全2件 (2件中 1-2件目)
1
『晩鐘・上下』佐藤愛子(文春文庫) 実は本書を読んだきっかけは極めて単純な話であります。 筆者の書いたエッセイを原作とした映画を先日見たからですね。 基本的にエンタメの映画ですから、むずかしいことはあれこれ言わず、なかなか楽しい映画でした。で、本書のことを思い出した、ということですね。 思い出したというのは、これは1年ほども前ですか、この上下2巻の本書を私は買ったんですね。佐藤愛子という作家については、世間に好評であったエッセイは今まで何冊か読んでいたものの、小説については全く読んでいず、ただ、佐藤紅録の娘であり、サトウハチローの妹であるとかは知っていて、それに加えてこれも少し前に、田辺聖子の本を読んだときになんとなく比べて興味を抱いた(例えば佐藤愛子は芥川賞の候補にもなりながら直木賞を受賞し、芥川賞を受賞した田辺聖子は、本当は私は直木賞が欲しかったといって、その後も一時、直木賞の選考委員をしていたなどのこと)のでありました。 で、この度、よいきっかけだと思って読みました。 とっても面白かったですね。その理由は、主に二つ。 ひとつは、筆者が90歳になろうとしているということ。それは作品内容とは直接関係ないじゃないかとは思われそうですが、読みながらもその意識は絶えず頭の中にあって、私はやはりこれは一種の天才作家による作品としか思えませんでした。 そしてもう一つは、これも直接は作品内容とは関係ないのかもしれませんが、私が久しぶりに上下500ページ以上の長編小説を読んだという事でありました。 このことは何と言っても長編小説読書の醍醐味で、特に本書のように一人の人物の波乱万丈な半生を描いた作品を読むと、読者もその人生をそのまま追体験したような気持になって、読了後、何と言いますか、とっても大きな「達成感」が生まれるように思います。(それこそを「感動」と呼ぶのかもしれません。) ということで、なかなか充実した読書体験だったのですが、読み終えてわたくし、つい、分析したく思ってしまうんですね、いわばこの「感動」を。 分析したところでわたくしのアバウトな頭づくりでは大した理屈は得られないのですが、まー、少し考えてみました。こんなことです。 本小説は以下の二つのパートから成り立っています。それを仮にA部B部とします。 A部→三人称で描かれる女性主人公の20歳前後からの半生記述。 B部→老境の女性主人公が綴る形の書簡形式(一人称)記述。 まずB部について触れますが、おそらくここが、筆者が工夫したところだと思います。なぜこんなパートを必要としたかについて、その狙いを考えてみました。 このB部は、すでに功成り名を遂げた女性作家が、おそらくは90歳近くになって、もうすでに亡くなって久しい文学上の先生(師)に向かって手紙を書くという形です。手紙の内容は、本小説のもう一人の重要な登場人物である主人公の夫との波乱万丈の半生の出来事を思い出して綴るというものです。 この形を取ることで、主人公の内面(感情)がとても深く書き込まれ、ひいてはそれが読者に、主人公への強い感情移入を生み出させる効果を持つと思われます。 そして、その内面描写にある種の客観性を保証するのがA部であります。 三人称描写のA部は、様々な登場人物の行為はもちろんその内面までが描かれ、それが主人公女性の言動に対する批判などを描くことを可能にし、作品内容の客観性・重層性を保証しています。 しかし読んでいると、B部の存在は、私にとって微妙に違和感をもたらすんですね。 なぜ、すでに亡くなって30年近くにもなっている文学上の師に突然手紙を書き始め、そして次々と長々と書き続けるのか、そのあたりのリアリティの保証は、私にとってはあまりありませんでした。 ただ、筆者がこの部分を必要としたであろう理由については、いくつか考え付きました。 それはすでに亡くなって久しい文学上の師と設定することで、 (1)同じく小説家志望であった夫のかつての作品に対する、主人公の評価と共感が描けること。 (2)亡くなった相手を宛先とすることで、現世的な人間関係の「めんどくささ」に及ばずに済むこと。(文中には生きている作家間の人間関係の「めんどくささ」は十分に描かれています。) さて、そんな風に私は、本書の構成を考えたのですが、別の書き方でまとめますと、A部で描写し、B部で説明する、といえましょうか。 ただ、これは私の感覚的なものかもしれませんが、筆者にとってA・B部の比重は同じではなく、B部に少し重心は傾いているのではないか、と。 言い換えれば、B部で思いのままに主人公の主観性を描きたいために、A部ではB部の主観の相対化をはかった描写をする、と。 なるほど、500ページに及ぶ作品を読者に読み通させる技術、とそれはいえないでもない筆者のテクニックであります。90歳を迎えんとした筆者の、老いてなお研ぎ澄まされた恐るべき才能でありましょう。 しかし最後に、これもまたわたくしの勝手な感想ではありますが(まー、いわずとも、この文章全部がそうなのですが)、上記にA部=描写、B部=説明と書きましたが、説明とは、結局のところ語り・意味づけ・解釈でありましょう。 実は本作品が描く大きなテーマに、主人公女性の、不可解な夫の言動を何とか理解したいという強い欲求が描かれ、しかしそれは結局果たせなかったという一つの「諦念」が描かれるのですが、別にそれに引っ張られたわけではないでしょうが、私は、少しAB部共に説明(=語り・意味づけ・解釈)が多すぎるのではないかと感じました。(小説とはもう少し描写に専念するものではないか、という。) そのことが、私の本書の読後感に一点、不純物のような濁りの感覚を残したのも、まー、読者のわがまま勝手な「特権」感想とはいえ、ありました。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2024.08.25
