全4件 (4件中 1-4件目)
1
今や7回の再発を経験し、ネフローゼとのつきあいも相当年季が入ってきた私ですが、いまだによくわからないのが、寛解後の過ごし方です。寛解しているのだから病気ではない。でも、再発の引き金になった原因はおそらくまだ体にくすぶっていて、薬を飲むのをやめたら、またあっという間にまた炎上するでしょう。つまり、大量の薬で症状は抑えられているけど、原因は解消されていないわけで…そんな時はどうやって過ごすしたらいいのか?同じ病気の知り合いがいたら、根掘り葉掘り聞きたい(笑)。もし同じ病気の方が読んでくださっていたら…どうしています(興味津々)??私と同様、寛解後どうしたらいいの?と思っている方も多いと思いますので、今日は私の場合についてお話しますね。今回、家にこもっている間はせっせと編み物をしていました。これはクッションカバーになる予定。|寛解後の仕事復帰仕事をしている方にとって最大の問題はどれだけお休みを取れるのかということではないでしょうか?私もこの病気になった頃はフルタイム勤務だったので、これはやはり悩ましい問題でした。初発時は治療が遅れ、心身ともに大打撃を受けたので、退院後はそれはそれは慎重に過ごしました。この病気のことがよくわからず、何かあれば再発して、再び病院送りになる大病人だと思っていた、というのもあります。ですので、この時は仕事を半年休み、人混みを避け、毎日体重、トイレの回数、血圧を記録し、神経質なほど自分の体調に気を配っていました。2年後、初めて再発した時もまだけっこう慎重で、やはり1ヶ月ほど仕事を休ませてもらいました。仕事に復帰してからも、週に一度、職場に来る産業医と面談しながら、最初は半日勤務、その後は時短勤務とゆっくり仕事に戻らせてもらいました。今、思えばとても恵まれた職場ですよね。次に作るセーターのためのスワッチ。そんな職場でも、再発が度重なれば、さすがに長い休みは取りづらくなります。再発2回目以降は1週間ほど休んで、寛解したらすぐに仕事に戻るようになりました。この頃には、自分がネフローゼ患者としてはそれほど重症ではなく、早期に再発に気づき、治療をすれば、大事にはならないタイプなのもわかってきました。1週間休んで復帰できるなら、インフルエンザと変わらないじゃない、と強気になってきたのもこの頃。でも、そんなことを繰り返すうちにだんだん再発までの期間が短くなり、ステロイドも効きづらくなり…結局、夫の転勤を機に、仕事を辞めました。今思うと、病気になるのにはやはり理由があるはずで、休めるならゆっくり休んだ方がよかったのでしょう。でも、あの時は再発して仕事の穴を開けるたびに関係各所に謝ってまわることのほうが辛かった。体はキツくてもいっそ働いてたほうが気が楽だったのですよね。当時の私は内心、そうやって仕事に復帰する自分を偉いとすら思っていたのですが、あの時にきちんと自分の病気に向き合い、ケアできたら、今頃こんなにこじらせてはいなかったのではと思います。ステロイドを大量に飲んでいる時は本を読みたい気分にならないことが多いのですが、今回はよく読んだ。|対処すべきはステロイドの副作用ネフローゼの原因がくすぶっていたとしても、大量のステロイドを飲んでいるうちはそう簡単には再発はしません(私の場合です)。ですので、実際問題、寛解後に最も悩まされるのはこのステロイドの副作用です。一番怖いのは免疫の低下による感染症。生活の質を著しく落とす不眠。生活習慣病につながりかねない高血糖、高血圧、高脂血症。私は寛解後はおもにこの辺に注意して生活するようにしています。基本的なことですが、・人混みなど感染リスクの高そうな事物は避ける。・規則正しい生活を心がけ、朝は日の光を浴びて、 体内時計をリセットする。・疲れたら無理せず休憩する。・甘いおやつ、コレステロールの高いものを避け、 ベジファーストをこころがける。・適度な運動をする(適度がいまだにわかりませんが)などですかね。ナッツやヨーグルトをおやつ代わりに。とはいえ、今は、はじめてこの病気にかかった時ほどがちがちに体調管理をしているわけではありません。再発も7回目ともなると、これくらいなら大丈夫というボーダーラインがなんとなく見えているので、ストレスにならない程度にやっています。私の場合、再発して寛解すると、ステロイドを20mg→15mg→12.5mg→10mg…と減量しますが、10mg以下になるとよく眠れるようになり、体がぐっと楽になります。