかくこのテーマ曲を初めて聴いたとき、私の中の原始的な何かが呼び覚まされるような、シンプルな興奮を味わった。作品を見終わったあとも、しばらくは本編以上に頭から抜けなかったっけ…。ところで、ゴジラ映画には先にふれた特ソン四天王のひとり、子門真人の歌う曲も存在する。次回はそれについて語ってみよう。子門が歌いながら、列伝ではなく怪伝扱い、ってのがそもそもなんだかなぁ…ってとこなのだが。
2007.04.18
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「ゴジラ対ヘドラ」は、数あるゴジラ映画のなかでも私のベスト3に入る大好きな映画だ。どこが好きかといえば、キワモノ的魅力にあふれたところに尽きるのだけど、実際ナマナマしいのよこの映画。だいたいヘドロから生まれた怪獣だからヘドラ、このあけすけなネーミング。大御所の東宝怪獣でありながらPプロ的投げやりさ(一応ホメ言葉)と、四段階に変態を繰り返しながらどの形態もつかみどころのない容姿。ヘドロの怪獣だけに、筋肉も骨も内臓すらもまったく感じられない、そのくせ臭いだけは銀幕の向こうからプンプンしてきそうな造形&キャラクターとしての見せ方。そのヘドラに翻弄され被害に遭う富士市の人々の受難もまたナマナマしい。ゴジラのジャイアントスイングで飛び散ったヘドラの破片(肉片?)に埋もれて絶命する、麻雀卓を囲んでいた一般市民。飛行形態となって硫酸ミストを撒き散らすヘドラによって骨になってしまう工事現場の人。主要キャラである博士ですら、冒頭幼年期のヘドラに遭遇し、顔の半分が腐食してしまうし(物語の大半を包帯巻いて布団の中で、って、こんな博士もいないよなぁ)、本来ストーリーテラーであるはずの青年(柴俊夫が怪演)も「ヤツは火に弱い」と中途半端な情報から無謀な攻撃をしたばっかりにヘドラに襲われその破片を浴びて命を落とす(だってその後まったく登場しないしなぁ)。迎え撃つゴジラもまた、それまでにない陰惨なやられ方をするし、とにかく痛そう、怖そうというよりこんな死に方絶対イヤだー!と思ってしまう被害をみ~んな受けてしまうんだな。昭和46年、公害問題を織り込んで、怪獣映画の老舗東宝が気合を入れて、いや気合を入れすぎて作られた作品だけに、どこかいびつでヘンテコリン。で、そんなヘンテコリンなところにたまらなく惹かれてしまうのだけど、テーマソングもまた例にもれず、なのだ。「かえせ!太陽を」♪☆水銀 コバルト カドミウム 鉛 硫酸 オキシダン シアン マンガン バナジウム クロム カリウム ストロンチュウム☆ 汚れちまった海 汚れちまった空 生き物みんないなくなって 野も山も黙っちまった 地球の上にだれも だれもいなけりゃ泣くこともできない ※かえせ かえせ かえせ かえせ 緑を青い海を かえせ かえせ かえせ かえせ 青い海を かえせ かえせ かえせ かえせ 命を太陽を かえせ かえせ かえせ※ ☆~☆ 赤く染まった海 暗くかげった空 生き物みんないなくなって 牧場も街も黙っちまった 宇宙の上にだれも だれもいなけりゃ泣くこともできない ※~※ ♪文法上の誤りもたぶんないし、あの頃クローズアップされた公害という環境問題に対する自然からの糾弾ソングとして、怒りの電流ほとばしる感じがストレートに伝わってくるのだけど、これ、ゴジラ映画の歌かぁ?初期の大人のムードいっぱいだった頃のゴジラならともかく、仮にも「東宝チャンピオン祭り」って枠の中で上映される映画の歌にしちゃ、チトやりすぎじゃないか?あの怪作「死ね死ね団のテーマ」のように…。劇中、ナンチャッテボディペインティングした女性(一応、この映画のヒロインだけど)がゴーゴーバーのお立ち台でこの歌を振り付け入りで歌うシーンがある。柴俊夫がそれを見ながら酒を飲んで(この辺、子供を意識しない演出ってのがはっきりわかるな)、そのうち曲に合わせて踊っている他の客の顔が魚に見えてきたりして、おい柴君キミの飲んでるのはホントに酒か?変な薬じゃないのか?みたいな白昼夢っぽい場面なんだけど、こんな歌でよくゴーゴー踊れるよなぁみんな。ヘドラの脅威以上にこうした当時の若者文化がもしかしたらナマっぽいかもしれない。泥の中で泣き叫ぶ赤ちゃん。失態を繰り返す自衛隊。富士の裾野で企画される「百万人ゴーゴー」と「イカス!イカス!」のセリフ。時おりインサートされるチープなアニメーション(けっこうだけどこれ、効果的なんだな)。尻尾を丸めて空飛ぶゴジラ。汚れた海に漂う壊れた柱時計とその映像にかぶる「ボーンボーン」の時を告げる音…。最後の最後のワンカットまで前衛的退廃的な印象がつきまとうこの映画、そしてこの歌に、それでも惹かれてしまう私っていったい…。
