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かねてより、わたくしは隠れ(別に隠れなくても良いのだが)コスメフリークでありまして、高いものから安いコンビニ販売モノまで、フム...と思うものは片っ端から買っては試してみるのであります。最近、メルマガでやたらと売りこみが激しいファンデーションがあって、実は、このラインというか、同じメーカーの美容液が割と(値段の割には)気に入って使っているので、もしかしたら良いかもしれないと、思い始めたらさあ大変。これは買わなくては!という強迫観念に包まれるのでした。しかし、1個買うと送料が高い。2個買うと代引・送料無料になる…と言うので、さっそく四半世紀来の友人に電話して誘った。のが、これ。プチュレ・ジェルファンデーション彼女はテニスをやっているので、年中色が黒い。ので、オークル希望。私はイロジロなので、ナチュラル希望。30代の肌が10代になるらしい。本当だったらスゴイけど、30才が10才になったらちょっと恐い。最近、日本のメイクアップもやっと欧米風に素肌感覚に近づいてきたけれども、それでも、日本の化粧品コーナーの販売員の女性の顔を見ると、ギョッとすることがある。なんだ、これは、お面か?サーク・ド・ソレイユ?それにしても、今夜、テレビで懐かしい「ザ・ベストテン」の裏話のような番組を見ていて、日本に居なかった間の歌をほとんど知らない自分発見。ザ・ベストテンは12年間やっていたらしいけど、私はそれよりももっと長い事、日本に居なかった。まあ、そもそも、歌謡曲には縁がなかったので、どうでもいいけど。
September 30, 2005
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アタマがいてー....。今朝、父は集中治療室から一般病棟に移ったのだけれども、昼間、母が行った時は、まだ看護婦さんの手助けで、寝返りをうったりしていたらしい。ところが、午後、電話が鳴るので、母が出ると、それはナント、父からであった。それも、携帯からではなく(両親は未だ携帯を持たない)病院の公衆電話からであった。どうやら、体に付いていたイロイロなチューブが取り外されて、いよいよ爬虫類並の再生本能に火がついたらしく、もう、歩行器を使って、歩きだしているのだった。まだ一昨日、手術が済んだばかりだというのに、である。父はそういうところは非常にがんばる人で、前回、座骨の骨を折った時に人工のジョイントと交換する手術を受けた時も、看護婦さんが「じゃあ、歩行の練習でもしましょうか?」と言って来たときには、すでに自分でスタスタ歩いていて、看護婦さんが腰を抜かしそうになった。さすがに戦争を生き抜いた人はちょいと違うな...と思うのだったが、戦争は別に関係ないか。ああ、とんねるずのスペシャル番組を見ていたら、こんな時間になってしまった。
September 29, 2005
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昨日、父の手術に立ち会うために、叔母が来ていた。(父はその後、経過は順調のようです。)実は、うちのレグの里がその叔母のところなのである。子犬の時、洗ってもらって、そのままクルマに乗って訳も分からないまま、我が家にやってきたのが、ほぼ1年前の事。叔母は、もう忘れて吠えられると思っていたらしいけれども、犬の「匂い」による記憶バンクはかなりなもので、もう、中国残留孤児が親族と出会えたような喜びようで、私はかなりびっくりした。とにかく、あんなに喜ぶ姿を見たのは初めてだった。叔母が体中をなでくりまわすと、もう、大変な喜びようで、その姿はまるで子犬に戻ったかのようだった。きっと、家に来て、もう、子犬だった頃の記憶が朧になっていた時に、突然、懐かしい匂いのする叔母がやってきて、レグの脳裏には、一緒に遊んだ兄弟犬達のことや、もしかしたら、母犬、父犬のことも一気に思い出したのかもしれない。母は昨夜、叔母と枕を並べて寝ていた。そして、今日、見送りがてら、一緒にデパートに行ったりして、久しぶりに姉妹ですごした時間が楽しかったらしい。『姉妹がいるっていうのはいいものねって思ったわ、お母さん』とつぶやいていた。私だって....こんな厳しいダースベーダーのような兄だけじゃなく、優しいお姉さんが欲しかったわよっ。(何故か妹は欲しくないのであった)それはさておき、私は新品のクラッシュデニムのジーンズを買った。それはもう、ニューヨークのホームレスでも着てないだろうというくらい、穴があいてたり、擦れたりしていて、凄い。継ぎ当ても数カ所ある。おまけに、しゃがむとお尻が丸だしになりそうなくらいローライズである。私がおもむろに、母に『ほら、これ、カッコイイ?』と見せたら、「あなた、そんなボロ、どこに着て行くつもりなの!」と呆れていた。母さんや。私がロックバンドをやっていた頃、こんなもんじゃなかったの、知ってるじゃないかい。私がコンサートに行く時の姿を祖母が見て、『その服は拾ったのかい?それとも買ったのかい?』と聞いたくらいだった。しかし....確かに、このクラッシュドジーンズはかなりヒドいかも。
September 28, 2005
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術前の話では、手術は2時間程度だろうということだったけれども、実際は4時間もかかった大手術と相成りまして候。手術は午後1時半からだったので、午前中に母の妹、つまり、わたくしのオバがやってきてくれ、母はかなり心丈夫のようだった。大部屋の良い所は、手術室にさあ、いざ出発!と言う時に、皆さんが激励の言葉をかけてくれるところにあります。そして、予定より手術が長引いたので心配してやってくる人もいました。変な比較ではあるけれども、私の愛犬ディノが足の手術を受けた時、絶対泣かないディノが痛みに耐えかねて悲鳴を上げた時のことを思い出して、さぞ、父は痛かろう…犬だったら、キャイ~ン、キャイ~ンと泣きたいところだろうなあ...と思ったりしたけれども、そこはさすがに日本男子、眉間にシワを寄せているだけで、無言であった。今、集中治療室にいて、丁度今頃、麻酔が切れるので、痛みが絶頂に達する頃であろう。うーん...私が胃を切除した時は、手術後、1週間、脊髄に局部麻酔を注入した状態でいたので、手術後1週間は痛みはほとんど感じずに済んだ。その局部麻酔は背骨にチューブが刺さっていて、長いチューブの先端に風船状の容器がプラスティックの筒状の物に入っていて、その風船状の物の中に麻酔の薬液が入っていて、少量ずつ体内に注入される仕組みになっていた。それで、胃の75%を切り取ったというのに、手術後2日目には歩き回って髪まで洗ってもらったりしていた。ところが、1週間後にその麻酔を外す日が来て、麻酔を取った途端、まっすぐ立って歩けないくらい痛みがあって、笑ったりしようものなら激痛が襲うのであった。