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最近、頻繁に訪れている関内ですが、私、中華街というところに始めていきました。う~ん、中国語が随所に飛び交っていて、人民も多く、中国に行った気分になれるんですね。 ただ、本家中国と大きく違うのは、店員のマナーがいいことと、料金が高いことでしょうか?この中華街の歴史ってどんなものだったのでしょうか? 横浜が開港したころ、中華街や山下公園のある関内は元々外人の居留地で、日本人は住めませんでした。関所で囲われていたので、居留地を「関内」、その外の伊勢崎町などを「関外」といっていました。 そうなると、欧米人に混じってドコにでも住んでしまう中国人も関内南に定住して今にいたっています。そんな中華街をちょっと歩いてみたいと思います。
2006年11月30日
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この石舞台古墳の中はこんな感じになっています。両側は勿論石の壁になっていて、床部分は小さな石が敷き詰められています。 ここはかぶせてあった土がみな無くなってしまった位ですから、当然棺桶も副葬品も全く残っていません。副葬品はよく盗掘されてしまうんです。昔も悪いヤツはいたんですね。たま~に手付かずの古墳が見つかるとお騒ぎになるのです。 ここで永眠した人は本当に馬子だったのでしょうか?明確にはわかりませんが誰かが永眠していたのです。
2006年11月29日
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飛鳥に観光に行くと、必ず誰もが見るのが「石舞台古墳」でしょう。これはちょうど飛鳥盆地の南はじにあり、もともとは古墳の石棺が収められていたところです。 だから、この石を包むように土盛りの方墳(上からみると四角形の墓」でした。ただ、その土がどんどん削れて行ってしまい、棺桶をいれる部屋がこのように露出してしまいました。 この石たちは77トンもあるそうで、まさに大型のお墓です。だれのお墓かわかっていませんが、蘇我馬子のお墓であるといわれています。 この石棺の中央部を見てください。花が備えてあります。観光地とはいえピラミッドと同じお墓ですから今でも心ある人が花を添えているんでしょう。 次回はこの石の中に潜入したいと思います。
2006年11月29日
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うちは読売新聞をとっているのですが、今日も含めて小中学校の給食費を払わない親というのがとりあげられています。 最近の自分を含めた大人というのは本当におバカですね。収入が低いとか、生活保護を受けていない人をあくまで除いた前提でいわせてもらうと、本当に大人の格好をした子供、いや子供以下ですね。 読売新聞では、未納率を全国で出していたのですが、北海道や沖縄といった僻地に未納者が多いのは「収入が低い」などの理由がたぶんにあるのでしょう。 しかし、面白いのは東北で、山形、青森、山形の未納率は低いのですが、山の反対の宮城とか岩手は高いんですね。1%以上もありました。これって県民性ですか?景気状況は太平洋側のほうがいいのだと思いますが・・・・・・まぁこの大人たちの顔が見てみたいもんです。 まぁ、このような大人社会に育てられた子供に問題が起こるのは当然でしょう。子供が気の毒ですね。
2006年11月29日
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最近、なんか物足りないと思っていたのですが、理由がやっとわかりました。「カレーマンがカレーを食べていない」のです。 こりゃなんか食べないと、と訳のわからない義務感に襲われた奄太郎はカレーうどんを早速自宅で調理、いただきました。 久しぶりのカレーの味、いつからこのブログは食い物中心になったのか解りませんが、それは言わないことにして、美味しくいただきました。
2006年11月29日
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福山市にある博物館に草戸遺跡を立体復元したものがあります。当時の絵巻や遺跡の調査から浮かび上がった今から600年前の日本の村です。 当然、瓦屋根などの立派な建物などなく藁葺き屋根と土の壁の家が並ぶ貧しげな町並みの中に、注目していただきたいのが米俵がたくさんあるところ。 当時は水運がお米を運ぶ「高速道路」でしたから、必ず川や海の近くに村ができました。当時の賑わいが聞こえてきそうです。
2006年11月28日
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以前にも扱ったことがあるのですが、広島県福山にある草戸千軒戸遺跡という遺跡は、今から600年ほど前の町が遺跡になったものっで、現在は川の底になってしまい見ることはできません。 ただ、そのころ、日本史でいう中世の町の遺跡というのはあまりないことから、川底になってしまったとはいえ大変貴重な遺跡として有名です。 今回、その遺跡を立体復元したものがあるということで、再度扱ってみました。 ちなみに遺跡は、写真の川のちょうど中心部の中州みたいになっているところにあります。全く跡形もありません。 立体復元は次の項にて掲載します。