2007.04.17
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ゴジラは銀幕のスター。ウルトラマンは言わずと知れた日本テレビ特撮ヒーローの代表。通常相容れないはずの両者の戦いが、実は本家円谷プロの手で映像化されていたことをご存知だろうか?なんて、ここまで読んでピンと来た方は立派な特撮ファン、タイトルだけでわかった人は特撮マニアではなかろうか。そう、その映像とは、ウルトラマン第10話「謎の恐竜基地」。エリマキ怪獣ジラース登場の回なんである。このジラースが、なんともゴジラの着ぐるみにでっかいエリマキをつけただけというお手軽な怪獣。もちろん、体色も少々手を入れられて緑や黄色が乗っかり、違うぞ~これはゴジラと違うぞ~って見せようとしてるけど。でもウルトラマン、わざわざバトルの最中このエリマキをひっぺがしちゃうのな。劇中ここが弱点とか語られてなかったし(怪獣図鑑などには明記されてたかもしれないが)、確信犯的ファンサービスだこれ…。鳴き声も、本家ゴジラのものを早回ししただけだし、あのセンスのいい長さの尻尾も背中のトゲ(というかヒレというか)も、しっかりそのままだ。最早コイツ、ジラースというよりエリマキゴジラと言った方が正解かもしれない。この回の両者のバトル、実はウルトラマン対ゴジラというばかりでなく、他にも見どころがある。なんと本邦初、いや最初で最後の、ウルトラマンの笑い声が聞けるのだ。“笑ってるっぽい”とかじゃない。そのものズバリ、ウルトラマンが声を出して笑うのである。なんでか知らんが戦いの最中、互いの技比べになって、あるジラースの行動からウルトラマンが得意げに「シュワッハッハッハ…」まぁね、ネロンガと戦った時も胸をドンドンと叩いて「さあこい」なんてやってたし、スカイドン戦ではそのあまりの重さに弱り果てた仕草をしていたり、シーボーズのときは手に負えなくて肩をすくめるポーズまで…。もしかしたらウルトラ兄弟のなかでもっとも人間くさいヤツかもしれないな、初代ウルトラマンって。一見、ハヤタが優等生的な(言い換えれば無個性的な)キャラに見えるだけに、たまに見せるこうしたパフォーマンスがなにか微笑ましい。対ジラース戦の最後は、定番のスペシューム光線ではなく手刀を用いての居合い切りチョップ(みたいな技)。バッタリ倒れたジラースに剥ぎ取ったエリマキをかけてやるなんて、いいシーンでバトル終了。もっともその前に、エリマキを持ってジラース相手に闘牛のマネっこしてたし、ウルトラマンもいいヤツなんだか残酷なんだかわからんけどね。ジラースを育てた博士(結局ジラースに襲われて重傷を負ってしまう)が地べたを這いずりながら「ジラース、ジラース…」と息絶え絶えに叫ぶところでクロージング。なんか切なさを感じるエンディングだ。ストーリーの前半が往年の洋画「巨大生物の島」「ドクターモローの島」的ホラーSFテイストの感じられる展開だけに、このバトルですっかり作品の色を変えてしまっている。この統一性のなさも、よく言えば盛りだくさんというかウルトラマンのキャパシティの広さというか、だ。ちなみにジラースって名前、沖縄の言葉でジローおじさんって意味らしい。ふ~む、ってことは、ジローおじさんって名前のエリマキゴジラとウルトラマンが戦う話か。なんだかこう書くと情けないね。とにかくこの第10話、何でもありのウルトラマンエピソードの中でも隠れた異色作といえる。ホントにウルトラマンって懐深いね。ところでいきなりなんでゴジラの話かというと、次回ご紹介する特ソンにちなんで、なのであった…。
2007.04.16
