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韓国人は情的だとよく言われる。理屈より、情が先立つ。そのことを日記に書いておられるかたもたくさんいらっしゃるが、私も体験したことを書こう。2000年12月、次男のよしくんは未熟児で生まれた。未熟児は普通、保育器に入れられ、ある程度大きくなるまで入院する。そしてその入院費はとても高額で、入院が長引くほど高くなるので、助かる命も放棄してしまう親もいるくらいである。福祉の遅れた韓国では、未熟児の入院費も各自負担なのである。よしくんの場合は、8月20日の日記にも書いたように、2週間で強制退院(?)させられてしまったので、何百万、何千万かかったというわけではないが、それでもかなりの病院代がかかった。そんなある日、保健所から1本の電話がかかってきた。何でも、低所得の家庭に未熟児が生まれた場合、国から援助があると言うのだ。その審査のための電話だった。夫の職業や所得、家、自家用車のことについて聞かれたあと、保健所の担当者のおばさんはこう言った。「低所得の家庭のための支援ですので、お宅の場合、難しいと思います。が、あなたが外国人ですので、一応、ご主人ともお話してみます。」そこで、はんらは夫、ノギさんの会社の電話番号を教えた。その日の夜、ノギさんが帰ってきて、いやあ、おもしろいことがあった、と話してくれた。何でも、その保健所の担当者から電話をもらったのだが、お互いに聞いたことのある声だと思っていろいろ話しているうちに、知り合いであることが発覚したらしい。ノギさんは昔、アルバイトで家庭教師をしていたことがあるが、その時教えていた子どものお母さんが、その担当者だったと言うのだ。そのあとはもう、「オモ~! ノギ先生!」「アイゴ~!○○オンマ(お母さん)!」ということで、昔話に花が咲き、審査の話など、どこかへ行ってしまったらしい。そして、電話が切れる時、担当者のおばさんは力強く言ってくれたそうだ。「先生、私にまっかせなっさぁ~い!」そして、本当に、はんら家には、よしくんの入院費全額が支給されちゃったのだった!我が家より生活が大変でも、援助を受けられなかった家庭もあるのかな~、と思うと、ちょっぴり申し訳ない気もするが、はんらたちが頼み込んだわけでもない・・・日本で公務員(?)が、こんな公私混同なことをしたら、大問題であるが、韓国ではあり得ちゃうことなのだろう。韓国国民たちが納めた血税は、こうしてはんら家に支給されたのである。^^
2004/08/31
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コーちゃんが、賞状をもらってきた。「夏休み 自由研究 優秀賞」という賞状である。日本の小学校はどうなのか知らないが、韓国の小学校では、やけにいろいろな賞状をくれる。実態を知らないと、「うちの子は天才か?!」と誤解してしまうが、本当は、クラスの半分くらいは、毎回賞状をもらっているのである。今回も「夏休み 日記 優秀賞」「絵 優秀賞」「工作 優秀賞」「自由研究 優秀賞」、それぞれ4人ずつもらったというから、やはりクラスの半分近くがもらった計算になる。それでも、やはり賞状をもらうのは、親子ともに嬉しい。どんな自由研究をしたのかと言うと、それはもう、コーちゃんお得意の地図関係である。夏休みの家族旅行をもとに、その地の交通機関、遺跡、特徴などをまとめた。こういうのは、コーちゃんお得意なので、ほおっておいても、ちゃんとしたものを作れる。特に、その地にはどんな道路があり、どんな鉄道が走り、というのは、何も見なくても書けちゃうくらい。コーちゃんには、苦手な分野もたくさんあるが、こういうふうに、得意な分野をちゃんと認めてもらえるのは、とても嬉しいこと。いつか、コーちゃんが「旅シリーズ」なんかを編集・発行した暁には、皆さん、買って下さいね!(親ばか~~~)
2004/08/30
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きのうの日記にもあるが、韓国の野菜の価格は高騰している。韓国の値上がりは、その民族性が反映してか、激しい。突然、1週間前の2倍にはねあがったりする。ところで、はんらが韓国に来た16年前、韓国の物価はとても安く、暮らしやすい国だった。千ウォン札1枚で何でも買えた。りんごも梨も、ざるに山盛りで千ウォンだった。でも、そのとき異常に高価な果物があった。その名は、バナナ。当時、市場に行くと、バナナは1房ずつではなくて、1本ずつ、台の上に並べられていた。その1本が千ウォンくらいしていた。当時の物価では、チョー高価な果物だったのだ。当時、ソウル郊外でお勤めしていたノギさんと、時々ソウルでデートした。ノギさんが、はんらにロマンチックにささやいた。「バナナはいかが?」