2006年11月28日
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よく、当時を思い出す味ってありますね。「おふくろの味」みたいなものが。 私にとっては家の近くにある「珍来」という、いきつけ中華屋「チャーハン」が思い出の味です。歳をとってから、脂質の高いチャーハンはたまにしか食べないようになりましたが、高校生の頃はそんなのお構いないしなので、毎日のようにコレを食べていました。 私がいくとオーダーもとらず、厨房のおっちゃんが作り始めていたくらいです。今では厨房も全く変わりましたが、味だけ残っていてたまに食べに行くのです。 好き放題やっていたあの頃を思い出すチャーハンです。
2006年11月28日
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今年のプロ野球は日本ハムフィーバーとなりましたが、そんなファイターズからもトライアウトを受けた選手がいました。ごぞんじ坪井選手です。今回のトライアウトでは特に注目されていた選手の1人でしょう。 坪井選手はPL学園、青学大、東芝、阪神と野球のエリートコースを歩んできた選手。阪神でも活躍し、その後日本ハムへ移籍、北海道移転前の日本ハムでは不動の1番打者で、東京ドームに響く坪井応援歌を聞いた人も多いことでしょう。 結果はヒットと三振などあり、今後はどうなるかわかりませんが、北海道フィーバーした裏では、このようにがむしゃらに野球をやっている選手もいることをマスコミを通してでなく肌で感じました。 今日、トライアウトにでている選手達を観て、どんな結果になろうと、私はつくづく「カッコいいな」と思いました。野球ファンでよかったと思いました。 続きは次回へ・・・・
2006年11月27日
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今日は、いつもお世話になっているトータルエージェントの高木さんとプロ野球トライアウトを観るために、千葉マリンスタジアムにご一緒させていただきました。 今日のトライアウトでは高木さんの友人で今年楽天イーグルスを自由契約となった益田選手、矢野選手らがチャレンジするということで、私の関心をもっての観戦?となりました。 千葉マリンスタジアムはただいま外野スタンドを総改修中で、写真のように足場が組まれた球場でのトライアウトでしたが、昨日までの雨も止まり、多くの選手が選手生命をかけて真剣にチャレンジしていました。 そのときのことを次回以降、書かせていただきたいと思います。
2006年11月27日
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季節は冬になりましたね。 帝釈天の参道も冬の気配が漂いはじめています。来月になれば新年の準備をはじめることでしょう。 正月はまた、参拝客で、参拝客でえらい騒ぎになりそうです。
2006年11月27日
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このたび、「奄太郎が語る日本史」にオリジナルCDジャケットが出来ました。というより心ある方が創ってくださいました。 私が掲載させていただいた「静御前」をモチーフにしたもので大変気に入っています。 感謝して大事に使わせていただいております。
2006年11月27日
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最近、諸事情から人と会食する機会があまりなかったのですが、今日は久しぶりに友人と食事を一緒にいただきました。 相手にもよると思いますが、やはり友人との食事は楽しい!とくに話すと楽しい人との語らいは時間を忘れるものです。 今日は、静岡に行った以来の焼肉をいただきましたが、何倍にも「味のある」美味しいものでした。
2006年11月26日
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ダイエットをしている人がカロリー過多になってしまう原因の一つが「お酒」ですね。お酒自体もカロリーが高いですが、そのつまみも高いというわけで酒好きの方にはダイエットはキツイモノですね。 私は酒は飲まないのですが、そんなお酒に悩む方に朗報?が! かつての文学者、芥川龍之介はこのようにいっています。 酒飲まぬ身のううろんちゃ、カフェ、コカコラ、チョコレイト・・・・・・ 龍之介はお酒を飲まない代わりに上記のもので対応していたようです。ちなみに「コカコラ」とは「コカコーラ」のこと。当時は今のようにどこにでもあるものでなく高級品でした。 ただ、「これでお酒はやめられても太ってしまうのではないか?」というご指摘があると思いまして、烏龍茶は流行の「黒烏龍茶」、コーラは「ダイエットコーラ」で上のように対応してみました。 私はチョコレートは殆ど食べないので適当なものを・・・・ これで禁酒してダイエットをされてみてはいあkがでしょうか?
