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沖縄、どうやら冬は完全に終わりました^^今年の冬は寒かったです。と言っても10度を下回ることは1度か2度あったかな、と言う感じですが^^ですが、防寒対策をするほどでないのでかえって体感は寒いと感じるようです。九州は雪がありましたがインナーやアウターを装備するので寒さをまったく感じませんでした。さて、人間の心の仕組みって本当におもしろいです。でも深みに入っていけばとても明快なシステムになっていてちゃんとはずしたりうけいれたりてばなしたりすると本当にめかたがかるくなったり透明度が上がったりまた理解力が上がったりもします。レイキセッションの直後に視界が広がった!とおっしゃる方も多くそれは例えば身体がほぐれると血行がよくなって視界が明るくなるというように意識のブロックがほぐれるとやはり世界が明るくなるのだと思います。人間の意識の視野というのは面白いです。セッション前にご質問をした時の答えと同じことをセッション後にしてまったく違っているということもよくあります。ある症状が、どんな時に変化しますか?とうかがってまったく変化がない、という答えがそういえばあの時は違った、あの時はまったくなかった、という風に変わります。同じ過去のことでそれほど変わってしまいます。自分が視界のどの地点に立ってみるかで同じ過去の景色も違って見えるのです。ですから、過去は変えられないと言いますが確かに起こったことは変えられないけれど自分にとってそれがどういう出来事なのか、ということは一瞬で変わるということです。それが変わるということは過去は変わった、と言うことと同じです。今が変わると、過去も変わるということなんですよね。
2011.02.27
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久しぶりの更新となりました。なんだか彩りあるにぎやかな2月を過ごしています。沖縄移住後初の旅行に行きました。一度単身で東京へセッションのために行ったのですが夫婦で旅行は初めてです。移住自体が毎日旅行みたいな感じでしかも何とか根を降ろすことに集中していたのでまったく移動したいという欲求が起こりませんでした。ようやくこちらへ着地した証なのかもしれません。九州の熊本、黒川温泉に宿泊しましたが本当に最高でした。私はセッションで熊本の方々と交流させていただいていてご縁を感じていたのですが場所は本当に特に意図せず消去法のような感じでだんなさんと相談しつつ決めました。九州、阿蘇近くの山々は圧倒的に美しく壮麗でした。日本の南端にありながらやはり沖縄とはまったく違う、大和の国の面持ちをたたえていて人はあくまで温かく凛として、細やかな気配りと驚くべきナチュラルさで本当に心底温められ感動の連続でした。黒川は集落自体が温泉郷で町全体がおもてなし体勢にあるようで旅館のスタッフ、レストラン、お土産やさんの店員さんもちろんのことですが例えば宅配のトラックの運転手さん、お肉屋さんの配達のお兄さんまでがスーパーナチュラルに笑顔で声をかけてくれます。全体に若いスタッフが多いのですが接客が落ち着いていながら、毅然として、軽やかでさわやかです。これは単に決め事だから、とか、テクニックだけでできることではないとひしひしと感じました。旅行の最後のほうで知ったのですが黒川は町全体で協力して、全体をひとつの庭のように見立て宿泊するすべての人をみんなでもてなすようデザインされているそうでなんとか協会からおもてなし部門で表彰されるほどです。たくさんの人が、個の発展と共に全体の発展を願い協力しあう中からこんなエネルギーが滲み出るのだろうと感じます。利を奪い合うのではなく分かち合うという発想をベースに高めあう中から生まれた自信が力の抜けたまっすぐな誇りや思いやりを生むのではないかと考察しました。また本当に食べ物がおいしかったのですが自家栽培のお米の炊き方ひとつとっても感動的でした。あんなオーラのあるご飯を見たのは久しぶりでした。それから長いことかかって「LOST」というアメリカの連ドラを見ていましたが先だって、完了しました。