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今日、お葬式でした。正直、かなりへこみました。わたし、人をはげます仕事はムリじゃないのか、とも思った瞬間までありました。だけど、そのあと、こんな日だからこそ、仕事に行こう、と思って、仕事に行きました。そしたら、やっぱり!と思うようなことがありました。こんな日だからこそ、はげませる人との出逢いがあるんですね。なんというか、一番、大きくて、深いところでの人生、とか、生きている意味、とか…。やられたぜ~っっっ!なんてね。自分の生き方とかまで、今日、教えてもらえました。ちょっと、今まだ、全部の整理ができてないのもあるので。またそのうちね。掲示板の返事もなくて、ごめんなさい。ひとまず、今日はこれだけ。今日も1日、ありがとう。
2004年03月30日
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いろいろありしましたが、再び、家に帰ってきました!朝、5時ですが…。今日は、夜から、みちのく、プロレスさんの打ち上げに混ぜていただきました。グレート・サスケさん、いい人だあっ!って。昨日の日記が日記だっただけにとりあすえず、これだけ書いて寝ます。あの、これ、書くだけで、今、いっぱい、いっぱい。酔っ払ってマシタので。ごめんなさい。今日も1日、ありがとう!
2004年03月29日
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家に帰ってきました。と、同時に、電話がありました。知り合いがお亡くなりになったそうです。しかも、自らの手で…。お母様が動揺しているので、これから、そちらの家に行ってきます。今日の日記はこれだけで。だけど。そんな日だけど。今日も1日、ありがとう。
2004年03月27日
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何日前かに予告したけど、オオカミ少女のお話を書こうと思います。1921年にインドでつかまった、アマラとカマラの2人の女の子。推定で、大きな子、カマラは8才、小さな子、アマラは1才。生まれてまもなく、山に捨てられて、その後、オオカミに乳をもらって育てられていた、と考えられています。その2人を、シング牧師夫妻が育てていた記録が残ってるんですね。捕まったときは、完全にオオカミの状態。4本足で走るし、手を使わずに生肉は食べるし、胸毛まで生えてるし、遠吠えするし、夜には目がギラギラと光っていた!人間に戻してあげよう、と努力したそうですけど、アマラは1年くらいで、カマラも8年ほどで死んでしまいます。最後まで、完全な人間の状態には戻れなかったんです。でね、わたしが、特に興味を持ったのは、カマラはなんと、3年以上にわたり、微笑む、笑う、ということをしなかった!というとこ。つまり、なんでかと言うと、オオカミは笑わないから!カマラは、生まれてから、人が笑うところを見たことがなかったんです。人間に生まれたら、喜怒哀楽、勝手に持っているような気でいたからびっくり。そうじゃなかったんですね~。じつは人間、人に生まれたから人になるんじゃなくて、人に育てられて、初めて人になれるんです。喜怒哀楽も、ぢつは、親をはじめとする、育ってきた環境の中で、覚えていくものだったんですって。考えてみたら、なんで赤ちゃんがニコニコ笑っているのが多いか、といえば、みんな、赤ちゃんを見るとき、笑うもんな~。普段、こわそーな、じーさんでさえ笑う!つまり、感情って、じつは習慣によって作られた、反応だったんですね。蛇を見ても、怖いって、子供はわからないから平気で近づきますよね。ところが、母親は「きゃーっ!」とか叫びながら、どきなさーい! なんて、子供を遠ざけます。それが何度か繰り返されると、子供は「蛇は怖い」を学習し、ついでに、親が「きゃーっ!」と言ってれば、「きゃーっ!」と同じように「反応」するようになります。だからね、自分が何かできなくて、もし、落ちこんだら。それは、小さいとき、何かができなかったら、親から怒られたり、がっかりされたり、無視されたりしているはずなんです。そして、その親も、何かができなかったとき、がっかりしたり、誰かのせいにしたり、腹を立てたり、していたはず。それを見ていると、「失敗はダメだ」を「学習」してしまうんですね~。だから、できなかったとき、落ちこむ、という「反応」を「習慣」によって、脳みそくんが勝手に「選択」しているわけです。つまり、じつは、とある出来事があったとき、どう感じて、どうするか、は、なんと学習のたまものっ!げーん!でも、このおかげで、ラッキーなことがあります!それはっ!今、自分が、とある出来事に対して「反応」した感情が苦しいな、と感じたら、反応の仕方を選択しなおせばいいっ!てことなんです。感情による反応の仕方は、全部自分で選ぶことができる。すごいですね~。わたしも、いっぱい、楽しくなることを選んでいこっと。(というわけで、本日も飲んで食って帰ってきました♪今日はてんぷら♪)今日も1日、あんがとね!
2004年03月26日
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にゃはははは~。予告を3日連続で裏切りたいと思いますっ!(でも、予告した内容は、小さい子供話に参考になる話なので、ぜひ、書きたいと思っています)今日はね、とっても感動した話があったのよ。昼過ぎに、お店に、20歳くらいの若い女の子が来ました。派遣で、とある会社に行ってるけど、そこの上司なんかと合わなさすぎて、「郵便局に行きますっ!」と行って、飛び出してきちゃったんだって。いろいろ話を聞いたら、よくある、現代日本社会の「常識」の呪縛にとっ捕まっていた子だった。でも、もともと元気のよさそうな子。話をしているうちに、みるみる元気になってきました。(えっ、なんでーっ! と思う方も多いと思うけど、今回は、別の話を書きたいので省略です。ごめんねっ)そうしているうちに、道路のお店から店舗のお店に通うようになってくれた、これまた20代の常連の女の子がやってきました。最初の女の子の話はまだ続いていたので、あとからきた常連の女の子は、一緒に話を聞くことになりました。じつは、わたし、この手、とっても、大切にしているんです。プロのカウンセリングの現場では、間違いなく、ありえない話だと思います。だって、クライアントの話を、他人に聞かせるんですよっ!だけど、わたしは、 アクセ屋ぢゃ! という 特権! を使って、この荒業をなしとげます。これは、路上パフォーマーだからできたこと!かもしれないけどね。そうすると、何が起きるかっ!お互いに共感して、自分だけが話をしていたときより、癒されるんです。なぜなら、人の悩みは、共通していることが多いからですだけど、自分が悩んでいるときは、自分だけ!が悩んでいる、と思い込みがち。ところが、赤の他人が、自分のココロの琴線に触れることを相談しているっ!これは、もう、事件です。わたしだけじゃなかった!これを知るだけで、楽になれるんですね。でね、会社飛び出し女の子のお話が終わってから、常連の女の子の相談になりました。会社から来た子は、「17時までは帰りたくない。」と言って、その子の隣に座って、話を聞いていました。それにしても!人はスゴイです。気持ちの行き来ができちゃうと、自分の悩みを一面識もなかった他人に聞かれても、平気!になっちゃうんです。ところでね、常連の女の子は、恋愛相談に来てくれました。でね。いろいろとお話してるうちに、その子は、本当の悩みの原因に気づき、だんだんと、自分の中で、気持ちの整理ができて来ました。その間、会社から来た子は、黙って話を聞いてました。そんでね。常連の子の話が終わってから、わたしは、会社の子に聞きました。「どう、今の話を聞いて。参考にならなかった?」その子はすかざす答えました。「とってもよかった。話がわかった」「なんかさ、自分一人で話したより、この人の話を一緒に聞いた方が、気持ちが楽じゃなった?」「うん。楽になった。癒された」そうなんです。誰かの悩みが解決するとき、まわりの人が、一緒に癒されていくんです!だから、わたしは、わざと、相談をするとき、よほどの内容、もしくは、本人がリクエストしない限り、「観客」、を輪に引きずりこみます。そうすると、「癒し」効果が倍増するんですよ。マジっ!だからね、常連の子に伝えました。「あなたは、今日、相談に来たよね。助けられるために来たよね。ところがね、不思議でしょ。あなたは今日、自分ひとりで来たのに、なんとなく、と言ってプリンを3個、買ってきてくれたよね。(マジ!なんです。差し入れを持ってきてくれたんです。わたしと、その子の分、2個あればいいところを、「なんとなく」という理由で、その子はさし入れのプリンを3個!買ってきてくれました! まるで、もう一人の相談者がいる、と知っていたかのように!)だからね、いい?あなたの悩みは無駄じゃないんだよ。あなたが悩んで、相談に来てくれたことによって、あなたに、助けられた人がここにいるんだよ。自分で聞いてごらん。この人(会社の子)は、今のあなたの相談を聞いて、とてもよかった、と思っているはずだよ」もちろん、会社の子は大きくうなづきました。常連の子は涙をぽろぽろ流していました。そして、夜。ちょっと遅れたけど、道路の方にも出店しにいきました。そうしたら、常連の子が、やってきました。「今から、コクり(好きな人に、告白することっ!)に行ってくる!」いろーんなことがあったんだけど、決心したんだって。ね。だから、また思ったよ~。人を助けるって、自分を助けること。そして、自分を助けようと動くとき、それは人を助けることにもなるってこと。宇宙の法則ってステキ。今日も1日、ありがとう!
2004年03月25日
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今日はっ!昨日忘れた資料を、ちゃんと帰りに、バッグに入れましたとも。えっへん!ですが。。。。。。。。。。。。。。今日も予告した続きは書けませんっっっえっ、なんでかと言うとっ!スゴイことになってしまったからなのです~っ!ただ、今回のお話、わたしだけのことではないので、詳細はまだ書けません。だけど、こーんなことも起きるんだっ!というのを、ぜひ、みなさまにもお伝えしたいので、時期を見て、ここまでにいたるストーリーも、そのうち、ご紹介できれば、と思います。……とはいえど。こんなお話だけじゃ、わかんないし、つまんないよね?というわけで、この部分だけ公開っ!えー、わたし、今まで、4人の手作り作家と共同でお店を運営しておりましたが、このたび、自分のお店が出ますっ!しかもっ!資金0!状態でっ!こんな話が本当に起きたんです。すごすぎっ!前、すごいことが起きそう!と日記に書いたことがあったけど、じつは、あれの続きがついに現実になりましたっ!もう、あらためて声を大にして言います。この日記を読んでくださるような人たちが、今、一生懸命に取り組んでいる、ワクワクな成功法則を本気で「実践!」したら、マジ、人生に奇跡が起きます!本当に奇跡としか呼びようのない、不思議なお話の結果なんですよっ!それから、昨日も書いたけど、悪い、と感じることが起きたら、それは、成功の前触れです!だって、昨日の悪いかな?と思ったお話がきっかけで、これが実現したんですよ。あと、もうひとつ。 これは、本当に、誰にでもできる!ことです!と、これも力を入れて言いたいっ!だって、わたし、はっきり言って、今までの人生、凡人以下!ぢゃないかと思う~。ついでに言うなら、今だって、世間が考えるような、完璧!という状態ではないんですよ。ただ、もう、今の自分のあるがままの状態を、何も否定せずに、受け入れよう!と、毎日、自分に言い聞かせてきただけ。わたし、そのうち、「凡人以下でもできる!成功法則」なんて、メルマガでも発行しようかしら(爆)あと、今日、もうひとつ、不思議なことがあったんだ~。あんまり不思議すぎて、公開していいものかどうか。ただ、もしかしたら、これからの仕事に関わることかもしれないので、一応、記しておきますねっ!みんなで成功!が合言葉の「喜び、発展実践会」ですから、こーんなアシアトが、誰かの、何かの役に立つといいなっ!という気持ちで。今は、なんかが、あったらしい。ということだけ、まあ、読んどいてくださいな。でわでわ!今日も1日、ありがとう!
