2022.06.15
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・角川春樹事務、
・2017年8月18日 第1刷発行 

五鈴屋店主、5代目徳兵衛こと惣次は、長月25日に店を飛び出して以来、八方探し回るものの、その行方は知れなかった。発端となったのは、五鈴屋が江州波村に前貸ししていた銀4貫の預かり手形が、両替商の分散により紙屑と化したことだった。五鈴屋に一切の損はなく、ただ波村ばかりが借財を背負うことになったのだ。惣次に相手への気遣いがあれば、充分に避けられた事態だった。

神無月8日
智三27歳。智蔵が惣次からの手紙を届けに来た。智蔵を訪ねた惣次は「隠居する。呉服仲間にもその旨申し入れをしたといい、また智三に五鈴屋を託すと言ったという。惣次31歳、未だ隠居という歳ではない。幸は富久の手から文を受け取り目を走らせる。確かに夫の筆跡で、隠居の意思が認めてあった。家を出た日、惣次は波村に融通する筈の銀3貫を持って出ていた。この店に9つで奉公に上がった幸は21になっていた。

その夜、途方に暮れる富久を大店の桔梗屋が訪ねて来た。帰りがけに桔梗屋は幸に言った。「自分よりも秀でた女房を持つというのも良し悪しや。共に生きる不幸よりも、離れて生きる不幸を、惣次は選ばはった」と言い置いて帰って行った。
誇り高い惣次は五鈴屋に傷を残さぬよう、店主の立場を去ることで波村へのけじめとし、仕切り直して新しい人生を始めるつもりではないのか。幸はそう思った。
幸から話を聞き終わった元番頭の治兵衛は幸をねぎらったあと、「旦那さんには申し訳ないことだすが、五鈴屋にとっても、智ぼんさんにとっても、ええ風向きですなぁ」といい、「どこかで見極めをつけならん。智ぼんには良い折やと思いますで」といった。

惣次が家を飛び出して一月が過ぎた。延享2年(1745年)、八代将軍吉宗が隠居。呉服仲間の月行事のもとに、行方を伏せたまま、惣次から幸への去り状が託された。離縁という治りどころが見えたことで、幸はむしろ腹が据わった。元の女衆として陰ながら商いの知恵を絞り五鈴屋の役に立ちたいと心を決めた幸だった。
心を決め五鈴屋に戻った三男の智蔵は、そんな幸を人形浄瑠璃に誘い、「6代目徳兵衛の嫁になり、何の才も無い自分の遣い手として商いの知恵を思う存分絞って欲しい。それでこそ自分が家に戻る意味があるといった。呉服仲間での智蔵の役者ぶりには幸も舌を巻いた。五鈴屋を出て9年、その年月が智蔵を成長させていた。2人を守り抜こうとする桔梗屋の強い後押しもあり、幸を嫁に迎えることに異を唱えるものは誰一人としていなかった。

「五鈴屋を百年続く店に・・・」と幸に託して、富久が世を去り、五鈴屋の援助で、江州波村で織り上げた『浜ちりめん」は売れ、新しい試みが、どれも良い形で実を結んていた。その年の暮れ、五鈴屋の売上は前年の倍以上に伸びていた。番頭の鉄助の話では、このままでは店も蔵も奉公人の数も足りないという。

呉服屋仲間からの急な呼び出しがあった。跡取りのいない桔梗屋に対しての騙し討ちのような買い取り話に、桔梗屋は脂汗を流して頭を抱え込んでいる。ここで買い上げの話を取りやめて貰わないと死んでも死にきれないとすがる桔梗屋。会所の中は騒然となった。恩義のある桔梗屋に何とか救いの手を差し伸べられないか・・・。幸の頭の中には、人も店も足りないという番頭の話も、帳簿類に記された店の蓄財の額も深く刻まれている。幸の耳から音がすっと消えた。すっと息を吸い、気持ちを整えると、五鈴屋の女房は一気に言い切った。
「桔梗屋さんの買い上げに、五鈴屋が名乗りをあげさせて頂きます」



☆あきない世傳金と銀(5)転流篇・高田郁
・角川春樹事務所
・2018年2月18日第1刷発行

幸が思う存分働けるよう、さり気なく幸を庇う智蔵との穏やかな暮らしのなか、2人ならではの新しい仕事を見つけだし、店の売り上げも蓄財も大きく増やしていった。

恩義のある桔梗屋の窮地に手を差し伸べた結果、店の規模も大きくなった。店名は元通りと決めていた智蔵と幸だったが、桔梗屋の店主孫六の意を汲み、元の桔梗屋は「五鈴屋高島店」とした。「桔梗屋の暖簾は預かり、将来、番頭の周助らが、独立して別家になった時に、引き継いでもらいましょう」という、幸の申し入れは、受け入れられた。孫六は「親旦那さん」、番頭だった周助は「高島店の支配人」とした。慣れるために、月ごとに手代を入れ替えることにした。