2006年11月26日
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岐阜県に永保寺というお寺があります。ここは禅宗(臨済宗)の有名な古刹なのですが、無想疎石の作庭なるお庭があります。疎石は京都の天竜寺なんかのお寺も手がけてますから作庭でも能力を発揮した鎌倉時代末~室町時代のお坊さんです。 疎石のことは改めて話すとして、今日はその疎石作成の庭と並んで建つこのお寺の「観音堂」を観ていただきたいと思います。 上の写真がそれなんですが、ちょっと変わった形をしていますね。屋根が異様に反り返っています。建物だけ見るとなんかヘンテコですが、これが前面にある庭と調和していい味出しています。 この建物は他にも面白いつくりになっていて、禅宗のお寺風ながらもどちらかというと貴族の住宅を意識したものになっています。この建物は創建当時のままで国の国宝として大事にされています。
2006年11月26日
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最近、報道各社で北海道の夕張市が破綻して市民生活に深刻な影響を与えていることが取り上げられています。 簡単にいうとただでさえ収益の低い地域で、例の不採算なハコモノを造ったツケが回ってきたというわけですが、負担増しを市民に求めた市役所や市長に対しての怒りが市民の間で起こっているようです。 マスコミ各社やコメンテーターは「市民が気の毒」ということを連呼しているようですが、ここでちょっと考えてもらいたいものです。 確かに役所が作成したツケが市民に回ってきているわけですが、その市の代表である市長などを選んだのは誰なのでしょうか?テレビでは連日「そんな市長の話は聞きたくない」という市民の罵声が流れていますが、その市長は世襲とかでなったのでしょうか?市民が選挙で公平に選んだのではないでしょうか?その前の放漫経営していた市長も選んだのは市民なのではないでしょうか? 大変失礼な言葉かもしれませんが、それは夕張市民の責任もあるのではないでしょうか?訳のわからない客が全くこなそうなテーマパークが出来て喜んでいた市民もいたのではないでしょうか?なかにはそれを糾弾した人もいたと思いますが。 よく政治家が汚職で捕まったり、このような放漫経営で破綻させてしまう市町村がこれから出てくると思いますが、最大の責任は政治を行なった当人にあると思いますが、それを選んだ選挙民が「無能」だったともいえるのではないでしょうか? 民主主義はあくまで「市民が代表を選ぶ」わけですから、選んだ人々の責任もあると思います。なんでも政治家や役人のせいにしているのはあまりに低俗で子供のような発想と思います。「なぜそうなったのか?これからどうしていくのか?」を考えることが必要です。 民主主義とは聞こえはいいですが、裏をかえせばそれだけ選挙民に責任があり、一歩違えば恐いものになるということを再考すべきと思います。
2006年11月26日
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先日の読売新聞の社説に日記について面白いことが書かれていました。本文を噛み砕いて書くとこのようなもの。 鍋島藩士(佐賀藩士)の山本常朝は「自分の失敗を書き留めた「残念記」というのをつけてみたらあまらに失敗が多く書ききれなかった。そこで彼を逆にして「満悦記」をつけてみたら空欄ばかりで日記にならない。なかには古川ロッパのように「憤懣記」を書いた人もいた。 心身が押しつぶされそうなときも、時間という「医師」のお陰で後で読み返してみると不満も少しちいさくなったりする。「絶望」という言葉が軽く語られがちな時代に日記の効用は見直されていいだろう。 こんな感じ。日記やブログはとにかく自分の好きなようにマイペースでやるのが一番ですね。
2006年11月25日
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最近は寒くなってきましたので、あまり外を歩き回ることもなくなってきましたが、私の好きな漫歩は暖かい日のみ行なっています。一時期浅草を歩き回っていたのですが、最近は神保町が多くなりました。 神保町の古書屋を歩き回ると、不思議と仕事で使えそうな発見をすることがあったりして、自分でも楽しくなります。 「がむしゃらに仕事をしていてもいい案は浮かばないものです。ボーっとしているときにいい案が出たりする。だから仕事のし過ぎはよくないんだ。」これは私の恩師の経営者だった人の言葉です。 今年は浅草で始まり神保町でボーっと締まりそうです。
2006年11月25日
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今回は久しぶりにここで、観た映画についてお話します。観たのは「戦艦ポチョムキン」。古い名画をじっくり観ていました。 ポチョムキンはご承知の方も多いように、ロシア帝国末期の兵士が既得権益をもつ上官に対立してやっつけてしまうという、ソビエト初期のお約束の映画の一つです。 前にチェーホフのところでも述べたように、当時のロシアは社会自体が崩壊していく状態だったので、それを表現する一つの作品ですね。無声映画ながら今でもしっかり理解できるもので作品はすばらしいと思います。
2006年11月25日
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上の写真の物体はなんでしょうか?薄い色した煉瓦のゆにもみえますが・・・・・これはご存知の方もいるかもしれませんが、「飛鳥の蘇」というもので、今から1300年ほど前には貴族の間でよく食べられていた「デザート」の復刻版です。大きさはこれで6センチ四方くらいですね。 これは牛乳をとろ火で何時間も温めて固形にし、それを固めて作るもので、別名「奈良時代のチーズケーキ」。奈良では食べさせてくれるホテルもあるようです。 興味深々で食べてみると・・・・・・牛乳の味がかすかにするのですが、全く甘さがなく形容しがたいものでした。「美味しい」とはちょっと・・・・・・・ ご興味のある方、通販でも買えるそうなので、ぜひ試してみてください!!
