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今年の仕事、全て完了。そう、本日をもってやっと仕事納めとなる。ということで、こちらもしばらく冬休み・・・私は、10月からこのブログを書き始めた。当初は、『ブログって何?』とまったく前知識がなく、『果たして続けられるのだろうか?』という不安もあったけど。しかし、3ヶ月続いた。そして、来年ももちろん続けよう!過去に何度も日記を書こうとしては、失敗していた私。3日はなんとか続くのだが、それから全くペンが動かなかった。文章書くの好きなのに、どうして??と不思議に思いつつ・・・でも、ブログは違う。自分でも何故だか分からないが、続けられる。ヒマな時も、忙しい時も。私にとってやはり『書く』ことが最高の喜びなんだ、と再認識することができた。それと、『読んで頂いている』という事実も、このブログ継続の鍵なのだろうか?何がともあれ、人と人との素敵なつながりを持てたことが最高だと思う。なかなか会えないけど大切なお友達も、すぐ隣に住んでいる方も、ブログを通して出会えた方々も・・・・皆さんとのつながりをこれからも大切にして行きたい!これからも、もっともっといろんなことに喜び、怒り、悲しみ、笑っている私をこの場を通して伝えて行きますね!!皆さん、本当にありがとうございました!!!!!来年もよろしくお願いします。良いお年を!!!!!!!!abimeg より
2005年12月30日
どうしても考えてしまう。寒い季節となると、特に・・・野良犬や猫たちって、どこで暖を取っているのだろう?我が家には昔、可愛く純真な犬たち(3匹)とわがままだけど愛おしい猫(1匹)がいた。『妹』、『弟』であり、守りたい家族だった。彼らは今、天国にいる。写真の中でしか、その姿をもう見ることはできない。一緒に過ごせた時間があまりにも懐かしく、そしてあまりにも短かった・・・私は未だに、動物が大好きだ。しかも、犬と猫には特別な感情を抱いている。それ故に、どうしても野良犬や猫たちが気になってしまう。ある人が言った:犬も猫も、毛皮を着てるようなものだから、寒くても大丈夫。あなたなら、この発言にどう反応します?私は、その人にこう答えた:じゃあ、あんたに毛皮着せてやるから、野宿する?クソ寒い夜に。冷たい風にさらされて。時には雨が降りしきる中で。やってみるか??やってみてから、もう一度そのセリフを吐いてみれば?これは、あまりにも無責任な意見。思いやりのかけらも感じられない言葉。寒いと感じるのは人間だけじゃない。暖かさが必要なのは人間だけじゃない。犬も猫も同じ。だけど未だに、帰る家のない野良たちがたくさんいる・・・ある国では、野良犬や猫を一旦捕まえて、去勢手術を受けさせる。そして、また放す。数を増やさないための対策だ。これ、日本でも導入できないのだろうか?野良たちに、エサだけをやってる人もいる。一見親切そうな行為に思えるけど、結局どうなんだろう?それならいっそ、家に入れてあげて、家族の一員として迎えて欲しい。生ぬるい親切なんて、誰もいらない。100%を与えられなかったら、初めから手を差し出すのは卑怯かも。やはり、数をこれ以上増やさないこと。これにつきるのでは、と思う。そして何よりも、飼っているペットは捨てない。捨てるのなら、初めから飼わない。そして、飼うのなら家族の一員として迎え、最後まできちんと責任を持つこと。なぜなら・・・寒いと感じるのは、人間だけじゃない。暖かさが必要なのは人間だけじゃない。犬も猫も、みんな『愛』が必要なのだ。******************************追伸:私はブログを通して、動物好きな方々と出会うことができました。その方々が飼っている犬や猫たちとの生活をいつも暖かい気持ちになりながら読ませて頂いています。本当に、ありがとうございます!これからも大切な家族の一員と楽しい毎日を過ごしてくださいね☆******************************
2005年12月29日
