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『墨東綺譚』永井荷風(新潮文庫) この作品は2度目の読書報告をするのですが、前回同様、最初に一言申し添えます。 「墨」の字が、違うんですね。 本書の最後に「作後贅言」と銘打った筆者のあとがきのような文章(これがけっこうたくさんのページになっていて、少し気になるところでもあるのですが。)があって、「ぼくとう」の「ぼく」の漢字が、サンズイ偏に「墨」であることについて、「林述斎が墨田川を言現すために濫に作ったもの」とあります。 そして私の用いている日本語変換ソフトに、その字がないんですね。 なんかとっても情けないのですが、ご勘弁いただくということで、よろしく。 ということで、本書2回目の読書報告です。 多分、3回は読んでいる(ずーっと若い頃に初めて読んだ記憶があります。まー、100ページほどの薄い本ですから。)と思いますが、この度読んでちょっと驚きました。 というのも、ずっと若い頃読んだ感想についてはもちろんほぼ忘れていますが、2回目の読後感想は拙ブログにあり、そこには「僕はもう一つ面白く感じなかった」と書いてあります。 で、そのことを覚えていながらこの度読み始めて、しばらく読んだ段階で、すでに私は、「これけっこうおもしろいやん」と感じたんですね。そしてそのまま最後まで、とっても面白かったです。 ……うーん、この違いって、我がことながら、一体何なんでしょうねえ。 本書解説にもありますが、この小説は、荷風の代表作のように評価されていますが、私も今回読んで、なるほど納得できると思いました。 なぜこの面白さを、かつては感じなかったんでしょうねえ。 ……うーん、困ったものだ。(と、とりあえず他人事みたいにごまかして。ごめんなさい。) で、なぜこんなに面白く感じるのか、やはりちょっと真面目に考えてみました。 そしてそれは、割とすぐに気が付きました。 とってもたくさんの「読者サービス」が施されているからです。 でも荷風って、こんなに読者サービスをする作家だったんですかね? そのサービスを、ちょっとパロディっぽく項目にして挙げてみますね。 入れ子仕立て物語 懐かしの明治風俗ガイド 夜の東京探訪記 変身わくわく体験記 娼婦遊び心得入門 軟派小説の読み方 と、いかがでしょうか。(少しふざけすぎていますでしょうか。) しかし、ざっくりこんな内容の小説を、荷風は昭和12年朝日新聞夕刊に連載したんですね。 すると、文中にしばしば出てくる、関東大震災で崩壊した江戸期の都市風俗のノスタルジアに加え(江戸風俗は関東大震災で完全に息の根を止められたとは、私も何かで読んだことがあります。)、迫り来る世界大戦に向けて日々厳しく窮屈になっていく世相の拡がりという、まさに絶妙のタイミングに書かれた本作は、圧倒的な人気を博し、「荷風復活」と称されたそうです。 ……「荷風復活」 なるほど、本作で「復活」と称される文壇状況に、本作執筆直前の荷風はいたわけでありますね。(これについては、ネットでも少し調べればいろいろわかりますが。) しかし、それらに加えて、やはり何と言っても本作が人気を博したのは、やはりこんな部分でしょうか。(どちらも玉の井の娼婦「お雪」についての描写。) 性質は快活で、現在の境遇をも深く悲しんではいない。寧この境遇から得た経験を資本にして、どうにか身の振方をつけようと考えているだけの元気もあれば才智もあるらしい。男に対する感情も、わたくしの口から出まかせに言う事すら、其まま疑わずに聴き取るところを見ても、まだ全く荒みきってしまわない事は確かである。わたくしをして、然う思わせるだけでも、銀座や上野辺の広いカフエーに長年働いている女給などに比較したら、お雪の如きは正直とも醇朴とも言える。 お雪は毎夜路地へ入込む数知れぬ男に応接する身でありながら、どういう訳で初めてわたくしと逢った日の事を忘れずにいるのか、それがわたくしには有り得べからざる事のように考えられた。初ての日を思返すのは、その時の事を心に嬉しく思うが為と見なければならない。然しわたくしはこの土地の女がわたくしのような老人に対して、尤も先方ではわたくしの年を四十歳位に見ているが、それにしても好いたの惚れたのというような若しくはそれに似た柔く温な感情を起し得るものとは、夢にも思って居なかった。 いかがでしょうか。 こうして二つの部分を並べてみると、なんというか、人気の秘密が案外単純なものであることに気が付きますね。 要するに、物語の土台にあるものは、若く純朴な異性に思いがけず心を寄せられる年配男性の、まー、ファンタジー、ですかねえ。 いえもちろん、そればかりではないことは、上記に少しふざけた調子で書きましたが、「入れ子仕立て物語・懐かしの明治風俗ガイド・夜の東京探訪記」などについて、実にしみじみと語っているその筆致に、十二分の読みごたえがあることからもわかります。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2024.02.25