2006年11月25日
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数日前からフローベールの代表作「ポヴァリー夫人」を読んでいました。実はこれは初めて読んだのですが予想以上に面白かったです。 1人の才色兼備な見栄っ張りの田舎女であるエマ(ポヴァリー夫人)が男を渡り歩いた挙句に借金んまみれになり、男たちから見放されて没落して自殺する話なのですが、う~ん、まさにフランス文学ですね。後のモーパッサンに引き継がれていくようなストーリーはたまらないものがあります。 一見、辛いストーリーと思いがちですが、人間の本質を見抜く文学は個人的に好きなので再読したい一冊です。
2006年11月24日
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和歌山の高野山は弘法大師こと空海が修行の場として創建したお寺ですが、この高野山の金剛峰寺を中心に、小さなお寺がひしめき合っていて、「寺の町」を形成しています。 その高野山は昔から多くの人が参詣してきたのですが、なんせ山の上なので旅館などの泊まるところはありません。そこで、小さなお寺がお寺と宿坊というホテルを兼ねていました。今でも宿坊に泊まるのは人気があるので、多くの参詣者が利用しています。 そんな中、とある宿坊にお邪魔したときに泊まる部屋を見せてもらったのですが、上の写真のようなキンピカのふすまに囲まれた部屋もあるのです。 私は「ここで寝られるんですかね?」と住職に質問しますと、「いや、高野山は夏以外は夜が早く、すぐ真っ暗になってしまう。明かりをつければ光ますが、明かりを使わず自然にまかせておれば平気ですよ。」との答え。自然の摂理にまかせているんですね。 この画はおそらく江戸時代末ごろに描かれたものと思いますが、「次回来るときは泊まってみるのもいいかな」と思い、この寺を後にしました。
2006年11月24日
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先に、数社の人事担当者と会う機会があってそこで話をしたのですが、最近になって「4大卒業者(新卒)の社会人としてのレベルがあまりに低い」という意見がたくさん出ていました。ある意味殆どの会社から。 ただ、これはよくいう「最近の若いものときたら・・・・」というお約束の「オジサン文句」が言えない側面があるんですね。なぜなら、今の30代後半から40代にかけての「おじさん」も学卒者時代全く同じ時代があったのですから。というより進路が多極化している今より昔の方がひどかったんじゃないでしょうかね。 あの頃は私はまだ高校生で今32ですが、バブル期に22歳以上を過ごして楽な思い人なんてゴマンといるはずです。今ちょうど「おじさん、おばさん」世代ですね。「就職戦線異状なし」なんて映画が流行ってバカな学生と企業のやりあいが描かれていますが、それの再来のような時代になってきました。 人間とはつくづく愚かなもので同じことを連綿と繰り返すのですね。正直いいますと、そんな人間社会に生きていながらどこかにそんな人間社会を「冷笑」する自分がいます。
2006年11月24日
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私は普段「美味しい食事」などを書かせていただくもんですから、私を「グルメ」と思っておられる方もいるかもしれませんが、それは全く違います。 私が取り上げる食事はダイフンパツしてせいぜい1500円くらい、1000円だったら高級な食事といえるでしょう。普段は300円、500円が普通です。また、外食するときはカレーとか丼ものとかが好きですが、これも美味いからではなく「楽に食べれるから」だったりします。日本食のようなチマチマしたのはイマイチなんですね。 ちなみに今日は、給料日前なので、朝はおにぎり1個、昼はもりそば一枚、夜は上のメニュー、レンコンご飯に春巻、けんちん汁といった安い「オーソドックス」なメニューをいただきました。 レンコンといえば日本ではぜんぜん大衆の食料ですが、私のブログを愛読していただいているドイツ在住のTomochanさんの奥さんが「ドイツではレンコンは高級」といわれていたのを思い出し「これでも高級な食事なんだな」と感じ給料日前のディナーとさせていただきました。
2006年11月23日
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今日の東京は予想が大当たりしてえらい寒さになっていますね。私も外に出るのは控えようと思っております。昨日が暖かかったため、なおさらそう感じるのでしょうね。 まだまだ冬は序の口のようですから、長く構えていきたいですね。
2006年11月23日
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奈良の大仏を見たことがある人は多いと思います。今から1000年以上前に建立されたという大仏はもちろん当時のまま残っているわけではありません。 平安時代には地震で頭が落っこちてしまったり、傾いてしまったこともありました。しかし平安時代末に兵火に巻き込まれついに全焼してしまいます。 そこで、鎌倉時代に再建され、最初は大仏のみ造られてのち大仏殿も再建、その当時に再建されたものが上の画です。大仏も大仏殿もかなり今とは違う様相をしていますね。 後、更に兵火にあい全焼、再建されたもののやっぱり露座していましたが、江戸時代になってやっと大仏殿をはじめ今の形になったわけですが、当然、創建当時の様相とはかなり違ってしまっています。 形は違ってしまいましたが、それを信じる心は変わりません。
2006年11月23日
