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2024.05.12
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カテゴリ: 観照 & 探訪

奈良公園の入口 に、この 掲示板 があります。
興福寺境内から再び三条通に戻り、迂回する形でここに至りました。


A4サイズで二つ折りの PRチラシ です。 空海の生誕1250年記念特別展として開催 されています。展示品の中のハイライトは、 修理後初公開の国宝・両界曼荼羅(高雄曼荼羅) です。

訪れたのは平日(5/9)の午後でしたが、思っていたよりも来館者数が多い印象を受けました。
「空海」のネームバリューがそれだけ大きいということでしょうか。

 公園内の歩道を東に進み、
この展覧会案内を見つつ、新館に向かいます。



入場券半券

 購入した 図録の表紙
ご覧のように、一貫して 国宝・両界曼荼羅(高雄曼荼羅)の一部が特別展の案内等に使われています

金剛界曼荼羅の一印会に描かれた大日如来像 が切り出されています。
私が訪れた日は 特別展前期の終わり近くでしたので、 「胎蔵界曼荼羅」の展示でした
「金剛界曼荼羅」は後期(5/14~6/9)展示 です。
残念ながらこの大日如来の図像そのものは見ることができませんでした。


この 高雄曼荼羅は、「4.神護寺と東寺 -密教の流布と護国」のセクションに展示 されています。
紫綾金銀泥による曼荼羅図。平安時代(9世紀)に制作されました。
大同4年(809)7月、唐から帰国した空海は約3年を経て、都に入ることを許され、高雄山寺を拠点として活動を始めました。高雄山寺は後に定額寺になる時点で「神護寺」に改称されます。空海は弘仁14年(823)までこの高雄山寺を拠点にしましたが、朝廷より「東寺」の運営を任されたことで、東寺に拠点を移したそうです。 (図録より)

「淳和天皇の御願により、天長年間(824~834)に赤紫色の綾地に金銀泥を用いた巨幅の両界曼荼羅、通称高雄曼荼羅が描かれている。この曼荼羅は、空海が制作に関わった現存唯一の曼荼羅で、恵果より授けられた図録をもとにしていると考えられている」 (図録より一部転記)

会場では、「胎蔵界曼荼羅」を見ました。縦437.2cm、横388.7cm という巨大な掛幅です。博物館の壁面一杯に掛けられていて、まず圧倒感があります。現状維持としての修理が原則のようなので、金銀泥による図像は褪色等により見づらくなっている箇所もあります。しかし、よく保存され現存するということにまず驚嘆しました。

今回の特別展は、次の章構成で展示されています。
 1.密教とは -空海の伝えたマンダラの世界
 2. 密教の源流 -陸と海のシルクロード
 3. 空海入唐 -恵果との出会いと胎蔵界・金剛界の融合
 4. 神護寺と東寺 -密教流布と護国 
       ①高雄山 ②東寺と護国密教  ③多才なる人-執筆活動
 5. 金剛峯寺と弘法大師信仰


西新館1階の西端に、記念撮影場所が設置されています。

第1章の始まり は、この 「五智如来坐像」 (国宝、平安時代9世紀、京都・安祥寺蔵)が第一会場の中央に配置されています。この五智如来坐像を、私は京都国立博物館の平常展示で見慣れていました。しかし、今回、 大日如来坐像を中心にして、東西南北の四方向に、阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就の各如来が外向きに配置されている のは、新鮮な感じでした。
私は今まで、京博で大日如来を中央に左右に二如来ずつ配されて横一列に並んだ五智如来坐像を繰り返し見てきただけでしたので。
鑑賞者が周囲を巡りながら五智如来坐像を眺めることができるように企画されたのでしょう。
もう一点、立体的配置と言っても、記念撮影場所にみるように、 立体的に配置された五智如来坐像を一方向から眺められるという形ではない ということです。
この展示のしかたがまず印象に残りました。

チラシより
会場入口の近くに は、まずこの 「弘法大師坐像」 が展示されています。PRチラシからの引用です。会場で、大師像は左手に真新しい数珠をにぎっていらっしゃる。それがまず目に止まりました。肖像彫刻と数珠の新旧のコントラストがおもしろい。
高野山で空海が入定する際に描かれた図像をもとに彫像された坐像だそうですが、この肖像彫刻は空海の若々しさ、エネルギーを感じさせます。