ところが、そういう状態の時に限って、やたらとオモロイ看護婦さんが担当になっていたりして、本人はいたって真面目にやっているつもりなのだろうけど、やたらとツボにハマッてしまって、笑っては「痛い、痛い、もう笑わさないで~~~」と、悲鳴をあげるのでああった。私は、1週間その局部麻酔のありがたみをひしひしと感じ、もし、その1週間がなかったら、どんなに苦るしんだであろう...と、そのプラスティックの筒状のモノを握りしめていたもんだから、退院する時、看護婦さん達がその容器に寄せ書きを書いて渡してくれた。『つらい事があったら、これを握りしめて、ガンバッテ!』などと沢山書かれていた。喉元過ぎれば熱さを忘れ…とはよく言ったもので、あの時、「これは一過性のコトだからなんとか耐えられるけれども、もう一度、同じ手術を受ける事になったら、わたしゃ、死ぬほうを選ぶ」と言い切ったものだった。あの時、婦長さんが病室にやってきて、『こういう大きな手術を受けたりした人は、その後、人生観がいいほうに変わることが多いんですよ』と話してくれた。もっと『よく生きよう』という風になるというのだ。だけど、私は、変わらなかった。変わりたかったけれども、どうやら、根っからのガンコ者らしく、まったく変わらなかった。変わったのは、心配疲れした両親のほうだったような気がする。
September 27, 2005
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本日は、予定通り、東京三菱銀行まで、手持ちのユーロを日本円に両替えしに行ったのであります。本当は別にその銀行でなくても両替えは可能なのだけど、長いこと、通帳に記帳していなかったので、それも兼ねてということで、出かけて行ったのであります。それにしても、ユーロの為替歩合の損な事と言ったら...トホホ...ってくらい、手数料を取りやがるじゃないか!本日の円→ユーロは、1ユーロ、143円くらいだったのに、ユーロ→円は、たったの126円ちょっとしかなかった。ドルのほうが、まだ為替レートの売買差額は小さい。先週、電話で聞いた時は、1ユーロ=¥128円02銭だったから、ホンの数日で私は○千円を損したことになる。これをトホホと言わずしてなんと言おうぞ。そして、日頃、私はオオサンショウウオと同じくらい、余り一目につかない生活を送っているのですが、今日は久しぶりに日本の町をちょっとだけウロついた。そして、東京三菱がUFJと合併するというお知らせのポスターを見て驚いた…くらい、オオサンショウウオ状態なのであった。それで、合併後、通帳を新しいものと交換しなければ、使えなくなるというではないか。東京銀行が三菱銀行と合併した時、ニューヨークにいたのだけど、アメリカには「通帳」というモノがないので、何も不便を感じる事はなかった。ただ、小切手帳が新しくなって、送られて来たので、それを使っただけだったような気がする。だけど、学生の頃から、ニューヨークの私のメインバンクはずっとCITI BANKである。今度、東京三菱がUFJと合併したら、また名前が長くなるではないか。てなことを考えながら、ちょっと遅めのランチを1人で取る事にした。ワンプレートに色々乗ってて、コーヒー又は紅茶付きで860円ぽっきりで、これは、日替わりなので、時々利用する。それから、少し洋服を見て回った。そして、タグの値段を見て....やっぱりオークションしかない!と再度、痛感したのでありました。もう、町を歩く若い女性には、ロングブーツ姿の人も多く、なるほど、日本はちょっとロサンゼルスに近いカモしれないと思った。LAでは、「さあ、冬になったから毛皮を着ようかしら」と、さほど寒くもないのに、毛皮を着ている人が時々いる。その反面、四季がハッキリしているニューヨークでは、真冬であっても、その日、気温が高くて良い天気だと、突然、Tシャツに短パン姿の人達が歩いていたりする。そういうことは、衣替えが必要ないくらいたっぷり収納できるクローゼットがあるからこそできることであって、日本では、いや、我が家では無理。そうして、ドラッグストアーで、買い物をしていたら、突然お腹が痛くなって、『ヤバイ!』と直感した私は、レジのおネエさんに、事情を話して、最寄りのトイレを教えてもらい、買い物途中のカゴを預けて、急いで行き、一人待っていた人がいたけれども、先をお願いして譲ってもらい、危機一髪を免れたのでありました。10分くらいして、レジに戻って、買い物再開。余計な「資生堂の新製品、パウダーファンデーション」なんか買ってしまった。(私はちょっとしたコスメフリークである。隠れた…)本当は口紅も買いたかったけれども、空港の免税品店でディオールやらシャネルやらを買うに決まっているので、パスした。そして、忘れてはいけない。オロナイン軟膏を買った。170円。安い。安いけど、これが一番いい。そして、ひとしきり買い物を済ませた後、病院へと向かった。受付時間はとうに過ぎていたけれども、薬だけでも貰わねば~と、お願いした。主治医は私の顔を見るなり、アゴのバンドエイドに敏感に反応し、『どしたの?』と聞くので、一昨日の夜、庭でコケました、と報告すると、カルテに記入していた。『庭でコケる...で、縫ったの?』「縫いませんよ~。でも...傷が残ると嫌だなあって思って」と言うと、『形成に行くときれいにしてくれるから、心配ないよ』と言うので、ちょっとホッとした。そうして、病院からタクシーに乗って、帰宅。日本では、洋服がとてもよく見える。それはディスプレーの仕方なんだと思う。アメリカでは、とにかく数が沢山置いてあって、同じものを着た人と、町で出会いそうな気がするのだった。ま、そんなとこですわ。
September 26, 2005
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最近、夜中になると、お腹が空いて来て(何しろ、父入院以来、母が疲れているので、あまりまともに食事らしい食事をとっていないのだった)つい、冷凍ギョーザを自ら焼いて食べております。変な話ではあるけれども、ニューヨークに暮らしている時は、自ら手作りの餃子を作ってちゃんと食べていたものだけど、こうして日本にいると、やりませんなあ。まったく。私がギョーザを焼いていると、母が「2つ3つ、お母さんも食べようかしら」と言ってくるので、食欲不振の母には「よし!」といった感じで、ちょっと多めに焼く。母は私が焼いたギョーザをおいしそうに食べるので、なんとなくうれしくなる。主婦と言うのは、母が言うには、人にご飯を装ってもらっただけでも、おいしく感じるらしい。毎日、毎日、サービスする側なので、それで、自分で装ったご飯が段々と美味しくなくなるのもなんとなくわかる。父の手術日が近くなって、母の妹、つまり私の叔母がやってくることになり、今日は兄が、狂ったように掃除をしていた。兄は、時々、狂ったように掃除をするのである。昔から、そうだった。その、掃除機のかけ方と言ったら、もう暴力行為としか言い様がないような勢いで、その音で目が覚めた。私は喉が渇いていたけれども、今、部屋を出て行くと、ヤバイ‥と思って、兄の掃除協奏曲が終了するのをじっとベッドの中で待っていた。