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先日、たまの休養日、健康ランドへいって心身ともにリフレッシュしてきました。 私は健康ランドの会員になっているほどじいちゃんばあちゃんに混じっていっているのですが、行くときは二つの「オキテ」があります。 1、日、祝日は行かない(人ごみがきらいだから) 2、必ず本を持っていって読む というものですが、今回持って行ったのが向田邦子の晩年の短編集「思い出トランプ」「男どき女どき」などでした。 これも、もともと蔵書を再読したものでしたが、なぜか新鮮な感じのするものが多かった気がします。とくに短編の「ビリケン」というものは中々面白かったですね。 向田邦子が飛行機事故で急逝してしまったのは私が小学校のころですが、今でも多くの愛読者を抱えています。また再読したい作家の1人です。画像はhttp://plaza.rakuten.co.jp/ekatocato/7000より転載させていただきました。
2006年11月23日
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この商業複合施設の上にあがると7階あたりに、南海ホークスのメモリアルギャラリーがありました。決して大きなスペースではありませんが、貴重なものが展示されています。 まず入り口には南海ホークスを舞台にした漫画「あぶさん」が自らお出迎えしてくれます。更にそのバックには・・・・押さえの切り札の金城投手、シェアな打撃でファンに人気があった山本選手、ホークスの大砲、門田選手といった、パリーグファンには懐かしすぎる画像を見ることができます。 オシャレな施設の中にこの様なものを残してくれる、繰り返しになりますが、本当に嬉しいものです。
2006年11月22日
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大阪球場の跡は、前述しました、なんばパークスという複合商業施設になってしまいましたが、そのこ2階のコンコースに、当時の同じ場所にホームベースとピッチャーマウンドが大理石で作られて埋まっています。ここの1階部分の場所がかつてのホームベースだったのですね。 向こう側の円内にピッシャーマウンドがあるので、かつてここで名勝負が行なわれた痕跡が残されています。今ではフツーに人が行き違う通路で両側にオシャレなお店が並んでいますが、ここに球場があったということを後世に伝えようとしているようです。 野球ファンには涙が出るほど嬉しい「史跡」です。
2006年11月22日
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大阪球場は私が見たとき、確かこんな使われ方をしていました。中が住宅展示場みたいになっているという状態。ただ、どう見ても(外から見ても)客席はそのまま残っていますね。スコアボードまで残っている・・・・・左側が南海電車の難波駅、電車の線路がある分、観客席が左右で非対称になっているのが特徴でした。 かつて、様々な名選手がプレーしたとは思えない状態ですが、いにしへの野球場の香りがしていました。 でも今は、跡形もなくなってしまいました。が・・・・
2006年11月22日
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大阪球場があったころの同じ場所の様子です。野球場が繁華街にドーンとある姿は同じ場所とは思えないです。 ちょうどここから眺めるのがバックネット裏にあたったと思います。 私がこの球場のこの姿を見た時はすでに南海ホークスはダイエーホークスになって福岡へいっていました。私の知る南海ホークス晩期は閑古鳥が鳴く球場でしたが、昭和30年代から40年代の黄金期には今の阪神タイガースをしのぐ人気があったとか。 そんな大阪球場の跡を少し歩いてみようと思います。
2006年11月22日
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この間、大阪に行って一番驚いたことは「なんば」が想像以上に変わっていることでした。私がその前に大阪に行ったのは10年ほど前ですが、ウワサには聞いていましたが、それからこんなにも変わってしまったと驚くばかりでした。 南海の難波駅の西側に難波パークスという商業施設とその森が忽然とあるのですが、大阪の人ならご存知かと思います。かつてここに南海ホークスの「大阪球場」があったことを。 以前私がここに立ったときにはまだ球場は残っていました。それが全く痕跡すらないとは・・・・ 次回、在りし日の大阪球場の画像を見てみたいと思います。
2006年11月21日
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名古屋の名物で、ある意味絶対忘れてはならないのが「スガキヤのラーメン」。最近では駅のコンコースでお土産として販売されているほど著名ですね。 このスガキヤのラーメンは私の周りの名古屋人の人々も「うまい」というもんですから、私も食べてみたいと思い続けいていたのですが、なかなか機会がありませんでした。 しかし、先日静岡にいったとき、静岡にもスガキヤがあることを知ったので早速友人に連れて行ってもらいました。 完全によくある「総合スーパー内のおばちゃん休憩所」であるこの手の店ですが、注文したネギラーメンを食べてみると、私の家の近所のヨーカドーのとは一味違いましたね。 ただ、このお店の一番のウケはやはりプライスの安さと甘味のメニューが充実していることではないでしょうか?学校終わった生徒や親子で買い物したときに、低価格でサッと食べれること、長居も一休みもできること、などが受けているのだと思います。そこに少しの「味」が加われば受けるのは必然ですね。それを好む名古屋人気質もあると思いますが・・・ 食後400円くらいの「名古屋の味」に名古屋を感じて私は東京に帰りました。
2006年11月21日
