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人間の文化の発達は、系統発生における種の進化とよく似ている。あらゆる文化の発達の土台をなしている累積的伝統は、本質的に新しい、いかなる動物にもみられない機能にもとづいている。とりわけそれは抽象思考と言語の使用にもとづいている。人間は、自由な記号をつくり出す能力によって抽象的に考え、言葉を用いることを通じて、個体が獲得した知識をひろめ伝える、それまでみられなかった可能性を開かれたのである。その結果生じたこの「獲得形質の遺伝」は、一方では、文化の歴史的な発達が種の系統発生より数層倍もはやく進行する原因になっている「文明化した人間の八つの大罪」 K・ローレンツ 思索社
2013年09月30日
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我々は常に、全体としての人間が欲求不満に陥るのであって、人間の一部だけがそうなるのではないことを記憶しておかなければならない。この点に注意すると、剥奪とパーソナリティに対する脅威との違いという重要な区分が明らかになるだろう。欲求不満は、一般的に、単に、望むものが得られないとか、願いや満足が妨げられた状態と定義される。しかし、そのような定義からは、有機体にとって重要でない(簡単に他のものに取って代わり、大した影響も残さない)剥奪と、他方、同時にパーソナリティの脅威、すなわち個人の人生目標とか、防衛機能とか、自己実現、つまり個人の基本的欲求にとって脅威となる剥奪を、区別することはできない。ここでの趣意は、脅威を与える剥奪だけが、一般に欲求不満とされるいろいろな結果(通常は望ましくないもの)をもたらすものであるということである。「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版部
2013年09月27日
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自分の国が既に独立して尊敬もされているかどうかを確認するために、アメリカは戦い続けるのである。「明白なる天意」という創造主への信仰を語りながらも、きわめて人工的な理念のもとにつくられた移民国家には、“自分探し”の苦労が常にある。アメリカは幼稚園児から星条旗に忠誠を誓わせる。また国旗をファッションとして利用してしまう。それしか共通のものがないのに違いない。彼らは常に、「われわれはアメリカ人だ」「アメリカ・イズ・ザ・リッチスト」「アメリカ・イズ・ザ・グレイテスト」「アメリカ・イズ・ザ・ストロンゲスト」と言い続けていなければ不安なのであり、絶えずそうした自己肯定・自己認識をしなければ、欧州からの“棄民・流民“の末裔という劣等感と、かつて欧州から受けた干渉、圧迫の記憶から解放されないのである。「アメリカに頼らなくっても大丈夫な日本へ」 日下公人 PHP研究室
2013年09月26日
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現代社会に必要とされているのは合理的かつロジカルでリーズナブルなマインドによる自己の支配、コントロールです。ところが、基本的に我々の人生のドライビングフォースとなっているのは情緒・情動なんです。リーズナブルなマインドによる自己の統制が要求されるために、当然発達すべき情動が抑えつけられてしっかり発達を遂げていないんですね。本来人間は年をとってくればくるほど、あらゆる体験に対して自分を開いていけるはずです。新しい体験をどんどん取り入れていけるようになるのが本来の発達状態だと思う。ところが、一般社会に見るとしよりというのは体験を重ねれば重ねるほど頑固になっている。「心の時代を読み解く」 天外伺朗 飛鳥新社
2013年09月25日
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ダーウィン派の生存価値に付け加えて、我々は「成長―価値」といったものがあることを主張したい。それは、単に生存するものは良いというだけでなく、人は、住然足る人間性、潜在的可能性の実現、より素晴らしい幸福、平静さ、至高経験、超越、現実のより豊かで正確な認知などの方向に成長することがよい(好まれ、選ばれ、有機体にとって良い)のである。我々は。もはや貧乏・戦争・支配・残忍性などが良いものではなく悪いものであるということを究極的に証明するのに、生活力や生き残ることなどを引き合いに出す必要はない。今やそれは生活・人格・意識・知恵の質を下げるから悪いのであると考えることができるのである。「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版部
2013年09月24日
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深層心理的に自我がある程度確立している人と、そこはぐじゃぐじゃなんだけれど理性でもってコントロールしてあたかも自我が確立したかのようにふるまっている人がいる。成功している人たちというのはどちらかというと理性で自分を抑えるのはずいぶん上手ですけれども、あまり自我そのものが確立していない。俺が俺がという自意識の強い人が会社で出世していくことが多い。これはフィクセーション、固着なんです。フィクセーションとは、成長発達の過程で特定の部分であるとか特定の認識に固着してしまってそこから離れることができないということです。そのために健全な発達を阻害してしまってそこから発達していないわけです。「心の時代を読み解く」 天外伺朗 飛鳥新社
2013年09月20日
