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きのうは、「第5回 はんらマンション 住民 大和合祭り」が開かれた。毎年 秋に開催されている。婦人会のバザー(主に屋台)と、夜には のど自慢大会がある。旧盆を前に、民族大移動がはじまった この忙しい時期になぜ?とは思ったが、実はこの のど自慢、ケーブルテレビの天安放送で放送されるのである。その 放送日の関係で、こんな時期に重なってしまったんだそうだ。やはり、去年より 人出は少なかったようである。が、リンボーゲームや 飛び入りでのダンスなどを交えて、楽しい時間となった。のど自慢の出演者も、息子の友達のお父さんなど 知っている人が多いので、応援にも力が入る。いつ放送されるのかは知らないが、天安放送をご覧になる方、観客席の一番前で よしくんを抱っこしている はんらが画面に映るかもしれませんよ~。それにしても、韓国式焼き鳥の屋台の人気はすごかった。常時、20~30人の行列だった。おじさんとおばさんが 汗だくになって 必死で焼き鳥を焼いていたが、儲かっただろうな~。思わず、隣で フランクフルトソーセージでも 串にさして焼いて 売りたくなった。さて、はんらも 数日間、日記をお休みしなければならなくなった。嫁ですからね~。^^再開は30日になるか、はたまた 10月1日になるか・・・在韓の皆さん、ファイトで 頑張りましょう!!
2004/09/25
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韓国には、日本にはいない「漢方専門の医者」がいる。医学部とは別に 漢方医学部があって、入学も医学部と同じくらい難しく、同じ6年の教育課程である。国家試験もあり、合格した人だけが 漢方医となる。日本では、漢方に関心のある医者が さらに漢方や東洋医学を学んで、自分の診察・治療に役立てているが、韓国では、最初っから分かれて教育を受けるのである。これは、結構 ありがたい。東洋医学や漢方は、体の体質改善をするので、急激に症状を抑える西洋医学の薬より、体に優しいかもしれないし、体に合う、という人も多いようだ。また、はりやお灸もしてくれるので、ちょっと腰を痛めた、というときなどにも、手軽に通える。温湿布、マッサージ、電気治療などを 1時間くらい受けて、3千ウォン(約300円)である。なんか、得した気分にもなる。しかし、はんらは 次男を妊娠中、この西洋医学と東洋医学の間に挟まれて、大変な目にあってしまった。妊娠初期に 出血が続き、流産の気があったのであるが、最初は 妊娠の診断をしてもらった 西洋医学の産婦人科に通っていた。病院に行くと、流産を防止するとかいう、注射を打たれた。しかし、その後も出血は 長く続いた。お義母さんが心配して、これは 漢方医のほうに行った方がいいんじゃないか、と言い出した。わらをもすがる思いで訪ねた 漢方医はこう言った。「妊娠初期にそんな注射をバンバン打って、障害児を産むつもりですか?!」はんらたちは、たまげてしまった。そして、漢方医が出してくれた 漢方薬を一生懸命に飲んだ。しかし、やっぱり出血は続いた。その次の 定期検診日。はんらは また 産婦人科に行った。そこで、漢方薬を飲んでいることを告げた。すると、産婦人科の医者はこう言うではないか。「漢方薬とは、まだ科学的に何の証明もされていない 薬です。そんな薬を大事な妊娠初期に 長期間(漢方薬は普通、長く飲むので)飲むというのは、とても心配です。」ただでさえ 不安な妊娠初期に、両方からこう言われて、すっごく不安になってしまった。しかし、これだけ両者が反目し合っていると、中間に挟まれた患者や患者の家族は 不安が募るばかりではないか?!漢方医に西洋医の言葉を告げると こう言った。「私の妻は、妊娠10ヶ月間 ず~っと漢方薬を飲んで、健康な赤ちゃんを産みました。」西洋医に漢方医の言葉を告げると こう言った。「この注射は、科学的にも医学的にも安全が認められ、臨床実験にも合格した薬です。」両方とも自信を持って そうおっしゃるなら、まあ、大丈夫なんだろう・・・幸い、次男は健康に産まれた。しかし はんらは、あの漢方医と西洋医の間に挟まって 悩むのは もうコリゴリである。
2004/09/24
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きのうの夜、バンサンフェ(班常会)というのがあった。韓国では、日本の町にあたるようなのが ドン(洞)であり、その中に トン(統)、トンの中にバン(班)という単位がある。洞長さんは 洞役場の中にいらっしゃって、公務員であるが、統長さんと班長さんは、それぞれ住んでいる人の中で選ばれるか、持ち回りである。都市部の住宅街では、統長さんや班長さんは 住民税のお知らせを持って来るくらいで、これといったことは何もないが、マンションでは 共同住宅に住んでいることもあって、話し合いや親睦のための 班での集まりを持っているところも多い。その集まりを バンサンフェ(班常会)という。はんらマンションでは 班常会がそれほど盛んではなく、今回が、はんらが引っ越してきてはじめての班常会だった。熱心なところでは、1ヶ月に1回 集まり、来れない人には罰金が科されていたりするらしい。また、会費を集めて、大変な家庭を助けたり しているところもあると聞く。はんらのマンションは23階建てであるが、同じエレベーターを使っている世帯、つまりエレベーターの両側にある2世帯が23階までで、46世帯がひとつの班である。きのう集まったのは、たったの11人だった。それでも、お菓子を囲んで、いろんな話をするのは楽しかった。引っ越しの多いマンションなので、建って6年のマンションであるが、半数以上の顔ぶれが変わってしまったらしい。そういうところだからこそ、こういう集まりが たびたびあったらいいとは思う。何と言っても、共同住宅であるので、上の階がドンドンと うるさかったり、エレベーターを長く止めていたりすると、イライラさせられる。が、それが仲良くしているお宅だったら、気にはならないものだ。はんらも そう思って、隣や上下のお宅には、時々 週末農園の収穫物をおすそ分けに持っていく。小1時間くらいの 班常会だったが、普段 話したこともない人と いろいろ話せて よかった。それに、いいニュースもあった。はんらマンションを建てた はんら建設からの寄贈で、マンション敷地内に 図書館とローラースケート場ができるらしい。早くて年末、来春までには完成するとのことなので、楽しみである。
2004/09/23
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何の 成績かって?小4のコーちゃんの 先日のテストの結果が発表されたと言うのですよ。それも、まだ小4なのに、教室の後に デカデカと貼り出されているとか!教育熱心な韓国ではあるが、小4からテストの順位が貼り出されるとは 恐ろしや。「で、何番だったの?」と聞くと「26番」「何人いるのよ?」「32人」32人中 26番・・・これは喜んでいいのか、悲しんでいいのか、フクザツである。発達障害があって、長く 特殊教育を受け、普通学校に通えるかどうかと悩んでいたことを思えば、大健闘である。しかし、親としては、これだけはっきりと順位が出ると、かなり衝撃!本人は「後ろに6人もいる」 と言ってニコニコしている。「6人しか、って言うのよ」と訂正してあげる はんら。「○○くんなんて、28番だった。勉強できないヤツ!」なんて 笑っている コーちゃん。「そういうの、どんぐりの背比べ、って言うんだよ」と教えてあげる はんら。でも、つい 世間のおばちゃまたち同様、好奇心がムクムクわいてきてしまった。「ねぇねぇ、ビリは誰だったの?!」あぁ、こんなこと聞いちゃった。「キョンミン(仮名)」「キョンミンって、あの向かいの 49坪のマンションに住んでるキョンミン?」「そう」この辺で、49坪のマンションというと、かなり大きなマンションである。韓国では 親の経済力と 子どもの学力が比例するなんて ささやかれているが、そうでもないようだ。よそのお宅でも こんな会話がされているんだろうな~。そして「日本人のお母さんの子どもって、勉強できないのね~」なんて思われているのかも。こんな 教育熱の高い国で、父兄をやっていくのも楽ではないよ~!