コメント(0)
『子規、最後の八年』関川夏央(講談社) ちょっと前に、地域の図書館の中を例によってぶらぶらしていた時に、全集の置いてある棚で集英社版の『漱石文学全集』全11巻というのを見つけました。 漱石の全集なら、まー、岩波書店のを読んでいれば間違いはないだろうと、安易に考えていましたので、あ、こんなのも出てるんだな程度の興味で何となく、何冊か棚から出し入れをしていましたら、第11巻目が別巻で、それが一冊まるまる荒正人の『漱石研究年表』でした。 奥付によりますと、第一刷の発行が昭和四十九年となっていますから、ちょうど半世紀前の研究です。きっと、その後新しい漱石研究についての知見もあれこれ出て来ているのでしょうが、とにかく私としては、初めてこの本のことを知った時は、やはり少し驚きましたね。 誕生から死去(+葬儀などの日程)までの可能な限りの漱石についての情報を、何年何月何日の何時というレベルにまで細かく触れて書いてある本であります。 これは、初めて読んだら、やっぱりちょっと驚きますよねー。(そういえば思い出したのですが、『源氏物語』のすべての単語を品詞分解した基礎研究があると聞いて、その頃できの悪い大学生だった私は、やはり少し驚きましたね。コンピューターなんか出回ってない時代の話ですから。) この度、本書を読んでいて、ふっとそんな感じがしました。 もちろん本書は、荒正人の研究のレベルまで正岡子規の晩年八年の日常が書き込まれているわけではありません。 でも、例えば子規のこんな短歌が引用されているんですが…。 詩人去れば歌人坐にあり歌人去れば俳人来り永き日暮れぬ 最晩年、本当に子規が体をほとんど全く動かせなくなるまで、子規の家には、この短歌のごとく四六時中様々な人があふれんばかりに訪れていたようです。 そしてそれを、筆者はその人物紹介も含め丁寧に描いていこうとしています。 当然、記述は長く緻密になっていきます。だからとても分厚い本です。四百ページ余りもあります。 ただ、そんな子規の関係者を丁寧に描こうとしている筆者の意図は明らかで、というか、これは描かないわけにはいかないのだろうなと、読んでいて気が付きます。 それは、その子規の関係者の多くが、後年さまざまな分野の第一人者として、とても大きな仕事をなすことになる人物たちだからであります。 このことは何を表しているのでしょうか。 たぶんそれは、子規の人格が、優れた人物を引き寄せたという事でしょう。これでは、子規を描くためには、周りの人物を描かないわけにはいかない、と。 ということで、そんな長い本でした。 ところで、以前にも拙ブログのどこかで触れたように思いますが、私には、文学史上かなりの高評価な文学者でありながら、なぜそんなにもたくさんの人が高い評価をしているのかよくわからない文学者が三人います。 それは、韻文系の文学者であります。 宮沢賢治、石川啄木、そして、まー、申し訳ありませんが、正岡子規ですね。 前二者については、今回はとりあえず置いておきます。 正岡子規についてですが、確かにあの病状で、俳句界と短歌界の革新をなしたというのはとてつもなく凄いのでしょうが、……うーん、「猫に小判」は、変な例えですかねー、要するにそのことの「汎近代日本文学史的凄さ」が、私にはよく理解できないでいました。 ただ、この度本書を読んで、ひょっとしたらそのヒントになるかもしれない二つのことを知った、と思いました。 ひとつは、上記にすでにふれていることです。言い換えれば、多くの優れた後進を育てた才能。(どこかでやや極端な説を読んだことを思い出しました。福沢諭吉の業績のほとんどはもはや歴史上の業績にとどまっているが、唯一「現役」の最大の業績は、優れた後進者を生み出す教育機関=慶應義塾大学を作った事である、って、極端すぎますがー。) もう一つは、例えば本文にこんなことが書かれています。 英国留学をしていた漱石が子規宛に送った手紙=「倫敦消息」について書かれた文章です。 経済が人の運命を翻弄し去るのは、ロンドンも東京もかわりはない。そんな浮世のどたばたを、事実を並べつつおもしろくえがいた「倫敦消息」は好評であった。子規はことのほか喜んだ。 この手紙の文体は、漱石にとっても発見であった。つぶさに観察された人物像が簡潔にしるしてあるのは、子規の俳句に対する態度から無意識にうけた刺激の成果であろう。 そして、その数ページ先にはこう書かれてあります。 ロンドンで、読者としての自分を発見し、また自分の書きものをたのしみに待つ病床の子規に読者の存在を実感した漱石は、このとき自分では気づかぬうちに、小説家たらんとする助走を開始していた。 少し注釈をつけますと、「読者としての自分を発見」というのは、妻の鏡子からの手紙を首を長くして待っていた漱石自身の事です。 さて、近代日本文学最大の文豪である漱石の誕生に一番影響を与えた人物としての正岡子規という図式は、わたくしも以前より何となく理解していましたが、そのことが、漱石を通しての、日本語表現の発見と読者の発見を表すことであるという論旨は、とても納得できました。 だから子規とは、俳句短歌界のみならず、汎近代日本文学的「揺籃」そのものである、と。 なるほど、切れ味鋭い関川節は、本書にも広く健在であります。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2024.08.10
コメント(0)
全2件 (2件中 1-2件目)
1
![]()
![]()
![]()