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日本近代史は、ペリー提督の黒船来航で幕を開ける。私が日本近代史に興味を持ったのは、他の国とは違った特異性があるからではない。まったくの逆だ。日本近代史の面白さは、世界中の至る所で起きた出来事と共通点が多い事である。十九世紀半ばに日本がぶつかった問題は、ヨーロッパ以外の国ほとんどすべて(および一部のヨーロッパ諸国)が直面した問題だった。強力な外国文明が迫ってきて、自国の政治制度や宗教習慣、文化的伝統が破壊されそうになったとき、人はどう行動するのだろうか? こうした実存的問題に、日本人は江戸末期から明治初期にかけて直面したわけだが、これはそんなに特殊な問題ではない。ほぼ同じ問題に、今日ではアラブ人やアフリカ人、イラン人、中国人、インド人など、多くの人が頭を悩ませている。「近代日本の誕生」 イアン・ブルマ ランダムハウス講談社
2013年09月19日
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古代ギリシャでは「真・善・美」の三つが合わさってこそ完全な真実だと考えられていましたが、近代科学が問題にしているのはその中の「真」だけなんですね。だから、科学は結局、人間の求めるべき理想と価値の三分の一しか見ていないことになるわけです。現代の私たちに欠けているのは、「善」と「美」。すなわち倫理と芸術の問題であり、それはもともと科学では説明できない問題なんですね。ところが、私たちは倫理と芸術を置き去りにしたまま、科学技術だけで世界を説明し、動かしうると考えている。そういった精神的なひずみが、環境、医療、セクシュアリティの問題などを引き起こしている。「心の時代を読み解く」 天外伺朗 飛鳥新社
2013年09月18日
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高次の欲求レベルで生活することは低次の欲求満足から比較的独立していられる(困難に陥った時には高次の欲求の満足は問題でなくなる)ことがわかったが、このことは神学者たちの古くからのジレンマを解決してくれることになるであろう。彼らは、肉体と精神、天使と悪魔――すなわち人間の有機体における高次の欲求と低次の欲求、これらを両立させる必要を常に感じてきたが、誰も満足な解決ができずにいた。高次の欲求生活の機能的自立性がその解決法になるようである。高次の欲求は、低次の欲求の基礎の上にのみ発達するのであり、十分に確立したときには低次の欲求から相対的に独立することができるのである。「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版部
2013年09月17日
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彼の考えていることは、メタフィジック(形而上学)とフィジック(物理学)の関係だと思います。メタフィジックというのは、アリストテレスの用語で、自然全体を支配している超越的原理を求める学問です。形而上学という訳語は、実は「易経」からきています。形を超えた次元から発する気のエネルギーが万物を生成変化させる、という考え方ですね。要するに、物理学だけでは自然の完全な像を捉えることはできない、というのがボームの考え方だろうと思います。つまり、いまの物理学は新しい哲学を必要としているということです。「心の時代を読み解く」 天外伺朗 飛鳥新社
2013年09月13日
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仁を好(この)みて学(がく)を好まざれば其の蔽や愚(ぐ)なり 知を好みて学を好まざれば其の蔽や蕩(たう)なり 信を好みて学を好まざれば其の蔽や賊(ぞく)なり 直を好みて学を好まざれば其の蔽や絞(かう)なり 勇を好みて学を好まざれば其の蔽や乱(らん)なり 剛を好みて学を好まざれば其の蔽や狂(きょう)なり「論語の講義」 諸橋轍次 大修館書店
2013年09月12日
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ユング自身、予知夢をずいぶん見たことがある。そこには従来の科学では扱えない一種の限界があるのを身を以て感じていたんでしょう。それが因果律オンリーの世界の見方を否定し、空間を無意識の場とみなす、共時性という思想につながった。ユングは、因果律に代わる新しい概念として共時律を提示し、従来の宇宙モデルを超えたパラダイムを示そうとしました。因果律に基づいているのが近代科学だとしたら、つぎには共時律を基本原則として構築される、新しい科学が生まれるべきだと思います。「心の時代を読み解く」 天外伺朗 飛鳥新社
2013年09月10日
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もし、本能が弱いものであり、高次の欲求がその性質上本能的であると見られ、文化が本能的衝動よりも強力なものであり、人間の基本的欲求が善であり悪ではないということが明らかになったとしたら、人間性の発展は、社会の進歩を通してと同じく、本能的傾向を育成することを通してなされるであろう。実際、文化を向上させるポイントは、人間の内的生物的傾向に自己実現の機会を与えることであるといえよう。「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版部
2013年09月10日