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またしてもケッタイな駄菓子を発見してしまった。以前ご紹介した「USA感フライドポテト」を同じメーカーのもので、商品名は「もろこし輪太郎」←これ、“リンたろう”ではなく“わたろう”と読む。もろこしわたろう。もーれつア太郎のパクリか?表側の、なんとも味のあるイラストもさることながら、やはり笑えたのは裏側のキャプション。また写真をアップするけど今回あんまり上手く撮れなかったので、以下に全文を書き出してみる。『毎度ありがとうございます。 先生…輪太郎君、特技は…? お答えいたします。私、生まれはアメリカ、 育ちは茨城県○○○です。育ちのよさと 味の良さ、それに輪になっているのが特 徴です。先生と相談してたくさん食べて 下さい。 先生…輪太郎君はなぜ輪になっているの ですか? 味が見通せるからです。』“茨城県○○○です”のところはメーカー名(m.i.vectorさん、やはりご指摘のメーカーでしたよ)。あとは改行も含め、原文ママ。前回の「USA感…」ほどストレートではないにしろ、こいつもまたツッコミ入れたくなるよなぁ。妙にていねいな輪太郎君の言葉遣いも気になるが、私が特に注目したのは“先生と相談してたくさん食べてください”の一文。この「先生」って、だれ?学校の教師か?それとも医者か?な~んで輪太郎君を食べるのに“先生”に相談せにゃならんのだ?塩分取りすぎになるからか?(たしかにチトしょっぱかったもんなぁ)中身は「うまい棒」を短いちくわ状にしたスナック菓子、ということで、最後の問答も、一見とてつもなく高レベルの応酬に見えて、実は何言ってんだかよくわからんし。実際に輪の中つまり穴を見てみたけれど、味は見通せなかった…(不覚!)すばらしいなぁ○○ってメーカー。そのシュールさに、マジでハマりそうだ。こういうキャプションを考える人に、いつかインタビューしてみたいと思った次第…。
2007.04.12
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最初におことわりを。私の考えでは、転職、退職は必要に応じてあって然るべき。終身雇用などクソくらえ、本当にやりたいことが見つかったり、パワハラ、セクハラに悩んだり、あるいは将来を見据えて「どうもこの会社はヤバそうだ」と感じたら、どんどん上司に届けを出せば良いし、店をたたむことも有り、じゃないかと思う。まぁ歳を重ねるごとに、なかなかそれが難しい、生活を、家族を守るためには我慢してうんぬん…ってのも承知のすけ。ただ、「会社にしがみつく」なんて言葉がゴキブリ男にチューするのと同じくらい嫌悪感を持つ私としては、心や体が壊れちゃう前にその場を離れることも必要と考える。と、例によって長い前置きは終わり。ここからが本題。あ、以下はこれ、あくまでも私の場合だからね。そんな風に思う私もたぶんにもれず、20年以上も会社勤務を続けていれば、辞めたいと思ったことなど一度や二度ではない。書類も何も叩きつけ、「お世話になりました」なんて慇懃無礼に頭を下げながら捨てゼリフひとつ残して事務所を飛び出す…なんてやりかけたことは何度もあるし、頭にきて部品の保管室に行き立て掛けてあったプロペラシャフト(車の部品のひとつね)を思い切り蹴飛ばし、足に血豆をつくったこともある(安全靴を履いていてそうだったから、普通の革靴やスニーカーだったら骨折は免れなかっただろう)。もういいやこんな会社。やけのやんぱちで内なる心が響く。辞めちゃえ辞めちゃえこんなとこ。本来、性根の座ってない私のこと、ズルズルとその声のする方に気持ちが引っ張られる。するとセンサーが働くのか何なのか、あのセリフが蘇るのである。「おまえ、気に食わないことがあればすぐ辞めるのか?」「おまえ何のためにMATに入った?MATに入って何をしたっていうんだ」「帰るところがあるからって、これじゃ無責任すぎるじゃないか!」このセリフの出所は、帰ってきたウルトラマン初の前後編、グドンとツインテールが登場するエピソードから。地下街が崩れ埋もれてしまった、自分の恋人アキちゃんを助けようと、隊長の命令も無視して瓦礫を取り除こうと奮闘する郷秀樹に、駆けつけた上野隊員がMAT基地に戻るよう説得する。しかし、耳を貸さないばかりか「そんなことなら(アキちゃんの救援活動ができないなら)MATを辞めてやる!」と言い捨てた郷さんに対し、上野隊員が先のセリフで彼の甘さを糾弾したのだった。これねぇ、大人になって何度目かの再放送で見ていた私は打ちのめされたんだな。