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NO SIDE~皆さんご存知、ラグビーの試合終了後のことをノーサイドというらしい・・試合が終われば、敵も味方もないよ・・ということなのだそうだ。日本の武道精神にもNOSIDEは存在する・・日本人は、古から道徳や人が生きる道を宗教に求めるよりも、武士道精神に求め、これに影響を受け、人としての道理を自然とこの精神に学んだ。武士道が目指した「忠誠、勇敢、自己犠牲、信義、礼節、名誉、質素、情愛」などは日本人の他を敬う精神を養い、敗者を労わる精神を育んだ。武道精神は、本来、己を練磨し高めることにあり、人を殺傷する目的にはない。結果として、止む無く人を傷つけることになったとしても、最小限に抑える高度な術技が必要であった。「勝負は鞘の中」で決まるのであって無闇に武器を振りかざし、また無用に我が力を人に見せびらかすものではない。「知る者は言わず、言う者は知らず」の言葉の如く強がって罵声を発する者ほど実力は無い・・逆に、平然と構えもせず黙してたたずむ人の方が、出来る!・・と読むべし・・・しかし、これもこういう状況になった時のことであって、武道は本来、自分を高め人間を磨き心身を一如にして動ぜず、自然の法則と一体となることにある訳であり、相手との争いはあくまで避ける精神が無ければならない・・=達人養成塾=☆体幹操作法の習得は諸芸全般一流の登竜門!☆「極意」とは意識を極め自在にすること!☆一瞬にして相手の力を無力化する技法とは・・?9月度「体幹操法」チャリティーセミナーへどうぞ!
2011/08/31
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体を液体として使うか・・固体として使うか・・ここに武術修行の大きな鍵が隠れている・・地球上の大多数の人間は、無意識ではあるが・・体幹を一つの固まりとしてしか使っていない。言い換えれば、人体の約70%は水分であるにも関わらず、ごく限られた人たちを除いたほとんどの人間は身体を固め、固体として使っているのだ。それは現代の武道武術でも、同じことで、身体を流体(液体)として使う術を修得している武術家は非常に少ない。体幹トレーニング・・なるものがクローズアップされている昨今だが・・内容は体幹の内部にあるインナーマッスル(深層部筋)を強化して体幹のパワーアップを計る・・云々同じ体幹トレーニングでも、少し上級であれば、骨盤周辺に位置する深部筋である腸腰筋郡を強化するとともに、胸郭部周辺に位置するローテイタ・カフなども強化し、それらを連動して使う・・筋肉運動学的には非常に正しいのだが、それ以上の理論、説明をするものは、皆無と言っても過言ではない。確かに・・それから先は、言葉では説明ができないのかも知れない・・が、たまにそのような術理を扱っていそうな書物を見つけても、結局は宇宙エネルギーだの・・気だの・・に終始する。それを以ってしか、言葉では説明が出来ない仕方のないことかも知れない。これは身体を通して学ぶしかないのだろう・・飛鳥塾 「身体理論」を幾つか記すと・・1、体幹を筋肉の連動により操作する・・2、体幹を流体として操作する・・3、体幹を軸として操作する・・4、体幹を波として操作する・・5、体幹を球体として操作する・・などなど・・まだあるが・・基本的には、実際、順を追って訓練して行くのだが、この中の一つでも完全に習得できれば、恐らく一歩ならずとも、何歩も何十歩も達人に近づくだろう・・=達人養成塾=☆体幹操作法の習得は諸芸全般一流の登竜門!☆「極意」とは意識を極め自在にすること!☆一瞬にして相手の力を無力化する技法とは・・?8月度「体幹操法」チャリティーセミナーへどうぞ!
