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私にとって、大変興味深いテーマを扱った一冊。 なので、スイスイ読み進めることが出来ると思いきや、 読んでいても、書かれていることがスッと頭の中に入って来てくれない…… 最後まで、頁を捲る速度が思うように上がってくれませんでした。 「何故だろう?」と、ずっと考えながら読んでいましたが、 「おわりに」に至って、その理由と思われることに気付きました。 今回もまた「親ガチャ」という流行語に便乗して早く出版したいということで、 山路さんにお手伝いいただきました。 山路さんご自身が、前著の時以来このテーマにすごく興味を持ってくださり、 編集者の渡邉勇樹氏と共に、遺伝と能力と教育を巡るさまざまな質問を 次から次へとぶつけてきてくださいました。 それに応えようと、 行動遺伝子学の最近の論文や自分自身の研究で示された科学的根拠だけでなく、 まだにわか勉強中の脳科学の知見、さらには個人の経験や日頃の思いなどを総動員して、 楽しくディスカッションさせていただいたものを、 質疑応答の形でまとめていただいたのが本書です。(p.248)著者とされる人に口頭で話をしてもらい、それを文章にまとめ出版することは、決して珍しいことではないでしょう。が、上手くやらないと何だか要領を得なかったり、読みづらいものが出来上がってしまうことも。テープ起こしをした経験のある方なら、分かっていただけるのではないでしょうか?
2024.08.12
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今月3日、台湾東部を震源とするM7.2の大きな地震が発生しました。 今年度からの台湾勤務が決まっていた、私がよく知るご夫婦は、 その翌々日、当初の予定通り飛行機で飛び立ちましたが、 着任地が震源から離れていたためか、大きな支障なく過ごしているようです。 そんな彼らを思いながら手にしたのが本著。 台湾の日常を紹介した図鑑で、写真が豊富に掲載されており、見ていてとても楽しい一冊。 part1とpart3が「台湾にまつわるモノ・コト・ヒトのA to Z」の「その1」と「その2」、 part2が「知っておくと楽しい台湾の基礎知識」、part4が「台湾的暮らし方 実践編」です。 もともと見えないものに慎重というか、用心するというか、やたらと怖がるというか。 台湾人には、そうゆうところがある。 体調不良も見えない敵。 すぐに病院に行って薬を飲む。 風が流行れば人に染さないためというより、自分の護身でマスクをよく着ける。 そこに団結力と行動力、政治への関心の高さもあって、 台湾はコロナ対策の優等生になった。(p.106)前述した夫婦が渡航前に言っていた、「台湾の医療水準や医療保険制度はハイレベルなので安心」という言葉を思い出しました。当時の台湾政府によるコロナ対策についても、現地在住者ならではの記述が見られ、台湾や台湾に住む人たちのことをイメージしやすく、大変興味深い内容となっています。 喧嘩した人に周りが気を使っていたら、 当人同士が何事もなかったかのように仲睦まじく目の前に現れる。 気に食わなくてクビにしたはずの人をまた雇う。 もしくはタンカを切って辞めたはずの会社の手伝いをしている。 なぜだか、こんなことが日常的に起こる。 これに対して、文句を聞かされていた側も「何なんだよ」とは思わない。 それは、いつの日か自分も逆の立場になる予定があるから。 予約を忘れるのはどうかと思うが、恨みを忘れるのは素敵だ。(p.112)このおおらかさが、台湾の人たちの温かく包み込むような雰囲気を創出し、日本や日本人に対する姿勢にも表れているのかと、大いに納得。『島国根性 大陸根性 半島根性』や『韓国併合への道 完全版』で見られた他の隣国の姿勢とは一味違うもので、私達も見習いたいところです。さて、巻末には「年表こと、やたら長い著者紹介」というものが、6ページに渡って掲載されており、これが結構面白かったです。(その次の頁には、出版社による定番の著者紹介も載っています)さらに次の頁には「お問い合わせ」についてが掲載されていて、その「ご質問される前に」には、 弊社webサイトの「正誤表」をご参照ください。 正誤表 https://www.shoeisha.co.jp/book/errata/ (p.207)とあったので、早速アクセスして検索してみると、私が付箋を付していたp.91の9行目の誤植が、ちゃんと掲載されていました。(私が読んだのは第2刷です)
2024.04.21
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副題は「脳科学から見た『メカニズム』『対処法」『活用術』」。 中野信子さんによる一冊で、2019年6月に刊行されたもの。 「第1章 損するキレ方、得するキレ方」では、 相手に搾取されないよう、賢く”キレる”スキルを身に付けることを提案。 「第2章 キレる人の脳で起こっていること」では、 ”キレる”場合を6つに分けて、脳で起こっていることを解説。「第3章 キレる人との付き合い方」では、12のケースについて、”キレる”人にどのように関われば良いかを指南。「第4章 キレる自分との付き合い方」では、自身が”キレる”ケースを6つに分け、どのようにコントロール、表現すれば良いか助言。そして、最後の「第5章 戦略的にキレる『言葉の運用術』」では、自分自身を守るためには、対人関係の会話の中で使う日本語の運用能力を向上させ、言葉で上手に切り返せるようになることが重要だと述べています。「気持ちはキレていい。言葉でキレてはいけない」が、強く心に残りました。
2024.02.18
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たくさんの人たちに読まれ、カスタマーレビューの評価も高い一冊。 「オノマトペ」について記されている辺りまでは、 頁を捲る手の動きも滑らかで、順調に読み進めることが出来ていましたが、 途中からは大苦戦、読み切るのにかなりの時間を要してしまいました。 かつて、ソシュール等に当たっていた時期のことも思い出され、 やはり、言語学はそう簡単に、一筋縄ではいかないと再認識させられました。 *** 子どもはこのように、ある足がかりがあれば、そこから学習を始め、知識を創っていく。 そのとき子どもがしていることは、「教えてもらったことの暗記」とはまったく異なる。 今もっている資源を駆使して、知識を蓄える。 同時に学習した知識を分析し、さらなる学習に役立つ手がかりを探して学習を加速させ、 さらに効率よく知識を拡大していく。 その背後にあるのがブーストラッピング・サイクルである。(P.202)本著の中で、最も心に残ったのがココ。現在求められている教育は、まさにヒトの学びの原点だったと気付かされました。 人間はあることを知ると、その知識を過剰に一般化する。 ことばを覚えると、ごく自然に換喩・隠喩を駆使して、意味を拡張する。 ある現象を観察すると、そこからパターンを検出し、未来を予測する。 それだけではなく、すでに起こったことに遡及し、因果の説明を求める。 これらはみなアブダクション推論である。 人間にとってアブダクション推論はもっとも自然な思考なのであり、 生存に欠かせない武器である。(p.245)キーワードは、「アブダクション推論」。著者は、「ブーストラッピング・サイクル」において、中心的役割を果たすものだと言います。また、前提と結論をひっくり返してしまう推論である対称性推論は、アブダクション推論と深い関係がありますが、非論理的な推論だとも述べています。 対称性推論をしようとするバイアスがあるかないか。 このような、ほんの小さな思考バイアスの違いが、 ヒトという種とそのほかの動物種の間の、 言語を持つか持たないかの違いを生み出す。 そして言語によって、人間がもともと持っているアブダクション推論が、 目では観察できない抽象的な類似性・関係性を発見し、 知識創造を続けていくというループの端緒になるのだと筆者たちは考えている。(p.248)ただし、論理関係と因果関係は一見似ていますが、別ものです。思考の前提は事象の原因とは異なり、思考の結論は事象の結果とは異なるのです。因果関係がない所に因果関係を見てしまうのは、認知バイアスの一つであるということを、私たちは、普段から心に留めておく必要があると思います。
2024.01.24
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精神科医の泉谷閑示さんが、カウンセラーや医療職を目指す人たちに向け、 講座や講義で話してきた内容をベースにしながらも、誰もがヒントを得られる一冊。 「自分で感じ、自分で考える」生き方を回復すべく、 今まで疑うことなく信じてきた様々な常識や知識を洗い出していきます。 *** 最近、教育現場で「食育」ということが言われ始めてきているようですが、 そこでは「朝食を摂っている子どもは頭が良い」というデータが 根拠として用いられたりしています。 しかしよく考えてみれば、朝食を食べなさいという親の指示に素直に従う子どもと、 学校の教える学習内容に素直に従う子どもは、 その従順さにおいて一致しているはずですから、そこに正の相関があって当然なわけで、 果たしてこれが科学的データと言えるのかどうか疑問です。(p.88)「なるほど」と思いました。ただ、「鶏が先か、卵が先か」とも感じました。「朝食を摂る」こと、「頭が良い」こと、「従順」なこと、この三者の関係を、明確にする必要がある? 待ちぼうけは、人をある状態に縛り付けます。 「絶望」を口にする時、「待っていても来ない」「期待しているのに得られない」 といって嘆いているわけですが、その苦しみは、叶わないことによるのではなく、 縛り付けられて不自由であることから来ているのです。 つまりこれは「執着」の苦しみなのです(中略) このように「絶望」の苦しみは、残していた一抹の期待をきちんと捨てること、 つまりそこからさらに一歩を推し進め、しっかりと「執着」を断つことによって、 真の「絶望」が訪れ、「自由」に解放されていくものなのです。(p.175)「執着」の苦しみから逃れるには、その「執着」自体を断ち切るしかないということですね。まぁ、それがそんなに簡単なことではないから、多くの人が、真の「絶望」の手前で留まったまま、苦しみ続けている…… 大通りの人たちは、必ず徒党を組みます。 彼らは、内に不自然さ、窮屈さを無意識的に抱えているので、 どうにかしてそれを打ち消しておく必要がある。 そうでなければ、自分たちの大通りが間違った道であるということがバレてしまう。 打ち消すには、井戸端会議的に徒党を組みむのが一番手っ取り早い。 「ね、そうよね。私たち正しいわよね。あの人はちょっと変よね」 というようなことを言って、 大通りを外れた人のゴシップをネタに、自分たちを正当化して安心するわけです。 巷にあふれるワイドショーやゴシップ週刊誌は、 そういう人たちの根強いニーズがあるからこそ成り立っているわけです。 大通りの人にとっては、「人の不幸は蜜の味」なのです。(p.213) これこそが「普通がいい」という病、ですね。
2024.01.24
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10月20日に蒼井優さんが「あさイチ」に出演された際、 本著の名前をあげられたことで興味を持ち、読んでみました。 しかしながら、大学受験では「生物Ⅰ」を選択し、それなりに勉強はしたものの、 それは、物理・化学が壊滅状態だったためという私には、かなり難解な一冊でした。 本著をスイスイと読み進めるためには、 一定レベルの生物・化学の知識・教養を持ち合わせていることが必要でしょう。 しかも、本著は㎛以下の世界を、情緒的な美文を用いて描き出そうとしているので、 知識不足の読者にとっては、余計に理解から遠避けられてしまうような気がします。それでも、20世紀最大の発見と言われるワトソンとクリックによる「DNAの二重ラセン構造の発見」に関する疑惑を描いた第6章は、科学者間の競争の激烈さが伝わって来る、とても興味深いものでした。また、第7章には『そんなバカな!遺伝子と神について』が登場し、懐かしかったです。
2023.12.30
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『空気を読む脳』や『人は、なぜ他人を許せないのか?』とは明らかに違う。 何が違うかと言うと、中野信子さんの人となりがダイレクトに伝わって来る。 『なんで家族を続けるの?』や『不倫と正義』等の対談集と比べても、 本著は、それ以上に中野信子さんの人となりが伝わって来る。 こんなに自分の本性をさらけ出してもいいものかと心配になるほど、 本著からは、中野信子さんの人となりが伝わって来る。 メディアへの露出も半端ないので、放っておいてもそれは滲み出してしまうけれど、 本著を読んでイメージが変わったという人も、少なくないのではないかと思う。 *** こうして、人間は実際にはかなり限定的な情報源をもとに、 その小さな情報圏内で、確信的文脈を形成してしまう。 なんとも残念な脳であるとも見える。(p.66)とても示唆に富んだ文章。「限定的な情報源」「小さな情報圏内」であるにも関わらず、全てを知っている、分かっているような気になって「確信的文脈を形成」してしまう。そうなりがちだということを常に念頭に置いて、発言・行動したい。 人の脳は、裏切り者や社会のルールから外れた人といった、分かりやすい攻撃対象を見つけ、 罰することに快感を覚えるようにできている。 他者に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、 快楽物質であるドーパミンが放出される。 この快楽にハマってしまうと簡単には抜け出せなくなってしまい、 罰する対象を常に探し求め、決して人を許さないようになっていくのだ。 こうした状態を、私は正義に溺れてしまった中毒状態、 いわば「正義中毒」と呼んでいる。 この認知構造は、依存症とほとんど同じだからである。(p.106)まさに、情報化が進んだ現代社会の大きな課題。それはローカルな社会でも、ワールドワイドな社会でも同様。昨今、世の中を賑わせているトピックスに対するムーブメントの多くが、この「正義中毒」を背景にして形成されているような気がしてならない。