前期として、西大寺蔵の絹本着色 「十二天像」 (国宝、平安時代9世紀)全幅を鑑賞できました。ただ、かなり褪色が進み、顔貌や装束などが不鮮明になってきていて図像が分かりづらくなっているのは、しかたがないとはいえ残念。しかし、じっと眺めていますと、おぼろげに顔貌が見えるように思えるのもありました。

今回の展示でまず印象に残るのは、 やはり密教におけるマンダラ(曼荼羅)世界が全体の基調に なっていて、章にまたがって様々な時代に描かれたマンダラ図が展示されていたことと、 マンダラの見方について、わかりやすい説明パネルが会場に掲示してあった ことです。今回、特に金剛界マンダラを眺めて行く順番の説明が私には役立ちました。

それと、やはり 密教法具が数多く展示されている点が印象深い
第1章では、奈良・室生寺蔵の 「両部大檀具」 (重文、鎌倉時代14世紀)が一式、整然と配置され展示されています。
チラシより
第3章 には、この 「金銅密教法具」 を始め、 三鈷杵、五鈷鈴なども 展示してあります。
これらの法具を眺めていて、ふと、これらが古代の武器を源流にしているなら、かつては弧状に象られている鈷(刃)の部分が一定の角度で真っ直ぐに伸びていたんだろうなと思いました。弧状にして殺傷力のない形状にすることで、仏教の世界に法具として位置づけた。そんな連想が湧きました。


第1章の最後あたりに展示 されているのがこの 「不動明王坐像」 (重文、木造彩色、平安時代9世紀、和歌山・正智院蔵)です。
これは空海の構想に基づく東寺の講堂像がルーツだそうで、 「弘法大師様」不動明王坐像の一例 だそうです。東寺の講堂は、空海の構想による立体曼荼羅の世界として有名です。
不動明王坐像は第5章にも展示されています

会場入口で、「展示品一覧」のリーフレットとともに、 「NHKジュニアガイド」 と表紙右上に記された 「鑑賞ワークシート」 を入手しました。縦長の三つ折りにしたシートです。
表紙では、 「空海さんってどんなひと?」 と投げかけ、開くと 、「空海と密教の旅マップ」 の図があります。ワークシートとして、会場の展示品を巡りながらマップに漢字一文字を書き入れていこうというミッションが課題にしてあります。

この図解を見ますと、インドから 大日経が陸のシルクロード経由で中国・西安に もたらされ、一方、 金剛頂経はインドネシアのジャワ島に渡り、海のシルクロードを経由して、陸に上がり西安に もたらされたようです。遣唐使の一行に加わった空海が、この二つのルートを経てきたものを、密教の成果物として携えて、西安から日本に帰国したのです。

第2章 では、インドネシアのジャワ島で出土した密教関連小像群と密教法具が展示されています。海のシルクロードが取り上げられています。

チラシより
ジャワ島東部のガンジュク出土の銅製 「金剛界曼荼羅彫像群」 ​(​ 10世紀、インドネシア国立中央博物館蔵) 46軀 の展示が印象に残ります。今まで密教をインドネシアと結びつけて考えることがなかったので、一つの刺激になりました。
ジャワ島出土の展示品、銅五鈷鈴の一つに、鈷(刃)が弧状ではなく、開いているのが展示されています。

第3章 には、 「高野大師行状図画 巻第二」 (重文、鎌倉時代14世紀、和歌山・地蔵院蔵)が展示されていました。渡海入唐の場面、大波の海上に浮かぶ遣唐使船が描かれています。これは、 後期には、「弘法大師行状絵詞 巻第三」 重文、南北朝時代1389年、京都・東寺蔵)に入れ替えされる予定です。
チラシより
これは 後期展示の絵詞にある渡海入唐の場面 です。
手元の図録を眺めていて、ほぼ同じ状況で遣唐使船が描かれているのですが、船上の屋形の描写がかなり違います。そこが興味深い部分です。絵師は何を参考にしたのでしょうか。図録で振り返るうえで、こういう対比ができるのはおもしろいことの一つです。