2004/09/22
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この前、夫 ノギさんの実家に行った時、ノギさんの小学校時代の通信簿が出てきた。成績は それなりとして、びっくりしたのは、ノギさんの 小1のときの体重が 15キロ、ということだった。小5のときの体重が25キロである。思わず 笑って、その後 はんらは真面目になった。今、15キロというと、4歳児くらいの平均体重である。我が家の おデブの長男、コーちゃんは 小1のとき、30キロあった。ノギさんは、1960年生まれである。はんらとは 同世代と言える歳である。(はんらは もっと若いけどね~^^)しかし、小さい頃は 食べる物がなくて、おかずはキムチだけ、肉は1年に2回、盆と正月にだけ食べられた、と聞いたことがある。小学生のときは、学校から帰るとすぐ畑に出て、1日中 働いていたそうだ。ノギさんは、今でも 背が低い。小さい頃の 栄養不足と重労働で、大きくなれなかったのである。ノギさんの世代の韓国人には、そういう人も多い。大きくなれなかったのは、きっと、ノギさんにとっても、お義母さんにとっても、とても悲しく、心残りなことなのではないかと思う。そういうこともあって、はんらは ぜひ 息子たちには大きくなってほしいな、と思っていた。はんらの望み通り、長男はとてもビッグである。特に 縦にではなく、横にビッグ過ぎるのがちょっと気になってはいるのだが。カーラジオでビートルズとか、ベイ・シティ・ローラーズの曲が流れると、はんらは「きゃあ~! 懐かしい!!」と思う。はんらと同世代の方々、そうでしょう?でも、ノギさんは、そういうのを知らない。ビートルズを知らない人がいるとは 驚いた。韓国でも オバタリアン パワーがスゴイが、余裕のない時代に育った人たちなんだな、と思うと、ちょっと ずうずうしくても 強情でも あちこちにゴミを捨てていても 許したくなってくる。^^1970年代までは、お腹いっぱい 食べられなかった 国民。韓国では今でもムチムチに太った赤ちゃんが好まれ、スリムな赤ちゃんを抱いていると 不憫がられてしまうが、それも こういう歴史があったからだろう。お嫁さんの条件として、背の高い女性が好まれるのも、同じような理由なのかもしれない。経済が発展して、今では 食べ残しのゴミが溢れかえっている国となった韓国だが、これからは 内外ともに豊かな国になっていくことを願って止まない。
2004/09/21
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韓国でも日本でも、満6歳になると 義務教育の小学校に入学するのは同じだ。小学校が6年間、というのも同じだ。しかし、日本が一律に満6歳で入学するのと違って、韓国では、満5歳での早期入学、満7歳、満8歳までの入学延期も可能である。実は、コーちゃんに入学通知が来た時、はんらは とても迷った。発達障害のコーちゃんは、同じ年齢の子どもたちと同じようなことが 全然できなかったからだ。幼稚園でも、1~2歳 下のクラスの子どもたちと一緒に 授業を受けたりしていた。幼稚園の先生に相談すると「満6歳で入学すると、本人も お母さんも とても苦労すると思う」と言われた。簡単に「1年遅らせて 入学させたら どうでしょう?」と言われた。小学校に問い合わせても「じゃ、延期ということで、所定の書類、出して下さいねー」ということだったし、医者の診断書が必要だったが、病院に行くとすぐに必要な書類を作ってくれた。さすが、融通性のある韓国である。賛否両論あるとは思うが、はんらとコーちゃんは、入学を1年遅らすことができて、とても助かった。人間って、個人差があって、ゆっくり ゆ~っくり 成長していく子どももいると思う。ゆっくり成長していくのは、その子の個性であって、その子が悪いわけでも 親が悪いわけでもないと思う。それなのに、みんなと同じことができないからといって、劣等感を感じたり、辛い思いをしたりするのは どうかと思う。1年入学を遅らせたコーちゃんは、今 普通小学校の4年生で、それなりに やっている。成績は悪い方だが、普通の小学校で 普通の子どもたちと一緒に それなりにやっている、というのは、コーちゃんにしたら、スゴイことだ。しかし、韓国のニュースによると、いいことばかりではないようだ。以前は、早期入学が多かったらしいが、最近は 1年入学を延期する子が多いそうだ。親が、子どもを優等生にしようと考えて、わざわざ普通の子どもを1年遅らせて入学させるケースが激増したんだそうだ。確かに、普通の子どもが 1歳年下の子どもたちと同じクラスにいれば、優等生だろう。また、早生まれの子どもの親の多くも、1年入学を遅らせようと考えているそうだ。体格などが小さいと、イジメにあうかも、と考えるようである。子どもの発育・発達に合わせて 入学を1~2年、早めたり遅くしたり、というのは いいことのように思えるが、このままではいろんな弊害が出てきてしまうのかもしれない。
2004/09/20
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日本は明日、敬老の日らしい。らしいというのは、はんらは9月15日が敬老の日と決まっていた頃から韓国に来ているので、新しく変わったことはよく知らないのだ。韓国は 敬老精神の高い民族だが、この敬老の日のような日はない。「老人の日」というのがあるにはあるが、韓国人に「老人の日はいつですか?」と尋ねても、よく知らないという人が多い。10月2日、とカレンダーには小さく書かれているが、休みでもない。子供の日には「子供の日 大セール」なんてのをデパートや商店街で大規模にやっているが、「老人の日 大セール」なんてのは見たこともない。オボイナルという「両親の日」があるが、その日に入ってしまっているんだろうか。でも、オボイナルも休みではない。息子、娘が会社勤めなどで忙しければ、親の顔を見ることもできない。それに、息子、娘のいない老人は・・・?淋しいではないか。子供の日が休みで、先生の日も休みではないが 商戦が繰り広げられ 非常に派手にやる韓国である。クリスマスや釈迦生誕日まで休日なのに、なぜ「老人の日」が休日でないんだろう?でも、この国では 1年中「敬老の日」なので、改めて祝日にしなくてもいいのかもしれない。
2004/09/19