2023.10.15
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ノンフィクションライター・中村敦彦さんが、 AV女優や風俗、介護などの現場でフィールドワークを行う際、 そこで駆使されているスキル「悪魔の傾聴」について紹介した一冊。 「相手の本音をどんどん引き出す方法」に圧倒されます。 *** ピックアップ・クエスチョンとは、すでに相手が発言した単語や趣旨を拾い、 即時に短い質問を投げかけるテクニックです。 自分が聞きたい・知りたい質問ではなく、 相手の語りをもっと進めるための質問を投げるのです。(p.28) 誰でも、話したいことを聞いてくれた相手、 希望を叶えてくれた相手には好印象をもちます。(p.32)まずは、話し手が気持ちよく語ることの出来る状況を作り上げるということでしょうか。しかし、この状況を作り出さないことには、次のステップに進んでいけないのです。 相手の自己開示に対して自分の意見は決して口にしてはいけません。(p.101) 聞き手であるあなたが、相手の語りに共感できるか、肯定できるかという主観は、 悪魔の傾聴中はどうでもいい感情として消去します。(p.105) 事実を語っているだけの相手は、聞き手に意見やアドバイスは求めていません。 いったいどうして?という好奇心をもって、リズムをあわせて相づちを打ち、 相手が語りやすい環境整備に徹するべきなのです。 (p.190)これらも、話し手が気持ちよく語り続ける状況を維持していくうえで、とても大切なところ。カウンセリングのテクニックとして、よく指摘されることですね。 「部下に尊敬されたい」という思いから、 自己肯定感が強く、自信家である性格が推測できます。 このようなタイプは部下に良かれと思って自分の経験談や上から目線の教えを語りがちで、 組織の上下関係や年功序列を人間関係に無意識に持ち込んでしまいます。 その思いを断捨離しない限り、悪魔の傾聴の成功はありません。(p.150)これが、私にとって本著の中で最も考えさせられ、反省を促された一文。確かに、そうなんですよね。
2023.06.28
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著者の田坂広志さんは、東京大学工学部原子力工学科を卒業後、 東京大学医学部放射線健康管理学教室に研究生として在籍した後、 東京大学大学院工学系研究科に進学して工学博士を取得したという方。 その後は、三菱金属株式会社原子力事業部での勤務を経て、 株式会社日本総合研究所取締役、多摩大学経営情報学部教授、 さらに、多摩大学大学院経営情報学研究科教授、内閣官房参与等を歴任しています。本著は、最先端量子科学が示唆する「死後の世界」の可能性について記した一冊で、著者は、現代科学の限界や誰もが日常的に体験する不思議な出来事、自身の体験について語り、それらが「ゼロ・ポイント・フィールド仮設」で説明できると述べています。そして、フィールド仮設を基に「死後の世界」について仔細に語りながら、「科学的知性」と「宗教的叡智」が融合した「新たな文明」の構築を提言しています。 *** もし、あなたが、「私とは、この肉体である」と信じるかぎり、 「死」は明確に存在し、そして、それは、必ずやってくる。 もし、あなたが、「私とは、この自我意識である」と信じるかぎり、 あなたの意識がゼロ・ポイント・フィールドに移った後、 いずれ、その「自我意識」は、消えていく。 そして、「超自我意識」へと変容していく。 それゆえ、その意味において、「自我意識」にとって「死」は存在し、 それも、必ずやってくる。 しかし、もし、あなたが、「私とは、この壮大で深遠な宇宙の背後にある、 この『宇宙意識』そのものに他ならない」ことに気がついたならば、「死」は存在しない。 「死」というものは、存在しない。(p.311)これが、本著のタイトルについて、著者が直接的に述べた部分です。私は、本著と先日読んだばかりの『悪魔とのおしゃべり』との重複する部分の多さに驚きつつ、「人間という生物が遺伝子の単なる“乗り物(ヴィークル)”に過ぎない」という言葉も、ふと思い浮かんできました。
2022.12.30
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636頁にも及ぶ、ボリュームたっぷりの一冊。 しかしながら、同じページの中に様々なサイズのフォントが用いられていたり、 また、余白部分もかなり広かったりするため、読み進めるスピードは速くなり、 読了までに要した時間は、最初に予想したものより、かなり短くて済みました。 *** 自分で勝手に期待し〔①〕 それに応えなかった相手へ〔②〕 自分が勝手に怒り始める〔③〕 全部、独り芝居じゃないか。相手からすると、いい迷惑さ。(p.60)これは「第2章 怒れるヒーロー」の「人間が怒る、たった1つの理由」に出てくる一文。この後に「相手の行動は、変えられない。でも自分の期待値は、変えられる」、さらに「自分にも、他人にも、世界にも、相手にも期待してはいけない」とした後、「世界は、どうしようもない奴らの集まりだ」と締めくくっており、まさに悪魔の言葉。 「わたし」が始まる時、いつも同時に「せかい」が始まっている。 「わたし」のスタートと同時に、目の前には常に「せかい」が起動されている。 果たしてこの「せかい」とやらは、 「わたし」が始まる前にも本当にあったのだろうか?(中略) 問いたいのは、この「わたし」が発生していない時の「せかい」の実在性なのだ。 そして、それはあきらかに不可能だ。 「わたし」なしでは、「せかい」を確認する方法がない-。(中略) 朝のまどろみの中で、「世界は私と同い年」と言った教授の感覚が、 なんとなく分かった気がした。(p.296)これは「第8章 『宇宙システム』の始まり」の「世界は脳の中にある」に出てくる一文。これは、よく分かります。なぜなら、私も昔からずっと、こんな風なことを考えていたから。同じように考える人が他にもいたんだと、ちょっとした感動すら覚えました。自分の目の前に見えたり、聞こえたり、感じているものしか、自分にとって『真に確かなもの』などないわけですから。でも実は、目の前に見えてたり、聞こえたり、感じていると感じているものですら、『真に確かなもの』とは言えないのかもしれません。ただ、そういう風に脳が情報処理するよう、何者かに仕向けられているだけ……この「せかい」は、まさに映画『マトリックス』のような、ただの仮想現実なのかも。本著を読んでいて、また『クラインの壺』を思い出してしまいました
2022.12.25
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『テルマエ・ロマエ』のヤマザキマリさんと原田マハさんの対談。 二人が大好きなアーティストや美術館について語り合います。 ただし、そこに登場する名前は、教科書レベルをはるかに超えるものの連続。 美術を専門的に学んだことのない私には、少々きつかった。 アーティストや美術館については、その都度簡単な説明が挿入されており、 作品の写真も掲載されていますが、対談に登場する全てが掲載されているわけではない。 また、作品名は添えられているのに、作者名が添えられていないのは、少々不親切。 対談を理解しながら読み進めるには、PCで検索しながらでないと難しいでしょう。 *** 私も美術史をベースにしたフィクションを書いていますが、 ほかの作家の方と自分が違うと思えるのは、 美術史に関して普通よりはちょっとだけ詳しくて、 そこにとことん自分の興味があるというところ。 そこに関しては絶対に個性的だという自信がありますし、 表現の強みになるわけです。(p.13)これは、マハさん自身の言葉。原田マハという作家について、実に端的に言い表していると思いました。 日本でも奈良の興福寺などは、国宝の仏像たちが入り乱れていて、 こんな贅沢なフェスがあっていいのかなって感じがします。(p.149)これも、マハさんの言葉。この言葉に刺激を受けて、先日、久しぶりに興福寺に行ってきました。多くの仏像をガラスケースなしで見られる国宝館は、まさに圧巻!受付で販売されている1冊100円のリーフレットを入手してからの鑑賞を強くお勧めします。
2022.09.04
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副題は「『私』の謎を解く受動意識仮設」。 著者は、慶応義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科の 前野隆司教授。 2004年11月に筑摩書房より刊行され、2010年11月に文庫化された一冊。 刊行されてから随分月日を経ているので、 本著に記された内容については、様々な新しい知見が発見されているでしょうし、 著者自身にも、考えや思いに変化した部分があるのではないでしょうか。 より新しい刊行物も読んでみたくなりました。 *** しかし、30歳くらいのころ、 哲学者永井均の本『<子ども>のための哲学』(講談社現代新書)を読むと、 同じ疑問が書かれていた。 同じ事を考えている人がいることをはじめて知り、 嬉しくて、永井先生に連絡を取ったものだ。 同じようなことを考える人は多くはないもののそれなりにはいるそうだ。 そして、この問題は唯我論(自分がいなければ世界もないのではないか、 という疑問についての哲学)の一種(変種!?)であるということを知った。(p.36)「自分がいなければ世界もないのではないか」ということについては、私も、幼い頃から随分色々と考えてきた記憶があります。年齢を経るにつれ、自分と関わりなくこの世は存在するという感覚は強くなっていきましたが、それでも、未だに全面的には否定しきれないでいるというのも事実です。
2022.02.27
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著者は『武器としての交渉思考』の瀧本哲史さん。 本著冒頭「Round 0 イントロダクション」で、次のように述べています。 本書では様々なテーマについて、本を紹介し論評していくことになるだろう。 (中略) そこで考えたのが、あるテーマについて、 全く異なるアプローチの本を二冊紹介し、 それを批判的に、比較検討するという形態で話を進めていこうというものだ。(p.8)そして、「Round 1 心をつかむ」における、D.カーネギーの『人を動かす』とロバート.B.チャルディーニの『影響力の武器』から始まって、「Round 12 児童文学」における、ガース・ウィリアムズの『しろいうさぎとくろいうさぎ』とJ.K.ローリングの『ハリーポッターと賢者の石』の対決まで、激しいバトルが繰り広げられていきます。各Roundの最後には、「Book Guide」として、6冊の関連書が、1ページの紙幅の中で紹介されています。つまり、本著では100冊近くの書籍が紹介されていることになりますが、その中で私がこれまでに読んだことがあるものは、わずか10冊。その中で、今でも強烈に印象に残っているのがエリヤフ・ゴールドラットの『ザ・ゴール』。そして、読んでみたいなと思わされたのは、トーマス・フリードマンの『フラット化する世界』でした。
2021.10.23
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明日、2021年9月8日(水)の22:00からNHK Eテレ1で始まる 「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿」。 本著は、かつて NHK BSプレミアムで放送されたものの中から 「切り裂きハンター 死のコレクション」(2016年8月25日放送) 「”いのち”の優劣 ナチス 知らざれる科学者」(2017年1月26日放送) 「脳を切る 悪魔の手術ロボトミー」(2017年2月23日放送) 「汚れた金メダル 国家ドーピング計画」(2016年6月30日放送) 「人が悪魔に変わる時 史上最悪の心理学実験」(2016年7月28日放送) の5つを書籍化した一冊で、副題は「人体実験は何を生んだのか」。 ***まず第1章は、「実験医学の父」と讃えられる天才外科医でありながら、一方では墓泥棒と手を組んで遺体をかき集めては切り刻んだ稀代の解剖マニア、ジョン・ハンター。続く第2章は、世界で最も影響力のある遺伝学者の一人であり続け、ドイツ人類学協会の会長にも選出されましたが、20世紀前半の断種計画の主唱者でもあったオトマール・フォン・フェアシューアー。そして第3章は、精神疾患の症状を外科的に抑える「ロボトミー」が奇跡の手術としてもてはやされたものの、患者の多くを重い後遺症で苦しませることになってしまったウォルター・フリーマン。さらに第4章は、1970年代以降、オリンピックで圧倒的な強さを誇った旧東ドイツで、国家ぐるみのドーピング政策である「国家計画14・25」の中心となったマンフレッド・ヒョップナー。最後の第5章は、”史上最悪の心理学実験”と呼ばれながらも、その是非が今なお評価が分かれる「スタンフォード監獄実験」を行ったフィリップ・ジンバルドー。この5人の科学者たちが行った人体実験が描かれます。 ***実話だけに、どのエピソードも緊張感が半端ありません。TV番組が大いに人気を博したのも頷けます。こうした目をそむけたくなるような様々な悲劇や犠牲の上に、現在の医療が成り立っているのだと痛感させられます。