そうなると、自然にそろそろあまり神経質にならないでも大丈夫かなという気分になってきます。|身体のいいなりになるこれは今でも全然できていなくて自戒を込めて言うのですが…そんな生活をしていると、時に周囲からネガティブになりすぎだとか、気にしすぎじゃないかとか、言われたりもします。でも、それに振り回されないこと。私の体の主人は私なのです。何かあったって、その人が私の病気を肩代わりしてくれるわけじゃない。そんな無責任な助言に従う必要はないと思います。そもそも、そうやって人の顔色をうかがってばかりいるからこんな病気になったんじゃないか、という気がしないでもなく…最近、もしかしたら寛解期の一番正しい過ごし方は、荒ぶる身体を鎮めるために、しばらく身体のいいなりに過ごすこと、なのではないかなと思うのです。乳がんになった筆者が、身体のいいなりになってどんどん健康になったというお話。最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2023.05.29
コメント(0)
I先生のお計らいで無事に薬をもらえた私。でも、それで不安が消えたわけではありませんでした。もらったのは1日20mgのプレドニン(ステロイド)。これは自宅療養する場合に処方される最大量のプレドニンで(これより多いと感染症のリスクが高くなるため入院になります)、今までの再発ならこれで1週間後には寛解していました。ですが、今回は初発の時と同じくらい尿タンパクが出ています。その時は入院してこの2倍量のプレドニンを服用していたわけで...はたしてこの量で効くのでしょうか?私が伏せっている間、川越観光するチョコと夫。ネフローゼの最大の症状は、尿が出なくなり、むくむこと。初発の時は普段54kgの体重が気付いたら62kgを越えていました。ここまでくると内臓まで水浸しになり、吐き気や下痢、頭痛なども出てきます。症状の変化を見逃さないため、すでに振り切れて役に立たなくなった尿検査薬の代わりに 、体重と尿の回数をモニターすることにしました。|プレドニン服用2日目体重はあまり変わりませんが、前日には感じなかった足や手のむくみがあります。起き上がる気力もなく、1日ゴロゴロ。|プレドニン服用3日目尿検査は相変わらず振り切れたまま。相変わらずダルくて、1日寝たり起きたり。ただ、この時点で急激な体重の増加や尿量の減少がなかったので、薬が効いているかなという感覚はありました。後から思えばこのあたりが峠だったようで、翌日から少しずつ体調が好転していきました。一緒に競技会に出るため札幌から川越まで来てくれたダンス仲間。夫のアテンドで観光中。楽しそうだなあ。|プレドニン服用4日目ついに尿検査のタンパク量が少し減りました。最悪の事態は脱したと胸をなで下ろした瞬間(涙)。奇しくも、この日は私たちが出るはずだったダンス競技会の日でもありました。応援に行った夫の実況で、ダンス仲間の健闘を聞いていました。一緒に出たかったよ。|プレドニン服用5日目札幌へのUターン決行。ずっといつ帰るか迷っていたのですが、帰れる時に帰ったほうがいいと、急遽、切符を取りました。心配顔の両親と弟一家に手を振って、一路帰途へ。帰りも8時間の列車の旅。長旅の負担を考え、私1人、飛行機で帰るという案もありましたが、空の上で具合悪くなるのが怖くて…帰宅後ドキドキしながら検査すると、尿タンパクは前日よりさらに減っていました。長旅の影響はなかったみたいです。ホッ。この病気、本当に不思議なのですが、正のフィードバックがかかるというか、悪くなる時は急激に悪くなるのに、ひとたび治る方向に舵が切られると、これまた急激に治るのですよね。ダンス仲間の快挙。相変わらずカッコイイよ!ほんと、一緒に出たかった(涙)。そして札幌に帰って数日後。病院に行く頃には、私の尿からタンパクはきれいさっぱり消えていました。それはもうほんとに劇的な幕切れ。これじゃあ主治医も今回の再発をどう評価していいかわからないんじゃないか、あの時、薬を飲んだのは失敗だったかも、とちょっと後悔したほどでした。が、しかし。薬を飲んでしまいまして、とモゴモゴ言い訳する私に主治医は…「飲んでくれてよかった。むくんだでしょ?」と。実は血液に再発の履歴が生々しく残っていたそうです。つまり、尿からタンパクが出たせいで、血中タンパクがうんと減っていて、それを補うために肝臓がうんと頑張り、コレステロール値が跳ね上がっていたそう。