空気が乾燥しているせいだろう。私は冬場、静電気女と化する。パチッ!とか、バチッ!など、そんなカワイイものではない。むしろ、ビリビリッ!バリバリッ!バッチ~ン!音までスゴイ。時には火花さえも散る。その上、痛い。ものすごく・・・朝、髪をとくこともできない。ブラシを通そうとすると、バチバチと音がし、切れ毛だらけになりそうだから。(まあ、いつもくくってるから、大して困らないけどね)静電気を起こりにくくするには?何よりもまず、水分が鍵となるらしい。なぜなら、アースの役割を果たしてくれるから。部屋に加湿器を置く、観葉植物に十分水を与えるなどの処置を取ると、軽減できるはずなのだが・・・やってるんだけどね。一向にダメですわ。毎日何度も、バッチ~ン!ほんま、痛いねん。もう!で、ふと考えた。きっと、私自身に『うるおい』が足りんのかも!?そうだな、最近ちょっと忙しない日が続いてるし。このままだと、心がカラカラになってしまうわ。ここらで、うるおいチャージ。いっときますか??ということで本日、自分にご褒美を。なんと昼間っから、かなり豪華な会席料理を食べに!しかも、仕事てんこ盛り状態なのに。まだまだやること山ほどあるのに。まあ、とりあえずそれらを置いといて。胃袋を喜ばすことに・・・私自身、干乾びたくないから。いつまでも身も心もフレッシュで、みずみずしくありたいから。たまには、『贅沢』も『必要』なのかもしれない。リッチな気分に浸ることは、心身ともに活性化させてくれる。いわゆる『うるおいを内から与える』行為なのだろう。私の場合特に、『食』はそれを可能としてくれるのだ。お刺身に、天ぷら。茶碗蒸し、などなどなど。ありきたりのメニューも一流料理人の手によると、こんなに味も形も美しいとは!極めつけは、丹波牛に伊勢えび。皆の者ども、姫は満足じゃ~!!!(気分まで、プリンセス!?)頭も、心も、魂さえも、うるるん、ピチピチ。しっとり、モチモチ。これにて、うるおいチャージ完了・・・となるはずが・・・満腹なお腹を抱え、仕事場へ戻る。ちょうど宅急便のお兄さんが玄関先に。荷物を受け取る私。その時、私の手がお兄さんの手に触れ・・・バリビリベリボリバババッチ~ン!!!突然の電気ショックに、顔をゆがめるお兄さん。いや、でもね、私も痛いから。ここはお相子ということで許してくだされ~!!しかし・・・何!?まだ『うるおい』が足りんのか!?明日は、豪華寿司御膳?それとも、しゃぶしゃぶ?ステーキ?スッポンか?いやいや、取り急ぎ・・・静電気防止グッズを買いに行かねば。(笑)
2005年12月28日
昨日に引き続き、競馬ネタで恐縮です。別に私、競馬ファンでもないし、そちら方面に関してはど素人だが・・・ハーツクライ。これ、有馬記念で1番人気のディープインパクトを破った馬の名前。正式な英語のスペルを見たことないが、発音的に考えると"Heart's Cry"でしょう。つまり、『心の叫び』という意味。日本中がディープインパクトの勝利を信じて疑わなかった中、この馬はきっと心の底から『勝ちたい!』と叫んだのだろう。だからこそ、勝利をその手に(というか、ひづめに?)収めることができた。ふ~ん、そっか。『心の叫び』は、大どんでん返しをもたらすのね。単純なようで、なかなか気付き難いことだったりして・・・ちなみに、ハーツクライ。4番人気だったそうな。しかし、中山競馬場の芝を駆け抜け、有馬記念を制したのは?無敗の王者で1番人気のディープインパクトではなく、この伏兵馬なのだ。先ほども言ったけど、私は決して競馬ファンではない。競馬と言えば、武豊しか知らない。しかし、今年の有馬記念にはどうしてもドラマを感じずにはいられないのだ。私自身、結構『こうしたい!』、『ああしたい!』と叫んでるけど、喉からしか声を出してないかもしれない。腹の底から出してる時もあるけど、まだまだ心の底からではないかもしれない。では、『心の叫び』って?例えば・・・夢を叶えた人と、叶えられない人。意気込みの質が歴然と異なっているし、気合の入れ方が全然違うでしょう。(ということは、アニマル浜口の『気合だぁ!』は単なる口癖とかウリとかじゃなくて、的を射た真実なのかもしれない??)要するに、『本当にしたい!なりたい!でなきゃ、私が朽ち果ててしまう!』それくらい必死な叫びなのだ、『心の叫び』ってものは。しかも、『必死』×『意気込み』+『気合』この方程式なしでは心の底から叫べたとは言えない・・・まさか私、馬から学ばされるとは思わなかったけど。でも、ありがとう、ハーツクライ。君、というか、君の名前から大切なことに気付いたぞ。では、叫んでみます。必死に意気込みつつ、気合を入れて:ガォ~~~~~~~~!!!(なんで怪獣チックやねん!・・・笑)何がともあれ、心の底から叫ぶことができたら・・・大どんでん返しの始まり~、始まり~!!!そして・・・ドラマが起きる。ミラクルも起きる。道なきとこに道が切り開らかれ、不可能も可能に変わるのだ。まさしく、ハーツクライのように。(そして、ちょっぴりアニマル浜口のように!?)