そのうちの兄は、トイレのトイレマットは「使い捨て」と信じていて、母が洗濯機で洗っているのを目撃した時、頭からユゲがでるくらいの勢いで怒っていた。頭はバツグンにいいのだが、そういうことは訳分かってないんですなあ。困ったことに。トイレのトイレマットがやけにつぎつぎに新しくなって、二度と同じ物に巡り会わないのは不思議だな...と便器に座っていながら、ふと、思ったことがあったのだけど、なるほど、兄が次から次に新しいのを買って来ていたのか。そんな余裕があるなら、このアゴに傷持つ哀れな妹に、ダイヤのピアスのひとつでも買ってやろう…なーんて気にはならんもんかね。まったく。若しくは、ちっとも言うことを聞かない犬を、学校に行かせてくれないものだろうかと思ってしまう。兄のおかげで居間とダイニングは奇麗になったけれども、母と私はヘトヘトになってしまった。とにかく、文句が多い。私は子供の頃から「お兄ちゃんにはたてつかないように」と教育されて育ったので、口答えができない。そうなると、自然と言葉を選ぶようになり、最終的には、会話がなくなるのであった。かれこれ、兄とまともに話をしなくなって、5年になるなあ。
September 25, 2005
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今夜、犬が庭の裏の方からなかなか帰って来ないので、懐中電灯を持って、探しに行き、家の中に連れ込もうとしていたら、なんと、バランスを崩して、また顔から転んでしまった。そうです。前回、ニューヨークを発つ前夜に道路の真ん中で顔から転んだのと同じく、また、顔から転んだのだ。そして、前回はアスファルトで擦り傷を作ったけれども、今回は柵の一部で見事にアゴの所を切ってしまい、今、私はドラマで喧嘩あとのシーンのように、バンドエイドをアゴに貼っている。ああ、傷が残らなければいいけど。..顔がイノチなのに...あ。いや、そうじゃなくて、まだヨメ入り前のムスメ....いや、そうでもなくて、かなりトシくってますけど、一応独身で、一応、なんというか、まあ、そうですね....参りました。実は前回同様、膝もかなりヤバかったのですが、今回は長ズボンを履いていたので、傷にはならなかった。まだ、ニューヨークで転んだ時の膝小僧の紫痕が残っていて、参っているというのに...。(ニューヨークでは五分パンツを履いていて転んだので、まともに擦りむいてしまったのだった)ああ、二度あることは三度ある。..と昔から言われてるからなあ。転ぶんだったら、今のうちか、クリームのコンサートの後にして欲しいわ。こんな時に限って、オロナイン軟膏が見つからないのだ。
September 24, 2005
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父の手術日が決まったと病院から電話があった。電話に出たのは私だったのに、父は母と話していると勘違いして話をするので大笑いしたら「アナタ、誰?」と言われ、とうとう父もボケはじめたか....と心配になり、母と電話を代わった。父は待望の大部屋(と言っても4人部屋だけど)に移動になった。とにかく、話好きなのと、前々々回手術の時、個室で、壁から幽霊が二日連続で出て来たと大騒ぎしていたので、もう個室は嫌だと言い、とにかく、誰か話ができる相手がいないと、手術のことばかり気になって不安になるらしい。私はと言うと、そろそろ衣替えでもしようと思い、倉庫から衣装ケースを一つ取りだし,...そのままのまんまで止まってしまった。そうして、届いたフェンディのマフラーで、るりんこ♪さんが教えてくれた、「ヨン様巻き」をさっそく試してみた。かなり、気に入った。そのヨン様の新しい映画は、日本ではヒットしているらしいけど、韓国ではパッとしないらしい。まあ、そんなとこかなあ。
September 22, 2005
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入院中の父は、今日、造影剤による検査があり、明日、手術の詳しい説明があるということなので、期待していた22日手術はパア~になってしもた。次の手術日は火曜なので27日になるのであろう。父は今、二人部屋にいるのだけど、もう一人のおっさんは全くの愛想なしで、話し相手にもならず、非情に退屈しているらしく、母が病院から帰ってきたと思ったら、もう、電話がかかって来るので、母は『たった今、別れてきたばっかりなのに....』といい加減あきれている。そして、父の不安は手術に留まらず、犬に忘れられるのではないか、という不安を抱えている。私が胃の切除手術を受けた時、ニューヨークから愛犬ディノも一緒に日本に連れてきていた。ニューヨークから日本は、体調のこともあり、エグゼクティブクラスでの帰国となり、ケージに入れられたディノのケージにも『EXECTIVE CLASS』というステッカーが貼られていたけれども、犬にはどういう待遇の違いがあるのやら‥と思ったものだった。ディノは私が入院して検査中、丁度成田での検疫で足留めをくらっていた。そして、丁度タイミング良く、私の手術日の数日前に検疫が終わったので(つまり私は2週間近く、検査漬けになっていたのだ)検査も全部終わっていたし、一泊だけ外泊許可を得て、ディノを空港に迎えに行ったのだった。すると、検疫所での2週間は犬にとってそれは地獄に相当するものだったらしく、そんなヒデエ目にあわせた私には目も合わそうとせず、ひたすら両親にじゃれていた。そして、手術が終わり、何とか24時間点滴が外れた頃、両親が病院にディノを連れてきてくれた。ところが、駐車場で再会しても、余り嬉しそうじゃなかった。私はいささか、がっかりしたけれども、その時、両親がディノの背中がハゲかかっているので病院に連れて行ったほうがいいかどうか、私に尋ねるので、その時、本当に、成田での2週間のストレスが、こんなに凄いとは…と申し訳ない気持ちで一杯になったものだった。そうして、再びニューヨークに連れて帰った後、私は本当に連れて帰って来るべきだったのか、それともあのまま、実家に置いて自分だけ戻って来るべきだったのか…と悩んだ。ディノと和解するのに半年ちかくかかった。とにかく、犬は家族で飼うのが一番いいと思う。一対一での生活は、それだけ感情も愛情も注ぐことになり、失った時の喪失感は想像を越えていた。
September 21, 2005
