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吉田茂は「負けっぷりをよくする」気で戦後外交をやった。証拠はないが、昭和天皇も「敗戦は悪くなかった」と思っていたフシがないわけではない気がする。
敗戦の決断が遅れたのは、連合国に国体維持を約束させようとあがいたからだ。そのための本土決戦・一億玉砕は本気だった。
米国の占領政策で国体すなわち天皇制は残った。条件として「元首ニシテ統治権ヲ総攬(そうらん)シ」「陸海軍ヲ統帥」していた天皇は、元首の地位と国政に関する権能を手放し、軍隊を解体して戦争する手段も権限も差し出した。
日本国憲法9条「戦争の放棄」は、第1章「天皇」規定とのバーターで成り立っている。
だが、元首から象徴になる憲法草案を、昭和天皇が進んで受容したと長く信じられてきた美談は、実は疑わしいようだ。
昨年出た小宮京著「昭和天皇の敗北」は、参議院に埋もれていた憲政資料の緻密な分析を通じ、昭和天皇が象徴制に納得せず、外交大権を持つ英国王のような「国家元首として君臨する天皇」になることを望みながら果たせなかった内幕を論証する問題作だ。
象徴になっても昭和天皇が、軍事・外交に戦前と変わらぬ意欲を持ち続けたのは周知の通り。
占領期に本土の安全と引き換えに、側近を介して連合国軍総司令部(GHQ)に沖縄の米軍統治と基地の長期使用を極秘に要請。朝鮮戦争が起きると再軍備のための憲法改正を唱え、独立後も占領期に続き米軍駐留を望んだ。
天皇制存続の証文である9条体制が、日米安保条約とセットでなければ成り立たない現実を吉田以上に確信し、旧軍を嫌悪しながらも国防強化とその中心となる元首の必要を疑わなかった。
私たちが9条を議論するには、天皇制と日米同盟についても意見を持たなければならない。
高市早苗政権が米国追従と武器輸出解禁を進め、現実離れした養子縁組で皇室を存続させるとする皇室典範改正を急ぎ、1年で憲法改正発議にめどをつけるのは、つながっている。
(専門編集委員)
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