2005年12月27日
昨日、ディープインパクトの惜敗で、多くの人々の夢が泡と消えてしまった。これ、まさしく『まさか』の出来事。さて、本日。別の『まさか』が勃発。こちらは、実にパーソナルなお話。別に誰も巻き込まれてないし、誰もショック受けてない。そう、泣いたのは ONLY ME・・・要は、ビジネス用の年賀状。私は毎年、このためにパソコンでオリジナル年賀状を作成している。きっと取引先には何十枚、何百枚もあちらこちらから届くはずなので、私のがあまりにもインパクト薄ければ覚えてもらえない。だから、オリジナリティに富んだものをといつも心がけている。今回の出来には超満足。派手過ぎず、シンプル過ぎず、私のいい味をちゃんと出しているデザイン・・・だった。『今年こそは早めに用意を!』と思い、1週間前までにちゃんと印刷済み・・・だった。さあ、今日の作業は一枚一枚に一文くらいのメッセージを添えて、あとはポストへ投函。これですべて終了!となるはずだったのだが・・・10枚ほどにメッセージを書き終えたところ、ふと年賀状の本文を読み直してみた。『お健やかに新春をお迎えのことと存じます。』 (うん、なかなか良いで出しだ。)『昨年は大変お世話になりました。』 (そう、感謝する心を忘れずにね!)『本年もどうぞよろしくお願いします。』 (イエ~ス!年賀状にふさわしい文句だ!)ここまでは、完璧。何の問題もなかったのだが、次の行に目をやると・・・『2005年 元旦』えっ!?まさか・・・ウソでしょ!?でも、残念ながら、その『まさか』はウソではなかった。何度見ても、『2005年』となっている。しかも、60枚もすでに印刷済み。ガ~ン・・・一瞬、『修正テープで直してやろうか?』と思ったのだが。でも、これ、ビジネス用だし。『それってマズイだろ』と考え直した。幸い、郵便局で新しい年賀状と交換してもらえたけど。手数料取られたぞ。まあ、1枚につき数円程度だから、いいか。でも、手数料は初耳だったな・・・それと、もう一つ『まさか』なこと。年賀状のデータ。保存してあるはずだったのに・・・はい、分かってます。言わんで結構。(逆切れ??)ちゃんと保存を確認するべきでした!(開き直り??)もう、責めんとって・・・(涙!!)とにかく、一から再スタート。しかも、明日からまた忙しくなるので、今日しか時間がない。これで、一日のスケジュールが大幅に狂ってしまうことに・・・この『まさか』の出来事。勿論、私の不注意が原因とは言うまでもない。だが、そのおかげで(?)、通常より何倍もの気持ち&時間&その他諸々の言葉で現せられない感情をこの年賀状にこめることができた!ディープインパクトのハズレ馬券を記念に取っている人達がいると聞いたが・・・この年賀状も『記念』にいかがでしょうか?私の血と汗と涙の結晶ですぞ~。ついでに、LOVEもたくさん入れました。受け取られる方々、どうぞ大切にしてくださいな!(笑)
2005年12月26日
一足先に・・・メリークリスマス!!!連休中は確実にブログ書けないので、今日言うことに。さて、クリスマスと言えば、各自いろんなイメージがあるでしょう。個人的には、クリスマス・キャロルがその一つ。つまり、クリスマス期間に歌う祝歌のこと。いろいろありますね。例えば・・・We wish you a Merry Christmas♪We wish you a Merry Christmas♪We wish you a Merry Christmas and a happy New Year♪"WISH"は、動詞なら『願う』で、名詞なら『願い』という意味。そう、クリスマスに向けて『願い』を『願う』のだ。そして、自分が願ったことが叶えられる日。それがクリスマス・・・とのこと。子供の頃は、サンタさんが『願い』を叶えてくれた。毎年クリスマスの朝には、必ず枕元にプレゼントがあったのだ。勿論、『サンタさん』の正体は両親だったのだが、私がその事実を知るまでずっと『願い』はサンタさんによって届けられていた。しかし、まあ。大人となった今。社会人として生きて行く中で、かなりクールに考えるようになったものだ。『願ってばかりじゃなくて、行動に起こさなきゃ!』とか、『願いは自分で叶えるもの!』とか、『願うより、目標を立てること!』などなどなど・・・確かに、そうだし。今でもそう思いながら自分を奮い立たせているけれど。しかし、クリスマスももう3日後に迫っている。不思議とこの時期、私の中で童心が蘇るのだ。だから私は今、実にイノセントな心で、ある一つの『願い』を思い描いてる。この際、『絶対に無理』なことをあえて願っているのだ!呆れ返っている大人の私がいるが、同時にサンタさんを信じていた頃の私もまだ心のどこかに残っているのだから。さ~て、どうなるでしょうかね?(笑)今年のクリスマス、皆さんも無垢な子供に戻ってみません?一緒に、超特大級の『願い』を思い浮かべましょうよ!『どうか、どうか、どうか!!願いが叶いますように!!!』MERRY CHRISTMAS TO YOU ALL!!!
2005年12月22日