そうか、働くというのはこういうことなのか。その場の怒り、一時の感情の高ぶりでヤケになっちゃダメなのだ。そこでイヤになって辞めたら、それは無責任ということなのか。仕事ってそんなに甘いもんじゃないんだなぁ…。ただ、この時の郷さんの気持ちもすごくわかる。自分以外には助けられない命(それも恋人の!)、その命の灯が消えようとしているのに、なぜ基地に戻らなければならないのか?ってね。まして、MATの仕事が人類の平和を守ること、人々の生活を脅かすものと戦うことであるだけに、やっていることは元々の業務を逸脱してはいないはず。けど、個人の倫理だけで動くことを、組織は許してくれないのだな。チームワークという名の下に。MATって、他の地球防衛隊にはない“職業”としての重みが感じられるなぁ。ちなみにこの前後編(第5、6話)、終始にわたって完成度の高い人間ドラマが繰り広げられ、他にも光る名言が目白押し。帰ってきたウルトラマンの、作品としての風景を見るにはまずこの話。いや、下手な映画やTVドラマを観るくらいならこのエピソードを観なさい!ってほどにお薦めなのだ…。話を戻すと、それ以降私が「もう辞めてやる!」なんて思うたびに、センサーが働き上野隊員が叫ぶ「おまえ、この会社に入って何をしたって言うんだよ!」おかげでこの歳まで、なんとか辞めずに続けられている。上野隊員のおかげだな。最近また、彼の出番がありそうな雰囲気。また叱咤よろしくね、上野隊員!
2007.04.10
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サザエさんやフネさんは家事、マスオさんと波平さんは日がな一日働いて、帰宅途中にはたまに赤ちょうちん。そこに将来のビジョンをうかがわせるものはほとんど無く、せっせと毎日ルーティーンワークをこなしてる。まぁこれは良しとしよう。彼らはもうすでに大人だから。ついでにタマも縁側で昼寝をしてればよろしい。しかし、不憫なのはカツオ、ワカメ、タラちゃんの3人だ。放送開始から30年以上経ても、いっさいまったく、これっぽっちも、微塵も成長しない。カツオくんはかもめ第3小学校の5年生。ワカメちゃんは3年生。タラちゃんは永遠に3歳のまま…。以前の放送でもやっていたけど、ランドセルにあこがれたタラちゃんが「ボクも早く一年生になりたいですー」あぁ、フグ田タラ夫くん。キミの言うことはよくわかる。こんなにも長く3歳をやってたら、そりゃいい加減に成長したいと思うだろう。しかし、しかし、その願いは永遠に叶うときがこないのだ。どれだけ小学校やランドセルにあこがれても、それがキミのものとして手に入れられることは無い。製作スタッフという悪い魔法使いが、視聴者という名の神様が、キミの成長をストップさせているのだよ。「ボクも自分のランドセルがほしいですぅ」あくまでもですます調(しかし、考えてみればタラちゃん語とも言えるなあのしゃべり方)を崩さず、謙虚に切々と訴えるタラちゃん。キミを見ているとかわいそうでならぬのだ。カツオくん、ワカメちゃん、キミ達は何のために学校へ行って勉強しているんだい?進級、進学のため?だったらすぐに教科書を捨て、思う存分遊ぶがいい。勉強なんてしなくてもいいんだ。なぜならキミ達は未来永劫、かもめ第3小学校に通うことになっているんだから。それなのに、宿題もせずイタズラばかりしおって!と波平さんから叱られるカツオ君。やはり不憫だ。そこへいくと、イクラちゃんはまだ救われる、ってもんだ。自我のみで生き、己の欲望ひとつで周囲と付き合える年齢。チャ~ン、ハ~イ、バブー、だけでコミュニケーションが取れるのだから。そしてそれだけで満足しているようだから(満足しているのか?)ふと思うが、サザエさんの最終回ってマジにどうなるんだろう?それぞれのキャラの○年後が示唆されてThe endとなるのだろうか?それともいつもと変わりなく日常のエピソードが繰り返され、最後に後口上「みなさま、長らくご覧頂きありがとうございました」なんて挨拶で終劇?よもや、昔ウワサされた、全員海に帰りそれぞれの名前の魚や物に変身してFin、なんてことにはならないだろうなぁ?まぁなんにしても、最後くらいは彼らを成長させてやってほしいぞ?って、なんでそこまで私は彼らのことを心配してんだろう…?
