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ー 岡村公園の秋 ー ↑ 金木犀ラジオ体操が終わり、帰りがけに突然、香りに気付きました。見ると、もうこんなに…昨日まで、全く気付かなかったです。↑ ひまわり・アポロン(野球場とレストハウスの間)夏の始め頃から、ずっと咲き続けています。背が高くならず、横に広がるタイプの向日葵です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「ゆずの木」の由来を書いたプレート2017年6月3日 植樹1998年6月3日、ファーストシングル「夏色」が発売されたその同じ日に、岡村から羽ばたいた“ゆず"のお二人のデビュー20周年を祝いゆずの木を植樹されました。余談ですが岡村公園は、「フォークデュオ・ゆず」の聖地の一つでもあります。全国から訪れる「ゆずっ子さん(ゆずファン)」のためにヒット曲に登場する「聖地」巡りのためのMAPをレストハウスで無料配布しています。↑ チョコレートコスモス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・駐車場とテニスコートの間にあるイチョウの木銀杏がたわわに実ってました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・少年多目的広場運動会の練習中でしょうか・・・。 幼稚園の子どもたちが先生の指示に合わせ、何度も隊列を組み替えて、並んでいました。園内マップ(岡村公園のHPからお借りしました)
2022.09.29
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ー 我が家の庭の花たち ー千日紅オキシペダラム(ブルースター)最初の花が終わり、タネも出来ずこれでお終いかとガッカリ…。嬉しいことに、背丈が伸び、脇芽も伸びてまた咲き出しました。どうぞ種ができますように…。アメリカンブルーは元気です。大きな深鉢いっぱいに根を張っているため化成肥料をときどきパラパラとまくだけ・・・。水だけはたっぷりあげてます。細葉百日草去年の種を、プランターに蒔きました。やっと、この一本だけ育ってくれました。オキシペダラムが発芽して喜んだのも束の間一夜にして、ヨトウムシに食べられてしまったり今年は春の種まきに失敗ばかり…(^^;;なんとか芽を出した貴重な苗をを育てました。ー 隣家の彼岸花 ー今年は赤い彼岸花を見そびれた…とガッカリしていました。今朝見ると、お隣さんの彼岸花がちょうど満開\(^^)/撮らせてもらって来ました。
2022.09.27
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☆天切り松闇がたり・浅田次郎・(株)集英社 文庫帝都に名を馳せた義賊がいた。天下の夜盗、天切り松が、六尺四方にしか聞こえぬという闇語りの声音で物語る、義賊一家の縦横無尽の大活躍を書いた物語。粋でいなせな怪盗たちが大正モダンの大東京を駆け抜ける、感動の傑作シリーズ。何かオススメの本無い?と聞いた私に、友人がお気に入りの本を教えてくれたのがこの「天切り松 闇がたり」でした。何の予備知識もなく読み始めたのですが、歯切れの良い江戸弁の文章が心地よく、たちまち虜になってしまいました。ー登場人物ー♣︎目細の安吉、別名:抜き弁天の安吉。目細一家の親分。本名は杉本安吉。明治10年生まれ。♣︎英治天切りの達人。尻を端折った黒半纏に黒の股引、黒の皮足袋に手甲、黒染めの手拭いの頬かぶりを鼻の下できりりと捩じ切った、言わずと知れた大江戸以来の盗人装束仕事に向かう。♣︎坊主の寅弥=強盗(タタキ)の寅兄イ。別名:説教寅明治10年深川生まれ。稼業は強盗(タタキ)。出刃を片手に他人様の家に押し込むなんてえ悪党は絶えて久しいが、元々タタキは盗人の花だと、本人は言う。♣︎書生常(本多常次郎)=騙りの常次郎。帝大生、時に帝大の教授ということになっている。実際に頭が良い。立襟のシャツに紺絣の重ね着、小倉の袴。髪はぼさぼさの伸び放題で、手元には書物をくるんだ風呂敷と角帽が置かれている。利発そうな細面に、丸いセルロイドの眼鏡をかけると、誰がどう見ても帝大法科の学生だ。♣︎お紺、別名:振袖お紺。巾着切り。磯子の孤児院で育ち、電車の中でスリをしていたところを目細の安吉親分に拾われた。♣︎天切り松、本名:村田松蔵。9歳のとき、博打で食い詰めた父親に、安吉親分のところへ盗人の修行に出された。