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長男のコーちゃんは、キャンプに行った。夫のノギさんは、墓掃除のために、田舎に行った。明日の夕方までは、次男 よしくん 3歳と2人きりである。午後は 2人で子供ミュージカルを見に行った。韓国の都市部では、子供ミュージカルというのをよくやっている。文化会館や市民会館、デパートなどで、だいたい 45分~1時間、5千ウォン~1万ウォンくらいでやっている。地方の小さな劇団がやるのは安くて、ソウルの方から全国公演で回って来るのは、本格的で、1万ウォン以上する。天安で今やってるのは、「王子と乞食」1万ウォンと、「眠れる森の美女」6千ウォン。はんらたちは、質より安さを選んだ。コーちゃんは長い間 一人っ子だったので、はんらは しょっちゅうコーちゃんを連れて、お出かけしたものだ。でも、よしくんは あんまりこうして連れて出たことがない。コーちゃんと 年が離れ過ぎて、同じ映画やミュージカルを見せるわけにいかないからだ。コーちゃんは 小さい頃から怖がりで、子供ミュージカルを見せても、会場の電気が消えたと言っては騒ぎ、悪役がコワイと言っては泣いていた。よしくんはというと、糸巻きが刺さって倒れたお姫様を前に、黒いマントを着た 恐ろしげな魔女が「ひーっひっひっひ」と高笑いするのに合わせて、大笑いしていた。そして、集中力に欠けているのか、その他の場面では、立ったり 座ったり、ウロウロしたりしていた。風邪気味で、家で風邪薬を飲んで来ていたはんらは、ちょうど薬が効いてきて、やわらかな椅子の上で、「眠れる森の美女」と化していた。ウロウロしていた よしくんと、ウトウトしていた はんら。この2人で、1万2千ウォンは、お金をどぶに捨てたようなものだったかもしれない。さて、子供とデートといえば、定番はマクドナルドかロッテリアであろう。はんらたちも 御多分に漏れず、ハンバーガーとコーラで デートを締めくくった。
2004/09/18
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コーちゃんは、韓国で ボーイ・スカウトに所属している。入る前、はんらはインターネットで日本のボーイ・スカウト連盟なんかを検索して、いろいろ 調べた。当然、同じような連盟で、同じような活動をするんだと思っていた。子どものころから、奉仕活動をしたり、アウトドアのいろんなことを学んだりできるというのは、大きな魅力だ。実は、コーちゃんより、はんらのほうが、すっかり乗り気だった。土・日の半分くらいが スカウトの活動でつぶれてしまうらしいけれど、それなりの収穫がきっとあるはずだ、と思っていた。スカウトの制服を準備するのに、8万ウォン強(約 8千円)かかった。韓国の物価では、すご~く高い買い物だ。しかし、奉仕の心、団結力、忍耐力などを 大自然の中で学べると思うと、もったいないとは思わなかった。年間活動費として、15万ウォンが先払いだったが、もったいないと思わなかった。ところが・・・・・・・韓国のボーイ・スカウト(小学生なのでカブ・スカウト)は、学校単位で細々とやるものらしい。去年1年間、春は野原に、夏はプールに、秋は山に、冬は食事会をして 終わってしまった。8万ウォンの制服は、3回ほど着ただけで終わってしまった。制服代、すご~~~っく もったいなかったな~~~去年1年間 スカウトに所属させて、すごく失望させられた。しかし、制服代がもったいなかったので、結局、今年も 続けてスカウトに所属している。この制服が着れなくなるまでは、所属させておこうかな、と思っている。明日 土曜日から1泊どまりで、コーちゃんは スカウトでキャンプに行く。久しぶりに 活動らしいことをする。楽しい思い出をたくさん作ってこれたらいいな。
2004/09/17
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はんらは 某所のコメント欄で、「クォン・サンウのファン」と宣言している。ブレイクした「天国の階段」でファンになったのではない。そのず~っと前から ファンだった。そのワケがある。2年以上も前、うちに、教え子(当時高校生)が遊びに来た。その高校生がうちのよしくん(次男)を見て「この子、クォン・サンウに似てる~!」と言ったのである。実物のよしくんを知っている人たちの「えええぇ~!」というブーイングが聞こえるような気がする・・・^^;当時、クォン・サンウは まだ人気が出る前で、「よしくんがモムチャン(ナイスバディ)」だとか「カッコイイ」という意味で そう言われたのではない。「ハンサムではないけど、なんか母性本能をくすぐる」という意味で言ったそうだ。ところが 人間というものは不思議なもので、その時以来、すっかり はんらは、クォン・サンウに親近感を抱いてしまったのである。(はんらに親近感なんて抱かれたくないか・・・)クォン・サンウがテレビに出演すると、よしくんが出演したかのように嬉しくなり、応援していた。かの「天国の階段」が始まったときも、夫のノギさんと一緒に「ホラホラ、よしくんに似た クォン・サンウだよ。」と一生懸命 見ていた。人気が出ると、よしくんがブレイクでもしたかのように 嬉しく、誇らしかった。^^ところで、長男のコーちゃんは、ノギさんの会社の人から、俳優のパク・サンウォンに似ている、と言われたことがある。1992年に一世を風靡したドラマ「ヨミョン エ ヌントンジャ(黎明の瞳)」で、最後に死ななかったほうの男優だ。話が古すぎた。今では、背広のパークレンド(PARK LAND)の専属モデルでチラシに載っている。チャン・ドンゴンではないほうのおじさんである。また、えええぇ~!というブーイングが遠くから 聞こえて来る。でも、素朴でおじさんっぽいところが コーちゃんに似てるかも。^^;あれ以来、はんらは ひそかに パク・サンウォンも応援している。ノギさんも、服を買う時は なんとなくパークレンドである。はんらは、10年以上も前、日本語を教えていた時、学生たちから「イ・ミヨン」に似ていると言われたことがある。「純愛中毒」に出てた、元ミス・ロッテの美貌のイ・ミヨンでは 勿論、ない。昔、歌手のチョン・ヨンロクと結婚していた イ・ミヨンである。1997年に離婚した。また話が古すぎた。検索したら、写真が出て来た。ああ、また実物のはんらを知っている人たちが嘲笑しているのが見えるようだ・・・だから、10年以上も前のことだってば。背が低いのと、目が大きくて二重なのが似ているかも・・・^^;彼女にも 情が行って、テレビに出てると見てしまう。最近、外国人と再婚したが、幸せになって欲しいものだと しみじみ思っている。じゃあ、ノギさんは誰に似てるかって?それが、誰にも似てないらしく、そういうことを言われたことがなかった。数日前、ノギさんがとても機嫌よく帰って来た。「ノ・ムヒョン大統領に似てる、って言われた」んだそうだ。実物のノギさんを知っている人は、大笑いしているに違いない・・・どこが似ているのか?!でも、いかにも田舎の農村出身、といった雰囲気は似ているかも!?いつもノ・ムヒョン政権を批判していたノギさんであるが、最近は あたたかい目で ノ大統領を見守っているようだ。