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ちょっと前の話になるんですが、10月23日付けの「きもの流通新聞」という新聞に、マスコミによる「きものネガティブ報道一段と加速」という見出しの記事がありました。 このブログでも扱ったように、京都の「たけうち」という会社が倒産してそこの顧客や取引先に多大な迷惑をかけたこともあることも一因のようです。 ただ、この新聞によると純粋にニュース性のあるものは3件のみであり、それ以外は過剰与信を規制する法の立法化のキャンペーンを意識しての報道であることは明らかであり「呉服」に限定したことではないにもかかわらず「呉服」が例として取り上げられ、更にその事例が2年も前のことだったりする。 このような着物に対してネガティブな報道がされることは業界も縮小せざるおえないことは確かです。業界自体も反省するところは多々あるが、マスコミの相変わらず笑ってしまうような報道にも辟易としてなりません。
2006年11月21日
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上の写真、ただのガソリンスタンドに見えますが、撮っているのはその前にある柳の木なんです。 この木は東京吉原にある「見返り柳」。江戸っ子なら誰もが知っている?柳の木です。 このガソリンスタンドのある交差点は「吉原大門」、右に行く道が吉原への道で戦前までは中の町(高級風俗店)になっていました。例のおはぐろドブもなくなり全く面影はなくなっていますね。 この吉原の入り口にある柳の前で一晩過ごした遊女のことを想うお客が多いことからついたとか・・・・こう見るとただの街路樹にしか見えないのですが意外な歴史があったりします。
2006年11月20日
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先日、ニュースを見ていると、日本と中国の間で、歴史認識がずれていることについてお互いの専門家らで再確認することが行なわれることになったそうです。 やっとこの時が来ました。とりわけ近代においては歴史認識にズレがあるのは当たり前です。なぜならお互い都合のいいことしかいわないですから、当時のエグイことを知っていれば知っているほど、被害者なら声を大きく、加害者なら知らないふりをします。 それらを払拭して、当時の人間より、これから生きる人間のための歴史学を新たに作っていってほしいものです。
2006年11月20日
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チャーハン・・・・それはダイエット中は食べれないからこそ「美味なる」食べ物です!! チャーハンはカレー党の私でも大好きな一品ですが、前述通り、ダイエット中は食べるのを控えている人も多いのではないでしょうか?そこで、今回は自宅でダイエットチャーハンを作ってみました。 チャーハンが体重増の原因に挙げられるのはご承知の通り「脂質の取りすぎ」です。そこで今回は肉を魚(鮭)に変え、油を徹底的に使わないで作りました。 食べてみると、なかなかいける!よく店屋物(特に日本式中華料理屋に多い油まみれのチャーハン)のよりいいかもしれません。 中国に行くとぶったまげるような美味しいチャーハンがあるのですが、どれも油っぽくないんですね。それには及びませんが、今度美味しいチャーハンを求めて中華街でも繰り出そうかと思っています。
2006年11月20日
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和歌山城主としてあまりにも有名なのは、やはり徳川吉宗でしょう。ご存知「暴れん坊将軍」のモデルになっている人ですね。江戸の本家が7代将軍で断絶して、この和歌山から8代将軍として江戸に乗り込んだわけですね。 「暴れん坊将軍」はもともと普通の時代劇だったと思いますが、例の「マツケン」ブームで火がついたのか、最近では「吉宗」なんていうパチンコまで出る始末となってしまいました。 時代劇の吉宗を見ると、なんせマツケンが吉宗なもんですから、「かっこよくて」「体が大きくて」「正義感の強い」イメージを受けると思います。実際、役人の不正を正したり、有名な「享保の改革」で政治手腕を発揮したり正義感も強かったようです。また体が大きく丈夫であったのも事実です。 しかし、一番間違えていけないのは「顔」、マツケンのようなハンサムとはお世辞にもいえない顔をしています。どちらかといえば失礼ながらブサイク・・・・これが吉宗の本当の姿であることはほぼ間違いありません。 また、誰にでも好かれたわけでなく、贅沢奢侈を禁じたことから反感もあったようです。当時の川柳に 元号変わり、御世変わり、江戸のじじいはなぜ変わらぬ という意味の歌がありました。(細部はウル覚えなので違っているかも・・・・)京都の天皇が変わって、元号も変わったのにあのうるさい江戸のじじい(吉宗)は変わらない。 政治や物事を変えるときは批判されることがつきものですが、時代によって「いい人」といわれた人でも立場を変えれば「よくない人」であるのですね。 徳川吉宗については、今でも人気者であるので、今度詳しく取り上げてみようと思います。
2006年11月19日
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和歌山城の一番中心の部分には(本丸という)上の写真のような天守があります。ここは大きな天守に小さな天守が三つついているという形で、攻めるのには一苦労する工夫がされています。 また、このお城の西の丸の庭は平らなところにあるのですが、ここはそこより上にあり、天然の小さな山(というより丘)の上が本丸となっているわけです。 本来であればここにお殿様が住むのですが、ここの場合小さい山で山頂の敷地が狭いため、下の平らなところに御殿を置き、そこで生活していたため、庭も下にあるのです。一応、本丸御殿はあったようですが、殆ど使用されてなかったようです。 このお城、江戸時代に、と~っても有名なお殿様を輩出したお城でもあります。とりわけ最近はなぜか人気者に、そのお殿様とは?ご存知な方もいることと思いますが、次回に!!