2004年03月24日
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今日は、続きのお話で、インドのオオカミ少女のことを書こうかなっ♪なーんて、思っていたらっ!資料をお店に忘れてきましたそのせいではありませんが、別のことを書こうと思います。HTMLを使用し、初の文字の大きさ変更に挑戦!しましたが、これは、決して、 忘れたことをごまかすためじゃありません。たぶん……………。え、気を取りなおして。今日は、とても、イイコトがあったんだもんね~。それは何か!というと!やりたい!と思うことの形ができたっ!ってことなんですよ~。今まで、やりたいことって、いろいろあって、あーやら、こーやら、いろいろ考えたりしてたんだけど、どーも、これだっ!って、カンジでしっくりとこなかったんですよ。ところがっ!今日、突然、わかったんですよ。「こうすれば、いいんだっ!」てのが。今まで、イメージングしても、どうも、キレイに映像にならなかったのに、今日はもう、速攻!絵が見えました。でね、これ、ぜひ、書きたい!じつは、昨日、とある事件があったんでございますよっ!ああっ!詳細を書きたい!でも、これは決定してからのお楽しみにしたい~。仕事の話なんだけどね、どちらかと言うと、マイナス!な、お店に関するビッグな選択を迫られたお話が来たんでございますよ。でも、今回のわたしはステキ!お話をしてても、まったく、冷静に聞けたし、聞いてるそばから、「これはイイコトの前触れだっ!」と半ばワクワクとドキドキが混じった状態。で、今日は、そこからスタートして、わたしがこれから本当にやりたいことはなんだろう?どうしたらワクワクできるんだろう?わたしの好きなこと、得意なことってなんだろう?と考えているうちにっ!来ましたよっっっっっ!今まで、先に進むことを考えることに重点を置きすぎて、足元が見えてなかったんですよ。そこに、スポットが当たったんです。ああっ!これがいいっ!と、もう、ドキドキ状態!やろう!と思っていたことのイロイロが、一番、いい形で収まりそうなんです。んでね、しかもっ!もしも、それがうまくいったら、自分の中では、すっごい奇跡!なことが最初に起るっ!それが何かは、決まったら書くわっ♪あ、あとね~、さっき、三国志のビデオを借りて見てたんだ~。(中国製作、三国志400年記念のヤツ)官都の闘いのとこでね、曹操くんが、闘いが終わってから、海に向かって詩を詠むシーン。なんか、よかったわ~。えんちゃんが、目の前の出来事に振りまわされて、自滅していくのに、曹操くんは、そうぢゃないのね。人を生かしきってるわ~。で、途中で気がついたわけです。人を生かす視線の高さ!なんちゅーか、「天」の高さなんですよ。生かすか、殺すか、は、その人が何をしたのか、ではなくて、この場面でこの人が来る、ということが示す、天の意志で、決めちゃってる。で、でかいわー!でかいよっ!曹操くん!(決して、アソコの話ではありまへん)ちょうどいい日に、いいビデオを見たな。今日も1日、ありあとー!
2004年03月23日
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いや~、さすがですね~。掲示板のカキコをしてくださった、親!をやってらっしゃる方々は、みなさん、しっかりしてると思いますっ!できなかったことがあっても、それを次に生かそうとしているその姿勢!さすがですね~。次に生かす、ができたら、もう、全部OK!だと思いますっ!も、本当に!ですから、それができる!と自信を持って言えるようになったら、この日記は必要ないです。というくらいっ。マジ、こんなのが必要ない世の中になるといいですね~。それでね、昨日の続きです。相談をしてて気づくんですけど、多くの人が結構、ひっかかる所があるんですね~。それはね、事実は事実で、そのまま認めてあげる。ということ。昨日、「親も、他人も誰も責めない」と書いたけど、この部分ですね~。責める、以前に、親は尊敬せねばならない。生んでもらったんだから、感謝しなければならない。もしくは、感謝したいっ!って、常識としても、ものすごく強くありますよね~。だから、責めちゃいけない、を文句をいっちゃいけない!にまで考えてしまう人もいるんですね~。だけど、これをすると、自分の気持ちが感じたことに、ウソ!をついてしまうことになるんで、ウマクいかなくなっちゃうんですね~。これ、ようするに、親を責める代わりに自分を責めることになっちゃうからです。親には感謝しなければならないんだから、責めちゃいけない。イコール親を責める自分はダメ!となりやすいからなんですね~。だから、親(もしくは他人)に対する感謝、と親に感じた怒り、を、別に別にまず、わけちゃってください。感謝してる人に怒りを感じちゃいけない!なんてことはありませんから。「~であらねばならない」をまず、とっぱらっちゃいましょう!親はどんなんでも親です!何があってもステキな存在。まず、自分が「完璧」の呪縛から逃れるために、「完璧な親」を手放してあげましょう。たまには怒られたって、自分の望まない子育てをされたって、いいじゃないですかっ!この世に完璧な人はいないわけですから。だけど、ここで、し方がないんだから。と、親にされたことで腹が立ったことがあったら、それを我慢しないで欲しいんですね~。そうしないと、心の底の方に「認めてもらえなかった!」という悔しい思いが沈んでしまいます。チリも積もればマウンテン。我慢はある日、どっかーん!と爆発してしまったりします。だから、我慢はしない。腹が立ったら、腹が立つたことを、そのまま!認めてあげましょう!コツは、腹が立ったこと…、つまり、「親がした行為」と、「親の存在そのもの」を切り離して考えてあげる、ということです。そうじゃないと、ダメなことをした親はダメな人間、と、親、そのものを認められなくなって、自分が苦しむ原因になりますから。そうすると、さっき書いた、感謝は感謝、腹が立ったことは、腹が立ったこと、と、両方を区別する、ができるようになってきます。こうすると、ありのままの事実、が見えてきます。これで、ようやく、腹が立ったこと、を手放す準備ができるんですね~。えーと、今日は、なんで、心が小さい頃に傷ついてしまうのか?の前に、こんなことを書いてみました。今日も1日、あんがとー!
2004年03月22日
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今『喜び、発展実践会』各地が、この話題で盛り上がっているので、これを書かずばなるまい!いつ、書こうかな?とも思ってたし。いい機会かも~。でね、まずはこのお話。重いんだけど、象徴しているお話だと思うのね。最近、自分の子供を虐待などにより、殺してしまう親のことが話題になりますよね。だけど、子供を殺してしまった親だけをカウンセリングしても、問題は解決しにくいのだそうです。もし、その親の両親がいたら、必ず、その親にも来てもらうそうです。なぜなら、子供を殺してしまうような親は、子供の頃に「おまえなんか生まれてこなければよかった。死んでしまえ!」というようなことを言われて育っていることが多いからなのだそうです。だから、自分の心が辛いことでいっぱいで、なんと、子供を殺してしまったことが、ひどいことかどうか、感じ取れない、という人も多いのだとか。ところが、そのまた親も、辛い思いをしているということが、やはり多いのだそうです。それで、お互いに「辛かったね」、を認め合えたとき、ようやく、子供のいとしさがわかり、殺してしまったことに、初めて後悔の念が沸いてくるのだとか。愛されるって、大切だし、榮聖さんが、今回、言っている、悪いことをしているから、と言って、傷ついた子供にどなりつけても、問題は何も解決しない。というようなことにも、通じる話ですよね~。でも、なんで子供の頃の傷って残りやすいんでしょうね~?じつは、子供の脳波の状態から、それは説明できます。α波、β波、なんて、よく聞きますよね~。α波(アルファー波)はリラックス波と呼ばれていて、催眠術にかかるときもこの脳波。だから、こうなりたい!自分をイメージするのは、リラックスして、とよく言われるんですね~。んでね、そのアルファー波の下にシーター波が……………したにシーター波!があるんです!(寒い…)でね、子供の脳波は、生まれてから、だいたい、9ヶ月までは、このシーター波なのだそうです。つまりっ!アルファー波でさえ、がっつら!催眠術状態なのに、そのさらに深いところでがっつりのがっつら!!!いってみれば、催眠にかけられる状態になってしまうのですね~。ようするに、どういうことかと言うと、子供というのは、自分の周りで起きたこと、自分に言われたことを全部!無条件で!潜在意識に刻み込んでしまう脳みそクンの状態を持っている、んですね。だから、なんで、子供は褒めて育てろ!というかと言うと、子供の脳みそクンは、無条件で、言われた言葉通りの自分になろうとする!からなんですね~。だから、「早くしなさい!ぐずね!」と、もし言ったら!大人は早く行動させようとしているつもりかもしれないけど、正反対のことが起きるわけです。子供の脳は「ぐず」という言葉をそのままインプット!かくして脳みそクンは、「ぐず」が自分なんだ~い♪と思いこんじゃうんですね~。そして、その通りの行動をするように!と自分の体や心に命令をはじめます。かくして、「ぐず」な人間のできあがり~、となるわけです!えーん!そんな~っ!ですよね。特に、今、自分が親である人は、自分のことプラス、子供に「してしまったこと」の罪悪感から、とっても、落ちこんだりする方もいます。でもね、ここで自分を責めないで欲しいんですね。だって、最初にも書いたとおり、自分の子供にしてしまったことは、自分の親からも同じことをされているはず、なんです。じゃあ、そのまた親が悪いの!?というと、やっぱり書いてあったとおりに、その人も辛かったりしてるんです。だから、お客さんたちに必ずいうことがあります。「絶対に犯人探しをしないでください。親も他人も誰も悪くありません。そして、もちろん、自分も悪くありません。だれも悪くないんです。犯人を探している間は、問題は解決できません。だって、この世に、悪い人は誰一人としていないんですから」まずは、これを確認してくださいねっ!それから、他にも、もっとたくさん、書けることはあるけど、その前にっ!今の「犯人探しをしない」プラス、やって欲しいことがあるんですね~。それは、過去を振り返るときに、反省したり、自分を責めたり、誰かを責めるためにやらないで欲しい。ということなんです。過去は、あくまで、次のステップに生かすためのもの♪だから、これはシアワセになるためにやるんだよ。反省するためじゃないんだよ。誰かを責めるためじゃないんだよ。と、自分に言い聞かせながらやってあげて欲しいんですね~。特に今、親!をやっている方はっ!これが確認できたら、また、続きを書いてみたいと思います~♪デハでは。今日も1日、ふだーふぃず!