2004/09/16
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はんらは、今のマンションに引っ越して来る前は、ほとんど1階に住んでいた。子どもが生まれる前の ごく短い期間、2階や3階に住んだこともあるが、それ以外の 10数年間は 1階生活である。一度でいいから 高層マンションの高層で、素晴らしい景色を眺めながら 暮らしてみたい、というのが はんらの夢だった。天安に引っ越すことが決まって、はんらは その夢をぜひとも実現させようと燃えていた。最初は マンションの 14階や 15階あたりを一生懸命さがした。家の中を見せてもらった。ベランダに出ると、めまいがして、クラクラになった。やはり、1階から急に15階、というのは、低血圧のはんらには無理そうだった。洗濯物を干すたびに 気絶しているわけには いかない。どんどん降りて来て、ついに7階で はんらは妥協した。ここなら、めまいでひっくり返ることもないだろう。景色や日当たりはイマイチだが、仕方がない。ところで、生活してみて、7階くらいにしておいてよかった、と思うことがある。それは、エレベーターのせいである。きょうも、外出先から帰ると、エレベーターを点検していた。点検しないで 落ちても困るから、文句も言えないが、高層の人は 大変困っていた。7階くらいなら 「運動だ」と思って 階段で登ってこれるが、うちのマンションは23階建てである。23階まで、さすがに階段で登る気にはなれないだろう。それから、エレベーターの中に 何かの匂いがこもっていることがある。チキンやピザの匂い ならいいが、「臭う」ときは、かなり苦しい。夏などは そういうことも 時々ある。7階までなら、息を止めて 上ってこれる。23階まで息を止めたら、危ないだろう。さらには、ちょっと怪しそうなおじさんと2人きりでエレベーターに乗り合わせた時。長時間 乗っているのは コワイし、嫌である。向こうも、「怪しげなおばさんと一緒だ」なんて思ってるのかも しれないが。ところで、うちの次男は、引っ越して来る前は、数字を知らなかったが、エレベーターのおかげで あっという間に数字を覚えた。エレベーターの中で 毎日「1、2、3・・・」 と数字を見ながら読んでいたので、1から7までは、すぐに覚えられた。しかし、7階で降りてしまうので、今でも8以上の数字は よくわからない。ああ、せめて 10階に住めばよかったかしら・・・^^
2004/09/15
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日本から韓国にお嫁に来ると、誰でも最初はカルチャーショックを受ける。はんらは韓国に来て 16年。今更 カルチャーショックでもないが、1年半前に「慶尚道」から「忠清道」に引っ越して来て、また カルチャーショックを受けることになった。慶尚道は、語調も強くて早く、性格も強くてせっかちだ。おしゃべり好きで、強引で、豪快である。はんらは、韓国人とは そういうものだと思っていた。忠清道は、両班(昔の貴族)の地で、人々は 穏やかでのんびりしているという話はよく聞いていた。雨が降って、傘がなくても、走らず の~んびり歩いていくのが 忠清道の人なんだそうだ。「春雨じゃ、濡れてまいろう」というかんじなんだろう。こんな笑い話もある。慶尚道の木こりの親子が山で木を切っていた。「おやじ! 木がそっちに倒れるぞ!」という息子の叫び声に、父親は木を避けた。忠清道の木こりの親子が山で木を切っていた。「お~や~じ~ぃ~ぃ~~ 木~が~~ そ~っち~に~~」という息子の叫び声が終わらないうちに、父親は木の下敷きになった。それほど、忠清道の言葉はゆっくりしているということである。話には聞いていたが、こちらに引っ越して来てからは、はんらのテンポは狂いっぱなしである。例えば、長男はテコンドー道場に通っているので、はんらは時々道場に顔を出す。慶尚道のテコンドー道場では、はんらがドアを開けるやいなや、道場長がすっ飛んで来て「いやいや これは これは コーちゃんのお母さん!」「ど~ぞ ど~ぞ 座って下さい」「コーヒー? それともお茶を?」「コーちゃんは素直で とてもいい子です!」とまくし立てたものだ。はんらが 口を挟むヒマもなかった。ところが 忠清道の道場ではこうだ。「コーちゃんのお母さんですね」それっきりである。椅子もコーヒーも薦められない。コーちゃんを褒めてもくれない。しばらく 沈黙が続いた後、道場長が口を開く。「きょうは どんな御用件で・・・?」日本人は、こちらが普通だと思うかもしれない。しかし、長く慶尚道に住んだ はんらは、戸惑うばかりである。道場長ばかりではない。慶尚道の店では、店主から 早く買えとせかされたものだ。しかし、忠清道では、「なになにを下さい」と言っても、なかなか店主は品物を出してこない。の~んびり の~んびり である。次男の通う保育園で 行事があった。グループに分かれて、説明を受けた後で、首飾りを作ることになった。「材料はここにあります」という言葉が終わるか終わらないかのうちに、はんらは素早く横から材料をかすめ取った。そんなことをするお母さんは、誰もいなかった・・・えええぇぇぇ~?どうして どうして どうして!?!慶尚道じゃ、みんな言葉が終わらないうちから、四方八方から腕を伸ばして 奪い取っていくのに・・・ボケボケしていたら、材料 無くなっちゃうのに・・・こんなに の~んびりした 韓国人たちもいることを、はんらは忠清道に来て 知った。
2004/09/14
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はんらは、先週土曜日、またまたムグンファ号に乗って、ソウルに上京した。今回は、通訳・翻訳を仕事にしているフリー・ランサーや会社員たちの集まりに顔を出したのだ。え~? プータローのはんらがどうして そんな 立派な方々の集まりに?!って思うでしょう。^^その集まりの代表者が、はんらの 知人だったの。ところで、韓国は 南北にも分断されているが、実は 東西の仲が非常に悪い。日本も関東と関西で張り合っていたりするが、それより ず~っと仲が悪い。はんらの夫 ノギさんは東の慶尚道の出身である。西の全羅道を すごく嫌っている。部下が何か失敗したとする。その部下が全羅道出身だと「全羅道の奴はみんなこうだ」「本当に信じられない」「やめてしまえばいい」と、ノギさんはボロクソに言う。しかし、その失敗した部下が慶尚道出身だと「きっと、いろいろあったんだろう」「かわいそうに、励ましてやろう」と、極端な反応を見せる。テレビに極悪人が捕まった、というニュースが出る。ノギさんは必ず「きっとあんな奴は、全羅道の奴だ」と言う。実は慶尚道の奴であることが 判明すると、ノギさんは突然「誰かに騙されたのかも」などと、極悪人の擁護をはじめる。