全2件 (2件中 1-2件目)
1
『帰れない探偵』柴崎友香(講談社) 今回私が読んだのは、文庫本ではありません。いわゆる新刊書であります。 ほぼすべての物事について、最新の流行というものに疎い私でありますが、そんな私にも、なかなか評判が良い本という情報が入ってきて、まだ文庫になっていない新刊書を図書館で予約しました。実は、居住市と隣りの市と、二つの図書館に予約したんですね。 すると、片方の市では恐ろしいような三桁の予約順だったのが、もう一方の市ではなぜかかなり少ない予約順で、数か月待ったら順番が巡ってきて、そして、この度読了したという小説であります。 冒頭すぐに、探偵をしている一人称の女性が、帰る家がなくなったというんですね。そこのところはこう書いてあります。 わたしは今、自分の部屋に帰れない。いくら探しても、部屋が見つからなくなってしまったのだ。新しい街で心機一転と構えた、探偵事務所兼住居。五階のいちばん奥にひっそりある小部屋で広いバルコニー付きという、まさに探偵にふさわしい場所だった。 そこに帰れなくなった。 と、こうあります。 だから、「帰れない」というのは、ここから読むと、いわゆるシュールレアリスム的に「帰れない」という、まー、パターンでかなと思いますね。 少し前に読んだ小説には、家の玄関のカギ穴が(カギ穴だけが!)突然無くなっていたという設定がありました。遥か昔の、安部公房が芥川賞を受賞した作品『壁』は、ある朝自分の名前がなくなった、というお話でしたね。 なるほどねー。主人公はある日いろんなものを失うんだなー、と思いながら、読み始めました。しかしこの小説は、そんなシュールレアリスム的にはそのあと展開していかないんですね。 帰れない家のもどかしさについても、時々文中に出ては来るものの、そもそもこの探偵は、世界探偵委員会連盟(!)というものに所属していて、一つの事件(幾つかのまとまりの事件)が一応解決すると、連盟の指示で、別の国に行ってしまうんですね。つまり、最初の帰れなかった家は、基本的にはもうどうでもよくなるわけです。 別の国、というのは、具体的な国名は書いていないのですが、読者に十分想像する要素がちらちらと提出されています。どうもこの探偵の母国は日本らしい、そして、アラブ地方、北欧あたり、東南アジアっぽい所、そしてアメリカ東海岸、西海岸などに、お話の度に移っていくということが読者の頭に浮かびます。 なるほど、これらの国々は、現在見事に人類史的なホットスポットばかりではないですか! しかし、そんなホットスポットの国々で、主人公は、普通の探偵小説的ではほとんどない、アクションシーンも、謎解きも、ほとんどない、文中にも探偵家業というよりはなんでも頼まれ屋とある、そんな仕事をします。いや、本当はもう少しスリリングな、国家重要機密を巡ってのやり取りなどもしているのかもしれない(そんな仄めかしはあります)けれど、描写としてはそれが大きく取り上げられることはありません。 ただ、そんな仄めかし(国家や巨大企業などとの対決とかの仄めかし)は、特に作品の中盤以降、作品の雰囲気ににじみ出てくる暗いトーンとしてずっと流れています。 そして、それが、ほぼ無風状態であるかの如き探偵の日常生活の中に挟まってちらちらと描かれるものですから、私としては読んでいて、主人公の決定的な危機が、次のページ、次の行から今にもおとずれるのではないかとはらはらして、それが作品全体を覆っている不安感、不安定さになっています。 なるほど、我々が探偵家業と想像するのと異なった日常生活を描きながら、ずっと曇り空のようなどんよりしたスリリングな物語になっていると思いました。 終盤に、「帰れない家」が象徴しているのであろうこんなこんな事が書かれていました。 まず簡単にまとめると、主人公が母国(日本みたいな国)を出て一年後に、巨大災害が起こり、続いて新型ウィルスによるパンデミックが起こります。国家は非常警戒態勢を発令し、人々の移動と通信を制限、そして国の統治体制ががらりと変わります。新しい体制は、国際的な条約や機関からすべて脱退すると発表します。 この後、原文ではこう続きます。 新しい体制は、他国では通用する元のパスポートのままの入出国は認めておらず、直ちに新しい体制の国に所属するよう求めている。そしてわたしは帰れないまま、友人たちとは通信の制限もあるし、新しい体制にすんなりと慣れたように見える彼らと連絡を取りづらい気持ちもあり、音信不通のままだ。こちらから一方的に彼らのSNSなどを見てはいる。 わたしが生まれ育ったそこは、そのときも平和だったし、それから今に至るまで平和だ。なにも起きていない。 帰れない家、というのは、こういうことだろうと思わせる個所でありますが、それらも含めて考えると、本小説は、いわゆるディストピア小説かなと思います。作中至る所に、記憶、記録、事実、歴史、監視、変化そして国家についての不安な考察があります。 私はそんなに詳しくはないのですが、帰る家が見つからないというきっかけも含めて、文中にもちらりとその名が出てきますが、これはやはりカフカの作品が、本作全体を覆っているような気がします。 冒頭にも書きましたが、本作は力作という評判であるようです。 私はそれを否定するものではありませんが、わがまま勝手な思いながら、確かに何かのリアリティある強固な雰囲気はあるものの、その雰囲気をそう評価するものであるのかについて、最後までよくわかりませんでした。 わからないままに読ませるというのが、ひょっとしたら一番の狙いであり、評価の対象であるのかもしれないとしても……。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2026.06.28
