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今日は4時おきで、スケさんカクさんと共にコーチング講座を行ってきました。仲間とともに行う講座はとても安心感があります。参加者に複数の視点提供ができることで、ヒットポイントが拡がるからです。コミュニケーション研修の場合は場作りが効果を占う大きな要因となります。一人が言ってもそうかなあとおもうけれど、2人が言うとううん?となり、3人以上がいうとその意見に他のメンバーが同意する確率が高まるという心理があります。その場を形成するのにチームタッグを組むことで、相乗効果が得られるのです。私は通常は1人で行う場合のほうが圧倒的に多いのですが、その場合は話したり聞いたりする中で、参加者の反応を常にカンサツしながら方向性の舵取りをしていきます。これは、コケた時のたて直しが本当に難しい。それが仲間と遠慮なくどうするか準備ができると、物語の如く進んでいきます。今回、参加者のアンケートを拝見するとおおむね90%以上の人がリピート要請をかけてきています。その要因は複数のコーチのアプローチにあるのです。ひとつのことを様々な視点で提供することで参加者がどこかで受け取ってくれる確率が高まるということをよく示す結果となりました。仲間と共に行う講座の魅力はまだまだあります。開催した講座の振り返りができること。(これって大きいです)でも、無意識で行っていることがとても多い中、しっかり考えて行動することの効用は計り知れません。自分でも気づかなかったさまざまなクセを知り、「ああ!」と前進していく。純情で一所懸命に生きて行きたいと思います。
2008.01.25
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コミュニケーションは自分ひとりではなく、相手が存在することです。自分では良かれと思って働きかけても、伝わらなかったり望まない反応が返ってきたり、期待どうりにはならないことも多々あります。自分が描いたストーリーどおりにはなかなかなりません。人とコミュニケーションを円滑に交わしていきたい。そう思って、コーチングを学び始めました。お蔭様でほんのちょっぴり、少しばかり、人とどう関わっていくかが分り始めた昨今ですが、等身大の自分は、いまだ発展途上です。至らないこと、山の如し。笑い、感動し、怒り、悲しみ、失敗し後悔しながら毎日を過ごしています。閑話休題。一休和尚が船頭と共に河の向こう岸に渡ろうとしている中での物語があります。船頭は仕事もせずに、子どもらと遊んでいるばかりの一休さんが嫌いだった。嫌いなので何かにつけていちゃもんをつけますが、一休さんは反応せず、船頭の言い分を受け入れるばかり。そうした一休さんの言動に船頭は余計に腹を立てて、わざと船を揺らします。そして、一休さんを河面に落としてしまうのです。「助けてくれ~」と叫ぶ一休さんを目の前に見て、船頭は一休さんを助け船に引き上げます。ばつの悪い思いの船頭を前に、一休さんはこう言いました。「ありがとう。あなたは私の命の恩人だ。」船頭は言います。「なに言ってるんだ。俺はあんたを殺そうとしたんだぞ」一休さんは心のそこから感謝して言うのです。「あなたが助けてくれたから、今、私は生きているんだ。」船頭は自分に感謝する一休さんに心を動かされ、嫌う気持ちはついぞ消滅し、なんてひどいことをしたのかと悔やみ、一休さんの優しさに涙するのだそうです。相手に逆らわないことの、なんと強いことでしょうか。相手がどうであっても受け入れ、自分が決めたように人と接していく。思い通りにいかない時、人に嫌われたと思うとき、ずっしりと心にこたえた時に、この物語を思い出します。人との失敗は、本当にこたえるもの。そしてそこから1CMでも前進し、一休さんの心に近づきたい。そう思いながら、また、人との関わりを始めていきます。
2008.01.14
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今日は、寒かったです。「寒い一日」でした。今日、我が家のネザーランドという種類のウサギが天国に旅立ちました。犬でもネコでもないウサギは未知の動物でした。家の中の電源コードは様々轢きちぎれられ(あわや火災!)なんだか人間に馴染まない口が利けない 等々・・・・ウサギってよく分らないなあ。と、思っていたけれど、死んでしまいました。亡骸を抱いて、今日ウサギを洗い、そのために「死んだ」。私が殺してしまった。子どもはそういって泣いています。そんな子どもを見て、私は親としてなす術がありませんでした。できることは、子どもの支援者でいることしかない。旅立った命が語り掛けてくれる寒い夜です。