最初のころは、そんなノギさんに驚いて、なんてこの人は心が狭いんだろう、などと、胸を痛めた はんらだったが、ほとんどの韓国人がそうだと知って、驚くやら呆れるやらした。ノギさんがあんまり全羅道の人を悪く言うので、つい何となく、はんらは全羅道の味方についてしまう。そこまで言わなくてもいいのに、と思って、はんらの口からは、慶尚道を批判し、全羅道を擁護する言葉が出る。すると、夫婦喧嘩になってしまう。全羅道の人のために、なぜ はんらが夫と喧嘩をしなければならないんだ?!韓国ではこれを「地域感情」とか「地域葛藤」などと言って、政策でもいろいろなことが試みられているが、なかなかこのフクザツな感情は無くならない。ところで、韓国では、この東西間を走る、鉄道からして無いのだ。東(慶尚道)の大都市、テグやプサンから、西(全羅道)の大都市、光州や全州まで走る列車がない。鉄道博士の長男 コーちゃんが言うには、あるにはあるらしい。「キョンジョン線」という鉄道があるらしいが、プサンから光州まで1日1往復、プサンから木浦まで1日2往復、所用時間7時間、という線らしい。こんなのに乗って、慶尚道から全羅道まで行くことはできない。さらに、東と西を結ぶ高速道路は、88高速道路であるが、この高速道路はノギさんに言わせると「国道のほうが まだマシ」というくらい 古く、道幅も狭い。コーちゃんは大人になったら、北朝鮮までの鉄道を設計する仕事に就くと宣言していたが、はんらはお願いした。交通部長官(大臣)になって、東西間の鉄道を作ってね、と。
2004/09/13
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それにしても 引っ越しの多い国である。特に はんらの住んでいる マンションはひどい。千世帯のマンションに、引っ越しトラックを見かけない日はない。多い時は、日に5~6台のトラックが止まっている。長男(小4)のクラスも、35人であるが、1学期中に、3人が引っ越して行き、4人が引っ越して来た。学校で、とか 学年で、ではなく、クラスで、である。そして、2学期が始まって早々、また2人のクラスメートが引っ越して行った。韓国ではチョンセという借家制度では 普通2年、ウォルセという借家制度では 普通10ヶ月~1年が契約期間である。契約が切れると、引っ越す人も多い。また、韓国ではマンションの価格があまり下がらないどころか、上がることもあるので、住んでいたマンションを売って、さらに大きく、新しいマンションに引っ越そうとする人も多い。独立志向の高い韓国人は、ちょっと資金ができると、会社から独立して個人で事業や商売を始める人も多い。成功すれば、金持ちの住む高級マンションに、失敗すれば、家を売り払って借家に、と引っ越す人も多い。はんらマンションから引っ越して行く人たちは、前者なのか、後者なのか・・・?また、引っ越して来た人たちは、落ちぶれてここに来たのか、はたまた成功してここにやってきたのか・・・?こう引っ越しが多いと、折角仲良くなっても、すぐいなくなってしまう。よく行き来して、仲良くしていた人が、ある日を境に、全く会えなくなってしまう。日本人のはんらには、なかなか慣れないことだ。息子にも、いい友達ができたと喜んでいると、いつのまにか、あっさりいなくなってしまっている。ところで、はんらも韓国に来て これまでに4、5回 引っ越しをした。韓国では、引っ越して行く人は、家を思いっきり汚していく。引っ越しセンターの人も、泥だらけの靴で 家の中に入る。何でも、そうすると 次にその家に引っ越して来る人が 幸せに暮らせるんだとか、何とか・・・?(迷信か?)しかし、その 思いっきり汚された家を掃除するのは、地獄のような思いである。
2004/09/11
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日本では、「ヨン様」はじめ、韓国ブームだそうだ。妹にメールで聞いてみた。「韓流ブームなんだって?」妹その1から返信が来た。「そうなのかなあ? よくわかんないけど。」これは、妹その1がまだ20代後半なので、関心がないのかもしれない。妹その2は、30代後半である。「ヨン様」世代ではないか?妹その2から返信が来た。「パク・ヨンハって、見栄晴くんに見える。」おお!これは爆弾発言!ヨンハ ファンのみなさま、ごめんなさい。父(70代)、母(60代)の反応も芳しくない。そういえば、はんらには 日本に友人・知人もたくさんいるが、一度だって「ヨン様グッズ 送って」だの「ヨン様へのファンレター 訳して」だの「ヨン様 紹介して」だの言った リクエストをされたこともない。本当に、韓流なんだろ~か~?はんらは 疑っていた。何と言っても、韓国マスコミには 前科がある。SESやカン・スージやHOTが日本デビューしたとき、韓国のマスコミは、彼らが日本で大スターになったように報道していた。浦島 たろ子のはんらは、すっかり信じていた。きっと、今の大リーグのイチローのように、大活躍しているんだろうと、すっかり韓国マスコミにだまされていた。今の韓流も本当なのか?そんな はんらに、知人の ミーナさんが自分の本棚の中から「女性セブ○」8月5日号を貸してくれた。古い本じゃないかって?はんらにとっては、最新号である。カラーグラビアのトップページには、浜崎あゆみと長瀬智也、次のページには松平健の華やかすぎる姿が。そしてその次のページには、「韓流 イケメン 真夏の裸番付」と称して、例の4人の筋肉もりもり姿が見開き2ページに渡って、デカデカと載っていた。さらに、本文に入ると「ヨン様 探して! 韓流 結婚相談所」だの「韓流 イケメン 12人 ポスト ヨン様出走表」だのといった 記事もいっぱい。そして、裏表紙も「ヨン様」の「元気ハツラツ?」である。ああ、やっぱり、韓流なのね・・・と、ようやく納得する はんら。百聞は一見にしかず。それに、この楽天でも、韓流のテーマが熱そうではないか!本場に住んでいながら、これまで ちっとも関心のなかった はんらって・・・
2004/09/10