2007.04.09
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先頃、列伝「ジムボタンの歌」のときに土津井さんから頂いた際の、そして先日のみなさんから寄せられたコメントから、思った事がある。そういえば私は子供の頃、父を蹴っ飛ばしてしまったことがあったんだよなぁ。細かなシチュエーションは忘れたけど、たぶん私のことだ、アニメを観ていたかテレビのスピーカーにカセットデッキを押し付けて録音していたときだろう、父が突然チャンネルを変えてしまった。これにキレたのだ。なんで予告もなしに変えちゃうんだ!という理不尽な怒り。いやそれよりチャンネルを変えられたこと自体への憤りだな。とにかくテレビの前で暴れた。まるで玩具屋の前で駄々こねるように、地団太を踏み畳の上を転げまわって手足をバタバタ。で、そのときカッとするあまり、父の足をアリキック(by猪木)。本気で怒られたね~そのとき。親を蹴っ飛ばすとは何事か!それに対し、私は反省半分、だけど勝手に変えてしまった(悪いことした)のはそっちじゃん、と納得しきれなかったのも半分。今振り返ると、あの時はマジで叱ってくれてありがとう、そしてごめんなさい、って想いの方が強いけど…(って、そりゃあたりまえか)ビデオデッキの普及や、それこそ一家に1台ならぬ一部屋に1台のテレビ!っていう今どきの状況から、きっとこんなシーン、どの家庭でも減ったんだろうなぁ。観たい番組があれば録画するか自分の部屋に行きさえすれば、何の我慢もなく観られるもんな。観たい番組がバッティングしてても大丈夫。むしろ、どっちの番組を録画するかで迷ったりして(いや、今ふたつのチャンネルを同時録画できるやつもあるから、これすらも解決か…)まったくあの頃からすればいい時代になったもんだ。特にビデオ。こいつは夢のマシンだね。これはCSの話だけど、夜中の1時、2時にマジンカイザーやさすらいの太陽を放送しても、ぜ~ったいビデオ無しでは観られないって。あっ、CSついでにちょっと雑談。私が再加入した去年の暮れから今、CSってさらにスゴイことになっていて、そのさすらいの太陽とともに♪BD7は少年探偵団~♪や♪アクマイザー(ザンザンザザン)♪のアクマイザー3、♪霧の中から~♪アイアンキングに、とどめは♪インドの山奥で修行♪したレインボーマンまで放送し始めた。恐るべし!あとは録画したこれらを観まくる時間を、どうひねり出すか、だな。あいかわらずPプロ作品はやってくれないのが唯一残念だ…。話を戻すと、そんないい時代になった半面、テレビを見るときの集中力って、昔の方があったよなぁって想いも否めない。CMの間にトイレに入っとく。この歌が終わるまで風呂には入らん!なんて、決死の覚悟。その番組とヘタすりゃ心中するかのような気合の入り方が、今はもう無いんだよな。せいぜいスポーツ中継くらいのものか。しかしそれもスポーツニュースを見ればいいか…ってな具合になることもしばしば。なんかね、気がゆるむ。といって、テレビが嫌いになったわけじゃないんだけどなぁ。これ、ビデオでいつでも観られるから、って安心感もあるけど、番組自体にそれほど執着しなくなった、もっと言えば、執着するほどの番組がなくなった、ってのが大きい。メビウスもなぁ、終わっちゃったしなぁ(まだ観てないけど)。あの頃、ビデオなんぞ無い時代。人気があれば何年も、なければワンクールで打ち切り、なんてシビアな環境な時代。ひとつひとつの番組が実に濃かった気がする。良くも悪くも。以前に出版された「映画秘宝」のムック本(というか、昭和40~50年代のテレビドラマの評論本というか)なんかを読むと、特にそんなことを感じるな。実際、誇張や昔を振り返るゆえの美化、または製作者の思い入れが強すぎるからこその灰汁なんかで、すべてそこに語られてるドラマが名作とは思わないけど、少なくても暑苦しいまでの熱さはしっかり感じるもんなぁ(当時の放送規制のユルさってのも1枚かんでるんだけどね)とにかく、ぜひとも将来リメイクされるような、後世に語り継がれるような濃い作品を望みたいな。大人向けドラマが無理なら、せめてヒーロー物だけでも。身も蓋もないこと言っちゃえば、昔のドラマもそれだけを目的に作られたわけではないんだろうけど、でもやはり放送終了後も、ずっと一晩でも語っていたくなるようなものが確かにあったから…。