やはり大きな再発だったのは間違いなかったのです。あの時、ギリギリの状況で私がとった行動も、それを受けとめてくださったI先生のご判断も間違いなかった。それはいまだに悔やんでも悔やみきれない7年前の判断ミスが教訓となって生かされたということで、やっと挽回できた、という気がしました。こうして無事に寛解宣言をもらった私は現在またプレドニン減量に取り組んでいます。以上、興奮冷めやらぬまま長々と語った8回目の再発の顛末でした。最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2023.05.22
コメント(0)
前回からの続きです。明けて5月2日。私は朝からアドレナリン全開モードです。明日からは1週間どこも病院はお休み。なんとしても今日中に手を打たなければなりません。私の考えたシナリオはこう。1. 近所の病院に行って尿検査をする。2. 検査結果を病院から札幌の主治医に知らせてもらう。3. 主治医からこちらの病院に治療方針を伝えてもらう。4. こちらの病院で治療開始。ポイントはまず病院に行って検査してしまうこと。主治医に再発した〜と電話で泣きついたところで、正確な情報がなければ治療の方針は立ちません。なにより大学病院の主治医にアクセスするには受付→外来看護師→医局主治医とプロセスが長く、私が返事をもらうまでに半日かかってしまいます。ただ一つ不安だったのは、はたしてお医者様同士でこういうやりとりをしてくれるのかということ。なんかこうお医者様間のプライドとか縄張りとかありそうですよね?そうでなくても大学病院は手続きとか書類とかやたら形式ばっているし。とはいえ、ほかに良い方法は思いつかず、まずは尿検査をしてくれる病院を探すことにしました。本文とは関係ありませんが、かわいい写真が撮れたので使ってみました。すでにGWの真っ只中。平日ではあっても、この日個人病院はほとんどお休みになっていました。近所の総合病院はやっていましたが、すでに他で専門医にかかっている方は、通常の内科では診られません、と剣もほろろ。別に尿検査さえしてくれればいいんですですけどね。ようやく一軒の個人病院(I病院)が見つかりました。電話で事情を説明すると、検査してくださるとのこと。I病院に着き、尿を採取して待っていると、「〇〇さ〜ん、どうぞ」とI先生ご自身が診察室の入り口から顔を出して、呼んでくれました。ああ、気さくな感じの先生でよかった。なんせ私はこれからこの先生に面倒なお願いをしなくてはならないのです。「やっぱり相当、尿タンパク出てるよ。」検査結果を見せてもらうと4++の数字が。ヤバい… 想像以上に悪い。これはもう一刻の猶予もありません。気づけば、I先生に、札幌の主治医と連絡を取り、治療を始めていただけないかと頼んでいました。I先生はやはり気さくに引き受けてくださり、お医者様同士で相談してくださることになりました。私はいったん家に帰って、お沙汰を待ちます。数時間後、I病院から連絡がありました。なんと、主治医の判断は週明け8日に私が札幌の病院に来れるなら治療は保留。そして主治医がそう判断した以上、I先生は勝手な投薬はできない、とのこと。ええ〜?帰ってこいって言われれば飛行機探して帰るけど、それって結局札幌で病院の開く8日まで待つってこと?おそらく主治医はちゃんと血液検査して、私の体で何が起きているか見たかったんだろうと思います。リツキサン後初めての再発でしたしね。でも、その間にどんどん悪くなったらどうするの?どっちに転がるかは誰にもわからないのです。現に、私は7年前、お医者様の言う通り治療を1週間待ったばかりに取り返しのつかないことになってしまったのですから。どうしよう、どうしよう。でも、1人で悶々としていても仕方ありません。I先生にこの気持ちをそのまま伝えてみよう。それでダメならそれがエキスパートジャッジメントということであきらめよう、そう決めました。再び病院に行った私はI先生に切々と訴えました。これは再発歴8回の私が今まで経験したことのない大きな再発であること。7年前、たったの1週間で、緊急透析が必要と言われたほど症状が悪化したこと。万が一の場合にと主治医がI先生に伝えた量の薬は飲み慣れていてちゃんと自分で体調管理できること。I先生は私の方に向き直りじっと話を聞いてくれました。そして明るい声で、こう言いました。