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『出世と恋愛』斎藤美奈子(講談社新書) 筆者は、筆者紹介によると文芸評論家となっています。 まー、そうでしょうねー。私としても、デビュー作の『妊娠小説』を面白く読んで以来、なかなかフェイヴァレットな文芸評論家だと思って何冊か読んできました。 しかし、文芸評論だけでは今の時代やっていけませんようで、社会学っぽい本や、先日読んだのは政治の本でしたが、そんなのも執筆なさっています。 でも、そんな意味でも頑張っていらっしゃるという感じではあります。 しかし、今回の本はちょっとつらそうな感じです。 というのは、サブタイトルがついてまして、それには「近代文学で読む男と女」とあります。 そして、漱石の『三四郎』、鴎外『青年』、花袋『田舎教師』で第一章が始まり、第二章は続く大正期、武者小路『友情』、藤村『桜の実の熟する時』、細井和喜蔵『奴隷』、第三章はなぜか時代が戻って、蘆花『不如帰』、紅葉『金色夜叉』、伊藤左千夫『野菊の墓』と、まだもう少し先はあるのですが、そんな風に描かれていきます。 で、タイトルとサブタイトルを見て、取り上げられてある作品を考えあわせれば、なんとなーく、どんな恋愛になるか、見えてきちゃうんですよね。 で、んー、まー、やはりその通りに進んでいきます。 「序章」の小題に筆者が書いた表現でいえば、こうなります。 青春小説の王道は「告白できない男たち」 まー、そうでしょうねー。 特に「出世」と絡めますと、男の側はそうならざるを得ないような気がします。 序章の小題にもう一つ、上記の表現とペアで、こういう風にあります。 恋愛小説の王道は「死に急ぐ女たち」 これもその通りでしょうねー。(このテーマは以前わたくし、確か「女の子を殺さない…」云々という文芸評論を読みましたよ。よく似た主旨じゃなかったでしょうかね。) さて実は、上記第三章の後にはまだ続きがありまして、有島武郎『或る女』、菊池寛『真珠夫人』と続いて、そしてやっと女性作家による作品、宮本百合子『伸子』、野上弥生子『真知子』が出てきます。 ここに至って筆者の分析トーンも変わって、「伸子」「真知子」頑張っている、となるのですが、やはり当時の日本国の社会情勢の中では、なかなか苦戦防戦となります。 以上のように、本書全体の展開は、まー、言ってみれば、ほぼ読む前から予想されていた流れではあります。 いえ、だから、本書がつまんないと言っているわけではありません。 読み終えた後本書のテーマをざっくりまとめるとこうなってしまうといっているだけで、それぞれの部分の分析はなかなか興味深いことが書かれています。(私が最も面白かったのは島崎藤村のくだりで、藤村作品はまず「暗い、まどろっこしい、サービスが悪い」と一刀両断されて、そしてなぜ「サービスが悪い」のかに焦点を当てて分析されています。興味深い。) というわけで、もちろん私が個人的なものとして小説が好きだからということはありつつ、興味深く読むことができました。 筆者について私は以前から、「分析の運動神経の良さ」という言い回しで評価しているのですが、本書にもそんな展開が随所で読めました。 最後にそんな一つですが、そもそもなぜ日本近代文学が「告白できない男」と「死に急ぐ女」になってしまったのか、最終盤にこのように書かれています。 (略)死んだ歴代ヒロインは、草葉の陰で合唱していたのではないか。 私だって、べつに死にたくて死んだわけじゃないのよ。持続可能な恋愛が描けない無能な作家と、消えてくれたほうがありがたい自己チューな男と、悲恋好きの読者のおかげで殺されたのよ。 私は「持続可能な恋愛が描けない無能な作家」というところにもっとも共感します。(しかし、作品はその時代の上に現れるものですから、作家一人のせいではもちろんありませんが。) そしてふと、いや、あれはそうじゃない作品だぞ、と、私が知りうる限りではほぼ唯一の「例外」作品を、思い浮かべました。 多分「持続可能な恋愛」を描き切った作品だと思います。 (そういえば、この小説家の作品が本書には取り上げられていないということも、それを裏付けているように思います。) この作家のこの作品。 谷崎潤一郎『春琴抄』 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2024.02.10
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