2004年03月21日
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ふ゛~む(^_^;)酔ってます!また今夜もっ!いや、もう、今日は、場所から、人から、はしごで遊んでました~。めっちゃ充実、おもしろかったです!ですが、日記のアップだけはしてから寝よう、と。なんで書きたいか、というと、それは、昨日、石の話を書いたけど、それが、さっそく、今日、実現しちゃたからなんですよ。石との約束、というのが、ある、と。ひさしぶり思い出して、昨日、「仲間を増やすから、この先のことをよろしくね!」と、じつはやったんですよ。でね、「ファントム・クオーツ」という石があるんですが、それが欲しいな、と、昨日、ふと、思ったんです。でも、それ、あんまり売ってないんです。だって、水晶ポイントという、角柱型の中に、別の角柱型が見える、というおもしろい水晶。ちなみに、それは、ファントム(幻影)という名のとおり、今までの、幻影の自分を乗り越える、というような意味もあるんですね。なんだか、それに、ふと、ひかれたんですよ~。先日の引越しをする、という方と一緒に、ふと、入った店にそれはありました。えっ!?昨日の今日で、もう、出会えるのっ!?まさしく、そんなカンジ。びっくり、びっくり。で、かなり嬉しかったんで、それだけ日記にしてから、寝よう!というわけで。おやすみなさーい。今日も1日、だんにゃばーど!(昼間、カレーのバイキングに、ガネーシャのTシャツを着てったら、お店のバングラデシュ人?に「あなは、インドに行ったことがあるんですねっ!」と聞かれて嬉かったんで、今日はヒンディーでーす)
2004年03月19日
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本職が石のアクセサリー職人のくせに、今まで、日記にパワーストーンのことをまったく!書いてなかったことに気づきました。おまえは何屋だーーーーっっっ!ちゅーか、最近、心理系のお勉強ばかりいそしんでいて、石のことにあまり構ってなかったことに、今日、気づきました。石達よ!ごめんね!自分のことに構うのはいいんだけど、メシ食わしてくれているパートナーを忘れちゃかわいそうだろっ!なんか最近、イマイチ、ひっかかるものがある理由がわかった気がしました。やっぱ、パートナーに感謝の気持ちを忘れては、うまくいかんよね~。いつもありがとうね!というわけで、本日は我が家にある石の浄化に取り組み、感謝の念を送り、一緒に遊んで、新しい自分用アクセサリーを作りました。石とか、そういうの、もともと好きだったんだけど、パワーストーンに囲まれはじめたのは、10数年前に買った、トルコ石の丸玉(直径5センチくらい)からかな。そのときに、パワーストーン占いなる本も買いました。(知る人ぞ知る『ムー』という雑誌系からの発行だった!)で、本を読んだ。なんでも、石との約束、というのがあるらしい。お願いを叶えてくれたら、おまえの仲間を連れてきてあげるからねっ!と言うと、本当に叶うらしい。ついでに、石は石を呼ぶ、らしい。ふーん。そうなんだ~。なんとなく石を集めている間に、気づいたら、ただのアクセサリー屋は、パワーストーン・アクセサリー屋になっていました。で、今日は、初心に帰って、パワーストーンの本を読み返してみました。そうしたら、ふと、目にとまった言葉がありました。「願いがかなわない、と言う人がいるけど、そういう人は、パワーストーンから、力を奪い取ろうとしている。そうではなくて、石をキレイだな、と楽しんだり、褒めたり、リラックスすることが大切。そうやって、石達と気持ちをいきかわせて、始めて願いがかなうもの」というようなことが書いてありました。これ、パワーストーンとの付き合いだけでなく、自分との付き合いでも同じだよね。ついでに言うなら、わたしが行くような日記系の人が、人生の極意として考えていることと、大差はないとも感じたし。わたし、かわいいね。人生はステキだね。毎日は楽しいね。一緒にいてくれる人、物。みんなありがとう!これが心から言えちゃったら、もう、じつは人生、それだけでOKなんだね。目やら肩やらに力を入れて、こうなるぞ!これを手に入れるぞ!なんて、がむしゃらしなくても、人生はすばらしいものになっていくんですね~。…ま、わかってても、できなかったりするけどさっ!だから、石たちのように、人間をサポートしてくれる、宇宙からのすんごい、プレゼントがあるんだね。わー!すごい、すごい!つまり、これ、「人は完全じゃない。」というのが、前提のプレゼントじゃないですか。ステキな宇宙からのメッセージですね~。今日、わたしが作ったのは、ロードナイト、アイオライト、ラピスをつなぎ、別チェーンをたらして、トップにハート型のローズクオーツを用いたネックレスです。ハートのチャクラにぴったり!ローズクオーツをハートセンターの位置に置きました。よく、「いろんな種類の石を混ぜるのはよくないんじゃないんですか?」と聞く人がいるけど、わたしは、自分がつけてて気持ちがよければ、どんな組み合わせでもOK!としています。(ただし、それはあくまでも「今の状態の自分に」なので、合わなくなってきたな、と感じたら、はずします)こ「れ」でなければダメ!こ「う」でなければダメ!は、宇宙の法則とは違う、と感じるからです。それよりも、みんな違ってみんないい。いろんな物が協力しあって何かが生まれる。の方が、自分には気持ちいい、と感じますね~。だから、何種類かの石を混ぜてアクセを作るのもわたしは好きです。ああ、よかった。石屋の証明日記が書けて!?今日も1日、ぐらしあす!
2004年03月18日
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春ですね~。移動の時期ですね~。今日も電話が掛かってきました。「引越しの日が決まって、来週、仙台を離れるから、今日、会いに行ってもいい?」1年くらいかな。お店に通ってくれてたお客さん。今年就職が決まりました。この方、うつ病だ、ということで、病院にも行ってたようです。ときどき、辛そうにお店にも来ました。思わず、泣いちゃったことも何度か。でも、今日の笑顔はステキでした。笑顔になれたね~、と、言ったら、こんな返事が返ってきました。「教えてもらった方法をやってみたら、元気になってきた」さてさて、では、その元気になれた方法とは?じつはこれ、わたしもやってる方法です。そして、自分が変わるのに、とても役に立つ方法なんですね~。それは…。日記をつける。それだけっ!だけど、ちょっとコツがあります。それは、論文、作文などのようにキレイにまとめない。きちんと書かない。そして、普段、自分のしゃべっている言葉づかい、そのままで書きとる。例えば、「だってさ~、あんなこと言われたって、困っちゃうよね~。もう、やんなっちょうよ。ホントに」というように。あと、思いついたこと、考えていることは、どんなくだらないことでも、そのまま書く。なのです。これが基本形♪。これをすると、素直な自分の気持ちに出会えます。ときには、書きたくなくなって、手が止まることも。そうしたら、応用編も試してみます。自分で自分に質問するんですね~。「どうして書きたくないの?」この言葉をノートに「書く」んです。そうすると、あーら不思議!「自分」がしゃべりはじめちゃったりします。「だってさ、こんなこと考えてるなんて、くだらないよ。こんなこと、やってるなんて、ダメだよ」などなど~。これをそのまま!書き取るんですね~。ついでに、さらに質問してみたりします。「どうして、こんな自分はダメ!だと思うの?」そうすると、また返事が返ってきます。「だってさ、こんなことをしてたら、みんなにどう思われると思う?きっとバカにされるよ」とか。こうやって、質問を繰り返していくと、一番根っこにある問題が見えてきます。じつは、自分が悩んでいるのは、くだらないことに気を取られていたから、ではなく、人に嫌われることを怖がっているから、だったんだ、というように。そして、不思議なことに、問題に気づくと、解決しよう!とムリに何かを始めなくても、自然に問題が小さくなり始めることも多いんですね~。気づかずに無視!していた問題に気づいてあげて、さらに、文章を書くことで、想いを解放することができるからなんですね。自分の気持ちにフタをして心の中に押し込めておかず、解放する方だけで解決する問題もあるんですね~。ただ、これだけで解決できない人は、さらに、幼少の頃の記憶までさかのぼって日記を書く方法があります。これをすると、随分と変わります。でね、昨日、自分の中の「怒り」について書いたけど、これも、この方法で随分と小さくなりました。じつはわたし、10数年前まで、とにかく「怒りの人」でしたから。だけど、怒りの裏返しは、じつは「不安と恐怖」でもあるんですね。不安を隠すために怒る場合が多いようです。それで、もう、怒りと不安のジェット・コースター状態でした。どんくらいすごかったか、というと、オトコ5人を目の前にして、説教して、それで勝てる!というものすごさ!おっかねーーーっっっ!怒った人たち、みんなごめんね~っ!のはははははは…………っ!日記を書き始めた10年以上前、わたしは、毎日、泣きながら日記をつけましたね~。わたし、ご苦労!だけど、そのかいあって、今ではずいぶんとまるくなりまひた~。本を読んだりして研究しながら、自分にぴったりな方法を見つけてきましたが、その方法が、さらに他の人の役にも立っているわけです。こんな嬉しいことはありません。ので、じつは、自分が落ち込んだとき、がっかりしながらも、マジ、ほくそえんでしまう今日このごろ。どうやったら、ここから脱出できるかな?そうしたら、また、誰かに紹介できるネタが増えるな。ふふふふ~。楽しみ~。日記に、自分の心の動きをめっちゃ細部まで書き取り、「こうこう、こういう働きから、こんなときはこうなるのか?じゃあ、これは?」と研究するのがおもしろい。…………。って、今、書いてて思った。マゾかっ!(爆)まあいいや。気持ちがいいから。くすっ。(あぶねーよっ!)今日も1日、だんけしぇーん!