2021.09.07
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内田也哉子さんと中野信子さんの対談集。 『週刊文春WOMAN』創刊1周年トークイベントとして 2020年1月14日に行われた対談をきっかけに、 以後、2020年2月、5月、7月、9月に対談を重ねられた二人。 そこで語られたのは、内田裕也さんと樹木希林さんの娘として育ち、 19歳で本木雅弘さんと結婚、現在は3児の母である内田也哉子さんと、 高校生の時に信仰熱心な両親が離婚、自身の夫は平日を大阪で過ごし、 週末だけ東京に帰ってくるという中野信子さんの家族に関する諸々。芸能活動をしていた裕也さんや希林さん、そして現役の本木さんのエピソードは、私達もこれまでに数多く接してきましたが、最も身近な立場である也哉子さんの口から語られるお話は、どれもこれも、よりその人の人間性が伝わってきて、興味深いものばかりでした。また、芸能人ではない中野さんの日常や家族については、本著で初めて知ることが多く、中野さんの人となりを知ることが出来ました。『不倫』等自らの著作で述べている脳科学的観点からの言葉も、押しつけがましくならず、二人のトークを楽しんでいる様子に好感が持てました。
2021.08.22
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昨夜、TVで「NOと言わない!カレン食堂」を、 「なるほどね!」と思いながら見ていました。 それは、この番組のベースが本著だとすぐに分かったから。 あの番組は、本著「購入者限定特設サイト」のTV版ですね。 本著を最初に読んだとき、「本当は誰が書いたのかな?」と思いましたが、 「購入者限定特設サイト」の動画を見たときに、 「カレンさんって、本当にお料理が好きなんだ」ということが分かりました。 なので、本著はカレンさん本人の思いや気持ちがいっぱい詰め込まれた一冊です。ただし、読み切るにはかなりの労力を要しました。TVや動画では、それほど抵抗なく頭に入ってくる「カレン語」も、活字になると、私の脳がすんなりとは受け入れてくれなかったため、何度も何度も読み返すことになってしまったからです。でも、カレンさん自身の写真が、本編には全く掲載されていないという本著は、至極真っ当な料理本。お料理の写真はどれも美味しそうで、イラストもとってもカワイイ。「食卓を彩ってくれる頼もしい相棒 副菜のはなし」もヨカッタです。
2021.05.16
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この文章を書いている今、現在、 世間で大きな話題となっているのは、福原愛さんについて。 どのワイドショーでも、長い時間をかけて事の経緯を詳細に説明し、 MCやコメンテーターの方たちが、それぞれの思いや考えを語り合っています。 そして、週刊誌上やスポーツ紙上はもちろんのこと、 ネット上も、様々な方々による数多くの情報で満ち溢れています。 また、それらを受けての著名人の発言や文章だけでなく、 幾千万の匿名の方たちによるコメントが、これでもかと言うほど飛び交っています。 *** 人の脳は、裏切り者や、社会のルールから外れた人といった、 わかりやすい攻撃対象を見つけ、 罰することに快感を覚えるようにできています。 他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、 快楽物質であるドーパミンが放出されます。 この快楽にはまってしまうと簡単には抜け出せなくなってしまい、 罰する対象を常に探し求め、決して人を許せないようになるのです。 こうした状態を、私は正義に溺れてしまった中毒状態、 いわば「正義中毒」と呼ぼうと思います。 この認知構造は、依存症とほとんど同じだからです。(p.5)今の日本は、まさに国全体が「正義中毒」に陥っている状態。本著は、この「正義中毒」について、脳科学的知見から「許せない仕組み」を説明し、何らかの救いのメッセージを、提供しようというものです。 ジェーン・スーさん(コラムニスト、ラジオ番組パーソナリティー)から、 「中野さんの本には解決策が書かれていないね」と言われたことがあります。 確かにその通りです。(中略) 万人によく効く正義中毒の治療法、人を許せる方法は、存在しません。(中略) 一般解はありません。 だから、困る、ということではなく、 私はそれでいいのではないかと思います。(中略) 私が本書を通して伝えたいのは、ああでもなくこうでもない、 そうも言えるし、こうも言えるけれど、 結局人間が好きで、考えることは楽しい、ということ。 言いたいのはただそれだけです。 それを多くの人が共有できる時が、正義中毒から解放され、 他人を許せるようになるタイミングではないかと思います。 このとき、バカと思われていたものは、 多様性の一角に変わるのです。(p.217)周囲を海に囲まれた閉鎖的環境と、常に自然災害と隣り合わせであることが、日本に住む人たちの社会性を高めてきました。その結果、個人の意思よりも集団の目的を優先するようになり、従順な優等生が優遇され、議論の出来ない人たちの集まりになってしまいました。人格攻撃と議論は違います。また、他者にも、自分自身にも、一貫性を求め過ぎてはけません。そして、すぐに拒絶せず、いったん受け止め、包み込んでみる姿勢も必要です。皆が「多様性」を認めあえる社会になるといいですね。
2021.03.07
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PHP10月増刊号の特別保存版。 先日、手術・入院した際、病院の売店で購入した一冊。 著名人に影響を与えた”言葉”の数々を、 「前を向いていこう!」「弱い心に打ち克つ!」 そして「気楽に生きてみる」の3つに分類し、紹介してくれています。 *** 「生きるんだ、お前は親ではないか」(p.58)これは、藤原ていさんが、敗戦の1年後、3人の幼児を連れて北朝鮮を放浪していた際、38度線突破を試みるも力尽き、草の中にころがっていたところを、北朝鮮の兵士3人が取り囲み、ていさんの肩を殴り、発した言葉。兵士たちは「オレ達が助けてやる。泣くな」と、3人の子供を背負い、ていさんの手を引いて、米軍陣地まで導いてくれたという。これが、北朝鮮の地で、北朝鮮の兵士たちが示した行動。「人」そして「生きる」ということを、強く感じさせてくれるエピソード。他にも、川柳作家でエッセイストの時実新子さんが、祖母から聞いた言葉である「太郎を呼べば太郎がくる」(p.88)や、「克己 己に克たざるものは 他に克つことはできない」(p.94)に添えられた大津赤十字病院元名誉委員長・藤田仁さんのp.95の文章、医師・坪井栄孝さんの「ならぬことは ならぬものです」(p.104)という、會津藩校日新館の「什の掟」といわれたものの言葉、作家・立松和平さんの座右の銘「流れる水は先を争わず」(p.162)等が、私としては、とても印象に残りました。
2020.09.03
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副題は「理解と改善のためのプログラム」 著者は、精神科医の岡田尊司さん。 「社交不安障害」について、その要因や経過、診断について説明し、 それを乗り越える手立てを提示してくれています。 まず、「社交不安障害」とは何か。 人とかかわる場面において、不安や緊張が強いために、 社会生活に支障が出る状態のことを社交不安障害と言う。 「社会不安障害」という訳語が長く用いられていたので、 そちらの方が、なじみがあるという人もいるだろう。 それ以前は、「社会恐怖」や「対人恐怖」といった用語も使われた。 やや年配の方だと、 「対人恐怖症」という言葉を聞かれたことが多いかもしれない。 ほとんど同じ状態を指すのだが、対人恐怖という用語は、 人間そのものを恐れるというニュアンスになるが、 実際には人前で話すのが苦手なだけで、 それ以外の友人付き合いは普通に楽しめるという人も多いわけで、 用語として対人恐怖という言い方は廃れ、 適用範囲が広い社会(社交)不安という言い方に 変わってきたという経緯がある(p.15)「私は『やや年配の方』だったのだ」と、あらためて認識させられた一文。でも、とても理解しやすい説明です。この後、「社交不安障害」の診断基準についても丁寧に説明してくれており、第2章を読み終える頃には、バッチリ理解できているはずです。そして、第3章では、病状のメカニズムについて説明。 注意が向くほど、身体感覚の異変は強まり、制御できなくなっていく。 感覚とは、それを意識すればするほど敏感になり、 強まる性質をもつものだからだ。(p.60)「気にすれば気にするほど、そこから抜け出せなくなってしまう」負の連鎖反応。そこから脱却するには…… うまくいこうがいくまいが、 笑われようが喝采されようが、 聴衆の反応ではなく、自分が伝えたい思いの方に集中する。(p.64)「言うは易く行うは難し」のような気もしますが、実際、それしか手立ては無いのでしょう。 馬から落ちたら、すぐ馬に乗れ。 さもないと、もう馬に乗れなくなる、と言われる。 回避しなければ、失敗体験を成功体験に変え、 自信を取り戻せたかもしれないのだが、 回避してしまうことによって、チャレンジすることさえ困難な恐怖の対象になる。 これが、苦手意識と回避による症状の固定化のプロセスだ。(p.92)そして、これもそう簡単なことではないように思いますが、実際に、乗り越えて行くしかない山なのでしょう。本著では、この山を乗り越えていくための道標として、認知行動療法やACTの手法を提示してくれています。 このK君のように、 不登校やひここもりといった適応障害に陥った社交不安障害のケースは、 背後に、いじめなどのトラウマ体験だけでなく、 家庭の安全基地機能の低下があることも多い。 その結果、誰に対しても心を開けないという状況に置かれてしまっている。(中略) 専門的なトラウマケアを行う場合も、 安全基地となる存在の役割が重要である。(p.166)とても明確で、重たい一言です。
2019.11.17
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副題は「歴史に名を刻んだ顔」。 第1章「古典のなかの美しいひと」では、 春の女神プロセルピナ(=ペルセポネ)やマグダラのマリア。 第2章「憧れの貴人たち」では、 侯爵夫人ブリジーダ・スピノラ=ドーリアやゾフィ大公妃。第3章「才能と容姿に恵まれた芸術家」では、シャネル、バイロン、リスト、サラ・ベルナール。第4章「創作意欲をかきたてたミューズ」では、ブージヴァルのダンス、夢、忘れえぬ女、等々が紹介されている。描かれた対象も豪華だが、描いた方も実に錚々たるメンバー。ラファエロ、ルーベンス、マリー・ローランサン、ルノワールにパブロ・ピカソ、等々。その双方について、様々なエピソードが記されている。 だが美貌だから愛されて当然というのは思い込みにすぎない。 恵まれた容姿は誰に対しても眼福を与え、多くの視線を集めるが、 それだけだ。 愛や恋はその先にある。 美貌はチャンスを増やしても成功を約束しない。(p.75)著者は、この後、故ダイアナ妃に言及している。愛や恋だけでなく、その他のことも同様だ。
2019.05.02
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脳科学の観点から考える「不倫」。 人類の脳の仕組みは「一夫一婦制」に向いているわけではない。 だから、今後の人類社会において「不倫」がなくなることはない。 開始早々、著者の中野さんは結論を述べてしまいます。 そして、「不倫」に対するバッシングもなくなることはない。 それは、共同体の協力構造と秩序を維持すべく、 フリーライダーを検出し、排除しようとするから。 この辺りは、著者の記した『シャーデンフロイデ』に詳しいです。本著では、不倫に関わる「遺伝子」について言及するとともに、恋愛体質に関わるものとして「愛着スタイル」について言及しています。この「愛着スタイル」については、著者も述べているように岡田さんの『愛着障害』や『愛着障害の克服』等が参考になります。 これらの国に限らず、出生率が上向き、 または比較的高い水準を維持している先進国の多くは、 非嫡出子(婚外子)の比率が高いです。 これは婚外子を産みやすく育てやすくするための政策を 打ち出していることと深い関係があります。 その背景には、「恋愛と結婚と生殖(セックス、子育て)は一体のものである」 と言う考えを、絶対のものとは見なしていないことがあります。 だからこそ、こうした先進国では過剰な不倫バッシングも起こりません。 日本人の感覚からは想像もできないほど、世界の国々では 「女性が妊娠したら結婚するのが当たり前」ではありません。(p.176)そういうことになっているのか……考えさせられる内容でした。
2018.09.01