毎日毎日、『寒い!』と文句ばっかりの私。今日は絶対に仕事場から出ないぞ!と決めていたのだが・・・どうしても印刷しなければいけない書類が。しかし、運悪くインク切れ。しかも、『インクが切れそう』ではなく、『全然あらへん!』という感じ。仕方ない。文具店へ行かなければ・・・意を決した私は、厚手のジャケットを着、手袋をはめ、自転車に乗る。が、しかし。歩けばよかった!と、漕ぎ始めてから後悔する。とにかく、向かい風がすごい!ただでさえ自転車操縦術をつい最近やっと習得した私なのに、こうゆらゆら揺らされたら危ない、危ない。まるで酔っ払い運転よ、これじゃ。赤信号。片足を地面に着け、肩を丸めて待つ私。とにかく寒い。寒いのだ!すると、一台の自転車が私の隣に。チラッと見ると、乗ってる人は白髪のおじいさん。しかも、ヒゲも真っ白。そして、黒縁メガネをかけている。おお!これぞ、和製版カーネル・サンダースなり!長すぎる赤信号。カーネルじいさんにまた目をやる。『へ~!このおじいさん、すごいやん!マウンテンバイク乗ってるで!』と密かに感心。しかも・・・ショッキングピンクにライムグリーンのストライプの入った長スパッツを履いている。シューズは、黒のコンバース。『なんでバスケシューズやねん!』と突っ込みたい気持ちを抑え、上半身に目をやる。カーネルじいさんはグレーの薄っぺらいフリースしか着ていない。マフラーもなし、帽子もなし。しかも・・・ノー手袋。素手なのだ!信号は依然と赤のまま。行き交う自動車の騒音に囲まれる中、ふとあるメロディーが聞こえてくる。"I was dancing with my darling to the Tennessee Waltz...♪"え~っ!?カーネルじいさん、鼻歌歌ってる!それも演歌とかじゃなく、『テネシー・ワルツ』だし。それに英語で歌ってるし!!!発音も結構オッケーよ!!!って・・・そんなことどうでもいいけど、この人寒くないのか!?ようやく信号は青に。カーネルじいさんは姿勢を正し、疾風の如く交差点を渡る。呆気に取られている私には目もくれず。もちろん、鼻歌を歌いながら。その背中を目で追う私は、感動に似た感覚にとらわれる。あのおじいさん笑ってるよ、この寒い日に。しかも歌ってるよ、風に吹かれながら。カーネルじいさん、若いよ!若過ぎる!すごいよ、すご過ぎる!BRAVO!!!!!が・・・ちょっと待てよ。府に落ちないぞ。だって・・・本当に『若い』のは私ではないか!!!その私が『寒い、寒い』と猫のように体を丸め、眉間に縦ジワ入れててどうする!?!がんばれ、若者!がんばれ、abimeg!!!慌ててペダルを漕ぎ出す私。よ~し!カーネルじいさんには負けんぞ!それに、寒さにだって、ビュービュー吹く風にだって負けない!どんなに寒くても・・・せめて、背筋はビシッとしよう!そして、私も鼻歌を歌いましょう!そしたら、気分も晴れるでしょう~!!!『る~るる、るるる~♪今日もいい天気~♪』しかし、まあ。真っ先に口から出る歌が、『サザエさん』なのは何故!?(笑)
2005年12月19日
もうかれこれ何年くらいになるのだろう?髪にドライヤーを当てたのは??夜お風呂に入って髪を洗い、そのままタオルドライだけして寝る。夏も冬も関係なし。季節を問わず、これが私のいつものパターン。だから、ドライヤーはまったく不必要。まず、ドライヤーのブオ~ンって音がなんとも不快。それに、頭皮のみならず、肌まで乾燥してしまいそうで嫌。しかも、特に冬場、湿った髪のひんやりとした感覚がとても気持ち良い。スタイリングの際にも、ドライヤーは使わない。私は洗顔に15分、化粧に30分以上かける人なのに、髪のセットは2分でOK。そもそもコシのない猫毛だし、年々くせ毛が強くなってるし、湿気に弱い髪なので、いつもおでこ全開で一つにくくっている。これ、私のトレードマークと言っていいほどのスタイル。もう長い間ずっと、そう。だから、私が髪を下ろした姿なんてある意味『幻』。親しい友人ですら、見たことある人あまりいないんじゃない?というワケで、長い間ドライヤーを使わない生活を続けてきたのだが・・・道理で、毎冬風邪ひくわけだわ。それも、1ヶ月くらいひき続けるし。幸いインフルエンザとはここ数年無縁だけど、普通の風邪でもツライことはツライ。だから、最近やっとドライヤーを購入した。そして、毎晩マジメに髪を乾かしてます!!大多数の女性にとって当たり前のことが、私には難しいことだったりして・・・でも風邪はもうイヤだ!今年の冬こそ元気で過ごしたい!今晩も、ちゃんとドライヤーするぞ!あ~、でも・・・あのブオ~ンって音、どうにかならないかな?例えば、代わりに・・・オルゴールのような音が鳴るとか。携帯のように、好きなメロディー選べるとか。憧れのあの人の声だとか(笑)。もし、私のドライヤーがグレゴリー・ペック(『追記』参照)の渋い声で、"Miss abimeg, it's time to dry your hair(ミスabimeg、髪を乾かす時間ですよ)"って語りかけてくれるのなら・・・毎晩どころか、一日中スイッチONにするわよ!(笑)********************************追記:<グレゴリー・ペックについて>2003年に老衰のために亡くなったのだが、『ローマの休日』でオードリー・ヘップバーンの相手役を務めたり、『アラバマ物語』で正義感あふれる弁護士を演じたりしたアメリカを代表する映画スター。未だにグレゴリー・ペックを好きな人は世界中に多くいると思う。知性、品、ダンディズム、優雅さ、ユーモアをすべて兼ね備えた正統派ハンサムだ。(しかも、背が高いし、声が超渋い!!)私自身、これほど素敵な男性はいないと感じる。カッコイイ俳優は毎年たくさん出てくるけど・・・グレゴリー・ペックほどの人はもう二度と現れないでしょうね。
2005年12月17日
