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ロマン主義―古典主義、ディオニソス型―アポロ型主義を対立させる考え方は、確かに修正されなければならない。この考え方は、少なくとも形態上、低次の欲求を動物的とし高次の欲求を非動物的または反動物的とする考え方と同じ不合理な二分法に基づいて来たのである。これと同じく、理性的と非理性的の概念、理性的と衝動的の対比、理性的生活と衝動的生活を対立させる一般的考え方などについて相当な修正がなされなければならない。「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版部
2013年07月31日
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インドの浄土教の思想では、「浄土は西方十万億土の彼方に存在する」と考えられていました。浄土は無限の彼方にあるというのが、前提なんです。ところが、その浄土教が日本に伝わると、浄土は私たちを取りまく山の中や、海の向こうに存在すると考えられるようになりました。山中浄土や海中浄土という発想ですね。そして、もともと神道で崇められていた山の頂上が、「浄土が原」「浄土が峰」といった、仏教に由来する地名をつけられていくんです。また、神道では「人は死ぬと魂になって山に登る」と考えられていますが、山の中に浄土があるという解釈ですと、死んだ人はみな山、すなわち浄土に帰ることになります。すなわち、魂イコール死者、魂イコール仏ということになって、死者はすべて仏さまということになってしまったわけです。インド人からすれば、仏とは修行して悟った人を指しますから、死んだら誰もが仏になるなんて、考えられないんですがね。「心の時代を読み解く」 天外伺朗 飛鳥新社
2013年07月29日
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日本社会の特徴は、宗教がないことだと思います。宗教を非常に広く定義すると、山本先生のおっしゃる「日本教」になってしまいます。つまりキリスト教は日本教キリスト教派、儒教は日本教儒教学派、仏教は日本教仏教派になってしまうんですね。イデオロギーでも同じで、日本教マルクス派になるだけです。ですから、日本人の信条体系を別の言葉でいうと信条体系がないわけです。「日本人の可能性」 小室直樹、並木信義、山本七平 プレジデント社
2013年07月29日
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ヨルダン川流域でさえ、すぐそばは砂漠です。エルサレムなんて、まるで廃墟の上に作られた都市という感じでした。そんな風土で生きている人が、「地上には何もない。天上の彼方に、唯一の絶対的な価値を求める以外にない」という発想になるのは、ごく自然だと思います。一方、日本はまるで対照的に、地上いたるところ山の幸、海の幸に恵まれている。山は森と緑に覆われています。そういった穏やかな風土で暮らす人々は、天上の彼方に超越的な価値を求める必要はなかったのではないでしょうか。神は大地と隔絶した天上界にいるのではない、森や山や海そのものに宿るのだと、ごく自然に考えたのでしょう。それこそが、まさに神道の世界なんですね。「心の時代を読み解く」 天外伺朗 飛鳥新社
2013年07月25日
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生計:病気をしたり、死んだりせず、すこやかに生きる道(いかに健康に暮らすか。せっかく得たところの我々の生をいかに大事にして全(まっと)うするかという計画) 身計:自分一身をどう世に立ててゆくかという社会生活(一生どのように身を立てていくか。社会生活、社会活動をいかに行うかという計画) 家計:家をどう維持してゆくかという問題(どういう女房を貰って、どういう家をつくり、親兄弟・親戚・朋友等といかになかよくつき合っていくか) 老計:いかに年をとるか(いかに年をとるか。人生の晩年をいかに衰えず立派にやるか) 死計:ほおっておいても自然にときがくれば死ぬ、というのでは学問にならない。どのように死ぬか、これまた深刻微妙な問題である(いかに死ぬか。これは言いかえると、いかに生きるかということで生計に戻る。そこで、この五計は円になる。円通である。)「偉大なる対話」 安岡正篤 福村出版
2013年07月25日
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一般に、中世的社会は、その宗教の信奉者しか受容しません。近代文明社会は、多様な宗教は受容しますが、経済合理性を中心とした価値観以外の価値観をほとんど認めない傾向にあります。例えば、宗教的価値観が中心のイスラム諸国に対して、その価値観を尊重せずに経済的利権を求めて土足でどんどん入っていくことに、何のためらいも感じません。それに対して、成熟した社会というのは、ありとあらゆる価値観や生き方をお互いに尊重し、多様性が共存する、というのが最大の特徴になります。「心の時代を読み解く」 天外伺朗 飛鳥新社
2013年07月23日