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著者は豊田有恒氏。 世間の誰もが名前を知っているという方ではないけれど、本当にスゴイ人。 『エイトマン』で脚本家デビューを果たすと、手塚治虫氏に見込まれ虫プロ入り。 『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』のアニメ・シナリオを手がけた。 虫プロ退職後は『スーパージェッター』や『宇宙少年ソラン』のシナリオを書き、 その後『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの原案、設定に携わることになった。 この作品については、プロデューサーの西崎義展氏と漫画家の松本零士と間で、 後日、著作者人格権をめぐりドロドロの争いに発展したのは、有名なお話。本著は、そのドロドロな部分について、この作品に深く関わり続けた豊田氏が、赤裸々に語ったもの。アニメ興隆期の記述には、思わず引き込まれ、ドロドロの抗争の記述には、うんざりさせられた。
2018.07.14
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著者の森さんは小説家だそうですが、 私はその著作を一冊も読んだことがありません。 「まえがき」によると、幼少の頃から遠視で、一文字ずつしか読み取れず、 本を読むという作業が、とても大変だった方のようです。 本著は『読書の価値』というタイトルが掲げられていますが、 読書を中心に据えながら、著者のこれまでの生涯が記されています。 もちろん、そこには著者の「読書」についての考えが述べられていますが、 なかなかユニークな内容になっています。「本選びは、人選び」であり、自分自身で選ぶしかないとする著者は、人に本を薦めることについて、否定的に語ります。「誰と友達になったら良いか?」と人に聞くことなんてないし、「私が推薦する友達ベスト10」みたいなリストを用意している人もいないのだからと。さらに、ベストセラは避けるべき、もし小説家になりたいのなら、小説は読まない。幅広いジャンルのものを読む。ただ文字を辿って読んではならない等々、自らの体験をもとに指摘しています。そして、ネットに本の感想を上げることについても述べています。奥様が買い物にメモを持って来るのを忘れ、何を買っていいか思い出せないでいると、「メモをしたから忘れるのだろう」と感じてしまう著者には、読んだ本の中身を、自身が後日思い出すために書き留めておくブログ記事は、全く理解出来ないもののようです。第5章の日本の出版事情に関する記述は、とても興味深いものでした。多種多様な判型、文庫書下ろしが少ない理由、縦書きか横書きか、二段組み、電子書籍の普及が遅れる理由、作家と編集者の関係等、裏話的なものも盛り込まれており、本好きの方には必見の内容です。
2018.06.30
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シャーデンフロイデ。 あまり耳に馴染みのない言葉ですが、ドイツ語だそうです。 「シャーデン」は、損害、毒、「フロイデ」は、喜びという意味で、 誰かが失敗した時に、思わず湧き起こってしまう喜びの感情のことだそうです。 この感情は、愛情ホルモン・幸せホルモンとして知られる 「オキシトシン」という物質と、深い関りがあるそうです。 この「オキシトシン」は、「安らぎと癒し」「愛と絆」をもたらしますが、 愛情は、次のようなネガティブな感情を引き起こし、妬みも強めてしまうのです。 「私から離れないで」 「私たちの共同体を壊さないで」 「私たちの絆を断ち切ろうとすることは、許さない」(p.28)自分たちの共同体にとって「脅威」となる存在を発見すると、その存在に対し、警戒心を強め、排除しようとし始めます。その共同体の中で、「一人だけ〇〇」という認定がなされてしまうと、皆から寄ってたかって非難され、激しく攻撃されることになってしまうのです。 「最近目立っているあの人」 「もうすこし、あの点をこうすればいいのに」 「なんかがさつ」 「どこがいいの」 「成金のくせに」 「上から目線で気に入らないんだよね」 - などという形で「検出」が行われ、 「あの人がちょっと痛い目に遭えばいいのに」 「掲示板に書き込んでやれ」 「コメント欄で炎上させてやれ」 「ツイッターで攻撃してやれ」 「どうもへこんでいるらしい」 「いい気味だ」 - というように、「排除」が実行されていきます。(p.58)そして、「サンクション」という行動が、次のような思考から発生します。「ズル」をする○○、私の気分を害する○○を許してはならない。そのために、私が○○に制裁を加える。なぜなら、私は常に正しく、それを実行する正当な権利を持っているから。 規範は社会にとって必要なものではありますが、 使われ方次第で、本来、目指していたのとは まったく逆の方向に行ってしまうことがあります。 実は、「いじめは良くないことだ」という規範意識が高いところほど、 いじめが起きやすいという調査もあります。 規範意識から外れた人はいじめてもいい、 という構造ができてしまいやすくなるからだと考えられています。(p.72)「いじめは許せない!!」と声高に叫びながら、その時々に、誰かターゲットを見つけると、社会総がかりで、その標的を徹底的に叩きのめし続けているのが日本の現状。まさに、シャーデンフロイデですね。
2018.06.02
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2016年8月の発行なので、少し古さを感じてもおかしくない一冊だが、 そこに書かれている内容は、そんなことを微塵も感じさせない。 もちろん、マツコさん自身も、未だ絶大な人気と好感度を保ち続けているし、 その言動の裏にあるものも変わっていない。 本著は、マツコさんという、一人の人間について記述したものではない。 実際、著者自らがマツコさん自身やその周辺に取材をした形跡は見られない。 あくまでも、マツコさんに関わる情報をメディア等から収集し、 その上で、マツコさんの行動について、心理学の立場から解説したものである。それ故、どんな行動が、周囲の人たちにどのように受け止められるのかを知り、自らの行動を改めていく手がかりとなる一冊である。セルフ・プロデュースや人付き合い、人心掌握術、主導権の握り方等に関する、いわゆる自己啓発本である。
2017.12.17
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サイコパスについて脳科学の視点から記した一冊。 結構、たくさん売れたようです。 この言葉に興味を持つ人が、とても多いということでしょう。 私のイメージは、やはりハンニバル・レクターかな。 もともとサイコパス(psychopathy)とは、 連続殺人犯などの反社会的な人格を説明するために開発された 診断上の概念であり、 日本語では「精神病質」と訳されてきました。(中略) サイコパスには、その実態を指し示す適切な訳語が いまだにありません。 また、今日の精神医学において世界標準とされている 『精神障害の診断と統計マニュアル』の最新版(DSM5)には、 サイコパスという記述がありません。 精神医学ではサイコパスというカテゴリーではなく、 「反社会性パーソナリティ障害」という診断基準になります。 そのため、誤ったイメージやぼんやりとした印象が流布しているのは、 仕方のない面もあります。(p.4)で、ここからはサイコパスについて、その特徴が色々と述べられていきます。第1章でサイコパスの心理的・身体的特徴、第2章ではサイコパスの脳について。第3章はサイコパス発見の歴史、第4章はサイコパスと人間の進化について。そして、第5章で現代社会に生きているサイコパス、第6章はそのチェックリスト。1.欠如仮設(低い恐怖感情仮説)2.注意欠陥仮説(反応調整仮説)3.性急な生活史戦略仮設4.共感性の欠如仮設これらがサイコパスの反社会的行動の要因となっているとされる仮説。 しかし、結局のところ「サイコパスって何?」という疑問への回答は、最後まで読み進めても、しっかりと定義されることはなかったように思います。「誤ったイメージやぼんやりとした印象」は払拭しきれませんでした。それとも、とても大事な記述を、うっかりスルーしてしまったかな?
2017.06.25
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昨日、発注していた『3月のライオン』の11巻が届きました。 早速読もうと思ったけれど、何か引っかかるものが。 「そうだ、あれだ!」 本著のことを思い出しました。 2か月ほど前、本屋さんに行くと 『3月のライオン』が平積みされていました。 表紙はマーメイドに扮した三姉妹。 「新刊、出たんだ」と、迷わず購入。そして、家に帰って表紙をめくるとビックリ。そして、もう一度表紙を見直しました。帯には「オフィシャルブック第2弾」の文字。「そういうことですか……」しかし、中身はギッシリ充実の内容。「これは、気合を入れないと読み切れないですね」ということで、本棚に入れたままになっていました。そして今日、11巻を読む前に気合を入れて読むことにしたわけです。おさらい読本ですから、「そうそう、そうだったな」と思い出しながら読む一冊。第1章のライオンキャラクターは、まさにそういった内容。コミックスで読んできた内容を振り返ることができました。それに比べると、第2章のライオンコラボレーションは、知らなかったことがらがいっぱい。BUMP OF CHICKENとの対談や、他の漫画家さんとのコラボは面白かったし、10月8日(土)から始まるTVアニメについての裏話もとても興味深いものでした。さぁ、これからいよいよ11巻を読み始めます。
2016.10.01
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とても売れた本です。 カスタマーレビューの評価もとても高い。 青年と哲人との対話形式で進むお話しは、とても読みやすいものです (舞台を見るようで、やや大仰ですが)。 私も、フロイドやユングは読んでいても、 アドラーは読んだことがないという者の一人。 そして、本著が青年と哲人の対話形式で書かれていること自体が、 アドラーを体現しているのだなと感じました。 *** 自らの不幸を武器に、相手を支配しようとする。 自分がいかに不幸で、いかに苦しんでいるかを訴えることによって、 周囲の人々-たとえば家族や友人-を心配させ、 その言動を束縛し、支配しようとしている。(中略) アドラーは「わたしたちの文化においては、弱さは非常に強くて権威がある」 と指摘しているほどです。(p.89)これは、現代のグローバル社会において、しばしば見受けられる光景。もちろん、真逆の状況も数え切れないほどあり、日本の社会においても同様。 およそあらゆる人間関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと -あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること- によって引き起こされます。 課題の分離ができるだけで、対人関係は激変するでしょう。(p.140) 誰の課題かを見分ける方法はシンプルです。 「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」 を考えてください。(p.141)この「課題の分離」と共に本著で頻出するのが、「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」。 哲人の主張をまとめると、こういうことだった。 人は「わたしは誰かの役に立てている」と思えたときにだけ、 自らの価値を実感することができる。 しかしそこでの貢献は、目に見えるかたちでなくてもかまわない。 誰かの役に立てているという主観的な感覚、 つまり「貢献感」があればそれでいい。 そして哲人はこう結論づける。 すなわち、幸福とは「貢献感」のことなのだ、と。(p.255)まぁ、その他にも色々書いてあるわけですが、ラカンよりは取っ付きやすいけれど、その述べるところは決して平易なものではありません。心理学というよりは、哲学寄りの感じがします。なぜ、この本がこんなにも売れたのか……、流行って面白いですね。
2015.09.06
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『海街diary』の舞台・鎌倉のガイドブック。 6月に公開される映画を撮影するときにも、参考にされたかも? 吉田さんの『ラヴァーズ・キス』という作品も、鎌倉が舞台とのこと。 しかも、『海街』に登場するキャラクターもいるらしい。 『海街』のエピソードの中で描かれていた風景が、 実際の写真で、次々に紹介されていく。 そして、その一枚一枚が、本当に「絵になっている」。 キャラ達と共に、街が物語を紡いでいるのだと、強く感じさせられる。私は随分昔に、しかも、たった一度しか鎌倉に行ったことがない。それでも、何だか懐かしさを感じさせられる一冊だった。
2015.03.01