コメント(0)
『神前酔狂宴』古谷田奈月(河出書房新社) まず、タイトルがよくわからないではありませんか。そんなことないですかね。 神社付きの結婚披露宴会場の話ですから「神前」と「宴」は分からないでもありませんが、真ん中の「酔狂」というのはどうなんでしょう。 ひょっとしたらこれは、例えば「底抜け脱線ゲーム」(大昔のテレビ番組ですねー)みたいなものなのかもしれません。つまり、本作は喜劇小説なんですよ、と。 そういえばそれらしい展開と言えないわけではありません。 でも、少なくとも私は、もひとつ、もふたつ、喜劇小説としては本小説を読めませんでした。 ではどう読んだのか、順を追って書いてみますね。 上記に触れましたが、これは神社の結婚披露宴会場で非正規で働く裏方職業者(若い主人公たち)のお話であります。 わりと珍しい舞台設定ですから、私は最初は興味深く読み始めました。専門的な用語や現場場面の描写など「面白く」はありましたが、でも、なかなか「引き込まれる」というところまでいかないんですね。 アプローチの長いお話だなあなどと思いながら読んでいくと、半分を過ぎてもこれといって引き込まれる展開にならないことに気が付いて、これはアプローチじゃなくて「本編」なんだと気が付きました。 で、なぜ面白くなってこないのだろうかと考えていると、ひとつ気が付きました。 主人公の「浜野」の心情がよくわからないということが主なる原因ではないのか、と。 例えば、あれだけ冷笑的に見ている結婚披露宴の仕事に一方でなぜそんなに打ち込めるのか。なのに正規採用になることを毛嫌いするのか。 神社関連の職務であるのになぜ神道関係の実態や思想を嫌うのか(そんな場面には「吐き気」「寒気」「怯え」などの語が出てきます。) また、親族へのよくわからない独特の距離の取り方などについても。……。 つまり、主人公が何を考えているのかよくわからないから感情移入もできず、だから、小説に入り込めないのだなということであります。 そんなことを気にしつつ、私は、主人公のよくわからない感情が描かれている部分に付箋等を張りながら最後まで読んでいきました。しかし最後まで読んでも、やはりよくわかりませんでした。 でも、本当にラストシーンというようなところ(終りの10行ほど前)にこんな表現がありました。前後を省略して一文だけ抜いてみます。 空白がおれの連れ合いだ。 これは、ちょっと気になりました。そこで、この言葉を少し心にとどめながら、戻って付箋をつけた個所を読み直していきました。 すると、分かったんですね。この主人公の心に何があったかが。 私は読んでいて、どんどん面白くなっていきました。なるほど、こう読むのか、と。……。 「浜野」の心にあったものは、徹底した非論理・無意味・空白への志向であります。逆に言えば、現実における合理性や社会性に対する、ほとんど生理的な拒否感であります。 なんと、本文中の大小のエピソードは、ほぼこれで読み切れるではありませんか。 浜野が、最大の虚飾である結婚披露宴の仕事になぜ必死になれるのか。親族との付き合いを嫌がり、なかんずく姪を抱くことをヒステリックに嫌がるのか。非正規勤務であることにこだわり抜くのか。 小さなエピソードでいえば、職場で見た不倫シーンに納得し、母の離婚を応援し、母からのそっけない一言に心開かれ、などなど、実は一貫した心理状態を表現する描写があることに気が付きました。 なるほどと、わたくしこの度は、読み終えて振り返ってから、初めて面白さに気が付いた、という読書体験でした。 最後に私は、さらにこんなことも思いました。それは、結局のところ浜野の生き方は何を述べているのか、ということであります。 以前にも、ひょっとしたら本ブログで触れたようにも思いますが、ある講演会で私はこんな話を聞いて大層感心した覚えがあります。 明治維新後、日本国家は国民を教育するという名のもと、庶民から三つの自由(武器)を奪ったという話であります。 一、嘘をつく自由。 二、約束を守らない自由。 三、嫌なことから逃げる自由。 もちろんこんな自由をことごとく認めていたら、近代国家社会は成立しないことは当たり前ではありますが、はたして、そんな近代国家社会だけが、本当に「正しい」社会なのでしょうか? 「浜野」が思っていることとは、これだけ大勢の人々がすでにこの社会で生きていけているのだから、別の生き方を望んでいる一人くらいの人間については、なんとか、認めてほしい、ということではないでしょうか。(控え目に言えばこうなります。攻撃的に言えば、アナーキズム、ダダイズム、あたりでしょうか。) しかし私としては、本作読後、これは大いに納得・応援のできる願いだと思いました。 そういえば、本書の最後の言葉は、これでありました。 お幸せに! よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2026.06.14
コメント(2)
全2件 (2件中 1-2件目)
1