あの頃は、アベックでバナナを食べながらソウルの街を歩くのが、とてもお洒落なデートだったのだろう。恋人へのプレゼントとして、バナナはふさわしいものだったのだろう。でも、はんらはちょっぴり悲しかった。日本で激安のバナナより、りんごとか梨が食べたいな~、と思った。また当時は、学生運動が盛んだった。突然、あちこちで学生たちと機動隊の衝突があり、火炎ビンが投げられ、催涙ガスが発射された。ある時、はんらとノギさんは、レストランでデートしていた。と、突然、はんらの鼻がムズムズしてきた。ノギさんの前で鼻なんかかんじゃいけないっ!とはんらは耐えた。しかし、鼻水は無情にもはんらの鼻の穴から「こんにちは」した。そのうち、涙も出てきた。ノギさんが「ガスだ!」と叫んで立ち上がった。それからは、2人で、涙と鼻水とよだれでグチャグチャになった顔で逃げ惑った。地下鉄もバスも止まってしまい、道路では火炎ビンや新聞紙が燃え盛り、まるで映画の中にいるようだった。恐かった、というより、何が起きたか、頭の中で理解できなくて、何も考えられなかったような気がする。あれから16年。今じゃ、催涙ガスを体験することもなくなった。でも、物価の高騰には、閉口している。住みやすくなったのか、住みにくくなったのか・・・
2004/08/28
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はんら一家は、週末農園をやっている。夫、ノギさんの会社の近くに、ほったらかしになっている会社の土地があるのだ。ここ、天安市の近くは、「行政首都」が移転してくるとかなんとか言って、数年前から地価が急上昇した。その時に、会社が買い占めて、そのままになっている土地だ。最初は、子どもたちの自然学習にもなるし、無農薬の野菜が食べられるし、まあ、ちょっと植えてみよう、というかんじで気軽に始めたのだが、元農家出身のノギさんの血が熱く騒ぎ出し、今では100坪くらいある土地の大部分が耕された。これまで植えたのは、きゅうり、とうがらし、かぼちゃ、ズッキーニ、にら、とうもろこし、ほうれん草、ブロッコリー、トマト、トラジ、サンチュ、ナス、落花生、サツマイモ、ジャガイモ、などなどなど・・・結果は、予選1回選 敗退が、ブロッコリーとほうれん草。銅メダルはトマト。銀メダルはジャガイモ。そして、栄光の金メダルは「きゅうり」!今年の暑い夏、毎日新鮮なきゅうりを3~4本ずつ食べられたのは、とても幸せだった。ジャガイモ掘りも楽しかったし・・・はんら一家は、ほとんど毎週日曜日の午後、この畑に行っている。春は楽しい週末農園も、真夏になると、大変になった。炎天下、そして、雑草の生い茂るのの早いこと!はんらとコーちゃんは、「あ~れ~。よしくんが蚊に刺されてたいへ~ん!」とか何とか言って、よくエアコンのきいた車の中で休んでいた。ノギさんは、燃えまくって、ひとりで何時間も雑草を抜き、世話をしていた。何でも話を聞くと、平日でも会社で時間ができると、畑に行って、農作業をしているらしい。半分、兼業農家のようである。そんなことしてて、会社を首にならないか,ノギさん!?ちょっと前に大根を植え、もうしばらくしたら、白菜も植えるそうだ。元農家出身の血は熱くたぎっている。毎日農作業をして汗を流しているためか、最近ノギさんのズボンのベルトの穴がひとつ移動して、ズボンもゆるくなってきた。収穫物を料理し、食べるのが専門のはんらとコーちゃんは、ドスコイ体型を維持したままだ。
2004/08/27
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先週のことである。帰宅中の夫、ノギさんから電話があった。「事故にあった」はんらは動転した。ノギさんの身に何かあったら、はんらと子どもたちはどうなる?!?でもよく聞いてみると、信号待ちしているところに、後ろから軽く追突されただけとのこと。「全然大丈夫だけど、あとでムチウチとかの症状がでたらいけないから、一応、病院に行って来る。病院費は保険で出るそうだから」と言って、そのまま病院に行き、レントゲン写真とか撮ってきた。全く、異常なしだったらしく、はんらはホッとした。勿論、車の修理代も保険から下りた。修理と言っても、後のライトの片方が割れただけだったけど。そして、きのうノギさんが「保険会社から見舞金で50万ウォン(5万円弱)もらっちゃった。」と言うのである。軽い事故で、怪我もなく、病院費と修理代も出たのに、さらに50万ウォンもらったというのである。どうして~~~?ノギさんが言うには、全然怪我してなくても保険金をもらおうと、あそこが痛い、ここが痛いと言いながら、何ヶ月も入院して莫大な保険金を要求する、つわもの、いや もとい、悪者がいるそうだ。だから、そんなことしないで、この50万で満足して、これ以上要求しないでね、という意味のお金なんだそうだ。世間知らずのはんらはよく知らないが、日本でもそんなこと、あるんだろうか?それとも、そんな悪い人は、日本にはいない?根が真面目なノギさんは、保険金絞り取るなんて悪いこと、決してしない人だが、あんな軽い事故で病院に駆け込んだのを見て、保険会社では「やばい人!?」と思ったのかもしれない。何はともあれ、儲かっちゃった。