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タイトルだけ見たら、何の本だか分からない。 副題は「遺伝子と神について」。 タイトルから想像されるものとは違って(?) いたって真面目な生物学の本である。 柳田さんが『犠牲 サクリファイス』の中で、 本著のことを書いていたので、読んでみた。 けれど、「何だか、前に読んだことがある気がするなぁ」と思っていたら、 『風の中のマリア』の中で語られていた内容だったと、途中で気付いた。 ***「二人のキョウダイか八人のイトコのためなら、私はいつでも命を投げ出す用意がある!」これは、集団遺伝学の研究で名高いJ・B・S・ホールデンの言葉。血縁が近いと、自己犠牲になれるということを雄弁の物語る言葉。「二人の子か四人の孫のためなら」ではない。 ハチやアリなどのコロニーは、普通一匹の女王が産んだ娘たち(ワーカー)が中心となった 大変に血縁の近い者たちの集団である。(中略) そこで彼はワーカーと他のメンバーとの血縁度を計算してみた。 血縁度というのは、 ある個体が他人ならまずもっていないような珍しい遺伝子をもっていたとすると、 それが血縁個体の中にも発見される確率のことをいう。(中略) 血縁度は人間を始めとするたいていの動物では、親子で1/2、キョウダイでは1/2 (但し、一卵性双生児で1、異父母キョウダイでは1/4)、 祖父母と孫とでは1/4、イトコどうしで1/8、などである。 このとき、たとえば親から子を見ても、子から親を見ても1/2という値に変わりがなく、 血縁度には普通対称性があると言える。(p.37)これは、W・D・ハミルトンの「社会行動の遺伝的進化」という論文の内容。ところが、ハチやアリでは受精卵からはメスが、未受精卵からはオスが産まれるため、この一般的なケースが当てはまらない。以下は、『風の中のマリア』でも示されていた内容でもある。女王とワーカーでは、血縁度が1/2で、一般的なケースと同じになるのだが、オスバチは、倍数体である女王が卵を未受精卵のまま産んだ結果だから、倍数体の女王から、半数体のオスバチを見ると、血縁度は1/2になるが、半数体のオスバチから、倍数体の女王を見ると、血縁度は1になるのである。そして、倍数体であるワーカーから、半数体のオスバチを見ると、その血縁度は1/4、ワーカーどうしの血縁度だと3/4となり、母親との血縁度より高い数字になる。 つまり、ワーカーにとっては、自分が生んだ娘が女王になるよりも、 女王にメスを産ませ、その中から次期女王が出現した方が得なのである。 その方が自分の遺伝子をより多く次代に残すことができるのである。 ワーカーが自分では子を産まず、せっせと働くのは何を隠そう、 それが自分の遺伝子を最も効率良く残していく方法だからなのだ。(p.40)そして、R・ドーキンスの『The Selfish Gene』である。 何がセルフィッシュ(利己的)なのか - それはジーン(遺伝子)である。 では、生物とはいったい何なのか - 生物は遺伝子が自らのコピーを増やすために作った生存機械にすぎない。(p.45) 我々のこの体は、遺伝子が自らを乗せるために作り上げた乗り物だと言うのである。 遺伝子は、悠久の時間を旅するという自分自身の目的のために我々の体を利用している。 個体は幾つもの遺伝子が今偶然にも乗り合わせているうたかたの存在で、 個体の死が生命の終わりを意味するわけではない。 主体は最初の最初から遺伝子の側にあったのである。(p.46)利己的遺伝子(セリフィッシュジーン)の乗り物(ヴィークル)としての存在としての生物。 ある動物が、どうも理解に苦しむとか、 頭が狂っているとしか思えないような変な行動や形態を示しているとき、 我々はその個体を操るその個体以外の利己的遺伝子の存在を疑ってみるべきなのである。 (p.91)もちろん、利己的遺伝子は、個体(乗り物)の維持より、遺伝子自体の存続を優先する。そして、文化的伝達の単位・ミームである。 遺伝子と比較したミームの特徴は、伝達の速度が極めて速いこと (遺伝子ならどうしても一世代かかる)、 伝達が非血縁者の間にも起こること(これはあまりにも当然)、 それにコピーミスが大変頻繁に起こること(噂話の伝達を考えよ)などである。(中略) ミームは、特に人間において遺伝子と互角か、 もしかするとそれ以上の力をもっている可能性があるのである。 この本ではここから先、人間は遺伝子とミームという 二種類の自己複製子の乗り物であるという観点を導入する。(p.100)人間は、遺伝子とミームの乗り物。この考えをもとに、著者は、この先の文を書き進めていく。それは、これまで思ってもみなかった主客逆転の世界。確かに「そんなバカな!」である。
2014.11.23
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「私たちの記憶は、過去の出来事を正確に再現するものではない。 実は、イヤな記憶に囚われている人は、 わざわざ自分が強く苦しむように、記憶を書き換えている。」 これは、本著の帯に書かれている一文。 そして、本文p.96にも 「私たちは記憶を自分に都合よく、ときには自分にわざわざ都合悪く書き換えて、 記憶していることも多々あるわけです。」とある。 記憶はウソをつくものであり、時に厄介なものになってしまうものらしい。悪いイメージや、ネガティブな考えが、頭の中を堂々巡りして離れない。考えれば考えるほど、悪い方へ悪い方へとイメージが膨らんでしまう。そんな経験は誰にでもあるものなのだろうが、私もまさにそうであり、また、そういう傾向が、かなり強い方の人間なのではないかとも思う。だからこそ、帯に書かれた「自分を苦しめるイヤな気持ちを消すのは、とても簡単なことだ。」の一文は、とても魅惑的な響きを持つものとして、私の目に止まり、購入に至ったわけである。そして、本著はそんな期待に応えてくれる内容のものであった。 しかし、心はそもそも、鍛えたり強くしたりできるものではありません。 実際、心というものは存在していません。 私たちが便宜的に心といっているものは、脳の情報処理の状態のことであり、 科学的には現象というべきものです。 現象であるものを、テクニックで強くしたり鍛えたりすることができないことは、 はっきりしています。(p.12)何と明解でありながら、衝撃的な文章であることか!巷にあふれる多くの書物が、「心を強くする」方法や、「心を鍛える」方法を説いていくところを、全く真逆の結論でピシャリと一刀両断。でも、実際、脳の機能という観点から考えると、著者が述べている通りなのだと思う。という感じで、本著は脳の機能という観点から、人間の記憶、特に悪いイメージに繋がる記憶について、どのように扱っていけばよいのかを指南する一冊である。「記憶」というものを科学的、客観的に見詰めることが出来るのが、最大の売り。 結果というのは、いつまでも流動的なものです。 本人が満足できるかどうかは死の間際までわからないし、 本人への世間の評価はその後もわからないのです。 とすれば、「これが一番いいはずだ」と主体的に行った選択はすべてベストの選択であり、 ベストの選択の結果はベストの結果と考える以外に、この世にベストは存在していません。 そのベストの選択の結果の積み重ねとしての現在は、 「やはり最高!」と評価すべきなのです。(p.102)何とポジティブで、前向きな考え方であろう!まさに「人間万事塞翁が馬」。でも、本当に共感できる。こういう考え方で生きていかねばと思わされる。 現実の結果よりもいい結果を想像して後悔するというのは、 人間が抱くさまざまな後悔に共通しています。 典型的なのは、仮想の自分を想像して後悔するケースでしょう。(p.119)これも、納得の一文。現実には起こらなかった理想型を基準にして、そうならなかったこと、そうなれなかったことを後悔するというのは、考えてみれば、確かに、滑稽で意味のない行為・思考である。そして、まとめ。 記憶とのつき合い方の基本は、 ◇「結果論で過去の出来事を後悔しない」 ◇「前頭前野を働かせそれを評価する」 ◇「前頭前野側からの介入に上達する」 ◇「わざわざ自分に不利になるように統合しない」 ◇「後悔は無意味ということを知る」 ◇「過去の記憶はすべて娯楽にする」の以上6つです。(p.130)その他、トラウマやうつ病への対処、イヤな気持ちから自分を解放する方法についても述べられており、読み進めていくうちに、精神が安定し、スッキリした気分になることが出来た。繰り返し読みたくなる一冊だった。
2013.05.11
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神戸に長年住んでいる人にとっては、特段目新しい内容はないだろう。 それでも、読み進めながら「そうそう」「あるある」と頷いてしまうに違いない。 そんな情報満載の、思ったより結構充実の一冊。 これから神戸に住み始める人や、通勤・通学しようとする人には、お薦め。 もちろん、既に神戸に住んでいる人たちだって、 「昔のことはあまり……」という若い人たちには、「!」のことも多いハズ。 「山、海へ行く」や「コープさん」「異人館」「日本初モノ」辺りのお話しは、 知らない人は、知らないかもしれない情報ですから。(当たり前か)
2013.03.17
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これまで読んだ内田先生の著作の中で、読み進めるのに一番苦労しました。 第2章と第3章はコンパクトで、分かりやすい内容でしたが、 第1章はとても難しく、今回の読書では十分な理解に至りませんでした。 もう一度最初から読み直すしかなさそうです。 内田先生も述べているように、本著は映画批評の本などでは決してなく、 映画の分析を通じ、ラカンやフーコーやバルトの難解なる述語を説明するもの。 内田先生は、まえがきで「分かりやすく説明する」としていますが、 そう易々と、現代思想を理解することは出来ないようです。それでも、ウラジーミル・プロップという学者が、『昔話の形態学』という研究で、ロシアの民話を収集し、その構造分析を施したところ、登場人物のキャラクターは最大で7種類、物語の構成要素は最大で31という結論を得た、というエピソード(p.27)は非常に興味深く、原典を読んでみたくなりました。また、 退蔵してはならない、交換せよ。それが人間に告げられた人類学的な命令です。(p.137)や、 スパイ・ゲームのような「騙し合い」において勝ち残るための要諦は、 「出し抜くこと」ではなく、「出し抜かれたふるをすること」なのです。 より巧妙に「騙されたふりをした」者、あらゆる局面で「裏をかかれたふりをした」者、 それによって、敵に「状況を完全にコントロールしているのは私だ」と思わせた者、 それがこのゲームの勝者となるのです。(p.143)等も、とても印象に残りました。さらに、 いまさら私が言うまでもないことだが、 「グローバリゼーション」とは、アメリカの「ローカル・スタンダード」を 「世界標準」にしようという価値観の一元化運動のことである。(p.211)に至っては、本当に目から鱗が落ちる思いでした。 ***久しぶりに、内田先生のHPを見ていたら、1999年に書かれた「学校教育を通産省に」をいうコラムを見つけました。その締めくくりは、こうなっています。 結論を急ごう。 学校での暴力を根絶する一番効果的な方法は、 学校からいっさいの「人格教育的要素」を排除することである。 限定された技術と情報を「オン・デマンド」で伝え、 習う側には適切な対価と必要なルールの遵守だけを要求するようなビジネスライクな学校。 そこでなら、どのような暴力事件も生じないであろう。私はそう断言できる。 学校をそのような場に改める以外に今日の教育問題の根本的な解決策はない。「おぉ~っ、スゴッ……、カゲキッ……」このような文章まで、そのまま残しているところが内田先生の凄いところか。現在の内田先生なら、この自身の記述に対し、どうコメントするのでしょう? ***ついでに、ネットで色々検索していたら、こんなものも見つけてしまった。やっぱり、この人、私が想像していた以上の人ですね。
2012.02.19