2011/08/22
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人間を鍛える・・体を鍛える事ではなく、人間を鍛える・・体よりむしろ内面を鍛える。厳しい修行と言うが、肉体的な厳しさよりは心を如何に修行したか・・これはその人の内から滲み出てくる。その人の品格となって強さと優しさに現われる。私の修行時代・・その時には気付きもせずに「どうしてこんな細かい事を・・」どうして、どうして、どうして・・の疑問ばかりが心を巣くっていた一時期、不満だけが頭を満たし、そんな日々があった瞬間を思い出す。しかし今思えば、あの修行が無かったら、私は今、強さばかりを追い求め、礼を知らず、わきまえず、力だけ強い、思慮の浅い粗野な只の愚か者になっていたに違いない。厳しさの中に、自ら足を踏み入れて行くのが修行であって、厳しさを避けて通る道を探して生きるのも同じ人生だけれども、どう生きたら損とか得ではなくて、その人間の生き様の問題なのである。人は誰も、弱くて愚かで品格も持たずこの世に生を受け、世の中という大海に放り出され、自分の脳に刻まれたセルフイメージに沿って生きている。私は思う、人は厳しさの中に自ら身を置いて鍛えられてはじめて人間に目覚めるのだと・・厳しさを知る人は、しばらく接すると解る・・人間の味だろうか・・人間の深みだろうか・・何か匂い立つものがある・・覚悟の出来た人・・深みのある人・・自然体の人・・私はこういう人に成りたい・・=達人養成塾=☆体幹操作法の習得は諸芸全般一流の登竜門!☆「極意」とは意識を極め自在にすること!☆一瞬にして相手の力を無力化する技法とは・・?8月度「体幹操法」チャリティーセミナーへどうぞ!
2011/08/14
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「郷に入らば郷に従え・・」皆さん良くご存知の有名な言葉であり教えである。新しい場所に行ったら、その場所の習慣や生活に合わせて生きた方がいいよ。その場所には、その場所のルールがあるし、そのルールに順応しないと生きて行けないよ。と言うような意味である。郷に入らば郷に従え、「郷に従う」という意味は今まで自分が身に付けた習慣や知識などを、一旦白紙にするということでもある。世の中には、時々外で得た知識や情報を得意気に場所が変わってもペラペラと喋る人間がいる。このような人は、非常に損をするタイプの人なのだが、至って本人は気付きもせず、得意気に喋り続ける・・「口叩きの手足らず」の如くに・・自分の知識や技量を人に見せないと気が済まない、こういう人は、胆に納めるということを学ばなければならない。孔雀が羽を広げて雌にアピールするように、外部に認めて貰いたい!自分はこんなに優秀なんだよ!と訴えているようにも見える・・「郷に入らば郷に従え」~自分を白紙に戻して、今いるこの場所からスタートして、新たに学べ!とも言える・・逆に言えば、「郷に従わない人」は、ここで学ぶ気がない人なのか・・それより先に、学ぶ姿勢を学ばねばならない人なのだろうか・・また、抽象的表現で気付く人と、気付かない人がいる・・具体的に詳細に説明しても解らない人・・一を聞いて十を知る・・十を聞いても一しか解らない人もいる・・この差を才能と見るか・・能力のあるなしと見るか・・はたまた集中力の欠如、やる気の無さと見るか・・何れにせよ外部にばかり心を置く人の定めである。=達人養成塾=☆体幹操作法の習得は諸芸全般一流の登竜門!☆「極意」とは意識を極め自在にすること!☆一瞬にして相手の力を無力化する技法とは・・?8月度「体幹操法」チャリティーセミナーへどうぞ!
2011/08/11
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斬り結ぶ太刀の下で、その刀を見て「来た!」と思えば、その刀に心を引きずられて、我が自由を失い斬られてしまう。斬り結ぶ太刀は見ても、どうかわして、どう打ち込もうかなどと思慮分別を一切心に持たず、つまり少しも心が囚われることなく、ただ只相手に応じて無心に動けば勝機も出てくる。 不動智神妙録より相手から腕を掴まれる、胸倉を掴まれる、今まさに殴り掛かられようとしている・・こんな時、人間は皆それを見て感じて、その事に執着してしまう。そして体を固め身構え、心弱き者は金縛りに会って身動き一つ出来なくなってしまう。ある程度修行を積んだ者でも、筋肉を収縮させ緊張のあまり、身体は固い動きになって居着いてしまう。これはもう、身体の鍛錬やトレーニングを山程積んだとしても何一つ解決される問題ではない。だが只一つ解決できる方法があるとすれば、それは心を強くする修行をするしかない。心を強く・・内側を観る修行をするのである。逆に言えば、外側を見ない修行をするのである。もっと言えば、肉眼に頼らない修行をするのだ・・=達人養成塾=☆体幹操作法の習得は諸芸全般一流の登竜門!☆「極意」とは意識を極め自在にすること!☆一瞬にして相手の力を無力化する技法とは・・?8月度「体幹操法」チャリティーセミナーへどうぞ!
2011/08/06
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