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この数日、やけにウチの兄と家の中で出会うな...と思っていたら、なんだ、世間は3連休だったのか。どーりで。母は毎日父の病院へ通っているので、少しでも手伝わなければ…と、日頃絶対やらない洗濯の取り入れや、料理をしたりしている。兄は三連休だというのに、二言めには『疲れた~~~』と言い、『ああ、もう、散歩できそうにない』と弱音を吐く。仕方なく、私が犬の散歩をすることになるけど、私の散歩は隣の公園の中だけの散歩。ということを、犬も理解しているらしく、私には多くを望まない。今日は日が暮れた後の散歩だった。レグはとにかく弾き綱が気に入らないらしく、紐をくわえて暴れるのだ。弾き綱は自動的に伸び縮みするようになっているので、ドドド~~~っと走って行ったかと思うと、逆行してこちらに向かって、ドドド~~~っと走って来ては私に飛び膝蹴りのように、私を前足で蹴るのである。私はそのアタックに合うのが嫌で、クルリッとかわす。すると、またドドド~~~っと走っていっては戻ってきて、私はまたクルリッとかわす。その姿はまるで闘牛のようである。今日はかなりその繰り返しをやったので、犬も疲れたらしく、珍しく、自分から玄関の方に向かって帰り始めた。そして、グースカピーと眠っている。悩みがなくて羨ましいけど、犬の生活も大変だろうなあ…と思いつつ、寝顔を眺めるのでありました。
September 19, 2005
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あ~~~疲れた。もう、またやってしまいましたがな。実はこの間、ヨン様のヤフー無料ドラマでフェンディのマフラーを見て以来、なじぇか、なじぇか、なじぇかわからぬが、フェンディーのマフラーが欲しくて仕方ない病という病に冒されてしまっていたのだった。いやいや、ヨン様とオソロになりたい訳では決してございませぬ。何しろ、まったく色も柄も素材も違うのですから。ただ...フェンディもティファニーも私の名前のイニシャルが故、どうしても身近に感じてしまうのでございます。スッチーの友人にメールで問い合わせていたくらいで、すると彼女が、「今月、ローマ便があるから買ってこようか?」と言う。しかし、タイミング良くというのか悪いというのか、オークションに出品というお知らせが届いたので、ローマで買うよりオークションの方が安い…と思い、その旨、スッチーフレンドにメールしたら、「落札してください。そのほうがいいよ」との返事。そこで、さっきまでやってました。もうシツコク私の落札範囲を脅かす人がいて、延長延長また延長…とまるで、甲子園の高校野球状態。段々アタマに来始めて、一層のこと、フェンディのお店に行って、買ってやろうか…と思い始めていたら...やっと終わったのでありました。(私はアタマに来ると、とんでもないモノをいともあっさり買ってしまったりする病癖があるのです)今回落札したマフラーの色がどうしても気に入ってしまったのでした。それは、私がもう何年も着ているフェンディのカシミアのロングコートの内側の色にピッタリなのです。実はそのコート、スッチーの友人と一緒にフェンディで買ったもので、彼女が冬にニューヨークに遊びに来ると電話で、「ねえ、フェンディ、着て来てるから、バルは別のコート着て来てくれる?」と変な女のパアルックにならないように気をつけねばならない…というコートであります。と、やれやれ…疲れたなあ、と思っていたら、メールに今度はヤフオクから先日、落札できなかったあるモノが、落札者が辞退したのかなんなのかわからないけど、補欠であったワタクシに「繰り上がってアナタが落札者になりました。買いますか?買わないと評価が「どちらでもない」になってしまいますよ」という脅しのようなメールが届いているではないか!あのオークションはもうとっくに終了していて、私は落とせなかったことをどちらかというと快く思っていたのだった。くそー・・・・。あ、失礼。おクソー・・・・。(多少上品?)
September 18, 2005
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昨夜、またゲリラの襲来に会い、私もどこか悪いのかもしれないと思う今日この頃。今日は夕方、植木屋さんが庭の消毒に来るということだったので、洗濯物を早めに取り込み、犬を待避させた。母が病院から疲れた表情で帰って来た。そして、私に、はいこれ、と差しだした一冊の週間誌。「あなたの好きな琴欧州が載ってたから、ちょっと借りてきたわ」なるほど、確かに、カラーグラビアで特集が組んである。「明日、病院に返さないと」え? かあちゃん、病院から持って帰ってきたのかい?.....。で、昨日書いたアニエスベーのムートンロングコートの件ですが、友人に相談したら、そんな値段で出すのはもったいない、と言われ、日本未入荷だと思うから持ってた方がいいよ、と言われ、締め切りちょっと前だったけど、だれも入札なかったし、取り下げました。また、ニューヨークに暮らすことになったら、結局必要になる。そういう日がくれば来たで、また苦悩は深まるのだろうと、今からだいたい想像はつくのだけど...。なんともゲリラ連続襲来に会っているせいか、迫力抜けしとります。
September 17, 2005
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父はかねてより、ウチの犬が朝「オハヨ~」と言うと言い張っている。それも、朝、1回だけ「オハヨ~~~」と言うらしい。私は、父のアタマもそろそろ高齢でボケてきたか...と思いつつ、『もし本当なら、すぐに局に電話するよ。すぐ中継車が来るし』と言って笑っていた。すると、ある日、母も確かにレグが朝、1回だけ「オハヨ~~~」と言うのを聞いたと言うではないか。うーん、これは夫婦揃ってボケはじめたか....と思ったりしながら、父は朝から「毎朝、ちゃんとオハヨ~って言うんだぞ」と犬に言い聞かせて入院した。私は早起きは出来ないので、とても犬と「オハヨ~」の相手はできない。しかし、ご飯を与える時、『ゴハ~~~ン』と言わせることはできるのではないか…と思い、しきりに『ゴハ~~ンって言ってごらん』と繰り返すのだけど、さすがに相手は九官鳥ではないので、そう易々とは言わないのであった。さて、私は今、アニエスベーのムートンのコートをオークションに出しているんだけど、質問のところに、もし落札者がいなかったら、1万安い値段で売りませんか?と入っていた。うーん....もともと、そんなにもの凄く手放したいって訳ではなく、日本では余り着る機会がないから、出品してしまおうと思って出品しているので、誰も買わなければ、まあ、それもよかろうというくらいのノリなのである。思えば、このコートはヨーロッパの写真展に出品した際、一応、レセプションには行かねばならず、寒い冬のパリで、つい、アニエスベーの本店でふらふらっと、余りにも寒かったので、買ったものだった。ニューヨークでは何度か着たけれど、ムートンのロングコートというのはとにかく羊を一匹背負っているような重みがある。それでも、寒さはダントツに防いでくれるので、助かったものだった。そういう訳で、私はとにかくムートンだけでも4着くらい持っている。しかし、一着は帰国の際、NYに置いてきてしまった。ところが、最近、また一つ、買ってしまったので、また同じ数に戻ってしまった。さて、どうするかなあ。パーッとウッパラって、現金にしてしまうか、タンスの肥しにしておくか。さああて、どうするべ。 『そこのアナタ、どう思います?』 by ムシャラフ大統領
September 16, 2005