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うちの次男、よしくんは、とってもいい子である。あんまり手がかからない。しかし、はんらは このよしくんが生まれてから、泊りがけでどこかへ行く、ということに躊躇するようになった。というのも、よしくんは「たくさん歩かない」「夜泣きする」「お便所 見知りをする」という「三重苦」を抱えているからである!^^よしくんは、暑い日、上り坂、目的地が遠い、というような時に「イタイタ」になって歩けなくなるという、便利な足を持っている。歩かなくなると、頑として動かなくなる。しかし、はんらは よしくんのお友達のママたちより、一回りも年上なのよ。抱っこ、おんぶは はんらの老体にはキビシイ。そして、もうすぐ4歳になるというのに、まだ夜泣きをする。それにしても、長男のコーちゃんのときは、ちょっとでも泣けば、はんらは飛び起きたものだ。泣き止まないと、どこか重大な病気でも潜んでいるんじゃないかと心配になり、真夜中に「赤ちゃんの病気 大百科」なんかを広げて、この病気か、あの病気か、と心配しまくっていた。ノギさんも起きだして、大丈夫か、大丈夫か、と心配していた。しかし今では、よしくんの夜泣きがはじまると、はんらは「ノギさんが起きてくれないかしら」と思って、知らん振りして寝続ける。ノギさんは「当然、はんらが起きるでしょ」と思っているようだ。美しき 夫婦の 譲り合い。長男と次男では、こうも親の態度が変わってしまうものか。(うちだけか?)さらに、「お便所 見知り」だ。よしくんは、うち以外のトイレで、大きい方ができない。同じマンションの他のお宅に行くと、大きさも形も同じトイレであるが、インテリアや雰囲気が違っている。と、もう よしくんはできない。座らせても出てこない。日帰りの時はいいが、泊りがけになると、よしくんがピンチになる。もよおす → トイレに行く → 出ない → 出そう → トイレに行く → 出ない → 出そう → ・・・・・・・というのを、1日中、永遠に繰り返すことになる。どうせ出ないんだから、ほおっておいてみたら?と思うでしょう。はんらもそう思って、一度 ほおっておいた。見事に パンツの中にされてしまった。パンツには「パンツ 見知り」しないらしい。そんなわけで、よしくんのお友達のママたちより 一回り年上のはんらには、このよしくんを連れて、泊りがけでどこかに行く、というのは、とても考えられないことなのである。いつになったら、この三重苦から解放されるのだろうか・・・
2004/09/09
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はんらとノギさんが一緒に暮らし始めて、もうすぐ13年めに突入する。はんらたちは、韓国で新婚生活を始めたので、勿論、家具も電化製品も 大部分、メイド・イン・コリア である。日本では「安くて劣悪」の代名詞のような サムスンの家電。(ああ、サムスンさん、ごめんなさい)でも、はんら家の電化製品は、見事に10年以上、はんら家のために働き続けてくれている。テレビも洗濯機も冷蔵庫も12年使った。さすがに冷蔵庫は、今年、買い替えた。まだ使えるぞーと思っていたが、なにしろ、極貧時代に買ったので、小さかった。200リットルだった。日本ではちょっと小さ目だが、韓国では独身者でも もっと大きい冷蔵庫を使っている。キムチも入れないといけないし、すいかも丸ごと買うからである。今度は576リットルという、韓国では普通サイズである。が、はんらの家は急に狭くなった。テレビと洗濯機と電子レンジはまだまだ いけるぞー。ところで、この楽天日記を書くのにかかせないPCも、我が家のは 随分オンボロである。うちに来たのは確か、1998年か1999年。その時に もう既に中古だった。インターネットカフェで使われていたのを、知り合いを通して20万ウォンくらいで譲ってもらったのである。人間の歳で言えば、もう、かなりな じいさんなのではないだろうか。そのせいか、突然気を失ってしまったり(フリーズ)、昇天してしまったり(強制終了)する。じいさんPCなので、仕方が無い。でも、日記を書く時などは、一気に書くようにしている。途中で電話がかかってきたり、人が訪ねてきたりすると、じいさんPCが機嫌を損ねて また気を失ってしまうのでは、と気が気でない。特に、長~い日記を書いた日などは・・・
2004/09/08
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韓国では、結婚式の前に、花婿・花嫁が「王子様・お姫様」になりきって写真を撮る日がある。春や秋に景色の良い公園や名所に行くと、タキシードとウェディング・ドレス姿のカップルと、写真屋、助手たちで賑わっている。結婚式が終わったあと、その写真は新居に飾られるが、この写真がまた どデカい。窓くらいのデカさの写真を飾っている家も少なくない。はんらは、結婚披露宴を韓国と日本でやった。あっちへ行ったり、こっちへ来たり、経費もかなりかかって、もともと貧乏だったのに、ますます貧乏になった。それで、公園での写真撮影は諦めた。というより、日本にはない習慣なので、撮りたいとも別に思わなかった。結婚披露宴の時の写真はあるが、経費削減のために 小さいのしかなかったし、あんまり気に入っていなかった。夫のノギさんも、借家にクギを打つと あとで穴の修理代を請求する大家がいる、と言って、写真を飾りたがらなかったので、はんら家には、ず~っと写真がなかった。1997年にプサン刑務所から、シン・チャンウォンという無期懲役囚(だったかな?)が脱獄した。彼は、なぜか捕まらなくて逃亡を続け、2年6ヶ月後についに捕まった。金持ちの家だけを狙っての強盗犯だったことや、2年6ヶ月もの間、あちこちで警察と遭遇しながらも逃げとおしたことなどで、当時、彼は「シン・チャンウォン シンドローム」と言われるほど、一躍話題の人になっていた。逃亡中の彼は、恋人のアパートに一緒に住んでいた。そこに、ガスの点検が来た。その点検する人が怪しんで通報し、捕まったのだった。そのあと、莫大な懸賞金をもらったガス点検のおじさんがインタビューに答えてこう言っていた。「夫婦のように見えるのに、リビングに結婚写真が1枚もなくて、怪しんだ。」ひゃー。韓国では、リビングに結婚写真がないと、やっぱりヘンに思われるのね~?と、はんらは たまげた。新婚時代から、家に1枚も結婚写真を置いていなかった はんらたち。大家さんや近所の人たちから、少し怪しまれていたのかもね~。
2004/09/07
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収穫の秋を迎えようとしている。ノギさんの週末農園も、いろんなものがとれる。韓国では、日本ではあまり食べない(食べる地方もあるんだとは思うが)部分まで食べるので、実がなるまで じ~っと待たなくてよい。例えば、サツマイモの茎、唐辛子の葉っぱ、かぼちゃの葉っぱ、ゴマの葉っぱなども食べる。最初は、草食動物になったような気がして、あまり食べられなかったが、今では、はんらの好物になった。特に、唐辛子の葉っぱのナムルは大好きだし、ゴマは、ゴマを収穫するよりも、葉っぱを食べようと思って植えている。そして、きのうは はじめて 落花生とサツマイモを少しだけ収穫してみた。はんらも、落花生を収穫するのなんて、はじめてである。本当に、土の中に出来るのね~、なんて、息子たちと感動した。きのうの晩御飯は、きゅうり、唐辛子、サンチュ(味噌をつけて)、サツマイモの天ぷら、ゴマの葉のヤンニョム漬け、にらのキムチ、ナスのナムル、サツマイモの茎の炒め煮、ズッキーニのテンジャンチゲ、間引きした大根の葉っぱのナムル、というかんじで、とりたての野菜で食卓がいっぱいになった。食後には、落花生を茹でて、みんなで食べた。これで 食費はゼロなんですよ、奥さん。ほっほっほー。味の方はどうだったのか?って??そこのところは、新鮮さで勝負です。^^