2007.04.06
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あれは小学生の頃、母に連れられて、清水の長崎屋に行ったときのこと。店内に入ると、日曜日とはいえやけに多い人だかり。なんかエスカレーター付近が特に混雑してる。なんだかわからないけど、なにかあるのか?すると上の階から歓声が上がり、一般客に混じって降りてきたのは仮面ライダー2号!しかも、その後ろから下がってきたのがサラセニアンとムカデラス(説明不要と思うが、ショッカーの怪人だ)!ゲッ!なんで怪人がライダーと一緒にいるの?エスカレーターを降りたライダーは付近の子供たちと握手をしはじめた。こりゃ私も、ってんで、手を伸ばす。やた!ライダーと握手した!あのじんわり汗ばんだように温かかった手の感触は今でも覚えてる。ありがとうライダー!うれしかったよ。問題はその後。ライダーの後ろを付いてきた怪人も、群がる子供たちを襲いはじめる…わけでもなく、なぜかライダーのマネをして握手しだした!?何なんだこのフレンドリーな態度?でも、私もしっかりムカデラスに握手してもらった。感触は…忘れたけど。でもなぁ、怪人と握手って、どうよ?私はすごく複雑な想いだったぞ?怪人という有名人、怪人という悪者、握手してもらってうれしいんだかうれしくないんだか、だ。まぁ今思えば昭和40年代、古きよき大らかな時代の一幕ではあったな。似たような話で、よくデパートの屋上などのイベントでウルトラマンショー、ライダーショーなんかをやったとき(たぶん先の長崎屋ライダー遭遇事件もこれがあったんだろう)、ショーの終わりによくサイン会が開かれたそうな。今でもあるかどうかは不明。で、ライダーが専用の色紙にサインする、のはいいんだけど、そのとなりにおとなしく座っている怪人まで、達筆なんだか殴り書きなんだかわからん字で“サラセニアン”“サボテグロン”…あの~怪人さんたち、妙にサービス精神が旺盛なんですけど?どうかしてムック本なんかで昭和40年代当時のこのサイン会の様子が写真で紹介されてたりするけど、なんかサインペンを持つ怪人の姿、ほほえましいったら…(ショッカー基地内で自分のサインを練習する怪人さんたちの姿を想像するとさらにおかしい。彼らに混じってペンを持った、気の早い戦闘員に向かって「おまえたちがサインの練習など10年早いわ!」と叱責するゾル大佐とかね)これはショーと言っていいかどうかわからないけど、円谷プロ創立10周年の際、ある霊園で怪獣供養祭ってのがあったらしい。ウルトラの一族やジャンボーグA、ファイヤーマンなどが怪獣の遺影を持ってお参りという、これまた大らか(の、ひと言では片づけられない深みをも感じるが)なイベントだね。供養、というだけあって、古くなった着ぐるみなどを集めて火葬したんだとか…。で思うんだけど、これらのショーやイベントが番組のイメージダウンになったかというとさにあらず、人気爆発に一役買った感すらある。もちろん怪人が握手やサインをすることで興ざめしてこの手の番組から離れていくマセた子供もいたんだろうけど、少なくても私はいっそうライダーに夢中になったしね。今、各地で行われているウルトラマンショーやテーマパークでは、子供に混じってそのお父さんがウルトラマンたちと記念写真、しかも子供以上に目を輝かせて…。うん、なんとなくわかるなぁ。きっと私も彼らと一緒に写真を撮ってもらえるなら、スペシューム光線やエメリューム光線のポーズを気合入れて構えちゃうだろう。ライダーと一緒ならもちろん!変身ポーズだね。そしてまた、彼らと握手してみたい。怪人とも…昔のヤツだったらね(できれば、怪人もいいが怪獣と握手してみたい。バルタンとかプリズ魔とか…って、握手できないじゃん!)