私は鼻がとても良く利く人で、すごく匂いに敏感。キツイ香水は勿論のこと、シャンプーの香りでも時々むせ返ってしまう。だから部屋の芳香剤は、絶対に『無臭』タイプでなければダメなのだ。警察犬のような鼻ならば、どうして芳香剤が必要かとよく聞かれる。そりゃ当たり前でしょ。部屋の匂いを消すためよ。『部屋』と言っても、この場合、仕事場のことだけど。でも仕事をしながらコーヒー飲んだり。忙しくて昼休みとれない時は、パソコンをカチャカチャしながらそのまま昼食ってこともある。だから様々な匂いが充満するのは無理のないことだ。私は魔法使いではないので、一瞬のうちに部屋中に爽やかなそよ風を吹かせることはできない。勿論、甘い香りを漂わせるために花の絨毯を敷き詰めることも無理だ。しかし、せめて消臭は心がけたいと思う。ということで、やはり我が仕事場には芳香剤が必要不可欠。たとえ無臭タイプであれ。さて、幾日か前の話になるが、今使っているのがなくなってしまったので、新しいのを買いに近所の薬局へ行った。芳香剤が陳列されている棚に向かい、いつもの『無臭』タイプに手を伸ばしたのだが・・・見渡すと、芳香剤の種類ってすごく沢山あるのだ。しかも、香りの種類も様々。ネーミングも一見魅力的だが、一体何?って感じもする。例えば『ウォーターマリンの香り』、『クリスタルクリアな香り』、『ティーツリーの香り』などなど・・・すると、ふとある芳香剤が目に留まった。ピンク色の容器に入った『ワイルドストロベリーの香り』。私の仕事場は暖色系で統一されているので、色的にもピッタリだし、とにかく『ワイルドストロベリー』という美味しそうな名前に惹かれた。よし、一度試してみよう!とワクワクしながら購入したのだが・・・この芳香剤、確かにイチゴっぽい匂いがするのだけど、すごく、すごく、すご~くキツイ!!!ここまで強く香るのなら、もはや『臭い』の領域でしょう。鼻をつまんでも、口から『味』として伝わってくるのだ。一日は我慢して部屋に置いてみたのだが、頭までボーッとし、まるで酔っ払ったようにヘロヘロに。『このままじゃ仕事も手につかないわ』と思い、トイレに放り込んでやったのだが、今度はトイレがむせ返るほど臭くなった。それから数日後の今日。我慢も限界だったので、あることをトライすることに。これはある人から教わったのだが、コーヒーの出がらしをコップなどの容器にいれ、部屋の四隅に置くと臭い消しの役目を果たしてくれるそうだ。普段はもっぱらインスタント派の私だが、このためだけに大量のコーヒーをたてた。そして、出がらしを10個のコップに入れ、部屋の至るところに置いてみた。しばらくすると、なんか苺コーヒー(そんな飲み物ある??)のようななんともいえない臭いがしてきた。まるで焦げた果肉のような感じ。うわぁ~、こりゃいかん!と思い、コップを回収していると・・・誰かが、仕事場のドアをノックするではないか!慌てて、手にあるコップを台所に置き、ドアを開けると・・・そこには仕事でいつもお世話になっているR.S.さんが立っていた!しかも、なぜかA.K.さんまでもが(笑)!R.S.さんとは最近あまり会わないし、A.K.さんは本当に久しぶりだったので、楽しく色んな話に花を咲かせたのだが、その間ずっと『臭くないかな?気付いてないかな?』と心臓はドキドキドキドキ。なぜなら、まだ回収しきれなかったコップ2~3個が部屋の隅にあったので・・・が、しかし。R.S.さんは終始鼻が詰まっているようだったし、A.K.さんは口をずっと動かしており、鼻はあまり動かしてない様子だったので、結局二人ともには最後まで気付かれずにホッ!コップの方にも目を向けていなかったようで、これもまたホッ!それか・・・二人とも気付いていたのに、気使って知らんぷりしてくれたのかしら?まあ、それはないだろう!なぜなら所詮、私の鼻が利き過ぎるだけの話かもしれないから(笑)。********************************R.S.さん&A.K.さん、またいつでも遊びに来てくださいね!次回は『無臭空間』を心がけますので。(笑)ついでに『無菌』も心がけましょうか?『無害』は、いかがでしょうか?(爆)********************************追記:アクセス数2000を超えました!ほんと、自慢できる数字ではないので恥ずかしいのですが・・・でも自分としてはちょっぴり嬉しいかも。これからもがんばるぞ~!って感じかな!?さて、2000人目の訪問者は、クラークリーさんでした。ただの偶然だと思うのですが、1000人目の訪問者も、クラークリーさんだったんですよね。狙ってます???(笑)
2005年12月15日
本日、従兄が奥さんとベビーを連れて我が仕事場へ。神戸はちょうど今、ルミナリエのシーズン真っ最中。彼らも、ルミナリエを見るついでに訪ねて来てくれたのだ。従兄のベビーちゃん、まだ1歳3ヶ月なのに体格は3歳児ぐらい。だから、抱っこする時『よいしょっ!』と気合を入れねば、よろけてしまう。でも、いつもニコニコ顔のとても愛嬌がある女の子。しかも・・・ふふふ~っ!私になついてくれる数少ない子供の内の一人なのだ。(何故なつかれない?詳しくは、11月10日の日記を参照)従兄たちファミリーは、1時間ぐらいここで過ごしてからルミナリエへ。『バイバイ~。また来てね~!』と彼らを見送り、仕事場の戸を閉めた私だが・・・うっ!!!こ、腰が砕けそう!!!しかも、肩も、腕も、手首も痛い!!!おまけに、頭も!!!ソファーになだれ込み、横になった私。ゆっくり息を吸ったり吐いたりしながら、しばらくそのままの体勢に。