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高次の欲求が本能的で生物的なものであり、厳密には食物に対する欲求と同じくらいに生物的なものであることを認めた結果で、最も重要なことは、認知的と意欲的とを二分法で分かつことは誤りであり、改めなければならないということを認めることである。知識、理解、人生哲学、理論的関係づけの枠組み、価値体系などを求める欲求はそれ自体、意欲であり、人間の原始的・動物的性質(我々は特殊な動物なのである)の一部なのである。また我々の欲求は完全に盲目的なものではなく、文化、現実、可能性によって左右されるものであることも知られており、したがって認知が、欲求の発達に重要な役割を果たすことになる。「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版部
2013年07月23日
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シャドー(影)というのは、自分が好ましくない自己の側面を、自覚することなく無意識のレベルに抑圧してしまうことをいいます。いったん抑圧してしまうと、もう本人は感知できません。シャドーから、たえず衝動が突き上げてきますが、それも本人が気付くことなく抑圧しています。気付かないけれども、なんとなく、ほのかな不快感は残っています。すると人は、その衝動が他人から来るものと勘違いをしてしまいます。シャドーは、自分の意識している自己概念の外側に存在します。したがって、それを認めることは自己概念の崩壊を意味し、死の恐怖と全く同じ恐怖感を伴います。その恐怖感や嫌悪感が、シャドーとともに相手に投影されます。すると相手は、きわめて邪悪な存在に見えてしまい、自らはそれを殲滅すべく激しい戦いを挑むことになってしまいます。「心の時代を読み解く」 天外伺朗 飛鳥新社
2013年07月22日
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以下の五つの点が重要である。1 流通革新による流通チャネルの短縮2 生業・家業の近代化3 経営情報の開示化。これを契機にヒト・モノ・カネを外部から調達し、成長性を高める企業が出ている4 企業系列の「パートナー化」。自動車や電機などのアセンブル企業の収益力が低下傾向にある一方、下請け企業の中でも中堅企業は地道に技術蓄積を続け、アセンブル企業と対等の力をもち始めている。ただし、力のない下請け企業は生き残れず、今後は二極化が進むと考えられる。5 地域企業の全国化「企業の志と風土」 野村総合研究所
2013年07月19日
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フロイトと共に深層心理学という新しい学問分野を切り拓いた、もうひとりの立役者、カール・グスタフ・ユング(1875~1961)は、フロイトの定義した無意識のさらに奥深くに、実は[神々の萌芽]と呼ぶべき聖なる種子が眠っている、と主張しました。無意識とさまざまな方法を工夫して対話することにより、聖なる種子が目覚めて、魂が低いレベルから高いレベルの変容していく、というのです。これはまさに、宗教的な修行と同じ意味です。ユングは、きわめて大勢の患者を観察した結果、あらゆる人間は、既存の宗教や信仰とは全く無関係に、本質的な宗教性をもっている、と述べています。「心の時代を読み解く」 天外伺朗 飛鳥新社
2013年07月17日
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(一)高次の欲求と低次の欲求は異なる特性を持つ、(二)低次の欲求と同様、高次の欲求も基本的な人間性に含めなければならない(異なったものでも対立するものでもない)という考え方は、心理学や哲学の理論に多くの革命的な結果をもたらすに違いない。ほとんどの文明と、その政治、教育、宗教などの理論は、この信念とはまさに反対の立場に基づいてきた。全般的に、人間の性質の生物的・動物的・本能的側面を、食物や性などの生物的欲求にはっきり限定して考えてきたのである。真、愛、美などを求める高次の衝動は、そういった動物的欲求とは本質的に異なるものと考えられていた。さらにこれらの二種類の欲求は互いに対立するものであり排他的なものであり、永遠に葛藤しあうものであると考えられていた。すべての文化とそこでのあらゆる道具は、低次の欲求に対立し高次の欲求に味方する観点から考えられている。そこで必然的に、文化は禁止するものや欲求不満を引き起こすものとなり、せいぜい良くても遺憾な必要物にすぎないことになる。「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版部
2013年07月17日
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ウィルバーの説が正しいとすると、いままでエゴの追求に抑圧されていた深美意識が、これから少しずつ優勢になっていく、という方向性が、一般的に人類の進化の流れだ、ということになります。いまだにエゴの追求が優勢な人は、競争社会の急流の中で、歯を食いしばってがんばる人生を送っています。一方、深美意識が優勢になってきた人は、急流からちょっと身を引いて、ゆったりとした、充実した人生を楽しむようになっていきます。この深美意識に忠実な人生を、つくろうことなく、ごく自然に歩めるようになった人の意識レベルを、「成熟した自我」と呼びます。人類が進化を続けているとすれば、成熟した自我のレベルの人は、次第に増加してくるはずです。そのレベルの人が、指導層の中に多く見いだせるようになった社会を、「成熟した社会」と名づけました。「心の時代を読み解く」 天外伺朗 飛鳥新社