2007.04.04
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先日植木等さんが亡くなられて、やっぱりというかなんというか、一抹のさみしさを感じた。コミカルながら風刺の効いた歌の数々や、バラエティ番組の金字塔「シャボン玉ホリディ」などで魅せた軽やかで洗練されたコメディアンとしての姿(本人的にはまったくマジメな方で、軽薄なキャラ作りには苦労したそうな)、そういやドラマ「とんぼ」では長渕剛と共演したんだよなぁ。あぁ、また昭和の時代が一歩も二歩も遠ざかった気がする。ともあれ、謹んで合掌。で、訃報に対し芸能人の方々がコメントを寄せていて、私が注目したのはドリフの面々のそれ。まぁどこかの新聞にも書かれていたように、ドリフってクレイジーキャッツの後輩、弟分だしなぁ。ってなことで、ここからが本題。ドリフと言えば「8時だヨ!全員集合」となるわけだけど、この番組がもたらした事象のひとつに、打倒ドリフ!って位置づけで数々の裏番組が登場したことも挙げられるだろう。あれほどの怪物番組だった「全員集合」に対抗するんだから、作る側もかなりリキが入るというもので、たとえばフジテレビの「欽ちゃんのドンとやってみよう」(欽ドン)や「おれたちひょうきん族」なんかはその筆頭だね。ひょうきん族にはそれほど心を奪われなかったが、欽ドンにはちょっとハマったな。その前身のラジオ番組「欽ちゃんのドンといってみよう」が好きだった、ってのも大きい理由だが、前川清の「コント54号」(ってか、“母と子の会話”)もおもしろかったし、「レコード大作戦」は、ありゃ鶴光のオールナイトニッポンの人気コーナー「そのとき君は」のパクリじゃん、なんて思いながらも、香坂みゆきのかわいさについつい夢中になったり。あ、初期の頃よくエンディングでかかってた三波春夫の「ニッコリ音頭」は、今でも歌えるぞ。♪日本国中ニッコリ音頭でシャシャンとね~、あっねぇ春ちゃん、あっねぇ欽ちゃん♪そして、打倒!全員集合として製作されたアニメ、特撮番組ってのもある。「デビルマン」「キューティー・ハニー」「ミクロイドS」「人造人間キカイダー」(&キカイダー01)…ミクロイドはともかく、今でもネームバリューたっぷりなこれらの作品、他の同ジャンルのものに比べて少々アダルトチックなものばかりだね。しかしなぁ、全員集合とデビルマンのどちらを観るか、当時の子供たちからすれば究極の選択だね。まぁ静岡ではさすがローカル局、これらの作品ってみ~んな夕方5時から5時半に放送されていたため、ドリフもキカイダーもハニーもミクロの三勇士もバッティングすることなく楽しめたけど。あ、でもキカイダー01はあの当時放送されなかったんだよな。これまた、さすがローカルだ…。と、今ふと思ったけど、いくら夏休みとはいえ “夏休み子供スペシャル”とか銘打って昼間っからハニーっての、なんかスゴくない?で、これらの力作や名作、元はといえば、先にも挙げた打倒ドリフ、「~全員集合」に奪われた子供たちを取り戻せ!的な企画から生まれたもの。ということは、逆に言うと全員集合が無かりせば、これらの作品も生まれなかった…ってことになる。そうか、キカイダーの生みの親は光明寺博士でも石ノ森章太郎でもなく、ドリフだったのか!同音異語で、ハニーちゃんの生みの親は如月博士ではなく、ドリフ…オエッ(笑)あの魅力的なハニーソングもハニーフラッシュも、ドリフの存在があってのものか…。もちろん、企画の良し悪しばかりでなく、石ノ森・永井豪(&ミクロイドは手塚先生)のすばらしいデザイン、イマジネーション抜きには、あれらの作品の魅力は語れないんだけどね。それはともかく、ドリフが日本の文化に与えた影響って、大きいなぁ。もっと言えば、そのドリフがヒットする土壌をつくったのが、彼らの先輩であるクレイジーキャッツ、なんだよなぁ。その中でも一番人気だった植木さん、あぁ、改めて合掌…。
2007.04.03