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記憶は無意識と関連しています。無意識という考え方は、心が多層の構造をもっていることを前提としています。測定可能なレベルの下に、物理的に測定不可能なレベルが広がっているとして、そこにできている心の「場」を、ベルグソンは「純粋持続」と呼んでいるわけです。「純粋」というのは、物質と無関係という意味で、これは心理学でいう無意識に当たります。この考え方を発展させたのが、彼の「生命の維持」(エラン・ヴィタル)の考え方になります。ベルクソンは、「無意識の中には、身体を行動へ突き動かそうというインテンションがある。そして、無意識からのはたらきと物質が接触したところに意識が生まれ、それが私たちの知覚になる」と考えました。したがって知覚はつねに、「現在」なのです。いわば、無意識と物質が交差するところで「現在」が認知され、意識が生まれるのだといっていいでしょう。このように、記憶をキーワードにしたベルクソンの時間観は、時間を三次元の空間と同じようにとらえて数学的に客観的に計測していこうとする近代の科学者たちのそれと対立しています。「心の時代を読み解く」 天外伺朗 飛鳥新社
2013年09月09日
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相互に連結した確実性は、まずヨーロッパで、そしてやがては他の地域においても、経済的変化、「諸発見」(社会的、科学的)、ますます加速化するコミュニケーションの発展の衝撃の下で、ゆっくりと減衰して.いき、宇宙論と歴史のはざまに荒々しい楔が打ち込まれた。とすれば、同胞愛、権力、時間を、新しく意味あるかたちでつなげよう、という模索がはじまったとしても驚くにはあたるまい。そして、そうした模索をなににもまして促進し、実りあるものとしたのが、出版資本主義(プリント・キャピタリズム)であった。出版資本主義こそ、ますます多くの人々が、まったく新しいやり方で、みずからについて考え、かつ自己と他者を関係づけることを可能にしたのである。「想像の共同体」 ベネデクト・アンダーソン 書籍工房早山
2013年09月06日
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もし時間が瞬間の連続体であって、そこに心(記憶の保持)が一切関係しないとするならば、知覚される現実は、映画のフィルムの一コマ一コマのような[現在]の断片だけの連続になってしまいます。また、音楽を聞いても音の断片の連続でしかありえず、メロディとしては聞こえてきません。しかし、実際には、人体の働きには心理学でいう残像効果がそなわっているので、走っている車を見るとしばらくはその状態を覚えており、動くのがわかるわけです。映画やビデオは、この残像効果を利用しているわけですね。実際には、私たちは時間の流れを認識し、世界の出来事を連続的に動くものとして知覚している。ベルクソンはここに、数学的論理形式と現実のギャップがある、と考えています。論理的思考は動くものを固定する、と彼はいいます。この理論の形式と現実とのギャップをどうとらえるかに関して、ベルグソンの「記憶」という着想が意味を持ってくるわけです。「心の時代を読み解く」 天外伺朗 飛鳥新社
2013年09月05日
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我々は、心理療法(一般には、教育、育児、良い性格の形成)の目的について、考えをかなり変えなければならない。多くの人ではまだ、これらは、内発的衝動を抑制し制御する一組の行動を獲得することを意味している。心理療法の分野では、規律、統制、抑制などが合言葉となっているのである。しかしもし心理療法が、統制や制御を打ち破る方向に押しやることを意味するなら、我々の新しいキーワードは、自発性、自己受容、衝動覚知、満足、自己選択とならなければならない。我々の内発的衝動が、いまわしいものではなく結構なものであると認められたなら、我々はそれを狂人拘束服で締め付けるのではなく、むしろ十分に表出するよう解放したいと願うのは確実であろう。「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版部
2013年09月04日
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ユングは「性は抑圧せずに解放すればいい」というフロイトの考えは誤りで、重要なのはリビドーの性質を変化させていくことであると主張しました。リビドーというのは、性に関連した心のエネルギーのことです。フロイトは、それが性欲の満足に向けられると解したのですが、ユングはそればかりでなく、リビドーの性質を変化させてゆくことが可能だというのです。彼はこのことを「リビドーの変容」といっています。瞑想の訓練は、この方向転換をすることであって、心のエネルギーがより純粋で精神的性質に変わってゆくということです。「心の時代を読み解く」 天外伺朗 飛鳥新社
2013年09月02日
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子張問う、士如何(いか)なればこれを達と謂(い)うべき。子曰く何ぞや爾(なんじ)がいわゆる達とは。子張対(こた)えて曰く、邦(くに)に在(あ)りても必ず聞こえ家に在りても必ず聞こゆ。子曰く、これは聞なり、達に非ざるなり。それ達なる者は、質直にして義を好み、言を察して色を観、慮(はか)って以てひとに下(くだ)る。邦に在りても必ず達し、家に在りても必ず達す。それ聞なる者は色に仁を取りて行いは違(たが)い、これに居りて疑わず。邦に在りても必ず聞こえ、家に在りても必ず聞こゆ。「論語の活学」 安岡正篤 プレジデント社
2013年09月02日
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