2004/08/26
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おとといの日記に書いた映画会が、きのうの夜、開かれた。砂糖菓子作りの実演、水力ロケットの工作、ロケット飛ばし、卵の美術品作り(イースターの卵みたいなの)など、いろんなイベントも行われた。マンション敷地内のテニスコートで、夜7時半から映画が上映された。2面あるテニスコートが、子どもとその親たちで埋まった。4、5百人くらいは集まったかな~。垂れ幕には「天空の城 ラピュタ 上映」とデカデカと書かれているのに、始まったのは「ファインディング・ニモ」だった。でもみんな平気な顔をして見ている。何の断りもなく、勝手に上映作品が変わり、誰も何も言わないところが、とても韓国的・・・そして、終わったあとには、お菓子の袋などのゴミがいっぱい散らかったままだったのも、とても韓国的だった。
2004/08/25
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きょうは、コーちゃんの小学校の2学期の始業式。やっと、学校が始まり、はんらはホッ!7月19日から始まった長~い夏休みがやっと終わった!!この夏休みの時期は、地域によって少しずつ違い、もっと遅く始まるところも多いようだ。韓国の学校は、2学期制である。新学期は、3月。韓国では、まだまだ寒い時期なので、桜の木の下で写真、というわけにはいかない。親子ともども、入学式にはジャンパーを着ての参加である。夏休みが終わると、2学期が始まり、2月までが2学期である。2学期の途中に、冬休みがあるが、韓国ではこの冬休みも長い。去年、コーちゃんの学校では、12月29日に冬休みが始まり、年明けて2月7日までが休みだった。夏休み約40日に、冬休み約40日だ。さらに、2月はヘンな月で、1週間だけ登校して、また春休みが始まる。この1週間、学校では授業もなく、復習したり、ビデオ見たりして時間をつぶしているらしい。ヘ~ンなの。でも、授業時間数が決まっているので、仕方ないらしい。韓国の夏休みは、日本のように、ラジオ体操もなければ、プールもない。一日中、家にいられると、不快指数が増してしまう。強烈な学歴社会である韓国では、小学生でも夏休み、朝の9時頃から塾に向かうバスに乗る子が多いのだけれど・・・
2004/08/24
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はんらが住んでいるところは、近くに市場がない。でも、毎週月曜日、マンションの敷地内に市場が立ち並ぶ。魚、果物、野菜などの食べ物から、服、靴、生活用品、花まで、20くらいの市場が並ぶ。とりあえず必要なものは、全部買える。これは結構便利である。月曜日買い損ねても、火曜日には、向かいのマンションに「火曜市場」が、土曜日には、隣のマンションに「土曜市場」が立つ。木曜日には、「農作物直売市場」といって、農民たちが直接、取りたての新鮮な野菜や果物を持ってきて売る。はんらマンションの婦人会は、1日1軒あたり2万ウォンの場所代を取っている。住民は便利だし、商人は千世帯もの大団地で市場を開けるし、マンションの婦人会は儲かる。1石3鳥だ(?!)。マンション婦人会の会計報告を見ると、月曜市場からの収入が1ヶ月に150万ウォンにもなっている。このお金で、婦人会は盆や正月に住民にプレゼントをしたり、時々いろんなイベントを開く。老人会に差し入れしたり、婦人会で山登りしたり、子どもたちのなんとか教室を開いたり・・・去年は、ローカルテレビ局が来て、のど自慢もあった。あしたは、野外映画会をするらしい。上映映画は「天空の城 ラピュタ」!晴れるといいな。^^
2004/08/23
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今はマンションに住むはんらだが、以前は住宅地に住んでいた。そこには、いろんな物売りがやってきた。ある時、はんらは、変な物売りの声を聞いた。「出っ歯~! 出っ歯~!!」ん?出っ歯を売っている?!?好奇心を押さえられなかったはんらは、走って表に出てみた。そこには、「長ねぎ」をトラックに積んだおじさんが立っていた。「長ねぎ」のことを韓国語で「デーッパ」と言うのである。こういうのは、他にもたくさんある。「夏季 オリンピック」は韓国語で「ハゲ オリンピック」になる。「ゴッドファーザー」は「デーブ」「音痴」は「うんち」である。