英治から天切りの技を仕込まれた。第1巻 闇の花道2002年6月25日 第1刷(1999年9月、集英社より刊行)夜更けの冬の留置場に現れたその不思議な老人は、六尺四方にしか聞こえないという声音「闇がたり」で、遥かな昔を物語り始めた…。時は大正ロマン華やかなりし頃、帝都に名を馳せた義賊「目細の安吉一家」。盗られても困らぬ天下のお宝だけを狙い、貧しい人々には救いの手を差し伸べる。義理と人情に命を賭けた、粋でいなせな怪盗たちの胸のすく大活躍を描く傑作悪漢小説シリーズ第1弾。(以下、カバー裏面の文章より)第2巻・残俠2002年11月25日 第1刷ある日、目細の安吉一家に客分として現れた、時代がかった老俠客。その名も山本政五郎ーすなわち幕末から生き延びた、清水次郎長の子分・小政だというのだが……。表題作「残俠」など、天下の夜盗「天切り松」が闇がたりの声音で物語る、義賊一家の縦横無尽の大活躍八編。第3巻・初湯千両2005年6月25日 第1刷シベリア出兵で戦死した兵士の遺族を助ける説教寅の心意気を描く表題作他、時代のうねりに翻弄される庶民に味方する目細の安吉一家の大活躍、全6編。第4巻・昭和俠盗伝2008年3月25日 第1刷時は昭和9年。関東大震災から復興を遂げ華やかなモダン東京を謳歌したのも束の間、戦争の影が徐々に忍び寄っていた。ついに寅弥が我が子のようにいとおしんできた勲にも召集令状が届く。国の無体に抗おうと松蔵らが挑んだ企みとは? 激動の時代へと呑み込まれてゆく有名、無名の人々に安吉一家が手を差し伸べる5編。第5巻・ライムライト2016年8月25日 第1刷チャールズ・チャップリンがやって来る‼︎昭和7年5月、日本中が彼の来日に沸くなか、安吉一家の耳に驚くべき噂が飛び込んできた。チャップリン暗殺ーー。信念を持つこの稀代の芸術家を殺させてなるものか。世間を混乱させることなくテロリストの魔の手を振り払うため、いなせな夜盗たちが東京の街を所狭しと走り回る。表題作ほか全6編。♣︎浅田次郎1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他の著書に『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』など多数。
2022.09.27
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ー 三溪記念館 ー臨春閣内部の見学を終えたあとすぐそばにある、三溪記念館で開催されていた「所蔵品展」と、「写真展」を見てきました。ー 田中克昌写真展 「あとさきー臨春閣ー」会場:三溪記念館 第3展示室9月8日(木) 〜 10月23日(日)↑ 第1屋〜第2屋へ↑ 第2屋・住之江の間障子 第2屋・住之江の間外からの眺め・第2屋と第3屋↑ 芦雁図ー第2屋・浪華の間 (伝、狩野永徳)↑ 沓脱石・第2屋↑ 花頭窓型の階段口 第3屋↑ 百人一首色紙貼交小壁第3屋2階・村雨の間↑ 第3屋2階村雨の間から第2屋への眺め第3屋2階・次の間「村雨松林図」 伝・狩野山楽風の通り道第3屋2階・村雨の間から亭樹を臨む↑ 亭樹がある眺め第2屋・浪華の間↑第3屋・次の間へ降りる 花頭窓型の階段口↑ 水面へ映り込む 第2屋外観狩野探幽「琴棋書画図」第2屋から外へぬける景色会場内に、こんな嬉しいプレートがありました。写真は、田中克昌さんが愛用されている「局紙」という特殊な紙にプリントされているそうです。生成りっぽい色味で光沢もあり、ご白分の好きな雰囲気の写真に仕上げられる点も気に入り、使われているそうです。見て来たばかりの色褪せた襖絵や室内の様子に、この写真を重ね合わせている内に、移築当時の建物の様子がぼんやりと浮かんでくるような気になりました。A=臨春閣、 B=三溪記念館三溪園 公式サイト
2022.09.24
