2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全4件 (4件中 1-4件目)
1
携帯をトイレに流したと思ったら、お風呂に3冊の本と時計を落とした。当然本はよれよれに、時計は使えなくなった。トイレに携帯持って入るなよ。散々言われました。流した時。でも、お風呂に本と時計、持って入るなよ。ほんと。しかも三冊。一体どんだけ読むつもりだったんだか。で、結局寝てるし。でも、一応弁解しておくと、お風呂の蓋がお風呂のサイズと微妙に合ってなかったんだよ。だから、ちょっとよっかかって寝たくらいで、蓋が抜けたんだよ。・・・・・・はぁ。シェイクスピアさん、ごめん。ベニスぱりぱり十二夜よぼよぼ。朝っぱらから微妙にへこむ。そらぁ、買ったばかりのハードカバーの本でなくってよかったさ。借り物の本じゃなくてよかったさ。よかった。よかった。そう思おう。久々の日記なのにこんな話。今朝の話。
2004.11.16
コメント(3)
人の時間を預かっているその重さ。それってすごく重いことだと、私は思う。エンターテイナーとして、1番に思わなくちゃいけないこと。人って、結局は時間なんだと思う。人生の中で絶対なのは、時間だけ。時間が人生。物理的には時間は絶対じゃないらしいけど、でも、尺度としてではなく、流れるものとして。その時間を快く過ごす為に、お金がいる。苦しまないで、最低限の暮らしのために、お金をかせぐ。だから人は、快楽へ快楽へ、と、どんどん進歩していった。その中で重要な役割なのが、娯楽だ。芝居もその一つだと思う。よかった、と、思える時間を過ごすために。一見、娯楽にお金をかけるのは、生きる上で、食事とかと較べて意味の無いことにお金を費やすように見えるけど、実際は1番人生の中で重要な部分かもしれないと思う。どうしたらより充実した、満足した時間をすごせるか。つまり、芝居などは、満足する時間を過ごすために来た人たちの大事な時間を預かるということなのだ。その重さってすごいと思う。それを感じて、絶対に来て下さった人に、人生の中においてすごくいい時間だった、と思ってもらえるような作品を作ろうと思うことは、創り手として当然のことだと思う。でも、もしかしたら、人生なんて自分のためにあるんだから、芝居だって、作ってる自分達が楽しい充実した時間を過ごせればいい、と思って創ってる人もいるかもしれない。たしかにそうだ。否定できない。それは芝居じゃないっっと言ってしまいたいけど、言えない。確かに自分の人生だから。でも、少なくとも私は、来て下さった人たちが、人生においてとても幸せな時間をすごせるように努力して作りたいと思う。私が「RENT」を観て感じたような思いを、感じて欲しい。内容的な面ではなく、気持ちの意味で。
2004.11.15
コメント(0)
「さようなら、トニオ、永遠に!」「いやいや、さようならではなくて、また会うときまで、だ。 きみの星で、ぼくらの星で、じきに。 きみの好きなあの夕陽がしずんでいくところを、とうとう一緒にみられるね」 ジャン=ピエール・ド・ヴィレン「星の王子さま最後の飛行」より人って、優しさに触れると、どうして涙が出そうになるのだろう、と思う。この本を読みながら、何度も泣きそうになった。泣きそうになっただけで、泣かなかったのは、授業中だったからだ。劇的なタッチでも何でもないのに、何でこんなに泣きたくなるんだろう、と思ったら、根底にながれる「優しさ」が原因だった。どこまでも、やさしい。「星の王子さま」も、優しい本だ。最初の言葉から、すごくあたたかい。 レイン・ウォルトに わたしは、この本を、あるおとなの人にささげたが、子どもたちには、すまないと思う。でも、それには、ちゃんとした言いわけがある。そのおとなの人は、わたしにとって、第一の親友だからである。もう一つ、言いわけがある。そのおとなの人は、子どもの本でも、なんでも、わかる人だからである。いや、もう一つ言いわけがある。そのおとなの人は、いまフランスに住んでいて、ひもじい思いや、寒い思いをしている人だからである。どうしてもなぐさめなければならない人だからである。こんな言いわけをしても、まだ、たりないなら、そのおとなの人は、むかし、いちどは子どもだったのだから、わたしは、その子どもに、この本をささげたいと思う。 (「星の王子さま」より)そして、サン=テクジュペリは最後に、 子どもだったころの レオン・ウェルとにと書き改めている。