2004年03月17日
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おわーっ!今日は、ピキマークが額についてしまったね。あんまり、こんなこと、書きたくないんだけど、だけど、あえて書いとこ!こーんな自分とも、もっと、上手に付き合えるようになりたいからねっ!そのために書いとこ気分。最近、おかげさまで、話をするなら、おもしろいこと!という思考回路ができあがったのはよかったことだと、マジ思う。だけどね、こんちくしょーっ!と今日、思ったのは、仕事をしているときだよっ。あまり、はっきりと公にも書けないから、想像しておくれなっ!なかなか仕事がうまくいかん、という人がいたと思いねえっ!それは大変だと同情してやりたいさっ!だけどねっ!うまく行かない時、ヒマな時間にボーゼンと考えこむのは仕方がない、としてもだよっ!だからと言って、おまえ、仕事の相手が目の前にいるのに、やっぱり半分、ボーゼンとして、椅子に座ったまま、生返事で腕組って、どゆわけよっ!(しかも、相手はお客だーっ!)で、それを指摘すれば、すねるっ!あげくに、昼飯に食いに行ったラーメン屋がまずかった、と話を聞かされてだよっ!で、「まったく、気づかないのかね。なんで、あんなにまずいラーメンが出せるんだか。オレだったら、あんなことはしないね」と言ってのける。こりゃーっ!お客の前で気づかずに踏ん反りかえってるヤツがえばるなーっっっ!はあはあはあっ。って、すんまそん。エキサイトしました。人の相談に乗るとき、こんな人が目の前にいたらどうするか?という話もしているだけに、腹立ちモードから抜けられない自分にまた腹がたったのさね。こんちくしょーっ!で、あやうく、落ちこみモードに入りそうになった。自分の問題からも抜け出せないくせに、お客さんの相談に乗れるのかっ!?だけど、今日の自分(も(笑))、エライっ!こんなときこそ、初心を思い出そう。人を元気にすることだけを考えよう。それに、今だってチャンスだぞっ!今の状態がわかっているけど、抜けられないって、人の気持ちをもう一度理解して、そんな人たちの気持ちに寄り添えるようになる、いいチャンスだぞ!こーんなふうに思えたってこと。そしたら、なんか今日は、来てくれた女の子たちに、めちゃめちゃ、喜んで帰ってもらえた。よかった。だけど、今日、あらためて気づいたのは、どーも、「怒り」というトラウマくんが、まだ自分の中にいたようだ。ということ。腹がたつのは仕方がない。人間だもんね。感じることまでなくしてしまうのは違う、と思うわけ。大切なのは、感じたことに振りまわされない、ということだと、最近、感じるわけです。だからね、長い時間、「怒り」の感情にとらわれることは、もう、なくしたいもんだ。怒りを手放すぞーっ!ちゅーか、今日でまた、ひとつ、手放したぞっ!というわけで。今日も1日、かむさはんにだ!
2004年03月16日
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すんません。夕べはアップする時間がなかったのよ~。今日もこのまま仕事に行ってきまーす!ではでは!================================現在、19時46分です。灯油が10時までしか買えないので、一旦、帰宅しました!なんせ、仙台、東北だぜ~。ですがっ!これより、またベトナム料理を食べに行ってきまーす!酔っ払ってなかったら、帰ってきて、またアップしますです。ちなみに、本日の過ごし方お題は「ナルウィークばんじゃーい!」でした(爆)何をしても、自分かわいい!あたしってステキ!わたしってば、転載…い、いや、天才!腹を立てても、かわいい!すねてもステキ!もちろん、お客さんにも、言いましたともっ!「みんなで一緒にナルシストになろう~!」お客さんに、あねちゃんは、毎日、店番なんですか?と聞かれた時にも、言っちゃいましたともっ!「なんつったって、ほら、わたし、人気者だからさ~。わたしが出てなければ始まらないジャン!」みょーに、納得してもらえてよかったです(^^ゞあ、あと、アクセの作品を作っても、もう、自画絶賛!モード。(もっとも、これは昔っからで、いつもですがっ)「あたしって、天才! この色使い! このデザイン!このアクセを持てるあなたは、本当にツイてる! こんなにステキなのが出来たんだから! もう、わたしが自分で持ちたいくらいよ~」ぷぷぷっ!いつにもまして、テンション高い~。ではでは、他の方の日記のところへお邪魔したいところですが、そろそろ待ちあわせの時間なので、心残りですが、一旦、失礼いたしますです。行ってきまーす!
2004年03月15日
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今日はねえ、わたしがこの楽天日記に参加することになった、榮聖さんの誕生日でした。なんで参加したんでしょうね?本当にヒラメキだったんですよ!「支部長募集!」見た瞬間、うわっ!参加したーい!メルマガは途中から読み始めたかな。でね、とにかく、わかりやすいじゃないですか。今、手作り作品の仲間たち数人と一緒に、お店を開いてますが、メルマガをコピーして、みんなに配り、勉強会まで開きました!そんでね、支部長認定書が送られてきた日には、コピーまでしてお店に飾りました。それを読んだお客さん、その他の感想は、二つに分かれるようですね。「ステキですねっ!」と言う人と、「宗教ですか?」と聞く人(爆)わたしの野望は、これが宗教ではなく、「当たり前ジャンっ」って言える人を増やしてみたいな~、ということです。きっと、実現しますね。ちゅーか、そーなりつつあるわねっ!今日も1日、めるしーぼく~!
2004年03月13日
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おわーっ!今日はaiccoさん、http://plaza.rakuten.co.jp/hakkutsutai/藤範さん、http://plaza.rakuten.co.jp/fujinoru/お二人に一気に紹介していただき、おわーっ!な日でございました。みなさま、本当にありがとうございます!よっしゃあ~っ!これからだぜっいっ!というわけで。今日はですね。こ~んな方とお話をしました。「わたしの悩みは普通と違うから、誰にも話ができない。誰にもわかってもらえない」うーん、確かに、あまり普通ではありませんでした。とはいえど。ぢつは、この悩み、持っている人って、ケッコー多くって、わたし、随分と聞いたんでございますよ。一部では、真剣。ある一方では相手にもしてもらえない。その悩み、とは、見えないものが見えるっ!でした。まあ、つまり、「霊」というヤツですね。あの、わたしは見えないんですけどね。だけど、なんだか、昔っから、お見えになる方がたくさん、わたしの周りにいるんですよ。で、見えないから、と言って、たくさんの人が「見える」、というものを、頭から否定するのは違うかな、と思うわけです。だいたい、みなさん、話に一貫性があるから。だから、この方たちへの基本のアドバイスは、こんなのです。「自分はおかしい、と思わずに、それも個性の一部、と思ってください」ここからスタートしています。そしてですね。こんな、特別?な話でなくても、です。じつは、こう言いながら、相談に来る方が多いんですよ~。「たいした悩みじゃないんですけどね」なにをおっしゃいますやら!悩みはすべて悩みなんですっ!悩みに大きい、小さい、をつけないであげて欲しいんです。自分が悩んだら、それはすべて悩みなんです。どんなことでも、じっくりと付き合ってあげてください。これを言うと、これだけで悩みが軽くなる方がたくさんいるんですよ。そして、「友達がそう言ってもらったって」と言って、また他の方が来てくれたりするぐらいなんですよ。自分はたいしたことない。こんなことで悩んでいるなんて。つまり、悩んでいる問題そのものでなく、「自分はダメなヤツ」と、悩んでいる自分を責めて、二重、三重に苦しんじゃうんですね~。場合によって、人によっては、この「自分を責める」が最初の悩みの原因であることが多かったりします。どんなことでも悩みは悩み。悩みに大きい、小さい、をつけないであげる。自分の悩みをそのまま認めてみてあげてくださいねっ。不思議なんだけど、認めてあげたとたん、消える悩みもあるんですから。ではでは、今日も1日、ぐらっちぇ、ぐらっちぇ!
2004年03月12日
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わたしってモテてるっ!?最近のことをふと振り返ってみて、今日、そう思ったんだってばさ。(ひさびさ今日は近況の話だっ!)ぢつはわたし、中学生の時からバンドもやってんだけどね。5月に「仙台、モンスターズ・オブ・ロックフェスティバル」なる、コピーバンド大会があるそうなんだけど、知り合いが「手伝ってくれ~!」と言うてきたんで、やることになったのさっ!あ、わたしの担当、歌なんすわ~。でね、ハード・ロックを中心にやってたんで、今回も知る人ぞ知る、モトリー・クルーというバンドのコピーをしますです。でさ、知らない曲の方が多かったんで、テープにとって来てもらったのよ。そうしたらね、曲名の最後に、「あねちゃんFC支部局長○○より」と書いてあった!(爆)ちなみに、本部はないらしい。そーいえば、パーソナル・バンドのHP掲示板でもイチ時期、FC(ファンクラブ)話で盛り上がったっけ。バンドの飲み会に行けば、「ファンですっ!」という人が、自前でポスターを作って、部屋に貼ってあるとかっ!しかも、へそ!が出てるヤツだってよ!ば、ばかー!しかも、某、インターネット上の人気投票にいつの間にやら300票以上も投票してあるらしひ。で、考えてみるならば、バンドだけじゃないかも!だった。近頃、オイシイご飯には困らないし、(もちろん、ごちそうしてもらえるっ!)早めのホワイトデーはやってくるし、(もっとも、義理チョコは、ばら撒いてあるがっ!)あちこちからメールは来るし、なーんだっ!すっげー春ぢゃんっっっ!って(爆)高校生から、専門学生の時に、めちゃめちゃモテ期があって、以来、バツイチはくらうし、もう、なんだかねー、であったんだけど、もひかひて、それ以来?ちなみに、高校からの3年くらいの間に、あんときは20人以上からコクられた!あんな春はもう、こないと思ったね~。よっしゃあ!仕事だけぢゃなーい!イイコトがこっちにも来てるぞーっ!やったぜ!のははははは!よし!今度こそ、ぐらっちぇなダーリンをゲットしよう。なお、まだ一人ものです。子供はいまへん。わたしと一緒にプロジェクトXをしてみたい方は、どうぞご一報ください。(爆)今日も1日、ありがちゅー!(ちゅー、かいっ!)