2013年07月16日
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ナショナリズムの想像力が死と不死に関わるとすれば、このことは、それが宗教的想像力と強い親和性をもっていることを示している。人の死に方がふつう偶然に左右されるものとすれば、人がやがては死ぬということはのがれようのない定めである。人間の生はそうした偶然と必然の組み合わせに満ちている。我々はすべて、我々の固有の遺伝的属性、我々の性、我々の生きる時代の制約、我々の身体的能力、我々の母語等々の偶然性と不可避性をよく承知している。伝統的な宗教的世界観の偉大な功績-それは、これらの宗教的世界観が、宇宙(コスモス)における人、種としての人、そして生の偶然性に関わってきたことにあった。宗教思想は、さまざまのやり方で、一般的には運命性を連続性(業、原罪など)へと転化することで、不死をもあいまいに暗示する。偶然を宿命に転じること、これがナショナリズムの魔術である。「しかり、わたしがフランス人に生まれたのはまったくの偶然である。されどフランスは不滅である。」言うまでもなく、わたしは、一人世紀末におけるナショナリズムの出現が宗教的確実性の腐食によって「生み出された」とか、あるいはこの腐食それ自体について複雑な説明は不要であるとか、主張しているのではない。ナショナリズムに先行する大規模な文化システムと比較して理解されなければならない、ということである。そのような文化システムとして妥当するのは、宗教共同体と王国の二つの文化システムであろう。「想像の共同体」 ベネデクト・アンダーソン 書籍工房早山
2013年07月12日
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ケン・ウィルバーという、高名なトランスパーソナル(個を超越した)心理学者は、人間は、個人の一生における意識の成長も、きわめて長い時間をかけた、種としての意識の進化も、全く同じ階層構造に沿っている、と主張しています。つまり、乳児が外界との関係を確立し、言語を習得し、やがて自我の芽生えに向かうプロセスは、発達心理学という学問が明らかにしてきましたが、それと同じプロセスを、ネアンデルタール人、クロマニヨン人から、紀元前二○○○年ぐらいの間の人類の意識の進化の中に見出せるというのです。それ以後の人類は、心理学でいう、自我の確立のプロセスにある、というのが彼の主張の骨子です。「心の時代を読み解く」 天外伺朗 飛鳥新社
2013年07月10日
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基本的欲求を満足することは、望ましい、良い、健康な、自己実現的などいろいろに呼ばれる状態につながる。この問題は、車に合ったオイルを選ぶことと大して変わらないことを想起しさえすれば、容易に実験的ベースあるいは工学的ベースにさえのせることができるであろう。あるオイルで車がよく動くなら、そのオイルは他のものより良い。臨床では一般に、有機体は、安全、愛、尊重が与えられる時、より良く機能することがわかっている。すなわち、知覚がより効果的になり、知性をより十分に用い、考えて正しい結論に至ることがより多くなり、食物をより効果的に消化し、種々の病気にかかりにくくなるなどである。「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版部
2013年07月09日
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一般に美意識というと、表面的な審美感のみを指すことが多いので、それとの混同を避けるために、わざわざ「深」という文字をつけました。人間の根源的な宗教心の源泉は、実は、この深美意識なのです。人間は誰でも、心の底からこみあげてくる深美意識と、エゴを追及したいという強い欲求の葛藤の中で人生を歩んでいます。もちろん、今の競争社会の中では、ほとんどの人の心の中ではエゴの追求の方が優勢であり、深美意識を抑圧ぎみの人生を送っています。「心の時代を読み解く」 天外伺朗 飛鳥新社
2013年07月08日
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1 狭い組織の中の上下ばかりみるのでなく、常に世の中全体、三百六十度、全方位にわたって物事をみつめ、情報を集め、そこから自分の生き方を決めていくこと2 自己変革を続けることは、価値観をつぎつぎと変えていくことである。そのため、教条的な考え方をとらず「世の中に絶対はない」と見きわめ、常に思考の柔軟性を持つこと3 誰からも学ぶという謙虚な態度4 一級の人物を見抜く「人間に対する洞察力ないし観察力」を持つ事。かつ、その人物を人脈として利用はするが、ひとりの人物にこだわらず、つぎつぎと新たな一級の人物を求めること「人づくりの人間学」 童門冬二 三笠書房
2013年07月08日