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副題は「嫌われたくない症候群」。 「自分にも、そんなところがあるな」と思って本著を読み始めると、 いきなり、大きなショックを受けることになる。 なぜなら、著者の加藤さん、そういう人をコテンパンにこき下ろしてるから。 かく言う私も、「自分は、かなりそういう人間だ」と思ってるので、 読んでいて、全くいい気はしなかった。 上から目線のぶしつけな言葉の連発に、居たたまれなくなった。 そんな感じが、第2章が終わるまで、延々と続く。それは、大凡こんな感じである。 はしがきにも書いたように、彼らはその敵意を外化する。 つまり自分の心の中に敵意があるのに、周囲の人が自分に敵意があると感じる。 自分の心の中にあるものを周囲の人のなかに見ることを外化という。 周囲の人が自分に敵意があると思ったら、嫌われるのは怖い。 「嫌われたくない症候群」の人は、自分の小さいころをふりかえってみてほしい。 やさしい人間環境のなかで成長しただろうか? おそらく違うはずである。 たとえば自分は「嫌われたくない症候群」であると思ったら、 小さいころ、家の人や仲間によくからかわれなかっただろうか?(中略) 「嫌われたくない症候群」の人は小さいころから知らず知らずのうちに、 敵意に満ちた人間環境のなかで、心に深い傷を負っているのである。(p.76)ここで私も、自分の幼少時を振り返ることになった。少なくとも、家族からそんな扱いを受けた記憶は全くない。じゃあ、仲間から?そう言えば、かなりいびられたり、からかわれた記憶はある。小学3年の時と、転校したばかりの4年の頃だ。しかし、それはごく一部の子どもたちからのものであって、周囲全てが、そんな感じで私に接していたわけでは決してない。しかも、今となっては、そんなことは、誰にでも起こりうるレベルのことであると感じる。 カレン・ホルナイが言うように、神経症者は自分に頼って生きていくことができない。 神経症者はわけもなく他人から好かれることを求める。 逆に他人が自分を嫌っているのではないか、他人に愛してもらえないのではないか、 他人に受け入れてもらえないのではないかと恐れている。 それは一つには自分の心の底に自分が認めていない敵意があるからである。 他人が嫌いだから、わけもなく他人から嫌われることを恐れているのである。(p.82)流石に、私はここまでのレベルには至っていないと感じた。しかし、このようなレベルと思われる人と接する機会は結構ある。それ故、この説明には「そういうことだったのか」と、とても腑に落ちた。今後の、そういった人たちへの対応に、とても役立ちそうである。そして、第3章に入ると一転、著者の加藤さんは、そういった人たちに向けて、手を差し伸べる。 ケンカはその場での勝ち負けよりも、心が落ち着いているほうが、勝ち。(p.201)嫌われることを恐れるな、自己主張せよ、戦え、と加藤さんは言う。そして、我慢するな、腹をくくれ、悟れと励ます。 人はこちらが我慢しても、それほどこちらのことを「立派な人だ」とは思っていない。 それほどこちらのことを気にしているわけではない。 あなたがものすごく我慢をしても、 相手はあなたがそれほど我慢しているとは思っていない。 切れる関係は切れる。そこが決断である。 我慢をしても体調を崩すだけである。(中略) それぞれの人はそれぞれで、自分の問題でせいいっぱいなのである。 好かれようとして我慢したからといって、それほど好かれるわけではない。 好かれようとして無理をして、我慢をして、それでも期待したものが返ってこない。 返ってこなければ逆に恨みが出てくる。 「これだけ我慢をしたのだから、少しはわかってくれるだろう」と思うが、 まずわかってもらえない(p.214)最初、不快な思いで本著を読み進めた読者も、最後のページを閉じる頃には、穏やかな気持ちになっているに違いない。だから、本著を手にする人は、最初の不快さを乗り越え、ぜひ最後まで読み通して欲しい。そうすれば、本著がたいへん優れた一冊であることに、必ず気付くことができるはずだ。
2011.11.13
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「心が強くなる言葉」が、1ページに一つ、大きな文字で書いてある。 それらは、「ツキ」「仕事」「人生」に関する言葉。 その数は、それぞれ27、24、そして23。 即ち、本書全体で74の「心が強くなる言葉」が掲げられている。 それは、例えば「ツキ」なら、「ツキは錯覚から始まる」 「仕事」なら、「稼げないのは、仕事をなめている証拠。」 「人生」なら、「人生は意のままになる」といった言葉であり、 基本、次の1ページに、著者がその言葉に対するコメントを添えている。私としては、「ツキ」においては、「心の中にあるメガネをはずせ」とか、「『他喜力』をもっているか。」「人気とは、成功への最強の能力だ。」「悪口は言わぬが勝ち。」「楽すれば苦あり。」「縁を徹底的に大切にしろ。」「『ツイてる』こそ、実力そのものなのだ。」なんかの言葉が、共感を覚えた。また、「仕事」においては、「3秒で気持ちを切り替えろ。」や「自分を信じろ。そして、相手も信じろ。」「笑顔と握手は最大の武器なのだ。」「嫌なヤツ、腹の立つヤツにほど感謝しろ!」「反省するなら、明日に向かってしろ!」「人生」では、「『3度目の正直』となれ。」等が、お気に入りだ。しかし、残念ながら、それらの各言葉に対する著者のコメントが、良く言えば、わずか1ページに、大変コンパクトにまとめてあるということが、悪く言えば、逆に物足りなさを覚える結果に繋がってしまっている。確かに、サクサク読めて、お手軽ではあるのだが……。実際、各節の最後の言葉についてだけは、それぞれ4ページを割いてコメントしているのだが、そこだけは、他の部分に比べるとずっと深みがあって、味わいがあるように感じた。全体としては、あまりに短すぎて、著者の想いが読者の胸の内に届く前に尻切れトンボ。ちょっと、勿体ない感じの一冊になってしまっているというのが、偽らざる本音である。
2011.11.03
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京都タワーの地階に大浴場がある。 そんな一等地にあるお風呂で、スーパー銭湯並みの入浴料。 当然、かなり期待しながら、そこに足を踏み入れた私だったが…… 数年前、京都を訪れた際の、少しビターな思い出である。 そんな京都タワーの大浴場を冠に頂く本著。 「これは間違いなく、通のための京都案内に違いない!」と、 近々また京都を訪れるので、その予備知識にと本著をネットで購入。 しかし……また、やってしまった……何とマンガだ……「単行本」との標記に早合点してしまったのだが、以前にも同じ失敗をした経験がある。でも、マンガでも別に良いのである(実際、マンガは好きだし)。要は、中身が良ければ。ところが、タイトルになっている京都タワーの大浴場についても、そこが、想像を超えたシンプルなものであるという事実以上の描写は無し。もうちょっと突っ込んで欲しかった……それを期待して買ったのに……。その他についても、通の域には達していないような……。まぁ、私は、かつて京阪沿線に住んでいたこともあって、かなりの京都マニア。地の利を生かし、これまでに恐らく三桁以上の回数、京都のあちこち訪れているので、ハードルはかなり高めだと思いますので、あしからず。(ちなみに、楽天ブックスのレビューでは、本著は星5つとなっています)
2011.08.15
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本著が目指すのは、英語で仕事ができる人。 たとえ文法が完璧でも、発音がひどければビジネスパーソンとして信頼されない。 アルファベットと1から10までの数字の発音から始め、 優れた発音教材を使って、ネイティブに近い発音を頭と体に叩き込む。 その上で、超重要83単語(p.133)を深く理解し、 さらにインターネット上の辞書を活用して、発音や慣用句まで一度に学ぶ。 勉強は毎日1時間より、週に2~3回、3~4時間まとめて行うほうがよい。 スピーキングとライティングは、英会話学校の活用がお勧め。本著から分かったのは、手間暇かけ、集中して勉強しないと、英語力は向上しないということ。初級レベルでも、高校3年生までの英語を再度やり直すことが要求される。しかも、カタカナ英語じゃ役に立たないので、正しい発音を身につけないとダメ。予想以上に、そこに示された道筋は、なかなかに険しいものであった。
2011.02.27
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タイトルを見て、英語の早期教育や社内英語公用語化に対する 批判的視点からの著作かと思い購入したが、全く逆の内容であった。 要は、英語だけ出来てもダメ、それ以上に必要なものは何かを論じた一冊。 英語はできなきゃ始まらない、というところからスタートしている。 そして、著者は「二級市民で終わっていいのか?」と問いかける。 二級市民とは、使われるばかりのヒラ社員のことだそうだ。 著者が論じたいのは、上に上がりたい、部下を持ちたいと思いながら、 ヒラ社員のまま処遇され、使い減らされる人についてだという。そして、現在の学校教育では、社内の一級社員を養成するには不十分だという。それを補うキーワードは、情操教育と体育、異文化理解、ロジック(論理力)の4つ。その上で、著者は子供を若いころ(できれば十代)に海外留学させることを薦めている。論理力・説明力が強まり、情操教育が進み、将来が今までとは違った視点でひらけるから。実際、英会話教室に通っても、なかなか英語が上達しない。それは、学ぶ側に真の向学心が欠如しており、辛抱がなく、効率も悪いため。また、国内のインターナショナル入学は、子供のアイデンティティに歪みが出る恐れもある。最も効果的なのは、十代での海外留学だという。留学の最大のメリットは、異文化を直接体験できること。また、外国人の発想と行動様式を受け入れ、理解できるようにもなる。ただ、アイデンティティの喪失にも繋がる「かぶれ」には、注意を要する。さらに、優越感に浸ったり、外国語に頼りすぎるようにならないように。また、著者はグローバル人材として目指すべき語学習得レベルを第一外国語は仕事でほぼ不自由を感じないレベル、第二外国語は日常会話程度としている。そして、子供を一級市民にするためには、理系科目をしっかり勉強させて論理性を養い、海外留学をさせることとする。留学が、その人の人間形成に、とてつもなく大きな影響を与えるということが、著者自身の記述から、本当に強く伝わってくる一冊だった。
2011.02.27
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ラカンは手強いと聞いていたが、さすがであった。 フロイトやユングを読んだときとは、まるで違う感覚。 その言葉は、精神科医というより、哲学者や宗教家のもののようである。 とても抽象的で、現実離れした世界での言葉遊び。 私の恩師は、私がフロイトに興味を持った際、あまり良い顔をしなかった。 彼女の専門分野は大脳生理学。 そして、私もあるところから、精神分析への興味を次第に失っていく。 その後、自分自身全く予想しなかった分野へと転身、現在に至る。さて、次の一文が、本書の中で私が最も共感した部分。 ちなみにレヴィ=ストロースはラカンのセミネールにこの時一度出席したきりであったが、 彼はラカンの話が、「正直言って全然分からなかった」そうである。 そして、数々の人類学研究の中で出会ってきたシャーマンたちの姿を、 ラカンの上に重ねたのだった。(p.227)レヴィ=ストロースが、分からないものを、私ごときが理解できるわけがない。こういう記述を読むと、本当にホッとする。 対象aは、人間の経験にいつも割り切れない感じを残させるものである。 しかし、この対象は、普遍者から見た人間自身の姿のであるから、 それと縁を切りそこから離れることはできない。 それどころか、この自分の姿を、あくまでも求めたいという欲望、 個別の人間を離れて普遍者の目から己を認知したいという欲望が人間の欲望である。 その欲望に応えようとするのが精神分析である。 近代以降の人間は、自分自身を、つまり自分の感覚の力を基準にして、 万物を測る方法を身につけてしまった。 ところが、そのためにかえって、 人間それ自身をどのように測るべきかという尺度を、失ってしまった。(p.232)ここに出てきた「対象a」を始め「大文字の物」「黄金数」等、普段の日常生活では、決してお目にかかれないような言葉が、本著では当たり前のように、何度何度も使われる。そのことに耐えられないようでは、本著を最後まで読み通すのはかなり難しい。その前に、次の「三人の囚人」のエピソードを読んで、理解できるかどうかが、本著を読み進めることができるかどうかの試金石となろう。もし、これでお手上げなら、本著には手を出さない方が無難だと思われる。 三人の囚人がいた。 そこに所長がやって来て、こう言った。 「ここに五枚の円盤がある。三枚が白で二枚は黒だ。 これをお前たちの背中に貼りつける。 他人の背中を見ることは許されるが、話をしてはならない。 そして、自分の背中の円盤の色が分かった者だけが、 そしてその理由を論理的に正しく構成できた者だけが、開放される」。 そして所長は、三人のすべての背中に、白い円盤を貼った。 結果は、三人が同時に所長のところに来て、同じ論理を述べたので、三人とも開放された。 なぜそうなったのであろうか。(p.78)
2010.12.29
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思ったより、随分アッサリと読み終えてしまった。 フォントは大きめサイズ、一ページ当たりの行数も少なめなので。 でも、こういう類の本については、 こういう読み方は、あまり好ましいものではないのだろう。 もっと、一文一文をじっくりと、噛み締めるように味わいながら読んでこそ、 そこに書かれている、本当に深い意味を汲み取ることが出来る。 サラサラの流し読みでは、有り難みも何もあったもんじゃない。 気分的にもう少し落ち着いたときに、再読してみよう。
2010.11.27