2004年03月11日
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今日はすごく、いいお話を聞きました。ここ数年来てくれているお客様がいるんだけど、残念ながら、その方、去年の暮れにお父さんがガンで亡くなってしまったんですね。今日は、お葬式のときのお話を聞きました。式に、アクセサリー業界では、今、世界で一番の売上をあげている、ジュエリー○○の社長さんが来ていたそうです。なんでも、親戚だったらしい、という話は前から聞いていたそうなんだけど、会ったのは初めてだったとか。そうしたら、な、なんと、会食の席で、こんな話をみんなにしてくれたとか。お父さん、なんと、その社長が事業の最初の方で、お金に困っていたとき、在庫の宝石を全部買いとってくれた、というんです!そのおかげで、社長さんは会社を続けることができたらしい。30年も前の話なんだって。社長さんは、全社員に、「わたしの大恩人がお亡くなりになったので、会社を2.3日休んで、お葬式に行ってきます。みんなも喪に服してください」とメールしてからお葬式に来てくれたそうです。だけど、お客さんは、お父さんがそんなことをしていたの、全然、知らなかったとか。「うちは、お金に困ってて、まさか、そんなことをするお金がある、なんて思わなかった。うちのお父さん、お母さんとたった2人の、小さな会社の経営者にすぎない、と思ってたのに」と語るその人の目には涙がうっすらとありました。まさにプロジェクトXの世界。その人の家のお話とか、いろいろ聞いてて、お父さんが亡くなった朝にも電話をもらってたんで、よけいに、感動がありました。お父さん、かっこよかったね!今日も1日、ありがとう!
2004年03月10日
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ただいま~。飲んで帰ってきました~。うまかった。楽しかった。らりらり~。ところでっ!いつもありがとうDOdoさんっ!今日のカキコに、本日、書こうかな~、と思ってたことが含まれておりましたっ!えっと、ただし、DOdoさんが言いたかったことと、もしかするとベクトルがずれるかもしれないんで、そこんとこはごめんでございます。ではでは、発表!昨日の、「喜びをともなう、本当のやさしい」になるための、テクニック!でございます。それはっっっっ!心の中に、「理想の」父親と母親を持ってみる。なんでございます!最近、「ありのままのあなたでいい」が一部ではやっていますね。わたしも、それは、とっても大賛成ですっ!ただし、これには落とし穴がある、と感じています。もしかすると、そのあたりが、DOdoさんの言いたかった部分でもあるのかな?と。(憶測でごめんね~)「ありのまま」は、今のままでいい。ではなく、「今、あなたが感じているままを大切にしよう」だと思うからです。じつは、わたしも、この違いがわからず、ワナにはまって、両極端を経験しました。がんばれ!だけでは、息切れするときがあるのです。だけど、「そのままでいい」は、疲れたときには有効なんだけど、成長しようと思ったときには、次に進むための力強さに欠けていたりするんですね~。(じゃあ、いったい、ありのままでいい、ってどゆこと? は、それだけで日記1日分くらいありそうなんで、それはまたそのうち!)だったら、その真中は?それをわかりやすく実現するのが、心の中に「理想の」父親と母親を持ってみる、なんですね。まあ、これ、ムリに父と母でなくてもいいんですがっ!もし、あなたが、「わたしの理想の父と母は自分の父母しかいませんっ!」という(とってもシアワセな)人なら、単純に、心にイメージする、尊敬する人物でもかまわないと思います。だけど、程度の差、深刻、苦笑い、いろいろあるけど、ちょぺっと、残念ながら、そうでなかった場合。心の中に理想の父と母を作る、は、かなり有効な手だったりします。(ただし、心に深い傷がある人の場合、その傷を癒すことをしてからじゃないと、有効に働かない場合があると思います)やっぱり、お父さんとお母さんは特別な存在ですっ!そのお父さんとお母さんを、心から信じられる状態になったとき、ものすごい安心感が生まれ、自信が出てくるものなのですね。(あの~、だからと言って、自分の親ぶりにちょっぴり自信のない方。今、現役で父母をやっている人が、自信を失うような、それは絶対に!必要ないです。親御さんは、みなさん、全力で「親」をやっています。その行為は立派でスゴイ!と思います。それを認めた上で、のお話です。そして、なぜ、そこまで両親が大切か、も、詳しく、そのうち書けたらいい、と思います)両極を経験して得た結論です。そして、これ、本当に、昔から言われてることなんですよね。やっぱり、自然の摂理ってすごいわっ!父の厳しさ。母のやさしさ。人が成長するには、やっぱり、両方あってこそ、なんですね。なので、わたしは、今、心の中に、2人の人物を連れて歩いています。それはっ!父親役が、あの日本を代表する哲人、中村天風師。母親役が、アメリカ女性のルイーズ・L・ヘイさん。(ここで、リンクを貼る芸当をしたいのだが、めちゃ眠いので、どんな人かは後日に!)迷ったり、疲れていたりすると、天風師をイメージします。ま、最近では、勝手にしゃべってくれますがっ。「なんだ! しっかりしなさい! 疲れているのは体だけ!心まで疲れさせるな!」これで、結構、元気が出てきます。なぜかと言うと、天風師、言葉だけでなく、終生、自分を磨ききった人であり、言葉が本物だから、なんです。そして、叱っている、のではなく、本気で人を成長させたい、ということに生きた人の言葉だ、と意識できるから、でもあります。だけど、これだけでは、まだ未熟な自分には、重すぎるときがあります。ところが、後ろに母がいる、という安心感が生まれたとたん、たとえ疲れているときに「しっかり!」と言われても、へこまずに、しゃんっ!とできるときがあるんです。それが、「大きな愛を持った、母親が後ろに控えているすごさ」なんですね。父親が「しっかりしろ!」といくら檄を飛ばしても、マジ疲れているときは動けるもんじゃありません。そんな時には、「今、この子は疲れているんです。休ませてあげましょう」と、と父親に笑顔で言ってくれる存在。そして、それが、あくまでも、「今は」休ませてあげましょう。なのです。「この子は大丈夫。必ず動けるようになります。必ずできます。ただ、今はホンの少し、休憩が必要なだけ。休んだら、また力を発揮できるって、信じてますよ」という、子供の持っている才能を心から信じている、3ヶ月しか学校に行かなかった、エジソンの母親のように、強い信念を持った母親の存在です。これがある、という安心感があるだけで、場合によっては、なんと、母親が登場しなくても、父親の「しっかりしろ!」だけで動けちゃったりする。「やさしさ」は大切。だけど、人の才能を発揮させる、ということに根ざした、「本当のやさしさ」には、時に、「活」も「檄」も必要だったりしますよね。それがあった方が、動けるときって、やっぱりあるもの。ただし、それに偏らずに見守ってくれるものがある安心感。2つのバランスが取れたとき、むちゃむちゃすごいことが、人には起きる!それをイメージ的にわかりやすくするのが、この「理想の両親を心に持つ」でした。わたしが今現在、実行中で、かなりの好成績を収めているテクニックです。いいかもっ!と思った方は、ぜひ、やってみてくださいね!今日も1日、ありがとう!
2004年03月09日
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昨日、「自分にやさしくなろう」と書いたけど、ところが、こう言うと、よく聞かれるのが「それって、自分に甘くないですか?」ということ。やさしい、と、甘い。この違いって、なんでしょうね?だけど、言葉の響きを味わうと、何だか、正反対のものを感じますよね。ということは、つまり、甘い、とやさしい、は、別物だ、ということです。(ただし、言葉の本来の意味からする「甘い」、はアリだな、と、わたしは思っているのですが、それはまた今度~♪)で、この二つの違い、ずばり、結論から言うと、「自分が成長できるのがやさしい」「成長が頭打ちになってしまうのが甘い」じゃないかと思います。さて、では。甘い、やさしい、厳しい、の違い、こんなたとえはどうでしょう?小学校1年生の授業です。初めて、算数の足し算を教えることになりました。最初は、1桁の繰り上がりのない、足し算からですよね。さて、それを教える前に、こんなことを言う先生がいたら、どう思いますか?「いいか、おまえたち。今日、これから先生が教えることは、とても大切なことだ。もし、これがわからなかったら、この先の授業は、なにもわからないぞ! 2年生にもなれない。買い物だって、誰かにだまされるかもしれない。一生困るんだ。だから、いいか。今日は絶対に居眠りしたり、無駄口をするな!もし、そんなことをしているやつがいたら、タダじゃおかないぞ。基本の基本なんだから。何度も言うが、これができなかったら大変なんだ。しかも、これはとても簡単なんだぞ。だから、次のテストは、全員、100点を必ずとれ! もし、これができなかったら、おまえたちは、もう、世の中の誰からも相手にされないからなっ!みんなにもバカにされるからなっ!」と、相当、厳しい口調で言う先生がいたら…。この先生、どう思う?と、わたしのお店のお客さんにも、よく聞きますが、たいてい、みなさん、こう答えます。「言ってることはわかる。だけど、こんな先生はイヤだ」そうなんです。この先生、とても「正しい」ことを言ってるんです。だから、逆らえないし、反対できない。だけど、「好きになれない。」んですね~。そしてね、大切なことがあります。何かに挑戦しよう、としているとき。それは、その人にとって、生まれて初めての経験であることが多いんです。つまり、そのチャレンジするものに対しての、小学1年生ですよね~。それなのに、自分に厳しい人は、さっきの先生のように、眉間に皺を寄せて、初めてチャレンジする自分に、はげしーく、こう言ってたりします。「やれ! やれないとお前はダメ人間だ! みんなにもバカにされるぞ!」(もちろん、心の中でっ(笑))すると、どうなるか。言ってることが「正しい」もんですから、何も言い返せません。しかも、想像すれば、すぐにわかると思うけど、さっきの先生に教えられたら、間違ってはいけない!という、緊張から、テストでミスをする生徒が必ず出ると思いませんか?しかも、もしも本当にテストで間違いでもしたら、この先生、本気で怒ると思いませんか?つまり、自分に「厳しい」人は、挑戦する前に自分を緊張させるようなことを自分で自分に言い、その緊張感から、失敗する確率が高くなり、ついでに、もしも本当にうまくいかなかったら、ボロクソ!自分をけなすのがうまかったりするんですね~。そして、さっき、この先生をどう思う?と聞いたら、多くの人が、「この先生は好きになれない」と、答えましたよね。だから、これをしていると、こうなりやすいんです。「自分のことも、問題を解いていくプロセスも好きになれない。」でも、好きにはなれないけど「正しい」ことはしているわけです。だから、よけいに、自分のやろうとしていることに、喜んで取り組めない自分を見て、さらに落ちこんだりする。ああ、悪循環~っっっっ。じゃあ、だからと言って、「好きなだけ間違いなさい」とだけ言って、生徒が遊んでても、勉強しなくても、ほっとくのも違いますよね。これじゃあ、本当にただのバカ!になっちゃいます。つまり、これが「甘い」の状態。じゃあ、やさしい、は?まず、これからやる授業がどのくらい大切か教える。そして、テストをして、間違っても、頭から怒らない。だって、1年生が初めて受けるテストですよ。間違うのが当然!だから、間違ったら、どう間違ったか、どうしたら正しい答えになるのか、根気よく教え続ける。たとえ、何度か0点を取ったとしても、絶対にあきらめない。「大丈夫!おまえにもできるさ!」と生徒を励ましてあげる。こーーーんな、先生に教わったら、算数、好きな子が増えるとは思いませんか?そして、きっと、この子は「ボクにもできた!」と、自分に自信もちますよね。これが「やさしい」の状態じゃないかな、と。本当の「やさしい」は必ず自分が「喜びの中で成長」できると思うんですよ。『喜びながら成長』がミソ!かな。でね、これを心の中で上手にやるシステム?を開発?(そんなに大げさなもんかい!)したんですけどね。それは何か!?また明日のお楽しみ~。今日も1日、ありがとう!