2006年11月19日
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この庭園は、和歌山城西の丸庭園といいます。その名の通り和歌山城の中にある庭園です。ここですごいのは、この庭園の大きな池はなんと「お堀」だったのです!!というより堀の一部をうまく利用してお庭が造ってあるのです。ですから、この亭の浮かぶ池がお堀です。 お城は「曲輪(くるわ)」といういわゆる「囲い」によって構成されるのですが、ここは「西の丸」という囲いにあるので西の丸庭園といます。二の丸などの表御殿より奥まった裏側に辺りお城の中では閑静な場所です。 ここにこの庭を作庭したのは徳川義宣という家康の子供で、例の「御三家」の和歌山初代で、江戸初期の文化を今に伝えています。 このようなお城の中に庭があることは日本各所にあったのですが、残存状況が悪く、ここも復元整備されたものです。お城という限られたスペースでうまく作庭するので、もし残っていたら大変重要な史跡になっていたと思います。
2006年11月19日
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ここはある日本庭園です。う~ん、われながら美しく撮れた(と思い込んでいる)お気に入りの一枚。落ち着きます。着物を着て歩きたい庭ですね。 大きな池に岸には奇岩をあしらい、それがまた美しく、なんといっても緑の中に佇む池に突き出た小堂がなんともいえない味を出しています。 ここは江戸時代の初期に造られた庭ですが、大変美しく国の名勝になってもいるくらいなのですが、とっても面白い構造になっていて、歴史的にも価値のあるものなのです。 ではその構造とは???
2006年11月19日
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先日、久しぶりに神田の西口を出て町を歩いていると、神田の老舗洋菓子のお店である「小鍛冶洋菓子店」が閉店してました・・・・・ このショーウインドの中はカウンターでケーキを売り、喫茶店になっていました。 実は、私は今から10年ほど前、友人の紹介で、ここの喫茶店の野球チームに入れてもらい、働いている人達と一緒に野球をやっていました。多摩川や江戸川の河川敷まで一緒にいって野球を楽しんだものです。 ずっといってなかったのですが、まだ営業していると思っていたら・・・・・あのとき、一緒に野球をしたみんなはどうしたのであろうか?今では解らずじまいです。
2006年11月19日
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今日は、家に遊びに来た甥(2歳)の面倒をみていました。読書しながら面倒みようと思っていたのですが土台無理な話ですね。 2歳の男となるともう走り回るし、うるさいし集中できません。結局予想通り一緒に遊んでいるという結果に陥りました。私の年齢ではかなりシンドイですね。歳を感じます・・・・ 公園に行ったり、ビデオ屋で子供向けビデオを借りたりしたのですが、子供のいる親の苦労を少しだけ味わうことができました。 これからもっと手がかかるんだろうな・・・・
2006年11月18日
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国際的乱獲の影響でマグロの捕獲量を各国で規制する方向らしいですね。具体的にどのように決められるのか知りませんが、もしマグロが食べられなくなったらということで、お約束のテレビカメラが町歩いている人に聞いてみると「マグロが食べれないのはヤダ」といった声が挙がる。 実際もしマグロが食べれなくなったらどうなるか・・・・・他の魚食えばいいじゃん。ハマチでもサーモンでもなんでもあるじゃないですか。だったら肉でもなんでもあるんですから、好きなの食べればいい。 アホなマスコミは「第二のクジラになる」と騒いでいましたが、それよりこの国では「第二の米騒動になる」可能性のほうが高いのではないんでしょうか? 今から10年ほど前ありましたよね。当時の特に一部の中高年のオッサン、オバサンが「国産米じゃなきゃヤダ」とか「外国米は食べたくない」と子供のようにダダをこねていたのを。パンでもそばでもあるのに・・・・・今の若い世代よりよっぽど大変な時代を生きてきたのに贅沢になれてしまった醜態を大学生だった私は馬鹿にしてみていました。 ダイエットしてるとか塩分、脂質を控えているとか特別な事情があれば別ですが、出されたものは食べよう!!それこそ真の「美食家」です!!