母親の姉妹、すなわち「おばさん」は「イモ」、その夫、すなわち「おじさん」は「イモブー」である。「脱ぐ?」と聞かれて驚いてはいけない。「誰?」と聞かれたのである。「カバ!」と言われて傷ついてはいけない。「行ってみな!」と言われたのである。「ウソ!」と言われて眉をひそめてはいけない。「笑って!」と言われたのである。「あらよっ!」と言ってても「出前一丁」ではない。「知ってます!」ということだ。「クルッタッカ」、狂ってはいけない。「茶碗拭きなさい」である。韓国語の「サバ」は「買ってみな」、「タマ」は「(器などに)盛りなさい」、「さわった」は「買ってきた」、「おっ、いぼ」は「「服着なさい」、「小熊」は「さつまいも」、「モジャ」は「帽子」、「モッコリ」は「ネックレス」、「うん ばっちぃ」は「アルミホイル」!韓国旅行にいらっしゃる皆さん、これで韓国語はバッチリ?!注 : アクセントが違うと通じないかも~。(無責任)
2004/08/21
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長男のコーちゃんは、生まれた時からデカかった。3,530グラムで生まれた。しかし、すぐに黄疸が出て、保育器の中に入ることになった。韓国の病院では、新生児を見る時間が決まっていて、その時間になると新生児室のカーテンが開けられ、親や親戚たちがドッとやってきて、赤ちゃんを見る。赤ちゃんたちはおくるみにくるまれて、スヤスヤ眠っている。そのうしろの方に、保育器が見える。「なんだ~! あのデカいのは!?」保育器には、未熟児で生まれたような小さな赤ちゃんばかりが入ってるのに、コーちゃんは2倍の大きさである。保育器には裸で入れられているので、コーちゃんは手足をバタバタさせて、というか、ドスンドスンさせて、大暴れしていた。その時は、7年後、コーちゃんの弟が未熟児で生まれようとは、夢にも思っていなかった。ともあれ、早期破水によって、よしくんは妊娠31週で生まれてしまった。体重は・・・1,990グラム!「なんでこんなにデカいんだ?!」と、医者は首をかしげていた。31週だと、普通は1,600~1,700グラムくらいしかないそうだ。栄養取り過ぎていたか、はんら!?でも、少しでも大きくて良かった。よしくんを残して、はんらだけまず退院。心は痛かったけど、いいこともあった。はんらは、文字どおり「食っちゃ寝」生活である。授乳もおしめ替えもない。夜泣きに悩まされることもない。コーちゃんのときと比べて、体の回復がとても早かった。みんなが、「孝行息子を産んだね」と慰めてくれた。さて、私たちは、よしくんは 2,500グラムくらいになったら退院してくるものとばかり思っていた。生まれて13日め、病院から電話があった。「明日、赤ちゃんを退院させてください」えぇぇぇ~?もう?!?一体、何キロになったの~?!?「1,940グラムです」げげげっ。生まれた時より小さくなってるやんか。そんなの、育てられな~い!はんらは、電話口できっぱり言った。「もう少し、病院で育てて下さい。」でも、きっぱりと拒絶されてしまった。なんでも、院内感染が心配だから、病院に置いておくより、肺呼吸ができるようなら家に連れてかえったほうがいいとのこと。他の国で未熟児を産んだことがないのでよくわからないが、日本ではもう少し大きくなるまで、病院にいるんではないだろうか。よしくんを抱っこしようとした。頭なんて、はんらのこぶし(並みの大きさだよ~)くらいしかない。よしくんの息遣いが急に「ハッハッ」と早くなった。看護婦さんが言った。「あら、泣いてますね~。」え? これで泣いてるのぉ~?泣き声も出ないなんて~~~~~こんなの、本当に、はんらに育てられるんだろうかっ?!そんなよしくんだったが、何とかちゃんと育っている。でも、我が家で唯一、スリムである。同じ食生活をしていても、太れない。はんらとコーちゃんが並んでいれば、きっとみんなこう思ってるに違いない。「あんなに親子で太って。あのお宅、食生活を見直さないといけないんじゃ?」はんらとよしくんが並んでいれば、きっとみんなこう思っているんだろう。「お母さんが子どもの分まで食べちゃってるんじゃ? あんなに痩せてかわいそうに・・・」
2004/08/20