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足かけ5年もの歳月をかけて行われた臨春閣の保存修理事業が終わり、一般公開が行われています。期間は、2022年9月17日(土)~25日(日)まで。時々小雨が降るなか、昨日の午後、行ってきました。↑ 門の正面が玄関↑臨春閣全景建物内での撮影は禁止のため、一旦外に出て撮影しました。*障壁画は複製で、原本は三溪記念館で収蔵し定期的に展示を行なっているそうです。文化財建造物の保存修理事業は「変えずに残していくこと」が求められるのだそうで、建物内部に大きな変化はありませんでした。今回の工事のメインは経年劣化で傷んでいた檜皮葺屋根・柿葺屋根の葺替、耐震補強だったそうです。ちょっとがっかりでしたが、建物の中へ入れることは滅多に無いとのこと。室内から眺める庭園風景は素晴らしく、それだけでも行った甲斐がありました。池越しに、旧燈明寺三重の塔が見えました。今回、見学できたのは1階だけでしたが2階からだともっと眺めが良かったことと思います。☆臨春閣とは?江戸時代はじめの慶応2年(1649年)に、和歌山市の紀ノ川沿いに建てられた紀州徳川家の別荘・巌出御殿と考えられているそうです。その後、大阪市此花区に移されていたものを明治39年(1906年)に原三溪氏が譲り受け、三溪園の地形に合わせて建物の配置を吟味し、大正6年(1917年)に移築が完了。建物の内部は元の状態が残されているそうです。(三溪園ホームページの説明文を参考にさせて頂きました)臨春閣を見終わった後、三溪記念館の「所蔵品展」と、田中克昌氏の写真展「あとさき・臨春閣」を見て来ました。撮影出来なかった臨春閣内部の写真が展示されていました。こちらは撮影OKで、「SNSにアップして、広く共有して頂けるとうれしいです」とあり、ありがたく写させて頂いてきました。次回に掲載いたしますので、興味のある方はご覧ください。A=臨春閣、 B=三溪記念館三溪園 公式サイト
2022.09.23
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道路側でよく見えるため何か作っていらっしゃるのには気づいていました。さりとて、勝手に覗き込んで繁々見るわけにいかず気になりつつ、スルーしていました。先日、ご家族の方々いらしたので、声をかけると快く見せてくださいました。ナントナント、カーポート脇のスペースに素敵なメダカのビオトープか出来ていました。庭では稚魚を育てていらっしゃるとか・・・。メダカって共喰いするんですよね。我が家でも次男が飼っていたことがあり親と生まれたばかりの稚魚をそのまま一緒にしていたら一夜にして、食べられてしまったことがありました。
2022.09.20
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ー 本堂前付近 ー撮り方が悪くて、サーモンがかったピンクになってしまいました。実際の色は、優しいピンクです。鐘楼付近の黄色い彼岸花は、今年も疎ら・・・。鐘楼の工事のとき、地面を掘り返したため減ってしまったようです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・西方寺さんは、萩も美しい↑ 満月蝋梅(写真中央の木)それはそれは見事でした。来年は、是非とも見に行くつもりです。彼岸花の時期と違い、訪れる人も疎ら・・・。静かな境内でゆっくり楽しませていただけます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・帰りがけに、一瞬、人が途切れた隙に・・・。
2022.09.19
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超大型の台風14号が近づいています。来週早々、人の少ない朝一番に行くつもりでしたが、予定を繰り上げて、昨日の午後行ってきました。入口付近の赤は咲き始めたばかり、白も大半が未だ蕾でした。ー 道路側入口付近から山門まで ー山門に向かって右手に黄色左手に白い彼岸花が咲いています。この辺りの白の見頃は来週かと。↑ 階段右手の黄色い彼岸花今年は、花が少ないようです。↑ サーモンピンクが1本黄色の中に咲いていました。・・・・・・・・・・↑ 白を上から見下ろすとこんな感じです。今年は白が多かったです。見上げるとこんな感じです。枝垂れた萩の花の向こうに見える彼岸花人のいないときに写したかったです。・・・・・・・・・・・・・・・赤は未だ咲き始めたばかり道路側入口付近だけ、早く咲き出していました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・嵐の前に見ておこうというのは、皆さん同じらしく昨日は見物の方が非常に多くて、写真を撮るのに苦労しました。特に山門手前の階段は人が絶えることがなく思うような写真が撮れなかったのが残念です。過去のブログを調べてみると最初に見に行ったのは2014年9月21日友人が神奈川新聞の記事を見つけたのが最初でした。当初、本堂前付近には、赤い彼岸花が咲いていました。そのうちピンクが、赤に混じって登場ずいぶん増えて、今年はピンク一色でした。境内の写真は次回に・・・。横浜西方寺の公式ホームページHPからお借りしました。