2004/09/06
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お気楽な韓国生活をしている はんらではあるが、試練もあった。夫・ノギさんのふるさとは、封建的・閉鎖的で有名な慶尚道である。舅となる方にはじめてお会いした時、ビックリした。我が舅は、ナント 1905年生まれの 化石のような、おっと失礼、大変なお年寄りであった。ノギさんは、舅が55歳の時に生まれたのだった。うちの実家の父親より、30歳近くも年上ではないか。普段着が韓服。純 韓国風の家に韓服姿でいらっしゃる姿は、まるで時代劇のワンシーンのようだった。封建的な慶尚道の中でも ど田舎なので、親戚をはじめ村人たちの思考や風習・慣習なども、それはそれは封建的である。何より はんらがショックだったのは、男尊女卑の社会である。家の中では、男は何もしない。食事の準備などはいいとして、電話もとらない、自分が水をこぼしても自分で拭かない、女性に拭かせるのである。名節になると、大量の料理を嫁2人で作らねばならない。掃除、洗濯、子どもの世話、全部しながら料理である。男どもが「おーい、果物が食べたい」「水くれー」「あ、こぼれた、拭けー」と言って、さらに仕事を増やしてくれる。食事の時間になると、まず男たちに食べさせ、次に子どもたちに食べさせる。当時、田舎の台所は、半分外にあって、土足履きだった。冬には台所に置いてある卵が凍っていた。極寒の台所である。嫁たちは、その台所で、みんなの食べ残しを立ったまま食べるのだった。はんらも、子どもの残り物など、もったいないな~と思って、食べたりする。でもそういうんじゃなくて、うちの田舎では、舅の健在中は、嫁のご飯は最初から無かったのだ。料理は全部嫁たちが作るのに、嫁の食べるご飯は無い、というのは、本当に驚くと共に、ショックだった。仕方なく、残飯を食べるしかない。まるで、残飯を食べさせて働かせる牛として扱われているようである。食べたらまた、何十人分の皿洗い、そして次の食事の準備である。残飯だけ食べてて、力も出ない。人間として扱ってもらっていないようで、本当にショックだった。ノギさんのお兄さんのお嫁さん(舅と同居されていた)は、韓国・忠清道の出身である。慶尚道から車で数時間である。が、舅の健在中は、5、6年間、一度も実家に帰れなかった。帰ろうとすると、舅が「飯は誰が作る?」とおっしゃるので、帰れなかったそうだ。結局、お義姉さんは、実家のお父さんの臨終の席にも立ち会えなかった。お義姉さんは、名節のたび、実家に電話をかけて「今年も帰れない」と泣いていた。「韓国のいいところと、日本のいいところ、両方を取り入れて、よい世の中を作りましょう」なんていうのも、田舎の嫁には通用しない。「こんな男尊女卑の社会は正しくありません。変えるべきです。」なんてことを主張していたら、後世の歴史書には「農村の女性解放のために立ち上がった 烈女、はんら女史」として載るかもしれない。でも、今現在の親戚、村人からは、「とんでもない嫁が来た」と受け入れられないのである。後世の名誉を選ぶか、今、韓国の氏族・親戚から受け入れられる方を選ぶか、である。舅が亡くなって、田舎の家はすぐに改築された。台所にもオンドルを入れた。お義姉さんも、1年に1度くらい、里帰りするようになった。名節の時、嫁のご飯も準備するようになった。でも、男性たちのわがままは直らない。はんら家では、はんらが威張っているが、田舎に行くと、今でもノギさんの態度がデカくなり、はんらは小さくなろうと努力している。在韓の方で、「うちはそんなことないよ」と言う方は、幸せな方なんですよ。
2004/09/04
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以前、日記にも書いたが、はんらは韓国で、「地域住民情報化教育」として行われているコンピューター無料教室に通っている。隣に座るのは、たいていあの「ダブルクリックができないアジュンマ(おばさん)」である。(8月11日 日記参照)しかし、時々違う人が座ることもある。先週は、30代の若いミセスが隣に座った。そのミセスは、パソコンに慣れているらしく、すごいスピードでキーボードを叩いていく。はんらの場合は、95%のキーは、両手の人差し指が押している。ちょっとプレッシャー・・・しかし、そのミセスは、せっかちなのか、好奇心が旺盛なのか、コンピューターが作動している間にも、始終あちこちをクリックしてるものだから、何度もコンピューターがフリーズしてしまう。そのたびに先生を呼んでいるので、はんらも何だか落ち着かなかった。おうちではどんなハイスピードなPCを使っているんだろう?パソコン教室だって、今年の1月に始まったのだから、そんなに古いPCではないはずだ。家ではおんぼろPCを使っているはんらは、パソコン教室のPCがすばやく反応すると、ドキリとしてしまっているくらいだ。今週は、例の「ダブルクリックできないおばさん」が隣に座っている。ダブルクリックしなければならないたびに、「はんらちゃん、やってみて」と言うので、やっぱり落ち着かない。その上、そのおばさんのPCからは、ついさっきまで作成していた文書が突然消えてしまったりする。おばさんは、決して「閉じるボタン」を押してはいない、と言い張るが、なぜ消えてしまうのか?「はんらちゃん、消えた文書がどこに行ってしまったか探して!」と言われても、困ってしまう。そのおばさんのPCからは、いろんなボタンも突然消えてしまったり、保存した(はずの)ファイルが突然消えてしまったりしている。「バミューダの魔の三角地帯」も真っ青の「超 不思議現象」が、隣のおばさんのPCでは毎日起きている。我々は楽しくやっているが、先生はストレスたまるだろ~な~。ところで、ワード、エクセル、ウインドウXP,パワーポイント、と進んできて、ついに来月は待ちに待った「ホームページ作成!」と思っていたら、今年の無料教室の国家予算が終わってしまって、2004年度の教室は今月で終わってしまうらしい。次は、来年1月から、またワードから始まるそうだ。ということは、ホームページ作成は5月頃?もうすぐはんらのHPを画期的に変えちゃうぞ!という計画は、遠い将来のことになってしまった。無料で習っている身で贅沢なことは言えないが、ざんね~ん!