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第1王子・コーちゃんは、1993年11月に生まれた。はんらは、もともと子どもとか赤ちゃんが苦手だったのだが、自分の子どもがあまりにもかわいくて、驚いた。コーちゃんの顔を見ていると、嬉しくて、楽しくて、誇らしかった。コーちゃんは、成長も早かった。9ヶ月と10日で歩きはじめた。はんらは、もしかして天才児を産んでしまったのでは?!なんて思っていた。ところが、コーちゃんは、2歳になっても話さなかった。さすがに心配になって、あちこち相談して回った。そして、2歳10ヶ月から韓国で、大学付属の「言語クリニック」という療育機関に通って、言葉の特殊教育を受けることになった。韓国では、情報もなく、特殊教育も日本よりず~っと遅れているかんじだった。当時は、インターネットも普及していなかったので、日本から情報を得ることも難しかった。でも、コーちゃんは、相変わらずはんらにとって、かわいくて、楽しくて、誇らしい存在だった。言語クリニックには、想像していたよりずっと長く通うことになった。6年半、高いお金を払って、多くの時間をかけて、親子で往復2時間半の言語クリニックに通い続けた。最近になって、ようやく、インターネットでいろいろ調べて「LD」という学習障害だったのかなあ、と思っている。今、小学4年生。成績は悪いけど、普通小学校でそれなりにやってるコーちゃん。今でも「聞く、話す」のが苦手だが、友達に混じって毎日頑張っているコーちゃんを、あたたかく長~い目で見守っていきたい。
2004/08/19
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はんらの家の玄関は、他のお宅とちょっと違っているかもしれない。というのは、ノギさんの足が、成人男性にしては小さくて、24センチの靴を履いているのだ。これは、靴屋に行っても、店員さんに奥から出してきてもらわねばならないこともあるくらいだ。そして、はんらの足のサイズも24センチ。16年前、韓国にはこのサイズの女性の靴なんて、売っていなかった。韓国人女性の足が小さかったのか?!今では、24センチまでならたいていどこの店にも置いてあるようになり、嬉しい。さらに、10歳の長男コーちゃんの足のサイズも24センチになったのだ!我が家の玄関には、24センチのおじさん靴とパンプスと運動靴が並んでいる。夏になると、24センチのサンダルがズラズラと並ぶことになる。来年には、25センチの運動靴が仲間入りするんだろうか?!
2004/08/18
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きのうの日記に、ソウルに列車に乗って行ってきた話を書いた。実は、2、3ヶ月に1度くらいはこうして、子ども連れで鉄道の旅をしている。去年の夏はんらは、コーちゃんと、当時2歳半のよしくんを連れて、長項線というローカル線に1時間半乗って、大川(デッチョン)海水浴場まで行き、海水浴をしてきた。折り畳みベビーカーと着替えの入ったカバンを持って・・・西海は、引き潮・満ち潮があって、どんどん砂浜が小さくなって、びっくりした。日帰りの旅だったけど、楽しかったな。今年の冬は、全羅道の全州まで、全羅線に1時間20分ほど乗って、有名な「全州ビビンバ」を食べに行ってきた。大田とか、近いところはよく行く。ノギさんは、勿論、飲み食い遊ぶお金を稼ぎに出勤である。^^でも、鉄道オタクのコーちゃんは、本当は、木浦(モッポ)とか麗水(ヨス)とか釜山(プサン)とか、ず~っと遠くまで列車に乗って行きたいのだ。麗水まで、天安からムグンファ号で約4時間半・・・それは、はんらにはちょっとムリそう。大きくなったら、アルバイトして、友達とでも行ってちょうだい。
2004/08/17
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8月14日(土)、はんらはコーちゃんとよしくんを連れて、上京した。はんらが「上京」と言うと、東京ではなくてソウルのことだ。なぜ上京したのか?何にも用事はなかった。鉄道オタクのコーちゃんのため、はんらは時々、列車に乗ってどこかへ行く。今回の目的も「列車に乗る」ことと「ソウル駅を見る」ことが、一番の目的だった。今回は、ムグンファ号で。韓国は、今年4月にKTXという高速鉄道が開通した。たいそう話題になったが、今の現状は、KTXは乗車率50%くらいでいつもガラガラ、ムグンファ号という普通列車は、乗車率100%越えてて、予約無しではほとんど座れない。天安からソウルまで、ムグンファ号で1時間10分、4,900ウォン、KTXで34分、11,400ウォン。やはり一般庶民には、時間短縮よりも安価のほうがありがたいかも。さすがに「ソウルに行ってきた」と言って、どこにも行かないのも変なので、コエックスに行った。水族館とキムチ博物館を見学。とにかくすごい人だった。そのあとで、「龍山(ヨンサン)駅」と「清涼里(チョンリャンリ)駅」へ。龍山駅も、清涼里駅も、地方線の列車の始発駅である。写真を撮ったり、列車の発着・到着を見たり、行き交う人を眺めたり・・・普通の人とはちょっと違う、鉄道オタク、コーちゃんのソウルの旅はこんなふうに終わった。ノギさんは?って??私たちの飲み食い遊ぶお金を稼ぎに、会社に出勤していたのさ。^^
2004/08/16