2022.09.18
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ー 名前は ‘ローゼル’ ー横顔葉は、こんな感じけさ、ラジオ体操の帰り道Nさんの家の大鉢で、咲いていました。花はオクラに似ています。花の割に葉っぱが大きいです。帰宅してLINEで、Nさんに問い合わせると国内の栽培家さんから入手されたとの返事が届きました。さらに調べると学名:Hibiscus sabdariffa原産地:西アフリカアオイ科 フヨウ属赤い実はハイビスカスティーやジャムの原料になるとか沖縄では、たくさん栽培されていて道の駅でも販売されているそうです。知らなかったです。
2022.09.14
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矢の根梵天花(ヤノネボンテンカ)玄関先の花壇で咲くヤナギバルイラソウとヤノネボンテンカ今年は、庭のあちらこちらで好き勝手に咲いています。薄ピンクとうす紫の花が風にそよぎ揺れてとても涼しげ・・・。お気に入りのコーナーになりました。細葉百日草今年芽を出したのは、この一本だけ・・・。敢えて増やさずそのままに。トレニアと仲良く咲いています。千日紅だけは、去年の種を蒔きました。切り戻したペチュニアますます元気です。庭の至る所に咲くトレニアこちらは、ヤナギバルイラソウだけ・・・。一番古株の秋海棠ますます大株になり元気です。他にもたくさん芽を出し咲いています。今年の春花壇は、いろんな花が押し合いへし合いギュウギュウ詰めになってしまいました >_<;;それに懲りて、新しく植える花は極力減らし自然に芽を出した花の中から「残す花」の数も、うんと減らしました。結果は、大成功!自然な感じのガーデンになりました。
2022.09.10
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ー Sさんのアンデスの乙女 ー学名:Cassia corymbosa和名:ハナセンナ流通名;アンデスの乙女Sさんから、アンデスの乙女が咲いているとお知らせが届いていました。水曜日は夫が卓球に出かける日。早めの昼食に合わせてスーパーへ。途中に寄り、写させてもらって来ました。ちょうど庭にいらした彼女としばしお喋り花情報を聞くのも楽しみです〜(^O^☆♪ー 散歩道の萩の花 ー 帰り道、ほんの少し迂回して気になっていた萩の花を見て来ました。ちょうど見ごろだったようで石垣の上から枝垂れるように咲いていました\(^^)/今朝は、素敵な花に出会えてしばし、蒸し暑さを忘れました。
2022.09.07
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ー アメリカンブルー ー測ってみたら、直径 75 × 70cm最初は、小さな一株のポット苗でした。背の高い大きな鉢に植えました。晩秋になり、花が咲き終わったら思い切って刈り込み、軒下で越冬4年目の今年は、こんなに大きく育ちました。ここまで大きくなると鉢を移動させるのも一仕事です。はてさて、これから先どうしたものか・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 柳葉ルイラソウ & ルエリア・サザンスター ー↑ ヤナギバルイラソウルエリアサザンスター近所の「花友さん2」から、小さい苗を頂きました。零れ種が芽を出したものだとか。花も葉も、ヤナギバルイラソウとそっくりですがこの花は大株になっても背が低いようです。未だ開花は、1日1輪ずつですが2色揃って咲いたら素敵でしょうね。来年が楽しみです〜♪ヤナギバルイラソウの様に背が高くならずこんもりと控えめに咲く、園芸種の様です。
2022.09.05