2006年11月18日
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千利休と全く関係ないと思うのですが、この間、「利休庵」というそば屋に入りました。ここは横浜関内の駅のすぐのところにあり、前に一度入ったきり入っていなかったのですが、久々に行ってみました。 メニューを見ていると気になったのが「牡蠣そば」。もうこんな時期になって久しいんですね。今年初めての牡蠣をそばにいれていただきました。 牡蠣を外食で食べるのは、ちょうど一年ほど前、新宿で牡蠣のクリームソースパスタを食べて以来じゃないかと思います。 今年はもうちょっと牡蠣を堪能したく思います。 ちなみに、この利休庵、結構値段がいいですが、本格的な美味しいそばを出してくれます。
2006年11月18日
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茶の湯の大成者、千利休は上の画の豊臣秀吉により登用され、政治の相談役にまでなっていたといわれています。 しかし、なぜか突然謹慎を命じられるどころか切腹まで命じられ自ら死ぬこととなりました。ご存知な方も多いと思いますが、その「理由」というのが未だにはっきりしません。というわけで今でもたくさんの説があります。 しかし、おそらく最大の理由は「政治に関わったための陰謀」ではないのでしょうか。政治に関われば必ず反対者が出てくる、その者は色々な理由をつけて自分を亡き者にするでしょう。今の時代も命までとられませんが同じことしてますから。 利休はこうして亡くなりますが、その後千家は三つに分かれていまだに脈々と続いています。 最後になりましたが、利休が出てきたところで、次回、ちょっと「そば」の話でもしようかと思います。
2006年11月18日
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千利休は武野紹鴎という人にお茶を習ってそれをさらに大成させていきます。当然、当時の権力者の目に留まり利休の名前は知れ渡ることになります。 利休を引き立てたのはちょうど茶道が大好きだった織田信長の後を受けた豊臣秀吉でした。秀吉のお茶好きも有名で利休のお茶を学んでいました。 利休のお茶は前述したように、徹底した「シンプル化」にあります。極力「素材のまま」が全てにおいてよいのです。私が読んだ本に面白いエピソードが書いてありました。 利休の弟子(息子だったかな?)が利休をお招きすることになった。そのときちょっといい食事の用意をしていた。それを出された利休は怒ってしまった。食事は一汁一菜のような安くて軽いものがいいと。そこに味があるのだと。ウル覚えなのでどんな本に書いてあったか、また詳しいことはよく覚えていませんが中身はこんな感じだったと思います。 その利休のお茶が現在まで日本文化に大きく影響を与えることとなります。
2006年11月17日
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利休は、堺に住んでいたころ、当時の堺の町の南にある南宗寺というお寺に参禅していたそうです。ここは利休ゆかりの地ということもあり、境内に入ってみました。平日であり、私1人しか参詣者はいません。木々が風で揺れる音のみ聞こえます。 入山してみると、境内の奥の奥にいきなり真っ白な枯山水の美しい庭が現れました。有名な南宗寺庭園です。写真手前には建物があり、そこから鑑賞できるようになっています。 手前枯山水の奥には水を使わないで川の流れを作庭した別の枯山水があり、眺めてみると調和して美しいの一言です。ちなみにこの庭園の奥には利休にゆかりの茶室もあります。 この寺で参禅して利休はなにを考えていたのでしょうか?私は詳しくはわかりませんが、利休の求めた「簡素の美」の原点がここにあるように感じます。
2006年11月17日
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千利休は大阪堺の「魚屋」という家に生まれました。「魚屋」といっても魚を売るわけでなく、荷物預かりやそれに関わる取引をする、まさに貿易会社のようなものです。今で言えば、家が会社をやっていてある程度裕福な家庭の息子という感じでしょうか。 上の写真が堺の中心にある利休の生家跡、このような史跡にお約束の「産湯の井戸」があります。 ちなみに本名は田中与四郎といういかにもフツーな名前が本名です。当然、家が裕福とはいえ単なる町人ですからおかしな話ではありません。 ちなみに利休という名前は後に茶の湯で有名になり、天皇の家(禁中)にはいるとき、身分のない一般町民は入れないのでとりあえず与えた身分、というか名前です。 当時、天皇の力は政治的には全くありませんが、風習は昔のままだったので、それが産んだ名前といえるでしょう。 余談になりますが、昔平安末、後白河天皇は今様という「流行歌」が大好きで、それを学ぶためにそれを知っている遊女にどうしても教えてもらいたいと、彼女らに身分を与えて御所の中にいれていました。 千利休こと田中さんですが、後の彼の文化に大きな影響を与えたお寺をみてみましょう。すばらしい庭があります。
2006年11月17日
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最近、テレビで「東洋のベニス」と呼ばれた大阪堺の千利休を扱ったCMが流れています。今回はそんな千利休のお話をしたいと思います。 利休を生んだ、というより茶の湯は勿論、経済的にも中世から近世にかけて、おそらく日本でもおおきな影響を与えた堺の町は、町割りが結構昔のままのこっていまして、面影を見ることができます。 堺は中世には周りを堀で囲んで自治都市として機能していました。当時の堀は今でも一部残っており、現在は埋立地で海は遠のいたものの、上の写真のような運河がよく残っています。まさに「東洋のベニス」でした。 経済的先進地域であっただけに文化も発展していきましたが、そんな中、茶の湯の大成者、千利休が現れます。
2006年11月17日
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