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さて、我が家には夫のノギさん以外に、2人の男がいる。第一王子(通称 コーちゃん)と第二王子(通称 よしくん)である。韓国の年寄りたちは、占いが好きである。出産の時も、義母がさんざん、この日に産まれたらいいとか悪いとか言っていた。それで名前も、もめないように、お金を払って観てもらってつけた。韓国式に。韓国では、漢字名をつけることが多い。特に観てもらうと、字画で決めるので、漢字名になる。2重国籍にしようと、日本の領事館にも届け出て、日本のパスポートも作った。漢字をそのまま日本語読みすると「コウテイ」だった。このままでいいんじゃな~い?と、はんらとノギさんは、イージーに決めた。コーちゃんを連れて、日本に里帰りした。近所の公園で遊ばせていると、同じ赤ちゃん連れのお母さんがニコニコと声をかけてきた。「お子さんのお名前は?」「コーちゃんです。」「コー・・・? コー何ちゃんかしら?」とさらに聞いてきた。「コウテイです。」その途端、そのお母さんの顔がオドロキに引きつった。「こっこっこ・・・皇帝くんっ!?! すごいお名前ね!?」はんらはとんでもない名前を長男につけていたようである。「子どもに「皇帝」なんて名前つけるなんて、親ばかにもほどがある」なんて思われたかも。それ以来、日本で「お名前は?」と聞かれると「ただのコウ、です」と答えるようにしている。先日、「はんら」と打って、なにげなくスペースキーを押してしまったら、「半裸」と変換されて、驚いてしまった。どひゃ~~~もしかしたら「はんらの日記」というのを見て「ヤらしい日記なのかも?^^」と期待して訪問して下さった殿方もいらっしゃったのかも。ガッカリさせてしまったのかもしれない。また、ニックネームを安易につけすぎてしまったか?!まあ、いいふうに考えておこう。「ぜんら」にしなくてよかったではないか?!「はんら」さんって、セクシーなマダムなのかも?と誤解して下さってる方もいらっしゃるかもしれない。
2004/08/13
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韓国に住んでいると、よく「淋しいでしょ?」「日本に帰りたいでしょ?」と聞かれる。「そうですね。」と答えてはいるが、本音を言うと別にそうでもない。これは、韓国での生活が長くなったためと、ここで新しい家族ができたためだと思う。日本の両親、妹たちは、勿論、すごく大切な存在だ。そして、今、ここにいる私の家族たちも、すごくすごく大切な存在である。はんらの旦那さん、ノギさんを紹介しよう。「ノギ」というのは、旦那さんの小さい頃のニックネームだ。今でも田舎に行くと幼なじみで、「ノギ オッパ」(ノギ お兄ちゃん、という意味)と呼ぶ人もいる。末っ子のノギさんは、お母さんから今でも「ノギちゃん」(韓国語で「ノガ~」)と呼ばれている。^^このノギさん、ちょっと韓国人っぽくないところがある。せっかちでないのだ。ドライブに行くと、最初から最後まで、追い越されっぱなしである。横や後の座席にいる私たちが、イライラしてくるほどだ。子どもたちに対しても、大きな声をあげたことがない。穏やかな人である。今、日本語の勉強中で、今年「日本語能力試験」の1級を受けようと、老体?に鞭打って、毎日猛勉強している。はんらが子どもたちを叱っている。ぜ~んぜん聞いてない息子たち。爆発しそうなはんら!そこへ、ノギさんやってきて一言、「ウマ ノ ミミ ニ ネンブツ デスネ~」この一言で冷静になるはんら。ノギさん、ありがとう。^^
2004/08/12
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はんらは、16年前に韓国に渡ってきた。当時はまだ、日本でも韓国でも、PCはそれほど普及していなかった。企業などでは使われていただろうが、会社員でなかったはんらは、コンピューターというものを、間近で見たこともなかった。月日は流れた。何時の間にか、パソコンが普及しだしてきていた。はんらの主人が中古のパソコンを手に入れ、パソコンの本を買ってきて、独学でパソコンをいじり始めた。韓国語の画面・・・韓国語の本・・・はんらはとても、勉強する気になれなかった。韓国で、コンピューターができない人のことを、文盲をもじって「コン盲」(コンメン)と呼ぶのが流行った。はんらは、生涯「コン盲」で生きていこう、そう密かに思っていた。しかしながら、外国生活、PCが使えるのと使えないのとでは、天地の違いである。日本の家族や友達と電子メールで連絡ができる。すっかりうらしま状態の日本の最新ニュースがいつでも知れる。日本語教師・通訳・翻訳など、ちょっとアルバイトしようにも、パソコンが使えない人は今やもう、使ってもらえなさそう。知人・友人の助けを借りて、ほんのすこぉぉぉ~し、パソコンが使えるようになってきた。