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「速読」とは対極の「スロー・リーディング」を推奨した本。 しかも、著者は、あの平野啓一郎さん。 (と言いながら、私は、彼の作品を一遍も読んだことがない……) 最近、読書ペースが少々上がり過ぎの私に、ブレーキをかける一冊となるか? まず、速読に関する記述については、 「やっぱり、そうだよなぁ」と大いに納得させられた。 文字でなく画像として捉える ~ そんな神業的読書が本当に可能なものかと 大いに疑念を抱いていた私に、明快な回答を与えてくれた。また、国語のテストの受け方についても、大いに納得。 国語のテストをスロー・リーディングするとするなら、作者とは誰だろうか? 先の例で言えば、決して本文の作者である小林秀雄ではない。 当然のことだが、問題制作者である。 学校の国語の教師、予備校の模試制作者、大学の入試制作者などである。 そこで、あるときから私は、本文と設問とを一続きの文章として読むことにした。 本文として小林秀雄の文章があり、 それを読解することが、設問を通じて求められているというのではなく、 問題制作者が、小林秀雄を引用しながら彼の主張をしている、と発想を転換したのである。 これに気がついてから、私の国語のテストの成績は、瞬く間に上昇した。(p.30)これは、大いなる真理である。さらに続く文章も、まさにこの世の全てに通じている。 こうしてまず第一に、相手の主張を正確に理解するクセをつけておけば、 社会に出て議論しなければならない状況に置かれても、冷静に対処が出来るからである。 まずは、どんなにおかしな主張だと思っても、 じっと我慢して、相手の発言をスロー・リーディングする。 そして、自分に発言の機会がめぐってきたならば、 反論する前に、まずは -テストで培った能力を生かし(!)- 「つまり、こういうことですね」と、相手の主張を丁寧に要約し、 余裕があるならば、その不完全なところまで補ってやる。 その際に、「今のは非常に重要なご指摘です」などと、一言付け加えておけば角も立たない。 (中略) そうすれば、単なる粗野な、闇雲な反論者というのではなく、相手にも、また傍目にも、 本当の意味で聡明な人として尊敬を集めることであろう(p.32)このような姿勢は、「速読」からは、決して生まれてこない。ここまで読み進めただけで、私は、著者の世界に、すっかり引きこまれてしまった。ただし、その後に示された、スロー・リーディングのテクニックについては、国語の授業で学ぶ「基本的な文章の読み方」に過ぎないかな、とも思ったが。それに比べると、第3章の「古今のテクストを読む」は実践編であり、たいへん面白かった。漱石も鴎外も、そして三島も面白かったが、私が特に興味を持ったのはカフカである。それは、私にとって未知の分野であり、「?」の世界だったから。著者は、そんな私を、見事に「カフカの世界」へと導いてくれた。今度、カフカを読んでみよう。
2009.05.09
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前半部分は、本著のセールス・トークを聞かされる(読まされる)だけ。 そして、第3章になって、やっと本編が始まる。 でも、そこに書かれている内容は、 巻末の折り込みページ、たった1ページに、ほぼ全てが示されている。 本著の内容は、この折り込みページさえ読めば、ほぼ完璧に理解できる。 これなら、確かに1分間で勉強完了。 でも、全ての書物が、こんな風になっているわけはない。 それらに対し、本著で学んだテクニックで、本当に対応できるのか? ***「1分間勉強法」とは、本1冊を1分で読み、60冊分を1分で復習する方法。(第14刷の折り込みページでは、「復讐」になっている!)そのために使われるのが「タイムマジック」。これで、本1冊が1分で読めるようになる。その時、用いられるのが「ワンミニッツ・リーディング」という手法。「リーディング」は“reading”ではなく、“leading”というところがポイント。つまり、「読む」のではなく「導く」。具体的には、本を右手に持って、2ページを0.5秒で、左手でめくっていく。その際、視線は左手の甲全体に置いたまま、動かさない。そうすると、「周辺視野」がページ全体を捉え、リーディングできる。その時、感覚として、引っかかっる部分が出てきたら、ページの上端を折っておく。これを、後でまとめていくのだ(まとめ方は後述)。ここで問題は、リーディングした時、感覚として、どれだけのものが引っかかってくれるかということ。「知らないこと」「分からないこと」は、引っかかってきにくいはず。と言うことは、リーディングした時、ちゃんとそれを捉えることが出来るような状態を、予め、頭の中に作り上げておくということが、必要になってくる。ところが、著者自身が本著で述べているように、「思い出すことに数秒かかるが、意味がわかる」ものや「見たことはあるのだが、その意味が思い出せない」ものは、比較的スムーズに勉強が進むけれど、「見たことも聞いたこともない」ものをわかるようにするためには、多大な時間を要する。つまり、「見たことも聞いたこともない」ものが少ない分野については、「リーディング」によって、効率よく勉強できる可能性があるけれど、そうでなければ、やはり基礎に戻って、きちんとした勉強を積み重ねていくしかない。その時、「1分間勉強法」は、可能なのか? ***それに比べると、「まとめ方」は、結構納得いくものだった。それは、「カラー・マジックシート」なる、赤・緑・黄・青に色分けされた用紙に、重要度別に、青いペンで書き込んでいくというもの。「今すぐしなければならない重要なこと」は赤の欄に、「しなければならない重要なこと」は緑の欄に、「後回しにしてもいい重要なこと」は黄色の欄に、「しなくてもいい重要なこと」は、青の欄に、それぞれ記入していく。そうやって、分類しておくと、この「カラー・マジックシート」を後で見た時、より重要なところが、一目瞭然になっている。そして、さらにこの「カラー・マジックシート」を、重要度に応じて、赤・緑・黄・青のカラーファイルに分類して、入れておく。そして、赤いファイルは常に持ち歩き、毎日繰り返し見て暗記する。緑のファイルは1週間に1度、黄色のファイルは1か月に1度、青いファイルは1年に1度くらい復習する。これによって、本60冊分の復習が、1分で出来ることになる。これは、なかなかのアイディアで、誰でも出来そうな良い方法だと思う。まぁ、この「分類する」という作業をすること自体に、実は、大きな意味があり、その段階で、かなりの勉強ができてしまっているはずだ。このことは、『7つの習慣』に書かれていた「時間管理のマトリックス」にも通ずるところがある。
2009.04.12
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本著を読みながら、改めて、 自分は、この分野のお話しが好きなんだなぁと思った。 と言うのも、大学時代にお世話になった恩師の専門分野が、 まさに、本著のテーマである「大脳生理学」だったからだ。 当時、先生のもとに集ったメンバーで、自主的に行っていたゼミでは、 ルリアの原著を輪読するなど、結構、最先端のことがらを学んでいたはずだが、 それ以後の、この分野の発展は本当にめざましく、 今となっては、私たちが学んだことは、骨董品のレベルである。それでも、かつて慣れ親しんだ分野のお話しであるだけに、読んでいて、全く飽きることなく、その面白さに、どんどんのめり込んでいった。「ラジコン・ネズミ」のお話しや、「脳の解釈」についてのお話し、「アルツハイマー」や「脳科学と心」の問題等、興味が尽きることがなかった。お世話になった恩師は、十数年前に御逝去された。そして、葬儀の後、先生が住んでいた家の片付けを、お手伝いに行った際、かつて、先生が自主ゼミで使われていたルリアの原著を、書棚に見つけ、それを、私が、遺族の方から譲り受けることになった。もちろん、その一冊は、今でも、私の書棚に並んでいる。そして、それを見る度に、先生のことを思い出すのだ。
2009.03.22
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以前読んだ『「私はうつ」と言いたがる人たち 』の中に登場していた本著。 ちょっと気になってたので、読んでみました。 本著は、横書きの装丁で、とっても読みやすい! 「心が晴れるチェックノート」が付いているのもユニーク。 「D’」は、精神科医の備瀬さんが、本著の中で初めて定義し、 本著の中で初めて使う言葉。 「D」は「うつ病」の頭文字、「’」は「~に近い」という意味。 だから「D’」は、簡単に言うと「うつ病に似ている状態」のこと。本著で登場する5人の「D’」さんと備瀬さんのやりとりが、何と言っても本著の目玉であり、とても興味深いもの。精神科の診察室で行われているカウンセリングを、間近で見ているようで、色々と参考になります。もちろん、5人の「D’」さんたちは、5人5様で、それぞれに違いがあるのですが、どの人も、本当の「うつ病」の患者さんではないことは、素人の私にでも、本著を読んでいて分かります。逆に言うと、本当の「うつ病」の患者さんの深刻さも、推し量ることができます。そして、5人の「D’」さんに共通するのは、それぞれ考え方にくせを持っており、そのくせを直すことで、症状が改善されていくということです。そんな「D’」さんたちに、上手く言葉を投げかけ、関係を作りながら、色んな作業を通じて、自分の内面と向かい合わせていく、備瀬さんのサポートぶりには、さすがプロと感心させられました。ところで、私は、まだ「心が晴れるチェックノート」は、記録していません。もっと深刻な状況に陥ったとき、このページを開き、活用しようと思います。今はまだ、「あなたは今、幸せですか?」と聞かれたら、「そうですね。私は幸せです。」と答えることができるから。
2009.01.30
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アメリカ精神医学会の「DSM-4」では、 「気分が落ち込み」「なんにも喜びを感じられなくなり」 「夜も眠れず」「食事もとれず」「仕事への気力も失せた」という状態に 2週間以上さらされていれば、「うつ病」と診断される。 この診断基準に従うと、誰がどこで使っても同じ診断を下せ、時間節約にもなる。 さらに、原因を考えても、治療する上では意味がないことから、 現在、このあっさりした診断基準が、世界で最もよく使われている。 つまり、「病因は問わない」というのが、国際的な公の態度なんだそうだ。ところが、精神科医が、これまで馴染んできた考え方は「病因説」であり、その病因は「内因」「心因」「外因」に、大きく三分されるというもの。そして、臨床の現場では、実は、病因をちゃんと考えている。専門家は、外向けと内向けとで、このような矛盾した態度を取らねばならない状況らしい。そんな中、精神科医たちには、次のような共通する見解がある。 ・なんでもかんでも「うつ病」と診断して、SSRI等の薬を投与するのは間違っている。 ・「うつ病」との診断が問題になるケースには、双極2型、パーソナリティ障害、 適応障害、気分変調性障害などなどがある。 ・なかには、うつ病でもなければ、他の診断にもあてはまらない人たち、 つまり、ほぼ正常な人たちも含まれていると考えられる。 ・この「うつ病に似ているがうつ病ではない人たち」の診断や治療は、簡単ではない。 ・精神科医のなかにも混乱がある。(p.135)うつ病は、本来、時と場所を選ばない。症状やエネルギー状態が時と場所を選んで、良くなったり悪くなったりする場合には、「これはうつ病とは言えないな」と、著者は考えるようにしているとのこと。また、著者が「うつ病かどうかを判断する方法」をベテランの精神医学者に尋ねたとき、返ってきた返事は、「うつ病と診断してがっかりした人はうつ病、うつ病と診断して喜ぶ人はうつ病じゃない」だったそうな。「うつ病」は、かつての「隠すべきマイナスの刻印」から「身体疾患と同じ、ふつうの病気」を通り越し、「人々から一目置かれるアイデンティティ」になろうとしている。そして、最近では、あまりに多くの人たちが、「私はうつ病です」と名乗るようになり、ごく一部の人たちの間では、「うつ病」は、すでに使えないものになりつつあるらしい。そこで、「他の人たちとは一線を画した非凡な私でいたい」人たちは、「うつ病」では物足りず、それに替わるものとして「慢性疲労症候群」や、最近では「繊維筋痛症」へとシフトして行っているとのこと。このような事態を生み出したのは、うつ病というと、何でも許される社会になったから。診断書さえあれば、仕事を休めるという社会的コンセンサスが出来上がり、うつ病だと言えば、ワガママを誰も責めることができない状況。つまり、「うつ病」はバレることのない責任逃れの「使える病」なのである。実際、「うつ病」を理由に異動希望を叶えたり、男性からの別れ話を、一転して、結婚を承諾させた女性もいるらしい。 これは、「モンスターペアレント」「モンスターペイシェント」をめぐる 現在の状況にも似ている。 いまのところ多くの人たちが、そういったワガママで身勝手な親や患者に 冷ややかな視線を送っているが、 思いどおりにふるまうモンスターたちがある一定数を超えれば、 おそらく「自分だけが黙っていても損をする」と、 雪崩を打ったようにだれもがもんすたーかしはじめるだろう。(p.186)何か、恐ろしい状況。このような「自称うつ」の人たちが、益々幅をきかせるようなことになってしまうと、本当に「うつ病」で苦しんでいる人たちが、生きづらい状況になってしまいはしないか。「言ったモン勝ち」の風潮は、こんな所にも歪みを生み出している。
2009.01.10