チラシより
第3章の展示品の一つ。大理石製 「文殊菩薩坐像」 (一級文物、唐8世紀、中国・西安碑林博物館蔵)です。
この文殊菩薩坐像だけが、展示品の中で撮影可能でした。鑑賞者が移らないように撮った写真を載せておきます。





チラシより
この 「諸尊仏龕」 (国宝、和歌山・金剛峯寺蔵)は木造で、中国・唐(7~8世紀)の作。空海が帰国の折に将来した品です。空海の枕本尊と称されてきたもので、総高23.1cmと小型な仏龕だそうです。

これら二つの作品から、遠くインド、ヘレニズムの香りを感じとれるところがあります。

また、 第3章に は、京都・教王護国寺(東寺)蔵の絹本着色 「両界曼荼羅(西院曼荼羅<伝真言院曼荼羅>」 (国宝、平安時代9世紀)が2幅、展示されていました(前期)。胎蔵界を例にとると、縦183.6cm、横163.0cmのサイズです。
こちらは色鮮やかで、図像が実に細密です。図像が明瞭で鑑賞しやすかった。
両界曼荼羅の構図と内容について、知識不足を痛感しました。全体図の絵解きができるための基礎知識が必要と感じた次第です。

第4章に 展示の高雄曼荼羅は最初に触れています。
図録の裏表紙
これは図録の裏表紙に使われている 「風信帖」 (国宝、京都・東寺、平安時代9世紀)の一部(前期展示)。空海が最澄に宛てた手紙。最澄に宛てた手紙なら、なぜ東寺に?
空海が最澄に宛てた手紙はかつて5通あった そうですが、そのうちの 3通をまとめて一巻にしている そうです。
その一通目の書き出しが「風信雲書」で始まることから「風信帖」と称されるとか。
「附属する文書から、かつて比叡山にあったが、文和4年(1355)に東寺へ寄進されたことがわかる」 (図録より) とのことです。疑問解消。

第5章 では、まず 快慶作「孔雀明王坐像」 (重文、鎌倉時代正治2年/1200年頃、和歌山・金剛峯寺蔵)が目を惹きつけました。木造、彩色截金の彫像です。端正で緻密、かつ煌びやかなのですが、ケバケバしさは感じません。抑えた華やかさという印象です。


この章では、前期展示なのですが、絹本着色の 「伝船中湧現観音像」 (国宝、平安時代12世紀、和歌山・龍光院蔵)が展示されていました。空海が入唐する際、渡航中に嵐に遭遇しますが、観音菩薩が現れて荒波が鎮まり、無事渡航できたというエピソードを表しているそうです。

絹本着色の 「五大力菩薩像」 (国宝、平安時代10~11世紀、和歌山・有志八幡講蔵)三幅のうち、 前期は「金剛吼」 が展示されていました。縦322.8cm、横237.6cmという巨大な図像です。迫力極まりなしというところ。当時の人々はこの像を眺めて恐れおののいたかもしれません。


この空海展の最後を締めくくるのもまた空海像です。これは 「萬日大師」 と通称されている坐像。
少し左方向を向いて坐す像 で、若き空海という印象を抱かせます。入口近くの肖像彫刻像よりさらに若い頃を感じさせる像です。
正面向きの坐像を見慣れてきていますので、その相貌とともに新鮮な感じを受けました。

この特別展の展示を見て、一歩踏み込んで展示品を理解するには、密教に関連した基礎知識をもっと吸収する必要があるなあと改めて痛感しました。

展示会場を出た後、博物館の庭の緑を眺めてから、仏像館に向かいました。

つづく

参照資料
*生誕1250年記念特別展「空海」展示品一覧
*図録『生誕1250年記念特別展「空海」』 奈良国立博物館 2024
*本特別展のPRチラシ

補遺
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  ​ 弘法大師空海
  ​ 講堂 ​  境内のご案内
  ​ 立体曼荼羅
高野山真言宗 総本山金剛峯寺 高野山 ​ ホームページ
  ​ 弘法大師の誕生と歴史
弘法大師霊場 遺迹本山 高尾山神護寺 ​ ホームページ
  ​ 神護寺沿革史
空海 ​    :ウィキペディア
エンサイクロペディア空海 ​  ホームページ
生誕1250年記念特別展 空海 -密教のルーツとマンダラ世界 ​:「NHKアーカイブス」

 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

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Last updated  2024.05.17 12:15:13
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