さらに、ここはIT王国韓国、あちこちの町役場、福祉会館、パソコン教室で、「住民情報化教育」という名目で、地域住民を集めて無料のパソコン教室を開いている。なんと、はんらの住むマンションの隣のパソコン教室(徒歩2分)でも、無料教室をやるとのこと。無料なら、韓国語が聞き取れようが聞き取れまいが、一応、行ってみるだけのことはある。ということで、はんらは決意した。先先月は文書作成、先月はエクセル、今月はウインドウ、と、今3ヶ月目、パソコン教室に通っている。最初は韓国語での授業についていけないんでは?と心配だったが、韓国の中年主婦の大部分は、社会生活をほとんどしてきていない人ばかり。理解力は、外国人のはんらといい勝負かもしれない。きょう、隣に座ったかなり年配のおばさんは「ダブルクリック」ができなくて苦労していた。指が早く動かなくて、ダブルクリックにならないのだ!若い先生にすっかり呆れられながら、「コン盲 脱出」を夢見るおばさんたち・・・はんらのHPに来て下さって「なんだなんだなんだ、この殺風景なHPは?!」と思った方も多いかもしれないが、こういうわけで、はんらは今まだ「コン盲 脱出」の途上にいるのである。1年後くらいには、ここももっと充実したHPに発展してるかもしれないので、お楽しみに!あたたかい目で見守っていて下さい。
2004/08/11
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韓国あちこちを移り住んできて、今現在住んでいるのは、忠清南道の天安市というところである。ここは何で有名か?くるみ菓子(ホドゥ カジャ)と独立記念館である!1919年3月1日、太極旗を手に「大韓 独立 万歳!」を叫び、全国に独立運動を広めたという、かの 柳 寛順 烈士の出身地が、ここ天安郊外なのである。独立記念館は、韓国人はたくさん訪れる。でも、日本人観光客はほとんどいない。私は、何かの因縁があるのか、これまでに3、4度行ったことがある。「日帝侵略」展示館なんかもあり、日本人が訪れて気持ちのいいところではない。独立運動家が日本警察から拷問を受けているシーンの生々しい蝋人形なんかもあって、ちょっと日本語を使えるような雰囲気ではないので、友達と行った時も、みんな無言だった。さて、天安市の隣には、牙山市がある。ここに行くと、顕忠祠という、李 舜臣 将軍を祭った祠堂がある。亀甲船(コブク船)を作って、豊臣秀吉の軍と戦ったという、かの 李 舜臣 将軍の出身地が、この牙山なのである。柳 寛順 烈士は、韓国のジャンヌ・ダルクと言われ、今でも多くの人からその愛国心を褒め称えられており、李 舜臣 将軍は、韓国人に「あなたの尊敬する人物は?」という質問をすれば、ハングルを作った世宗大王と並んで1、2位に必ず選ばれる人物である。私たちは、知らないうちに愛国者を生んだ町に引っ越してきていた。うちの息子たちも、人を愛し、国を愛し、世界を愛する、立派な人間に育って欲しいものである。
2004/08/10
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先回書いたように、はんらは主人の仕事の転勤に伴って、韓国国内をあちこち引越して来た。今から約10年前は、1年8ヶ月間、慶州に住んでいた。あの観光都市の慶州である。町並みも情緒あふれていて、引っ越して行く時は、期待に胸をふくらませていた。でも、郊外を除いて町中は、厳しい新築・改築の規制があることを知らなかった。新築の許可はまず下りない。改築の時も、平屋建てで屋根は昔の物をそのまま乗せないといけない、など厳しい条件があるようだった。郊外のマンションは高かったので、慶州の中心街に近いところに、部屋を借りた。住んでみると、いろいろ不便なことが多いことに気付いた。改築の規制があるので、家はものすごく古くて、玄関もちゃんと閉まらない。天井裏はねずみがドタバタ走り回っている。隣の家との間には壁ひとつしかなくて、咳払いまで聞こえて来る。家までの小道(コルモッキル)は、自動車が入れるか入れないか、というくらい細くてクネクネしている。その小道の両端は、石を積んだ、でこぼこの塀が連なっている。天井裏のねずみが電線をかじって、電気のスイッチを入れた途端、天井が火を吹いたこともあった。それでも、近くには古墳のある広々とした芝生の広場があちこちにあった。毎日、1歳くらいだった長男をベビーカーに乗せて、おにぎりと敷き物を持って芝生に出かけた。2人で、ゴロゴロしたり、芝生の上の小さな昆虫を見たりして過ごした。同じような親子連れが周りにもたくさんいて、すぐ知り合いも増えた。今、自然とふれあう機会のすごく少ないマンション育ちの次男を見ていると、毎日芝生や木や昆虫の中で過ごしていた長男の幼少期は、とても幸せなものだったのかもしれないと思えて来る。