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やっぱり気になっていたのか、目が覚めたらまだ朝の6時半だった。父はすでに病院に行く格好をしていた。そして、洗面所&風呂場は兄に占領されていた。これはなんとも早過ぎる、と思って、もう一度ベッドに戻ったけど、なんだか半分眠っているような感じで変な夢を見て、また目が覚めた。一応、お見送りしようと思って、両親が病院に行くまで起きていた。父は、杖をつきつき、「じゃあ、行って来る」と言って、タクシーに乗って母と行ってしまった。私はというと、実は、先日オークションで引退前に落していた商品が2点届く事になっていたので、眠かったけど(薬を飲んでいるので、やたらと眠いのである)こりゃ、絶好のチャンスとばかり、宅配と郵便の両方を待ったのであった。宅配便が先に来た。それもドデカイダンボールに入って。そして、次にやたらと愛想のいい郵便屋さんが小包を届けてくれた。両方とも、私の部屋着&スッピン顔&ボサボサ頭姿はすっかり見なれたといった様子。やれやれ、これで、オークション生活も終わりだな...と思っていたら、なんと、引退宣言する前に、あるモノに入札していて、私が落札したというメールが夕方になって届いた。ガ~~~~ン....もう終わっていたと思っていたのに~~~ああ、出費が....。別にそれがなくてもクリームのコンサートには行けるから、必要ないといえば必要ない。しかし...キャンセルはできないし、自分で蒔いた種。自分でなんとかするしかない。なんだか、今日は鬱々とした一日だった。
September 15, 2005
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鶴の一声というのだろうか。昨日、父がベッド空きで待っている病院から電話があったんだけど、丁度その時、両親はいつものランチを食べに出かけていたので、私が電話を取った。そして、父の悲痛な痛みを切々と訴えた。『もう、トイレに行くのも大変で、見ているこちらまで痛いんですよ~』すると、今日、病院から電話がかかってきて、急に(アヤシイ…)キャンセルが出ましたので、2人部屋でよければ明日入院可能ですが…ということだった。もちろん、父はそれでオーケーと言い、それから前金(病院が前金を取るとは知らなかった。アメリカではクレジットカードを持っていたので、それで前金代わりになっていたのだろう)のために、銀行へ行ったり、ドタバタと準備を始めたが、父は、いささかビビッているらしい。『ああ、明日行ったら、なにされるんだろう』と心配そうに言うので、「まあ、心配しなくても、いきなり切られたりしないし、まあ、1週間は検査ばっかりだろうし、手術の時は麻酔かけてくれて眠ってるから訳分からないうちに終わるって」と励ました。父は天井を見つめていた。「まあ、検査中は動けるんだから、車椅子でも借りて来て、廊下でレースでもすれば?」と提案したが、車椅子は腕が疲れると言う。そして、母の心配ばかりしているのである。その会話は、まるで新婚さんのようなのだ。父は自分が居ない間、さぞお母さんは淋しいだろう、だとか、ちゃんとご飯たべろよ、だとか、もう、大変。実際、母は本当に食欲がなく、すっかり痩せてしまっていて、私は本気で心配している。母をあそこまで痩せる程苦労させたのは自分なんだろう…という自責の念が胸を突く。まあ、とにかく、父の手術のことが気掛かりだったので、どうにかニューヨークに発つ前には手術も行われそうだし、もしかしたら、退院も可能かもしれないと思うと、ちょっとだけ安心した。きっと、神様が、私が気分よく、クリームのコンサートを満喫できるように、ベッドを空けてくれて、手術を早めてくれたのだろうと思うことにして、合掌。
September 14, 2005
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昨夜は、ニューヨーク時間で朝9時からクリームのチケットが公式に発売になった。で、私のチケットはどうなったかと言いますと、予想だにしなかった筋からゲットできまして、前から2列目です。一応、3日間、今のところ埋まっているので、このままの状態でいいですって気分。もう、クリームのために、どれだけオークションで落札したことか!!!しかし、3日間全部タダなので、考えてみたら同じかも。クリームのチケット、公式発売の値段は1枚450ドルくらいだったと思う。ブローカーサイトではすでに、5700ドルの値段が付いてたりする。しかし、ヨン様の300万円にはほど遠いクリームである。なんだかわたしゃ、くたびれましたがな。ああ、明日、一体、何個、小包がとどくのだったっけ....。まだまだヤバイ!
September 13, 2005
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百恵ちゃんだ。ああ....もう、なんというか、昨日は米連続テロ4周年の追悼の日であり、かつてない投票率で自民党圧勝というスゴイ日だったのだけれども、私にとってもスゴイ日になってしまった。なんと、落札..,落札...落札...の嵐。もう常軌逸しているとしか思えない自分の行動。キャ~~~。誰か入札して~~~~....って時に限って、私で終了するのである。非情にも。はっきり言って、参った。どれもこれも、クリームのせいだ。(責任転換という)それで、私は今夜をもって、百恵ちゃんがマイクを置くが如く、オークションのマウスの置くのである。と、宣言していてもなあ。るりんこ♪さんも何度も足を洗いながら、結局戻ったしなあ....。ヤバイ!
September 12, 2005
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言われないと気付かないくらい、私は日本の暮らしに染まってしまったんだな…と思った今日だった。4年前の今日、私はあのニューヨークの連続テロの様子を、日本に一番早く、リポートしたジャーナリストであった。電話リポートの後、局長から電話で『ウチが一番だった!良かった!うん、やったぞ!』という喜びの連絡があった。私は、まだ次に何が起こるのか分からないまま、次のリポートのために取材を続けていた。そして、写真を撮り、ウェッブに刻一刻と変化するニューヨークのリポートを続けた。私は以前からアメリカの消防士に非常に憧れていて、アイルランド系が多いせいか、かなり美形の消防士も多いのだ。あ、どうしても「美形」に話がいってしまう...。私が住むビルの前のビルが火事になった時、屋上に消防士の人達が何人かいて、私は普段、コンサート用に使っているニコンの双眼鏡を取りだして見入っては悦に入っていたものだった。私にとっては、正直なところ、4年前にディノを亡くしたことのほうがテロよりもショックが大きかった。それはそうと、今日は選挙の日曜日。父は痛い足で一生懸命歩いて選挙に行っていた。そして、我が家では、何故か、誰が誰に入れたか、誰も語らないのである。私がどんなに聞いても、誰も、誰にいれたか、教えてくれないのである。なじぇ???