なぜか東京で歌っていたときにそれほど親しくないお客さんがシーズン1の10話くらいまでをDVDに焼いていて「おもしろいから観て!」と手渡されたのが始まりでした。確かにおもしろかったのですが沖縄へ来て全部観ることになるとは思いませんでした。確か他の映画のDVDを観ていて番宣に入っていて私が主人に「これ、持ってるんだよね」と言ったのが始まりだったと思います。持っていた分を観ている時なんだかこれは主人と観る運命なのではという想いがふとよぎりましたがいやいや、連ドラなんかにはまっている場合じゃないと思っていました。持っている分を観終わって主人が「確かにこれは面白い。でも、観ない。今はこれに時間を費やしてる時じゃない」と言いました。そうだね、と答えて一件落着したはずが翌日主人は静かにレンタルDVDを取り出し、「観るよ」と言うことになりました。最初のほうはサバイバルものという感じでしたが人間のエゴのドラマを網羅してる、これは意図してそう描いていると思わせる部分が大でした。結果としては本当にそうで人間のミクロのドラマから最終的にはマクロまで広がっていきました。時間と空間、神と宇宙という具合です。そして、人間。本当に人生というものを様々な次元からフォーカスしていて5次元までの宇宙の仕組みを映像という2次元で表現してしまうというような不可能を可能にしてしまったような画期的な表現作品でもあったと思います。本当に面白かった。はまったにはわけがある、という作品でした。長くなりましたので今日はこのへんで、おやすみなさい^^
2011.02.23
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2012年が近づいています。マヤの暦の終末でその後の世界はどうなるのか、というようなことが言われていますがマヤ部族の酋長さんはみなさん、恐れないでください、とテレビで言ってました。スピリチュアルというものが市民権を得てきているので世紀末のような終末思想という空気ではなく希望のようなものを感じますしそこ焦点を当てて前進している方も多いと思います。ゲリー・ボーネルさん(アカシックチャネラーで心理学者、哲学博士、催眠療法家)はこの時期を5次元へのシフトの時期と言っていて光の12日間と言う現象が起こる、とアカシックリーディングで述べています。世界のすべてが光って全部が光で繋がってるようになってみんながそれを見るということです。ぜーんぜん実感がなくて、へー、と思っていたのですが最近、あれ、もしかしたら、と思うようになりました。私は瞑想中に金色のあみあみオーラ(第7層と言われて、万物を一つに繋げる光の次元のようです)が見えて以来意識をワンネスに向ける時にはいつでもそれを見て暮らすようになりました。これを見ていると本当に世界は一つに繋がっていると実感するのでとても幸せで満ちたるし自分の意図は完璧に世界に伝わるのだとわかるので自分の思考や感情や意識のすべてにとても丁寧に向き合うようになります。プラーナはもちろんなのですがこのあみあみをいつも見ていると心の中で気づきがあった瞬間にプラチナのような、青白い点々の光りがぱっと飛び散ったりするのもみるようになりベッドでぼーっとこれらの光を眺めるうちにあれ?光の12日間ってこれがもっとぜーんぶ光になってずーっと、みんなの中に起こるような感じ?と、ふと思いました。あるヨギの自叙伝を読んでいても世界のすべてが光だという場面をヨガナンダが目の当たりにするところが出てきます。マスターと呼ばれる彼だって生きている間はそれにびっくりしたりしていつもそうで、当たり前だったわけではないんだなと思います。だから、地上の人たちがいっせいに万物の組成が光だという次元を目でみるようなことになったらそれはすごいかもしれないな、と思ったのです。ゲリーは、その時までに多くの人が葛藤を手放す必要があると言います。私もそれにはとても賛成です。葛藤は苦しみと言ってもいいと思うのですが葛藤があると人間の脳の状態はファイトorラン(戦うか逃げるか)という肉体存続のための本能にフォーカスが行ってしまって3次元に縛られてしまうからです。3次元に縛られていると当然のことながら5次元(愛や光の次元のほう)へは行くことができません。