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♪だれか私を待っている 空へと続く道その向こうで 心の中の風見鶏がくるりと南をさす 住み慣れた部屋出ておいでと 旅立つ朝が来たと 少し怖いけど ひとりで飛び立つわ ※グッバイ昨日までの私 恋に恋していたさみしい少女 そうよ あんなに夢見てた私だけのドラマがはじまるの※ 夢があるからすばらしいの そうよ生きてることが いつかわかるさこの世界は御伽噺じゃないと みんな笑うけど 私は信じてる きっと私に逢うために生まれてきた人がどこかにいるわ そうよ 辛い出来事さえ幸せへと続く道しるべ ※~※ ♪昨日の、今年最初の真夏日(…四月で真夏日…エイプリルフールを地でいってるな)のせいか、静岡の街にも一気に桜の花が咲いたようで。こないだ(といっても、もうずいぶん日が経つけど)私の通勤コースに1本だけ気の早い桜が満開だったのが、しばらくして強い風雨で全部散ってしまったんだよなぁ。あぁ春も遠ざかってしまったかと思いきや、これでまたグッと近づいてきた、と言いたいけどそれどころか通り過ぎてしまったような陽気。で、今日はまた曇り。決して寒いという言葉は似合わないけど、なんとなくヒヤヒヤしてる。こういうときって、頭痛持ちには辛いよね。それはともかく、あのときの風雨、昭和56年3月21日の静岡も、やっぱり似たような天気だった…。1年前のブログをご覧いただいた方はご存知の通り、私が3月21日を堀江美都子さんの日と勝手に命名しているのは、昭和56年のその日、初めて彼女に逢ったからなのだ。これまでに何人かの芸能人を見たりナマ歌を聴いたりしたけれど、あの日の堀江さんとの邂逅は一番強烈なインパクトだった。20年以上経った今でも、あぁ、あの堀江さんと逢えたんだなぁと思い出すたび夢心地になるほど。もしも芸能人が人に夢を売る商売というのなら、堀江さんは超弩級の夢を、あの日私に与えてくれた。もちろんそれまでも数々のアニソンを歌う彼女のファンだったが、あの日の邂逅でついに私の永遠のアイドルになったのだ…。その日堀江さんがステージで歌った曲のひとつが、この「だれかが私を待っている」。旺文社のシグマベストって参考書のCMソングに使われた曲(CM自体にも堀江さん出演!)で、実はアニメ映画「オズの魔法使い」のテーマソングでもあった。映画は処々の事情とやらで上映中止になってしまったものの(後年CSで放送された)、その逸話を知ったとき、そうかそれでこんなにも未来に希望を見ている歌なんだなぁと納得したもんだ。作詞:山川啓介、作曲:小田裕一郎、そして編曲が、「風の谷のナウシカ」など一連のジブリ映画で宮崎駿と組む前の久石譲。同じ頃彼が編曲したアニソン「ハロー!サンディベル」(こちらは作詞:三浦徳子、作曲:渡辺岳夫)と、その飛び出し感、勢いが似ているのが特長。“だれかが私を待っている”普遍的ながらなんとも夢に満ちたタイトルだ。詞を追っていくと、さらに夢が希望が満ちあふれているのに気付く。春、それまでの生活環境が入学、入社などによって最も変貌を遂げる季節。せっかく新しい生活が始まるなら、そこには未来への期待を持ちたいもんね。たとえ心のどこかに不安を抱えながらであっても。“いつかわかるさこの世界は御伽噺じゃないと”訳知り顔の大人の言葉に、堀江さんは言う。“そうよ、辛い出来事さえ幸せへと続く道しるべ”大人になればなるほど現実を知り、つい忘れがちになるけれど、でもこのポジティブさ、やっぱり忘れたくないもんだね…。この頃の堀江さん、23歳にしてもう歌(声)に貫禄を感じる。同じ頃発売された「名犬ジョリィ」「サンディベル」「魔法少女ララベル」「若草物語」の主題歌を聴いてても思うけど、確実にアニソン女王の座を確立したなぁ。目標とするアーティストは美空ひばり、とかねてから言っていた堀江さん、少なくとも私たちの世代では彼女を超えた存在だと思う。堀江さんの活躍って、アニソンに留まらない。「宇宙鉄人キョーダイン」や「おらぁがん太だ」等へ役者として出演、アニメ「宇宙魔人ダイケンゴー」では主題歌を歌うと共に声優デビュー、吉本新喜劇「花の駐在さん」では舞台も務め(なんとこのとき明石家さんまと共演!)、そしてちょうどこの「だれかが…」をリリースした頃、時の声優ブームからついにファーストオリジナルアルバム「エモーション」を発売!このアルバム、若干手探り的なつくりではあったがアニソンとは違った堀江さんの魅力を見せてくれたのだ。そしてその後もリリースは続き、数多くの傑作オリジナルソングを世に生み出すに至るのである(「茅ヶ崎メモリー」って、あんなに良い歌なのに、せっかくシングルリリースもしたのになんでヒットしなかったんだろう…) とりあえず今回で堀江さん特集は一旦終了するけど、あくまでも一旦。今後も何度となく彼女の歌は取り上げることになる、と予告しよう。だってなぁ、ご紹介してない名曲、いっぱいだから…。
2007.04.02
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