『どうしてこんなに疲れたんだろう?』理由は一つしか考えられない:ベビーちゃんと遊んだから。しかし、ここまで疲労感を味わうとは・・・あっ、ストーブ危ない!テーブルにぶつかりそう!それ口に入れちゃダメ!などなどなど・・・特に、このべビーちゃん、ハイハイのスピードがオリンピックの陸上選手並みに凄いのだ。それに、立ったとしても、最近やっと歩き始めたので足取りはとてもおぼつかない。だから、歩いている時も注意を払わなければいけなかった。しかも、何故か高いところにある物ばかりに興味を示すので、その都度抱っこしてあげてたし。子供ってカワイイけど、結構気使うのだな~。私の場合、今日という日のほんの1時間。しかし、従兄の奥さんは四六時中このようにしなければいけないのだ。彼女だけでなく、幼い子供を抱えている日本中のお母さん達、果ては世界中のMOTHERS も同様。それに、皆子供が1人とは限らない。2~3人いたり、年子で生んでる人も多くいる。また、仕事と育児を両立してる人だっている。皆さん、どうやってエネルギーを保っているのだろう?すご~く不思議・・・どんなにハードな仕事より、『子供を育てる』ということの方が100倍、いや1000倍大変なのだなぁ。なぜなら、『命』を預かっているから。体力、気力、精神力すべてを持って子供に接しなければいけないのだ。やっぱり、母は偉大です!!!本当に尊敬します!!!今すごく、自分の母親に『ありがとう』って伝えたい。そして、全世界のMOTHERS に、『ご苦労様です』と。私もいつか結婚し、お母さんの仲間入りをする日が来るのかもしれないが・・・今はちょっと、自信ないかも(笑)。だって・・・1時間よ!たった1時間で、ここまで疲れたんだから (フ~・・・)。3日連続で徹夜の仕事したほうが、まだ元気かも(爆)。
2005年12月13日
昨日の日記、一部訂正致せねば・・・『日本人男性の理想』については、あのままに。なぜなら、私見であるが、やはりそう感じるから。また、例の小説の女性の描きかたも、あのままで。なぜなら、これも私見であるが、やはり男性小説家から見た女性像だと思うから。では、一体『何』を訂正したいのか?私は昨日してはいけないことをやってしまった。つまり、読み終わってない本に対して批評を行ったこと。これ、ダメです。絶対に!小説であれ、映画であれ、漫画であれ、『何』であれ・・・途中で『ハァ~!?』と思っても、必ず最後までストーリーを見守らなければ。でなきゃ、コメントは言っちゃいかんのですわな。昨夜、寝る前にあの小説を手に取った。未読のページがあと少し残っていたので、とりあえず読んでしまおうと思い・・・昨日のブログで、今クライマックスに差し掛かっていると書いた。そう、ちょうど主人公が恋人の首を絞めようとするところ。そこから再び読み出したのだが・・・まず、物語のおさらい。主人公の青年は脳移植を受け、命を救われた。が、しかし。生前のドナー(凶暴な人物)の記憶がその移植された脳に残っており、温厚だったはずの彼(主人公)の人格を乗っ取ってしまった。考えてみてください。姿も体もすべて自分のはずなのに、意識は自分でなくなるということ。つまり、『自分という存在』が封印され、別の人物にコントロールされるようになるということ。そうなってしまった主人公は発狂し、殺人まで犯してしまい、挙句の果て愛してやまなかった恋人の首までも絞めようとする。が、しかし。本当に、『が、しかし』なのだ。寸前のところで彼は手を止める。なぜなら、封印されていた『自分』、なくなりつつある『自分』が一瞬戻って来たのだ。さて、何故でしょう?何故だと思います?これ、『愛の力』なんですよ。『愛』は何よりも強いパワーを秘めている。『自分』が『自分』でなくなって、最新の医学でも主人公の凶暴化を阻止するどころか、その進行を遅らせることすらできないのに。恋人が彼に向ける一途な想い、そして彼が正常だった時(移植を受ける前の頃)に彼女へ向けていた切ないほど純粋な気持ちが『愛』という爆発的な効力を生み出した。一瞬だが、ほんの一瞬なのだけど、彼は封印されていた『自分』を取り戻す。確かに『愛』はどろぬまの状況を覆したのだ。だから、彼の手は止まった。そして、彼はある決断を・・・私、号泣しました!小説を読んでこれほどまで泣いたのは、本当に久しぶり。普段結構辛口なこと言ってるクセに、私もやはり女なんだなと思った。そして、人間なんだとも。女だからこそ、人間だからこそ、『愛』に弱い。そして、『愛の力』に感動させられるのだ・・・つたない文章で、しかも完全に自分の世界に浸りきって本日のブログを書いているので、『ワケ分からない!』と思われても仕方ないけど・・・まあ、私の暴走はともかくとして。皆様、ぜひこの小説を読んでください。東野圭吾作、『変身』です。確かに、私から見ると女性の描き方に多少物足りなさを感じる。しかし、読み終わってみると、もうそんなことどうでもよい。『生きる』ということはどういうことか?『自分』を失っても、生きる価値はあるのか?『目に見える世界で生きること』、『目に見えない世界で生きること』とは?などなど、色々と考えさせられる小説。そして、『愛の力』の凄さ、偉大さも知ることができる。ただのサスペンスのように、犯人さえ分かればそれでおしまい、というものでは決して、ない。きっと、この小説は私の中で長く生き続けるでしょう。『君を愛したことを忘れない』主人公のこのセリフが、今でもジンジンと心に響いている・・・*****************************追記:上記の『君を愛したことを忘れない』は、この小説からそのまま引用しましたが、昨日のブログにあるセリフの数々は要約であり、直接の引用ではありません。非常に細かい点ですが、時折細かく突っ込まれることもありますので念のために・・・