2004/09/03
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はんらは、韓国でボランティアをしている。韓国でボランティアはかなり盛んで、あちこちにいろんなグループがある。韓国でボランティアが盛んな理由は、いろいろあると思う。まず、韓国では、既婚女性や中年女性があまり社会進出できない。出産休暇や育児休暇などは、あるにはあるが名ばかりで、それを利用できるのは、ごくわずかの恵まれた職場にいる女性だけである。ほとんどの女性は、妊娠すれば、退職せざるを得ない。そして、再就職もほとんどできない。そういう女性たちが、子育てを一段落すると、自分も社会で何かをしてみたい、と思って、ボランティアグループに所属するケースはよくある。また、韓国はクリスチャンや仏教徒など、何かの宗教をしている人が非常に多い。教会やお寺の婦人会でも、よくボランティア活動をする。「神の愛の実践」というところか。そして、韓国は福祉が遅れているため、最低限の生活ができない人がたくさんいることも、ボランティアの多いことの理由のひとつであると思う。公園で「無料給食」を行なって、貧しい老人やホームレスの人たちに一食をふるまう、というボランティア活動もよく行われている。また、韓国人は情が深い。自分より金持ちを見れば「あら、ねたましや」と思う人も、可哀相な人や恵まれない人を見かけると、俄然立ち上がって、その人のために何かしてあげたいという感情が燃え上がるようである。そんなわけで、あちこちにボランティアをしている人がいる。はんらは昔、日本語を教えていたが、その時の教え子の既婚夫人たちは、裕福な人が多かったため、かなり派手にボランティアをしていた。でっかい自家用車に、果物の箱を10箱ぐらい積み込んで、ブルブルブルンと老人ホームや孤児院などを訪問していた。はんらのような庶民には、とてもそんなことはできない。いいんだ。自分のできることをやれば。ということで、はんらは、天安市郊外の村で、ボランティアをやっている。どんなことをやっているかというと、村のゴミ拾い、老人会館などの掃除、農作業の手伝い、親のいない子どもたちの家を訪問、などなどである。1週間に2、3回の活動であるが、韓国人に混じってそういう活動をすることは、はんらにとって、韓国のいろんなことを知れる、いい勉強にもなっている。お礼にと、新鮮な野菜を持たせてくれる人もいるし、今では村に顔見知りがたくさんできて、あたたかい交流を楽しんでいる。でも、はんらの家から、その村までは、往復2時間である。本当は、今住んでいる地域でボランティアやるほうがいいんだろうな・・・しかしここは、マンション密集地帯なので、村とはかなり事情が違っている。マンションの管理費に「清掃費」が入っているため、掃除やゴミ拾いをやる人が、ちゃんと雇われているのである。その人の仕事を奪ってしまうわけにはいかない。都市では、何でもお金で解決されて、ボランティアが入っていきようが無い。親のいない子ども、一人暮らしの老人なども住んではいない。それでも、ここで私にできることが何かあるのかもしれない。それを見つけようとしている、今日このごろである。
2004/09/02
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きのう、はんらは知り合いのおかげで、病院代がタダになった話を書いた。ところで、はんらはテグ市の入管でもそんな情的なおじさんに出会ったのである。入管-出入国管理事務所-といえば、在韓の人ならご存知と思うが、プッツン切れそうになるのを押さえるのに大変な所だ。職員の態度は最悪。在韓日本人は、冷遇され、馬鹿にされっぱなしである。はんらが韓国に来て10年過ぎた1999年頃、夫が病弱だとか、生活能力がないとか、生活が非常にキビシイ、という日本人妻には、F-2ビザ(当時の居住ビザ)を発行して、健康保険証をもらったり、自由に就職できるようにする、という話があった。(全国的だったのか、テグだけそうだったのかは知らない。)その話を聞いたはんらとノギさんは、これはもらわなくっちゃ、と考えた。当時、はんらはあちこちで仕事をしていたが、いつもビザのことで(F-1ビザ(同居ビザ)では原則として仕事ができなかった)面倒なことがあったからだ。とにかくはんらとノギさんは、入管に出かけた。窓口のアジョシ(おっさん)にF-2ビザが欲しいと訴えた。「ご主人のお仕事は?」「会社員です。」「子どもは何人いますか?」「ひとりだけです。」「ご両親を扶養していますか?」「いいえ。」「では駄目です。お帰り下さい。」と、あっけなかった。しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。戦闘開始だ!それから、はんらとノギさんは「扶養してなくても兄の事業が失敗して、生活費は我々が出している。」(ウソだよ~ん。でも、生活費を出したい気持ちはあったの)「子どもはひとりでも、障害があって、月の教育費が 7、80万かかってる。」(これもウソ。2、30万。)「会社員でも、会社の経営状態が悪くて、給料がもらえなさそう。」(これもウソ。IMFでちょっぴり減給はあったんだけど。)などと、あることないこと言い張った。どうせそんなの、詳しい調査もないだろうし、在韓10年で仕事も自由にできないことが納得できなかったし、何と言ってもその窓口のおっさんの態度が気に入らなくて、腹が立って、ついつい、ないことまで言ってしまったのだ。しか~し!窓口のおっさんは冷たい態度で「帰って下さい。」を繰り返している・・・意地になったはんらとノギさんは、その場を動かなかった。遂に、窓口のおっさんは、面倒くさくなったのか「じゃあ、課長に会って下さい。」と言って、我々は奥の方に通されることになった。はんらとノギさんの顔は、戦闘状態のままで、固く凍り付いたままだった。課長さんという人が出てきた。「実はっ! 兄が事業に失敗してっ!」「オオオ~! それは何とお可哀相な・・・!」「そしてっ! 子どもが障害があってっ!!」「アイゴォ~! なんて大変なんでしょう~!」なんか、調子が狂いまくる はんら達。「IMFで会社も大変で・・・」「アイゴ~、アイゴ~、アイゴ~、こんな大変で可哀相なご夫婦をほおっておくわけにはいきません。」そして、課長さんは、胸をバンと叩いてこうおっしゃったのだった。「私にお任せ下さい!」その後、あっという間にF-2ビザが出て、その後、F-2ビザはF-5ビザ(永住ビザ)に昇格し、はんらはめでたく、一生、入管とは縁が切れたのだった。ナント、あの非情の入管の奥の方には、あんな情的で権限のあるお人がいらっしゃるとは夢にも思っていなかった。ウソをつきっぱなしだったはんらとノギさんは、人格者の課長さんの登場で、かなり後ろめたい気持ちを背負って帰宅したのだった。^^
2004/09/01
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