金色のおみあみオーラは心が静かだとくっきりと見えます。頭が思考に行ったり何かの考えに気をとられているときは少し薄くなります。現実的な、例えばお買い物なんかに集中しているともちろん見えません。それは、見ようという意識がないからだと思います。お買い物をいったん置いておいてワンネス(根源なる神)、と思うと見えます。余談ですがセラピーではよく、多くの人が今の状態になった理由を知りたいと思っています。確かにそうです。今こうであることには原因があります。因果律は宇宙の法則です。ですが、理由を知ることで安心しようとするのは人間の思考(表面意識)ですので安心するのは意識全体の100(万)分の1に過ぎません。それでは癒しは起こりません。潜在意識の部分で納得し卒業する(手放す・赦す)ことができて初めて癒しが起こります。原因探しは、葛藤の延長でしかないので結局は救いにはなりません。あなたは前世でこんなことしたから、今こうなんだよ、と言われてもそれだけでは癒しが起こりません。そのことを自分で思い出して、共感し、赦すことでそのカルマを卒業できます。で、おもしろいのは悲しみとか怒りとかいわゆるネガティブな感情とみられている状態にいる時はどうかというとちゃんと見えます。ブルーな時、浮かない気分の時ああ、こんなんじゃあひとつに繋がれないかなぁと思ってもそんな中で、光よ、助けて、と思えばちゃんと繋がります。でも、それを悪いものとみなしてその状態を何とかしようとしてあれこれ理由を考えたり抵抗して抑えつける状態が続くとやっぱり薄くなっていきます。つまり、批判や葛藤なしにただ感情を感じている状態、受け入れている状態ではネガティブか、いい気分か、などの浮き沈みはあまり影響せずに光の世界に戻ることができます。つまり、苦しいときには光という高い次元、または大いなる(ワンネス)ものにゆだねておまかせしてしまうと葛藤という次元から救われてしまうということだと思うのです。感情は感情でありネガティブかポジティブかというのは単なるレッテルです。ですが、葛藤(苦しみ)をもたらす考え方というのはあります。それは、何か(誰か)外側にあるものがこのような感情を私にもたらしたのだ(原因は外側にある)という考え方です。そうすると私たちは、それを解決するためにはどうしても外側にある要因と戦い続けなければなりません。あの人が、あの会社が、この家族が、この病気が、不幸をもたらしている。それをしていると究極この不幸はあの人か、この身体がなくならない限り消えることはありません。これはネガティブな場合だけではありません。この幸せ、という言葉に置き換えることもできます。この人が、この地位が、この会社が、この財産が、この才能が、幸せをもたらしている。当然ながらこの場合の幸せは失うことへの恐れと抱き合わせになっています。ネガティブ、というのはポジティブと同じだけ存在しています。私たちはサバイバルモードの中にいる時ついついネガティブばかりに目を向けがちだからいやいや、反面はポジティブなんだよ、ということでポジティブに目を向けることは大事なのですがポジティブな側面だけを見るなんてことは一種の強迫観念みたいなものだと思います。ポジティブだけで生きようとすることはなんだかとっても薄っぺらくウソがあり抱き合わせのネガティブから逃げるためにいつも急ぎ足でその場を立ち去っているようなものです。本当はどっちも幻想です。どこにいてもどんな状態でも目をぎゅっと閉じて心の目を開いて中心に戻ってくることができれば真実の光がそこにあります。
2011.02.13
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ジャズピアニストの新垣隆成さんからホテルのパーティのライブのお仕事に声をかけていただきご一緒させていただきました。隆成さんは、2006年に私が初めて沖縄の地を踏みお仕事(ボーカルの)に呼んでいただいたときご一緒させていただいた方で私の中では、初めて出会ったうちなんちゅでもあります。隆成さんは、初対面の時に沖縄どこか行きたいところある?案内してあげるよ、とおっしゃって私が祖父を参りたかったため平和の礎へ行きたいと言うとリハーサル時間前に車で連れて行ってくださり帰りにどうしてもここへは行かなくちゃ後悔すると言って斎場御嶽(せーふぁうたき)へ連れて行ってくれました。