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ラジオ体操会の大先輩、吉富和彦さんの写真展をご紹介いたします。ここに掲載したのは一部ですが、下記のポスターにありますように、9月2日〜30日迄、岡村公園のレストハウスで開催されています。もし、岡村公園へいらっしゃることがありましたら、覗いてみて頂ければ幸いです。ー 谷川岳: 群馬県 ー昭和30(1995)年4月・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 冬の菅平・長野県 ー昭和31(1956)年1月・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 早春の天城:静岡県 ー昭和31(1956)年4月・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 丹沢水無川・神奈川県 ー昭和32(1957)年7月・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 三つ峠・河口湖:山梨県 ー昭和32(1957)年9月・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 大蔵高丸:群馬県 ー昭和33(1958)年5月・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 妙義山:群馬県 ー昭和37(1962)年5月・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 北八ヶ岳縦走:長野県 ー昭和37(1962)年8月・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 大山:神奈川県 ー昭和38(1963)年11月ガスに包まれた山頂ススキの道を歩く岩場を登る小滝の下で・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 丹沢四十八瀬川:神奈川県 ー昭和41(1966)年11月・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 尾瀬ヶ原・至仏山:群馬県 ー昭和43(1968)年8月尾瀬ヶ原の木道至仏山を登る至仏山より尾瀬ヶ原を望む至仏山山頂岡村公園 ホームページ
2022.09.03
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紅筋ヤマユリこの絵を描き始めたのは、何年前でしょう。構図が先生のお気に召さずあれやこれやで、途中で挫折・・・。そのうち、以前通っていたボタニカルアート教室は先生の都合で無くなってしまいました。教室が無くなっても、1人でぽちぽち描くつもりが年賀状の絵すら描けない日々でした。そんなこんなでこの絵は途中でお蔵入りに・・・。何年かたち、誘ってくださる方があり新しい教室のお仲間に入れて頂きました。あるとき、先生にこの絵のことをお話ししたら是非描き上げるようにと励まして下さいました。水張りをして、描き始めたものの紙はカサカサ・・・。思うように色が乗りません。それでもこれだけは、と頑張り何とか仕上げました。やっと、長年の宿題が果たせた気分です。遠目はともかく、そばで見るととても展覧会に出せるような出来栄えではありません。それでも私にとっては様々な思い出が詰まった、一番大事な作品です。やっと宿題が果たせた気分でいます。(click or tapで拡大します)今日は9月1日、ブログ開設記念日です。2007年9月1日でしたから15年になります。タイトル通りの雑記帳です。ほぼ、オープン直後からお付き合い頂いている方はお2人いらっしゃいます。30数年続けてきた和裁教室の皆さんとの記事あり、JTrimの画像加工に夢中になっていた時期もありました。その頃からのお付き合いの方は10年以上になります。私が住む交通過疎地の丘の上に小型バスを誘致しようと頑張った時期もありました。このミニバスも走り始めて10月で、15年になります。思えば、バス開通の目処がたったとき、何か新しいことを・・・と思ったのが、ブログ開設のきっかけでした。「末摘む花の雑記帳」は15年間の思い出がいっぱい詰まった私の日記帳でもあります。15時30分現在の、アクセスカウンタの数字は4,700,818こんなに多くの皆さまに支えて頂いたことに心から感謝しています。これまでお付き合い頂いた皆様に心からお礼申し上げます。これからも、足の向くまま、気の向くままに迷走しながら続けていこうと思っています。お暇なときに、ときどき覗いて下さると嬉しいです。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
2022.09.01
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