「新たな地で五鈴屋の種を蒔き、百年続く店にするためーお家さんとの約束を果たすため、江戸へ出るつもりです」と言いきるご寮人さんに、夫の智蔵、番頭の鉄助、支配人の周助の男3人、息を飲み込んだまま固まっている。やがて「成るか、成らんかは、やってみないと分かりまへん。けど、そないな夢を見ることだけはどうぞ、ゆるしておくれやす」と、鉄助と周助は智蔵に頭を下げた。
智蔵は「しばらく見守らせてもらおうと思う」といい、「どやろ、それで、ええか」と、控えめに言い添えた。
幸が智蔵の子を宿し店中が喜びに包まれるも、月足らずで産まれた子は産声を上げることもなく亡くなり、幸も一時は生死の間を彷徨った。

表が黄檗(おうばく)、裏が青地に鈴紋、また、表面が若草色、裏に緋色の鈴紋。両面が違う色の布地を使って仕立てられた「鯨帯(昼夜帯)」にヒントを得て作られた帯は「五鈴帯」と名付けられた。師走14日、赤穂義士の討入りの日に、歌舞伎の舞台でお披露目となった五鈴帯は、一気に大阪の街には広がり、飛ぶように売れに売れ続けた。

前年、幸の母、房が急死。結は20歳。幸の元へ引き取られた結は竹と梅に、裁縫や作法を仕込まれた。手先の器用な結はたちまち上達し、竹と梅のお供で、今でいう実演付きの訪問販売にもモデルとして駆り出された。やがて結に縁談が持ち込まれるようになったが、当人にその気はなく、もうしばらくこのままでいたいという。


江戸の左七と賢吉からの文は、月に一度、ゆっくり時間をかけてようやく届く。途中で誰かが読むことを考えると書けることには限りがあり、なかなか細かいことは伝わらない。

幸は太物と言われる木綿を扱うことを考えていた。けれど大阪では色々と制約があり、五鈴屋ては扱えない。智蔵は江戸なら何か手があるのではないかといい、「2人で江戸へ出えへんか?」といった。
一旦、賢吉を呼び戻し直接話を聞くことになった。賢吉から聞く江戸の呉服屋の商売の話は驚くばかりだった。
五鈴帯も浜羽二重のの売れ行きは好調。掛け取りも滞りなかった。親旦那さんも治兵衛もすこぶる元気だ。
「二人で江戸へ行きまひょ」と言っていた、そんな智蔵が出先で倒れた。



☆あきない世傳 金と銀(6)本流篇
・角川春樹事務所
・2019年2月18日 第一刷発行

♣︎孫六
呉服の大店、桔梗屋の元店主。
♣︎賢吉


6代目の逝去から5ヶ月、五鈴屋の後継者を決めなければいけない。大阪には女は後継者になれないという「女名前禁止」の掟がある。何か手がないか、幸は治兵衛や孫六、番頭の鉄助、支配人の周助と知恵を絞った。思案していた孫六が、過去に船場で同じようなケースが起き、3年間女名前を許されたことがあったこを思い出した。3年あれば商いの上で色々な手が打てる。3年後、誰に継がせるか熟考も出来るだろう。
足掛け3年と言う期限を条件に呉服屋仲間の同意も取れ、公儀のお許しも出て、幸は7代目を継ぐことになった。だが、あくまで中継ぎであり、混乱をきたさないように、店での呼び名は「ご寮さん」で通すことにした。
許された期限は再来年の暮れまでとなる。それまでに後継者を決めなければならない。何が出来るか、何をすべきか、幸は連日考えた。「江戸へ出る」夫の智蔵(6代目)の志は今も、幸の胸にある。

佐七から江戸店が見つかったと知らせが届いた。店は浅草田原町3丁目、浅草寺のすぐ近くにあった。元は太物を扱う「白雲屋」といい、堅実な商いで顧客にも恵まれ暖簾を託すところで、肝心の息子が風邪をこじらせて呆気なく逝ってしまったのだ。全ての望みが潰え店を手放すことにしたという。
周助が江戸へ出向き、佐七と共に店主に会い、詰めるべき話を詰めたうえで話を決めてきた。居抜きで、更に商品もそのまま一緒に、金150両という破格の値段であった。賢吉を一年以上見てきて、賢吉のような奉公人を抱える店ならば、全てを託して悔いはない。夫婦して何日も話し合い、買い上げを願い出たのだという。