2004年03月08日
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さたーしさん、ナイスなカキコ、ありがとうですっ!お礼に投げキッスを…。…………ボカッ!…………えっ!?いらないって!?し、仕方がなひ…。せっかく、カリフォルニアに行けると思ったのにい~。えっと、では、気を取りなおして(アセアセ)でね、さたーしさんの書いてくれたこと、もう、まったく、ズバリっ!でごさいます。人との付き合いに困っている人は、自分との付き合いに困っている。そうなのです!だから、どんなに人付き合いを良くしようと思っても、自分との関係を見直さない限り、どこかにムリが出てきてしまいます。最近、来てくれる黙り子さん(ありがとう~!お礼はやっぱり、投げキッスでいい?)のカキコにもありましたが、これが人付き合いだ、と自分に言い聞かせても、心がなんかサミシイ。というような状態になったりします。これは、本当の自分の気持ちをムシしたり、嫌ったりしているから、なのですね。それで、さたーしさんのカキコにもあるのですが、(わたしも、そうだったし~)多くの人がそうなんですけどね。自分の欠点を見つけると、ムシする。腹を立てる。悲しくなる。になりがちだと思います。しかも、ムシしている時って、自分では気づかないでしているときが多かったりします。ちなみに、ムシしてしまうときは、それだけ、自分の欠点などに対して、強烈に腹を立てたり、悲しいときですね。あまりにそれが極端だと、ないことにしてしまうわけです。これは、苦痛を避ける、という、人間の本能からくる習性のひとつです。だから、それだけ自分が苦痛を感じている、ということであって、自分に勇気がないから、とか、ダメ人間だから、とか、自分を責める必要はないんですね。そんでもって、今の、「自分を責める」はキーワード。そもそも、なんで、「欠点」なるものが存在すると思います?それは!ジャジャーン!「自分を責めているから!」なんですね。たとえば、ひとつの仕事をするのに、1時間、時間がかかる、としましょう。じつは、これ、「仕事に1時間かかる、という、ひとつの事実が存在する」だけなのです。これを見て、「なんて丁寧に仕事をする人だ」と、長所にとらえるか、「これが普通」と、何も感じないか、「こんな仕事に1時間もかかるなんて、なんて要領の悪いやつだ!」と、欠点としてみるか、は、全部、見ている人の問題なんですね。もし、平均的に見て、確かに、1時間は、仕事として、掛かりすぎだとしましょう。だけど、じゃあ、そうだとすると、必ず欠点になるのか?というと、ならないんですね~。「じゃあ、どうしたら早くなるのかなあ」とだけ、考えられる人は、「今は、この仕事が遅い」という「事実」だけを見て、「だから自分はダメだ」という「判断と評価」をしないから、なんです。それでね、なんで、人付き合いが、自分付き合いに結びつくのか、なんですけどね。人の目って、ワンセットしかないですよね~。この目でもって、自分も他人も見るわけです。そして、常に、同じ物の見方で、自分も他人も見ます。だから、どちらかというと、自分に厳しく、自分を責めがちで、自分には「欠点」があるなあ、と感じている人。さらに、その「欠点」を許せない、と腹を立てたり、悲しくなっちゃってたりすると…。まず、他人もそういう目で、無意識に見てしまいます。どうしても、他人の欠点が気になります。ついでに、許せなくなったりします。そして、他人も、自分をそう見ている、と感じます。自分が失敗すると、きっと、あいつは自分をバカにしている、とか、思いこんだりしちゃうのですね。う゛ーむ゛。これでは、人付き合いが疲れるの、当たり前だと思いませんか?しかも、これをほぼ「無意識」にやっているのがミソ!です。だからね、人付き合いに困っている人は、たいてい、自分との付き合いに困っています。だって、心の中で、いつも「おまえはそうだからダメなんだよ!」とか、自分のこと、責めちゃったり、しやすくなってますから。自分にもうちょべっと、やさしくなってあげるといいようですね~。とは、言えど。こう言うと、じゃあ、どうしたらやさしくなれるんだよっ!と言う人も多いです。ハイ。も、たくさんいます。だから、もし、これ読んでがっくりしても、「やっぱりわたしは~」とか、自分責めモードに入らないであげてくださいね。だんだん、じゃ、どーしたらいいのよっ!も書きたいな、と思いますです。今日も1日、ありがとう!
2004年03月07日
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榮聖さんhttp://plaza.rakuten.co.jp/eishow/のメルマガにとてもいいな、というたとえ話があった。>>>>『本当のあなたは…。 今までの経験や体験、それに学んだことが入っている「器」なのです』分かりやすく言えば、「コップ」なんですね。>>>>>>これは、その通りだなっ!ととても納得。だけど、なんだか物足りない。なんでだろ?ああっそうか。コップを見ている自分がいるじゃないの。入ったものを見て「いいな~」「イヤだな~」と、中身を見て考えたり、評価したりしている「存在」がある。これを2つ合わせたのが自分じゃないのかな。これを、心のしくみから言うと、こうも言えるのではないか、と。コップの中身が潜在意識。コップを見ているのが顕在意識。人は中身の通りの現実を送るけど、それがイヤなら、変えることもできるわけ。イヤ!と思いつづけて生きるのか。それとも、変えるぞ!と思うのか。そして、変える!となったら、何を入れるのか、も自由に選べるわけだ。入れなおせば、その通りの人生になる。だけど、クセモノがいたりして。中身がイヤだ!となったとき、あまりにもそれがイヤで、中身を替えるのではなく、中身が見えないように覆いをしてしまう、というヤツ。その覆いが、お金であったり、恋人や、パートナーであったり、肩書きであったりするわけだ。どんなにたくさんのお金を手に入れても、コツプの中身は変わっていないから、どこかでひずみが出てくる。成功しても、楽しめない人、シアワセじゃない人って、コップに覆いをしてしまう人だと思うわけです。覆いをして隠してしまいたいぐらい、じつは嫌ってるものに、面と向かって向き合ってあげて、そんな自分はいない!とか逃げないで、立ち向かう勇気が大切なのね。それにしても、これはとてもわかりやすいお話になったな。さっそく、今日、お客さんに、このたとえを使って話をしたら、めちゃめちゃ、理解してもらえた。これは活用できる!今日も1日、ありがとう!
2004年03月06日
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今日は、道路にこーんな女の子が来ました。「学校の寮にいるんだけど、帰りたくない。だから、街の中を歩いてたんだ」ああっ!なんだか、昔のわたしってば、こーんな顔をしてたんじゃないかなっ。疲れてるのね。もう。理由はすぐにわかったんだけど、わざと質問してみた。「どーしたの?なんで帰りたくないの?」「うん。人とうまくいかない。なんか気を使うから」ビンゴーっ!身近にいる人、みんなと仲良くしなきゃいけない、に縛られてる。ところでね、今日の楽天日記、「喜び、発展実践会」大将、榮聖さんhttp://plaza.rakuten.co.jp/eishow/のところにこんなのが、ありました。「共感しすぎるのはどうか?」みたいなの。それは当たり!であり、同時に違う!と思うわけ。なんでかってーと、2つのまったく違うものを、同じものとして扱っているから。「共感」と「(あなたと)わたしは同じ」は似ているようで、まったく別物!これがわからないから、人との付き合いにも困るんじゃないかな、と。まず、今までの日本では、どちらかというと、「すべての人と仲良くしなければならない」という考えが強かったと思うのね。あと、クセモノなのが、「友達が多い人の方が、いい人!」というヤツ。それはもう、確かに当たりっっ!実際、榮聖さんを始め、成功系のお話には、「応援してくれる人が多いほど、成功しやすい」とあるもんね。だけど、ステキなことにも落とし穴があったりする。「愛したい」「やさしくしたい」「親切にしたい」はステキだけど、「愛さなければならない」「やさしくしなければならない」「親切にしなければならない」と言ったとたん、なんたが、すごーく、イヤーーーっっ!って気がしませんか?榮聖さんのところにあった、「共感されすぎると、イヤというカンジがする」のは、この「~でなければならない」から出てきた「共感らしきもの」を、無意識に心のアンテナで捉えたものだと思います。「~でなければならない」という強制から出てると、ちょべっと、押し付けがましいから、イヤ! と感じる。「~でなければならない」で動くと、その裏側に、「わたしは、こんなにがんばっているのだから、わたしを受け入れてください」という「お願い」が発生しちゃうから。本物の「共感」は気持ちがいいんです。なぜなら、気持ちの方向性がまったく正反対だからなんですね。「人に嫌われたくない」とほとんど同義語の「~であらねばならない」から出てきた、「共感(らしきもの)」は、「わたしを認めてください」なのです。ところが、本当の共感とは、「あなたはそう感じているのですね」と、相手の立場に立ち、「あなたのことを理解しましたよ」と「相手を認める」行為なのです。つまり、本当の共感とは、「わたしを認めて」とお願いすることではなく、「あなたを認めました」とサインを送ることなのです。そして、大切なのはここからなんですね~。あなたを認めました。 イコール、 わたしとあなたは同じ。ではない!のです。本当に相手に共感できる人は、本当の自分にも共感できる人なんですね~。たとえば、料理で言えば、こんなの。話をした相手が中華が好きだったとする。だけど、自分は和食が好きで、中華は嫌いっ!だとしましょう。「~であらねばならない」人が無理に「共感」しようとするって、こんなかな。「ああそうなんですか」と笑顔を取り繕い、自分の本当の気持ちを言わないで、ごまかしてしまう、みたいな。だけど、自分にも共感している人はこれができる。まず「あなたは中華が好きなんですね」と「共感」する。「おいしいらしいですね。うちのアニキも大好きです」だけど、次に、自分にもちゃんと共感する。「でも、わたしは中華がダメでね。その代わり、和食には目がないんですよ~」なんて。もし、食事をしに行って、食べた料理の全部をおいしい!と言わなければならない!なんて強制されて食事したら、ぜんぜん、おいしくないっ!ですよね。自分が食べておいしいものはおいしいし、まずいものは、やっぱりまずい。感じる自由、表現できる自由があるから、安心して食事ができたとき、おいしいものを素直においしい、と感じられるんじゃなかな。そしてね、自分のおいしい、と感じる料理を大事にする。だけど、相手が食べておいしい、と思った料理も大事にしてあげる。それが、自分の好きなものでなくても。そのかわり、もし、おいしい、と思う料理が違ったとしたら。そうしたら、その人に無理に合わせるんじゃなくて、ただ、自分と同じ料理を好きな人を探して、一緒に食べに行けばいいと思うんだよね。今日、道路に来てくれた女の子、こんなことも言ってました。「いつも笑顔でいるようにしてる」それで、こんなことも言ってみました。「笑顔でいるってステキだよね~。どうせだからさ、もっとステキになろうよ。人に嫌われないように笑顔でいるのはやめてさ、自分が楽しいから笑顔でいるようにしてみない?」同じことをしても、どんな心から出たか、で、自分の気持ちも、相手の受け取り方も、ずいぶんと変わるものですね。わたしも、今、「自分の好き」にウソをつかないように、気をつけているところです(笑)だって、やっぱまだ意識しないと、できてないときがあるからね~(^^ゞそうじゃないと、本当の意味で、他人に共感、ってやっぱりできるもんじゃありませんから。今日も1日、ありがとう!