2005年12月11日
現在、あるサスペンス小説を読んでいる。今をときめく推理小説家が著者だ。脳の移植手術を受けた青年が、ドナーの性格にジワジワと乗っ取られる恐怖に見舞われる。元はおとなしく温厚だった主人公が、生前のドナーがそうであったように、徐々に暴力的な人間になってしまう。『僕』という存在を失って行く中、一体自分はどうなるのか!?というような話。まだ読み終わってないのだけど・・・『これ、男性が書いた本だなぁ~』とすごく感じる。なぜなら・・・徐々に気が狂い始める主人公には、恋人がいる。この恋人が問題。女性作家なら絶対このような女性像を描かないと思うからだ。まず、とても献身的:『何があっても、あなたを助けたいの!』次に、彼を絶対に見捨てない:『必ず解決法を見い出しましょう、一緒に!』その上、彼の最大の理解者だ:『あなたはこんな人じゃなかったはずよ。私が一番よく知ってるわ!』そして、ここがポイント:彼女は決して美人ではないし、ソバカスのあるあどけない顔をしているが、周りの雰囲気を和ませる可愛らしい女性なのだ。これって・・・この作者だけの理想像ではなく、日本人男性の理想ではない???皆が皆というワケではないだろうが、殆どがそう思ってるのでは!?!日本では、かわいい系&癒し系がモテるでしょ?これ、本当に最近よく思う。少なくとも、私の周りでは『美人が苦手』な男性が結構多い。その理由を問うと、次のような返事が返って来る:近寄りがたい。高嶺の花だから。怖そう。プライド高そう。緊張するから。などなどなど・・・別に好みは人それぞれだけど、どうして『美人』に対してこのような偏見があるのだろう?私が知ってる美人な女性達は、結構三枚目で楽しい連中ばかりなのにね。それに、女性はよ~く知ってると思うが、必ずしも『かわいい系=癒し系』ではないのに(笑)。そして、これ本日最大の疑問点:『自分より仕事のデキや才能などがやや劣ってて、自分だけを見つめてくれる女性が良い』とも思ってません??つまり、子犬のような存在。男性の皆様方、いかがでしょうか?思い当たる節あります???う~ん・・・『彼女、ワガママで気が強い。しかも頭が良い。だからなおさらアタックのしがいがある!』って男性、いないものなのかな~???『じゃじゃ馬ならし』をするよりは、『安全パイ』で満足なのでしょうか?話を小説に戻そう。今ちょうど、クライマックスの箇所に差し掛かっているのだが、凶暴化した主人公が彼女の首を絞めようとする。『私を殺してもいいわよ。私、あなたに殺されても構わない!』おいおいおい・・・本当に構わないのか!?あんた、まだ22歳よ。本当にこんな風に死にたいの!?!もう、離れなさい、その男から!!!!!!と、ただの小説なのに、すごく感情移入してしまっている私(笑)。ちなみに、この彼女、私と同じ名前。でも私なら、このようになれるだろうか?かなり、疑問・・・この小説、構想や文の運びが素晴らしいし、ぐいぐい引き込まれる。サスペンス作としては優秀だ。が、しかし。もし仮に、宮部みゆきや乃南アサなどが同じストーリーを書いたなら、どのように恋人を描くのだろう?それがすごく、気になる。でも、読み続ける。だって、サスペンスだもん。はやく結末が知りたいぞ(笑)!
2005年12月10日
午後から長時間、経理作業を行った。OL時代は、月に一度お給料をもらえばそれで良かったが、フリーランスになった今、すべて自分でしなければいけない。初めの頃は、どのように記録を付ければ良いのかさっぱり分からず、何度か税務署に足を運んでは、窓口の方に質問を浴びせかけた。とりあえず今は、(某税理士の指示通り)エクセルで計算表を作り、「水道光熱費」、「通信費」、「接待交際費」、「交通費」、「雑費」などの項目に領収書を振り分けて数字を記入。とにかく、この作業を毎月行うだけで良いのだ。それに、他の自営業の方々と比べると、私の場合すごく簡単なはずだ。人を雇っているわけでもないし、あまり経費がかからない職種なので。また、支払調書というものを確定申告の時期前に取引先各社が送って来てくれるので、私がしなければいけないことは自分が使った分の記録を付けるだけ。つまり、家計簿のように至ってシンプルなのだが・・・私は、この作業が大嫌い。もう、嫌いで嫌いで嫌いで嫌いで嫌いで嫌いで嫌いで嫌いでたまらない~!!!!!しなくて良いのなら・・・マラソンを喜んで走ります!(スタミナない私だが)。冷たい海にザッブーンと飛び込みます!(異常に寒がりの私だが)。毎朝5時に起きましょう!(朝が超苦手な私だが)。焼肉を一生食べません!(うっ、これツライかも!?)。とにかく、思いつめるほど嫌なのだ。あまりにも「イヤ!」という気持ちが強すぎ、どうやら最近、脳が完全にシャットアウトしてしまったらしい。すっかりさっぱり、忘れてしまっていたのだ。しかも、恐ろしいことに、どれぐらい前から忘れていたのかも覚えていないほど・・・今日、机の引き出しを開けて、ギョッとした。というか、開かなくてビックリしたと言う方が正解かもしれない。領収書を入れているクリアケースがパンパンになり過ぎて、引っかかっていたのだ。わずかなすき間に指を押し込み、思いっきり引っ張ると取り出せたが・・・な、なんと!