渋滞の時間帯で、リハの時間ぎりぎりなのではらはらしましたがもう、打ち解けたから(リハはなくても)大丈夫よ、と隆成さん。車の中ではいきなりディープなスピリチュアルのお話になり私がそういった仕事をしている話をすると僕の先生じゃない、とおっしゃっいました。その時、もしかしたらこの地にはご縁があるのかもしれないと心のどこかで感じたのを覚えています。沖縄移住計画はその頃から水面下で始まっていたのかもしれません。隆成さんとはおととしの5月、ライブスポット天妃の記念ライブ以来のお仕事。ベースの西川勲さん、ドラムの砂川哲廣さん、そして大ベテラン、サックスのアランさんともご一緒させていただきました。西川さん、砂川さんは天妃以来2年近くお会いしていなかったのにもかかわらずなんといったらいいのかよく知ってるようなその時お話したことなど覚えていてくださったりしていちゃりばちょーでーってこのこと、と感じてしまいます。アランさんは80歳におなりだそう。西川さんが5歳の頃から有名なプレーヤーだったと伺いました。ジェントルマンで、気品のある美しい方です。隆成さんから沖縄最高峰のメンバーを集めたよ、と伺いなぜ呼んでいただけたんだか、本当に恐縮であり光栄です。私が言うのはおこがましいのですが本当に皆さんすばらしい演奏で、大好きなのです。私は日ごろ歌っていないのでステージとなると体がびっくりして緊張するしお腹も痛くなるほどです。東京にいた頃は最高で週4日歌っていましたので今とは体の中身がだいぶ違っているはず。ステージを知っている体というのはやはりステージに立ってるときが絶好調なんだなーと思います。本番に入ると本当に何かが弾ける感じで終わると全身の細胞が入れ替わっているくらいの衝撃があります。体ってすごいですよ、絶対に表面意識の言うことなんて聞かないです。潜在意識がすべてです。ステージから降りて楽屋へ向かっていると隆成さんが振り向いて、親指を立てて、やったね!と笑顔を見せてくれました。短い時間でしたが、やりました^^私は、芝居をやっていて主演させていただいていた頃に主役はみんなを受ける役目だと思っていました。特に何もする必要はなくてみんなが投げてくれるものを正面から受け取ることで輝くものだと。それによって全体が輝くのです。バンドでボーカルをするのもそれに似ています。私には多分足りない物だらけなのですがそんなことよりもみんなの音をできるだけ吸い上げてお花のように開くのが私にできる役目です。ひとりで歌っていても決してできない醍醐味でそういうことが本当に大好きなんだな、と改めて思います。そういうことを重ねることによって少しずつ力がついてきているのかな、と感じます。そういう機会を与えられるって本当にすごいことだと思うのです。
2011.02.11
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立春とともに春がやってきた沖縄です。お知らせがぎりぎりになりましたが明日2月6日~8日はRuachをおやすみさせていただきます。お電話、メールのお返事ができなませんがメッセージを残していただけましたら9日以降に必ずご連絡いたしますのでお待ちください。ご迷惑をおかけしますがどうぞよろしくお願いいたします。先日、とても久しぶりに歯医者さんへ行きました。小さな詰め物が取れてしまったからなのですが少し虫歯になったためのようです。元々歯の質が弱いのでたっくさん虫歯が見つかったらやだな~と思っていたのですがその一本だけで済みました。それでその歯を少し削ることになったのですが麻酔はなしです。キーキーと口の中で機械音が鳴り響く中で私は自己ヒーリングに入りました。からだは多少緊張しているのですが心は静かです。すると驚いたことに、紫の丹光が見え始めました。この状況で?と驚きましたが半瞑想状態のまま、つつがなく治療は終わりなんだか爽快と言っていいほど清々しい気分です。おもしろい体験でした。みなさん、よい一日を^^
2011.02.05
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