・角川春樹事務、
・2017年8月18日 第1刷発行
五鈴屋店主、5代目徳兵衛こと惣次は、長月25日に店を飛び出して以来、八方探し回るものの、その行方は知れなかった。発端となったのは、五鈴屋が江州波村に前貸ししていた銀4貫の預かり手形が、両替商の分散により紙屑と化したことだった。五鈴屋に一切の損はなく、ただ波村ばかりが借財を背負うことになったのだ。惣次に相手への気遣いがあれば、充分に避けられた事態だった。
神無月8日
智三27歳。智蔵が惣次からの手紙を届けに来た。智蔵を訪ねた惣次は「隠居する。呉服仲間にもその旨申し入れをしたといい、また智三に五鈴屋を託すと言ったという。惣次31歳、未だ隠居という歳ではない。幸は富久の手から文を受け取り目を走らせる。確かに夫の筆跡で、隠居の意思が認めてあった。家を出た日、惣次は波村に融通する筈の銀3貫を持って出ていた。この店に9つで奉公に上がった幸は21になっていた。
その夜、途方に暮れる富久を大店の桔梗屋が訪ねて来た。帰りがけに桔梗屋は幸に言った。「自分よりも秀でた女房を持つというのも良し悪しや。共に生きる不幸よりも、離れて生きる不幸を、惣次は選ばはった」と言い置いて帰って行った。
誇り高い惣次は五鈴屋に傷を残さぬよう、店主の立場を去ることで波村へのけじめとし、仕切り直して新しい人生を始めるつもりではないのか。幸はそう思った。
幸から話を聞き終わった元番頭の治兵衛は幸をねぎらったあと、「旦那さんには申し訳ないことだすが、五鈴屋にとっても、智ぼんさんにとっても、ええ風向きですなぁ」といい、「どこかで見極めをつけならん。智ぼんには良い折やと思いますで」といった。
惣次が家を飛び出して一月が過ぎた。延享2年(1745年)、八代将軍吉宗が隠居。呉服仲間の月行事のもとに、行方を伏せたまま、惣次から幸への去り状が託された。離縁という治りどころが見えたことで、幸はむしろ腹が据わった。元の女衆として陰ながら商いの知恵を絞り五鈴屋の役に立ちたいと心を決めた幸だった。
心を決め五鈴屋に戻った三男の智蔵は、そんな幸を人形浄瑠璃に誘い、「6代目徳兵衛の嫁になり、何の才も無い自分の遣い手として商いの知恵を思う存分絞って欲しい。それでこそ自分が家に戻る意味があるといった。呉服仲間での智蔵の役者ぶりには幸も舌を巻いた。五鈴屋を出て9年、その年月が智蔵を成長させていた。2人を守り抜こうとする桔梗屋の強い後押しもあり、幸を嫁に迎えることに異を唱えるものは誰一人としていなかった。
「五鈴屋を百年続く店に・・・」と幸に託して、富久が世を去り、五鈴屋の援助で、江州波村で織り上げた『浜ちりめん」は売れ、新しい試みが、どれも良い形で実を結んていた。その年の暮れ、五鈴屋の売上は前年の倍以上に伸びていた。番頭の鉄助の話では、このままでは店も蔵も奉公人の数も足りないという。
呉服屋仲間からの急な呼び出しがあった。跡取りのいない桔梗屋に対しての騙し討ちのような買い取り話に、桔梗屋は脂汗を流して頭を抱え込んでいる。ここで買い上げの話を取りやめて貰わないと死んでも死にきれないとすがる桔梗屋。会所の中は騒然となった。恩義のある桔梗屋に何とか救いの手を差し伸べられないか・・・。幸の頭の中には、人も店も足りないという番頭の話も、帳簿類に記された店の蓄財の額も深く刻まれている。幸の耳から音がすっと消えた。すっと息を吸い、気持ちを整えると、五鈴屋の女房は一気に言い切った。
「桔梗屋さんの買い上げに、五鈴屋が名乗りをあげさせて頂きます」
幸が思う存分働けるよう、さり気なく幸を庇う智蔵との穏やかな暮らしのなか、2人ならではの新しい仕事を見つけだし、店の売り上げも蓄財も大きく増やしていった。
恩義のある桔梗屋の窮地に手を差し伸べた結果、店の規模も大きくなった。店名は元通りと決めていた智蔵と幸だったが、桔梗屋の店主孫六の意を汲み、元の桔梗屋は「五鈴屋高島店」とした。「桔梗屋の暖簾は預かり、将来、番頭の周助らが、独立して別家になった時に、引き継いでもらいましょう」という、幸の申し入れは、受け入れられた。孫六は「親旦那さん」、番頭だった周助は「高島店の支配人」とした。慣れるために、月ごとに手代を入れ替えることにした。母の待つ里・浅田次郎 2024.10.25
よって件のごとし・宮部みゆき 2024.10.14
この夏読んだ本 2024 2024.10.06 コメント(18)
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