そして、最後まで、隅々まで、愛がある。愛の定義だと何だとか、知らないけど、読んだら「愛」としか例えられないもの。「星の王子さま 最後の飛行」にも、愛がある。サン=テクジュペリへの、星の王子さまへの、愛。それがあまりにも優しくて、すごく切ない。もしもう一度彼とコンタクトがとれたなら、こう言おうと決心したのです。あなたと話せたことを私がうれしく思うのは、これからに備えようとしているからではなく、あなたが私の人生において、大海原を照らす灯台の光のような存在だからで、私はただそのお礼の気持ちを表したかったのです。と。 「星の王子さま 最後の飛行」より人ってどういう時に涙がでるのだろう。悲しい時だけじゃないし。現に優しさに触れて涙が出そうになる。感動したから?感動ってなんなのだろう。心を動かす?エンターテインってつまり、こういうことなんだと思う。こういうことっていうその幅が広くて複雑で、秩序がないようで、だから混乱する。何を目指せばいいのか分からなくなる。劇的を目指せば、観てくれる人に満足の気持ちを持ってもらえる、と思えば、劇的でなくても涙がでて、充分満足する作品がある。沢山芝居を観れば観るほど、満足時間を提供する方法の方向性がいろいろありすぎて、困惑する。しかも、言葉で理由が述べられないものが沢山ある。なんで感動したか。なんで鳥肌が立ったのか。言葉で表せない。 難しい。何がしたいんだ、自分。学者じゃないんだからさぁ、分析できなくて、分析しようとして、もがく自分が馬鹿みたいに感じる。あーあ。世界って広すぎ。何にもよく知らないうちの方が、気にせず、何故か自分を信じれて、ばんばん芝居を打った。知らなかったからだ。世界がこんなに複雑で広いって。知ってても囚われないで、作品をつくりたい。くそぉ。「ぼくは、あの星のなあの一つに住むんだ。その一つの星のなかで笑うんだ。だから、きみが夜、空をながめたら、星がみんな笑ってるように見えるだろう。すると、きみだけが、笑い上戸の星を見るわけさ」 「星の王子さま」より
2004.11.14
コメント(0)
今、自分が腐ってってるのがすごい分かる。どんどん駄目になっている。はぁ・・・。落ちてゆく。何でだろう?よくわかんないけど。基本上がりさがりが大きいから、プチ何もしなくなる時期は結構繰り返してくるんだけど、今回のは大きい。食べ過ぎて、体が重くなったのかも・・・。なんとなく、重い塊に包まれてるみたいで、感覚も冴えなくて、しなきゃいけない最低ラインにも意欲がわかないし、やっとこさ何かしても、指先一センチ何も触れてないみたいで、それに対してはキューティクルが沸かない。なんか変な文章。キューティクルが沸くってなんだよ。カオナシみたいな 何か被ってて、ずるずる歩いてるかんじ。そんなだから、やることも冴えない。トイレに携帯を流した。目の前で携帯が吸い込まれていった。今ごろ私のかわいい携帯は排水溝を流れてると思う。買ってまだ3ヶ月弱で、こないだの旅行の写真も入っていたのに。いまさっき気付いたこと。妹の誕生日が過ぎていた。最低だと思う。最悪。自分の駄目さにばかり目がいっていて、人の事に目がいけない最低さ。祖母に手紙を書こうとしたら、住所がわからない。前の手帳を探したら見つからない。どこに置いたかも忘れてる最悪な記憶力。それから、今の手帳になってから祖母に手紙を書いてなかったんだ今更気付いて、撃沈。色んなことに新鮮さがなくなった。小さいことがおろそかになってる。それで大きい刺激ばかり求めてしまう。なのにそれに対しても特になにもない。小さいことへのありがたみがなくなって、苛立つことが多くなっている。人と人との関係とか。分かってるんだけど、どうやって脱したらいいんだろう。とりあえず日記に書いてみた。日記にぐちるだけぐちって、明日からはなんとかしてみよう。とにかく、体を動かすようにしよう。何かをしよう。と、思う。日記の記入率が半分を下回ってしまったし。書きたいことはいっぱいあるし。したいことはいっぱいあるし。それについていく努力をしよう。初心に帰ろうてこうゆうことかしら。すべてが当たり前だと思わずに、プラスに出ようと思う。何も出来なかった頃のつらかった思い出を思い出して。今の状態は、当たり前なんかじゃないんだよ。大学生だからできて、努力したからできて、みんながいたからできて、努力しなけりゃすぐ維持できなくなるもんなんだよ、ばーか。
2004.11.07
コメント(1)
全4件 (4件中 1-4件目)
1
![]()