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精神科医自身が「うつ病」の患者となり、 その時の実体験を、専門家の視点から描いているので、 「うつ病」になると、どんな風に感じ、考えてしまうものなのか、よく伝わってくる。 そう言う意味で、たいへん貴重な一冊。 本著の記述は、自分自身に、その兆候が現れた時にも、 また、自分の周囲にそのような人が現れた時にも、 どのように対処していけばよいのか、 大きなヒントとなるはずである。私自身が、本著の中で、最も共感したのは、著者が、精神科医になりたての頃、指導医の先生に教わった 『治療とは患者さんを愛すること』 『川の流れは止めることはできないが、その流れを変えることができる。 それが精神科医だ。』の二点について、O病院で出会った、デイケア主任で、二十年以上の経験を持つ、ベテラン看護士岩崎さんが、想い川の前で言った言葉。 「一つ目は賛成です。しかし、二つ目はちょっとどうかなと思いますね。 先生、この川を見てくださいよ。一人で流れを変えられるわけないでしょう。 小さなドブなら話は別ですが。たとえ医者でも無理がありますね。 強引ですよ。そりゃ、病気にもなります。僕だったらこう言いますね。 『川の流れを、そっとそばで見守ってあげる精神医療もある』ってところですかね。 川は、激しく流れることも涸れそうになることもあるでしょ。 でも、温かい目で見つめながらどんな時でもずっとそばに居続けるんです。 それで十分だと僕は思いますよ。川の流れるままにですよ」人に接する仕事、人の心と向き合う仕事をしている人全てに、この岩崎さんの言葉は、当てはまると思った。「鳴かぬなら……」における、織田信長と豊臣秀吉、徳川家康の違いに、ある部分通ずるところがあるような気もするが、さすがに、ベテランの一言である。 ***さて、私は、この著者のようなタイプの人間は、基本的にあまり好きでない。自分が患者になっても、この先生にだけは見て欲しくないと思う。本著を読んでいて、この人は、何と傲慢でナルシストで、我が儘で、物事を斜に構えて見ようとする人間なのかと、感じたからだ。父に対し、学校に対し、大人に対し、世の中に対し、かなり歪んだ見方をしたまま、著者は成長し、社会人になってからも、それに基づいて行動している。そのような人間形成に至った、著者の生育歴には、気の毒な面もあるが、それだけでは済まされない、著者の持つ独特な個性が感じられる。終章の「二人への手紙」など、私には、とても受け入れ難い内容・存在だ。現代風に言うなら、全くもっての「KY」である。それでも、6年後、文庫版発行に際しての「あとがき」を読んで、少しホッとした。彼も、曲がりなりにも成長し、少しは大人になってきていると、十分に感じられたから。
2008.12.23
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この本を知ったのは、新聞広告だったような気がする。 普通であれば、このような類の書物に対して、 私が関心をが向けることなど、あまり無いはずなのに、 なぜか、この本には惹かれるところがあった。 この本に強く執着することになった理由は、よく分からない。 タイトルも、さほど強烈なインパクトを与えるものではないから、 広告に記載されていたキャッチコピーや内容紹介が、 それを見た時の、私のフィーリングに、よっぽどマッチしていたのだろう。それに加えて、著者のプロフィールが、多少関係しているかも知れない。上智大学の電気電子工学科を卒業し、富士通に入社。その後、コンピュータソフト会社を経営し、開発した通信ソフトが郵政大臣賞を受賞という、バリバリの理系人間。だから、データを用いて、理論的に「この手の話」をしてくれるのではないかと、あらぬ期待を、勝手に膨らませてしまったのも確かだ。ところが、読書開始早々、違和感を感じてしまうことになる。「こんなはずじゃ、なかったんだけど……」 ***この本の内容は、終始一貫している。中国のどこだか分からない(明かせない)辺境の村に、著者が出向き、そこで、前世を覚えているという人たちにインタビュー。村人たちが語ったコメントを、そのまま掲載し、それらに対して、著者がコメントを加える、というもの。あの世にあるといわれている「スープ」を飲めば、前世を忘れてしまうらしい。著者がインタビューを行ったのは、そんな言い伝えが、今でも残る村。そして、インタビューに答えた、前世を覚えているという人たちは、いずれも、あの世で「スープ」を飲まなかったと答えている。また、生まれかわる時は、いきなり赤ん坊として生まれるのだと。ただし、前世と同じ性で生まれた人もいれば、違う性で生まれた人もいる。そして、早くから、前世の記憶を持っている人もいれば、しばらくたってから、思い出したという人もいる。う~ん……、期待した展開・内容とは、かなり違っていたなぁ……。そして、著者のプロフィールの後半部分を、よ~く見てみると、「不思議研究所を設置」とか、「不思議現象を探求し、世界中の取材」とかある。やはり、正真正銘、この手の類の著者による、この手の類の本であった……。
2008.12.13
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私が、石田衣良さんと聞いて真っ先に思い浮かぶのは、 何と言っても、まず、『池袋ウエストゲートパーク』。 何年か前に、TSUTAYAでDVDを借りてきて、全話見ました。 ところが、原作の小説は、実は何ひとつ読んでいません……。 で、本著は、リクルート「R25」に連載された 「空は、今日も、青いか?」2006年1月~2008年2月掲載分に、 加筆・修正を施して、一冊にまとめたもの。 だから、読者としてのターゲットは、社会人になりたての若者ということになります。全体が6つのパートに分けられていますが、時間を追って、書かれた順に、エッセイが並んでいるわけではありません。何らかの意図をもって、このような構成になっているのだと思われますが、ことさら、それを前面に押し立てているようすもないです。読んでみると、出だしからしばらくの間は、個人的には、「何だかなぁ……」という感じで、共感するというよりは、石田さんって、こういう考えのヒトだったんだと気付かされる部分の方が多かったです。でも、後半に向かうにつれて、「そう、そう」と頷ける部分が増えていきました。 それでも、ぼくはいいたいのだ。 子どもたちを消費者やマーケットとして見るのは、もうやめませんか。 今の日本の状況では、親も教師もとうてい企業の高度なマーケティング技術の敵ではない。 (中略) 第一、大人の消費傾向自体が、悪しき「見せびらかし」に走ってしまっているのだ。(中略) こうした風潮は、まだ自分で働いて金を稼いでいるわけでもなく、 成熟した価値判断ができない子どもたちを巻き込むのは、異常な事態である。 子どもたちを子どもマーケットから守り、チャイルドブランドの奴隷にしてはいけない。 消費社会の果てに広がる荒野に、新しいモラルが求められている。(p.133~134)世に蔓延る「拝金主義」や、何でも、資本主義的な「損得勘定」で判断してしまおうとする現代社会の歪みに、警鐘を鳴らす一文ですね。 情報が増えるということは、それだけ迷いも増えることだ。 ぼくたちは今や携帯電話やパソコンのメールやネットにぶらさがるように生きている。 人間が主人なのではなく、携帯電話を運ぶためののりものになったようである。 でも、この数日ネットから遠く離れて気づいたことがある。 ちいさな声でいうけれど、それは別に新しいテクノロジーなど、 なくてもまったく快適に生きていけるということだ。(p.209)これは、実感です!便利だと思っている様々なツールに、実は私たちは、24時間縛り付けられ、振り回され続けているのです。それらから解放されるなら、どんなにゆとりある暮らしになることでしょう(もちろん、効率の面だけで言うなら、必ず悪くなるのだけれど)。 ぼくたちの時代は知の時代である。 何かを知ることが、力であり善だと無意識のうちに考えられている時代だ。 だが、人という存在のなかには、とうてい理解不可能な悪がある。 それを知ることで、逆に悪い影響を受けるほどの毒が眠っているのだ。 「深淵をのぞきこむ者はまた、深淵にのぞきこまれる」 晩年精神を崩壊させたドイツの哲学者ニーチェの言葉で、 これほど恐ろしいものはないだろう。(p.227~228)少年事件の報道を受けての、この一文も示唆に富んでいます。知るべきことと、知らなくてもいいこと。その線引きを、マスコミの側がしてくれることは、あまり期待できそうにありません。情報化時代に生きる、私たち自身の理性が試されていると言えそうです。 ぼくはときどき不思議に思うことがある。 格差社会という言葉ができるまで、社会にたいした格差は存在しなかったのではないか。 あるいは、負け組という言葉ができるまで、 ほとんどの日本人は自分を中流階級だと単純に信じられたのではないか。 ある現象が名前を与えられることで、あとから急激にリアルな現実として立ちあがってくる。 それは言葉が現実を生んでしまう皮肉な逆転現象である。(p.238)これも、まさしく真理!何とも言いようのなかった感情が、ある瞬間に、言語化された途端、例えば、「辛い」とか、「悲しい」とか、「苦しい」とか、ネーミングされた途端に、一気に、自分の心の中に押し寄せ、そこから抜け出せなくなってしまうのと同じです。あとは、第5部のところが、結構楽しめました。業界裏話的な要素があり、新鮮でした。
2008.09.28
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とても勉強になった。 「精神科」「神経科」「心療内科」等の違いを、初めて知ることが出来た。 また、その名称が、世の中で混然としたまま使用されている理由も分かった。 それらの医院の扉を叩くことに対し、抵抗が少なくなってきたのは、歓迎すべきこと。 また、精神科医が処方する薬についても、ある程度知ることが出来た。 「抗うつ剤」は、病気の根治を目指す薬で、効果が現れるのに時間を要するが、 「精神安定剤」の投与は、即効性はあるが、対処療法にすぎないものだということ。 さらに、これらの薬がもたらす副作用を、よく知っておく必要があるということ。 私が、本著で最も衝撃を受けたのは、p.19から始まる次の部分。 同じ自殺なのに、なぜ子供と大人の扱いはこうも違うのか。 私はそこに、人間の心に対する大きな誤解があるように思えてならない。 それは、「年齢を重ねるほど人間の心は傷つきにくくなる」というものだ。 子供の心はちょっとしたショックでも簡単に壊れてしまうが、 大人は多くの人生経験を積んでいるので、心が頑丈にできている -そういう先入観があるのではないだろうか。 (中略) うつ病の好発年齢(よく発症する年齢)は四〇代以降とされるのだが、 それは、セロトニンをはじめとする脳内の神経伝達物質の分泌量が、 加齢によって減少することが原因だと考えられる。 つまり、責任感とか人生経験などといった問題以前に、 人間は生物学的な次元で、年齢を重ねるほどうつ病になりやすくできているのである。まさしく、私も大いに誤解していた。そうだったのか……、目から鱗が落ちるとは、このことだ。そして、もう一つ、p.67から始まる次の部分も、自分の無知を思い知らされた。 しかし一方で、これまで発達障害だと思われていた病気が、 必ずしも生物学的なものであるとはかぎらないというケースもあるから、話はややこしい。 「注意欠陥/多動性障害(ADHD)」がそうだ。 リタリンという薬が一定の効き目を発揮し、遺伝する傾向も強いので、 その意味では生物学的な病気だと考えられる。 しかし、昔は人口の三パーセント程度しかいなかったこの病気が、 いまは子供の十五パーセント程度にまで増えていることがわかってきた。 生物学的な先天性の病気だとすれば、急にこれほどの増加をするのは説明がつかない。 社会的な要因によるものと考えることが自然だろう。 具体的には、親の育て方が変わったことが、この病気を増やしている可能性があるわけだ。ADHD増加の原因を、社会的な要因に求めることについては、著者が「可能性があるわけだ」としていることから、その程度のものなのだろうけれど、驚いたのは、「子供の十五パーセント程度にまで増えている」という、その数字である。最近まで、発達障害を持つ子どもは、色々合わせておよそ6%と言われていたはずだが、本当にADHDの子供が15%もいるとなれば、とんでもない事態である。40人のクラスなら、同じ教室の中に6人ものADHDの子供がいることになる。これは、ハッキリ言ってスゴ過ぎる……。 ***その他の部分も、非常に興味深いところが多かった。例えば、今場所も休場することになってしまった朝青龍を、以前、3人の精神科医が診断したとき、「適応障害」ではなく、「神経衰弱」「急性ストレス障害」「解離性障害」といった診断名を付けた背景は、「なるほど!」と納得させられるものだった。また、大学教授昇任が、臨床実績でなく、論文の数で決まるシステムになっているため、大学教授が、すぐれた臨床医師とは限らないということも、よく理解できた。
2008.07.19
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「勉強するな!」とタイトルで謳っているけれど、 本当に「何も、勉強しなくてイイょ~!!」と言ってるわけじゃなく、 実は、その全く反対で、猛勉強することを迫られます。 毎日、少なくとも2時間集中して英語漬けとなり、休みは週一日だけ。 「勉強するな!!」というのは、 数学や物理と同じような「科目としての勉強の仕方をするな!!」というもので、 アルファベットや単語を覚え、文法を学び、文章の読解法を習うやり方では、 「聞くこと」も「話すこと」も、出来るようにはならないヨ、いうこと。そこで、「習うより慣れろ」式の「勉強の仕方」を、段階を経ながら、教授してくれるのが本書というわけ。韓国では、かなりのベストセラーとなり、日本語版も7年前に出版され、その後、続編も、かなり出版されている様子。とにかく、日々、これだけの時間を「英語習得」に費やす心構えと余裕が本人に、あるかどうかにかかっているように思う。要求されるのは、何かをしながら、片手間に出来るようなことじゃないレベル。でも、本当にこれをやれば、結構上手くいくだろう。私個人としては、「英語をモノにするための本当の勉強法」の紹介部分より、韓国の「英語学習事情」や「外国に向ける視線」が、どのようなものであるか、「生活や文化、国民性」等を、「英語学習」を通じて知ることが出来たことに満足。本著の真の価値は、そちらの方にあるんじゃなかろうか。
2008.02.17
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