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中世の暗黒時代には、目茶苦茶のことが山ほどあったのは事実ですが、反面、宗教によるある種の「形而上的な価値観」が社会を支配しており、一人ひとりがエゴを追及する価値観と微妙なバランスを保っていた、と推定されます。近代になり、社会における宗教の地位が低下するとともに、個人のエゴの追及に歯止めをかけるメカニズムがなくなり、エゴが暴走しやすい社会が出現しました。それはまた、人びとが富を求めて激しく競争する「競争社会」へつながっています。その競争により、経済や産業が活性化し、国が豊かになり、軍事力も強くなります。つまり、近代文明社会では、エゴの追求(暴走)は良いことであり、社会を活性化させる源泉であり、大いに奨励されているのです。実は、イスラム原理主義などが近代文明を敵視するひとつの理由がそこにあります。グローバル化により近代文明を押しつけるということは、宗教的価値観と相反する価値観を強要することであり、宗教的視点からは耐えられないことは明らかです。「心の時代を読み解く」 天外伺朗 飛鳥新社
2013年07月05日
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表出行動(ある特定の運動や言語反応に伴い生じる表情や身振りなど)と対処行動(機能的努力、目標探究行動)との間には根本的差異がある。表出行動は何かをしようとするのではない。単なるパーソナリティの反映である。愚かな人が愚かに行動するのは、彼がそうしたいからでも、そう動機づけられているからでもなく、単に彼がそうであるからなのである。同じことは、私がテナーやソプラノではなくバスの低い声で話している点についてもいえる。健康な子供の活発な動き、幸福な男が一人でいるときにも見せる微笑、健康な男の歩行の軽快さや姿勢の正しさなどは、機能的でない表出行動の例である。また、動機づけられているか否かにかかわらず、ほとんどすべての行動のスタイルは、大部分表出的である。「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版部
2013年07月04日
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かつて、中世から近代に移行するとき、人びとは「科学的合理主義」を社会の規範に選び、宗教の抑圧的な社会支配から脱出するとともに、人間が本来心の底に抱いている宗教性を、社会の表舞台からバッサリ切り捨ててしまいました。そのことが、昨今社会が混迷の度合いを深めている一つの要因であることは明らかです。来るべき次の社会のキーワードが、宗教性であることも、まちがいないでしょう。そのことを多くの人が、「心の時代」ということばで表現したのです。「心の時代を読み解く」 天外伺朗 飛鳥新社
2013年07月03日
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国民(ネーション)と国民主義(ナショナリズム)は、「自由主義」や「ファシズム」の同類として扱うよりも、「親族」や「宗教」の同類として扱ったほうが話は簡単なのだ。そこで、ここでは人類学的精神で〔「親族」や「宗教」を定義するように〕国民を次のように定義することにしよう。国民とはイメージとして心に措かれた想像の政治共同体(イマジンド・ポリティカル・コミュニティ)である――そしてそれは、本来的に限定され、かつ主権的なもの〔最高の意思決定主体〕として想像されると。国民は[イメージとして心の中に]想像されたものである。というのは、いかに小さな国民であろうと、これを構成する人々は、その大多数の同胞を知ることも、会うことも、あるいはかれらについて聞くこともなく、それでいてなお、ひとりひとりの心の中には、共同の聖餐(コミュニオン)のイメージが生きているからである。私に言えることはこれだけだ。国民は、共同体の相当数のメンバーが、自分たちは国民を形成していると考えるとき、あるいは、自分たちが国民を形成したかのように行動するとき、存在する。」我々は、「自分たちは国民を形成していると考えるとき」という表現を「自分たちは国民を形成していると想像するとき」に置き換えてよいであろう。「想像の共同体」 ベネデクト・アンダーソン 書籍工房早山
2013年07月02日
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唯識論は、たとえばイギリスのバークレイのような「独我論」的な考え方を引き継いだものである。バークレイのような、世界の存在は自分の意識に依存しているというような考え方を克服して、「意識を離れて客観的に存在する世界の存在」を確立したからこそ、カントは偉いのだそうです。カントの立場が今日の客観的科学主義の立場につながっているわけですが、この立場からすると、意識が世界を作っているという説は、すでに超えられてしまったことになります。天外さんは、そこで、意識を必ずしも個人に属するものではないとすることによって、そして、「量子力学」の波動関数の収縮の問題との関係を考えることによって、新しい「唯我論」を主張なさろうとしているのだと思います。「意識は科学で解き明かせるか」 天外伺朗 茂木健一郎 講談社
2013年07月01日
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