領収書が貯まりに貯まっていた。しかも、4ヶ月分。もうこうなると、好きも嫌いもない。心を無にして、覚悟を決めた。まず月ごとに領収書を分け、その後項目ごとに。そうすると、わけのわからない領収書が出てきたりして、「なんじゃ、こりゃ?こんなお店行ったっけ?」みたいな・・・別に変な店じゃないけど、まったく記憶にない。そこで何を買ったのか、それとも何を食べたのかどうしても思い出せない。例えば店名が「○○レストラン」とか、「△△文具店」なら一目瞭然だが、「ワンダーランド」(仮名)とやらいう名前なら、しかも但し書きがなければ、検討が付かない。たかが4ヶ月前のことを思い出せない自分が情けないが、「嫌だから」という子供っぽい理由でここまで放っとらかしにしたことも恥ずかしい。領収書の振り分け、そしてエクセルへの記入をすべて終えるとかなり時間が経っていることに気付いた。ハァ~っとため息をつき、立ち上がると、ヒラリ~ン・・・何かが床に落ちた。一枚の領収書。どこかに挟まっていたのか?勿論、未処理のものだろう。拾ってみると、これにもまた分けのわからない店名が。もう、勘弁してよ~!どうしようかと思う前に、手が先に動いていた。謎の領収書は無残にも引き裂かれる運命に。私は、くるっときびすを返すと、トイレに向った。そう、ゴミ箱ではなく敢て便器に投げ込み、ジャーっと流してやった。まあ、金額が大したことなかったので惜しい気持ちなど全然ない。渦巻く水流に飲み込まれて行く紙片を見ると、少しだがすっきりとした気分に。これからは・・・どんなに忙しくても、どんなに嫌だと思っても、毎月マジメに経理作業を行おう。新たにそう決心したと同時に、ふとある考えが浮かんだ。そうだ、領収書を貯めずに、お金を貯めよう!そして、絶対に(強調)!いつか、絶対に(さらに強調)!・・・経理のバイトを雇います!!!(宣言)
2005年12月09日
1泊2日の岐阜出張。仕事とはいえ、感銘を受ける旅となった・・・今回は、アメリカ人の雑誌編集者による日本文化の取材。その通訳として私も同行することに。「日本文化」と一言で言っても、それはかなり広範囲に及ぶ。従って、この度は焦点を岐阜県の関市と美濃市に当てたそうだ。関市と言えば、刃物の町として有名。また、美濃市は美濃焼という陶芸の発祥地。関市では刀匠の工房を訪問し、美濃市では美濃焼の工房へ。昨今では、日本の伝統工芸の後継者不足が深刻化しているとニュースなどでよく耳にするが、少なくとも今回訪問した2ヶ所ではどうやらその問題もどこ吹く風という感じだった。なぜなら、どちらの工房でも名人の息子たちが先祖代々受け継がれてきた伝統をしっかりと守り、育もうとしているからだ。まずは、刀匠の息子。まだあどけなさが残る27歳の青年だが、父親と刀を打つ時の眼は真剣そのもの。しかし、顔はこわばってはおらず、わずかだが余裕さえ感じた。そう、彼は微笑んでいたのだ。自分の生き方に愛情を抱いている者にしかあり得ない表情。彼はきっと、刀匠の家系に生まれて来たことを誇りと思い、このようにして跡を受け継ぐことに喜びを感じつつ、日々修練を重ねているのだろう。ちなみに、修行期間は約5年だそうだ。その後、お礼奉公として2~3年加えられる。この青年が一人前の刀匠となり、いよいよ父親の年齢に達する頃、どのような刀を打ってくれるのだろう・・・美濃焼の陶芸家は、40代ぐらいで、既に跡を継いでいるのだが、彼もまた自分の仕事をこよなく愛している人物だった。歴史を織り交ぜながら、美濃焼について語っている時の眼は、まるで少年のようにキラキラ輝いていた。「美濃焼に携われること、美濃焼を伝えることが私の誇りです」と語る彼の言葉は力強く、希望に満ちていた。また、この陶芸家の工房には「守 破 離」と書かれた掛け軸が飾ってあった。「伝統を『守る』ことは、今の私にできていると思います。『破る』ことは、半分ぐらいできているでしょうか。『離れる』ことは、一番難しい。古いものから新しいものを作ることなので。これは、私が死ぬまでに達成したいことですね」と話していた。彼ならきっと、できるだろう。美濃焼の新たな境地を開いてくれることに期待する・・・伝統を受け継ぐ二人。片方は来る日も来る日も刀を打ち、もう片方は晴れの日も雨の日も轆轤(ろくろ)を回す。作っているものは違っても、伝統を後世に伝える役目は同じ。そして何よりも、二人ともまず第一に自分の置かれている境遇に幸せを感じている。「仕方ないから」、「他に仕事がないから」、「サラリーマン生活が嫌だから」などのネガティブな理由で家業を継ぐ決心をしたのではない。むしろ、「この家の息子で良かった」という感謝の念と「先祖の技法と父親の腕をいつか越えてみよう」というチャレンジ精神の元、一般的ではない生活に足を踏み入れる決心をした二人なのだ。今後、彼らの手によってどのような作品が生み出されるのか?「伝統」という世界での創造者として。いつの日か各自が作り上げた名刀を、また名器をどこかで目にする日がきっと来る。その際、この出会いを通して受けた感銘を改めて感じるのだろう・・・そんなこんなを考えながら、岐阜を後にする私がいた。多少、名残惜しさを感じつつ。********************************訂正:11月30日の日記にて、「某雑誌編集長」と書きましたが、「編集者」のタイプミスでした。
2005年12月07日
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