2008.01.12
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我が家は一人っ子。良くも悪くも母子の関係は親密です。しかし、思春期に入った子どもは、自我の目覚めとともに少しばかり母と距離を取ろうとしている最近です。今までだったら、自分の欲求にストレートに反応していたのに自分をコントロールしようと思えるさまに右肩上がりの「成長」を感じます。そして年初「娘」から手紙が届きました。お母さんは、今年、絶対に成長するよ!私は、そんなお母さんを一番応援する人になるからね。いつでも応援しているよ。思いっきり、お仕事頑張ってね。ああ。思わず、親であることも忘れ。。。認めてくれる娘に感謝し、肩をおされて「やる気」がわきました。ありがとう。ひとしきりじ~んとした後、ふと己を考えると、それにしても、一体どっちが親なのかしら。と、モゾモゾ。母は娘の成長に追いつかないなあ。(ちょっと恥ずかしい)これじゃいかん!支配者から支援者へ。娘のよきコーチを目指して、母、頑張るぞ!と決意する私です。
2008.01.09
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今日は仕事はじめ気持ちも新たに今日から仕事が始まりました。私を生かし、人に役立てる場があります。しかし、役に立っているといいつつ役立たせて頂いていることが事実です。ありがたいことです。ありがたいは「有難い」と漢字で書きます。今のこの思いの最初の一歩は、頭の中の妄想から始まりました。その時点では有り得ない事であり有難いことであり。いつか人の前に立ちたいなあと思うばかりでした。その妄想が頭から溢れてきて、行動に現れ、やがてチャンスを頂いたのです。しかし!最初に人の前に立つことになったときは、それこそ有難いことで本人と共に周囲もとても驚きまして、「あなたが人前で話せるなら私にもできるかもね。」と、人に希望を与えたものでした。それから3年。頭の妄想は、時として整理整頓しながら進化の一途をたどっていきます。夢は叶う。多くの人が言うように私もそう信じています。そのためには、まずは夢を描くこと。見る夢が会って初めて実現に近づくわけですから。2008年が始まります。あなたは、どんな夢を今年描きますか?
2008.01.07
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あけましておめでとうございます。コチラの神様は弁才天の神様。1400年あまりの歴史を誇る榛名神社への参道の途中に、静かにたたずんでいらっしゃいます。不思議なことにこの弁天様の前で写真を取ると、絶世の美男美女に写るのです。確かめたい方は是非、足をお運び下さい。さて、今年もお参りに出かけましたが、今回は自分達の写真ではなく弁天様の写真を撮ってきました。弁天様は、私たち日本においては財宝の神だそうです。私たち一人ひとりが内側から豊かになり、やがては「地球」全体が五穀豊穣になっていったらいいなあ。今年も弁天様にお会いできたことに感謝しながら、本来の豊かな地球に向かうことを心からお祈りしてまいりました。**********弁才天(べんざいてん)は、仏教の守護神である天部の1つ。ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー が仏教あるいは神道に取り込まれた呼び名だそうです。経典に準拠した漢字表記は本来「弁才天」だが、日本では「才」が「財」の音に通じることから財宝神としての性格が付与され、「弁財天」と表記する場合も多いです。本来、仏教の尊格だが、日本では神道の神とも見なされています。弁天とも言われ、ご存知、七福神の一員です。仏教では妙音菩薩(みょうおんぼさつ)と同一視されることがあります。ダソク。この榛名神社で毎年、交通安全のお守りを頂いておりました。数年が経過したある時、夫が交通事故にあいました。4台の玉突き事故に巻き込まれたのです。実況見分した警察の方曰く「よく生きていたね」とのこと。夫も死ぬと思ったそうです。勿論、車は大破しました。信じるものは救われる!?私たちはこの榛名神社のおかげだと信じ、毎年御礼参りに伺っています。
2008.01.02
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