2004年03月05日
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今日は、閉店間際に来たお客様と、22時近くまでしゃべっちまいました!トラウマ研究員の面目躍如、今までの我慢の壁がちょべっと壊れて、お客様、ずーっと、泣いていらっしゃいました。泣け! 泣け! 泣くんだ~あああっっっっ!もっと、泣きやがれええっっ!って、おいおい!、いぢめてるんかいっ!ウソウソ。でも、泣くのは本当にいいです。今まで、泣いちゃいけない!そんな弱い自分はダメだっ!なんて、自分に我慢させまくってきた人には、もう、マジ、泣いてもらいます。もちろん、たとえ、路上販売中でも、泣いてもらいますっ!うちには、そのため用?マック、ロッテリア、モスetc…で溜まったナプキンが、常備され、その時のために控えております。これ、い~んすよ。泣きながら笑いがとれます。「あ、今のはマック(東北ではマック。関西方面ではマクドと略すらしいね。マクードナールドー♪)だったね。じゃあ、次はロッテリアで!」とか。(^^ゞでね、泣く人、って、こんなタイプの人が多いです。めちゃめちゃ自分に厳しい!でも、このタイプの人は、こーいうと、たいてい、「えっ!?」と驚きます。なんでかというと、自分では、自分に甘いと思っているからなんですね~。ところがぎっちょんちょん。「甘い」と感じる人は、たいてい厳しいのだ!だって、なんで甘い、と感じるか。「わたしは、~をしようと思ってるんだけど、できないからダメ」「勉強、あるいは仕事をしなければならないのに、すぐにさぼってしまうからダメ」などなど、~であらねばならないのに、できないからダメ!と、自分にダメ出しばかりをしてるんですっ!ところが、自分では、やらなきゃいけないことを、してない、サボってる、と捉えているから、甘い、と感じるんですね。ところでね。もし、自分の恋人、あるいは、奥さん、だんなさんと、顔を会わせるたびにこう言われたらどうですか?「おまえは、ダイエットをする、と言ってるのに、すぐに食べすぎるからダメなんだよ」「偉くなりたい、なんて思ってるんだったら、もっと仕事をしたら?」「バカのクセに、資格をとろうなんて、無理なんだよ。せめて、もう少し勉強ぐらいしたら?」………ぷっ…ちーん………っ…ぶっ殺したろかあっっっ!はあはあはあっ…。なんて、腹が立ちませんか?立ちますよね~。もしくは、めちゃめちゃ、悲しいですよね~。これ、他人に言われたら、すぐにわかるんです。悲しい。悔しい。腹が立つ。だけど、自分で自分に言うのは当たり前!と思って気づかないで、心の中で、ずーっっと、繰り返している人が多いんですね。「だって、わたしは頭悪いもん」「美人じゃないもん」「運が悪いもん」「自信ないもん」だから、わたしがわたしを責めるのは当たり前。になってしまって、気づかない。ひどいと、その思考回路が通常モードで、もう、自分を責めてることすら気づかない。だけど、他人に言われたら腹立つことは、自分で自分に言っても、腹が立つんですっ!そのため、なんでだかよくわからないけど、気づくとイライラしている。なんでだか知らないけど、気づくとサビシイ。なーんてことになってるわけです。というわけで、自分に甘い、と感じている人は、次のことをしてみてくださいねっ。自分の心をずっと監視しましょう。そして、自分が自分を責めはじめた、と気づいたら、すぐにやめてあげます。代わりに、次のことを(できれば、声に出して)言ってあげます。「わたしは、絶対に自分を責めないぞ!わたしはこの宇宙の中で、一番価値のあるヤツなんだからっ」宇宙で一番は大げさ?とーんでもない!SMAPの歌にもあるじゃないですか。あなたは、この世で唯一の特別でユニークな存在です。特別、というのは、他と比べて優れている、という意味ではないのですね~。♪この世でたったひーとつの~はぁなぁ~♪唯一、ただ、ひとつ、他にないことがステキ、という意味です。「~であらねばならない」と、自分の外からくる価値観で自分を縛らない。楽~になっちゃいましょう!今日も1日、ありがとう!
2004年03月04日
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喜び、発展支部のルンルンさんの妹さんが、お亡くなりになったそうです。あらためて、ご冥福をお祈りいたします。涙でます。ふと、思ったのは、共感できるって、すばらしいな。ということ。トラウマくん研究委員としては(笑)「共感」って、本当に大事だな、とつくづく思うから。おいしいものを食べたときに、一緒に「おいしいね」と共感してもらう。悲しかったときに「悲しいね」と共感してもらう。単純なことなんだけど、これを小さいときに、どれだけしてもらってきたか、で、なんと、他人に対する共感能力まで決まってくるそうだから。他人の心情を思いやれる心。そんなのも、どれだけ、自分に共感してもらったか、で、養われ方が、まったく違ってくるようです。そして、相手の気持ちを思い計れないと、自分の本当の気持ちもわかりにくくなるようです。どうしても、考える時間を、相手は何を考えているの?と、考えすぎてしまうから。他人に素直に「共感」できる人は、相手のことを考えすぎる、ということがあまりないようです。だけど、それができない人は、「妄想」の世界に行ってしまいやすい。もしかして、相手はこう考えてんじゃない?ということは、こう思われてる?いや、もしかすると…。と、自分の思惑の中から、相手を見つめてしまいやすいからなんですね。これから抜け出すには、まず、自分に「共感」してあげる、が一番、有効なようです。辛いときには、辛かったね。悲しいときには、悲しいね。嬉しいときには、嬉しいね。素直な自分の感情を認めてあげる。それができないで、辛いときに、「なんでこんなことが辛いのっ!」と、自分を叱り飛ばしてしまうと、辛い上に、さらに叱られて、自分がますます、悲しくなっちゃいます。そうすると、自分に自信がなくなります。それで、ますます、他人に嫌われるのが怖くなり、前より以上に「妄想」をたくまし~く、育ててしまうようです。悪循環から抜け出すには、自分の素直な感情に「共感」してあげる。度合いによるけど、程度の軽い人ならすぐ、効果が出ます。ただ、人間関係にすでに疲れてるときには、時間が掛かりますね~。だけど、あきらめずに、じっくりとやってみてください。だんだんと効果が出てきますから。今日はしんみり、まとめてみました。今日も1日、ありがとう。
2004年03月03日
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昨日、何もしたくなくて寝たんだよね~、と書いたんですがね。で、今日、またひとつ気づきました。寝て過ごした。という「事実」の後にくる「感想と判断」について。ああ、ムズイ言葉っ!でも、これがぴったりなんだけど。でね、その「感想と判断」が、くせものだったんだっ!と、すんごく、注意するようになったのですよっ!だって、ここの部分、こんなにおもしろい!とは知らなかったんだもん。もっとも、おもしろい、になるまでに山があるんだけどね。で、とにかく、ここに気づかずに振りまわされてたんだっ!と気づいたわけです。なんにしろ、これに最初に気づくときは大ショック!だってね、たいてい、こんな自分はイヤだ!って、とこなんだもん。だから、必死で見ないよーに人生過ごしてきた部分でもあるわけ。もうもう、ちゅーわけで、そんなことを考えていた自分がいた、と、気づいたときはもう、とにかく、がっくりモードっ!うわー!自分!こんなにイヤなヤツだったンかっ!って、とこだからっ!いやー、でも、これ、気づけてよかった、は、わたしにとって、二重によかったわー。だって、この部分、お客さんに話すときに、きちんとワンクッション、とにもかくにも、きっちりと!意識してやんわり話せるようになったもん。こんなショックな話、クッションなくして、他人から聞きたくないわっ!て、マジ思う。そんでもって、伝えた後で、伝えた後でしかできない、そこから相手の元気を引っ張り出す!を、今まで以上に考えられるようになった!(これは最近のイイコトだあっっ!)そんぐらい、自分に気づくって、勇気も労力も必要っ。おっと、それでね、前振りが長いんですがっ。もったいない発想のびミョーな違い、のタイトルですがね。今回、寝て過ごした。という事実をあらためて振り返ったとき、次の感想がでてきました。「時間がもったいなかったな~。」その後、今までの自分、どうなってたか。落ちこんでましたあっっっ!なんで?それが、今回のお題なんです。「事実」の後にくる、「感想と判断」の部分です。それを今回、「翻訳」できたんですよ。今まで、できてなかった人間には、これ、なんだか、すごく新鮮な発見だったわけです。寝て過ごした。→もったいなかった。の貧乏発想をわかりやすくすると、節水した。→払うお金がもったいない。→うちは貧乏だから。が、近いかな、と。だから、なんで、もったいない、の後、落ちこんだか。寝て過ごした。→時間がもったなかった。→もっと、大切なことができたはずなのに。→時間をムダにした自分はだめなヤツ。と、0コンマ数秒の間に、もう、こうなってて、「ダメなヤツ」の結論が、「あっ!」という間もないくらい!すばやく出ていて、次の瞬間、もう「すでに」落ち込んでいる自分がいたわけです。「気づいたときには『すでに』」がミソかな。知らない間に落ちこんでいる。だから、あっ!という間の、その部分を引き伸ばして「翻訳」できた!と感じた今回は新鮮な感動を覚えたわけです。そーか!それで落ちこんでいたのか。ってね。で、今回は、それに気づいたおかげで、それって、もしかして、貧乏人発想じゃない?と感じたわけです。ということはさ。シアワセな金持ち的発想ってこうかな?と。節水した。→払うお金はあるよ。だけどさ~、資源のムダはしたくないよね。→環境を大切にできてよかったな。うわっ!やっぱり、違うよね。で、昨日の気づきを応用して、今回のことを考えてみたわけです。それが、「わたしが、わたしでいる、は、どういう状態だろう?」から考えたら?なわけ。寝て過ごした。→自分を大切にできて、よかったな。→おかげで、時間を大切にする、がわかったな。→時間を大切にできた方が、気持ちがよさそうだな。→時間を大切にできる自分が好きだな。自分も、時間も大切に使いたいな。→次の休みは、どういう状態の自分で過ごせたら、自分が気持ちいいかな。楽しいかなこれなら、落ちこまんわー!でね。今回、めちゃ、成長できたな、と思うのは、「どういう状態」の自分が、と発想できるようになったこと。今までは、「何をしたら」、楽しいかな。で、ついつい考えていたなあ、と。この差はめちゃでかい!と思うのよ。つっぱしりで、シアワセから離れる(ささやかな)成功も経験した自分としてはっ!でも、今日は、どんな(心の)状態でいられる自分が楽しいかな、と発想できたわけです。こりゃあ、進歩だなあ。大人になったなあ。赤飯かね。と、ほくそえんだのさっ。というわけで。今日も1日、ありがとう。