September 11, 2005
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クリームのコンサート...実は、コンサートは3日間しかないのに、お誘いが5人...。毎日、別の人と行ったとしても二人余ってしまう。私としては、誰が一番いい席をゲットするか、でその人と一緒に行きたい(というか、その人は本当はどうでもよかったりする…正直なところ、女ってゲンキンですなあ、つくづく)。しかし、コンサートに3日連続で通う…というのは凄く大変なことです。以前、クラプトンのコンサートに3日連続で行きましたが、一番お互い(お互いというのは、私とクラプトンという意味です)調子が良かったのは2日目でしたが、3日目の最終日は、私もヘトヘトで、ステージ中央最前列という好条件にもかかわらず、私はつい「ああ、次はあの曲か...まだ残りあるなあ」などとフトドキモノの考えが頭をよぎりながら見ておりました。すると、ステージ上のクラプトンも私と似たり寄ったりのお疲れサマ状態で、あきらかに初日、二日目と違う。そりゃそうだろうなあ、と思ったのだった。見てるだけでも3日も連続コンサートは疲れたのだから、ステージで働いているクラプトンはもっと疲れているに違いない。おまけに相手はオッサンである。多分、それ以降だったと思う。クラプトンがワールドツアーはもうやらない…と宣言したのは。私にはその気持ちがよーくわかったし、もう3日連続なんてコンサートはやめて欲しいと思ったのでありました。しかし、今度のクリームはまた3日連続。だけど、本物の生クリームを見た事がない世代で、きっとこれが一生で最後のチャンスだろうから、なんとかユンケル飲んで頑張って見よう…と思うのだけど、誰といけばいいのやら...。ああ、返事のメール書かなくちゃ...。明日は選挙か....。
September 10, 2005
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午後、ものすごく久しぶりに「徹子の部屋」を見たら、ヨン様がゲストだった。おもしろそうだったので見る事にした。すると、ヨン様が登場する前から、黒柳徹子さんはもう司会者を通り越して、ただのヨン様ファンのオバチャンの1人と化していて、その興奮気味状態といったら、凄かった。きっと、心の中で『ああ、芸能人やってて良かったわ…』と芯から思ったに違いない。間違いない。前半の徹子さんはもう、完璧に舞い上がっている感じで、後半になって、やっと司会者らしくなっていた。ヨン様はきっと誰かのアドバイスで、この番組はオオモノスターが続々登場してきている凄い番組なのだからキチンとして出るように言われたのか、ほぼタキシード状態で、これはちょっと凄いなあと思った。どーせなら、マフラーを巻いて出て来て欲しかった。しかし。今日、よーくヨン様という人を見ていたけれども、確かに品があるな、と思った。おまけに私の好きな眼鏡をかけているし。あ、ヤバイかも。いやいや、心配ない。それにしても、小学生時代の担任の先生のインタビューが出てきて、「皆が遊んでいる時も、ひとりで机にいて微笑んでいました」っていうのはおもろかった。そうか、その頃から微笑んでいたのか...ってことは、やっぱりあれはつくりものではなく、自然発生的な微笑みってことか。純正?最後にヨン様にハグハグされて、徹子さんは「キャ~~~!」と感激の叫びをあげられたのであった。うーん....。私は痴漢にハグされた時しか「キャ~~~!」と言ったことはないなあ。
September 9, 2005
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ありましたがなあ。私が恋したクラプトンのニットのジャケット。(左のクラプトンが着ているものです)1968年の年末のものなので、かなり色あせた写真ではありますが、何しろ、カラーの写真が少ないのでこれは貴重でなのです。しかし...クラプトン...ああ、なんていい男だったんだろう(過去形か?)ホンモノの茶パツってこんなに奇麗なんだ....。ああ、今では白髪のおっさんだわ...。この時、クラプトンは赤のスニーカーを履いていた。昔から凄くファッションセンスのいいクラプトンであった。フィルコリンズが余計なことを言う前までは...。
September 8, 2005
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クリームのコンサートのチケットは、なんとかジンジャーベーカー(ドラム)の入国ビザが降りたからか、やっと正式に発売されることになったらしい。ところが。それは余りにも人種差別的なものであった。なんと。『アメリカに住んでいるアメックス・ゴールドカードを持った人で、そのカードで支払いが出来る人優先先行発売、1人4枚ぽっきり』というもので、もし、それで余った場合、一般にも発売予定…とな。可哀想なのは私の友人の1人。ものすごーくお金持ちなのに、日本在住だからアメックスゴールドを持ってても買えない。それで、メールが来て、「アメリカ在住者限定なので、ボクは99%諦めることにしました」と書いてあったので、私がその残りの可能性の1%になることにして、急いで電話した。チケット、頼んであげようじゃああーりませんか、と。話は変わって、昔、サーカスというコンサートがあって、ジョンレノンやらクラプトンやらキースリチャードやらが出ていた(が、実際にそれを知ったのは過去形だった...1968年頃のじゃなかったかなあ、1970年だったかなあ、わからん)その時、美形でまだお尻も小さくいい男だったクラプトンが太陽のような色の手編み風ニットのカーデガンのようなジャケットを着ていたのだ。私はそれを見た時から、そのジャケットに恋をして、欲しくて欲しくて、今でも似たようなものはないものかとお店を覗くたびに、心のどこかで探しているのである。先日、あるオークションにボレロ風カーディガンが出ていて、新品タグ付きで、私の好きなブランドのものだった。そして、色がどことなく,,,なんとなーく,,,そのクラプトンのジャケットに似ているような気がしてしまったのでさあ大変。結局、競ることになって、延長戦になった。でも、他にも欲しいものがあったので、まあ、これで私は降りるわ…と、最後の入札価格を入れて、もう、諦めたのだった。しかし、諦めるには、それなりに心の入れ替えが必要で、自分なりに、『そうよ、あれを買わない代わりに、他のアレやコレが買えるじゃない、そうよ、そうしたほうがずっといい!』と一生懸命諦めたのだ。オークションも終わっただろうな・・・という頃、メールをチェックしたけれどもヤフオクから落札の連絡メールも来てなかったので、ああ、やっぱり競ってた人が落としたのね...まあいいわ、って思った次の日。なんと。落札メールと出品者からの連絡メールが一緒に届いているではないか!私は非常に複雑な気分に陥った。だって、あれだけ、「心の入れ替え」をしたのに、また、欲しかった頃の気持ちに入れ替えねばならんではないかあっ!....まあ、入れ替えましたけど。しかし、普段は落札したら直後にヤフーから落札メールが届くのに、昨夜はなかなか届かなかったらしく、それが、結局、私を「ああ、逃したのね…」と思い込ませる決定的なものとなったのである。