「治療を始めましょう」明日から病院が閉まってしまうという時にあなたをこのまま放り出すのははこっちも不安だ。札幌の先生には飛行機が取れなかったって言えばいいよ、と。安心して涙が出そうでした。薬を出してもらえたことはもちろんですが、不安でたまらない気持ちを先生に受け止めてもらえたことがとてもうれしかった。それだけでもう半分治ったような気になりました。でも、家に帰った私はそのまま動けなくなり、この後しばらく先行きの見えない日が続くことになります。(つづく)最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2023.05.19
コメント(0)
前回の更新からずいぶん時間が経ってしまいました。実はGW中に持病のネフローゼが再発しました。もう寛解したのですが、ちょうど帰省中だったため、色々大変でした。今回はその顛末を書き残しておこうと思います。今年のゴールデンウィークは、私と夫それぞれの実家に帰省し、ついでに久しぶりに関東のダンス競技会に出場する予定でした。競技会には北海道のダンス仲間も合流する予定で、楽しいこと間違いなしのゴールデンウィーク、のはずだったのですが…今回も新幹線で帰りました。異変に気づいたのは、札幌から私の埼玉の実家に到着した翌日のことでした。尿がわずかに泡立っていました。が、多少の泡立ちは疲れたり、激しい運動したりした後にはよくあること。ですので、その時は、長距離の移動で疲れたのだろうとあまり気にしませんでした。キャリーケースの中をちょっと直した時の様子。意外と快適そうです。で、翌日はそのまま静岡の夫の実家へ。雲行きが怪しくなってきたのはこの頃からでした。トイレに行くたびに尿の泡立ちがひどくなっていきます。尿の泡立ちはネフローゼの自覚症状の一つですが、実はこれまで、私自身は尿の泡立ちで再発に気づいたことってほとんどありません。尿が泡立ってくる時って、もうかなり尿中にタンパクが出ている状態なのです。私は普段わりとまめに検査薬でチェックしているので、たいていは尿が泡立ってくる前に再発に気づきます。そんな私がなぜこの時ばかりはのんびりしていたかというと、リツキサンのせいです。1月に入院して投与したリツキサンは、私よりはるかに再発頻度の高い患者さんでもぴたりと再発が止まる効きのいい薬なのです。投与してからまだ4ヶ月しか経っていないし、GW直前に病院でチェックした時も、免疫のレベルは適度に抑えられていて、どう考えても再発の目はない、と信じ込んでいた(信じたかった)からです。ですので、この期に及んでもまだ、この泡はトイレの洗浄薬(タンクの上の水が出るところに置くやつ)のせいだろうと必死に自分に言い聞かせていたのです。胸にうずまくドス黒い不安は、口にしたとたん、本物になってしまいそう。だから、静岡では、夫にも話さず、時に上の空になりながらも粛々と嫁のつとめをはたし、再び埼玉の私の実家に戻ってきたのでした。夫実家近くの安倍川をお散歩。で、帰宅早々、実家のトイレに駆け込み、用を足して、振り返ってみると。あわわ、あわ、あわ。かなりの勢いで泡立っています。確定だ…検査薬を買いに走り、チェックすると、ネフローゼ歴7年、再発歴8回の私が今まで見たこともない濃い〜深緑色に染まっています。何これ?こんなの見たことない。いったい何が起きてるの?手足ががくがく震えて、立っているのもやっとです。これまでになくひどい再発を起こしているのは間違いありません。呆然としたのも束の間。頭の中に5月のカレンダーが浮かび上がります。この日が5月1日。5月3日から5月7日までは祝休日で病院はどこも休み。つまり、翌日中にはなんとかしなければ、5月8日までの1週間、何の治療できないということ。そしたら、きっと大変なことになる。7年前はじめてこの病気になった時のことが頭をよぎりました。病院に行き、1週間後に入院と言われましたが、入院を待つその1週間で私は坂を転げ落ちるように、悪くなり、結局、腎臓機能の半分を失ってしまった。そんなことは2度とごめんです。だけど、私は主治医から遠く離れた関東にいて、猶予はたったの一日。さあ、どうする私?(つづく)最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2023.05.16
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1