2004/08/09
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韓国は引越しが多い。私もこれまで幾度となく引越しを繰り返してきた。主人の会社も人事異動の多い会社で、私は主人について、あちこちを移り住んできた。(ちょっと大袈裟^^)新婚時代、住んでいたのは韓国第4の大都市、人口250万のテグ市である。ここは、親戚も多く、合計すると12年半くらい住んだ計算になる。テグ市で有名なのは教科書的には「繊維工業」と「りんご」であるが、一般的には「暑さ」と「美人」で有名である。盆地なので、韓国で一番暑い。天気予報など見ると、ソウルなどとはいつも3~5度くらいの差がある。なぜ美人が多いかと言うと、テグの人いわく「りんごをたくさん食べるから」まさか~?でも、歴代ミス・コリアはテグ出身の人が多いらしい。3~4年前のミス・コリアも、私が日本語を教えていたことのあるテグ市内の高校の卒業生だった。さて、このテグ市、不名誉なことで、世界的にも有名になってしまった。あの「地下鉄火災」である。あの時も、私はテグ市に住んでいた。翌日は、友人とあの事故現場の中央路駅の近くで会うことになっていた。私の家は地下鉄沿線上になかったため、あまり地下鉄を利用する機会はなかったが、あの事故の1~2本前だとか、1~2本後だかの地下鉄に乗り合わせていたという知り合いは、何人もいた。後で知って、恐ろしさに震えた。翌日、予定通り、事故現場の近くで友人たちと会った。数日後、引っ越す予定だった私の送別会だったので、日にちを延期できなかったのだ。事故現場一帯、もう何ともいえないすごい臭いがたちこめていた。臨時休業の店もたくさんあり、たくさんの軍人たちが、地下鉄の入り口を警護していた。みんなの表情はとても硬かった。実は、1995年の春にも、当時建設中だったテグ地下鉄で大爆発が起きている。あの時は、ちょうど通学時間で、通学中の学生をたくさん乗せたバスが爆発の巻き添えとなった。中・高生を中心に、100人以上の尊い命が奪われた。「オッチョグニ オンヌン」とは韓国語で「呆れ果ててしまう」「とんでもない」を強調したような意味である。テグでは特にこの「オッチョグニ オンヌン」事故が多かった。長く住み、親しんだ街だったが、「オッチョグニ オンヌン」事故の多発だけは、本当に許せない思いだった。
2004/08/07
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はんらのプロフィールを書き入れながら、考えた。私の特技&趣味?なんだろ~。ソファの隣には、今整理中の子供たちのアルバムが置いてある。そうそう、私はこの作業が大好きだっけ。10歳の長男のアルバムは、今13冊め。3歳の次男のアルバムは、もうすぐ6冊め。デジカメやビデオではなく、ひたすら昔ながらのカメラで撮り続けている私。夏休みは、あちこち出かける機会が多いので、あっというまにアルバム1冊うまってしまう。はんらのダーリンは、膨大な量のアルバムを見ながら「これ、後でどうするつもりなんだー?!」と言うが、「安くつく趣味で良かったでしょ?」
2004/08/06
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「はんら」っていうのは、私が今、韓国で住んでいるマンションの名前です。「はんらマンション」だけで、20階~24階建ての棟が8棟あり、全部で千世帯を越えています。道を隔てて北側には、これまた現代グループの建てた「現代マンション」が千世帯。道を隔てて西側には、庶民向きの小さ目のマンションが、何と4千世帯です。北西側には、新しく1600世帯のマンションが建ち、東側には、これから二千世帯のマンションが建てられる予定で、工事がはじまろうとしています。これは、韓国の都市部では普通の姿。大都市に行けば、四方八方マンション、という環境に住んでいる人が大半です。マンションのほうが、手ごろな価格で購入でき、生活が便利、という理由は日本と同じかもしれませんが、韓国ではそれに加えて、マンションの価格がほとんど下がらない、ということが大きな魅力のようです。これだけ人口が集中しているため、私の家から歩いて10分以内に小学校が4校もあり、さらに1校建設中です。それぞれ、1学年に6~10クラスもあるマンモス校です。ピアノ塾は歩いて10分以内に10軒くらい、男の子に人気のテコンドー教室も5~6軒はあるようです。さすがに、過剰供給で買い手の着かないマンションが増えてきたそうですが、各建設会社は、せっせとマンションを建て続けています。これからの韓国のマンションはどうなっていくのでしょう。
2004/08/05
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