店は真口2間半(約4.5m)、奥行き18間(約32m)の2階建て。表通りに面し、入口は北向き、そこから南に続く細長い造りになっていた。
「小さく産んで大きく育てる」智蔵の願いにも叶うスタートだった。鉄助は10日ほど江戸に留まり、大阪へ戻った。

江戸へ出ることを目標に赤穂浪士と同じく2年の時をかけた。
開店は12月14日。赤穂義士の討入りの日と同じ、師走14日に暖簾を掲げることに決めた。江戸店は店前現金売りを行う。開店後は、佐七は手代から支配人となり、名は「佐助」、賢吉は、丁稚から手代となり、名は「賢七」、お竹は、名はそのまま「竹」とし、役名は小頭と決めた。小頭は江戸の商家では手代の上の格にあたる。
開店まで4ヶ月を切った。反物の一部分を縦にかけて見せる撞木(小型の衣紋掛け)も誂えた。浅草界隈では細く裂いた浅草紙を棒の先に括り付けて、ホコリを払っていた。佐七と竹は、反物の大敵であるホコリや塵を払うための、その「さいはらい」の先に紙の代わりに、古手の絹布のボロを細く裂き、括り付けていた。なるほど、これなら布地の傷みを気にせずに済む。こうして、全く経験が無い店前現銀売りに向けて、少しずつ準備が整っていった。

江戸店開店の披露目は、従来のように盛大に引き札を撒くことも、何もしないと決めた。ただし、開店までに屋号を知ってもらう工夫を一つすることにした。それには大層金銀がかかる。
届いた荷から出てきたのは、大量の手拭いだった。暖簾と同じ青みがかった緑色の地に「5つの鈴」と共に、「田原町五鈴屋」の文字が両端の2箇所に染め抜かれていた。
4人は、その手拭いを風呂敷に包み、手分けして江戸市中の神社仏閣の水場に置いて回った。ひとの集まるところは多めに、人の姿を見ないところにも必ず一本ずつ置いた。奉納というにはあまりにもささやかだから、用立ててもらう。そんな気持ちだった。
店には湯殿がないため、幸とお竹は湯屋に通う。2人は、飾らない、他愛のないお喋りを聞くことを楽しんでいた。そんなある日「田原町に五鈴屋なんて店はないよねぇ」「あ、それ、私も気になってたんだよ」。はっと、幸は背後を振り返った。2人の中年女が声高に話している。2人の手拭いの話が続く。
賢吉は試しにその手拭いを使ってみたら「バチが当たる。早う返してこい」と、見ず知らずの人からえらく叱られたという。言い訳したい気持ちで一杯だったが幸から釘を刺されている。湯屋で出会うた人誰一人として、五十鈴屋を知らなかったという。賢吉の話を聞いたお竹は朗らかに笑い声をあげている。
「開店まで謎のままで通し、ある日突然、その正体が判明するとしたら、その方が、断然面白おますなぁ」と、幸はいう。その後も、湯屋では謎の五鈴屋の話で持ちきりだった。
江戸進出は、5代目惣次の悲願でもあった。6代目の智三が地固めをして、7代目が実現させた。
失敗する訳にはいかない。表情を強ばらせる使用人に、幸は、元番頭、治兵衛の口調を真似てみせたあと、「笑って勝ちに行きましょう」と言った。店主の言葉に、3人はへぇ、と力強く応えた。

宝暦元年(1751年)師走、14日。
ここ浅草でも、赤穂義士に扮した「俄(にわか)」が現れて、皆の注目を集めていた。火事装束に似た黒の衣装で「討ち入り、討ち入り」と、群れを組んで、東本願寺から広小路を目指す。「俄」に気を取られていた通行人が、ふと、視線を転じれば、これまで空き店かと思っていた表店に暖簾が掛けられようとしている。
立看板に「呉服太物(ふともの) 五鈴屋」の文字。青みかかった暖簾には、五つの鈴に「田原町 五鈴屋」の文字が染め抜かれている。
暖簾をかけ終えた手代らしき奉公人が振り返った。丸く優しい目元の青年は、野次馬を認めて、満面に笑みを浮かべた。懇篤に一礼すると、良く通る声を張る。
「本日、討入りの日に開店させて頂きます。呉服と太物の五鈴屋でございます」





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Last updated  2022.06.17 21:39:47
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