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「恐驚疑惑」これは剣術や古流武術で云われている武道に於ける四戒である。以前書いた「一眼 二足 三胆 四力」の四要素とは逆の教えである。要するに、やっちゃいけないこと。武道の四戒を絶ち、心身を一如にしなさい。という崇高な教えなのであります。会津藩武士の子弟教育に「什の掟」というものがあったが、什の掟七項目の後に・・・「ならぬことはならぬものです」とある。一々ならぬ理由を説明し、納得して貰おうとする現在の「屁理屈人間製造教育」で、屁理屈人間を量産し続ける現代日本に失われたものは、会津の「什の掟」や、薩摩の「郷中」のような武道教育だろうと思う。ならぬものはならぬ・・・これでいいのである。厳しさの中に咲く一輪の優しさ・・何でもかんでも理屈をくっ付けないと納得しない人間。理屈で教えないと理解できない思考回路の貧弱さ・・・感じ取る・読み・想像する・立体思考・これらは理屈人間の思考では捉えきれない。このような感覚が鈍化したために、屁理屈が口を開いて軽々しい言葉が飛び出してくる。屁理屈人間は、何かを学ぶ姿勢も知らない。厳しさの中に身を於いて修行をしたこともないために世の中を舐めてしまう大人になってしまった。叱られもせず、叩かれもせず、誉めて育てろとばかりに育てられた子供が、誉められないといじけ、頭に乗らせると人を舐め切った大人になって行くように・・こういう人間は、屁理屈をいう前に、有無を言わせず叩きのめされる道場の理屈抜きの修行を体験した方がよろしいようだ・・「什の掟」「郷中」などのような理屈ではない教育こそ生きた人間教育だとしみじみ思う昨今・・◇会津藩「什の掟」一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ 二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ 三、虚言をいふ事はなりませぬ 四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ 五、弱い者をいぢめてはなりませぬ 六、戸外で物を食べてはなりませぬ 七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ ならぬことはならぬものです◇薩摩藩「郷中教育」1、武士道の義を実践せよ2、心身を鍛錬せよ 3、嘘を言うな 4、負けるな 5、弱いもの苛めをするな 6、質実剛健たれ 7、たとえ僅かでも女に接することも これを口上に昇らせることも一切許されぬ8、金銭利欲に関する観念を最も卑しむこと =達人養成塾=☆体幹操作法の習得は諸芸全般一流の登竜門!☆「極意」とは意識を極め自在にすること!☆一瞬にして相手の力を無力化する技法とは・・?8月度「体幹操法」チャリティーセミナーへどうぞ!
2011/07/31
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「心頭滅却すれば火もまた涼し」織田信長に火責めにあった時に、甲斐恵林寺の快川紹喜が残した言葉であるようだ。心頭滅却できればそうかも知れない。しかし、心頭を滅却して無念無想の境地には、我々凡人は中々なれない。しかし、心頭を滅却せずとも・・・「心頭を没頭すれば苦もまた楽し・・」なら、できるかも知れない。生涯、自分が火の中に入るという確立は極めて少ないだろう。だから、心頭を滅却できる程の人物になれなくても大丈夫である・・でも、この人生、苦難には幾度となく遭遇するだろうと思う。それじゃ、心頭を滅却する程のことはなくても、心頭を何かに没頭しながら生きればいいじゃない?人は没頭するとき、苦痛や痛み、悲しみなどを抑える脳内物質が活発化するらしい。確かに・・不平不満を言わず、黙々と取り組んでいる人は「心頭を没頭して苦もまた楽し・・」という顔付きをしている・・逆に、不平や不満ばかりを口にする人は、集中できず、没頭できず常に外が気になるようだ・・人生・・一生を通して「心頭を没頭・・」して生きられる人は、それだけで最高の人生を活きているのかも知れない・・・=達人養成塾=☆体幹操作法の習得は諸芸全般一流の登竜門!☆「極意」とは意識を極め自在にすること!☆一瞬にして相手の力を無力化する技法とは・・?8月度「体幹操法」チャリティーセミナーへどうぞ!
2011/07/22
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「一眼 二足 三胆 四力」いちがん にそく さんたん しりきと読む。古流剣術や武道武術の大切な四要素として、重要な教えである。一番先に挙げている「一眼」とは・・これは肉眼で見ると言うより、一言で云えば相手を心の眼で観るということである。勿論、肉眼で見ないと言って目を瞑ることではなく、相手に目を停めないと云うことであり、心眼で観るということである。「観見二様の目付け」といい「観の目強く、見の目弱く」と武蔵は云う。次に「二足」であるが、打撃にしても掴みにしても、素人ほど手先で打ち、掴もうとして、足の動きが定まらない。「立合いは刀で打たず手で打たず、腰を極めて足で打て」との教えもあるように、腰を基盤とした足運びが根本である。三番目が「三胆」である。 胆は腹、骨盤・・臍下丹田の位置を云う。どれほど素早い技や、どれ程の剛力があったとしても人体の中心であるこの胆力が創られていないと、イザという時に腰が抜けてしまう。合い抜け覚悟で前に出る決断と度胸がなければ技量も役に立たず。 最後に「四力」であるが、一つには力=筋力なんてほんの少しあればいい。という意味でも解釈できる。とは言っても、最後の最後には体力勝負になる場合もあるので、筋力は全くいらないと間違って解釈してはいけない・・摩訶不思議な力を得たいがために机上の空論になって、現実から目を背けてはいけないという事である。吾 事に於いて後悔せず 独行道=達人養成塾=☆体幹操作法の習得は諸芸全般一流の登竜門!☆「極意」とは意識を極め自在にすること!☆一瞬にして相手の力を無力化する技法とは・・?7月度「体幹操法」を体感するセミナーページへどうぞ!
2011/07/19
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第三種のテコの原理は、発生源の最小の動きが末端では大きな動きへと変換し拡大する。と定義すると、釣竿の動きにヒントが隠されている。手元”力点”の小さな動きで、竿の先端、もしくは釣り糸や釣り針”作用点”には、数メートルの大きな動きを作り出すことができる。これを人体で考えると、単純に先ず、力点となる体幹操作の小さな動きで、作用点の手先には大きな力となって伝わって行くことになる。しかし、身体の場合、単純に支点、力点、作用点だけでは説明をするのには多少無理がある。釣竿のように素材自体が、力を伝えていくように作られていればいいが、人間の体は人によってまちまちであって、また釣竿のように一定した動きをしない。まず、力点からの小さな力を、作用点になる手や足の末端まで拡大しながら滞らせずに連動しなければならない。そのためには素材である身体を、力の流れを抵抗なく連動する素材に作り変える必要がある。それが私どもが基本にしている「体幹操作の基礎練習」であり、先ずは、意識や力やエネルギーの通り道である身体内部を整えて、連動し易いように改造して行くことが前提であると言えよう・・・地面から足首・・・・・作用する手先まで、スムーズに連動できる身体能力を開発することが必須である。☆心常に兵法の道を離れず☆ 宮本武蔵 独行道=達人養成塾=☆体幹操作法の習得は諸芸全般一流の登竜門!☆「極意」とは意識を極め自在にすること!☆一瞬にして相手の力を無力化する技法とは・・?7月度「体幹操法」を体感するセミナーページへどうぞ!
2011/07/13
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