September 8, 2005
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ぱるるの残高が少なくなってきたので(あたり前だ、毎日落札してたんじゃねえ)アメリカのドルを銀行で日本円に両替して振り込もうと思い、父に頼んで(何度も言うけど、父は手術前で歩けないのに、運転はできるのである)近くの銀行に行った。今日のドル→円のレートは106円ちょっとだったので、割とよかった。(以前は99円だったりした)ところが、必要な用紙に記入したら『何か免許証か身分証明書はお持ちですか?』というではないか。私は長年、何度もドル交換をしているけど、そんなこと言われたことないぜ‥と思いつつ、丸腰、いや、財布なしで行ったので持ってなかった。持っているのはぱるるの通帳だけだ。『お嬢さん、今日はなんでいらっしゃったんですか?』「はあ、父に運転してもらって来たので、免許証もってきてないんです」と弱々しく言い、ぱるるの通帳を見せ、「これは私です!証明になりませんか!」と言い張ったが、『こちらの銀行の通帳でしたら証明になるんですけれども...もう一度、お父様に運転して頂いて、取りに帰る...というのはどうでしょう?』と言われたので、仕方なく、父にもう一度と頼んだ。父は、手術入院…となると、しばらくは運転できないからか、文句も言わず、おとなしく引き返して、もう一度行ってくれた。そんな3時前の出来事であった。さて、昨夜、また懲りもせず、ヤフーから「ヨン様15話無料」というのをクリックしてしまい、今度は『愛の群像』というのを見た。しかし、余りにもひどくて、途中かなり飛ばした。そうして見ながら、ヨン様が大学でマフラーを巻いているのを見て、なかなかいい巻き方だな…と思って良く見ると、フェンディではないか。「しかし、韓国だからなあ...バッタモんかもしれない....」と、つい、韓国のバッタもん通りを通った経験があるもんで、思ってしまった。そうしてヨン様の「歯」を見たら、あーら、めちゃくちゃじゃありませんかっ。なるほど...この後に、あの新しい「歯」にしたんだな、さんまと同じやつに。しかし、あの、青色の車の中央に白い2本のラインが入っている…っていうのは、どう見ても格好いいとは言えない、どころか、はっきりいって、乗ってて恥ずかしいだろう。
September 7, 2005
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実は、このところ寝る前には必ずといっていい程、映画「アナライズ・ユー(原題Analyze That)をパソコンで見なければ眠れないという変な中毒症状が出て来てしまった。おかげで、私の英語はデニーロが喋るイタリアンマフィアの英語に似て来るし、やたらとエゲツない英語を覚えて、つい、英語で喋っていると、本当につい、マフィアのような英語になってしまっている。もう、台本がなくても、ほとんどビリークリスタルとデニーロの役はやれそうな気がして来た。こうなると、まるで子供の子守唄みたいなもので、それを見ないと眠れないのだ。さて、昨夜は実は、ひっじょーに狙っていた服のオークションの締め切り日だったのでした。ブランドがブランドだけに、こりゃあ絶対値が上がるな...と一応の覚悟はしていたのだけれども、一つだけ難点があった。サイズである。ウェストが実に細いのだった。しかし、私はウェストには地震が、いや、自身、いや、自信があったので、絶対落とすぞー!っと張り切っていたのだけれども、嫌がらせのような、締め切り3分前になると入札してきて延長になる…ということが4回ほどあって、いい加減うんざりしたけれども、なんと、予算の約半分の値段で落とせたのであった。きっと...欲しくても、腰回りが入らない人が嫌がらせをしてたのね...と後で友達と電話で話をしたのは、もちろんのことであった。すべてはクリームのコンサートに行く…という前提で落札しているので、コンサートにいけなかったら、私はそれらの服をどこに着て行けばいいのだろう...。私は色々なイベントで入場券で苦労は余りした経験がない。電話1本で、大抵、カタがつくというコネもちまくりだからなんだけど、今回のクリームはかなり苦労している。何しろ、タダで見ようと思っているもんだから、苦労するのだ。それにしても繰り返すが、ヨン様の300万3000円...クリームの一番いいセクションのチケットが7枚も買える....。
September 6, 2005
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昨夜は私の大好きで、2年間だけ結婚してもいいと思っている相手である、ロバートデニーロが出ている「RONIN」を日曜洋画劇場でやっていたし、11時頃には3つ程、オークションがあったので、かなり具合が悪かったけれども、ベッドにうずくまりながら、テレビを見ていた。しかし、余りにもロバートデニーロの日本語吹き替えの声のひどさに我慢できず、おまけに具合も悪く、適当に自分の落札範囲内の値段を入力したまま、薬を飲んで眠る事にした。一つは結構欲しかったジャケット(ボレロ風)で、14000円まで入力しておいたのだけど、起きて結果を見たら、21000円で落ちていた。これだけ差ができるとあっさり諦められると言うものだ。これが、1000円違いで落札されていたりすると、『なんで具合悪くて寝てしまったんだろう…』と後悔に繋がり、具合は更に悪くなるのである。他の2点もこぞってもってかれてしまいました。さて、自分でもオークションに出品していると『評価』が割と重要になってくる。評価が悪い人からは、買いたくないというのが自然の気持ちなのだ。アメリカのオークションに参加して、実際に落札した後、日本と違うなあ‥としみじみ思ったのは、落差感謝と連絡事項を書いたメールに、『良いFEEDBACK(評価)を書いてくれれば、こっちも同じようにいい評価をあなたにつけます。よろしく』(脅しじゃんか!)と書いてあることだった。実は一人だけでなく、私が落札した出品者全員が、そう書いてきたので、なるほど、こういうのがアメリカンスタイルなのか…と思うことにしたのだった。しかし、アメリカのオークションで評価を書くのは難しい。何故なら、文字数が極めて少ない。皆、主語をほとんど省略している。中には『A++++++++++++++++++++++!!!!!!!!!!!!!!』というのもある。つまり、Aプラスプラスプラス‥‥びっくり、ってくらい良かったって言いたいのだろう。もちろん、中には単純に『I want my money back!!!(金返せ!)』というのもある。日本のように「ノークレーム、ノーリターンで」なんて通用しないのであった。お嫁さんも「ノークレーム、ノーリターン」だったら、恐いだろうなあ。だから離婚率が高いのか?いや、そういう問題ではないか。
