遊心六中記

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茲愉有人

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2020.12.07
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カテゴリ: 探訪
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宗忠神社の勅使門が面する道路の反対側(北側)には、 朱色の鳥居 が見え、 「竹中稲荷大神」の扁額 が掲げてあります。事前に地図を確認していた訳ではないので、この神社があることを知りませんでした。目の前ですので探訪してみることに。
 狛犬像の代わりに勿論 狐像 です。
参道を北へ

社務所と思える建物 が参道の途中、東側にあります。無人のようでした。
参道の途中の掲示に、吉田神社の名が見えました。帰宅後手許の書を調べると、 吉田神社の境外末社 です。「その鎮座由緒をあきらかにしないが、江戸後期頃には遊山と信仰を兼ねて参詣するものが多く、社運は次第に発展し」たそうです。「当社は古墳またはそれに類いする遺跡を神社化したものであろう」とも説明しています。 (資料1)
小ぶりな手水鉢 が参道脇に。

その先に、これも瑞垣になるのでしょうか、あるいは結界に・・・・。 板塀が参道の両側に 設けられ、入口に 一対の狐像 が配されています。

         通り過ぎると正面に 拝殿 、その先に社殿が見えます。

屋根の 獅子口の経の巻には三つ巴の文様 猪の目懸魚 が使われています。
拝殿の正面にも「竹中稲荷大神」の扁額 が掛けてあります。

  拝殿の前で両側に石畳の参道が分岐しますが、
高めの基壇上に設置した 石灯籠 が一対奉納されています。石灯籠の棹は角錐形です。基礎の反花と中台の下部は蓮弁が彫られ、 棹の正面には 常夜燈 と刻されています。


本殿前の 拝所 には、 「竹中稲荷社」の扁額 が掛けられ、拝所には赤色の提灯が沢山吊り下げてあり、 提灯には稲荷大明神と墨書 されています。

本殿 には「竹中稲荷大神」の扁額 が掛けてあります​。
頭貫はシンプルな造形ですが、 蟇股には白狐が飛び出すような形で丸彫り されています。こんな姿の蟇股は初めて見ました。

本殿は一間社流れ造り銅板葺き です。脇障子には装飾がなく簡素です。逆に蟇股が目立ちます。



竹中稲荷社の本殿に向かって左側に、「 天満宮 」が鎮座します。

          小社ですが、 一間社流れ造り銅板葺き と形式は同じです。


駒札によれば、 竹中稲荷社は明治5年に吉田神社の末社に指定された と記されています。
また、天満宮は 嘉永5年(1852) に信徒の請願により 智積院山内より卜部良芳が現地に遷座 したことと、 こちらも明治5年に吉田大社の末社に なったと記されています。
吉田神社と吉田大社の使い分けがあるのでしょうか。私には不明です。

拝殿の右側の参道を巡ってみます。

最初に、若竹大神と刻された神号碑と石鳥居の設けられた小社が目に止まり、

その先に2つの小社が南面して並んでいます。その右側の参道を北に歩むと、

参道の左右に○○大明神形式の神号碑が見え始めます。
 参道の突き当たりも同様です。左方向に巡ると、
竹中稲荷社本殿の背後になります


このあたり一帯には 小社や各種神号碑が数多く 建立されています。伏見稲荷大社の背後にみられる お塚を連想 しました。同種の信仰心によるものかと思います。

境内を巡っていると、西方向への道があります。西は吉田神社のある方向ですので、その道を歩いてみることにしました。

「霊元法皇御幸址」と刻された碑 が目に止まりました。
霊元天皇は第112代で1663~1687に皇位にあった天皇です。第4代将軍徳川家綱、第5代将軍徳川綱吉の時代に跨がる時期です。石碑には、御幸の年月日が刻されていて、享保10年・15年・16年と記されていますので、第8代将軍徳川吉宗の時代です。  (資料2)

樹木越しに、洛北一帯が遠望できます。
道なりに進むと、


 「茂庵」と記された扁額 を掲げた建物 の傍に出ました。
神楽岡(吉田山)山頂近くにあるカフェ&お茶室です。木造建物に風趣があり感じが良い・・・・。

建物の側面 の踏み石を歩み、振り返って撮った ​建物の景色​ です。

     お店の入口近くにこの「茂庵周辺マップ」が掲示してあり、参考になりました。

茂庵の近くに、 山頂休憩広場への道標 がありますので、ちょっと足を延ばして立ち寄ってみることにしました。

東屋 があり、傍に 「吉田山緑地(都市公園)」のマップ が設置されています。

位置関係をわかりやすくするために加筆しました。
赤丸がこのマップのある現在地 です。 方角は左下方向が北に なります。現在位置からは丁度東の方向に、如意ヶ嶽の大文字(左大文字)を目前に眺めるという位置関係です。右上端の黒丸が宗忠神社で、マゼンタ色の丸が竹中稲荷社です。青丸を付けた場所が吉田山の頂上、三角点の設置されている地点です。茶色の丸が吉田神社。竹中稲荷社から見れば、茂庵は北方向になり、山頂休憩広場と三角点とを結ぶ道の中間に所在することになります。

東屋の東側は一段低い場所に広場があります。

      下に降りて近寄ってみると、 方位を示すモニュメント であることがわかりました。


景色をズームアップしますと、 左大文字 の「大」の字の中心、金尾 (かなわ) の部分にある 弘法大師堂 が見えます。


少し寄り道をしてしまったので、引き返します。

吉田山の三角点 です。設置された案内板の右下に 埋め込まれた角柱が三等三角点 です。

吉田山の標高は105.2m
この先から、いよいよ第三の目的地としていた吉田神社に下っていきます。道標が設置されていますので便利です。
 公園のような 広場 の傍を通り、
吉田神社に向かう坂道を下ります。

下り始めると、「 吉田山の里山再生 」という 案内板 が設置してあります。

次回は吉田神社を裏側(山頂側)から入って探訪したところをご紹介していきます。

つづく

参照資料
1) 『昭和京都名所圖會 洛東-下』 竹村俊則著 駸々堂
2) 『歴史探訪に便利な日本史小典』3版 日正社

補遺
竹中稲荷神社の桜 ​  :「京都の紅葉絶景写真集」
茂庵 ​ ホームページ
霊元天皇 ​  :ウィキペディア
霊元天皇 ​  :「コトバンク」
三角点 ​   :ウィキペディア
大文字五山の送り火 ​  文化史 :「フィールド・ミュージアム京都」
五山送り ​火  :ウィキペディア

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Last updated  2020.12.07 11:37:23
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