2004年03月02日
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金曜日に風邪をひいたらしく、帰ってきてそのままダウンし、月曜日の朝まで寝てました!まいったまいった。ところで、前回の日記。わかりにくいのを書いてごめんね!本はまだ出ませんっ!いつだったか、あと1歩!で出版かも!?ということがあったんだってば、というお話でした。だから、また出せたらいいな~。だったのです。本当に申し訳ない。しかし、今回、ちょいと気分が低空飛行になってね。風邪ひいて寝こんで、寝てたら、なんだかもう、がっくりモード。でも、そのおかげで、ようやく!「腑に落ちたモード」になったことがありましたっ!やったあー!今まで、言われつくされてきたことなんですよ。それが、ようやく「体感」されたんですよっ!今まで言われすぎてて、本当にわかった!とわかってなかった!の違いがわからなかった!なんのこっちゃ。じつは、寝こんだら、動けなくなった、というか、動きたくなくなったのでした。「これをしよう」と思うと、「したくない!」で、もう、ダメ。かつて、インナーチャイルド・ペインワークをやってたんで、すぐにピン!ときた。じつは、うち、こーんなことを言われ続けのおうちで育っちまってました。それは…。「あれをしなさい!」「これをしなきゃダメ!」に類する言葉の数々でございました。んで、それがトラウマくんで、なにかをするときは、常に「わたしが~をしたいから」ではなく、「これを、しなければならない!」で動くクセがついてたんですね。こーなるとね、自分のしたいことと、しなくちゃならないこと、の区別がつかないわけ。すると、どうなるっていうかってーとですね。成功しても、シアワセになれない人になっちまうわけです。なんしろ、「やりたくてやった」ことではなく、「やらなくてはならないこと」をしてますから。だいたい、「やりたい」はもともと自分のため。「やらなきゃいけない」は道徳のため、とか世間さまのため、とか、「自分じゃないもののため」にがんばっちゃってる状態です。つまり、この人にとっては、自分じゃないものに認められる!がいっちゃん大事なことなわけです。だから、ついつい、自分がしたいことじゃなく、世間的に立派かどうか、が一番大切になって、どっかで、「自分」から離れてってしまうわけ。ぐすんぐすん。おーい、わたし~!どこに行ったんぢゃーい!…という状態が、ながーく続いてたんでございますよ。まったく、「自分不在」で生きてきた、って気づくまで、随分とかかりました~。んでね、それに気づいたのはここ数年のお話でございまして。ちなみに、傷ついた心の部分というのは、大人になれず、だいたい3歳ぐらいのままで、心の中にお住まいになってられるようですね。今だに、がきんちょなんですな~。ほんでもって、「しなきゃいけない」と「したい」は違う、ということと、自分は長いこと、「しなきゃいけない」だけできたらしいぞ、とこの2点!に気づいたわけですよ。でも、まだ、先があったのでした。んで、がきんちょの自分がどう感じているか、と、がきんちょクン自身にしゃべらせるワークがあるんですがね、かつて、これについてどう思う?と聞いたら、もう、ポロくそでした。ふざけんじゃねー!バカヤロー!の嵐でございますよ。ひええーっ!驚きましたね。自分で。マジです。もう、がっくりきますよ。だから、なるほろ~と。こりゃあ、そう簡単に、こんなイヤんなっちゃう自分がいる、なんて認めたくないよな~と。だから、もう、見たくなくて、つっぱしってしまって、気づいたときには、世間様から見ての「成功」と引きかえに、シアワセくんよ、サヨウナラ、になるんだな、と。あ、それででしたね。今回のわたしが、何に気づいたか、というとですね。今まで、「しなきゃいけない」と言われ続けたおかげで、なにかをするとき、自動的に「しなきゃいけない」で行動するクセがついてしまっていた、と。つまり、なにかをしよう、と思った瞬間、頭の中は、0コンマ数秒で、「やろう」が、「やれ!」の命令形になってるわけです。それが、あまりにも自動的、かつ、瞬間に行われるため、今までは、それに気づかなかった、と。それで、がきんちょくんが「やらなきゃ」に傷ついていた、にようやく気づいた時点で、「やらなきゃ」はやめてあげよう。と思ったわけ。ところが!まったく、「両極端があるから、中庸がわかる」(どっかで読んだ。どこだかは忘れた!)とはよく言ったもんで。やめてあげよう。と思ったら、すべての行動をやめないと、気がスマナイ!ということが起こってしまったのでした。とにかく、何もしたくないわけです。「しようよ」というと、がきんちょがダダをこねるのがわかる。あんなに大変だった、こんなに大変だった、と訴えるわけです。だから、まあ、今は聞いてあげよう。と。だから、ただ、寝る。と。うん、わかった。それもまたあり。子供よ、寝ろ寝ろ~。とは言えど。しばらくすると、今度は、「しなきゃいけない」がまた顔を出して、やってない自分を見て、腹を立てる。今回、この悪循環モードがやってきたわけですよ。だけど、今回はそろそろ時期になったらしい。なんの時期かと言うと、両極端もそろそろお仕舞いにしない?が来たわけです。「しなきゃいけない」に突き動かされて、つっぱしる、は違う。だからと言って、何もしない、も、おもしろくない。じゃあ、どうしたいの?となったとき、ハタ!と気づいたわけです。ああっ!そうかーっっっ!の大発見!とは言えど、大発見は使い古されていて、しかも、いつも、自分がお客さんたちにも言っていることだった!それが数段階を経て、ツイにわたしのものになったのだぁぁぁっ!やれている人には、へっ!!そんなこと!?かもしれませんがっっ!「やりたいことをしよう。自分が楽しくて、シアワセになることをしよう」はあっていたけれど。ところがっ!「よしやろう」となった瞬間、わたしの頭の中では、瞬時にこう、翻訳されていたのでしたっ!「よし、やろう!(シアワセになるために)」じつは、「何かをやろう!」と考えるのと同時に、後ろの(シアワセになるために)が、「無意識に」おまけでくっついていたのだっ!悪いこと考えてませーん!だからこそ、気づかなかった!というより、もう、わかっているつもりだった!「よし、やろう。シアワセになるために」は、今の自分はシアワセではない。になってしまうのでした。そして、今までのトラウマくんの強力な協力により、シアワセでない=ダメな自分に瞬時にしてなっていたのでした。これ、本当に瞬間芸なので、今までまったく、わからなかったわけ。で、これを引き伸ばして、翻訳できた今回、もう、げごーん!(そのあと、めちゃ嬉しさがやってくるんだけどね)だから、「何かをしようよ」と思ったとたん、自分はダメだから何かをしなければならない。→しなければならないことは、もうしたくない。→だから、何もしたくない。とがきんちょクンは判断してしまったらしいのだ。ひえーっ!というわけで、使い古されているけど、これぞ真理!ってことに、ついに、ついにっ!本当に光が当たったわけです。「やったらシアワセになれるから、何かをするんじゃない。これが自分だ、と思うからやるんだ。これが自分だ、と思うことはする。だけど、自分じゃない、と思うことはしなくてもいいんだよ。自分が自分であることがシアワセなんだ」知ってることだった!わかりきっているはずだった!だけど、「腑に落ちる」「体感する」になるまで、どれだけ時間がかかったろう!でも、それでいーのだ!わかるまで、やり続ければいい、ってまたわかったもんね~。両極端の体験ばんざい!でございます!やっぱり、勉強してきて、よかったと思う~。それから、言葉を言い続けていれば、やがては現実になる、も本当だな、と思う。わかんないまでも、言い続けて、信じ続けてきたもんね。ちゅーか、わかってなかった、ってことすら、わかってなかったのね~、なんだけど。もう、大笑いよ。明日も1日、自分に聞きながら過ごしてみよう。これがわたし?わたしじゃないならやめよう。わたしなら、やろうよ!どーなるか楽しみだなっ!これがまた完全に自分のものになった!と体感できたとき。何が起るんだろう?今日も1日、ありがとう!
2004年03月01日
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