September 5, 2005
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昨日のヤフーヨン様無料の後遺症で、今日もなんだか具合が悪かった。そんな中、今夜は小物、部屋履きに良さそうなスリッポンを見つけたので、先日から500円で入札していたのだ。私は日本の家では素足または靴下でウロウロするけれども、海外にいる間はきっちりスリッパを履く。何故なら、あちらの人達は土足で部屋をウロウロするからだ。そういうお国柄であるにもかかわらず、日本のようにスリッパが充実していない。まあ、靴のままベッドに横になるようなシーンを映画でよく見かけるくらいだから、わざわざスリッパを履こうなどとは思わないのかもしれないけれども、私はやっぱり部屋に入ると靴を脱ぐ。そして、スリッパを履く。そういう「海外用」に良さそうなスリッポンを見つけたので、こりゃいいや、と思って入札していたのに、誰かが10円、アップしてきた。こりゃいかん、と思って、660円まで自動入札にしていたら、終了1秒前になって、私のぎりぎりの660円まで入札してきたではないかっ。私はかなり欲しかったけど、高いなら別にいいや、という気がしていた。そして、700円まで自動入札にしていたら、これまた700円まで釣り上げて、その人はいなくなったのであった。なによ。本当に欲しかったらもっと値を釣り上げろっつーねん。果たして、私は700円でそのイナバヨシエのスリッポンをゲットした。それが高いのか安いのかもわからないまま。
September 3, 2005
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昨夜、割と調子が良かったので、我慢していたシャワーを浴びて髪を洗って、ベッドリネン類を全部交換して、ものすごく気持ちが良くて、なかなか寝付けなくて、ふと、ヤフーの「ヨン様が無料で見れます」とかいう文字が目にとまり、本来、ヨン様だか林家ペ様などにはまったく無感心の私が、「冬のソナタ」第1話(無料)、というのをクリックしてしまった。私はニューヨークのコロンビア大学時代、始めの数年は寮にいたので、韓国の人達との交流もあって、実はハングル語が読めたりする。読めるだけで、意味はわからない。私は子供の頃からヨーロッパに行くことが多く、俄然、ブリティッシュロック系で育ったので、実を言うとアジアについては無知に等しい。NYで韓国の人から韓国料理店に連れて行ってもらうまで、韓国はコオロギやらバッタを食べると信じていたのだった。どうやら、頭の中でインドネシアやらあそこら辺の国とごっちゃになっていたらしい。冬ソナは聞いていた通り、日本の昔のテレビドラマに感じが似ていた。しかしなあ、あのヨン様と言う人が高校2年生を演じるとはなあ…と思いつつ、マイケルJフォックスがBack to the Futureで高校生を演じて違和感がなかったのとはちょいと違うなあと思いながら話を見ていた。気が付くと66分が過ぎていた。そして、びみょうーなところで話が終わるので、続きが気になってしかたなくなってしまったではないかっ。そうやって、ヤフーは残りを840えんと1000いくらかで見せる魂胆か…と思い、うーん...今は財政難。我慢しよう...と決めたのだった。私の性格上、もし、続きを見たとしても、14日間有効なのに、絶対、絶対、一晩で見たおして、翌日ぶっ倒れるに違いない。実は、そうやって、昨夜から明け方にかけて、見ていたものだから、今日はまた具合が悪くなって、横になっている時間のほうが多いのだった。そして...昨夜、2点、入札していたオークションの締め切り日だった。1点はシンプルなカットソーだったので欲しかったが、もう1点は、私にはあり得ない色のジャケットだった。タグ付き新品だし、人気のあるブランドだから私の額より絶対高値を付けて来る人が居るはずだ…と思っていたら、いなかった。果たして、わたくしが「ぱるる」に送金せねばならなくなってしまったのだった。友達にベッドに横になりながら電話して「ああ、またやっちゃったよ~」と言うと、彼女はすでに何事か分かっている感じで笑い、『今度はどんなの?』と聞くのだった。そして、慰めるつもりなのか、「届いてみないとわかんないじゃない。案外似合うカモよ。値段からして普通は買えない値段だからお買い得だったカモよ」と言ってくれた。しかし話は変わるが、来日した時のヨン様のピンクは似合ってなかったと思う。まあ、似合ってようが似合ってなかろうが、私には関係ないのだけど、実は私はめがねをかけている男性に弱い。だから、エリッククラプトンが禁煙して老眼鏡付き眼鏡をかけ始めた時、彼は完璧な男性になったのであった。
September 2, 2005
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お昼頃、ピンポーン♪とインターホーンが鳴るので、部屋着スッピンのまま出たら、近所のクリーニング屋さん夫婦だった。両親はランチに出かけていたので、私が出なければならなかった。何の用かと思いきや、クリーニング屋さんの奥さんが、父が今度かかっている病院で背骨の手術を受けて、今は元気に痛みもなくなっているから、安心して手術受けて下さい、という応援のエールを送るために、わざわざ立ち寄って下さったのであった。両親が帰ってきたので、その話をしたら、さっそく電話で挨拶をしていたようだった。私は銀行にオークションで落札した代金を振り込むために近くの銀行までいかねばならなかったので、父に運転してくれと頼んだ。父は、歩けないけど、運転はできるのである。多分、座ったままで腰骨を動かさないからと、オートマで右足しか使わないからだと思う。すると、出かけようとした私に、母が1000円を渡し、「これでお昼ご飯に何かセブンイレブンでかってらっしゃい」と言われたので、まあ、夜になれば、お誕生日で出前で近所のお寿司屋さんから「御膳」を注文して食べられるから、昼はよしとしよう、という気になった。ところが、夕方になって、お腹が空いて来たので、「ねえ、頼まないの?」と聞くと、もうやめた、と言い出すではないかっ。私のお腹はすでに、刺身や茶わん蒸しがやってくるものとばかり思って、準備段階に入っていたのだ。そこで私は非常に抗議した。「昨日、今日はお父さんの誕生日だから、「御膳」をとって皆で食べようって可決されたじゃないの!」すると、聞けば、ランチですでにその寿司屋に行って、ランチで刺身やら茶わん蒸しを食べたので、両親はもういいと言うのだ。私は、立候補している間だけ公言しておいて、公約を守らない政治家みたいだ、と悪態をついた。すると、しぶしぶ、私の分だけ注文してくれた。果たして、私は、父の誕生日というのに、私が、おごちそうを平らげたのであった。特に茶わん蒸しは旨かった。
September 1, 2005
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